『ファースト・マン』は月着陸の映画ではない:岡田斗司夫が読む「死の象徴としての月」とニール・アームストロング
岡田斗司夫アポロ11号の船長として人類で初めて月に降り立ったニール・アームストロングは、月着陸後はNASAに命じられて最低限のインタビューを受けただけで、2012年8月に亡くなるまで自分が何を感じたかをほとんど語らなかった。岡田斗司夫は、デイミアン・チャゼル監督の映画『ファースト・マン』を、その「語らない男」がなぜそうなったのかを描いた作品として読む。岡田によれば、この映画はアポロ計画や月着陸を描いた映画ではない。1961年に2歳の娘カレンを亡くしてから、1969年に月に着陸するまでの8年間を切り取った、一人の男の物語である。
この回は2019年2月17日配信の岡田斗司夫ゼミ第269回を再編集したもので、中秋の名月に合わせて公開された。元の放送時点で『ファースト・マン』の興行成績は公開第1週で8位と振るわず、IMAXで観られる劇場も減っていた。岡田は、あと10日ほどで上映が終わってしまうだろうと見て、見どころをストーリーごと話してしまうと宣言している。昔の関西の映画評論家・浜村淳が映画の筋をほとんど全部しゃべっていたのと同じやり方だという。映画とは別の角度から、実際のアポロ計画の史実を交えて事件を語る「番外編」という位置づけである。
なお岡田は当初、「ファーストマン」のアームストロングと「セカンドマン」のバズ・オルドリンの両方を話すつもりだった。しかしレジュメを作っているうちにオルドリンまでたどり着かないと分かり、この回はアームストロングだけに絞ったという。岡田は、調べれば調べるほどニールは正直それほど面白い人物ではなく、オルドリンのほうが面白すぎると話す。そのうえで、ニールがなぜ面白みのない、自分を語らない人物になったのかを描いている点に、この映画の面白さがあると見ている。
月は死の象徴、穴は墓:映画を読むための鍵
岡田は『ファースト・マン』を、文学性が強く、考えながら観ないと分かりにくい映画だと評する。最初のほうで起きる娘の死と月着陸がつながっていることは、全部観て初めて分かるという。そのつながりを読み解くヒントとして岡田が挙げるのが、映画に何度も登場する月である。
岡田によれば、太陽が生命の象徴であるのに対し、月は死の象徴である。これは西洋文学に限らず、東洋でもスタンダードな見立てだという。例として岡田は『エヴァンゲリオン』で綾波レイが月を背にして現れる場面を挙げ、『機動戦士ガンダム』のマ・クベ(字幕では「マル田」)も同様だと言う。月を背負って出てくるキャラクターは死ぬのだと、オープニングの時点で分かるというのである。
『ファースト・マン』でも月は死の象徴として出てくる、と岡田は読む。冒頭、ニールは2歳の娘と二人で月を見上げる。娘が死んだあとも、月だけがニールを照らし続ける。ニールが死にかけるたびに月が見え、月を見上げる場面が挟まれる。岡田はこれを、月が「早くこっちへ来い」と呼んでいるように撮られていると解釈する。死から逃れたと思って見上げると、月が恨めしそうにじっとこちらを見ている。そういう構造だという。そして最後、ニールはその死の象徴である月へ自分から向かっていき、着陸してその上を歩くことになる。岡田はこの映画を、そんな男の不思議な話としてまとめている。
もう一つのメタファーが「穴」である。カレンの葬儀の場面で、映画は棺が墓穴の底へ下ろされていくのを見つめるニールだけを映す。岡田によれば、これ以降、映画の中では穴が常に死のメタファーになる。穴があるとニールはそこを見てしまい、その穴は人を埋める穴として描かれる。
デイミアン・チャゼルという監督
岡田はチャゼル監督を、宮崎駿のエンターテインメント性と高畑勲の文学性を両方持つ珍しい作家だと位置づける。クリストファー・ノーランはチャゼルを強く意識していて、最も評価すると同時にライバル視している若手の筆頭だろう、というのが岡田の見方である。1970年代にスティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスが出てきたときのような存在だと捉えてよい、とも言う。
X-15の背景:戦後の軍縮と陸海空軍の縄張り争い
映画の冒頭には実験機X-15が登場する。岡田はこの機体の事故そのものは前回話したとして詳しくは触れず、その背景にあった軍の事情を説明する。
岡田によれば、第二次大戦が終わると、アメリカ軍は予算がかかるという理由で縮小されかけた。海軍は巨大な空母や戦艦を何十隻もキャンセルされた。陸軍航空隊は爆撃機の発注を失い、航空機メーカーはジュラルミン製の家庭用流し台やプレハブ住宅を売って生き延びようとしたが、倒産が相次いだ。陸軍航空隊は戦後アメリカ空軍として独立し、海軍に次ぐ大きな組織になる。
ところがソ連との冷戦が始まり核ミサイルが生まれると、空軍はどんどん巨大化した。地下のサイロの蓋が開いて飛び出す戦略核ミサイルは空軍の管轄である。岡田の説明では、陸軍は陸上の兵器として、飛来する敵機や爆撃機を迎え撃つ地対空ミサイルまでしか持てず、相手国まで届く爆撃機やミサイルは空軍の担当という仕分けになっていた。
海軍はこれに対抗して、弾道ミサイルを縦にぎっしり積んだ原子力潜水艦を考え出した。岡田は例としてアンドリュー・ジャクソンの名を挙げている。本土から撃つ大陸間弾道ミサイルは開発が難しく、基地の場所も知られているため真っ先に狙われる。原子力なら半年ほど潜りっぱなしでソ連に近づけるので、射程の短いポラリスミサイルでもモスクワに届くのではないか、という発想だったと岡田は説明する。
打つ手がなかった陸軍が考えたのが、原爆を撃てる大砲「アトミック・キャノン」だった。岡田はニューメキシコのホワイトサンズで実物を見てきたという。ドイツと日本を降伏させたのは敵と戦って占領した陸軍の力であり、陸軍はドイツ占領時に確保したヴェルナー・フォン・ブラウンのチームにアラバマ州ハンツビルでミサイル研究までさせていた。しかし、ソ連まで届く巨大ミサイルの開発は陸軍には許されなかった。岡田によれば、1957年にソ連がスプートニクを打ち上げるまで、この不毛な争いのせいでフォン・ブラウンのチームの開発は進まなかった。その間に空軍が宇宙へ縄張りを伸ばそうとして作ったのがX-15だ、というのが岡田の整理である。
X-15事故とエドワーズの干上がった湖
ニールはX-15のテスト飛行中、自動操縦装置の故障で機首が上がったまま大気圏に入ってしまう。本来は水平かそれ以下の姿勢で入らなければならない場面だった。岡田は、ニール以外のパイロットならおそらく死んでいたと言われている、と紹介する。ニールはぎりぎりでX-15をエドワーズの干上がった湖の底に着陸させた。太古には塩湖だった場所が乾き、平坦な地面が地平線まで続いている。
岡田は、このエドワーズの凸凹した地面が、ラストシーンの月面と映像的に韻を踏んでいると指摘する。死を逃れたと思ったら、乾いた湖の底という死の世界が広がっている。映画はこのように、常に死と隣り合わせのニールの8年間を扱っているという。
娘カレンの発病と、テストパイロットの日常
映画では順番が入れ替えられているが、岡田によればX-15事故の10か月前、1961年6月に、2歳のカレンは公園で転んだ。偶然の転倒だったが大きなこぶができ、その日から目が見えなくなった。
当時ニールは、シアトルのボーイング社の工場で、空軍がX-15の次に開発していたX-20ダイナソアに関わっていた。ミサイルの先に付け、宇宙まで行って折り紙のような機体で帰ってくる計画だったと岡田は説明する。岡田自身も昔訪れたというボーイングのエバレット工場は、ワンフロアとしては世界最大で、ジャンボジェットを6機同時に組み立てられ、工場の中にハンバーガーショップが14軒あったという。ニールは平日はこの工場に詰め、週末だけカリフォルニアの家族のもとに帰る生活をしていた。
カレンはカリフォルニアで検査を受けたあと、シアトルの専門病院を紹介された。そこで脳に空気を送り込んで膨らませ、X線写真を撮る検査を受けた。当時としては最新で、子どもにとっては非常につらい検査だったという。診断は脳幹腫瘍で、平均余命は1年半とされ、脳にX線を直接当てる治療がすぐに始まった。
その間もニールは、シアトルでX-20の開発に携わりながら、カリフォルニアに戻ってX-15やF-104のテスト飛行を続けていた。岡田は、当時のジェット機やロケット機のテストパイロットの死亡率は24%と言われていたと紹介する。1回のテスト飛行ごとに4分の1近い確率で死ぬという意味だと岡田は説明し、ニールはそういう飛行を毎週のように何年も続けていたと言う。死の寸前から戻るテスト飛行の合間に帰ってきて、あと1年ほどで死ぬかもしれない娘をあやし、抱く。その間にもカレンは歩けなくなり、話せなくなっていった。
4歳の長男リッキーは妹に何が起きたのか分からなかった。両親は急にふさぎ込み、妹は寝たきりになる。リッキーは苛立って家で暴れるようになり、映画でもこの点はきちんと描かれているという。夫は週末しか帰らず、娘は良くならず、息子は粗暴になっていく。こうしたストレスの中で、妻ジャネットは夫に不信感を抱き始める。ここまでが映画の冒頭5〜10分あたりだと岡田は言う。
ニールは、自分がテスト飛行で毎週のように死にかけていることを、一度もジャネットに話さなかった。何か月もつか分からない娘より先に夫が死ぬかもしれないと知れば、ジャネットは耐えられないだろうと考えたのだろう、と岡田は推測する。
カレンの死と「悲しんで見えない」父
