岡田斗司夫が読む『機動戦士ガンダム』第19話「ランバ・ラル特攻!」:目線の演技、理不尽、そして50秒の一騎打ち

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概要

岡田斗司夫による「機動戦士ガンダム完全講座」の第54回から第57回、計4回分をまとめた約3時間の動画である。取り上げるのは第19話「ランバ・ラル特攻!」。約30分のエピソードに、2時間以上の解説を費やしている。

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岡田は、この回をドラマとアクションの両方が高い水準で成り立った回だと位置づける。前半では、アムロ、ランバ・ラル、ハモンが砂漠の酒場で出会う日常描写を、目線やしぐさの単位まで読み解く。後半では、グフとガンダムの約50秒の格闘を1秒刻みで追う。一見すると「主人公がライバルに勝つ話」だが、その下で何が描かれているのか。岡田はこれを、大人になってから見返して初めて見えてくるものとして語っている。

チャンバラの文法とリアルな兵器

岡田によれば、第19話はガンダムで初めて、アムロが強い敵と1対1で対決して勝つところまで描かれた回である。前半のガンダムは14歳の少年が戦場でなんとか生き残る話が中心で、強敵と正面から戦わせることができなかったという。

岡田は、ガンダムが日本人の好きなチャンバラや時代劇の「文法」を使っていると指摘する。名乗りを上げて1対1で戦うという古いロボットアニメの流れと、ロボットをリアルな兵器として描く方向性を、あえて両立させようとしている。リアルな兵器だけならロボットに刀を持たせるのはおかしいし、古い作法どおりならコクピットの叫び声が相手に聞こえてしまう。富野由悠季は両者の良いところを継ぎ足し、悪いところを打ち消し合わせたのだと岡田は見る。侍の風格を持つランバ・ラルにアムロが憧れるという流れも、チャンバラ物、時代劇、ひいては黒澤明という作者の発想が表に出たものだという。この回まで武器の一つにすぎなかったビームサーベルを、アムロが使いこなし始めるのもこの回である。

砂漠を歩くアムロの変化と、ホワイトベースの人手不足

冒頭、フードをかぶったアムロが砂漠で唇を舐める。岡田はこれを、わずかな湿り気で水場を探る砂漠の放浪者のしぐさとして読む。前回のアムロはゴーストタウンで盗んだ缶詰を食べて怯えていた。それに比べると、今回は何日も、あるいは何週間も砂漠にいて少したくましくなった姿として描こうとしている、というのが岡田の解釈である。水を求めて老人に追い払われてもいじけず、酒場では自分から「食事できますか」と声をかける。以前は大人の前で物おじしていたアムロの成長がここに表れているという。冒頭しばらく、風の音すらない無音が続く点にも岡田は触れている。

一方のホワイトベースでは、ブライトとミライが修理状況を確認している。岡田はホワイトベースの運用人数を試算してみせる。後の場面でブライトが「後ろのミサイルは?」と聞き、誰もいないと返される。各火器に担当者がいないと撃てない仕組みだということだ。岡田の見積もりはこうだ。ブリッジ、機関室などの運航に20〜30人、各種火器に20人程度、モビルスーツ整備に最低50人、ブリッジに10人、生活・医療に20人。これで約180人になる。8時間交代の三交代制なら400人を超え、交代制を無理にやりくりしても最低200人は必要だという。ところが作中でクルーが揃う場面でも50人ほどしかいない。夜中に誰かが舵を取り、順番に徹夜で見張るという状況は、この人手不足から来ていると岡田は説明する。

ブライトの焦りと、エヴァンゲリオンとの違い

岡田が第1回の見どころとして挙げたのは、ブライトとリュウの短いやりとりである。ブライトはリュウに、アムロのことをガンダムと切り離して考えるつもりだと打ち明ける。リュウは「やめとけ。その時のアムロ次第だからな」と止める。

