55億円で会社を売却した平井康博氏とバンコクへ ラーメン食べ歩き、TKO木下氏の再起、そして「ヤチェラーJAPAN」

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概要

M&A BANKのメインMCである島袋直樹氏が、サロン会員とともにタイ・バンコクを訪れた2泊3日の記録である。ツアーを企画したのは、同番組に何度も出演している平井康博氏(通称やっちゃん)だ。平井氏は41歳で会社を55億円で売却し、現在はタイに住んでいる。前半は現地ラーメン店の食べ歩きとサロン会員への取材、中盤は平井氏の「彼女募集企画」の立ち上げ、後半はTKO木下隆行氏が営むバーでのインタビューで構成されている。

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ツアーの概要と到着直後のバンコク

島袋氏の説明によると、今回のツアーは「M&A BANKサロン会員をタイにご招待」という形で、平井氏が企画した。参加者はサロン会員13名に平井氏と番組側を加えた16名である。年齢は30代前半から40代、50代、60代まで幅がある。会社を売却した経験のある「売却組」も多く加わった。日程は、翌日の朝にゴルフをし、夜に全員で集まるという流れだった。

撮影はスクンビットの駅前付近から始まった。同行したスタッフはバンコクが初めてだった。気温は30度近く、湿度も高い。島袋氏は両替したときの印象として、数年前のバンコクと比べて物価がかなり上がったと話し、日本人が少ないことにも触れている。

1軒目:ローカル麺店の「高級インスタントラーメン」

最初に入ったのは、天井の低いローカル食堂だった。スープありとスープなしの麺を1杯ずつ注文した。具はチャーシュー、鶏肉、卵、細麺で、底にほうれん草のような野菜が入っている。スープなしは魚介系の甘辛いタレを混ぜて食べるもので、島袋氏は「ラーメンとビーフンの間」と表現した。スープありは中華スープのような塩味で、島袋氏は「怒られるかもしれないけど」と断ったうえで「高級なインスタントラーメン」のようだと評し、インスタントラーメン好きにはたまらない味だと話した。同行スタッフは、癖が強いと思っていたが日本人でも普通に食べられる、むしろおいしいと感想を述べている。

番組では、語彙力のない食レポが以前の鹿児島ロケで露呈したため、「うまい」という言葉を禁止にしてコメントを鍛えるという流れが続いた。会計は2杯で140バーツ、1杯70バーツで、島袋氏は約350円と換算した。安いが中途半端で、250円くらいなら安いと感じられたとこぼしている。立地の良さが価格に反映されているのではないか、という見方も出た。

2軒目:日本人向けラーメン店と店主の話

続いて、ホテル近くにある日本人向けのラーメン店に入った。島袋氏によれば、価格は日本とあまり変わらず、むしろ少し高いくらいだという。スープは濃いめの味噌豚骨で、日本にはないそぼろのような具が載っていた。同行スタッフは、硬めの麺にスープがよく絡み「麺だけ孤立していない」と評した。島袋氏はシンガポールのラーメンと比べて「100倍うまい」と言う。その理由として、シンガポールは中華系が4割、インド系が3割で、ほかにマレー系などが暮らしており好みが異なるため、ラーメンもあえて薄めに仕上げている、という知人から聞いた話を紹介した。店内の客層が1軒目とは違うことも話題になった。タイ人は日本食が好きで、ショッピングモールのレストランの半分ほどが日本食だという話も出ている。

撮影の途中で店主に話を聞くことができた。店主がタイでラーメン店を営むうえでの難しさとして挙げたのは、味の再現だった。現地では手に入らない食材があり、その調整が大変だという。また、多くの店は麺やスープを仕入れに頼っているが、この店は自社で炊いて作っている。自社で作れている店は品質が高い一方、豚骨をきちんと取っていないことが食べれば分かる店もある、と店主は説明した。日本のラーメンを食べてきた人なら違いが分かるはずだ、という話を聞き、島袋氏は「なぜおいしいかが分かった」と応じている。

