ジュニアアイドル、パパ活、芸人への「上納」――元子役のライター渡辺ありさが語る取材の現場と自身の歩み
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜渡辺ありさは12歳で初めて役のついた舞台に立ち、10代でジュニアアイドルとしてDVDを出した。現在は32歳で、パパ活や海外出稼ぎ、芸人の周辺にいる女性たちを取材するライター、漫画原作者として活動している。本人によれば、グラビアやタレントとしての仕事はほとんどしておらず、仕事の中心は執筆と漫画原作だという。インタビューでは、取材で見聞きした業界の実態に加えて、教育熱心な母親のもとで育った子ども時代、ジュニアアイドルとして過ごした日々、そして「書く仕事」にたどり着くまでの経緯が語られた。
締め切り前日の3時間で書いたプロットが連載に
渡辺は現在、Vコミで『カキタレ、女を上納する。~芸人たちの笑えない話~』の原作を連載している。題材は、知人の女性がいわゆる「カキタレ」をしていたころに起きた出来事だ。特定されないようにフェイクをかなり入れているが、下敷きになっているのは実話だという。
この話はいつか記事などの形で世に出したいと考えていた。そんなとき、Vコミのエッセイ漫画賞のような公募を見つけた。プロットだけでも応募でき、締め切りは翌日だったため、約3時間でプロットを書いて送った。それが入賞し、連載につながった。本人も「まさかこれが題材で本当に原作を書くとは思っていなかった」と振り返る。
漫画は完結していないため、詳しい展開は明かされなかった。中心となるのは、カキタレをしていた女性が、自分の好きな芸人のために親友の女の子を「上納」してしまうエピソードで、そこに至るまでの過程を描いていくという。
取材した女性は、もともと劇場に通い詰めるほどの純粋なお笑いファンだった。ある日、芸人の飲み会に誘われ、好きな芸人とつながれることに喜びを覚えた。そこから少しずつ良くない方向へ流れていったという。自分が好きな相手なのだから本来は自分だけが一緒にいたいはずなのに、その感覚が麻痺していく。可愛い子を連れていけば、相手も別の芸人を紹介してくれる。渡辺はこうしたやり取りを「人身交換のようなこと」と表現し、話を聞いて「すごい世界だ」と感じたと語る。
渡辺はこれ以前にも、パパ活女子がさまざまな相手とパパ活をする漫画の原作を担当していた。本人は「端的に言えばエロ漫画」と説明している。
100人規模の取材から見えたパパ活の相場
渡辺は普段からパパ活に関する記事を多く書いており、これまでにパパ活をする女性と男性を合わせて100人ほどに会ってきたという。男性側も顔を出さない前提なら取材に協力してくれる。謝礼は払えないため、代わりに食事をご馳走して話を聞く。すると男性たちはかなり饒舌になり、「タレントもやっている」「こんな有名人もやっている」といった話までするそうだ。
出会い方は、交際クラブへの登録、アプリ、ラウンジやキャバクラなどさまざまだ。男女ともに複数の相手と同時並行で関係を持ち、より条件のいい相手を探しているという。ギャラ飲みのように、複数の男性と複数の女性が一度に集まる場もある。
芸能関係者については、著名さの線引きは難しいとしたうえで、若いアイドルのような人の名前は時々聞くという。テレビで見たことがあるような子でも、事務所に多くを取られていたり、美容にお金がかかったりするため、パパ活をしてみる子がいるらしい。
相場について、渡辺はコロナ禍を経て全体的に値崩れが起きていると話す。以前は、とても可愛い子であれば食事をするだけで高額を受け取れていた。しかしコロナ禍でそうした機会が減り、体の関係も持つようになった。その結果、もともと体の関係を前提にしていた人たちが値段を下げ、相場が下がっていったという。キャバクラやラウンジが営業できなくなり、そこで働いていた層がパパ活に流れてきたことも、価格の低下につながったと渡辺は見ている。
かつては有名タレントが食事だけで10万円を受け取ったり、大勢の男女とタレントが集まる場に1時間ほどいて40万円をもらって帰ったりといった「バブリー」な話も聞いた。しかし最近は不景気で財布の紐が固くなっており、一般の女性とタレントの差もあまりなくなっているのではないか、と渡辺は感じている。
1回あたりの金額は、上限として100万円という話を聞くこともあるが、本人は「都市伝説のような話」だと考えている。安くて1.5万円、高くて7万円ほどで、最も多いのは3万〜5万円だという。月契約は、愛人バンクや交際クラブが主流だった時代には一般的だったが、今はかなり減った。それでも新卒の初任給ほど、つまり25万〜30万円程度が目安になる。会い放題の「サブスク型」もあれば、週1〜2回と決める形もある。マンションを借りてもらい、鍵を共有していつでも出入りできる状態にしている例もあるという。
顔が知られて難しくなった潜入取材
顔を出して活動するようになり、取材はしにくくなっていないか。そう問われた渡辺は、最もしづらくなったのは海外出稼ぎの取材だと答えた。以前、丸山ゴンザレスのYouTubeで海外出稼ぎの事情について話したことがある。その取材では、自分が出稼ぎに行きたい女性のふりをしてエージェントの面接を受け、話を聞き出すという、ほぼ潜入に近いことをしていた。
女性側には取材であることを伝え、媒体に載る可能性についても許可を得ているため、あまり問題はない。一方、男性側やスカウト、エージェント側への取材はかなり難しくなった。今は変装したり、電話だけにしたりと、手段を変えながら続けているという。
教育熱心な母と中学受験の挫折
渡辺は神奈川県川崎市の駅前エリアで生まれた。父は京浜工業地帯で危険物取り扱い関係の工場を経営していた。父はすでに亡くなり、工場も今はない。家庭について本人は、地域の中では経営者側だったが「本当に中流家庭ぐらいだった」と話す。
18歳上の姉と16歳上の兄がいる。渡辺が生まれたとき、母は41歳だった。そのころ家業はかなり傾きかけていた。会社が順調だった時代に育った姉と兄は、いずれ会社を継げばいいという考えから、それほど厳しく育てられなかったという。しかし渡辺の代になると業績は右肩下がりで、両親も高齢だった。「一人で生きていく力を身につけさせなければ」「娘が大人になるまで見届けられないかもしれない」という不安が、母にはあったのだろうと渡辺は推し量る。
両親はどちらも若いころに芸能関係の仕事をしていた。そのため不安定な職業を避け、硬い大企業に勤めるか、医師のような国家資格の仕事に就いてほしいと母は考えていたようだ。渡辺の子ども時代は、塾と家での予習復習ばかりだった。ただ本人は、自分は要領が悪く、成績はあまり良くなかったと繰り返す。
幼稚園でお受験をして私立の小学校に入ったが、小学4年生で公立校に転校した。私立小学校はエスカレーター式の進学を前提としており、外部の中学を受験する子は先生から冷遇されることもある。それなら学費を優秀な塾に回したほうがいい、という判断だったと記憶しているという。公立校に通いながら中学受験塾のサピックスに通った。しかし成績上位のアルファクラスには一度も届かず、中位から中の下のクラスを行き来した。毎月のマンスリーテストのたびに母に怒られるのが怖く、テスト前には頭が真っ白になったという。
公立小学校にはなじめなかった。周囲が大人ばかりの環境で育ったため、子どもだけの空間は昔から苦手だった。私立の女子校では価値観の近い子が多く、それほど嫌な思いはしなかった。しかし公立校では先生と折り合いが悪く、手を挙げても自分だけは当てられず、「お前の話はできすぎているから嘘だ」と決めつけられたこともあったという。6年生で不登校になったが、塾の友達との時間は楽しく、塾には通い続けた。
受験では、御三家クラスの第1志望は最初から記念受験のつもりだった。模試で射程圏内だった第2志望にも落ち、受かったのは滑り止めの、あまり偏差値の高くない私立中学だけだった。母には泣かれ、「あなたはどうして何もできないの」と言われた。当時の渡辺は、学校にもなじめず、勉強もできず、特技もない自分について、小学5、6年生のころには「本当に死ぬしかないと思っていた」という。不登校が今ほど受け入れられていなかった時代でもあり、レールから外れてしまったという自責の念を抱えていた。先生側の問題も今ならわかるが、当時は自分が悪いのだと思っていた。
不登校をきっかけに芸能の世界へ
芸能事務所に入ったのは、不登校がきっかけだった。ずっと家にいるのも良くないからと、親が養成所に書類を送ってくれた。渡辺は昔からミュージカルが好きで、出演したいと言っていた。母にも芸能経験があったためか、習い事としてなら認められたという。最初はエキストラのような仕事ばかりだったが、12歳で初めて役のついたミュージカルに出演した。大した役ではなかったが、とても嬉しかったという。