岡田はここで『新世紀エヴァンゲリオン』と比べる。シンジが家出して電車の中で同じ曲を聴き続ける回は、アムロ脱走へのオマージュとして作られたと岡田は見ている。ただ、エヴァでは視聴者も作り手も主人公の感情にばかり気持ちが向き、ネルフの上の組織の大人たちが何に苦しみ、どこで踏ん張っているのかは描かれない。岡田はこれを「大人の視線が足りない」と表現する。対してガンダムは、脇役であるはずの人々が前に出てくる大河ドラマ的な作りであり、エヴァは主人公の気持ちにひたすらフォーカスする青春ドラマの作りだという。

岡田は第17話と第18話を振り返り、ブライトの視点からこの状況を組み立て直す。捕虜のコズンに「子供ばかりだ」とあざけられて尋問が成り立たない。アムロには命令を無視されてガンタンクで出撃される。コズンには素人集団と見抜かれて脱走される。独房に入れろと命じたセイラをリュウが勝手に出す。ランバ・ラル隊の襲撃ではミライが自分の判断で指示を出す。10代の終わりの青年が船一隻を任され、形の上ではリーダーなのに、いざという時に誰も命令を聞かない。岡田は、ブライトの焦りがこの時点で頂点に達していると言う。ブライトは「こいつさえいなければうまくいく」という思い込みにはまっており、岡田は自分にも覚えがあるが、たいていは間違いだと語る。

他方でアムロは、役割から逃げるつもりはなかったと岡田は見る。第17話でも深夜にデータを分析し直すほどやる気はあった。家出の半分は、実戦を分かっていない人間に命令されて失敗を責められるくらいなら、全部自分のリスクで一人で戦った方がましだという考えから来ている。第18話でマ・クベの採掘基地を一人で叩こうとしたのも、手柄を立てて堂々と帰るためだった。リュウの「やめとけ」は、いま処分のゴールを決めてしまうと、連れ戻したアムロをその方向でしか見られなくなる、帰ってきた時の変化で判断しろ、という意味だと岡田は解釈している。

無料パート後の追加解説で、岡田はこのアムロの家出を富野自身の経歴に重ねる。虫プロで主力が『ジャングル大帝』へ移り、『鉄腕アトム』の方が稼いでいるのにと苛立った。正社員にならずフリーを通し、テレビアニメを離れてCMの仕事に手を出したが、うまくいかなかった。結局「コンテを切るのが速い男」として日本サンライズに拾われた。一手柄上げて堂々と帰りたかったという流れがアムロと重なり、ガンダムは富野が自分の半生を清算しようとする誠実な作品だと岡田は言う。

ハモンの目線と「そうね」の嘘

後半では、ハモンの初登場場面を細かく読んでいく。ハモンがスカーフを取る場面では、2コマ目で目を閉じ、3コマ目で目を開け、4コマ目でまた戻る。たまたま目を開けただけならそこで終えていいのに、4コマ目で戻している。つまり一瞬だけアムロを見たことを示す演技だ、と岡田は言う。直後にハモンの主観でアムロへ視点が寄っていく。誰も気にしない汚れた14歳の少年に、ハモンだけが注目したことを印象づける演出である。横を通り過ぎる時にも、ハモンはもう一度アムロを横目で見る。

岡田はさらに、後で出てくるフラウのスカーフが「ダサい」ことにも意図を読む。前回のフラウはスカーフをしていなかった。わざわざ今回スカーフ姿で出したのは、大人の女のハモンとの対比を見せるためだという。アムロがハモンの前でフラウの手を離す演技も、その文脈に置かれている。ハモンはこうした目線のやりとりをランバ・ラルとは一切しない。20歳前後で初めて見た時の岡田はラルとアムロの男同士の戦いばかり追っていて、この演出に全く気づかなかったと振り返っている。

ハモンが店に「14人分」と注文すると、ラルが「1人多いぞ」と指摘する。ここで初めて部下たちもカウンターの少年に気づく。この世界でアムロはただの子供であり、誰も相手にしていなかった。ラルが「あんな子が欲しいのか」と聞き、ハモンは「そうね」と答える。当時のアニメ雑誌も視聴者もこれを文字どおりに受け取っていたが、岡田はハモンが返事の途中で一度目線を下に外し、またラルを見ている点に注目する。アニメの演技として、これは嘘をついている表現だという。ラルは子供を作る暇もなかったと思っているが、ハモンは「いい男を見つけた」と思っている。岡田の解釈では、ハモンはより強い男を見つけては乗り換えて生きてきた女であり、ラルを最後の男と決めてついてきた。それでもラルより強くなるかもしれない少年を見て、思わず目が行ってしまった。こうした演技は演技指定がないと絶対に出てこない、と岡田は言う。

