ニート3年を経て芸人になった春とヒコーキ土岡が語る、黙っていた高校時代と「芸人では売れてない」という葛藤
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜お笑いコンビ・春とヒコーキの土岡は、相方ぐんぴぃの「バキバキ童貞」という街頭インタビューでの一言をきっかけに注目され、YouTubeチャンネルは登録者200万人規模になった。一方で本人は「芸人としては売れていない」と繰り返す。インタビューでは、青山学院大学の落語研究会で頭角を現しながら就職活動に失敗してニートになった経緯、3年間のニート生活から芸人になった理由、そしてYouTubeの成功と芸人としての自己評価のずれについて、土岡が自分の言葉で振り返った。
いまの働き方と、ニートで慣れた体
現在の土岡は、YouTubeの撮影が週1〜2日、ライブが週2〜3本あり、そこに少しずつテレビの仕事や雑誌のインタビューが加わる。休みは月に数日あるかどうかだという。ニート時代と比べればかなり働いているが、「完全にニートで体が慣れちゃってる」ため、他の人より休みたい欲求が強いかもしれないと話す。仕事はこなしているものの、一つひとつを「なんとかやれた」くらいの感覚で過ぎてしまっていると感じる時もあるという。
ネタはまず土岡が全部書き、ぐんぴぃと台本を読んで話し合いながら仕上げる。ボケとツッコミは半々くらいで、やっているうちにどちらかが「やばく」なる。先輩からは、コンビのうち土岡の方が非常識だと言われたこともあるそうだ。
青学の入学初日に感じた「ここには馴染めない」
ぐんぴぃとは青山学院大学の落語研究会で出会った。土岡が1年生、ぐんぴぃが1学年上だった。
土岡は冴えない高校生だったが、青学に受かったことで自分も「イケてる」側になれると期待していた。立命館大学にも受かっていたが、せっかくなら東京に行きたいという思いと、「青学生イコールかっこいい」というイメージから青学を選んだ。ところが入学式の初日、構内をスケートボードで移動している学生を見て落ち込み、「ここには馴染めない」と思ったという。
おしゃれになろうと服を買いに行っても、今思えば全部間違っていたと土岡は振り返る。インナーとTシャツの違いが分からず、ヒートテックのようなインナーの上にジャケットを着て登校していた。教えてくれる人にも出会えなかった。クラスでは浮いてしまい、授業も一人で受け、行き場がなくて落研に行くと、同じような人たちが集まっていた。
落研では、最初はかっこよかった先輩が丸眼鏡をかけ、アルバイトにも下駄で行くようになっていった。土岡はそれを「人が劣化していく場所」と笑いながら表現するが、同時にそこが心地よかったという。部室では、授業でイケている学生の悪口が語られていた。出席カードを預けて帰ったイケている学生の分を、くしゃくしゃにして提出しなかったという先輩の話を聞き、「ここだけが正しい場所だ」とレジスタンスのような気持ちで部室に逃げ込んでいたと語る。
「紙袋おじさん」としてのぐんぴぃとの出会い
入学前、土岡は2ちゃんねるの青学の板を見ていて、「キャンパスに紙袋のおじさんがいる」「紙袋の中に人を入れてさらうらしい」という書き込みを目にしていた。入学後、落研の新入生歓迎の落語会に行くと、ぐんぴぃが話しかけてきて「紙袋おじさんって知ってる?」と聞き、「それ、俺」と明かした。周りの学生がブランド物のバッグに教科書を入れて通学するなか、一人だけ逆張りで紙袋を使っていたら、都市伝説にされていたのだという。土岡は、助からない人の目線で怖い話を聞かされたようだったと笑う。
学生落語で総長・全国2位になった理由
土岡は大学3〜4年の頃、学生が運営する関東の落研の連合で総長を務めた。落研同士の交流や合同の落語会を取りまとめる役で、落語がうまいことで選ばれたという。大会では決勝に1度進み、最高で2位だった。
一方的に15分間しゃべれる場所はなかなかない。大学に入る直前の高校3年間、友達ができずにずっと黙っていたので、その発散のような感覚だったと土岡は言う。一人でピンネタをやっているときに、成立はしているが「人間と喋ってきた人の喋りじゃない」と言われることもある。聞き手はそれを、一人で壁打ちをしてきた人間が外に出たからだと受け止め、その「壁打ちの歴史」を尋ねていく。
おしゃべりだった子ども時代
土岡は宇都宮の出身で、父親は外科医だ。土岡が中学に上がる頃までは非常に忙しかったという。本人は作新学院に幼少期から中学校まで通っていた。姉も通っていた、栃木では私立で少し上品なイメージの学校で、小学校でトイレの大便をからかわれるようなことは一切なかったと話す。
子どもの頃はとてもおしゃべりだった。歯医者で泣き叫ぶことはないが、ずっとしゃべり続けるので先生が治療できず、「今、歯を見なきゃいけないからおしゃべりやめようね」と言われたこともある。知らない人にも話しかけ、中学までは友達も多く、「薄く顔は広く」楽しく過ごしていた。
高校で誰とも話さなくなるまで
高校は外部の県立男子校に進んだ。栃木県で最も偏差値の高い学校だった。それまでは、小学校から一緒の友達が間に入ってくれることで、新しい友達とも間接的に仲良くなれていた。それがなくなり、新しい友達の作り方が全く分からなかった。
土岡は入学前、この高校にはガリ勉ばかりが来るので、人並みに漫画を読みテレビも見ている自分はイケている方になるだろうと思い込んでいた。クラスを引っ張り、流行りのものを教える側になるつもりだった。ところが実際の同級生は、勉強で各学校のトップだったうえに、はしゃいで下ネタを言い、友達とカラオケに行ける人たちだった。そのギャップに驚いて話せなくなったという。
自信の根には、自分は不良でもオタクでもなく、勉強もそこそこでき、マラソン大会で下位になるわけでもない「ど真ん中」だという認識があった。さらに、真面目であることが正しいと信じていた。小学1年生の頃、同級生を全員「さん付け」で呼び、「それ先生に怒られちゃうよ」と注意していた。それを通知表で丁寧な子として褒められたことで、真面目さは正義だと確信したという。
高校ではお行儀よくしようと思い、当たり障りのないことだけを言い、人をいじることもしなかった。その結果、入学初日のような距離感のまま1学期が終わり、夏休み明けの2学期には誰とも話さなくなった。話しかけようとしても、「こいつ急にしゃべったな」と思われるのではないかと考えてしまう。周囲が嫌なことを言ってきたわけではなく、自分で閉じこもっていたと土岡は認める。人と少しでも話せたら「今日は人と喋った日」として数え、1日に3回話せたら「俺よくやった」と自分を誇って帰っていた。
学校がつまらないので、家では漫画やネットで取り返そうとし、一日を延長するように夜更かしした。そのため寝坊してホームルーム中に遅刻して教室に入るのだが、仲の良い相手がいないので誰にもいじられず、先生が出席簿にチェックをつけるだけだった。中学から一緒に進学した友達は挨拶をしてくれたが、会話はそれ以上にならず、「土岡どうしちゃったんだろう」という雰囲気はあったと思うという。
文化祭や合唱コンクールでは暇なので放課後の作業に参加し、「ガムテープまだこっち余ってるよ」といった事務的な会話は生まれた。一時的な連帯感もあった。しかし行事が終わるとそれは消え、みんなは仲の良い同士で帰っていく。1年生の行事が一通り終わったとき、関係は行事のためにリセットされるもので、このまま3年生まで人と話さずに過ごすのだと思った。
ネットに逃げたわけでもなかった。ニコニコ動画も見ず、2ちゃんねるへの書き込みやブログもしない。やっていたのは、漫画の公式サイトを見て、アニメ化の情報が更新されていないかを毎日確かめることくらいだった。学校で息苦しかった分、家に帰ってやっと呼吸ができる感覚だったという。
部活を断るための「7万円カツアゲ」妄想
中学の友達にラグビー部に誘われ、見学と最初の練習に参加したが、へとへとになって無理だと思った。ただ、練習がきつくて体力がないから入らない、という理由は情けなく、誘ってくれた友達にも罪悪感があった。
練習中、先輩に肩をトントンと叩かれ、「名前」と言われた。ジャージにまだ名前を書いていなかったので、呼び方が分からないから書いておけ、という意味だった。土岡はこれを「7万円」と聞き間違えたことにしようと決めた。先輩にカツアゲされそうになって怖くて入部しなかった、そして自分は本当は「名前」と言われたことにまだ気づいていない、と自分に言い聞かせたのである。先輩に迷惑がかかるので人に言いふらしたりはせず、友達には「ラグビー部には事情があって入れない」とだけ伝えた。部活に入らなかったことも、閉じこもりを深めたと土岡は振り返る。
お笑い好きだったのに輪に入れなかった理由
お笑いは小学生の頃から好きで、友達のいない高校時代も、M-1の予選結果をサイトで追い、吉本の配信を見ていた。一度だけ、思いつきのような調子で母親に「よし決めた、芸人になろう」と言ったことがある。翌日、母親が冗談として父親に伝えると、父親は「だめだよそんなの」と返したという。
家は父方も母方も医者の家系で、自分の代で途絶えたと土岡は言う。高校で文系を選んだとき、父親は悲しそうで、本当は理系に進んでほしかったのだろうと感じた。
高校にもお笑い好きの同級生はいたが、その輪には入れなかった。昨日のM-1が面白かったという会話を、下を向いて聞きながら「俺だってそれ見てるし」と思っていた。何が好きかを表に出すことすら恥ずかしかった。全部、他人の目を気にしていたとし、聞き手の「自意識に苦しめられていた」という言葉に土岡は同意する。中学までお笑い好きの友達と遊べていたのは、イケている・イケていないという属性が分かれる前から同じメンバーだったからだという。
大学でも繰り返した「最初に失敗したら数年単位で捨てる」
大学では高校のようにはならないと思っていた。しかし文学部のクラスは30人中男子が5人ほどで、最初の1週間は本格的な授業がないとカリキュラムにあったためサボった。2週目に行くと、自分以外の男子4人が2人ずつ固まって座っており、輪に入れなかった。
グループワークで声をかけてもらっても、最低限しか話さず、食事の流れになるとすぐ帰る。それを繰り返した結果、2年生の頃に「単刀直入に聞くけど、あんまり俺らと関わりたくない?」と聞かれた。土岡は「本当にそんなことはなくて、人とどうしていいのか分からないんだ」と答えたという。相手は、落研では土岡が暴れていると聞いていたため、自分たちがつまらないからはしゃがないのだと思っていたようだった。向こうは手を差し伸べてくれていたのだろうと、土岡は今は考えている。
聞き手が指摘したのは、最初に失敗すると年単位で捨ててしまうという土岡の傾向だ。高校はスタートで失敗したから、3年間は「捨て人生」にする。大学の学部も、4年経てば出る環境だから挽回はしない。人の輪に関してはそうだったと本人も認める。
では、なぜ落研には居続けられたのか。土岡は、お笑い好きという共通点は、野球好き同士のような共通の趣味の範疇を超えていると考えている。これくらい砕けた話し方でいい、建前を取り払っていい、一緒にはしゃげれば中身のない話でいい。お笑い好き同士には、そういう人間関係の結び方の了解があるように感じ、そこに安心感があった。だからここだけは手放さないよう、あまりしゃべれなくても顔を出し続けたという。
1〜2年生の頃のキャンパスは相模原の淵野辺で、落研の部室もそこにあった。メインの落語会は渋谷で行うが、普段は1学年上の先輩たちとだけ過ごす「子どもの秘密基地」のような感覚だった。
落語で「1年生のエース」になる
