「東京は富裕層の植民地」と語る81歳の建築家・山本理顕 マンション、再開発、地域社会圏をめぐる対話
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜建築家の山本理顕は、日本外国人特派員協会(外国人記者クラブ)での講演などで「東京は富裕層の植民地になっている」と発言し、注目を集めた。森ビルを中心とする大手デベロッパーによる超高層開発が都市のコミュニティを壊している、というのが山本の主張である。本稿は、横浜の事務所でのインタビューをもとに、この発言の真意、マンションという住まい方への批判、著名建築家への実名批判、自身の生い立ちと経歴、熊本の県営団地をめぐる騒動、そして81歳の現在の取り組みまでを整理したものである。
生まれ育った街に置かれた事務所
山本理顕設計工場は、山本が子どもの頃に遊んでいた横浜の場所にある。すぐ上には青木小学校があり、事務所の前は通学路になっている。取材中も小学生が窓から中をのぞき込んでいた。近くには子どもの頃にラムネを飲んだ駄菓子屋があり、周囲はみな知り合いだという。ただ、その知り合いもみな年を取り、昔からの店は減ってコンビニに変わっていった。
山本はこの界隈の変化について、目の前の道路をたとえに説明する。もともとは幅5メートルほどの狭い道だったが、横浜駅西口へ通すために拡幅され、元からあった商店街が壊れてしまった。当時の区画整理のやり方によって、日本中で地域社会のための商店街が広い通りに変えられていった、と山本は見ている。
事務所は3フロア構成で、所員は12人ほど。1階では模型を作っており、取材時はベネズエラの仕事を進めていた。コロンビアから来たインターンもいる。2階に山本の部屋と所長室・秘書室があるが、山本自身はここで図面を描くことは少なく、主に原稿を書いているという。図面は打ち合わせをしながら、あちこちで描く。上階の設計室ではモニターを見ながら全員で設計し、キッチンで食事も作る。冷蔵庫とワインセラーも置かれている。
屋上には芝が張られ、バーベキューをしてビールを飲む場所になっている。屋根に降った雨は管を通って集められ、非常用の水として貯められる。事務所から歩いて1分ほどのところには「ガゼボ」と呼ぶ建物があり、山本の自宅であると同時に、一般社団法人地域社会圏研究所の活動拠点になっている。1階にはカフェがあり、夜はバーとして深夜2時まで営業している。近所の高齢者から若い人までが集まる場になっている、と山本は話す。
「富裕層の植民地」発言の真意
「東京は富裕層の植民地」という認識自体はずっと以前から持っていた、と山本は言う。話題になったきっかけは外国人記者クラブで東京の都市計画・再開発について話を求められたことだった。そこで山本は、再開発がひどい状態にあること、特に森ビルを中心とした大手デベロッパーが建てる高層マンションがいかに都市を壊しているかを語った。
山本によれば、麻布や六本木はもともとコミュニティがしっかりした、住みやすい街だった。原宿なども含め、住宅に住む人同士が助け合い、仲良く暮らしていた。そうしたコミュニティの豊かな場所が狙われ、非常に大きなボリュームの超高層が建てられる。すると、それまでそこに住んでいた人たちとはライフスタイルがまったく違う人たちが一気に入ってくる。今でこそ富裕層の街というイメージがあるが、もともと麻布や六本木に住んでいたのは普通の住宅地の住民だった、と山本は言う。変化の起点として山本が挙げるのは1964年の東京オリンピックで、首都として東京の中が一気に変わり、あのあたりにマンションのようなものができ始めた。
「マンション」という名前と、閉じた住まい方
山本がこだわるのは「マンション」という呼び名である。最初は普通の集合住宅として建てられていたものが、突然「マンション」と呼ばれるようになった。マンションは本来「豪邸」を意味する言葉であり、「ワンルームマンション」はワンルームの豪邸という意味になる。山本はその矛盾を指摘する。
そのマンションが住まい方のモデルになった。マンションの特徴は、プライバシーとセキュリティが非常にしっかりしていることで、住む人が安心して住めることが売りにされた。山本によれば、それ以前の集合的な住まいは、一緒に住むことで近所の人とも住人同士も仲良くなるように作られていた。マンションはその真逆で、家族がそれぞれ自分たちの中に閉じこもるように作られている。山本の言葉を借りれば、「仲良くしちゃいけませんよ」とでもいうように作られ、外の人はみな敵であるかのような住宅になった。許された人しか入れない、それがマンションだと山本は言う。
同じ時期に戸建て群も一気にできあがり、新しい住み手が街に登場した。もとからの住民とは住み方がまったく違うので摩擦が起き、それがさらにプライバシーやセキュリティの重視につながっていった、と山本は説明する。例としてワンルームマンションを挙げ、一人暮らしだと周りのことを気にせず、夜中に大きな音を立てて帰ってきたり、真夜中に洗濯機を回したり、学生や若者が友達を連れてきて夜に騒いだりする、と話した。自分や自分の家族のことしか考えない人がたくさん住み始めたきっかけがマンションだった、というのが山本の見方である。
金融商品化した住宅
では、そこからどのように「富裕層の植民地」になっていったのか。山本がはっきりしていると言うのは、六本木ヒルズのような巨大計画である。広い地域を買い上げ、地上げし、そこに巨大な建築を建てる。すると大勢の人が入ってくるが、その中には日本人以外の富裕層もいる。彼らは最もいい場所だからそこに住みたいのではなく、「商品になる」と考えて買う。来年にはこれだけ値上がりする、という形でマンションが売られるようになった。山本はこれを「金融商品化」と呼び、住むためではなく投資のための商品だと言う。
マンションという形式ができたときから、人々は値上がりのことばかり気にするようになった、と山本は述べる。家族が安心して住めるか、周囲の人と環境を共有しながら豊かに暮らせるかよりも、来年、再来年にどれだけ値上がりするか、売るときにいくらになるかが購入の中心になった。売る側も同じである。こうした傾向が顕著になった時期について、聞き手が2000年頃かと尋ねると、山本は1900年代の終わり頃から顕著になったと答えた。結果として価格が猛烈に上がり、富裕層しか買えない場所になった。
「等価交換」は住民をだましている
もともとその地域に住んでいた人たちはどうなったのか。山本は「等価交換」の仕組みを問題にする。再開発では、元の土地・建物と同じ価値の床を新しい建物の中に与えられる。しかし山本によれば、金融商品化した建物では同じ一坪の値段が何倍にも膨れ上がっている。値上がりした後の価値で交換するなら理屈は通るが、実際には、ほとんど価値のない状態として評価された元の土地・建物を、新しい建物の中に「価値のないまま」持ち込む形になる。だから受け取れる面積はとても小さくなる。
住民は、土地を手放しても自分たちも住み続けられるのでいいと思っているが、本来はもっと広い面積で住めるはずだ、と山本は言う。住民はほとんどだまされるような形で地上げされ、その土地を何倍にも膨らませた建物が作られていく。仮にその床を売ったとしても、わずかなお金しか入ってこない。
山本が「植民地化」と呼んだのは、こうして金持ちだけが住む商品が作られ、周囲に住む人とライフスタイルがまったく違う人たちが入り込むことを指している。そこに住む人には「高いところに住んでいる」というエリート意識が強いが、実際にはエリートでも何でもなく、値段の高い場所に住んでいるだけでエリートだと勘違いする人が大勢出てきた、と山本は述べる。それが「ヒルズ族」と呼ばれ、高くてもいいからと憧れて買う人が増えていった。
高層マンションは建築として良いものとされているのか、という問いに対して、山本は、建築の良し悪しは建築単体では判断できず、その地域の環境にきちんと合ったものかどうかで判断されると答えた。田舎の建築と都市の建築は違う。環境とまったく無関係に途方もないものを作れば、良いも悪いもなく「邪魔なだけ」だという。
安藤忠雄と隈研吾への実名批判
山本は一連の発言の中で、著名な建築家の名前もあえて挙げて批判している。対象は安藤忠雄と隈研吾である。二人とも世界的に有名で、とくに安藤は国内で最も有名な建築家だろうと山本は認める。
山本が問題にするのは、デベロッパーの要請に基づき、デベロッパーの望むものを作ってきた点である。建築であれば周辺に合った、周囲の人の迷惑にならないものを考えるのが当然なのに、発注者であるデベロッパーの利益が最大になるものを作ってきた。建築家の仕事は都市を豊かにし、快適な住空間を作ることであり、お金をたくさんもらったからといって周囲に迷惑をかけるものを作ってよいのかといえば、それは建築家としての矜持にかかわる問題だ、と山本は言う。「なぜあなたは建築家になったのか」と問われるはずだ、というのが山本の言い分である。
