知的障害のないASD当事者が特別支援学級で過ごした5年間:YouTuberあぺおが語る「ひまわり学級」と取り戻そうとした青春
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜あぺおは2000年生まれの25歳で、宮城県仙台市の出身である。小学5年生から中学3年生までの5年間を、特別支援学級である「ひまわり学級」で過ごした。知的障害もダウン症もないが、本人の言葉では「言葉を選ばないと、入れられちゃった」。現在は同じ学級で出会った友人「たっくん」と、当時の出来事をYouTubeのショート動画で発信している。インタビューでは、支援学級に入るまでの家庭環境、学級内で目撃した教師の体罰、中卒で営業職に就いてからの経緯、そして動画の内容は誇張ではないのかという疑問について、あぺお自身が語った。
「俺たちが義務教育全部ひまわり学級で過ごしたの、なぜなぜ」
あぺおのショート動画は、「俺たちが義務教育全部ひまわり学級で過ごしたの、なぜなぜ」というフレーズで始まる。続けて、学級で起きた出来事が短く語られる。国語の授業で友達が教科書をうまく音読できなかったとき、先生が「まともに言葉も喋れねえのか」と言って殴ったという話。遅刻した友達を先生が「家畜以下」と罵り、怯えた友達が泣き叫びながら廊下で大量に便を漏らしたという話。こうした内容である。
あぺおによると、同じ話を再投稿したものも含めて約200種類の動画を公開しており、発信を始めて約2年になる。ただ、このチャンネルの収入だけでは生計は立たない。チャンネル運営を通じてSNSの扱い方を覚えたので、友人にやり方を教えて報酬を受け取るなど、いくつかの収入を合わせて暮らしているという。
聞き手は、自分の学校にも月に1回ほどひまわり学級の子どもと給食を食べる機会があったが、動画のような場面には出会わなかったと話す。これに対してあぺおは、教師は支援学級の生徒だけがいるときと、通常学級の生徒が何かの理由で支援学級に来ているときとで、態度がまったく違ったと説明した。知的障害やダウン症の子どもの中には、口で言っても伝わらない子が多い。そのため悪いことをしたら「トラウマを植えつける」ような形で体罰的なことをするのを、教師が毎日やっているのを見ていたという。
ASDの特性と、たっくんの特性
あぺおが支援学級に入った理由は、結論から言えばASD(自閉スペクトラム症)である。本人は自分の特性をあまり把握していないとしつつ、こだわりは「死ぬほど強い」気がすると話す。一方で、人とのコミュニケーションに不自由している感覚はあまりなく、聞き手も話していて困っている印象は受けないと応じた。
あぺおの説明では、ASDの人は一つのことに興味を持つととことんのめり込むとよく言われる。自分の場合は、そのこだわりがたまたま人とのコミュニケーションに向かい、自分なりに勉強した。その結果、「アスペにしては喋れる」ようになっただけで、そこに興味を持たなかったらまったく喋れていなかったと思う、という。
相方のたっくんはADHDで、境界知能でもある。あぺおは、境界知能は障害ではなく、知的障害にぎりぎり届かない程度の知能指数だと補足した。
障害のある家族と、母親の暴力
あぺおによると、父親は本人から「自分もたぶんASDで、LD(学習障害)もたぶん持っている」と聞かされている。母親は専業主婦で、診断名は教えてもらっていないが、ずっと精神科に通っていた。あぺおはこの家を「健常者が家にいない家」と表現する。6〜7歳下の妹がいるが、あまりコミュニケーションを取っておらず、よくわからないという。
家庭は「破綻している」という感覚をずっと持っているとあぺおは語る。幼稚園の頃から、読み書きや運動がほかの子よりも明らかにできなかった。それに対して母親がヒステリックに怒鳴り、殴った。頭を殴られ、胸ぐらをつかんで振り回され、壁にぶつけられたこともある。父親は仕事で家に帰ってこず、誰にも助けを求められなかった。
父親に打ち明けたのは、ずっと後の16〜17歳頃で、2回ほどだという。「うちはこういう状態だけど大丈夫なのか」と話したが、父親はいまだにあまり信じていないと思う、とあぺおは言う。母親については、調子の悪くない日は普通にいいお母さんでもあった。ただ機嫌を見分けることはできなかったので、見ないようにしていた。「殴られたら結果論、ご飯がなかったら結果論、風呂がなかったら結果論」と考え、小学生の頃は引きこもっていた。
母親を嫌いかと聞かれると、あぺおは嫌いではないと答えた。病気の部分は母親のパーソナリティではないと考えており、パーソナリティに触れられる日も当然あったからだ。ただし、怖いとは思っていると付け加えた。
小学2年生からの不登校と、9歳からの服薬
小学2年生の途中か終わり頃、あぺおは不登校になった。友達はいたし、差別されたわけでもない。理由は、いちばん近い存在である母親が暴力を振るうのなら、外の人間はもっとひどいことをしてくるのではないか、と思ってしまったことだとあぺおは説明する。家にいれば母親と過ごす時間は長くなるが、それが普通だったので、余計なことをされないなら家の方がいいと考えた。実際には「なぜ学校に行かないのか」が怒られる理由に加わり、怒られる回数は増えたという。
小学3年生、9歳のとき、風邪で小児科に行くと、発達障害かもしれないので大学病院に行くよう紹介された。小児科で何をどう言われたかは鮮明には覚えていないという。大学病院の精神科でASDの診断を受け、あわせて「うつ状態もあるから薬をたくさん飲むように」と言われて、抗うつ薬を服用するようになった。本人は診断名を知らされず、薬についても「頭痛が治る薬」と説明されていた。診断を知っていたのは両親だけだった。
抗うつ薬は、飲んだり飲まなかったりすると離脱症状が出る。服薬が不規則だったため、頭がふわふわしたり、胸が痛くなったりする状態が続いたとあぺおは話す。引きこもっている間は、本当に寝ている時間と、母親が怖いので寝たふりをしている時間とで一日を回していた。動かなければ怒られないからだ。薬を飲んでいると気分が落ち着く一方、何にも興味が湧かなくなり、暇だという感覚すらなかったという。テレビはNHKの教育テレビ以外禁止されていたので、アニメを見たいという欲求もなかった。ただし勉強をさせられたことはなく、勉強したいと言ってもさせてもらえなかった、とあぺおは付け加えた。
始業式の日に告げられた「ひまわり学級」
小学4年生の終わりに東日本大震災が起き、学校は1〜2か月休みになった。その後の5年生の始業式に、父親から「これだけは絶対に行け」と言われた。珍しくはっきり言われたので出席すると、式の後に先生に呼ばれ、「今日からあぺお君はひまわり学級に入ります」と告げられた。両親と学校の間で決められたとみられるが、なぜ入ることになったのか、本人は今もきちんとは知らないという。
当時のあぺおも、特別支援学級は知的障害があって授業についていけない子が入る場所だと認識していた。学校に行かなかった自分が悪いにしても、まさか入れられるとは想定していなかったと話す。
小学校のひまわり学級には、あぺおのほかに4人ほどがいた。中度の知的障害の子、ダウン症の女の子、言葉を話せない重度知的障害の子などである。全員での授業は、いちばん重い知的障害の子でも取り組める内容に合わせるので、テレビを見るだけの時間もあった。個別の授業では同学年の算数を教わることはなく、ローマ字を「死ぬほど」教わっただけだった。あとはテレビを見たり工作をしたりして過ごした。
このときの心境を、あぺおは「人生終わったなって本気で思ってた」と語る。5年生で5年生の勉強をしなければ、6年生になっても中1になっても学年相応の勉強はしない。自分は一生学校の勉強がわからないまま年だけ取るのだと怖くなった。母親には逆らえず、「これでいいのか」と一度訴えたが流されて終わった。
幼稚園から一緒だった通常学級の友達には、なぜひまわり学級に入ったのかと聞かれた。しかし本人はASDの診断を知らないので説明できない。「わからないけど、絶対通常学級に戻るからね」と頑張って話したが、それが不気味だったようで、すぐに友達ではなくなったという。
中学校の下駄箱で知った「あと3年」
中学に上がれば通常学級に戻れる可能性があればいいと思っていたが、実際にはないとわかっていた、とあぺおは言う。それでも、中学でも支援学級だと知ったのは入学当日だった。先輩に案内されて自分の下駄箱を探したが見つからず、よく調べると端の支援学級の場所に名前があった。「もう3年か」と思ったという。
中学のひまわり学級は全学年合わせて7人だった。あぺお、1学年上のたっくん、知的障害の男子2人、小学校から一緒だったダウン症の女子、小人症の生徒、そして巨人症かどうかはわからないが、体感で2メートルはありそうな大柄な生徒である。小人症の生徒は中学の数学をやっていたようで、背が低いという理由だけで入ったのではないかとあぺおはみている。自分の学校は特に珍しかったのだろうと前置きしたうえで、振り分けは「超アバウト」で、障害のある生徒をとりあえず全員この学級に入れていた印象だと語った。