カレンは一時的に持ち直したが、すぐに悪化した。ニールとジャネットはコバルト線治療を決断する。脳の最も奥にガンマ線を強く深く当てる方法で、命は延ばせるかもしれない代わりに、体の障害は永久に残り、増えていくという。そうして6月から年末まで命をつないだが、クリスマス前に医師たちは、これ以上の治療はせず家族と過ごすほうが本人にとって幸せだと告げた。
一家はカリフォルニアに建てた丸太小屋のような家でクリスマスを過ごした。カレンはもう歩くことも話すこともできなかったが、何度か笑うことができ、少しだけ良いクリスマスになったという。年が明けると病状は悪化し、1962年1月28日、公園で転んでからわずか6か月後にカレンは亡くなった。
葬儀の日について、友人のウォーカー家の妻グレース・ウォーカーが証言を残している。ジャネットはひどく取り乱して悲しんでいたが、ニールは少しも悲しんでいるように見えなかった。どこまでもクールで、客のカクテルが切れていないか、食事は足りているかと世話を焼き、暇があると外を眺めていた、という内容である。映画はこの「悲しんで見えないニール」を描きつつ、先に触れた墓穴の底を見つめる場面を置いている。
仕事への逃避と、死を運ぶことへの恐れ
カレンの死からわずか1週間後、ニールは仕事に復帰した。ジャネットは行かないでと頼んだが、後にジャネット自身が、ニールは逃げるように仕事に戻ったと語っている。復帰の翌日には上層部にテスト飛行をさせてほしいと申し出た。娘のことを気遣われても、飛びたいと言って、4分の1の確率で死ぬような飛行を繰り返す日々に戻った。その後は1か月の出張でシアトルに行き、X-20の開発にあたって、ジャネットとはずっと顔を合わせなかった。
一家が少し平和を取り戻したように見えたのは、カレンの死から2か月後の4月、オハイオ州のワパコネタ(岡田は現地のインディアンの言葉だと説明)の牧場で休暇を取ったときだった。岡田によれば、この休暇は映画冒頭のX-15事故の直後である。ニールは宇宙へ弾き飛ばされかけてなんとか帰還し、モハベ砂漠に機体をねじ伏せるように着陸させた。そのまま休暇に入り、死にかけたことは家族に言わなかった。
その牧場で、伝染病か何かで子羊が死んだ。一緒に休暇を過ごしていたニールの妹ジューンが異様に感じたのは、ニールが羊のいる小屋に決して近づかなかったことだった。それまでそんなことはなかったのに、家族が何度呼んでも、まるで自分が死を伝染させると思い込んでいるかのように近寄らなかったという。
岡田はここからニールの心理を読む。自分が死ぬことはまったく恐れず、4分の1の確率で死ぬ飛行を何度も繰り返す人なのに、誰かが死ぬことには極端に過敏になっていった。自分が死を逃れるたびに誰かが死ぬのではないか、あるいは誰かが身代わりに死んでくれたから自分は生き残っているのではないか。カレンの死後、X-15で生き延びたニールは次第にそう考えるようになった。これは妹ジューンたちの見方である。ジャネットにはそれが分からず、後になって辻褄が合ってきたのだという。映画もこれを断言せず、少しずつ匂わせる形で進んでいくと岡田は言う。
ガガーリン、キューバ、そしてジョンソンの「締め切りを延ばす」提案
話はさかのぼり、カレンが転ぶ2か月前の1961年4月に、アメリカの歴史を変える出来事が起きた。一つはガガーリンの地球周回である。第二次大戦で科学の力によってナチス・ドイツと日本を破り、世界一になったと油断するほど自信を持っていたアメリカにとって、科学でソ連に負けたことはプライドをへし折られる事件だった、と岡田は語る。さらにその3日後、岡田が「有名なキューバ危機」と呼ぶ事態が起きる。膝元のカリブ海の小島が、今後はアメリカではなくソ連と付き合うと言ってアメリカを見捨てたのである。
発足したばかりのケネディ政権はパニックに陥った。岡田によれば、ケネディは手当たり次第に人を呼び出し、アメリカが世界一に見える方法を考えろと命じた。そこで副大統領リンドン・ジョンソンが出したのが、「締め切りを延ばす」という意外な案だった。
ジョンソンの論理を岡田はこう再現する。ソ連との科学力の差はどうしようもなく、2〜3年で何とかしようとする短期目標は全部負ける。だから短期目標はやめる。長期目標なら、アメリカが本気で開発と研究を進めれば、5年後、10年後には圧倒的な経済力で勝てる。1961年も1962年も勝てないが、ケネディの1期目の終わる1964年には成果を出せる。再選されれば任期は1968年まであり、その頃にソ連に逆転勝利できる目標は月着陸しかない。
なお岡田は、当時言われた「ミサイル・ギャップ」は実際にはそれほど大きくなく、ジョンソンや軍部が自分たちの勢力を拡大するためにソ連の科学力を大きく見せたものだったと、1990年代から21世紀にかけて言われるようになった、とも補足している。ただ、当時はそんなことは分からなかった。
ケネディはこの提案に乗り、わずか2週間後の5月に議会で演説し、60年代末までに人間を月に送り、無事に帰還させると宣言した。ここでアポロ計画が始まった。岡田が強調するのは、マーキュリー計画が終わってジェミニ計画、アポロ計画と順に始まったのではなく、1961年の時点で三つが一つの大きな計画として同時にスタートしたという点である。その流れで岡田は、映画『ドリーム』の邦題に付いていた副題「私たちのアポロ計画」が「あれはマーキュリー計画だ」と一部のマニアに攻撃されて変更された件に触れる。ジョン・グレンが打ち上がった時点でアポロ計画はすでに始まっていたのだから、あれはアポロ計画の一環で構わない、というのが岡田の考えである。
ジョン・グレンの熱狂とニールの転身
ジョンソンの予想どおり、1961年のアメリカは負け続けた。5月にアラン・シェパードを乗せたマーキュリーカプセルを打ち上げたが、地球周回はできず弾道飛行で落ちてくるだけだった。7月のガス・グリソムも同じく弾道飛行である。周回軌道に乗せられるアトラスロケットは、実験のたびに爆発する不安の残るものだった。
年が明けて1962年2月20日、カレンの死から約1か月後に、ジョン・グレンがアメリカ人として初めて地球を3周した。岡田によれば、このときのアメリカの熱狂はすさまじく、史上最大と言われたリンドバーグのパレードを上回った。アポロ11号の帰還パレードも含め、その後ニューヨークで開かれたどのパレードもグレンほどではなかった、と岡田は語る。
娘を失い、自分だけがX-15の事故から生き残ったニールは、すぐにジェミニ計画の宇宙飛行士に志願する。娘の発病後も毎週シアトルに通って携わっていたX-20ダイナソアは、マーキュリー計画の成功で打ち切りが決まった。空軍はもう宇宙に行けないことがはっきりし、ジェットパイロットとしてはこれ以上のキャリアアップは望めない。時代は宇宙飛行士こそ真のパイロット、真のヒーローだと言い始めていて、グレンの地球周回がそれを証明してしまった、と岡田は説明する。ニールは4月に応募し、書類は少し遅れて届いたが、NASAは大目に見て受理した。
選考:隔離テストと数え歌
応募後、返事は来なかった。代わりにいきなり、ニューメキシコ州アルバカーキのラブレース・クリニックで検査を受けるよう指示された。極秘で誰にも言うなと言われ、ジェミニ計画と関係があるのかと聞いても答えはない。岡田も前年に偶然訪れたというこの病院で、ニールは非常に精密な身体検査を受けた。
その後モハベ砂漠に戻ってF-104のテスト飛行を何回かこなし、フランスでの会議に出張し、帰国するとまたX-15のテスト飛行が待っていた。今度はX-15の最大速度に近いマッハ7.5まで出せという指示で、そこまで加速したとき、コックピットに煙があふれ出した。どこかが燃えているのに、どこか分からない。ニールはなんとか着陸させ、また死にかけた。
その直後に受けたのが心理テストである。岡田によれば、特に全員がつらいと言っていたのが隔離テストだった。窓のない鉄の小部屋で、音も光もなく、感覚が一切遮断される。自分が立っているのか座っているのかも、何分、何時間経ったのかも分からなくなり、数分で強い不安に陥ると言われる。2時間経ったと思ったら自分で出てこいと指示されるのだが、ほとんどの人は30分や45分で出てきてしまい、丸一日いたと思ったのにと驚いたという。
ニールはきっちり2時間で出てきた。どうやったのかと聞かれ、「下宿のベッドに男が15人」を歌っていたと答えたという。岡田が調べたところ、アメリカには「ベッドにボーイスカウトが10人」という数え歌があり、「ロールオーバー、ロールオーバー」と詰めていくうちに一人ずつ落ちていく内容だという。当時の大学生の間で、それが「下宿のベッドに男が15人」という替え歌になっていたらしい。ニールは1回あたり数分で収まるこの歌を何十回と繰り返し、ほぼ2時間ぴったりで出てきた。
岡田はこのエピソードに、ニールの「自分を見失わない」性格を見る。他の候補者が冷静さや平気さをどうアピールするか考えている中で、ニールは「要するに2時間ぴったりで出ればいい」とだけ考えた。数を数えるとペースが狂うから、一番よく知っている歌を繰り返そうと判断した。こうした度胸と落ち着きが認められ、8月の最終選考に残る。何百人もいた応募者は32人に絞られていた。
マックス・ペックとニュー・ナイン
ニールが応募したのは第2期の宇宙飛行士で、枠は9人、通称「ニュー・ナイン」である。32人の段階では誰が選ばれるか分からず、ニールは候補者を招いたパーティーに出たあと、またモハベ砂漠でのテスト飛行の日々に戻った。
