14歳で妊娠し、15歳で母になった山口こひなさんが語る9年間
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜山口こひなさんは、この収録の日にちょうど24歳になった。14歳で妊娠し、15歳で出産した息子は9歳の小学3年生である。現在は大阪府枚方市で、衛生管理の会社にパートとして勤め、マット交換などのルート営業をしながら息子を一人で育てている。インタビューでは、妊娠に気づくまでの経緯、中絶か出産かの選択、中学生・高校生として子育てをした日々、そして今抱えている迷いが順を追って語られた。
ごく普通の中学生だった
山口さんは、専業主婦の母と運送会社に勤める父のもとで、3人きょうだいの長女として育った。中学ではバレーボール部に打ち込み、勉強はあまりしなかったものの、「全然真面目な子やった」と振り返る。いわゆるヤンキー志向だったわけではなく、周囲から「結婚するのは一番早そう」と言われていた程度だという。
当時の夢は助産師だった。子どもが好きだったというより、綾野剛さん主演のドラマ『コウノドリ』を見て、かっこいいと思ったのがきっかけだった。
息子の父親となる相手は、同い年の地元の男性である。中学時代の春ごろに付き合い始め、交際期間は1年弱。本人の感覚では「ちゃんと付き合った」と言える2人目の相手だった。
避妊をした上での一度きりの行為
山口さんによれば、避妊の知識はあり、相手もきちんと避妊具をつけていた。しかも行為は一度きりだった。だからこそ、自分が妊娠する体になっているとは思っておらず、発見が遅れたと山口さんは説明する。妊娠がわかる前に、2人は「若気の至り」の、おそらくくだらない喧嘩で別れていた。
気づくまでにおよそ半年かかった。初潮からまだ1年も経っておらず、生理不順がよくあったためだ。生理不順で病院に行こうかと母と話していたとき、母が娘のお腹が大きくなっていることに気づき、「そういうことしてないやんな」と確認した。山口さんはとっさに「してない」と答えたが、実際にはしていた。
妊娠検査薬は、抵抗があったので友達に付き添ってもらって買った。尿をかけて検査することは知っていたので、友達とスターバックスでドリンクをがぶ飲みし、コンビニのトイレで検査した。そのときもまだ妊娠しているとは思っておらず、「お守り」として検査しておこうという気持ちだったという。箱には「1分間待ってください」と書かれていたが、体感では10秒ほどで真っ赤な線がくっきり出て、妊娠を確信した。
検査したのは最寄り駅から自転車で行った隣町のコンビニだった。力が抜けて自転車もこげなくなった山口さんに代わり、友達が2台の自転車を押しながら1駅分を一緒に歩いてくれた。帰宅後、仕事中の母に電話した。山口さんは泣きすぎて何を言っているかわからないほどだったが、母は「思ってたよりむちゃくちゃ冷静」で、「今から帰るから直接話そう」と言った。怒ることもなく、ただ相手は誰かを尋ねた。母とは普段から恋愛の話をする友達のような関係だったので、名前を言うとすぐにわかってくれたという。
17週での受診と「6者面談」
まず地域の病院を受診すると、産むにしても中絶するにしてもリスクがあるため大きな病院へ行くよう言われた。大きな病院で、すでに妊娠17週、5か月に入った中期だと説明を受け、そこで初めて学校と相手側に連絡した。
父は激怒した。ただし、山口さんに声を荒げたことは一度もなく、怒りは相手の男性に向いていたという。その後、山口さんの両親、相手の両親、元交際相手本人の6人で話し合う場が持たれた。
そのときの山口さん自身は、産みたいとも中絶したいとも言えないパニック状態だった。元交際相手は当初、中絶してほしいという意見だった。相手の両親は「こひなちゃんの意思に従います」という立場で、中絶するなら費用を、産むなら養育費を支払うと申し出た。山口さんは相手の家族が「本当に真摯に向き合ってくれた」と話す。母からは事前に、中絶してほしいと言われてもそれは受け止めなければならないと言い含められていた。それでも自分に選択肢を与えてくれたことを、今思うと本当にありがたかったと振り返る。
中期中絶という選択肢の重さ
中絶が可能な期限までは、約4週間しか残っていなかった。しかも手術はできず、陣痛促進剤で陣痛を起こし、出産する形になると説明された。
初めてエコーを見たとき、胎児はすでに顔がくっきりとでき、手も足もあり、「本当に人間の赤ちゃんがもう出来上がってた」。それだけで強い罪悪感が湧いたという。さらに中期中絶では骨が残るため、出生届と死亡届を同時に出し、火葬もしなければならないと教えられた。山口さんは、手術で済む段階だったらもしかしたら中絶していたかもしれないと、今でも思っている。
大学病院の医師からは、生まれた瞬間に産声をあげる赤ちゃんもいて、その場合は医師が口をふさぐやり方になることもあると聞かされた。山口さんは「これはもう殺すことやな」と感じ、辛いと思いながらも、その時点では中絶も選択肢として考え続けていた。
期限前日、エコーで決めた出産
最初は中絶することに決まっていた。父が電話をして手術日も決まり、山口さん自身も、産むのはわがままになると考えて中絶を受け入れていた。
しかし、妊娠がわかってから4週間が経ち、「明日になったら中絶できない」という最後の日に、病院で「最後にエコーしますか」と聞かれた。母からも「最後にちゃんと心臓の音聞いときなさい」と言われていた。心臓の音と、まだ生きているお腹の子を見たとき、「母性本能がもう爆発しちゃった」のだろうと山口さんは言う。やはり中絶はできないと思い、ぎりぎりで産むと決めた。周囲もその時点では、それならもう産むしかないという受け止め方だった。
隠れて過ごした妊娠期間
出産を決めた後、学校からは出産のことだけを考えればいいと言われ、登校はしなくなった。友達には絶対に知られないようにと言われていたため、表向きは腸の手術で入院していることにした。
中学生もスマートフォンを持っている時代で、部活の仲間からはLINEがたくさん届いた。当時流行していたMixChannelの動画で、部活のメンバーが「元気になってね」と伝える動画を顧問の先生が撮って送ってくれたこともあった。嘘をつき続けることに罪悪感でいっぱいだったと山口さんは話す。
途中で切迫早産がわかり、約3か月、絶対安静で入院した。退院後の約1か月は家にこもり、外出するなら夜中、日中にどうしても出かけるときはサングラスで変装した。近所のコンビニには行けず、「芸能人みたいな生活」だったという。大人になってから地元の友達に、実は噂は立っていたと聞いた。それでも友達は優しく、本人には何も言わなかった。
気がかりだったのは弟のことだった。妊娠がわかった当時、弟は小学6年生で、山口さんが中学3年に上がるときに同じ中学へ入学する。噂が弟に回ってからかわれたらどうしようと悩んでいたが、弟は「他人なんか関係ない」とはっきり言ってくれ、本当に助けられたという。
同級生たちは、山口さんが臨月のころに部活の引退試合を迎えた。本当は見に行きたかったが、行けるはずもなかった。顧問の先生が試合をビデオに撮って家に届けてくれ、担任の先生は毎日家を訪れてその日の出来事を話してくれた。
中学3年の夏休みに出産
