『機動戦士ガンダム』第20話「死闘! ホワイト・ベース」を岡田斗司夫が読む――崩れていくクルーとランバ・ラルの最期

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概要

岡田斗司夫は、TVシリーズ『機動戦士ガンダム』を1話ずつ解説する講座で、第20話「死闘! ホワイト・ベース」に4回分を費やした。この回ではランバ・ラルが部下を連れてホワイトベースに乗り込み、アムロたちと銃で撃ち合う。主役ロボットのガンダムはほとんど活躍しない。岡田は、この回がシリーズ全体の大きな転換点だと位置づける。白兵戦のアクションだけでなく、冒頭の何気ない日常描写からクルーの不和を読み取ることを重視している。

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4つの出来事と、ロボットアニメとしての異質さ

岡田によれば、第20話には4つの出来事が重なっている。1つ目は、ホワイトベースのクルーの対立が頂点に達し、ついに脱走者が出ること。2つ目は、ジオン内部の政治的対立に振り回されるランバ・ラルの悲劇。3つ目は、敵が乗り込んで起きる艦内の白兵戦。4つ目は、ランバ・ラルの最期と、ホワイトベース側で「要」になっていたリュウ・ホセイの負傷である。

岡田は、敵が基地に乗り込んで銃撃戦になる展開そのものは『マジンガーZ』の頃から多くのロボットアニメにあったと認める。ただし従来の作品では、それはロボット戦闘でスカッとさせる前の「抑圧」の段階だった。基地がさんざんにやられたところで兜甲児がマジンガーZで出撃する、という流れのための「ドキドキハラハラ」の部分である。これに対して「死闘! ホワイト・ベース」は艦内の戦いを真正面から主題にしている。岡田はこの点を「かなり画期的」だと評価する。

5話かけて積み上げた不和

クルーの対立は、第16話「セイラ出撃」から続く伏線の回収だと岡田は説明する。第16話では、いい子だったはずのセイラがブライトの命令に従わず、不協和音が表に出た。第17話でアムロが脱走し、第18話では迎えに行っても戻らないアムロをめぐって艦内が険悪になる。そして第19話「ランバ・ラル特攻!」を経て第20話に至る。岡田は、この5話という長さを第6話「ガルマ出撃す」から第10話「ガルマ散る」までに匹敵する分量だと言い、それだけの話数を人間関係に割いた点に注目する。

なぜここまで丁寧に不和を描くのか。岡田の読みでは、ガンダムはアムロという少年がいつの間にか兵隊になっていく話である。「再会、母よ…」で帰る場所がないと知り、「時間よ、とまれ」で殺し合いが日常の世界にいると悟り、「イセリナ、恋のあと」では殺した相手を埋める。このまま平気で兵隊になってしまえば作品は薄っぺらくなっていた、と岡田は言う。兵隊になりきれない少年の心情を追い、後半の宇宙編でクルーが自信を持った兵隊として戦えるようにするには、ここで人間関係のドロドロを出し切っておく必要がある。だからこの5話はずっと苦しい、というのが岡田の説明である。

前回の時点のアムロについても、岡田は分析している。アムロは帰るつもりになっていたが、フラウ・ボゥが迎えに来るだけでは不満で、ブライトのような上の人間が頭を下げて迎えに来るのを待っていた。それなのに、グフを倒して戻った直後に独房へ放り込まれた。これがアムロには大きなショックだった。

ブリッジの「一軍」と、富野監督の虫プロ体験

本編は、ブリッジで子供たちの服を繕うミライの姿から始まる。その背後でブライトとセイラが「暗号解読は間違ってないんだろうな」「オデッサ・デイ発動までは動くな。何度も調べてみたわ」と話している。2人はクッションを持ち込み、だらけた格好でいる。岡田は、アムロが独房にいてガンダムが使えないため、部屋に戻って休めない緊急配置が続いていることがここから読み取れるとする。やがてミライが加わり、セイラはミライの膝枕でくつろぐ。

岡田が指摘するのは、このブリッジが「いつものメンバー」だけが本音を語り合う場所になっていて、その状態に危うさがあることだ。見た目が良く、年齢が少し高く、頭もいいミライ、ブライト、セイラの3人が常にここにいる。カイ、ハヤト、リュウは用事があるときにしか来ない。ホワイトベースという「スクールカースト」の一軍が、画面を見るだけで分かるように描かれている。

