特別養子縁組、虐待、少年院、二度の妊娠――26歳のシングルマザー・せなさんが語る「許してしまう」生き方
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜せなさんは26歳で、6歳の息子を育てるシングルマザーである。2歳半で特別養子縁組によって養親に迎えられ、家庭で「しつけ」として激しい暴力を受けた。15歳で同級生への集団暴行事件を起こして少年院に入り、16歳で32歳の男性との子を中絶し、19歳で再び妊娠して一人で産む道を選んだ。現在は若年者を支援する活動「YORISOI」を始めようとしている。インタビューでは、自分がなぜ人を傷つけることに抵抗を持たなくなったのか、何がそれを変えたのか、そして今も「人を許しすぎる」ことが恋愛の破綻につながっているのではないかという問いが語られた。
未受診妊婦の母から生まれ、2歳半で特別養子縁組へ
せなさんによると、養子縁組には普通養子縁組と特別養子縁組の2種類があり、自身が入ったのは特別養子縁組である。この制度では血のつながった親族とは戸籍上他人になり、迎え入れた養親と戸籍上も正式な家族になる。養子縁組後に行政との定期的な関わりがあるのではないかという質問に対し、せなさんは「私の認識上は多分何もなかった」と答えている。
生まれは横浜市である。実母は17歳で、妊婦健診を受けていない、いわゆる「未受診妊婦」だった。陣痛が来てから救急車を呼んだが、検査を受けていないため感染症やリスクがわからず、受け入れ先がなかなか決まらなかった。救急車であちこちの病院を回り、ようやく受け入れてくれた病院で生まれたという。
実母はせなさんを実家に置き去りにし、実家側も面倒を見きれないとして、生後半年になるかならないかのころに乳児院へ預けられた。せなさんは、祖母も交際相手が頻繁に変わる人で、孫の面倒を自分が見なければという意識が薄い家庭だったと説明する。実父については、会ったことも、連絡先も、写真もないという。
養父の10年に及ぶダブル不倫
養親は40代で、子どもに恵まれず特別養子縁組を選んだ。子どもができなかった理由は養父の体の側にあったとせなさんは聞いている。養父は歯科技工士として自営業を営み、せなさんが小学校に上がるころからは整体も始めた。親族の中には特別養子縁組に反対する声もあったという。
せなさんが最近養母から聞いた話では、養父は縁組の時点ですでに10年近く同じ相手と不倫をしていた。相手は保険の営業に来た女性で、その女性にも夫と子どもがいるダブル不倫だった。その不倫相手が、養父が養子を迎えることに反対していたという。それでも、候補の中から「この子がいい」とせなさんを選んだのは養父だった。せなさんはこの点を「すごい矛盾している」と振り返る。
不倫を最初に知ったのは、小学3年生のせなさんだった。養父が以前使っていた古い携帯電話をおもちゃ代わりにいじっていたところ、母親ではない女性とハートの絵文字付きで「会いたい」とやりとりするメールを見つけ、さらに行為中の動画まで見てしまった。当時は意味がよくわからなかったが、言ってはいけないことだと感じて2年ほど黙っていた。小学5年生のとき、養父に怒られて腹が立ったのか、養母に「パパが浮気している」と伝えた。養母は最初「そんなはずないじゃん」と取り合わなかったが、メールの話をすると顔が青ざめたという。
そこから家は「修羅場」になった。両親は毎晩深夜2時、3時まで怒鳴り合い、殴り合った。養父からは「お前が不倫をばらしたから家庭が壊れた」と責められ、静かにしてほしいと言えば「うるせえ」と怒鳴られた。養父が心臓が止まってAEDで蘇生し、ICUに入院したときには、子どものせなさんですら入れなかったICUに、不倫相手が病院に「妹」と偽って入っていたことも後にわかった。両親が離婚しなかった理由について、せなさんは、特別養子縁組をしてしまっていたこと、親族の反対を押し切って縁組した手前もあったのではないかと推測している。
当時の気持ちは複雑だったという。自分が母に言わなければこうはならなかったと思っていたが、今では「どう考えても不倫をしていた父が悪い」「最初から壊れていた」と受け止めている。
「しつけ」として受けた暴力
せなさんが覚えている最初の記憶の一つは、保育園のころの出来事だ。朝が弱く準備に手間取っていると、養母が給食用の金属製スプーンやフォークが入った巾着袋でせなさんの頭を叩いた。頭から出血し、泣きながら訴えると最初は「嘘だ」と言われ、本当に出血しているとわかると「冷やしておけば大丈夫」とアイスで冷やされ、そのまま保育園に送られた。
もう一つの記憶は、5歳ごろに行われた「真実告知」である。特別養子縁組では、子どもが自分のルーツを知る権利があるという考えから、幼いうちに「私たちは家族で、あなたを大切に思っているが、血のつながりはなく、産んでくれたお母さんは別にいる」と伝える。両親はそのとき泣いていたが、せなさんは「え、そうなんだ」という不思議な感覚だったという。
家庭での暴力は物心ついたときからあった。小柄だったせなさんに、体重60〜70キロはあったと思われる養母が馬乗りになって首を絞める、包丁が飛んでくる、熱いお茶をかけて「お前が片付けろ」と言う。「私が買った服を着るな」「私が作ったものを食べるな」と言われ、両親がおかずを食べる前で白米だけを食べたこともあった。自室を与えられても、散らかしていると「部屋はいらないよね」と言われ、布団もない廊下で寝かされた。
ただしせなさんは、両親に虐待という認識はなく「しつけ」だと考えていたと話す。人はされて嫌だったことは覚えていても、自分がしたことは忘れていくもので、両親も「そんなことしたっけ」という感覚だろうという。外面がよく普通の人に見えていたため問題は表に出ず、幼い自分も誰に助けを求めればいいかわからなかった。
一方で、家族旅行など楽しい時間もあり、両親は年齢が高く早く亡くなる可能性があるため、自分のことは自分でできるようにと厳しく育てた面もあったという。習い事は体操、水泳、合気道、家庭教師など週6日。愛情はきちんとあったと思うとせなさんは言う。ただ、習い事は自分がやりたいからではなく、「楽しかった」と言うと両親が喜ぶから続けていた。嫌なことをされる分、たまに優しくされると何倍も嬉しく、両親をいかに怒らせず、笑ってもらい、褒めてもらうかに必死だったと振り返る。
学校でもいじめられることが多く、楽しくはなかった。近所に住む年上の男の子とゲームや木登りをして遊ぶことが多かったが、その子からもいじめられていたという。
小学5年生のリストカットから非行へ
不倫騒動のさなか、小学5年生で初めてリストカットをした。せなさんは、ストレス発散というより「自分の心がどれだけボロボロで、どれだけ助けてほしいか」を、見える傷として出していたのだと思うと語る。
中学に上がると髪を染め、家に帰らなくなり、中学2年から本格的に非行に走った。夜遊べる子、家にいたくない子には事情があり、複雑な家庭の子が集まって何かをしても「いいことは起こらない」とせなさんは言う。
SNSで知り合った友人の家に、少年少女10人ほどが集まって暮らした。1軒目は母親が刑務所か留置所におり、父親は離婚でいない家で、捜索願が出ている子もいたため3日ほどで警察が来て全員帰された。しかし2〜3日後には、両親が離婚し父親が月に数回しか帰らない別の家に再び集まった。光熱費を払っていなかったため電気もガスも止まり、食べ物もない。スーパーやコンビニのかごに弁当を詰めてそのまま走って逃げる「かごダッシュ」ができた日はごちそうで、それ以外は小さなカップ麺を1日1個食べられればいい方だった。冷水でシャワーを浴び、夜は懐中電灯で過ごした。
メンバーは男子が多く女子は3人で、恋愛関係もあった。ハードオフで買った中古スマホをWi-Fiにつないで過ごし、夜はバイクで江の島まで走りに行く。14歳で働くこともできず、その日やりたいことをして生きていたが、「なんだかんだ楽しかった」という。
15歳で起こした集団暴行事件
その生活の中では暴力が当たり前で、せなさんは暴力を振るう側でも受ける側でもあった。地元は昔からヤンキーが多い地域で、先輩は男女合わせて30人近く、少年院に行くのも珍しくなかった。当時関わった先輩の多くは今、薬物で逮捕されたり、人を殺して刑務所に入ったりしているという。地元以外の人間が地元の先輩に喧嘩を売ると全員が集まり、相手を公園に連れてきて集団で暴行する。痙攣しかけた相手に慌てて水をかけて起こそうとした場面も見た。そうした環境に慣れすぎて、人を傷つけることにも傷つけられることにも抵抗がなくなっていたとせなさんは振り返る。