限定放送の追加解説では、富野の人間観察は桁違いだと述べる。放送当時、富野はアニメ雑誌の取材にラルとハモンの関係を「愛人」と答えた。岡田はこれを、大人とは人間関係におけるフリーランスで何の保証もないということだと読む。ラルは一匹狼を名乗っても組織に守られており、ハモンこそ本物のフリーランスだという。そのハモンが最後はラルの仇討ちで命を落とす。そこが泣かせどころだと岡田は語る。一方で、この見方ができるようになったのは55歳を過ぎてからだとも述べている。

ロボットさえ出せば何をしてもいい時代

第2回の冒頭で、岡田はガンダムが放映された1978〜79年頃の日本の状況を話す。当時はエロ映画ブーム、エロ漫画ブームがあった。岡田によれば、それは日本人がエロ好きだったという話ではない。日本映画は予算が縮み、大監督の安全企画しか撮れず、若手に機会がなかった。エロさえ入れれば何をしてもいい場で、若い作り手が一般公開できないような文芸的な作品を作った。漫画も同じだったという。

日大芸術学部で映画監督を目指していた富野がアニメに来たのも、テレビ漫画で人間が描ける時代に賭けたからだと岡田は言う。高畑勲は『太陽の王子ホルスの大冒険』で東映を出るはめになり、『アルプスの少女ハイジ』を作った。その現場に絵コンテで参加した富野は、高畑に自分のコンテをほとんど使ってもらえなかったと語っている。岡田はこれを大げさな言い方だろうと見つつ、富野が高畑に演技観を否定された経験を持つと説明する。富野自身は、ガンダムでやりたかったのは名作劇場のような日常演技をロボットアニメの中でやることだったと、ファンイベントの打ち上げなどで語っていたという。岡田もイデオンのイベントの頃に本人から聞いた覚えがあるという。富野には人望はなくても「売れるロボットアニメを作る」という悪名はあった。だから、エロ漫画を作るようにロボットアニメを作ったのだ、と岡田はまとめる。

酒場の駆け引き:マントの下の銃

アムロは「ご好意は嬉しいんですけど、僕にはいただけません」と奢りを断る。ラルはここで初めて振り返り、「ハモン、一本取られたな」と笑う。「僕は乞食じゃありません」と言い返すアムロをラルは気に入り、自分からも奢ると言う。

空気が変わるのは、見張りのマイルが「怪しい奴を捕まえました」とフラウを連れてきた瞬間である。部下が連邦軍の制服だと言うと、ラルは「そうかな、ちょっと違うぞ」ととぼける。岡田は、制服のスパイは銃殺が当然の世界で、この時点のラルは子供を処刑したくないのだと読む。部下が「間違いありません」と言い切ってしまうと、ラルは「そうなのか、ハモン」とパスを出す。ハモンはラルを見たまま「この子のガールフレンドですって」と答える。

ラルはここで初めてアムロの正面に立ち、顔をまともに見る。睨み返すアムロの強い目に、ラルもハモンが気に入った理由を理解する。岡田はこれを、後にリュウが「野生の虎」と評するアムロの目だと説明する。ラルは「いい目をしている」と言いながら、目を動かさずにマントをばっと広げる。カメラがパンダウンすると、アムロの手が隠した連邦の銃を握っている。アムロは撃つつもりだったが、ラルが速すぎて固まった。ラルは「ますます気に入ったよ」と言い、「しかし戦場で会ったらこうはいかんぞ。頑張れよ、アムロ君」と背を向ける。

