習志野スペクター元総会長・羽月カズヒロが語る、暴走族、稲川会、覚醒剤、そして53歳の現在
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜千葉県船橋市で生まれ、習志野スペクターという暴走族で総会長を務め、20歳から稲川会系の地元組織に所属した羽月カズヒロは、53歳になった今、無職で知人の家に身を寄せている。インタビューは、少年時代から暴走族の抗争、ヤクザとプロキックボクサーの二重生活、破門と指詰め、15年にわたる覚醒剤との関わり、そして「元反社」として生きる現在までを順に聞いていく。羽月は過去について「後悔はない」と繰り返す。一方で、仕事も貯金もなく、体調も悪く、先の目標が見えないとも語っている。
現在:店を閉め、日雇いでしのぐ
最後に出所してから、収録時点で約3年8か月が経つ。出所後は女装とメイクをした状態で接客するバーを営んでいたが、今年1月に閉店した。昨年9月に関係者が亡くなり、立ち退きを余儀なくされたためだという。その結果、今は無職である。先月は駅のホームの屋根の掃除などの日雇いアルバイトで食いつないだといい、「なんか仕事あったら紹介してもらいたい」と冗談めかして語った。家族は母親と弟がいるが、現在は知人のところに住まわせてもらっている。
船橋の労働者家庭と「落ち着きのない子供」
羽月は昭和48年生まれ。船橋の旧七村にあたる地域の出身で、収録場所のすぐ近くだという。父は昭和19年生まれで、運送会社の長距離トラックの運転手だった。母は昭和21年生まれで、昼はクリーニング店、夜はスナックで働いていた。3歳下の妹と弟を含む5人家族の長男である。父は約26年前に亡くなった。裕福ではなかったが、それが当時の普通だと思っていたので、不幸だと思ったことはないという。
当時の船橋について、羽月は歩いて行ける範囲にヤクザが多くいたと振り返る。ただ「日本に治安の悪いところは一つもないと思う」とも言い、船橋は「日本の上海」と呼ばれるほど賑やかな町だったと表現した。
自身の子供時代は「ただ落ち着きのない子供」だったという。今なら発達障害と言われるかもしれないが、当時はそうした言葉もなく、授業中に突然教室を出て行くこともあった。本人の感覚では、グレていたというより「元気な昭和の子供」だった。それでも小学校高学年になると、ゲームセンターで土管ズボンをはいた中学生の頭を後ろから叩く、相手にバケツをかぶせてデッキブラシで殴る、といった行為をしていた。金を取るのが目的ではなく、人がハッとするようなことをするのが快感になっていたという。本人も「変態かもしれない」と笑う。中学1年の頃は常に物をポケットに入れて持ち歩き、同級生の頭を叩いていたと話した。
表番と裏番、高校に進まなかった理由
昭和48年生まれは第二次ベビーブームの世代で、不良が多かったと羽月は言う。1学年に不良と呼ばれる生徒が20人ほど、女子を入れればさらにいたので、自分が浮いた存在ではなかった。
学校には番長制度が残っていた。羽月が「表番」を務め、実際の番長である「裏番」は別にいた。裏番は頭が良く、柔道部のキャプテンで体も大きく、高校・大学への進学を予定していた。進学に響くので表には出られない。そのため、喧嘩のときだけ裏番が前に出て、警察沙汰になれば羽月が代わりに対応する仕組みだった。羽月によれば、勉強もスポーツもできる生徒が本当の番長というパターンは、当時かなり多かったという。
高校には最初から行くつもりがなかった。当時の船橋は受験競争が激しく倍率も高かったため、中学時代に突っ張っていた生徒はそもそも受験させてもらえず、振り落とされたと羽月は説明する。不良でなくても勉強ができないだけで高校に行けなかった同世代は多く、中卒で今も静かに暮らしている人はたくさんいるという。両親は何も言わなかった。羽月自身は、学費が無駄になるだけだと考え、親に負担をかけたくなかったと語っている。
習志野スペクターとは何だったのか
羽月は中学2年からスペクターのミーティングに、中学3年から集会に参加するようになった。スペクターは町田で始まり、2代目は浅草、3代目以降は新宿が総本部になった。千葉、神奈川、静岡、仙台、名古屋などにも、のれん分けのような形で支部があったという。歴史は1960年代後半にさかのぼると羽月は見ている。チームとしては日本最大だが、昭和53年12月の道路交通法改正より後の世代である羽月たちの頃には、全スペクターがそろって走ることはなかった。そうした合同の走行は昭和50年代前半くらいまでだったのではないか、というのが羽月の認識である。
千葉県内では、市川、習志野、船橋のスペクターがもともと仲が良く、「千葉県のスペクター三羽ガラス」と呼ばれていた。羽月の代ではたまたま市川と一緒に走っていなかったが、対立していたわけではないという。船橋周辺には津田沼など各地域のチームがあったが、どこも仲が良く、毎週一緒に走っていた。
入り口は強制ではなかった。先輩たちがバイクで学校の周りを流しに来る「学校流し」の際に挨拶をするなどして、自分から顔を覚えてもらおうとしていた。「とにかく暴走族をやりたくて、スペクターをやりたくて」と羽月は語る。
中学卒業後は現場仕事をしていたが、真面目には通っていなかったという。バイクはアルバイトでためた金でCBXを自分で買った。周りのほとんどは盗んだバイクに乗っていたが、羽月は泥棒が好きではなかったと話している。
人数は時期によって大きく違った。羽月一人しかいない時期もあれば、17歳のときの一斉検挙で警察が新聞に発表した人数が213人だったこともある。ただ、その全員が常にいたわけではないと本人は補足する。
ブラックエンペラーとの3週連続の抗争
最もよく衝突した相手は、千葉県各地に支部を持っていた大規模チームのブラックエンペラーだった。羽月の説明によれば、抗争は殴り合いというより車の「合戦」に近い。車で相手に突っ込み、バックしてまた突っ込むことを繰り返す。後ろからは火炎瓶が飛んでくる。双方合わせて200人は超えていたと羽月は見ている。
特に激しかったのが、土曜の夜に3週連続でぶつかった時期である。場所は東京湾岸道路のららぽーと前、千葉西署の前、習志野方面などだったという。羽月はこれを、千葉県で最も激しい、総連合とブラックエンペラーの「最後の大きな戦い」だったと位置づけている。
戦い方の要点として、羽月は「背中を向けないこと」を挙げた。先頭の者が逃げると後ろの者もつられて一斉に逃げるので、弱さを見せてはいけない。「背中向けんなや」と互いに励まし合っていたという。主な武器は車と火炎瓶で、ガソリンを入れたビンを何百本も積んでいたこともあった。羽月自身は火炎瓶を使わず、金属バットを持って相手に向かっていったと話す。
3週目は事件化せず、勝敗もつかなかった。パトカーや消防車が大量に来たため散り散りに逃げるしかなく、逃げ遅れた羽月は千葉西署前の団地に隠れた。上から燃える車を眺め、明け方に歩いて船橋まで帰ったという。
抗争で亡くなった人についても質問が出た。羽月は双方に亡くなった人がいると述べる一方で、自分たちの頃に殺人事件になったことは一度もないとも答えている。
16歳で総会長に、少年院と1人での再建
羽月は鑑別所に3回入り、3回目で少年院に送られた。在院は1年半ほどで、容疑は凶器準備集合と傷害などだった。
総会長になったのは16歳で、17歳で少年院に入った。そのときのメンバーは十数人で、2学年上の先輩もまだいた。それでも羽月が総会長になったのは、先輩たちが捕まりたくなかったからだという。事件になればトップが捕まる。18歳になって運転免許を取れば、集会参加で免許が取り消されるおそれもある。そこで先輩が後輩に総会長を任せる例は「結構ある」と羽月は言う。ただ羽月自身は総会長になりたかった。先頭に立つ先輩たちがかっこよく見えていたからだ。少年院に行きたくない気持ちはもちろんあり、警察署から脱走したこともあったと語っている。