事件の被害者は、保育園から一緒だった幼なじみだった。同居していた友人の「Aちゃん」がある日部屋を開けると、Aちゃんの彼氏とその幼なじみが2人きりで、きわどい格好でいたことがあり、Aちゃんは怒っていた。せなさんも、仲直りしたと思っていた幼なじみにSNSで悪口を書かれ、不満を抱いていた。自分たちが呼んでも来ないだろうと考え、トラブルのない別の子に、自分たちがいることを伏せて呼び出してもらった。たまたま居合わせた2人を含む4人で河川敷に行き、暴行を加えた。
被害者は前歯が1本折れ、体に多数の根性焼きが残った。インタビュアーの「拷問」という言葉にせなさんは「そうです」と答え、4対1で叫ぶことも逃げることもできなかったのだろうと話す。被害者が被害届を出し、捜査を経て、朝6時ごろに警察が逮捕状を持って訪れた。「何したか分かってるよね」と問われ、「分かってます」と答えた。15歳だった。
相手の金品を奪った上での傷害であるため、本来は強盗致傷に当たるが、未成年だったことや、取り調べですべて話して謝罪の気持ちを伝えていたことなどから、傷害・窃盗・恐喝という罪名になったとせなさんは説明する。主犯はせなさんとAちゃんで、事件は全国ニュースになった。
留置所、鑑別所を経て少年審判が開かれた。立ち向かう大人がいれば家に戻れることもあるが、自分の場合は内容がひどく、どのみち少年院送致だったとせなさんは考えている。審判の場で両親は「もう手に負えません」と述べた。
少年院の1年と担当教官との出会い
少年院は「すごく厳しい学校」のような場所で、バッジで示される階級があり、生活態度を教官が評価して進級させる。問題なく進めば満期の10か月で出られるが、せなさんは1年いた。私語は厳禁で、目を合わせて笑うだけでも処罰の対象になる。刃物は渡されないため、支給されたシャープペンシルの芯を皮膚に何度も往復させて自傷を続け、そのたびに謹慎になった。教官の言うことに納得できず激怒して緊急ブザーを押され、連行されたこともあった。
最初は早く出たい一心だったが、罪の種類ごとのプログラム、たとえば暴力事件なら怒りをコントロールするためのプログラムなどを通じて、自分と向き合う時間が多かった。月1回ほどのミーティングでは、誰の行動が不快だったか、誰のどこがよかったかを話し合う。そこで、何が人を傷つけるのかに気づき、褒められることで自分の長所にも気づいた。人を傷つけることに抵抗がなかった自分がおかしいのだと、ここで気づいたという。
大きかったのは担当教官の存在だ。1人の教官が4〜5人を担当し、じっくり話をする。家庭では理不尽な理由でも怒られ、事実を述べても「言い訳だ」と否定されてきた。担当教官は、なぜそうしたかを説明すると「そういうことがあったんだね。でもやったことは間違っているし、そうするべきじゃなかった」と、怒鳴りも暴力もなく話してくれた。そうした大人はほとんど初めてだったとせなさんは言う。それまで普通の感覚の人との人間関係を築いてこなかったことも、少年院で気づいたことの一つだった。
出院から11年、再犯はしていない。暴力で人を支配しても得るものはなく、相手にも自分にもマイナスでしかないと少年院で学んだこと、そして小さな積み重ねが理由だと話す。少年院で何かを得られた人は再犯しないだろうし、大人になって刑務所に入る人は、その経験をプラスに変えられなかったのではないかというのがせなさんの見方である。
出院の日、せなさんは出たくなくて泣いた。出院の1週間ほど前に単独寮へ移り、教官に呼ばれて荷物を台車で運んでいくと、周りの子たちは「あの子はもう帰るんだ」とわかり、寂しがって泣く子もいたという。
北星余市への進学と半年での退学
幼いころから本が好きだったせなさんは、少年院で『ヤンキー母校に帰る』を読み、「こんないい学校があるのか」と北星学園余市高校に行きたいと担当教官に伝えた。出院直後にそうした希望を出す子はほとんどおらず、教官は院長にもかけ合って応援してくれた。私立で費用がかかるため、両親に頭を下げて話し合い、進学を認めてもらった。16歳の2月に出院し、2か月後には北海道にいた。
学校にはなじめた。やんちゃをしてきた子もいれば、いじめで何年も引きこもっていた子もおり、せなさんは「異文化交流」と表現する。しかし半年で退学した。費用は月に15万円ほどかかっていたと思うが、仕送りでは足りず、早朝3時ごろから農家のアルバイトをし、学校の後は小樽の飲食店で働き、寮の門限に合わせて帰る生活で、当然朝起きられなくなった。単位がそんなにすぐなくなるとも思っていなかった。校則違反で謹慎になると携帯を没収され地元に強制的に帰されるが、せなさんも2回ほど謹慎を受けた。欠席を繰り返すうちに、退学するか1年休学するかを選ぶよう言われた。
16歳での妊娠と中期中絶
退学後、実家に戻るのを嫌ったせなさんは、「アンダー」と呼ばれる未成年を働かせるキャバクラで働いた。高校の連休中に地元で一時働いていた店で、そこで送迎や出勤調整をしていた32歳のスタッフと交際を始めた。
交際2か月で妊娠がわかった。相手は両親にも「結婚を前提に付き合っている」とあいさつしており、産む話になり、結婚指輪を買おうという話まで出ていた。ところが妊娠4〜5か月になるころ、急に「下ろしてくれ」と言われた。産むなら一人で産んで育ててくれ、金も払わないし認知もしない、別れてくれ、という内容だった。
中期中絶は入院して出産と同じ形で行うもので、費用は60万〜80万円ほどだったとせなさんは記憶している。未成年のため親の承諾も必要で、両親に事情を説明した。養父は激怒した。せなさんは相手をかばい、連絡も取れず居場所もわからないと両親に嘘をつき、実際には会い続けていた。手術の日も相手は病院に来ており、両親と鉢合わせしないよう医師に事情を話していた。費用は相手に請求しなかった。相手からは、中絶したらまた一緒に暮らそうと言われ、何度も「本当にこれでいいんだよね」と確認した。しかし手術から1か月後、相手の浮気が発覚した。そこから精神的におかしくなり、処方薬のオーバードーズや、記憶をなくすまでの飲酒を繰り返した。それでも交際は続けていたという。
実母との同居と、二度目の家庭崩壊
同じ時期、せなさんは実母と暮らし始めた。中学生のとき、母子手帳で生まれたときの姓名を知り、「特別な感じがする」とSNSのアカウント名をその名前にしていた。少年院を出ると、友人たちから「せなの実のお母さんからめっちゃ連絡が来てたよ」と聞かされた。その後、実母から直接メッセージが届き、北星余市にいる間も養親に黙ってやりとりを続けていた。実母には父親違いの弟妹が3人いて、皆せなさんの存在を知っており、快く受け入れてくれた。
中絶手術の当日に退院して帰宅すると、両親からかかった費用について責められ続けた。実母に「もう家にいたくない」と伝えると、タクシーでもいいから今すぐ来るよう言われた。しかし実母とのやりとりが養親に知られ、携帯、保険証、財布を取り上げられた。せなさんは、少年院のときも北星余市のときも味方になってくれた両親だからこそ、裏切られた思いが強かったのだろうと振り返る。何も持たないままタクシーで実母の家へ逃げ、半年から1年ほど暮らした。
家はリビングと寝室だけの古いアパートで、6人が布団を並べて雑魚寝した。生活費は毎月ぎりぎりで、実母は3人の子の世話を夫に任せきりにし、家事、育児、仕事をすべて夫が担っていた。せなさんは実母を下の名前で呼び、友人のような関係だった。一人っ子として育ったので弟妹は可愛くてしかたなく、実母の夫のことも好きだったという。
しかし実母は不倫を繰り返し、夫への言い訳に「せなと飲みに行っていた」とせなさんの名前を使った。最初は話を合わせていたが、献身的な夫に申し訳なくなり、泣きながら打ち明けた。夫は「知ってるよ、今に始まったことじゃない」と答えた。それが実母に伝わると、「私は幸せになっちゃいけないのか」「私の幸せを壊して何が楽しいの」と激しく責められた。その後も実母は不倫相手と同棲して家に帰らず、たまに帰ると夫が置いた生活費を持ち出した。せなさんの財布が実母のバッグから見つかったこともあった。子ども時代に続き、不倫を伝えたことで家庭から責められるのは2度目だった。実母の家を出たせなさんは、32歳の元交際相手のもとへ戻った。
19歳で一人で産むと決めた
その後も長く水商売を続け、キャバクラを転々とした。19歳のとき、別れた後も同居していた元交際相手が自分のバーを開き、そこで働いてほしいと頼まれた。その時期、2か月ほど交際した別の相手との間に子どもができ、妊娠に気づいたのは別れた後だった。
1度目の中絶を強く後悔していたこと、そして「ちゃんと家族と思える存在」がただ欲しかったことから、せなさんは産むと決めた。どうしようかと迷ったとき、少年院で読んだNPO法人BONDプロジェクトの橘ジュンさんの著書『漂流少女』を思い出し、「19歳です、妊娠しています、結婚もしておらず相手とは連絡が取れません、助けてほしい」とメールを送った。数日後に橘さん本人が会いに来て「どうしたいの」と聞かれ、「産みたいです」と答えた。そこから支援を受けるようになった。