1年生の6月末に新入生のデビューの落語会がある。その1か月ほど前、覚えた落語を先輩に見せると、「めっちゃうまくない?」と言われた。本番でも初めて人前でやったお笑いのネタが受け、「1年生のエース」という空気になった。土岡にとって、部活で初めてスタメンになれたようなもので、とても嬉しかったという。お笑い好きの鬱憤がたまっていた分、最初からやりやすかったとも話す。
土岡は、授業や恋愛やバイトの人間関係はクソ食らえで、座布団に座ってしゃべっている「この15分間が本物の時間だ」と思い込んでいる人は、落語がうまくいく気がすると語る。聞き手がそのモチベーションで学生落語をやる人は少なそうだと言うと、「みんなもっと楽しくやれてたのかな」と笑った。
演技力についてはむしろ伸びなかったと土岡は言う。古典落語を芸能として上手に演じる学生もいるが、土岡は古典の中に自分で考えたボケを入れた。自分のボケなら「師匠のように演じるべき」という正解がないので、下手でも受ける。ただし現代風にアレンジはせず、江戸時代の雰囲気のまま、人のものの見方だけがオリジナルになるようにした。プロでは許されないかもしれないが、学生落語だからできることをやろうと夢中だった。当時は芸人になるつもりがなく、学生落語で燃え尽きようと思っていたから打ち込めた、とも話す。
手応えを感じるにつれて「尖って」いったという。最初は落研という居場所ができて素直に先輩と接していたが、次第に就活で離れていく先輩に対して「落研なんだから落語しなきゃだめでしょ」、ネタにも「個性出せよ」と言うようになった。
「婚前交渉しない」宣言の中身
土岡は大学入学の頃、落研の先輩に経験を聞かれて「彼女いたことないですけど、婚前交渉しないって決めてるんで」と答えていた。宗教的な理由ではない。高校時代、男子校でもイケている同級生には他校の彼女がいると聞き、屈折していった。大学でチャラチャラした青学生を見て、自分は真面目だから童貞なのであり、まだ見ぬ人に一途なのだと、自分を正当化するために先に宣言したのだという。
後輩が真似したのかと聞かれると、土岡は、落研は放っておいても童貞が多いと答える。同期の男子4人は全員卒業まで童貞で、後輩も6人ほどがそのまま卒業した。大学時代に一度彼女ができたが、関係は持たず自然に別れた。
それでも学生生活は楽しかった。土岡は、落語が個人でやるものだったことが大きかったと見ている。チームスポーツのように責任が生じたり、相手のことでピリピリしたりすることがない。同じ目標を持つ仲間だが、それぞれ自分のことを頑張っている、という距離感がやりやすかった。
ピン芸人ではなくコンビを選んだ理由
ピン芸人になりそうなタイプだという聞き手に、土岡は、一人では売れないと思ったと答える。ぐんぴぃは大学時代に最も笑わされた人で、自分と真逆だった。見た目のインパクトとパワーで人の目を引きつけ、誰もが話しかけやすく、フィジカルの面白さもある。ちゃんとしたお笑い芸人を考えると、こういう人がいないと無理だと思ったという。
目標にしているのは、憧れてきた芸人の形だ。まずネタで評価され、M-1やキングオブコントの決勝で活躍し、テレビの王道のバラエティでも活躍する。その憧れは捨てきれないと話す。
ただ、ストイックかと聞かれると、芸人になる前にニート期間を挟んだせいで「気持ちのスタミナ」が低くなっていると答える。体調は崩さずにやれるようになったが、やる気のスタミナが足りない。落語も4年で区切ったから持ったのだという。就活に失敗して留年を考えたときも、留年して落語を続ける先輩は多かったが、自分は留年したら部活には一切参加しないと決めていた。決めたらそうとしかならない。土岡はそれを「リセマラ的」と表現した。
就職活動の失敗
受けたのはテレビ局や映画会社など、人気業界の大手ばかりだった。婚前交渉もせず真面目に生きてきたのだから、会社は真面目な人間を欲しがるはずで、自分はエリート会社員になるものと疑わなかった。しかし実際には「自分を正当化してる童貞でしかなかった」と土岡は言う。会社はコミュニケーション能力の高い人を求める。周囲ではチャラチャラした学生の内定の話が聞こえてきた。
字は綺麗に書いていたので書類はほぼ通ったが、スーツを着るとしどろもどろになり、一次面接で落ちるのが大半だった。最も進んだ会社では、三次面接あたりで緊張してうまく話せず、「すいません」と笑ったところ、面接官に「その笑顔いいじゃない」「今のよく分からない話よりはにかんだ顔の方がよかったよ」と言われた。それで最終面接は準備せずに臨み、やりたいことを聞かれて「分かってないです」とへらへらした結果、落ちた。M-1の準決勝で受けたネタが決勝では空気が違って受けない、という話にたとえ、自分にもそれが起きたと振り返る。
大手に落ちると、知らない会社には入りたくないと考え、留年してやり直そうと夏頃に就活をやめた。
ニートを受け入れるまでの2〜3か月
プライドの高い土岡にとって、ニートになることは大きな挫折だった。明日からニートという状態で大学を卒業し、同級生が社会人になった朝、自分だけ何も進んでいないと思うと起きていられなかった。脳が拒否して寝ろと言っているようで、1日15〜16時間寝る日々が始まった。
2〜3か月経つと麻痺してきた。起きた瞬間だけ「俺だけ働いてないんだ」と焦るが、それはパソコンが起動してから「ニートであることを何とも思わないセキュリティソフト」が立ち上がるまでのラグのようなもので、立ち上がれば寝るまで平気だった。アニメを見て、最新の映画も公開日に行ける。ただ、このまま年を取れば取り返しがつかなくなることは分かっていた。バイトを始めるのも怖く、社会に収まらない方が何かできそうだという気持ちと、このままでどうするんだという気持ちの間をぐるぐる回っていた。
芸人を選んだ理由について、土岡は、ニートが一般の会社に戻ろうとすれば一番下から入ることになるので、一般社会ではない場所に行こうと思ったのだろうと推測する。
親への「ハンガーストライキ」だった3年間
ニートになって2か月ほどのある日、吹っ切れた。今さら就職するのも芸人という大それた道も、自分にとってはどちらも同じくらい怖い。それならお笑いが好きで、落研も楽しかったのだから芸人になろうと思い、会社勤めを始めたばかりのぐんぴぃに電話した。ぐんぴぃはすぐにやろうと言ってくれた。会社をすぐにはやめられないにせよ、前向きだった。
その後母親に電話し、ニートよりはましだと許してくれると思っていたが、父親と相談した母親から、ちゃんと仕事に就いてほしいので芸人はだめだと言われた。親が反対するのは当然だが、土岡はそこで心が折れ、ぐんぴぃに「どうしていいか分からないので一旦全部宙ぶらりんで」と伝えた。そして親へのハンガーストライキのような気持ちで、家賃9万円の部屋に親の金で住み続け、3年間ニートを続けた。
最終的には親に言わずに活動を始めた。自分たちでお金を払ってエントリーするライブにぐんぴぃと出始め、ある事務所のオーディションに受かってライブに出られるようになり、所属ではないまま出入りしていた。
親に打ち明けたのは芸人を始めて2年ほど経ってからだ。別の大学の落研の友人がテレビマンになっており、若手芸人の奮闘記として密着したいと声をかけてきた。親に言っていないと知った友人に、親に言う場面を撮らせてほしいと言われ、このチャンスがなければ言わないと思って実家に帰った。母親は、そろそろ言ってくるのではないかと思っていたようで、自分で選んだのならやりなさいと言った。父親は、仕事になっていくのだから人の役に立つように、自分で選んだことを考えてやっていきなさい、という趣旨のことを言ったという。
カメラの前で母親は「彼の人生なので」と答えていた。親子であっても別の人間で、心配はあるが、やりたいことを止めるのは違う、自分も止められたくない、という内容だった。母親が自分を「彼」と三人称で呼ぶのを初めて聞いて驚いたが、そう思ってくれていたのかと知り、親に胸を張れるようにやろうと思ったと土岡は話す。密着がなければずるずる言わなかった可能性が高い、とも認めている。美談のように見えるが、「まんまとハンガーストライキが通った」だけだと笑う場面もあった。
タイタンを選んだ現実的な理由
事務所をタイタンにした理由として、ぐんぴぃが学生時代から爆笑問題を好きだったこと、社会派の面も含めてお笑いだけではない幅がある事務所への憧れを挙げるが、一番は現実だったと土岡は言う。お笑いを始めた時点で土岡は25歳、ぐんぴぃは27歳。2年間どこの事務所にも入れず、27歳と29歳になっていた。事務所ごとにオーディションの年齢制限は25歳までや30歳までとさまざまで、29歳で行っても「おじさん扱い」されかねない。そんな中、タイタンの養成所の年齢制限は65歳だった。実際に行くと29歳のぐんぴぃが若い方のグループに入り、自分たちのネタで勝負できたという。
吉本については、体育会系で年功序列がはっきりしていそうなこと、人前に出て「見てください」と主張するタイプではないことから、埋もれると思って選ばなかった。
土岡は、タイタンでなければもっと早く潰れていたと考えている。芸人がほとんどYouTubeをやっていない時期に、ぐんぴぃのバズからYouTubeを始めたが、事務所はそれを後押しし、事務所主導で始めたほどだった。爆笑問題の幅の広さに、タイタンという「家柄」として含めてもらえている気がして、YouTuberではなく芸人を名乗れている感覚があった。何をやっても最終的にはお笑いに持っていく事務所なのだから、自分たちも何をやってもいいと思えたという。
「バキバキ童貞」がネットミームになった日
ぐんぴぃは夜勤明けの朝方、街頭インタビューを受けた。グループLINEに「童貞ですかって聞かれて、童貞ですってカメラに言っちゃった、テレビで流されるのかな、恥ずかしい」と送ってきたが、土岡は既読だけつけて返さなかった。夕方のニュースで流れると、その部分が切り抜かれて当時のTwitterに投稿され、すぐにバズった。
当時は土岡も童貞で、テレビにも出たことのない相方が「童貞の人」としてネットに晒されているのを見て、最初は自分だったら耐えられないとぞっとした。しかしダウンジャケットなのに腕まくりをし、カメラ目線ではきはきと「バキバキ童貞です」と話す姿を見るうちに笑いが止まらなくなり、1分ほどのインタビューを見終えた後、30分ほど笑い続けたという。その時点では今後のネタになるとも思っておらず、その日一日だけでも面白い出来事だったと思っていた。
芸人として思い描いていたのは、ネタで出てネタの人になり、その後バラエティに呼ばれるという、最も多数派のルートだった。ネットミームで知られるのは全く想定外だった。ただ、2年間事務所に入れなかったことで、ライブでネタは受けていても売れるかで言えば「落ちこぼれ」だという自己認識になっていた。ライブで話して受けるなら、人に知ってもらえるなら、いいことではないか。晒されたのが自分ではなかったからそう思えた部分もあるが、ネタだけで素は見せたくないなどと言っていられない、売れる気配がないのだから、という心境だったと土岡は話す。
YouTubeを始めるときの「終わってしまおう」という気持ち
ミームになってから1年ほど空けてYouTubeを始めたが、そこにはまた別の抵抗があった。当時は芸人でYouTubeをやる人は少なく、やれば「そっちに行っちゃったんだ」と見られる時期だった。土岡自身もそう思っていたし、YouTubeでうまくいったら芸人に戻れなくなるのではないかという不安もあった。
それでも、事務所に入れたものの思うようにいかず、疲れて落ち込んでいたので、「もう何でもいい、終わるなら終わればいい」という気持ちが勝っていたという。YouTubeが動き出すなら、どうとでもなって終わってしまおうと思っていた。20代後半から始める人は遅く、若い方がいいので要らないという事務所が多いことは、芸人になるまで分からなかったと付け加えた。