9月、ついにヒューストンへ来いという電話が入る。9月15日までに極秘でヒューストンのライス・ホテルに来ること、チェックインではアームストロングと名乗らず「マックス・ペック」という偽名を使うこと、という指示だった。ライス・ホテルでは数日前から、体格のいい男が次々と「マックス・ペックです」とチェックインし、同じ名前の男がすでに8人泊まっていた。最後にニールが到着したとき、アルバイトの青年が支配人に、ソ連のスパイではないかと報告した。支配人はこのことは誰にも言うなと口止めし、以後マックス・ペックの対応は支配人が直接担当することになった。そのせいでかえって従業員全員に何かおかしいと知れ渡ってしまった、と岡田は笑いながら紹介する。
9月15日に9人がそろい、翌16日にヒューストン大学の講堂で記者会見が開かれて、第2期宇宙飛行士が公式にお披露目された。
エリオット・シーとエド・ホワイト、月を見上げるニール
ここでニールは、数少ない親友となる二人に出会う。一人はニールと同じ民間人出身のエリオット・シー、もう一人は、ヒューストンに引っ越してから道路を挟んだ向かいの家に住むことになったエド・ホワイトである。エリオットにはカレンと同じくらいの年頃の娘がいて、ニールはその子をかわいがり、両家とも家族ぐるみで付き合った。互いの家で晩ご飯を食べ、ビールを飲み、毎晩のように遊びに出かけた。親しい人間を作らないニールにしては非常に珍しいことだと岡田は言う。それでもこの二人は、ニールに娘がいたことも、その娘が病気で死んだことも最後まで知らなかった。
ニールはことあるごとに庭へ出て、月ばかり見ていた。エリオットはそれを不思議に思った。二人で散歩していたとき、ニールは月明かりに照らされたブランコの前で急に立ち止まった。それはカリフォルニアの丸太小屋の前にあった、カレンがよく遊んでいたブランコにそっくりだった。見上げれば、月が死の世界へ誘うように照らしている。ニールは一方的に散歩を切り上げて家に帰った。後にエリオットは、このときのニールを「何かに取り憑かれているみたいだった」と語っている。
岡田はここに、映画の構造を重ねる。ニールは月、つまり死の世界に取り憑かれ、死に近づいては辛うじて逃れる。そのたびに、ニールにとって大事な誰かが死ぬ。そして、その「大事な人」がもうすぐ自分のことになるとは、このときのエリオットはまだ気づいていなかった。岡田はそう語っている。
マーキュリーからジェミニへ、そしてガス・グリソム
訓練は1962年から63年までの2年間続き、その間にマーキュリー計画は終了した。1964年には無人カプセルの打ち上げでジェミニ計画が始まる。
岡田によれば、1人乗りのマーキュリーの目標は人間を宇宙に飛ばして生きて帰すことだけだった。宇宙飛行士は計器を見てもいいが触るなと言われ、操縦装置もついていなかった。回転させられ酸素不足にされながらスイッチ操作の訓練をしたのは何のためだったのかと抗議しても、NASA幹部は「見て報告しろ、計器の読み取りはテレメトリで本部に届いている、生きて帰ることが目的だ」と答えたという。後にジョン・グレンらがストライキまで起こし、窓や操縦装置を要求したことで、後半になってようやく窓などが付いた。これに対しジェミニ宇宙船はロケット噴射で自由に飛べ、大気圏突入もパイロットの判断で行える。
この頃、アポロ計画では月軌道ランデブー方式が採用された。地球から運んだ重い宇宙船の大部分を月周回軌道に残し、軽い月着陸船だけで降りる。帰りは月から上昇して、月を高速で周回している司令船に近づき、ドッキングしなければならない。地球からの電波が届かない月の裏側で行う場合もある。この非常に難しい操作を練習し実験するのが、ジェミニ計画の最大の目的だった。岡田は、かつて自身がプロデュースした科学博物館シリーズのフィギュアを見せながら、細長いアジェナ標的衛星の後部に、後にニールが乗るジェミニ8号がドッキングする仕組みを説明している。
ランデブーの難しさを詳しく説明するのは、ランデブーとドッキングの専門家だったバズ・オルドリンを扱うときにしたいと岡田は言う。その予告として一つの逸話を紹介している。オルドリンが同僚の家を訪ね、奥さんが遠回しに帰ってほしいと伝えるつもりで「主人はまだ帰っていません」と言ったところ、オルドリンはそのまま居座り、4時間にわたってランデブーとドッキングの数学的講義を続けたという。岡田は、相手が聞いているかどうか関係ないのは宮崎駿と同じだと笑う。
有人のジェミニ3号がようやく打ち上がったのは1965年で、船長はガス・グリソムだった。オリジナル・セブンの一人であるグリソムは、ジェミニ宇宙船の開発・設計にほぼ一人で宇宙飛行士として関わり、「ガスモビル」と呼ばれるほどだった。アポロ宇宙船の設計にも参加していた。ニュー・ナインの面々はすぐに察した。NASAは、ジョン・グレンが引退した今の国民的英雄グリソムを月着陸の船長に決めたのだ、と。岡田によれば、それは事実で、NASA上層部は最古参で貢献度も最も高いグリソムこそ人類初の月着陸者にふさわしいと考えていた。ジェミニで飛ばし、ジェミニ後半でもう一度飛ばし、アポロ1号に指名し、アポロ8〜10号あたりの具体的な月着陸ミッションに乗せる構想だったという。ニールたち第2期の宇宙飛行士は、それを知って落胆した。
無料パートはここで終わる。映画の前半1時間ほどしか語れていないと岡田自身が認め、後半は巻いて最後まで話すと予告して締めくくっている。
放送後の補足:チャゼル監督のその後
再編集版の末尾で、岡田はチャゼル監督のその後を補足している。2016年にジャズドラマーの映画『セッション』で注目され、翌2017年に『ラ・ラ・ランド』でアカデミー監督賞を受賞し、2018年に『ファースト・マン』を撮った。3年連続で公開していることから、『セッション』の仕上げ段階ですでに次の撮影に入っていたはずだと岡田は見ている。『ファースト・マン』は日本での興行はいまひとつだったが、海外での評価は非常に高いという。
その後チャゼルの名前をあまり聞かなくなったのは、1920〜30年代のハリウッドを舞台にした『バビロン』が興行的に大失敗したからだと岡田は言う。同じハリウッドものでも『ラ・ラ・ランド』のようなロマンチックでほろ苦い要素がなく、猥雑でえぐい内容をコメディに振ったものの笑いにくかった。公開週にアメリカを大寒波が襲い、観客が映画館に行けなかったことも一因のようだという。ただし次回作は、1940年代のアメリカの刑務所を舞台にした心理ドラマとして準備が進み、撮影も終わっていると聞いているそうで、岡田は『ショーシャンクの空に』のようなものを期待していると語る。
岡田は、月を死の象徴として観るとこの映画は本当によくできていると改めて勧めている。続きの有料パートでは、月を死と見立てる読みでさらに映画を読み解きながら、月着陸までを語るという。この無料部分では、ニールがジェミニ8号に乗る前、グリソムが月着陸の本命と目されていた時点で話が止まっている。
明日のですね、9月25日はですね、難しく言うと中秋の名月って言うんですけども、簡単に言うとですね、十五夜のお月見の日だそうです。1年で1番月が綺麗に見える夜ということなんでですね、たまにはですね、月を眺めて思いを馳せるのもいいですし、東京はですね、多分台風が通り過ぎた後ので、お月様が見えればいいなと思います。ということでですね、今日は月に関する動画をお届けします。
おはようございます。岡田斗司夫です。何の動画かって言うとですね、人類史上1番最初に月に降り立った男についての動画です。アポロ11号の船長ニール・アームストロングですね。アームストロングさんの伝記映画『ファースト・マン』というですね、映画をですね、実際のアポロ計画の情報を交えつつですね、解説なんですけども、岡田斗司夫ゼミですね、月と言ったらもう大体アポロ計画のことなので、この機会にですね、アームストロング船長ですね、すごい人だと言われてるんですけど、それはなんでかって言うと、あんな超有名人なのに着陸した後、もうとにかく命令されて、NASAから命令されて嫌々インタビューをちょっと受けただけですね。その後メディアに露出本当にしなかったというですね。まあ軍人として真面目なのかわかんないですけど、かなり変人なんですね。その彼のですね、話をですね、ちょっと聞いてもらいたいと思います。
この動画はですね、2019年2月17日に配信した岡田斗司夫ゼミ第269回を再編集したもんです。動画が終わった後もですね、追加のアップグレード情報あるので楽しみにしてください。それではこっから無料動画スタートです。
こんばんは。岡田斗司夫です。2月17日ですね、予告通りですね、今日は映画『ファースト・マン』をですね、割と語ってみようと思います。『ファースト・マン』で描かれた事件をですね、映画とは違う方向から語ってみる、いわば『ファースト・マン』番外編なんですけども、かなりですね、中身を喋っちゃうというかですね、もうほとんど浜村淳っていうのかな。浜村淳って言ってもわかんないですね。昔、関西で有名だった映画評論家なんですけども、映画評論家と言いながらほとんど映画のストーリーをそのまま喋っちゃうおじさんでですね、関西人に支持されてて、支持された理由が「映画館行かんでも中身全部分かるわ」っていうものすごい理由でです。支持されてた。さすがケチの関西人向けですよね。
という風な感じでですね、ほとんど中身をですね、喋ってしまおうと思いました。で、理由はですね、『ファースト・マン』ですね、興行成績めちゃくちゃ悪いんですよ。第1週でもう8位なんですよ。で、多分ね、もうIMAXで見れる劇場はどんどん減ってるし、あと2週間ないというか、10日ぐらいでですね、消えてしまうからですね、もう今からですね、見るべきポイントをもう説明しようと思います。
