元TBS美術スタッフ・えりざべすが語る、コロナ禍の転機、母の死、マルチ商法、そしてインスタで政治を発信する理由

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概要

皇室の継承問題を短く解説するショート動画をInstagramに投稿し、X(旧Twitter)でも拡散されたのが、34〜35歳のえりざべすである。4人の子どもを育てながら政治や社会問題を自作のリール動画で発信し、収入はエッセンシャルオイルのマルチ商法で得ている。以前はTBSの美術職の正社員だった。

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街録chのインタビューで聞き手が尋ねたのは、なぜそのような経歴の人が、YouTubeやXではなくInstagramで政治を語るようになったのかである。えりざべすはコロナ禍での考えの変化、TBSとの対立、母の自死、参政党を応援したのちに距離を置いた経緯、そして中学時代に非行へ傾いた過去までを語った。以下、話者本人の説明に沿ってその内容をたどる。

発信の出発点はコロナ対策への反発だった

えりざべすによれば、発信のきっかけは社会問題一般への関心ではなく、コロナ禍のマスク着用やワクチン接種をめぐる「同調圧力」だった。自身の中で大きな転換点があり、最初はまず友人たちに向けて、マスクは無意味だからやめるべきだ、健康な若者にワクチンは不要で子どもへの接種は論外だ、とLINEで伝えていたという。

反応は冷たかった。大学時代から社会人になっても続いていた仲の良いグループLINEで、知ったことを「危ないらしいよ」と共有していると、誰も何も言わなくなった。意見の合わない相手とはこの話題はタブーなのだと感じ、それでも命に関わる話だから伝えなければと考えた。

そこでTBSの報道番組『報道特集』に企画として持ち込んだ。当時はワクチン後遺症も話題になっていた時期で、返ってきた答えは、後遺症を訴える人を5〜6人取材できるよう集めてくれば作ってもよい、というものだった。ただ、ちょうどロシアのウクライナ侵攻が始まるかどうかという時期で、下手をすれば世界大戦になるからそちらの方が重要で、ワクチンの件をいつ扱えるかは分からないと言われたという。

悔しい思いをしていたところに台頭したのが参政党だった。2022年夏の参院選で、行き過ぎた感染対策が子どもの成長や経験の機会を奪っていると訴える政党が現れたと感じ、全力で応援した。数議席は取れるのではと期待して開票を見守ったが、結果は1議席にとどまった。テレビもだめ、選挙もだめ、それなら自分でやるしかない、というのが発信を始めた経緯だと本人は説明する。

なぜInstagramだったのか

聞き手は、日本のコロナ対策の緩和が海外より遅かったこと、自身がドバイに行った際に海外との差を感じたことを話した。えりざべすも、飲み会ではマスクを外して話すのに店を出る時だけ着けるといった矛盾を挙げ、マスクをしない人が変わり者扱いされる状況で最も苦しんだのは子どもだったと語る。チラシを作って配るなど、ネット以外の活動もしていた。

発信先にInstagramを選んだのは、当時自分が最も影響力を持ち、勝手が分かっていたからだという。本当はTikTokが良いと考えてアカウントを作り投稿したが、BAN(投稿停止)が3回ほど続き、次に違反すればアカウント停止という状態になった。そのため、この種の内容を発信できる手段として残ったのがInstagramだった、というのが本人の説明である。

皇室継承の解説動画の狙い

最近の発信テーマについて、えりざべすは「みんながよく聞くけれどよく分からない政治の話を、これを見れば分かる」形にしたいと話す。メディアの人間は左派が多いと見ており、自身は保守を自任している。そのうえで、自分なりに解釈し、ファクトチェックをし、事実と考察を積み重ねた結果を動画にしている。反論はあってよく、意見は尊重するが、自分がこう考えていることは変わらない、という立場だ。

話題になったリールの内容はこうである。歴史上、推古天皇を含む女性天皇は8人いたが、全員父親が天皇や皇族で、本来継ぐべき男子が成長するまでの一時的なつなぎだった。一方、女系天皇とは天皇の娘が一般男性と結婚し、その子が天皇になることで、日本の歴史上一度も存在しない。皇室は姓を与える側の存在だったため苗字がない。もし愛子さまが「佐藤さん」という一般男性と結婚し、その息子が即位すれば「佐藤さんちの子が天皇になる」ことになる——動画はこうした論理で女性天皇と女系天皇の違いを説明している。