19歳で出てくると、主要メンバーが少年院に入ってバラバラになり、習志野スペクターは消えていた。羽月は1人で活動を再開する。昼間にバイクで流し、悪そうな少年を見つけると止めて鍵を取り上げ、「スペクターやるなら返す、やらないなら捨てる」と迫った。こうして少しずつ人を増やし、15人ほどまで再生させたという。羽月は20歳でヤクザになったあとも、ケツ持ちとして何十年も習志野スペクターに関わり続けた。スペクターがなくなったのは2年ほど前のことだという。
稲川会系の地元組織へ
20歳で入ったのは、稲川会系の地元の一家だった。17歳ごろから出入りしていた組織で、習志野スペクターのケツ持ちでもあったため、そのままスライドする形で入った。習志野スペクターや地域の他のチームのメンバーも、多くが同じ一家に流れたという。暴走族時代に金を納めることはなく、当番や事務所の雑用をする程度だった。建前としては組織に守られていたが、基本的には暴走族の中で問題を解決していたと羽月は話す。
組での主なシノギは闇金だった。建築現場への人の派遣なども手がけたが、中心は金貸しだったという。当時はまだ締め付けが厳しくなく、みかじめ料でも食えた時代で、20代の頃は月200万円ほど稼いでいたと羽月は振り返る。所属は三次団体で、構成員は平均30人ほど。羽月に役職はなかった。
当初は上を目指していた。羽月は、組を持つにはまず舎弟を多く抱えることが必要で、金は後からついてくると考えていた。舎弟の多くは、ケツ持ちをしている暴走族から上がってくる少年たちである。同じように舎弟を増やしたい組員がいる中でどう人を集めたのかと問われると、「結構強引」だったと答えた。「今週から事務所に入れ」と強制的に連れてくるような形だったという。ただ、ヤクザとしての約15年間で役職に就くことはなく、組も持たなかった。
2度の服役:府中と網走
逮捕は何度もあったが、刑務所に入ったのは2回だと羽月は言う。本人は「大きな事件は起こしたことがない」と話す。1回目は府中刑務所で、傷害などによるものだった。詳しくは忘れたという。
2回目は恐喝である。同級生の彼女が性被害に遭い、加害者を呼び出して「お仕置き」をした。刃物で耳を切りつけたが、切り落としてはおらず、「ぷらんとなるぐらい」だったと羽月は説明する。その場で誰かが金を出せと言ったため、恐喝として立件されたという。刑期は2年で、網走刑務所に服役した。網走は凶悪犯ばかりが行く場所というイメージとは違い、刑務官も優しく「人気のある刑務所」だった、むしろ横浜刑務所などの方が行きたくないと皆が言う、と羽月は語っている。
ヤクザとプロキックボクサーの二重生活
27歳で服役を終えて地元に戻ると、習志野の自衛隊駐屯地の近くにキックボクシングジムができていた。塾長の大成先生はK-1のレフリーなども務めた人物で、羽月の師匠になった。27歳で入門したが、すぐにまた服役する。網走から出てきた30歳でプロテストを受け、合格した。ただ入れ墨があったため、国内での試合を禁止するという条件付きでライセンスが発行されたという。
羽月によれば、当時は入れ墨のある格闘家はほとんどいなかった。ボクシングでは、皮膚移植で入れ墨を消した川崎という先輩や茨城の選手の例があったが、羽月は入れ墨を消さなかった。50歳を過ぎた去年、シニア部門の王者になったとも話しているが、字幕からは詳細が聞き取りにくい。
ヤクザの仕事を終えてからトレーニングに通う生活は5年ほど続いた。組長は応援してくれたが、前例がないため、若頭などからはやめるよう言われた。それでも羽月は、どうしてもキックボクサーとして生きていきたかったので押し通したという。キックボクシングを始めてから、組の中で偉くなりたいという気持ちは「ゼロ」になったと語っている。
覚醒剤との出会いと、組の中での扱い
覚醒剤を覚えたのは30〜32歳ごろ。当時付き合っていた彼女に勧められたのがきっかけだった。自分で使うだけで、売ることはしなかった。人を食い物にするようなことをしたくなかった、と羽月は説明する。羽月の所属した一家は、稲川会の中でも覚醒剤を売ることも使うことも禁じていたという。
周囲には当然気づかれていたが、言われたことをきちんとこなしていれば、厳しく罰せられることはなかった。組長は羽月が使っていると感じたとき、わざとキノコや餅のような食べ物を出したという。覚醒剤を使うと唾液が出なくなり、口の中が乾いて飲み込めない。「口の中カラカラやろ」と見抜かれていた、と羽月は笑いながら振り返った。試合前には抜くこともあり、毎日使っていたわけではない。本当に中毒になったのは、むしろヤクザを辞めてからかもしれないと本人は話している。
破門の経緯と、別件の指詰め
羽月がヤクザを辞めたのは、事務所での金銭トラブルがきっかけだった。当番の組員の財布から少しずつ金がなくなる事件が続き、羽月が疑われた。本人は取っていないと否定する。疑われた理由については、覚醒剤の使用者同士のつながりがあったからではないか、と推測している。潔白を示すため、事務所に対して抗議的な行動を取った。詳細は「あんまり言うとあれなので」と避けたが、暴力に訴えたことは認めている。その結果、破門となった。その後は船橋を離れ、浦安で10〜12年ほど暮らしたという。
小指の欠損は、これとは別の件である。小岩で、羽月が面倒を見ていた暴走族の後輩たちと地元の暴走族が衝突した。買い物中に居合わせた羽月は、後輩を追いかけてきた相手を制した。ところが後になって、組の看板を出して喧嘩したと上から問題にされた。羽月は看板は出していないと否定したが、指を詰めることになった。一般の暴走族相手に組の名前を使うことは、相手がヤクザである場合とは違い「安くない」と見なされる行為だった、と羽月は説明している。
羽月は、晩年の自分を「乞食ヤクザ」と表現した。2回目の服役中に、山口組系の闇金事件が大きく報じられ、それを機に闇金への規制法ができたと羽月は理解している。その後にオレオレ詐欺が広がったが、羽月は服役中で関わっていない。そのあたりからヤクザで食えなくなっていった、というのが羽月の見方である。
ケニアでのキックボクシング指導
組を辞めた後、羽月はアフリカのケニアに渡った。「とにかくめちゃめちゃ遠いところに行って決めたい」と考え、1人で向かったという。現地では、日本人が運営する小学校、孤児院、小さな病院、教会がある敷地で生活させてもらった。公園でストリートボーイたちにキックボクシングを教えていたところ、それを見ていた刑務官から頼まれ、刑務所の中でも刑務官の家族らに指導するようになった。
選手としてチャンピオンを目指す気持ちはあったが、入れ墨のため歓迎されておらず、上まで行ける自信はなかった。むしろ「悪役」として、負けるところを期待されていた面もあったかもしれない、と羽月は語っている。
注射器100本と、引き延ばした裁判
覚醒剤はやめた時期もあったが、再び使った時期もあった。覚醒剤で初めて捕まったのは40代で、ヤクザを辞めた後のことだった。前の服役から約10年空いていたため初犯扱いとなり、執行猶予がついた。しかしその後も約2年間使い続け、再び逮捕された。
猶予期間が1年残っていたため、羽月は裁判を1年引き延ばして猶予を切らそうと考えた。弁護士には「絶対無理」と言われたが、羽月は尿から陽性反応が出たことは認めつつ、自分では使っておらず、一緒にいた女性の体液から出たのだと主張し続けた。1年間の引き延ばしには成功したが、自宅からは注射器が100本以上見つかっていた。ガサ入れの際に女性がとっさにトイレに流したため覚醒剤そのものは出なかったが、結局服役することになった。入所は46歳ごろ、出所は49歳ごろだったと話している(逮捕時の年齢は発言によって前後している)。