で、この映画ですね、アポロや月着陸を描いた映画ではなくてですね、ファースト・マンになってしまったニール・アームストロングという1人の男の人生の8年間を切り取って描いた世界なんですね。1961年に娘、最愛の娘、2歳のカレンを亡くしてですね、で、その後1969年にですね、人類初の月着陸を果たした。この1961年から69年までの8年間を描いた映画です。で、全部見たら初めて、最初の方にある娘が死ぬっていう出来事と月着陸っていうのが繋がってることがわかるっていうですね。かなりそのなんだろうな、文学性が強いというのかな。こうちょっと考えながら見ないと分かりにくい映画になってるんですね。
で、例えばその考えながら見るっていうののヒントは、映画の中でですね、しょっちゅう月が出てくるんですけども、月っていうのは何かって言うと、例えばこれ『エヴァンゲリオン』のよくあるワンシーンなんですけどもですね。なんでこれが綾波が月を背負ってるのかって言うと、月が死の象徴だからですね。太陽が生命の象徴であり、月は死の象徴であると。これはもうその西洋文学に関わらずですね、東洋でも割とスタンダードなんですけども、なので月を背負って現れたのは、例えば『機動戦士ガンダム』ではララァさんで、この綾波もですね、出てきた時にですね、あのキャラは死ぬなっていう風に、例えばこの綾波だったらオープニングで分かるんですけども、この『ファースト・マン』という映画の中でもですね、同じく月っていうのはですね、死の象徴として現れるんですね。
で、例えばその1番最初、映画の方でですね、娘と2人で、2歳の娘と月を2人で見上げるシーンがあるんですけども、その後ですね、娘が死んだ後もですね、月だけがニール・アームストロング、ニールを照らしてるんですね。で、何度も死にかけるたびに、ニールが死にかけるたびにですね、なんかこう月が見える、月を見上げるシーンが出てくると。で、その月がですね、「早くこっちへ来いよ」っていう風に呼んでるように見えてると、そんな風に撮ってるんですけども、だから画面にですね、月が現れるたびにニールの死が近づいて、やっと逃げたと思って見上げると、月がなんだろうな、恨めしそうにじっと見てると、そういう風な構造になっています。
そんな死の象徴である月に最後は自分からですね、向かっていってしまうんですね。で、その自分から向かって行ってしまって、着陸してその上をですね、歩くことになってしまったという男のですね、不思議な話なんですよ。大体こういう風な構造でできてるんですけども、大丈夫ですか?こんな感じでですね。黒服って書いてる。コメントに黒服だ。そうなんですよね。だから今日はそういうですね、死の話にですね、合わせようと思ってですね、ちょっともう全部黒でこう着てきたんですけどもですね。
限定あるのか?一応ね、限定あります。今日ね、40分遅く始まったので21時25分ぐらいに限定にしてみようと思うんですけども、僕もね、今日の話どこで切っていいかわかんないんですよね。なので大体ですね、21時25分ぐらいになったら終わろうと思います。
なんで遅れた?いや、もう本当にレジュメを延々作って。本当はね、今日ね、ファースト・マンとセカンド・マンの話しようとしてたんですよ。ファースト・マンのニール・アームストロングとセカンド・マンのバズ・オルドリンの話をしようと思ってたんですけども、これがね、バズまでね、行かないんですよ。なので、今日はファースト・マンの話だけでやってみようと思います。はい。ということでですね、よろしくお願いします。
オルドリンの話は前にもしてた。そうなんですよね。オルドリンの話は前にもしてたんですけども、やっぱね、調べれば調べるほどニールはそんなに面白いやつじゃないんですよ、正直言って。だからバズ・オルドリンがめちゃくちゃ面白すぎるから話さざるを得ないんですけど、ニールの方はなんで面白くないのかというかですね。なんでこのニール・アームストロングって男は1969年に月に着陸してからですね、それから通り一遍の質問は受け付けるんですけども、自分は何を感じたのかとかそういう風なことに関しては全く語らないままにですね、何年だったかな?2012年かな。2012年の8月に死んじゃうまで、ほとんど沈黙を貫いてと言ってもいいぐらいインタビューには答えず、オフィシャルな場所にほとんど出ずですね、死んでしまった男なんですね。だからその彼がなんでそんな男だったのかっていうのを語った映画でもあるところが、面白みだと思います。
ではですね、そんなですね、さっきも話した月という死の象徴にですね、最後は自分から向かって着陸してその上を歩いてしまうというですね、こういうですね、映画を描く監督のですね、デイミアン・チャゼルですね。これは宮崎駿のエンターテイメント性と高畑勲の文学性を両方持ってるっていうですね、割と珍しい作家だと思います。クリストファー・ノーランがめちゃくちゃ意識してますね。クリストファー・ノーランが自分が最も評価して同時にライバルだと思ってる若手ナンバーワンの作家。いわゆる70年代にスティーブン・スピルバーグとかですね、ジョージ・ルーカスが出てきたような感じで捉えていいと思います。
今日はですね、さっきも言った通り『ファースト・マン』で描かれた事件を映画とは違う方向でですね、語ってみようと思います。番外編ですね。まずですね、映画の冒頭からX-15という飛行機が出てきます。こいつですね。前回も話したX-15が出てくるんですけども、これ1962年のですね、事件なんですね。で、このニールとX-15の話は前回話しましたから置いときますけども、どんな状況だったかって言うとですね、第2次大戦が終わった時にですね、危うくアメリカ軍は縮小されるとこだったんですね。もう戦争終わったから軍隊なんかなくていいやと、予算食うからってことで縮小されようとしてたんですね。
で、海軍はですね、巨大な空母や戦艦を何十隻もキャンセルされました。で、陸軍航空隊はですね、爆撃機をですね、キャンセルされて、爆撃機のメーカー、飛行機メーカーは慌てて家庭用にですね、ジュラルミンのシンクですね、流し台を売ったりしてですね、なんとか生き延びようとしたんですけど、いっぱい倒産しました。プレハブの家も作って売ったりしましたけども、倒産が相次いだと。で、その陸軍航空隊もですね、戦後ですね、アメリカ空軍という風な形で独立します。で、海軍に次ぐ大きい存在になってしまいますね。
で、ところがですね、ソ連との冷戦が始まってですね、核ミサイルというのが生まれた。で、空軍はおかげでどんどん巨大化しました。実はですね、アメリカの、陸から発射するいわゆる戦略核ミサイルってやつですね。地面に掘ってある穴の蓋がガーっと開いてロケットがどんどん飛び出す。あれはアメリカ空軍の管轄なんですね。陸軍じゃなくて。陸軍っていうのはあくまで陸上兵器だから、例えば向こうの戦闘機がやってきたり爆撃機がやってきたら迎撃する地対空ミサイル、つまり地面から空を攻撃するミサイルまでは持っていいけども、そうじゃなくて相手のところまで行く爆撃機は空軍、相手のとこまで届くミサイルはですね、空軍。なんかそういうですね、仕分けになってたんですね。というわけでですね、巨大化が予想されたんですね。
で、海軍はですね、この空軍のどんどんどんどん巨大化するのに対抗してですね、例えばこういう、アンドリュー・ジャクソンというですね、名前の核ミサイル原子力潜水艦っていうの作ったわけですね。これ空軍の管轄するですね、アメリカ本土から発射する大陸間弾道ミサイルは開発が大変なんですよ。で、おまけにミサイル基地って場所もバレてるからですね、最初に狙われやすい、敵に狙われやすい。なので潜水艦にミサイルをこういう縦位置にぎっしり積んでですね、これをですね、海中で運んでしまうというアイデアですね。で、動力も原子力にしてしまえば半年ぐらい水の中に潜りっぱなしで、こっそりソ連に近づいていけば射程の短いこういうポラリスミサイルでもですね、モスクワに届くんじゃないのかって、こういうですね、アイデアですね。
で、これに対してアメリカ陸軍はですね、空軍がミサイル持ってて、爆撃機持ってて、で、海軍までですね、こういうですね、原子力潜水艦の中にミサイルを縦に積んで運用しようというアイデアに対して、陸軍の方はもう本当に手の出しようがなかったんですね。で、仕方なくこういうものを考えました。これ僕、ホワイトサンズっていうですね、ニューメキシコで見てきたんですけども、アトミックキャノンって言われる兵器ですね。最新兵器の原爆を発射できる大砲です。で、もうこれぐらいしか陸軍の力を伸ばす方法が思いつかなかったんですね。
元々ドイツと日本を降伏させたのは陸軍の力なんですよ。空軍が力を大きくしたと言っても、あくまで陸軍がですね、敵と戦って占領してですね、戦争に勝ったと。で、ドイツを占領する時に捕まえたヴェルナー・フォン・ブラウンのチームをですね、わざわざ陸軍のですね、アラバマ州ハンツビルですね、アラバマ州ハンツビルというところでミサイルの研究までさせたんですよ。しかしさっきも言ったようにですね、陸軍に許可されたのはあくまで迎撃用の地対空ミサイルまでですね。海軍が開発してるソ連まで届くような巨大ミサイルの許可は陸軍には許されませんでした。もうなかなか思うようにいかないわけですね。
で、ソ連がですね、1957年スプートニクを飛ばすまで、この不毛な争いでですね、ヴェルナー・フォン・ブラウンたちのロケットチームの開発は全然進まなかったと。その合間にまず空軍がですね、勝手にですね、空から宇宙へと縄張りを伸ばそうとして作られたのがこのX-15実験機です。