メディアへの出演が多い橘さんを通じてフジテレビから密着の依頼があり、19歳の妊娠から20歳の出産までがノンフィクション番組で追われた。支援を受けつつも、妊娠7〜8か月まで元交際相手のバーで酒を飲まずに働いていた。その後、橘さんが運営に関わるシェルターに入り、出産した。
生活保護は住まいのある場所でしか申請できないため、都内のシェルターで受給した。しかしシェルターを出るには家を借りる必要があり、地元でもゆかりもない土地で生後数か月の息子と暮らす自信はなかった。生後3か月の息子を連れ、事情を説明して養親の家に戻らせてもらった。
養父は当初、また責任を取られずに逃げられたのかという複雑な思いがあったようで、抱っこを勧めても断っていた。養母は「可愛いね」「どうやって抱っこしたらいいの」と喜んだ。赤ちゃんを育てた経験のない両親だったが、今では養父が誰よりも息子を溺愛しているのではないかとせなさんは言う。
息子への言葉と、支援活動を始める理由
息子は生まれてからずっと実家で暮らしているが、せなさん自身は両親との衝突で家を離れた時期もある。交際相手のもとへ息子を連れて行き同居したが、その相手からは将来は考えられない、息子を自分の子として育てることはできないと言われた。ファミリーレストランで養父の気に障ることを言ってしまい、周囲が驚くほど怒鳴られて置き去りにされたこともある。「出ていけ」と言われ、北星余市時代に交際していた相手に電話すると、大学進学で愛知に住んでいたその人から「息子を連れて来れば」と言われ、養父の怒りが収まるまでの2〜3か月を息子と愛知で過ごした。その人とは何もなかったという。インタビュアーは、息子が大人の顔色をうかがう子になっていそうだと指摘し、せなさんも「そうですね」と応じている。
息子を非行に向かわせないために心がけていることを問われ、せなさんは、シングルマザーとして稼ぎながら母親の役割も果たさなければならず、寝顔しか見られない日もあって寂しい思いをさせているのはわかっていると話した。だからこそ一緒にいる時間には「あなたが大好きだよ」「あなたが大切だよ」「あなたは私の宝物だよ」と言葉で伝え続けている。子どもだったころの自分が欲しかった言葉だからだという。一方で、仮に息子が自分と同じ道を歩んだとしても、それは親の責任として受け止める覚悟はしていると語った。
今回インタビューに応募したのは、「YORISOI」という名前で若年者支援を始めることになったからだ。正式な立ち上げはまだだが、活動自体はしている。BONDプロジェクトの橘さんや少年院の担当教官のような大人に支えられて前を向けた経験があり、自身も複雑な家庭環境の当事者だった。トー横やグリ下の問題が騒がれる中で、過去の自分を見ているようで放っておけなくなったという。助けてと言えば助けてくれる大人がいる、大人なんてと思っていた子が向き合ってくれる大人もいると知ってくれる子が増えればいい、と話した。30歳の目標として、活動が軌道に乗り、息子と過ごす時間も増えて、その両方が叶えばいいと語っている。
実父のこと、息子の父親との約束
実父には会ってみたいという。実母から名前だけは聞いた。実母はせなさんの前に同じ男性との子を中絶しており、せなさんを妊娠したときも中絶を求められたが、一人目を下ろしたこともあって産んだという。せなさんは、知らないうちに実母と似た人生を送っていたことを「不思議というか、怖い」と表現する。
息子の父親とは、出産後に連絡が取れるようになった時期があり、一つだけ約束してもらった。息子が思春期や大人になったとき、父親を知りたい、会いたいと言ったら会ってあげてほしい、というものだ。相手は了承しているという。6歳の息子から「なぜパパがいないの」と聞かれたことはまだない。聞いてはいけないと思っているのか、気にしていないのかはわからないが、いずれ必ず触れることになるので、傷つけない説明をするつもりだと話す。息子は来年小学1年生で、保育園では「モテモテ」らしい。
「許しすぎる」ことと、これからの恋愛
結婚願望については、家庭を持ちたいこと、自分が一人で寂しかったので息子にきょうだいを作ってあげたいことを挙げた。これまでの恋愛では暴力もあり、4年交際した相手とも暴力があったが、その人には感謝していることも多いという。その相手とは去年の11月に別れた。4年の間には別れていた期間や関係がよくない時期もあり、せなさん自身にも浮気がなかったわけではないと認めている。
暴力を振るわれない恋愛をするにはどうすればいいかという問いに、せなさんは「みんな最初はいい人」と答えた。恋人に怒ることがほとんどなく、何をされても自分が「ごめんね」となってしまう。最初の暴力の後、相手は皆「やってしまった」と謝るが、そこで自分が許すため、これをしても許される、離れないという認識になっていくのではないかと分析する。
その背景として、せなさんは人を憎めない性格を挙げる。両親のことも憎んではいない。虐待に近いことがあったという事実と、嫌いだ、許せないという感情は別だからだ。嫌なことをされても、それがその人のすべてではなく、誰もがいいところと悪いところを持っている。悪いところだけを見て嫌う、憎むということを誰に対してもしたくない。そのうえで「だから多分ダメなんでしょうね」と付け加えた。
インタビュアーは、許すのか話し合うのかの線引きを学んでいく必要があるのだろう、まだ26歳だから変えられる可能性があると応じた。せなさんは、次に恋愛をするなら、息子を必ず受け入れてくれる人で、刺激は「1ミリもいらない」、温厚で平和で優しく、暴力も浮気もしない人を探すと話して、インタビューを終えた。
じゃ、オッケー。こっち1。あ、いた。すいません。
すいません。街録ch。せなさん。街録ch始めたいと思います。よろしくお願いします。
人から、ご応募いただいたことあるんですけど、養子に入ったご家庭から虐待受けた。
そうですね。その、今の両親は、その虐待っていう認識ではなかったみたいなんですけど、今で言ったらもう本当に結構大事になってしまうよねみたいなことはされてました。しつけとしてやったっていう認識なんで。私はその捉え方として、虐待って言われるものもあったよねっていう認識ではいるんですけど。養子縁組のいわゆる里親さんって言うんですか?
えっと、正確に言うと養子縁組って2つパターンがあって、特別養子縁組とただの養子縁組っていう2種類に分かれるんですけど、私が入ったのは特別養子縁組っていうもので、血の繋がりのある親族とは戸籍上他人になるんですね。特別養子縁組してくれた両親と戸籍上もきちんとした家族になるっていう。
勝手なイメージ、その養子迎える親ってとてつもない審査厳しいみたいな。そうですね。その、なんて言うんですかね、定期的になんかそのそういう役所とのなんか交流を持たなきゃいけないみたいなのがあるとか聞いたことあるんですけど、それはそんな感じでもないんですかね?私の認識上は多分何もなかった。
何歳で養子になられたんですか?2歳半ですね。2歳半。でも物心ついた時からもうそのご両親と共に生活してたっていう話です。そうですね。
実の母親も未婚で私のことを産んでて、実家に置き去りにされてしまって、で、祖母も面倒見きれないっていうので、生後半年行くか行かないかぐらいの時に乳児院に預けられて。せなさん、今何歳でしたっけ?今26歳です。26歳。
横浜市で生まれてて、それもちょっとなんか特殊なのは、その実の母親が未受診妊婦って言われるもので、陣痛が来てから救急車を呼んで、やっぱ未受診妊婦ってなかなか受け入れ先が見つからないので。そうなんですか。そのきちんとした検査を受けてないから、どんな感染症を持ってるかもわかんないし、どんなリスクがあるかもわかんない。母体もそうですし赤ちゃんにも。やっぱなかなか受け入れ先が決まらなくて、救急車であっちこっちの病院行って、で、やっと受け入れてくれたのがその新川の病院で、そこで生まれました。
当時お母さん何歳なんですか?17歳。17歳。はい。高校は中退かなんかされてて。行ったのか中退してるのか、あんまり知らないので、彼女のことを。
え、じゃあもうお父さんどんな人か知らないんですか?実は。お父さんに関しては全く知らないです。会ったこともないし、連絡先も知らないし、写真も見たことないし。
さっきだと、生後半年行かないぐらいまでは、お母さんとおばあちゃんおじいちゃんと暮らしてたみたいなことになるんですか?じゃあ。おそらくそうですね。0歳って記憶ないですもんね。そうですね。
結構特殊というか、祖母もバツ3さんとか、結構パートナーの方がコロコロ変わってて、孫だからその自分が面倒を見なきゃとか、母もそうだったと思うんですけど、私が産んだから面倒を見なきゃみたいなのが多分あんまりない方だと思うんですよね。お母さんもお母さんで結構複雑な家庭で育ってきてるんですか?
