中卒からビッグモーターのトップ営業、そしてBUDDICA創業へ 中野優作が語る「欲しかったもの」と中古車業界への挑戦
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜街録chの企画「ほしかったものリスト」に、中古車販売会社BUDDICA(バディカ)の中野優作が出演した。出演者が子どもの頃に手に入らなかったものを語り、ギャラの代わりに児童養護施設の欲しいものリストから品物を贈る企画である。聞き手のディレクター・三谷三四郎がオファーしたのは、中野がXに「仕事と家族なら家族を取れ」という趣旨の投稿をしていたのを見たからだという。
中野は香川の小さな町で居場所のない子ども時代を過ごし、15歳で社会に出た。20代でビッグモーターに入ってトップ営業になり、35歳で退社してBUDDICAを創業する。話は幼少期から始まり、ビッグモーター時代に感じていた違和感、創業の経緯、中古車業界の収益構造への問題意識、そして「初めてお金が欲しいと思った」という最近の出来事まで続いた。
関東で予約が止まらない店舗
収録はBUDDICAの関東の店舗で行われた。中野によれば、関東にはまだ店が少ないため東京などからも客が集まり、平日でも予約が途切れない「一番荒れてる」店だという。この店の敷地は600坪しかないが、2000坪の店舗と同じくらい売り上げており、通常店舗のおよそ2倍にあたると中野は説明した。
自分の部屋がなかった子ども時代
中野が育ったのは香川県さぬき市津田町である。周囲には自営業者、医者、漁師、社長の子どもが多く、家に船があったり家が大きかったりした。自分の家にないものを友達が持っていることは多く、羨ましかったという。
そのなかで一番欲しかったものは「自分の部屋」だった。親の寝室に中野と姉の机が置かれているような間取りで、父親は工場で夜勤をしていたため昼間は寝ている。家に帰ること自体は禁じられていなかったが、静かにしていなければならない。中野は自分をADHDの傾向が強い子どもだったと言い、家でじっとしていられず、テレビもつけられないので外にいるしかなかった。母親はスーパーや保険会社などで働き詰めだった。
居場所のない中野は、犬と遊んだり、堤防に座って海の向こうを眺めたりして過ごした。ドラマ『東京ラブストーリー』で見る都会と、ビルもスーツ姿の人もない自分の町との落差が嫌で、「あっちの方に行きたい」とずっと考えていたという。『家なき子』を見て「この子悲しいけど俺も悲しいかも」と感じていたとも話した。
小学校では気を引こうとして周囲に迷惑をかけ、道路で裸で寝転んだこともあったらしいと本人は振り返る。週末に友達の家を訪ねると、家族で出かける準備をしているところに出くわすことがあり、気まずくて隠れたのをよく覚えているという。一人でシュノーケルを持って海に潜り、魚を獲って帰ると母親に褒めてもらえたので、それをひたすら続けていた。
父が小遣いを削って買った赤いミニカ
近所の家はハイエースなどの大きな車に乗っていたが、中野の家には車がなかった。両親とも職場まで自転車で5分ほどだったので必要がなかったのだろうと中野は推測する。病院に行くときは、母親の自転車の後ろに乗せられていた。
6〜7歳の頃、中野は「うちはなんで車がないんや」と父親にだだをこねたらしい。本人に記憶はなく、3〜4年前に父親に聞いて初めて知った話だという。父親の月の小遣いは500円で、あらゆるものを我慢して2年ほどお金を貯め、真っ赤な三菱ミニカ(3ドアの軽自動車)を現金で買った。車が家に来たのは中野が7〜8歳の頃である。
大人になってこの経緯を知った中野は、親が自分の欲しいものより子どものために優先することがあるのだと感じた。そして「それがもしかしたら俺の中古車の原点なのかもな」と思うようになったと語っている。
IQテストと飲み込んだ進学
東京への憧れにはもう一つきっかけがあった。小学3、4年生の頃に受けたIQテストの結果が非常に高く、ちょっとした騒ぎになった。先生の間で、県内に一つだけある付属校に移るべきではないかという話も出たという。中野はこの話を人前でするのは初めてかもしれないと前置きした。
ただ、進学すれば交通費などで親の負担が増える。中野はそれを察し、行けなくはないのだろうが「行きたいけど行っちゃダメなんだろうな」と飲み込んだ。母親に行きたいかと聞かれ、嫌だと答えたという。三谷が「挫折体験ですね」と言うと、中野は「挫折というより我慢ですよね」と言い直した。能力が及ばなかったのではなく、自分で抑えたということだ。
当時の中野は同級生が「バカに見えていた」と正直に話す。自分の力を抑えていたので、東京に行けば分かり合える友達ができるのではないかと考えていた。学校ではリーダーのように振る舞いながら、家の実態は違う。その落差について、中野は自分を「ハリボテ」だったと表現した。
同じ理由で服も欲しかった。親があまり関心を持たない家では子どもにその辺の服を着せる。一方で周りの子は5000円ほどするミキハウスなどのトレーナーを着ていた。中野はお年玉でブランドの服を買い、それを1年間着ることを毎年繰り返したという。今でこそロゴの大きい服を着る大人を批判する側にいるが、当時はロゴが大きいほど良いと思っていたと笑う。この頃にはすでに、金持ちになって家庭を持ったら子どもに好きなものを買ってやれるようになる、と決めていた。
15歳で社会へ 土木と「割のいいバイト」
早く家を出て自分の部屋を持ちたかった中野は、15歳で学校をやめ、知人の父親が社長を務める土木会社に入った。日当は7000円ほどで、1日中一輪車やスコップを扱う。月にすると最大でも21万円ほどで、これでは金持ちにはなれないと気づいた。土木の仕事は15歳から20歳までと、20歳から25歳までの二つの時期に続けている。
最初の5年間は足りない分を「副業」で補った。周囲の先輩から回ってくる割のいい仕事で、中野は犯罪に触れるものではなかったと断っている。たとえば夜の店を営む先輩に頼まれて店に行き、場を盛り上げる。1日で3万円もらえたうえ、ボトルが開けばキックバックもあった。本人はこれを「ホストじゃないけどホスト的な動き」と表現し、16歳の頃から夜の街に出入りしていた。
18歳前後には携帯電話も売った。当時は端末が0円で、ソフトバンクなどでは契約すると2万円もらえる時代だった。先輩から「1台売ったら1万円やる」と持ちかけられ、知り合いの多かった中野は、高校生たちに携帯を持たせる形で50人ほどに売り、50万円ほどを手にした。店で売れ残ったCDを5枚1000円でまとめて売ったり、古着を安く仕入れて高く売ったりもしていた。
金で集まった仲間と、20歳の「リセット」
お金を持つとブランド品も買えるようになった。子どもの頃は釣り竿やゲームソフトを持っていないせいで仲間に入れてもらえないことがあり、中野は、同じものや人よりいいものを持てば人が集まると考えていた。実際、同級生が学生のうちに稼いでいた中野がおごると人は集まった。しかし集まってきたのは本当に欲しかった仲間ではなく、「俺からお金取ろうとしてるだけじゃん」という人たちだったという。
20歳になれば付き合いで酒や運転を強いられる場面が増えると分かっていた中野は、人間関係をすべて断ち、土木の仕事もやめて数か月大阪へ逃げた。しかし大阪でもクラブで遊び、手持ちのお金は減っていった。
どうしようかと考えていた大晦日、2〜3年ぶりに、自分の部屋のない実家に帰った。久しぶりの帰省なのにおせち料理が用意されていて、中野はほっとした。そして、自分が欲しかったのは夜に派手に遊んだり女性と遊んだりすることではなく、帰る場所だったのかもしれないと気づいたという。
同じ年の成人式では、肩まである金髪で現れ、同級生から煙たがられた。大学や就職の話をする同級生を前に、中野は「かなり高いとこに行ったのに、下りのエスカレーターに俺乗ってた」と感じた。お金は稼げても人望を失っていたという三谷の言葉に、中野は「まさに」と同意している。そこで髪を黒く染めて切り、土木の仕事に真面目に取り組み直した。
3度振られた相手と、ビッグモーターへの転職
妻とは20歳の頃に出会い、一目惚れしてアプローチしたが断られた。その後も含めて3回ほど振られている。理由は中野が「チャラかった」からで、妻からは「根が全く張ってない」「どこにでも行く人に見える」と言われていたという。妻の周りの女性が中野に好意的でも、妻本人は「全然無理」という態度で、電話番号も教えてもらえなかった。
それでも諦めなかったのは、妻がお金や見た目で心を動かさず、周りが欲しがるものではなく自分が欲しいかどうかで判断する人だったからだと中野は言う。自分は子どもの頃から先輩の顔色をうかがい、人に合わせる性格だった。堂々として見えても実は繊細で、HSPの傾向もあるらしいと話した。
20代半ば、土木会社で現場監督として昇進はしたものの、田舎の会社ではそれ以上年収が上がらないと分かった。当時付き合い始めていた相手は、中野より年収が高かった。将来子どもに欲しいものを買ってやるにはお金が要る。そう考えた中野は、26歳で稼げる営業職としてビッグモーターに入った。入社から1年ほどで全国1位のトップセールスになり、店長になる直前に改めて告白した。そのときの返事は「やっと男らしくなったね」というもので、ここから交際が始まった。4年付き合って30歳で結婚している。妻は同い年だ。
「頑張っていい」場所だったビッグモーター
中野にとって車の営業は、10代の頃から持てなかった「本気を出す場所」だった。進学も諦め、何でも手を抜いてやり過ごしてきたが、車は売れば売るほど称賛された。土木では人の2倍の成果を出しても給料は変わらず、成績の悪い年長者のほうが給料が高いこともあった。インセンティブ制の車の営業では、人の2倍売れば給料も2倍になる。
のめり込んだ理由はもう一つある。当時の創業者は、世の中にはメーターを巻き戻したり事故車を隠して売ったりする悪い業者がいる、それをなくすために全国制覇するのだと語っていた。中野が入社した頃のビッグモーターは20〜30店舗ほどで、そこから9年ほどで200店舗を超え、売上は4000億円規模になった。中野はこの時期のビッグモーターを「イノベーター」「雰囲気はベンチャー」と表現し、当時は車に傷をつけるようなことは一発解雇になるクリーンな会社だったと振り返る。社内の労働環境は「クソブラック」だったが、お客さんをよくしようというモチベーションがあったという。
妻もキャリアのある仕事人で、不満は言わなかった。中卒の土木作業員がビジネスマンになっていくのを見るのは「育成ゲームみたい」で楽しいと、今でも話しているという。
社内政治との衝突
20代の中野は自分の会社を持ちたいとは考えていなかった。しがらみが嫌で、会社のナンバー2か3くらいが収まりがいいと思っていた。起業を決めたのは、35歳で退職する1年ほど前である。
