最重度知的障害の息子を育てるシングルマザー同士が、岡山で家族になるまで
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜岡山で暮らすヤマト社長さんとかおりさんは、どちらも最重度の知的障害と発達障害のある息子を育ててきたシングルマザーで、現在は同性カップルとして一緒に暮らしている。息子は中学1年生と中学3年生で、どちらも意味のある言葉を話さず、おむつもまだ外れていない。インタビューでは、ヤマト社長さんが自分のセクシュアリティに気づいてから親に受け入れられるまでの経緯、子どもを望んで男性と結婚し離婚したこと、息子の障害が分かった経緯、将来の施設入所への不安、そしてかおりさんが福島から岡山へ移住してきた理由が語られた。
二人の関係と出会い
ヤマト社長さんは体も心も女性で、女性として女性が好きなレズビアンだと自分を説明する。そのなかでも男役にあたる「タチ」だという。パートナーのかおりさんはバイセクシャルで、これまでの恋愛も結婚もずっと男性とだった。女性と付き合ったのはヤマト社長さんが初めてである。年齢はヤマト社長さんが41歳で、かおりさんは少し年上だ。
出会いのきっかけはSNSだった。ヤマト社長さんは最初、自分と同じような子どもを持つママ友が欲しかった。Instagramでかおりさんが子どものことを投稿しているのを見つけ、自分の息子とよく似ていると感じて、いろいろ相談できればと連絡した。一方で、かおりさんが顔を出していたので「可愛い子だな」とも思っていたという。子どもの年齢や日々の大変さを話すうちに、自分がレズビアンだと打ち明けた。かおりさんに拒否するような反応はなかった。シングルマザーになった今なら振り向いてくれるかもしれないと考え、そこから少しずつアピールしていったとヤマト社長さんは話す。かおりさんは当時、結婚していた男性と別れた直後だった。
ヤマト社長さんは岡山、かおりさんは福島に住んでいて、最初は電話だけの関係だった。どうしても付き合ってほしかったヤマト社長さんが福島まで会いに行き、その後2年間、年に数回会う遠距離の関係を続けた。最終的にかおりさんが子どもを連れて岡山へ移住した。息子が小学6年生まで福島で過ごし、中学入学に合わせて引っ越している。障害のある子にとって環境の変化は大きな負担になるので、どうせ変えるなら小学校から中学校へ上がるタイミングにしようと判断したという。
聞き手に性的な関係について問われると、二人は「もちろん」と答えた。かおりさんは女性同士でどうするのか知らず、最初はヤマト社長さんに聞いて任せたと笑う。どこで終わるのかという問いには「疲れたら終わり」と答え、たいてい先に疲れて「もう大丈夫」と止めるのはかおりさんのほうだという。
二人になって子育てはどう変わったか
二人で暮らすようになって子育ては楽になったかと聞かれ、かおりさんは「楽にはなった」と答えている。相手の男性にもよるとしたうえで、結婚していた頃に比べると女性同士で分かり合える部分があり、気持ちの面で楽になったという。かおりさんの結婚期間は約10年だった。
ヤマト社長さんは、自分はもともと「子どもは元気ならそれでいい」というおおらかな性格だったと言う。障害児の子育てには観察と支援が欠かせないが、自分はかなり大雑把だった。子育てに力を入れてきたかおりさんから接し方を教わって変えたところ、荒れていた息子が落ち着いたので、一緒になって本当に良かったと話している。
セクシュアリティへの気づきと、言えなかった親
ヤマト社長さんは岡山市の、中心部から少し外れた地域で生まれ育った。振り返ると、幼稚園の頃から女の子に興味があったと思うという。友達同士で「〇〇ちゃんが好き」と言い合うとき、周りの子の「好き」は友達としてのものだったが、自分には恋愛の「好き」も混じっていた。ただ、当時は自覚していなかった。
はっきりしたのは高校生の頃だ。最初は男性とも女性とも付き合うバイセクシャルだった。当時はレズビアンやホモという言葉は知っていたが、「バイセクシャル」という言葉を知らなかった。女の子も好きになる自分はおかしいのではないかと悩み、女だから男を好きにならなければいけないと思おうとしたが、やはり女の子のほうが好きだという葛藤があった。高校1年の頃にバイセクシャルという言葉を知り、両方を好きになる人がいる、自分だけではないと分かった。そのことはすぐ周りの友達に話したが、親には言えなかった。
家族は仲が良く、今でもよく会話する明るい家庭だという。父親は長く勤めて役職にも就いている会社員、母親は専業主婦の時期もあればパートに出ていた時期もある。ただ、とにかく安定を重んじる心配性の親で、人と違うことを嫌った。言っても分かってもらえないだろうとずっと思っていたため、打ち明けるのはかなり遅くなった。
男性との交際、女性との交際、そして「タチ」だという自覚
男性と付き合っていた頃について、ヤマト社長さんは「心から好き」という気持ちはあまりなかったと話す。好きな人とのデートなら朝からワクワクするはずなのに、その感覚がない。会えばそれなりに楽しいが、これは本当に好きなのかと思っていた。それでも周りに彼氏ができ始めると、自分も同じようにしないと話が合わない、仲間外れにされるのではという気持ちがあり、好きだと言ってくれる人と付き合ってみた。初体験も、周りから遅れたくないという思いで高校時代に男性と経験した。親の「世の中からあまり外れないように生きる」という価値観のもとで、同年代と同じ経験をしておくべきだと考えていたという。興味はあったし、不快でもなく、体も普通に反応して「こんなもんか」と感じた。
その男性と別れたあと、同じく高校時代に初めて女性と付き合った。最初の相手は体は女性だが男性として生きている人で、ヤマト社長さんは受け身側だった。その相手のことは本当に好きで、行為も気持ちよかったが、次第に「何か違う」と感じるようになった。次に女性らしい「ネコ」の女性と付き合ったとき、自分がタチ側に回ってしっくり来て、自分はこちらだったのだと気づいたという。当時はスカートの制服を着て、髪もボブくらいの長さがあった。
子どもを持つ夢と、繰り返された別れ
子どもが好きだったヤマト社長さんは、保育士を目指して保育系の学校に進んだ。自分の子どもも欲しかった。しかし女性と付き合い続けるうちに、女性と一緒になれば自分の子どもを持つことはかなわないと気づいた。
3年半付き合った彼女がいて、その人と一緒になれるなら子どもの夢は諦めてもいいと思えるようになった。けれども、結局別れることになった。理由は、相手が「結婚して子どもが欲しいという夢を諦めきれない」と言ったことだった。ヤマト社長さんは、LGBTQの世界では「あるある」だと思うと前置きしている。自分には子どもを作ってあげられないので、相手の夢をかなえるには身を引くしかなかった。相手の親に孫の顔を見せたいという思いもあった。同じ理由での別れはその後も2〜3回続き、その時期が一番つらかったという。
タチとして、相手を絶対に幸せにしたいという気持ちが強かった。一般の男性よりも男らしくいなければ、尽くさなければという思いがあった。一緒にいる間は相手も楽しく幸せだったと思うが、最後に子どものことを言われると何もしてあげられず、「分かった」と別れるしかなかった。
恋愛に全力を注ぐタイプで、3年半付き合った彼女の生活に合わせて会う時間を作るため、保育士を辞めて(辞めた理由は他にもあるという)アルバイトを4つ掛け持ちしていた。早朝のバイト、学童保育の先生を経て夕方に彼女と会い、夜はラーメン店で働く。そんな生活を2年ほど続けたという。
子どもを望んだ結婚と、8か月での離婚
20代後半になり、親からは女性と付き合っているのを薄々察しつつも、結婚して子どもを産み家庭を築くのが幸せだという価値観で「結婚もせんの」とたびたび言われていた。これだけ尽くしても一緒になれないのなら、もう一つの夢である自分の子どもを持つことをかなえようと考えた。
そのとき知り合ったのが、大好きというわけではないが、この人とならうまく家庭を築けそうだと思える男性だった。ギャンブルも酒もたばこもやらず、一人暮らしが長くて家事もこなせる堅実な人で、共働きのなか家事も分担していた。今思えば本当にいい人だったとヤマト社長さんは言う。
しかし子どもができたあと、心がしんどくなった。もともと女性が好きなので、男性と暮らすこと自体が苦しくなり、特に夜の生活を求められることが苦痛だった。子どもが欲しかったから頑張ったが、生まれてからはどうしてもできなかった。子育てにも家事にも協力的で、仕事も真面目な、非の打ちどころのない夫だったが、そこだけは応えられなかった。こういう気持ちで子育てを続けても子どものためにならないと考え、別れを切り出した。
夫にはレズビアンであることを伝えないまま結婚し、別れる理由も「一緒にいるのがしんどい」とだけ伝えた。最初は納得してもらえず、細かいこともいろいろあったという。息子が生後8か月のときに実家に戻ったが、真面目な親のもとでは息が詰まるため、何かあればすぐ行ける実家近くのアパートを借りて息子と二人で暮らし始めた。元夫とは別れてから一度も会っていない。会わせないつもりはないと伝えたが、生後8か月では父親としての自覚が芽生える前だっただろうし、障害があることもおそらく知らないまま別れたと思う、とヤマト社長さんは話す。養育費は今も毎月振り込まれているという。