せなさん、最初の記憶はどんなシーンですか?すごく覚えてることは2つあって、特別養子縁組の今の養親の父親が10年近い不倫をしてたんですよ。同じ相手と。出張だとか母親に言って、ほとんど家に帰ってこないみたいなのがあって。特別養子縁組した理由も、40過ぎとかだったのかな、結婚したが子宝に恵まれなくて、それでも子供が欲しいっていうのでしたんで、多分ちょうど母親は更年期真っ只中でもあったんだと思うんですよね。プラスそのやっぱ父親が家にいない、母親は仕事もして家事もして育児もしてっていうので、多分いっぱいいっぱいになったのもあると思うんですけど。
保育園の時に私結構朝が弱くて、グズグズ準備するような子だったんですけど、コップとかを入れるちっちゃいこれぐらいの巾着袋があるんですけど、そこに給食で使う金属製の子供用のスプーンが入ってて、巾着袋で頭をひっぱたいた時に中にフォークが入ってたんで、思いっきり頭から出血して。
巾着袋を頭にぶつけたのはお母さん。そうです。今の。泣きながら痛い、血が出たって言って、最初嘘だみたいに言われたんですけど、あ、本当に出てるねみたいな。とりあえず冷やしときゃ大丈夫って言って、アイスノンで冷やされながらそのまま保育園に送られてくっていう記憶と、
もう1つあるのが、特別養子縁組は真実告知っていうものを行うんですけど。真実告知。そう。やっぱその特別養子縁組だったら、養子をしてもらった子供にもその自分のルーツを知る権利があるというか、なるべくその幼いうちから知らせていこうねっていう。理解ができなくても、子供が。だから私たちは家族だし、あなたのことは大切に思ってます。でもその血の繋がりはなくて、そのあなたを産んでくれたお母さんは別にいるんだよっていうのを、5歳ぐらいに多分みんなそれをされるんですけど、その時の記憶はありますね。両親がすごく泣いてた記憶はありますね。当時私が5歳ぐらいだったんですけど。
え、それ泣かれてる時何を思ってたんですか?不思議でしたよね。え、そうなんだみたいな、多分感覚でしたね。
当時そのお父さんとお母さんはどこに住んでるんですか?ずっと横浜市で。じゃあ同じ横浜で引き取られたというか、その養子にしてもらって。はい。お仕事何されてたんですか?父親は歯科技工士。入れ歯作る人。入れ歯だった。それはセラミックだったりインプラントだったりの歯を作る人で、それを自営業でやってて、私が小学校に上がる上がらないぐらいのタイミングから整体も始めて。経営者っていうか自営業やってる。そうですね。どっちも自営業。個人事業主。
さっき言ったその10年不倫してる最中に養子縁組してるんですか?みたいですね。なんかつい先日たまたまその話に母となって、母が言ってたのは、その不倫相手に私を引き取ることを拒絶されたというか、言われたみたいで。その父親が不倫相手の女性の方に。養子縁組すること。はい。これもすごい矛盾してて、そう言ってる割に私のことを選んだの父なんですよ。父がこの子がいいっていう。
へえ。お父さん自体も不倫相手から反対されてる。でも本当は自分は欲しいみたいな印象だったんですか?それ。だし、その結局子供ができなかった理由も父の体の方に問題があったので、自分のせいでできないっていう負い目もあったんでしょうけど。
相手って、当時どんな感じなんですか?相手の方も家庭を持ってる人だったみたいで、お子さんもいて旦那さんもいてっていう保険レディ。保険売りに営業しに来た時に恋に落ちて。不倫関係になったんですか?
ダブル不倫なのに養子縁組を拒否する意味がわかんなくないですか?そうですね。父の不倫を最初に知った、1番最初に知ったのも私なんですよ、実は。え、そうなんですか?
小学校3年生の時に、父が昔その1個前かなんかに使ってた携帯、ガラケー、当時、をなんかおもちゃ感覚でいじってた時にメールを見つけて。あれ、ママの名前じゃない誰かとハートマークの絵文字をつけて会いたいとかいうメールをしてる。その後にその写真を見てたら行為中の動画、ハメ撮りを見てしまって。まだ小学校3年生だったので、最初なんかなんだろうぐらいだったんですけど、2年ぐらい言わなかったんですよね。母にも父にも。言っちゃいけないことなんだろうなみたいな、幼いながらに。
動画だったんですか?はい。行為中のその不倫相手の方の声とかも撮れてるってことですけど。
小学校5年生ぐらいになって、多分父に怒られて腹が立ったのか、母に対してパパ浮気してるよっていう。そんなわけがないと。知らない女の人と、だってこういうメールをしてるよって。もうその瞬間母がもう青ざめた顔で、えみたいな。
お母さんはお父さんが不倫なんてするわけないっていう認識の感じなんですか?多分その感じそうですよね。そんなはずないじゃんって言ってたんで、最初に。みんなからそういう風に不倫なんてしてなさそうに見えてる人なんですか?そうですね。お母さん知ってどうするんですか?問い詰めるんですか?もう修羅場でしたね、そっから。
もう毎日両親が夜遅くまで家の中で怒鳴り合いしてて殴り合いしてて、父親からもお前が不倫をばらしたから家庭が壊れたんだって怒られるんで。夜中2時3時とかまで怒鳴り合いしてるんですよ、両親が。寝れないじゃないですか。で、静かにしてほしいって言ったらうるせえってキレられて。
不倫が発覚するまでの小学校の期間ずっと虐待受け続けてる感じなんですか?そうですね。それはどの程度なんですか?