息子は中学3年の夏休みに生まれた。切迫早産で入院した経緯があったものの、実際には予定日を過ぎ、3000グラムを超える健康な状態で生まれた。負担が大きかったのは山口さんの体のほうで、体が未熟だったため出産後に出血が止まらなくなった。入院が1日ほど延び、バルーンを使う処置を受けたが、大事には至らなかったという。
出産したのは高槻市の大学病院である。15歳での出産は症例が少ないため、朝7時ごろの出産の場には教授らが10〜15人ほど集まり、山口さんを囲んでいた。本人は「研究として」と笑いながら語った。
元交際相手との距離
元交際相手は、スピード出産だったため立ち会いには間に合わなかったが、山口さんがまだ分娩台にいるうちに駆けつけ、母子の顔を見て帰った。
当時、山口さんには恋愛感情がまだ残っていて、「全然好きでした」と話す。話し合いの1か月の間に、最初は反対していた彼からも一緒に育てようかという話が出ていた。責任感のある人で、中学生なりに自分も育てなければという気持ちがあったようだと山口さんは見ている。しかし、働ける年齢でも結婚できる年齢でもなく、親の前で「働くから産ませてください」「一緒に育てます」とは言えなかった。2人の間では18歳になったら結婚しようと話していたが、実現しなかった。復縁したわけでもなく、毎日お互いに泣きながら今後を話し合うばかりで、楽しい時間はなかったという。
出産後、中学卒業までは、文化祭や卒業式などのイベントのときだけ登校し、子どもを預けている間に彼に会ったり、写真や動画を送ったりする程度だった。山口さんは相手ありきではなく、一人で育てる覚悟で産んだので、生まれた時点で彼のことはもうあまり考えていなかったと話す。
高校生になると、地元なので彼の噂が耳に入ってきた。彼女を作らず恋愛もしていないと聞き、自分のことを気にしているのではないかと考えた。1〜2か月に1回ほど、子どもを連れて食事に行くことはあり、誘うのはいつも彼のほうからだった。子どものためには父親の存在を消してはいけないと思う一方で、「事故やった」のだし、産むと決めたのは自分なのだから自分で頑張る、彼には次の人生を歩んでほしいという気持ちがあった。18歳ごろ、山口さんは「私のことは忘れてくれて構わない」とLINEで伝えた。
通信制高校、アルバイト、保育園
中学卒業後は、親に散々迷惑をかけたのですぐ働きたいと考え、高校に進学しない選択肢も考えた。しかし、シングルマザーになることは確定していて、ちゃんとした職場に勤めなければ子どもを育てられないと考え、進学を決めた。全日制は仕事と両立できないため通信制を選んだが、週2〜3回は登校して授業を受ける必要がある学校だった。飲食店のアルバイトで朝に働き、昼のアイドルタイムに学校へ行き、夜にまた働く。宿題は夜に仕上げて提出し、卒業した。
息子は生後6〜7か月、山口さんの高校入学のタイミングで保育園に預けた。ところが実家暮らしのままでは点数が足りず、保育園に入れなかった。市役所の担当者から、実家を出ればひとり親と認定され、ぎりぎり入れると教えられ、すぐ賃貸物件を探した。未成年で自分の名義では借りられなかったため、祖母の名義を借りた。母が実家のすぐ近くに住んでほしいと望み、一番近い物件が家賃7万円の部屋だったので、そこに決めた。
当時、両親は母が38歳ごろ、父が40歳前後で、下のきょうだいもまだ育てている最中だった。親に助けてもらえる実家を出ることはデメリットもあったが、これ以上負担をかけられないとも思っていたので、ちょうどよかったと山口さんは話す。高校の入学金や学校関係の費用は親が払ったが、家賃、光熱費、携帯代、食費、おむつなど子どもにかかるものは、自分の給料でまかなうようにしていた。収入は月20万円を超えていたかどうかという程度で、そこから保険料などを払い、ひとり親の手当は月4万円、2か月に1回の振り込みだった。「めっちゃきつかった」「毎月ギリギリ」だったという。
お金より時間を選んだ働き方
高校卒業後、不動産会社で一度正社員として働いた。給料はよかったが、土日も出勤し、帰宅は夜10時ごろ。子どもと話せるのは保育園の送り迎えの間だけで、寝かしつけは祖母に頼んでいた。その生活を続けるうちに時間の大切さに気づき、正社員を辞めてパートに戻った。今はお金よりも時間を優先している。
収入は月20万円前後に手当の4万円という水準からあまり変わっておらず、物価も上がっているため、たまに赤字になることもある。中学、高校と進めばお金はさらにかかる。息子も3年生になったので、正社員に戻ることも考えているが、夜9時、10時までの仕事は避けたい。一時はキャバクラやラウンジなど夜の仕事も調べたが、一緒に寝てあげたいという気持ちがあった。母や祖母、父に頼る生活はしたくないので、保育園、学校、学童を利用できる時間内に収まる昼のパートか社員しかないと考え、夜の仕事は断念した。どうすればいいか毎日考えている、と山口さんは言う。
「お父さんが欲しい」という息子の言葉
出産後に恋愛をした時期もあったが、ここ2〜3年はしていない。息子が小学校に上がってサッカーを始め、練習時間が長く土日もつぶれるチームなので、会う時間もお金もない。遊びの恋愛をする余裕はなく、するなら結婚を見据えたいが、そうなると考えることが増え、付き合う決心もつかない。24歳で9歳の子どもがいる自分を「誰が選んでくれんのかな」と山口さんは笑い、今は「子どもが彼氏」という気持ちで暮らしていると話す。
ただ、今年に入って、それまで何も言わなかった息子が急にぼそっと「お父さんが欲しい」と言った。サッカーチームには夫婦そろって応援に来る保護者が多く、それを見てうらやましくなったのではないかと山口さんは考えている。自分なりに2人分の愛情を注いできたつもりだったので、ショックと申し訳なさでいっぱいになったという。
息子は父親に会ったことの記憶がなく、自分に父親という人がいることも知らない。「俺はママから生まれてきた」と思っていて、父親について質問してきたこともない。山口さんは、息子が気を遣っているのだろうと受け止めている。
これからのことと助産師の夢
30歳までの目標を聞かれると、山口さんは収入面をしっかりさせることを挙げた。先輩ママたちから、子育てにかかる費用はどんどん増えると聞いているからだ。また、息子が15歳になれば当時の自分と同じ年齢になるので、女の子を傷つけない子に育つよう、教えるべきことを教えていきたいという。自分は高校生活や友達と遊ぶことをできるだけ我慢してきたので、息子にはいろいろな経験をして楽しんでほしいとも話した。
助産師の夢については、息子を産んだ病院の助産師と今も連絡を取り合っており、助産師になる方法や年数を聞いたこともある。ただ、勉強する時間がなく、費用もかかるため余裕がなく、いったん置いている。今は息子との時間を保てる仕事を探しつつ、同じように悩んでいる若年妊娠の人がいれば、話を聞くくらいはしたいと常に思っているという。
相談者に伝えたい「15歳の無力さ」
TikTokに少し投稿したところ話題になり、それをきっかけにABEMAなどに取り上げられた。TikTokのDMには相談も届くが、大半は「妊娠しているかもしれない」という内容で、実際に妊娠していてどうすればいいかわからない人と最後まで話せたことは、今のところないという。