岡田はここに富野由悠季監督の経歴を重ねる。富野は虫プロで『鉄腕アトム』に関わったころ、手塚治虫のもとに集まった優秀な絵描きたちの輪に入れなかった、という趣旨のことを自伝に書いている。一方、別の人が書いた虫プロの本では、誰も富野を排除したつもりはなく、プライドの高い富野が自分から輪に入らなかったとされているという。岡田は、そのすれ違いがブリッジの描写にリアルに表れていると見る。

問題は、ブリッジでアムロの処遇を話し合うブライトやセイラが、実際には独房のアムロに会いに行っていないことだ。現場の不満を吸い上げているのはフラウ・ボゥとリュウである。

独房のアムロとリュウ

独房の場面で、アムロはフラウに「ドアを閉めろよ、逃げ出すかもしれないぜ」と言い、ランバ・ラルは必ず攻めてくると告げる。岡田は、これは忠告であると同時に、自分を閉じ込めていていいのかという脅しでもあると読む。リュウが「来たら来たでいい、その時は自分がガンダムに乗る」と口を挟み、お前はどうするのかと問う。アムロは「ホワイトベースを降りてもいいと思ってます」と答え、「どうせみんな気まずくなっちゃったんだし」と続ける。

岡田によれば、これは言ったらおしまいの本音である。リュウもみんなが気まずくなっているのは分かっている。それでも気づかないふりをして「仲間じゃないか」という「ごっこ」を続けなければ、チームワークは保てない。本音を気軽に口にできる無責任なアムロと、分かっていても飲み込まなければならない立場のリュウ。その対比がここで示される。リュウはアムロを本気で殴り、マチルダがアムロをエスパーかもしれないと言っていたと励まそうとする。するとアムロは、自分の言葉で説教したらどうですと鼻で笑う。岡田は、当時小学校高学年向けとされていたロボットアニメの台詞のやり取りではないと言う。そしてここでアムロの挑発に乗らず、呆れてフラウと出て行ったリュウを「偉い」と評価する。

一人になったアムロは「一人でむきになったって人間が変わるもんか」とつぶやく。岡田はこれを、正論は分かるが自分はどうせ輪を乱すダメな人間だ、というすね方の表れだと解釈する。そのうえで、この台詞はこの先への伏線だと見る。ランバ・ラル、ハモン、リュウという3人が「むきになって」命をかけることで、アムロの心が変わっていく。ここはアムロの心が底を打つ瞬間として描かれている、という読みである。

岡田は自分の見方の変化も語った。大学生のころは、こうした仲の悪い場面が嫌いで早く戦ってほしいと思っていた。しかし30歳を過ぎてから味わい深くなったという。アニメ業界で働いて実感したのは、能力のある者ほど平等主義に苛立つということだ。当時のTVアニメでは動画は1枚150〜200円程度で、上手い人も下手な人も同じ単価だった。しかも上手い人ほど難しいシーンを回される。絵コンテも上手くても下手でも1本15万円だったと岡田は言う。富野は一時期CMの仕事をしており、能力でギャラに差がつく世界を見てからTVアニメに戻った。岡田は、アムロの「平等ごっこはやめてくれ」という苛立ちのリアリティはそこから来ているのではないかと推測する。また、高畑勲の客観演出の系譜で見るようになってから、このやり取りが面白くてしかたがなくなったとも語った。

ハヤトがブリッジで見たもの

続いてハヤトがブリッジに上がってくる。時間にすれば1分にも満たない場面だが、岡田は富野らしい演出の見本だとして細かく読み解く。エレベーターを降りたハヤトは直立して敬礼し、「よろしいですか」と声をかける。画面にはハヤトの目線で、座ったままくつろいでいる3人が映る。もともと全員避難民だったのに、いつの間にかミライまで「上の人」になっている。台詞で説明せず、この異様な絵を見せるだけでハヤトの心情を読み取らせる。岡田はこれを、見る側に読解力を要求する演出だと言う。岡田は冗談交じりに、とりわけセイラの寝そべり方はハヤトの目には刺激が強すぎる、とも付け加えた。