覚えてるエピソードで言ったら、その怒らせてしまって、母を。今でこそ身長高いんですけど、すごいちっちゃいし小柄だったんですよ。なのに、おそらく当時ね、60キロ、70キロぐらいあるであろう母親が馬乗りになって首絞められるとか、包丁が飛んでくるとか、その熱いお茶が入ってるのをバーってかけられて、お前が片付けろって言われたり。あとはなんかその、私が買った洋服を着るなとか、私が作ったものを食べるなとか。で、もう全く何も食べさせないとやっぱね、死んでしまうじゃないですか。父と母がパパが作ったおかずを食べながらご飯食べてるのを、私は目の前で見ながら白米だけを食べてるとか。私が作ったものを食べるなって言われてるんで。
もう物心ついた時からそうなんですか?それとも、エスカレートしてってそうなってるんですか?気づいた頃にはそんな感じでしたね。
父が実家半分お店にして仕事してるんで、そのためにちょっと広い家に引っ越すっていうので、もう本当歩いて10分15分の距離の一軒家にまた引っ越した時があって。その家に行ってから自分の部屋っていうのを作ってもらって与えられたんですけど、部屋が片付けられないとか散らかってるってなると、なんかこんなに部屋散らかすんだったらもう部屋いらないよね。使わなくていいよね。廊下で寝ろみたいな。廊下の布団も何もないところに、掛け布団も何もなく、ただ廊下にこうやって横になって寝てるとか。本当にそこで寝るんですか?そうです。そうです。
お父さんお母さんと一緒に寝たりとかは?私の記憶上ほとんどないですね。なんで養子もらったんだって感じします。そうですね。そのしつけっていう面もあったんだと思います。
あとシンプルにその、人ってね、されて嫌だったことって覚えてるけど、自分が人にしてしまった嫌なことって忘れていくじゃないですか。だから多分両親も覚えてないことの方が多いんですよ。私がこういうことをされて傷ついたっていう内容とかも、そんなことしたっけぐらいの多分感覚なんですよ、両親は。
児童養護施設とかが仮に当時来てたとしたら、絶対その保護されてますよね。そうですね。でも外面がいいというか、普通の人たちに見えてたんで問題が表に出なかった。私もそのまだちっちゃかったから、誰に助けてって言えばいいのかもわからないし。
学校の方が楽しかったですか?家より。学校も学校で楽しくはなかったですね。結構いじめられっ子だったんで。今思うとなんでそうなっちゃってたと思うんですか?いじめられやすかったというか。何かしら私にも原因あったんでしょうね。
人間付き合いみたいなものをしてないんですかね?その、例えば保育園の同級生と保育園以外で遊ぶとか。割と遊んでましたよ。あ、そんなのあったんですか?私の両親もそういう、なんて言うんですかね、暴力を振るったりとかそういうことしかしてないっていうわけでもないんで、全然なんか家族で旅行行ったりとかもしてたし。
ああ、そっか。じゃあハッピーな瞬間もあったんですか?もうありました。交互にやってくるんですか?楽しい時期と地獄の時期みたいな。そう。地獄の方がやっぱ私の印象では強いですよね。塗りつぶされたんですね。いい思い出があったとしても。
あれどっちだろう?不倫がバレた後かな?バレる前かな?忘れちゃったんですけど、父、心筋梗塞で心臓止まってるんですよ。で、AEDで復活してICUに入院してて。ICUって家族以外入れない。で、子供の私ですら入れなかったんですよ。なんですけど、その10年不倫してた不倫相手を妹だって病院側に嘘ついて入れてたっていうのも後々分かったりとか。
不倫だけど、その2人絆深いんですね。そうですね。私がまだ子供だったから、その特別養子縁組っていうものをしてしまってるから、離婚っていう選択肢が取れなかったっていうのもあったみたいですね。
おじいさんおばあさんとか親戚も周りどうなんですか?特別養子縁組するってなった時も、結構やっぱ親族の中で反対意見は出たみたいです。反対を押し切ってやってる手前、離婚なんて言えないっていう状況なんですね。それもあったと思いますね。多分。
え、今思うとどうですか?離婚してくれよって感じですか?うーん、なんか複雑でしたね。なんかその母に私がそんなこと言わなければこんなことにはなってなかったんだよなっていう。今となっては違うんですけどね。どう考えても不倫してたのがね。最初から壊れてたって話ですもんね。
その時って、じゃ、一応どっちのことも好きか嫌いかで言ったら好きの方が強いっていう感じなんですかね、子供としては。そうですね。嫌なことをされてる分、たまに優しかったりとかするとそれが倍増して嬉しく感じるし。そのために必死でしたね。その両親をいかに怒らせないか、両親にいかに笑ってもらえるかみたいな。褒めてもらえるかだったり。
学校にも友達いないよ、家庭も。友達ではないんですけど、近所に男の子が住んでて、その子転校生だったんですけど、もう毎日その子とその子の家でスマブラしたりとか、戦いごっこしたり木に登ったりとか。その子からはちょっと、結構いじめられる体質だったんで、タイプだったんで、もうなんか男の子と遊んでることがすごい多かったですね。
そちろん楽だってますか?習い事とか教育とかはどうだったんですか?めちゃくちゃすごかったです。よく言われてたのが、その普通の両親よりも年が行ってる分早くに亡くなるってなった時に、自分のことは自分でできるように、何かがあった時に困らないようにっていうので厳しくしてた面もあったみたいで。習い事とかも週6とかでしてました。いわゆる英才教育に近い感じでしたよね。
愛情がないかっていうよりは。そう、愛情はきちんとあったと思います。やってた習い事で言うと、体操、水泳、合気道、家庭教師もついてたし、塾もちょこっと行ってたかとかなんですけど、そのこういう習い事あるけど体験行ってみるって言われて、行くって言って、どうだったみたいな。楽しかったよって言ったら喜んでくれるんですよね。だから私はなんか習い事もやりたくてやってたというよりかは、両親が喜んでくれるから。
親の言うことをずっと聞いてる感じはどこで終わったりする?反抗期迎えるとかわかんないけどね。なんか反抗期よりも前に多分精神的に病んでしまって、小学校の時から割と学校で問題行動は起こしてたんですよ。家庭でもね、その不倫騒動っていう結構大変なことがあった時期で、初めてリストカットしたのが小学校5年生とかだったり、結構様子はおかしかったですね。
小学校の時。なるほどね。自分を傷つけて、それすることによってなんか気持ちが楽になったりすることがあったんですか?多分気づいてほしかったんでしょうね。自分がもう壊れてしまってるよっていう。リストカットをすることによってストレスが発散できるとか気持ちの整理がつくっていうよりも、自分の心がもうどれだけボロボロでどれだけ壊れてて助けてほしいかっていうのを、多分見える傷で出てたんだと思います。
誰か気づいてくれたんですか?中学校上がってから反抗期というか、髪の毛染めてみたりとか家に帰らなかったりぐらいだったんですけど、それがもう本格的などんどん非行に走っていって、もう家出、もう中学校2年生からし出して。夜遊べる子とか、その家にいたくない子たちって事情があるわけで、複雑な家庭環境だったりする子がほとんどだから、集まってその子たちが何かをするってなった時、いいことは起こらないじゃないですか、絶対に。
で、なんかその時たまたま、全然中学校一緒とかでもないんですけど、なんかSNSとかで繋がった友達が、1件目はお母さんがえっと、家かなんかで刑務所に行っちゃって。留置だったのか刑務所だったのか忘れちゃったんですけど、行ってて、お父さんは離婚してていません。子供だけだから家に残されてるっていう状態を多分把握してなかったんですよね、おそらく。そこをじゃあもうみんなのね、溜まり場じゃないですけど、場所にしようって言って、その家で少年少女10人とか集まって。中にはね、私も含め捜索願とか出てる子もいたんで。
1件目は本当に行ってものの3日ぐらいでお巡りさんが来て、誰々いるよな、捜索願出てるからって言われて連れて帰られちゃって。私たちも強制的に家に帰れっていうので帰らされたけど、やっぱみんな家にいたくないから、本当多分その2日3日後にまた集まって、今度もその第2件目の家、そこは両親が離婚してて、お母さんが家を出て行ってしまってて、お父さんは仕事の関係で1ヶ月に数回しか帰ってこない家があって、そこに少年少女10人ぐらいで生活してて、光熱費の支払いをしてなかったんですよ。ガスとか電気とか。
だから全部止まってる。途中から電気もつかない。ガスもつかない。食べるものもない。だから、その万引とかで食べるものを入手してきて。カゴダッシュって言われてるものがあって、そのコンビニとかスーパーでカゴの中にお弁当とかをいっぱい詰めるんですよ。それを持ったまま走って逃げるっていう。コンビニとかスーパーからは。
それができた日はもう豪華みたいな。普通のお弁当なんですけど、スーパーとかで売られてる。もうそれが食べれるのがもう贅沢というか。それが1週間に1回あるかないかとかだったんで、それ以外ももう本当こんなちっちゃい豚メンあるじゃないですか。1日1個食べれればいいよねみたいな。ガス止まってるんでみんな冷水でシャワー浴びて、で、夜も電気ないんで懐中電灯とか。
その人は全員女子なんですか?男子もいました。男女。男女。その中で恋愛関係とかもあるんですか?ありましたね。その男女10人比率は?男子の方が圧倒的に多かったんですよ。女の子は3人でしたね。