で、ニール・アームストロング、ニールはですね、この飛行機のテスト飛行中に自動操縦装置が故障して機首が上がったままの状態、つまり水平かそれ以下の状態で大気圏に入らなきゃいけないのに、機首が上がったままの状態で大気圏に入ってしまったと。で、これニール以外のパイロットだったら多分死んでるという風に言われます。で、ギリギリでX-15をですね、なんとか着陸させ、凸凹がどこまでも続いてる、地平線までずっと続いてるですね、エドワーズ乾湖、エドワーズ乾湖っていうですね、大昔、紀元前はるかの世界には塩の湖があったんですけど、それが乾いてしまって、もう平坦な平坦な地面が地平線まで続くエドワーズの元湖の底にですね、着陸します。
このエドワーズ乾湖のこの凸凹の地面っていうのはラストシーンの月と映像的な韻を踏んでるんですね。ラストでその月っていう死の世界を見せる時に、そこで生き延びたニール・アームストロングっていうのを見せる時に、このエドワーズのですね、エドワーズ空軍基地の着陸場って言われてるんですけど、本当に何もないですね。そこがですね、真昼間の光に照らされてるところが割と映像的に韻を踏んでる世界です。で、死を逃れたと思ったら、そのエドワーズのですね、乾湖の底のような、湖の底のような死の世界が広がっていた。乾いた湖の底が広がっていたと。『ファースト・マン』はこのようにですね、常に死と隣り合わせのニールの8年間を扱っています。
このX-15のですね、事故の実は10ヶ月前なんですけども、映画の中でこれ順番が入れ子になってます。10ヶ月前、1961年のですね、6月、ニールの2歳の娘カレンはですね、シアトルの公園で転びました。この転んだのはですね、本当に偶然転んじゃっただけなんですけどね、そん時すごい大きいコブができたんですね。で、その当時ニール・アームストロングはですね、シアトルのボーイング工場でですね、X-15の次の機体、もうX-15の次の機体を空軍は開発してあるんですよ。X-20ダイナソアと言われてるやつです。ミサイルの先につける、もう本当に折り紙みたいな飛行機なんですけども、これで宇宙まで行って、この折り紙みたいなダイナソアというやつで地球にですね、帰ってこようっていうのを考えたわけですね。
ボーイング社のですね、そのニールが働いていたボーイング社の工場っていうのはエバレット工場って言って、僕も昔ですね、行ったことがあるんですけども、世界最大のワンフロアの工場だったんです。で、ワンフロアの工場でですね、ジャンボジェットが6機同時にですね、建設できるという工場でですね、工場内にハンバーガーショップが14軒あるというですね、あまりにでかすぎる工場なんですね。で、ニールは週末以外はここに毎日毎日詰め込まれてX-20の開発をさせられてるんですね。で、週末だけ家族と一緒にカリフォルニアに帰るっていうことやってたんですけども、転んだその日、公園で転んだその日、娘のカレンはですね、目が見えなくなっちゃった。2歳の娘が目が見えなくなっちゃったんですね。
で、これは大変だということで、最初カリフォルニアで検査を受けたんですけども、シアトルの専門病院に行った方がいいという風に言われて、シアトルの専門病院でですね、カレンは脳の中に空気を送り込んでですね、膨らましてX線写真を撮るというですね、当時にしても割と最新であり、なおかつ子供にとってはすごい辛いですね、検査を受けます。で、それでカレンはですね、脳幹腫瘍という風に診断されました。脳幹腫瘍にかかっちゃった子供はですね、平均寿命があと1年半しかありません。で、直ちにですね、脳にX線を直に当てるっていうですね、治療がスタートしました。
で、こん時にですね、ニールはシアトルで何やってたかというと、シアトルでX-20の開発をしながら、カリフォルニアに戻ってX-15とかF-104を飛ばすテスト飛行というのをやってたんですね。で、当時のですね、ニールたちがやってたジェット機とかロケット機のですね、テストパイロットの死亡率というのは24%という風に言われてます。24%っていうのは1回のテスト飛行ごとに1/4近い確率で死ぬっていうことですね。そんなフライトをニールは毎週のようにもう何年も続けてるわけですね。だから毎週のようになんか死ぬところからですね、ギリギリ舞い戻るというテスト飛行の合間にですね、シアトルに帰って、娘のですね、治療がなかなか進まない、もうあと娘は1年ぐらいで死んでしまうかわかんないって思いながらあやしたり抱っこしたりしていく。その間にも娘はまず歩けなくなって、喋れなくなってっていう、だんだんだんだん症状が重くなってくるんですね。
で、彼女にはですね、2歳上の4歳のリッキーっていうですね、お兄ちゃんがいたんです。長男がいたんですけども、この4歳のリッキーは妹に何が起きたか全然分からなくてですね、もう両親は急に塞ぎ込んじゃうし、妹は寝たきりになってしまって、イライラして、家庭内で割とね、暴れ回り始めたんですね。これは映画の中でもですね、割とちゃんと描かれています。で、夫は家にいない。とりあえず週末だけ帰ってきて娘をあやしてくれるんだけど、夫はカリフォルニアに行ったりシアトルの工場に行ったりして夫はいないで、娘はどんどん死にかけていて良くなる様子はないと。で、どんどん息子は粗暴になっていくと。で、これらのストレスでニールの妻のジャネットですね、ニール・アームストロングの妻ジャネットはだんだん夫にですね、不信感を抱くようになってくると。この辺りがもう映画のですね、冒頭5分10分あたりなんですよ。
で、ニール自体はですね、先週も言いましたけど、自分自身は語らない男なんですね。自分を語らない男ですか?ですから実はモハベ砂漠のテスト飛行場で毎週のように自分がテスト飛行で死にかけてるってことを妻ジャネットに言ったことがないんですね。で、おそらくもしそれを話してたらジャネットはさらにストレスがあると。だってもうあと何ヶ月持つか分からない娘より先に、その夫自身が週に1回、週に2回ぐらい1/4の確率で死ぬようなテスト飛行というのを続けてるっていうの分かっちゃったら、おそらくジャネットは耐えられないだろうと思って、ニールはですね、そのことを1回も言ってなかったんですね。
で、一時的にですね、その娘のカレンはちょっと良くなったんですけども、すぐにまた悪化します。で、ニールとジャネットはですね、ついにコバルト線治療というのを決断します。コバルト線治療というのはですね、脳の1番奥の部分にガンマ線を直に多く深く当てるという方法でですね、これはですね、命を伸ばす処置になるんですけどもですね、永遠に体の障害が残る。つまりこっから先、体の障害がどんどん増えていって悪くなる。その代わり命だけはちょっと伸ばせるかもしれない。それがコバルト線療法です。
で、そうまでしてですね、1961年の6月から年末までなんとか伸ばした命だったんですけども、もうクリスマス前に医者たちはですね、これ以上治療はせずに家族と一緒に過ごした方が本人が幸せになりますっていう風に言いました。で、クリスマスをですね、なんだろう、ニールたちが持ってるですね、丸太小屋みたいなのがカリフォルニアに建ってたんですよ。そこでクリスマス一緒に暮らしてですね、もうもはや歩けないし話すこともできなかったんですけど、何回かですね、彼女は笑うことができた。そういうわけでなんかこうちょっといいクリスマス過ごせたんですけども、年が明けたらですね、どんどん病状が悪化して、1962年の1月28日ですね、公園で転んでからわずか6ヶ月後にですね、カレンは死んでしまいます。
で、彼女の葬式の日ですね、友人のですね、ウォーカー一家っていうのがあって、その友人のウォーカー一家の奥さん、グレース・ウォーカーっていう人がですね、証言残してるんですね。ジャネットはすごく取り乱していたと。ニールの奥さんのジャネットはすごく取り乱していて悲しんでいたと。でもニールはちっとも悲しんでるように見えなかった。ニールはどこまでもクールで、私たちの世話をして、カクテルがもうなくなってないかとか、あとなんかご飯とかの世話をして、で、暇があったらちょっと外を見てるんだけれども、悲しんでるように見えないと。
で、映画の中ではですね、この悲しんでるようには見えないニールを描きながらですね、娘が埋葬されて、墓地の中に穴を掘るわけですね。その穴の中に娘の棺がぐーっと降りていくシーンですね。キリキリキリキリキリっていう風に、娘の棺をですね、深い穴の底に下ろすんですけど、その穴の底をずっと見つめてるニールだけを映すんですけども、以後ですね、この先映画の中ではですね、常にこの穴っていうのが死のメタファーになっています。何か穴があったらニールはそこを見てしまうというようなんですね。何か穴があるとそこは人を埋める穴だっていうような死のメタファーになっていくんですね。
で、カレンが死んでですね、たった1週間後にニールは仕事に復帰しました。奥さんのジャネットは仕事に行かないでって言ったんですけども、奥さんのジャネット自体が後に言ってます。はっきり言って逃げるようにニールは仕事に復帰したと。で、仕事に復帰してもう次の日に上層部に「テスト飛行させてください」と。「いや、お前、娘が」っていう風に言ったんですけど、ニールは「いや、飛びたいです」っていう風に言って、その1/4の確率で死ぬようなですね、テスト飛行というのをまた繰り返す日々に戻ったんですね。で、その後ニールはですね、1ヶ月の出張を取ってまたシアトルに行ってX-20の開発をしてしまってですね、ずっとジャネットに会わないままだったんですね。
で、ようやっとアームストロング家がちょっと平和を取り戻したようになったのは、カレンが死んでから2ヶ月後ですね、もう4月になってからですね、オハイオ州のですね、ワパ、ワパコネタっていうですね、ちょっと言いにくい、ワパコネタという現地のインディアンの言葉ですね、の牧場でですね、休暇を取った時なんですね。で、このワパコネタの牧場で休暇を取った時が、実は映画の冒頭で出てきたX-15の事故の直後だったんですよ。だからX-15の事故っていうのは、ニールが本当に宇宙空間に弾き飛ばされてもう帰れないかという風な時に、ギリギリになってなんとかエドワーズに帰ってきて、モハベ砂漠に胴体着陸みたいにX-15をねじ伏せるように着陸させて、そのまま休暇を取って、で、家族と一緒に、またそれを話さずに、俺死にかけたんだという風なことを言わずに休暇してたんですね。