岡田が注目するのは、その後の各人の目線である。ラルは背を向けて表情を見せない。クランプはアムロから目を離さない。名もない兵士はラルを見て、なぜ見逃すのかと不満を抱く。ハモンだけは状況を気にせずアムロを見つめ、振り返ったアムロに手を上げて挨拶する。ラルとハモンは一心同体に見えて、別のロジックで動いていると岡田は言う。限定放送では、背中を向けたラルは子供と侮った自分への怒りを抑え、コズンを殺したのはこいつらかと思っていたと読む。クランプは番犬のように威嚇し、部下はラルが顎をしゃくった瞬間に撃てるよう構えている。その緊迫の中でハモンだけが平然としているのが恐ろしい、というのが岡田の読みである。視聴者の電助さんからは、股間に隠された拳銃を「まだ女を知らないアムロ」の暗喩と見る投稿や、アムロの回想のラルがハモンより大きく描かれている点を指摘する投稿が寄せられ、岡田は紹介している。

見逃しは策略だった:尾行とすれ違い

2人が出ると、ラルはゼイガンを呼び、後をつけろと命じる。「この辺りの連邦軍となれば木馬ぐらいしかおらん」。気に入ったと褒めながら脅して逃がせば、警戒せず基地へ逃げ帰るはずだ。岡田はこれをラルの戦略と見る。ここで岡田は、作画では身を乗り出して小声で囁く芝居なのに、声優のトーンが変わっていないと指摘する。アフレコ時に絵が間に合っていなかったためだろうと推測している。

外へ出たアムロはすぐフラウの手を離し、言い合いになる。アムロが突然バギーへ走ったのは、言い争いをジオンに聞かれたら立場がばれるので、早くこの場を去りたかったからだと岡田は読む。岡田の解釈では、アムロが手をつないだのは「馬鹿な恋人同士」を装うためだった。フラウはそれを当然の行為と受け取り、美人の前で手を離したと嫉妬する。「どんどん私から離れていっちゃうのね」は本気の台詞ではなく、反応を引き出す引っかけで、フラウは言った後にアムロの横顔を読もうとしている。アムロは戦争の理屈が分からないフラウを、フラウはハモンの色気に気づかないアムロを、それぞれ理解できていない。ロボットアニメと思って油断すると高度な人間ドラマを入れてくると岡田は言う。

アムロの回想と、騙されたという気づき

ラル隊は食事もそこそこに砂漠の真ん中へ移動しており、ゼイガンの暗号でホワイトベース発見を知る。トレーラーの幌の下からグフと、脚にミサイルポッドを付けたザクが現れる。ハモンの「あなた、ご無事で」は3回目なので、今回は車内の無線だけにしてある。ザクが歩き出すと車が揺れ、モニターが切れる。動きの少ない絵で状況を伝える説明のうまさを岡田は評価する。

砂漠に寝転がったアムロは、ハモンやラルの言葉を思い返している。その真上をグフとザクが轟音とともに通過する。アムロはフラウがつけられたと気づくが、岡田はここを、見逃してくれた大人の余裕に感心していた自分が利用されていたと気づく場面だと読む。ホワイトベースで認められなかった少年が、敵の強い大人に認められたと何度も味わっていた。その気持ちが打ち砕かれるからこそ、最後の「僕は、あの人に勝ちたい」が効いてくるという。

限定放送で岡田は、ジェット音を何度も繰り返して説明した理由を語る。ロケットマニアの富野や岡田にとって、実物の噴射音は想像よりはるかに大きく特異なものだ。監督の頭の中で鳴っているその音を伝えたかったのだという。また、会話を交わさないシャアはライバルとしての性格が見えにくかった。早い段階で会話させたラルによって、互いを意識する構図ができた点も、路線変更の成功として挙げている。

足からミサイルを撃つザクと、身体的な芝居

後半の戦闘では、グフが空に跳んでガンタンクの気を引き、その隙にステッチのザクが脚のミサイルで履帯を止める。岡田はこの場面を、ガンダムが「リアルロボット」である理由が最も分かるシーンだと言う。ザクはマシンガンの照準器で狙いながら、実際には脚のミサイルを撃つ。照準と発射が分かれているというメカ的なずれを一度見せることで、ロボットが銃を構えることの馬鹿らしさに理屈がつく。そのおかげで、後の剣豪小説的な一騎打ちもリアルに見えるという。