登録者200万人と「売れてないのに満たされてしまった」葛藤
チャンネルは10万、20万、50万、100万と伸び、200万人に達した。土岡はそれを、面白いと思うことをそのままやれている感覚だと話す。YouTubeで跳ねるにはお笑いではないことをやらなければならないと思い込んでいたが、自分たちや出演してくれる芸人仲間、芸人以外の人たちと面白いことをやったら見てもらえた。今は楽しく、それで出会えた人も、できた面白い仕事もたくさんあるという。
しかし目標はネタだ。キングオブコントの優勝、あるいはタイトルに限らずネタが面白い人になることが一番の目標だと土岡は言う。そのうえで、「売れてないのに満たされてしまった」と語る。お金的には食べていけるし、見てくれる人もいる。芸人にとって心が満たされる部分はもらってしまった。だがYouTubeは看板もぐんぴぃが背負い、中身もぐんぴぃが引っ張っている。自分の芸人としての価値は何なのか。価値がないのに食えてしまい、知られ始めている。そこに追いつかなければならず、上の世代の先輩にも世間にも認められないと、自分で自分を認められない気がするという。
YouTuberであれば満たされているはずでは、という聞き手の問いには、周りにいる芸人たちがテレビに出たり、M-1の決勝に進んだり優勝したりする姿を見せてくれるからだと答える。登録者が多くても、芸人の間では誰も「お前ら上がったね」とは言わない。だからやれているのかもしれない、と土岡は話す。
キングオブコントは芸歴の制限がないが、土岡は実際にはそうではないと考えている。エントリーはできても、決勝に行けるか、行ったとしてその実績を持ち帰ってテレビなどの仕事につなげられるかといえば、ある程度若いうちしかできない。優勝とは別に「決勝」という切実な目標があり、それは数年のうちだという。一方で、年を取ってから売れる人もいるし、テレビに行かずライブに出続ける人も大勢いる。お笑い芸人という仕事自体はいつまでも続けられることが希望だとも語った。
目標は「もう一度ニートに戻ること」
いつか引退したいかと聞かれ、土岡は「またニートに戻りたい」のが一つの目標だと答えた。20代のニート3年間は本当にしんどかったが、今度はお笑いをやりきり、売れて、ネタもたくさん作り、多くの人とつながった状態で、将来の不安なくもう一度ニートになり、いつまでも寝てアニメを見ていたいという。
土岡は、就活の失敗の仕方から、親を困らせても罪悪感を持たなくなるまでの方法を書いた『内定0から始めるニート入門』という本を出しており、「ニートはめっちゃおすすめ」と笑う。ただ、ぐんぴぃからは「誰でもなれるわけじゃない」と言われるという。実家の太さがあり、お笑いが向いていて、運も良かったから、成功談のようにニート経験を語れるだけだ、というのがぐんぴぃの指摘だ。土岡自身も、今食べていけているのはぐんぴぃのスタミナと才能が引っ張ってくれたからだと認めている。
一方で、1か月でいいから人生で一度やってみたいという聞き手には、3年間も1か月の繰り返しなので何も変わらない、と答える。労働が生まれる前、人間は食べることと寝ること以外に力を使っていなかっただろうから、本来はこっちなのだと思いながら今は過ごしている、とも話した。会社が生まれる前に会社員はいなかったのだから、とも言う。
ニートを経たことで芸人になるハードルが下がった面もあったと土岡は振り返る。ニートになりたての頃、親からは「仕事を探して」と電話があったが、後半になると「お日様が出ている時間は外に出なさい」くらいにまで要求が下がった。そのくらいならできると思って芸人になったという。
いまニートの人と、その周りの人へ
現役のニートや、身近にニートがいる人に向けて、土岡は、結局は本人次第だと語る。周囲がいくら仕事を勧めても、それだけで人は進めない。もちろん働きかけがなければどんどん塞ぎ込むので必要ではあるが、社会復帰の手を差し伸べられたから復帰できるわけではない。本人がニートであることに飽きるしかない。土岡自身、3年間アニメや映画を見るだけの日々に飽き、「さすがに自分の人生に参加するか」と思ったタイミングを逃さず家を出ただけだったという。だから、自分が飽きたという感情を見逃さないでほしい、と話した。
YouTubeのコメント欄や手紙、直接会った人から、ニートだけれど明るい気持ちになれた、という言葉をもらうことがある。自分はニートであり続ける楽しさの話しかしていないのに、それを聞いて再就職したという連絡をもらうと、あの時の自分が救われた気持ちになり、ニート期間は無駄ではなかったと思えるという。
高校時代については、後日イベント先で働いていた同級生に声をかけられたり、中学の友達が高校の同級生をライブに連れてきたりすることがあった。自分が塞ぎ込んでいただけだったと思うし、思い出はなくても、今会えば同い年の人として普通に話せる。再会してもいいし、しなくてもいい。
土岡は最後に、実生活で触れる場所の9割がだめでも、1割でも、それがバーチャルでも、「ここは自分にとって本物の世界だ」と思える場所があればいいのではないかと語った。それが正解でずっと生きていけるとは限らないが、とりあえずそれでしのぐことを繰り返すのでもいい。自分はそういう逃げる生き方しかしてこなかったから、と。インタビューを終えた土岡は、自分でもこう思っていたのかという発見があったと話し、この後のライブへ向かった。
あ、すいません。よろしくお願いします。ありがとうございます。ありがとうございます。あ、そう。うちもらっちゃった。いえ、いい。ありがとうございます。あと、めちゃ面白かったです。はい。ありがとうございます。来ていただいてありがとうございます。
土岡さんもやばいやつで。半々ぐらいですか?[笑い] あ、そうですね。ボケツッコミ半々ぐらい、どっちかがやばくなっちゃうんですけど、やってると。
ネタは全部土岡さんが考えて? そうですね。1回全部僕が書いて、ぐんぴぃとまた台本読んで話し合いながらって感じですね。
3年間やってたっていうこととかを含めて、非常識度で言ったらぐんぴぃさんより土岡さんのほうがちょっとやばいんですか、わかんないけど。 あ、でも言われますね。先輩とかにも、多分土岡が1番非常識だよって言われたこととかありますね。[笑い]
バキバキ童貞チャンネルには、ほぼ毎回出て。 そうですね。最初のうちは出てない回もあったんですけど、大体出てますね。もうずっと。
お笑いもめっちゃ普通に出てる。 そうっすね。週何本かライブがあって。 どうせですか? はい。[笑い]
YouTubeが週1日か2日ぐらいですかね、撮って。ライブ週2、3本とかあって、プラス他の、ちょっとずつですけどテレビの仕事もらったり、雑誌のインタビューあったりみたいな。休みが月何日かあるかどうかぐらい。
ニート時代に比べるとだいぶ働く。 そうですね。完全にニートで体が慣れちゃってるんで、多分僕、他の人よりも休みたい欲求が強いかもしれないですね。そうですね。
きついなと思いながらもこなせてはいるんですよ。 まあまあそうですね。でもちょこちょこ、これこなしちゃってるなみたいな気持ちにはなりつつ、1個1個のことを、なんとかやれたぐらいの感じで過ぎちゃってるなと思う時もありますね。
青学で出会ってるんですよね。 そうですね。僕1年生の時にぐんぴぃが1個先輩、2年生でいて、落語研究会で出会いました。
青学って卒業生とか有名人で調べると、割とアナウンサーとかですか? あ、そうですね。ミタパンとかがちょっと先輩ぐらいですかね。テレビの。 あと田中みな実さん。 ああ、そっか。そうですね。アナウンサーも多いし、普通に学生もイケイケだしで。なんだろう。
めっちゃ居づらかったですね。入ったら変わると思ったんですけど、自分、別にイケてない高校生が青学受かったから、じゃあ自分みたいな子も別にいっぱいいて、そこで青学通ってたらまあイケてる感じになるんだろうなと思ったら、入学式初日で学校の中をスケボーで移動してるやつがいて、それ見て落ち込んじゃって。ああ、だめだ、ここには馴染めないと思って。[笑い]
え、でもそのスケボーに乗る側にちょっとなれるかもみたいな期待はあったんじゃないですか? はい。最初はだから、言ったらイケてる、モテるもそうだし、かっこいい感じになれるんだろうなと思ったんですけど、結局クラスでもあんまり浮いちゃってというか友達できず、授業も1人で受けてるしで、拠り所なくて落研行ったら、同じような人たちが集まってて、そこに着いちゃったって感じですね。
僕が大学生の時の青学の人って、KAT-TUNみたいな細いパンツに、ちょっと尖った靴履いて、金髪で真ん中がちょっとトサカみたいになってるみたいな。 ああ。 それがザ・青学のイメージだった。見た目だけだったらなれるポテンシャルあるじゃないですか。ananのやつとか。 あ、そうですね。 ananも出て、かっこいいし。
ダメでしたね。おしゃれになろうとか思って服買いに行ったりとかするけど、多分今思えば全部間違ってたなと思って。肌着とTシャツの差が分かってなくて、普通にヒートテックインナーみたいなやつ着て、その上にジャケットで学校行ったりとかしちゃってたんで。教えてくれる人にも出会えなかったし、落研行っても、最初かっこよかった先輩とかもどんどん変な格好するようになって。
茶髪でちょっと塚本高史風な感じだった先輩が、まん丸のメガネ、なんて言うんだ、着けて、列の弁像さんみたいになってて、バイトとかも下駄履いていくようになっちゃって。だからそうですね、人が本当に劣化していく場所なんだっていう感じで。でもそれが心地いいというか、ちょっと青学生何ぞやって思って過ごしてたんで。
落研が、人が劣化してくる、どういう現象? いや、でも落語好きになっちゃうと、他の同級生ぐらいの人とあんま話合わないというか、やっぱ落語好きは変なやつが多いなっていう感じはあったんで、部室に来たら、授業でイケてたやつの悪口言ったりとか。紙に名前書いて渡したら出席になりますみたいなやつで、その紙だけイケてるやつに渡されて、そいつら授業出ずに帰ってったから、その紙くしゃくしゃにして提出しなかったよみたいな話とかを聞いて、ああ、ここだけが正しい場所だと思って、レジスタンスのような気持ちで。[笑い] レジスタンス。 部室に逃げ込んでましたね。
どの大学でもイケてる人いると思うんですけど、青学だと余計それ強そうなんですけど。他にも似たような学力の学校とかあるじゃないですか。 あ、はいはい。青学と、あと立命館ですかね、受かって、青学と立命館どっち行こうで、せっかくなら東京行きたいなで青学来たし、青学生イコールかっこいい、だから青学生になったらかっこよくなれるんだと思って。ただ全然違ったっていう。
ぐんぴぃさんは、なんでしたっけ? 紙袋で有名だったんでしたっけ? あ、そうですね。当時の2ちゃんねるの青学版みたいなやつ見て、青学生がローカルトークしてるんですけど、そこ見てたら書いてあったのが、キャンパスに紙袋のおじさんいるよなって書いてあって。ああ、いるいるいる、うろついてる紙袋おじさん。あれ紙袋の中に人入れて攫うらしいぜみたいなこと書かれてて[笑い]、何これと思って見てて。で、青学入って落研の新入生歓迎落語会みたいなやつ見に行った時にぐんぴぃが話しかけてきて、「新入生でね、君たち。あの紙袋おじさんって知ってる?」って。「ああ、見ました。2ちゃんに書いてあって、紙袋で人攫うとか」「あ、そうそうそうそう、それ俺」。うわあ、めちゃめちゃ怖い話の、もう助からない人の目線で聞かされたんすけど。みんな親にブランドもののバッグとかを買ってもらって、教科書とか入れて学校来てる中で、1人だけ逆張りで紙袋で学校来てたら、それを都市伝説にされてたっていう。