北京生まれ、戦後の横浜で知った助け合い
山本は81歳。1945年4月、終戦の4か月ほど前に北京で生まれた。母親は薬学の大学を出た後、漢方薬を学びたいと中国に渡った。当時の中国は日本がいわば植民地化しており、北京では日本人会、イギリス人会というように列強が街を切り分け、中国人を外に追い出して住んでいた、と山本は語る。電気技師だった父親も向こうに渡り、二人は現地で結婚した。
戦後は引き揚げて、最初は親戚を頼って東京に一時住み、その後母親の実家がある横浜に移った。父親は結核で亡くなり、母親と山本らの家族で薬局を営んだ。その場所が現在の事務所のある土地である。
幼少期の記憶として山本が語るのは、貧しさと助け合いである。みな貧しく、家族だけで暮らすのはとても無理で、家族同士が助け合って生きていた。東京に住んでいたときのトイレは、住民たちが自分たちで作った共同トイレだった。米軍の爆撃で東京の木造家屋はほとんど焼けてしまったからだ。食料は買い出し列車で田舎まで行って手に入れ、食いつないだ。まず闇市のような商店街ができ、うどん屋などが商売を始めた。戦後、みなが自分たちでなんとか生きていくための仕組みができ、日本はそれで切り抜けられた、と山本は振り返る。
実家の周りには八百屋、魚屋、肉屋などが並んでいたが、横浜駅に商品が豊富に並ぶようになると、客はそちらへ流れ、店は立ち行かなくなっていった。そのなかで薬局は必需品を扱っていたので、周囲に比べれば恵まれていたと思う、と山本は言う。
建築家を志した理由と、学生時代
母親は、エンジニアだった父親のように手に職を持った人間に山本を育てたかったのだろう、と山本は推測する。山本自身も子どもの頃から設計する人になりたいと思っていた。小学校(公立)の成績はまあまあで、絵は小さい頃から好きで、うまかったのではないかと言う。
建築を志したのは高校2年生頃。機械や電気より建築が面白そうに思えたのは、目に見えるからだった。電気は目に見えず描きにくいが、建築はわかりやすい。東京に出ると、そのすごさにも圧倒された。最初の動機は問題意識というよりビジュアルだった、と山本は認めている。
大学選びの背景には、当時の大学事情がある。東京オリンピックの頃に多くの私立大学に建築学科ができたが、それ以前は理科大や明治、法政などには建築学科がなく、土木学科の一部として建築があった。調べると早稲田と日大だけが建築学科の古い伝統を持っていたので、その二つを受け、日本大学に進んだ。当時は丹下健三がスーパースターで、代々木の体育館ができるなど、建築の人気がすさまじかったという。
大学では偶然「建築史研究会」という学生サークルに入った。もともと興福寺のような古い巨大建築が好きだったこともあり、その後も歴史の研究室で学び、卒業論文も建築史をテーマに書いた。大学院は東京藝術大学に進んだ。入試では2日間にわたって設計課題が出され、パースまで描いて提出するもので、その配点が最も高かったという。絵が得意な山本には向いていた。
「デザインがうまくない」の意味と、素材への問い
山本は別の場で、自身のデザインはあまりうまくないという趣旨の発言をしている。この点を尋ねられると、そういう意味ではなく、デザインを目的にするのではなく本質的に建築を考えなければならないということを言いたかったのだ、と説明した。
山本が関心を持ったのは近代建築の成り立ちである。石の建築から鉄骨に移る段階では、錬鉄や鋳鉄など強度のあまりない鉄が使われていたが、スチールが発明されて鉄が主要な材料となり、19世紀にデザインが一気に変わった。それが近代化だ、と山本は言う。建築史研究会や大学での勉強を通じて、今の建築は素材によって決められているだけなのか、それとも新しい思想があってデザインが変わったのかを知りたいと考えた。自分が設計するときには、この場所に鉄骨がいいのか、コンクリートがいいのか、木がいいのかを考えなければならない。これまで当たり前に使われてきたコンクリートや鉄やガラスが、この場所で本当にいいのかを考えるようになる。それが「本質的」という言葉の意味だという。
大学紛争と、世界の集落調査
大学院を出る頃は1968年、全共闘運動の時代だった。日大や東大で学生が大学の自治や自由を求めて大学に反逆していた。山本は日大から藝大に移った頃で、そうした動きの中心にいた。そのため、大学院を出て就職しようにも、自分が望むような受け入れ先はほとんど見つからなかった。
そこで就職せず、建築家であり優れた論文を多く書いていた原広司のもとに行き、東京大学生産技術研究所で研究生として学んだ。そこで原とともに始めたのが、近代化される以前の世界中の人々の住み方を調べる集落調査である。地中海周辺、中南米、インド、ネパールなどを2年以上かけて回った。
印象に残る例として山本が挙げたのは、ペルーのチチカカ湖と思われる場所で、水の上に浮島を作って暮らす人々である(字幕では地名が不明瞭)。風が吹くと島が動いてしまうような浮島で、漁業を営んでいる。もともとペルーの先住民で、スペイン人が入ってきたときに逃れたということもあったかもしれない、と山本は推測する。標高4000メートルの土地で昔から暮らしてきた人々で、近代化された住まいとこれほど違う住み方があるのかと驚いたという。
東大は研究生として2年ほど在籍しただけで、その後すぐに事務所を開いた。最初から仕事が来たわけではなく、友人たちが仕事を作ってくれ、小さな住宅から少しずつつながっていった。地域コミュニティへの関心は最初からで、そうした住宅を作っていたことで注目された、と山本は言う。
熊本・保田窪第一団地の炎上騒動
山本が大きく注目されたのは、熊本で手がけた110世帯の県営住宅、保田窪第一団地である。もともとは戦後復興期の団地で、平屋の小さな住宅が並ぶ場所だった。それを県営住宅に建て替えた。
この団地の特徴は、中央に広場があり、外部から広場に行くには住戸を通らなければならない配置にある。住民だけが広場を使え、外の人は使えない。住民だけのコミュニティを非常に作りやすい配置計画で、こうしたものを日本で最初に作った、と山本は言う。
当初は住民に受け入れられなかった。普通のマンションのようなところに住みたい、コミュニティなどいらない、という声が多く、住民集会で強く批判された。マスコミも大勢取材に来て、みのもんたが司会をしていた番組でも揉めている団地として取り上げられた。山本は「犯罪者扱いだった」と振り返る。しかし住み始めると住民はとても納得し、中央の広場は子どもが遊ぶのにちょうどよく、外から人も入ってこない場所として受け入れられた、という。
なぜ反発から納得に変わったのか。山本は、今までと違うから、知らないから怖かったのだと答える。そのうえで、建築は人の意識を変えてしまうものだと強調した。閉じた家に住めばそういう人格になるし、六本木ヒルズに住めばそういう人格になる、と山本は言う。
行政の「住民はこう思っているはず」という思い込み
山本によれば、建築のクライアントは民間か行政のどちらかしかない。こうした団地を作るときは行政がクライアントで、行政は「住民はこう思っているはずだから、こういう建物を作ってください」と発注してくる。しかし山本は、その「住民はこう思っている」は嘘であり、住民はそんなことを思っていないと言う。調査に基づくものではなく、これまでそう作ってきたからというだけで、行政が勝手に決めつけているのだという。
建築家はこう住んでほしいと考えて設計するので、住む人はそういう住み方をせざるを得ない。住み方は建築に影響され、その方向に行ってしまう。今のマンションも同じで、プライバシーが重要だというマンションを作れば人々はそうなる、と山本は述べる。
孤独死と「セキュリティ」の逆効果
プライバシーが行き過ぎ、家の中で何をしているのかまったくわからないマンションが大量に作られた結果、中で事件が起きたり、孤独死が起きても周りが何も気づかなかったりする。それも2か月、3か月わからない、と山本は言う。聞き手が、孤独死がどれだけ放置されるかがコミュニティの存在を測る指標になるかもしれないと言うと、山本はそのとおりだと応じた。
人々はプライバシーとセキュリティがしっかりしたものが住みやすいと思い込んでいる、と山本は指摘する。マンションは指紋認証、顔認証、二重・三重のオートロックと、他人が絶対に入れないことを売りにする。しかしそれを見れば、このマンションはとても危険な場所に建っているのか、周りには危険な人ばかり住んでいるのか、というメッセージとして受け取られるだろう。実際にはそんなことはなく、鍵などかけなくても住める場所かもしれない。マンションが一棟建つと、こうしたことが全部起きてくる、と山本は言う。
