「経営者に伴走する集合天才であれ」:島袋直樹と阿部俊介が振り返る理念、前提を壊す思考、10年の打席

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概要

M&A BANKの「阿部ラジオ」回では、Wellness X Asia代表の島袋直樹と副社長の阿部俊介が、台本なしで会社の近況と過去を語り合っている。話題は経営理念の刷新から始まり、島袋の言葉の出し方、困難な局面での発想法、20代の「怪しい研修」、10年前のサバイバル研修へ移る。最後は阿部の入社10年の振り返りと、新規事業での「タイミング」の重要性に行き着く。

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オフィスを構え直し、理念を書き直した

最初の話題は、会社が改めてオフィスを構えたことだった。阿部によると、島袋がシンガポールへ移住した2020年3〜4月ごろ、会社は丸の内のオフィスを解約して規模を縮小しようとしていた。そこにコロナ禍が重なり、社内は一気にリモート中心になった。その後少しずつ対面の会議を再開し、新たにオフィスを構えたことで、コミュニケーションが取りやすくなったと二人は実感している。島袋は、CLUB PILATESの出店などに追われてオフィスを後回しにしていたが、社員や株主から早く構えるよう言われていたと話す。構えてみると「無駄なロスタイム」がなくなったという。恵比寿ガーデンプレイスの地下1階にある新オフィスにはサボテンが6本置かれており、島袋はその理由を、まだまだ足りないという意味の「乾いた情熱」だと冗談めかして説明した。

阿部が次に尋ねたのは、湯河原での泊まりがけの社員研修で島袋が経営理念を刷新した理由である。同社はそれまでウェルネス事業に合わせたミッション・ビジョン・バリューを掲げていた。しかし島袋は、それが社内にほとんど浸透しておらず、経営者自身にも浸透していなかったと認める。文章が複数あると覚えられない、というのが島袋の見立てだ。比較に挙げたのはサイバーエージェントの「21世紀を代表する会社を創る」で、社員でも関係者でもない自分でも言える、と島袋は言う。そこで、分かりやすい一文の経営理念でよいと判断した。

新しい理念は「経営者に伴走する集合天才であれ」である。島袋によると、フランチャイズとM&Aは一見無関係に見えるが、どちらも経営者に伴走し、事業の入り口と出口を案内する仕事だ。自分たちが経営者に寄り添いたいと考えて事業をしていると気づき、それを文章にしたのだという。なおスタジオ事業は法人を分けており、別の理念を持っている。

理念が新規事業の判断基準になる

島袋は、理念の効用を「判断に迷ったら理念に沿っている方を選ぶ」「新しいリーダーが出たときに掲げるべきものが明確になる」という点に見ている。政党に理念が必要なのと同じで、まず理念があり、その次にビジョン、戦略、計画が続く。その順序を改めて大事だと感じたという。M&Aを目的に作ったわけではないが、Xでも発信したように、M&Aの際にも理念はあった方がよいとも考えている。阿部も、M&Aの場面でもなければ「あなたの会社はどんな会社か」と問われる機会は少ないと応じた。短く言えれば相手にも伝わりやすく、こねくり回して文字数を増やすと逆に伝わりにくくなる、というのが阿部の補足だ。

島袋が挙げたもう一つの効用は、社内のロスタイムが減ることだ。新しいことを始めるとき、「なぜうちの会社がそれをやるのか」という議論が起きがちである。島袋は仮の例として婚活事業を持ち出した。ピラティスや育毛剤の会社が婚活をやると聞けば無関係に見える。しかし「経営者に伴走する」という理念から見れば、経営者のプライベートや事業承継、とりわけ2代目・3代目の承継問題に特化した婚活なら「ありかもしれない」と社内で納得できる、と島袋は説明した。

短い言葉はどこから出てくるのか

阿部は、島袋が短くパンチの効いた言葉を考えるのが得意なのに、紙に向かって考え込む姿を見たことがないと不思議がる。島袋の答えはこうだ。人は文章の力で動くし、文章の力がなければ人は動かせないと本気で思っている。今回の理念もAIには考えさせていない。以前のミッション・ビジョン・バリューは事業体に合うものを探した面があった。一方で、人が覚えている言葉は自分の中から湧き出たものを文章化したものだ、という。M&A BANKについても、軸足は売り手側にあり「俺たちは売り手の味方だ」という、何を大事にするかを事業をしながら考え、それを言葉にしているだけだと話した。

阿部はその「言葉の力」を実感した場面として、自身が退職を申し出たときの経験を語った。「もうやめます」と送ると島袋からすぐ電話があり、翌朝8時に恵比寿でサウナに誘われた。そこで島袋は「阿部さんは俺にとって区間賞を取ってくれたと思っている」と言った。同社はかつて「経営は駅伝」というフレーズをTシャツにするほど使っていたが、当時はメインの言葉ではなくなっていた。阿部はその一貫性に驚き、この場面のために計算していたのかと思ったという。