ハヤトは、アムロを独房に入れるのは反省を促すため、つまりブライトはアムロを当てにしているのだろうと確認する。するとミライが、アムロを外そうと言い出したのはブライトだがどうなのか、と自分しか知らない話をあえて持ち出す。岡田は、ミライは合議制で問題を分かち合おうとしてこの場を本音の場にしようとしたのだと読む。しかしハヤトは脱走の判断材料を探しに来ていた。岡田によれば、ハヤトの中で起きたのは激しい怒りではない。ここはこういう場所なのか、もう一緒に戦う動機はないという「冷たい決断」である。

ブライトが、アムロはガンダムを持ってジオンに逃げてもよかったのに戻ってきたと言うと、カイは一時的なホームシックだと切り捨てる。後から入ってきたリュウは、アムロのことかと言ってまずブライトの方を見る。そこで一瞬カイの表情を読み、前を向き直して「うん、大丈夫だろう」と答える。さっきアムロを殴ってきたばかりなので、実際は全然大丈夫ではない。それでもカイの前で本音は言えない。岡田はこれを「政治的な発言」と呼ぶ。リュウから見れば全員が甘く、ブリッジで不用意に合議をするミライも、それに乗るブライトも間違っている。結局ブリッジの人々は気まずい対立を避け、身内で話し合うだけで解決しようとしており、それでは何も解決しない、と岡田はまとめる。

マ・クベの謀略と届かないドム

場面は夜の砂漠のギャロップに移る。クランプが、マ・クベ経由で中継されたドズルからの電文を渡す。ランバ・ラルは、陸上用モビルスーツ・ドムを3機回してもらえると喜ぶ。グフを失い、古いザクが1機しか残っていないラル隊にとって、補給があってこそ攻撃ができる。岡田は、オープニング後ここまでわずか2分20秒しか経っていないと指摘し、ドラマの密度の高さを強調する。

2分50秒あたりで、マ・クベの本拠地がカメラの縦パンで映される。岩山、地上戦艦、巨大な砲台に続いて、幌をかけたトレーラーが3台見える。岡田はこれをドム3機だと読む。マ・クベは、ランバ・ラルはこの辺りの鉱山を知りすぎた、実態はギレンにも知らせられない、と語る。ウラガンが依頼を握りつぶしたことになるのではと懸念すると、マ・クベは「ランバ・ラルはそうは考えんよ」と答える。補給に喜ぶ場面の直後に、実は補給は来ないと見せる構成である。

その後、脱走の報を受けたリュウが「どいつもこいつも勝手な真似しやがって」と怒りながら飛び出していく。岡田はその姿を男塾か番長漫画のようだと笑った。ここまでで開始から3分50秒だという。

「リュウ、頼む」――ブライトの弱さと成長

格納庫で車を出すリュウに、ブライトは走ってきて「リュウ、頼む」と言う。岡田は、頼むならお前が行けと思う場面だとしつつ、ここにブライトの弱さを見る。人望がない自分が行っても戻ってこないだろうから、人望のあるリュウに任せる。その発想がいけない、と岡田は言う。ただし自分がそれを理解したのは50歳を過ぎてからだと認め、当時のブライトを責めるわけにはいかないとも述べた。リュウの「殴り倒してでも連れて帰る」という返事について、岡田は、逃げる者の気持ちが分かるリュウには説得の言葉がないからだと解釈する。それでも一緒にいなければ生き残れないので、殴るしかないのだという。

遅れて来たミライは「私も行くわ」と言う。行かないブライトと、行って対話しようとするミライの対比である。ただ岡田は、ここでブライトを駄目、ミライを優秀と決めつけるのは気の毒だとも言う。ブライトは艦長という立場の重圧で潰れそうになっているが、ミライにはその重圧がない。後にブライトが倒れてミライが艦長代理になる回では、判断ミスを続けて意外なほど役に立たない、と岡田は振り返る。人の能力は立場とプレッシャーで出たり出なかったりする、というのが岡田の見方である。