サロン会員・安藤氏のオムライス専門店

2軒目で、サロン会員の安藤氏が合流した。安藤氏はオムライス専門店のチェーンを18年ほど経営し、2024年に上場企業エキサイトの傘下にあるサーチファンドへ株式を譲渡した。

専門店を始めたきっかけについて、安藤氏は次のように語った。ラーメン屋やカレー屋は世の中に多いが、オムライスの専門店は少ない。一方で、オムライスは日本人に好まれる料理である。以前はレストランやカラオケなどを運営する会社で働いていたが、そこでもオムライスはメニューとしてよく注文されていた。「みんな好きなのに専門店がない」という点に勝機を見て、最初からオムライス専門店として出店したという。

ただし、最初は順調ではなかった。安藤氏は「変な場所に出してしまった」ことを理由に挙げ、立地には今でも苦戦していると話した。島袋氏も、店舗ビジネスは場所の影響が大きいと応じている。

1次会と「ヤチェラーJAPAN」の立ち上げ

夜の1次会では、約20人分の食事代を平井氏がすべて負担した。ゴルフの費用も平井氏が出している。

この席で、島袋氏は平井氏の話を持ち出した。M&A BANKでの平井氏の出演は、55億円の売却の話から始まり、プロポーズと結婚の報告を経て、前回は離婚の報告だった。「そこで終わらせるのはよくない」と島袋氏は言う。平井氏は近く大阪に家を借りる予定で、その理由を問われると、人肌恋しいので良い日本人の相手がいないかと思っていると答えた。そこで島袋氏は、M&Aの番組で平井氏の彼女を募集する企画をやると宣言した。番組名『バチェラー』にちなみ、企画名は「ヤチェラー」である。出演者からは「人材バンクのチャンネルか」「チャンネルの趣旨がブレブレではないか」という突っ込みも入った。島袋氏は、経営者に伴走するチャンネルなので、生活や大切なパートナーもその範囲に入るという理屈を示している。

平井氏自身は、見た目は怖そうに見えるかもしれないが実は「陰キャ」で人見知りであり、なるべく人と会わないようにしていると話した。私生活も意外に質素だという。相手に求める条件としては、自立していること、子どもがいること、の2点を挙げた。平井氏には娘が3人いて、シングルファーザーだった時期もあるため娘たちとの仲がとても良い。その関係を理解し、子どもに嫉妬しない人がいいという。さらに、島袋氏のような仕事上の人間関係を一緒に大事にしてくれる人を望んだ。

これに対し、同席した女性は、経営をしていない人には一つの縁の本当の価値が分からないこともあるが、経営者にとっては最も大切な部分だと述べ、番組を見ている女性層には合うのではないかと話した。平井氏は離婚時の財産分与で「お金を取られた」と冗談めかしつつも、分与はきちんと守ったのでまだ資産はあると話している。最後に平井氏は「嫁探しではなく彼女探しだ」と念を押し、「嫁は重たい」と付け加えた。応募フォームは概要欄に掲載されている。

TKO木下氏のバー「ON AIR」で聞いた炎上と移住の経緯

2次会の会場は、TKOの木下隆行氏がバンコクで営むバー「ON AIR」だった。島袋氏は、シンガポールで初めて会ったとき、木下氏がテレビの印象とは違って静かで真面目な人だと感じたという。そのとき木下氏が「人生、50になってこうなるとは思わなかった」と話していたことを受け、絶頂期からメディアに叩かれて一気に落ちたときの心境を尋ねた。

木下氏の答えは「もう地獄ですね」だった。6年前に後輩へペットボトルを投げて仕事を失い、YouTubeに謝罪動画を出した。そこで初めてコメント欄を目にしたという。テレビに出ていた頃は、視聴者の声はスポンサーやテレビ局には届いていたのかもしれないが、自分の耳には入ってこなかった。それを目の当たりにして「視聴者おったんや。こんな嫌われてたんや」と感じたことが正直しんどかった、と振り返った。

最初は家から一歩も出たくなくなり、コンビニに行っても後ろから見られ、指をさされているように感じたという。時間がたつと周りの芸人がいじってくれるようになり、笑いにしてもらうことで少しずつ自分の中で消化できた。一方で木下氏は、炎上した本人の向こうにいる家族までは見られていないと指摘する。母親や25歳の娘にとって、父親が叩かれたり死ねと書かれたりするのは嫌なことで、そこに「第2の地獄」があったと語った。