中学時代の生きがいは舞台だった。しかし舞台では、チケットを売れる子や知名度のある子が優先してキャスティングされる。小さな役を重ねるだけでは次の仕事につながりにくかった。テレビ、CM、ドラマの書類もたくさん出したが、本人いわく「他の子役に比べて顔が可愛くなかった」ため、ほぼ100%書類で落ちたという。
撮影会からジュニアアイドルDVDへ
中学3年生ごろ、渡辺はコスプレイヤーが集まるSNSコミュニティに自分の写真を載せていた。そこへ撮影会スタジオからDMが届いた。報酬ももらえ、ポージングの勉強にもなると考え、1、2回参加した。すると、水着のほうが枠がすぐ埋まり、客もつき、ギャラも高いと言われ、水着撮影会に出るようになった。始めたのは15歳、中学から高校に上がる春休みのことだ。その後、スタジオの人が立ち上げた事務所に所属し、16歳でDVDを出した。
撮影会の写真は大々的に公開されるものではなく、参加者が趣味として保管するものだった。そのため親には撮影会に出るとだけ伝え、水着であることは言っていなかった。水着の仕事だと打ち明けたのは、DVDを出すことになったときだ。
同じ16〜17歳でも、雑誌の表紙を飾るアイドルと違い、渡辺はジュニアアイドルとして売り出された。ランドセルやスクール水着など、あえて子どもらしさを強調する演出だったという。目的はあくまでミュージカルの集客と知名度の向上だった。DVDを出すとメディアの取材も来るため、それが役者の仕事につながればいいと考えていた。
実際には、役者の仕事にはほとんどつながらなかった。当時は、ジュニアアイドルでDVDを出していると学園ドラマの書類は通らないと言われていたという。一方、19歳からは大学卒業まで、ジュニアアイドルイベントのMCを務めた。最初は「生意気で使いにくい子」と思われていたはずだが、それがかえって良かったのかもしれないと本人は話す。舞台には並行して出演を続けており、ジュニアアイドルとしてファンが増えたことで、出られる舞台が増えた面は「正直ある」という。
渡辺によれば、当時はジュニアアイドルの最盛期で、子役でもジュニアアイドルとしてファンをつけ、舞台でヒロインを務める子が周囲に多かった。その後、DVDメーカーはすべて潰れ、ジュニアアイドル専門のDVDショップもなくなり、業界が壊滅した時期もあった。しかし撮影会の文化は、よりアンダーグラウンドな形で残っている。今も小学生や中学1、2年生の子がおり、お金を払えば誰でも参加できるという。
撮影現場で起きていたこと
初めてのDVD撮影では、事前の衣装合わせで「これは着られない」とはっきり伝え、衣装は自分が指定したものになった。ところが現場で、棒アイスを舐めるシーンを撮らされそうになった。女性のヘアメイクから「次はアイスを舐めるみたいだから、リップは薄めにしておくね」と遠回しに伝えられ、聞いていないと感じた渡辺は、監督に別の内容に変えてほしいと伝えて断った。
ただ、そう言える子はほとんどいないと渡辺は言う。大人に囲まれると多くの子は萎縮し、何がなんだかわからないまま言われた通りにしてしまう。ジュニアアイドルには渡辺より年下の小学生や中学生も多く、同じような撮影をさせられた小学生も実際にいたという。
さらに、MCをしていた時期にメーカーから聞いた話として、未成年の体が不適切に写ったカットをわざと見逃したかのように販売し、ユーザーに見つけさせたうえで自主回収して話題を作るメーカーがあったことも明かした。そうしたDVDにはプレミア価格がつくこともあったという。今でも当時のジュニアアイドルの名前を検索すると、そうした画像が残っている。渡辺はそれを「デジタルタトゥー」と表現し、見るたびに辛い気持ちになると話す。大人になってから、自分がそんな世界にいたのかと驚いたという。
「夢のため」と思い込まされていた
振り返って渡辺は、子どものころは自分を大人と対等な存在だと思っていたと語る。言いたいことも言えているし、すべて自分で選んでこの仕事をしていると思っていた。しかし子どもはそこまで賢くなく、先を見通すこともできない。選んだというより選ばされていた部分や、これしか選択肢がないと思わされていた部分もきっとあった。大人になった今は、そう考えている。当時は「夢のためだ」と信じ、従順に働いていた。
芸能界は外からは中が見えない。そのため運営や事務所の人に「どのタレントもこのステップを踏んで有名になった」と言われると、親子そろって言いくるめられてしまうことが多かったという。渡辺の親は最後まで強く反対したが、「売れる」と言われていた本人は、反抗期もあって押し切った。
モデルケースとしてよく名前が挙がったのは、過去にグラビアをしていた綾瀬はるかなどだった。しかし渡辺によれば、そうした人たちはスカウトキャラバンやミスコン出身で、最初からたどってきたコースが違う。ジュニアアイドル出身で今も活躍している人の中には、名前を変えて過去を完全に消している人もいる。その過去がキャリアを後押ししたわけではない、と渡辺は指摘する。
当時はAKBが勢いを増していた時期で、「打倒AKB」のような空気があったという。AKBのメンバーも若くして雑誌で水着になっていたため、グラビアアイドルの枠が削られていた。そのため、ロリ系で売る子たちの間には、より過激な路線に向かう空気もあったかもしれないと本人は振り返る。
編集アイドルとの出会い
10代半ばにはつんく♂がプロデュースするアイドルカフェのユニットに在籍し、その後、現在のキャリアにつながる「編集アイドル」の活動に加わった。女の子3人で本気でアイドル雑誌を作るユニットで、台割を考え、ラフを描き、デザインを練り、事務所にアポを取ってアイドルを取材し、文字起こしまでしたという。徹夜は当たり前で、レッドブルを飲みながら「台割が足りないから新しいアイドルにアポを入れないと」とやっていた。
ほとんどのメンバーはコンセプトについていけず、「編集はやりたくない」と辞めていった。しかし渡辺は、ユニットを辞めてもいいから編集だけは続けたいと思うほど楽しかった。これが今の執筆活動のルーツだという。
大学卒業が近づき20代に入ると、芸能はもう無理だろうと感じ始めた。それでも「最後にやれることは全部やろう」と、アイドル活動などあらゆることに手を出した。20代前半から半ばにかけてを、渡辺は「がむしゃらに最後のあがきをしていた時代」と表現する。子役時代から、同じ事務所の子が売れていくのを見てきたため、10代前半には「自分はスターダムを駆け上がる側の人間ではない」と気づいていた。だからこそ、脱ぐ仕事も選んだのだろうと本人は語る。
薬学部から社会福祉学部へ
大学受験の際、母は芸能活動を続けるなら条件があると言った。医学部、歯学部、薬学部のいずれかに入り、国家試験に合格することだ。親戚に医師や歯科医が多い家系で、母にとってはそれが最も安定した仕事だった。渡辺はあまり偏差値の高くない私立大学の薬学部に入学した。
しかし実習は休めば留年が決まり、しかも6年制だ。卒業するころには25歳になる。当時の芸能界では若さが何より重視されていたため、それまで活動できないのは厳しいと考えた。渡辺は親に土下座して、大学を変えさせてほしいと頼んだ。母には「なんで何もかも続かないの」と言われたが、代わりに文系の国家資格を取ると約束し、県立大学の社会福祉学部に進んだ。卒業は周りより2年遅れた。社会福祉士の国家試験の勉強と編集アイドルの時期が重なり、ずっと机に向かっていたことは、今思えば良かったという。
恋愛を禁じた家庭と交際クラブへの誘い
恋愛経験は「全然なかった」という。母は敬虔なクリスチャンで、結婚する相手以外とは手もつなぐなと教える家庭だった。恋愛や性的なものへの拒否感が強い母の考えを受け継ぎ、友達ともあまり遊べなかった。だからこそ、いろいろな人を第三者の視点でフラットに見てきた。それが今の取材や執筆につながっていると渡辺は考えている。
10代で枕営業を目の当たりにしたかと問われると、声優養成所に通っていた友人が枕営業を強要されたと話した。最近聞いた話では、「音響監督と飲んでいるからおいで」と呼ばれて行った女性が、その場で服を脱がされたという。その女性はずっと告発したいと言っているそうだ。
一方で、ジュニアアイドルの事務所やメーカーの人々は、渡辺の経験では「すごく普通」で、優しい大人だったという。女性マネージャーがついたこともあり、話をよく聞いてくれた。ただ、19歳か20歳のころに所属した事務所のマネージャーは、渡辺を交際クラブに送り込もうとした。大学の勉強が忙しくてアルバイトもできず、お金がないとこぼしたところ、「いいバイトを紹介する」と言われた。社長と食事をするだけでお金がもらえる、先輩もやっている、という話だった。社長ではなくマネージャー個人が、会社の許可なく紹介料を得ていたのだろうと渡辺は推測している。このとき初めて交際クラブの存在を知り、そこから周囲の話を少しずつ集めていったことが、現在の仕事につながっているという。