えりざべすの見方では、「愛子さまは人気があって素晴らしいのに、男系男子にこだわる古臭い右翼のせいで天皇になれない」という主張で、事情をよく知らない国民を扇動している人たちがいる。それに乗せられた人々の反発で内閣支持率を下げられれば好都合だと考える勢力であり、具体的には共産主義・共産系の人々、左翼の人々だと話者は考えている。ただし全員がそうだとは思わず、多くは歴史や伝統を知らないまま愛子さまへの敬愛をそのまま表しているつもりの人だろう、とも付け加えた。

調べ方については、いろいろ教えてもらっている「先生」のような人が1人いるが、その受け売りではなく、分からないことを尋ねる程度だという。専門の勉強をしてきたわけではなく、最近仕入れた知識だと本人は認める。ネット検索のほか、AIのGensparkが「すごく優秀」で、一次資料を引っ張ってくるのに使っている。義務教育で得た薄い基礎知識は役に立たないので、そもそも皇室とは何かというところから調べ直し、何が理にかなって腑に落ちるかを整理して動画を組み立てている。映像制作の経験はなく、編集は独学で身につけた。

反響については、保守系の人々が「この動画を見れば分かる」と拡散してくれるのがありがたいという。否定的な反応が直接届くことはあまりなく、Xの人たちはXから出てこない、と話す。殺害予告のようなものも今のところないが、来ればすぐ開示請求をして警察に突きつけるつもりだという。

生い立ち:シングルマザーの母と祖父母のもとで

えりざべすは東京・江戸川区の生まれで、墨田区で育った。父はアメリカ人、母は日本人で、小学校に上がる前には両親は離婚しており、物心ついた頃には父はいなかった。錦糸町周辺ではフィリピン系の母親を持つ子どもはいたが、自分のようなケースは珍しかったという。

母は読売新聞で働きながら一人で娘を育てた。最初は記者で、途中から宣伝関係に移ったらしい。近くに住む祖父母の家に帰っていたので「鍵っ子」ではなく、祖父母に甘やかされて育った。

父のことは、高校時代にFacebookで検索して見つけ、英語でメッセージを送ったところ「ずっと会いたかった」と返事が来て交流が再開した。父は日本に帰化しており、数か月に一度会ってピクニックをしたり、成人してからは一緒にビールを飲んだりした。その父も今年2月に亡くなり、両親ともにいなくなったと話す。ハーフであることは自分にとってメリットでしかなく、父がいないことで何かを感じる余地もないほど母はよく育ててくれた、というのが本人の捉え方である。

中学時代の孤立と非行

絵は昔から得意だったが、美術予備校に通い始めたきっかけは、中学時代に「グレた」ことだという。

通っていたのは私立の中高一貫の進学校で、1学年上から共学化したため、クラスの3分の2が男子、女子は10〜12人ほどだった。周囲の女子は制服をきちんと着て、遅刻もせず、髪も染めず、先生に逆らわない生徒たちだったが、えりざべすはその逆を全部やっていた。いじめられたと言いつつも、本人は当時の自分について「人間性が破綻していた」「モンスターみたいだった」と振り返り、人の気持ちを考えられず嫌なことを言ってしまうなど、自分がおかしかったと話す。

具体的に語られたのは昼休みの光景である。女子が一斉に手洗いに行き、自分が手を洗っている間に皆が先に戻って机を輪にしてしまい、椅子を入れる場所がない。弁当を持って「入れて」と声をかけても、顔を見合わせて誰も動かない。一番つらかったのは、それを男子に見られ、からかわれることだったという。中高一貫で逃げ場がなく、中1と中2が特にしんどかった。

中2で地元の非行グループとつるむようになり、学校に行かなくなった。当時は「おやじ狩り」が流行っていて、本人はやっていないが友人に誘われて渋谷に繰り出したこともある。2度目に行こうとした日、学校に行ったふりをして家で着替えていたところ、母が急に帰宅した。グループの中に、補導歴のある子たちとえりざべすが一緒にいるのを心配した子がいて、その子の母親を通じて「援助交際をしている」という話が母に伝わったのだという。

本人は援助交際はしていなかったが、グループの中にしている子がいたため、警察で指紋を取られ、連絡先を書いたメモ帳も持っていかれた。結果的に潔白で終わったが、今考えると奇跡だと話す。母親同士の話し合いで娘たちを二度と会わせないことになり、ようやく得た居場所を失い、学校からも退学を求められる状況になった。