聞き手が、中学3年生から「彼氏に求められていて、怖いので断っているが、嫌われたくない」という相談が来たらどう答えるかと尋ねると、山口さんは、したくないのなら「とことん止めなあかん」と答えた。そして、15歳がどれだけ無力かを伝えたいと話した。自分でも驚くほど本当に何もできず、自殺も考えたからだという。
山口さんが無力さを感じたのは、小さな出来事の積み重ねだった。妊婦健診は月1回から2週間に1回、1週間に1回と増えていくが、子どもである自分は一人で病院にも行けず、親の同伴が当たり前だった。出産が近づけば子どもの服やおむつをそろえなければならないが、稼ぐこともできず、すべて親のお金で買ってもらうしかなかった。
子どものために貯金したいと、一人で郵便局に通帳を作りに行ったこともある。手続きは途中まで進んだが、窓口の職員が山口さんが15歳だと気づき、親の承諾が必要だと言われた。親として子どもの通帳を作りに来たのに、自分の親を連れてこなければ作ってあげられないのかと感じた。普段は親として子どもを小児科に連れて行っているのに、自分が熱を出して病院に行こうとしたら、自分も小児科の対象だった。知らない人から「面倒見のいいお姉ちゃんやね」と言われることもあった。相手に悪気がないことはわかっていても、悔しいことが本当に多かったと話す。
死を考えた2つの時期
山口さんが死を考えたのは、妊娠中と出産後にそれぞれ一度ずつあった。妊娠中は、産むか中絶するかを決められずにいた時期だった。母も毎日泣いていて、産みたいけれど親に迷惑をかける、でも中絶する勇気も出ない。どうしようと悩むうちに、死のうかと思った。
出産後は、仕事と学校と子育ての両立が苦しかった。ある日、仕事からそのまま学校に向かう途中で保育園から発熱の連絡があり、授業に一つも出られないまま引き返した。その日は欠席すれば単位を落とす日だった。本来ならまず子どもの体調を気にしなければならないのに、最初に単位のことを考え、次に夜の仕事のことを考えてしまった。母親失格だと思いながら泣いて帰り、母親としての自信を失って、子どもと一緒に、と考えたこともあったという。
「すごいんじゃなくて、中絶する覚悟ができなかっただけ」
それでも今は幸せで、だからこそ過去を思い出話として話せる、と山口さんは言う。当時はこんなふうに暮らせるとは思っておらず、恥ずかしいことだとも感じていた。今は息子が不自由なく育ってくれていて、息子を通じて知り合った保育園の先生やママ友、サッカーチームの仲間と楽しく過ごしている。あのとき中絶していたらと考えると、逆に怖いほどだという。体力的にはしんどくても、9歳の息子の姿を見られていると思えば全部吹き飛ぶと話した。
周囲の大人からは「産んで偉いね」「子育てして偉いね」と言われ続けてきた。しかし山口さん自身は、すごいのではなく、あのとき中絶する覚悟ができなかっただけだと考えている。しんどい日は夕食がチャーハンだけの日もあるし、洗濯物を畳めずソファに置いたままの日もある。むしろ世の中の夫婦のほうがすごいと思う、と山口さんは言う。ママ友から「夫が横で寝ていて、毎回私ばかり」という話を聞くと、一人のほうが楽だったのではないかとも感じる。一人なら自分がやるしかないので、「なんでやってくれへんの」というストレスはない。しんどくてもストレスはなかった、というのが山口さんの実感だ。
結婚、パートナー、35歳からの人生
子どもとの時間を確保しながら収入を上げるのは難しい、という点で、山口さんと聞き手の認識は一致していた。以前、市役所の窓口で年配の男性職員に「結婚したらいいんですよ」と言われ、山口さんはひどく腹が立った。子どもがいる状況での恋愛がどれほど大変かわかっているのか、と思ったからだ。いい人がいて一度食事に行きたいと思っても、まず子どもを誰に見てもらうかから考えなければならない。それでも、現実的には結婚が一番いいことも山口さんは認めている。
相手の年齢は40歳でも構わず、むしろ落ち着いていて頼りになる人が理想だという。一方で、母親の交際相手による虐待のニュースも目にするので、相手を見極める力がかなり必要だと感じている。
息子が20歳になったとき、山口さんはまだ35歳だ。聞き手が「まだ何でもできる」と言うと、山口さんは息子を育て上げてから第二の人生を歩むのもありだと思っていると答えた。その間にパートナーが見つかれば一番いい。息子が「お父さんが欲しい」と言ってくれているので、その点では気持ちが楽だとも話した。男の子だからか、客観的に見てくれていて、嫉妬のようなものはあまりないのかもしれない、というのが山口さんの見方である。
お願いします。すいません。よろしくお願いします。お願いします。えっと、普通に本名で呼んでも大丈夫? あ、大丈夫です。山口さん、こひなさん。はい。よろしくお願いします。お願いします。
山口さんは何歳なんです? ちょうど今日で24になりました。え、だからもう、何歳で母になったんでしたっけ? えっと、14で妊娠して、15で出産しました。え、じゃあもう今お子さん9歳なんですか? 9歳。9歳なんですね。はい。[笑い]
え、この町で産んだんですか? もうずっと枚方で。ええ、そう。9歳。え、小3ですか? 小3です。小3の子供がいるんですね。はい。
え、今何の仕事してお子さん育ててるんですか? あの、衛生管理の会社でパートで働いてます。へえ。マット交換とか、ルート営業って感じですかね。え、そういうのやってらっしゃるんですか? はい。
14歳の母になるまでに、えっと、どんな家庭で生まれたんですか? 普通の、母は専業主婦で、父は運送会社で働いてて、3人兄弟の長女で。あ、3人兄弟の長女。はい。
14歳で母になった人あんま知り合いにいないんで[笑い]、よく分かってないんですけど、どんな学校でのキャラクターですか? 要は、産みそうだよねって思われてる感じなのか。あ、はいはい。あの子だったら子供できたってなってもまあ驚かんよねみたいな感じなのか、めっちゃ意外って感じなのか。そうですね、結婚すんのは1番早そうやなとは言われてましたけど。あ、そんな感じなんですか。はい。でもそんなグレてたわけでもないと思います。あ、そっか。
別にだからヤンキーとか志向ってことでもないですか? あ、全くです。中学入ってバレーボール部で、バリバリ頑張ってたぐらいで。はあ。まあ勉強はしてなかったですけど。全然真面目な子やったと思います。
あ、そうなんです。え、ちなみにその妊娠発覚する前って、将来何になると思ってたんですか? え、助産師。ああ、だから子供好きだったんですね、助産師とかって。子供っていうよりかは、『コウノドリ』っていうドラマ。あ、綾野剛さんだ。綾野剛さんのやつを見てて、かっこいいなと思って。いや、すごいですね。『コウノドリ』が子供の頃のドラマなんですね。
息子さんの父親に当たる彼氏さん、何歳から付き合ったんですか? えっと、中2の春ぐらいか。それぐらいに同い年の地元の方がいまして、その方と少しだけ付き合ってたっていう。
それは何人目の彼氏ですか? まあ中学生なんで、好きな人コロコロできて、コロコロ恋愛はしてたんで、初の恋愛とかではないですけど。え、結構恋多き女なんですか? はい、多分。その時点でこひなさんは何人目の彼氏ですか? 2人目とか? あ、2人目。はい、多分ちゃんと付き合ったなって思う男性で行くと、2人目とかですね。あ、そうなんです。