入学から3日ほど経った頃、知的障害の友達が前触れなく便を漏らし始めた。これが最初に「とんでもないことが起きた」と感じた出来事だった。片付けは主にあぺおとたっくんがバケツを持って雑巾がけをさせられた。言葉を話せない同級生とも、同じ空間にいると表情から喜んでいるか、嫌がっているかがわかるようになる。普通の友達関係とは違うが、友達だと自分では思っているという。
あぺおは、教科によっては通常学級の成績の低い生徒よりもできたはずだと感じ、親や教師に散々不満を訴えた。しかし支援学級で障害のある生徒が便を漏らすといった話は現実離れして聞こえるため、親には基本的に嘘だと思われた。教師はどこにも話してほしくないので、主張しても一切取り合わなかったという。
入学初日からの体罰
教師の体罰は入学初日からあったとあぺおは言う。自己紹介の時間に、上級生の知的障害の生徒がはっきり言葉で自己紹介できなかった。すると教師が「ふざけんな」と怒り、学校の硬い椅子でその生徒の背中を叩いた。頭ではなく背中だったという。
ひまわり学級の教師は3人いた。最も体罰がひどかったのは、学級の主のような立場の45歳くらいの女性教師で、いちばん立場が上だった。その下に20代後半くらいの女性教師と、50歳くらいの太った男性教師がいた。部下の教師たちは体罰を止めず、気に入らないことがあれば同じように知的障害の生徒を殴る、蹴る、引っぱたくということが当たり前に起きていた。3人がかりで一人をいじめるという形ではなかったとあぺおは補足している。
プールの時間でもないのに、泣いている知的障害の生徒を抱えて連れて行き、頭からプールに何度も沈めることも「結構あった」という。プールは教室の近くではなかった。あぺおは最後まで見届けたわけではないが、窓から連れて行かれる様子や、戻ってこないので外を見るとひどい目に遭わされている様子を見たと話す。
あぺおは、被害を受けた本人たちが言葉で訴えられないことが「肝」だったと指摘する。本人の口から明るみに出ることがないということだ。
通常学級の生徒との距離
学級の中で普通に会話ができたのはたっくんだけだった。ほかの生徒とは顔を見ながら片言で懸命にやりとりし、「遊ぼう」といった言葉は交わせた。たっくんは1学年上で、あぺおが入ってきたときは話の通じる相手が来たと感じたという。
遠足などの行事では、通常学級の班に混ぜてもらうこともあった。そのときは「障害者が入ってきた」という空気があった。円陣を組む場面では、あぺおにだけ触れたくないという扱いを受けたこともある。傷つきはしたが、慣れの方が大きかったとあぺおは言う。
運動会でも徒競走などで枠をもらい、足が速かったので少し活躍した。観客は盛り上がったが、あぺおの見立てでは、違和感をあらわにすると差別的に見えるので、盛り上げる側に徹していたのだろうという。応援も「障害者に頑張れと言うのが面白い」という感覚で、自分が速くて面白いのではなく、「ひまわり学級のあいつが速くて面白い」という話だったと振り返った。
たっくんの卒業と、内申点目当ての接触
3年生になるとたっくんが卒業し、普通に会話できる相手はいなくなった。通常学級には「障害者いじり」をしてくれるヤンキーの生徒がいて、話しに行くことはあった。うれしくはあったが、あぺお個人への興味というより「ひまわり学級のこいつ」としての扱いだったので寂しさもあった。支援学級の生徒と仲良くしておくと、通知表に「ひまわり学級の生徒と仲良くできた」と書いてもらえるらしく、内申点目当てで近づいてくる生徒もいた。それがわかっていたので悔しかったという。
5年間、あぺおは通常学級でいいと言ってくれる大人に一人も出会わなかった。そう言ってくれたのは同級生のヤンキーだけだった。「なんでひまわり学級なの」と聞かれ、「俺もわからないけど、小5からずっとここにぶち込まれてる」と答えると、「お前がわからないなら俺もわからないけど、お前は通常学級でいい気がする」と返された。大人たちは誰一人として、「ここから出さねえぞ」ぐらいの勢いだったとあぺおは語る。
進路、通信制高校の退学、カラオケ店での初めての青春
あぺおの学校の支援学級では、中間テストや期末テストを受けさせてもらえなかった。そのため普通の高校に進む選択肢はなく、中3の夏から養護学校や支援学校を3校ほど見学することになった。あぺおは強く抵抗し、養護学校は親に取りやめてもらった。親が学費を払えば入れる通信制高校に入学した。
しかし小5以降の学習が完全に抜けていた。ローマ字が書けて、掛け算ができる程度だったという。授業にはまったくついていけず、1年生を3回ほど留年して退学した。
母親との関係は、中学時代も毎月通っていた大学病院の医師が母親を強く説教してくれたらしく、ネグレクトや虐待は多少減った。それでも仲は良くないままだという。その病院は子どもの精神科だったので15歳を超えると診てもらえず、自分で病院を選ぶように言われた。しかし親が次の手配をしなかったため、16歳以降は精神科に通っていない。
高校に行かない日は、カラオケ店でアルバイトを始めた。仕事では非常によく怒られたが、昼間のシフトは「ちゃらんぽらんなフリーター」ばかりで、みんな同じくらいミスをしていた。そのため自分だけが目立って解雇されることがなく、最初の店で1年半ほど続いた。退学までのアルバイトはすべてカラオケ店だった。
17歳頃にはバイト先で初めて恋人ができ、2年ほど付き合った。支援学級にいた頃は、恋愛で好かれるかどうか以前に、同級生の女子から検討の対象にすら入らなかった。男子も話してくれない環境で15歳まで過ごしたので、ここからようやく、ひまわり学級に奪われた青春を少しずつ回収する作業が始まったとあぺおは表現する。たっくんとはほぼ毎日LINEをしていたが、17歳頃に親の転勤で福岡かどこかへ引っ越し、会えなくなった。
生活が充実しても、やりたいことや目標はなかなか出てこなかった。小学生なら「パイロットになりたい」と口にするものだが、何を言っても誰も聞いていない場所にずっといたので、欲を出したり望んだりする習慣がなくなっていた。漠然と、正社員のサラリーマンになれたら最高だと思っていたという。
保険営業で年収1000万円、そして退職
カラオケのバイトを約3年続け、高校も退学したあぺおは、きちんと働きたいと考えた。19歳前後、中卒の状態で小規模なベンチャーの保険代理店に入社し、2年半から3年ほど営業を務めた。上司にかわいがられて顧客を回してもらったこともあり、成績はよかった。額面で1度だけ年収1000万円に届いた年があったという。
一方で特性による働きづらさも大きかった。事務作業はケアレスミスが多すぎてこなせなかった。成約すると思っていた客が契約しなかったときには、会社に戻ってキーボードを壊したこともある。聞き手が癇癪もASDの特徴として挙げられると触れると、あぺおはそれを認めた。ミスが多く人間性にも問題があると見られていたが、数字を出していたので、会社には解雇する明確な理由がなかっただけだという。
その後、会社が親会社に吸収されてオーナーが変わり、社風が一変した。営業成績がよくてもパソコンを壊すような社員は置いておけないとして、退職を迫られた。あぺおは1年ほど粘ったが、便や障害者を扱うYouTubeの活動が会社に知られ、言えることはないと考えて退職を受け入れた。
24歳で知った9歳時点の確定診断
発達障害だろうとは薄々思っていたが、9歳で確定診断が出ていたことを知ったのは23〜24歳頃だった。障害年金という制度を知り、申請には障害者手帳が必要なのではないかと考えた。もし手帳をすでに持っていて親に隠されていた場合、持っていない前提で病院に行くとややこしくなる。そう考えて母親に尋ねると、母親ははぐらかし始めた。問い詰めると、実は持っていると明かしたという。
そんなに早くから診断が出ていたのか、というのが率直な感想だった。怒っても何も変わらないと思い、手帳を持っていることがわかった時点で目的は果たしたので、話をこじらせないように終わらせたとあぺおは語る。
セフレの女性の自殺と、「比べようのないコンテンツ」
YouTubeを始めたきっかけについて、あぺおは次のように語った。営業で稼いでいた当時は「青春を絶賛取り戻し中」で、お金もあり、女性関係も多く、楽しかった。ひまわり学級にいた自分ですらこうなれるのだから、みんな楽しい人生を送っているのだろうと思っていた。ところが、関係のあった女性が自殺した。
なぜだろうと考えたとき、SNSには自分と他人を比べるコンテンツが多いと気づいた。家の中で画面を見て自分と他人を比べ、給料も多くなければ病んでしまう。しかし、ひまわり学級の話なら誰も自分と比べようがない。見ても病まないコンテンツを自分なら作れるのではないか。そう考えて、たっくんを誘ったという。
たっくんには電話で、交通費を出すので一度仙台に来てほしいと頼んだ。最初は二人でゲーム実況をしながらひまわり学級の話をしていたが、拡散力がなく、これでは続けられないと判断した。そこで独学でSNSを研究し、他人の動画を見て、カットの回数を増やした方がいいのか、音を多くした方がいいのかと試行錯誤しながら、今の形を作った。
冒頭の「なぜなぜ」のフレーズは、特定の何かを参考にしたわけではない。保険営業で見知らぬ相手に突然電話をかける際、どうすれば話を聞いてもらえるかを考えてきた経験を反映させたという。聞き手は、言葉に無駄がなく、フックとして強いと評した。