島袋によると、区間賞の話は本心である。自分が育毛剤の会社で作れたのは月3,000万〜5,000万円程度だったが、阿部が代表を引き継いでから月1億円を超え、2億円近い売上になった。二人しか走者はいないが区間賞だ、と島袋は笑う。阿部は、島袋が深く考えていないのではなく、深く考えたうえで口にするのはほんの一部なのだと受け止め、島袋もそれを認めた。島袋は自分を、一本の矢で仕留めなければならない「狩猟民族」のタイプかもしれないとも表現している。

9回裏の満塁ホームラン

阿部は自分と島袋の役割分担を野球にたとえる。日々ヒットを打つのは自分で、9回裏の絶体絶命の場面で満塁ホームランを打ってもらうのが島袋の仕事だという。10年の間に「ホームランを打ってくれ」と頼んだ場面が何度かあったと振り返る。

最初の例は、創業1年目ごろに手がけた不動産領域のワンルームマンション比較メディアだ。自分たちでテレアポをしてクライアントを1社ずつ開拓したが、立ち上げから半年ほどは利益がトントンのまま伸び悩んだ。そのなかでクライアントが2社ほど抜けそうになり、赤字転落が見えてきた。阿部が相談すると、島袋はクライアントのもとへ同行し、阿部から見れば「さすがに言いづらい」突拍子もない提案を、当たり前のように切り出した。阿部は絶対に通らないと思っていたが、相手は受け入れ、大きな契約に変わって事業は一気に伸びたという。島袋はここで自分を長嶋茂雄タイプ、阿部を王貞治タイプだと冗談を言っている。

前提条件をいったんゼロにする

では、打ってほしいときに打てる再現性はどこから来るのか。阿部は一つだけ確かな共通点を挙げた。自分が「これはこういう理由でできません」と言うと、島袋は必ず「前提条件をいったんなしにして考えよう」と返す。積み重ねた思考の中でできないだけで、それを壊せばできるかもしれない、という発想である。

島袋はCLUB PILATESの加盟店開発を例に出した。コロナ禍で店が閉まり加盟営業どころではない状況で、米国本部からは、コロナだからといって加盟営業を止めてよいという話は聞いていない、制約の中でやれることを考えろと言われた。本部はスタジオのオープンを駐車場でやるといった案まで出したという。人々は動きたいはずだし、加盟候補者もいまは時間があるから営業しやすいはずだ、という理屈である。前提を変えてみると、実際に加盟営業は取れたと島袋は話す。うまくいかないときは前提条件が間違っているか、前提を変えれば可能になるのではないか。島袋はこれを何度も実体験したと語った。

「無能な社長初めて見ました」と可能思考研修

島袋がこの考え方の源として思い出したのが、20代後半に自腹で受けた「可能思考研修」である。本人も「ちょっと怪しい研修」と呼ぶ2泊3日のもので、「俺はできる」と唱えるような内容だった。費用は10万円ほどで、独立後で金がない時期だった。

受けた理由は二つある。一つは性格だ。島袋は自分を比較的優しい方だと言い、20代の頃は皆が決めたものをまとめる形の意思決定しかできなかった。もう一つは事業の失敗で、新規事業を4つ連続で外し、メンタル的にも資金的にも追い込まれて「自分は向いていないのではないか」と考えていた。研修で「すべては自分の責任で、誰が何と言おうと自分がやる、可能になるまでやる」と心に誓った瞬間に性格が変わった、と島袋は振り返る。そうして始めたのがフランチャイズの窓口の事業で、4回失敗した後の5つ目で初めて事業として立ち上がったという。学生時代のサッカー経験が思考の源ではないかと阿部が尋ねると、島袋は「全然ない」と否定した。

阿部がさらに持ち出したのが、タイトルにもなったエピソードだ。創業2カ月ほどの頃、最初に入った年上の女性事務社員から「無能な社長初めて見ました」と言われ、辞められたという。その人は、のちに上場するような規模の会社から社員2名の会社に来ていた。島袋は、決算も知らずPLもBSも分からない状態だったので、言われて「その通りだ」と思ったと語っている。島袋は、怪しいと思いながらも一度乗ってみるのが大事だと話した。研修の名前からして怪しいと思っていたが、騙されたと思ってやってみたという。

Do first, apologize later

この姿勢に関連して阿部が口にしたのが「Do first, apologize later」だ。米国のフランチャイズを日本に持ち込む際、ローカライズしなければならないが、しすぎると本部に怒られる。島袋が英会話の先生に相談したところ、その答えがこれだった。先生は米国でフランチャイズ経験のあるカナダ人で、まず行動し、何かあれば後で謝ればよいという意味である。ただし年齢を重ねると怒られたくない気持ちが出て、だんだんやりにくくなる、と島袋は付け加えた。