妊娠したなって何ヶ月目で気づいたんでしたっけ? それがね、初めて病院行った時がもう妊娠5ヶ月の17週目に突入したところやったんで。だいぶ気づかない期間長かったって感じなんですか? えっと、半年ぐらい気づかなかったですね。
え、それはなんで半年気づかなかったんだと思うんすか? あの、生理が始まってまだ1年も経ってなかったんで、生理不順とかがよくあったんですよ。そっか、そっか。で、ちょうどその生理不順で病院に行こうかと母と話してた時に、お腹が大きくなってるのを母が気づいてくれて。で、そういうことしてないやんなって確認されたんで、とっさにしてないって答えたんですけど、してないこともないし。それで自分で検査したらもう陽性やったっていう感じで。
え、その彼氏とは、何ヶ月ぐらい付き合ってたんでしたっけ? 1年弱ぐらい。1年弱ぐらい。ああ。避妊の知識はあったんすか? もちろん。あ、あった。はい。で、ちゃんと多分つけてたんですよ。え? あ、そうなんすか。しかも1回しかしてなくて。え、1回の、ちゃんと避妊もした上での妊娠ですか? そうなんです。だからなおさら気づけなくって、発見が遅れたっていう感じですね。まさか妊娠できる体に自分がなってるとは思ってなかったですけど、そういうのをつけないとあかんっていうのは分かってたから、彼氏の方もちゃんとつけてくれてたし。へえ。1回だけ。
でもそこまで進んだけど別れちゃったんですね。普通に。あの、妊娠が分かる前にお別れしてたんですよ。はい。え、それってなんか性格の不一致? えっと、そうですね、まあ若気の至りなんで、多分しょうもないことの喧嘩で別れた後に妊娠が分かったっていう感じ。
うん。え、だからそれって、してないやんなって言われて、でもしてるんだけどなってなって。はい。妊娠検査薬とかを中学生って普通に買えるんですか? 買えるのは買えますけど、やっぱ抵抗はあったんで友達についてきてもらって。で、おしっこをかけて検査するっていうのも知ってたんで、友達とスタバ行ってドリンクガブ飲みして、で、コンビニのトイレで検査したっていう感じで。でも、それも妊娠してるとはまだそん時も思ってなかったんで、お守りとして検査しとこうみたいな気持ち。そうか、陽性にもなんなかったら安心するし。あ、そうです、そうです。
でもそれで、あの線が出てきて、これもう、あ、もうみたいな。はい。おしっこをかけ終わってから1分間待ってくださいねみたいなことが箱に書いてたんですよ。なんでかけて手でこう持って、1分間待とうとしたんですけど、体感10秒ぐらいでもう真っ赤な線がくっきり出たんで、あ、もうやっぱ妊娠してるわと思って、もう確信しましたね、そん時にも。そっか、もう反応が強く出てるし。はい。1分って書いてるけど10秒足らずで。うっすらとかじゃなくて。
真剣での、その具合をお母さんに報告するんですかね、そこから。そうですね。あの、そん時母は仕事に出てまして。で、最寄りの駅から隣町の駅まで自転車で行ってコンビニで検査したんですよ。家に帰らないといけなかったんですけど、そん時もなんかもう私が力抜けてしまって、自転車も漕げない状態で。友達がその自分の自転車と私の自転車を押しながら1駅歩いてくれて。で、やっと家着いて母に電話して、伝えたっていう感じですね。
どんなリアクションでしたか? でもなんか思ってたより母はむちゃくちゃ冷静で。私が逆にもう泣きすぎて何喋ってるかわからんような電話をしてしまったんで、とりあえずもう今から帰るから直接話そうみたいな感じで、すごい冷静でしたね、母は。怒るとかじゃなくて。あ、全く。相手誰って言われたんで、何々って言って。それも元々母とはもう友達みたいな関係ですごい仲良かったんで、普段から恋の話はしてたんですよ。へえ。今何々と付き合っててとか。だから母もすぐに分かってくれて、あ、誰々ねみたいな感じで、すごい冷静でしたね。
そうなんです。え、じゃあお母さんも顔も分かるし。あ、顔も分かるし。なんならもう別れてるじゃんってことも分かってる。あ、そうですね。へえ。
そっからどういう順番で誰にどんな風に連絡していくんですか? そん時は検査薬の判断やったんで、一旦病院にちゃんと行こうってなって、母と地域の病院に行ったら、産むにしても下ろすにしてもやっぱリスクがあるんで、大きい病院に行ってくださいって言われて。で、大きい病院に行って、やっぱり17週のもう5ヶ月に入って、もう中期なんですみたいな感じで説明があったんで、そこでやっと学校と相手の方に連絡して。
お父さんとかはまずどんな反応だったんですか? 私の父はもうぶち切れてましたね。私に対してバッて言ったことは1度もないんですけど、やっぱ相手の男性に対して。ああ、そういうことか。そうですね。娘に何やってくれてんねんみたいな感じやったと思います。そっか、でも一応本人たちとしては避妊はしたわけですもんね。はい。そうですね。
そのぶち切れてる状態で、向こうのご両親と、その別れてる状態の元彼との6者面談みたいなのが行われるんですか? ああ、そうです。まず、相手のご両親と彼と、うちの両親と集まって、6人で話し合って。で、産むのか下ろすのか、相手の意向を聞きに行くみたいな感じで。
はあ。え、当時のそれぞれの意見ってどんな感じなんですか? えっと、私は正直、産みたいとも下ろしたいとも言ってなくて。あ、そん時はまだ判断がついてないですね。ついてない。そっか、まだパニックで。どうしようっていう感じで。えっと、彼は最初は下ろしてほしい。で、彼のご両親は、あの、こひなちゃんの意思に従いますみたいな感じで、下ろすとしたらその中絶費用のお金お支払いするし、産むってなったら養育費としてお支払いしますみたいな。うーん。本当に真摯に向き合ってくれたんですけど。
はい。だから母にも彼の家に行く前に、もし下ろしてくださいって言われても、もうそれは受け止めなあかんでって言われながら行ったんで。まあその私に選択肢を与えてくれたっていうのは、今思うとほんまにありがたかったなって思いますね。
え、その5ヶ月って、中絶できる期間は、リミットはどれぐらいなんですか? ちょうど3、4週間ぐらいあったんですよ。1ヶ月切ってるぐらいの感じ。そうです。ただ、手術はできなかったんで、陣痛促進剤で陣痛起こして普通に出産をしてっていう。ああ、なるほど。はい。その方法とか聞くとちょっと選びたくないってなりそうですね。いや、そうなんです。そうですね。
初めてエコーを見た時にはもうすでに顔もくっきりできてて、手も足もしっかりあって、本当に人間の赤ちゃんがもう出来上がってたんで、まずそれですごい罪悪感湧いてしまったっていうのと、あとその中絶、中期中絶っていうのがそういうものでって教えられて、骨も残るみたいなんで、出生届と死亡届を同時に出さないといけないし、火葬もしないといけない。だからそこまでのところまでもう進んでしまってたんで、手術やったらもしかしたら下ろしてたかもしれへんなって今でも思うぐらい。
