「ニート医」井たくまが語る、嘘医学へのカウンターと、一人で回すSNS活動の限界

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概要

医師免許を持ちながら専門医の道に進まず、アルバイト医として働きつつ芸人とSNS発信を続ける井たくま。YouTubeの登録者は約50万人に達し、ショート動画には1000万回再生を超えるものもある。ドキュメンタリーチャンネル「街録ch」のインタビューで、井さんは「ニート医」という肩書きの意味、過激な健康情報に正論で対抗する発信の方針、熊本での受験期から医学部、研修医を経て28歳で芸人を志した経緯、そして編集者もマネージャーもいないまま1日3本の動画を出し続ける現状を語った。終盤では、聞き手から「仲間を作ること」と「お金を払うことに慣れること」を強く勧められている。

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珍しい苗字と、一人で回す1日3本の投稿

「井」は珍しい苗字で、熊本県のある村には墓がすべて「井」というほど多いという。熊本では学校に1人いてもおかしくない程度の感覚だと井さんは話す。

現在の投稿ペースは1日3本が基本で、内訳はショート2本、ロング1本。予定が立て込む日は2本になることもあるが、3本を目標にしている。編集者もマネージャーもおらず、撮影から編集、投稿まで完全に一人で行っている。医師のアルバイトは以前は週3〜4日しっかり入れていたが、今は週2日ほどに減らし、動画制作と並行している。

「ニート医」とは何か

「ニート医」という言葉の由来について、井さんは「諸説ある」と前置きする。アルバイトを掛け持ちしてフリーターのように働く医師を指す言葉が以前からあったという説もある。井さん自身は自分が作った言葉だと思っていたが、「高先生」と呼ばれる医師とYouTube上でやり取りする中で、過去にも使われていたのではないかという話が出てきた。ただし、明らかに有名になったのは自分が言い出してからだろうと井さんは見ている。このやり取りをきっかけに、相手とはむしろ仲良くなったという。

名乗り始めた理由は実務的だ。もともと「医者芸人」として活動していたが、「芸人」と名乗るとYouTubeで見る側のハードルが上がる。そこで「まともに働いていない医者」くらいのニュアンスで「ニート医」を使い始めた。開業医でも勤務医でもなく、アルバイトの医師業だけで生計を立てている状態を指す。ただし井さんは、アルバイトで生きていきたかったわけではない。医師として少し働いた後に芸人になりたいと思い、芸人で稼げるようになるまでの「つなぎ」としてアルバイトをしていたという位置づけだ。

こうした働き方の医師は多くないと井さんは言う。8〜9割の医師はまともに働いているはずで、医師同士で結婚した夫婦の片方がアルバイトだけをする例はあっても、独身男性がアルバイト単体で働くのはかなり珍しい。続けても新しい資格が取れるわけではなく、目標がないので飽きるか病んでしまうのではないか、というのが井さんの見方だ。

専門を持たない医師のキャリアと、アルバイトの中身

医師は通常、2年間の初期研修を終えると、精神科や消化器科などの医局に入り、専門を学んでいく。井さんは初期研修を終えた段階で芸人を目指したため、専門を持っていない。初期研修は当直も含めて一通りこなしたが、「本当に最低限のことをやる」期間だという。

途中から専門医の道に戻ることは制度上は可能だが、専門医のコースに乗るのは大変で、そうした経歴の人間を受け入れたくない医局もあるはずだと井さんは話す。人手不足の場所や、「こいつならいいか」と思ってもらえる場所なら、本人に頑張る気さえあれば戻れる。過疎地域なら可能性があるかもしれないが、これだけ顔を出して活動しているとどこも無理かもしれない、とも付け加えた。

専門を持たない医師のアルバイトとしては、内科の一般外来、忙しくない病院の夜間当直、健康診断、チェックリストに沿って確認していくような業務などがあるという。井さんは夜間の仕事は「きつすぎる」のでやらず、日中の内科的な業務や、美容関係の仕事などを「食い扶持」と割り切って引き受けている。