日本はすでにスラム化している
山本のような考え方をする建築家はどれくらいいるのかと問われると、山本は笑いながら「1人ぐらいかもしれない」と答えた。ただし、自分の事務所で学んだ人たちの中にはそういう建物を作っている人も大勢いるという。
手遅れではないか、という問いには、実際は手遅れだと思うと認めつつ、建築家としては手遅れだと言っていられないと答えた。なんとかしなければ少子化は止まらなくなり、後に続く世代にしわ寄せが行き、ますます住みにくい環境になる。放っておけば日本全体がスラムのようになり、そうなれば本当に手遅れだ、と山本は言う。
では日本のスラムとはどんな光景なのか。山本は「もうすでになっている」と言い、晴海の選手村の跡地に作られた住宅を例に挙げた。行ってみればわかるが人が住んでいない、建物は新品なのに人が住んでいない、あの街には住めない、ああいうものをスラムと言うのだ、と山本は述べる。何世帯かは住んでいるが、おそらく怖いだろうとも言う。投資用に買われているだけで、値段が高すぎて住めないのだという。
先進国ではどうかという問いに対し、山本はヨーロッパではそうした住宅ができることはまずないと思うと答えた。ヨーロッパには旧市街地に昔からの豊かな住まい方の街が多く残っているからだ。一方、日本は戦争で米軍に焼き尽くされ、京都や高山などいくつかを除いて伝統的な住み方の残る街がほとんどない。戦前の日本には木造住宅の美しい街並みが各地にあり、そうした街がもう少し残っていればこうはならなかった、と山本は考えている。
また、かつては低所得者向けに県営住宅や市営住宅が数多く作られていたが、今はもう作られておらず、みな金融商品のマンションになってしまった、とも指摘する。住宅価格が高くなりすぎた今、行政が安い住宅を供給すべきだと山本は提案する。古くなった家でもいいので改修し、安く貸し、そこで商売もできるようにする。それをすぐにでも始めれば解消できると思うし、それをやるしかない、と山本は述べた。
田舎に帰ること、プライバシーの意味
コミュニティの良さを知らない世代はどうすればそれを知れるのか。山本の答えは、田舎に帰ればいいというものだった。都会に出てきている人の多くは田舎を持っている。親のいるところに戻り、一緒に住み、その街の中で生活することを考えればいい。いわゆるUターンで地元に帰る人も増えている。田舎にある自分の家は、本人は財産だと思っていないかもしれないが、実際には大きな財産だという。親が属していたコミュニティのメンバーに入れてもらい、そこで仕事をするほうが楽だ、と山本は言う。実家から通えばいいし、実家にスタジオを作って仕事をしてもいい。聞き手のような映像の仕事なら場所はどこでもいいはずだ、とも付け加えた。
プライバシーがないほうが幸せなのかという問いに対しては、何をもってプライバシーとするかが問題だと答えた。たった一人になることがプライバシーではない。プライベートだと思う時間にも、同じ空間に一緒にいる人がいる。たった一人になりたければトイレに行けば一人になれるが、それが快適なわけではない。一緒にいたいと思える人は、一生のうちに必ず誰かいる、と山本は言う。
建築家のエゴと、政治への不信
こうしたことを言う建築家が山本しかいない現状について、山本は建築家のエゴが働いていると言う。お金を儲けて有名になりたいという意識が非常に強い。コンクリートといえば安藤、木造といえば隈というような作風についても、デベロッパーのエゴであり建築家のエゴでもあると述べる。自分の作品を作りたいと思うこと自体、誰も望んでいない。依頼者は「ここに建てて私たちが幸せになるものを」と頼んでいるのであって、「コンクリートで作ってください」と言ってくる人はまずいない。絵画や彫刻なら他人に迷惑をかけないが、建築は他人に迷惑をかける。だからエゴは「ばかげている」と山本は言う。
なぜ山本はエゴに流されずにいられたのか。山本は、身の回りを見ていれば、こう作ればこちらの人はいいと言うが隣の人は困るだろう、という意識が働くと答える。それは誰でも持っている意識であり、依頼者のことだけを考えれば隣人に迷惑がかかる。そういうときには、隣の人が迷惑するから高いものはやめましょう、と依頼者に言うのが建築家の役目だ。お金をくれる人の言うことなら何でも聞くというのは、それこそ金儲けのためにやっているだけだと言われてしまう。専門家なので、周りが困ることは聞かなくてもわかる。それを施主に伝えなければ、施主が恥ずかしい建築を建てることになってかわいそうだ、と山本は言う。
周囲のことを考えて作っているので、地域の人からの反発はほとんどないという。反発があるとすれば、それは地域の住民のふりをした別の人で、選挙に勝ちたい政治家が住民のふりをして批判していることもある、と山本は主張する。山本は政治家が劣化していると見ており、住民から選ばれたはずの人が、当選すると地域住民ではなく政党のために働くようになっていると批判する。住民が聞きたいのは暮らしをどうよくしてくれるのかであって、政党のことは知ったことではない、と。そして建築界もそこに追従し、完全に巻き込まれている、とする。
その背景には、お金と次の仕事が来なくなることへの恐れがある。山本の事務所には今、横浜市からの仕事が一切ないという。大きな仕事は来ない。山本はまだいいほうで、小さな事務所で頑張っている人たちには公共の仕事がまず来ない。聞き手が、そうでなければ食べていけないという悪循環だと言うと、山本も同意した。
中山で進む木造の計画と、81歳の現在
巨大デベロッパーは変わると思うか、という問いに、山本は、自分がやっていることの成功例を見れば変わると答えた。その例として挙げたのが、横浜線の中山駅近くで進めている計画である。柱を木造、床をコンクリートとした建物で、山本はその利点をいくつか挙げる。鉄骨だとヒートブリッジによって外の熱が鉄骨を伝って入り込み結露するが、木造ではそれがない。また木は軸力が強く、鉄骨に匹敵するほどなので鉄骨の代わりになるという。この建物では、購入した人が住みながら商売もでき、周りは森のようになる計画だ。たまたまそういうことを考えているクライアントと一緒に作ることになったので実現できた、と山本は説明し、できることからやっていくしかないと述べた。
81歳の今、一日どれくらい働いているのかと聞かれると、山本は「働いてない」「大体飲んでる」と笑う。それでも事務所には毎日来ている。最近は歩くのは問題ないが、敏捷性はすっかりなくなったという。建築家としての力が落ちているかどうかは、自分ではわからないと答えた。今もスタッフと一緒にモニターを見ながら設計しているが、それは昔から変わらないやり方だという。
事務所はもうスタッフが十分にやれるようになっている。一方で、スタッフもお金を儲けたいという思いはある。金儲けのことだけを考えるといい建築ができなくなるので、そのことについては一緒に話すことがある、と山本は言う。ただ、それはなかなか難しく、自分でもわからなくなってしまうことだ、とも認めた。事務所に毎日来るのは、そのことを確かめる意味もあるのか、という聞き手の問いかけで、インタビューは終わっている。
東京は富裕層の植民地になってるみたいな発言をされてるじゃないですか。
はい。森ビルを中心とした大手デベロッパーたちが高層マンションをたくさん作ってるでしょ。で、その高層マンションはいかに都市を壊しているかっていう話をしたんです。例えば麻布とか六本木とかそういう非常にコミュニティがしっかりした街で住みやすい町だったんですよね。そのコミュニティの豊かなところを狙って六本木ヒルズのような巨大計画、大きな地域を買い上げて地上げしてそこに巨大な建築を作るようになってったんですよ。お金持ちがそこに入ってくんですよ。そこに住みたいんじゃなくて、それが商品になると思った。それを金融商品って言います。住むためじゃなくて投資です。
植民地化って言ったのは金持ちだけが住むような商品になった。で、それがヒルズ族とかっていう風に言われていて、どんどん行き過ぎていってプライバシーで家の中が防音がしっかりして中で何やってるか全くわかんないようなマンションいっぱい作ってきてるから、逆に中で事件が起きたりしますよね。孤独死が起きたり、周り何も気がつかない。それも2ヶ月3ヶ月わかんないんですよ。日本全体がスラムになってっちゃいますよ。子供ほっといたら。そうなったら本当に手遅れなので。
日本がなり得るスラムってどんな光景なんですか?