ああ、なるほどな。出生届だ、死亡届だとか、火葬とかを含めたら、ちょっと罪悪感もあるし、ちょっと立ち直れなさそうだった。いや、そうなんです。で、そん時行ってた大学病院の先生に言われたのは、生まれた瞬間産声をあげる赤ちゃんもいる。うん、そうか。それだけ早期出産でもある。はい。だからお医者さんが口を塞いで、まあ殺す。私はもうこれは殺すことやなと思ったんですけど、口を塞ぐようなやり方になる時もあるって言われたんで、それはもうちょっと辛いなと思いながら。まあでも、そん時は下ろすことも選択肢にあったんで。そうですね、悩みましたね。
結局産むぞっていうのは、どれぐらいのタイミングで決断したんですか? えっと、最初は下ろすことになってたんですよ。で、父が電話して手術の日程も決まってましたし、もう私も産むっていうことはわがままになるなと思ったんで、下ろそうって思ってたんですけど、でも本当に最後の最後、妊娠分かってから4週間経って、もう明日になったら下ろせませんよっていうタイミングの時に、最後にエコーしますかって聞かれて、エコーしますって言って。で、母にも最後にちゃんと心臓の音聞いときなさいって言われてたんで、心臓の音と、まだちゃんと生きてくれてるお腹の子を見た時に、多分もう母性本能が爆発しちゃったんでしょうね。もうやっぱり下ろされへんと思って、もうギリギリで産みますって決断したっていう感じ。
それに対してみんなリアクションどんな感じなんですか? もうその時にはみんな、あ、もうほんならもう、みたいな感じ。あ、へえ。
それ、産むってなってからは、どんな風に進めていくんですか? 要は出産後の生活のことに備えないといけないじゃないですか。あ、そうですね。出産するって決めた後は、えっと、まず学校の方は出産のことだけ考えてもらっていいんでって言っていただいて、学校にはもう行かず。で、友達にはもう絶対にバレないようにしてくださいって言われてたんで、外も出歩かず。もうお腹が結構膨らんでたんで。
え、じゃあそん時は、病気の振りして休んでるみたいなことになった。そうです。あの、お腹の腸の手術をするために入院してるとか言って。あ、なんか突発的な病に冒されて、こひなさんはちょっと一時的に病院に入院してますみたいな。そう。
24歳って、中学生の頃もスマホとか持ってるんですか? あ、もう持ってます。で、LINEとか来るんですか? みんなから大丈夫とか。あ、そうです。めちゃくちゃ来ました。だからもうすんごい罪悪感で。部活の友達とかからもういっぱいLINEくれて。で、そん時ミクチャのメッセージとかがすごい流行ってたんですよ。あ、ミックスチャンネル。ミックスチャンネル。そっか。ミクチャ、キス動画とかカップルがあげてた。あ、そうです。[笑い]それを送ってきてくれたりとか。元気になってねみたいな部活のみんなからのメッセージみたいなのを顧問の先生が撮ってくれたりとか、なんかそんなんだったんで、嘘つくのもすごい罪悪感でいっぱいやったっていうのはありました。
なるほどな。え、じゃあその期間って引きこもってる感じなんですか? だって10ヶ月ぐらいあるじゃないですか。あ、そうです。4ヶ月どうしたん? もうずっと家で。あの、途中で切迫早産っていうのが分かって、3ヶ月ぐらい入院してたんですよ。まだ生まれたらいけないのに生まれてきそうになって、3ヶ月ぐらい絶対安静でずっと病院にいてたんで。それとあと退院してからまだ1ヶ月ぐらいあったんですけど、もうそん時はずっと家で、出るとしても夜中。日中どうしても出かけなあかん時とかやったらサングラスしたりとか。なんか芸能人みたいな生活してました。変装してたんですね。めっちゃしてました。近くのコンビニには絶対行けなかったし。
え、それはみんな厳戒体制で秘密のまま守ってくれたんですかね? 特にバレてなかったんですか? いや、多分ちょこちょこバレてたと思うんですよ。あ、そうですか。うん。大人になって地元の友達が、いや、実は噂立ってたでって教えてくれて。みんな優しいから、それを絶対私には言ってこなかったんですよ。だからまあ全然大丈夫でしたね。
ただ、弟が、妊娠分かった時小6で、私が中3に上がる時に同じ中学校に1年生として入ってくるタイミングやったんですよ。で、もし中学校で噂が立ってて、弟にその噂が回って、いじめられたりからかわれたりしたらどうしようとか考えてたんですけど、なんかそれは弟がズバっと、いや、もう他人なんか関係ないからみたいなこと言ってくれて。なんか本当に助けられましたね。え、いいですね。肝が据わってますね。うん。だいぶ私より。
生まれてくるじゃないですか。それが何年生の何歳なんです? えっと、中3の夏休みに生まれました。中3の夏休みに生まれてるってことは、妊娠期間中にみんな部活を引退試合とかしてるんですか? そうです。はい。ちょうど臨月の時にみんな引退試合して。へえ。試合とかちょっと見に行きたかったですよね、本当はね。本当は見に行きたかったですけど、絶対無理でしたね。顧問の先生が試合をビデオで撮ってくれてて、それを家に届けてくれたりとか。で、担任の先生が毎日家に来てくれてたんですよ。で、そのタイミングで今日こんなんやったで、あんなんやったでって教えてくれて。そんな感じでしたね。
切迫だなんだあったけど、出産した時は実際は結構健康的に生まれてきてくれたんですよ。はい。なんやったら予定日過ぎて3000g超えて生まれてきてくれて。ああ、じゃあめちゃ健康な状態で。健康で。ただ、まだ私の体が未熟だったんで、生まれた後出血が止まらなくなって、大量出血やったんでそこだけ結構大変やったんですけど、でも子供は無事に。あ、どっちかというとこひなさんの方の体の方が負担大きかった。私が、だったみたいです。
え、それってどれぐらいで回復したんですか? えっと、入院が1日伸びたかそれぐらいで大丈夫で。輸血までも行かなかったんですけど、あのバルーンっていうやつだけ処置があったみたい。高槻の大学病院で産んだんですけど、15歳で出産するっていうのもすごい症例が少なかったんで、朝の7時ぐらいに生まれたんですけど、もうその時点で教授とかが10人、15人ぐらい私を囲んでる中での出産みたいな。え、それはみんな研究として見てる? 研究として。[笑い] あ、そうなんですね。まあ無事にっていうこともあんのかもわかんないけど。
お父さんにあたる元彼さんは、出産後って会いに行きましたか? 立ち会いはギリギリ、私がスピード出産だったんで間に合わなかったんですけど、生まれてすぐまだ分娩台にいてる時に駆けつけてくれて、一応私と子供は見て帰ってる感じですね。
どんな感情なんですか? もう別れてはいたわけじゃないですか。でもまあ妊娠発覚して、プラス自分の子供の父親みたいな。そこで恋愛感情が残ってるんですか? そうですね。全然好きでした。そうですね。好きでしたし、その1ヶ月話し合ってる間に、やっぱ最初は彼も反対してたんですけど、一緒に育てようかっていう話も出てたぐらいなんで。
ふーん。突発的な喧嘩で別れてるから。そうですね。逆にまあ、なんかがあったら復縁してた可能性もあったしみたいな。で、彼も責任感をちゃんと持ってる方やったんで、自分で育てないとっていう気持ちは一応あったみたいなんですよね。中学生なりに。中学生なりに。
ただ、やっぱ働ける年齢でもなかったんで、頑張って働くんで産ましてくださいとも言えなかったし、結婚できる年齢でもなかったんで、一緒に育てようって言っても自分らじゃ何もできることがなさすぎて、親の前ではそんなことはやっぱ言えなかったんですよ。で、結局18歳になって結婚できるようになったら結婚しようとか、2人の間では話し合ってたんですけど、もうせず。