息子の障害が分かるまで
保育士として発達障害の特性を学んでいたので、ヤマト社長さんは早くから「ちょっと怪しい」と感じていた。1歳半で受診したときは、発達は遅れているが男の子だしゆっくりなだけかもしれないとして、グレーゾーンと言われた。はっきり診断が出たのは3歳で、そのときは中度、知能は1歳未満程度とされた。3歳の発表会では泣いている子も踊らない子もいるので、自分の子だけが特別できないという印象はあまりなかった。ところが年齢が上がるにつれて差が開いていった。診断は2年ごとくらいに更新され、5〜6歳で重度、小学4〜5年生で最重度になった。
ショックはあったが、学んでいたこともあって「そうだろうな」と受け止め、性格的にも「どうにかなる」と思ったという。ただ、シングルマザーとして子どもに不自由させないよう正社員で働き続け、息子の世話は基本的に親に頼っていた。親にも自分にも障害についての知識がなく、障害があってもしつけは必要だったのに「元気ならいい」と自由にさせてしまった。祖父母は機嫌が悪くなるとお菓子を与えるなど甘やかし、息子は奇声を上げ、ガラスを割るほど荒れた。一番荒れていたのは小学3〜4年生の頃だったと振り返る。
男性として生きたいパートナーとの別れ
離婚後、かおりさんの前にもう一人、6年間付き合った相手がいた。LGBTQの人が出会うサイトで、障害のある子を持つシングルマザーだと書き込んだところ連絡をくれた人で、体は女性だが男性として生きていた。ヤマト社長さんは本来は女性らしい女性が好きだが、子どもには父親がいたほうがいいと考え、男性として生きている人のほうが家族として良いかもしれないと思って付き合った。子どもに障害があっても大丈夫かと聞くと、関係ない、子どもも含めて家族になりたいと言ってくれた。トラック運転手で働き者、息子もなついていて、面倒もよく見てくれたという。
最初の2年ほどは遠距離で、その人と一緒の時期に中古の家を買った。アパートでは息子が壁紙を剥がすことや、壁が薄いための近所トラブルが気になっていた。夜中も泣いたり騒いだりするため、何年もの間、毎晩夜9時頃から2時頃まで車でドライブして寝かしつけ、眠った息子を抱えて家に入れる生活をしていた。4時頃にまた泣いて起きると、再び車に乗せてドライブに出たという。
別れの理由は、相手がホルモン注射や胸の切除などの手術を受けて完全に男性になりたいと言い出したことだった。ヤマト社長さんは付き合い始めた時点で、自分は男性を好きになれないので性別を変えるつもりなら付き合えないと伝えていた。一方で、相手が長年体と自己認識の違いに苦しんできたことも分かっていた。相手は最後に「それなら女として生きる」と言ってくれたが、自分と子どものために相手が自分らしく生きられなくなるのは罪悪感があった。ヤマト社長さんによれば、岡山大学は性別適合手術で知られ、手術ができる場所は日本に3〜4か所しかない。広島方面出身の相手が岡山に住み、お金もあり、今ならできるタイミングだった。それを逃せば自分らしく生きるのは難しいだろうと考え、「あなたが男性になっていくのを心から喜んであげられない。一緒に喜んでくれるパートナーを見つけたほうがいい」と伝えて別れた。喧嘩や性格の不一致による別れではなかったという。
1歳ほどの知能の息子と、施設が空かない現実
ヤマト社長さんの息子は現在、知能が1歳程度だという。友達という概念はなく、一緒に遊ぶこともできない。支援学校に通い、ボタンを押すと音楽が流れる音絵本のような幼児向けのおもちゃで遊んだり、使えるようになったYouTubeで好きな音楽を聴いたりはできる。食事や入浴には介助が必要で、一人で風呂には入れない。体は大きくなり、身長はヤマト社長さんとほとんど変わらない。文字は書けないが、できることは増えてきた。食事を見て適切な皿を持ってくる、スプーンやフォークでこぼさずに食べる、といったことだ。一方で体を隅々まで洗うことや、声をかけてトイレに連れていかないとおむつに出してしまう点はまだ難しい。
中学や高校になって初めて言葉が出た人もいるので、何か話してくれたらという期待はある。ただ正直、難しいと思っているという。最終的には施設に入ることになると考えており、自分がいつまでも見られるわけではないからこそ、人に迷惑をかけず、自分も他人も傷つけないよう、小さいうちに教えておかなければと思ってきた。
目標は高校卒業と同時の施設入所だが、最重度の場合は空きがない。体験や見学に行った施設はどこも30〜50人待ちだった。一度入ると出ていく人はほとんどおらず、他の施設への移動や、入所者が高齢になって亡くなるなどして空きが出たときに一人入れる仕組みだという。新しい施設ができるか、たまたま順番が来るかを待つしかない。その間は「生活介護」という、放課後等デイサービスの大人版のような場所に通う人が多い。ただ利用時間が短い。今は学校が3時頃に終わったあと6時頃まで預かってもらえるが、生活介護では朝から預けても4時頃には帰ってくるため、仕事を続けにくい。母親が仕事を辞めて家で見る家庭もあるという。
障害の原因について、ヤマト社長さんは言い方は悪いが「ガチャ」、運だと話す。遺伝的な要素もあるかもしれないが、家系にぱっと思いつく人はおらず、分からないという。
往復5時間の寄宿舎つき学校へ
かおりさんは、小さい頃からできることはすべてやってきた人だとヤマト社長さんは言う。勉強会に行き、良いと言われた先生がいれば診てもらい、家でもできることを全部やってきた。そのかおりさんから関わり方を教わり、ヤマト社長さんは息子の環境を大きく変えた。近くの支援学校から、寄宿舎のある県北の学校に転校させたのだ。月曜の朝に往復5時間かけて送り、金曜の放課後にまた往復5時間かけて迎えに行き、週末は家で過ごす。プロの先生がいること、そして将来施設に入るなら共同生活の経験が強みになることを理由に挙げ、送迎はしんどいが息子はかなり落ち着いたと話している。
かおりさんの息子と、異食・弄便との暮らし
かおりさんの息子も最重度だが、ヤマト社長さんの見立てでは知能的にはさらに重い。笑顔が多い子だが、口に入るものは何でも食べてしまう異食がある。葉っぱや砂、ボールペンまでかじって飲み込もうとする。便を壁や顔に塗ってしまう弄便もある。
ヤマト社長さんは話には聞いていたが、移住後に部屋がその状態になっているのを実際に見て、匂いも含めて「やっぱり大変だ」と感じたという。かおりさんはこれを一人で何十回、何百回、何千回と掃除してきた。今は二人で掃除し、「まだ匂いが残っとるぞ、どこや」と宝探しのように言い合いながら片付けているという。脱ぎにくい服を自分たちで加工して作るなど、対策も重ねている。
クローゼットの中で弄便があり、中の物をすべて捨てなければならなくなったこともあった。それ以来、物はできるだけ置かず必要最低限にした。すると掃除がしやすく、部屋もきれいで安全になり、かえって快適になったと二人は話す。
「一生成長しません」と言われたかおりさんの子育て
かおりさんの息子は、普通なら言葉が出始める時期にまったく言葉が出ず、そのあたりから様子がおかしいと言われ始めた。それでもそこまでの障害だとは思っていなかった。保育園の年少の頃、東京から来た医師に「この子は一生成長しません」と言われたのが一番ショックだったという。
受け入れるしかないと思ったものの、症状は重かった。危険も物の区別も分からず、何でも飲み込み、車道に飛び出し、排泄物を汚いと思わずに塗ってしまう。最も大変だったのは保育園から小学1年生の頃で、なかなか寝ず、寝たと思えば突然起きて大泣きしながら部屋中を走り回った。そこに弄便も重なり、昼も夜も大変だった。当時の夫は悪い人ではなかったが積極的に子育てに関わるタイプではなく、障害のこともよく分かっていなかったのではないかとかおりさんは言う。もともと手伝ってもらっていなかったので、全部自分でやったほうがいいと思っていた。仕事は、働く時期と、子どもが大変なときに退職する時期を繰り返した。
メンタルや体調は壊れなかったかと聞かれ、かおりさんは「壊れてたと思います」と答えた。ただ、子どもが可愛いという気持ちがあったので、完全に壊れて手放そうとは思わなかったという。
離婚は「突然思い立った」とかおりさんは笑う。ただ実際には、結婚して1年ほどで、どちらか一方ではなくお互いに男女としての気持ちはなくなっていた。夫が稼ぎ、自分が子育てをするという役割分担があり、子どもに障害もあるので別れられない、結婚していたほうがいいと考えてきたという。
福島を離れた理由と、移住の苦労
40年近く暮らした町を離れ、レズビアンカップルになる。これほど人生が変わると思っていたかと聞かれ、かおりさんは「激変させたい気持ちもあったかもしれない」と答えた。ヤマト社長さんのアプローチに戸惑いは少しあったが、人として面白そうだと思い、男性か女性かに関係なくこの人のところに行ってみたい、面白い人生になるのではと感じた。人生は1回しかないから、とかおりさんは話す。
周囲には障害児を連れて遠くに引っ越すなど考えられないと言われたが、やってみたら案外できたという。とはいえ、発達障害の子は環境の変化に左右されやすい。預け先も限られ、岡山で一から探すのは大変だった。ヤマト社長さんが地元にいたので、先回りして各所に問い合わせたり、学校の手続きを代行したりして、なんとかスタートを切ったという。県外からの移住なのでやり取りも大変だったと二人は振り返る。