聞き手が「実際に傷ついていたら、取材しようという気持ちにもならなかったのでは」と言うと、渡辺は、母の厳しい教えが生きていたのかもしれないと応じた。グラビアの撮影でも、性的に見られるポーズや表情はなるべく避け、爽やかに笑うようにしていた。監督側の狙いとは違っても、そうすることで自分を守っていた部分があったのかもしれないという。自分で角度やポーズを研究する熱心な子も多い中、セクシーに見られることを良いことだと思えなかった。その結果「全く売れなかった」が、それも仕事がないのは仕方ないと受け止めている。
それほど厳しい母に育てられながら、なぜ水着の仕事をしてまで芸能界に執着したのか。渡辺は、自分でもわからないとしながら、反抗心もあったかもしれないと話す。そして小学校時代の挫折に立ち返り、勉強もできず学校でもうまくやれなかった自分には、せめてこの夢を貫かなければ生きている価値がない、という思いがあったのだろうと語った。
会社員時代とADHDの診断
編集アイドルの経験から、芸能以外にもできる仕事があるかもしれないと気づいた渡辺は、大学卒業後にサイバーエージェントグループの会社に就職し、PRの仕事に就いた。在籍は2年半ほどで、コロナ禍の少し後に退職している。
それまでも「天然だね」「何を言っているかわからないときがある」と言われることはあったが、芸能の世界では個性として受け入れられていた。ところが会社ではケアレスミスが続き、クライアントにできないことを安請け合いして怒られることも多かった。心療内科で検査を受けてADHDと診断され、3種類ほどある薬のうち1つを服用した。しかし副作用もあり、仕事のパフォーマンスにはあまりつながらなかったという。
ちょうどコロナ禍のころ、編集プロダクションを経営する知人からライターの仕事を少しずつもらっていた。ライターの仕事は楽しく、編集アイドルの経験も生きて、自分に向いていると感じた。見通しは何もなかったが、勢いで会社を辞めて独立した。会社員時代は役者に戻りたいと思う瞬間もあったが、今は芝居への欲はまったくないという。もっとやりがいのある仕事を見つけたからだろう、と本人は話す。
当時は苦しく、なぜ自分ばかりと思っていた母の教育方針についても、今は人生の選択肢を広げるという意味で間違っていなかったと感じ、感謝しているという。
これから書きたいもの
今後表現したいことを問われ、渡辺は「生きづらさ」を挙げた。自分も子どものころから漠然とした生きづらさを抱えていた。時代が変わるにつれて、それが言語化され、病名がつくことも経験した。まだ可視化されていない生きづらさを抱える人は、世の中にたくさんいるはずだと考えている。そうした人たちに焦点を当て、社会全体の問題として伝えること。同じ苦しみを抱える人が「自分もそうかもしれない」と気づくきっかけをつくり、社会を少しでも動かすこと。それがメディアにできる仕事の一つだと渡辺は語る。
芸人に友人を上納してしまう女性の物語も、その延長にある。翌月ごろに公開予定の回には、女性が直面しがちなトラブルを描いたシーンがあるという。賛否を呼ぶ部分はあると認めつつ、思いもよらないところで思いもよらないことに巻き込まれるのは男女問わず起こりうることであり、読んだ人が「自分にもこういう経験があるかも」と思うきっかけになればいいと話した。
ライターとしての目標については、「AIに書かせればいい」と言われ、実際にAIに仕事を取られつつある現状に触れた。そのうえで、AIに代替されないライターになりたいと語る。人の言葉を人が伝えることに価値を持たせるための取材力、人間力、話題を見つける嗅覚を磨き、物書きの仕事で食べていきたい。それが今の渡辺の目標だという。
すいません。ずっとずっと言いたかったんですけど、また気づかず声かけせずに申し訳ないです。
今回の動画はタトゥーでもタトゥーシールでもないマジックタトゥーさんの提供でお送りします。今なら街録ch見たで無料サンプルプレゼント中です。
街録ch見習いディレクター募集中です。面白い映像を作りたいという若者、ご応募お待ちしております。
渡辺さんが長年子役やってて、今グラドル兼ライターみたいな特殊な形で活動されてるってのをちょっと聞いて、オファーさせていただいたんですけど。
はい。ありがとうございます。
え、今は何年ぐらいになられるんですか?
えっと、普通に就職してた時期もあって、1回やめていた時もあるんですけど、大体役がちゃんとついて経ったのが12歳ぐらいの頃で、それで今が32歳なので、20年弱ぐらいになるんですかね、もう。
そのグラビアの仕事とライターの仕事で言うと、どれぐらいの比率なんですか?
えっと、実はもうグラビアの仕事というかタレント活動みたいなのはほとんどやってなくてですね。もうほぼほぼライターと、あと漫画原作の仕事がメインという感じになってます。
芸人に女性が献上される話みたいな。
そうですね。今はそういった内容の『カキタレ、女を上納する。』っていう漫画をVコミで連載してます。
それの原作やるって、芸人の友達とかいたら、それ結構なんていうか物議を醸しそうじゃないですか?
いや、元々は私の知ってる女性がいわゆるカキタレをやってて、そこで起きたいろんな事件だったりを題材にしていて、もちろん特定されないようにフェイクは結構ふんだんに入れてるんですけども、一応実話がベースになってて、それをいつか何かで出したいなとした内容を、記事でもいいですし、何かしらに出せたらいいなと思っていた時に、たまたまVコミのエッセイ漫画大賞みたいな賞を見て。公募のサイトで。
そう、そう、そう。締め切りが明日だってなったんで、プロットだけでも出せるっていうのを応募要項で見たので、じゃあもう今書かなきゃと思って、もうバーって3時間ぐらいでプロットだけ起こして送って、それが入賞して、本当に連載するに至ってしまったと。
まさか私もこれが題材で本当に原作書くと思ってなかったので。でもこれは本当にこのまま多分漫画になるので、まだ漫画が完結してないのであんまり詳しくはちょっとお話できないんですけど、カキタレをしてた女性が自分の親友の女の子を自分が好きだった芸人のために上納してしまうっていうエピソードが大きくあって、それに至るまでのあれこれを書いてくっていう。
切ない話ですね。
是非読んでいただければと思います。
わかんないですけど、その芸人の追っかけみたいな女性がいるみたいなのをよく聞く話ですよね。
あ、そうですね。実際私が取材させてもらった女性も、元々はもう純粋なお笑いファンで、お笑いが大好きで劇場とかにも通い詰めてるような方だったんですけど、ある日誘いを受けて芸人さんの飲み会に参加して、好きな芸人さんと繋がれるっていうのに喜びを覚えてしまって、そっからどんどんどんどん良くない方に流れていってしまうっていうような話で。
はあ。飲み会に行けるぐらいまで近づけたのに、結果その人にセックスフレンド、カキタレを上納するような関係になってく。
そう、そう。もうおかしいですよね。自分が好きで、自分だけが一緒にいたいはずなのに、ちょっとその辺りの感覚が麻痺していってしまって、可愛い魅力的な女の子を連れてくることで向こうも芸人さんを紹介してくれるみたいな、その人身交換みたいなことが行われているというか、そういう話を聞いて、すごい世界だなと。
そっか、金銭を交換してるんですか。
あ、そうですね。はい。可愛い子紹介してくれたら俺も芸人紹介してやるで、みたいな多分やり取りがあって。
もう1個なんか原作してたんですよね。
はい。『ズワイプ』っていう漫画を連載してました。原作で。
それどういうことがテーマだった?
それはもうパパ活女子がいろんなパパとパパ活をするっていうエロ漫画です。端的に言えば。私結構普段パパ活の記事を書くことが多くて、今までに100人とかのパパ活女子とパパ活をしている男性に出会ってきたので、はい。
え、それ男性側も取材に協力してくれるものなんですか?
取材に協力してくれます。結構普通に。もちろん顔出しはしない。謝礼は支払えないけど、その代わりにお食事とかはご馳走させてもらうっていうあれでお話を聞かせてもらうってなると、もう結構ベラベラベラベラいろんな話をしてくれるし、タレントもやるよとか、こんな有名人もやるよみたいな話をしてくれるから、大丈夫かなみたいな。
パパ活も横のつながりが出てきたりするんですか?パパ活やる人たち同士で。
パパ活やってる人同士ではどうなんだろう。ギャラ飲みとかだったら、確かにパパ活おじさん何人かとパパ活女子何人かが一度に会するみたいな場がセッティングされるんだと思うんですけど、基本的にはパパ活男性もパパ活女子も同時多発的にいろんな相手がいるので。
それでこう色々広がっていくんですかね。
交際クラブに例えば女性も男性も登録したりとか、アプリを使ったりとか、いろんな手段で出会いに行くので。中にはラウンジとかキャバクラとかでパパを作る男性も女性もいますし、いろんなところで出会って、いろんな人と繋がって、より自分好みの、もしくはより自分にとって都合のいいというか、条件のいいパパを見つけるとかいうのを、女性も男性も頑張ってるんだなっていう。
え、芸能周りのパパ活、だから著名な人に買われてる人もいるんですか?