想定外のバズと、手つかずの横長動画
開始から半年ほどで「なぜなぜ」の1本が約300万回再生され、数百〜1000人程度だった登録者が一気に3万人まで増えた。あぺおはこれほど見られるとは思っていなかった。本来は、ADHDや境界知能などの特性を持つ友人も交えて「演者全員が発達障害」のチャンネルにし、横長動画で大喜利企画などをやる構想だった。しかしショートが先に伸びたので、そのフォーマットを固めることに集中し、やろうとしていたことは実はまだやれていないという。
ネタは、あぺおの小学校2年間と中学3年間、それにたっくんが小学1年から6年まで在籍していた時期の話に限られる。限界はあると本人も認めており、そろそろ形を変えなければとは思っているが、具体策はまだない。ショートを入口にして横長動画を多く見てもらいたいと考え、その中身を検討している段階だと話した。
「演出では」という疑問への答え
聞き手は、ネタが枯渇して多少の脚色が入っているのではないかと率直に尋ねた。例として挙げたのは、ひまわり学級の友達が文化祭のミスコンに出場した話である。優勝を逃すと先生が「差別か、差別なのか」と騒ぎ、学級のみんなもブーイングに加わった。運営は結果を変更し、翌年からミスコンは廃止された、という内容だ。先生がそんなことを言い出すことがありうるのか、と聞き手は疑問を呈した。
あぺおの答えは、「事実です」だった。当時の写真を出すわけにはいかないので、言葉で表現するしかない。ありのままを話しても伝わらないため、想像しやすい言葉への変換はする。その過程で「これは脚色になっていないか」と自分たちで感じることはあるが、二人のどちらかがそう感じたものはボツにしている。事実が変わるレベルで言葉を変えることはしておらず、ゼロから作ることもしていないという。聞き手が、当時の関係者が見れば「少し言い過ぎだ」と思う程度の違いかと確認すると、あぺおはその程度だと答えた。
視聴者の反応と、同じ境遇の人々
最近始めたYouTubeライブでは、発達障害や知的障害のある子どもをひまわり学級に通わせている、あるいは通わせる予定だという親が意外に多く見ていることがわかった。そうした親から怒られたり悲しまれたりすることはあまりない。むしろ、全部がこうではないにしても実態としてこういう可能性がありうることを教えてくれてありがとう、という言葉をかけられることが多いという。一方で、養護学校の教員や特別支援学級の教員免許を持つ人が、ありえないと怒ってくることもある。
あぺおは、本来入らなくてもいいのに支援学級に入った人間は、自分とたっくんだけだと思っていた。しかし視聴者と話すと、少しADHDなだけで勉強はむしろ通常学級の生徒よりできるが支援学級だった、という人が「めちゃめちゃいっぱい」いたという。
こうした状況について、あぺおは次のように語った。青春はあった方がいい。小学校や中学校はやり直せず、お金を払っても義務教育をもう一度受けることはできない。支援学級に入って周囲から障害者として煙たがられ、学力と結びつかない勉強をさせられるのは、自分もそうだったが「かわいそう」だと思う。「かわいそう」という言い方は雑だけど、と断ったうえでの言葉である。
母親については、精神疾患があるのはおそらく間違いないとみている。病気に感情をコントロールされていたのだとすれば、母親もある種の病人だっただけだ、と処理している。嫌いだとか死ねといった感情は一切ないという。
これから
今後についてあぺおは、まずYouTubeをもっと頑張りたいと話す。はっきりした計画があるわけではない。ひまわり学級に入れられ、青春をドブに捨てるような学校生活を送った中でたっくんと出会った。その二人で、ひまわり学級だったけれど良かったと納得できる人生になっていれば、それがいちばんいいという。
もう一つの思いとして、あぺおは発達障害の扱われ方の曖昧さを挙げた。周りの大人から見た子どもの扱いも含めて、発達障害という言葉についたネガティブなイメージを少しでも払拭できたら、と語った。
ありがとうございます。あのご連絡いただきまして。あ、いいや、そんなでもないです。ちょっとこれ歩きながらいいですか?
横浜で女性が笑顔になるための安全安心な医療を提供し続ける浅川産婦人科朝安泰さんの提供でお送りします。
ほら、あの、あぺおさん送っていただいて。はい。だからあのひまわり学級に、知的障害があったりとか、ダウン症だったりとかするわけじゃないけど、ひまわり学級にいたって経験がある。おっしゃる通りです。え、何年かいたんですか?えっと、小学5年生から中3までなので全部で5年くらい。5年いたんですね。そうですね。はい。
だからその時の5年間のエピソードみたいなのを、主にYouTubeのショート動画で発信されてるってことなんですよね。そうですね。はい。はあ。え、あれってもう何本ぐらいあるんですか?
俺たちが義務教育全部ひまわり学級で過ごしたの。なぜなぜ。国語の授業でダウン症の友達が教科書の音読をうまくできなかった時、それに対して先生が「まともに言葉も喋れねえのか」と言い、みぞおちをパンチ。それを見た会社の友達が起きしてたの。なぜなぜ。
何個か同じ話をあげちゃったりもしてるので、総和で言うと200種類ぐらい今上がってると思います。
ひまわり学級ってこんな壮絶なんだみたいな。いや、自分の学校にもそういう学級、月に1回ぐらい班でなんかひまわり学級の子たちとご飯を食べましょうみたいな感じで、ひまわりにご飯食べに行くみたいな。ありますよね。はい。機会はあったんですけど、そこではだからあの動画にあるようにうんこぶちまけるみたいなこととか、おしっこ先生にかけるみたいな瞬間には出会わなくて。やっぱあれって中にいるからあれだけ出会うってことなんですか?
ま、そうですね。先生も先生で、そのひまわり学級の生徒だけがいる空間の時の対応と、その通常学級の健常者が何かしら理由があってひまわり学級に来てる時の顔が全く違うので。
今何歳でしたっけ?今25です。2000年生まれの。だから25歳の人が通ってた時代にまだちゃんとしっかりと体罰あるんだみたいな。そうですね。
なんかショート動画で言われてるじゃないですか。はい。結局、知的障害の子とかダウン症の子とかって、中には口で言って何も通じない子っていっぱいいるので、なんか悪いことしたらトラウマを植えつけるじゃないですけど、そういう形で体罰、体罰チックなことを毎日先生がやってるのは見てましたね。
俺たちが義務教育全部ひまわり学級で過ごしたの。なぜなぜ。ダウン症の友達が学校に遅刻した時、先生が「自分で時間も守れない。お前は家畜以下だから3時に連絡だ」と言い放ち、止めを感じ怯えたダウン症の友達は泣き叫びながら廊下でうんちを大量に撒き散らし、朝の会を目の前に早退したの。なぜ?なぜ?
え?だから今あの発信を、当時のひまわり学級で出会った友達とやってるんですよね。そうです。あの形で今どれぐらい経ちますか?大体2年ぐらいだと思います。はい。2年ぐらいですね。
実際どうですか?あのショート動画のチャンネルだけで生計立てられますか?いや、全然立たないですね。あ、どうしてるんですか?じゃあ。それはその、ま、情報商材って言ったらあれですけど、このひまわり学級のチャンネルでちょっとSNSを多少覚えたので、ま、友達にちょっとやり方教えたりして小遣いもらいながらみたいな、色々合わせてですね。じゃ、ま、情報商材っていうか、SNS教えますみたいな感じですか?そうですね。こんな感じで。あ、それで一応なんとか1ヶ月、2ヶ月、あ、毎月暮らしていけるかなって感じはあるんですか?ああ、暮らしてはいけてます。はい。あ、そうなんですね。
知的障害は持ってないけど、なんで、えっと、ひまわりに入れられてたんでしたっけ?どういう特性があるんです?結論から言うとASDなので、それで入ったっていうような感じではあるんですけど、僕あんま自分で分かってないんですけど、こだわりとかは多分死ぬほど強いような気はしてます。
ああ。え、その人とのコミュニケーションだったりとか、人間関係とか作る分にはどうなんですか?はあ、あんまり不自由してないかなっていう感覚なんですけど。はあ。確かに今喋ってる感じからしても、そんなに大変そうだなって印象受けないですね。
僕の場合はその、ま、ASDの子ってこだわりがものすごい、1個気になったら、興味持ったらとんでもないんだっていう話がよくあると思うんですけど、僕の場合はそのこだわりがたまたま人と人とのコミュニケーションに行って、結構勉強したんですよ、自分なりに。そう。それが相まってちょっと人より喋れる、アスペにしては喋れるみたいになっただけで、多分その人と人みたいなので興味を持たなかったら全然喋れてないと思います。
あ、あとその相方さんはどういう特性だったんですか?ちなみに。彼はADHDと、あと境界知能。境界知能って障害じゃないんであれですけど、知的障害ギリ行かないぐらいの知能指数。そうですね。
そんな2人はだから要は、ま、ひまわり学級に入れられちゃったっていうことなんですもんね。そうです。言葉選ばないと入れられちゃったっていう感覚ですね。
あ、ちょっとそういう風に至るまでとかも含めて、生まれてから今に至るまでのことを聞きたいんですけど、出身は?出身は宮城県仙台市で。どんな家庭に生まれてるんですか?