ヤマト社長さんにとって、かおりさんはこれまでの年下の相手とは違い、年上だった。ふんわり優しく見えるが実はとても厳しい目を持っている、とヤマト社長さんは言う。自分は行動力はあるが、物事をあまり考えずかなり適当なところがある。かおりさんが考え、自分が動くという分担が今うまくいっていると話している。
親に認められるまでの15年
ヤマト社長さんが親に知られたのは大学生のときだった。母親に「あんた、もしかしたら女の人と付き合っとん」と聞かれ、「うん」と答えると、「おかしい」と号泣された。「おかしいとか言うなや」と言い返し、そのまま鞄を持って家を出たという。女性と付き合っていることを認めてもらえるまでには、そこから15年ほどかかった。ヤマト社長さんは悪いことをしているつもりはなかったので、その後もオープンに「今日は〇〇ちゃんと記念日で」と話した。すると「記念日とか変なこと言わんで」と返されることもあった。
母親は、ヤマト社長さんが5歳の頃から「親の幸せは子どもが幸せになることなんだよ」と言っていた。ヤマト社長さんはそれに「絶対幸せになるから大丈夫」と根拠のない自信で答えてきた。親は、娘が変な目で見られて苦労するのではと心配していたのだろうと今は考えている。それならば自分が毎日笑顔で幸せに生きることが親を安心させる方法だと思い、当時の彼女とも幸せに過ごした。かおりさんと暮らすことになったときには、自分の子どもにも障害があるのに、さらに障害のある子どもを持つ女性と暮らして大丈夫なのかと強く心配された。それでも「絶対幸せになるから」と言って一緒になり、今では「あんた幸せそうやもんな」と言ってもらえるようになった。
講演活動と、これから
ヤマト社長さんは岡山県内でたびたび講演会に呼ばれ、小さな子どもや、子を持つ母親の前でも話している。伝えているのは「幸せは親が決めるものではなく、自分が決めるもの」ということだ。親が思う幸せの形は結婚して子どもを持ち家庭を築くことだったが、自分の思う幸せの形は違う。それを伝え続けて、ようやく分かってもらえたと感じているという。
今の目標は全国で講演することだ。「ヤマト社長」の名前でライブ配信を続けて知名度を上げ、自分の県に来るなら話を聞きたいという人を増やしたいという。届けたい相手は、誰にも言えず苦しんでいる当事者や、障害の有無にかかわらず容姿にコンプレックスを抱える人だ。ヤマト社長さんは自分がかなり太っていると言いつつ、自分の体型も顔も大好きだという。派手な服を着ていると「太っていて可愛くもかっこよくもないのに恥ずかしくないのか」と言われることもある。それでも、着たいものを着て、食べたいものを食べ、行きたいところに行きたいし、誰かに迷惑をかけているとも思わない。恋愛も含めて、誰もが好きなものを好きと言える世の中になってほしいと話す。
40代で出会い、ここまで人生が変わるとは自分たちでも思っていなかったと二人は言う。「いい年して」「この年から始めても」と年配の人は言いがちだが、年齢は全然関係ない、というのがインタビューの最後に二人が語った実感だった。
すみません、始めたいと思います。よろしくお願いします。すいません、ちょっと今日、岡山から来ていただいちゃって。
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ヤマトさんからご応募いただきまして。はい。だからヤマトさんは体的には女性?女性で、心も女性なんですよ、私は。だから、心と体の性が不一致でって言うんじゃなくって、女性として女性が好きっていうレズビアンですね。うん。うん。
で、レズビアンの中でも、そのタチと…はいはい。私はタチです。男役の方ですね。女性として男役を女性にやりたいってことですよね。そうです、そうです。ああ。
で、そのパートナーの…パートナーです。かおりさんはレズビアン…私はバイセクシャルに。元々ずっと男性と結婚もして、恋愛もずっと男性だったけど、私と出会って初めて女性と付き合ったっていう感じです。あ、なるほど、なるほど。
それで2人ともお子さんが…そうです、そうです。シングルマザーで知り合った。はあ。だからシングルマザー同士のレズビアンカップル。そうですね。そうです。
ああ。で、しかも2人ともお子さんが発達障害と知的障害の最重度っていう、ちょっと重たい障害が…2人とも子供が両方息子なんですけど、中学1年生の息子と中学3年生の息子がいて、2人とも同じ障害があります。2人とも同じ重度知的障害と…そうです。言葉も話せないような感じで、おむつも外れてないしっていうような。うん。
知的障害のお子さんは、中学生だったとして、どんなことができて、どんなことができないですか?ま、個人差はやっぱりあると思うんですけど、支援学校に行ってるので、私たちの子供はもう本当にお友達っていう概念とかもないので、友達と何かをして一緒に遊ぶとかっていうこともできないですし、音絵本、小さいお子さんが遊ぶような、こう何かをしたら音楽が流れるとか、あとはYouTubeが使えるようになったんで、好きな音楽を聞いたりだとかいう感じのことはできるんですけど、食事とかお風呂とかっていうのはもう介助が必要とか、もう絶対誰かついてないとちょっと難しい。1人でお風呂とかも入れないですね。
っていうのを、だからシングルマザー同士で1人で育ててたみたいな。ま、そうですね。その当時お付き合いしてた人とかはいたりはしたんですけど、お互いにSNSを通じて知り合って、で、私が、自分と同じような子供を持ってるママ友さんが最初欲しくて。うん。で、インスタかな?インスタで見つけて、お子さんの投稿されてたんで、うちの子とすごい似てるような感じのお子さんだなと思って、色々これから相談できたらいいなと思って連絡取ったのがきっかけで、そこからもうアピールして付き合うことになりました。
え、アピールというと、ママ友的に仲良くなりたいから…はいはい。恋愛にどこで切り替わったんですか?私は、最初に顔出されてたんで、可愛い子だなと思ってて、で、子供さんのことで色々仲良くなりたいんだけどっていうので、まず連絡取って、お子さんの年齢だったりとか、いろんな大変なこととかを話してるうちに、実は私ビアンでっていう話をした時に、あんまりこう拒否みたいなのはなかったんで、で、シングルマザーでってなったら、もしかしたらこっち振り向いてくれないかなと思って、そっからちょっと徐々に、徐々にアピールしてみたいな感じです。
だって、かおりさんはレズビアン経験はなかったわけですもんね。ないです。はい。年齢的にはどういう感じなんすか?私が今41で、で、今42だけど43になる。あ、でも同世代ですね。近しいというか。
そうですね。で、元々私は岡山県で、元々福島だったんですよ。だからもうすごい遠距離で、SNSだけの関係で知り合って、電話とかだけだったんですけど、私がもうどうしても付き合って欲しくて福島まで会いに行って、2年間遠距離で年に何回かだけ会うっていう関係を続けて、岡山に、子供連れて移住してきてくれました。移住を決めたんですね。はい。そうです。
だって、それこそわかんないけど、福島でその友達関係とかあったんじゃないですか?あったんですけど、もう全部置いて。かおりさんがその重度知的障害を持つお子さんを…はい。福島で暮らしてたわけですね、小6まで。だからもう急に変わるみたいな感じで。
ああ。だから、ちょうど中学に上がるタイミングで、やっぱり小学校から中学校に上がるタイミングっていう環境の変化っていうところで、もう思い切ってガラっと変えるんなら今だっていうので引っ越して、中学からは岡山でっていう形で。はあ、そうなんですね。はい。
2人は、だからその、パートナーでもあるじゃないですか。そうですね。だからそういう性的な行為もされるんですか、2人?あ、もちろん。へえ。あ、もちろん。そっか。それはまあ割と自然にできたって感じ?もう最初、女性同士がどうするのか、どういう風にそういうことをするっていうのも知らなくて、私は。なので聞きました。
え、だって女性同士だから…もうね、まあ、なんかどこが終わりなのとか、どうするのっていうのがね。最初はイメージが分かんなかったから、もう任せて。確かに、どこが終わりなんです?これで言うと確かに…まあ、どっちかが疲れたら終わり、そういう感じ。
そうですね。そっか。1回は…そうですね。大体疲れるのは私で、いつまでも疲れないんですけど、かおりさんの方からもうやめてくれ、もう大丈夫だよみたいな感じですからね。ありがとう。へえ、なるほど。一応大人だから、ありがとうって言ったらやめてくれるし。そうですね。あんまりね、それしつこくすると嫌われたら嫌なんで。そっか。惚れた方の弱みですね。そうですね、そうですね。
2人で暮らすことによって子育ては楽になったんですか?どうですか?あ、でも楽にはなったね、やっぱり。その男性にもよるんですけど、私が結婚してた時よりはやっぱり女性同士で分かり合える部分もあるから、すごく気持ちの面でも楽になりました。
かおりさん、どれぐらいの期間結婚してたんですか?10年、10年ぐらいは結婚してます。ああ。え、じゃあ別れてすぐ付き合ったとか。そうですね。はい。え、略奪?あ、略奪ではない。ギリギリそうではないです。別れて直後みたいな感じですかね。あ、別れた直後にもうアピールを受けた。アピール受けて。はあ、なるほど。で、そっか。だから男性の旦那さんだった頃より今の方が子育て楽だなって感覚ある。あります。はい。