同席者の中に最近シャンパンをかけられて炎上した人がいると振られ、アドバイスを求められた木下氏は「特に何も気にすな」と一言で答えた。木下氏の見方では、今は炎上が商法のようになっているが、6年前はそこまでではなく、当時炎上した芸人の多くはメンタルをやられたという。

平井氏との出会いとタイ移住の決断

平井氏との最初の接点は、平井氏の売却前の会社で、木下氏が導入事例に関わる仕事をしたことだった。さらに、ボクシング興行に関わっていた平井氏が亀田興毅氏と飲んでいた席に木下氏が呼ばれ、4人で飲んだことから関係が始まったという。

木下氏によれば、芸能人が苦境に陥ると離れていく人が多く、手を差し伸べる人は少ない。その中で平井氏は手を差し伸べ続けた。TKOは8億円の借金問題に関わり、仕事が減って、2人とも30年ほど所属した事務所を離れた。その後、これまで4回決勝に進んだキングオブコントでもう一度優勝を目指し、1年かけて47都道府県を回ると決めた際、メインスポンサーになったのが平井氏だった。結果は決勝に届かなかったが、木下氏は1年向き合ったことで自分の中で区切りがついたという。

その後、再び炎上が起きて仕事がなくなった。平井氏から「タイに来たらいい」と誘われたとき、木下氏は53歳だった。もう一度日本で復活しても、ウケた、滑った、ギャラはいくらだ、という同じ人生を繰り返すのかという不安があったという。海外移住には以前から漠然と興味があった。そこへ平井氏と、もう1人の知人「おさむちゃん」に「来月タイに住むかどうか今日決めてください」と迫られた。30年以上日本で芸能の仕事をしてきた木下氏にとっては無茶な話だったが、こんなことを言ってくれる人はほかにいないし、この機会を逃したらどうなるのかと考え、1か月で仕事をある程度整理して翌月に移住した。

現在の店も、平井氏がFaceTimeで物件を見せながら一緒に探したものだという。木下氏は、貯金を切り崩すだけの生活ではケチになりそうで、心も豊かではないと考えた。まず日々の生活を支える店を確保し、今はそこから前に進んでいる。「あとは爪痕を残してバズるだけ」という思いでやっていると語った。

最後に「真の豊かさとは何か」と問われると、木下氏は、お金や有名になりたい気持ちなどいろいろあったが、結局は80歳になった親にもう迷惑をかけないことだと答えた。母親が喜ぶことが自分のすべての喜びだという。

ツアーの振り返りと今後のイベント

帰路で島袋氏はツアーを振り返った。平井氏が負担したのは、ゴルフのプレー費、ホテルからのチャーター車の往復、1次会の約20人分の食事、そして3軒目の店の費用である。ON AIRの分は番組側が出したが、島袋氏は平井氏の負担を総額300万円ほどと推測している。参加者は最終的に20人ほどになり、大型の売却を経験した人を含む売却組が4〜5人いた。クラブピラティスのオーナーなども加わったという。島袋氏は、海外イベントはやはり良いと感想を述べた。

ヤチェラー企画について、島袋氏は、経営者に伴走するという文脈で見れば、パートナー探しもその範囲に入るのかもしれないと話しつつ、「かなり強引だけど」と認めている。条件として改めて挙げたのは、子どもがいること、タイに訪ねてくる友人や取引先をもてなせること、仕事を持っていることだった。島袋氏は、秘書や営業サポートのような仕事をしてきた人が合うのではないかと見ている。平井氏については、40代前半くらいの独身で資産はかなりあり、その点は契約書できちんと管理されるだろうと付け加えた。

今後のサロンイベントとしては、国内では大阪、忘年会は福岡での開催が予定されている。10月には会員のワドさんが企画するモンゴルへの海外ツアーもある。島袋氏は、こうしたイベントを通じて参加者どうしの横のつながりができたと話し、ツアーの記録を締めくくった。