美術予備校という居場所、そしてムサビへ

何か手に職をつけられるものを、と考えたとき、いつも絵を描いたり物を作ったりしていたことに目が向いた。中3に上がる春休み、代々木ゼミナールの美術予備校の体験に行き、美術の道の将来を尋ねると、デザイン事務所に入る道も、電通や博報堂のような広告会社に入る道もあると言われた。母はそこで方針を完全に切り替え、予備校に通わせるようになった。

予備校には、クラスで浮いていて勉強では落ちこぼれ、服装も尖っている子がたくさんいた。「ここだ」と感じ、居場所ができた。絵はやればやるほど上達し、初めて評価され褒められる経験をしたという。

美術高校への進学も考えたが、美術高校は受験勉強をあまり教えないため、今の学校で勉強しながら美術予備校に通えばムサビ(武蔵野美術大学)や多摩美、芸大を狙えるのでは、という判断になった。退学させるべきだという教員もいたが、えりざべすを気に入っていた教員がかけ合ってくれて学校に残れた。高校へ進み、大学は武蔵野美術大学に入った。非行がなければ美術の道に進むきっかけもなかったかもしれない、と本人は話す。常に自分を受け入れてくれる場所を探していた、という自己認識も語られた。

母の一手でTBSへ、サンジャポのADから美術へ

進路はほぼ母が決めたと、えりざべすは繰り返す。何でも自分で考え決めて動ける母のもとで、自分は何もかも母に頼る「ダメ人間」になったという。

大学では視覚伝達デザイン学科にいて、周囲は電通、博報堂、ADKなど広告代理店を志望するのが普通だった。本人はゼミの課題も最後の3日ほどで仕上げ、プレゼンだけそれらしくこなし、それ以外はクラブや恋人の家に入り浸っていたため、ポートフォリオもまともに作っておらず当然落ちた。見かねた母が「テレビ局ならいけるかもしれない」とフジテレビ、テレビ朝日、日本テレビ、TBS、NHKのエントリーシートを印刷して書かせ、投函した。

TBSにもテレビ朝日にも内定した。入社後に聞いた話では、決め手はESが届くのが早かったことだという。多くの人が締め切り直前まで練って送るなか、募集開始から2〜3日で届き、ガッツがあると見られた。本人は、母が募集開始に張り付いてすぐ印刷し、その場で書かせて発送したからで、自分の手柄ではないと話す。母には人事の経験もあったのではないかと推測している。なお、テレビ朝日とは内定者の囲い込みをめぐって揉めたという。

当時は配属の志望に関係なく1年目は全員現場に出されており、えりざべすは『サンデー・ジャポン』のADを務め、「サンジャポジャーナリスト」として画面にも出ていた。当時は思想的なものは何もなく、クビになるまでTBSにいて福利厚生を受け続けるつもりだったという。

2年目から美術に移った。予算100万〜200万円程度の小さなセットで作る単発の実験的番組のデザインや、『COUNT DOWN TV』のセットデザインを担当した。後者はアーティストごとにセットを作り、予算は1回300万〜400万円ほど。同じ小道具や照明器具を使い回し、休憩時間に組み替えて全く雰囲気の違うセットを2つ作り、2曲を収録する、パズルのような作業だったと説明する。好きなアーティストがいたわけではなく、セットの出来で気分が上がるタイプで、福山さんのセットが綺麗にできて気に入っていると話した。

出産、育休、そしてコロナ禍での考えの転換

入社5年目の26歳で第1子を出産。育休明けに戻ろうとしたところで双子を年子で妊娠し、現場に一度も戻らないまま産休・育休が続いた。双子が1歳になる前にコロナ禍が始まり、保育園の登園自粛もあった。その後保育園に通わせ始めて数か月で、第4子を妊娠した。局長にはすごく嫌な顔をされたというが、大きな会社にいることのメリットとして、それでもクビにはならなかった。「日本の将来を支える子どもを4人も産んだのだから表彰してほしい」とも本人は冗談めかして言う。

第4子の妊娠が分かった頃までは、むしろコロナが怖くて仕方がなかった。マスクもきちんとし、鼻を出している人は犯罪者だと思い、早くワクチンができてほしいと願っていたという。転機は、Instagramの知人のストーリーで「マスクは本当に意味がない」という投稿を見たことだった。その人の投稿を追うと、東京都の人口に対する感染者数、重症化率、インフルエンザとの比較などの数字が示されており、「茶番だ」と書かれていた。冷静に考えるとそうだと思い、子どものワクチン接種に反対するデモに参加して銀座を歩いたという。