ステッチがタンクにとどめを刺そうとすると、ラルは「木馬を討ち取らねば我々の戦いの意味はない」と叱る。ハヤトはブリッジの許可なく「ガンタンクの上半身を強制排除します」と言い出し、砲台になると決める。ここで岡田が見るのは、ハヤトがコクピットの無線機ではなく、下にいるリュウの方へ身を乗り出して話しかける芝居である。ザクのメカ的なリアルさに対して、肉体的・身体的なリアルさを置いているという。分離した上半身は見晴らしのいい丘の上に丸見えで残る。一方、カイは岩陰に隠れて「そこから出た方が死なないで済むぞ」と消極的に言う。しかしハヤトに「弾丸があるんだ、やります」と返され、「へいへいご立派でござんすね」と言いつつ自ら敵を探しに動く。

リュウはコアファイターでアムロを呼びに行く。アムロはギャロップと戦いながら、グフ戦に備えてビームライフルを温存していた。アムロは「リュウさんが迎えに来てくれた」と喜ぶ。しかし岡田の読みでは、リュウはハヤトの男気に押されて呼びに来ただけで、この認識のずれが後につながる。ホワイトベースの背後に回ったステッチのザクは、ミライがとっさにエンジンを全開にした噴射で爆散する。エンジンを叩くグフは、ミライの背面飛行で振り落とされる。ここまで主観ショットが続いた後、ハヤトの「すごい、ミライさん」で一度カメラが引く。視聴者の緊張を緩めるとともに、命令系統の外で動いた者どうしが互いを認める形で、チームワークに近いものが自発的に再構成されると岡田は説明する。壊れたチームワークを、個々人が自分の判断で動くことで取り戻す。中高生向けとしても高度な構成だと岡田は評している。

限定放送では、足ミサイルの1カットの意味をもう一段掘り下げる。それまでの作り手は、ロボットに武器を持たせるのは馬鹿らしいとして拒むか、子供向けだからと割り切って嘘をつくかの二択だった。富野は、自分のドラマを持ち込むためにスポンサーの要求を全部聞くと啖呵を切った以上、馬鹿らしくてもやらなければならなかった。子供の中には、成長につれてロボットアニメの馬鹿らしさに気づき、離れていく層がいる。1カットで理屈を示せば、最初に離れていきそうなその層が逆に「ガンダムは違う」と味方になる、と岡田は説明する。

ガンダムの登場とラルの見切り

電磁鞭に絡まれたガンキャノンのカイが「もうダメだ」と叫んだ瞬間、ビームが鞭を断ち切る。ガンキャノンは両肩の砲の弾薬が誘爆しやすく、装甲もタンクほど厚くないからカイは怖がった、と岡田は補足する。ガンダムは水平飛行ではなく、狙撃姿勢のまま巨大なジャンプで飛んでくる。岡田はこの構図を思い切ったものと評価する。

限定放送では、この「ぎりぎりで主役メカが一撃を放って登場する」型の元ネタとして、富野が好きな『007 サンダーボール作戦』の水中戦を挙げる。岡田は『逆襲のシャア』で富野と仕事をした際、νガンダム登場場面について「これはサンダーボール作戦なんだよ」と本人から聞き、後でビデオを借りて納得したという。

ガンダムの射撃を、グフはわずかに体を傾けるだけで避ける。ラルは「正確な射撃だ。それゆえコンピューターには予想しやすい」とつぶやく。撃つ前に重心が動くので狙いが読める。これは機体差ではなくパイロットの差だと岡田は言う。ビームは砲弾と違って破片を撒かず、着弾の爆発も岩の瞬間蒸発による水蒸気爆発のようなものなので、軽くかわすだけで済む。これが科学好きには理にかなって見える、というのも岡田の見方である。鞭で接近戦に引きずり込まれたアムロは「どうせあと1回ぐらいしか撃てないんだ」とライフルを捨てる。有利な武器を手放すはずがないと舐めていたラルは、ここで「思い切りのいいパイロットだ。手ごわい」と評価を改める。