落研の、全国的なトップ? はい。関東落研連合っていう、学生がやってるのがあって、それの総長を僕やってて。大学3年、4年ぐらいの時に、落研同士で割と交流あって一緒に落語会やったりするんですけど、それを取りまとめる人としてって感じですかね。 でも落語うまいからそれになれるの? ああ、でもそれで選んでもらった感じでしたね。大会とかあるんすけど、大会は僕1個決勝行って、まあ2位まででしたね。よくて2位まで。 全国2位とか。 あ、そうですね。
学部で馴染めないみたいな一方で、そういう落語みたいな喋りの大会で2位ってすごいです。そのギャップっていうか。 特殊ですね。勝手に一方的に15分喋る場所なんてなかなかないんで。 それがめっちゃ向いてたってことですか? それまで逆に、大学入る直前が高校3年間友達できず、ずっと黙ってたんで、それの発散みたいな感じでしたね。
ずっと黙ってた発散のおかげでうまくなったって感じですか? 言われますね。落語とか、1人でピンネタとかやってる時に、見てて成立はしてるんだけど、人間と喋ってきた人の喋りじゃないねみたいなことは言われますね。1人で壁打ちをしてきた人間が外に出たからこうなってしまったっていう風に見えてるのか。
壁打ちの歴史をちょっと聞いてみたいですけど。 はい。僕宇都宮ですね。 あ、宇都宮。お父さんお医者さんなんすか? あ、そうですね。外科ですね。 外科。じゃあ結構ハードワークなんじゃないですか? ああ、でもそうですね。僕が中学上がるぐらいまでめちゃめちゃ忙しくて、僕が高校生ぐらいの時には後輩とかもできて、大学病院でもうそんなにバリバリ動き回んなくても良くなったのかなっていう感じでしたけど。
学校はどういう学校に行ってたんですか? 作新学院って栃木県の私立の大きいところに、幼小中と中学校まで行ってて。 幼稚園って何人ぐらいですか? 50人ぐらいですかね。なのかな。 それって、マックスどこ、大学まで行けるんですか? そうですね。大学まで一応あるんで。 土岡家はみんなそこに行く感じなんですか? あ、でもそうすね、姉も行ってたんで、なんとなく。栃木のうちの辺りだったら私立で、ちょっとお上品なイメージというかな感じだったんで。確かにあれがなかったですね。小学校の時、トイレでうんちしてからかわれるは一切なかったですね、うちの小学校。 小学校のあるあるが若干違うんですね。[笑い]
その学校でも無口なんですか? いや、作新学院にいるうちは喋ってましたね。ちっちゃい頃めっちゃおしゃべりで、ずっと喋り続けてて。歯医者さんとかも、泣き叫んだりとかしないんですけど、ずっと僕が喋ってるから先生が治療できなくて、「ちょっとごめんね。今歯見なきゃいけないから、ちょっとおしゃべりやめよう」みたいに言われたりとかして。ちっちゃい頃知らない人にも全然話しかけるし、中学校までは別に友達もいっぱいいて楽しく過ごしてましたね。 じゃあ高い方だったんです? 薄く顔は広くな感じでしたかね。
それで高校に入って何があった? 高校で外部行って、作新学院出て。外部に行ったら、新規の友達の作り方が全くわかんなくて。今までは、小学校から中学校に上がったら外部の子もいっぱいいるけど、小学校から一緒の子が間に入ってくれて、こっちも間接的にどんどん仲良くなれてだったのが、そういうのがなくなったからなのか、全くついていけず。あとお行儀よくしようと思って、全然当たり障りないこと言ったり、人をいじったりとかせずにずっとやってたら誰とも仲良くならず、入学初日ぐらいの距離感で1学期が終わっちゃって。夏休み明けて2学期になったら誰とも喋んなくなってっていう感じでしたね。
誰かと喋ろうって一応努力は何回かしたんですか? それもできなかったですね。こいつ急に喋ったなって思われるよなとかも考えちゃうしで。周りもそんな嫌なこと言ってきたりとかはないんですけど。 でも勝手に思って。 そうですね。閉じこもって、逆に人とちょっとでも喋れたら、今日は人と喋った日だと思ってそれ数えて。1日で3回とか3個とか人と喋れたら、もう今日は本当にすごい、俺よくやったと思って、自分を誇って帰ったりとか、そんな感じでしたね。
おしゃべりだったのに、その喋れないのストレスじゃなかったんですか? 学校で誰とも喋れず、つまんないから、家帰って取り返すように漫画読んだりネット見たりとか。楽しくないまま今日が終わっちゃうから、ちょっとでも夜更かしして今日を延長して。そんな感じなんで寝坊して学校もちょっと遅刻して、朝のホームルームの時に教室入ってきて悪目立ちして。遅刻してんのに誰とも仲良くないから誰もいじってこない。「邪魔」って席ついて、先生が出席簿にチェックだけつけて。[笑い]
そういう風になってるのって、中学とか小学校の友達からすると意外な感じなんですか? と思いますね。中学から一緒に上がって同じ高校入った子とかは、僕が勝手に閉じこもっちゃってるんで、向こうからおはようとか言ってくれるけど、別に挨拶ぐらいの会話しかしなくなって。みんなちょっと、あれ、土岡どうしちゃったんだろうっていう雰囲気はちょっとあったかなって気はしますね。
友達と全く喋んない時、ネットとかに何か書いてたりするんですか? いや、全然何にも書かず。そうなんですよね。僕そんなに、ニコニコ動画とかも世代としては一緒なんですけど、そっちも見てないし、別に2ちゃんに書き込みとかブログみたいなこともないしで。引きこもってネットを見てたはずなんですけど、何をやってたんだろうと思って、今思うと。1人で読んで、別に漫画の公式サイトとかを見てるぐらいの感じで。友達いないのに、ネットに逃げる逃げ方も知らず。何やってたんだろう。
その宇都宮っていう、私立なんですか? 公立なんですか? あ、公立ですね。県立の、栃木県で1番偏差値高いんですよ。男子校なんですけど。 男子校なんすか? そうですね。 公立で男子校なんですか? はい。中学は男子とは割とみんな仲良くて、女子はちょっとやっぱ緊張しちゃって喋れなかったけど、高校が男子校になるから、じゃあもう全員と仲良くなれんじゃんって思って入ったら、誰とも仲良くならず。1番偏差値高い高校だから、もうガリ勉の子たちばっかりが来るって思い込んでて、自分はそこまでガリ勉ってわけでもないから、別に人並に漫画読んだりテレビ見たりとかもしてるから、多分高校行ったら自分がイケてる方だろうなって思い込んでて。いざ入ったら、みんな勉強も各学校でトップにできる子たちな上に、全然はしゃいで下ネタ言って友達とカラオケ行ってとかをできる子たちだったから、そこでびっくりしちゃって。勉強できるやつって真面目で、全然俗なもの見てないんじゃないのかよと思って。 そう思ってたんですか?[笑い] そうですね。[笑い] 自分が全然引っ張る側、クラスのイケてる側になって、みんなをトーク回したりとか、流行りのもの教えたりとかするんだって思い込んでましたね。入るまで。
ああ、びっくりした。そのギャップでちょっと喋れなくなっちゃったんですね。 そうですね。 高校までめっちゃ自分に自信があったんですね。 ああ、そうですね。ど真ん中と思ってたんで、自分を。不良でもないし、そこまでオタクでもないしと思って、それなりに勉強ができて、別にスポーツで部活で活躍とかはしてないけど、マラソン大会で下の方に行くわけでもないしで。本当に何でもそつなくやってるって思い込んでたんですけど。しかも真面目であることが正しいと思ってたんで。
小学校の時も、小学生になったんだから大人だみたいに思って、みんなのことをさん付けで呼んでて、最初。 え、さん付けで? さん付けでみんな。 同級生を? 同級生を、クラスメイトを。全部敬語ではないんですけど、名前に関しては全部なんとかさんて言って、「それだめだよ」とか「なんとかさん、それ先生に怒られちゃうよ」みたいなこととかを言ってて。それを1年生の1学期の通知表にも先生に書かれて、すごい哲郎君が丁寧な子で、誰にでもさん付けで呼びますみたいなのを、すごい褒めることとして書いてあったから、ああ、やっぱいいんだと思って、真面目であることが正しいと思って。 手応え感じ、真面目であることは正義だと。 圧倒的に思って。
逆転できそうな瞬間で、ちょっと今これチャンス掴みかけたかもみたいな。 うわあ、いや、なかったですね。合唱コンクールとか文化祭とかがあると、みんなで放課後残って集まってとかにもなるから、そこは全然暇だから参加して。もちろん会話は出るんですよ。事務的な会話ですけど、「ガムテープまだこっち余ってるよ」とかそういう会話はしてて、残って作業してるからなんとなく連帯感みたいなのは生まれたりとか、合唱も同じパートの子で連帯感あったりはするんですけど、行事が終わるとリセットされるんですよね。どうなの、こっちがリセットしちゃってたのか。例えば放課後残って作業して帰る時に「お疲れ」って声かけてくれて、「あ、お疲れ、じゃあまた明日」みたいなこととか言ってたんですけど、いざ文化祭本番が終わったらそれはもうなくなって、みんな別に仲いい同士で一緒に帰るから、お疲れって声かけられることもなくなるし。1年生の文化祭とか合唱コンクールとか一通り行事終わった時に、ああ、行事のためにリセットされるんだ、じゃあもうやっぱこのまま日頃は人と喋らずに3年生まで過ごすんだって思いましたね。[笑い]
部活とかもやってないですか、じゃあ。 部活も入らず。中学一緒だった友達にラグビー誘われて、見学と最初の練習だけ参加して、もうヘトヘトになって疲れちゃって、もうダメだと思って。運動部は自分ついていけないから入らないようにしようと思って入んなかったんですけど、自分の中で、練習がきついから、体力ないから入らなかったって思うのがちょっと、そんな情けない理由で入んないのが罪悪感があって。友達誘ってくれたのに断っちゃうから。だから自分の中で妄想をして。まず先輩にトントンって肩叩かれたんですよ、練習の時、実際に。トントンって肩叩かれて、はいって振り返ったら「名前」って言われて。ジャージにまだ入学したてで名前書いてなかったんで、名前書いといてってことを先輩に言われたんですね、どう呼んでいいかわかんないからって。でもこの「名前」っていうのを「7万円」と聞き間違えたことにしようと思って。先輩に急にトントンってされて「7万円」って言われて、カツアゲされそうになって怖くて部活に入らなかったっていう風に思い込もうと思って、自分の中で言い聞かせて。「あれ名前って言ってたんですね。7万円に聞こえた。7万円に聞こえちゃった、あれ。だから怖かった。カツアゲだと思った。怖かった」って自分の中で言い聞かせて。
もちろんそんな言いふらしたりはしないですけど、実際にはカツアゲされてないから、先輩に迷惑かかるからそんなことはしないですけど、自分の中で「7万円って言われたからカツアゲだと思っちゃったんだよね、俺。それでまだ名前って本当は言ってたってことに気づいてないんだよね、俺」って言い聞かせて。「ごめん、ちょっとラグビー部、事情があって入れないや」って友達には言って、部活入らず。部活入んなかったせいもあって、どんどん輪に入れず閉じこもっていってなっちゃいましたね。
そういう高校生は、じゃあ学校終わったら、まっすぐ家に帰るんですか? まっすぐ家に帰りました。 即家帰って。 そうそう。パソコン開いてネット見て、別にコメントはせず。 公式ホームページ。 公式ホームページで、あ、これアニメ化するんだとか、まだアニメの情報増えてないなで、次の日も見て、まだ更新されてないなみたいなことずっとやってるだけでしたね。本当に息苦しかったから、学校が。もう帰ってきてやっと呼吸ができるみたいな感じで、とにかく先にもう遊ぶ時間でしたね。