あ、えっと、著名のレベルが難しいんですけど、若いアイドルのような方だったらたまに名前は聞きます。結構テレビで見たことあるなみたいな子でも、どんなに売れてても事務所にすごくお金を持ってかれてしまっていたりとか、そういうことも結構多いので。あと、やっぱり美容にお金使うとか、色々出ていく方も多いから、結構そういうのでパパ活をしてみる子みたいなのが、いたりはするみたいです。
え、金額の相場って、芸能やってるような子と一般の人って全然金額やっぱ違うんですか?
コロナ禍を経て全体的に値崩れが起きているっていうのはあって。
あ、そうか。
元々やっぱりすごく可愛くてギャラ飲みだけ、お食事をするだけですごくお金がもらえていたような子たちが、コロナ禍になってそういう機会自体がすごく減って、体の関係も持つようになってしまったせいで、今まで体の関係を持ってパパ活をしてた人たちがもっと値段を下げて、なので相場がどんどんどんどん下がってっていうのがコロナ禍以降起きてて。例えばキャバクラとかラウンジは営業ができなくなると、そのクラスの子たちがパパ活に流れてくることによって価格破壊が起きて。
はあ。
有名タレントの方とかは、もちろんすごい金額がバンと、お食事だけで10万とか跳ね上がったりはしたり、あともう本当に現実に集まって、たくさんの男性とたくさんの女性、たくさんのタレントさんが集まって、もうその場で40万もらって帰ったみたいな。何もしないで、もう本当1時間ぐらいその場でご飯食べてお酒飲んで40万もらって帰ったみたいな、すごいバブリーな話も聞くんですけど、最近は多分皆さん財布の紐が、不景気もあってどんどん硬くなってるので、そういうこともなく、相場もどんどん下がってる。だから一般の方とタレントの方でもそんなに差もなくなってるのかなって、話を聞くと思うところはありますね。
皆さん1回でいくらなんですか?それとも月契約だったりするんですか?
どちらもいると思います。
うーん。1回でよく聞く値段はいくらぐらいですか?
上限は本当にもうね、すごい方はもう本当に100万とか聞くこともありますけど、本当にあるのか都市伝説みたいな話かとは思ってて、大体は安くて1.5から、高くて7万くらいが相場かもしれないですね。
7、8万くらい、高くて。間で3万から5万ぐらいが1番ボリュームゾーン。はあ、なるほどな。
月契約バージョンはもうちょっと高くなってくるんですか?
もうちょっと高くなってくると思うんですけど、昔その愛人バンクとか交際クラブみたいなのが1番主流だった頃は本当に月契約がメインだったと思うんですけど、最近はすごいそれが減ってて。新卒の初任給ぐらいはもらうんじゃないですかね。大体25万とか30万とか。で、会い放題の、サブスク式の人もいれば、週に1回、2回とか必ず決めてっていう人もいますし。
そうか。会い放題、サブスクシステムの人もいるんですね。
あ、そうですね。サブスクの方もいらっしゃると思います。
あ、すごいな。
プラスでマンションとかも借りてもらったりして、鍵をそのまま共有して、いつでも帰ってきていいよみたいな、入ってきていいよじゃないですけど、そういう状態にしてっていう人もいますし。
すごいな。
え、でもそれって渡辺さん今こういう活動してて、どんどん集まりづらくなってくるんじゃないですか、そういう情報って。そんなこともないですか?いや、もうこっから喋られちゃうしなみたいな。
確かに。えっと、それで言うと1番は海外出稼ぎの取材はちょっとしづらくなってきましたね。
へえ。前に丸山ゴンザレスさんのYouTubeで結構海外出稼ぎの事情みたいな話したんですけど、海外出稼ぎの時は私結構、自分が海外出稼ぎに行きたい女性のふりをして、海外出稼ぎのエージェントの人と面接を受けて、そこで話を聞き出すっていうのも結構やってたので。ほぼ潜入だ。あ、潜入をしてました。
逆に女性側はもう取材ですよっていうことを前提に話してて、もしかしたらどっかの媒体に載るかもしれないですけどいいですかっていうので許可をいただいて取材してるので、女性の方はあんまり問題ないんですけど。
そうですか。
はい。男性側とか、スカウトとかエージェント側にはかなり取材はしづらくなったかもしれないです。
へえ。
どうしようかなって、変装するとか、あと電話だけにするとか、色々手段を今、手を変え品を変え考えながらやってます。
でも大体いつも、今どんなことしようとしてるかってのが分かったら、今に至るまでどんな風に生きてきたかって聞くんですけど。
あ、はい。出身は神奈川県の川崎市です。激しい方。駅前の方です。
もちろん激しい方。
駅前の方で、ただ私、実はもう小学校から都内の私立に通っていたので、あんまりその川崎の激しい一面を実はそんなに知らないまま育ったっていう。
それはなんでその地を選んだんですか?その激しいところを。
えっと、うちの父が、川崎って工場地帯で、父が工場を経営してたので。それで危険物取り扱い系の仕事をちょっとしていて、それが川崎の京浜工業地帯、あの辺の工場だったので。今もうないんですけど、父も亡くなって。
その地域だとかなり裕福な方なんですか?野党側っていうか。
いや、そうですね。一応野党側ではあったんですけど、本当に中流家庭ぐらいだったと思います。
え、小学校受験?
はい。幼稚園の頃にお受験をして、小学校から私立に行ってました。
それとも結構教育ママみたいな感じなんですか?お母さん。
まさにそういうお母さんでしたね。はい。すごい厳しい。
それはなんでお母さん厳しかったんですか?
うんと年の離れた兄と姉がいるんですけども、私が生まれたのって母が41歳の頃で、かなり高齢出産だったんですね。で、その頃にちょっとうちの会社がかなり傾きかけてて。姉と兄の頃ってまだ会社がすごくいい具合になっていたので、継がせればいいだろうみたいな、いい大学に入って卒業できなくても、どうせうちの会社を継ぐんだからっていうので、そこまで厳しくはしてなかったみたいなんですが、やっぱり私の頃になるともうかなり、不景気とかも相まって、右肩下がりに業績が落ちていたので。
ああ。
1人で生きていくだけのものを身につけないとダメっていうのがすごく母の中で多分あって。母自身も高齢で父も高齢だったので、私が大人になるまで見送ってあげられないかもしれないみたいな多分不安もあって、しっかりもう勉強させて、いい大学入っていいとこに勤めてっていうのを、もうかなり子供の頃からビシバシと。
へえ。じゃ、そうか。末っ子なんて緩くなりそうなもんだ。
そうですね。確かに。あとは、母が元々芸能をやってた人で、父も元々ちょっと芸能をやってた人だったんですね。母は結婚前、父は会社を継ぐ前、2人ともちょっと芸能関係の仕事をしてたっていうのもあって、やっぱ不安定な職業はあんまり良くないなっていうのがきっとあったんでしょうね。会社経営も言ったら不安定なので、そういうギャンブル的な仕事ではなくて、ちゃんと硬い大企業に入って勤め上げるみたいな。なんならちゃんと国家試験を取って、医者とか師とか、そういうことについてほしいって母は思ってたみたいです。
え、じゃあめっちゃ……。いやいや、とにかくずっと塾に行きましたね。ずっと塾に行ったり、ずっと家でも予習復習、ずっと勉強してる子供時代だったなと思います。ただ本当にこんだけ勉強してるのに要領が悪すぎて、あんまり成績いいわけじゃないっていう。1番もう親に申し訳ないなっていうところなんですけど、ずっと子供時代は勉強ばっかりしてる子だったと思います。
ああ。それでもめっちゃ頭いい学校に行ってるから、みんな勉強してる感じだからってことです?
えっと、私、小学4年生まで私立の学校に行ってて、その後ちょっと転校して公立の学校に行って。
へえ。
で、公立の学校に通いながらサピックスっていう塾に通ってたんですね。
あ、お受験の名門みたいな。
なので、私立の小学校は一旦やめちゃったけど、そこよりもいいところ、さらにいい中学校に受験するために一生懸命勉強は頑張っていて。公立小学校に行ってからも、確かに公立小学校の中では成績は悪い方では全くなかったんですけど、そのサピックスっていう塾の中だと、クラスがA、B、C、Dみたいにあって、で、上がα1、α2みたいな感じで、成績によってクラス分けがなされてるんですけども、私は本当にα1、α2とかのクラスには全くいなくて、もう中間を行ったり来たり、中の中から中の下ぐらいをずっと往復するような。
CとかDとかです?
あ、そうですね。CとかDとかEとかFとか、その辺ずっと行ったり来たりしながらすごくやってて。お母さんからしたら、こんなに勉強させてるのに、なんでこの子アルファクラスに行けないのかしらみたいな。
アルファクラス行ってほしいんですか?