TBS退職:美術局長との衝突

退職の直接の理由は、次の仕事(後述のマルチ商法)で食べていけるめどが立ったことだとえりざべすは言う。退職を引き止められることはなかった。当時すでにフォロワーは45万人おり、コロナは茶番、マスクは不要、ワクチンは危険といった政府批判を含む発信をしていたため、会社にとっては「汚点でしかなかった」と本人は見ている。

美術局長に呼び出され、「顔も目立つし、お子さんもいるのだからこういうことはやめた方がいいのでは」とアカウントの削除を求められたが、応じなかった。育休期間が終わり復職のタイミングが迫っていたこともあり、辞めるつもりで一度出社したところ、局長にまたマスクをするよう言われた。

本人の記憶では、ちょうどコロナが5類に移行した翌日ごろだった。「会社のルールだから」と言われ、誰が決めたのか、自分が話してくるから教えてほしいと返し、フロアの真ん中で、周囲にも聞かせるつもりで大声を出して大げんかになった。報道の人たちはもっと頭が固いが、美術の同僚には分かってほしかったので余計に腹が立った、と振り返る。2023年に退職した。

母のうつと自死、エッセンシャルオイルとの出会い

えりざべすが現在手がけているのは、doTERRA(ドテラ)という会社のエッセンシャルオイルを中心とした日用品のマルチ商法である。出会いには母の死が関わっている。

母は2年ほどうつに苦しみ、2022年4月28日に自死した。あらゆる薬を試し、病院に委ねるしかできなかったが、良くならなかったという。以前から知人の女性がエッセンシャルオイルを勧めてくれていたが、マルチだから気持ち悪いと耳を貸さなかった。母を亡くし、第4子の出産直後で、自分もうつになりそうな状態だったとき、その知人が登録を勧めるためではなく慰めるつもりでオイルを持ってきてくれた。香りに癒され眠れるようになり、最初は自分が使いたくてユーザーとして登録した。すでにフォロワーが多かったため、マルチをしていると見られて本当に届けたい情報が届かなくなるのを避けたく、誰にも紹介しないという条件で始めたという。

母がうつになった理由について、えりざべすは「柔軟性がなかった」と表現する。完璧主義で、何でも自分の力で思い通りにしてきた人だった。そこへ、娘が双子を含む4人の子を産んだこと、娘の夫やその母親との折り合いの悪さ、引っ越し、そしてコロナが重なった。60歳の定年を迎え、英語を生かして外国人旅行者向けガイドとして第二の人生を楽しむため資格も取っていたが、コロナで仕事はなくなり、いつ落ち着くかも分からない。コントロールできない事態への対処の仕方を知らないまま来てしまったのではないか、と話者は考えている。

体力的な負担も大きかった。徒歩5分ほどの距離に住んでいた母を、夫のリモートワークと双子の世話のために毎日呼び寄せ、朝8時から夜10時まで子どもの入浴や寝かしつけを手伝ってもらい、母は一人で歩いて帰っていた。祖父のがんが見つかったこともあり、キャパシティを超えてしまったのだと本人は振り返る。

自分がうつになりかけて分かったこと

母の死後、えりざべす自身もうつになりかける経験をした。最近もそういう瞬間があったという。はっきりした原因がなくても、寒さのようなことまで原因に入ってしまう。その体感を忘れないよう、その状態の最中にインスタライブをした。幸い翌日には回復した。

母にしてあげたかったことを自分に試してみたが、エッセンシャルオイルを使っても体感は何も変わらなかった。それはオイルや使い方のせいではなく、良い状態を0として、マイナス10がマイナス5になってもマイナスのままなので本人の体感は変わらないからだろう、と話者は解釈する。

そのうえで、自分が母にしてきたこと——病院に行け、この治療を受けろ、この薬を試せ、この本を読め、認知行動療法がいいらしい、と次々に提案し選ばせること——が、すべてストレスでやってはいけないことだったと、同じ状態になって初めて理解したという。選ぶこと自体が思考をフリーズさせる。周囲がすべきなのは何もしないことで、本人が「ちょっと横になりたい」「これを食べてみようか」と思ったときにそれを全部叶えることだ、と語る。寄り添うとは、与えることではなく受け止めることだ、とえりざべすは言う。