それでも芸人を続ける理由

所属していた太田プロは、収録時点のちょうど1年ほど前に完全に辞めた。それでもライブには月2回ほど出ており、収録週の土曜日には久しぶりにネタ番組『有吉のお笑い…』ではなく『日曜チャップリン』に出演する予定だと話していた。頻度は減ったが、機会があれば出ている。

YouTubeで収入も知名度も得た今も芸人を続けるのは、名刺に職業を一つ書くならやはり「芸人」と書きたいからだという。芸人への憧れからこうした活動を始めたので、そこには必ず触れておきたい。聞き手が、バキバキ童貞(ぐんぴぃ)と同じようなルートではないかと尋ねると、井さんは、ぐんぴぃのほうが芸人としてもある程度うまくいっていたと思うが、気持ちとしては近いと答えた。

問診中に若い女性から「TikTok見てます」と声をかけられ、BeRealを撮りたいと頼まれたこともあったという。一緒に来ていた父親は明らかに不機嫌な顔をしていたそうで、それが井さんにとって人生初のBeRealだった。現在33歳の年である。

過激な医療情報への「正論」というカウンター

井さんの動画は、医師としての情報を面白く伝えるスタイルだが、本人は「それがやりたかったというより、結果それがバズるからやっている」と話す。ただ、極端なことは言わないというルールは決めている。これまでのYouTubeやTikTokでは「これを食べればがんを予防できる」といった過激な医療情報を語る医師がバズっていた。そのカウンターとして正論だけを言おうと始めたところ、それが伸びたので、その方針を守っている。「何々を絶対に食べてはいけない」という類の話は胡散臭すぎるし、ほぼ嘘だというのが井さんの立場だ。

その代表例として挙げたのが「四毒抜き」である。小麦、砂糖、油、乳製品を「毒」として避けるという考え方で、井さんは動画でも頻繁にいじっているため、その界隈からは疎まれているかもしれないという。井さんの批判の出発点は「そもそも毒ではない」という点にある。どんな食べ物も摂りすぎれば害になり、水でさえ摂りすぎれば人は死ぬ。砂糖を摂りすぎるのが良くないのは事実で、井さん自身も太っている。しかし、それを「毒」と過剰に煽ってお金を集めるのは「嘘すぎる」。加えて、医師ではない人が医師のように振る舞っていることへの違和感もあると語った。

乳製品が実は悪いのではないかという話は昔からあるが、井さんが調べた限りでは迷信のような情報しか見当たらないという。一方で、そうした意見が対立する存在としてあること自体は構わないとも言う。ダイエットのためにカロリーを減らすのはいいが、「毒」と言われれば「毒じゃないだろう」と言いたくなる、という整理だ。

味の素、カップ麺、コンビニ野菜、骨盤矯正

間違っているのにバズる医療情報としては、「医者は体に悪いからカップ麺を絶対に食べない」というベタなものから、食品添加物に関するものまであるという。中でも最もバズったのが味の素についての動画だった。大量に摂ればナトリウムも入っているので体に悪いと井さんも認める。しかし味の素の成分はグルタミン酸ナトリウムで、化学式の上では何が違うのかと言われれば違わない。「化学」というだけで良くないと考える人たちがいるが、それは違うと思う、という内容の動画だったと井さんは説明する。

コンビニの野菜は洗われすぎていて危ない、という情報についても、栄養が若干抜けている面はあるが、食べないよりずっといいし、国の基準で作られていると発信した。こうした発信にはアンチもつく。

ただ、健康系のショート動画では、アンチが来てコメント欄で喧嘩になるほうが再生されるのだと井さんは話す。腹は立つが、来てくれたおかげでバズるので「まあいいか」と思っている。アンチのおかげで50万人に達したと言っても過言ではないという。聞き手が、とんでも情報がバズればバズるほど「それはおかしい」と言うだけで伸びるのではないかと向けると、井さんは「極論そう」と認めた。自分には強いポリシーがあるわけではなく、バズることを考えつつ、「正義感はないけど、自分がお金を稼ぐならせめて嘘はつかないようにしよう」という程度の姿勢だという。