えっと、これややこしいのが、あの、僕のお父さんがまず事屋で、本人から聞いたのは、多分自分もASDで、で、あとLD、学習障害を多分俺も持ってるんだよねっていう話をまずお父さんから聞いてて。で、一方でお母さんは専業主婦なんですけど、診断名はちょっと教えてもらったことないんですけど、ずっと精神科通ってて。なので、ま、めちゃめちゃ発達障害者一家じゃないですけど、ま、健常者が家にいないような家ですね。一言で言うと。
え、兄弟は?えっと、兄弟、一応妹僕いるんですけど、妹のことはちょっとあんまりよく分かってないです。分かってない。そうです。そんなにコミュニケーション取ったりしてないまま。ああ、でも別に絶縁してとかじゃなく暮らしてはいる。うん。そうですね。
ああ。あ、でもそういうその4人家族で、それ結構家の中破綻してるんじゃないですか?どう?うん。ま、僕は破綻してるなっていう感覚をずっと持ってます。
え、その破綻具合はどんな感じですか?破綻具合は、ま、まずその僕ちっちゃい時、幼稚園通ってたんですけど、その、ま、明らかに読み書きだとか運動とかが他の子と比べて全然できなくて。で、ま、それに対して母親がめちゃめちゃヒステリックにわーって怒ってきたり殴ってきたり。グーで殴ってきますし。ああ。あとなんか足首掴んで振り回されて、壁にぶつけられたこととかあって。ええ、結構激しい虐待ですね。
そうですね。お父さんが仕事で家に帰ってこなくて、ま、僕は誰にも助けを求められないまま不登校になり。不登校って何歳?えっと、不登校確か小学2年生ぐらいから一旦不登校になります。
え、じゃ、小2までお母さんのそういう暴力っていうのは、あの、誰からも止められることなく受け続けてるんですか?ま、そうですね。それお父さん気づいてるんですか?多分気づいてないんじゃないですかね。僕が言っても信じてくれなかったんで。一応言ったんですか?言ったことは2回ぐらい確かあります。何歳ぐらいですか?何歳ぐらいだろう?でも結構後ですね。物心ついてから、本当に16歳とか17歳ぐらいになってから、ちょっとうちこういう状態なんだけど、これ大丈夫なのみたいな感じで話したことはあるんですけど、ま、多分未だにあんまり信じてないというか。
え、じゃ、そのあぺおさんからすると、お父さんは無関心、お母さんはちょっと怖い存在って感じなんですか?ま、そうですね。メンタルがいかれてない日は普通にいいお母さんだったりもするので。それは顔色で分かるんですか?その、表情とか雰囲気で、今日機嫌悪いなとか、今日やばい日だな、今日いい日だなとか。ああ、もうそのわかんないんで見ないようにしてました。ちょっともう殴られたら結果論、ご飯なかったら結果論、風呂なかったら結果論、もういいやみたいな感じで、引きこもってましたね。小学生の時は。はい。
あ、じゃお母さんのこと、基本はちょっと嫌いなんですか?ま、嫌いっていうか、嫌いではないんですよ。だから病気の部分って別にお母さんのパーソナリティじゃないと思ってるので。うん。別にそのお母さんのパーソナリティに触れてる日ってのは当然あったから。そうね。一概に嫌いっていう言葉でなんか思ってる感じではないです。はい。でも怖いとは思って。怖いとは思ってます。それ確かに壁に叩きつけられたりとかしたらさ、怖い。ま、シンプル怖いですよね。
え、妹ってのは何個下なんですか?妹が6個か7個ぐらい下だった気がします。あ、だいぶ下なんですね。結構離れてますね。
え。学校に行きたくないって感じなんですか?僕は。僕ですか?その不登校は、1番、お母さんってそもそもその9歳とか8歳とか、小学生の時って1番近い存在だと思うんですけど。うん。その1番近い存在のお母さんが、じゃあヒステリックになっちゃったり暴力ばっかりしてきたりっていうのがあったんで、そもそも外の人間はもっと怖いんじゃないかっていう感覚になっちゃったんですよ。なるほど。そう。お母さんが殴ってくるんだったら、外の人間はもっとめちゃくちゃやってくるんじゃないかって思っちゃって。で、その多分小学2年生の間か終わりか忘れましたけど、その辺りから不登校になって、そんな感じです。なんか人怖くなっちゃったっすね。
友達いたんですか?その時には。えっと、あの、幼稚園の時に仲良かった友達がまずいて、で、当然同じ小学校に行ったので、その同じ小学校に上がった子とかは、1年生とか2年生の時はある程度仲いいまま過ごしてはいたんですけど。ああ、じゃあ別に友達がいないっていう感じじゃなく、自分で外怖いなっていう気持ちはどんどん強くなってたんですか?そうですね。何されっかわかんないなと思っちゃって。別に何かされたわけじゃないから。されてはないです。全然誰からもされてはなくて。とにかくお母さんのヒステリックを身近でずっと見てたり、直接被害に遭ったりしてる中で、その外の人間がもっとめちゃくちゃ怖いんじゃねえかと思っちゃって、一旦学校には行かなくなりましたね。
それでも学校に行かなくなったら、そのヒステリックなお母さんと一緒にいる時間もっと長くなって、もっと大変なんじゃないですか。えっと、ま、とにかくその外の人の方が怖いと思ってたので、大変は大変だったけど、ま、逆に言うとそれが普通でもあったので、じゃあなんか余計な災い振ってこないんだったら家にいた方がいいやって言うんで、お母さんのヒステリックだけ受け止めてたみたいな感じでした。
ああ。え、不登校になったことで、お母さんのヒステリックが増すことはなかったんですか?なんで学校行かねえんだみたいなのが追加されるんで、シンプルに回数は増えますよね。
その小学2年生の不登校の時点では、ま、ただの不登校みたいな感じで過ごして、小学3年生、9歳の時に、なんか風邪引いて小児科に行ったら、小児科の先生から「ちょっとあんた発達障害かもしんないから、大学病院の紹介状書くから行ってきてね」って言われて、で、一通り検査を精神科に行ったんですね。その大学病院かなんかの精神科に行って、で、そこでそのASDの診断をもらうと共に、「ちょっとあんたうつ状態もあるから、お薬バカバカ飲んでね」って言って、そっからお薬漬けになったりして。
え、小児科の先生が、うつかもしれないって言ったんですか?あのごめんなさい。これはちょっと僕さすがに鮮明には覚えてないんですけど、その小児科でそういう風に言われて大学病院に行くことになったきっかけは間違いなく小児科なんですよ。ただ何をどう言われたかっていうところに関しては、あんまりちゃんと覚えてないです。ああ、ま、てかもう大学病院紹介されるって相当、あの、重いと思われたんですかね?うん。多分そうですね。
発達障害ってことはご自身は理解したんですか?僕はずっと知らされなかったので。あ、じゃ、お母さんだけ知った状態。そうですね。お母さんとお父さんだけ、その僕にASDの確定診断が下ってるっていうことをずっと知ってたっていうような。あ、自閉症なんで。そうですね。
で、それは、えっと、本人は定期的に薬を飲んでるって状態。そうですね。ただその出てるの、あくまで飲んでる薬はASDの薬じゃなくて、その、ま、うつに対する抗うつ薬みたいな薬なので、そのASDのあれで薬飲んでたわけじゃないんで、そこちょっとリンクしてこないんですけど、ただあの、ま、抗うつ薬だとは言われず、頭痛が治る薬だよみたいなこと言われて、ずっと抗うつ薬を飲んでましたね。小3から抗うつ薬飲んでんですか?そうなんですよ。
え、分かるですか?それってどう、どうなるんです?副作用っていうか、なんか飲んだり飲まなかったりしすぎたせいで、抗うつ薬ってその離脱症状って言って、本当飲む時飲む、やめる時やめるってやんないと、なんか頭ふわふわしたりだとか、そういう症状出てきちゃうので、それで言うとずっとその離脱が、ちゃんと飲まないせいで常に出てたみたいな感じでした。
ああ。結構じゃ、ずっとふわふわしてる感じなんですか?そうですね。ふわふわしたり、なんかビンビンするって言ったらあれですけど、なんか変な感じすね。で、胸痛くなったりみたいなのもありましたね。そう、それ飲みながら家で引きこもってる。そうですね。
何してるんですか?引きこもってる最中。寝てます。え、でも起きるじゃないですか?目が覚めるじゃないですか?本当に寝てる時間と、あと母親怖いんで寝たふりしてるみたいな、本当の睡眠と寝たふりで24時間回すみたいな感じですよ。なるほど。だから動かなければ怒られないからっていうふうになってんですか?おっしゃる通りです。
暇すぎません?ま、暇は暇ですけど、ま、その抗うつ薬飲んでると、なんとなく気分がすっごい落ち着くんですよ。うん。逆に言うと何にも興味が湧かなくなるみたいな。なので、なんか暇っていう感覚すら持たずに、母親に怒られないように静かに寝たふりして、夜はま、普通に寝るみたいな。
そうか。抗うつ薬によって、うつっぽい症状はあれなんだけど、その代わりあらゆるものへの好奇心とか興味も含めて削がれてるって感じ。そんな感じですね。そうです。そうです。
え、だって子供とかだったら、なんかアニメとか漫画とか、何かしらそういうもんがあるもんじゃないですか?それで言うと僕テレビを基本的に禁止されてて、NHKの教育テレビしか見てなかったんですよ、ちっちゃい時から。なのでなんかテレビ見たいとか、ドラえもん見たいとか、そういうの特になくて。結構厳しいんですね。そういうことに関しては。うん。そうですね。
