岡田斗司夫が答える「死刑になりたくて殺す人」「無課金勢」「宗教2世」の相談

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概要

2022年8月28日に配信された「岡田斗司夫ゼミ」第453回から、人生相談5本を扱った回である。無差別殺人犯の「死刑になりたかった」という動機、岡田ファンであることを公言できない悩み、岡田自身の経歴、有料会員にならない視聴者へのPR依頼、天理教2世の宗教観が取り上げられた。岡田は「自分は死刑になりたいと思ったことも人を殺したいと思ったこともないので、知るかと答えるしかない」と前置きしながらも、それぞれの問いに自分なりの解釈を示している。動画の後には、洗脳と犯罪者心理について補足した追加パートが付いている。

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「死刑になりたいから無関係な人を殺す」のはなぜか

最初の相談者は女性で、自分について「死にたいけれど死ぬ気がないゆえに、なんとなく生きている人間」だと書いている。そのうえで、死刑になりたいという理由で無関係な人を殺す犯人に憤りを覚えると訴えた。自分を追い込んだ人への復讐なら理解できるが、無関係な人を巻き込む発想はどこから生まれるのか、という質問である。

岡田はまず、そうした犯人に取材して動機の中身を掘り下げたルポルタージュを読んだことがないと断っている。この分野は割と追いかけているつもりだが、ちゃんとしたものは見たことがない、ということだ。

そのうえで持ち出したのが、朝日新聞で5年ほど人生相談を担当した経験である。岡田によれば、自分がなぜそれをしたのかをうまく言語化できない人はかなり多い。理由を正確に言葉にできた時点で、問題はたいてい解決している。だから犯罪者が語る「実はこういう理由だった」という説明には、別の可能性があると岡田は考える。供述や取り調べで検察に誘導された言葉かもしれないし、過去の犯罪報道で誰かが口にした理由をテンプレートのように借りてきて、自分もそうではないかと思い込んでいる「現代特有の動機付け」かもしれない。岡田は、その言葉の意味を探ること自体にはあまり意味を感じていないと述べた。

万能感と「割安な罰」という岡田の見立て

それでも岡田は、自分なりの推測を語った。ルポなどを読む限り、無差別殺人をする人は「人を殺してもいいんだ」と思った瞬間に、大きな興奮と万能感を得るらしい。その代償として受ける罰を、「高が死刑」と見積もっているのではないか、というのが岡田の見方である。

岡田は、この罰が犯人には割安に感じられている可能性を指摘した。死刑判決が出ても執行されない場合があり、執行までには何年もかかる。現実には刑務所での「引きこもり生活」が始まるわけだ。現実に引きこもっている人は、親から「そろそろ」と言われて家に居づらくなっても行き場所がない。そういう人にとって、刑務所生活は自分に都合のいい「エンディング」に見えてしまうのではないか、と岡田は考える。順番としては、まず「人を殺してもいい」「どうやって、誰を」と考えるときの恐ろしい万能感がある。そして、それに対する罰が割と安く感じられる、という構図だ。

反撃されない相手を選ぶこと、開き直りの決め台詞

この見立てから、岡田は犯人が弱そうな相手を探す理由を説明した。相談者が理解できると書いた復讐殺人では、相手に逆襲されるおそれがある。一方、「死刑になりたかった」と語る無差別殺人犯は、反撃されない相手を選ぶ。車で子どもの列に突っ込む場合も、自分が絶対に傷つかない方法をとる。そのうえで、刃物で刺す、車でひくといった「殺している手応え」のある方法を選んでいるのではないか、と岡田は推測する。

「死刑になりたかった」という言い草についても、岡田は解釈を示した。これは「私は悪い人間です。無差別に殺しました。だからさっさと裁いて死刑にすればいい」という開き直りのセリフだという。岡田は、ひろゆきの「それってあなたの感想ですよね」と同じように、本人はかっこいい決め台詞のつもりで言っているのではないか、という気もちらっとすると付け加えた。

岡田のまとめは次のとおりである。死刑になりたいから無関係な人を巻き込むのではない。逆襲されるリスクが小さい状態で、人を殺す実感がほしい。知り合いを殺すとウェットな気持ちになるので、もっとドライな興奮がほしい。そしてそのターンが終われば、人生は淡々とエンディングに向かう刑務所暮らしになる。岡田は、そういう心理ではないかと答えた。