で、その時ですね、そのワパコネタの牧場でですね、偶然羊が死んだんですよ。子羊が死んだ。それは伝染病か何かだったんですけどもですね。ニールの妹ジューンもですね、同じ牧場で一緒に休暇取ってました。家族全員で休暇取ってたんですけど、そん時にすごく異常に思えたのがですね、ニールが決して羊たちがいるですね、厩舎って言うんですかね、小屋に近づかなかったことだと。それまでそんなことなかったのに、ニールはまるでなんかその怖がるかのように羊たちに近づかなくなったと。まるで自分が死というものを伝染してると思い込んだように、自分が近くにいると何か死んでしまうという風に思ってたように、ニールは何回家族が呼んでも絶対に羊の小屋に近づかなくなったと。
だから自分が死ぬことは全く恐れないんですよ。テストパイロットですから1/4の確率で死ぬようなことを何度も何度も繰り返してる人なんですけども、人の死に関して、誰かが死ぬということに関して極端に過敏になっていったんですね。で、自分が死から逃れるたびにですね、誰かが死ぬんじゃないかと。逆に誰かが犠牲になって代わりに死んでくれたおかげで自分は生き残ってるんではないのかと。つまりカレンが死んでしまって、その2ヶ月後ぐらいにですね、X-15で生き残ったニールは徐々に徐々にそんな風に考えるようになったっていう風に、妹のジューンたちはそういう風に考えてたんですけども、それもですね、妻のジャネットにはやっぱ分からないんですね。後になってだんだん辻褄が合うようになってきて分かったことです。だから映画の中でもそれは断言せずに、徐々に徐々に匂わすようにして進行していきます。
で、ちょっと話が戻ります。カレンがですね、1961年の6月ですね、シアトルの公園で転ぶ2ヶ月前、4月です。アメリカの歴史を変えるようなですね、事件が起きました。そのうちの1つはガガーリンのですね、地球周回です。これでアメリカはですね、決定的に、あ、ソ連に負けてる、科学で負けてると思ったんですね。で、第2次大戦でですね、科学の力でナチスドイツを破り、日本を破って世界一になったと本当に自信を持ってですね、なんだろうな、油断してたっていうぐらいですね、自信を持っていたアメリカという国にとって、ガガーリンが地球を回ってですね、で、アメリカがそれを全くできないっていうのは本当にプライドをですね、へし折られた事件だったんですね。
で、おまけにその3日後、有名なキューバ危機が訪れます。カリブ海のですね、小島ですよ。その国がですね、以後アメリカとは国交せずに我々はソ連と付き合うと言ってですね、アメリカを見捨てる。カリブ海の小島がそのお膝元ですよね。そんなことが起こってしまったのでですね、発足したばかりのジョン・F・ケネディ政権はパニックになります。で、ケネディはですね、その結果ですね、誰かれ構わず呼び出してですね、なんとかアメリカが世界一に見える方法を誰か考え出せっていう風に命令するんですね。
で、そこで出てきたのがですね、副大統領のリンドン・ジョンソンです。で、このリンドン・ジョンソンがですね、提案したのが締め切りを伸ばしましょうという意外な方法でした。これどういうことかというと、正直に言ってソ連との間の科学力の差はどうしようもないという風にジョンソンは言います。これがミサイル・ギャップと言われることで、実はこれも1990年からですね、21世紀に入ってきた辺りで、ミサイル・ギャップというのはそんなになかった、実はアメリカのですね、軍部、リンドン・ジョンソンや軍部たちが無理にソ連の科学力を大きく見せて自分たちの勢力を拡大するための手だという風に今になって言われてるんですけど、そんなこと当時分かりません。
ジョン・F・ケネディにジョンソンは、副大統領のジョンソンは、ソ連との科学力の差ははっきり言ってつきすぎてしまった。もうどうしようもないと。だから正直言ってこの2年でさらに引き離されると、向こうに追い抜かれると、どんどんどんどん追いつけなくなっていくと。だから短期的な目標は全部負けてしまうと。この2、3年で何とかしようと思うと負けてしまうと。だからそういうですね、短期的な目標は全部やめようと。それよりも長期の目標なら必ず経済力で勝てると。アメリカが本気になって開発を進め、研究を進めれば、必ず5年後、10年後にはその圧倒的な経済力でソ連に勝てますと。
だから今年1961年にはアメリカはソ連に勝てません。来年1962年も勝てないでしょう。でもあなた、ケネディ大統領の任期の終わりであるですね、1964年には成果を出せます。で、2期目の大統領選挙となれば任期は1968年までありますよね。と、ケネディ大統領がもう1回大統領選挙に出て当選すれば任期は1968年まであると。その頃にソ連に逆転勝利できるような目標。それは月着陸しかないでしょうと言いました。これにですね、ケネディは、ああ、その手があったかと。口車に乗ったJFKはですね、もうわずか2週間後の5月にですね、両院で演説しました。あの有名な、60年代末までにアメリカは人間を月に送るのだという風に宣言します。送って帰ってくるのだという風に宣言します。
ここにアポロ計画っていうのはスタートしました。だから、アポロ計画っていうのはマーキュリー計画が終わって、ジェミニ計画が終わってアポロ計画が始まったんではなくて、1961年の段階でマーキュリー計画、ジェミニ、アポロというのは同時に始まったんですね。なのでですね、まあまあまあ古い話になるんですけど、『ドリーム』という映画がですね、去年か公開された時に「私たちのアポロ計画」って副題が、あれアポロ計画じゃない、マーキュリー計画だというですね、一部のですね、無粋な映画評論家、マニアによって攻撃されてですね、タイトル変わっちゃったんですけど、僕はそれを聞いてですね、中途半端に物事を知らん人間がよく言うなと思ってですね、あれはアポロ計画だ。ジョン・グレンが打ち上がった時はもう完全にアポロ計画が始まってたんだから、あれ、アポロ計画の一環で全然構わないよと思ったんですけど、それは置いときましょう。
でですね、ここにアポロ計画がスタートしました。進行中のマーキュリー計画と、その次に予定されたジェミニ計画とかを1つのアポロ計画に含めて大きな計画になったんですね。それは10年でソ連を追い越して、そしてアメリカが月着陸でですね、勝利するというシナリオでした。で、ジョンソンの予想通りですね、1961年はアメリカはですね、負けっぱなしでした。5月にようやっとですね、アラン・シェパードを乗せたですね、マーキュリーカプセル打ち上げたんですけども、地球の周りは回れずに弾道飛行で落ちてくるだけ。7月のガス・グリソムも同じです。同じく弾道飛行ですね。周回軌道に乗せれるアトラスロケットはまだまだですね、実験するたびに爆発するですね、不安の残るロケットでした。
で、ようやっと年が変わってですね、1962年、さっきも話したようにニールの娘カレンがですね、死んで1ヶ月後、2月20日にですね、ジョン・グレンはアメリカ人でようやっと地球の周りをですね、3周回ることに成功しました。で、こん時のアメリカのですね、熱狂はすごかったんですよ。もはや伝説で、史上最もすごいアメリカの熱狂って言われたリンドバーグのですね、パレードと並ぶと言われたんですけども、リンドバーグ以上になったんですね、グレンは。で、以後ここまですごい英雄は歴史上現れてません。実は月着陸したアームストロングのアポロ11号のパレードもですね、その後ニューヨークで開かれたどんなパレードもですね、グレンほどすごくなかったんですね。グレンが1番本当にすごかったんですよ。アメリカの歴史で。
で、そんな状態でした。で、娘が死んでですね、自分だけがX-15の事故で生き残って、すぐニールはですね、ジェミニ計画のパイロットに志願します。X-20ですね、娘が病気になってからも毎週毎週ですね、5日間ですね、シアトルに通ってた計画のですね、X-20ダイナソア計画はもうマーキュリー計画が成功しちゃって以降ですね、打ち切りが決まったんですね。つまり空軍はもう宇宙に行けないというのがはっきり分かっちゃったんですね。で、もはやジェットパイロットとしてはこれ以上のキャリアアップは望めないと。時代は宇宙飛行士こそ真のヒーロー、真のパイロットだと言い始めていたと。それをジョン・グレンが地球を回ることによって証明しちゃったんですね。
なので4月になってですね、ニールはジェミニ計画の、願書って言うんですけど、願書受付してたんでですね、それに応募します。しかし5月にですね、ちょっと遅れて届いちゃったんですけども、NASAはそれを大目に見て受理してくれました。しかし5月に願書が届いてもですね、返事来ないんですね。でもいきなりですね、ニューメキシコに行けと。アルバカーキというニューメキシコの町ですね。『ブレイキング・バッド』でおなじみのですね、アルバカーキの町にですね、ラブレース病院、ラブレース・クリニックっていう病院があります。これ、僕も偶然ですね、去年行ってきたんですけど、そこで検査を受けろという風に言われるんですね。でもそれは極秘だと、誰にも言うなと。で、ジェミニ計画に関係あるのかと聞いてもですね、答えてくれないんですけども、何のことか分からずにラブレース・クリニックに行ったらですね、ものすごく精密なですね、身体検査を受けさせられたと。