10年前のサバイバル研修

阿部が入社直後に参加したのが、約10年前のサバイバル研修だ。群馬あたりの山中で3泊4日、電子端末なしで過ごす。水は川へ汲みに行き、食料は生きた鶏を自分たちで締めて調達する。設定は「海外へ向かう飛行機が墜落して島に落ち、そこで生き延びる」というものだった。

参加の経緯は仕事がらみだ。創業間もない頃で、どんな仕事でも受けていた。研修会社の担当者から集客を増やしたいと相談を受け、島袋は体験者が出演する事例広告を提案した。しかし「きつすぎて誰も素材を撮らせてくれない」と言われた。そこで島袋は「自分たちがやりましょうか」と申し出た。阿部はこれを、前提条件を壊す思考の表れだと見ている。当時はブログで変わったことをしてバズらせる手法が流行っており、絵的に撮れると考えたと島袋は説明する。幹部5人ほどと、知人の岡本さんとその会社の幹部が参加した。

道中から波乱があった。岡本さんは買ったばかりの約1,500万円のポルシェで事故を起こし、前にいた阿部の車も追突された。研修では、切れないナイフで鶏を締めるのがつらかった。ダニや蚊に刺され、傾斜した山肌に敷いたブルーシートで寝ると体が谷側へ滑って皆が一カ所に集まった。明け方6時半ごろには鳥の声で起こされ、2日目の食事はザリガニだった。虫嫌いの参加者が発狂しかけた場面もあったという。島袋は、今ならもうできない研修だろうと話している。

阿部の10年

収録日は、阿部が島袋の会社に移ってちょうど10年の日だった。新卒で入ったGMOにも10年在籍しており、同じ長さを勤める会社はもうないと思っていたという。35歳で入社し、いまは45歳だ。阿部は「あっという間」で「いい10年だった」と振り返る。同じことをもう一度やりたいかと言えば大変なことも多かったが、この環境だからこそできた経験がたくさんあったと話す。

阿部は以前から飲食店をやってみたいと言っており、実際に飲食店を出して、飲食業の大変さを間接的に知ることもできた。ただしその店はコロナで立ち行かなくなった。もともと二人ともネット広告の世界で若い時代を過ごし、Webメディア、制作会社、Webマーケティング、通販と、その軸の中で事業を広げてきた。10年の後半はM&AやCLUB PILATESといった、まったく違う領域の仕事が多くなったと阿部は語る。

打席に立ち続けることと、エントリーのタイミング

島袋はこの10年から、「打席に立つ」ことの大切さを引き出す。前日に話した安藤さんは「選択と集中」を説いていたが、その人も横に広げていくつか失敗し、当たった一つが次のビジネスの種になっていると島袋は指摘する。ネットマーケティングの宮本さんも「12戦11敗」だったと話していた。島袋はここから、打席に立ち続けるメンタルと資金と組織が大事だと考えている。阿部も、M&A BANKはどれだけ早く打席に立ち、立ち続けたかで勝負が決まったと振り返る。始めて1〜2年目には「そろそろいいかな」と思った時期もあったという。

そのうえで島袋が失敗を経て分かったこととして強調したのは、タイミングだ。事業を単純に横展開するのではなく、その領域にどのタイミングで参入するかが大事だという。CLUB PILATESは2018年に始めたから今があり、ビジネス系YouTubeとしてのM&A BANKも8年前に始めたからポジションを取れた。誰かが成功してから2番手・3番手で真似しても儲からず、ポジションも取れない。皆がまだ気づいていないタイミングで入れば資金も集まる、と島袋は言う。投資家は市場を1位で取りにいく会社に出資すれば、競合する2番手には出さないからだ。阿部は、やりたいと思ったらやれない理由があってもやるのがオーナー企業の強みで、いちいち市場調査をしていたらタイミングがずれてしまうと応じた。

次の10年

次の10年の計画を問われた島袋の答えは「全然わからない」だった。35歳がつい最近に感じるので、55歳も一瞬で来るだろうから「ちゃんとしないと」と話すにとどまる。雑談では、鹿児島ロケ動画のサムネイルで島袋が痩せて見えたことが話題になった。島袋は9月25日の経営者向け格闘技イベント「武士道」のキックボクシングに出場予定で、来年はフィジーク大会を目指したいという。阿部は会社の副社長として、格闘技は今回で「やりきって」ほしい、フィジークならどうぞと釘を刺した。島袋もこれを引退試合にするつもりだと応じている。次の10年について島袋が明言したことは、もう格闘技の試合には出ないという一点だけだった。