岡田ファンを公言できない悩み

2本目は、岡田の人柄や考え方が好きで本も買ったが、よほど仲のいい人以外にはファンだと言えない、変わった人だと思われるのが心配だ、という女性からの相談である。

岡田の答えは「人に言わない方がいい、本当にその通りだと思う」だった。理由として挙げたのは、ネット、とくにTwitterに岡田のアンチが多いことだ。岡田はアンチの発言も見ているが、そのほとんどは言葉が汚いという。岡田の言葉でいえば「ホワイト社会に気づいていない負け組の人」であり、それが悪いという意味ではないとも断っている。ただ、そういう人に絡まれると損をするのは相談者のほうである。

岡田によれば、問題は「変わった人と思われる」ことではない。「岡田を好きだというこいつの間違いを俺が正さねば」という、彼らの妙な正義感に火をつけてしまうことだ。岡田は、現代でいちばん危険なのは危ない人の正義感をたきつけることだと述べる。最初は「指導」程度でも、少しでも反論すると岡田と同じように憎まれかねない。だから、こっそり楽しんでほしいと岡田は答えた。

「岡田斗司夫は何をした人か」への自己評価

3本目は10代男性からの質問である。ググれば5分でわかることではなく、社会的に成功したと言われる本人が自分の過去をどう見て、どう語るのかを知りたい、という内容だった。

岡田はまず、社会的に成功したかどうかはわからないと答えた。そしてこの質問を受けて、自分が本当に過去に興味がないのがよくわかったとも言う。そのうえで、あえて考えてみたとして語ったのが、現在の感覚は「老後を楽しんでいる」だということだ。そう思えるようになったのは、だいぶ前に「岡田斗司夫という人間は、社会的な責任はすでに果たし終わった」と考えたからだという。ここでいう社会的な責任とは、世間に対して良い仕事ぐらいしないと死にきれない、という感覚のことである。

岡田が「良い仕事」として挙げたのは次のようなものだ。1981年と1983年に、DAICON III・DAICON IVという「すごく面白いSF大会」を2つ開いた。20代前半にはアマチュアで特撮やアニメを作った。これはとても楽しく、やりがいも社会的意味もあったという。アニメ会社を作り、映画では『王立宇宙軍 オネアミスの翼』、ビデオでは『トップをねらえ!』、テレビシリーズでは『ふしぎの海のナディア』を手がけた。当時はプロデューサーとクリエイターの区別がなく、作りたい作品をこの3種類で作れたので気が済んだ、と岡田は振り返る。

ほかにも、よく考えるとすごく面白い本を10冊ぐらい、すごく役に立つ本を3、4冊書いた。若いころは犯罪者扱いだったオタクの地位を、割とましにしたという自覚もある。さらに、10年近く前に作った「オタキングex」という仕組みを、ゼロから考えて実験したことを社会的に意味のある仕事に数えた。いまはオンラインサロンという形にまとまっているが、岡田の中ではオンラインサロンが初代マッキントッシュにあたり、オタキングexはその前のパロアルト研究所のシステムにあたる。革新的な部分はだいたいあそこでやったのではないか、と岡田は述べた。

現在の活動について岡田はこう語る。60歳を過ぎた「顔の良くないおっさん」が1人で喋るだけの、編集もテロップもない生配信を毎週やっていて、それがビジネスとして成り立っている。このことを実証しているのは、同世代の人たちにとって意味があるのではないか。

岡田は、いま挙げたものは社会的な成功ではないと強調した。自分にとってもっと大事な指標であり、人間これぐらいやっておけば死ぬときに「俺の人生に意味はあったのか」とあまり悩まずに済む、というものだ。それをクリアしたので、ここから先は「ご褒美モード」の老後であり、その趣味としてゼミを週1回配信している、と説明した。

無課金勢への答え:クーポンを使わない理由

4本目は20代男性からの相談である。スマホのソーシャルゲームなど基本無料のコンテンツにはいっさいお金をかけない「無課金勢」で、岡田のチャンネルも無料で十分楽しめているので、有料会員になるつもりは微塵もない。それでもガンダムやジブリの話は面白いので、チャンネル登録すらしていない自分でもお金を払いたくなるようなPRをしてほしい、という内容だった。

岡田の答えは「課金しない方がいいと思う」だった。そこから岡田は、自分はマクドナルドのクーポンを使わない人間だという話を始める。クーポンは、それを好む人や、使った方が生きやすい人が使うべきものだと岡田は考える。使わなくてもいい立場の人まで使うと、社会のシステムが崩れるというのだ。クーポンを大量に配っても、使うのが2割ほどで、7〜8割は使わない。だからハンバーガーはいまの価格で済んでいる。全員が使えば実質的な値下げになり、店はやっていけなくなって値上げせざるを得ない。そうなると、本当にクーポンを使いたい人が困る。