2度の結婚
正式な結婚は1回だけである。38歳ごろ、覚醒剤をやめていた時期に、横浜のレディース出身として知られた女性と結婚し、4〜5年一緒にいた。相手は覚醒剤を使っていなかった。しかし心の病を患い、横浜に住んでいた頃、「ちょっと森に行ってきます」と言って出て行ったまま帰ってこなかったという。子供はいない。2回目は獄中結婚で、面会の便宜を図るために籍を入れた地元の後輩だった。羽月はこれを「本当の結婚ではない」と言っている。
出所後と、覚醒剤をやめた理由
出所後は地元でカラオケバーを営み、タクシー運転手もしたが1週間ほどで辞めた。2年ほど前には、金を貸したのに返さない相手の家の窓ガラスにブロックを投げて逮捕され、20日ほどで出てきたという。それ以外に悪いことは何もしていない、と羽月は強調する。
覚醒剤は出所後も何度か使ったが、「もうお腹いっぱいだ」と思ってやめたという。やめた理由は体への害ではなく、気持ちの問題だった。羽月にとって覚醒剤は性的な快楽と結びついた「エロ薬」で、アダルト動画を見続ける自分が嫌になった。「こんなことやってる場合じゃねえだろ」と思ったという。切れた後のだるさ、ずるずる抜けられないこと、人が離れていき、薬つながりの人間ばかりが周りに残ることも挙げた。今は使いたいとも思わず、YouTubeに出ていること自体が使っていない証拠だと言う。代わりに日々のジョギングやジムで汗を流す方が楽しいと話す。脳が快楽と性欲をセットで記憶しているので、年を取って性欲が落ちたことで同じように欲求もなくなったのではないか、というのが羽月自身の分析である。前歯が欠けていることについて尋ねられると、「ご想像にお任せします」とだけ答えた。
「反社」の枠から出られない現在
生活は、周囲の人に助けてもらっている状態だという。女装をしながら営んでいた「セーラーズ」のような店をもう一度やりたいと羽月は話す。自分の居場所が欲しく、飲食店が自分に向いていると考えている。出資してくれそうな人もいるという。店を閉めてから人に会わなくなり、気持ちが塞いで「うつっぽくなる」のを感じているため、その意味でも店をやりたいと語った。
羽月を支えているのは、ほとんどが今も現役のヤクザである昔からの地元の仲間だ。先輩、同級生、幼なじみ、後輩の中には、それぞれの組織で偉くなった者もいる。金銭的に助けてくれる仲間もいる。そうした関係を断つことは考えたことがないと羽月は言い切る。船橋で生まれ育ち、この町で死んでいきたいからだ。一緒に悪いことをしたり、金儲けをしたりしているわけではない、とも付け加えた。
一方で、就職は難航している。タクシー会社を何件か受けたが、面接に通らない。50代での現場仕事はきつい。羽月は、20年前には「反社」という言葉すらなかったのに、今は堅気になっても何年経っても「反社」として見られ、昔より差別がひどくなっていると感じている。
過去について「後悔はない」と何度も繰り返したあと、「貯金もない」と笑った。体調も良くない。中性脂肪が500ほどあり、医師から急性膵炎にいつなってもおかしくないと叱られたという。1日2〜3時間のジョギングやウォーキングを続けているが、「体の調子が悪いと、どんなにきれいな景色を見ても楽しくない」と言う。まず健康を取り戻したいが、その先の目標はまだ見当たらない。インタビューはそこで終わる。
じゃ、よろしくお願いします。はい、よろしくお願いします。今日、ご紹介いただいたんですけど、習志野スペクターっていう暴走族の総長だったんですよね。はい、そうです。総会長という呼び方してましたね。総会長。そうです。自分は総長という呼び方が嫌いだったんで。
若い子は総長って言ってましたけど、後からこう総会長だっていう風に言うようにしてるんですけど。で、そっから一応暴力団に入られてて。そうですね。習志野スペクターは中学生ぐらいからですね。ヤクザは20歳からこう地元の組織に。その後、逮捕されて刑務所入ってた時期もあったんですよね。まあ、そういう時はありましたね。
最後にこう出所されてからどれぐらい経つんですか?3年8か月ぐらいですね。今年の10月で4年ですね。で、その後、女装でメイクした状態でバーとかやられてた。そういうお店をやってたんすけど、今年の1月で閉めてやめちゃったんですけどね。そうなんですよ。大家さんが亡くなって、去年の9月ですね。まあ、そういうのがあって。立ち退きを余儀なくされたんですか?じゃあ。そう、そう。その結果的に今はね、ちょっと無職なんすよ。無職なんですか?
無職なんすよ。なんか仕事あったら紹介してもらいたいですよ。その生活費とかはどうしてるんですか?生活きついっすよ。もうきつくて。今やばいっすよ。先月はね、ちょっと京成線の駅の屋根のホームの掃除とか、アルバイトですね。日雇いとかのアルバイトで。日雇いのアルバイトですね。そうなんですね。
ご家族はいるんですか?母親と、弟がいますね。でも今は1人で暮らされてるんですか?今はね、ちょっと知り合いのとこにいさせてもらってます。そうなんですね。
生まれてから順番に聞いていくんですけど。はい。年齢は何歳なんですか?今年53になりますね。昭和48年生まれです。あ、53歳。押忍。生まれはこの船橋。はい、船橋で、地元で昔の七村ですね。出身ですね。もうすぐそこです。この斜め前が。そういう地域なんですけど。
どんな家族構成だったんですか?昭和19年生まれの父親、21年生まれの母、3歳年下の妹、下の弟、5人家族。長男なんですね。そうそう。父親はグループ会社で東日本運輸っていうのが船橋にあったんですよ。まあ、長距離トラックですね。その会社でドライバーとして働いて。母は昼はクリーニング屋で夜はスナックの。母は本当に働き者で、昼も夜も働いてる親でしたね。父親はもう26年ぐらい前に亡くなったんすけど。裕福ではなかったんすけど、不幸だと思ったことはないです。それが普通だと思ったんで、昭和の。
土地柄的にはどんな地域だったんですか?当時。土地柄的にはもう、すぐ歩いていける距離なんですけど、ヤクザもいっぱいいたしね。治安的には結構元気な。そうですね。まあ、治安治安って言いますけどね、俺、日本で治安悪いとこって1つもないと思うんですけど。船橋は日本の上海と呼ばれたぐらい、船橋に来れば闇市が広がっていて、笑えるみたいな賑やかなとこだと思いますよ、船橋は。
どんな子供時代だったんですか?ただ落ち着きのない子供でしたね。今で言ったら多動障害とか、そういう発達障害って言われちゃうかもしれなくて。授業中だよね、突然フラッとどっか行っちゃったりとか。まあ、というか元気でしたよ。昭和の子供でしたね。
後に暴走族とかに入るじゃないですか。そうです。その元気な感じがこう非行に繋がってくみたいな感じ。そう、そう、そう。なんかね、もうそういう通りなんすよね。だからなんか特にね、悪いことしてるっていうかね、グレてるってイメージではないですけどね。不良少年と呼ばれるようになったのは小学校高学年ぐらいからですかね。あ、もうそんな小学校からなんすか?そうっすね。ゲームセンターでね、ゲームやってる、ドカン履いてる中学生。コラって、後ろから頭叩いてやってみたりとかね、小学生の時。なんかね、中坊にバケツ被せてね、デッキブラシでフルスイングしてみたりとか、そういうなんかね、人がはっとするようなことをするのがなんか快感になってきちゃって。