足りなかったのは「政治力」だと中野は言う。最初は社内で強い力を持つ人物の下にうまく収まっていた。ところが社長が直接中野に電話してくるようになると嫉妬を買い、中野を追い出そうとする動きが起きた。そこで相手の下に降っていれば残れただろうが、中野は「こんなことやってないで、お客さんのための仕事をさせてくれ」と反発した。子会社の社長に就いたことも引き金になった。グループのイベントでは親会社の社長が最初に挨拶し、子会社の社長が締めを務めるので、ナンバー2のように見えてしまうのだという。
中野は、派閥の下に入ってその人の引退を待つのが一般的な会社の出世の仕方だと認めたうえで、自分はそれができなかったと話す。会社のやっていることが良くないと分かっていたので、政治力がないと悩むより「もうやめよう」という気持ちだった。
車検ランキングと父が受けた見積もり
中野の言う「良くないこと」とは何か。その後ニュースになったタイヤのパンクの件は退社から3年ほど後のことで、中野自身は事件を直接見ていない。ただ、前兆はあったという。当時、車検の平均単価を社内でランキングにして競わせ、下から厳しく詰めていた。車検は法律で内容が決まっているので、本来は誰がやっても差は出ない。それを競わせるのは、ワイパーやタイヤなど必要ないものを車検のついでに売れという意味になる、と中野は説明する。
この被害に、中野の父親が直接遭った。かつて自分が店長をしていた店で父親が車検を受けたところ、以前世話になっていた車屋なら12〜13万円で済むはずの車検に25万円の見積もりが出た。電話を受けた中野は店に抗議した。わずか数年で自分のいた店がこうなるのかと、責任と力不足を感じたという。
同じ頃、中野は大手企業からヘッドハンティングを受けていて、条件も良かった。しかし、そこへ行っても同じことになるのではないかと考えた。株主か社長でなければ、会社が方針を固めたときに止められない。社内で孤立していた中野は、外に出て自分で会社をつくるしかないと判断した。
妻の「決まってるんでしょ」
子どもが生まれたのは、この対立が一番厳しくなった後、中野が35歳のときである。当時の中野は、起業して10年後に残るのは1割ほどだと知っていて、本当に怖かったという。
妻には二つの選択肢を示した。会社に残れば収入はあるが、本意ではない仕事をしなければならない。辞めれば、自分がつくりたい世界のために仕事ができる。どちらがいいだろうと相談すると、妻は「決まってるんでしょ」と答えた。中野は、お金がなくても大切なものを追いかける背中を見せるほうが子どもにとっていいと考えた。「お客さん騙して金儲けてる会社の金で養いたくはなかった」とも話している。
最近になって、中野は勇気を出して妻に当時の気持ちを聞いた。妻は怖くなかったと言い、「やりきる人だって知ってたから」「お金がなくなっても幸せが減ることはないと分かっていたから」と答えたという。中野はそれまで乗っていたポルシェ・カイエンと現行型のベンツから30万円のプリウスに乗り換えたが、妻はまったく気にせず「いいね」と言っていた。
本当は車をやめたかった 仲間が集まった経緯
意外なことに、BUDDICAという社名を決めて創業メンバーが固まり始めた頃も、中野の本音は「車をやめたい」だった。上場企業でも営業利益率が2〜3%程度で、構造的に儲からないビジネスだからだ。自分の才能でマネタイズするなら、不動産など他の業界のほうが確実だと分かっていた。
それでも車を続けたのは、自分が「車業界は面白い」と誘って引き入れた後輩たちがいたからだ。彼らは結婚して子どももいて、「やめるんですか」「やり切りましょうよ」と言ってきた。後に全員がBUDDICAに入っている。
創業時のメンバーは中野一人だった。社員番号1番の渡辺は、かつて中野が別の店から引っ張ってきて面倒を見た後輩だ。仕事帰りに様子を見に来ては、黙って洗車を手伝い、好きなヒップホップをかけて差し入れを置いていった。渡辺にも子どもが生まれたばかりで、中野はずっと誘えずにいた。一人では回らなくなり、自棄気味に「来てくれ」と言うと、その夜に「オッケー出たんで来月から行っていいですか」と電話が来たという。次に来た長尾は、書類仕事が苦手な中野のミスを無給で指摘していた人物で、やがて「手伝っていいよ」と言われて入社した。
社員が50人になるまで、ハローワークに求人を出したことは一度もなく、すべて紹介だったと中野は言う。むしろ席が足りず待ってもらう人がいたほどで、九州出身の人がいるから九州に店を出す、といった形で拠点を広げた。
「好き」より「信用」
中野自身は、会社員時代は嫌われ者だと思っていた。月1回、全国から100人ほどの店長が集まる会議の後、皆がキャバクラへ繰り出すなか、中野は一人でラーメンを食べて帰っていた。友達のいない寂しい男だと思っていたという。
ところが、当時大勢を引き連れて飲みに行っていた人たちが独立しても、元同僚たちはそちらではなく中野のもとに来た。理由を聞くと、仕事の仕方を教えてくれるから、自分たちを切ることはしないだろうから、という答えだった。三谷は、好かれているというより信用されているのではないか、社員の給料を10万円にして自分は100万円を取るようなことをしないと思われているのだろう、と応じている。
実際、中野の給料が会社員時代の水準に戻ったのは2年前のことだという。売上70億円規模だった5期目でも会社員時代のほうが収入は多く、2〜3期目までは社内で一番給料が少なかったのではないかと話す。創業メンバー5人ほどが「俺らの給料を下げてもっと取ってくれ」と言いに来たこともあった。
「流通革命」 見ずに車を買える信用
創業後数か月で、中野は「流通革命」を掲げ始めた。信用と信頼さえあれば、客が現地で車をチェックしなくても「中野さんなら騙さないでしょ」とネットで購入できるようになるのではないか、という構想だ。
この問題意識の背景には、外に出て初めて知ったことがあった。中古車屋として、ビッグモーターを嫌う同業者と付き合うようになると、自分のいた会社がひどく嫌われていたことを知った。途中までは良いことをしていたと思うが、自分は間違っていたのかもしれないと感じ、自分が変えなければという動機になったという。
現在、対面せずに契約する件数は月1000台ほどになっていて、そのうち800台ほどが買い取り、200台ほどが販売だと中野は報告した。月200人ほどが、ズームなどでやりとりはするものの、実質的に車を見ずに購入しているという。
2040年に売上1兆円という目標についても、中野は「1兆円なんてどっちでもいい」と言う。今会社を売れば一生使いきれないお金が入り、自分はそんなにお金を使わない。ただ、客が安心して車を「ポチれる」ほど信用され、体験に満足してもらえれば1位になれる。現在の1位の会社は6000億円規模で、その会社も成長すると考えれば、1位になるには1兆円が必要になる、という逆算だと説明した。44歳の中野は、2040年、58歳での達成を計画している。
2週間密着動画と身の危険
BUDDICAは車、コミュニティ、コーティングなどのYouTubeチャンネルを運営し、どれかが毎日更新されている。以前はビジネスのサブチャンネルで、女子大学生の質問に中野が答える形式の動画を出していた。登録者は15万人ほど、ピーク時の平均再生数は10万回ほどに達し、ビジネスチャンネルとしてはトップクラスだったという。
ところが、この形式を知り合いの経営者たちが次々に真似し、サムネイルまで同じものが量産された。逆に中野が真似していると言われ、AIの台本を読んでいるように見られることも嫌になった。そこで、年商200億円規模の社長の日常を丸ごと、1日だけでなく何週間も出せば価値があるのではないかと考え、2週間の密着動画を始めた。
もう一つの理由は安全である。業界に風穴を開けようとしている中野は、常に命の危険を感じているという。1日中カメラが回っていれば、何かの事件に巻き込まれても潔白を示せる。当時はボディガードも探していた。体の大きいスタッフの北さんが、カメラマン、編集、運転手を兼ね、アメフト経験を生かして中野に危害が及べばタックルする役目も担い、キックボクシングも習い始めているという。
「船の体育館」と100億円
物はすべて手に入った中野だが、つい最近「初めてお金が欲しい」と思ったという。きっかけは香川県の「船の体育館」(旧香川県立体育館)である。丹下健三が設計し、国宝になった代々木の体育館の兄弟建築とされる建物で、県が税金10億円をかけて解体しようとしている。
中野によれば、税金を使わなくても買い取るという申し出は数多くある。解体に10億円かけ、さらに10億円かけて新しい建物を建てるなら、民間の資金で活用したほうが県にお金が落ち、税収にもなる。そうした提案が多方面からなされているのに、「利権で決まっている」と噂されている、と中野は言う。中野がこの問題に声を上げると、地元の人々から「じゃあお前が買ってみろ」「金もないくせに人のふんどしで相撲を取るな」と言われた。
このとき中野は、すぐに動かせる100億円があれば「じゃあ買います、これで文句ないだろう」と言えたのにと思い、悔しかったという。いくら発信力があっても力がなければ救えない、と語った。自分にできることは選挙で応援できる人を通すことくらいだという。県議会には「超大物」がいると言われており、ある政治家の名前が利権の主として噂されているとも話したが、それは自分が言っているのではないと断っている。香川県には国政政党の党首クラスが玉木雄一郎と小川淳也の2人いるが、この件については2人とも触れられないという。中野は玉木と対談したことがあり、玉木も全く話せなかったと述べた。
業界の収益構造を変える
では、今一番欲しいものは何か。中野は「仲間」だと答えた。中古車業界を良くしたい。そのために会社を大きくすることが正解だと考えていて、それ以外のモチベーションは今はないという。
中野が問題視するのは、良い車屋ほど割を食っている現状である。客の多くはカーセンサーやグーネットで安い車を探して見に行くため、業者にとっては安く表示することが極めて重要になる。しかし車には原価があり、ネットで安く出ている車の多くは原価を下回っている、と中野は言う。その場合、オプションを売りつけるか、傷の多い車を出すかしなければ商売は成立しない。
中野によれば、BUDDICAの粗利率は13〜14%ほどで、業界ではこれでも高い。店頭にある水色の80万円ほどの車でも、利益は5〜6万円程度だという。それでも同じ条件で調べると、BUDDICAより安い車が5台、10台と出てくる。中野は、1台あたりの利益が15%を切る商売は世の中でも最も利益率が低い部類で、野菜くらいではないかと話す。しかも車は壊れ、アフターサービスの電話対応などで人件費が出ていく。だから業者が必要な利益を正直に示し、値上げしていかなければ、サービスが悪くなり、騙される被害者が出る、と中野は主張する。実際、前年に売上100億円規模の車屋が倒産し、8億円ほどの債権が残り、代金を払ったのに車が届かないという被害が出たという。「そこそこでいい、やっていける商売にするのが僕の仕事」と中野は言う。