もうすでになってます。例えば
じゃあよろしくお願いします。よろしくお願いします。えっと、どうしたらいい?あ、じゃあ向こう行く。ちょっと待って。すぐ終わるから。
横浜鶴で女性が笑顔になるための安全安心な医療を提供し続ける朝夫人家朝安泰さんの提供でお送りします。
すいません。すぐに行きます。こちらね、こっちが山本さんの事務所の方なんですよね。設計。あ、そうです。ここ、小学生が前通るんですよ。あ、そうなんです。中見て、みんなすごい興味ですね。このちょっと上に青木小学校っていう小学校があって、ここの通学路になってます。ここ、私が昔ここで遊んでた場所です。
あ、ご実家というの?実家の。はい、そうです。で、ここに駄菓子屋さんがあって、子供の時よくその駄菓子屋に来て、ラムネなんか飲んだりしてた場所ですね。みんな知り合いです。あ、みんな知り合いなんですね。でも知り合いの人たちみんな年取っちゃったので。このお店も昔からある店で、もうずっと私の子供の頃からある店です。こういうお店がどんどんなくなって、ああいうコンビニに変わってっちゃったんですね。
で、この道もね、幅5mぐらいの道だったんですよ。それが横浜駅の西口に通るために拡幅したもんだから、ここにあった元々の商店街が壊れてしまったんですね。当時の区画整理法って言って、日本中がこういうような形に、地域社会のための商店街をこんな広い通りにしてしまうとかね。あ、じゃ、こういう大きい道路なかったですか?なかったんです。もっと狭い道路だったんですよ。へえ。
失礼します。今入ってすぐ見えてる部分はどういう?ここは模型を作ってる場所で、ベネズエラの仕事をしてます。コロンビアから来たインターンの。上が何ですか?上が私の部屋があって設計室ですね。これが2階。向こうでインスタントラーメン食べてんのが副所長。ご飯食べて、なんか開けてますね。そう、みんな見えるようにね。ここが私の部屋です。
あ、山本さんの席なんですね。ここで図面書いてあると思ったんですけど。図面はあんまり書かないですね。主に原稿を書くことが多いですね。図面はここで書かないんですか?いろんなとこで書きますね。打ち合わせしながら図面書くので。で、ここが所長室と秘書室でしょ。それでこの上がここの設計室ですね。じゃあ3フロア分一応設計スペースというか。設計事務所ですから。今何人ぐらいおられるんですか?12人かな。
これが打ち合わせ室。みんなここで設計するんですよ。モニター見ながらみんなで打ち合わせしながら。ここでご飯も作るし。キッチンがあるんですね。そうです。で、冷蔵庫とワインセラーと。泊まれそうですね。そうですね。でもまあみんな帰ってます。で、この上行きます。この上が屋上です。
ここ屋上だ。そう。ここは下にパイピングして散水装置入れて芝を貼ってるんですけども、ここは気持ちいいですよ、夏は。さっきまで照ってましたけど、曇ってきたらめっちゃ気持ちいいですよ。で、ここはどういうことされるんですか?ここはバーベキューやったりとか、ビール飲んだりという場所です。
これはね、雨水を集めてんです。ここに集めて非常用にこれ使う。この樋と繋がってるんですね。この上とこの上と、降った雨が流れて溜まって、この管通ってここに直接貯めてます。非常用。なるほど。
今見させてもらったのが設計事務所の方で、ここから東へ1分ぐらいのとこにあるのがGAZEBOって呼んでいる、私の自宅兼活動の場所ですね。地域社会圏研究所っていう研究所を作っていて、そこの活動は向こうでしてます。下にカフェがついてて、お食事されたりとか、夜はバーになってて、夜中2時までやってるので、近所の年を取った人も若い人も夜かなり集まってくるような場になってます。地域の人とかがすごい来られてます。あ、来てますよ。
なるほど。山本さんが今かなりいろんなYouTubeにて拝見してまして、東京が富裕層の植民地になってるみたいな発言をされてるじゃないですか。あれはいつぐらいからそういうことを感じ始めたんですか?