ほかによく取り上げる「嘘医学」としては、骨盤矯正を挙げた。骨盤が動いたらそれは骨折であり、ありえない。骨を動かして小顔にするという施術も、整形外科の医師から言わせれば、骨が動いたら大事故で、怪我だという。

美容外科医になれるのかという質問には、教えてくれる場所があれば可能かもしれないが、外科系はほとんど経験がなく怖いと答えた。また、美容外科医は自分が美しいと思う顔と患者が望む顔が一致していないと良い施術ができないとよく言われる。自分はこの顔のまま生きていて、これでいいと思っているので、「綺麗な顔とはこういうものだ」という確固たる基準がなく、向いていないのではないかという。

親の「策略」で受験勉強へ

出身は熊本市の隣にある菊陽町。井さんが生まれた頃は都会と田舎の中間くらいだったが、半導体メーカーのTSMCが進出した今は、熊本市内に通う人のベッドタウンとして人口が増え続けているという。両親はともに公務員で、学校の教員だ。

小学校では学年の上位5人に入るくらいの成績だった。低学年の頃は漢字と計算ばかりをやらせる公文のような塾に通っていたが、漢字は調べればわかるし読めればいいと思っていて、意味を感じられず成績も非常に悪かった。塾をやめたいと言うと、親は「他の塾に行くならやめていい」と条件を出した。そうして入ったのが中学受験のための本格的な塾で、受験勉強をしてみると楽しくなった。受験の国語では漢字は最初の5問ほどしかなく、「やっぱりこれはいらなかった」と思えたし、問題が意外と解けて成績も上がったので、向いているかもしれないと感じたという。

後になって親に聞くと、これは親の「策略」だったらしい。教員である両親は、井さんが生まれた頃から何に向いているかを考え、運動はできない、音楽もできない、顔も良くない、勉強なら少しできそうだから、うまく勉強の方向に誘導しようと考えていたという。井さんは人生で一度も「勉強しろ」と言われたことがない。むしろ言われたのは「家事や片付けができない人間は塾に行っても同じだ」ということで、井さんのほうから「塾に連れて行ってください」と頼んでいたという。

附属中学での「ブルジョアとの戦い」と、生まれつきの不安

進学したのは熊本で最も頭がいいとされる大学附属の中学校だった。附属の高校はなく、公立の料金で3年間いい教育を受けられるという位置づけだ。井さんの頃は入試に抽選があり、例えば100人を合格させる場合、200人を選んだうえで抽選で100人に絞っていたという。点数が上の子が抽選で落ちることもありえた。教育学部の附属なので教育実習生が来るが、生徒ができすぎると授業にならないので、ならすためにそうしていたのではないかと井さんは推測する。今はこの制度はないようだという。

附属には幼稚園から上がってくる子どもたちがおり、医師の子どもなど裕福な「ハイソ」な家庭が多かった。井さんは田舎から1時間ほどかけて通っており、「絶対に負けられない」と思って勉強し、実際に学年1位になった。家庭科や体育の筆記試験まで満点を取るほどだった。井さんは昔から感情の波が大きく、「やるぞ」と決めた時はとことんやるタイプだという。自分には才能がないので、3出す相手には31出した者が勝つだろうという考え方だ。

ところが中学2年生ごろ、急にやる気がなくなった。何をやっているんだろうと思い始め、そもそも当時は医師になりたいわけでもなく、ブルジョアに一矢報いるという気持ちだけでやっていたので、気が抜けてしまった。それでも2年間の蓄積があったため、成績を徐々に落としながらも、多くの生徒が進む県内トップの公立高校・熊本高校に進学した。