中野は業界の規模にも触れた。自動車産業に従事する人は500万人ほどで、日本最大の就業人口だという。今は新車より中古車の売買台数のほうが多い。多くの産業が人口減少で縮む一方、中古車は不景気で新車が買いにくくなり、車の性能も上がっているため伸びている業界だと中野は見ている。そこで今のポジションを取れた以上、「死ぬまでやりきらないと」と語った。
三谷は以前の取材をきっかけに初めて車を買い、子どもが後部座席で寝ると妻と話す時間になる、音声を集中して聞ける、と良さを語った。中野は、ドライブは人生最高のエンタメであり、今でも一番コスパのいいものだと応じた。
欲しいものリストと子どもたちへ
最後に中野は、ギャラ5万円の代わりに施設の欲しいものリストから洗濯機を選び、残りでコードレスの家電も選んだ。予算を少し超えた分は自分で出すという。選んだ理由は「時短できるものは重要」だからだ。稼いだら時間を買える、と中野は言う。
お金について、中野は、それだけではないが大事だと言う。お金がないと自分を必要以上に低く見積もってしまう。15歳で家を出た後、20万円の給料を使い切り、残り10日間を金なしで過ごしたことは何度もある。電気代が払えなかったときは「死にたくなりますよ」と言い、自己肯定感も大きく下がったと振り返った。
自分の子どもには、稼ぎ方というより「お金も影響力も力も、自分より弱い人を助けるためにしか存在しない。そのために稼ぐんだ」と繰り返し伝えているという。その話をすると、子どもは勉強をしたり、スクワットを始めたりするのだと中野は笑った。
つい最近、初めてお金が欲しいと思ったんですよね。今すぐパッと使える100億円があれば、あ、これじゃあ買います。100億円でこれじゃ文句ないだろうっていう使い方できたなっていうのは思いますね。昔はだから、自分が友達と同じように、友達が持ってるもの持ってないんで、仲間に入れてもらえないことって結構あったんですよ。
IQテスト昔やってました。で、それがなんかすっごい良かったらしくて、付属に行くべきじゃないかっていうような話があったんですよ。実は。親の負担になるじゃないですか、それ。行きたいけど行っちゃダメなんだろうなっていうのをこう飲み込むわけですよ。
中卒の自分は土木の仕事始めて、15からもう家出るんですよ。僕、夜派手に遊んだり、女の子抱きまくるとか。お金持ってるんで、人よりいいもの持ったら人が集まってくるって思ってたんですよ。集まってくるんですけど、そこで集まってきた仲間たちは僕が欲しいもんじゃなかったんですよね。
だから俺のこと利用してるじゃんみたいな、俺からお金取ろうとしてるだけじゃんっていう人たちがいっぱい寄ってきましたよね。
中野さんが大好きだったビッグモーターじゃなくって、ニュースに出ちゃうビッグモーターの前兆があるような状態。
前兆ですね。僕の父親がぼったくりに遭うんですよ。お客さん騙したりして金儲けてる会社のそのお金で養いたくはなかったっすよね。やっぱりね。
大物の政治家の名前がちらついてて、ずっとあの人が売り県らしいよってされてて。玉木雄一郎さんと小川さんいるんですけど、国政政党の代表2人がもう全く喋れないです。
それじゃボディガード必要になりますね。
そうですね。これは悔しかったっすね。腹立ちましたね。力がないなっていう。やっぱこれはいくら発信力あっても。
すいません。ありがとうございます。めっちゃ暑いから。これで。あ、いいですね。こんな感じで。
めっちゃ綺麗ですね。BUDDICAのお店。
いや、ここでもね、一番荒れてるんですよ。
荒れてるんですか?
ここ1番荒れてる店。ここ大変なんすよ。平日でもずっと予約が止まんなくて。ここ関東にまだ店が少ないんで。この店は実は600坪しかないんだけど、BUDDICAの2000坪の店と同じだけの売上。通常店舗の2倍ぐらい売り上げるっていう。
関東の人たち、東京の人とか含めてここにやってくるとこですか?
そうなんすよ。
へえ。すごい。
そこはやばいっすね。
で、この企画が、当時手に入らなかったものとかを語ってもらって、で、最後に児童養護施設の欲しいものリストを、ギャラの代わりに払おうっていう企画なんですけど、中野さんがXで「仕事と家族なら家族100取れ」みたいな投稿を見て、あ、それはぴったりだなと思って、やってもらいたいと思ってオファーしちゃったっていうか、お願いしちゃったんですけど。
光栄です。ありがとうございます。
欲しかったもので、当時手に入らなかったものを語ってもらうんですけど、幼少期、小学生ぐらいまでの間で、欲しかったけどっていうものありますか?
僕、周りが、中国地方で田舎なんですけど、周りが金持ちの子多くて、自営業とかお医者さんの息子とか、羽振りのいい人が多かったですね。土屋さんの息子とか漁師の息子とか社長の息子とか系が多くて、だから家に船があったり、家が大きかったり、車があったり。そういうのが多かったんで、何かとうちにないものを周りが持ってることは本当多くて、それはすごい羨ましかったんですけど、1番欲しかったものは物理的なもので、やっぱ部屋がなかったんですよ、自分の。
ああ。
これはね、死ぬほど欲しかったです。
自分の勉強机とかはなかったですか?
えっと、厳密に言うと、親の寝室に僕と姉の机が置かれてるイメージですよね。だから机はありましたね。
家にね、父親が夜勤をしていたんですよ。工場勤務で。夜勤をしているので、昼は起こしちゃだめなんですよね。だから帰っちゃだめなんです。帰ってもいいんだけど、すごい静かに帰んないといけないですね。でも厳しいじゃないですか。僕、かなりADHDの子供だったんで、家でじっとしてられない、テレビもつけらんないんで、それは厳しいんで、ずっと外にいないといけないんですよね。居場所がないですよね、家に。
だから僕はすごい孤独だったと思うんですけど、居場所がないので犬と遊んだりね、海の堤防の上に行って、ずっと海の向こうを見てましたよね。だから、ずっと考える時間がとっても多かった子供ですよね。
え、それ何考えてるんですか?
なんかね、僕当時、結構勘のいい子だったっていうか、おませさんというか、考える子で、『東京ラブストーリー』とか、都会の恋愛ストーリーみたいなものを見て、現実自分が住んでるのは香川県のさぬき市津田町って人口5万6000人しかいない町なんで、全然ビルもないし、スーツ着てる人なんかもう会わないんですよ。全く。全然テレビの世界と現実のギャップがあるわけじゃないですか。で、これがなんかすっごい嫌で、あっちの方に行きたいなってずっと妄想してましたね。
覚えてます?『家なき子』とか。
あ、『家なき子』。はい。
安達祐実さんのあれとか見て、この子悲しいけど俺も悲しいかもと思ってましたね。なんか癒されてましたね。小学生からかんしゃく起こしたり、結構気を引こうとして色々迷惑かけてましたね。かまってちゃんだったんでしょうね、めちゃくちゃ。全裸になって道路で寝転んだりとかしてたらしいすよ。
え、全裸で道路で寝転んで。
育てるの相当大変だったみたいですけどね。
え、それってお父さんが昼間寝てるじゃないですか。お母さんはどんなことなんですか?
お母さんは共働きで、スーパーでバイトしたり、なんとかさんみたいなとこでバイトしたり、保険屋さんで働いたり、ずっと忙しそうにしてましたね。
大体友達とも遊びますけど、みんなちっちゃい頃って大体家族と土日だったらどっか出かけるじゃないですか。僕よく覚えてんのは、友達のとこに遊びに順番に行くんですけど、行って断られるの嫌じゃないですか。だから行こうとしたけど、出かけようとしてるんでパって隠れたりしてるのはよく覚えてますね。
だから1人で、今はダメなんでしょうけど、おじさんにもらったシュノーケルと水中メガネ持って、海に潜りに行って魚突いたり、釣りしたりね。で、魚をとにかく取って帰ったら母ちゃんに褒めてもらえるんで。それひたすらやってましたね。
かまってほしかったんですね。
あ、そうですね。
車とかはその時そんな憧れないんですか?
ありますね。
あ、あるんですか?その時。
それはね、近所の人たちが大きいハイエースとか、そういったトヨタの車とかに乗ってたんですよ。でうちには車がなかったんですよ。本当にちっちゃい、多分6歳か7歳まで車がなくて、で、僕は記憶ないんですけど、父親に、うちはなんで車がないんやということでかなり無理を言ってたらしいですね。
あ、それでお父さんもちょっと辛いっていうか。
だと思いますよ。これ大人になって聞いたんですよ。なんでうちに車があったんだって、父親に本当にこの3、4年前に聞いたら、お前に無理言われたんやと。うちはなんで車がないんじゃということで、僕が駄々こねまくったらしくて。で、母ちゃんの自転車の後ろで僕はずぶ濡れになりながら、いろんな病院に連れてかれてたんで、それでまあ、そうなったんでしょうね。僕ずっと車で遊んでたらしくて。
しかも香川だったら車社会だから、割と少なそうですよね、車ない家が。
そうですよ。みんな持ってたんで。うちは父親も母親も自転車で通勤できる、自転車で多分5分ぐらいの距離だったんで、それは必要なかったんでしょうね。だけどそれを欲しいじゃないですか。だから言ったらしいですね。僕は覚えてないんですけど。それでかなり無理して買ったらしいです。月の小遣い5000円だったから、1、2年貯めたぞって言ってましたね。
へえ。あ、お父さんの小遣いが。
そうですね。だからそれをあらゆるものを我慢して、現金で買ったんやって言って。
へえ。すご。
それは三菱のミニカっていう、3ドアでちっちゃい車で、真っ赤のミニカなんですけど。
へえ。軽ですか?
軽自動車ですね。後になって、そういうのってあるんだろうなと思って。自分が欲しいものよりも優先することってあるよなと思って。その息子が駄々こねた時にあらゆるものを我慢して、2年間とかお金貯めて車買ったっぽいんですよ、どうやら。で、それってあるよなと思って。それがもしかしたら俺の中古車の原点なのかもなと思うことにやっぱなるんですよね、結局。
すごい。それって何歳からこの車がやってきたんですか?お家に。
多分7歳とか8歳とか。だから僕がずっと考えてたのは、もう都会に行きたいなってずっと思ってましたね。
あ、それってもう小学生ぐらいからあるもんなんですか?東京行きたいみたいな。
そう思ってましたね。なんて言うんだろう。きっかけが実はあって、小学校の3年生か4年生の時にテストの、僕勉強は結構できた子だったんですよ。頭が多分割とできる子で、勉強はしたことなくても割と何でもこなせると。でIQテスト昔やってましたけど、三谷さんやってました?