50秒の一騎打ち

岡田は、配信版で全長24分52秒のうち18分25秒から約50秒続く接近戦を、ロボットアニメの歴史を変えたと評し、時間を追って解説する。

ガンダムは左手に盾、右手にビームサーベルを持つ。グフは3秒かけてヒートサーベルを抜き、盾を捨て、腰を落として両手で斜めの正眼に構える。ここまでの姿勢変更に約6秒。岡田はこれを薩摩示現流、つまり「一の太刀を疑わず、二の太刀いらず」の構えだと見る。機体性能はガンダムが上であり、互角に持ち込むには盾を捨てて初太刀にすべてを賭けるしかない、とラルは判断したという。

大きな盾を構えて走るガンダムは動きが遅く、ラルはそれを未熟さと読む。グフは盾ごと胴を薙ぐが、切れたのは盾だけだった。モニターに赤い上向きの矢印が点滅し、ラルが上を見ると、盾の陰から跳んだガンダムが両手で大上段に振りかぶって落ちてくる。岡田は、上向き矢印の表示はロボットアニメで初めて意味のあるかっこいいモニター表示だったのではないかと言う。限定放送では「初めてというのは言い過ぎかもしれない」と留保しつつ、劇場版マクロスのロックオン表示と比べても、知識なしで分かる点でガンダムの方が圧倒的に分かりやすいと述べている。

ただしガンダムの斬撃は浅く、コクピットの前面を焼くにとどまる。盾と一緒に左腕を斬られてもいい覚悟で踏み込んでいれば、ここで勝っていたと岡田は言う。グフは即座に突きを返す。グフのコクピットは熱で溶け、ガンダムのガラスは打撃で割れる。岡田はこの壊れ方の描き分けに注目する。突きが見えたアムロは思わず後退し、間合いが開く。グフは片手に持ち替え、溶けた装甲を手袋の手で曲げて視界を作り、「操縦系をやられたわけではない」と、下から薙ぎ払う構えに入る。岡田はこれを『子連れ狼』で知った「あしずり」の構えと呼び、地面を擦るように、あるいは水辺の葦を薙ぐように下から払う剣だと説明する。ガンダムは脇構えで待ち、割れたコクピットの隙間からヒートサーベルが見える瞬間まで引きつけて、下から斬り上げてグフの両腕を断つ。

限定放送の補足で、岡田は機体性能の差とは関節モーターの反応速度と力の差だと説明する。ジオンの機体は体重の重い相撲取り型、ガンダムは軽いレスラーの空中殺法型だという。ジオンは厚い装甲のドイツ戦車的な発想から抜けられず、連邦は軽く大量生産できるアメリカ戦車的な発想だったのではないか、というのが岡田の見方である。最後の場面では、アムロはのけぞりたいのを我慢して姿勢を保ち、グフが斬れたと思った瞬間に自重でさらに沈み、下から払った。剣道の心得があったわけではなく、戦闘の天才ゆえだと岡田は語る。

勝ったのに負けた気がするアムロ

向き合ったコクピット越しに、2人は初めて互いの正体を知る。アムロは「やっぱり」と言い、「僕らを助けたのはホワイトベースを見つけるためだったのか」と問う。ラルは「まさかな。時代が変わったようだな、坊やみたいなのがパイロットとはな」と答える。岡田はこれを、性能さえよければ子供でも戦える時代に、自分の時代の終わりを感じた言葉と読む。

腹を立てたアムロは、両腕のないグフの背中にサーベルを突き刺して「どうだ」と言う。ラルはワイヤーのフックをガンダムに引っかけただけだった。爆発に驚いたアムロが自分から跳び下がったことで、結果的にラルを連れ出してしまう。相手の力を利用する柔道的なうまさにアムロは翻弄され続けていると岡田は言う。ラルは「自分の力で勝ったのではないぞ。そのモビルスーツの性能のおかげだということを忘れるな」と言い残す。限定放送で岡田は、ノーマルスーツ姿のラルと普段着のまま乗ったアムロの差にも触れる。保護板のない状態で目の前が爆発すれば下がるのは当然で、ラルはその力を使ったのだという。「夜になってハモンと合流するか」という独り言には、ラルの人間らしさが出ていると岡田は見る。一方で、ザクを失い補給もないラル隊は、この時点で実質的にゲームセットだったとも述べている。