ちょっと危ないことだったかもしれないです、今。なるほど。お金そっから分捕るとかじゃなくて、単純にその行為自体が気持ちいいみたいな感じだったんですか。そうですね。変態かもしれないです、変態。へえ。中1の時はね、常にムチをね、いつもポケットに入れて、とりあえず中学校のやつとね、会ったらムチで頭を叩いてね、そういう感じでしたね。
周りの環境はどうだったんですか?そういう人いました?当時ね、やっぱね、ベビーブームってなって、48年生まれなんで不良多かったんすよ。大体ね、1学年に20人ぐらいいるんですよ、不良少年と呼ばれる人たちがね。女子も入れたら25人ぐらいかな。不思議なことに浮いた存在ではなかったすね。何人かいたんで。
でもなんかそう、学校の中での1番を喧嘩で決めるみたいな雰囲気になってくんですか?まだその頃番長制度っていうのがあって。番長制度あったんですか?ありました。表番と裏番っていうのがあって、自分は番張ったんすけど、実の番長は頭も良くて柔道部のキャプテンで、高校、大学まで進学してた友達がやってたんですけど、進学とか問題があるんで表立ってできないということで、俺が表番ですね、彼が裏番っていう、そういう仕組みでしたね。
そういう仕組みなんですね。で、その裏番が表に出てくることはないんですか?喧嘩だけですね。喧嘩だけです。何か警察沙汰とかになると俺が代わるような感じですね。そうでないと彼が進学できなくなっちゃうから。なるほど。喧嘩の強さで言うと、でも結構その裏番の彼が全然強い。柔道部のキャプテンで体も大きかったんで。そっか。昭和の時代はそういうのかなりありましたよ。だから要するに、喧嘩もできる、勉強もできる、スポーツもできる、そういう子が学校の番長だったというケースは多いと思いますよ。本当の番長はそっちのパターンの方が多かったと思います。
そっか。でも教師とか警察の対応は表番がやるみたいな。表番です。表番は不良少年です。不良少年の役目なんで。そっか。でもはずさんは、喧嘩の強さで言うと一応ナンバー2みたいな感じなんですか?弱くはなかったと思いますけどね。
高校進学が全く予定なかったっていうかね、ご存じないかもしれないですけど、自分らの年代の船橋って受験戦争とかあって、船橋って全国的にね、進学のめっちゃ倍率が高くて、中学生の時に悪いことしてると受験させてもらえないですよ。もう最初からふるいにかけられて、もう高校受験資格がなくなる。そうなんですよ。もう中学の時に突っ張ってたら高校行けないって前提なんで、受験させてもらえないですよ、中学。本当なんですよ。すごい競争率高かったです。だから不良少年じゃないのに、ただバカっていうだけで高校行けてないやついっぱいいるでしょ。昭和48年生まれ、結構ね、昭和48年、49年生まれはゴミみたいなやつ多いって言われますけど、本当そうなんすよ。
そうか。不良少年プラス、シンプルに勉強できない人も一緒に高校受けない。そうそう。高校受験せずに中卒で、普通に今でも静かに生活をしてるやついっぱいいますよ。俺は静かじゃないですけど。
ご両親とか何も言わないですか?高校行かないことは。何も言わなかったですね。うちはなんか高校行けるとは思ってなかったですけどね。学費とか無駄になるだけだと思ったんで、最初から行く気なかったですね。親に受験の負担とかかけたくなかったんで。
そっか。暴走族にはいつ入るんですか?中学からね。まあ、そういうミーティング、習志野スペクターのミーティングには中学2年から参加し始めて、集会は中3からすね。参加させてもらって。習志野スペクターって、前は市川スペクターにいた人たちなんですけど。
スペクターっていうのは母体があるんですか?スペクターっていう。元々は町田スペクターから始まって、東京の。そうですね。で、それから浅草のスペクターに2代目が移って、3代目からずっと新宿が総本部ですね。最初東京で始まって、で、新宿が総本部になって、そっから千葉にもこうスペクターができてたんですか?そうですね。千葉、神奈川、静岡、仙台、名古屋とか、あっちの方にはありましたね。
じゃあその新宿の総本部が認めた団体にこうスペクターの名前をあげるみたいな。そうすね。暖簾分けっていうか。あ、そうなんすね。ですけども、自分らの頃はもう昭和53年の12月1日に交通法が改正されて、その後なんで。だから全部のスペクターでまとまって走るっていうのは全くなかったすね。なかった。そういうのって多分昭和50年代前半ぐらいまでだったと思いますよ。スペクター全部で走るっていうのは。
スペクターの歴史って本当長いんですね。そうですね。長いですね。1960年代後半からあると思います。自分が頭やったのが1986年とかなんで。なるほど。全スペクターを合わせると何名、100名とか超えるんですか?100名どころじゃないですよ。日本で1番でかいじゃないですか。チームとしては日本で1番大きいけれども、スペクター全部で走ってたっていうわけじゃないんでね。
習志野スペクターは当時何名ぐらいいたんですか?少ない時は僕1人でやってた時もありますし。そうなんです。多い時は新聞発表された時です。17歳の時にみんな一斉検挙されたんすけど、その時警察が新聞に載せた数字が213人一斉って。へえ。つまり200人いたってわけじゃないですけどね。1番多くて。1番多くてですね、一斉検挙された時。
中2で初めて参加するじゃないですか。それってやっぱ学校内で喧嘩強いってので呼ばれるんですか?入り口。いや、呼ばれるっていうんではなくて、学校流しって言って、先輩たちはね、学校の中で流しに来るんで、バイクでバーってね。そういうのでね、先輩に挨拶しに行ったりとかして、徐々に徐々にですね。なんか強制されたわけじゃなくて、もう自分からとにかく暴走族やりたくて、スペクターでやりたくて、自分からとにかくチャンスを見つけては先輩に顔をね、覚えてもらおうとしてやってたね。押忍。
へえ。船橋のそういう不良少年たちの憧れのグループだったんですか?じゃあ、その当時の。そうすね。船橋のこっちの駅の方はですね、船橋大小桜という族、他の船橋の地域ですね、津田沼悪人というチーム。で、習志野地区はスペクターなんですよね。でも全部みんな仲良くて、みんないつも毎週一緒に走ってました。
市川スペクターはね、自分の代はたまたま一緒に走ってなかったんですけど、元々市川スペクターと習志野スペクターとバトスペクターは仲が良くて、千葉県のスペクター三羽烏って呼ばれてたんすよ。へえ。自分の時はたまたま一緒に走ってなかったんですけど、喧嘩してたわけではないですね。先輩たちがみんな繋がってるんで、たまたま一緒に走ってなかったっていうだけで、喧嘩はしてないですよね。
なんか中学出たら働かずに、その習志野スペクター1本みたいな。いやいや、働いてましたよ。働いてなかったらうち入れないですけどね。とにかく現場仕事すよね。あ、現場仕事行って。現場仕事、まあ行ってなかったらいられなかったですよ。まあ、真面目に働いてなかったらいられなかったす。へえ。
じゃ、現場仕事してそのバイク買ったんですか?いやいや、バイクはね、僕は自分でアルバイトして、当時CBXぐらいだったから自分のバイク買ったすけど、あとは他のやつは誰も自分で買ってなかった。ああ、でも市川スペクターとかでも買わずに。市川と一緒すね。そうです。俺はね、泥棒が嫌だったんで。中学生の時はそういうのでバイク練習したりとかしたんすけど、俺は自分のバイクを自分で買いましたね。買ったんですね。そういうのあんまり好きじゃなかったんで。
どんな活動なんすか?えっとね、まあ、喧嘩多かったすけどね。1番よく喧嘩したチームはブラックエンペラーすね。ブラックエンペラーっていうチームがあって、そこは大きなチームだったんですよ。千葉県各地にあってね、で、ホームはブラックエンペラーの、あそこが千葉のエンペラーの本部で、自分ら総連合って言ってますね。総連合よりエンペラーの方が多かったと思いますね。まあ、エンペラーとはよく喧嘩したんすけどね。合戦みたいな感じですね。