いわゆる教育ママって感じでもないんですか?教育ママっていう感じでは全然ないっすね。勉強させられたことないし、したいって言った時もさせてくんなかったし。だけどもそのテレビに関するルールとかは厳しいんですね。ああ、そうですね。
ほぼ寝たきり状態じゃないですか?そうですね。寝たきりはどれぐらい続くんですか?小学5年生でひまわり学級に入ってから、そっから学校ちょっと行き出すので、逆に小2の終わりから小学4年生いっぱいは、ずっと引きこもりっていうか、その寝たふりと寝たふり生活みたいな。
そのひまわり学級は何で入ることになったんですか?えっと、これなんかよくわかんないんですけど、とりあえず小学2年生、3年生、4年生をちゃんと行かなかったわけじゃないですか?はい。で、その小学4年生の時に、東日本大震災あったじゃないですか。震災があって学校が全部休みになったんですね。うん。で、そのなんか1ヶ月、2ヶ月ぐらい多分休みになって、で、5年生の始業式だけ、なんか急にその父親の方から「お前絶対この5年生の始業式だけは行け」って言われて。で、ま、珍しく学校行けってちゃんと言われたから行こうと思って小学校の始業式に参加したら、なんかその始業式が終わって、で、先生に「あぺお君、前に来てね」ってパーって呼ばれて、で、その時に「今日からあぺお君はひまわり学級に入ります」って言われて、じゃあ入ったみたいな感じなので、僕何にもなんで入ったかっていうのはあんまりちゃんと知らないんですよね。
え、それはもうお父さんお母さんと学校の話し合いかなんかによって勝手に決められたというか。はい。そうですね。ちなみに当時5年生の時、ひまわり学級に対しての認識ってどんな感じだったんですか?まさかひまわり学級に入れられるとは思ってなかったですね。学校行かなかった俺が悪いにしろ、ちょっと想定してなかったですね。
え、だからま、いわゆる特別支援学級っていうんでしたっけ?そうです。基本あれですよね。あの知的障害があって授業についていけない子とかが入るとこっていう感じですよね。そうですね。僕も当時はその認識でした。
で、実際入ってみて、いたのも多分中度知的障害ぐらいの男の子と、ダウン症の女の子と、重度知的障害みたいな言葉喋れない障害者の人がいたみたいな感じでした。何人ですか?小学校の5年生の時入った時点では確か4人いました。知的障害とかだと、知能指数的にも3歳とかそれぐらいなんじゃないですか?それ以外。そんぐらいになってくると思います。多分。
え、それって誰のペースに合わせて授業するんですか?えっと、なんかそのみんなで授業をやる時と、個別で授業やってくれる日みたいなのがあって、みんなに合わせる時はもう1番重度の知的障害を持ってる子でも楽しめる、なんか楽しめるっていうか取り組める授業みたいな、そこに合わせてやるって感じでした。
じゃもう幼稚園のレベルのレクリエーションみたいな感じなんですか?そうですね。もうテレビ見るだけみたいな。ああ、本当。え、で、個別はどんな感じですか?普通に同じ学年の算数とか教えてくるんですか?あ、それは全然ないです。僕はなんかローマ字を死ぬほど教わりました。でもそれだけです。あとはもうヘラヘラしながらテレビ見たり、工作みたいな授業やったりって感じでしたね。
え。それってどんな心境なんですか、それをやってる時って。ま、知能のレベルに合ってない教育を受けざるを得ない状況ってどういう気持ちなんだろうなと思って。うん。なんかもう人生終わったなって本気で思ってました。その時は。
ああ。なんかそうです。だから、ま、小学5年生だったらちょっと何習うのかわかんないですけど、5年生の年で5年生の勉強やんなかったら、6年生になっても6年生の勉強しないじゃないですか。うん。で、当然中1になっても中1の勉強しないし、みたいな。じゃ、俺一生学校の勉強わかんないまま年だけ取るじゃんと思って。うん。なんか怖いみたいな感じでした。しかもお母さんには逆らえないし、そんな怖いとか嫌だとかも言えないみたいな。
はい。あの、さすがにちょっとたまんねえなと思ったので、これこういう状態だけどいいのみたいな言い方を小学校の時にしたことはあるんですけど、なんか流されて終わっちゃったんで。
え、幼稚園保育園が一緒だった、普通学級に行ってた友達とかもいるわけじゃないですか?そうですね。学校に。はい。その子たちとはひまわり学級行きながら会話とかするんですか?いや、もうまるっきり友達やめられちゃったんで、喋ることとかほとんどなかったすね。あ、やっぱちょっと友達じゃなくなりますか?
そうですね。ま、ひまわり学級入った時点で、その同級生の元々友達だった子とかから「なんでひまわり学級入ったの」みたいに聞かれるんですけど、説明つかないじゃないですか。僕、自分がASDだって知らないんで。わかんないとしか言えない。そうです。そうです。わかんないけど、いつか通常学級に絶対戻るからねみたいなことをベラベラ頑張って喋ってたんですけど、逆にそれが多分不気味だったみたいで、もう友達じゃなくなっちゃったっすね。結構一瞬で。
それ辛くないですか?友達が友達じゃなくなるって。それはめちゃめちゃ辛かったですね。うん。辛かったです。え、それって中学になったら普通学級行けるって、なんとなく勝手に思ってるんですか?その可能性があったらいいなって思ってきてました。でも実態としては、ま、分かってます。ないことは。そうなんです。はい。
それで中学に上がっても、そういう特別支援学級にやっぱ行くんだってのは、いつ気づく、いつ知らされるんですか?そう。それもその小学校卒業して中学校入るまで知らなかったです。そのなんか中学校に入学して、いざ校門にパーって入ったら、なんか先輩たちがその新入生の下駄箱を案内してくれてたんですけど。うんうん。その僕も当然「僕の下駄箱どこですか」ってその先輩の人に聞いたら、なんかどこにもないみたいになって。よく調べたら端っこのその中学校のひまわり学級のところに僕の名前があって、そこで知るみたいな。はいはい。もう3年かみたいな。
へえ。1年生で行くわけじゃないですか?はい。そうですね。上に2学年分の人たちがいて、合計何人いるんですか、最初?まず僕と、あとその今一緒にYouTubeやってるたっ君っていう子で一緒にやってるんですけど、あとその知的障害の男の子が2人と、男の、女の子、小学校一緒だったダウン症の子1人と、えっと、あと小人症の子と、巨人症なのかわかんないんですけど、巨人みたいな子がいました。
で、そんなでかいんですか?なんか背丈もでかいし、横もでかいみたいな。何センチぐらい?体感ですけど2mは絶対あるだろみたいな。あ、そんなでかいんですか?それめちゃくちゃでかいです。
小人症、巨人症の方々は、勉強はどうなんですか?小人症の方は中学校の数学をやってたような気がするんですよ。なので多分ただただ背がちっちゃいからひまわり学級に入ったっぽいんですけど。あ、じゃ結構やっぱそのASDの自閉症スペクトラムのあぺおさんが入るぐらいだから、やっぱ小人症の人ももう別に勉強的に差し支えなかったら普通学級でいいはずじゃないですか?はい。ま、そう思います。
なんかやっぱそういうアバウトな入れ方してるんですか?障害みたいな。そうです。なんか多分僕のところがめちゃくちゃ珍しいんだと思うんですけど、もう超アバウトみたいな。とりあえず障害全部この学級にぶち込んだれみたいな感じだったと思います。
その、え、6名、え、全部7人かな?7名。はい。あ、そう。そこであ、ショート動画みたいなことが起こる。そうですね。で、1番最初にこれすごいとんでもないことが起きたなってどんなことですか?分かりやすかったのは、入学して3日ぐらい経ってから、何の突拍子もなく知的障害者の友達が脱いで、うんこ漏らし始めて、何これ何これってなったのが1番最初でした。
ええ、その子は友達なんですか?あの、友達だと思ってます。え、それはだから仲良くしてるんですか?普通の友達関係とはやっぱさすがに違いますけど、同じ空間に一緒にいると、言葉喋れなくても、なんとなく表情を見て言葉伝えてたら、ま、喜んでるなとか、怒ってるなとか、嫌だったのかなとか、分かってくるので。ま、年近くて、そういう形でコミュニケーションしてたから、ま、友達ではあるでしょうって僕が勝手に思ってるだけなんですけど。
ああ、そういう、漏らしちゃうみたいなのは、その小学校の時はなかったんですか?はい。小学校の時はなかったはずです。ああ。うん。そんななんか劇的なことはあんまり起こんないまま卒業した気がします。
そういうのって、その学級のみんなで拭くんですか?そうですね。僕が片付けたり、ま、主にその僕とそのたっ君、ADHDの子で2人でバケツ持って雑巾で、みたいなことをやらされてましたね。
え。それ、たっ君とあぺおさんに関して言うと、教科によったら全然自分の方ができるんじゃないかみたいな、あの普通学級の成績低い子よりもみたいな教科とかも絶対あるはずじゃないですか?そうですね。しかも中学生とか、そこにいること納得いってないじゃないですか。めちゃめちゃ納得いってなかったですね。小学生だったのかな?中学ぐらいになってくると、ま、意見もできるじゃないですか。どこに対してですか?先生とか?あ、先生とか親とかに対して、なんか不平不満を言わなかったですか?