その時ってお笑いはもう好きなんですか? そうですね。お笑いはなんとなく小学校ぐらいから好きで、高校の時も友達いないけど、ずっとM-1の予選今日誰が受かったみたいなのは見てましたね、サイトで。それこそYouTubeとかも、吉本の配信みたいなのをYouTubeでやってんのをなんとなくちらっと見てとかしてましたね。
その時、別に芸人になるとは思ってないですか? 思ってなかったんですけど、でも1回だけ母親に言った気しますね。急に思いつきで言ってるみたいなテンションで、「よし決めた、芸人なろう」みたいなことは1回言いましたね、母親に。別にそっから何もなかったですけど。言って、母親がその次の日ぐらいの夜、父親も帰ってきてる時に、母親も冗談として「芸人になるんでしょ? 昨日急に言ってたけど」みたいなら、父親が「いや、だめだよそんなの」みたいな。「芸人、そんなそんな」みたいなので。父親はもちろん真面目に生きていくというか、いい仕事ついてくれっていう感じだったんで。
別に医者になってくれとまでは思わないけど、普通に働いて欲しいなみたいな感じ、お父さんはね。 そうですね。やっぱ医者になって欲しかったのかなとは思いますね。父親だけじゃなくてめっちゃ医者家系だったんで。父親も医者家系だし、母親も、母親自身は医者じゃないですけど、割と母方のおじいちゃん医者だったりとか。めっちゃ医者家系続いたところで、僕で途絶えたので。僕が高校で理系文系選ぶ時に文系になったんですけど、そこでめっちゃ父親がちょっと悲しそうというか。本当は理系行ってほしいんだろうなっていう感じはすごく感じましたね、その時。
大学初日とかって、高校喋れてないじゃないですか。そうならないぞみたいな気持ちはあったんです? あったんですけど、でも無理でしたね。僕文学部で、クラス30人中5人とかが男だったんですけど、僕含め。最初、教科書販売みたいな日ね。大学入りたての日はちりぢりで、カリキュラム見たら最初の1週間はあんまり授業そんな進まないと。ガイダンスで、この授業はこういうこと勉強しますの説明ぐらいがあって、そんなに授業本格的に進まないって感じに書いてあったんで、じゃあ最初の1週間あんま行かなくていいやと思って結構サボってて授業行かなかったんですけど、2週目で本格的に授業始まるって時に授業行ったら、もう僕以外の男子4人が2・2で座るように固まっちゃってて。1週目のうちに仲良くなっちゃって、僕入れず。[咳払い] その2・2の後ろに座ったりとか、でもそこも席空いてなかったら1人だけ離れたところ、女子ばっかりのところに埋もれて座ったりとかで、しくじっちゃって、結局喋れずでしたね。
別に向こうはグループワークの時とか一緒に入れてくれたりとか声かけてくれるんですけど、自分ってもうあぶれ者なんだ、高校もダメだったし大学もこれじゃ、もうイケてないんだ自分はって思ってなって、あんまり喋れず。僕があまりに喋んない、グループワークとかでも最低限のことしか喋らずに、その後みんなでご飯とか行く流れになり始めてたらすぐ帰っちゃうとかを繰り返してたから、2年生ぐらいの時に「え、ごめん、単刀直入に聞くけど、あんま俺らとかかわりたくない?」って聞かれちゃって。「いや、ごめん、本当にそんなことはなくて、本当にどうしていいのかがわかんないんだ、人と」。 話はして。 そうですね。ただ、僕が部活では楽しくはしゃいでるというか、落語もやるし、部のみんなでご飯行ってワイワイしてるみたいなのも人に伝わってたらしくて、「落研だとすごい暴れたりしてるみたいに聞くんだけど」って言われて。僕が多分本当は全然はっちゃけたりもするのに、こいつらつまんねえやと思ってはしゃいでないって思われてて。いろいろそんなうまくいってない偶然が重なってましたね。
自分から遠ざかるようなことをしちゃってるんですね。 そうですね。多分向こうは全然手差し伸べてくれてたんでしょうけど。とにかく要は高校3年間、ここ卒業しちゃえば終わりだから、最初スタートでしくじって全然輪に入れなかった、もうしょうがない、ここは終わり、1回この人生はもう捨て人生みたいな気持ちで終わって。高校卒業して大学になって、よしこっからって思ったら、また学部で友達と喋れなかった、友達できなかったけど、これもまあ4年経ったら合わない人たち、この環境から出るわけだから、もうしょうがない、これはもう終わり、こっから頑張るのは無理と思って、挽回とかはせず、しようともせずでしたね。 最初失敗するともう年単位で捨てちゃうんですね。 ですね。人の輪とかに関してはそうですね。
落研はなんで入れたんですか? お笑いしか趣味がなかったからかもしんないですけど、共通の趣味の範疇を超えてると思ってて、お笑い好きって。野球とか好きでこの話できるねとかの範疇じゃなくて、お笑い好きって1個、喋り方、喋る内容がこんぐらい砕けてていいよねとか、建前の部分とっ払っちゃっていいよねとか、別に一緒にはしゃげればそんなのない話でいいよねみたいな感じとかの、人間関係の結び方の1個の約束みたいな感じがしてて、お笑い好きに対して。だからそこの安心感があって居られたし、自分もさすがにここだけは手放さないようにみたいな気持ちがあって、あんまり喋れてなくても顔は出し続けて。頑張って、語りになっちゃうけどいっぱい喋ってとかはしてましたね。
小中とか高校とかにも、お笑い好き仲間の友達はいなかった? はい。いたんですけど、要はイケてる、イケてないみたいな属性ができる前ぐらいから同じメンツで遊んでて、小学校から。中学校でみんながイケてる趣味と、お笑いとかちょっと陰キャ側の趣味とかに分かれてくけど、別にそれまでに普通に趣味とか性格の分岐ができる前にもう仲良くなってたから、そのまま行けたんですけど。高校で、別にお笑い好きの子がお笑い番組の話してるのとかも、自分は入れずに聞いてましたね、高校になると。
高校にもお笑い好き、それ当たり前のように男子なんて数いたけど、そこはちょっと馴染めなかったんですか。 そうですね。輪に入れず、ずっと。芸人の話とか「M-1昨日面白かったな」みたいなこととか言ってても、ずっと下向いて寝たふりして、いや俺だってそれ見てるしとか思いながら。 それ面白かったよって混ざったらね、盛り上がってそうな気するけど、そこができなかったんすね、多分。 そうっすね。何が好きかっていうことを出すのも恥ずかしいというか。全部が他人の目なんですかね。めっちゃ気にしてましたね。 結構自分の自意識に苦しめられてるみたいな感じでもあるんですかね。 そうですね。だったと思います。本当自意識だったと思います、全部。
青学って1、2年生は? あ、でした。僕が通ってる頃は相模原の、神奈川県の淵野辺っていう町でした。1、2年生まで通いましたそこ。 え、それってその落研はどこで活動してるんですか? 落研も一応淵野辺にも部室があって、渋谷の方のキャンパスもあって、メインの落語会やるとかは渋谷で土日やるんですけど、普段部室で落語の練習したり、ただダベったりとかは淵野辺でも1、2年生でやってましたね。 淵野辺の平日には基本1、2年しかいないんですか? そうですね。 それもなんか居心地的には良さそうですね。 そうですね。3、4年生って1年生から見たら大人に見えるじゃないですか、だいぶ大学生。そこがなく、もちろんそっちの先輩たちと会う日も楽しいけど、普段は1個上の先輩たちとだけで、ちょっと子供の秘密基地的な感覚もあって、そこで楽しくやってましたね。
で、その落語で、だって最終的に総長まで登り詰めるぐらい活躍するってことじゃないですか? はい。 それってめっちゃ練習したってことですか? わあ、いや、でもそんな、みんなと別に同じぐらいだと思うんですけど。1年生の6月の終わりに、1年生のデビューのための落語会みたいなのをやるんですけど、青学だと。1ヶ月前ぐらいに練習で先輩に、とりあえず落語覚えてきましたって言って見せたら、「え、お前めっちゃうまくない?」みたいな感じで言われて、「じゃあ今度のやつ」みたいな、1年生の中で言われて。本番6月の落語会やったら、初めて人前でそんなお笑いのネタみたいなことやったけど結構受けて。そっから1年生のエースだねみたいな空気になってって。人生としても初めて部活でスタメンになれたんで、めっちゃ嬉しくて落語にはどんどんはまっていって。お笑い好きな鬱憤が溜まってた分なのか、最初からやりやすくはありましたね。
落語って能力とか関係ないってことね、それで言うと。 そうですね。 確かに1人とか関係なさそうだけど。 授業とか恋愛とかバイトとかの人間関係は別にクソくらえで、ここで今座布団に座って喋ってるこの15分間が本物の時間なんだって思い込んでるやつは、どういうタイプにせよ楽しく落語うまくいっちゃう気はしますね。 確かにそのモチベーションで学生落語やってる人、かなり少なそうですもんね。[笑い] 確かにみんなもっと楽しくやれてたのかな。
大会みたいなの前だと、シビアな感じになってるんですか? ピリピリしてるというか。 ああ、まあそうですね。ただやっぱ個人個人のことではあるんで、落語だから、そんなに人からピリピリと詰められたりとかはしないですけど、みんな各自で、お互い見せ合ってアドバイスし合ってとかは、士気が上がる感じでしたかね。
おじいさんの役とか女性の役とか、子供の役とか、もうしなきゃいけないじゃないですか。演じるみたいなことだってしてないわけですもんね、それまで別に。 ああ、そうですね。学生の部活のレベルだからなんでしょうけど、そんなに演じるっていうところができてなくても受けちゃうというか。ちゃんと古典芸能としての落語がうまい子もいるんですけど、僕とかはお笑い好きだったのもあったから自分でボケとか考えてみたくて、古典落語の中に自分のボケ入れて、それすると別に下手でも受けるというか。演技としては下手でも、正解がないから。「いや、ここって師匠みたいにああやって演じるべきでしょう」みたいな正解がないんで、自分のボケ言ってる分には。だから演技とかは全然うまくなんなかった気しますね、僕は。
だからそのアレンジのセンスみたいなのが評価されてたんですね。 自分の中で、あんまり現代風にしましたとかにならないようにはしたくて、あくまで古典落語の雰囲気、江戸時代のまんまで、人のものの見方だけがちょっとオリジナルみたいな感じにしたかったんで。プロの落語だとあんまり許されないかもしんないけど、学生落語だからできることやろうと思って夢中でやってましたね。でもその時も芸人になるつもりがなかったから、学生落語で燃え尽きようと思ってやってたって感じですね。
そうか、じゃあそれもう限りある、落語家というか芸人人生だと思って、その4年間打ち込んでるんですね。 はい、そうですね。だから打ち込めたって感じですね。
落語ってニッチだけど、でも別に全国から集まっちゃえば結構な人数じゃないですか? そうですね。何百人とエントリーして大会やってます。 学生落語のトップみたいになってるわけですよね、全国的にって言ったら。 ああ、まあそうですね。近い代に限ってですけど。 自信になって性格変わってったりとか、生活変わってたりしましたか? うわあ、でもどんどん尖っていった気はしますね。最初はもっとすごくいい子だったというか、人付き合いができてなかったところにやっと落研っていう居場所ができたから、「はいはい」みたいな感じで先輩と接してたのが、自分が落語で手応え感じるようになってから、先輩が就活で落研離れたりとかしてくと、「いや、ダメでしょ。落研なんだから落語やらなきゃダメでしょ」みたいな感じになっていったりして、ネタもみんな「個性出せよもっと」みたいな感じになって、どんどん落語に対して尖っていった感じでしたね。