聞き手が、受け止める側もつらく同じ症状になりかねないと指摘すると、えりざべすは、互いを守るために境界線を引くことが大切だと答えた。自分は娘であり良くなってほしかったから、その境界線をどんどん踏み越えてしまったという。第4子の妊娠時にはそうした状況で、産むかどうか、中絶まで話に出ていた。当時の自分もうつっぽかった、ノイローゼのようになっていたと思う、と振り返る。

母の死と発信の関係、「毒親」への反骨と感謝

政治への熱中と母の死の関係を問われ、えりざべすは母に言われた忘れられない言葉を挙げた。当時、娘を抱っこして小学校の前で子どもたちにチラシを配り、通報されながらも活動していた。その姿を見た母に「えりちゃんをワクチンに取られちゃった」と言われたという。

母が生きていても発信はしていただろう、とえりざべすは言う。ただ、母が元気だったらあの手この手で妨害してきただろうから、TBSを辞めたのも、顔出しで発信できたのも、母がいなくなって「タガが外れた」面があるかもしれない、とも話した。父親でも母親でもあろうとし、人生をかけて自分を守ろうとしていたのだと思う、と語る。

中学時代にグレた原因について、先にいじめを挙げたが、実は母の存在も大きかったと本人は言い直す。母から逃れたかった、反抗したかった、嫌いで仕方がなかった。今はすべてに感謝し、全部愛だったと分かるが、渦中にいたときは苦しくて仕方がなかった。多分「毒親」の類だったと思う、と話した。

参政党から離れた理由と、揺れ動く政治観

参政党を応援していた頃と現在の同党の違いを問われ、えりざべすは、ずっと応援していたわけではなく、高市政権ができたことが大きいと答えた。

本人は自分の考えを「流動的」だと説明する。ワクチン懐疑派の中にも、すべてのワクチンを否定する人、コロナワクチンだけに懐疑的な人、ワクチンにも良いものと悪いものがあるから選ぶべきだという人がいて、自分は最後の立場だという。新しい情報によって右にも左にも振れ、軌道修正を続けてきた。参政党を応援していた頃の政治的な基盤は今とかなり違うため、いまだに「参政党信者」と言われても、「高市信者」と言われても違うと思う、と話す。政治家ではないから、考えが変わるのは当たり前だという立場だ。

以前は「自民党ぶっ壊せ」「財務省をぶっ壊せ」というリールを作ったこともあり、当時は本気でそう思っていた。しかし今は、自民党は一枚岩ではなく左も右も派閥もあり、良心ある議員もいると考える。法律がどこから上がってくるかを調べれば、閣議決定の前に議論する自民党の部会であり、その法案を上げてくるのは官僚だ、と見方が変わった。石破氏も岸田氏も嫌いで、高市氏は評価しているが、国家運営が首相一人でできているわけではない。良心ある人たちに国民の声を届けることが大事で、ただ引きずり下ろせと言っても何もできない、と話す。内閣支持率が30%台に下がったといっても、野党は軒並み4%以下で、では本当に自民党を終わらせていいのか、とも問いかける。

参政党については、アンチとまではいかないが距離を置いて見ているという。発言に賛同できる部分もある一方、他党と一緒に審議拒否をしたこと、高市氏を応援したいなら参政党に投票しろと言っていたのに首班指名で別の名前を書いたことなどを批判する。それでも良心ある議員が多い政党なので大きくなってほしい、応援しているからといって全部肯定する必要はない、というのがえりざべすの立場である。

「インスタ政治界隈」への違和感

最近はえりざべす以外にも、政治や社会問題を扱うインフルエンサーがInstagramに増えており、そこに強い違和感を抱いているという。

本人の説明によれば、「インスタ政治界隈」とは、怒りや恐怖を煽る投稿をリールで流しながら、コメント欄で「今の政府がすべて悪い」と単純化された悪役を示し、「犬笛」を吹くような人たちのことだ。彼らは左翼を自覚しているわけでも共産主義を理解しているわけでもなく、自民党が何かもよく分かっていないが、生活が苦しいと感じ始めた人々に「日本をここまでダメにしたのは自民党だ、政権交代しかない」と示せばインプレッションが稼げるからやっている人が多い、と話者は見ている。