ま、散々言ったんですけど、ま、そのやっぱりひまわり学級の中で障害者の子がうんこを漏らすだとかって、なんかもう幻みたいな話だって解釈されるんで、僕の言ってること基本全部その親には嘘だと思われてるし、先生は基本的にはもうどこにも言って欲しくないから、その僕がそういう主張した時は絶対取り合わないみたいな感じでした。
先生の体罰を目の当たりにするのはいつですか?同じぐらいの時ですか?先生の体罰は初日からあった気がします。そんなもんですか?確かみんなで入学初日、その自己紹介をするんですけど、その学年が何個か上の重度か中度か知的障害者の子が、ちゃんとはっきりと言葉で自己紹介できなくて、先生がなんか「お前ふざけんな」みたいな、バーって殴ったりみたいな。椅子でドーンって背中を。そうです。パイプ椅子ってこと?あの学校の椅子です。あ。あの硬い、なんか木みたいな椅子じゃないですか。あれでドンみたいな。頭はいかないすよ。背中からバーンみたいな。
え、それで怒って、それやったところでできるようになるんですか?自己紹介。
え、その先生男なんすか?女性なんすか?ひまわり学級の先生は3人いて、その先生は女でした確か。女性なんですね。そうです。そうです。え、その人が1番ちょっと体罰がすごいんですか?そうですね。主任みたいな女の先生が1人いて、その人でした。その人が1番偉いんですか?その中で。偉いはずです。はい。偉かったです。何歳ぐらいですか?45ぐらいだと思います。多分。
え、その人の支配下にどんな人がいるんですか?その人の支配下に、なんか20代後半ぐらいの女の先生と、あとなんか50歳ぐらいのなんかギトギトのおじさんの先生みたいな。ギトギト。ギトギトって太ってるってこと?あ、太ってます。太ってます。汗がすごくて。なんか太ってて、なんか臭いおじさんの先生がいました。
え、そのおじさんの先生はその人の暴力を、やっぱ部下だから止めない感じなんですか?止めないっていうか一緒にやってますね。一緒に加担するんですか?そう、加担します。え、どういう時に。ま、加担っていうか、その3対1で障害者をいじめるとかではないんですけど、そのなんか、ま、気に食わないことがあったら当然その配下にいる先生たちも、知的障害の子をぶん殴ったり蹴ったり引っぱたいたりみたいなのは、ま、当たり前に起きてたことなので。
それしかも、障害持ってる人たちは、そういうことされてるって言葉にできないわけですもんね。そうですね。ま、そこが肝ですよね。バレないっていう、本人から。
はあ。他にどんなトラブルがありましたか?ま、分かりやすいので言うと、なんか怒った先生が知的障害者の友達を、プールに頭から、プールの時間でもないのにガバガバガバって沈めるみたいな。そういうのは結構ありました。
え、プールの時間じゃないけど、プールとかが近いってことですか?そのひまわり学級からは。別に近くないです。え、連れてくんですか?泣いてる知的障害者の友達をもう抱えて連れてくみたいな。へえ。それ見に行ってるんですか?あの、いや、最後までは見てないですけど。その、あ、でもそうですね。窓から見えたので。へえ。なんか連れて行かれる様子と、帰ってこないねって窓見たらめちゃくちゃやられてるみたいなのを見たりしてました。
ええ、じゃ、その本当に会話できる友達ならたっ君だけなんですか?他にもいますか?そうですね。普通の会話ができるのは、ま、たっ君。普通の会話って言ったらあれですけど、他のみんなは、ま、顔見て片言で一生懸命コミュニケーション頑張るみたいな感じで、会話はできなかったです、みんな。ああ。ただ言葉の意味とかはある程度みんな知ってはいるので、言ってはくれます。遊ぼうとか。
課外授業的なものあるじゃないですか。修学旅行だとか。はいはい。えっと、遠足とか。そうですね。はい。そういうのどうしてんですか?はい。通常学級のみんなに混ぜてもらうこともあるし、ひまわり学級でなんか独立して勝手に自分らで遠足みたいのもあります。
あぺおさん、たっ君は、通常学級に混ぜてもらうタイプの遠足に行く時どうしてんですか?2人で行動するとか。あ、えっと、それで言うと僕とたっ君学年が1個違うので。あ、違うんですか。そうなんです。そうなんです。えっと、僕が下で、たっ君が1個上で。あ、上なんですか?そう。じゃ、たっ君からすれば話通じるやつ入ってきたみたいな感じの。ああ、そんな感じみたいです。そんなことは言われました。確か。
一応その健常者の班みたいなのには、あぶれた枠で混ぜてもらうんですけど、うわ、障害者入ってきたみたいな感じすよね。あ、その空気感じますか?なんか触ってくれないって言ったらちょっとおかしいですけど、なんか円陣組む機会とかあったら、ま、僕だけ触りたくないから外されるみたいな。そういうなんか感じでしたね。対応としては。
え、どうですか?そういうのってやっぱもう中学でちょっと慣れちゃった感じなんですか?ちょっとやっぱちゃんと傷つきますか?ま、傷はある程度つきますけど、慣れの方が大きかったですね。はい。
ああ。運動会とかは?運動会も一応混ざります。なんか徒競走的なやつとかは、健常者のみんなと混ざって枠もらって走ったりはしました。遅いとかでもないんですか?どうなんですか?普通。足早い遅いって言ったら、僕足はちょっと早かったです。早かったか。はい。え、じゃ活躍するんですか?それ。たまたまちょっと活躍しましたね。
そっか。え、それってどんなリアクションなんですか、みんな。えっと、あの障害クラスのやつ速えぞみたいな、ちょっと違和感を多分みんな感じてるんですけど、違和感を露骨にそういうシーンで露わにしちゃうと、差別ばっかりする生徒みたいな見え方多分しちゃうっていうのを嫌って、みんな盛り上がるに徹してましたね。多分見てる人たちは。ああ、なるほど。うお、なんかひまわり学級のあいつクソ速え、ギャーみたいな。
あ、頑張れ、とかそこだけ頑張れるんじゃないんですか。そうです。ただ多分面白くて頑張れって言ってるだけですね。障害者に頑張れっていうのが、なんかちょっと面白いみたいな感じじゃないですか?じゃあ、その面白がられてるなって感じも感じ取ってるんですか?そうですね。結局僕が速くて面白いんじゃなくて、ひまわり学級のあいつが速くて面白いって話なんで。はあ。なるほどな。
3年生になる時に、その友達のたっ君がいなくなっちゃうじゃないですか。えっと、そうですね。1個上なので卒業しちゃいますね。そうすると、ま、友達はいるけど、普通に会話するっていう人いなくなるんですか?じゃあ。そうですね。普通に会話する、ま、腹割って話せる友達みたいなのは全然いなくなっちゃって。一応その、ま、通常学級に、ま、障害者いじりをしてくれる健常者のヤンキーとかがいて、そういう友達と会話しに行ったりとかはありましたけど、友達と言えるたっ君いなくなった以上、ちゃんと会話をする、会話できる人っていうのは僕の周りからはいなくなっちゃいましたね。
ああ、じゃ、ちょっとその2年3年ぐらいには、いじってくれるヤンキーみたいなのが現れ出したんですか。そうです。そうです。あ、こいつ喋れるよ、普通にみたいな。そうですね。そんな感じで。はあ。それはどうですか?嬉しかったですか?ま、嬉しいけど、あくまで僕に興味があるっていう感じではなく、ひまわり学級のこいつっていうような感じで触れてもらってたので、なんか、ま、会話できるに越したことはないけど、いずれにしろちょっと寂しいですよね。
なんかあとシンプルに、そのひまわり学級の子とある程度ちょっと会話したり仲良くしてる風にしておくと、通知表にその「ひまわり学級の子と仲良くできて良かったです」みたいなこと多分書いてもらえるっぽいんですよ。健常者の子たちが。はあ。内申点を気にした接触が増えてくるんですね。そうです。そうです。それ内申目的だなとかなんか感じてるんですか?それは分かってますね。それはさすがに悔しいなって感じでしたね。友達じゃないじゃないですか。
え、進路相談とかどうなってくるんですか?そういうの。あ、えっと、僕の進路の話でいくと、そのひまわり学級に入った時点で、少なくとも僕のところは、通常学級と同じようにその中間テストとか期末テストみたいなのを全然受けさせてもらえないとか、受ける権利すらなかったので、その普通の高校に行くみたいな選択肢ってまず一切なくて、中3の夏ぐらいから養護学校、支援学校みたいなのを多分3件ぐらいまず見学するところから始まりました。進路みたいなのを。
ちなみにそれまでの5年間の間で、いや、てか、あぺお君普通学級で良くないって言ってくれる大人は誰もいなかったんですか?大人はいなかったです。大人いなかった?大人はいなかったけど、そのなんかそういう風に言ってくれるヤンキーの子もちょっといましたよね。へえ。なんでそんなことをわざわざ分かって言ってんのかは何もわかんないんですけど、そういう風に言ってくれる同級生のヤンキーみたいなのはいたんですけど、大人は、ま、誰1人としてもうここから出さねえぞぐらいの勢いでしたね。
ヤンキーだけが正しかったんですよ。ま、そうなりますね。はあ。それってどういう会話なんすか?なんでひまわり学級なの?みたいなの言われて、いや、俺もちょっとわかんないんだけど、その小5ぐらいからずっとここにぶち込まれて、何もわかんないけどずっとここで過ごしてんだよねみたいな。ああ、そうなんだ。お前がわかんねえんじゃ俺もわかんねえけど、お前通常学級でいい気がするなみたいなやり取り。
え、じゃ、実際本当に養護学校行くんですか?えっと、養護学校は結論行かなかったです。これはちょっとめちゃくちゃごねて、養護学校は親になしにしてもらって、なんかその、ま、親が金払ってくれさえすれば入れる通信の高校に入学はしました。あ、だからそこで、その自力で普通学級を手に入れたわけです、ある意味。
でも実際通信ももう勉強あるじゃないですか。はい。で、中3までの勉強が抜けてる状態。抜けてます。まるっきり抜けてます。何にもわかんないです。ローマ字書けるぐらいの感じ。ローマ字書けて掛け算できる、終わり。え、どうすんの?通信の勉強ついていけるんですか?えっと、もう全然ついていけなくて、もう高校1年生3回ぐらい留年して退学って感じでしたね。あ、やっぱ退学しちゃうんですか?退学しましたね。