イギリスのパブとサルーン

同じ考え方の例として、岡田はイギリスのパブとサルーンの話をした。岡田の説明によれば、1軒の店に入口が2つあり、片方がパブ、もう片方がサルーンになっている。中央にカウンターがあり、どちらでも同じビールを出す。ただしパブでは1杯300〜400円ほど、サルーンでは1500〜2000円ほどになる。入口で身分証を確認されるわけではないので、どちらから入ってもいい。パブではサッカーやギャンブルの話をし、サルーンではちょっとした政治の話や、ポロ、ドッグレース、競馬の話をしている。両方で共通して盛り上がっている話題はイギリス王室の悪口だ、と岡田は笑った。

イギリスは階級社会なので、ジェントリー階級はサルーン、労働者階級はパブという区分けはある。しかし岡田は、事実上は自覚の問題だと言う。サルーンで高いビールを飲む人がいるから、パブのビールが安くなっている。パブが混んでいるからとサルーンに行く人もたまにいるが、自分のクラス以外の人と飲んでもあまり楽しくないので、結局いつもの側に戻るそうだ。日本でいえば秋葉原と渋谷のような街ごとの区分け、あるいはスナックとキャバクラの雰囲気の違いに近い、と岡田はたとえた。日本では文化ごとのクラスタが行動様式を分けているが、イギリスでは階級社会が色濃く残っているのでこういう形になる、という説明である。

非合理なスタイルと、相談の裏にあるもの

岡田は、自分はこの場合サルーンに行く人間だと言う。これは合理的に解釈すれば損であり、ひろゆきなら「金持ちぶって高いものを食べて、バカじゃないですか」と言うだろう。岡田はそれを十分承知したうえで、これが自分のスタイルだと述べた。図書館で本を借りないのも同じ理由で、出版界が回らなくなるからだという。お金に困っている人、無課金が好きな人、図書館で借りる行為が好きな人、「払わなくていいものに払ったら負けた気がする」人は図書館を使うべきだ、とも言う。一方で岡田自身も、気になる単行本でも著者が嫌いな場合は本屋の立ち読みで済ませることがよくあると認め、スタイルを崩すときもあると述べた。

岡田の見方では、相談者にはこうしたスタイルがない。基本無料のゲームやコンテンツと書いているので、ゲームが好きなのではなく時間つぶしが好きなのだろう。これだけ見ているのにチャンネル登録すらしていないのは、登録したら負け、課金したら負けと感じているからではないか。勝ち負けでコンプレックスが刺激される人は、絶対に自分に課金しない方が幸せだと岡田は言う。パチンコや飲み会など、自分にとってもっと意味のあることにお金を使った方がいい、という助言だった。

さらに岡田は、本当に無課金で楽しんでいる人ならこういう相談は書かない、と指摘した。投稿フォームに届くそうした人の文面にはパターンがあり、「無課金ですみません、でもすごく面白いです、応援しています」という書き方になる。相談者は胸の内にモヤモヤがあって、「無課金の俺にイライラするだろう、払わせてみろ」とかまってほしがっているように見える。だから「かまってあげました」と岡田は言い、登録もしていない相談者にステッカーまで送ると笑って締めくくった。

天理教2世「これは洗脳なのか」

無料枠の最後は、天理教2世の10代男性からの相談である。最近は新興宗教が悪というイメージが強まっているが、自分は何度考えてもそう思えない。これは洗脳されているのだろうか、という問いだ。相談者は、信仰とは神を信じることでもお祈りすることでもなく、心に1つ芯を通すことだと考えている。信仰によって人を助けることを正当化したり、理不尽なことの受け止め方を変えたりできる。全員が信仰した方がいいとは思わないが、宗教のない世界よりある世界の方がいい。中世ヨーロッパのような宗教絶対の世界は怖いが、宗教に寛容な世界の方が弱者に優しく生きやすいと思う、と書いていた。

岡田は「洗脳されていると思う」と答えつつ、世間の人も洗脳されている、僕らはみんな洗脳されていると続けた。人は何かのドグマや思想に洗脳されないと生きていけないし、世界を認識できない。世界の成り立ちや仕組みを「こういうことなんだろう」と理解すること自体が、すべて洗脳だというのが岡田の考えである。