ヤマトさん自体はどうですか?やっぱ2人。そうですね。私もやっぱり1人でずっと育ててたんでね。私はどっちかって言うと、どうにかなるだろう、子供は元気だったらそれでいいだろうみたいな感じの性格だったんですけど、やっぱり障害児になると、やっぱり観察だったりとか、支援っていうところがどうしても必要になってくるので。私は結構アバウトだったんですけど、結構子育てに力を入れてずっと育てて来られてたんで、色々教えてもらって。自分の子供すごい荒れてた時期があったんですけど、やっぱり色々教えてもらって接し方を変えたら今すごく子供が落ち着いたんで、もう本当に一緒になってよかったなって思います。
すごい、もう慣れました?はい、慣れました。逆にカメラ目線以外しなければ…カメラ目線以外のところを見てくれればいいですね。分かりました。はい。ああ。
ヤマトさん、41…あれ、41歳になりました。はい。出身は…もうずっと岡山なんですよ。生まれて育ってずっと岡山です。岡山の岡山市です。はあ。じゃあ、田舎っていうよりは岡山市街だから…そうですね。市街だけど、街中よりはちょっと外れてるかなっていう感じですかね。うん。
もう物心ついた時からレズビアンだったんですか?女性、女性。そうね。いや、だから今振り返ると、多分幼稚園とかぐらいの頃から多分女の子にも興味があったなっていうのは…だからその当時は気づいてなくて。へえ。だけどまあ今振り返ると、友達同士でこうなんとかちゃん好きとかそういうの言ってるのも、みんなは多分友達としての好きだったのが、私は多分恋愛の好きも入ってたなっていうのは、今振り返ると思うかなっていう。
それって友達じゃなくて恋愛感情だって確信するのはいつなんですか?はっきりしたのは多分高校生ぐらいで。ね、バイセクシャルだったんですよ、最初は。だから男性ともお付き合いしたこともあったし、女性を好きになることもあったりみたいな感じで、どっちもみたいな感じだったんですけど、高校ぐらいの時に、それまでレズビアン、レズ、あとホモっていう言葉だった、昔は。で、その言葉は知ってたけど、バイセクシャルって言葉を知らなくて、で、なんか私は自分が女の子も好きになるからおかしいんじゃないかってずっと悩んでた時期があって。
男性経験もあるし、女性経験もあるし。そう、そう。だから、女だから男の人を好きにならなきゃいけないっていう一般常識というか、だから男の人を好きになろうと思ったけど、でも女の子の方がやっぱり好きなんだけどなっていう、自分の中の葛藤みたいなのがすごくあって。ただ、両方好きになる人がいるっていうことを自分も知らなかったから。で、高校1年の時かな、バイセクシャルっていう言葉を知って、あ、私それだわってなって、両方好きになることがある人がいるんだ、私だけじゃないんだって。だからそこで気づいて、私はバイセクシャルなんだって。その時に気づいた感じですかね。ああ。
それは気づいてから誰かに伝えたりするんですか?バイセクシャルっていうのに気づいてからは、もう周りの友達にはすぐ言いました。私もバイセクシャルらしいって言って。へえ。でも、それぐらいそういうのをもう明るく喋れるタイプだったんですね。あ、そうですね。ただ親には言えなくて。友達には結構もうすぐ言うてましたね。
親はどういう人だったんですか?どういうタイプだった?親はね、もう本当に昔人間というか、すごい家族は仲いいんですよ。家族仲いいし、今でもフレンドリーな、本当に会話とかも結構ある明るい家族なんですけど。真面目にしてる方なんですか?お仕事。普通に会社員のお父さんと…割と結構長いこと務めてるんで、役職とかにもついてるような普通の会社員のお父さんと、お母さんも専業主婦の時期もあったり、パートに出たりっていう、一般的な家庭で育ったんですけど、とにかく安定と、その心配事が…心配性でうちの母親が。だから人と外れたこと、人と違うことっていうのがすごく苦手な親だったんで、なかなか言い出せなくて。
へえ。じゃあもう子供の中に、絶対受け入れられないだろうなって感覚あったんです?ああ、そうですね。これは言ったら多分分かってもらえないだろうなっていうのはずっとあって。はあ。だから言うのがだいぶ遅くなりましたね。そうなんですね。その手前で、男性と付き合ってる時も普通に好きだなって気持ちはできたんですか?
いや、男性の時は正直、心から好きっていうのがあんまりなくて。普通デートだったりとかって言ったら朝からワクワクするじゃないですか。好きな人と会えるから今日はどこ行こうかなとかっていうのが正直あんまりなくって。会って遊べばそれなりで楽しいんですけど、朝すごくワクワクするみたいな気持ちがない。へえ。じゃ、まあなんとなく予定入ってるなぐらいの感じですね。嫌だなってことでもないけど。そう。嫌じゃないけど、なんかこれって本当に好きなのかなっていう。
ただ、周りの友達とかもやっぱり彼氏ができてきてとかってなってくると、自分もやっぱり同じようにしてないと話が合わないんじゃないかとか、仲間外れにされるんじゃないかみたいな気持ちもあって、私のこと好きって言ってくれる人がたまたまいたら、その人とお付き合いしてみたりとか。へえ。うん。
そのバイセクシャルだっていう風に自分が気づいた時は、性体験あるんですか?男性とか?いや、その時はまだなかったですね。ああ。ただやっぱり周りも、それこそ処女が終わってとかっていう話がやっぱり学生の時に出てくると思うんですけど。だからそれも置いてかれないようにっていうので、初体験、男性との初体験っていうのもしましたし。ああ。うん。
あ、やっぱそういう気持ちあったんですね。周りより遅すぎんのやだなと。あ、そうですね。その気持ちもやっぱりその当時はありましたね。やっぱり親の育て方ね、世の中とあんまり違わないように生きていくっていう親の価値観の元で生きてたので、みんなと同じぐらいの経験を同じ年代にやっぱりしといた方がいいのかなっていう価値観だったんですよ、その時は。
じゃ、その時はもう結構しょうがなくやってるって感じですか?そうですね。だから興味はあるんですよ。興味はあって、だから嫌いとかではないけど、経験はしてみたいっていうのでしてみた。で、別にものすごく不快でっていうことも別になかった。体は普通に反応するし、あ、こんなもんかっていう。それは普通に感じました。
女性との初交際ですか?女性がね、高校かな。ああ。男性との初体験はいつですか?えっとね、それも高校です。どっちも高校なんですか?そうですね。どっちが先ですか?男性が先です。男性と初体験して、その後その人と別れて?別れて、で、その女性とお付き合いして。ただ女性もその時は自分がタチなのかネコなのか何なのかっていうのも分からなかったんですよ。
ただ女の子も好きになるなっていうのが分かってただけで。だから初めて付き合った女性っていうのも、性同一性障害の男性っぽい人と付き合ったんですよ。体は女性だけど男性として生きてる方と初めて付き合って、だから女性同士の体ではあるけど、向こうが男、こっちが女っていう形で最初お付き合いして、初体験っていうのをしました。
そこに関して違和感みたいなことあった?そんなこともない?そうですね。ただ、やっぱり自分が受け身ってなると女側なので…でもそっちの人の方がやっぱり好きでした。女性の方がやっぱり心から好きだなっていう気持ちはやっぱりあって。だから、その時はその時で、その彼女、彼氏というのか彼女というのかっていうのも、すごい好きだったし、その行為自体もすごい気持ちよかったし。へえ。だけどやっぱりそこから徐々に、自分なんか違う、なんか違うっていうのがあって、次にお付き合いする人の時には、自分がタチで相手が女の子っていう、ネコっていう方とお付き合いした時にすごくしっくり来て、あ、自分はこっちだったんだっていうのがその時に気づきました。
へえ。だから今で言うと、ルックスからして確かにそのタチっていうんですか?あ、そうですね。見た目がね、醸し出してる。そうですね。それは当時はそんなことないわけですもんね。そうですね。その当時もロングとかでもなかったんですけど、普通にスカートも履いてたし、学生なんで普通に制服着てたし、髪の毛はまあ普通にボブぐらいはあったしみたいな。
はあ。その時に、恋愛関係はそういうことじゃないですか。進路とかはどんな風に考えてたんですか?高校生。進路は、私元々子供が好きで、昔から保育士になりたいっていうのがあったんで、保育の道を選んで学校行ったんですけど、だから子供が好きだから本当自分の子供も欲しかったんですよ。うん。だけどやっぱり長い恋愛、ずっと女性と付き合っていく中で、女性と一緒になるってことは自分の子供を持つっていうのが叶わないってことに途中で気づいたんですよね。
そうそう。それで、何人かちょっとお付き合いはしてきたんですけど、3年半ぐらい長く付き合った彼女がいて、その彼女と一緒になれるんだったら、もう1つの夢である子供も諦めてもいいかなっていう風に思えるようになって、その彼女とずっと一緒にいたいなって思ってたんですけど、ちょっと色々あってお別れすることになってしまって。その3年半、結構長いですね。そうですね。どういう理由で別れることになるんですか?