あ、僕はやったことなかったです。
あ、そうですか。僕らこれIQテストって多分やってたんすよ、全員。で、それがなんかすごい良かったらしくて、なんかおかしいということでちょっと騒ぎになりまして。
あ、そう。すごすぎるみたいな。
すごすぎる、高すぎるぞみたいな。その地方の中ではでしょうね。で、これもう初めて言うかな、付属に行くべきじゃないかっていうような話があったんですよ、実は。
その頭脳を生かして、中学から?
先生がそうですね、中学から付属を目指すべきなんじゃないかみたいな話をですかね。当時、小学校からでも転入するべきじゃないかと。1個だけあるんですよ、そういうとこ。そういう話をどうやらしていたんですけど、親の負担になるじゃないですか、それが。交通費的なものとかあらゆるものが。で、それを察するわけですよ。あ、うちはこれ厳しいかもみたいな。行けなくはないんだろうけど、もちろん。だけど行きたいけど行っちゃダメなんだろうなっていうのを飲み込むわけですよ。
ああ。
で、これはね、母ちゃんに行きたいかって言われたんですけど、行きたくないって言うんですよね、僕はね。嫌だと。でも本人は自分で分かってるわけですよね。同級生とかよりは自分が能力が優れてるし、何を言っても分かるというか。みんながバカに見えてましたね、正直。小学校の頃は。自分の力をかなり抑えてたんで。だから、そっち行くべきなのに行けないから、もうどっか逃げたいなっていう。東京の方に行ったら本当に分かり合える友達みたいなもんができるんかなって思ってました、本当に。
すごい挫折体験ですね、それ。
挫折、我慢ですよね。
そうそう。だから別に自分の能力が及ばなかったわけじゃなくっていうか。
これ難しいとこですよね。だから自分の自意識は高いんで、僕は。自分は学校ではリーダーっぽい雰囲気出すし、俺みたいな感じでやってるのに、家の実態とちょっと。
ああ。
出木杉くんの家みたいな、スネ夫の家みたいな感じじゃないと、僕は多分嫌になってたんだと思います。自分は学校でこうやってるんで。
はあ、なるほど。
だからなんかハリボテですよね、当時言ったら。僕本当によく覚えてるんですけど、服が欲しかったんですよ。やっぱ田舎なんで、親があんま関心ない家って子供にその辺のもの着させるじゃないですか。うちもまさにそれで。周りの子が、一流ブランドってことはないんでしょうけど、いわゆるスウェット5000円ぐらいするやつですよね。ナキノとか、ミキハウスとか、子供向けのとか書いてるの見てて、あれが欲しかったんですよ、僕は。で、お年玉でそれを買って、それを1年間着るっていうのをもう毎年やってましたよ。お年玉で全部服買って。だから見栄はる子だったんですよね。
そっか。
だから今、ロゴドンおじさんとかを僕はディスしてる派なんですよ。シャネルよとか書くのはやめた方がいいよって言ってるんですけど、僕はロゴドンのクソガキだったんですよ、昔。でかければでかいほどロゴはいいと思ってたんで。俺はそういうの着れる人間なんだぞっていうのを小学生の頃もやってましたよね。
金持ちになってやるみたいな気持ちも強いんですか?
当時はむちゃくちゃありましたね。だから自分が金持ちになって家庭を持った時には、もう好きなもん買っていいよって言えるようになろうとはもう決めてましたよね。
へえ。あ、決めてたんですか?
決めてましたね。小学校の頃に欲しかった自分の部屋がもうずっと欲しいわけですよ。だからもう早く家を出て1人暮らしを始めたくて、中卒の自分は土木の仕事始めて、ワンルームの部屋を借りれるんですよね。15からもう家出るんですよ、僕。
そうだ。でも香川で、学校やめた子が金持ちになろうとすると、何すれば金持ちになるんですか?
いや、これがね、めちゃくちゃ大変で。15で高校やめて、土木の会社に入るんですよ。友人の父ちゃんが社長やってる会社に入るんですけど、普通に日当7000円みたいな、1日7000円みたいなとこから始まるんです、確か。1日一輪車押したりスコップやって。で、これはね、金持ちになんないんですよ、これやってても。
だからマックス21万すよね。
そうですね。なんないんですよ。で、僕は15から20歳までと、20歳から結局25までも土木するんですけど、15から20歳までは基本的にもうこれじゃ足んないんで、副業しましたね、当時。副業って言っていいのかどうかわかんないけど、割のいいバイトが来るわけですよ、時々。やんちゃな先輩たちからお小遣い稼ぎですよね。色々手伝ってくれないみたいな。でも犯罪に触れるようなことじゃないんですけど、例えば夜の店やってる先輩が、そこに来て歌えとか、可愛かったんで、そこ行って1日盛り上げろみたいな。16の頃とかも行ってましたよ。夜の街に、盛り上げ役として稼ぐとかね。1日で3万くれるんで。
え、それめちゃくちゃすごくないですか。
そうすね。ボトル開けたら1万あげるよみたいな、そういうのあるじゃないですか。キックバックシステムですよね。ああいうのは手伝ってましたね。ホストじゃないけどホスト的な動きをしてたんです。ノンアルでね。
へえ。
そういうのはもう無限に、いろんなことやってましたよ。いろんな先輩がね、18ぐらいの頃かな、昔携帯電話が0円だった時代知ってます?
え、0円だった?
携帯って0円だったんですよ。
あ、そうなんですか。
昔は買っても0円で、通話料で回収するモデルだったんで。それが特にソフトバンクがそうだったと思うんですけど、契約したら2万円くれるっていう時代があったんですよ。
へえ。
金くれるんですよ、契約したら。だからみんな3台持ちとか4台持ちとかしてた時期あったんですけど、その時ですよね。先輩が、携帯を売ってる先輩が、優作これ売ってきたら、ただで配ったら1万やると。で、俺に2万円入るからお前に1万円やるということで。僕めっちゃ顔広かったんで、それだけで例えば50人とか売れるわけですよ。年齢的にも、今から高校で携帯を持つかってとこに、俺から買ってよみたいな。なんかあれやってあげるからとかって言って。そしたらもうパッと50万とか入ってくるんで、これ土木より簡単じゃんっていうのはすごい思ってましたね、その頃。
営業みたいなことも10代でやってるんですか?
やってるんですよ。その頃裏でいろんなもん売ってましたよ。
インディーズで。
あ、インディーズで、というかね、それこそインディーズで話出たんですけど、CDなんか、レコード屋さんの先輩が売れないじゃないですか、全部。インターネットもないので。で、それ売ってきたらお金あげるよっていうので、CDとかも含めてね、売れないものは100円とかで、例えばZARDのアルバムとか。これ逆に言うと売れないんで、でも自分は、俺これ別に100円200円でも買うよっていう。でこれ5枚セットで1000円で売ってあげるとか、これ買ってよっていうかませたら、おまけでみんな買ってくれるじゃないですか。そういうのもやってましたね。
それ買ってくれる人はいるんですね。
そう、買ってくれた。もう無限に、商売うまかったんすよ。古着を買って、それを高く売るとか、当時からもうできてたんですよ。
へえ。遊べる金がなかったわけじゃないですか。え、その遊べる金があるようになって気持ち変わったんですか?満たされてるわけじゃないですか、お金的には。
これはね、いい質問すね。欲しいものが買えるようになるんですよね、そこでね。ブランドものとかね。でも昔はだから、自分が友達と同じように、友達が持ってるもの持ってないんで、仲間に入れてもらえないことって結構あったんですよ。例えば釣り竿とかね。みんな海釣り竿を持ってるけど僕は持ってないんで、僕はこの糸しかないんで、仲間に入れてもらえないというか、仲間に入れてもらえないってなるのがかっこ悪いから仲間に入んないとか。ゲームソフトもそうだし。
でも同じものをみんなで持ったり、もしくは人よりいいもの持ったら人が集まってくるって思ってたんですよ。で、実際にそれが起きるんですよね。みんなまだ大学とか行ったり高校行ってる時に、僕はお金持ってるんで、やっぱ奢ってあげれるじゃないですか。だから集まってくるんですけど、そこで集まってきた仲間たちは僕が欲しいもんじゃなかったんですよね。
あ、金目当ての仲間だから。
そうですよね。しがらみとか、変な人が寄ってくるようになって、俺のこと利用してるじゃんみたいな、俺からお金取ろうとしてるだけじゃんっていう人たちがいっぱい寄ってきましたよね。だから結局僕はもう20歳の時にリセットするんですよ。そこ完璧に断ち切る。
なんでリセットした?
もう嫌になったんですよね。付き合いってやつですよね。で20歳になると付き合いも増えてくの分かってたんで。酒も飲まされる、運転もさせられる。だから僕はそれ全部リセットすると。数ヶ月大阪に逃げるんですよ。
あ、大阪に。
そう。一応昼は土木の仕事してプラス副業やってたんで、その昼の土木をやめて大阪に逃げるんです。一旦逃げて、でも大阪でやっぱ遊んじゃうわけですよね。大阪にいきなり行くと大都会なんで、クラブに行ったり、友達とか転々として遊んじゃって、でお金もなくなっていくわけですね。ちょっとばっかりのお金もなくなっていって。
で、その頃ぐらいですよね。20歳でどうしよっかなと思ってる時に、大晦日に家に帰るわけですよ。自分の家じゃなくて、なんとなく実家に。久しぶりに、本当に2、3年ぶりぐらいじゃないかな。実家に。自分の部屋のない実家に。そしたらやっぱ家には用意されてて、お正月のおせち的なものが。2、3年も来てないのに。でなんかやっぱほっとするわけですよね。地元に帰ってきて。
で、あ、俺が欲しかったものはこれかもしんないという風に思うわけですよね。夜派手に遊んだり、女の子抱きまくるとか、そういうものじゃなくて、帰る場所というか、そういったものが欲しかったのかもっていうのに気づいてくるわけですよね。
早いですね。もう20歳とかで家族の温かみたいなのが本当に欲しかったって気づくって。
いや、そうっすよね。15で出てる、一応5年外に出てるんで。で、その20歳の年なんで成人式があるんですよね。で、そこで中学の同級生たちと会った時に、僕はもう髪が肩くらいまであって、金髪で肩まであって、結構いい物着てるんですよね。だからそれはもうみんなにちょっと煙たがられたような感じがしたんで、あ、そっか、俺はこの5年間もうめちゃくちゃ間違ったとこ進んでたんだなみたいな。かなり高いとこに行ったのに、下りのエスカレーターに俺乗ってたんだって気づくわけですよね。
あ、そうだ。金は儲かってるけど、人望が減ってるみたいな。
まさにまさに。もうおっしゃる通りですね。で、みんなは未来に希望があり、大学の話とかしてるわけですよね。大学、就職の話とかしてるのに、自分はもう仕事もなく職もなく、大阪に行って帰ってきて、これから何しようかって時だったんで。ここで得たものは全然間違ったもので、随分時間を失ったなと思って、こっからまたもう1回やり直した。
ああ、そうすると、それで真面目に土木にまた取り組み始めるとか。
まさに。もう髪黒染めして、ばっさり切って。
ちなみに結婚っていつしてるんですか?