その後ブライトは、ミライに「みんなが一つ考え落ちしてたのさ」と語る。アムロがいない間、指揮者としての自分はひどく不安だった。その不安は絶大だった。一体何なのだろう、と。岡田によれば、ブライトはここで、カイやハヤトの反発の奥にも同じ不安があると指摘している。アムロがいないときに自分でも驚くほど不安だったからこそ、戻ったアムロを素直に許せず、アムロを当てにしていそうなブライトも認められない。岡田は、ブライトが自分の弱さに気づいて口に出し、ミライに弱音を吐けるようになった点を成長として重視する。

追加の解説では、ブライトは最初、士官学校で教わった「理想の指揮官」を演じようとしていたと岡田は言う。自分らしい艦長になれたのは、ジャブローで独立行動を命じられ「おとりということですか」と言い返せたあたりではないか、と推測している。組織の下の方では自分を殺すほど成長につながるが、上に行くほど模範を崩す方が成長につながる。岡田はこれを、日本舞踊や落語で基礎の型を叩き込まれた者が段位を上げて表現力を得る話に重ねた。

補給を断たれたランバ・ラルの決断

ランバ・ラルはポイントA13でドムを待つが、30分過ぎても来ない。現れたのは小型機のウラガンだった。補給艦は撃破されたと告げられると、ランバ・ラルは「ドムは届かんというのか」と声を荒げる。ガンダムにグフを倒されても余裕を見せていた男が、味方に後ろから刺されることは予想していなかった、と岡田は言う。ウラガンの説明はもちろん嘘である。ランバ・ラルは言い訳を遮り、「このランバ・ラル、たとえ素手でも任務はやり遂げて見せる」とマ・クベに伝えるよう言う。去り際にウラガンが見せる笑いについて、岡田は、マ・クベの「ラルはそうは考えん」の意味が腑に落ち、戦馬鹿を憐れむ表情になったのだと読む。

ランバ・ラルはハモンに「お前の言う通りになったな」と言う。岡田は、何話も前からマ・クベを信じるなと進言していたハモンへの謝罪のニュアンスだとしつつ、いちいち謝って落ち込まないところに2人の信頼の厚さがあると評価する。「補給戦力を当てにせず、元々……」という台詞はウラガン機のエンジン音で遮られる。そのあとランバ・ラルは、絞り出すように「元々ゲリラの私の戦法で行こう」と言い直す。クランプは「その方が兵も喜びます」と返す。有利な条件で戦う方がいいのは当然で、この返事も嘘だが、クランプもここで男気を示しているのだと岡田は言う。岡田はクランプのヘルメットのひさしが微妙に歪めて描かれている点を挙げ、それが油断ならない軍人らしさを生んでいると安彦良和の絵の力を称えた。ランバ・ラルの鼻とひさしの向きにも同様の「嘘」があるという。

砂漠での説得――カイとハヤトの違い

リュウが追いつくと、脱走組のバギーは砂漠の真ん中で止まっていた。岡田は、出たはいいがどこへ行けばいいか分からなかったのだろうと推測する。ハヤトは「戦うのはホワイトベースでなくたってできます」と言い、カイは「ブライトにはアムロがついてるんでしょうが」と本音をぶつける。ハヤトは「僕にはホワイトベースで戦う意味がなくなったんですよ。これは仕方がないでしょう」と言う。

岡田はここで2人の違いを強調する。カイは感情で怒っているので、その感情が収まれば納得しそうに見える。しかしハヤトは考え抜いた末に怒っていない。誰が悪いのでもないという冷静な態度に、「昭和の若者」であるリュウは困り果てる。感情を失った相手に何を言っても通じない絶望感がここにある、と岡田は読む。

リュウがカイを殴り、ハヤトが力づくは無理だと止める。そこへ遠くから音が聞こえると、3人は一瞬で揃って伏せる。明確な敵が現れた瞬間にチームワークが戻る場面だ。リュウは戻るかどうかは自分たちの良心に聞けと言い残して去る。残されたカイは「いやに冷え込むじゃないか」と言う。岡田は、帰る理由を探して格好をつけているのだと解釈する。