それって、じゃあ出産までの間はまた一応復縁してるっていう状態だったんですか? うーん、何とも言えないです。復縁はしてないですね。へえ。付き合ってるよねっていう感じじゃないってことなんですか? あ、全く。ああ。もうそんなラブラブした会話とかは全くできなくて、本当にもうお互い泣きながら毎日、家でどうしていくかみたいな話し合いばっかりしてたんで、全然そんな楽しい時間はなかったですね。
え、で、生まれてからはどんな関係性なんですか? 生まれてからは、中学卒業するまでの間は、たまに文化祭とか卒業式とか、学校でイベントがあった時だけ私、参加しに学校に行ってたんですよ。なんで子供見てもらってる間に彼に会いに行ったりとか、写真送ったり動画送ったりして見てもらうぐらいで、あんま接触はしてなかったと思います。
私もその相手の方ありきで産んだつもりじゃなくて、もう1人で育てていく覚悟で産んだんで、もう生まれた瞬間も、彼はもう私の中では、あんま考えてなかったですね、彼のことは。そうなんですね。はい。じゃあそっか、その状態だったらまあ付き合ってるって感じでもないし。そうですね。
え、それってちょっとずつ離れていくんですか? ちょっとずつ。ちょっとずつ。はい。高校に上がって、地元なんで彼の噂とかが周りから聞こえてくるんですよ。で、話聞いてたら、彼が高校生活で全然恋愛をしない、全然彼女とかも作ってないねんで。あ、多分私のこと気にして恋愛してないんかなと思って。でも私的にはもう全然次の人生を歩んでもらって良かったんで、18歳ぐらいの時に、もう私のこと忘れてくれて構わないんで、もう行ってくださいみたいなことを連絡だけして終わりました。それLINEで? LINEで。
へえ。それは、そのLINEを送るまではちょくちょく対面で会ってるんですか? ほんとにちょくちょく。1ヶ月に1回ぐらい? そうですね。1、2ヶ月に1回とかに子供連れてご飯行くとか、それぐらいでしたね。
すごい複雑な状態ですね、それ確かに。付き合ってるって感じでもないし、でも1、2ヶ月に1回会って。確かに彼女作るのもなっていう、そんな前向きになれなさそうですね。そうですね。そうなんです。ただ、やっぱ子供のこと思うとお父さんっていう存在は消したらあかんなとは思ってたんですよ。ただやっぱり、なんやろ、ほんまにこんな言うたらあれですけど、事故やったんで。だから私はもう、産む決意したのは自分やし、自分で頑張るから、彼にはもう次の人生を歩んで欲しくて、あんまりこっちから会おうとかそういう連絡もしなかったし。
へえ。で、基本は向こうから、会おうとか、子供さんも一緒にみたいな。そうです。そうですね。あ、なるほどな。いい人ですね。そうですね。すごいいい方です。うん。まあその話だけ聞くと[笑い]、わかんないけど。そうですね。いい方です。でもほんまに。
あ、いや、そうですね。なんか、そん時って高校は行ってるんですか? 高校は、行かない選択肢もあったんですよ。中学卒業して、散々親に迷惑かけてたんで、もうすぐに働きに行きたくて、高校も行かんとこかなって思ってたんですけど、やっぱりシングルマザーでもう確定してたんで、やっぱちゃんとしたところに勤めに行かないと育てられへんなと思って、高校はもう行こうと思って。全日制は仕事との両立ができないから通信で行って。ただその通信も週2、3ぐらいでは授業を受けに行かないといけない学校やったんで、週2、3ぐらい、仕事の合間に学校に行って勉強して。宿題があったんで、その提出物を夜にするっていう感じで卒業しました。
その仕事は何したの? バイトしたの? そん時は飲食店のバイトをしてたんで、朝仕事行って、アイドルタイムの昼頃に学校行って、で、また夜っていう感じ。はあ。保育園に預けてるんですか? あ、そうです。保育園。え、何歳から? 0歳。あ、0歳から。6、7ヶ月。ちょうど私が高校を入学するタイミング。
ふーん。実家暮らし? 生まれた時は実家にいてたんですけど、保育園に預けるってなったら、1人親じゃないと点数が足りなくて保育園に入れなかったんですよ。そうなん。そうなんです。で、実家を出たら1人親として認定されるんでギリギリ保育園に入れますみたいな感じで市役所の人に教えられて、すぐ賃貸探して。でもまだ未成年で自分の名前じゃ借りれなかったんで、祖母の名前借りて、2人で住む家探して、そっちに引っ越してから保育園っていう感じ。
ああ。そう、保育園入れないんですね。実家だとつまり、そっか、大人3人いるってなっちゃうのか。そうなんですよね。実家にいてたらそれだけやっぱ親に助けてもらえるメリットがありながらも、もうこれ以上あんま負担かけられへんとも思ってたんで、まあちょうど良かったっちゃ良かったんですけど。
てか親も、10何歳で産んでるってことで言うと、バリバリまだ現役ですもんね。働いてるっていうか。そうですね。バリバリ。まだ40とか。当時40なんですか? 多分母が38とかで、父が多分40行ってないぐらい。そんな、世の人が想像するおじいちゃんおばあちゃんみたいな感じじゃないですね。で、兄弟もまだ下にいてたんで。あ、そっか。長女ですもんね。はい。だからまだ育児中の親なんで。そっか。それはそうですよね。残り2人まだいてさらにその下にみたいなことですもんね。
そうです。だから高校の入学金は親に払ってもらったんですけど、その実家出た後の子供との2人暮らしは、極力自分の給料でできるようにはしてました。それ実際どうなんですか? できたもんなんですか? いや、めっちゃきつかったです。いや、そうですよ。学校系は親に出してもらってたんで、家賃とライフラインの、光熱費、携帯、で食費、あとはおむつとか、そういう子供のやつとかはもう自分で頑張りましたね。
月大体何万ぐらい稼いでたんです? で、家賃いくらぐらいだったんですか、当時。家賃が7万。あ、高いんですか。高いんです。いいとこ選びましたね。なんか母が心配やから実家のすぐ近くに住んどいて欲しいって言われて、1番近い家がその7万の家やったんで、もうそこに転がり込んだっていう感じで。へえ。祖母から借りれますもんね、7万だ。そうですね。でも実際払うのは16歳のアルバイト代から捻出するってことなんですもんね。そうですね。
はあ。え、月いくらぐらい稼いでたんですか、当時。20は超えてたかな。とはいえ、そっから保険だなんだ払って。シングルマザー手当とかってどれぐらい出るんですか? えっと、月4万ですね。で、2ヶ月に1回振り込まれる感じだったんで、それももちろん生活の一部に入れながらっていう感じ。ギリギリですね、毎月。まあそうですね。そんな贅沢はできないですね。全くできないですね。
はあ。え、高校卒業して給料って高くなるんですか? いや、高くならなくて。えっと、高校卒業してから1回不動産の会社に行って、正式に正社員として働きに出たことがあったんですけど、土日出ないといけないし、夜ももう10時とかに帰るみたいな生活で、全く子供と関われなくって。で、給料はその分良かったけど、保育園に送って迎えに行って、その間に子供と喋るぐらいで、寝かしつけもおばあちゃんにお願いしてるみたいな生活が続いた時に、あ、やっぱり時間は大事やなって気づいて。で、正社員やめてもう1回パートに戻って、お金よりも時間を優先してるみたいな生活を送ってるっていう感じ。