もちろん。もうアルファクラスにちゃんと行くっていうのが、サピックスに通ってる子供ならみんな目標なので。もうなんでこの子はこんなに頭が悪いのかしらみたいに、お母さんは嘆いてました。でもマンスリーテストっていう毎月のテストがあるたびに、もうまたお母さんに怒られるっていうので、テスト前に頭真っ白になっちゃうんですよね。わあ、どうしよう、どうしようみたいな。できるはずのものもできないっていう風になってしまって。それは私が本当にあまりにも要領が悪いせいだと思うんですけど。
てか、なんで小4でやめてるんですか?その私立。
今の小学校は出て中学受験をするつもりだったんですよね。だったら、公立の小学校に通って、その分の学費を優秀な塾に回した方がいいんじゃないかっていうのは思ってました。やっぱり私立の小学校とかって、小学校から中学校にエスカレーターで上がることを前提とした教育で、じゃないと結構先生からも冷遇されたりするんですよ。っていうのもあって、どうせ中学校を外に出るんだったら、もう公立の学校に移って、そこでちゃんと塾に通って中学受験への勉強をしようっていう風に方向転換を。
はあ。
したように記憶してますね。結構前のことなんであれなんですけど。
公立馴染めたんですか?公立の方は。
いやあ、それがあんまり馴染めなくって。ちょっと学校の先生と折り合いがつかない時期があって、6年生の時、私不登校になっちゃって、学校行ってないんですよね。私がすごい生意気な子供だったんですよ。姉が18上で兄が16上で、それもあって周りが大人ばっかりだったんですよ、子供の頃から。会社も経営してたり、お店も経営してたり、コンビニ経営してたりとか実家がしてたので、周りが大人ばっかりで、どうしてもずっと大人にちやほやされて子供の頃多分育ってたんで、子供ばっかりの空間にポンって入れられて、あ、幼稚園、小学校馴染めないなってずっと思ってたんですね。
へえ。
それでもなんとなくやっぱり私立の小学校は、結構親御さんが高齢なお子さんも多かったっていうのもあってか、なんとなく同じような価値観の子たちが集まってて、そんなに嫌な思いっていうのをすることもなく。女子校だったっていうのもあって。ただやっぱ共学の学校に入って、先生ともあんまり折り合いがつかず、私が手をあげても私だけは絶対に当てないとか、お前の話はできすぎてるから嘘だって決めつけられたりとか、そういうのがすごく辛いなあって思って、あんまり学校にも行きたくないなってなって、小学校6年生の時に初めて不登校で。サピックスは行ってるんですか?
あ、塾には行ってました。塾は楽しかったので。成績は決して良くなかったんですけど、塾の友達はすごい楽しかったんで行ってて。親もそれだけは絶対っていうのはあったので。
え、実際そのサピックスで勉強して、第1志望の中学校に入れたんですか?
いや、入れなかったんです。もうそれは本当に情けない話なんですけど、不登校になって普通の子供よりも言ったら勉強時間長く取れるわけですよ。それでもやっぱりその私の要領の悪さにより、第1志望落ち、第2志望落ち、第3志望の滑り止めで受けたところしか受からなくて、すごいお母さんを悲しませてしまって申し訳なかったなっていう。
第1ってのはどういうとこなんですか?
第1志望はもう本当にいわゆる御三家って言われるような、あのあたりとかを目指してたんですけど、最初からそれでももう記念受験だね、受からないよねっていう前提で受けてて。第2志望あたりが、そのちょっと下のランクくらいのところとかをちょっと目指していたんですけども、模擬試験とかでは結構射程圏内で入れるっていうような感じであったんですけども、やっぱりそのテスト前に結構頭真っ白になって、多分解けるはずの問題も後から見返すと解けてなかったりとかして。
へえ。
受かんなくて、第3志望の滑り止めで受けた中学、あんまり偏差値の高くない私立中学校に。はい。
お母さんまた、じゃ、ちょっと良くないリアクション出るか。
もう泣かれました。めっちゃ。なんであなたはこんなに何もできないのみたいな。私もなんで人生こんなうまくいかないんだろうって小学校の時点で思ってて。やっぱり学校でもうまくやれない、先生から目の敵にされるような。それって、もちろん先生側の問題もあったなって大人になった今は思うんですけど、子供時代は自分が悪いんだろうなって思ってたし、もちろん悪いところもあったと思うし。勉強も特別できるわけじゃなくて、お金はすごく親にかけてもらってるのに、かと言って、じゃあ何かすごい特技があるわけじゃないみたいなのが。当時から一応事務所には入ってはいたりしたんですけども。
あ、当時も芸能事務所入ってるんですか?
えっと、その不登校になったことをきっかけに、ずっと家にいるのもちょっとあれだからっていうので、親が書類を送ってくれてっていうのがあって。それで希望したんですか?養成所に行くってことに関して。
あ、そうですね。私が元々ずっとミュージカルが好きで、ミュージカル出たいって言っていたので。だから親もまあまあ、ちょっと気分転換になるならいいんじゃないっていうので、養成所に書類を送ってくれて。
ああ。で、もうそこでは、エキストラみたいな仕事しか最初の方ほとんどしてないですけど。そうか。じゃあ受験は、そんな進んでるわけじゃないけど、やりたいことを全くやらせてもらえないって感じでもないんですね。
あ、そうですね。えっと、本当に芸能に関しては、やっぱ母が経験があったっていうのもあったのか、習い事としてやらせてくれるっていうのはいいよねっていうので。でも私は本当にずっとやりたかったことだったんで、歌とかダンスとかお芝居とか、すごいもう本当に張り切って。
じゃ、そういう状況で中学受験失敗して、大人からすれば、いや、まだ全然先あるよって感じじゃないですか?
いや、もう本当に死ぬしかないなって思ってました。小学校5、6年の頃。こんなに何もかもうまくいかない私の人生どうしようもないし。なんなら不登校っていう時点で、当時はまだ今ほど寛容な時代でもなかったので、もう全てのレールから外れてドロップアウトしてしまったというか、ああ、情けないな、ダメな人間だなっていうのを、ずっと自責の念に駆られながら生きてましたね。
で言うとさ、その滑り止め中学に入ってからの学生生活でいうと、何が生きがいなんですか?
あ、でもそれこそその芸能活動に、中学に入学したので、私はもうとにかくお仕事が楽しくて。舞台に出るっていうことが。
あ、さっき言ったエキストラ的な仕事からちょっと端役に。
そうですね。エキストラみたいな仕事をちょっと1年とか、5年生の時積んで、12歳の時に初めて役がちゃんとついた状態で、それも大した役じゃないんですけど、ミュージカルに出れて、それがすごく嬉しくて。あ、こういう仕事を私はずっとしたかったなあっていう風に思ってました。
え、じゃ、それで言うとミュージカル女優みたいなことになってきそうなもんじゃないですか?それがなんでグラビアとかになってくるんですか?
あ、そうですね。舞台に出るっていうのでも、チケットをたくさんちゃんと売らなきゃいけないとか、知名度がちゃんとある子が優先されてキャスティングが決まっていく、ヒロインになったりとかっていう中で、私は本当にミュージカルにちょこちょこ出てるくらいの役者だったので、お仕事続かないなというか、次の仕事になかなか繋がっていかないなみたいなのもあって。
テレビとかCMとかドラマとかの書類もたくさん出してはいたんですけど、言ったら顔が可愛くないので、他の子役の子に比べて不細工だったので全然受からなくて。マジでほぼ100%書類で落とされてて。どうしたらいいんだろうっていうのは常々考えていましたね。
で、中学校3年生ぐらいの時に、当時私がやってたコスプレイヤーさんかなんかのSNSコミュニティみたいなのがあって、それに、コスプレはしてたわけじゃないんですけど、自分の写真を載せてたんですね。ダイレクトメッセージみたいのが撮影会スタジオから届いて、よかったら撮影会出ませんかって言ってもらえたので、ちょっとお金もちゃんともらえるし、ポージングとかの勉強になるなら出てみようと思って1、2回出て。その方がもっとすぐに枠も埋まるしお客さんもいっぱいつくし、お金も高いよっていうので、別に水着か、っていうので水着になって。そっからその撮影会スタジオの人が今度事務所を立ち上げるから、是非とも所属してほしいみたいなことを言われて所属して、DVDを16歳ぐらいで出すに至りました。
ああ、じゃ、その演劇路線から水着撮影会路線に変わってくんですね。
うん。でもずっと役者はやってました。同時並行で。ずっと舞台は出てて、でもやっぱりその撮影会とかグラビア、いわゆるジュニアアイドルみたいな仕事をするようになってから、やっぱりファンの人はすごい増えて、舞台の集客も増えたおかげで、ちょっとたくさん出れる舞台も増えたっていうのは正直あります。
はあ。あ、じゃ、当時そういう作戦を取ってる人って他にも結構いたんですか?