一方、ランバ・ラルの作戦は通常とは逆である。火力のあるギャロップとザクを前に出しておとりとし、弱い歩兵をキュイに乗せて背後から艦に乗り込む。確実に勝つか相打ちに持ち込むため、味方にも犠牲の出る戦い方を選んだのだと岡田は説明する。兵士の報告にある、ホワイトベースは推定位置から10kmしか移動していない、という一言にも岡田は注目する。脱走があったため艦は動けなかった。脱走がなければ戦闘なしに抜けられていたかもしれない、という「歴史のもしも」がここにあるという。Aパートは、キュイの上でランバ・ラルが「この風、この肌触りこそ戦争よ」と言う場面で終わる。オープニング後9分20秒である。

岡田は追加の解説で、この台詞をブライトの「あの不安は何なんだ」と対になる自己分析だと読んだ。圧倒的に不利なのに血がたぎる自分を、馬鹿だなと認めているのだという。両陣営の指揮官がそれぞれ自分を再発見する構造になっている。

カットバックで高める緊張

Bパートは、アムロ、ランバ・ラル、ハモンの3者を台詞なしで交互に映すカットバックから始まる。独房で黙々と食事をするアムロ、風を受けるラル、ずっと下着姿だったアムロが誰にも言われずに制服を着る場面、爆走するギャロップ、シャドーボクシングをするアムロ、腕を組んで動かないハモン。最後にハモンが「白いモビルスーツのパイロット……いい少年、さてどう出るか」とつぶやく。岡田は、ハモンがここでアムロを殺す覚悟を固めたのだと読む。カットバックについては、刑事と犯人を交互に映す例を挙げ、『大列車強盗』のころから使われてきた技法だと説明した。

岡田は、下着姿はアムロの反抗の印だと言う。第1話でも、その後の回で出撃を急かされたときも、アムロは下着でいた。その下着を自分から制服に着替える場面をわざわざ入れたのは、成長を示すためだと解釈する。戦闘前に顔に化粧をする部族の男たちのように、内面を奮い立たせる意味もあるという。さらにカメラの動きにも注目する。アムロの側は徐々に引いていき、ハモンの側には徐々に寄っていく。主役に寄って相手から引くのが普通なので、これは逆である。岡田は、この逆転が戦いの結果がハモン側に不利になることを映像で先に示す伏線になっていると見る。

岡田は、ブライトがリュウを行かせたことについても新しい解釈を示した。ブライトが自分で脱走を知ってしまえば、4人ものメインクルーを独房に入れなければならなくなる。それは自殺行為なので、「知らなかったこと」にするためだったのではないか、という読みである。

白兵戦の描写

警報が鳴り、ホワイトベースは着陸中で動けない。ミライは飛行再開まで1分20秒かかると告げる。岡田はエンジンを「臨界」まで上げないと浮かない感覚を重い電車の発進にたとえ、リアリティのあるやり取りだと評した。セイラがガンダムで出るが、高所のザクに対して下から撃つ不利な位置にいる。窓から見ていたアムロは、下がって後ろにジャンプし、射程距離の差を生かすよう助言する。セイラはザクの頭を撃ち抜き、アムロは素直に喜ぶ。

背後から迫るキュイにバギーのカイたちが気づき、「奴ら、肉弾戦で来るつもりじゃないのか」と言う。ジオン兵はジェットで飛び上がり、艦に取りつく。岡田は噴射炎を青みがかったグレーで描いた色指定に注目する。富野監督は子どものころロケット科学者を志していたと対談で語っており、高温の噴射は青や白に近いという考え方が反映されている、と岡田は説明する。明るい色を避けて地味な画面にしたことで恐怖感が出ているという。撃たれた兵士が甲板に落ち、艦から転げ落ちる。血を直接描かない以外は残酷描写を一通りやっている、と岡田は言う。セイラは、ガンダムの武器では威力がありすぎて兵隊だけを倒せないと言い、手が出せなくなる。

クランプはブリッジの窓に爆弾を仕掛けようとして、中に子供がいることに驚き、「下がってろ、怪我するぞ」と怒鳴る。岡田によれば、窓を破れば結局は殺し合いになるのに、それでも危ないから下がれと言ってしまう。冷静に目的を追う男として積み重ねてきたクランプの人間味がここで出る。ランバ・ラルはフラウの銃を払い、「銃を持っていれば殺す。どこかに隠れているんだ」と言う。岡田はこれを、最初に言うべきことを言い、一度だけ警告する覚悟であって、クランプより一枚上手の貫禄だと評する。ジオン兵に組み伏せられたアムロをブライトが撃って救い、「ホワイトベースを壊してもだ」と、ガンダムで第2ブリッジの敵を撃退するよう命じる。