いや、感じたのはもうずっと前ですけども、話題になったのは外国人記者クラブで話をしてくれって言われて、東京の都市計画、再開発が非常にひどい状態になってるっていう話をしたんですね。特に森ビルを中心とした大手デベロッパーたちが高層マンションをたくさん作ってるでしょ。で、その高層マンションはいかに都市を壊しているかっていう話をしたんです。
何を壊してるかっていうと、例えば麻布とか六本木とかそういう非常にコミュニティがしっかりした町で住みやすい町だったんですよね。そのコミュニティの豊かなところを狙って超高層を作って、それも非常に大きいボリュームの建物をそこに建てますよね。そうすると外から、今まで六本木や麻布やそういうとこに住んでいた人たちと全然ライフスタイルの違う人たちが一気に入ってくるわけですよね。
富裕層の町っていうイメージがあるんですけど。富裕層が入ってくるわけですよ。元々そんな富裕層の町じゃなかった。六本木とか麻布に住んでる人たちは住宅地でしたから。首都としてオリンピックで東京の中が一気に変わっていったんですよね。1964年。で、あの辺りにマンションのようなものができ始めてったんですね。
最初は普通に集合住宅はできていったんですけども、マンションっていう名前になったんですよ、突然。マンションなんて名前それまでなかった。マンションってメゾンだから豪邸って意味ですよ。そのマンションっていう豪邸っていう風な名前をつけたので、ワンルームマンションとかいう名前が出てきて、ワンルームの豪邸って意味ですよ。変だと思わない?矛盾してます。
で、そのマンションが一気に住まい方のモデルになったんですよ。で、マンションはどういう作り方してるかって言うと、プライバシーが非常にしっかりしてる。セキュリティがさらにしっかりしているので、住む人たちが安心して住めますよっていうのでマンションのような形式が出てきたんです。それまではそこに一緒に住むと近所の人たちとも仲良くなるし、住んでる人同士が互いに仲良くなるような作られ方をしていたのに、マンションという形式はそれと真逆で、それぞれの家族たちが閉じこもるように作るようなスタイルが一気に増えてったんですよ。
個を重視する思考に人々が変わってたの?そう。元々コミュニティの中に人々住んでいたから、町の人たちと仲良く住んでたんですよ、ずっと。特に麻布もそう、六本木もそう。そこに住んでる人とか原宿に住んでる人たちはすごく豊かなコミュニティがあったから、住宅同士で助け合うっていう、みんなすごい仲良く住んでたんですよ。
それはマンションは違う。仲良くしちゃいけませんよっていうように作ったわけですよ。プライバシーってそういう意味でしょ。外の人はみんな敵ですって言うかのような住宅を作ったんですよ。外の人何するか分かりませんよ、鍵しっかり閉めましょうっていうようなマンションができてきた。外の人は入っちゃいけませんよ、許される人しか入れなくなっちゃった。それがマンションです。
で、一戸建ての人たちも同じですよ。一戸建て群が一気に出来上がってったので、新しい住み手が町の中に登場してきたわけですよね。今まで住んでた人以外の人たちが。そうすると新しい住み手とずっとそこに住んでた人たちは住み方が全然違うので、それで争いが起きるというので、プライバシーとかセキュリティになってったんです。
例えばワンルームマンションに住むと1人で住んでるので周りのこと気にしないわけですよ。夜中にでかい音して帰ってきたりとか、洗濯機を真夜中に回したり、周りに迷惑かけるとか、心遣いがないまま住む人たちがいっぱい増えてきたわけですよ。1人で住む学生たちとか若い人が住むので、自分たちの友達連れてきて夜騒いじゃうとかね。ということが起きてきた。マンションという住み方が、つまり自分のことしか考えないような人たちがいっぱい住み始めたんです。自分あるいは自分の家族だけ。一気にそれがきっかけだと思いますね。
なるほど。そっからその富裕層の植民地化してくのはどんな流れなんですか?
それはっきりしてるのは六本木ヒルズのような巨大計画。地域、大きな地域を買い上げて地上げしてそこに巨大な建築を作るようになってったんですよ。そうするとものすごくたくさんの人たちが入ってきますよね。で、それも日本人以外の人たちももちろん入ってくる。お金持ちがそこに入ってくんですよ。最もいい場所なので。そこに住みたいんじゃなくて、それが商品になるなと思ったの。それ金融商品って言ってるんだけども。
土地の値段が上がるし。そう。これ買うと来年になるとこれだけ値上がりするなっていう風な形でマンションを売り始めたんです。それはマンションという形を作ったところからそうなったんですよ。それを金融商品化って言います。住むためじゃなくて投資商品。投資です。マンションになってからもうみんな値上がりのことしか気にしなくなってた。
なるほど。で、値上がりするために買う。家族が安心して住めたりとか、周りの人たちと一緒に環境を利用しながら豊かに住むっていうことよりも、どれだけ来年再来年になると値上がりするか。これを売る時にいくらになってるかっていうことを中心にしてマンションを買う。売る方もそうです。というようなマンションになって、いわば商品になってったわけですね。
それが顕著になってったのは2000年ぐらいからですね。1900年代の終わりぐらいから顕著になってきましたね。富裕層しかそういった場所買えないし。そう、猛烈に高くなったんですね。
なるほど。元々そこの地域にいた人たちはどんな風になってっちゃったんですか?
それは等価交換って言って、元あった土地建物と同じ価値の場所をその中に与えられるんです。でもそれは元あった建物の価値。ところがこういう金融商品化した建物は、元の同じ1つが何倍にも膨れ上がってるわけですよね、値段は。だからその等価交換っていう考え方がおかしくて、価値がすごく高くなった価値を交換するって言ってるんだったらいいですよ。そうするとここの価値も上がってるので、それで等価交換だったら分かる。
そうじゃなくて、元々あったほとんど価値のない状態の土地建物と、今度新しくできたこの建物の中に元々の価値のない状態で入ってる。だからもらえる面積すごくちっちゃくなっちゃうわけでしょ。だからみんな騙されてるわけですよ。売って自分たちも住めるから、わあ、いいなと思ってるけど、本当はもっと広い面積で住めるはずなんですよ。そうでしょ?理屈としてはそうでしょ。
で、ほとんど騙されるような形で地上げっていう形をしますけど、地上げして、そこで土地を手に入れて、地上げした土地を何倍にも膨らませて建物を作ってくわけですよ。植民地化って言ったのは、金持ちだけが住むような商品になった。それを作ってた。他に住んでる人たちと全然ライフスタイルも違う。
彼らは猛烈に、こういう高いところに住んでるっていうエリート意識がすごい。何もエリートでも何でもないんですよ。ただこういうお金の高いとこに住んでるっていうだけで自分がエリートだっていう勘違いする人たちがいっぱい出てきた。で、それがヒルズ族とかっていう風に言われていて。
あ、そこに憧れるような人も増えてきました。どんどんみんな憧れて、高くてもいいから買ったんですよ。元々住んでた人もその中にはいるにはいるけど、本来得られるはずよりも全然少ない面積で生活されてるっていう。そう。もしそれを仮に売ったとしたら、すごい少しのお金しか入ってこなくなるわけですよね。
建築物としては、ああいう高層のマンションとかっていい建築とされてるんですか?
いい建築か悪い建築かは、その地域の環境にきちんと合ったものができるかどうかで判断されるんですね。建築それ自体でいいか悪いかってのは判断できないでしょ。田舎にある建築と都市の中にある建築と違いますよね。その環境と一緒にこの建築が作られてるかどうかっていうのを判断されるわけでしょ。その環境と全く無関係にとんでもないものを作ったら、いいも悪いもないですよね。邪魔なだけで。
そっか。だから今はあれに順応したような住み方ですね。そうです。
著名な建築家の方のことも名指しで批判されてるじゃないですか。それに絡んでというか。はい。私が批判したのは安藤忠雄さんと隈研吾さんの名前をあえてあげましたけどね。2人とも世界的に有名な建築家ですよね。有名ですね。特に安藤さんは非常に世界的にも有名だし、日本の国内でも最も有名な建築家だと思いますね。東大教授だし。ですよね。
責任があるとすればどんなとこにあると思います?
ですからそういうデベロッパーの要請に基づいて、デベロッパーの望むようなものを作ってきたっていうのが大きな問題だと思いますね。建築家だったらやっぱり周辺にきちんと合うような、周辺の人に迷惑にならないような建築を作ろうと考えるのが当然でしょ。そのデベロッパーという発注者が1番利益になるようなものを作ってった。でも建築家っていうのは、その都市を豊かにして、いかに快適な住空間を作るかっていうのが建築家の仕事ですからね。
だからお金たくさんくれたからと言って、じゃあ周りにすごく迷惑をかけるものを作ったらいいかって言うと、それは何か建築家としての矜持に関わる問題じゃないでしょうかね。なんであなたは建築家になったんですかって問われますよ。
はい。そういうところも含めて山本さんの経歴なんかも聞いていきたいんですけども、今年齢は何歳ですか?81です。81歳。生まれはどこですか?
