AI時代に創作で食べていけるのか 岡田斗司夫が「人生相談」で語った創作・日本の将来・世代論・第3次大戦

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概要

岡田斗司夫ゼミの「サイコパスの人生相談」第457回は、2022年9月25日の配信を編集したものだ。岡田は冒頭で、前週の動画で生成AIによって漫画・アニメの制作現場がどう変わるかを話したと振り返る。今回はその続きとして、作品を作って生計を立てることはこれからも可能なのかという質問を扱う。ほかに「日本は終わった」という言説への疲れ、世代間の断絶、第3次世界大戦への不安、映画『さかなのこ』の一場面についての質問にも答えている。

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未来に関する質問が多い回だが、岡田は自分はあまり悲観していないと述べ、感情を込めずに「普通に考えるとこうなるのではないか」という話をすると断っている。動画の最後には、4年後の現在から見直した追加コメントも付いている。

エホバの証人に関する訂正

最初のお便りは、前の回での岡田の発言に対する訂正である。9月18日配信の「世界政府は可能か」の無料部分の最後で、岡田は「エホバの証人は近代医療を否定している」と話していた。相談者は、エホバの証人は輸血を受け入れないだけで、それ以外の近代医療は受け入れており、手術も普通に受けていると指摘した。新型コロナのワクチンについては、世間一般よりも接種した人の割合が多いと思うとも書いている。相談者は、取り上げなくてかまわないが、どんな分野もよく調べる岡田らしくないと感じたので送った、と添えていた。

岡田はこれを認めて謝罪した。輸血を拒否した事件を通じてエホバの証人を知ったため、近代医療そのものを否定していると連想してしまい、その前提で話したという。そのうえで、輸血をしない以上、受けられる手術には限界があるとも付け加えている。

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創作で食べていくことはできるのか

2つ目は10代男性からの相談である。相談者は何かしらの作家になりたいと考えているが、岡田が以前に示した「いずれ漫画家やアニメも失業する」という予想を聞いて強い不安を抱いた。好きな漫画を描いても誰にも見てもらえないのではないか、仕事にならず、お金も稼げないのではないか。漫画家、絵師、アニメーター、小説家になるのは無理なのか。あるいは、それらに代わる新しいジャンルの創作が生まれるのか、という質問だ。

岡田の答えは「無理ではないが、加速度的に食えなくなっていく」というものだ。例に挙げたのは、『るろうに剣心』のオープニングを歌ったシンガーソングライターの川本真琴の発言である。岡田によれば、川本はサブスクから得られる利益がどれほど少ないかを語り、サブスクというシステムを考えた人は地獄に落ちてほしいと思っていると述べた。サブスクをやめればいいと言われても、CDデッキを持っていない人が多いのだからどうにもならない、という趣旨の話もしていたという。

岡田はこの例を、かつてメガヒットを出した人でも数年たつとコンテンツが古いものになり、誰も見なくなってしまうことを示すものとして取り上げた。人々は今流行っているもの、ネットで評判のもの、周りのみんなが聞いているものしか見聞きしなくなり、それ以外への興味を失う。これは岡田がかねて語っている「イワシ化」の当然の結果だという。

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「作品」が消えて「コンテンツ」が残る

ここで岡田は、「作品がなくなり、コンテンツだけが残る」という自身の見方を説明する。作品とは、一つひとつが独立したものだという20世紀的な捉え方である。一方でコンテンツは21世紀的な捉え方で、個々の作品や曲が「環境」になっている。魚にとっての水温や匂いのように、心地よい環境として存在しているというのだ。

そのため、過激な作品が流行ると「やはり作品の時代は続く」「ぬるいコンテンツではなく、こんな重い作品も受けている」という声が上がる。しかし岡田の見方では、それは魚たちがピリッと冷たい水温や、スパイシーな匂いのする水のほうへ一斉に移動しているだけである。人々が中身のある作品を求めているということとは違う。イワシの群れはまたすぐにざっと移動していく。

こうした状況が続く以上、今はクリエイターにとっていい時代ではない、と岡田は率直に述べる。以前から「トップ以外は食えなくなる」と言ってきたが、いずれはトップクリエイターもオワコン化の速さに追いつけず、食えなくなるだろうと予想している。

中世のクリエイターに戻るという道

では相談者はどうすればいいのか。岡田は「パッと思いついただけ」と断ったうえで、個人から依頼を受ける形がいいのではないかと提案した。言い換えれば「中世のクリエイターに戻る」ということだ。