母親との関係みたいなのは、その中3までの間でなんか変化ありましたか?9歳から大学病院に通い始めて、で、中学校の時も当然大学病院に毎月通ってたんですけど、なんか多分大学病院のその先生が母親にめちゃくちゃその説教をしてくれてたっぽくて、それでちょっと、ま、ネグレクトっぽい虐待っぽいのは多少減ったりはしました。ただ、まあでも依然仲は良くないですね。
え、通信高校時代も行ってるんですか?その、大学病院。えっと、その一応行ってた大学病院が小児科だったんですけど、子供の精神科だったので、15歳超えた時点でもう同じ病院では診れないから、自分で精神科選んで、その今後は病院自分で通ってねってなったんですけど、多分親がその、残念ながらそれ以降の精神科の手配をしてくれなくて、16歳以降は精神科行ってないです。あ、自然と行かなくなったんですね。ま、そうですね。
通信高校行ってるじゃないですか。はい。えっと、学校行かない日もあるじゃないですか。はい。何してるんですか?学校行かない日はちょっとバイトをやり始めました。あ、バイトしたんですね。はい。何の?最初カラオケ屋のバイトをやりましたね。バイトはどうだったんですか?バイトは一応結論から言うと、1年半ぐらい確か最初のカラオケ屋は続いたんです。
え、それ仕事ができる方だった?それとも怒られる方だった?めちゃくちゃ怒られる方でした。あ。ただそのたまたま昼間のカラオケでバイトしてたんですけど、みんなそのちゃらんぽらんなフリーターみたいな人たちばっかりだったんで、あの、みんなもう僕ぐらいミスするし怒られてるから、僕だけ目立ってクビになるとかがたまたまなかったんですよ。うん。うん。うん。ってなった時に、ま、1年半たまたま続いたみたいな、結果として。あ、結構緩かったんですね。そうです。緩かったんですね、場所が。はい。高校退学するまでのバイトは基本全部カラオケでやってました。
はあ。あと恋人とかもそのバイト先でできたりしたので。彼女できたんですね。そうですね。そっか。だから、ま、本当ちょっとあれになっちゃうけど、ひまわり学級時代だと彼女とか作りづらそうですもんね。そうですね。もうとてもできないですね。モテるとかモテないとかじゃなくて、もうその健常者の女の子から見たら検討のテーブルにすら乗らないので、恋愛とかも全然できなかったですね。
じゃ、初めて彼女できたの何歳ですか?初めて彼女できたの確か17歳ぐらいだった気がします。どれぐらい付き合ったんですか?うん。2年か3年ぐらい付き合ったのかな?多分2年ぐらいですね。結構。あ、で、そこで童貞も卒業して。童貞もそうですね。17歳の夏に卒業して、失われた、ひまわり学級に奪われた青春を徐々に回収する作業が始まっていくみたいな。
はあ。そっか。青春ですよね。そっか。それ初めての青春って感じですか?そうです。そうです。だって女の子とか喋ったことなかったし、ひまわり学級行ってた時とか。ま、男が喋ってくれなかったら、それは女の子と喋れるわけないよねみたいな。そういう環境下で15歳ぐらいまで過ごしてたので、ま、やっと青春を頑張って回収しに行くような感じでしたね。
え、その時たっ君さんとどれぐらい連絡取ってるんですか?たっ君とは、ま、ほぼ毎日LINEはしたりしてて、ただ確かたっ君17歳ぐらいの時に親の転勤で福岡かどっかに引っ越しちゃって。わあ。遊べなくなっちゃったので。あ、それ辛いすね。
そうですね。なのでLINEは毎日したりはしてたんですけど、寂しいなって感じでしたね。
でも一応カラオケ屋っていう青春の場はあるし、彼女もいるし。じゃ、充実はしてそうですね。
充実は徐々に徐々にですけど。
その生活充実してったら、ちょっとずつやりたいこととか目標みたいなもん出てきたりするんですか?俺こうやっていきたいなとか。
ひまわり学級にずっといて、欲を出すっていうことがすごく下手くそになっちゃって。小学生だったらパイロットになりたいとか宇宙飛行士になりたいとか言い出すと思いますけど、僕は言っても別に誰も聞いてないようなところでずっと過ごしてたせいで、欲を出したり望んだりっていう習慣が完全になくなっちゃってたので、ただただ漠然と正社員でサラリーマンできてたら最高だなって思って過ごしてました。
なるほどな。いつ知らされたんですか?その発達、ASDだってことを。
23か24歳の秋ぐらいに。めちゃめちゃ最近ですね。なんとなく発達障害だろうなとは思ってたんですけど、9歳から確定診断が出てたっていうのは全然知らなくて、それを24歳の時にお母さんに教えてもらいましたね。
それどんな流れで聞くことになったんですか?
流れとしては、障害年金というものがあるのを結構最近、24歳、23歳ぐらいの時に知って。で、障害年金を申請するには、なんとなく障害者手帳がないとダメなんだろうなみたいな。俺って障害者手帳とか持ってんのかなみたいな。別に障害年金申請するとかしないとか置いといて、なんとなく思い浮かべた時に、もし仮にすでに障害者手帳を持ってて親に隠されてるっていうことがあるとしたら、ない前提で病院に行くとすげえややこしいことになるなと思ったので、母親に一応だけど俺って障害者手帳持ってるのって聞いたら、なんか濁し始めたので、わーって詰めたら、いや実は持ってんだよねってことで。え、じゃあ俺確定診断出てるの?出てるよ。そんな感じで知りました。
え、それ9歳から自閉症スペクトラム、ASDだよって言われた時はどう思ったんですか?
ああ、そんな早くから確定診断出てたんだみたいな感じっすね。
お母さんに対して怒ったりしなかった?
怒っても変わんないと思ったので。とりあえず持ってるんだねっていうことだけ分かって、もう僕の中の目的は終了したので、ややこしくなんないようにそれで話を終わらせたんですけど。
へえ。ちなみにその時に障害年金のことが気になってるっていうのは、私生活どういう状況なんですか?
私生活はその時は普通にサラリーマンやりながら、保険代理店の営業をやってました。22かな、23かな。ちょっと曖昧ですけど。
さっきのカラオケから途中で就職したんですか。普通に。
そうですね。カラオケのバイトを高校3年間やって、高校も退学したから、ちゃんと働けたらいいなみたいな感じになって。それで保険代理店に入社って感じでした。
中卒19歳ぐらいの状態で入れてくれたんですか?
そうです。
保険の営業マンは何年やったんですか?
保険の営業マンは、2年半か3年ぐらいやっていました。確か。
保険の営業マン、クビにならずに一般営業を3年やってみて、その特性による働きづらさとか生きづらさはあったんですか?
めちゃめちゃありましたね。保険代理店の営業で結構成果は出せてたので、数字だけ見たら結構良かったんですけど、事務作業とかが全然、ケアレスミスが多すぎてできなかったり。これちょっとめちゃくちゃですけど、成約になると思ってたお客さんがならなかった時に、会社に戻ってきてキーボードぶっ壊したりとかしてたんで。
癇癪とかっていうのもASDの特徴としてありますから。だからお母さんのヒステリック性みたいな。
そうそうそうです。
じゃあ営業、仕事取ってくんのうまいけど、人間性に問題あるよねみたいに見られてたんですか?
もうそんな感じっすね。
ケアレスミスはすごいよねみたいな。
そうです。もうミスも多すぎるし人間性おかしいけど、数字多少やってるから、上もクビにする理由がそんなに明確になくて、それで残ってただけみたいな感じです。
売上上げてくれるし、クビにする理由がないのか。
そうですね。
それ保険会社は何で辞めちゃったんですか?
元々ベンチャー企業のちっちゃい会社で営業やらせてもらってたんですけど、親会社に吸収されてオーナーが変わるみたいになって、言ったらベンチャー企業がベンチャー企業じゃなくなっちゃったんですよ。社風がすごい変わるみたいな。で、そうなった時に、いくら営業で数字出してても、パソコンぶっ壊すようなクソガキはちょっと置いとけないよねみたいな感じで、退職を迫られるというか。で、辞めちゃったみたいな感じですね。
なるほど。じゃ、ちょっと向こうから首切られた的なことでもあるんですね。退職ってことは。
そうですね。ただ、退職迫られて1年ぐらい経ってから辞めました。粘って粘って粘ってたんですけど、YouTubeもちょっと会社にバレちゃったので、ちょっとかぶってるんですけど。
へえ。会社の営業やりながらYouTubeやってたんですね。
そうです。そうです。で、当然めちゃくちゃやってるじゃないですか。うんことか障害者とかって。で、それも出されちゃったんで、もうこれちょっと言えることないなと思って、退職飲んだみたいな感じで辞めました。
え、YouTubeはなんで始めることになったんですか?
さっきの保険代理店の仕事で、数字がそこそこあって大きいお給料ももらったりはしてたので。
大体いくらぐらいですか?
一応額面で1回だけ年収1000万にタッチした時があって。
20代で。
そうですね。
優秀だったんですか?やっぱ営業マンとして。
営業だけはできたのと、あと上司にすごい可愛がられてたので、お客さん結構もらったりもしてて、それで数字がバーっと上がって、いいお金もらったりしてたんですけど。で、当然女遊びとかも始めるじゃないですか。お金多少持つと。
で、青春を絶賛取り戻し中だったんですよ、その時。で、青春を取り戻して、もうお金も持ったし女の子もいっぱいいるし、めちゃくちゃ楽しいなって。ひまわり学級にいた俺ですらこんなんなれるんだから、みんな楽しい人生送ってんだろうなと思ってたんですけど、セフレの女の子の友達が自殺しちゃって、死んじゃったんですよ。
で、死んじゃった時に、ひまわり学級にいた俺ですらお金稼げたんだから、不幸なやつなんか、死ぬようなやつなんかいねえだろうと思ってたんですけど、実際死んじゃったのを知って。で、なんでだろうなって考えた時に、自分と他人を比べるようなコンテンツがSNSって今めちゃくちゃ多いと思うんですね。
で、家の中で画面見て自分と他人比べて、給料も大してもらってなかったら、病んじゃうよなと思った時に、ひまわり学級の当時の話をもしYouTubeで流したら、みんな比べようがないじゃないですか。ひまわり学級のことを自分の話と。だから、見ても病まないコンテンツっていうのを僕が作れるんじゃないかなと思って、たっくん誘って始めたみたいな経緯でした。
たっくんは仙台に戻ってたんですか?