両方入り乱れて殴り合いの喧嘩とかじゃなくて、とにかく車でボーンって突っ込んで、バックしてきて、またボーンって突っ込む、これの繰り返しすね。で、もう後ろから火炎瓶とか飛んできたりとかして。両方合わせたら200人以上なんじゃないですかね。200人以上。いや、200人は超えてると思います。
それ場所で言うとどんなとこなんすか?場所はね、3週連続でブラックエンペラーとね、土曜日の夜に3週連続でぶつかったのが当時の暴走族やった人なら有名ですけど、東京湾岸道路で、ららぽーとの前、千葉西署の前、あと習志野の袖大地ってか、どこだったっけな、若松で、3週間連続でぶつかった時あったんすよ。エンペラーと。それ全部同じブラックエンペラーですか?そうですね。多分その喧嘩がもう千葉県で1番激しかったですね。総連合とブラックエンペラーの、まあ最後の大喧嘩だと思いますけどね。
相手が100人ぐらいいるとこに車で突っ込んで返すみたいな。そう、そうですね。それで、やっぱ心理的に先にどっちか逃げちゃった方がみんな釣られてきちゃうんで。先頭のやつが先に後ろ向いて逃げちゃうと、後ろにいるやつもみんな釣られて逃げちゃうんで、とにかく背中を見せちゃいけないっていう。背中向けんなって言ってみんなで励まし合った。そういう意味なんですよね。
そっか。で、じゃ、主な武器はその車と火炎瓶。そうですね。主にはそうっすね。俺は火炎瓶とか使わなかったけど、タンクにガソリン入れたやつとか、普通に瓶に入れたやつとか。何百とか積んでるみたいな。そうですね。俺は車降りたら、もう金属バット持って走って向かってましたよ。そうなんですか。結構亡くなってる方もいますね。こっちも亡くなってる人いますよ。
3週連続の喧嘩は最後どうなって終わったんですか?結局あれはね、事件にならなくて。どっちが勝ったとかないんですか?それは。あれじゃ勝敗つかないですよね。つかないですか。そう。パトカーとかね、消防車すごいいっぱい来ちゃったんでね、もう散り散りバラバラになるしかなかったんで。俺はね、ちょっと逃げ遅れちゃって、千葉西警察の前の団地に隠れてたんすけど、団地の上からずっと見てたんすけど、バーってね、3台ぐらい燃えちゃってね。朝方歩いて船橋まで帰ってきましたよ。
少年院とか入るんですか?少年院行きましたよ。鑑別所3回行って、3回目の鑑別所の時にね、少年院も行きました。1年半ぐらいかな。何の罪で入るんですか?少年院って。共同危険行為、プラス傷害とかね。まあ、そういう感じですよね。
そういう乱闘で亡くなった人って事故みたいな扱いになるんですか?そうっすね。自分らの頃は殺人事件には1回もなってないですね。そうですね。殺人事件には1回もなってないですね。
総会長には何歳でなるんですか?16ですね。16、じゃあ最年少ぐらいですか。そうですね。1989年で。で、少年院入ったのは17歳ですね。そうなんすね。何人ぐらいいたんすか?その総会長になった時って。まあ、流動的なんで、最多で10ぐらいじゃないですかね。すごいすね。2つ上の先輩たちまでいましたね。へえ。なんでそれで、はずさんが総会長になったんですか?先輩たちが捕まりたくないからすよ。あ、そうなんですか。事件になって警察が絡んできたらトップが捕まるからみたいな。もちろん、もちろん。そうですね。
そっちを取っちゃうんすね、皆さん。その少年院行きたくないっていう気持ちを、総長になるよりも。そうですね。それってずっとそんな感じだったんですか?そうですね。もちろんやっぱ少年院とか行きたくないですよ。やっぱ俺も警察署にいる時に脱走もしてますしね。なるべく行きたくないとこでありますよね、少年院なんて。
へえ。各々の代でもそういう、ちょっと先輩たちが少年院行きたくないからっていう理由で、後輩に総会長やってくれやみたいな。はい、それ結構ありました。あります、あります。結構あるんや。ちょっと賢い先輩だからね。まあ、18だと車の免許取ったりとかすると、集会っていうので免許取り消しになっちゃうから、多いですよ、そういうのは。
はずさんは総会長になりたかったんですか?自分はなりたかったすね。そうなんすね。やっぱり頭やってる先輩たちがかっこよかったからだと思います。なるほど、なるほど。
少年院入って、出てきてまだ活動続けるんですか?19の時に出てきて、その時もうスペクターなくなっちゃってたんで、1人もいなかったから、1人でやってましたよ。あ、総会長になって少年院入って、出てきたらなくなってたんですか。誰もいなくなったから、1人でやってましたね、昼から。1回なんでなくなっちゃうんですか?司令塔というか、みんな重要なメンバーがみんな少年院入っちゃったりとかして。習志野スペクター鬼主っていう俺の年のグループがあって、そういう呼び方されてたんですけど、その集団がもうみんな少年院行っちゃって、バラバラになっちゃったんで、もうだんだんいなくなっちゃって。
1人でね、特攻服着てバイク乗って、昼から悪そうなやつ見つけると止めて、鍵取り上げて、スペクターやるなら返してやる、やらないならこれ捨てちゃうぞって、バイクの鍵をね。なるほど。で、そこでちょっとずつね増やしてって、また復活させましたんで。最後の頃は、まあ、今はもう習志野スペクターはないですけどね。習志野スペクター今ないんすね。ないです。最後は2年ぐらい前までありましたね。
でも1回再生させた時は何人ぐらいになるんですか?10人、15人ぐらいじゃないですかね。そっからまた何年ぐらいやるんですか?自分は20歳から組に入ったんで、ただ携わってって言ったら、ずっともう何十年も携わってましたね。ケツ持ちという形で。習志野スペクターのケツ持ちをずっとやってましたね。へえ。
稲川会に入りました。ここの地元の一家というとこで。それどういう経緯でそこに入ることになったんですか?いや、えっとね、もう17歳ぐらいから地元の組織に出入りしてたんで、そのままなんていうかスライド式というか。その地元組織が習志野スペクターのケツ持ちだったってことですか?そうですね。そういうことです。だから習志野スペクターや悪人とか、みんなそこの一家にこう流れ式に。へえ。
なんか上納金を収めたりしてたんですか?その当時から、暴走族時代から。暴走族の時はそういうのはないっすね。当番とか事務所の雑用みたいなね。で、なんか揉め事とかあった時にこう守ってもらうじゃないけど。基本的にはそういう名目でしたけど、基本的には一応総連合は自分たちだけで問題解決したすけどね。あ、そうですね、一応建前上はいるけど。そうですね。
どんなことをシノギにされてたんですか?1番やってたのが闇金ですね。あ、闇金やってた。闇金ですね。自分はね、本当に金儲けが下手で、建築現場に派遣したりとか、そういうのとか、やっぱ金貸しだったすかね。メインは金貸しでしたね。あんまり上手じゃなかったすね。まだやっぱみかじめ料とかでね、食えた時代だったんで。
金貸しでどれぐらい稼いでたんですか?1番良くて。お金ですか?まあ普通にヤクザぐらいでしたね。最後の方は乞食ヤクザみたいになっちゃったんですけど。20代の頃は結構いいクラスだったと思いますよ。へえ。まあ、マルボウに目をつけられてましたけど、今みたいにやっぱ締め付けが厳しくなかったすからね。金貸しで月200ぐらいあったと思うんですよ。へえ。
それ3次団体のどういうポジションまで行くんですか?僕はチンピラすよ。ただの。一応、当時は幹事ですね。いや、組の中の役職とかはないですね。そうなんですか。はい。その3次団体で何名ぐらいいたんですか?平均で30人ぐらいじゃないですかね。当時は上を目指してたんですか?その役職。もちろん上を目指してましたけど、途中でヤクザやりながらプロキックボクサーとしてデビューするんですよ。へえ。それぐらいから偉くなりたいって気持ちは全くゼロになっちゃって。