岡田はネット社会を「デジタル中世」と捉えている。今日アーティストと呼ばれる人々も、中世には教会、貴族、王様などのスポンサーから発注を受けて絵を描いていた。19世紀から20世紀にかけて一般大衆が作品を評価するようになり、「市民の時代のアーティスト」が生まれた。岡田は、それがもう一度昔の形に戻るのではないかと考えている。個人から「こういうものを描いてくれ」「こういう曲を作ってくれ」と頼まれ、誰かのために模型を作り、誰かのために曲を作る。そういう世界に戻っていくのではないか、というのが岡田の見立てである。

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「日本は終わった」という言説にどう向き合うか

3つ目の相談者は、TwitterやYouTubeで「日本は衰退するだけだから海外に移住できるようにしておこう」という宣伝文句で英会話アプリなどを勧める広告をよく見かけるという。この「日本は終わった感」に心がやられているが、どう治せばいいのか、今後日本で生きていくことは苦しくなるのか、と尋ねた。

岡田はまず大きな前提として、日本の人口はこれから減り続け、それは変わらないと述べる。国民総生産も減っていくので、経済的に良くなるはずはない。ただし、それを当たり前と受け止めてしまえば案外大丈夫だと岡田は考えている。教育レベルや、どれだけルールを守るかという意味での民度が非常に高く、安全度も高く、文化レベルも高い。ほぼ全員が文字を読めて、ある程度の簡単な絵も描けるのは世界的に見てとんでもない水準だという。そのため岡田は、日本はまだ30年ほどは世界で一番住みやすい国であり続け、総合的に見ればトップ10どころかトップ3に入り続けると見ている。他国と比べた批判がいろいろあることも認めたうえでの見解である。

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ひろゆきの発言は「前提条件付き」

岡田が問題視するのは、「日本はもうダメだ」「海外に移住するしかない」「若者は常に海外を見ろ」という声のほうだ。その代表例としてよく挙げられるのがひろゆきだが、岡田によれば、ひろゆきの発言をよく聞くと中身は違う。ひろゆきは「やる気があって稼ぎたいのなら」という前提条件を付けたうえで、海外に行ったほうがいい、英語を使って海外で仕事を探したほうが手っ取り早い、と話している。ところが聞く側はそれを「若いなら絶対に」と受け取ってしまう。切り抜き動画を作る人も、長くなるので前提条件の部分をカットすることが多い。岡田は、ひろゆき自身は住みやすさでは日本はとても良く、ご飯もこの値段でこれほどおいしい、とも言っていると補足した。

そのうえで岡田は、ひろゆきとは意見が分かれるかもしれないと断りつつ、自分の人間観を示す。半分以上の人間は、生まれた場所以外では幸せになれない生き物だと岡田は考えている。人間には、生き抜くために移動したいという動物的な欲望と、一つの場所に根を張って生きていきたいという植物的な欲望の両方がある。これは日本人に限った話ではなく、人は自分が生まれ育った文化のある場所以外では幸せになりにくい。岡田自身のような「根なし草」はどこでも何とかなるが、多くの人はそうではない。だから無理に「日本はもうダメ論」に飲み込まれないほうがいい、というのが岡田の答えである。

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世代論はマーケティングの道具

4つ目は高校生の男性からの相談だ。最近、上の世代から自分たちの世代が非難されていると感じることが多く、それが世代間の壁になっているように思う。だから自分は下の世代を否定しないようにしたいが、育った環境の違う世代の考え方はどうすれば理解できるのか。岡田が高校生の話をするときに自分たちの世代の考えをよく理解していると感じたので聞いてみた、という内容である。

岡田はまず、よく語られる世代論には2種類あると整理した。1つは「若い世代けしからん論」で、Z世代や映画を早送りで見る世代はけしからん、頼りにならない、もっと元気を出せ、という言説である。もう1つは「若い世代は親父たちに騙されるな論」だ。岡田は、この2つは実はまったく同じものだと言う。違いはマーケティングでどちらを客にしようとしているかだけである。40代・50代以上を相手にする人は「若い世代けしからん論」を語り、10代から30代を客にしたい人は「上の世代に騙されるな、お前らは自由なんだ」と語る。どちらも嘘を言っている、というのが岡田の見方だ。

さらに岡田は、中年以上を相手にしたマーケティングには、年収、老後、家族、子供の心配など、不安や不満を煽る手段がたくさんあると指摘する。一方で、若い人の不安を煽る手段はなかなか見つからない。物を見せても、「モテたいだろう」「友達が欲しいだろう」と言っても反応はクールだ。そこで、若い人がマウントを取れそうな唯一の概念として「世代」を使って商売をする人が多いのだと岡田は考えている。だから岡田は、どちらの世代論にも冷ややかな目を向けている。