その10人での生活、楽しかったですか?当時。まあ楽しかったですね。なんだかんだ。学校行かずに1日中何してるんですか?ハードオフで買ってきた中古のスマホをWi-Fiにつなげて使ってたんですけど、それで携帯見てなんかゴロゴロ毎日してたりとか。働きたくても当時14歳とかなんで働けないんで、遊びに行ったり、夜そのね、バイクみんなで乗って江の島とかに走りに行ったりとか。本当なんか毎日その日暮らしとか、その日やりたいことをやって生きてたって感じです。
その10人での生活の中でね、事件を起こすわけですか?暴力が当たり前だったんですよね。その家以外でも。え、それはじゃ、せなさんも暴力をする方だったんですか?する方でもあったし、受ける方でもありました。だからそれこそ昔のいわゆるヤンキーって呼ばれてる人たちって上下関係がすごい厳しくて、焼き入れられたりとかがあったし、人を傷つけるのも傷つけられるのもそんなに重く受け止めてなかった。
10人で生活してた中でお付き合いしてた男女が、その女の子の方とすごい仲良くて。Aちゃんとしたら、そのAちゃんの彼氏と、私のえっと保育園から一緒だった幼馴染み。ある日その部屋をガチャって開けたら、そのAちゃんの彼氏と、私たちが暴行を加えてしまった女性が一緒の部屋にいましたと。それ幼馴染み。そうです。浮気現場を見たっていうわけではないけど、そういう2人きりでそこの部屋にいて、女の子もちょっと際どい格好をしてたっていうのがあって、そのAちゃんがその件で結構怒ってたんですよ、もうすでに。
そう。私もその幼馴染みとちょっとSNS上でトラブルを起こしてたんですよ。普通に喧嘩して仲直りしたと思ってたんですけど、向こうがそのSNSにすごい悪口を書き込んでて、私の。で、私はそれに対してその不満というか、ふざけんなよってちょっと思ってて、そのタイミングでAちゃんと会ってその子の話になった時に、呼び出そうよみたいな。でも今うちら喧嘩してるというか、その仲が良くないから、うちらが呼んでも来ないよねっていうことで、何のトラブルも抱えてない子に、ちょっとごめん、ちょっと呼び出してほしいんだけど、うちらがいるってことは言わないでって言って。
その子を呼び出して。そこにたまたま2人の女の子もいて、何か嫌なことをされて思ってるとかじゃないんですけど、その4名で河川敷に行き、ちょっと暴行を行ってしまい。
その、傷害、窃盗、恐喝っていう罪名で。申し訳ないって言葉で済まされないぐらい結構ひどいことをしてしまったので、全国ニュースにももちろんなりましたし、未成年の実名報道はされてないんですけど。
傷害は分かるんですけど、窃盗と恐喝って何したんですか?えっと、お巡りさんかな、検事さんかなが罪名を変えてくれたんですよ。少し軽くなるように。本来であれば強盗なんですよ。強盗致傷。その子に対して、その子の家に襲撃してるんですか?いや、じゃないよ。その子を河川敷に呼び出して、そこで暴行を加えてしまったんだ。そうですね。そう。その際にその子が持ってた金銭だったり物品を奪ってしまってるんですね。その上での傷害なんで、一応強盗致傷っていう罪にはなってしまう。ただ、未成年だったことと、色々考えた上で、私はやってしまったこと全てちゃんと事情聴取で、取り調べで、申し訳なかったと思ってるっていうことも刑事さんに伝えていたので、強盗、本来であればなんですけど、傷害、恐喝の罪名に変えてくれたというか。
その中で主犯格になっちゃってるんじゃないですか?せなさん。そうですね。私とそのAちゃんが主犯格。主犯格。どれぐらいの傷を負ってるんですか?その、えっと、幼馴染みだった…。前歯が1本折れてしまってるのと、体に結構根性焼きが残ってしまってる。タブ状態。本当に結構拷問か。そうです。すごい悲鳴とかあげてるんじゃないですか、それ?いや、4対1なんでやっぱりその、叫べないし逃げれないしっていうのがあったんだと。恐怖ももちろんあったと思うんですけど。
それってその最中に捕まるんですか?それとも後ですか?被害届をその子が提出して、取り調べとか、その、なんていうの、内偵というかが入った上で、お巡りさんが、いわゆる…っていう、朝6時ぐらいにピンポンってきて、逮捕状持って、何したか分かってるよねっていう。分かってますっていう。それ15歳が。15歳です。
どこからそういう感じが加速してったかなって思うんですか?今。うーん、グレ出してからですね。身近だったので、そういう行為が。私の地元って結構その昔ヤンキーがすごい多い地元で。横浜のどこですか?瀬谷区って、本当に田舎で、もう本当にヤンキーが、今でこそ多分あんまりないんですけど、ヤンキーがとりあえず多かった。だから先輩とかでも男女合わせたら、年代がいるんですけど、合わせたら、まあ30人近く行ったかな。ヤンキーが。ヤンキーが。中学生だったり、行っても16歳、17歳とかも含めたら、そのぐらいいる。
で、少年院行くのも珍しくない。珍しくないし、今その私の当時の中学校の時に関わってた先輩とかは、薬物で逮捕されてたり、人殺しちゃって刑務所行ってたりとかがもうほとんどですね、今。当時も、その先輩たち、特に男の先輩とかが、地元以外の人間でその役の人間に喧嘩を売りましたってなると全員総出なんですよ。全員総出で、バイクのケツに乗せて公園とかに連れてきて、地元の、でもう集団リンチ。ボッコボコに目の前でぶっ飛ばされてる男の子が死戦期呼吸始まっちゃってて、亡くなる一歩手前で、慌ててみんなで水かけて起きろみたいなのはもう日常茶飯事。そういう暴力沙汰だったり、万引もそうだし、非行っていうものが。
家よりはそっちの方が居心地がいいしってこと?うーん、そうですね。居心地がいい…。そうですね。それに慣れすぎてしまったがゆえに、多分人を傷つけることに対しても抵抗がなくなってた。当時は。誰かに暴力を振るったり誰かを傷つけるってことに対しての抵抗が全く多分なかった。多分自分がやられてたからってのもあるんですかね。もうあるしね、周りでもそういうことがよく起こってたから。
少年院に行くってことは、その養子縁組したご両親も更生を諦めたってことなんですか?そう、諦めた。なんかよく聞くのは、少年院行くかどうかって、その立ち向かう大人がいるかどうかで結構変わってくるみたいな聞いたことあって。それも確かに変わってきます。でも基本的にはもう、それは結構罪の重さにもよるというか、2、3発殴っちゃいましたの傷害とかだったら、もうねきちんと向き合ってくれる大人がいて、この子は家に返しても大丈夫だなっていう判断ができるんだったら帰らされることももちろん全然あるんですけど、私はやったことも内容も結構ひどかったし、どのみち多分少年院送致であったことは多分間違いないんですけど。
でもそうですね、その審判というものが行われるんです。留置所に入って鑑別所に行って、鑑別所で、えっと、どれぐらいだ、1、2ヶ月過ごしてから、その後に少年審判っていう、いわば裁判。少年審判っていうものが行われて、そこで今後の処分を決めますみたいな時に、両親は言ってましたね。もう手に負えませんと。
その少年院何年いたんですか?1年ですね。1年。学校みたいな本当に感じなんですよ。すごい厳しい学校みたいな。で、なんかバッジをここにつけるんですけど、その階級みたいなものがあって、日頃の生活態度とかを教官たちが見た上で、その子たちをその上の階級にあげるかどうかっていうのを。何の問題もなくストレートで進級していけば満期の10ヶ月で出れるんですよ。ただその中で何か問題を起こしちゃったりすると、謹慎期間みたいな、独房に行ってそこで色々考えさせられて、その作文書いたりとかっていう処分を受けることが中でもあるんですけど、そういうことをすると進級できない、その次の階級に行けないんですよ。ストレートで行けば10ヶ月で出れるんですけど、何か問題を中で起こしてしまうとそれがどんどん伸びていくので。
じゃ2ヶ月分問題起こしたんですか?そうですね。いや、2ヶ月分の問題ってどういうことしたらそれぐらいになるんですか?私語が厳禁なんですよね。目を合わせてニコって笑うのとかもダメ。アイコンタクト取ってましたとかも謹慎に入る理由になるんですよ。処罰の対象に。自傷行為、少年院の中でも私は続けてたんですけど、もちろん刃物なんか渡されないんで。シャーペンは支給されるんですよ。シャーペンは。その勉強だったりする時。先端が尖るようにシャーペンの芯が。それを皮膚に当てても、ずっと何往復もさせると傷になるんで、さっきちゃんと…。それとかをやるともうもちろん謹慎ですね。
そういう私語だとか自傷行為で2ヶ月だったんですか?そうです。あとは教官に歯向かったりとか。どうしてもその教官の言ってることに納得ができなくてぶち切れてしまって、私が教官に対して。その時にもう緊急ブザーを押されて、教官たちがバーって走ってきて、そのまま連行されるとか。
少年院入ってから、どんな心境なんですか?最初はもうとりあえず、もうこんなとこ早く出ていきたいが正直な気持ちでした。色々プログラムがあって、その犯した罪ごとによっても受けるプログラムが変わるんですよ。暴行事件とか傷害だったら怒りをコントロールするためのプログラムがあったりとか、薬物の子とかもいるので、薬物に対してその欲求が出た時にどうするかっていうプログラムだったり、犯した罪によって分けられてプログラムをやるんですけど、自分と向き合う時間がすごく多いので、私は本当に変われたというか。
向き合う中で何に気づいてくんですか?人を傷つけることに抵抗がなかった自分がおかしいんだってことに気づいたりとか。それって何で気づけるんですか?おかしいって。ある意味少年院の中で、ミーティングみたいなので月に1回とか、その思ってることをみんな話しましょうみたいな。そのみんな中にいる中でその時は喋れるので、誰々さんのこういう行動はどうかと思いましたとか、誰々さんのこういうところは良かったですとか、話したりする機会もあって。なんかそれをやってく中で、ああっていう、これはなんか人にとって不快に感じるんだなとか、これは人を傷つけることになってしまうんだなとか。褒められる機会もあるんで、逆に、あ、こういうところって私長所にもなってるんだっていうのに気づいたりとか。