結婚30ですね。
あ、30。
30で結婚します。ビッグモーターに僕は26で入るんですよね。
そう。26で入ったんですよね。
はい。で、それは、土木ではやっぱり出世をしていくんですよ。田舎の大手で出世するけど、その限界を知るんですね。そっから上がもう年収はそうなんないって気づくんですけど、当時付き合っていた彼女が年収が自分より高かったんですよ。その現場監督の僕より。で、それはやっぱ僕としては申し訳ない。で、子供の頃に、子供に欲しいもの買ってあげれるような満足な生活をしてあげるためにお金が必要だって分かってたんで、それをさせるためには稼がないといけないっていうことで、ビッグモーターに入るわけですね。稼げる営業に。
で、それが今の奥さんなんですよ。で、今の奥さんと一緒になりたいっていう思いで、とにかく出世していくんですよ。とにかくもう、20歳から30ぐらいまでは、この人を幸せにするのはもうそれだけですね。
奥さんとは何年付き合ってるんですか?
えっとね、だから26からなんで4年間付き合って結婚するんですけど。で、今もだから18年ですね。厳密に言うと僕、20歳の頃からアタックしてますからね。20歳の頃に一目惚れして、その頃にアタックして振られてるんですよ。
あ、じゃあ、その20代は、今の奥さんに振り向いて欲しい6年間があるわけですね。
まあ、そうですね。その間他の女の子とも正直遊んだりしましたけどね。3回ぐらい振られてます、その間。
へえ。何が3回嫌だった?それちなみに。
それは、チャラかったから。
あ、そうか。チャラさを見抜いてたんですね。
そうです。もう根が全く張ってないよっていうね。どこにでも行く人に見えてたって言ってました、あん時。ジョブチェンジして、給料を増やして、立派な仕事するようになったら振り向いてもらえるかもしんないと思って、振り込みにまた入るんですよ。で、それで僕1年ぐらいやって、店長になるって時に、その手前でトップセールスになるんです。営業としてこの全国1番になるんですけど、その時に僕は告白するんですよ。そしたらやっと男らしくなったねっていう感じで、付き合ってくれることになったんです。
奥さん何歳?
同い年ですね。
同い年。すごいですね。なんていうか、それを結構冷静に見てる人だったんですね。
めちゃくちゃ冷静に見てましたね。だから僕が無双してモテる時に、奥さんの周りの子は僕のこと気にかけてくれてたけど、私全然無理みたいな。優作君チャラすぎみたいな。ごめんごめん、無理無理みたいな。電話番号も教えてくんなかったですね。
へえ。いや、なんで諦められなかったんですか?そのずっと振られ続けてた人に。
うん。でもやっぱ人間的にすごい魅力的でしたよね。自分のことを見た目とか、お金とかで全く心が動いてないというか。大体みんなが、例えば僕がみんなから人気がある人間だったら、みんなが欲しがってるもんって女の子ってみんな欲しがるじゃないですか。それは全くなかったですね。やっぱ自分の軸で考える思考のパターンが、自分が欲しいかどうか。人が欲しいから欲しいじゃない。人気な曲が流行ってる時に、自分だけは自分の好きな、誰も知らない曲を聞いたりしてましたね。
へえ。
そういうのにすごい惹かれましたね、僕は。僕は人に合わせる性格だったんで。
あ、人に合わせる性格だったか。
まあ、なんて言うんですか、人の顔色ばっかりうかがうのが、ちっちゃい頃からやっぱ先輩たちに怒られないように、人の顔色ばっかり見る人間だったんで。
すごい面白いバランスですよね。
そうかもしんないですね。だから僕、HSPも持ってるらしくて、すごい繊細なんですよね、実は。堂々としてるようなんですけど。繊細だから強く、防御力が、強がってるのも結構。心はすごいずっと繊細でやってきたんですよ、ずっと。奥さんに会った瞬間、なんかずっと手の上で、孫悟空みたいにお釈迦様の手の上で踊ってますね、今でも。
へえ。
で、もっともっと褒めてほしいから、もっともっと車売るわけですよ。頑張ってね。出世しないとと。そうするとやっぱり男は仕事だなって思ってくるんですよ。もう仕事だと。で、これがやっぱ面白かったんですよね。10代の頃から本気出す場所がなかったんすよね、やっぱりね。勉強を思いっきりやっても大学も行けないし、全部気を抜いてすかしてたんですけど、車はいくら売ってもみんなに称賛しかされないんで。それはやっぱ面白いでしょ。勉強頑張れない環境とか、頑張っちゃいけない環境にずっといたんで、頑張っていいんだって面白かったですよね。
それって車を売るのは土木の仕事と根本的に面白さ何が違うんですか?
なんかね、面白さで行けば、シンプルにお金が稼げるって、やったらやった分稼げるっていうのが1番、構造的に面白いんですよ。土木の仕事は、僕より成績が悪い人より僕の方が2倍ぐらい成績を出しても、その人は年間で3000万も稼がないけど、僕は1億円やる。でもそういう人の方が給料高いってことが起きるわけですよね。だけど車はやっぱり人の2倍だったら2倍になるんです、給料は。インセンティブなんで。
で、それがやっぱり1番面白かったです。やったら褒められるし、給料も上がるっていう。これが1番だったのと、あと途中でのめり込んでいくのは、ビッグモーターああいうことになりましたけど、当時は本当に、悪い車屋がいっぱいいると世の中には。で、あれを何とかしないといけないんだって創業者の兼重さんが言ってたんで。世の中にはメーターを巻き戻したり、事故車をそうじゃないって売ってるやつがいると。あれを何とかしないといけない。だから俺ら全国制覇するんだって言ってたんですよ。まだ全国30店ぐらいしかない時。それをね、200店舗、300店舗にしていくのはやっぱ面白かったですよね。
ああ。
そこでやっぱ中野さん頼むよって言われるのは初めてで、え、俺でいいっすかみたいな。
その当時のビッグモーターって、世間の今の状態と全く違ってて、やっぱりイノベーターですよね、完璧に。もう一気に行ってる会社なんで。僕が当時行った時は20店舗ぐらいしかなかったのが、そっから9年で200店舗超えるんで。日本一になるので。それは桁違いですね。当時売上数百億だった会社が4000億まで一気に行くんで、10年で。本当雰囲気ベンチャーですよ。
うーん。
世間で言われるあんなんなかったですもんね。ごまかすとか、そんなの絶対許されない。一発解雇の会社ですよね。クリーンだったし。
情熱すごかったんすね。
ま、会社はクソブラックですけど。社内的には。でもお客さんを何とかよくしようっていうモチベーションでできてるかどうかは別ですよね。それはやっぱ面白かったですよね。
そのめっちゃブラックな労働環境。それ奥さんは不満なかったんですか?
当時は全くなくて。妻も仕事してたんですよ。妻もキャリアってそれなりにあったんで、キャリアウーマンとまでは言わないですけど、しっかり仕事する人、仕事中心の人だったんで、割と何も言わなかったし、なんでもない中卒の土方上がりの子がビジネスマンになっていくのを見るのは今でも楽しいよって言ってますね。育成ゲームみたい。
そっか。
日に日に成長していくんで、1番僕のことを応援してくれてるし、楽しんでるんじゃないですか。特等席で見れるのっていいよねって言ってます。
これぐらいから、自分の会社持ちたいなとかって、20代は思ってますもんね。
全く考えたくないっていう。どっちかというと、いろんなしがらみとかがもう嫌だったんで、僕はやっぱ会社のナンバー2とか3とかが収まりいいんだろうなと思ってて。で、起業をするって決めたのは、僕は35歳で会社をやめるんですけど、その本当に1年前ぐらいですね。
あ、そうなんですか?
本当に1年前とか。
それまでは、企業の中だったらナンバー2ぐらいがいいかなみたいな。
そうですね。
幹部ぐらい、部長とか。ビッグモーターが成長してく中で、あ、自分はこういう能力ないんだな、なんか悔しいなみたいな思いしたことないんですか?
政治力はなかったすね、やっぱり。上手にできなかったですね、やっぱり。
政治力。上手にできそうな気もするんですけど。
そう、最初上手にやってたんですよ、社内政治。要するに、すごい力を持った人がいて、その人とうまくやってたんですよ。下に入って。だけど、やっぱ社長が、僕の方が能力が高いので、こっちに来るんですよね。中野、中野って。電話する相手が、Aさんに行ってたのが全部、中野さんってこっちに来るようになるわけですよ。で、それにやっぱ嫉妬がすごくなってきた瞬間に、全勢力を持って僕のこと追い出そうとするような動きがやっぱ起きたんですよ。
そこで多分、白旗を出してれば。もう僕は〇〇さんの下でケツの穴舐めます。もう出世はしませんから安心してくださいって言っとけば多分大丈夫だったんですけど、僕はやめてくれって言うわけですよ。ふざけんなよって。こんなことやってないで、お客さんのための仕事させてくれとかって僕言うんで。それでやっぱバーっとあって、それがやめるきっかけになっていくんですよね、結局。いじめですよね。
中野さんはぶつかっちゃったじゃないですか。ぶつからないで出世する人は、そうなった場合どうするんですか?ちなみに。
いやもうだから一生軍団ですよね。軍門に下って、ずっと入っていけば出世していきますよね。
そっか。で、その人が引退するのをちゃんと待つみたいなこと。
そうです。
へえ。
でも世の中の会社は普通そうじゃないですか。着く人によってもう天国か地獄か。派閥がね、間違ってればもう。
はあ。
僕実は、子会社の社長に就任するわけなんですけどね。それがやっぱトリガーなんですよ。ビッグモーターの当時の社長がいて、子会社の社長がいて、飲み会とか入社式とかあらゆるイベントで、最初の挨拶は社長がする、で、子会社の社長が締めの挨拶とか。やっぱ目立つんですよね。グループで行くとナンバー2っぽく見えるんですよ。で、ここに僕は行っちゃったんで、やっぱこれが思いっきりトリガーになっちゃって。で、いきなり来たんで、その時に、自分はどっちかじゃないですか。軍門に下るかブレイクするかですけど、これが会社にとって良くないことだって分かってたんで、もう僕は政治力ないなっていうよりは、もうやめようって感じですね。
へえ。
うん。で、なんか我慢できなかったですね。
許せんと。で、そこがきっかけに今のこのBUDDICAを作り出すって、なんていうか、元々別に起業したかったわけじゃないんですね。
いや、そうですよ。本当そうっすよね。
ビッグモーターを超えるってことですね。
そうなりますよね。はい。狂いましたよね、人生設計は随分。
でも生き生きしてるから良かったんじゃないですか。
もうね、誰でもできるチャレンジじゃないんで。それはもう結果的にはもちろん良かったですよね。
ちなみにお子さんはその時何歳ですか?