当時の同級生からは、テスト前に電車で問題を出し合うと「やばい、全然解けない」と言っていたのに、蓋を開けると満点を取っているやつだったと言われるという。井さんによれば、それは演技ではなく本当に不安だったからで、テストの数日前には泣いていた。井さんは自分を不安症だと話す。小学生の頃、ある生き物に触れた手で食事をして死んだ人が海外にいると先生から聞き、怖くてその生き物に近づけなくなった。通っていた水泳教室ではグループごとに水の生き物の名前がついたリーダーがいたが、自分の担当のリーダーの名前がその生き物を連想させるものだったため、怖くなってやめてしまった。万引きをするテレビを見た後は、自分も万引きしてしまうかもしれないと思い、コンビニでは手の動きを見せるようにして商品を取っていたという。こうした脅迫的な不安は生まれつきのものだと思うが、病院にかかるほどではない。新しい不安が出てくると前の不安は消えるので、「不安は1個しか持てない」のだと井さんは話す。

芸人ラジオとの出会い、そして「モテ」への全振り

中学で勉強のやる気を失った頃、井さんは芸人のラジオを聴くようになった。夜の番組『SCHOOL OF LOCK!』の前の時間帯の番組をよく聴いており、初めてメールが読まれたのもそこだった。また、すでに放送は終わっていた松本人志の『放送室』をレンタル店のCDボックスで借り、ダビングして聴いた。ここで芸人を面白いと思うようになった。

一方で中学3年生ごろからは、勉強よりも「モテ」が気になり始めた。まったくモテない自覚があり、このまま大人になったらまずいと感じたからだ。中学の卒業時に告白して短期間付き合ったが、それは終わった。高校では、女性と接する機会が多い場所にいるべきだと考え、最も女性の多い部活として吹奏楽部に入った。ただ、女子30人に男子5人といった比率になると男女の区別がなくなり、自分も「女性の1人」のように同化してしまうので、入れば付き合えるわけではないという。

それでも井さんは彼女を作った。一緒に帰っていた相手が「他の人に告白されたんだけど、彼氏がいれば告白みたいな面倒なことをされずに済むのかな」と言ったのを、自分への誘いだと勘違いし、「じゃあ俺が彼氏になろうか」と言ったところ「いいよ」と返事をもらった。後から聞くと、そういう意味ではなかったらしい。

動機は不純だったが、音楽には真面目に取り組んだ。担当はコントラバスで、部長にもなり、親に頼んでプロに習いにも行った。聞き手が「目標を決めたら必ず手に入れる」と評すると、井さんは計画性はあるかもしれないと認め、目の前のことはとにかく頑張ると話した。ギリギリのところで踏みとどまる力があり、短期集中型で、感情の波に乗ってやるタイプだという。

元恋人への怒りを燃料に医学部へ

高校時代は恋愛にうつつを抜かし、3年間ほとんど勉強しなかった。真面目な学校なので彼女は勉強したがり、遊びたい井さんとの間でもめているうちに3年が終わったという。現役で鹿児島大学医学部を受けたが、当然のように落ちた。

医学部を目指したのは軽い動機だった。附属中学から高校に上がったため、周りには医師の子どもが多く、中学で「はっちゃけて」から友達も増えていた。その友達がみんな医師になると言うので、ノリで自分もなろうと考えたという。

浪人期間を頑張れたのは、元恋人をめぐる怒りがあったからだ。吹奏楽部の彼女とは別れたが、彼女は医学部に進んだ。井さんは高校時代、毎日彼女を塾に送り届けていた。ところが浪人中に、彼女がその塾で働いていた医学部生と、卒業後に付き合っていると人づてに聞いた。自分は次の彼氏のところへ彼女を安全に送り届けていたのかと気分が悪くなり、腹が立って、「じゃあ俺も医学部に行く」と決めたという。

井さんは、思い込みが激しいのか、そう思ったらやるしかないと考えるタイプだと自己分析する。田舎から出てきてブルジョアたちと戦うという意識は、ずっと続いているという。自信は根拠がないほうがいい、何の根拠もなく「やれる」という確信だけがある、とも話した。