あとはその担当教官、担任みたいな存在が、大体1人の教官に4、5名担当してるんですけど、1人の教官がその人とすごいろんな話をするんですよ、やっぱり。その人たちと話してて、やっぱ気づくこととかも多いし。
え、そこに行くまでに、こういうとこ良くないよとか、逆にこういうこといいねって褒められたり怒られたりする経験、そんなにしてないんですか?怒られるに関してはやっぱり家庭では結構理不尽なことでも怒られてたんで。怒る怒られるのは経験してるけど。この辺りとかっていうのをされた記憶はあんまり残ってないですね。
人間関係もまともに構築できてないんで、それまで。学校っていう場所で普通人は人間関係を学んでくじゃないですか。でもなんかね、小学校も行ってたものの、小学校でもあんま人間関係っていうものがうまくできてなかったし、中学校に関しては行ってないでそもそもやってないし。普通の感覚の人たちとの人間関係は構築してきてなかったんで、少年院に入るまで。
そうか。で、さっき言った少年院で怒られる時は、一応ルールの中でそれを破ったから怒られてるから、一応納得いく怒られなんですか?そうですね。私、きちんとこの規律に違反しましたみたいな。で、それに対してなんか作文とかを書かされるんですよ。なんで自分が謹慎に入ったか分かってるかっていうことを。そのために。
それで言うと、その何で怒られてるかわかんないで怒られることのストレスというか不快感って、なんか人間を壊してくんですね。壊していくし、やっぱあったのが、私は言い訳のつもりじゃないんです。事実を述べてたつもりなんですけど、そんなもの言い訳だと。自分の意見とか、自分の思ったことを言っても認められてこなかった。全て否定されてしまっていた、その家庭に関しては。その記憶がやっぱ多かったんで。なんかそれを変えてくれたのが担当教官でしたね。
そうか。じゃ、ちゃんと話聞いてくれるんですね。なんでそういう行動をしたのかを説明したら、そういうことがあったんだね、でもやったことは間違ってるし、そうするべきじゃなかったんだよっていうのを、別に怒鳴るわけでも暴力振るうわけでもなく普通に話してくれる。へえ。それが多分だから初めてに近かった、私は。
そうやって少年院に行って、そういう風に、この出会い良かったなとか、変えなきゃいけないなって思える人と思えない人って分かれますか?分かれると思います。少年院に入って良かったっていう言い方も変ですけど、そこでちゃんと気づけた人は多分再犯はもう、私含めしてないでしょうし。それでも多分またね罪を犯して、大人になって刑務所に行ってしまったりとかする人たちは、多分そこで何も得られなかったというか、その経験をプラスに変えれなかった人たちなのかなって思いますね。
出てから何年ですか?もう11年とかですね。11年間再犯しないで済んだわけって何だったんですか?暴力を振るうことによって人を支配したり傷つけるっていうことに関しては、それをしたところで得るものはないし、むしろ相手にとっても自分にとってもマイナスでしかないしっていうことを、私はその少年院に入ったことで学べたし。ちっちゃい積み重ねですかね、多分。なるほどな。
出る時にはもう割とまともになるっていう意思、強くなってるんですか?出たくなくて泣いてました。出院の日に。いたくて、まだ少年院に。へえ。それ先生と離れるのが辛いってことですか?もうそうだし、寂しかったですね。あそこから離れるのが。出たかった場所から、掛け替えのない場所になっちゃってる。そうなんですよ。
でもこれ結構あれあるね。みんな1週間前かなんかに居房の方に移動するんですよ。で、社会に戻る準備を単独寮で行うんですよ。教官に呼ばれて荷物積んで台車で出てくんですよ。集団を。ってなるともうみんな分かるんですよ。あ、あの子もう帰るんだっていう。みんなやっぱなんか寂しいんですよ。いなくなっちゃうんだっていう。泣いてる子とかも結構。その、誰かが出ていっちゃう時に。しかもそこにも青春があるんですね。そうですね。面白いって言っていいのかわかんないけど。
出てったらどうなりたいかみたいな、できてくるんですか?目標なのか夢なのか。できますね。私もなんかもうちっちゃい頃から本が大好きで、その少年院の中でも好きなものを借りて読めるんですよ。その中で『ヤンキー母校に帰る』っていう本を読んで、こんないい学校があるのみたいな。担当教官にこの高校に行きたい、出たらって言って。今までほとんどないと、その少年院出院後すぐにそんなことをした子は。担当教官がとりあえずすごく応援してくれて、院長にもかけ合ってくれて。私立の高校なんでめちゃめちゃお金かかる。ので、頭下げてここに行きたいから行かせてくださいっていう。そっから徐々に色々話すようになって、両親ともきちんと。で、行かせてもらいましたね。
16歳の2月に少年院出院して、2ヶ月後にはもう北海道に行ってました。へえ。それどうなんですか?馴染めたんですか?その高校は。馴染めました。私みたいにやんちゃしちゃってた子ももちろんいます。鑑別所上がって入った子もいれば、いじめられて何年も引きこもって学校に行ってなかった子たちが北星余市に来るとか。だからちょっと異文化交流ですよね。
北星余市って。この3年間は普通に…。半年で退学しちゃったんですよ。え、なんで。単位がなくなっちゃって。え、そう、やっぱサボっちゃうんですか?サボっちゃうし、月15万ぐらいは多分かかってるんですよ。うち毎月1万の仕送りだったんですよね。1万、足りなくなってくるんですよ。なった時に、バイトを掛け持ちしてて、朝3時ぐらいからさくらんぼ農家さんのバイトをして、で学校に行って、学校終わったら小樽まで出て飲食店でバイトして。門限が21時とかなんで、寮の門限までには帰ってくるみたいな生活をしてて、当然起きられないですよね。
そうじゃ、バイト漬けになってて学校に行かなくなってくるんですか?だし、まさかそんなにすぐに単位がなくなるものだとは思ってなかったんで、正直私も。北星余市って、タバコだったりお酒だったりとか、もちろん校則で禁止きちんとされてるし。ただやっぱね、そういうヤンキーだった子たちがいるんで、ありました、正直。ああ、じゃ、結構みんな校則違反しちゃうんですね。そうだし、校則違反したら携帯没収されて、みんな地元に強制送還されるんですよ。神奈川だろうと、沖縄だろうと福岡だろうと大阪だろうと、みんな強制的に帰らされるんですよ。そういうなんかやらかして謹慎に入っちゃった場合は、もう必然的に学校に通えないので。私は多分謹慎1回、2回、2回ぐらい入ったのかな。多分。なおかつね、学校サボったりとか起きれなくて行けなかったりを繰り返してたら、ものの半年とかで、退学するか、1年間休学して翌年復学するかの2つを選んでくれって言われて。
ええ。やめた後にどう…また地元戻る?のが嫌で。16歳から、アンダーって言われる未成年を働かせてるキャバクラとかが昔あったんですよ。摘発されてもう多分ほとんどないんですけど。元々その高校の多分ゴールデンウィークかなんかとかに1回そこでバイトしてたんですよ、地元にいる期間に。で、高校やめるってなって、家にいたくないし、そう。32歳の、スタッフ、送りのドライバーだったり、女の子の出勤調整をしてるスタッフとお付き合いし出して。
へえ。16と32歳です。あ、なかなかの年齢差ですね。その生活はどれぐらい続くんですか?それ、平穏に暮らせる感じでもなさそうじゃないですか?そうですね。付き合って2ヶ月目の時に私の妊娠が発覚して。当時16歳です。相手32歳で。で、その親にも一応紹介はしてたんですよ。結婚前提にお付き合いしてます、娘さんとっていうのは言ってて。で、2ヶ月ぐらいの時に妊娠発覚して、産むっていう話になって、結婚しようと、結婚指輪を買おうとかまでになってたんですけど、急になんかやっぱ下ろしてくれみたいな。え、
もうその時にはもう5ヶ月なるかならないか、本当ギリギリ、4
ヶ月とかで言われたのが、その、産んで育てるんだったら1人で産んで育てて、みたいな。俺は金も払わないし認知もしない、みたいな。で、別れてくれ、みたいな。産むんだったら。で、まあ、下ろすっていうことになって。
中期中絶ですよね。だから病院に入院して、出産と同じ形で子供を下ろすっていう。彼は日雇いみたいな生活なんで、それを考えても無理だよねっていう。費用で言ったら60万から80万ちょっとぐらいだったのかな。の費用が。未成年なんで親の承諾も必要だしっていうので、親に「いや、ごめんなさい」っていう事情説明して、ですよね。父親は特に、もう怒りまくってて。
私もその彼のことをかばってしまってたんで、もう連絡も取れないし、会えないし、どこにいるのかもわかんないって、両親には。全然ね、連絡も取ってるし会ってるしなんですけど。で、入院して、その手術の時とかも彼は来てたんですけど、事情も病院の先生に話して、バッティングしないように、両親と彼が。その病院とかでお金も請求しなくて、彼に。下ろしたらそのまま一緒に暮らそう、また付き合おう、みたいなこと言われてて。で、何度も確認したんです、本当にこれでいいんだよねっていう。
でも、ただでさえ中期中絶っていうものをして精神的にも参ってる状態で、その手術が終わった1ヶ月後に浮気されてて。そっからですね、ちょっと精神的におかしくなっちゃったの。処方薬だったり、薬のオーバードーズしたり、もう毎日記憶なくなるまでお酒飲んで酔っ払って。
でも浮気されても付き合い続けるんですか?それとも別れるんですか?付き合い続けてました。へえ。
ちょうどその時期ですね、実の母親と生活するようになったのが。それ、実の母ってなんで出てくるんですか?