これはちょうど30歳の時ですね。30歳、じゃあ。あ、でももうその時10年ぐらいはやってたんすね。ヤクザは15年ですね。ヤクザ15年やってて、その10年目にキックボクシングや。そうですね。
それまでの間は、上に行くためにはどんなことしてたんですか?いや、とにかくお金が必要なんですけど、それより前にやっぱ舎弟をいっぱい持つというのが、実際に舎弟いっぱいいたんですよね。へえ。そっから後から金がついてくると思ったんで、組を自分で立ち上げるためにはやっぱり舎弟いっぱい作ることだと思ったんで。もう自分で抱えてって感じですよね。個人事業主みたいな感じですよね。
へえ。スカウトするみたいな感じなんですか?その不良少年を。スカウトっていうか、暴走族のケツ持ちってするじゃないですか。そのための目的なんで、それからまたヤクザに上がってくるやつを引っ張ってくるって言ったらあれですけど。そうですね。連れてくるんすね、そのケツ持ちの暴走族から。
同じような立場の人いっぱいいるわけじゃないですか。その舎弟増やしたいと思ってる人が。はい。どうやってこう選んでもらうために、はずさんの舎弟になってもらうための方法って。結構強引だよ。ちょっと今週から当番入れみたいな感じで、事務所入れみたいな強制的な。俺と来いみたいな。今週から事務所入るみたいな、そういう感じですよね。
10年ぐらいやったけど、その役職は就けなかった。組も持たなかったです。組持たなかったですね。あ、で、その10年目ぐらいにそのキックボクシングなんですか?そうですね。
それなんでかというと、27の時に服役を終えて帰ってきた時に、地元に大成塾っていうキックボクシングジムができて、習志野の自衛隊のとこに。へえ。で、大成先生って塾長が師匠なんですけど、キックボクシングの、K-1のレフェリーとかやってる大成先生なんすけど、で、そこで27で入門して、それでまたちょっとして、すぐまた刑務所入っちゃうんですけど。網走ですね。出てきてからね。網走入るんですか?ええ。で、網走から出てきて、30歳の時にプロテストを受けて、キックボクシング連盟というところでプロテスト受かって、プロのライセンス取ったんすけど、入れ墨入れてたんで、日本国内で試合はしちゃダメだよってことでね、日本国内の試合禁止であればライセンス発行するよっていうことで、それでライセンス発行してもらって、それでプロになりましたね。
へえ。で、まずその現役の時って、何回逮捕されてるんですか?逮捕はいっぱいあったんすけどね。刑務所行ったのは。刑務所は2回ですね。短い刑ですけどね。大きい事件って起こしたことないんで。そっか。1回目はその、さっき言ってた。1回目は府中ですね。府中は、恐喝とか傷害とかね、そういう感じですよ。大した事件じゃない。忘れちゃったすね、だいぶ。2回目は恐喝ですね。えっと、行った時はね、同級生の彼女が強姦されちゃったんで、その強姦したやつを呼んでね、ちょっとお仕置きしたんすよ。そしたらそれで捕まっちゃったんですよ。しょうもないことで。
お仕置きって何したんですか?謝罪すればそれでよかったんで。それは普通に、まあちょっと痛めつけてね、まあ、片方ちょん切って、これでかい、片方で。え、それ別にじゃあもう去勢したみたいな感じなんですか?いや、全部切っちゃいない。スパッと行ってないですね。それで取ったわけじゃなくて、プランってなるぐらいの。へえ。そっか。でもそれ恐喝になるんですね。誰かが金出せって言ったんじゃないですか。周りのやつが。そっか。
で、それでどれぐらい入ったんですか?これは2年ですね。2年です。網走は凶悪犯罪者ばっか行くとこじゃないんで。イメージだとそうですよね。まあ、確かにロングの人もいますけど、普通にみんなが一定の刑務所で、刑務官も優しいしね。人気のある刑務所ですよ。イメージと違いますよ。イメージと全然違います。逆にみんな横浜とかの方が行きたくないって言いますよね。
出てきて、じゃあそのプロのライセンス取るけど日本で試合できないみたいな。そうですね。ヤクザだから、キックボクサーとして入れ墨云々で日本で試合できない感じなんすね。現役暴力団云々じゃないすね。そうですね、そうですね。当時まだ入れ墨の格闘家っていなくて、ボクシングでは川崎先輩ですね。立川のタンタって言われてた川崎先輩が、皮膚移植してボクシングやってたんですよ。あと大嶋さんすか、茨城のね。大嶋さんと川崎先輩がボクシングでは2人、入れ墨消してやってましたけど、自分はキックボクシングなんで入れ墨消さないで、そのまま。若い頃は日本ではやらなくて、50過ぎてから去年。あ、そうなんですか。トリメイトのシニア王者だったんすけど。
じゃあその現役とそのプロキックボクサーの並行時代は何年ぐらいですか?5年ぐらいですね。5年ぐらい掛け持ちすね。ヤクザの仕事終わった後にトレーニング行くみたいな。そうすね。その掛け持ち状態って組の人も応援してくれるんですか?組で反対する人もいたし、応援してくれる人もいましたね。組長なんかは応援してくれてましたね。そうなんですね。ただ前例がないんで、やっぱやめるようにも言われましたよ。その時の若頭とかからかな。それでも、どうしてもキックボクサーで生きていきたかったんで、ダメと言われても貫き通しちゃいましたよね。へえ。
現役ヤクザって、別に薬とかも手出してなかったですか?いや、薬やってましたよ。あ、やってたんす。やってました。覚えたのは遅いですけどね。32ぐらいで覚えてますけど。へえ。覚醒剤ですか?覚醒剤ですね。なんで30でやることになったんですか?たまたま遊んでた、俺は思ってたんすよ。あ、キメセク始まりなんすね。そうですね。彼女がきっかけのようなことですね。に勧められたんすね、最初。そうですね。その女性何やってる方だったんですか?どこですかね。バリバリの商売はやらなかったっすね、俺は。
商売ではやらなかった。自分でやるだけです。そこはなんかあったんですか?いや、なんかね、あんまり人に売ったりとかするの好きじゃなくて、そういうの種にしたくなかったんですよね。ひっそりこっそりやってたんです。組織によって違うんですけど、稲川会でもやっぱ違うと思うんですけど、ここの一家ってとこは、薬は基本的に売るのもやるのもダメだったんで。だからちょっと怖かったのかもしれないですね。へえ。
それでもバレないんですか?組に、自分でやってて。あ、バレてますね。もちろん挙動とかおかしいですからね。特になんかやらない限り怒られはしないすよね。ちゃんと言われたことだけやってれば。やめとけよぐらいの感じなんですか?そんな感じですよね。あとなんか組長が信玄餅持ってくれて、効いちゃってるなっていう時とかは、きな粉とか食えないから、組長がわざと信玄餅とか食わされるんですよね。それ飲み込めないじゃないですか。
覚醒剤やってたらきな粉とか食えないんですか?きな粉食えないですよ。どんどんどんどん乾いちゃって、唾液が出ないから。だから組長がわざと、俺が効いちゃってるなっていう時を感じる時は、信玄餅食わせるんですよ。信玄餅食べるのに食えない。うわ、俺バレちゃうわ、これみたいな。口の中カラカラやろみたいな。
本気で怒られるとかなかったんすね。そうすね。焼き入れられるとか、そんなことはない。ないすね。覚醒剤で捕まったことはないんですか?48の時に初めて捕まって。あ、じゃあもうやめてから。やめてからすね。ヤクザやめてから初めて捕まったんすけど。あ、そうなんすね。