実際に合格したのは、一浪での佐賀大学医学部だった。鹿児島大学のほうがずっと上だという。浪人中も実はあまり勉強せず、受かればいいという気持ちだった。その年は入試形式が変わる年で、形式が変わる年は受かりやすくなるという説に賭けたという。

医学部ではジャズに打ち込み、ストレートで卒業

入学した途端、「これで医者になるしかないんだ」と気づいて嫌になった。モテへの意識もまだあり、同じ作戦で、音楽経験があるなら有利だろうと軽音楽部に入った。実際にはジャズ研究会のような部で、井さんはベースを担当した。ジャズバーでセッションホスト、つまりセッションの中心となるベーシストを務めたり、アドリブを練習したりして、プロのジャズマンになろうと考えていた。

それでも「入ったからには頑張る」性格から、卒業はすると決めていた。医学部の留年は珍しくなく、井さんの同期100人のうちストレートで卒業できたのは70人ほど。2年生と4年生の試験が特に難関で、ここを突破できずに留年する人が多い。6年生まで来れば卒業はなんとかなるが、その後の国家試験に落ちる「国浪」もある。井さんは留年の危機が何度かあったものの突破し、ストレートで卒業して、25歳ごろに国家試験に合格した。

研修医時代に「医者は無理だ」と確信した理由

卒業後は2年間の初期研修で一通りの診療科を回った。学生時代の6年間ジャズを続けるうちに、自分にはジャズの才能がないと気づいていた。研修の2年間で、中学の頃に芸人になりたかったことを思い出し、28歳ごろに芸人を目指すと決めた。

医師は無理だと感じた理由は大きく二つあった。一つは、医師は自分の判断で人が亡くなることがあるという点だ。ミスをしなくても、全力を尽くしても患者が亡くなることはある。不安症の自分にとって、それが毎日起こりうるのは耐えがたかった。

もう一つは当直の働き方だ。看護師には夜勤という交代制があるが、医師にはそれがない。当直は法律上「ほとんど寝ていてよく、万が一患者に異変があれば対応する」という位置づけで、夜は寝ている前提なので翌朝もそのまま働ける、という建て付けになっている。しかし実際には救急車がたくさん来る。朝から夕方まで働き、夜は救急を診て、翌朝また働く。24時間勤務、場合によっては48時間勤務になることもあり、それが日本ではなぜかまかり通っていると井さんは話す。加えて、手術中に独創性を出すことはできない。あえてこの血管を切るといったことをしたら大事件になる。そういう意味でオリジナリティを出せないとも感じたという。医師免許は、せっかく入ったのだから取っておいたほうがいいという「保険」のような意識だった。

仕事一筋の両親は、井さんに救急医になって命を救ってほしいと思っていたらしい。芸人になると告げると、母親は「別に止めはしないけど、28年生きてきてお前で笑ったことはない」と言い、今でも一刻も早く辞めてほしいと言っているという。28歳からの挑戦は怖かったが、医師は無理だということが確定していたので、これしかないという思いと、昔からある根拠のない「いけるんじゃないか」という感覚で上京を決めた。

研修医の貯金とワクチンバイトで上京

研修医の年収は一般的な医師の1000万円以上とは違い、多くても500万円程度だという。それでも暮らせるくらいの貯金はあり、当時から積立NISAを使うなど意外と堅実だった。上京前にアルバイトのサイトを調べ、どこでどう働けるかを確認していた。

ちょうどコロナ禍が始まった時期で、コロナワクチン接種のアルバイトがあった。多いものでは1日で20万円弱になったという。ワクチン接種は平日に行われ、普通に勤務している医師は平日に時間がないため、井さんのような立場の医師は貴重だった。上京1年目はこれにかなり助けられたと井さんは振り返る。

太田プロ養成所を選んだ理由と、仮所属の実態

上京後は太田プロの養成所に1年間通った。吉本にはすでに医師芸人のしゅんしゅんクリニックPがいるので医者芸人の需要はないだろうと考えた。また医師のアルバイトをしたかったので、通う日数が少ないほうがいい。太田プロの養成所は週2回、夜7時から9時までと短く、年間の費用も30万円程度と高くなかった。憧れの先輩がいたわけではなく、効率よく芸人になれる場所として選んだという。