あ、多かったと思います。子役の子でもやっぱりその小中学生ぐらいの子でジュニアアイドルをやって、たくさんファンをつけてヒロインをやってた子とか。今とは違って児ポ法の改正前の時代で、1番ジュニアアイドルが最盛期の頃だったので、結構周りにはそういう子がたくさんいましたね。ただ今も撮影会では文化として残ってます。DVDはメーカーは全て潰れて、当時おいモヤ本舗っていうジュニアアイドルだけのDVDを売るショップがあったんですけど、そこも潰れ、一時期はジュニアアイドル業界壊滅時期があったんですが、結局撮影会で、アンダーグラウンドって言い方ですけど、もう潜った形で。
へえ、その世界に今も小学生とか中1、中2みたいな子がいるんですか?
います。全然います。その撮影会に参加しようと思えば、お金を払えば誰でも参加できますし。
へえ。え、その活動自体、中学からもうじゃ水着やってる?
私は15歳で、ちょうど中学校から高校の間の春休みみたいな時から活動を始めましたね。撮影会、水着撮影会っていうので。
そん時は高校受験は?
あ、そのままストレートで上がったんで。はい。エスカレーターで上がったので、高校は。
え、それ親の許可取ったんですか?その水着やりたいっていうのは。
撮影会の時は正直親に言ってなくて。別にその撮影会って、その写真が外に大々的に出る、載るとかじゃなくて、あくまでもその写真が好きな人が撮って趣味として保管するだけみたいな感じなので、撮影会に出るよっていうことは伝えたんですけど、水着っていうことはあんま伝えてなくて。初めて言ったのがDVDを出すってなった時。
ああ、なるほど。はい。フレッシュな感じのDVDなんですか?
これまたジュニアアイドル年齢論争があるので、あんまり私ジュニアアイドルでしたとはあれなんですけど、当時私が一応ジュニアアイドルの渡辺ありさちゃんとして売り出されてたので。年齢的には確かに16歳、17歳とかでヤングジャンプとかの表紙を飾ってるようなアイドルの子とかも水着着てたりするじゃないですか。彼女たちと同じ世代ではあったんですけど、やっぱり売り出し方がジュニアアイドルだったので、かなりちょっと、DVDのジャケット見ていただいたりしたら分かると思うんですけど、わざと子供っていうのを強調したような感じのポージングだったり水着だったり、ランドセルももちろん背負ったりとかしましたし。
じゃ、スクール水着とかも着るんですか?
あ、スクール水着もガンガン着てました。そういうのも着ますし、若干、児童的というか。
へえ。だから、ちょっとそれ系のマニアックな層向けに。
そうです。そうですね。だいぶ。
でもそれもやっぱ気持ちとしてはミュージカルの集客のためっていう感じでやってるんですか?
主にそうです。はい。知名度をこれで上げるんだっていう。やっぱりDVD出すと、メディアが取材にも来てくれるので、そういうとこでちょっと自分の露出が広がって、あ、嬉しいな、これが役者としての仕事につながればいいなとか思ってました。
はあ。実際仕事繋がったんですか?
えっと、ほとんど繋がってないんですけど。実際、私たちの時代に言われてたのは、ジュニアアイドルでDVDを出してると、学園もののドラマとかにはもう呼んでもらえない、書類は絶対受からないって言われてたりしましたし、やっぱ広告とかはまず使いづらいでしょうし。ただ、ジュニアアイドルイベントのイベントMCを私、大学卒業までやらせてもらってたんですよ。19歳の頃からずっと。MCやったらって声をかけてくれて、最初はすごく生意気で使いづらいガキだなって思われてたと思うんですけど、それが功を奏したのか、MC側に回って、しばらくジュニアアイドルのMCをやってて。
え、どうなんですか?そのなんていうか、演技の道ってのは、一旦いいかなって感じなんですか?
あ、でも役者もずっとやってたんです。舞台役者は本当にずっと大学卒業まで私やってたので、ずっと並行はしてたんですけど、ただやっぱりどこかでもう諦めはありました。舞台でずっと続けてて、いい役をもらえるようになったり、大きい舞台に立てるようになったりは徐々にしては来たんですけど、自分ももう20代になったりとか、年齢的なリミットだったりを考えて、大学卒業も近づいてきたし、どうしようかなって考えた時に、そうですね、もう無理だろうなっていうのはあったんで。芸能は無理だろうなと思いつつも、やれること最後に全部やろうみたいなのはありました。だからアイドルやってた時期もありましたし、歌って踊って、ありとあらゆることに手を出して、がむしゃらにもう最後のあがきをしていた時代はありましたね。20代前半ぐらいの頃は。
あ、ちなみに一緒にその俳優方面で活動してた人で、そこで売れてた人とかもいました?
俳優方面で共演してた人なのか…そう、いっぱいいると思います。
はあ、なるほど。
アイドルとして活躍してる子もいますし、同じ事務所でずっと一緒だった子がバーンと売れていったりっていうのを子供の頃からずっと見てたので、なんかもう私はスターダムを駆け上がる側の人間ではないんだろうなっていうのは、もう子供の頃、10代前半の頃には気づいてたんですよね。本当は。
それ思い知らされるのちょっとなかなかきついですね。
そうですね。でももう無理なんだろうなって思ってたのがあったからこそ、きっとグラビア、脱ぐ仕事を選んだんでしょうし。多分やれるぞって思ってたらそっち行ってないとは思うので。何でもいいからもう仕事欲しい、ちょっとでもチャンスがあれば、ぐらいの。
へえ。あ、そう。水着仕事ってことに関しては結構楽しめてたんですか?やってて。
でも嫌とかはあんまりなかったですけど、初めてのDVDの撮影の時は結構、それはできないですとか、聞かされてないことを現場でやらされそうになったりするので、無理です、とか。
例えば?
例えば、打ち合わせは事前にあって、打ち合わせの段階でも結構これは私着れませんとかガンガン伝えてたんですけど、だからちゃんと衣装は私が指定したものだったんですけど、その撮影場で例えば、飴とか棒アイス舐めさせられるとかがあって、それはできませんって拒否して。しかもそれも女性のヘアメイクさんから、次なんかバニラアイス舐めるみたいだよみたいな感じでふわっと、だからリップ薄めにしとくねみたいな、ふんわり伝えられて。え、聞いてないんですけどってなって、現場で監督に、いや、ちょっとそれはできないんで別のものに変えてくださいっていうのを伝えて。
あ、そういうのちゃんと言えるタイプだった。
ちゃんと言えるタイプです。でもそんな子はいないと思います。やっぱり大人にわーって囲まれて、ほとんどの子は萎縮しちゃうし。
いや、バニラアイス舐めちゃいます。舐めちゃいます。舐めちゃいます。言われた通りのことしちゃうし、何がなんだか分からないまま。しかも私より年下の子もやっぱりジュニアは多いので、小学生、中学生とか。
え、じゃ、小学生でバニラアイス舐めさせられてる子もいるってこと?
あ、全然いました。全然いました。なんならその乳首だったりとか、その局部がわざと出たショット、出たカットをそのまま見逃して販売して、それをファンというかユーザーに見つけさせて自主回収して話題性を作るみたいなことをやってたメーカーもあったんですよ。未だにそのジュニアアイドルさんの名前とかを検索すると、そういう写真が残ってるっていうのを見て、すごく辛いなっていう気持ちに。デジタルタトゥーというか。
何歳からいいのか知らないけど、18歳以下の子の乳首みたいなのが出ちゃってると。
そうですね。しかもそういうの、今ほどではないけど、当時もやっぱりネットはそこそこ発達してたので、1回上がっちゃうともう消せないというか。でもそれで爆売れするみたいな。DVDがプレミアム価格になってみたいなのがあったりして。すごくそういうのを、ジュニアアイドルイベントのMCをしてた時代とかにメーカーさんから聞いて、すっごい、いい世界だなって。自分が大人になってから初めて、私そんなところにいたんだなとびっくりすることはありました。
はあ。子供の頃は自分のことを子供だとは思ってないので、大人と対等な存在だとやっぱどうしても思ってるんですよね。だから自分は言いたいことも言えてるし、自分は全てを選択してこの仕事をしてるんだって思ってたけど、子供ってそこまでやっぱり賢くもないし、先のことも見通せないし、選択してたってよりは、選択させられてた部分ももちろんあったし、これしか選択肢がないと思わされていたこともきっとあっただろうなって、大人になって振り返ってみると思います。でも当時は、私はこれがやりたくて楽しくてやってるんだ、夢のためなんだって、一生懸命、従順に働いてたと思います。
夢のためっていう、何て言うんですかね、自己洗脳があるんですね。そうです。芸能界ってブラックボックスじゃないですか。表からはどうなってるか分からないからこそ、結構その運営の人とか事務所の人に、どのタレントさんもこのステップを踏んで有名になってるんだよっていうようなことを言われるんですよ。親と子供が言いくるめられちゃってっていうのが多かったです。それでもうちの親は最後まで断固反対してたんですけど。
あ、そう。水着やるとか。
あ、もう本当にめちゃめちゃ反対されたんですけど、そん時やっぱり私はもう事務所の人から、うまく行くよ、売れるよって言われてたんで、いや、私はもう何が何でもやるみたいな方になってしまってて、親の反対をもう振り切って。反抗期みたいのもあったのかもしれないんですけど。
じゃあ、水着の先に誰を想像してるんですか?そのモデルケースとして。
結構よく名前出されるのが綾瀬はるかさんとか、昔グラビアやってた長澤まさみさんとか言われるんですよ。でも彼女たちってもう多分ホリプロスカウトキャラバンとか、乗ってるコースが最初から違うんですね。ミスコン出身とかだったりするので。今でも活躍されてるタレントさんで過去にジュニアアイドルをやってた方って何人かいらっしゃって、名前は全く変えて過去を完全に消し去ってやってらっしゃる方もいたりして、なんかそういう人の名前を出して、こういう人もいるからさみたいな。でもそういう人たちって過去消し去ってるんですよね、ほとんど。
そうか。ジュニアアイドルは黒歴史として。
あ、そうです、そうです。もう完全になかったことに。その過去が後押ししてるわけじゃないんですよ、その人のキャリアを決して。
その渡辺さんがジュニアアイドルの時はもうAKB全盛ですか?乃木坂も登場してます?