もうね、これ多分こっちのLGBTQとかの世界だったら多分あるあるだと思うんですけど、相手が女の子、ネコさんなんで、結婚して子供が欲しいっていう一般的な夢を諦めきれないって言われたんですよ。ってなると、私には子供を作ってあげることができないので、彼女の夢を叶えてあげるためには自分が身を引くしかないっていう。
あ、なるほど。そうか。だけど本当にこのままでいいのかなって。親はやっぱり子供をね、孫の顔を見せてあげたいだとかっていうことがやっぱりあって。諦めきれないから別れて欲しいって言われてっていうのが、結構その3年半の彼女の後にも続いたりとかして。その時期が1番辛かったですね。そっか、何度もやっぱ子供作りたいから別れてくれないっていうのを経験して…1回じゃないですね。1回じゃないですね。
私は心は女性だけど、やっぱり自分がタチで男役なんで、やっぱり幸せにしたいし、私といる以上は絶対に幸せにしたいっていう気持ちがすごく強くて。分からないですけど、一般の男の人よりも男らしくいなきゃいけないとか、とにかく尽くしたい、彼女を幸せにしたいっていう気持ちがすごく強くて。ああ。だから多分一緒にいる時はすごく楽しかったと思うし、幸せだったと思うんですよ、その子たちも。だけどやっぱり最終的に子供がって言われると、もうどうしてあげることもできないんで、もう分かったって言って別れるしかなかった。
ああ。そういう経験をしながら保育士やってるんですか?保育士やってて、その後、彼女の生活スタイルに合わせるために、会う時間を作るためにバイトの掛け持ち4つとかしてたんですよ。保育士やめて。保育士だったら会える時間少ないんで。1回ちょっと保育士やめたのは色んな理由があるんですけど、やめた後は朝も早朝にバイト入って、で、学童保育の先生して、で、夕方彼女に会えるから夕方を空けて、夜ラーメン屋のバイト入るとか。へえ。っていう感じの生活を2年ぐらいかな。その3年半付き合ってた彼女の時には、彼女と会う時間を作るためにそういう生活をずっとしてて。めっちゃ恋愛体質ですね。そうですね。もう好きになるとこういうタイプだったんで。へえ。なるほど。
じゃ、そういう感じの恋愛体質なヤマトさんが、男性と結婚して子供を儲けるってどういうことでなってるんですか?だから結局、さっき言った大好きだった彼女と、子供が欲しいから別れて欲しいって言われて、そういうことが2回か3回続いたんですよね。うん。ってなると、自分も年齢的にも20代後半ぐらいになってきて、で、親も、私が女性と付き合ってるっていうのは薄々は分かってたし、今結婚しないのかもって思ってたけど、やっぱり親も、結婚して子供産んで、贅沢はできなくても家庭円満な、そういう生活をするのが幸せだよみたいな価値観の持ち主なので、ずっとなんか結婚もせんのみたいなことも、ちょこちょこ言われてたんで。
これだけ尽くしても一緒になれないんだったら、もう1つの夢である自分の子供が欲しいっていう夢を叶えたいなって思ったんですよね。で、その時にたまたま知り合った男性が、正直大好きっていう感じではないけど、この人とだったらうまく家庭が築いていけるんじゃないかなっていう男性が見つかったんで、それで結婚して。
その人はなんていうか、本当堅実なタイプだった?あ、そうですね。堅実です。仕事して、もうギャンブル、タバコ、お酒何もしませんみたいな。でも1人暮らしも長かった人だったんで、家事とかも全部できるしみたいな。だから、お互いに仕事してたんで、本当に家事分担で、今思えば本当にいい方だったんですけど、結局生活してて、子供がめでたくできてってなったら、どうしてもしんどくなって、心が。
どうしんどいんですか?もうやっぱり元々女性が好きなんで、男性と生活してるっていうのがもう本当に苦しくなってきて。もうね、1番何がっていうのが、やっぱり夜の生活を求められるのが苦痛でしかなかったんですよ。なるほど。子供は欲しいから頑張ったけど、できてしまった後どうしてももうできなくて。
だからもうね、一生懸命子育ても協力してやってくれるし、家事も手伝ってくれるし、仕事真面目にやっててっていう、非の打ち所のない元旦那さんだったんですけど、だからそこがどうしても応えてあげられなくて、で、自分の心もしんどくて、もうこれは一緒にいても、自分がこういう気持ちで子育てしてても子供にもあんまりいいことにはならないなっていうのも思って、別れてくださいって言いました。
向こうの方は、ヤマトさんのレズビアン性に気づいてるんですか?知らないですね。気づいてないです。言わずに結婚して、別れた理由も、女性が好きだからとかっていうことではなくて、一緒にいてちょっとしんどいんだっていうことで。へえ。それ納得してくれるんですか?いや、最初は納得しなかったですよね。細かいこと色々ありますよ。だからやっぱりね、他人が一緒になってるんで。そう、そう。色々あると思うんですけど、ごめん、一緒にいるのがしんどいっていうことで、実家帰りますって言って。子供が何歳ですか?8ヶ月ですね。
8ヶ月ってその知的障害が…まだ分からなかった。発達障害かもわかんない。分からなかった。ただ保育士に1回なってるんで、その特性的なことは勉強してたんですよ。学生の頃に、発達障害の特性っていうのはこういうのがあるよっていうので、自分的にはちょっと怪しいなっていうのは思ってたんですけど。実家でシングルマザーとして…?そうですね、1回実家帰って、ただ親がそれこそ真面目人間なんで、息が詰まるんですよね。だから実家の近くのアパート借りて、一応子供と2人で、ただなんかあればもうすぐ実家に行けるぐらいの距離のところにアパート借りてみたいな感じでした。
それで、そのお子さんがそういう重度の知的障害を抱えてるっていつ発覚するとか?えっとね、ちょっと怪しいなと思ってたんで、1歳半ぐらいで病院の予約入れてたんです。で、やっぱりその時には、発達は確かに遅れてるけど、まだやっぱ男の子だし、ちょっとゆっくりかもしれないから、まだグレーゾーンみたいな感じで言われてて、はっきり診断名が降りたのは3歳でした。へえ。
言われてどういう感覚でした?結構予想外じゃないですか?えっとね、最初は中度で診断が出たんですよ。で、多分3歳の時にまだ1歳未満ぐらいの知能みたいな感じで出て、で、3歳って言っても、発表会とかでもまだ泣いてる子がいたり、先生に抱っこされてたり、ダンスしましょうって言ってもしない子もいたりみたいな年齢なんで、うちの子だけが特別できてないみたいなイメージがあんまりなかったんですけど、年齢が上がっていくにつれて、みんなができるのに全然できないっていうのが、差が開いてくる。
で、確か5歳、6歳、小学校に上がる前ぐらいには、もう重度っていう形で…診断が2年ごとぐらいに更新があるんですけど、その時に重度に落ちて、で、小学校の4年生、5年生ぐらいの時に最重度っていう形に。最重度って何?最重度がもう1番重たいというか。
はい。それ聞いた時は受け入れられるもんなんですか?うーん。でも、ショックはショックですけど、私の場合はまあ、そうだろうなっていうのがやっぱりありましたかね。ちょっと勉強してたっていうのもあったし、私はこういう性格なんで、ショックだなっていうのはあるけど、どうにかなるだろって思ったんですよね。
ただ、私もシングルだったんで、とにかく仕事をしなきゃいけない。子供に不自由させたくないっていうのがあって、もう正社員でずっと働いてたんで、基本的に親に面倒見てもらってたんですよね。うん。なので、親も障害に関しての勉強っていうのも全然知識もなかったし、私もなかったしなので、結構な荒れ具合になってしまって。奇声、ずっと叫び声をあげてる、で、ガラスを割る子供に。
だからもう本当に自由にさせたというか、障害があるからって言っても、やっぱりしつけっていうのは必要だったけど、元気ならいいじゃんっていう考え方だったんで、甘やかしてしまったっていうのもあって、もう本当にやりたい放題で。おばあちゃん、おじいちゃんって基本的にやっぱり甘やかすじゃないですか。ちょっと機嫌がやばくなったらお菓子あげてとか。ってなると、もう本当にわがままになってしまって、3年生、4年生ぐらいの時が1番ちょっと荒れてましたから。
ああ。それで実家暮らしのシングルマザーっていうのが、つい最近までずっと続いてた?元旦那とは別れました。その後もう1人付き合った人がいて、今のパートナーの前に。で、その人はまた性同一性障害の人だったんですよ。おお。男っぽい人。男っぽいとか、男として生きてる女性の方。ああ。で、私は本当は女性らしい女性が好きだけど、子供のためには父親がいた方がいいのかなってその時思ったんです。