ランバ・ラルとセイラの再会

ランバ・ラルの狙いは、窓の少ない戦闘艦橋である第2ブリッジを占領し、クランプ班が第1ブリッジを破壊したうえで艦を無傷のまま奪い、少年たちを捕虜にすることだった、と岡田は説明する。ガンダムを交代するとき、セイラが「敵は?」と聞き、アムロが「第2ブリッジです」と答えた。そのためセイラは一番近い出口から第2ブリッジへ向かうことになる。この問答がなければ再会は起きなかった、と岡田は言う。前回までセイラをガンダムに乗せておいたのも、2人が顔を合わせる可能性に視聴者が気づかないようにするミスリードだった、というのが岡田の読みである。

煙の立ちこめる廊下で、ランバ・ラルはセイラに銃を向けて驚く。「姫様か」「ジオン・ダイクンにお仕えしたジンバ・ラルの息子、ランバ・ラルですぞ」。セイラは一瞬の回想を経て顔つきを変え、「アルテイシアと知って、なぜ銃を向けるか」と言う。岡田は、長年封印してきた立場を思い出した瞬間だと読む。岡田はこの場面を舞台劇として分析する。下手のラルと上手のセイラを交互に映し、中央の奥から「花道」を通ってリュウが走り込んで状況を破る。姫様と家臣の臭い大芝居、チャンバラ映画のような場面なので、あえて分かりやすい舞台の構図に落とし込んだのだという。撃たれたランバ・ラルはセイラには撃ち返せず、第2ブリッジに逃げ込む。

第2ブリッジの破壊と70年代アニメの表現

ランバ・ラルはハモンに「すまん、木馬をギャロップで撃破してくれ。ランバ・ラル、戦いの中で戦いを忘れた」と通信する。ハモンが「どうなさったのです」と聞いた瞬間、無線機が爆発し、ビームジャベリンが室内に突き込まれる。ランバ・ラル以外の兵士はすべて焼き殺される。岡田は、狭い空間の戦いの後に抜けのいい画面を見せる富野の映画的な感覚を指摘する。一方で、他の兵士の死は直接見せず、ランバ・ラルだけが立っていることで分からせている点にも触れる。

岡田はここで、当時は見る側が補完する必要があると強調する。1981〜83年の『超時空要塞マクロス』のころまでアニメは子供向けとされ、ガンダムにも絵本が出ていた。ランバ・ラルは顔に血を一筋流す程度にしか描かれていないが、実際は立ち上がれないほどの状態だと読むべきだという。第1話でフラウが祖父母を揺する場面も、本当はバラバラの遺体を前にしていたからアムロが愕然とした、と岡田は解釈する。『未来少年コナン』第1話で爆発を受けたおじいが毛布で覆われていたのも、描けない状態だったからだと述べた。

「兵士の定め」――ランバ・ラルの自爆

意識を取り戻したランバ・ラルは、穴から覗き込むガンダムに向かって歩き、「わしの戦っていた相手が、年端もいかぬ少年とは皮肉なもんだ」と言う。岡田は、この場面のガンダムは悪魔的に見え、視聴者はラルの側に共感するように作られていると言う。駆け込んだブライトたちに、ランバ・ラルは「君たちは立派に戦ってきた。だが兵士の定めがどういうものか、よく見ておくんだな」と告げ、手榴弾のピンを抜く。

なぜ投げなかったのか。岡田の答えはこうだ。ランバ・ラルは、生活の苦しい部下の暮らしを良くするため、そしてアムロやフラウを見逃してきたように、弱い者を守るという自分の男の道のために戦ってきた。ところが部下を犠牲にしてまで勝とうとした相手は、自分が見逃し続けてきた子供たちだった。勝利者になるはずの部下たちは、子供の操るガンダムに無慈悲に焼かれた。子供と部下を守るという美学そのものが自分を敗北させた。それが「皮肉」の意味だと岡田は言う。