AKB全盛で、乃木坂はもう私がもうちょっと大きくなってからですね。
AKBになれるかもな的に思ってるんですか?そもそも。
あ、なんか私たちの時代は打倒AKBみたいな感じでした。やっぱり当時AKBの方も結構若くしてグラビアみたいな活動されてたじゃないですか。雑誌で水着着てたりとかで、結構グラビアアイドルの子とかが出る枠が削られてたんですよね。そのことによって、だから頑張るぞみたいな。ジュニアアイドルもグラビアアイドルも、その辺の区分って曖昧なんですけど、お姉さん系グラドルとかじゃなくてロリ系で売ってるような子たちは、そのアイドルで活躍してるAKBとかももクロとかに負けないように、もっとある意味で過激な路線に行くとか、みたいな空気感ちょっとあったかもしれないです。今思うと。
そうなんだ。みんななんかライバル視してましたね。
ユニットみたいなのも組んでたんですか?
あ、それはそうですね。地下アイドルやってた時期もありました。過去。1回目は、つんくさんがプロデュースするアイドルカフェっていうのがあって、萌さんとかがユニットなんですけど、そこにいた時期も10代半ばの時はありましたし。
他には?
他には、これが今の私のキャリアに続いてるんですけど、アイドルユニットをやりながらアイドル雑誌を編集する、編集アイドルみたいなのに入ってたことがあって。本気で雑誌作るんですよ。女の子3人で。こういうの聞くとやっぱり、いやいや大人がやってるんでしょうってなるんですけど、本当に台割とか考えてラフとか書いて、デザインとか考えて、事務所とかに本当にアポ取りしてアイドルを取材したりとか、文字起こしとかしてみたいな。本当にガチの雑誌作るっていうユニットに編集者としてやってて。でもそれの方が私楽しいなっていうのに気づいたんですよね。編集アイドルやってて、こっちの方が楽しくない?みたいな。
編集してて出るんですか?
あ、でもあの自分たちがあのアイドルさんとたくさん取材できるじゃないですか。なのでいろんなライブに呼んでもらえたりとかするんですよ。別にファンがいっぱいつくとかじゃないです。でも私はあのだから結構みんなそのアイドルのコンセプトについていけなくてやめちゃう子が多かったんですよ。なんかもう編集やりたくないみたい。やりたくない。やめちゃってきたんですけど、私はユニットやめてもいいから編集だけはやっていきたいなって思ってた。珍しいタイプで、でもすごく楽しくやらせてもらいました。これが今の私の執筆活動のルーツになってるところですね、はい。
大学も受験してんですか?
あ、大学も受験してます。
え、どういうとこに受かったの?
大学はこれもまたちょっと複雑なんですけど、あの、高校から大学に受験する時に、あの、芸能活動をこのまま続けたいんだとしたら、医学部か歯学部か薬学部に入るしか、それで国家試験を受けて受かるしか認めないって親に言われたんですよ。許さない。医歯薬しか許さないって言われて。
あ、そうなんですよ。なんかこう、やっぱり親戚も結構医師とか、あの、歯科医の人が多かった家系だったので、やっぱり母親の中ではその一番安定した仕事っていうのが、医者、薬剤師、歯医者だっていうのがあって、私立のあんまり偏差値の高くない薬学部に入学して。
はあ。医歯薬。
はい。
もうそれ自体初めて知りましたけど、芸能活動と両立すんのきつくないですか?
いや、おっしゃる通りで、実習って休むともうそれだけで留年確定みたいな感じなんですよ。で、もうあのこれ無理だなって、芸能活動と絶対両立できない。しかも6年間あるので薬学部。もう卒業する頃には25とか。25まで一切活動ができなくなるのはめちゃくちゃ不利だ。今だったらまだインフルエンサーになるとかYouTube始めるとか他の道もあったと思うんですけど、当時はもう何よりも若さが大事みたいなのがちょっとあったりもしたので、芸能の風潮的に。この大事な25までの期間をやり続けるの結構しんどいなと思ったんで、もう親に土下座して大学変わらせてくださいって。
はあ。
なんであなたはそんな何もかも続かないのって。で、その代わりに私は文系科目の国家資格を取りますっていう。
へえ。
それで、はい。あの、県立のあの、社会福祉学部のある大学に進んで、そこで、ま、他の子よりはちょっと2年遅れて卒業する形にはなってしまったんですけど、ま、そん時もでも編集アイドルやってたんで、私ちょうど、社会福祉士の国試と編集アイドルの時期は被ってるので、編集アイドルやりながら一生懸命家帰って、あの、社会福祉の勉強してみたいな感じ。
ずっと文字書いてるじゃないですか。
ずっと、間違えた。ずっと何かこう机と向かい合いながらやってて、それはすごく良かったなって今になると思ってます。
ちなみに分かります。普通に恋愛とかしてるんですか?
全然、でも本当にないです。そういうのはあの母が結構敬虔なクリスチャンで、その本当にこの人と結婚するっていう人以外は手も繋いじゃダメって言われる家庭だったんですよ。私笑っちゃう。本当になんか笑っちゃうんですけど、本当にそんな家で育って、母がなんて言うんだろ?恋愛とか性的なものとかに対する拒否感がすごい強いタイプでもあって、それをずっと私も継いできたので、なんなら友達とかともそんな遊べなかったり。
へえ。
ま、だからこそ現場で結構こうフラットにいろんな子たちを見て面白いなって思って、それが多分今の執筆にも取材にも繋がってるなっていうとこある。
そうか。自分は経験はしないけどその
そうですね。
資料として
なんか蓄積してってるみたいな。本当に第三者視点でずっと見ていたこともあって、あの、今でもその女性たちとも男性たちとも未だにちょっと取材をさせてもらったりとか、あの、ネタをもらったり、あの、スクープもらったりとかしながら、感謝してます。
実際10代の枕営業とかもう、目の当たりにしてきましたか?
えっと、友達はその枕営業を強要されたっていう声優養成所に入ってた子はいましたね。最近お話聞いた子で、音響監督さんと飲んでるからおいでよって言われて行ったら、その場で「お前今脱いで、なんで服着てんの」って言われて脱がされて。そんなひどいことはなかなかないと思うんですけど、その子はずっと告発したいって言ってます。
ジュニアアイドルってそもそも運営もちょっとその闇っぽい感じなんですか?
いやでもすごい普通なんですよ。やっぱりまだ若かったからそういうのを嗅ぎ取れてなかったっていうのはあると思うんですけど、すごい普通なんですよね。ジュニアアイドル事務所の、メーカーさんも事務所の人もむしろ優しい普通の大人のおじさんで、なんなら女性のマネージャーだったりしたんで、私は全然その話も色々聞いてくれたりして。ただ1度19か20歳ぐらいの時にいた事務所のマネージャーは、その私を交際クラブに売ろうとした人がいて、それはひどいなって。
交際クラブにタレントを所属させて事務所がちょっとお金もらうみたいな?