だから男性っぽい人、男性として生きてる人の方が家族的にいいかなと思ってお付き合いして、その方とも結構長いこと、6年一緒にいたんですよ。ちょっと遠距離だったんで2年ぐらいは一緒には住んでなかったんですけど、その人と一緒にいる時に家買ったんですよ。
おお。中古なんですけど、家を買って。やっぱりアパートだったら、本当に壁紙剥がしたりだとか、いろんなことが気になって、壁も薄いから、やっぱりご近所トラブルとかもちょっとあったりとかして。本当に夜中とかもずっと泣いたりとか騒いだりとかするんで、もう夜中本当に毎日、365日ずっとドライブで寝かしつけて、夜9時ぐらいから2時とかずっとドライブして子供が収まるまで。で、寝たのを抱えて家の中入って寝させて、したら4時ぐらいにまた泣いて起きて、また車連れてってドライブしてっていう生活を何年もしてて。
この3年生までの間に、さっきの、心は男性、体は女性って人と付き合ってるんですか?うん。そうですね。途中からになりますけど、5歳ぐらいの頃からかな、付き合っててっていうので、ずっと。その人とはどこで出会うわけですか?えっとね、このLGBTQの人たちが出会うサイトみたいなのがあるんですよ。
出会い系って言ったらちょっと響きがあるかもしれないですけど、そういうのがあって、そこに子供がいるシングルマザーですっていうことを私が書き込みしてたら連絡が来て、そこから写メの交換したりだとか電話したりだとか、会ってみるみたいなところから。で、私の子供はちょっと障害がある子なんだけど、それでも大丈夫ですかっていう話とかをして、もうそんなの全然関係ないよ、子供も含めて家族になりたいって言ってくれたんで。
へえ。そうそう。だから本当にその人も働き者でね、トラック乗ってる人だったんですけど、子供も懐いてたし、子供の面倒もよく見てくれて、すごいいい人だったけど、なんでその人と別れたんだっていう話なんですけど、まあそれも最終的に男性になりたいって言ったんですよ、今度。その、完全に。性転換ってことです?だからもうホルモン注射をして、胸を取って、手術をして、もう完全な男になりたいって言い出したんで。私はそれは嫌だっていうのを最初に言ってたんですよ。私はもう男性のことは好きになれないから、性転換とかそういうことを考えてるんであれば、お付き合いできませんっていうのは最初に言ってたんですよ。
だけどやっぱり長年ね、自分は男だと思って生きてるのに、やっぱり体が違うってことに長年苦しんできてるってのを分かってたんで、それを言われた時に、あ、これはもう一緒にはいられないなって思いました。へえ。だから本当に喧嘩してとか、性格の不一致とかで別れる…じゃないですね。
だからもうその人も、それだったら女として生きるよって最後言ってくれたんですけど、でも私と子供のために自分らしく生きられないこれからの将来をってなるのは私も罪悪感を感じるし。せっかく今その性転換ができる…岡山県って性転換手術結構有名なんですよね。岡大って言って。あ、そうなんですか。確か日本でも多分3箇所か4箇所しか性転換手術できるところがなくて。
で、元々広島とかの向こうの人だったんで、こっちに一緒に住んでたから、性転換ができる病院も近くにあって、お金もあって、今だったらできるっていうタイミングがあるのに、今を逃したら、もうなかなか自分らしく生きていくってのは難しいだろうから、私と別れて、これから男性になっていくのを一緒に喜んでくれるパートナーを見つけた方がいいんじゃないって言って。私はあなたが男性になっていくのを心から喜んであげられないって言って別れました。
ちなみに、その間、そのお子さんのDNA的な父親になる方とはお子さん会ってるんですか?会ってないですね。もう別れてから1回も会ってないです。それを別に向こうもそんな希望しないんですか?会いたいと。そうですね。だから別れる時に、会いたければもう全然、会わせないとかそんなことはないしっていうことは言ってたんですけど、やっぱり8ヶ月だったんで、多分まだ父親っていう自覚とかもまだ芽生える前だったし、障害があるっていうのも多分知らずに別れてて。養育費だけは真面目な方なんで、今でもずっと毎月いただいてるんです。でも連絡っていうのは基本的に取ることはなくて、多分元気にはしてると思うんですけど、会うことはないですね。
最重度の知的障害って言うと、何歳ぐらいの知能なんですか?今うちの子が多分1歳ぐらいですかね。そっか、確かに1歳だと友達とかと遊ぶって概念はないですもんね。そうですね。だから体は大きくなってて、多分私と身長がほとんど変わらないぐらいの大きさにはなってるんですけど、字を書けない。まだ鉛筆とかもこういう感じなんで。ただできることも増えてきてるんですよね。
ご飯を見て適切なお皿を持ってくるとか、ご飯を割とこぼさずに綺麗に食べるとか、スプーンとフォークとかっていうことはできるんですけど、体を隅々まで綺麗に洗うとか、あと声かけで連れていかないとおむつに出してしまうとかっていうのはまだ全然難しいですね。
そっか。3歳の知能に上がることとかはあるんですか?ちょっとない?多分ここまで来るとなかなか難しいかなっていうところですかね。ただ、何があるかわからないので、やっぱり中学校、高校になってから初めて言葉が出たっていう人も中にはいるので、もしかしたら何か喋ってくれればいいなっていう期待はありますけど、正直ちょっと難しいかなって思ってます。
ああ。そっか、会話でのコミュニケーションが難しいってことですか?そうですね。もう意味のある言葉っていうのは一切ないので。将来的にやっぱり子供が人間らしく幸せに生きて欲しいっていうのはやっぱり今でもずっと思ってるので、最終的に多分施設に入ることになると思うんですよ。どうしても自分がいつまでも見れるわけではないので、そうなった時に、やっぱり人様に迷惑をかけないように、自分のことをできるだけ傷つけないように、他人を傷つけないようにっていうのは、どうにかして小さいうちに教えとかないとなっていうのはずっと思ってきてて。
施設って何歳から入れるんですか?今目指してるのは、高校卒業と同時に施設に入れたらいいなっていう風には思ってるんですけど、最重度となると空きがない。あ、そうだ。空きがないですね。タイミングにはよると思うんですけど、今まで下見だったり見学っていうのをさせてもらったけど、どこも30人から50人待ちみたいな感じなので、なかなかその順番が回ってくるのがいつになるのかなっていうのが現状ですかね。
そっか。人手もかかるから、そんな大人数受け入れられないですもんね、きっとね。そうですね。で、どうしても入ってしまうと、なかなかそこから出ていくってこともその人たちもないので、その人たちが他の施設に移ります、高齢になって、どなたかがお亡くなりになって、空きが出たってなったら1人入るみたいな感じのシステムなので、新しい施設ができてくれるか…なるほど。たまたまタイミングよくその順番が来るかっていうのを待つしかないかもしれないですね。
施設に入るのを待ちしてる人たち、高校卒業してその施設に入れない状態でいる人たちって、何してるんですか?その間は、生活介護っていうところがあって、今で言う子供さんを学校が終わった後に見てくれるようなところがあるんですけど、それの大人版みたいな感じで、仕事ではなくって、安全に生活できるような感じの、預かってくれるところっていうのが一応あるので、そこに行かれてる方が多いかな。
あ、放課後デイサービス的なことです?的な感じの。朝から見てくれて、ただ時間が短いんですよね。朝から見てくれて夕方ぐらいには終わるので。今は学校朝行ったら、学校が3時ぐらいに終わったら、そこから6時ぐらいまで、送ってきてくれるまで見てもらえるんですけど、朝行ったら4時とかに帰ってくるってなると、やっぱり仕事とかもしづらいっていうのが現状で。だからやっぱり仕事やめないといけない家庭とかも出てくるし、お母さんがもう家で見ないといけないから仕事やめますっていう方もいらっしゃったりとか。で、知的障害って、もう本当に言い方あれなんですけど、本当にガチャというか運。
運もあるし、多分遺伝的なものもあるとは思うんですけど、家系的に目立ってすごく知的障害があってっていうのは特にパッと思いつく感じではいないので、たまたまなのか、普通に生活はしてるけど、もしかしたらちょっと知的障害が入ってる親族とかがいるのかもしれないですし、ちょっとそこら辺分からないですけどね。