独房という理不尽と「僕は、あの人に勝ちたい」

帰艦したアムロは独房に入れられる。ブライトは「どんな理由があろうとチームワークを乱した罪は罪だ」と言い、弁明は「聞くわけにいかんな」と退ける。リュウは「うぬぼれるな、ガンダムさえ戻ってくればいいと思ったからだ」と言い、カイも「その辺をよく考えるんだな」と去る。誰もいない廊下にアムロの叫びだけが響く。相手がいる時は見えていた目が、無人に叫ぶ場面では格子の影で隠され、表情が読めないように作画されていると岡田は指摘する。

岡田はこの結末を、正解のない理不尽な回だと言う。実際には、チームワークがなかったからこそ皆が助かった。それなのにチームワークの名で罰せられる。当時からファンの間で誰が正しいのか議論されたが、誰も正しくない、と岡田は言う。物陰でつぶやくフラウの「バカなアムロ」は、正論の通じない戦争の中で一人理屈を通そうとすることへの言葉だと岡田は読む。嫌になっても飛び出せない環境で、疑い合いながら生まれるのがチームワークであり、時には小賢しさを殺して我慢するしかない。

最後にアムロの脳内で、ラルの台詞が再生される。「ガンダムの性能のおかげで勝ったのだ」も「いい度胸だ。だからハモンに気に入られた」も、ラルが実際に言った言葉とは違い、アムロが言われたくないことに編集されている。戦う相手をラル一人に絞るための演出だと岡田は見る。「僕は、あの人に勝ちたい」と言いながらアムロは右手をゆっくり上げる。目元だけに光を当てる表現主義的な照明の中でのこの動作について、岡田は「意図は読み切れない」と認める。そのうえで、正解のない回全体と同じく、こういう時の人間がとってしまう行動としてリアリティがあると語る。ラルの側はアムロに勝ちたいとは思っておらず、できれば子供と戦いたくないと考えている、とも付け加えている。

限定放送で岡田は、リュウとカイの言葉の温度差を指摘する。次回カイは本当に家出するので、カイの言葉は本音だった。一方、リュウの「バカ野郎」はアムロの目を覚まさせるための突き放しだという。また、アムロがラルを勝手にライバルに仕立てるのは、理不尽な状況への対抗策だと岡田は見る。上層部やスポンサーに腹を立てたら終わりで、「高畑に勝ちたい」「くそ宮崎め」と戦う意味のある相手に怒りをすり替えなければ作品は作れない。富野は命を削って作っている、と岡田は語る。

数字ひとつにも無駄のない台詞

最終回の冒頭では、視聴者の指摘も紹介された。ホワイトベースが隠れる遺跡の背景が、ペトラ遺跡に似ているというものだ。岡田は、オデッサからはだいぶ南になり資料も残っていないので断定はできないとしたうえで、講座としては「ペトラ遺跡ではないか」ということにしておく、と述べた。

締めくくりのアップグレード解説で、岡田は、ロボットアニメのドラマは戦闘を見せるという最低限の務めを果たした後の余った時間で展開するしかない、と改めて述べる。『太陽の牙ダグラム』のような例外はあるが、スポンサーの玩具を売ると約束したガンダムはそうはいかない。その限られた中で、台詞がいかに無駄なく働いているかを示す例として、岡田は二つを挙げる。一つは、ラルの「サグレとマイルは見張りだ、交代を急がせる」。部下への細かな気配りと隊の統制を示すと同時に、フラウが見つかる伏線にもなっている。もう一つは、クランプの「13人だ」。これがハモンの「14人分」とラルの「1人多いぞ」を自然に引き出し、ハモンがアムロに向けた好意を浮かび上がらせる。数字は頭に入りやすいので、こういう場面で使うのがうまい、と岡田は言う。

次回は第20話「死闘!ホワイトベース」。ランバ・ラルはアムロの目の前で無駄に死に、その後ハモンが仇討ちに来る。「あの人に勝ちたい」と言った翌週には決着がつくという予告で、講座は終わっている。