はい。その人マネージャーで社長ではなかったので、勝手に送り込んでマージンもらってたんだと思います。
そっか。じゃ、社長に無許可で。
無許可で。その私がやっぱり大学時代、勉強が忙しくてバイトもできなくて芸能もあってみたいな、正直あんまりお金がないみたいなのをマネージャーにぼやいた時に、普通だったら、あ、じゃあ仕事頑張ろうねとか言ってくれるところだと思うんですけど、あ、じゃいいバイト紹介するよみたいに言ってくれて、で、なんだろうなと思って話聞いてたら、なんかこういうとこに登録して、あの、おじさんとお食事をするだけで、社長とかとお食事をするだけでこれだけのお金をもらえて、お前の先輩の○○もやってるからみたいなこと言われて。でもそこで初めて交際クラブというものを知って、そっからちょっとちょこちょこ周りの話とかを聞きながら情報を蓄積していったっていうのが今に通じてるところではあると思います。
いや、だからすごいっすね。だから本当になんか汚れちゃったら傷ついて、その取材しようみたいな気持ちにもならないわけじゃないですか。
そう。そうかもしれないですね。なんかそこはもしかしたら母のあの厳しすぎる、結婚する人以外とは手も繋いじゃダメっていう教えが生きていたのかもしれないですね。もしかしたら。
だから、ま、その風習に守られたっていうか。
そうですね。だからなんかこう、そんなに厳しい母なのに、やっぱり水着の仕事をしてでも芸能界に残りたいって思ったのは、ある意味で反抗心もあったのかもしれないですし、そこまでしてもうお母さんの教えよりも上回るくらいのその芸能界への思いというか魅力がきっと自分の中であったんだろうなって。なんでそんなに執着してたか自分でも分からないんですけど、ここで頑張らないともう死ぬしかないみたいのが多分あったんですよね。きっとこれ小学校の話に立ち戻っちゃうんですけど、やっぱりもう自分は勉強もできないし、学校でもうまくやれなかったし、何もないからせめてこの夢だけはなんとか貫き通さないと生きている価値がないみたいな。
へえ。
だからこそがむしゃらになって、色々間違ってたとこもあったと思うんですけど。
はあ。ただ編集アイドルもいいとしました。
編集アイドルは楽しくやらせてもらいましたね。
編集アイドルって、ジュニアアイドル100人いたら95人ぐらい断りそうじゃ。
そうですね。誰もやりたがってなかったです。本当にみんな、だって徹夜とかするんですよ。当たり前に。いや、それそう。当たり前にそうだ。編集なんで全然朝帰りとかで、本気であのレッドブルとか飲みながら台割とか考えて、いやここちょっと台割足りないから新しいアイドルアサインしないとみたいなことやってましたね。そのおかげで、あれ、芸能以外でも私やれる仕事があるのかもしれないって気づいたっていうのはあって、意外とこういう仕事向いてるかもっていうので、大学卒業して普通に就職をするっていう道を。
それでサイバーエージェント系の会社に入ったんですね。
はい。サイバーエージェントグループの会社でPRの仕事をしてたんですけど。
あ、それどれぐらいいたんでしたっけ?
2年半とかかな?コロナのちょっと後ぐらいにやめてる感じです。
あ、サラリーマン向いてなかったんですか?
えっと、本当に私今まで全く気づかなかったんですけど、今までも意外と天然だよねとか、何言ってるかわからない時あるよとか言われてたんですけど、それがなんとなく芸能っていう環境もあってか、個性として受け入れられていたんですが、会社に入った途端にもうケアレスミス連発するし、クライアントに対してなんか出来もしないことを、あ、できます、できますって安請け合いして持って帰ってめっちゃ怒られるっていうのもよく起こりました。それで私って本当に仕事ができない、なんでだろうなって思って、心療内科に行って検査を受けたら、ADHDですと診断を受けて。そっからちょっとお薬を飲んだり、3種類くらいある中の1つの薬を飲んでたりもしたんですけど、副作用とかもあって、あんまりパフォーマンスに繋がらなくて。で、そん時ちょうどコロナ禍で、編集プロダクションを経営する知り合いにライターの仕事をちょこちょこもらってて、でもできたしっていうので。で、そのやっぱライターの仕事がその編集アイドルの経験も生きて楽しかったし、自分に向いてるなと思ったので、もう本当に見通しも何もなかったんですけど、もうやめてライターとして独立しようっていう勢いで会社をやめて、ライターになったっていう。
ま、編集アイドル的な存在として、はい。
あの、やれてるのってやっぱそのお母さんが性的なものを極端に避けさせる教育の賜物ですよね。
あと、ま、やっぱり思うのは、母にすっごい子供の頃から厳しく勉強勉強って言われて、なんかそのすごい当時苦しかったし辛かったし、なんで私ばっかりこんなって思ってたけど、今思うと大きく人生を左右するなっていう。なんか選択肢を広げるためにも、かなり厳しめではあったんですけど、母のその勉強に対する教育方針っていうのは間違ってなかったなっていうのは今思うと思いますね。感謝するところではあります。
いやっていうの、あとその性的な対象として見られて、その取材どころじゃなくなってしまう可能性あるじゃないですか。
あ、確かに。そっか。
でもそれをなんか防御する。
そうですね。ああ。グラビアやってた頃とかにもすごい意識はしてて、その性的なポーズとかはなるべくやっぱ避けたかったので、性的に見られるような撮影を避けたくて、一生懸命爽やかに振る舞ってたっていうのはありましたね。
ああ。
なんかセクシーな表情とかをしちゃうとそれだけで結構官能的な感じになってしまうので、そうならないように。それが監督とかからは思惑としてあるというか、それが狙いだけど、私はずっとニコニコニコニコして爽やかっていうので撮影をしてもらってたので、あえて色気を出さず元気いっぱいですみたいな方に振る舞うことによって自分を守ってた部分はもしかしたら子供の頃あったのかなって。そのおかげで全く売れなかったんですけど。
ああ、それってどっかで気づいたんですか?自分は色気出さないから売れないのかみたいな。
ああ、でもそうですね。で、色気を出しても出さなくても売れなかったのかもしれないんですけど、やっぱりしっかりその自分でもいい感じのポージングだったり角度を考えて、一番セクシーに綺麗に見えるところを研究してやるっていう研究熱心な子もたくさんいる中で、私はやっぱりその親の教えがずっとあったからなのか、セクシーに見られるっていうことをいいことじゃないって思ってた部分もあったので、なるべくそうはならないように意識してたから、結果的に売れなくても仕方ないよなぐらいの、ま、別にかっていう。
今はもうどっちかっていうと、そのもうお芝居やりたいっていう欲はもうだいぶ消えちゃったんですか?
ないですね。もうなくなっちゃいました。本当にもっとやりがいのある仕事を見つけられたからかなっていうのは思いました。会社員時代はやっぱり役者時代に戻りたいなって思ってた瞬間もあったので。でも今は全然そう思わなくなったっていうのは、やっぱり執筆業とか文筆が自分に合っていたのかなっていう。
うん。ゴシップ的な原作を2本やってるじゃないですか。それじゃないもので表現したいものあったりするんですか?
そうですね。やっぱりその自分もずっと子供の頃から漠然とした生きづらさを抱えていて、で、時代が変わるにつれて、その自分が抱いてたぼんやりした生きづらさが言語化されたり、ちゃんとそれに病名がついたりとかっていうのを経験する中で、まだきっと可視化されてない生きづらさをぼんやりと抱えてる人って世の中にたくさんいると思ってて。で、メディアができる仕事って、まだ世の中に知られてない生きづらさを抱えて苦しんでる人たちに焦点を当てて、こんな問題があるんだよって社会全体の問題としてそれを伝えていって、かつその問題、苦しみを抱えてる別の人にも、あ、そうかもしれないっていうことに気づいてもらうきっかけだったり、それで社会を何かしら動かすことができたりするっていうのは1個あるなと思って。何かそういう生きづらさを抱える人たちの助けに、ほんの少しでも何か助けになるようなものが書けたらいいなあっていう気持ちはあります。
ああ。
それで言うと、その好きな芸人にカキタレ献上しちゃう女の子とかもなんか抱えてたりするんじゃないですか?
はい。あ、まさに今、来月くらいかな、公開されるあの話がまさにそういうシーンがあったりして。その女性が直面しがちなそのトラブルだったり、なんかそういったものもお話として書くことによって、あ、私もこういう経験あるかもって思ってもらえるきっかけにはもしかしたらなるのかもしれないなって。賛否を呼ぶ部分ももちろんあるとは思うんですけど。
うん。うん。
なんかこう自分が思いもよらぬところで思いもよらぬことに巻き込まれてしまうっていうことって、結構これは男女問わずあると思うので、なんかそういったことをちょっと、はい。表現できたらいいなと今の作品では思ってます。
ああ、ライター業でこうなったらいいなみたいな、なんか目標とかあったりするんですか?
ああ、でも本当に今ね、AIに仕事を取られてるので。あの、ライターはよく言うんですけど、AIに書かせればいいだろうって。だからAIに代替されないようなライターになれたらいいなって。それってやっぱり取材というか、人間力だったりとか、人の言葉を人が伝えるっていうことにちゃんと価値を作れる。何よりも取材力だったり、あとその話題を作る嗅覚みたいなのを磨いていって、ずっと物書きの仕事でご飯を食べていけたらいいなと思ってます。
ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
はい、面白い。
ありがとうございます。色々お話聞いていただいて楽しかったです。
失礼します。
はい、ありがとうございました。失礼します。
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勝ちはなけれたけれたけれ殺すわれ。月きごしたい。がまらばく
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