今やっぱりパートナーが…パートナーは私と違って、本当に小さい時からできることは全てやってきた。子育てに関して、もう勉強会も行って、この先生がいいって言ったらその先生にも見てもらって、もう家でもやれることは全てやってきて、今だからもうやるだけのことはやってきたっていう、そういうあれなんで、私が全然やってきてなかったところを色々教えてもらって、もっとこういう関わりにしたらきっと変わるよっていうのを今実践して。
学校も近くの支援学校行ってたのを、今ガラっと環境を変えて、往復5時間かかる県北の学校に…今寄宿舎がある学校があるんですけど、月曜日の朝送っていって、金曜日の夕方迎えに行く生活を今私してて。月曜日送っていったら月火水木と泊まって、金曜日の学校が終わる時間に私がまた往復5時間かけて迎えに行って、週末はこっちで過ごして、また月曜日送ってっていう。
だからもうやっぱりプロの先生方がいらっしゃって、あとやっぱり施設に将来入るってなると、共同生活っていうのもやっぱり今後の強みになると思うので、今はちょっと送り迎えしんどいんですけど、そういった学校に今行かせてるので、かなり落ち着きましたね。
だから再婚って言い方じゃないけど、SNSで出会った同じ境遇の、当時は離婚しそうな状態の、シングルマザーになる一歩手前みたいな状態の女性だったわけですもんね。まあ、そうですね。そうですね。はあ。
まあでも本当にいい出会いだった。多分同じ最重度なんですけど、うちの子とパートナーの子っていうのが、だけど多分知能的にっていうかは、多分パートナーの子供の方がさらに重くって。さらに重いです?さらに重いですね。
とても笑顔が多くって、コミュニケーションっていうのは言葉はもちろん出ないんですけど、弄便って言ってうんちを塗ってしまったりとか、顔に塗ったりだとかっていうのとかもあったりして、だからその話には聞いてたんですけど、実際に移住してきて部屋の中がそういう状態になったのを見た時に、うわあ、やっぱり大変だなっていうのもあって。
いや、そうですよね。それは大変だ。
そう、だから話に聞くだけじゃなくって、やっぱり目で見て、あと匂いもあるじゃないですか。だから、これをずっと1人で掃除して片付けてっていうのをもう何十、何百回、何千回ってしてきてるので。
だからまあ、そこもこういう性格だから、一緒にもちろん掃除してっていうのも、「まだ匂い残っとるぞ」って、「どこや、どこや」って、「絶対まだ残っとるぞ」って、宝探しやなって言いながら2人で掃除して。
へえ。色々対策はしてるんですけど、自分で脱ぎにくいような服をちょっと加工で自分で作ってみたりとか色々考えながら、まあ、色々もちろん大変なことありますけど、笑顔は絶えない今家族になってるかなと思うので。
へえ。そうか。え、移住し始めてどれぐらいですか?
今2年ちょ、2年3年、2年ちょっとぐらいかな。
かおりさんの方のお子さんは最重度の中でもさらにってことですから、1歳よりもさらに下ってことなんですか?
そうですね。多分そうですね。もう本当に異食って言ったら、何でも食べてしまうんですよ。口に入るものだったら何でも食べてしまうんで、本当に葉っぱとか砂とか、あともうボールペンとかもガジガジ噛んで飲み込んでしまったりとか。だから家の中に何も置けないんですよ、本当に。だから割と家の中めっちゃ綺麗です。
ミニマリストになって。
です。もう1回、クローゼットの中でそれこそ便塗りされたことがあって、もう全てのものを捨てないといけなくなってしまったんですよ。なのでもう極力物もない方がいいねって言って、本当に必要最低限なものだけにしたら、意外にそれはそれで掃除もしやすいし、部屋も綺麗だし、安全だしっていうので、今すごい快適になりました、逆に。
へえ。そうなってきたら、それに最適な暮らしってのが。
ですね。
親が結構真面目人間だったんで、その親に言った時に、多分受け入れてもらえないだろうなと思ってたんですけど、「あんたもしかしたら女の人と付き合っとん」って言われた時に「うん」って答えたら、「あんたおかしいわ」って号泣されたんですよ。
ああ。うん。
で、「おかしいとか言うなや」って、もうそのまま、私まだ大学生だったんで、その当時。だから「もう行くわ」って言って、そのままもうカバン持って家を出たんですけど、やっぱり受け入れてもらえなかったなっていうので、そっから女性とお付き合いしてるっていうのを認めてもらえるまでに15年ぐらいかかりましたね。
へえ。
だからその間ずっと付き合ってたんですよ。女性とは付き合ってたんだけど、私はもうオープンにしてたんで、親にも別に悪いことしてるつもりがなかったから、「今日誰々ちゃんと記念日で」とか言ったら「記念日とか変なこと言わんで」って言われたりとかっていうのもあって、なかなか女性と付き合っててっていうのが受け入れてもらえなくて。
ああ。
ただ、「親の幸せは子供が幸せになることなんだよ」っていうのを5歳ぐらいからずっと私言われて、だから「お母さん大丈夫よ、私は絶対幸せになるから」って根拠のない自信でずっと言ってたんですけど、多分親は私が苦労すると思ったんですよ。変な目で見られて苦労するんじゃないかって多分心配してくれてたんですけど、それをじゃあどうやったら分かってもらえるかなって考えたら、自分が毎日笑顔で幸せに生きることが親を安心させてあげられることなんじゃないかなと思って。
そこから本当に、その当時の彼女とも本当に幸せに生きてきたし、今はもちろんかおりと一緒になる時にも、障害がある子供を連れて引っ越してくるってなった時に、親はやっぱり反対したというか、「自分の子供も障害があって大概なのに、さらに障害がある人で、しかも女性の人と一緒に暮らすって大丈夫なん」っていうのをすごい心配をされたんですけど、「もう絶対大丈夫だよ、もう絶対幸せになるから」って言って一緒になって、で、今は認めてくれてますかね。
へえ。
うん。なんか「あんた幸せそうやもんな」って言ってくれます。
15年かかるんですね。
うーん、15年かかりましたね。最近の若いお母さんとかは少し理解があったりっていうのもあると思うんですけど、私の親はやっぱりちょっとまだ昔人間の頭だったんで、それは普通じゃないみたいな感じでしたね。
え。
私、講演会とかで結構ちょこちょこ話とかもさせてもらってて、小さいお子さんから、その子供を持つ母親だったりとかっていう方のところでもお話しさせてもらうんですけど、やっぱり幸せっていうのは自分が決めるものだよねって。親が決めるものじゃなくて自分が決めるものだよねっていう話を結構させてもらうんですけど、親が思う幸せっていうのは、結婚して子供ができて幸せな家庭を築くっていうのが幸せの形だよっていうのをずっと言われてきてたんですけど、親が思う幸せの形と私が思う幸せの形は違うんだよっていうのをずっと伝えてきて、で、今やっとようやく分かってくれたかなって思います。
で、今は何かあるんですか?これ頑張りたいこととか、ちょっと目標みたいな。
今は全国で講演会したいっていう夢があって、目標があって。岡山県の中では結構ちょこちょこ声かけていただいて講演会させてもらってるんですけど、全国で講演会したいっていう夢があって。で、ライブ配信を結構ずっとしてるんですけど、そこでいろんな人に、ヤマト社長っていう名前でしてるんですけど、ヤマト社長を知ってもらって、私が全国で講演会する時には、「ヤマト社長が私の県に来るんだったら是非話聞いてみたい」っていう人を増やしていきたいね。
やっぱり当事者として悩んでる人。
うん。
誰にも言えないとか、苦しいとかって思ってる人たちや、あと障害のあるなしで。あと、容姿にやっぱり日本人で結構コンプレックス持ってる人が多いと思うんで、太ってるとか、顔のパーツがとかっていうコンプレックスを持ってる人ってたくさんいると思うんですけど、私すごい太ってるけど、自分の体型も顔も大好きで。
こんな派手な格好して、やっぱり見る人が見れば、「あんな太ってるのに、大して可愛くもかっこよくもないのに、あんな派手な服を着て目立ってて恥ずかしくないのか」って言われることもあるんですけど、私はもう自分が着たいもの、食べたいもの、行きたいところっていうのに行きたいし、自分が別に誰かに劣ってるとも思ってないので、みんなが自分が好きなものは好きって言える世の中になってほしいなと思うので。もちろん恋愛に対してもね。
うん。
なので、そういったことを少しでもいろんな人に伝わっていけばいいなと思って今頑張ってます。
で、ちょっとかおりさんには、かおりさん最初、
はい。
ヤマトさんのアプローチとか戸惑いなかった?