動画で、婚前交渉は、彼女できてもしないぞみたいな宣言してたとか。 はい。 それって別にキリスト教の教えを守ってますとかそういうことでもない? はい。でもなく、これも結局イケてなかった反動で。要は高校生の時に全然イケてないと、クラスメイトは、男子校だけどイケてるやつはもうよその子と付き合ってたりとかする、彼女もいるらしいみたいなのもあって、自分の中でどんどん鬱屈としてって。大学入った時に周りのチャラチャラした青学生を見て、いや、俺は真面目なんだと。真面目だから童貞なんだと。チャラチャラして遊んでる奴らとは違くて、俺はもうまだ見ぬ人に一途だから、だから童貞なだけで、モテないとかじゃない、真面目なの、これは素晴らしいことなのっていう、自分を正当化するために、もう婚前交渉しないっていうのをもう先に宣言して。
はい。もう大学入ってぐらいですね。落研の先輩たちに「彼女とかいんの」とか「経験あんの」みたいに言われた時に、「あ、僕彼女いたことないですけど、婚前交渉しないって決めてるんで」って言って。 あ、もうその時点でその言葉が出てるんですね。 あ、そうですね。それを自分の正しさとして生きてましたね。
全国2位とかだと、それにかぶれた後輩出てくるんですか? ああ、婚前交渉しないことが? そう。それも含めてこの人はちょっと落語的にカリスマなんだ、俺も真似しようみたいな。 わあ、いや、でも真似しようとかじゃなく、何もしなくても落研って童貞が多くて。落研の同期の男子4人、卒業するまで全員童貞でしたし、あと後輩もそうですね、6人ぐらい童貞でしたね、そのまま大学卒業してったし。別に僕の真似してとかじゃなくて、落研はもうほっといたら童貞になりますね。 あ、そうか。別にいちいち宣言しなくても婚前交渉しない人がほとんど。 あ、そうですね。そうです。別にみんなが言ってないだけ。[笑い]
え、で、彼女とかできたんですか? 大学の時。 そうすね。1回大学の時彼女できたけど、別になかった。しなかったですね。交渉せず。で、別に自然と別れて。 普通に、変な自意識がステイしたままだけど、ちょっと楽しそうな学生生活になってますね。 はい。ああ、でもそうっすね。楽しかったですね。みんなで誰かんち集まったり部室でダベったりして。落語が多分ちょうどいい。これがスポーツとかチームでやるものだと、お互い責任とか生まれちゃったり、お前やれよってなるんでしょうけど、各自のことだから。みんな楽しく喋ってるけど、落語の時は各自で頑張ってるよねっていう、同じ目標がある仲間だけど各自のことだからっていうので、そんな責任は生じないし、相手のことでピリッとすることもないしで、だからめっちゃやりやすかったのかもしれないですね。
そんな感じだったら、ピン芸人とか本当はなってそうですよね。 ああ、そうですね。芸人なるってなった時に、なんでしょうね、1人じゃ売れないなっていうのは思って。ぐんぴぃが、大学時代1番笑った人でもあるし、僕が1番笑ったのってぐんぴぃに笑った回数が圧倒的に多いよなっていうのもあったし、あと本当に真逆だなと思って。自分に持ってないもの、言ったらまず見た目でインパクトあって、パワーがあって、人の目引きつけるとかもそうだし、みんなが話しかけやすいとかもそうだし、あとフィジカルの面白さがあるとかもそうだし。真逆だから、自分が持ってない部分があるから、ちゃんとお笑い芸人って考えると絶対こういう人がいないと無理だよなと思って。
人付き合いとかすぐダウンするみたいな癖はあるけど、落語でもそうだし芸人でも、別にやれればいいやとかじゃなくて、ちゃんと結果出したいって気持ちがあるんですね。 ああ、まあそうですね。結局自分の望んだ形というか、そもそも憧れた人たちみたいになりたいっていうのは思っちゃいますね。自分が好きだったのは、まずネタで評価されて、それこそM-1とかキングオブコントの決勝で活躍して、テレビでもいわゆる王道のところ、バラエティ番組って感じのところで活躍しててみたいな人に憧れて見てきたから、そういう憧れは捨てきれず、どうしてもそういうことをちゃんと自分も達成したいっていうのは思っちゃいますね、ずっと。
自分が決めたことに関しては結構ストイックなタイプなんですか? だって2位とかってならなくないですか? はい。どうなんですかね。ただ、芸人になる前にニートの期間挟んじゃってるから、体力がないというか、気持ちに体力ついてってないなみたいな。逆に気持ちがついてってないですかね。今こう仕事いっぱいさせてもらって、そこはなんとか体調崩さずにやれるようになってったけど、気持ちの、やる気というかスタミナがもうニートの時にめっちゃ低くなっちゃってるから。それでもニートである現状を変えなきゃで芸人になったけど、そっからのスタミナがめっちゃ足りないなって思いますね。 そうか。気持ちのスタミナがないんですね。 はい。そうすね。
え、じゃあ落語もその4年でバシって終わってるから、そのスタミナ持ったけどなって感じなんですか? はい。わ、ありますね。就活がうまくいかなかったんで、留年しようと思ってたんですけど、その時も留年して落語やってる先輩いっぱいいたんですけど、あ、無理無理無理と思って。留年したらもう部活には一切参加せずだな。もうこれ大学生延長したとして
も4年しかできないわね。友達関係リセットしたらもうこのやつ捨てようとか。
ああ、はい。
もうそもそも留年するじゃなかったけど、留年しては落語はやんないとか。自分が決めたらもう、それの、そうとしかならないんですね。
そうですね。確かにそこのリセマラ的な感じというか、もう次を待とうみたいになっちゃうんですかね、そこの。
ああ、ニートってなんでニートなっちゃうまででしたっけ?
もう就活が全くうまくいかなくて。
どこら辺を受けてたんですか?
でもあの有名企業ばっかりなんですけど、もうテレビ局とか映画会社の割ともう大手ばっかりだったり、ただでさえ人気がある業界の有名企業ばっかり受けて、でもそれも絶対自分ってエリート会社員になるんだろうなって思って疑わなかったんで、なんか余裕でいたんです。
その大学入ってからチャラチャラして遊んでるやつと比べた時に、恋もしてないで真面目に生きてきたから、そりゃ会社は真面目な人欲しがるはずだよって思って、そんなチャラチャラしたやつよりって思ってたら、ただ別に自分を正当化してる童貞でしかなかったから、そんなやつよりは別にね、コミュ力高いやつの方が欲しいから。そうですね。自分は全然就活うまくいかず、学校見渡してると、みんなチャラチャラしたやつらが就職決まったとかいう話をしてるのが聞こえてくるっていう状況で。
そうすね。就職も大手のところばっかり受けて、大手のところ落ちたらもうそれもそこでやめちゃいましたね。なんかまた、もうこれ無理だから、もう本当失礼な話、知らない会社とかには入りたくないから、これはじゃあ留年してもう1回就活やり直そうと思って、もうそこもじゃ今回は終わりと思って、もう夏ぐらいでやめちゃって。
へえ。
そうですね。もう今回の就活はここまでって思って。そうですね。リセットしちゃいましたね、それも。
はあ。1番いいとこまで行けた大きな企業とかあるんですか?
書類は大体通るんですけど、その字は綺麗に書いてたんで。書類は通って、一次面接でそのスーツ着た後全然喋れなくて、もうしどろもどろになっちゃうし、で一次で落ちるのが大概で。そうですね。最初行ったとこもあったんですけど、なんかヘラヘラしてたら落ちましたね。
なんかあの、最終面接の1個前の面接で、なんかそこもテンパっちゃって、もうそろそろ3次面接ぐらいで、なんかいいとこまで来てる大事なとこだとか思ってたら緊張しすぎてあんまうまく喋れなくて、で面接官の人にも「何君、どうしたどうした」みたいな言われて、僕が「すいません」みたいに笑ってたら、「その笑顔いいじゃない。全然いい、そんな今のよくわかんない話よりも全然、そのはにかんだ顔の方が良かったよ」みたいなこと言われて、で、最終面接に呼ばれたんで、じゃこれはうまく話すよりもヘラヘラしてる方がいいんだと思って、最終面接何も準備せずに行って。
「うちの会社で入ってやりたいことって何ですか」って言って、「ごめんなさい。あんまりそうですね、やりたいこと、まだ分かってないですけど、へへへ」みたいなやってたら普通に落ちて。ダメじゃんと思って。なんかM-1とかでよくある、準決勝でめっちゃウケたけど決勝で空気違ってウケないみたいなのを、行った人に聞くんですけど、それがまさに自分にも起きてね、決勝だとウケなかったですね。最終面接、起死回生のはにかみ鉄板のやつだと思ったら、そっからはダメでしたね。就活全然。
自我強いじゃないですか。
はい。
で、ちょっとプライドも高そうじゃないですか、自分はっていう。
そうですね。
そのニートになるのは、そのプライドが許したんですか?
ああ、そうすね。いや、めちゃめちゃポッキリ折られましたね。うわ、明日からニートだっていう状態で大学卒業しちゃって、もう本当に最初塞ぎ込んで起きられなかったですね。寝て起きて、あ、もうみんな同級生たち今日から社会人なんだって思って、俺だけなんだ、何にも進んでないのって思ったら、もう起きてらんなくて。
なんか脳が多分それを拒否して、もう無理だから寝なさいってなってから寝て。そうですね。だから1日15、6時間寝てるような日々が始まって、途中でもうどうでも良くなって、もういいや、もうアニメいっぱい見ようとかなって、でもうニートを満喫する方に振って、現実は見ずになっていったんですけど。
芸人になろうっていうのも、ニートになってちょっと経って湧き出てきて芸人になろうってなったんですけど、多分それも普通の会社員とかで復帰しちゃうと、ニートが社会入ろうとしたら1番下から入ることになるから、じゃあもう一般社会じゃないとこに行こうって思ったんだと思います、多分。芸人選んだのも。
ニートに割り切れるまでにどれぐらいの期間かかってるんですか?
2、3ヶ月とかですかね。
はあ。
なんか2、3ヶ月ぐらいしたらもう麻痺してきて、朝起きた一瞬は「うわ、俺働いてないんだ、俺だけ」みたいになるんですけど、その夢から現実見た瞬間は。で、それがスーって引いて、「いやいや別にいいよ。だって昨日も一昨日もずっとそうじゃん」と思って。「いやいや、アニメ見よう。アニメ見よう」みたいになって、本当に起きた一瞬しかパニくらないようになっていきましたね、脳が。
はあ。もうそういうアプリみたいなのが頭に入って、覚ますってことですか?そのパニック冷ましてくれる?
そうですね。ニートであることを何とも思わないソフトが、ちゃんとセキュリティソフトが入って。だから起きた時に一瞬だけやばいやばいやばいって焦るんですけど、それはもうそのパソコン起動してからそのソフトが立ち上がるまでのラグみたいなもんで、もうそのソフトがちゃんと立ち上がっちゃえば、もう寝るまで別にニートであること屁っちゃらで。今日もじゃあアニメ見て、でじゃあ最新の映画も、その公開日に全然見に行けるし、何にも予定がないからとかで、もう満喫できてましたね。
社会人にはできない。社会に戻ったら1番下に行っちゃうぞっていう気持ちは残った状態でアニメですか?
はい。このまま年取ったらどんどん取り返しつかなくなるのは分かってるけど、バイト始めんのも怖いし、アニメ見出しちゃったら楽しいから、時間なくなっちゃうのもやだしとか思ってたら、全然踏み出せず堂々巡りしてましたね。ずっと社会人に収まんない方が何かできそうだよっていう気持ちと、このままでどうすんだよ俺っていう気持ちと、普通に楽しい日々がアニメ見てればそのまま過ぎてくわっていう気持ちで、ぐるぐるぐるぐるしてましたね。
へえ。ぐんぴぃさんに芸人になりませんかって声かけるのは、ニート始めてどれぐらいになるの?