子供ね、35で生まれるんですよ。だからその途中で生まれるんですよ。バチバチやってる時に子供が生まれるんですよ。
その政治闘争で、やめるって決断するさなかに生まれるんですか?
1番きつくなった後に生まれてますね。妊娠してるのはもうちょっと前に分かってるんですけど。
え、それってどんな心境なんすか?だってビッグモーターにいとけば、この子を確実に養っていけるぞみたいな状況じゃないですか、収入的に。起業するって怖いですよね、本当に。
本当怖かったすよ。そんなこけるってこともないとは今思えばなんですけど、当時は生存率が10年後10%って、9割は潰れるって知ってたんで。自分がその1割に入れるかなって不安だったし、そこで奥さんと話すわけですよね。どっちがいいっていう話です。僕は腹決まってたんですけど、やっぱりその会社にいるってことは、そのお金は入るけど、自分の本意じゃない仕事をやらないと多分残れないと。それが1つ目で、2つ目はやっぱ自分がやりたいこと、やりたい世界を作るために会社を作るとか他の会社に入るとかっていうことで、やめるってことですよね。自分のやりたいことを本当にできる仕事に就くっていうのと、どっちがいいだろうねって話した時に、奥さんが「決まってるんでしょ」って言って。
ええ。
決まってるかもみたいな。で起業を選ぶんですね、結局。お金がなかったとしても、自分が本当に大切にするものを追っかけてる背中を見せる方が、子供にとってはいいだろうなって思ったんですよね。
お金があっても、お客さん騙したりして金儲けてる会社のその金で養いたくはなかったんすよね、やっぱりね。
当初の中野さんが大好きだったビッグモーターじゃなくって、もうニュースに出ちゃうビッグモーターの前兆があるような。
前兆ですね。事件は目の当たりにはしてないんですけど、前兆ありましたね。もうだから利益至上主義は思いっきりですね。
わざとさせて、倒す。
パンクはね、もうちょっと後なんですよ。パンクは3年後ぐらいなんですけどね。だからその頃は何が起きてたかって言うと、車検っていうものの平均単価をランキングで競ってたんですよ。車検って実は法律に合わせてやるんで、ランキングなんかつけたって、やること決まってるんで、人によって差が出ないじゃないですか。で、それのランキングをガンガンやって、下からゴリ詰めしてた時期なんですよ。整備部門が。で僕は部門が違うんですけど、これやばいよっていう。
だから車検って持っていったらどこに行っても一緒のはずじゃないですか。基本車検取るとこまでの、それを手心加えて値段上げるなんてできないはずなのに、それのランキングやって詰めるってことは、なんか売れってことじゃないですか。
はあ。ワイパー売れ、タイヤ売れ。
車検ついでに必要ないものを売り付ける営業をしろっていう指導。
そう。ちなみにこれはもう直接僕の父親が遭うんですよ。僕が店長してた店に行ってるのに、僕がいた店がぼったくったっていうあれですけど、結果的に、僕がビッグモーターに入る前にお世話になってた車屋さんに行ったら12、13万円でできる車検が、そこで25万円が出てきたんですよ。で、これするんかって電話がきて。僕が出ました。工場長出ました。ふざけんなって。この前替えたやろって。
なんか責任は感じましたよね。もう止めらんないんだっていう。自分がいた店なんで。その4年前とかには自分が店長してた店が、新しい店長が来て、俺がおった店ってこんな何年かで壊れるんだっていう。力不足っていう。それ実は裏話が、その頃実は僕、大手企業から誘いを受けてたんですよ。
あ、ヘッドハンティング。
ヘッドハンティング。だから年収もすごく条件が良かったんですよ。でもそこも同じになるんじゃないかと思ったんですよね。結局株主じゃなくて社長じゃなかったら、会社が固めた時に止めらんないんだなって。かなり限界に近いとこで、もう1人だけ結局村八分なんで、僕。だからもう思い切って起業することにするんです、そこで。
ああ、それ奥さん本当よく、妊娠中っていうちょっと不安定な時期に、仕事やめるかやめないかみたいな話でニコって言えましたね。すごい人ですね。
いや、そうっすね。いや、妻はすごいっすよ。で、その頃の話を最近聞いたわけですよ。いや、ほんまあのさ、ちょっと勇気を出して聞くんだけどと。
あの頃さ、だって子供がさ、お腹にいてさ、せっかくやっと我慢して俺のこと応援してくれて出世して、やっと飯食えるようになって、もうしばらく困ることないってなった瞬間、辞めて起業するってどんな気持ちだった?って、怖かったんじゃないのって僕は聞いたんですよ。だから、全然って言ってました。やりきる人だって知ってたからみたいな。
すご。
まあ、お金が別になくなることあっても幸せがそれで減ることはないって分かってたからって言ってました。
すごいっす。その、なんていうか自分に軸があるから関係ないですね。
そう、そう。そうなんですよ。他の多分普通の人たちはお金があったり家が大きかったり、今乗ってる車が古くなることが多分嫌なんですが、うちの嫁さんもちっとも気にしなくて。僕、だからポルシェのカイエンとか現行のベンツ乗ってましたけど、それから30万のプリウスに乗り換えるんですよ。そこにしても本人はもう全く。
はあ。
うん、いいねみたいな。プリウスもいいねみたいな言ってました。
そうで、その辞める直前で言うと、なんか自分の決裁権があればいいのになみたいな気持ちにもなったわけですか。それはないから出ていくというか。
まさにもう外から変えるしかないよねっていう。
へえ。
そう、だから本当逃げようとしたんですよ。本当離れたかったですよね。
だからね。あ、車業界からもう離れたいっていう気持ちになってましたか。
あの、本当1回バディカっていう会社名決めて創業メンバーが決まっていくんですけど、本音は車やめたいなって思ってた。儲かるビジネスじゃないので、車って本当に。
うん。
本当に厳しいですよ。車、あの、利益率からしたら上場企業でも経常利益率やっぱ2%とか3%で、構造上儲かんないビジネスなんで。
あ、そうなんですか。
自分の才能使えばマネタイズはもうね、車以外に行った方が絶対。不動産とか、あの、いろんなね、ビジネス行った方がいいのはもう分かってたんで。
だからそれはもう急げですよね。結構そこ腹くくりましたよね、皆さんも車。
そう、そう。やめらんねえなみたいな。僕が誘ったやつがいるわけですよね。
はい。
僕が誘って会社に入れたやつとか、車業界面白いよって引っ張ってきたやつらがいて、そいつらが結婚して子供ができてるわけですよね。で、こいつらが、え、車辞めるんすかって言うんですよ。俺のこと呼んどいてっていうわけですよ。
は。
やり切りましょうよって言うんですよ。そいつらが後に全員バディカに来るんですけどね。
へえ。
それがやっぱ辞められないっすよね。やっぱね。
え、最初始めた時、1人とか何人か?
本当のスタートは1人ですね。
へえ。で、そこからはどうやって仲間を作ってたんですか?
なんかね、面白くて来てたんですよ、みんな。様子見に。
うん。
様子見に来るんですよ。なんか車1人で洗ってたら仕事の帰りにちょっと寄ってくるんです。中野さん元気っすかみたいな感じで。1人、まあ僕が面倒見てたやつが来るんですよ。そいつがまさに社員番号1番の渡辺ってやつなんですけど、彼が元々営業してた店で先輩のパワハラで辞めるっていうとこを僕は察知して、別の店だったんですけど僕が助けるわけですよ。お前うち来いって言って僕が引っ張って、それからの仲だったんですけど。
そいつが僕のことやっぱ心配してくれて、なんか、1人で無理しようって言って、黙って洗車し始めるわけですよ。
ええ。
黙って。いや、1人でこれ全部洗うんすかって言って、ひゃひゃって笑いながら自分の好きなヒップホップかけたり差し入れ持ってきたりして、黙って手伝ってんですよ。こいつも同じで、僕のちょっと後に子供が生まれたんすよね。
それしてたんで、来てくれたら助かるなと思ってても誘えなかったんですよ、ずっと。でもまあ、もう休みの日は毎日手伝いに来るし黙ってやるんですよ。そしたら、まあ僕はいよいよテンパって、もう無理や、もう無理やってなるわけですよ。回んないですよね、1人で。で、そん時に中野さん大丈夫すかって言って、もうお前来てくれって。ああ、分かりましたって言って、あれ、来るんやみたいな。僕は半ばやけくそですよ。感情任せで。そしたら夜電話あって、嫁さんオッケー出たんで。
へえ。
来月から行っていいですか?みたいな。それが社員番号1番で、2番目が3ヶ月後に来るんですけどね。それがまた1人、また2人って増えてくるわけですよ。
うん。
ほんで2人目がそれ、長尾さんとかも同じで、僕は書類できないんで、そもそもADHDなんで書類苦手なんです。1人でやんないといけないじゃないですか。で、車って書類めっちゃ多いんで、もう長尾さんが来て、中野さんそれミスってるよとかって伝えるんですよ。無給で。
へえ。
で、いやもうやばいって長尾さん、これとかってやり始めるんですよ。で、まあ一緒ですよ。もうテンパって、これ無理だとか言ってき始めて、長尾さんもう手伝っていいよって言って来てくれたんですよね。だから社員50人までは、僕ハローワークにも募集出したことないんですよ。
そうです。全部リファラル。むしろやりたいですって来てくれたみたいな。
そうなんですよ。だからもうむしろ待機児童がいて、いやもう思い切ってもまだ席がないからちょっと待っといてみたいな。50人までもう本当それで。
すご。
来たいってやつがいるから九州に店出す、来たいってやつがいるから姫路に出すとかも。まだ金ないんだよ、待ってくれよみたいな。じゃあ今もお金ないから在庫出せないから、買い取りだったらできるよとか。
へえ。
そういうのね。
その天性のなんか、人から好かれるというより、なんていうか尊敬されるのってなんだろう。そうじゃないですか。
これね、これね、実は僕、それについては本当に最近知ったスキルなんすよね。僕の友達は、お前は昔から周りに人がいていいよなって言うんですけど、僕は実はビッグモーターを辞めたのが35ですよね。それまで会社の中でも本当に嫌われ者やってると思ってたんですよ。ずっと。
うん。
だから自分に仲間がいると思ってなくて、例えば店長会議って月1回必ずあったんですよ。全国の店長がぶわっと100人ぐらい集まるんですけど、その飲み会では僕はいつも1人になるんですよ。店長時代もエリアマネージャー時代も、みんな飲み行ってうわって行く時に、僕はキャバクラとか嫌なんで、僕は1人でもう1時間飲んだら1人でラーメン食べてたんですよ。で、俺は友達がおらん寂しい男やなって思ってたんですよ。人望は全くないと思ってたんですよ。
で、その頃にぐわって色々みんな引き連れて飲み行ってた人らが独立したら、そこの会社には行かずに僕んとこに結果的に来たんですよ。
へえ。
それなんでなのって聞いたら、みんな言ってたのは、中野さんはやっぱそのお金くれたりとかそんなんじゃなくて、仕事の仕方覚えさせてくれるし教えてくれるし、多分この会社で1番最初に破産するのは中野さんでしょって言うんですよ。多分俺らのことを切ることしないでしょっていう。
うん。
それじゃないですか?だから好きっていうより信用してるって感じじゃないですか?みんな僕の仕事とか僕の行動パターンを知ってるってことじゃないですか?みんなの給料を10万円にして自分が100万円をキープするみたいなことを絶対しないって思われてるって、めっちゃすごくないですか?それ。
いや、まあそれはでもありがたいですよね。実際あの、僕、だから会社員時代の給料に戻ったの2年前なんですよね。
うん。えっと、5期目ぐらいの給料はまだ会社員時代の方が大きかったんで、年商だから70億ぐらいやってる時でも会社員の時の方が多かったし、僕経費も使ってないんですけどね。
へえ。
だから車も、当時の方がまだ贅沢してます。だから僕より多いやつはいっぱいいましたよ。
へえ。
最初の2期目までは僕は1番給料少なかったんじゃないですか?3期目ぐらいまで多分ずっと。社員が全員で、本当に創業メンバーが全員、俺らの給料下げてもうちょっと取ってくれって5人ぐらいで言いに来た時ありました。
どんな気分になってるんですか?その会社を作ったじゃないですか。
はい。
何がモチベーションだった?