プラットフォームの違いについても語られた。Xはアルゴリズムで偏りはするが多少の多様性があり、誰が言ったかに関わらず内容でバズる。Instagramは顔を出し素性がある程度分かっている人がやるので、その人自身のファンがつく「属人的な」場だという。ファンを作るために手っ取り早くコメントやインプレッションを稼げるのが政治ネタで、Xなら埋もれる内容でも、若い人が顔を出してInstagramでやれば売れる可能性があると気づいた人が何人もいる、というのが本人の分析である。こうした動きへの批判は、かつて「自民党ぶっ壊せ」と言っていた自分への戒めでもあるという。その結果、今は「自民党に金で雇われた」などと叩かれているが、大したことはない、と話した。

マルチ商法の仕組みと収入、そして働く理由

doTERRAの仕組みについて、えりざべすは、自分が商品を売るのではなく、自分のIDで登録した人が自分のチームになる形だと説明する。エッセンシャルオイルは種類が多く、同社の製品には飲んだり肌に塗ったりできるグレードのものもあると本人は言い、使い方を誤れば危険なので使い方を教えるのが仕事だという。登録した人が購入すると、1人あたり100円、200円といった額が、チームの人数分、毎月の売上に応じて入ってくる。

収入は、少ない月で200万〜300万円、多い月で500万〜600万円ほどだと本人は述べた。在庫を抱える商売ではないが、純利益ではなく経費も出ていくという。8月には、オレンジのエッセンシャルオイルの原料の産地を見るためブラジルに行く予定で、片道38時間かかるためビジネスクラスを使い、乗り継ぎの宿泊も含めて参加費は自費で総額約200万円かかる。その間は祖母を呼んで子どもの面倒を見てもらう。これまでもノルウェー、ハワイ、ネパール、ケニア、ブルガリア、オーストラリア、ニュージーランドを訪れ、見てきた栽培や蒸留、採取の様子をZoomの勉強会でチームに伝えている。収入はすべてメンバーの買い物から少しずつ得ているもので、この人のチームに入ってよかったと思ってもらえる価値を提供できなければ収入もなくなるため、「全出し」で取り組んでいると話す。

働く動機は、4人の子どもを全員大学に行かせるためだという。自分がムサビに通った学費は年間300万円ほどかかり、予備校にも費用がかかった。浪人や医学部となればもっとかかる。お金がなくても良い経験はできるが、お金があれば選択肢が広がり、子どもが道を決めたときに閉ざさずに済む、という考えだ。

背景には母の記憶がある。美術の道に進むと決まったとき、母はニューヨーク、パリのルーブル、イギリスの大英博物館など世界的な美術館に連れて行ってくれた。当時は恋人との電話の方が大事で真面目に見ていなかったが、母の死後、予備校の先生から、母が「娘のためにできることはできる限りやってあげたい」と話していたと聞き、もっと真面目に見ればよかったと思ったという。母の愛情は一方的すぎて当時は「愛憎」だったが、子どものうちの経験が糧になると分かるからこそ、自分は押し付けはせず、子どもがやりたいと言えばできる限り尽くすつもりだと話す。そのうえで、結果的に母に押し付けられた美術の道で自分は花開いた、とも認めている。

「マルチ」という言葉への反論

聞き手は、堂々とマルチをやっていると言い、金額まで公表する人は珍しいと驚いた。えりざべすは、自分のリールを引用している人のところに「こいつはマルチのトップランカーだ」としつこく書き込む人もいると話しつつ、人を騙していると思う人がいるのは仕方ない、評価は人それぞれだと受け止めている。

そのうえで、世間はマルチという言葉に「アレルギー」を持ちすぎていて、何が悪いのかをよく分からないまま悪いものとして退けている、と主張する。以前の自分もそうだったので気持ちは分かる、とも付け加えた。

比較に持ち出したのが投資である。投資詐欺はあるし「いい投資話がある」と言われれば警戒するが、自分の夫は投資で生計を立てており、FPのように金融商品を紹介して仕事にしている人もいる。中身を開けなければ詐欺か正当な仕事か分からないのと同じで、マルチもそうだという。ネズミ講は無限連鎖で商品がないこともあるからダメだが、商品の販売形態が紹介制であること自体は、広告代理店や不動産業者が紹介で手数料を取るのと同じだ、と話者は述べる。アムウェイの仕組みは詳しく知らないと断ったうえで、自分の場合は報酬が7段目までしか入らないので、その先で爆発的に売れても自分には入ってこない、影響力を発揮できる範囲だけの収入なのだ、と説明した。

聞き手が「存在が面白かった」と締めくくると、えりざべすは「こんなので大丈夫かな」と応じ、Instagramを見てほしいと言ってインタビューは終わった。