早かったと思いますね。ニート始めて多分2ヶ月とかそこらで、もう一瞬、本当その日のテンションですけど、吹っ切れた日があって、もういいやと思って。どうせ今更就職するのも怖いし、芸人なんて大それた道に行くのも怖いと思ってたけど、もう自分にとってはどっちも大それたことになっちゃったから、じゃあお笑い好きだし、落研で落語楽しかったし、もう芸人なろうってなった日があって、その時にぐんぴぃに電話して。ぐんぴぃは当時もう会社勤め始めた時だったけど、電話して「ちょっとお笑いやりません?一緒に」っていう話して、でぐんぴぃも「やろう」って言ってくれましたね、そこですぐに。
へえ。
社会人なりたてだったけど、もちろんすぐにとはいかないけど、会社もそんなスパッと別にやめれるわけじゃないし、すぐにとはいかないけど、やろうっていうの言ってくれて。その後に僕が、ぐんぴぃとの電話切った後に母親に電話して、「ちょっと芸人になる」って言って。許されるだろうと思ってて、ニートになっちゃった息子が芸人になるんだったらニートよりマシって思ってくれると思ったら、「え、じゃちょっと、お父さん帰ってきたら言うけど」みたいになって。
で、やっぱり夜また母親からかかってきて、「いや、やっぱお父さん言ったけど、やっぱそんなんじゃなくて、仕事をちゃんとついて欲しいって。だからやっぱダメだよ、芸人なんて」っていうの言われて。まあ当たり前じゃないですか、親が反対するのなんて。でも僕そこで心折れちゃって、親に反対されちゃったと思って、また次の日ぐらいにぐんぴぃに「ちょっと親に反対されて、どうしていいかわかんないんで、一旦ちょっと全部中ぶらりんで」みたいな感じで、もう1回全部なしになって。で、そのまま僕はニート続けて、親へのハンガーストライキみたいな気持ちで、「そっちが芸人反対したから俺は何もせずニートのままでいるんだぞ」みたいな気持ちで、親の金でずっと三軒茶屋に住み続けてニートを繰り返してましたね。3年間。
家賃は?
家賃9万ですね。
だから結構やっぱお医者さんだから体力あるから、それいけるんですね。3年間9万払い続けるっていう。3年ハンガーストライキしてくと、やっぱもう芸人でも何でもいいからやってよって感じになってます?
えっと、最初親に言わずにやり始めて。芸人って言っても最初本当に自分たちでお金払ってエントリーして出るライブに出るみたいなのをぐんぴぃとやり始めて、事務所のオーディション受けたら、とりあえずオーディション受かってライブには出れるってなって、そこの事務所にしばらく出入りして、所属芸人とかではないけどライブ出てみたいなのを勝手に始めて、親には何も言ってなくて。
2年ぐらい経ってから言いましたね、親には。ドキュメントの密着をされて、これもう大学の時の別の大学の落研の友達がテレビマンになってて、「芸人やってるんだったら、若手芸人の奮闘記みたいなやつで密着したいんだけど」って言われて、密着されてる時に「え、親に言ってないの?じゃカメラついてくけど、親に言うっていうの撮らせて」って言われて、もうこっちもこのチャンスなきゃ言わないかと思って、芸人始めてから2年経ってから実家帰って、そこで初めて言いますね。「実は今ライブに出たりしてお笑い芸人の活動をちょっとやってます。芸人っていうのをやっていきたくて」っていう話をしたら、親ももうちょっと分かってて、それ言ってくんのかなっていうのちょっと思ってたみたいな感じで、「やりたいことを見つけたんだったら、自分で選んだんだったら、それやりなさい」みたいな感じで言ってくれて。そうですね。美談みたいになってるけど、本当にまんまとハンガーストライキが通ったっていう。
お父さんも同じくって感じなんですか?お母さんと。
自分のやりたいことではあるけど、お仕事になっていくんだろうから、そこをちゃんと人の役に立つように、自分で選んだんだっていうことも考えてやっていきなさいねっていう感じでしたね。
母親がその後言ってたのが、ドキュメントのカメラがずっとついてたんで、僕じゃなくて母親にカメラが行って、「芸人やっていきたいって話でしたけどどうでした」みたいなことを母親にインタビューしてるのを僕ちょっと遠巻きに聞いてたんですけど、そしたらその時に母親が「彼の人生なんで」って。「いくら親で子供ではありますけど、もう別の人間で、それは彼の人生なので、人生で自分のやりたいことっていうのはやるべきだと思ってて、もちろん心配はありますけど、そこで人生のやりたいことを止めるっていうのは違うと思うし、私も自分のやりたいことあったら止められたくないし。だから、不安はあるんだけど、やりたくなったんだったらそれを選ぶのは、私はそっちを行かせたいです」っていうことを言ってて。
初めて母親が自分を「彼」っていう三人称で呼んでるのを聞いて、ちょっとびっくりもしたけど、そんな風に思ってくれてるんだと思って。親に芸人になるって言わずにダラダラ始めちゃったけど、そこは申し訳なかったけど、よかった今言えてって。でちゃんと自分で誇れるように、親に胸張れるようにやろうっていうのは思いましたね、そこで。ドキュメントついてくれて良かったです。
ついてなかったら言わなくてズルズルみたいな可能性もあった。
だと思いますね、多分。
その時でもタイタンさんに所属してるんですか?
いや、まだタイタン入ってなくて、タイタンの学校に通う直前ぐらいでしたかね。
へえ、それなんでタイタンだったんですか?
ぐんぴぃが爆笑問題さんめっちゃ好きで、学生の頃からとかもあったんですけど、タイタンってちょっと特殊な雰囲気の事務所だよねみたいな。お笑いだけじゃなく、爆笑さんも社会派みたいな面もあるし、そういうのがあるのもかっこいいよねみたいなのもあったんですけど、でも1番は現実でしたね。
お笑い始めた時点で僕25、ぐんぴぃ27だったんですけど、それがもう2年間やってどこの事務所も入れず、27と29になってるっていう状態で。事務所のオーディションが、各事務所によって違うんですけど、25歳までだったりとか、30まで入れるってところに29とかで行ってもだいぶおじさん扱いで、そっから雇ってもらえるのかとかってちょっとやばいよね、場の中でおじさん扱いになってあんまりちゃんと見てもらえないかもねとかもある中で、タイタンの養成所ができたって言って、年齢制限ありって書いてあったんですけど、見たら65歳って書いてあったんで、これもう無制限じゃ、ほぼ無制限、あってないような。これだったら別におじさん扱いされないかもしんないと思って行ってみたら本当に全然、29のぐんぴぃがもう全然真ん中扱い、若い方のグループになるっていう感じだったんで、ここだったらおじさん扱いされずに、ちゃんと自分らのネタで勝負とかできるかもっていうので行ったら、本当にそうでしたね、タイタンは。
吉本とかもそんな年齢制限なさそうですけど、吉本っていうキャラじゃなさそうすもん、2人ともね。
そうですね。吉本の体育会系っぽいところもあるし、吉本の年功序列が割とパキッとしてるのとかも無理だし、あと人がいるとこで前出て「見てください、見てください」と思って。陽だもんな、どう見ても吉本行った人と思ったんで。そうですね。だから埋もれちゃうと思って行かなかったですね。
その選択がだって良かったってことですもんね。
まあ、そう思いますね。逆にタイタンだったから、それこそぐんぴぃが童貞でバズってYouTube始めてっていう、当時全然芸人がYouTubeやってない頃でしたけど、爆笑問題の幅の広さみたいなところに、タイタンっていう家柄で含めてもらえてるような気がして。事務所も別に全然それをバックアップしてくれたし、なんなら事務所主導でYouTube始めたし、それでも別に芸人を名乗れてる、YouTuberじゃなく芸人を名乗れてる感じがしたのは、そこが大きかったですかね。だってタイタンでね、幅広いことを全部芸に持っていく、結局はお笑いに持っていくところだもん、いいじゃない、自分たちだって別に何やってたってって思いましたかね。これでタイタンじゃなかったらもっとすぐ潰れてましたね、多分。
バキバキ童貞って街頭インタビューは、土岡さん初めてどこで見るんですか?
まずぐんぴぃが夜勤明けで朝方街頭インタビューを受けて、グループLINEで連絡してきて、「ABEMAのインタビュー受けたんだ」って。「童貞ですかみたいなこと聞かれて、童貞ですみたいなことカメラに言っちゃって、それテレビで流されんのかな?恥ずかしいな」みたいなことを言ってて、既読だけつけて特に何も返してなかったんですけど、で夕方ぐらいにそのニュース流れてバズって。もう夕方ニュースで流れたらその後即バズったんで、そのABEMAのニュース見てた人がぐんぴぃが「バキバキ童貞です」って言ってるところを切り抜いて、その当時Twitterにあげて、それで僕も気づいて、えってなって、めちゃめちゃバズってるってなって、またぐんぴぃにLINEして、「なんかすごいことになってるのかもしれないです」みたいな。
僕も当時童貞だったから、ぐんぴぃが「バキバキ童貞です」って言って、それがもうネットに今流れてる。別に芸人になってるとはいえ、まだ全然テレビとかも出たことないのに、うわ、晒されちゃってる、童貞の人としてと思って、もうぞっとして、これ自分だったら耐えらんないと思ったんですけど、途中から笑いが止まんなくなって。途中まではゾッとしてたんですけど、なんだこいつと思って。ダウンジャケットなのに腕まくりして、暑いんだか寒いんだかわかんないやつがカメラ目線で「はい。僕はバキバキ童貞です」って言って、ハキハキ喋って「誠に遺憾ですね」みたいな言ってんのが、なんだこれと思って。インタビュー1分ぐらいなんすけど、それ見終わってから僕30分ぐらい笑い続けて。
そうですね。本当最初の一瞬だけはね、自分も他人事じゃないと思って怖かったんですけど、別にこれが今後のネタになるとか、今後これで知られるとかは思ってないけど、今日1日だけでもめちゃめちゃ面白い出来事だったなと思ってましたね、その日は。
はあ。ラランドさんかなとのYouTubeで見た時に、普通にちゃんとネタ面白いのに相方があんな街頭インタビューでバズっちゃって、土岡さんよくそれを横で普通に見てましたねみたいなことがあって。
はい。ああ、言ってくれた。
ああいうネットミーム化してくわけじゃないですか。売れてない芸人がネットミームになるなんて結構前代未聞じゃないですか?
ああ、そうすね。
普通に予定としては、キングオブコントとか賞レースとかで活躍して有名になりたいなとか、そんな思う?
そうですね。まずネタから出ていって、ネタの人になって、その後でバラエティも呼ばれるようになってっていう、1番多数派なルートというかがかっこいいと思ってたんで、芸人にとって。全く思ってたのとは違いましたね。
でもやっぱり芸人始めて結局2年事務所に入れなかったんで、年ちょっと行っちゃってるみたいなのもあって事務所取ってもらえずだったから、芸人として、ライブでネタはウケてるけど売れるかで言ったら落ちこぼれだなっていう自認になってたんで、ネットミームでも、それをライブで話してウケるネタになるんだったら、アピールになるんだったら、人に知ってもらえるんだったら、まあいいことかって。所詮は別に他人事だから思ってましたね。晒されてるのが僕じゃないから思えてましたけど。ネタだけで素とか一切見せたくなかったけど、もうそう言ってらんないな、売れる気がしないんだしって気持ちにはなってましたね。
すでに2年間所属できてない期間があるで、結構すっと受け入れられてたんですか?
僕はそうですかね。ただやっぱり段階はありましたね。ネットミームになったのとYouTube始めるのはまた違いましたね、ちょっと。
1年ぐらい開くんですもんね。
そうですね。1年ちょい開けてYouTube始めて、その時はまたちょっとYouTubeっていうのは抵抗ありましたね。芸人がYouTubeやってる人も少ないし、やったらやったでちょっとそっち行っちゃったんだみたいな、名誉されるような時期だったし、自分も思ってたし。だからYouTube行って、もしうまくいこうもんなら芸人に戻ってこれなくなっちゃうよみたいな気持ちもあったんですけど。
でもそれ以上に、もうどうでもいいやっていう気持ちにも正直なっちゃってて。事務所にこそ入れたけど、思うようにうまくいってないし、自分もどんどん疲れてきて、ちょっと落ち込んできてるから、もう何でもいいや、もう終わるんなら終わればいいし。別にもう意思はなく、YouTubeも動き出すんだったら、もう動き出して、もうどうとでもなって終わってしまおうみたいな気持ちでしたね、YouTube始まった時は。
年齢的に別に客観的に見たら年行ってる感じしないけど、自分たち的にはちょっと背水の陣ぐらいの気持ちがあったんですか?