で、あ、これジェミニ計画じゃないかなと思ったんですけど、それが終わったらまたモハベ砂漠に戻ってですね、今度はF-104でですね、何回かテスト飛行を仕事として受けます。これはですね、事故が全くなかったんですけど、次はフランスの会議に行けと言われて、フランスまで行って帰ってきたらですね、また今度はX-15のテスト飛行です。X-15はですね、今度はマッハ7.5にまで持っていけと言われて、もうX-15の最大速度の時ですが、7.5まで持ってきた時にですね、操縦席中に煙が溢れ出しました。どっかが燃えてるんですけど、どこか分からないと。燃え続けてるんです。X-15をなんとかまた着陸させて、また死にかけたわけですね。
そしたら今度はサンアントニオというカリフォルニアの町でですね、心理テストを受けろという風に言われたんですよ。で、ここでですね、その本当にその燃えてるコックピットをガーっと着陸させてすぐに受けた心理テストっていうのはなかなか厳しくて、中でもですね、全員がですね、これ辛いって言ってたのがですね、隔離テストなんですね。隔離テストっていうのは『ライトスタッフ』とか映画でも出てきたんですけども、実際は窓も何にもない鉄の小部屋みたいなところでですね。音もしないんですよ。音も光も全くないので、一切の感覚が途絶されてしまって、人間はそこで自分が立ってるのか座ってるのか横になってるのかも分からない。何分経ったのか何時間経ったのか全くわからないっていうものすごい不安に数分で陥るっていう風に言われてます。
そういう完全なですね、遮断された場所でですね、隔離テストというのを受けてですね、2時間経ったら出てこいっていう風に言われるんですね。で、この2時間っていうのが全く分からなくてですね、みんな30分ぐらいで出てきちゃうんですよ。もういくらなんでも2時間経ったろうと。いや、俺は丸1日ぐらい過ごしたと思って出てきたらですね、まだ30分しか経ってない、45分しか経ってないという風に言われてですね、びっくりするんですけど、ニール・アームストロングがですね、この2時間経ったら自分でドア開けて出てこいという隔離テストですね、きっちり2時間で出てくるんですね。で、これどうやったんだと言われたら、「いや、下宿のベッドに男が15人を歌ってた」っていう風に答えたんですよ。
で、この「下宿のベッドに男が15人」っていうのを僕も調べたんですけども、なんとか分かったのはですね、アメリカの数え歌でですね、「ボーイスカウトがベッドに10人」っていうのがあります。「アブラハムの子は7人」だっけ?「1人はノッポであとはチビ」、ああいう手の数え歌ってのがアメリカによくあるんですけども、「ボーイスカウトがベッドに10人」っていうのは、ボーイスカウトがベッドに10人寝てて、で、「ロールオーバー、ロールオーバー」っていう風に1人がちょっと向こうに詰めて、ちょっと向こうに詰めて、向こうの1人が落ちちゃったっていうような数え歌なんですけども、これがですね、どうも当時のアメリカのですね、大学生の間で、下宿のベッドに男が15人寝てると、「向こう行ってくれ、向こう行ってくれ。1人落ちた」っていう替え歌になったらしいんですね。
それをですね、ニールが自分のペースで歌うとですね、なんか30秒だから、なんか1分とかで収まったらしいんですよ。あ、違う。なんか3分ぐらいで収まったらしい。で、それをきっちり何十回か歌ったらちゃんと2時間になったのでですね、出てきたらですね、もう本当にほぼ2時間ぴったりで出てきたらしいんですけども、こういうですね、ニールっていうのは何だろうな。自分を見失わないところがあったんですね。みんなどうやって自分が冷静なところ見せようかとか、どうやって自分がそんな感覚遮断テストみたいの受けて平気なとこ見せようとしてるとこに、ニールは要するに2時間ぴったり出てきたらいいんだな、じゃあ俺はできるだけ正確に、数を数えたらペースが狂っちゃうから、1番知ってる歌を何十回も続けて歌おうという風にだけ考えて2時間で出てきたと。
で、この辺のですね、クソ度胸というか落ち着きっていうのが認められて、最終選考に残ります。8月に最終選考があって、その時に32人ぐらい残ったんですね。何百人かいたのが。で、その32人を招いたパーティーに参加したんですけども、元々ですね、アメリカの宇宙飛行士、ニールが応募したのは第2期って言われます。それがニュー・ナインですね。9人なんですよ。で、9人の枠でまだ32人残ってるわけですから、まだ誰が通るかわかんないんですけども、ニールはですね、それのパーティーに参加して、終わってまたモハベ砂漠で毎日毎日テスト飛行に参加していました。で、ついに9月にニールにですね、ヒューストンに来てくれっていう電話があります。もうこのヒューストンに来てくれっていうのはやっと分かるわけですね。9月15日までにですね、ヒューストンのライスホテルに極秘で来いと。で、そん時にニール・アームストロングと名乗るなと。ホテルでチェックインする時にマックス・ペックっていう偽名を使えという
風に言われるんですよ。で、ライスホテルでは、そのライスホテルでですね、何日も前から変なことが起きてたんですね。なんでかと言うと、やたらガタイのいい男がですね、「マックス・ペックです。チェックインします」って言ってですね、全く同じマックス・ペックという名前の男が8人もうすでにチェックインしたんですね。
で、最後の日にですね、ニール・アームストロングがマックス・ペックっていうのになったんですけども、バイトの子の1人がですね、当時働いてたアルバイトの男の子が1人、何か変だと思ってですね、支配人に言ったんですよ。「変ですよ。マックス・ペックって同じ名前の男が何人も何人も来てます。ソビエトのスパイじゃないですか」と言ったらですね、支配人は「うん。このことは誰にも言うな」と。で、「以後お前はやんなくてもいい」って言って、マックス・ペックはですね、全部支配人が直に担当することになったんで、余計にホテルの従業員は全員、なんか変だということからバレてしまったんですけども。
結局、9月15日にですね、ニール・アームストロングが参加してマックス・ペックが9人揃って、で、翌日9月16日、ヒューストン大学ですね、近くにあるヒューストン大学のライス講堂という講堂でですね、記者会見が行われました。ニュー・ナインですね。アメリカの第2期飛行士の公式のお披露目ですね。
で、そこで出会ったのがですね、同じアームストロングと同じ民間人出身のエリオット・シーですね。こいつがエリオット・シーです。で、あと、エド・ホワイト。これがですね、ニール・アームストロングのですね、数少ない親友になりました。この2人がですね、こちら左側がエリオット・シー、右側がエド・ホワイトです。
で、エド・ホワイトはですね、ヒューストンに引っ越してからですね、道路を挟んだお向かいさんになったんですね。で、エリオット・シーはですね、同じ民間人で、おまけに娘がいたと。で、ちょうどその娘がですね、ニールの死んだ娘のカレンと同じぐらいの年頃だったんでですね、ニールはその子を可愛がりというですね、割と家族ぐるみの付き合いをですね、この両方としてたんですね。
で、この3人はですね、お互いの家を訪問して一緒に晩御飯食べるほど仲が良くなった。ニールにしてはもうめちゃくちゃ珍しいんですよ。本当に親しい人間を作らない人間ですからですね。一緒に晩御飯を取るほどに仲良くなったと。しかしこの2人とも最後までニールに娘がいたこともですね、その娘が病気で死んだことも知らなかったって言いますから、ニール本当に打ち解けることが少なかったんですね。でもそれでもですね、ビール飲んだりですね、毎晩のように遊びに行ったり、家族一緒に食事するというような生活を続けてました。
でも、この2人にもですね、ニールは娘のことを言えないと。で、何かと言うとニールはですね、庭に出て月ばっかり見てるんですね。お月さんばっかり見てる。で、それをですね、エリオットは不思議に思いました。で、エリオットと2人で散歩しててもですね、ニールはですね、月明かりに照らされたブランコを見て急に止まっちゃうんですね。
で、そのブランコっていうのは実はニールの昔の家ですね。シアトルにあった、あ、違う。シアトルじゃないや。えっと、カリフォルニアの丸太小屋の前にあった、いわゆるカレンがよく遊んでた、死んじゃった娘のカレンが遊んでいたブランコにそっくりのブランコだったんですよ。で、カレンが好きだったブランコに似てると。で、見上げると月がその自分を死の世界に誘ってるっていう風な形で照らしてるわけですね。で、ニールはこん時にですね、一方的に散歩を辞めて家に帰ってしまいました。
で、この時のニールの様子を後にエリオットは「何かに取り憑かれてるみたいだった」という風に語っています。その通りですね。ニールは月に、つまりもう死の世界に何か取り憑かれてるようになってきて、ニールは死の世界に近づいて辛うじてそっから逃れると、他の誰か、ニールの大事な人が死んでしまうと。エリオットはまだ、そのニールにとって大事な人が死んでしまうということが自分のことだ、もうすぐ自分が死ぬんだという風なことに、この時にまだ気がついていませんでした。
訓練はですね、1962年、63年と2年間続きました。で、その間にですね、マーキュリー計画は終了しました。1964年に無人のカプセルを打ち上げることでジェミニ計画がスタートします。
まあまあまあ、ここまでで、ま、あと5分ぐらいいいか。えっと、ですね、マーキュリー計画っていうのはですね、その1人乗り宇宙船のマーキュリー計画っていうのはですね、とにかく人間を宇宙に飛ばせが目標だったんですね。だからミッションって言ってもほとんどなくてですね、生きて帰るだけなんですよ。