太田プロでは卒業ライブを経て「仮所属」になり、テレビに出られるほど売れなければ本所属にはならない。井さんはずっと仮所属だった。実質はフリーのようなもので、地下ライブに出まくる。月1回の事務所ライブはオーディションに通れば出られ、事務所経由で届くテレビ番組のアンケートを書いて通過すればネタ見せ、それに受かればテレビに出られる、という仕組みだという。

養成所時代にはコンビを2組組んだ。1組目はお坊さんとのコンビ「ボーズ」で、井さんが坊主をやって葬式で蘇生させたり、お坊さんが医者をやって手術中にお経を唱えたりする漫才をしていた。2組目は元吉本の相方とのコンビで、養成所内では1位から3位あたりに入るほどだった。M-1グランプリでは1回戦を突破できなかったが、「ナイスアマチュア賞」を取り、動画も公開された。

しかし、このコンビも長続きしなかった。井さんは相方に50〜60万円ほど貸しており、それもあって関係が悪くなり、解散した。同期の中で唯一お金を持っていたため、ほかの同期にもお金を貸しまくっていたという。井さんが貸さなければ辞めていた芸人もいるのではないかと思っている。3桁万円を貸した同期は、売れたわけではなく、アルバイトで4年ほどかけて完済した。解散した頃、養成所時代にピンで出たR-1グランプリで1回戦を通過したこともあり、ピンでやっていけると考え、ピン芸人として仮所属した。井さん自身、協調性がなく我が強いと認めている。

SNSは養成所時代から、転機は「1日3本」

芸人としての最終目標は、地上波のラジオ番組を持つことだった。一方で、医師のアルバイトを何十年も続けるわけにはいかないという意識もあった。同期の医師たちは専門医を取っていくので、お笑いの側で一端の成果を上げなければならないと考えていたという。

そのため、養成所時代からTikTok、Instagram、YouTubeをすべて始めていた。同期で誰もやっていなかったが、「医者あるある」がいいかもしれないと思ったのだという。事務所によってはSNSでの成功を芸人としての実績とみなさないところもあり、太田プロもおそらくそうだと井さんは話す。

投稿は1日1本や2日に1本のペースで、中断した時期もあり、フォロワーは1〜2万人ほどで推移していた。去年の春から夏ごろ、芸人としても全然ダメで、何か一つやらなければまずいと感じ、SNSに全力を注ぐことにした。とりあえず本数を増やそうと、去年の夏から1日3本の投稿を始めた。明らかに変わったのはそこからだという。

細かい医者あるあるのネタについては、医師からも「なぜそんなにわかるのか」と聞かれるという。学生時代、研修時代、アルバイト時代の経験に加え、周りを見ていて「こういうことがあった」と思ったことを膨らませている。医師の結婚あるあるも、友人の結婚式に出たり先輩の話を聞いたりする中で自然と蓄積された。例えば結婚式の乾杯の挨拶を頼む教授に100万円を払う、それ以上払うところもあるらしい、といった話だ。教授はその分をご祝儀で返してくれるのだともいう。

医師の収入について井さんは、自分が調べた範囲では平均年収が1500万円ほどで、月100万円程度、税引き後の手取りは70万円くらいではないかと話す。一般的には高収入だが、当直のような働き方をしたうえでの金額なので、時給に換算するとそれほど高くない。医師は頭脳労働に見えて、自分が動き続けないとお金が生まれない肉体労働だというのが井さんの見方だ。

ワンオペYouTuberの限界

今後の目標について、井さんは特に定めていないが、YouTubeは100万人まで行きたいと話す。ただ、YouTubeもいつ終わるかわからないので、食べていく方法を模索している。医師のアルバイトにも「寿命」はあると感じている。井さんの場合、SNSを通じて知り合った医師から仕事を紹介してもらえるのでなんとかなっているが、アルバイトの募集サイト経由なら、33歳で専門を持たずにアルバイトをしている医師は「なぜ」と思われ、危ない人物だと見られるだろうという。最近は学会に呼ばれる仕事で報酬を得ることもあり、活動を一つの会社のようにしたい気持ちもある。