たっくんは戻ってないので、その時点で1回電話で、ちょっとYouTubeをやろうと思うから仙台に来て欲しい、交通費出すから1回うちに来てくれって言って呼び出して、そっから色々始まってたって感じでしたね。
最初は本当に2人でゲームやってるだけの動画とかをあげながら、ゲーム実況しながらひまわり学級の話とかしてたんですけど、それじゃちょっと拡散力もないし、人も寄ってこないし、これでやってくの無理だよねっていうところで、ちょっとSNS勉強して、試行錯誤しながらフォーマットを作ったみたいな感じでした。
何で勉強したんですか?
独学ですね、完全に。
いろんな動画見てってこと?
そうです。人の動画見て、カットの回数がいっぱいあった方がいいのかなとか、音がいっぱいになった方がいいのかなとか、そういうのを見て真似しながら今のフォーマットができてる感じっすね。
だから要はドンと「義務教育の全てを俺たちがひまわり学級で過ごしたのなぜなぜ」って、もうめっちゃ分かりやすいじゃないですか。
そうですね。
それは何を参考にしたんすか?
それはフレーズ自体は何かを参考にしたわけじゃなくて、営業やってた時に当然知らないお客さんにいきなり電話して保険入ってくれっていうのをやるので、急に電話した時に話をどうやったら聞いてもらえるかっていうのを反映させたというか。ちょっと抽象的で申し訳ないんですけど。
いやいや、めっちゃ分かりやすいですね。あの言葉に1mmも無駄がないっていうか。確かに気になっちゃうし、フックとしてはめちゃくちゃ強いですよね。
実際どうなんですか?あれで数万再生みたいな動画は出てるものの、あのフォーマットでずっとやってると、やっぱり結局尻すぼみしていくじゃないですか。そこに関してはどう考えてるとかあるんですか?
どう考えてるか、あんま具体的に出てないですけど、さすがにそろそろちょっと形変えなきゃなぐらいには思ってはいるんですけど。
要は中1からの3年間と小学校2年間っていう5年間分のことだけじゃないですか?
そうですね。あとたっくんは小学校違うんですけど、たっくんが1年生から6年生まで行ってたりするので、そっから引用してきたりとかも一応ネタの数的にはあるんですけど。
でもちょっと限界ありますもんね。
限界はあると思います。頑張って、ひまわり学級のなぜなぜをフロントにして、入ってきたお客さんに横動画をいっぱい見てもらえればいいかなってところで、横動画何しようかって考えて止まってるような段階ですね。
っていうのも、始めて半年ぐらいで1回ひまわり学級のなぜなぜがバズって、300万再生ぐらい行ったんですけど、登録者が本当数百人とか1000人しかいなかった状態で一気に3万人まで伸びたんですね。で、そうなった時に、僕ひまわり学級のなぜなぜがこんなに人から見られると思ってなくて。本当はその僕ら以外にもメンバーがいて、その子たちと横動画で大喜利みたいな企画をやってくつもりだったのが、横動画作る前にショートだけでバチンって伸びちゃったんで、どうしようみたいな感じですね。
え、それ当時ひまわり学級の他の仲間も呼ぶってことですか?
ひまわり学級の子ではないんですけど、一応僕の友達で、ADHDの人とかASDとか境界知能が他にもいっぱいいるので、そういう演者全員発達障害みたいなチャンネルで構想をしてたんですけど、横動画が形になる前にショートが伸びちゃって。で、ショートが伸びちゃうと、伸びた方を一旦やった方がいいじゃないですか。なのでそっちのフォーマット固めようつって、ショートばっか頑張って今みたいな感じなので、やろうとしてたことを全然やってないんですよね、実は。
そっか。僕がちょっと思ったのは、作りすぎちゃったせいでネタが枯渇してって、多少の脚色が入ってんじゃないかなっていう風に思っちゃった。
「友達がみんなの反対を振り切り、文化祭恒例である校内ミスコンに参加するという無謀な挑戦をすることに。みんなが見守る中、全員の出番が終わり、審査員により優勝者が発表されるも、友達は当然優勝できず絶望していると、それを見た先生が『差別か!差別なのか!』と大声で騒ぎ始め、それを見たひまわり学級のみんなも便乗して一生懸命ブーイング。マイノリティの抗議に屈したミスコン運営は友達の優勝に変更して、翌年から校内ミスコンは廃止になったの、なぜなぜ」
例えば障害者の差別だって先生が言い出すとかってありえんのかなみたいなことをちょっと思っちゃったりとかしたんですけど、そこら辺実際どうですか?
事実です。めちゃくちゃ。一応言語での表現なので、やっぱり当時の写真とかをまるっきり出すわけにはいかないから、言葉で表現する以上、ある程度みんなが想像しやすい言葉に変換はさすがにするんですよ。あったことをありのままショートで喋っても何も伝わらないですから。
で、多少分かりやすい言葉に変換していく過程で、いや、これちょっと脚色入ってないって自分たちでなる時はあるんですけど、その場で1人でも2人がそう感じたらそれはボツになるし、まるっきり事実が変わるレベルで言葉を変えたりっていうことはしてないので、ショートの内容っていうのは基本的に全部本当なんだっていうところで、とても信じられないと思うんですけど、思っていただけると。ゼロから作ることはさすがにやってないとこですね。それはもうめちゃくちゃじゃないですか。
そっか。分かりやすくした結果、当時ひまわり学級の人が、いや、それ言いすぎだねと思うところはあるかもしれんが、みたいなぐらいのレベルですか?
そうですね。そんぐらいですね。
だから知らない世界の話だなって思いつつ、それこそ今現在ひまわり学級に通ってる子の親御さんとか、どんな気持ちになるんだろうなっていう、ちょっと複雑な思いで見たって、なんか意見とかが来たりしますか?
結構ライブ配信を最近、YouTubeライブ始めて、視聴者の方とコミュニケーション取る機会っていうのを作るようにしてるんですけど、意外と自分の子供が発達障害とか知的障害持ってて、ひまわり学級に通わせてますとか、通わせる予定なんですっていう親の人たちが、意外とめっちゃ見てるみたいで。
で、その人たちは別に僕らにめちゃくちゃ怒ることもなく、悲しむこともなく、むしろ中身の全部がこうってわけじゃないけど、実態としてこういうことが可能性としてありえるっていうのを教えてくれてありがとう、みたいな言葉をかけられることが多いです。
なるほどな。じゃ、アンチ的なコメントする人は、別にそういう実体験に基づいてる人じゃないってことですよね。きっとね。
そうですね。おそらくそうです。あとは中には、養護学校の先生をやってますとか、ひまわり学級の教員免許持ってますみたいな人が、ありえないって怒ってくる人もいます。逆に。
そうなんですか。ちなみにひまわり学級に、あぺおさんのように本当は入んなくてもいいんじゃないかみたいな人って結構いるんですか?
いるみたいです。僕は自分とたっくんだけだと思ってました。この世に。でも実際YouTubeやってみて視聴者の人と話してると、別にちょっとADHDなだけで、勉強はむしろ健常者の子よりできたりもするけど、俺ひまわり学級なんですみたいな人もいるので。
やっぱそういう人現れましたか?発信してたら。
めちゃめちゃいっぱいいます。
やっぱいるんだ、全国にね。
そうですね。
そのことについて今どう思ってるんですか?要は、発達特性を持ってはいるが知能的に問題あるわけじゃない人が、レベルに合ってない教育を受けさせられちゃうっていう、おっしゃってたような青春を奪われちゃうみたいなこと。
青春って当たり前だけどあった方がいいじゃないですか。小学校、中学校ってやり直せないし、お金払っても義務教育もう1回とかないじゃないですか。で、そうなると、ひまわり学級に入っちゃって、みんなからは障害者って煙たがられながら、全然学力とリンクしてないアホな勉強をさせられるっていうのは、僕もそうでしたけど、かわいそうって言ったら雑だけど、かわいそうだなって思います。
お母さんに対しては今どんな風に思ってるんですか?
お母さんもお母さんで、精神疾患であるのは多分間違いないので、病気に色々感情をコントロールされてしまっていたのだとしたら、お母さんもある種被害者じゃないけど、病人だっただけだよねっていうような感覚で処理してるので、嫌いとか死ねとか、そういうのは一切ないですね。
今25歳?
25歳です。
これからどんな風になっていきたいとかってあるんですか?例えば30歳になったらこうなってたいとか。
今はYouTubeをとりあえずもっと頑張りたいなみたいな感じではいるんですけど、それもあんまりすげえはっきりはしてないですけど、せっかくひまわり学級にぶち込まれて、青春をドブに捨てて、めちゃくちゃな学校生活を送ってた中で、たっくんと出会ったわけじゃないですか。そのたっくんと2人で、ひまわり学級だったけど良かったねって納得できる人生になってれば、それが1番いいかなっていうのと。
あとは、発達障害っていうものに対して結構取り扱いが曖昧じゃないですか。周りの大人から見た子供もそうだし。発達障害っていう言葉についてるネガティブなイメージを少しでも払拭できたらいいなみたいな、そういう思いはありますけど。
ありがとうございました。
はい。ありがとうございました。
できたらお送りしますので。
はい。お待ちしてます。ありがとうございました。
では失礼します。
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