あ、でもね、それは最初の、もうやり始めて数ヶ月ぐらいで流通革命っていうのを掲げていくんですよね。
え、流通革命ってどういう意味なんですか?
えっと、車をポチれるようにするっていう。信用と信頼さえあれば、車屋に行って車を自分でチェックしなくても、中野さんだったら騙さないでしょって安心してればポチれるんじゃないかって思ってるんですよ。これも革命だろうと。中古車を見ずに買えるっていうのをやろうっていうことをやっぱやりたい。
それはやっぱりなんでかって言うと、中にいたら気づかないんですけど、外にいたら今度はビッグモーターアンチの人らとお付き合いし始めるわけじゃないですか。中古車屋の親父になるんで。そしたら、俺の会社嫌われてたんだって気づいていくわけですよ。
そんな嫌われてたんですか?
まあ、すごいすごい。お前らさ、みたいなむっちゃ言われてたんです。
へえ。
で、それに気づいていって、あ、俺はやっぱ間違ってたのかもって思ったんですよ。途中までは結構いいことでやってたと思うんすよね。
うん。
で、もうやっぱ自分が革命しないといけないっていうモチベーションですね。だから我慢してやろうと。
じゃ、そっか。さっきの1兆円企業みたいな、お金っていうよりはもっと業界をちゃんとよくしようっていうのが本当にちゃんと先に来てるんですね。
そうです。だから1兆円なんて正直もうどっちでもいいじゃないですか。
うん。うん。
もう今会社売ったら僕多分一生使いきれないお金入るし、僕そんなお金使わないんで本当に。だけど流通革命っていうのは、結果的に本当にみんなの理想のオアシスになるような車屋ができて、車がポチれるぐらい信用できて、プラスで値段も安心できて体験が満足すれば1位に絶対なるんで。ってことは今1位の会社が6000億、あの会社よりも僕らが優れていってなれば、結果的に時期がいつになるかわかんないけど勝つよねっていう。そうしたら彼らも成長してんだから1兆にはなるよねっていう。
てか1兆になるような逆算にならないと。それがお客さんの支持のパラメーターなんで、それやんないとねっていう。
今その車ポチれる具合で言うと、どれぐらいまで進んでるんですか?
はい。えっとね、実際台数で言うと、バディカダイレクトっていうの、僕らネットで買うっていうのが結局そのサービスになっていくんですけど、非対面で契約してる件数が月に1000台ぐらいになってきてますね、今。
へえ。あ、会わずに中古車買ってますもんね。
中古車です。
新車じゃなくて。
はい。内訳としてはね、800台ぐらいが僕らの買い取りで、200台ぐらいが僕らが販売してるんですよ。だからお客さんが見ずに買ってるのは200台ぐらい、もう買ってくれてます。
へえ。200台。
200台。もう200人は月に見ずにポチってる。実は話してはいるんですけど、この車で最終どうですかって、じゃあ買いますと。ずっとZoomとかでやるんですけど。
へえ。でも実質もう見てないですよね、車をお客さん。
そう、この信用された。
あのYouTubeを4チャンネル、4チャンネル毎日投稿ですか?
週の投稿ですね。だからどれかが毎日流れてるっていう。
あ、どれかが毎日流れてる。
はい。
中野さん、2週間密着するみたいな動画定期的にあげてるじゃないですか。
はい。はい。
あれきついですよ。ずっとやってますからね。2週間って密着、何でそうなったんでしたっけ?
えっと、まあいくつかあるんですけど、まず大きく言うと車のチャンネルが1個あり、車好きのあとニュートラルってコミュニティのチャンネルで、もう1個はフェニックスっていう車のコーティングのチャンネルがあるんですけど。で、あとサブチャンネルでビジネスのこと発信するチャンネルがあるんですね。で、このビジネスチャンネルの方で、まあビジネスをこう話してたんですよ。
まあ最近よくあるパターンと一緒で、女の子が、大学生が、中野さん、中野さんビジネスのこと教えてくださいと、僕が答えるってやってて、まあこれがすごい人気になって、チャンネル登録者も15万人ぐらい行って、多分再生のアベレージが10万ぐらい、ピークの時はずっと行ってて、ビジネスチャンネルとしては多分1番ぐらい多いぐらいになってたんですけど、これがなんか結構テンプレでめっちゃ広がったんですよね。
やっぱり僕の先輩とか後輩がみんなこの仕組みで、女の子に聞かれて答えるで、僕のサムネも全く一緒なのがもう超量産されすぎて、気持ち悪くなっちゃったんですよね、僕は。
あ。
僕が真似してるって言われ始めたんですよ。いや、逆なんだよねっていう。あ、見出したの僕なんだけどと思って。これが気持ち悪くなったの1つと、あとやっぱAIの台本みたいなのを読んでるように思われ始めてるじゃないですか。答えがあることを答える。
で、これがもう嫌で、もう僕はやめようって思って。やめようと思ったんですけど、世の中にどんな価値提供できるかなって考えた時に、リアルを届けてる人っておるんだっけっていう。僕の先輩たちとか後輩たち、全員経営者はそれっぽいこと言ってるんですよ。やってるかやってないかは別として。
いや、お前やってねえじゃんってことばっかりなんだ。
俺、じゃあ全部出したら、これ結構、年商200億の社長の1日ルーティンをもうずっと1ヶ月まるまる。いい時の1日出すんじゃなくてずっと出したら、これは価値あるんじゃないか、みんな知りたいんじゃないかって思って。僕が先に出すことでみんなが真似してくれてもいいし。もう1個は、1日中カメラで撮られてたら、僕は誰かが絶対いる状況だし、アリバイがあるんで、何か犯罪に巻き込まれた時に俺関係ないですよって言えるんじゃないかと思ったんです。
おお。
ボディガードも当時探してたんで。やっぱ業界のこう、なんて言うんですか、風穴開けようとしてる人間なんで、やっぱ命の危険はやっぱ常に感じてるんですね。
いや、やっぱり、まあ、ありえない話じゃないですもんね。
額がでかいんで。時価総額なんぼ飛ばしたと思ってんねんって、僕相当言われてましたからね。だからボディガードにもなる人で、カメラマンで運転手でっていうのがいれば、まあちょうどいいじゃん、みんなにも公開できるしっていう、こう一石三鳥ぐらいで。
あの、北さん体でかいんですね。
そうです。あの、もし僕が襲われそうになったらタックルするって。アメフトやってたんで。彼もキックボクシング習い始めたりしてるんです。
カメラと編集とキックボクシング。
そうですね。
ここ数年でなんか欲しかったけど手に入らなかったものってあったりするんですか?ちなみに。
物としては全部手に入ってるんで。あの、まあつい最近初めてお金が欲しいと思ったんですね。
お金が。それはあの、香川県で船の体育館っていう有名な建築が壊されようとしてるのがあるんですよ。政治力によって壊されてるんじゃないかっていう疑惑があって、それは世界中から結構注目されてる案件があって。で、これは県の税金を使って10億円かけて壊そうとしてるんですよ。で、これは国宝になるって言われてるんですよ。代々木体育館の兄弟建築で、丹下さんって有名な建築家が建てましたから。
で、これが壊されようとしてるのを、いや、税金使わなくても、もう買い取りますって言ってる人がいっぱいいるんですよ。だから重く浮きますよ。プラス、これ10億かけて壊した後、また10億かけて何か建てるわけじゃないですか。20億かかるんだったら、それしなくても、僕らのお金で県が持ってるままでもいいし、買い取ってもいいし、とにかく自分らでお金使ったら、それは県にお金も落ちるし税収になりますって提案を本当いろんな方が提案してるんだけど、これはもう利権で決まってるって噂されて、全国で噂になってるんですけど。
で、この時に僕は突っ込んでいったんですよ。これ何なの、これちゃんとしましょうよって言った時に、めっちゃ言われたんですよ。じゃあお前が買ってみろよって言われたんですよ。金もないくせに人の褌で相撲取るなっていろんな人に言われたんですよ。まあ地元の人だから。で、この時は初めて、確かに僕が今すぐパッと使える100億円があれば、あ、これじゃあ買います、100億円で、これ以上文句ないだろうっていう使い方できたなっていうのは思いましたね。これは悔しかったっすね。腹立ちましたね。
力がないなっていう。やっぱこれはいくら発信力あってもイキってても、そっか、ダサいなって思います、僕は。
え、有名な政治家の名前がちらついてて、ずっとあの人の利権らしいよって噂されてて。僕が言ってるんじゃないです。いろんなとこに出てるんで、名前が。だから、それはだからあれですよね。それぶっ壊す金と、あの建てる金をゼネコンとかに払えるからってこと。
まあそうっすよね。
はあ。
そういうものに立ち向かうには、何でもいいからポンって出せるキャッシュは必要なんですね。
って思いましたね。
やっぱある程度持ってないと、やっぱこれは力がないと救えない。まあね。だから、僕がやれることは選挙とかですよね。選挙で自分が本当に応援できる人を通すことしかできないわけですけど、それは力やっぱ必要だなと思いましたね。むっちゃ悔しかったっすね。
ストレッチっす。香川県知事に誰か中野さんの思いを共有する人がなったら阻止できるとかでもないわけですか。
そうですね。県議会の超大物がいるって言われています。
へえ。
もう県知事も。香川県って超大物、まあいわゆる国政政党の党首が2人いるんですよ。玉木雄一郎さんと小川淳也さんいるんですけど、この2人が喋れないんで、この件については触れられないんで。
ええ。
玉木さんと対談してるんで、よかったら見てください。玉木さんも全然もう喋れないですよ、この件に関しては。
あ、喋れんのや。闇怖いんやっていう。国政政党の代表2人がもう全く喋れないって。そりゃボディガード必要になりますね。
そうですね。はい。
そっか。え、じゃあ今欲しいものってことは、本当にそれ、お金ってことは?