覚醒剤めっちゃやってる状態で、キックボクシングやりながら普通にヤクザの仕事もやってたんですか?そうっすね。まあ、試合の場合は抜いたりとかもしましたけど。でもずっとやり続けたわけじゃないですよ。毎日ではないすね。ガチの中毒だったのは、むしろ堅気になってからかもしれないですね。そうなんですね。あ、まあ最後の頃も中毒だったかな。へえ。
5年ぐらいそのキックボクサーと掛け持ちでやって、なんでそれ最終的にそのヤクザの方やめちゃうんですか?ヤクザはね、結局お金が下手とかじゃなくて、結局事務所で迷惑かけて。ちょっと事務所でお金がなくなったりとか、そういう問題が続いて、それで犯人として疑われちゃったんですよね、俺が。それで、それに対しての反発的なことをちょっと事務所側にしちゃって、迷惑かけちゃって、それで破門っていう形で。
それはどれぐらいのお金なくなってたんですか?いやいやいや、全然。だから当番の人間の財布からちょこちょこ金がなくなっていくっていう、そういうレベルですよ。へえ。それなんではずさんが疑われてたんですか?シャブやってたからじゃないですかね。挙動不審だったからじゃないですか。実際取ってたんですか?取ってないですよ。だから反発的なことを事務所側にしたわけですよ。反発的なことって。潔白を晴らすために。ちょっとあんまり言うとね、結構あれなんで。それぐらいにしときましょう。
そう、そう。まあでもなんですか、武力行使みたいな感じですか?まあ、そういう感じですね。それで破門になって、船橋を出て、浦安で10年、12年間すかね。35ぐらいになって、17年ぐらい前ですかね。浦安にいたんすけど。
この小指を。あ、指すか。小指は。指はね、これはまた違う事件で。え、これ違う。これは何の事件なんですか?自分の潔白を。疑いをかけられたので。違いますよ。違います。別ですね。それ何の疑いですか?いや、普通にただ喧嘩やってる時で、組の看板出して喧嘩したっていうことを言われたんで、組の人にいや違いますよって。ただそれだけす。
それは他の団体との喧嘩ですか?いやいや、違います、違います。暴走族の喧嘩すね。それで俺がヤクザの名前を出したって、上の理事から言われて、そんなことしませんよって言って。面倒見てる暴走族スペクターの子たちと他の地域の暴走族のやつとの喧嘩すね。喧嘩。暴走族の子たちが集会やってる時に自分がいたんすよ。自分が小岩で買い物してる時、暴走族の子たちがバーって集会やってて、で、自分がいるからみんな車止めるじゃないですか、バイクで挨拶に。そしたら小岩の人間がね、うちの後輩追いかけてきたんすよ。それで俺が返り討ちにしてやったんですけど、その時に俺は組の看板出して喧嘩してたっていうことで。そうなんです。組の上の人ですね。
暴走族同士の喧嘩にこう名前出しちゃうっていうのは、指詰めないといけないほど結構やばいことだったんですよね。まあそうですよね。相手がヤクザだったらなる。カタギじゃない人に対して。あ、そう、そう、そう。名乗んのはやばいんじゃねえかっていう。そうですね。それはだいぶ安くないだろうみたいなね。なるほど。
最後の方、乞食ヤクザみたいになって。最後の方はもう乞食ヤクザみたいに金なくて、今もそうすけどね。2回目の懲役に行った時に、闇金の五菱会の事件があって、山口組のそれがすごい大々的に出ちゃって、弁護士が、闇金にめっちゃ力入れてる弁護士が、それで闇金対策法ってのができたんすよ。へえ。で、闇金が全国的に広まったのは、あんまりできなくなって、それでその後にオレオレ詐欺がバーってこう登場して。で、その時俺はいなかったんで、俺は詐欺とかやってないですけど、その辺から変わってきたんじゃないですかね、ヤクザのシノギって。食えないヤクザのことを乞食ヤクザって、まああんまり使わない方がいいですよ、それじゃ。
やめてからどうするんですか?警備とかでやったりとか。あとアフリカのケニアに行って、ケニアのエム刑務所ってとこで、刑務官の家族に、刑務所の中でキックボクシング教えたりとか。へえ。元々ストリートボーイの子たちに公園で教えてたんすよ。そしたらたまたまその刑務官の方がそれ見てて、刑務所でも教えてくれってことで、そういう活動をしてたりとかしましたよ。
普通にケニアには自分で行くんですか?そうですね。だからとにかくどっかめちゃめちゃ遠いとこに行って、決めたいなと思って。それで1人で行ったんですけど、もちろん向こうの現地で日本人の運営してる小学校と孤児院とちっちゃな病院と教会がある敷地があって、そこで生活させてもらって。
プレイヤーで本気でチャンピオン目指そうとかっていう感じではなかったんですね。キックボクサーとして、ヤクザやめてから。まあ、もちろんそういうのあったすけど、やっぱ限りなくね、入れ墨入れてるっていうので歓迎されてはいなかったんで、上まで行ける自信はなかったすよね。まあ、悪役的な。俺が負けるところを期待されていたっていうのはちょっとあるかもしれないですね。
へえ。こっちはその海外でインストラクターやったりとか、日雇いの仕事で食いつなぐみたいな日々。そうですね。覚醒剤は引き続きやってるっていう状態だったんですね。覚醒剤はやめてた時期もあったすけどね。やっちゃった時もあったすね。もう今はやってないです。
そっからまたじゃあ普通に覚醒剤でも捕まっちゃうんすね。じゃあ。そうすね。40過ぎてから捕まって、横浜刑務所行って、3年半前に出てきて。最後じゃあ入るのは覚醒剤。最後は覚醒剤です。
初犯で、でもそんな懲役とか行っちゃうんですか?いやいや。2回目の網走から10年ぐらい空いてて、1回目、弁当もらって出たんす。10年空いてると初犯じゃないですか。はい。初犯扱いで1回目は執行猶予で出て、で、2年ぐらい執行猶予で出てたのに、ずっとやってたんすよ、2年ぐらい。それでパクられて。パクられた時点で執行猶予が1年残ってたから、ずっと認めない態度で、裁判を1年間なんとか長引かそうと思って。執行猶予だけ切っちゃおうと思って。
で、1年残ってたんすけど、弁護士は絶対1年も裁判伸ばせませんよって、絶対無理ですって言うんだけど、いや大丈夫、俺の言う通りにしてくれって。尿から出たことは認めるけど、俺は自分でやってない。で、裁判官が、なぜ反応が出るのかって。いや、俺と一緒にやってた女がやってたんで、それで多分俺の尿から出ちゃったんじゃないですかねって、ちょっとそれで1年間伸ばして、裁判それで執行猶予切って、それで行ったんすよ。
普通それで1年伸ばせないですけど、俺は粘っちゃった。やってないですよって。女がなんかやってたんじゃないですかね、一緒に。聖水プレイが原因ですよって言って。最後引き延ばしたけど。あ、そうです。結局ダメだったんですか?結局そうですね。注射器が100本以上出てきてるので。で、白い物だけ出てこなかったんですよ。ガサ入った時に、女が機転利かしてトイレにバーって流したんで。へえ。白い物は出てこなかったんですけど。
結婚ってしたことあるんですか?普通のちゃんとした結婚ってのは1回ですね。横浜のレディースでね、有名な1つの女性と。え、それしたんですか?ヤクザやめた後にですね。38ぐらいかな。4年か5年ぐらいいたんですけど。で、2回目の結婚は獄中結婚ですね。だから本当の結婚じゃないですよ、2回目の結婚は。へえ。面会の便宜を図るために籍を入れたんで、まあ本当の結婚ではないですよね。
あ、はずさんが中にいる状態。そうですね。刑務所にいる時に、面会の便宜を図るために籍を入れたんで。出会ったのは外にいた時に出会ってた。そうですね。地元の後輩なんで。へえ。そうか。
本当の結婚はなんで別れちゃったんですか?奥さんの方がちょっと心を病んじゃって。まあ、それで仕方なくというかね。横浜にいたんですけどね。ちょっと森に行ってきますって言って、行ったまま帰ってこなかった。そうですか。
え、そのお相手も覚醒剤やられてたんですか?