江川達也との議論と「魂の自由」

ここで岡田は、漫画家の江川達也とのやりとりを紹介した。江川は当時から「洗脳」という言葉をよく使い、世の中にはいろいろな洗脳があるから、そこから自由にならなければならないと主張していた。江川のスタジオに遊びに行くたびに、2人はこの点で議論になったという。岡田の立場は、洗脳から自由になるという発想の出発点がすでに間違っている、というものだった。親に教わる世の中の仕組み、電車の切符の買い方、学校では勉強するものだ(あるいは勉強しなくていい)という言葉は、すべて洗脳である。英語や日本語といった言語の範囲内でものを考えることも洗脳だ。だから「洗脳から自由になる」という発想そのものが、ある種の新興宗教に思えた、と岡田は語る。この意見の対立は最後まで続いたそうだ。

岡田の考える「魂の自由」は、洗脳から解放されることではない。いろいろな洗脳思想を取り入れ、いまの自分に合うのはどれかを常に選び続ける。そのうえで、選んだものの中でしか考えられないという有限性を自覚し、不安と戦いながら生きることだという。

自由と幸福は両立しない

ただし岡田は、そのようなストレスのある状態は人を幸せにしないと続けた。幸福な人間は自由ではなく、自由な人間は幸福ではない、というのが岡田の考えである。だから宗教のある世界とない世界を比べても、どちらも生きづらい。宗教を持つ人と持たない人が混在してしょっちゅう喧嘩している今の状態が、割といいのではないか、と岡田は述べた。

岡田によれば、幸せとは何かに洗脳されて不安が少ない状態のことだ。洗脳の対象は世間でも、民主主義でも、リベラルでも、SDGsでもいい。SDGsに洗脳されていれば、悩みは「現実はこんなに悪い、本当はこうでなければいけないのに」という程度のストレスに収まる。民主主義に洗脳されていれば、「本当の民主主義はこうあるべきなのに、日本の政治はこうだ」という外への怒りに落ち着く。どちらも人生のストレスが最小になった状態だという。だから幸せになりたい人は何らかの「宗教」を持つべきだと岡田は言う。そして、自分には宗教がない、洗脳されていないと思っている人は、自分が何に洗脳されていて、それに無自覚なのかを自問すべきだと述べた。

自分が何に洗脳されているかがわかると、自由だが常に不安と戦う状態がやってくる。岡田はこれを「しんどいけど面白い」と表現し、10代で体力があるのだからやってみればいい、と相談者に勧めた。

追加パート①:ネアンデルタール人と「洗脳社会」

動画の後の追加パートで、岡田は洗脳の話を補足した。本人が「これは僕の考え」と前置きしたうえで語った内容である。人間は洗脳を受けている状態が当たり前で、ネアンデルタール人と現生人類ホモ・サピエンスの違いは、他人が語った妄想のような話に徐々にその気になれるかどうかにある。みんながその気になり、国がその気になり、北半球のみんながエコだと言えばエコロジーの時代になる。あらゆる洗脳から解放されるのは不可能で、それを目指すなら言葉を話せない状態になるか、ネアンデルタール人のように嘘という概念のない生き物になるしかない、と岡田は述べた。

岡田は、この話は30年以上前に朝日新聞社から出した最初の本『ぼくたちの洗脳社会』で丁寧に書いており、考えはずっと変わっていない持論だと言う。本当にあらゆる洗脳から解放された人がいたら、その人は正気を失っているように見え、何も話の通じないでたらめな人に見えるはずだ、とも語った。

追加パート②:犯罪者の自己正当化

最後に岡田は、冒頭の犯罪者心理の話に戻った。岡田の考えでは、自分が悪いことをしていると思いながら犯罪ができる人はほとんどいない。多くの犯罪者は、人から見れば犯罪かもしれないが実は正当な理由がある、と心の中で自己正当化しているらしい。とくに多いのは、生まれや顔、貧乏な家、勉強ができないといった自分ではどうしようもない理由で差別され、社会からいじめられ、いろいろなものを奪われてきたから、力ずくで取り返すのは悪いことではない、という理屈だという。

岡田は、「死刑になりたかった」という言葉もこうした自己正当化のスタイルの1つではないかと見る。さすがに「俺は悪くない」とは言えないので、「死刑になりたかった」という形で正当化しているのではないか。だからそういう人の言い分を本気で聞いて本気で考察しても、あまり意味がないと思ってしまう、と岡田は述べて話を終えた。