ガンダムは手を伸ばすが間に合わず、ランバ・ラルは艦外で自爆する。セイラが顔を背けるのは、残酷さのためではなく、知り合いだったと口に出せない艦内でのただ一人の孤独のためだ、と岡田は読む。アムロは、ガンダムの性能で勝ったに過ぎないと言われたあの人に、外から第2ブリッジを壊すという手で勝ってしまい、その人が負けを認めて自爆したことに凍りつく。

追加の解説で、岡田はランバ・ラルの死をのちのドズルの死と比べた。自分の戦いに価値がなくなったとき、どう意地を通すか。ランバ・ラルは侍の死に方ではなく人間の死に方を選んだ、と岡田は言う。数分で死ぬと悟り、これ以上子供を傷つけず、ハモンにも復讐をやめて帰ってほしかった。だから殺されたのではなく自分で死ぬのだと示すため、ハモンから見える位置で自爆した。しかしハモンはかえって復讐心を燃やす。そこは「計算違い」だったのだろうと岡田は言う。これに対してドズルは、部下を逃がした後、将軍や弟という枠から解放されて、純粋に戦いたかった自分を最後に出したという。

ハモンの反撃とリュウの負傷

カメラがガンダムの上へパンすると、肩に砲撃が当たる。ギャロップのハモンが、ホワイトベースではなくガンダム1機だけを狙っていた。岡田は、ガルマの仇を討とうとしたイセリナと同じことが起きていると指摘し、そこに女の怖さを見る。アムロは「ハモンさん、ランバ・ラルは死んだんだぞ、やめるんだ」と言ってビームジャベリンを投げる。岡田は、本来腰をひねれない箱の組み合わせのガンダムが、作画で大きく振りかぶる点を挙げ、デッサンが狂っても動きが格好いい例だと言う。ギャロップは爆発するが、ブリッジ部分だけが切り離されて脱出する。

脱出したハモンは逆光で目だけに光が当たり、表情が読み取れない。岡田はこれをフィルム・ノワール的な照明と説明する。夜のパリを走るタクシーの後部座席で男の目だけにスポットを当て、何かを考えていると観客に分からせる映画のモデルがあるという。ハモンは「隊長から連絡は?」と確認し、「そう」と答え、「ランバ・ラル」とつぶやく。

ラストでは、ブライトが「静かに運ぶんだ」と言いながら重傷のリュウを担架で運ぶ。カメラはトラックバックで彼らを小さく映す。岡田によれば、名もなきジオン兵が死んでいくのと同じく、リュウの死もクルーにとっては一大事だが戦場では当たり前のことだ、と示す演出である。次の第21話「激闘は憎しみ深く」で描かれるハモンの復讐について、岡田は、イセリナの回と何が違うのかはアムロを知っているかどうかにあると予告した。ハモンの復讐とリュウの死によって、バラバラだったクルーの心がようやく一つにまとまっていくという。

追加:オデッサ・デイまでの「5日間」

最後に岡田は、「重箱の隅」の話としてオデッサ作戦の日程を取り上げた。第16話冒頭でホワイトベースは「オデッサ・デイは5日後、それまでにカスピ海を越えろ」と指示されている。しかし第25話「オデッサの激戦」まで、それだけの出来事が5日に収まるのは無理だと当時のファンの間で言われていた。岡田は、作品の無理をファンの考察で救う「SFレスキュー」を試みる。

岡田の手がかりは、第20話冒頭で「オデッサ・デイ発動までは動くな」と言っていることと、艦が大きな水辺に着陸していることだ。1日目にセイラの出撃とコズンの捕虜、2日目に鉱山基地の発見とアムロの脱走、3日目にアッザムとの戦い、4日目にランバ・ラルとの遭遇と独房入り。そして5日目にカスピ海を渡り、アゼルバイジャン付近で待機していたところで作戦延期の命令が届いた、と岡田は組み立てる。延期の日取りが未定のまま動けずにいたため、足の遅いギャロップに追いつかれた。そう考えれば筋は通るという。アムロの脱走も実質「1泊3日」程度で、14歳の少年が砂漠で3泊も4泊もできるとは思えないので、むしろリアルだと岡田は結んだ。