ただ、周りには誰もいない。協調性がないうえに、異常に疑い深く、誰かに出し抜かれるのではないかと考えてしまうという。さらに、その日に撮った動画をその日に投稿しているため、編集を人に渡す時間もない。サイクルをずらせば可能かもしれないと本人も認めている。

睡眠は4〜5時間。医師のアルバイトがなく、1日3本の動画を上げる以外に用事がない日を「休み」と呼んでいる。さらに週3回の生配信もある。医学的に見れば過労だと井さん自身も認めるが、楽しいし、不安もあるのでやめられない。YouTubeの管理画面で収益や再生数の推移を何度も更新して見てしまい、動画の順位が10位だったりすると絶望するという。

ファンとの距離も変わった。芸歴1年目はファンと飲みに行ったり遊んだりしていたが、案件も受ける今は何かあった時のリスクが大きいので断っている。生配信では「彼女は15人いる」と公言し、「浮気も不倫もするから何も言うなよ」とハードルを下げている。丸メガネでたれ目、太っているので「いいやつ」だと思われがちだが、全然いいやつではないと伝えておきたいのだという。

マネージャーがいないことも負担になっている。予定の管理はぐちゃぐちゃになり、案件の金額交渉も自分で行うので気まずい。心を許せる友人は高校時代に2人、大学時代に2人ほど。中学時代の友人には今も仲のいい医師がおり、活動の顧問弁護士も中学時代に仲の良かった友人だという。

聞き手の助言――仲間を作り、お金を払うことに慣れる

終盤、聞き手は仲間を作るよう強く勧めた。ぐんぴぃでさえ仲間と組んで活動しているのは賢いと井さんも同意する。聞き手は、自分の取り分は減るが、活動の楽しさや思い出など、お金では手に入らないものがあり、ストレスはあっても、誰もいない中で10年続けるより楽しく、自分のためにもなると話した。井さんも、自分が倒れたら終わりだと認める。

ただ、誰を連れてくればいいのかがわからない。井さんは芸歴5年目で、同期の芸人たちはまだ上り坂の途中にいる。10年目にもなれば芸人は無理だと思ってYouTubeを頑張る人も出てくるだろうが、今は芸人を続けている友人を引き込めない。これに対し聞き手は、YouTuberを目指す芸人に編集を手伝ってもらい、ノウハウを教えつつ給料を払って育てる方法を提案した。井さんも「それが一番いい」と応じ、レースを諦めた芸人がいたら連絡がほしいと冗談交じりに話した。

聞き手がもう一つ強調したのは、お金を払うことに慣れる必要があるという点だ。医師のアルバイト代と同じくらいの金額を、自分のお金から編集者に払うのは嫌だろうと聞かれ、井さんは「嫌です」と答えた。自分でやったほうがいいと思ってしまう。聞き手によれば、払わない期間が長いほど払うことへの抵抗が強くなり、いざ払わなければならない時に「払っているんだからやれ」と相手に強い圧力をかける「モンスター」になりかねない。少しずつ試しに払い、仕事を頼んでお金を払うことに慣れておいたほうがいいし、「金を払っているんだから」とは一言も言わないほうがいい。給料は仕事への対価であり、仲間であることとは別だという考え方だ。井さんは、もうすでにそうなっているかもしれない、人にお金を払うのが怖い、貧しいところから這い上がってきたので払うことに慣れていないと認めた。聞き手は、登録者50万人から100万人までは、お金を払うフェーズだと位置づけた。

インタビューの最後、聞き手が「医者より働いている」と言うと、井さんはそれでも人が死なないのがいいと答え、「自分が死ぬだけだ」と笑った。一人で走り続けるしかない現状から、誰をどう仲間に迎えるのか。その答えは、井さん自身もまだ持っていない。