ああ。じゃあさっき言ったような20万円ぐらいプラス、シングルマザー手当の月4万っていうのは、なんかあんまり変わってない感じですか、ずっと。そうですね。しかも物価も上がってるじゃないですか、今。そうなんです。だからもうたまにマイナスになっちゃうぐらいですね。
え、そこら辺は、これから中学高校とかってちょっとずつまたお金かかってくるようになってくるじゃないですか。どんな風に考えてるんですか? あの、もう子供も3年生になったんで、高学年になり、また正社員に戻ってもいいかなって考えたり。まあさすがに夜の9時10時は嫌なんで、もうちょっと今の生活に合うような仕事を見つけれたらいいなって思いながら。そうですね。私もほんまにどうしようって毎日考えてます。
だから、あの一時の母と考えたらあれですけど、24歳って考えたら、まあいくらでも何でもできそうな年齢ではありますもんね。そうですね。だから夜職とかも考えてたんですよ、一時は。考えてたんですけど、やっぱり一緒に寝てあげたいし。そうですね、できるだけ母とか祖母とか父に頼る生活をしたくなかったんですよ。だから保育園とか学校行って、あと学童ですね。学童を利用しての範囲内の仕事ってなったら、やっぱり昼の普通のパートとか社員しかないなと思って、夜も断念してっていう感じですね。夜って、まあ要はキャバクラとか。あ、そうですね。キャバクラとかラウンジとか、そんなんも見てはいましたね。へえ。
産んでからもう9年。はい。で、恋愛はしてるんですか? 恋愛はしたりもしてました。今はもうしてないんですけど。あ、今は。もうなんかそんな余裕もなくなってきて。まあそうすね。子供が小学校上がってサッカー習い始めたんですね。で、それも結構練習時間の長いチームなんで。あ、そうなんだ。本格的なんですか? はい。で、土日も潰れるんで、彼氏作っても多分会う時間もないし、使えるお金がないんで、もう恋愛はノータッチです。
え、どれぐらいしてないんですか、もう。2、3年。うーん。24歳で9歳の子供がおるって。9歳って結構もうしっかりした男の子じゃないですか。そんな子がいてる24歳、誰が選んでくれんのかな?[笑い] へえ。お遊びをしてる暇はないから、やっぱ恋愛するなら結婚とか見据えて恋愛したいじゃないですか。ってなると、やっぱり条件も増えてきて、私もなんて言うん、付き合うまでの決心ができないし。子供が大きくなるにつれて恋愛は難しくなってんなっていうのは実感します。ただ、息子はお父さんが欲しいみたいなんで、いい方がいれば、あ、そうね、とは思ってますね。まああんま恋愛のことは考えず、もう子供が彼氏ぐらいの気持ちで今は生活してます。へえ。なるほど。
お子さんからお父さん欲しいって言われると、ちょっとなかなかどうしていいかわかんないですね。難しい。いや、そうなんです。今まで全く言わなかったのに、本当に今年に入って急にボソっと言われて。よっぽど我慢してくれてたのか。で、サッカー習い始めて、結構夫婦揃って観戦に来られてる保護者さんもいっぱいいらっしゃるんで、やっぱそういう方を見て羨ましい気持ちが出てきたんかなとか、そういうのは思うんですけど。まあ自分なりに2人分の愛を頑張って注いできたつもりだったんで、ショックな気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいにはなりました。なるほどな。そっか。
実のお父さんとはもう会ってないんですか、その息子さんは。もう全く。だからもう記憶にもないし、自分にお父さんっていう人がこの世におるっていうのも知らない。もう俺はママから生まれてきたって思ってるんで、本当に記憶がない。そういう質問もまだしてきてない。多分気使ってるんですよ、息子は。だからそういう父の話とかは全く今までしてこなかったですね。
30歳までにこういう風になったらいいなとかってなんかあったりするんですか? どんどん子育てでかかる費用も増えてくるよって先輩ママさんに教えてもらってるんで、まあその収入源をちゃんとしていかなあかんなっていうのと、あと15歳の息子は、あの時の自分と同じ年になるんで、女の子を傷つけない子に育ってもらえるように、ちゃんと教えるところを教えていかないとあかんなって思いますし。あと自分は色々、高校生活とか友達と遊ぶこととか極力我慢してきたつもりなので、息子にはいっぱいそういうのも経験してもらって、楽しんでもらえるように生活していきたいなとは思ってます。
ああ。仕事的にはこういうことしてみたいとか、なんか興味あることとかあるんですか? 助産師に関しては、その息子を産んだ病院の助産師さんと未だに連絡を取り合ったりする仲なんで、聞いたりはしてたんですよ。助産師になるためにはどうしていけばいいかとか、何年かかるかとか。でもなかなか勉強に使える時間がなくて、少なからず費用も何かしらにはかかってくるんで、それもなんか余裕がなかったし。一旦助産師は置いといて、わがままですけど、息子との時間も維持できながらできる仕事。ああ。あとは、何かしらの形で、同じように悩んでる若年妊娠の方がもし今いてれば、話を聞いてあげることぐらいはしたいなとは常に思ってますね。
ABEMAとか出たりとか。ああ、そうです。そうですね。TikTokをちらっとやったらバズって、そっからABEMAさんとかに見つけていただいたりとかがあったんで、同じ境遇の方がもしいたら、何かアドバイスできることがあればしたいなとは思ってますね。
実際相談の連絡来ますか? 来ます。TikTokでやっぱりDMで来るんですけど、大体は妊娠してないですね。ああ、してるかもっていう。かもかもっていう連絡は来るけど、妊娠しててどうしたらいいかわかんなくて、で、最後までお話できた方は今んとこはいないですね。
こういう相談来たらどうするんですか? 例えば、中学3年生です。彼氏からそういう行為を求められてるんですけど、どうしたらいいと思いますか? 今のところ怖いっていうことで防御できてるんですが、彼氏のことは好きなんで、これ以上嫌われたくないですみたいな。ああ、傷つきたくないんやったらもうとことん止めなあかん。でも、15歳っていうのがどんだけ無力かっていうのは伝えたいですね、その方には。自分でもびっくりするぐらい本当に何もできなかったんで。もちろん自殺も考えましたし。だからそれぐらいほんまに無力やでっていうのは伝えてあげたいですね。
無力すぎてそういうこと考えちゃったって、どういうタイミングなんですか、それは。本当に小さいことからなんですよ。例えば、妊婦健診、最初は月に1回ぐらいで、どんどん2週間に1回とか1週間に1回に回数が増えてくるんですけど、その病院にすら行けないんですよ、自分は。なんせ子供だから親同伴がもう当たり前だし。あと出産近づくにつれて子供の服とかおむつとか、そういうのも揃えていかないといけないけど、それもお金がないから、で、稼ぐこともできないから、全部母とか父のお金で買ってもらわないといけないし。