はい。まあ、ちょっとはありましたけど。
はあ。でもまあ、仲良くなったからいいか。
うん。なんかちょっと人として、そう、面白そうな人だなと思ったんで、自分の人生変わるかなみたいな気持ちもあって。男性とか女性とか関係なく、ちょっとこの人のところに行ってみたいなみたいな気持ちになって。
かおりさんのお子さんが、最重度の知的障害の中でもさらに大変な方ってさっきお伺いしたんですけど。
ああ。はい。そうです。
かおりさんの方のお子さんで言うと、
はい。
どのタイミングぐらいで分かったんですか?それは。
うちの子も、大体普通のお子さんが言葉喋り出すぐらいの時に全く言葉が出てこなくて。
うん。
もうその辺りからちょっとおかしいねっていう話になってきて、でもそこまでの障害だとは思ってなくて。
え、もう保育園とか年少さんあたりには、もうかなり、この子は一生成長しませんって言われるぐらい。
一生成長しませんって言われるんですね。
東京から来たお医者さんに言われました。
結構ショックな言葉じゃないですか、それって。
そうですね。まあ、年少さんで一生成長しないって言われた時はやっぱりショックでしたね。
はい。
それはかおりさんはどう向き合ってきたんですか?
受け入れるしかないっていう気持ちで。
うん。うん。
うん。ただ受け入れたはいいんですけれど、症状が思ったよりすごく大変で。
うん。
危険とか全くわからないし、物かどうかも分からないんですね。なんで、何でも飲み込んだりとか、車に飛び出していったり。あと汚い話になってしまうんですけど、弄便って言って、排泄物が汚いなども分からないので、その辺に塗ったりとか、そういうのがすごく大変でしたね。
離婚したってことは、割とほぼワンオペで向き合ってきた感じなんですか?
まあ、元々そうですね。そんなに手伝ってもらってたわけじゃなかったんで、全部自分でやった方がいいかなみたいな気持ちはありました。
当時の旦那様はどれぐらい子育てに参加してくれたか?
うん。まあ、正直そんなに悪い人ではなかったんですけれど、ものすごく積極的に参加っていう感じじゃなくて。
うん。
多分、詳しい障害のこととかも何も分からなかったんじゃないかなって思いますけど。
離婚はどういうタイミングで決意したんですか?
うん。なんか、突然思い立って。
思い立ったんですか?
あ、はい。
へえ。え、当時は専業ですか、働いてますか?
働いてた時もあったし、やっぱり子供がものすごい大変な時は退職したりもしたしっていう風に繰り返してたんですけど。
え、子供が大変な時の具合で言うと、いつが1番大変だった?
うーん。そうですね。やっぱり保育園から小一とかぐらいの時が。
ですか?
はい。寝ないっていう症状もあって、なかなか寝ないし、寝たと思ったら突然起きて、もう大泣きしながら部屋中を走り回るっていう、ちょっと野生みたいなのがあって、あの時がちょっと1番、昼も夜も大変っていう感じでした。
それを全部対応して、掃除から何から1人だったらめちゃくちゃ大変です。
そうですね。まあ、はい。
それでかおりさんって壊れなかったですか?メンタルとか体調とか。
うん。いや、壊れてたと思いますけど。
まあ、そうですね。うん。でも本当に子供のことはやっぱり可愛いっていう気持ちもあったんで、もう完全に壊れて手放そうみたいな気持ちにはならなかったですけど、やっぱり疲れるは疲れてます。はい。
さっき言った離婚は、それ結構ずっと薄ら考えてたのか、もういきなりピタッと決めたんですか?
まあ、正直言うと、結婚して1年後ぐらいには、お互いに、なんて言うんですかね、男女としての気持ちはもうなかったんです。どちらかがじゃなくて、どちらもだけど。やっぱり役割っていうものはあったんで。うん。子供に障害もあったし、別れられないっていう風にずっと思ってたんですけど。
旦那さんが稼いできてくれて。
はい。そうです。
私はこう子育てするぞみたいな。
はい。やっぱり、うん。結婚してた方がいいんじゃないか的に。うん。そういう考えはありましたけど。
だから、なんていうか、本当にいわゆる普通の福島に住んでた主婦から、
はい。
こういう、なんていうか取材されるような映える人と一緒になったわけじゃないですか。しかも、え、福島出身ですか?
はい、福島出身です。
だから出身地から離れて岡山にやってきてみたいな。こんな人生激変するなんて思ってないですもんね。
うん。なんか激変させたいって気持ちもあったかもしれない。
激変させたかったんですか?
させたかったと思います。
だって40年近く住んでた、
はい。
町を捨て、
はい。
レズビアンカップルになるっていう。
はい。なんか面白い人生になるんじゃないかなって思って。もうやっぱり人生1回しかないから、なんか行ってみたいって思って。
すごいです。
はい。
本人次第で、なんていうの、外的要因もあるけど、
はい。
こんな風に激変するって面白いですね。
そうですね。周りの人は、障害児連れて遠くに引っ越すなんて考えられないって言われたんですけど、案外やってみたらできるなって。
特に発達障害とかっていう子は、環境の変化にとにかく左右されるみたいなところも結構あるんで。
うん。
余計にね。あと預かってもらえる場所とかも限られてくるんで、それを岡山に来てもう1回1から探すっていうのも結構大変です。
ああ、でももう一応2年経ったから、ちょっと落ち着いてきた感じですかね、割と。
まあ、そうね。全然知らないところに2人で行くんだったらあれですけど、
うん。
私が岡山だったんで、できるだけ早めに手を打って、パートナーがこっちに来るんでっていうので、いろんなとこ聞きに行ったりとかして、学校の手続きとかも私がちょっと代行で代わりにしたりとか、協力できるところはしながらっていうので、最初なんとかスタートしたって感じだった。
それでも結構大変だった。
大変だったね。やり取りもね、やっぱり県外からの移住ってなると。
うん。すごい。
ヤマトさん的には割と初めてに近い、本当にしっくりくる、自分が求めてるタイプの女性ってことですもんね。
そうですね。今まではどっちかっていったら年下とかが多かったんですよ、女の子っていうのも。
はい。
だけど今回年上で、
うん。
で、結構ほわっとして優しい感じに見えると思うんですけど、めちゃめちゃ厳しい目持ってて。私がどっちかっていうと自由人って言うとあれですけど、どうにかなるだろうっていう、すごいいいとこでもあるんですけど、あまり物事を考えないところがあって。
あ、適当とかあるんですか?
結構適当なんですよ。
だいぶ適当なんですけど、そこをうまく、どっちかっていうと、移住するとかいう行動力あるんですけど、どっちかっていうと頭を使ってっていうところが得意なので、色々考えてもらって私がそれを動くみたいな感じで、すごく今いいあれかなと思ってます。
あ、なんか面白いですね。40超えてそういう出会いがあって。
はい。うん。本当ね、自分でもこんな人生になると思わなかった。
すごい。40でもまだまだ面白いことって起こるんですね。
いや、本当ね。だから結構ね、年配の方とかも、いい年だからとか、
うん。
いい年してこんな服着てとか、もうこんな年だからそんなこと始めてもとか、結構そういうこと言うけど、いや本当全然関係ないよねって思うよね。
ありがとうございます。ありがとうございました。
失礼します。失礼します。
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する。嘘しても耐えたい。綺麗なだけじゃ。
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