ですね。20代後半から始める人ちょっと遅いよっていう、事務所としてはやっぱ若い人の方が欲しいからいらないかもみたいな事務所が多いっていうのは、芸人にならないとちょっとわかんなかったですね。
どんどんバズってくじゃないですか。それってどっちですか?嬉しいのか、いや、これ以上バズっちゃうとちょっと違うかなみたいな、そんな葛藤あるんですか?どんな感じなんですか?10万、20万、50万、100万みたいなで、今200万とかなってるじゃないですか。
はい。面白いと思うことを喋って、それがそのままやれてるなっていう感じではあったんで。それまでの勝手なイメージで、YouTubeで跳ねるって全然お笑いじゃないことをやんなきゃいけないんだろうなと思ってたんですけど、自分たちとか、あと出てくれる芸人仲間も芸人じゃない人も、面白いこと楽しいことをやったら、それが別に見てもらえてるなっていう感じではあるんで、今は全然楽しいですね。それで出会えた人もいるし、それでやれた面白い仕事もいっぱいあるしで。
芸人としても食えてるって、職業に完全になってるじゃないですか。
ああ、まあそうですね。
目標的にはどんな感じのものがあるんですか?
1個分かりやすく言うと、本当にネタですね。キングオブコント優勝とか。あとそれだけじゃなくて、タイトルだけじゃなくても、とにかくネタが面白い人になるっていう部分が1番の目標ではあるんですけど、売れてないのに満たされてしまったというか、お金的には食っていけるし、見てくれてる人もいるっていう、1番芸人にとって心が満たされる部分はもらっちゃってるから、どうすんだっていう。じゃあ何か成し遂げたか、特にYouTubeに関してはもうぐんぴぃが看板も背負ってるし、中身的にもぐんぴぃが引っ張ってる状態で、何なんだ俺の芸人としての価値はみたいなのがあるんで。
まず芸人としての価値ないのに食えてしまってるし、人に知ってもらえ始めちゃってる。なんだこれは、売れてないのにっていうのがあるんで、そこに追っつかなきゃっていう感じですね。ちゃんと芸人としての、上の世代の先輩たちにも認められながら世間にも認められてってやんないと、さすがに自分が認めらんないのかなって気はしますね、自分のことを。
仮にYouTuberだったとしたら、もう別に満たされてるはずですもんね。
ああ、そうかもしんないですね、確かに。
200万登録で再生数も伴ってる。で、面白いって言ってくれてるって、満たされるはずじゃないですか?
そうですね。芸人がいっぱい周りにいてくれて、みんなもっとどんどん違うことやってる。テレビに出ていくね、ネタでM-1決勝する、優勝するとかっていうのを周りが見せてくれてるから。だからなんでしょうね。別にYouTubeが登録者200万人、多いですねってもらえるけど、別に芸人の中ではそこが別に「お前ら上がったね」とは誰も言わないんで。だからやれてるかもしれないですね。
キングオブコントの場合は、年齢のボーダーがないじゃないですか。
ああ、そうですね。制限芸歴何年でも。
だから別にいつまでにとか、そんな風に考えたりしますか?
はい。1個優勝が目標だけど、1個切実に決勝っていう目標もあって。大会のルール的には芸歴何年でも出られるけど、実際そんなこともないよなって思うんで。エントリーはできるけど、じゃ決勝行けるかとか、じゃあ決勝行ったとしても、それを持ち帰って「キングオブコントの決勝行きました」でテレビとか他の仕事をできるかって言ったら、それはある程度若いうちしかできないよなと思うんで。数年でって感じですね。
いやあ、そこはちょっと切羽詰まってもいるな。
そうですね。
だからこの後もライブに行くわけです。
はい。そうですね。今日もこの後もライブあるし。なんやかんや賞味期限ある部分もあるけど、でもじゃあお笑い芸人っていう仕事自体は別にずっとできる。年取ってから結局売れる人だっているし、売れた後にじゃ何してくかで、別に年取ってからテレビ行かずにライブ出続けてる人だっていっぱいいるしで、そこはいつまでも続けられるのはそれはそれで希望だなというのは思いますね。かっこいいっすね、やっぱずっと続けてる人たち。
どういうタイプです?ずっと芸人やってたいっていうのか、どっかで引退したいみたいな。
ああ、でもどっかで引退したいですね、僕は。そうですね。またニートに戻りたいっていうのが1個目標ですね。
あ、ニート。
そうですね。もちろん前の20代の時のニート3年間本当しんどかったけど、でも今度はもうお笑いやりきった、売れたし、いっぱいネタもできたし、たくさんの人と繋がれたっていうのを持った状態で、もう将来の不安なくもう1回ニートになりたいですね。
ああ。
いつまでも寝てアニメを見ていたいですね。
僕やったことないんで、その行動しないっていう期間が。こんなの高一ぐらいからないんで。
あ、ありますね。
確かに逆にその勇気はないですよ。1回外れちゃうっていうのは。1回何もやらないっていう期間を設けるっていうこと、やってみたいなって、それは憧れますね、ちょっと。
辛かったけど楽しかった期間ではありますね。あ、そうだ。自分でちょっと宣伝みたいになっちゃうんですけど、『内定0から始めるニート入門』っていうのを自分で書いて、就活の失敗の仕方から、ニートとして親を困らせるけど、そこに罪悪感を持たなくなるまでの方法とかを書いてあるんで。ニートはめっちゃおすすめですね。
しかも若いとこやっとくのいいすよね、だって。
ああ、そうっすね、確かに。
なんとかなるわけじゃないですか。しかも3年もやっても。
めっちゃ運もいいしですけどね。本当にぐんぴぃのすごいスタミナと才でバンって引っ張ってくれたからですけど、今食えてんのは。僕はもうみんなニートになったらいいよって思うんですけど、でもぐんぴぃには言われますね。「本当に誰でもなれるわけじゃないから」って。「土岡の場合はまず実家の太さもあるし、でそっからお笑いやって、お笑いも向いてたんだろうし、そして運も良かったんだろう。それもあって今、美談というか成功したみたいにニートの経験を言えるだけだから」って言われますね、めっちゃ。
人生で1回ぐらいやってみたいな。1ヶ月とかで。
そうですね。本当に1ヶ月でいいですよ。僕3年間やりましたけど、別に1ヶ月の繰り返しなんで、何も変わりはしないんです。
景色は何にも変わんないで、別に家にいるだけだから季節感もあんまないっすもんね。
そうですね。でも本来人間って多分こうだったんだろうなっていう気はしますね。労働とかができる前、食べるため寝るため以外のことに力は多分使ってなかったでしょうから。本来はこっちなんだよなって思いながら、今はもう過ごしてますね。
そっか。本来の人間だっただけだと思うと、だいぶ救われますね、確かに。
はい。そうですね。会社ってものが生まれる前は会社員なんていなかったんですから。
それはそうです。別に会社員になれなかったって言って落ち込む必要ないすね、ニートの人も。這い上がれるニートの方が、普通に生きてる人よりちょっと強いかもしれないですね。
はい。ああ、なのかな。人より下のところから、ちょっと外に出ただけなんでね。芸人になるっていうハードルが全然低かったとは思いますけど。親からそれこそニートなりたての時とか、すごい電話かかってきて「何してんの今」って、「ちゃんと仕事とか探して」みたいな言われてたのが、もうニートの後半になってくると「何やってんの、ちゃんとお日様出てる時間は外に出なさい」みたいな感じで、めっちゃハードルが下がったんで。そうですね。それでそんぐらいだったらできるわと思って芸人になったんで。そんなもんすね。
別に親とかも焦んない方がいいすね、息子がニートになったとしても。なりますもんね。
ああ、そうですね。今ニートの人とか周りにニートがいるっていう人に言いたいのは、もう結局本人でしかないというか、周りからどんぐらい仕事のこととか勧められても、それだけで進めはしないんで。で、もちろんそれがないとどんどん塞ぎ込んじゃうから必要ではあるんだけど、社会復帰の手を差し伸べて社会復帰できるわけじゃなくて、結局本人がニートであることに飽きるしかないなと思ってて。
僕も結局3年間で何にもせずに、ただ楽しいアニメや映画を見てるだけの日々に飽きて、自分もさすがに何か自分の人生に参加するかって思って、その飽きたタイミングを見逃さずに家を出たってだけだったんで。そこですね。ニートの人は絶対自分が飽きたっていう感情を見逃さないで欲しいっていうのはありますね。
どうせ飽きるっていう。
飽きますね。さすがにずっと、いくら好きなこと、遊びだけやってるって言っても。
ニートの相談とか来ますか?DMとか。
めっちゃ励まされましたみたいなのはいただきますね。「僕もニートなんですけど」とか「ニートだったことあるんですけど、ちょっと明るい気持ちになれました」みたいなのは、YouTubeのコメント欄であったり、直接あったり、お手紙であったりでいただきますね。めっちゃ嬉しい。それはこっちもやっと救われたって感じになりますね。
別にニートであった経験で、こうしたらいいよとかが言えてるわけじゃないんで。ニートでたくさんアニメ見て、イベントとかも好きに行けるし楽しいよみたいな、ニートであり続ける話しか僕はできてないんですけど、そんな話聞いてて前向きになって、また再就職しましたみたいな連絡とかもらえると、あの時の自分が救われたって気になりますね。別に成功談ではないけど、境遇が人の役には立ってないんだけど、暇つぶしであったり何かの種になったんだって思ったら、こっちがやっとその声を聞いて、よかったよかった、ニート無駄じゃなかったって思いますね。
高校3年間友達作れなかったみたいじゃないですか。でも意外とそういう人が高校の同級生とかで会ってみると、自分のこと意外と覚えてくれてるみたいな人何人かいるみたいな、現象を聞いたことあるんですけど。
はい。ばったり会ったりとかしたんですけど、イベントで行ったところの働いてる人が高校の同級生で、言われて、クラス違うけどちょっと顔は覚えてるぐらいの人だったりとか、中学の友達が高校で一緒だった友達をライブ連れてきてくれたりとかするんですけど、自分が塞ぎ込んでただけだなとかは思うし、今別に会ったら、思い出こそないけど、今会った同い年の人として普通に喋れるし。
うん。
それはそれでいいんじゃないって気がしますね。その時は喋れてなかったけど、別に再会したら喋れるかもしんないし、でも別に再会しなくたっていいし。どっかに、ここが自分の本当の世界って思えてるところがあれば別にいいんじゃないかなって気はしますね。実生活で触れる場所の9割がダメだとしても、どっかちょっとでも1割ぐらいでも、別にそれがバーチャルだとしても、ここは自分にとって本物の世界みたいなのがあれば。
それで正直しのぐでもいいと思うし、それが正解でずっと生きていけないのかもしんないけど、とりあえずそれでしのぐをずっと繰り返すでも別にいいとは思いますね。僕そんな感じの逃げる生き方しかしてきてなかったんで。全然いいと思いますね、僕は。それで。
ありがとうございました、土岡さん。
はい。ありがとうございます。そうですね。自分でも感じたことのない、自分でこう思ってたんだとかの発見もあったんで、良かったです。ありがとうございます。
じゃ、ライブ頑張って。
はい。ありがとうございます。
お疲れ様です。街録ch、見習いディレクター募集中です。面白い映像を作りたいという若者、ご応募お待ちしております。グッズ、スポンサー券、BASEにて販売中です。応援よろしくお願いいたします。
心で殺すこと 僕は 生きて 小学生世界から 歌れ
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