15:46

世代は「地層」であり、耕すことが大事

代わりに岡田が示したのは、「世代は地層である」という考え方だ。当時64歳だった岡田は、自分の価値観を図にして説明した。一番下に昭和中期の価値観があり、これは「これから高度成長の時代だ、頑張れば何とかなる」というものだ。その上に昭和後期、つまりバブル期の「世の中金だ」「海外に行って大きいことをすれば何とかなる」という価値観が乗る。さらにその上に平成と令和の価値観が少しずつ積み重なっている。新しい価値観は上に来るが、12歳までに身についた価値観が一番下で最も大きい。図では少なめに描いたが、実際には半分以上を占めるという。12歳、35歳、60歳と積み重なった層で、64歳の自分の価値観はほとんどできているのではないかと岡田は述べた。

この台形の頂点の広さは、今どれだけ新しい人や新しいものに接しているかで決まる。一方、底辺の広さはその人の体験量や人付き合いで決まる。同じ世代とばかり話し、同じ世代が見る音楽やアニメや漫画ばかり見ていると、頂点が広がらない。

岡田は、最新のものを見るのと同じくらい、昔を思い出すことも大事だと言う。人間の精神は農地のようなもので、しょっちゅう混ぜないと固まってしまう。古いことを思い出して誰かに話したり、新しいものに出会って昔の体験と照らし合わせたりすることは、自分の農地を耕すことにあたる。そうすることで作物が豊かに実る。若い人は流行ばかりを追いかけて頂点が狭くなりがちだが、ここを広く取っておくと、40代、50代を超えたあたりで大きく役に立つと岡田は考えている。

19:05

「老害」という言葉を使わない理由

世代は地層が重なったものにすぎないので、60代だから頭が古いということにはならない、と岡田は言う。同じ64歳でも、昭和の価値観に凝り固まって「若いやつは」と言う人もいれば、新しいものが大好きで誰とでも話す人もいくらでもいる。人間はそれぞれバラバラなのだ。

そこで岡田は、「老害」という言葉は使わないほうがいい、頭が悪くなる言葉だと主張する。人は誰でも年を取り、そこから逃げられない。それなのに年齢で人をひとくくりにして否定するのは、「女だからダメ」「黒人だからダメ」と言うのと根本的には同じ差別である。それに気づきにくいのは、若者向けに「昭和の価値観に騙されるな」というマーケティングで商売をしている人たちがこの言葉を広めているからだ、と岡田は見ている。年を取ること自体は悪くない。悪いのは地層を混ぜないことだけであり、混ぜさえすればいい、というのが岡田の結論だった。

20:51

第3次世界大戦は「もう起きている」

5つ目は20代女性からの相談である。相談者は、第3次世界大戦が間もなく起きるのではないかと予想していた。アメリカの株価暴落から世界恐慌が起き、その後経済的に孤立した日本やイタリアが枢軸となって第2次世界大戦に至ったとされる。景気循環を見ると、約10年ごとの中期的な下落は前回がリーマンショック、直近がコロナで、長期的な大きな下落はまだ来ていないというのが定説だ。世界恐慌レベルで考えると100年周期がそろそろではないか。アメリカでは経験したことのないインフレが起き、ドルが強すぎる状態も周期と合致している。中国、ロシア、北朝鮮の孤立もある。考えるのをやめたいが、動向を追わないことがかえって怖く、軽く病んでいる。歴史は繰り返すのか、考えても仕方のないことと自分のメンタルにどう折り合いをつければいいのか、という相談だった。

岡田はまず、経済の動向にはあまり興味がないので、その視点での相談はひろゆきにスーパーチャットで聞くのがいいのではないか、と冗談めかして返した。そのうえで、第3次大戦については意見があると述べる。岡田の考えでは、第3次世界大戦はすでに起きている。それが「コロナ戦争」だ。始まりは2019年末で、2020年の春ごろに拡大した。2022年の時点で折り返し地点にあり、あと2年は続くと岡田は見ていた。

岡田によれば、この大戦によって大戦前のグローバル経済は崩壊し、人や物の自由な移動はもう戻らない。第2次世界大戦の後に植民地という世界体制が崩れたのと同じように、グローバル経済も過去のものになると岡田は考えている。国と国が戦争をしているわけではないのに、大戦と同じような混乱、ダメージ、分裂・分断が世界中で起きている状態だという。だから、いつ始まるのか、どうなってしまうのかと不安に思う必要はない、すでに始まっているのだ、と岡田は答えた。この点については、有料版の連続講義「2040年の世界」や、2020年春ごろからのコロナ戦争に関する講義で何度も論じているという。