北京。1945年の4月生まれなんですよね。戦争終わったのが1945年の8月なので、戦争が終わる4ヶ月ぐらい前に生まれたんです。
ご両親は日本の方ですか?あ、日本、そうです。母親が薬学の勉強してて、薬学の大学出た後に中国に渡って、漢方薬の勉強をしたいと思って行ったって言ってました。留学みたいな。と言っても当時は日本がいわば植民地化してましたからね。中国は。特に北京の中でも、北京は区画に分かれていて、日本人会、イギリス人会とかっていう形で各列強たちが切り分けして、その北京とか様々な大きい町は中国人は外に追い出してそこに住んでたんですよね。
父親はエンジニアで電気の技師だったんで、やはり向こうに行っていて、向こうで結婚した。植民地時代の中国なので、母たちもそこの中国に行った。
戦争が終わって帰されるんですか?そうです。最初は親戚を訪ねて帰ってきましたけども、東京に一時期住んでましたけど、母親の実家があって横浜に移ってきたんですね。父親が結核で亡くなってしまって、それで母親と私の3人で横浜で薬局をやったのはその場所です。じゃあ実家は薬局だった。そうですね。
山本さんが幼少期は、その地域のコミュニティっていうのはまだやっぱり全然あったんでしょ。みんな貧しいので、お互いに助け合わないと生きていけないんですよ。どんなとこでも家族だけで住むのはとっても無理で、お互い家族たちが助け合いながら住んでたんですよね。ものもないし。
私が記憶してるのは、東京に住んでた時は共同トイレだった。自分たちで作ったトイレがいくつか並んでて。自分たちで作ったトイレ?自分たちで作ったんですよ、住民たちが。もう全部焼き払われたんですよ。米軍の爆撃で東京中の木造はほとんど燃えた。爆撃された。B29で。
食べ物とかもじゃあみんなでシェアしてたみたいな。田舎からもらったんでしょ。田舎に買い出しに行ったの。田舎へ買い出しの列車があって、その電車乗ってずっと食料が豊富にあるところまで行って買い出してきて、それで食い繋いだんですよ。住む場所はないので、まず商店街ができたんですよ。闇市っていう。そこで仕事をして、うどん屋さんや何かそういうのがまずできて。戦後みんながなんとか自分たちで生きていくためにそういうのができた。日本はそれでもなんとか切り抜けられたんですよね。
ご実家的には裕福な方だったんですか?えっと、薬局だったので。ここにはいろんな商店があって、八百屋さんとか魚屋さんとか肉屋さんもいっぱいあったんですよ。で、そこの人たちはだんだん時代が変わっていくに従って、近くに横浜駅ができて、そこに商品が豊富に並ぶようになって行ったので、お店がどんどん流行らなくなってきちゃったわけですよね。あんまり快適な商店街じゃなくなったのもあって、みんな横浜駅に行ってしまう。その時、薬局というのは必需品なので、薬は。そういう意味では周りの人たちに比べて豊かだったと思いますね。恵まれていたと思います。
なるほど。建築を志すに至ったきっかけとかはあるんですか?父がエンジニアだったので、母親は私をエンジニアのような手に職を持った人にさせたかったんだと思いますね。で、私もずっと子供の時からエンジニアのように、なんか設計する人になりたいなという風に。お母さんから言われて。そうですね。
勉強は得意だったんですか?成績は中の上。小学校の時は成績まあまあだったですね。公立の小学校だった。絵はすごく小さい頃から好きだったですね。うまかったですか?まあうまかったんじゃないかと思いますね。
建築に行きたいという風に思うようになったのは高校の2年生ぐらいかしらね。エンジニアの中でも建築って面白そうだなと思ったからですね。機械とか電気なんかよりも。なんで思ったんですか?目に見えるじゃない。電気だと目に見えないでしょ。電気描けって言われても描きにくいよね。でも建築っていうと分かりやすいから。東京に出るとやっぱりすごく、東京ってすごいなと思って見ていたしね。
最初はやっぱり迫力というかデザインというかビジュアル的なとこなんですね。何かしらの問題意識というよりは。そう、ビジュアルです。なるほど。それで日大に入られる。そうです。建築学科。
その時、建築学科なかったんです。ちょうど東京オリンピックの頃にいろんな私立大学に建築学科ができるようになったんですよね。だから理科大とか明治とか法政とかって建築学科なかった。土木学科だったんですよ。土木の中に建築が一部としてあるような学科だったんですね。それで色々調べると、早稲田と日大だけが建築学科っていうのは古い伝統があるとこだったんで、その2つ受けた。
オリンピックの頃がちょうど、建築っていうものの人気とかも。すごかったですよ。丹下健三がもう超有名人。代々木の体育館とかができて。そうです。オリンピックやるぞみたいなすごいムーブメント。そう。だから丹下健三がスーパースターで。
その大学に入った頃は、そこで建築学んだ時に、偶然なんだけども建築史研究会ってのがあってね、学生のサークルです。その建築史研究会っていうのは面白そうだと思って。元々古い建物が好きだったんですよね。興福寺とかそういう巨大な建築が好きだったっていうのもありましたけども。それからずっと歴史の研究室で建築を勉強したんです。卒業論文も建築歴史のことを書いた。それで芸大の大学院に行ったんですよ。
東京芸大の大学院行くんですか?そうです。なんで芸大なんですか?えっと、山本寺っていうその歴史の先生がいたのと、東京芸大の建築は簡単だった。絵が上手に描けて、それまでどういうような作品を作ってきたかっていうのを見せて。で、2日間にわたって課題出されて、それで設計して、パースも全部描いて出すんですよね。それがポイント1番高いんですよ。
ちょっと拝見したんですけど、ご自身でデザインもあんまりうまくないと思って書かれていて。いや、あれはそういう意味じゃなくて、私の建築の作り方は、デザインを目的として作っているのもありますけども、そうではなくて本質的に建築を考えなくちゃいけないんだっていうことを言いたいために言ったんですけど。
近代建築って呼ばれているような、鉄とコンクリートとガラスでできてる建築ですよね。それまで石の建築がずっとあって、鉄骨に変わる時も錬鉄とか鋳鉄とか強度のあまりない鉄を使ってたわけですね。それがスチールが発明されて、鉄が建築の主な材料になってったわけですね。それが近代化です。そこでデザインが一気に変わってったんですよ。建築の。19世紀ですね。
で、そういうことを建築史研究会にいて、あるいは建築史の勉強をして、じゃあ今ある建築はそういう素材によってただ決められちゃうだけなのか、なんか新しい思想があってデザインが変わってきたのか、それを勉強したいと思ったわけですよ。本質的って意味は。だから自分が設計する時は、じゃあこの場所で鉄骨を使ったらいいのか、コンクリートがいいのか、木を使ったらいいのかって考えなくちゃいけないじゃない。そうすると今まではコンクリートや鉄、ガラスで作られたけども、この場所では本当にいいのかなとか、そういうことを考えるようになりますよね。そっか。
で、その大学院出たらどうされてんですか?ちょうど大学院出る頃っていうのが1968年で、その頃に大学紛争があったんです。全共闘運動っていうことがあって、日大とか東大とかで学生たちが大学の自治とか自由とかっていうことを求めて大学に対して反逆したんですよね。その時にちょうど私は日大から芸大に移った頃で、要するにそういうようなところにまず中心にいたんですよ。
じゃあ今度大学院出て就職するとしたらどういうところに行かなくちゃいけないかっていう時に、受け入れてくれるところがほとんど見つからない。自分が望むような。というので、大学院出た後就職しないで、原さんっていう建築家と同時に優れた論文をいっぱい書いてた人がいて、その人の大学にさらにもう1回行って。東大の中に生産技術研究所があるんですね。そこに行ってそこで勉強したんです。