子供のために貯金がしたいから通帳を作るってなって、私1回1人で郵便局に行ったことがあったんです。で、そん時も最初はすんなり手続きしてたんですけど、郵便局の方が、私がそん時まだ15っていうのに気づいて、15歳やったらお母さんの承諾がいりますって言われてしまって。なんかそれも、自分の子供の通帳を作りたくて親として行ってんのに、あ、自分の親まで連れてこないと作ってあげられへんねんやとか。小児科に連れて行って、で、次自分が熱出たから病院に行こうと思ったら、自分も小児科の対象やったんですよ。でも普段子供の親として小児科に行ってんのに、情けないなとか、自分もまだ子供って子とか。結構そういうところで現実を見直すっていうか。面倒見のいいお姉ちゃんやねとか知らない方に言われたりとか、悔しいことがすごい多かったですね。
別にその、面倒見のいいお姉ちゃんですねなんて、何の悪気もない、日常会話の感じで喋ったわけですもんね。そうなんです。そういうことの小っさい積み重ねで、もうどんどん追い込まれていくみたいな感じなんですかね、イメージは。そうです。はい。それがどっかのタイミングでしんどすぎて、1回自分で死ぬかなみたいな気持ちになったってこと。
あの、妊娠中に1回、出産してから1回。妊娠中は、そのまま産むか下ろすか決めれてない時に、母も毎日泣いてたし、自分もうどうしたらいいのかわかんなくて。産みたいけど親に迷惑かける、でも下ろす勇気が出なかったんですよ。だからほんまにどうしよう、どうしようで、もう死のかなって思ったり。
出産してからは、その両立がすごい自分には難しかったんですよね。あの、仕事行って、その足で学校に向かってる時に保育園から電話かかってきて。で、お熱の電話やったんですよ。お迎えに来てくださいっていう電話で、で、授業何も出ずにUターンして帰った日があったんですね。で、そん時に、今日の授業に出んかったら単位落とすっていう日やったんですよ。だからもうすっごい涙出てきて。ほんまは最初に子供を、え、大丈夫かなって気にしてあげなあかんのに、まず学校の単位のこと考えちゃった。で、その後の夜の仕事を優先して、あ、ほんまに自分、母親として失格やなって思いながら泣いて帰った時もあったり。母親としての自信がなくなって、もうなんか、子供と一緒にって思ったことはありましたね。
ああ、なんかな。いや、すごい大変でしたね、9年間。まあ別にそれが終わったわけでもないけど。いや、でももう9歳まで育ってくれて、今がすごい幸せだから、過去のことを思い出話として話せるんですよね。あん時はまさか今みたいに幸せに生活できると思ってなかったんで。で、やっぱ恥ずかしいことやと思ってたんで。だけど息子も今のところ何も不自由なく立派に育ってくれてるし、息子からの縁で繋がった保育園の先生とかママ友とか、サッカーチームのお友達と出会えて、すごい楽しく今は生活してるんで、やっと今、過去の話として話せてるかなって思っていますね。
あの、この苦労をこの24歳でされてる時点で、絶対何かしらにそれを活かせるようになるでしょうしね、きっとね。なりますかね。能力値的なことで言ったら、1個ずば抜けたものがあると思っていいと思いますけどね。
ああ。いや、でもそうですね。本当に今、もし子供をあん時下ろした選択を取ってたらって考えると、逆に怖いぐらいなんですよ、今。それぐらい、確かに体力面ではしんどいけど、息子の9歳の姿を見れてるって考えると、もう全部吹き飛んでいくっていうか。だから周りの大人の方たちにも、今まで散々、ほんま産んで偉いねとか、子育てしてて偉いねとか言ってもらえてきた人生なんですけど、でも全くすごいんじゃなくて、本当にどっちかって言うと、あの時に下ろす覚悟ができなかっただけなんですよね。だから、うん、
本当に私と息子2人の生活なんで、しんどい時はもう夜ご飯チャーハンでいいとか、そういう日ももちろんありますし、もう洗濯物畳むのもしんどかったら全然ソファーに置いてる時だってもちろんありますし。
やってるんで、世の中の夫婦の方がすごいなって思いますね。いやいやいや、の方が。
だって夜の時も、その逆に1人の方がなんか楽やったんちゃうかなと思うんですよ。周りのママ友の話とか聞いてたら、旦那は横でグースカ寝てて、もう毎回自分やねんとか、そういう話よく聞くんですけど、1人やったら絶対自分しかないんで、そのなんでやってくれへんのとか、そういうストレスはないんですよ。だからしんどいけどストレスはなかったっていう感じなんですよね。
でも本当にいいパートナー見つかったらいいですね。多分その仕事面で、その子供の時間をちゃんと確保しながら収入アップを見込むって難しそうだし。
難しいです。
だから結婚が手っ取り早いし。
1回、市役所の窓口のおじさんに「結婚したらいいんですよ」みたいに言われたことがあって、その時もうめちゃくちゃ腹立ってしまったんですけど。だって子供がいてる環境で恋愛するのがどんだけ大変なんか分かってます?って感じなんですよ。例えば1回ご飯行きたいなと思っても、じゃあまず子供どうするかから始まるじゃないですか。誰に見てもらおうかとか。そういうところから始まるし、そんな簡単に言われるとすごい腹が立つんですけど、でも本当に結婚が1番いいっちゃいい。
そうっすよね。確かに、なんていうか現実的ですよね。
そうなんです。
ちゃんと探してれば見つかるんじゃないですか?その結婚相手の人も、探してればね。
探してれば行けますかね?
いけると思いますよ。普通にちゃんとしてるし、根性ありそうだし。
前向きに恋愛します。
確かに。何歳までがいいとかあるんですか?年齢的に。
え、全然40でも。
あ、それいいんですか?
はい。全然いいです。なんだったら落ち着いてる方の方がいい。
まあ、そっか。だからもう同い年ぐらいとかじゃない方がいいよなって。
そうですね。できたらもう出来上がってる方がいいですね。
なるほど。
自分も頼りになれるような男性が一応理想ではありますけど、でもやっぱりそれもね、あんまり聞きたくないニュースも最近多いじゃないですか。その母親の彼氏が虐待してたとか。
それはもう本当に見極めるしかないじゃないですか。
ほんまに見極める力がだいぶいるなとは思ってますね。
いや、ありそうですけどね。
いや、そうなんです。息子が20歳になった時、まず自分35なんで。
すご。
だからそう考えたら、ほんまに自分って早くに産んだなって思いますね。
そっか。息子が20歳になってもまだ35。何でもできるじゃん。
だからもう育て切ってから第2の人生歩むのもありかなと思ってます。
これは確かに本当、やりたい仕事が見つかって頑張るのもそこからで多分全然遅くないです。遅くないと思うんで。その間にパートナー見つかるといいっすね。
それが1番いい。
いい感じのね。
はい。まあ息子もお父さん欲しいって言ってくれてるんで、気持ちは楽ですね。
ね。誰も受け付けませんっていうより全然いいっすよね。
そうなんです。やっぱりその辺は男の子やから、やっぱりあれなんですかね。結構こう客観的に見てくれてるっていうか。嫉妬とかがあんまりないんですかね、多分。
へえ。ありがとうございます。もう時間あれ。
あ、もう全然です。
いつでもなことにできるよ。生きてさえいればいい。
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分かり合えない世界はする。嘘どしても耐えたい。
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