だから宇宙飛行士は何もするなと。目の前に計器盤がいっぱいあるけども触るなと。見てもいいけど触るなと。操縦装置なんかつけてないと。お前らが触る装置はどこにもないと。じゃあ俺らがぐるぐる回されながら酸素不足の状態に追い込まれながらスイッチをいっぱい操作した、あの実験訓練は何のためにあったんだって言ってもですね、NASAの偉いさんは「うん。何も触るな。見てろ。見て報告しろ」と。で、計器のリードアウト、いわゆる読み取りはテレメトリというやつで本部の方に来てるから、もう無理しなくていいと。お前らは生きて帰ることだけが目的だと。そっから先は次のジェミニであると言われて、宇宙飛行士はしぶしぶですね、従ってたんですね。
だから初期のマーキュリー・カプセルにはですね、操縦装置も窓も何もついてません。後にですね、ジョン・グレンたちがですね、デモというかですね、ストライキまでしてですね、カプセルに窓をつけろとか、操縦装置をつけろと言って、しぶしぶ後半になったら窓とかがついたんですけども。
ジェミニ船はですね、この次の世代のジェミニ計画が始まったジェミニ船はですね、ロケット噴射で自由に飛べました。で、大気圏突入もですね、パイロットの判断でできます。
で、アポロ計画はですね、その頃ですね、月軌道ランデブー方式というのが決まりました。これも何回か前で説明したんですけども、となるとですね、地球からの管制の届かない、例えば月の裏側とかでですね、司令船と月着陸船がランデブーしたりドッキングすることが必要だと。ジェミニ計画というのはこのアポロ計画のための、月軌道ランデブーを実験・練習するための計画、そのためにプロジェクトが始まりました。
こいつはですね、僕が昔プロデュースしたですね、法律科学博物館という中に出てくるジェミニ8号のフィギュアです。こういう風にですね、2つのフィギュアがくっついてるんですけども、前にあるこの細い長いやつがですね、アジェナ衛星と言います。アジェナ標的衛星ですね。後ろにあるのがジェミニ8号。後にですね、ニール・アームストロングが乗り込むやつです。で、こいつはですね、このアジェナ衛星の後ろの部分にガチャンとドッキングできるようになってます。
この一緒に近くの距離を飛ぶランデブーと、そしてガチャンとドッキングする。これがジェミニ計画の最大の目的だったんですね。っていうのは、月軌道ランデブー方式っていうのは、月の周回軌道まで行って、それまで重たかった地球から持ってきた宇宙船のほとんどを置いて、軽い軽い月着陸船だけで月に降りる。もう1回月から昇ってきて、月の周回軌道を時速何キロかで、あ、秒速何キロかで回っている司令船に月着陸船が近づいていってドッキングしなきゃいけないという、もうめちゃくちゃ難しいことをですね、やろうとしてるわけなんです。だからそのための訓練とか実験がこのジェミニカプセルで、ジェミニ船で絶対に必要だったんですね。
で、めちゃくちゃ難しいし面倒くさいです、ランデブーに関しては。そのうち機会があったら、なんでそれが面倒くさいのかも話したいと思いますけども、多分それはですね、ニール・アームストロングよりもっと厄介な男、バズ・オルドリンを説明する時。このバズ・オルドリンていうのがですね、ランデブー・ドッキングの専門家なんですね。
で、友達の家に遊びに行った時にですね、奥さんが「主人はまだ帰ってません」と、遠回しに「だから帰ってください」という風に言おうとした時にですね、バズ・オルドリンは「まだ帰ってないんですか。それでは奥さん」って言ってですね、そのままその家にいて、その宇宙飛行士の奥さんに4時間の間、ランデブーとドッキングの数学的講義を始めたっていうんです。奥さんが「帰って」と思ってるのに4時間講義を始めて、相手が聞いてようと聞いてまいと関係ないって、おい、それ聞いたことがあるぞ、宮崎駿と同じだよっていうのはです。ま、そんな男だったんですけど、そのうちそういう風なことで話そうと思います。
で、人が乗る最初のジェミニ宇宙船ですね、ジェミニ3号はですね、1965年になってやっと打ち上げました。船長はガス・グリソムです。なぜかと言うとですね、ジェミニ宇宙船はガス・グリソムという、最初のオリジナル・セブンですね、NASAのマーキュリー宇宙船で最初に選ばれた7人の宇宙飛行士の1人ガス・グリソムが自分で開発して設計した宇宙船だったんですね。だからみんなガスモビルっていう風に言ってたぐらいです。バットマンの乗る車のバットモービルと同じように、ガスモビルというぐらいガスが作った宇宙船だと。で、ガス・グリソムはそのままアポロ宇宙船の設計にもですね、参加してました。
だからニュー・ナインと呼ばれた、ニール・アームストロングたちはみんなピンと来ました。ああ、そうか。NASAはガス・グリソムを、つまり第一期のアメリカの宇宙飛行士であって、ジョン・グレンが引退してしまった今、国民的英雄のガス・グリソムを月着陸の船長に決めたんだ。これその通りです。
NASAの上層部ではすでに月着陸するのはガス・グリソムだろうなと。彼が1番言わば先輩だし、1番貢献度高いし、ジェミニ船をほとんど、宇宙飛行士としては1人で参加して作ってるし、設計に関わってるし、アポロ宇宙船もガス・グリソムが作ってるもんだしと。だから彼こそが月着陸の人類第一号にふさわしいという風に考えていて、なのでジェミニの有人飛行の最初のパイロットに選んだんですね。
で、こういう風にしてジェミニで1回飛行させて、ジェミニの後半計画で1回また飛行させて、アポロ1号にまた指名して、そしてアポロ8号、9号、10号あたりの月着陸する具体的なアポロにですね、ガス・グリソムを載せようという風に考えたんですね。というわけでですね、NASAはガス・グリソムを月着陸の船長に決めたんだ。ニールたち、ニュー・ナイン第2期のですね、宇宙飛行士たちはそう思ってがっかりしました。
25分過ぎました。45分過ぎましたので、ここまでで無料パートを終わろうと思います。まだですね、ジェミニ計画はようやく始まったところなんでですね、すいません。『ファースト・マン』の映画のですね、前半1時間ぐらいしか語ってませんけども、後半もうちょっと巻いて最後まで語ってみようと思いました。
お疲れ様でした。今日の動画ここまでです。月とはですね、死の象徴だという視点で見ると、この映画本当によくできててですね、『ファースト・マン』ですね、すごい映画なんで、見たことない人は是非、U-NEXTだったら見放題で見れますのでですね、是非見て欲しいなと僕は思います。
で、この映画の監督を務めたですね、デイミアン・チャゼルですね。映画好きならですね、割と知ってる天才監督だと思います。16年にですね、監督脚本を務めた『セッション』ってですね、ジャズのドラマーの映画ですね。これが大ヒットして注目を集めてですね。で、翌年2017年に『ラ・ラ・ランド』監督ですね。ハリウッドの制作ペースからすると、最初に監督脚本を務めた音楽映画の、なんだろうな、仕上げの段階からもう撮影に入ってたはずなんですね、この1年差で公開っていうのは。で、これが大ヒットですね。だからもう本当に実力はあったんだと思います。『ラ・ラ・ランド』はですね、アカデミーの監督賞を受賞しました。
さらに2018年ですね、この作品ですね、『ファースト・マン』を監督したんですよ。もう本当2016、2017、2018とですね、3年連続でですね、映画撮ってるんですね。で、日本の興行成績はですね、『ファースト・マン』ですね、いまいちだったんですけど、海外での評価すごい高いです。
で、そんなですね、名作・ヒット作をですね、短い期間に立て続けに撮ったんですけども、そんなチャゼル監督のですね、名前、最近あまり聞かないんですね。で、これはですね、『セッション』『ラ・ラ・ランド』『ファースト・マン』の後ですね、勢いに乗って作ったですね、映画『バビロン』という映画ですね。1920年代から30年代のハリウッドを舞台にした映画業界の映画なんですけど、これがね、興行的に大失敗したからなんですね。
まあなんかね、『ラ・ラ・ランド』と同じようにハリウッドを舞台としながらもですね、『ラ・ラ・ランド』にあったようなロマンチックでほろ苦い要素というのがなくてですね、徹底的にですね、なんか猥雑でえぐい内容で、その分コメディに振ったんですけども、あんまりちょっとこれ笑えないよという感じになったんですね。おまけに公開された週にアメリカでですね、大寒波が来ちゃったと。つまりもう大雪に閉ざされて誰も映画館に行けなかったというのもですね、興行成績悪かった原因ではあるようです。
とはいえですね、この失敗で映画作れなかったわけではなくてですね、むしろもう外せないから次には絶対に当てなきゃいけないということでですね、次の準備が進んでいるそうです。1940年代のですね、アメリカの刑務所を舞台にした心理ドラマというですね、なんか期待しちゃいますよね。なんとなく『ショーシャンクの空に』的なものを期待しちゃうんですけども、すでに撮影も終わってるそうなので僕も楽しみにしてます。
さて、今日見てもらったですね、動画の続き、有料会員のみの配信なんですけど、どんな話してるのかと言うと、引き続きですね、『ファースト・マン』とですね、アポロのですね、月着陸の話をしております。月=死と見立てたですね、この話を使ってさらに映画の世界を読み解いていきます。続き見たい人はですね、YouTubeのメンバーシップ、ニコニコのブロマガチャンネル、どちらでもいいですから参加してご覧になってください。それではまた次の動画でお会いしましょう。じゃあまた、バイバーイ。
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