その時何勉強してたんですか?その時に原先生と一緒に集落っていう、世界中の近代化される以前の人々の住み方を調査するということを始めたんですよ。地中海周辺も行ったし、中南米も行ったし、それからインドやネパールも行ったし、2年間以上にわたって調査を続けていたのがその時期ですね。
いろんな集落があります。例えばね、水の上に島作ってそこに住んでんですよ。よく漫画で見るような、ひょっこりひょうたん島ですよ。ペルーのチチカカっていうとこでは浮いてる島を作って浮いてるんです。風が吹くと島が動いちゃう。そうやって漁業もやるし。で、彼らは元々ペルーの原住民たちなので、スペイン人が入ってきた時にそっから逃げるってこともあったかもしれないし、もう標高4000mですからね。そういうところで昔から生活してる人たちなんですよ。驚いた、とにかく。とんでもない、近代化された住まいとこれほど違う住み方してるんだなっていう。
その東大出た後はどうするんですか?東大は別に卒業じゃなくて研究生ですから。だから別に卒業とかなんとかっていうんじゃないですけども、2年間ぐらい籍があって、東大出てすぐ事務所を自分で始めました。それですぐに仕事とか来るんですか?いや、来ないですよ。友達とかが色々仕事を作ってくれたんですよ。ちっちゃい住宅から始まって、色々と仕事が少しずつだけど繋がってたんですけどもね。
そうか。なんか1つのプロジェクトでバーンっていったというより積み重ねて。その地域コミュニティとかの喪失とかっていうのはもう最初からですか。最初からそういう住宅を作っていたので注目されたんです。私が非常に注目されたのは熊本で作った110世帯の県営住宅ですね。
その場所は元々どういう状況だったんですか?県営住宅です。団地ですよ。で、団地でも戦後復興の団地だったので、平屋の小さい住宅がいっぱい並んでる場所だったんですね。で、その戦後復興の団地を県営住宅に変えて作ったのが保田窪第一団地っていう団地です。
真ん中に広場があって、外部からその広場に行くには住戸を通過しないといけないっていう。そうです。そういうようなのを日本で最初に作ったんですよね。そうすると広場を使う人は、住民だけは広場を使えるわけですよね。外の人が広場を使えないので、コミュニティを作る時に住民だけのコミュニティってのが非常に作りやすいような配置計画を作ったのが保田窪団地ですね。
それは元々住民の方に受け入れられましたか?その計画。最初はみんな驚いてたので受け入れられなかった。だけどみんな住み始めたらすごく納得して。真ん中の広場のとこは子供たちが使うのにちょうどいいしね。外の人も入ってこないし。
最初ってやっぱりどういう反発があったんですか?普通のマンションみたいなのに住みたいって。横の繋がりいらなくね?コミュニティなんていらないからマンションに住みたいっていうような人が多かったですね。最初、住民集会とかですごく批判されましたよ。マスコミがいっぱい取材に来て、みのもんたがMCやってた番組でも取り上げられて。揉めてるっていうので取り上げられる。そうです。もう犯罪者扱いだったですよ。
住み始めていいなってなるのはなんでそうなったんですかね?だから今までと違うから。知らないから怖いみたいな感じ。知らないから。建築ってそういうように人の意識を変えてっちゃうんですよ。閉じた家に住めばそういう人格になっちゃうし、六本木ヒルズに住めばそういう人格になっちゃうんですよ。
クライアントって呼ばれてるのは民間か行政か、どっちかしかいないんですよ。こういう団地を作る時には行政がクライアントなんです。クライアントはどうやって発注してくるかって言うと、住民はこのように思ってるはずだからこういうような建物を作ってくださいって言ってくんですよ。ところが行政が言ってる住民はこう思ってるってことは嘘なんです。住民はそんなこと思ってもいない。行政が勝手にそうやって決めつけて、こういうような住宅作りなさいって言ってくるんですよ。
だから調査もなし、妄想。妄想というか、今までこうやって作ってきたからってだけですよ。建築家がこんな風に住んで欲しいなと思って設計するので、そういうような住み方をせざるを得ないですよね。こういうような時に建築家が期待するような住み方にやっぱりなって、建築に影響されちゃうんです。住み方は。その方向にみんな行っちゃうんですね。行きますね。
今マンションもそうですよ。プライバシーが重要だっていうマンション作ればそうなっちゃいますよ。どんどん行き過ぎていって、プライバシーで家の中が防音がしっかりして中で何やってるか全くわかんないようなマンションいっぱい作ってきてるから、逆に中で事件が起きたりしますよね。孤独死が起きたり、何も気がつかない。考えられないでしょ。それも2ヶ月3ヶ月わかんないんですよ。
コミュニティが存在してるかっていう指標になるかもしんないですね。孤独死が白骨化するかみたいな。そうです。そういうことです。プライバシーとセキュリティがしっかりしたものが住みやすいと思い込んじゃってんですよ。
それだって売るから。ここは指紋認証ですよとか、顔認証ですよとか、絶対他の人は入れませんよ、何重ロックですよとか。そうやって売るわけじゃない。それを見たらさ、このマンションはすごく危険な場所にできてんのかなって思い込んじゃうと思うんですよね。周り危険な人たちばっかり住んでんじゃないの、この辺はっていうメッセージになっていくでしょう。そんなことないんですよ。鍵なんかかけなくたって住める場所かもしれないじゃない。だからそういうようなことが全部、いろんなことがマンション1つ建つと起きてくるわけですよね。
建築家の風潮としては、山本さんのようなことを考えてる人ってどれぐらいいるもんなんですか?1人ぐらいかもしれない。へえ。あとは私の事務所でずっと勉強した人たちは、そういうの作ってる人たちもいっぱいいます。
手遅れとは思わないですか?えっと、でも手遅れって言ってられないので、我々建築家は。だから手遅れだと思います、実際は。でもなんとかしないと、どんどん日本の少子化は止まんなくなっちゃいますよ。我々の後から進む人たちにどんどんしわ寄せがいくので、ますます住みにくい環境になっていくと思います。日本全体がスラムみたいになってっちゃいますよ。放っといたら。そうなったら本当に手遅れなので。
日本がなり得るスラムってどんな光景なんですか?もうすでになってます。なってる。例えば晴海に作って。選手村の跡地に作ったでしょ。そこに行ってみたら分かりますよ。住んでないから。外国人も住んでる。人が住んでない。建物は新品だけど人が住んでない。あの町住めないですよ。ああいうのスラムって言うんです。何人か家族住んでるけども、多分怖いと思うよ。投資用に買ってるだけで、めちゃくちゃ高いのでもう住めないんですよ。
先進国ってそういうスラムって結構発生してるんですか?それを避けようとしているので。ヨーロッパはそういうような住宅ができることはまずないと思いますね。旧市街地は昔からの豊かな住み方の町がいっぱいあるので、ヨーロッパには。ただ日本は残念ながら戦争でアメリカ軍にもう全滅させられちゃったんですよ。だから昔からの伝統的な住み方が残ってるとかないんですよね。京都とか高山とかいくつかありますけども。もしそういう街がもうちょっと残ってれば、こんなことにならなかったと思う。
木造の住宅で住む綺麗な町だったんですよ。戦争で米軍に焼かれる前は日本中でそういう街並みが残ってたんです。本当に綺麗な街が残ってたんですよね。それをあいつらに全滅させられたんです。でも途中までは県営住宅、市営住宅いっぱい作ってたんですよ。貧しい人のためもあって。それをもう市営住宅、県営住宅今作ってません。みんな金融商品のマンションになっちゃった。というのが今の状況ですね。
今、あまりにも住宅を買う値段が高くなっちゃってるので、今の行政の方で安い住宅を供給する。それは古くなっちゃった家でもいいし、ちょっと改修して安く貸す。そこを貸して商売できるようにすることをすぐにでも始めれば解消できると思う。今でも。それをやるしかないと思いますね。