あ、でもうん。今どちらかというと、今やっぱこう仲間が欲しいですね、やっぱり。
へえ。
あの、こう、中古車業界をやっぱ、なんて言うんですか、勝手に背負ってるって言われるんですけど、やっぱよくしたいっすよね。やっぱ僕らが会社を大きくすることがやっぱ1つのこう正解だと思ってることをやってるんで、会社でかくしたいっていうのが僕の今のモチベーション。これ以外何もないですね、今は。
ああ。今の世の中にある、これちょっとまだ正解じゃないんじゃないかみたいな、補足できるんじゃないかなってポイントはどういうとこなんですか?
車屋さんですか?
はい。
いや、まあね、そのいい車屋さんが割を食ってるのが現状です。ほとんどは車の商習慣自体が、この商売の流れ自体が、基本的にはカーセンサー、グーネットっていうネットで見て安いところに見に行くっていうのが商習慣なんで、こうなるとやっぱり安く表示するってことがめちゃくちゃ重要なんですよ、やっぱり。
うん。うん。うん。
安く表示するなんてことできないんですよ。車には原価があるんで。でもカーセンサーとかネットで安く出てる車を買いに行くと、それって原価より安いことがほとんど。で、それどうやって売るのっていう話で、やっぱここにはオプション、まあいろんなものを付けて売っていかないと、もしくは傷がもうめちゃくちゃあるとか、傷代払ってくださいとかってやんないと、まあ成立しないんですね、基本。
ああ。
だけど元々、だから僕はこの辺、あの、今目の前にある水色のありますよね。あれ1台売っても多分粗利5、6万円ですよ。
へえ。
80万円ぐらいの車って5、6万円しかないんで。
そうなんですか。
これでも僕らのが1番安いかって言うと、僕らより安い車が5台10台出てくるんですよ。
うん。
それって、じゃあどうやってんのって話じゃないですか?悪いとは言わないんですけど。だけどそれはもうやめにしませんかっていう。車屋さん、それ誰が得すんのっていうね。明らかに、僕らがもう公開してますけど、粗利率、車は1台売って得られる利益は15%切ってるんですよ。うちが13%とか14%ぐらいで、これが高い方なんですよ。だから100万円の車だったら10万円、50万円の車だったら5万円なんですよ。
これって多分世の中の商売で最も低いんですよ。野菜ぐらいじゃないですか、多分。で、壊れますからね、こいつら。こいつら壊れる、アフターサービス付きで、その10%とか15%の利益でやんないといけない。壊れたんだけどどうすんの、え、タイヤパンクしたらどうしたらいいとか電話がかかってくるわけじゃないですか。
で、これってもうずっとこう人件費が出血していくんで、これはもうその収益構造自体を変えないといけないんですよ。
はあ。
これも絶対変えないといけないんで。これ僕らがちゃんと利益を言って、こんぐらいもらわないとやれませんっていうのを、僕ら値上げしていかないと。
うん。
お客さんのサービスが結局悪くなって、騙される被害者が出るんですよね。毎年のように大きい車屋さんが。この前も年商100億やってたところが潰れて、債権が8億円ぐらいだ。車はお金払ったけど届かないとか。
はあ。
で、これは生み出しちゃだめですよ。やっぱ車が儲かるビジネスにしないと。儲かるっていうのも、そこそこでいいんですよ。
やってけるじゃん。
やってける。
へえ。
やってける。で、それはもう僕の仕事ですよね。
あ、ちょっと今、もうやってけないビジネスになりつつある。
やってけないんじゃないですか、今。
あ、でもあの、中野さんに最初インタビューした時は、あの、車を愛車にっていう、愛車を、新車を作らず愛車を作ろうってやってて、あ、まあなんかいいことだなと思いつつ、愛車を持ったことがなかったから、車持ったことがなかった人生だったんで、まあ良くないぐらいの気持ちだったんですけど。
はい。
あの、買ってみて。
はい。
やっぱいいですね。
あら、素晴らしい。
なんか、子供が後ろで寝たら奥さんと2人で喋る時間になるしさ。
うん。まさに。
確かに家とまではいかないけど、ちょっとプライベートな空間ですもんね。
そうですね。
普通に仕事で必要な音声聞くとか。
はい。
まあイヤホンで電車の中でも聞けるんだけど、なんか車の方が集中できるし。
ああ、できますね。
あと運転してるおかげで他のことしないから、本当に音声だけをずっと聞き続けられる。なんかいい。あ、買ってよかったなってことしかなかったですね。
素晴らしい。いや、そうですよね。僕はドライブを人生最高のエンタメにするって言ってるんですけど、人生でやっぱ1番コスパいいとやっぱ今でも思いますね。うん。
投資として1番コスパがいいだろう。うん。うん。
そうね。安くはないですけどね。そういう人を1人でも増やすのが僕の仕事だと思って。
うん。うん。
いや、本当良かった。
いや、良かった。すごい。
やっぱ日本の産業、これ、まあ大きい話はしたくないんですけど、自動車産業に従事する人って労働人口500万人いるんですよ。これ日本で最大人口なんですね。これ新車も含めて。この人口を支えてるのがやっぱ中古車のアフターマーケットなんで。
うん。
新車が今年間で売られてる台数より、中古車の売買の方が今多くなってるんですよ。だから、ここはやっぱやんないといけないですよね。
で、しかも日本の産業ってもう多分9割ぐらいシュリンクしてる、ほとんど人口動態によって減ってるんですけど、中古車業界って伸びてるんですよ、実は。
へえ。
え、不景気になっていくんで新車が買えなくなってきてるんで、性能も良くなってくるんで、中古で良くなってきてるんで、伸びてる業界であり、それは海外からのマネーもいっぱい引っ張ってこれる。これは世界における日本車は最強の角なんで。そこで今僕がこのポジション取れたら、まあやっぱやりたくはなりますよね。
伸びてる産業で、44歳っていう年齢で、この業界に風が吹いたところで、まだ戦って勝ち残っちゃったら、まあそれはもう死ぬまでやりきらないと、こんなチャンスないじゃないですか。
うん。うん。
だからもうこれはね、ここの1番はやっぱやる価値があるし、求められてるし、僕もやりたいですね。
え、わかんない。中野さんは何歳の時に1位になってそうですか?
いや、一応僕の計画では、えっと、2040年。うーん。だから、えっと、14年後だから58歳で一応1位になってますね、多分。
へえ。すごいっすね。14年後をもう見据えてるんすね、この2040年。
はい。
あ、じゃあちょっと最後、2040年に大人になってる子供たちのために、ちょっとあの、養護施設の欲しいものリストをちょっと選んでもらうっていう。
あ、いいですね。
はい。
あら、Switchとか。
一応、だからギャラ5万円の代わりに5万円。
なるほど。じゃあ5万円以下で何が欲しいかな、みんな。大人になる人のために。
うん。
洗濯機か。いいな。
洗濯機でいきました。
いいっすね。
洗濯機か。あと、ちょっと注文確定っす。
おお。
これ多分7月20日。
うん。
か。あれ、来週か。来週くらいにもう届くんですね。うわあ、嬉しい。
あと2万円分ぐらい、なんか。
2万円。うわ、どれにしようかな。じゃあコードレス。
あ、コードレス。
ちょっとオーバーしますけど、これ出します、僕。
全然、あ、全然オーバーしてもいいっしょ。全然。
いいっすか?
これで5万円っすね。
はい。これで5万円です。
生活応援で。
はい。え、時短できるものは重要っすね。
あ、なるほど。
稼げるから。時間買えるんで。
そっか。洗濯機と。そっか。やっぱ稼いで欲しいなと思いますか?未来のこの。
そうっすね。やっぱね、時間をね、自分が。
そっか。
はい。
確かに稼いで。確かにあの、お金だけじゃないっていう。
そうっすね。
それもあるけど、お金大事っすよね。
はい。お金大事っすね。やっぱね。自信ができるんでね。やっぱね。
そうっすね。やっぱね、お金ないと確かに自分のことをなんか必要以上に下げちゃう時、絶対ありますもん。
いや、めっちゃあります。僕、金ない時ありましたからね。やっぱね。あ、飯食えんかった時きつかったな。家出て、食い扶持が、まあ15歳で家出てるじゃないですか。とはいえ、まあ20万の給料もらってて使い切って、残り10日金ないとかやっぱ全然経験してるんですよ。そんなの何回もやってるんで。あの、やっぱ電気代払えない感じ、やばかったっすね。なんかもう、死にたくなりますよ。
あ、そうか。え、そっか。さすがに中野さんでもそういう時、自己肯定感っていうか、ちょっと下がる。
下がりますよ。
うん。
あ、めっちゃ下がります。そういうのやっぱ経験してましたね。
大抵の、金で買えないものもあるし、金によって不幸になる人も多いですけど、大抵の不幸は回避できますもんね。最低限持っとけば。
そうっすよね。そうっすね。
息子さんにちょっとか、稼ぎ方とか教えてますか?じゃあ。
めっちゃ教えてますよ。
へえ。
あ、稼ぎ方っていうよりは、まあこのお金も影響力もその力も、それは自分より力の弱い人を助けるためだけにしか存在しないから、そのために稼ぐんだよって言ってます。じゃないとやれないじゃんっていう。
うん。
で、それをずっと言ってますね。
へえ。いいです。
勉強してます。そしたら。
へえ。稼ぐために。
スクワットとかし始めますよ。そう。
はい。
今日めっちゃ忙しいのにお時間。
いや、楽しかったです。ありがとうございます。北さんがでかいのは守るためだったんですね。
タックルね。
タックル。それ知らなかった。
生きてるって小学生から歌える人。
なればわかるわ。
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