なお、ラインナップにあった「部員にUボートを見せたい」という相談は、読む段になって取りやめたと岡田は話している。

24:24

『さかなのこ』の床屋のおじさんは何者か

最後の相談は、沖田修一監督の映画『さかなのこ』についてだ。相談者は、笑ってちょっと泣いて不思議な気持ちになったと感想を書き、「うん」としか言わない床屋さんとの挨拶の場面にはどんな意味があったのかと尋ねた。3回ほどあった場面で、少しずつ違っていたのが引っかかったという。

岡田はまず場面を説明する。主人公のミー坊(のちに「さかなクン」になる人物で、のんが演じている)が一人で住むアパートの2階へ上がる安っぽい鉄の外階段があり、その根元でいつもパイプ椅子に座っている男がいる。床屋の看板の前で、いかにも職人然とした男がタバコを吸っている。ミー坊はすれ違うたびに挨拶し、男は「今日は釣れたか」などと軽く声をかける。1回目と2回目はそれだけだが、3回目には床屋から不機嫌そうな女性が出てきて看板をしまい、男も一緒に店の中へ入っていく。

岡田の解釈では、この男は3回目にようやく登場する女性の「ヒモ」である。理容師の技術を持っているのは女性のほうで、男は近所の人に格好をつけたいので、ベストを着ていかにも床屋らしい服装をしている。岡田も最初は、客が来なくて暇だからタバコを吸っているのだと思っていた。しかし実際には、男は働く気がまったくなく、外でタバコを吸って仕事をしているふりを近所に見せているだけだ。女性はそれにいい加減苛立っていて、看板をガラガラとしまう。すると男は「お、今日の営業は終わりか」と一緒に引き上げていく、という読みである。配信中には「髪結いの亭主」というコメントも届き、岡田はそのとおりだと応じた。

ただし岡田は、これは自分の推測だと断っている。原作であるさかなクンのエッセイは買ったもののまだ読んでおらず、この人物がさかなクンの実際の人生にいた人かどうかは知らないという。そのうえで、この映画の面白さは、こうした人の人生を否定しないところにあると語った。否定的な台詞は一切なく、動きだけを見せる。ミー坊の普通とは違う生き方と、床屋で働く女性のヒモという生き方を、まったく同列に扱っている。それが観客の心をざわつかせ、最後に大きな波のような感動を生むのではないか、というのが岡田の解釈だった。

28:02

4年後の追記:AIと創作、そして「見せる楽しさ」

動画の最後に、岡田は2026年の時点から創作の質問に改めて答えている。4年たった今考えても、食べていくのはどんどん難しくなると答えるしかないという。一方で、「作っても誰にも見てもらえなくなるのか」という問いには、そうでもないと述べた。むしろ逆で、食べていけなくなっても創作を続ける人は必ず残るという。

生成AIについては、作家の作品がAIに盗まれているという声がある。しかし岡田は、それはオリジナリティのある作品を作れる人の発想だと言う。大部分の人にとっては、自分の素人っぽいアイデアが、驚くほど高品質なAIの画像になる。昔なら、描きたい女の子やイケメンを描けるようになるには相当な修行が必要だった。今はAIに頼むだけで、自分では作れると思っていなかったものがどんどんできてくる。それは20世紀的な意味では自分の作品ではないかもしれないが、21世紀の現在では、自分が注文してAIに作らせたものを「自分のもの」と言ってもいいのかもしれない、と岡田は話す。

岡田はこれに対する反論も自分で検討している。AIの画像は過去の作品の膨大なコピーによるものかもしれないが、それを言い出せば、人間の描き手も過去の作品を無数に取り込んでいる。ただ人間には自分の手があり、思い通りに描けないことも含めて個性が生まれる。簡単な呪文で出てくるAIの絵が自分の個性と言えるのか、という点は違うかもしれない。しかし、そう感じるのは1958年生まれの自分の感性にすぎず、40歳、30歳、20歳、あるいは15歳の感性からすれば「それは俺の絵だ、私の絵だ」となるのかもしれない。ここはまだわからない、と岡田は留保している。

さらに岡田は、AIに作ってもらったものであっても、人に見てもらいたい、同じことをしている人と見せ合いたいという欲求が、これから伸びていく気がすると述べた。創作の根本にある作る楽しさと表現する面白さに、「誰かに見せる楽しさ」が加わっていく。しかし、みんながそれを無料でやり始めれば、やはり食べていくのは難しい。これが岡田の結論である。

岡田は最後に、これは自分の「体重の乗っていないパンチ」のような軽い答えだと言い、創作はそんな軽いものではないという熱い答えを聞きたければ、山田玲司のチャンネルを見てほしいと勧めて締めくくった。