コミュニティの良さみたいなのってどうやったら知れるんですかね。普通にそこを知らない世代とか人たちからしたら。自分たちみんな田舎持ってると思うんですよね、その人たちね。で、都会に出てきてるけども、田舎に戻りゃいいんですよ。お父さんお母さんがいるところに。それでそこで一緒に住んで、その町の中で自分たちが生活するっていうことを考えていくと。本当はますます今そうならざるを得なくなってるしね。Uターンって言ってるけど、地元に帰る人どんどん増えてるんでしょ。そこに財産が実はあるわけだから。
田舎には自分の家が。それが財産じゃないと思ってるかもしれないけど、それが自分のすごい財産なんですよね、実際は。そうするとお父さんお母さんの所属していたコミュニティのメンバーにしてくれるだろうし。そこで仕事をしてくってことを考えた方が楽だと思いますよ。楽?仕事するのに。仕事するにも実家から行って帰ったら楽ですよ。実家にスタジオを作ってそこでやればいいんだから。あなたみたいな仕事だったら別にどこだっていいんだから。そうですね。
プライバシーとかはない方が幸せになりますかね。だから何をもってプライバシーっていうかですよ。たった1人になることがプライバシーじゃないでしょ。自分がプライバシーだと思ってる時に一緒にいる人がいますよ、その空間に。たった1人になりたかったらトイレの中行きゃ、たった1人になれるわけだ。確かに。だから快適なわけじゃないですよね。一緒にいたいなって思える人を見つける。そう。必ず誰かいますよ、一生って。なるほど。
そういうのを言ってるのが今山本さんだけっていうのが悲しい現状ですね。建築家の中で。そう。それってやっぱり建築家のエゴみたいなのが働いちゃう。働いてると思います。お金儲けて有名になりたいっていう、そういう意識がすごく強いと思いますね。
コンクリートといえば安藤、木造は隈さんみたいな、ああいうのってエゴ?エゴです。エゴですか?デベロッパーのエゴだし、建築家のエゴでもありますね。自分の作品を作りたいって思うこと自体が、そんなこと誰も望んでませんよね。ここに一番いいものがあって、私たちが幸せになるようなものを作ってくださいって言われているので、コンクリートで作ってくださいなんて言ってくる人はまずいないと思う。絵画とか彫刻とか、それが確かに迷惑をかけないものだったらいいけど、建築は他の人に迷惑かけますからね。だからそういうようなエゴはない。バカげてる。バカバカしいですよ。
なんでそのエゴに負けずにユーザー視点でずっと作り続けてこれたんですか?自分の生活、身の回りを見ていると、それを作るとこっちの人はいいと言って、この人は困るだろうなって意識が働くわけですよね。で、そういうのは誰でも持ってる意識なので、じゃあこっちの人のためも思って作ろう。この人に頼まれたからと言って、頼まれた人のことだけ考えて建築を作ると、隣の人たちにも迷惑がかかるじゃない。そういう時はその人に、隣の人が迷惑なので高いものやめましょうねとかいうことを建築家だったら言わなくちゃいけないんですよ。
で、それをやらないっていうのは、エゴっていうか分からないけど、お金もらう人の言うことだったら何でも聞きますぜっていうのは、それこそでしょ。金儲けのためにやってるだけかお前はっていう風に言われちゃいますよね。
そこに元々いた人とクライアント両方のニーズに応えるには、どんなコミュニケーションが必要なんですか?まず建築家は専門家なので、これやると周りの人が困るだろうなっていうのは聞かなくても分かります。で、施主に対して、こういうことをやると隣の人が困るからもうちょっと違う作り方しましょうねって言ってやらないと施主がかわいそう。隣に恥ずかしい建築ができちゃう。そっか。施主にあなた恥ずかしいことしてますよって思わせないため。そうです。
地域の人からの反発っていうのはほとんどないんです。周りの人たちのことを考えて作っているので。あったとしても、それは地域の人の振りした違う人だったりとか、政治家みたいなやつが出てきたりとか。そいつらが住民のふりをして批判してることありますよ。なんでそんなふりする人が出てくるか。選挙を勝ちたいからですよ。今そういう意味じゃもう政治家がすごく劣化してるしね。へえ。
みんな金儲け主義になってきちゃって、もう政党のことは考えるけど、地域住民のことは考えてませんからね。考えてんのは共産党のためとか自民党のためとかって言って議会で働いてるの。それで許されると思って喋ってるのが今の議会ですよ。政党政治になっちゃってるから。政党なんて知ったことじゃないですよ。住民にとっては、私たちの暮らしをどうよくしてくれるんですかって聞いてるわけですよ。
で、選ばれた人は地域から選ばれた人ですよ。その人に対して、こういう場所にしてくださいね、いいですよ、じゃあその人を選びましょうかって選んでるのに、選ばれちゃったらこの政党のために働いてるっていう政治に今なっちゃってんですよ。それのおかしさに気がついてないの。
で、そこに建築の人たちも追従してるというか、もう完全に巻き込まれてますよ。もちろんそれはお金と、次の仕事が来ない。だから今、山本事務所は横浜市からの仕事は一切ないですよ。だから大きな仕事は来ないですね。
そっか。
やってるからね。ま、私の場合はまだいいよね。小さい事務所で頑張ってる人たちなんて、今、公共の仕事がまず来ない。
でもやっぱりそれも悪循環ですね。そうじゃないと食えないっていう。
そう。
お金が流れてるから、みんなそうじゃない方を目指してっちゃうじゃないですか。
そう。
巨大なディベロッパーが変わると思いますか?
私がやってることは、成功例を見れば変わります。横浜線の中山って駅があるんですけども、そこで今作ってるのが、柱が木造で床がコンクリートっていうのを作ってんです。
断熱っていうか、ヒートブリッジって言うけども、鉄骨だとヒートブリッジで外の熱がいきなり鉄骨に入ってきちゃうんですよ。そうすると結露しちゃう。で、木造だとそれがないっていうのもあるし。
木造の軸力って言いますけど、それがすごく強いんですね。鉄骨に匹敵するぐらい軸力が強いので、鉄骨に替えられるんですよ。
ここでみんながこの建物を買って、その住宅に住みながら商売もできるようで、周りは森みたいになるので。クライアントでそういうことを考えてる人がたまたま今回一緒にこの建物を作ることになったので、これはできるようになったんですよね。
できることからやってくしかない。
あ、その通り。できることからやってくしかないですよ、もう。
今81歳ですか?
81。
1日どれぐらい働かれてるんですか?
働いてないですよ。酒飲んでるだけ。大体飲んでる。[笑い]
いや、でも毎日ここには来てるんじゃないんですか?
毎日来てますよ、もちろん。遊びに来てる。昨日も夕飯食べに来ただけみたいだった。[笑い] みんなが自分たちで作ってんですよ。
体力に関しては全然まだまだ?
いや、最近ね、やっぱり歩いてる時はいいんだけど、敏捷性みたいなのがすっかりなくなりましたね。
建築家としての力が落ちてるなと思ったりするんですか?
それも自分じゃ分からないです。
分からない。
だから今みんなと一緒に設計してますけど、ま、昔からみんなと一緒に設計してたけどね。このモニターを見ながらみんなで設計してんですよ。
体が動く限りは携わっていきたいなっていう感じですか?
いや、事務所はもうスタッフたちが十分やれるようになってきてるので。みんな金儲けもしたいしね。だからその時に金儲けのことだけ考えてると、いい建築ができなくなっちゃうから。
それは一緒に話すことはありますね、みんなと。なかなか難しいんですよ。自分でも分かんなくなっちゃうので、それを確認する意味でもここに来てる。ここに来ないと相手にしてくれないから、周りが。[笑い]
なるほど。今日はありがとうございました。
はい。じゃあまたご連絡します。またよろしくお願いします。失礼します。
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