いや、やってないですね。
お子さんはいたんですか?
子供いないすね。
注射器100本出てきて刑務所行くのは何歳の時ですか?
46ぐらいですね。出てきた時が49だから。
出てきてからはバーとかやったりした。地元でカラオケバーやったりとか、タクシーの運転手やったりとか。1週間ぐらいでクビなっちゃったすけど。
なんでですか?
他のタクシー会社だと、警官だったりとか、そういうとね。
出てからはじゃあ逮捕とかされてないんですか?その覚醒剤。
2年ぐらい前に、金貸して返さないやつがいたから、そいつの窓ガラスにブロック投げてやった。その時1回捕まったす。20日ですぐ帰ってくるしね。基本的に悪いこと何もやってないですからね、俺。
そっか。じゃ、覚醒剤とかもう、
全く出ないですね。やってたら出ないですから、こういうの。やってたらYouTube出ないですよ。
それってやっぱりその2年間経った流れでそのままやめれたっていうことですか?
あのね、シャバ出てきてから何回かやりましたよ。
あ、そうですか?
何回かやりました。でももういい加減までなと思ったね。ああ、お腹いっぱいだなと思って。
それでやめれるんですか?
やめれましたね。もうお腹いっぱいなっちゃった。
お腹いっぱい。なんかその覚醒剤によってその弊害が出るからじゃなくて、気持ち的な問題でやめれた?
気持ち的問題ですね。結局覚醒剤ってなんかエロ薬じゃないですか?エロモード入って、あのエロ動画見てる自分が嫌になってきちゃった。こんなことやってる場合じゃねえだろって。
切れ目だるいし。抜けられなくてずるずる続いちゃうし、いい人はみんな離れてくし、ポンの繋がりのやつばっかなっちゃうし。で、ポンの繋がりってどうしようもねえやつばっかなんで。
もう今は全くやりたいと思わないです。やりたいと思わないですね。
そこへの快は何でこう賄ってるんですか?今。
日々のジョギングとジムの練習、そういうので汗を流してる方が楽しい。あの、でもね、脳がそういう風に記憶してるんで、だから、年取って性欲がなくなってきたから、それと同じ感覚じゃないですかね。
ああ、やっぱそこセットなんですね。
結局そこだと思いますよ。
今ちょっと呂律みたいなのが回ってなかったりするじゃないですか。これは覚醒剤の後遺症とかあったりするんすか?
そうですね。ま、ご想像にお任せしますよ。
え、でも今はやってないですよね。
今やって…やってますよね。え、それなんだから、これ自分気遣いですね。
あ、そうですか。今は生活的には苦しいんですか?
生活は今ね、ちょっといいところさしてもらってて、ま、いい考え中ですね。これからどうしようかなと思って。
どんな道があるんですか?
セーラーズってお店やってたんすけど、あの、またどっかで借りて、店ももう1回やりたいですね。自分の居場所が欲しいんで、店はやりたいですね。
それはお金とかはどうするんですか?
まあ、なんとかなるんじゃないですかね。
出資者みたいな人がいるんですか?
そうですね。
じゃ、そういう意味ではそういう人とかってはいてくれてるんですね、周りに。何時代の人が多いんですか?不良時代の人なのか、その完全にそういうのやめてから出会った人なのか。どんな人が今周りにいてくれるんですか?
ま、限りなく皆さん堅気じゃないですよね。
あ、そうなんですね。
そう、そう。昔からのこう仲間がまだ現役で、やって偉くなって、いろんな組織で。みんな昔からのね、地元の仲間。俺はカタギなってるけど、仲間はまだ現役やってるっていう。
そういう方から金銭的援助って受けてるんですか?
助けてくれる仲間いますね。
そういう人と関わりを完全に断つっていうことはない。
それは無理です。それはないですよ。それは考えたことないですね。あの、地元でやっぱりね、この船橋でやっぱ生まれ育って、この町で死んで行きたいんで、やっぱりね。そういう関係はね、断ち切るとかもそういうのはないですね。ま、そういう中で生きてるんで。
そういう意味ではじゃあもう今までやってきたこと後悔はないっていう感じですか?
後悔ないっすね。後悔はないですよ。後悔はないですけどね。貯金もないっすよ。
そこがネックなんですね。
やばいすよ。なんか仕事しないとやばいっすよ。なんかいい仕事ないかな。正月現場仕事やったんすけどね。50過ぎて現場仕事きついっす、結構。
いや、絶対きついでしょ。
絶対きついっすよ。迷ってますよ、今。どうやったら仕事の面接とか受かるのかなと思って。タクシー会社何軒か行ってんですけど、面接で受かんないんですよね。
最近感じるのは結局、20年前は反社っていう言葉すらなかったじゃないですか。カタギになっても元ヤクザでも、ずっと反社反社反社って言うから、カタギだってずっと反社っていう位置付けで見られちゃうから、あの、一番キツいっていうかね。何年経っても反社反社って言われちゃうから、昔より今の方がそういうのひどくなってますよね。元ヤクザに対してずっと差別するから。
俺だから、あの、悪いこと何もしてないんで。ただあの昔からの先輩や同級生や幼馴染みや後輩が今まだヤクザやってるっていうだけで、一緒になんか悪いことしてとかじゃないんで。それを断ち切れっていうのは嫌だし、そういう風にしたくないし。
そうか。ま、一緒に仕事してお金儲けしてるっていうわけじゃない。
そういうわけじゃない。
今こういうことしたいみたいな。お店か。
お店やりたいって言われますよね。
飲食店の方が絶対自分は向いてると思うんで。お店やめてから本当人と会わなくなるんで。店やってる時やっぱり人と会うんで。人と会わなくなるとやっぱ差し障りできちゃいますよね。人と会うことが少なくなって。
気持ち的にもね。
気持ち的にも、まさにおっしゃる通りね。気持ち的な面でもやっぱ店やった方がいいなと思ってです。
いや、ちょっとうつっぽくなっちゃう。
うつっぽくなっちゃうんですよ。そうなんですよ。その通りっすよ。
お店じゃあできたらいいっすね。
そうっすね。色々考えてますけどね。体の調子が良くないんで。中性脂肪がめっちゃ高くて、こないだ500ぐらいあったんで、先生に急性膵炎にいつなってもおかしくないよって言って怒られちゃったんですけどね。ま、体調あんま最近良くなくてね。
人間やっぱ体調子悪いとどんなに綺麗な景色見てても楽しくないじゃないですか。だからね、先が見えないですよ。今もうとにかく健康の体早く取り戻して。目標がね、見当たらないですよ。
じゃあなんか店やんの、やばくないですか?
やばいっすよ。健康じゃなかったらどんな道も楽しくないですからね。本当健康大事ですよ。
これでは1日2時間、3時間はジョギング、ウォーキングしてますけどね。
健康手に入れて、そっからどうするかみたいな。
そうですね。
ありがとうございました。
ありがとうございます。また連絡します。失礼します。
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