母子手帳あるじゃないですか。あれって生まれた時の名前なんですよ、もちろん。実の母親が持ってたものというか、その実の家の人たちが持ってたものが今の両親のところに渡ってきてるんで。で、私の生まれた時の名前、苗字と、たまたま中学生の時に母子手帳を見つけて、あ、私ってこの名前だったんだ、っていう。ないじゃないですか、そんな人。生まれてから苗字も名前もその漢字が変わってるって人は。なんか私って特別じゃない?みたいなノリで、SNS、Facebookだったりとか旧Twitterだったりとかを、その生まれた時の名前に一時してたんですよ。
で、その後に少年院に入って、少年院から出てきたら、周りの友達から、セナの実のお母さんって人からめっちゃ連絡来てたよ、みたいな。多分向こうが検索かけてたんでしょうね。リプだったりDMとかで。で、向こうはだから私が少年院に入ってることも知ってて、出てきたらその実の母親からダイレクトメッセージが届いて、そっから、ちょこちょこ連絡取ってました。
だから北星余市に行ってる間も連絡は取ってました。今の両親には言ってなかったんですけど、その時は。下に3人兄弟がいるんですよ、私。その実の母親の家系の方に。で、私だけ父親が違くて、下3人は一緒なんですけど。みんな私の存在は知ってたみたいで、母親が言ってたみたいで、みんな快く受け入れてくれて。
その中期中絶した後、その日に退院して家帰ってくるじゃないですか。親にお金がこんだけかかって、みたいなことをずっと責め立てられてて。入院するぐらいの、言ったらほぼほぼ出産に近い形の堕胎方法なんで、体的にもすごい負担がかかってるし、何より精神的にめちゃくちゃしんどくて。家帰ってきたんだけど、すごい色々文句を言われて、もうしんどい、もういたくない、みたいなこと言ったら、タクシーでもいいから今すぐうちにおいで、みたいな。
行こうと思ったら、もうその時には多分知ってたのか、実の母親と私がやり取りしてること、その今の両親が。で、携帯見せろみたいになって、父親に取られた時に、実の母親と連絡取ってること、実の母のところに行こうとしてることもバレてしまい。もう父親が逆上して。まあでもそうですよね、お金も払ってくれてるしね。少年院に入った時も、北星余市に入りたいって言った時もそうだし、なんだかんだ味方でいてくれたというか、応援してくれてる両親ではあったので、裏切られた感がすごい強かったんだと思うんですよね。
で、携帯取り上げられ、保険証取り上げられ、財布取り上げられ、何も持ってなくてもいいから逃げようっていうので、タクシー乗って実の母親のところまで行って。裸で。そっから半年ちょっと、1年行くか行かないかぐらい一緒に生活してました。
お母さんのその時の旦那さんもいるんですか?そう、もちろん。で、そっか。5人家族のところにお邪魔することになったんですか?そうです。そうです。へえ。親子関係みたいなのって、その半年の間にできてくんですか?
最初はもう本当に母親の下の名前を呼び捨てで呼んでました。お母さんとかママとかの呼び方じゃなくて、本当友達みたいな感じでは入って。まあでも、その実母が結構問題ありで。
そうなんですか?その3人の子供を育てながら家庭を築けてるみたいな感じじゃないんですか?育ててないんですよね。正確に言うと、3人のパパに全部丸投げ。あ、そうなんですか。え、その旦那さんが中心的にその家庭を支えてるんですか?そう。家事もして、育児もして、仕事もして、旦那さんが全部やってます。
はあ。その家庭自体は裕福なんですか?いや、全然裕福じゃないです。本当生活費とかも毎月ギリギリの状態。余裕があるから来ていいよって感じでもないんですか?でもなかったですね。食べるものに困るとかのレベルではないですけど、結構献立とかを考えて節約してご飯作ってるみたいな感じ。
一軒家ですか?マンションですか?もうボロボロのアパートです。何部屋あるんですか?リビングと寝室だけです。1LDKかな?そこに6人で住んでるんですか?そうです。そうです。だから寝る時に関しては、もう布団敷いて全員雑魚寝です。6人が。
下3人の子供とせなさんは仲良くできるんですか?そんな状況で。兄弟はやっぱ幼少期欲しかったんで。1人っ子でずっと育ってたから、可愛くてしょうがなかったですね。ああ、じゃ、そっか、そこに関してはすごいお互い出会えてよかったなって感じになってる。うん。だしパパのことは私はすごく好きでした。ああ、そっか。尊敬できる大人だったんですね。
え、それじゃその半年で出てくるってことですか?自分から出てくる。そうです。何があったんですか?まず実の母親が不倫を繰り返してました。で、その旦那さんに説明する時の理由に私を勝手に使われる。せなと飲みに行ってたとか。
私は最初それ付き合ってたんですよ。そういうことね、オッケー、じゃあ話合わせとくね、みたいな。でも、だんだんしんどくなってきちゃって、あまりにもそのパパが献身的に家のことだったり子供のことだったり仕事だったりをやってるからこそ申し訳なくなってきてしまって、泣きながら言っちゃったんですよ。そしたらパパが、知ってるよ、大丈夫だよ、みたいな。ママが不倫してることは知ってるよ、みたいな。今に始まったことじゃないからっていうのは言ってて。
私がそのパパに喋ってしまったことがその母親に行ったんですよね。その時に母親からすごい電話がかかってきて、私は幸せになっちゃいけないのか、みたいな。あんたは私の幸せ壊して何が楽しいの、みたいな。っていうのがまず1個目で始まったのかな。
そういうことがどんどん積み重なって、それこそ家にたまにいると思ったら、子供たちもいるのにマリファナとか。同棲しちゃって、男と、不倫相手と。ずっと家に帰ってこない。で、たまに帰ってきたと思えば、パパが生活費として置いてある、金庫じゃないですけど、みたいなとこからお金を持って出ていくとか。
私も1回やられました。母親のバッグを借りようと思ったら私の財布が入ってたんですよ。どういうことって思って、財布あったんだけど、これどこで見つけた、みたいに言ったら、いや、なんかこの前に友達が、みたいな。ちょっと精神的にもおかしいし、嘘を常に吐き続けてる人なんで。自分がちょっとでも気に食わなかったら、もうすごいんですよ。罵詈雑言浴びせてくる。
は。不倫を伝えたみたいなことで、2回目の同じような目に遭ってるんですね。その子供の頃と、その大人になってから。養子縁組の方にも、実の母親の方にも。飛び出してどこに行くんですか?また戻りましたね、その元カレのところに。16個上の32歳の彼。
はあ。別に少年院出たからって生活が落ち着いてたわけではないんですね。そうですね。その後どんな仕事してくんですか?長いことずっと水商売です。もうずっとお店を転々としてキャバ嬢やって。
で、19歳の時に、その16個上だった元彼が自分のバーを出したんですよ。そこで働いてほしいって言われて働いてて。だから不思議な関係ですよね。その時はもう別れてるんですよ。あ、もう別れてるんですか?別れてるんですよ。だけど一緒に生活してるし、彼のお店で働いてたんで。
本当に2ヶ月ぐらいだけお付き合いしてた相手がいて、その人との間に子供ができ。破局した後に妊娠に気づいたんで。1回目の中期中絶の時にすごい後悔もしたし、本当にただただ家族が欲しかった。ちゃんと家族って思える存在。っていうので、産むっていう決意をして。
どうしようってなってた時に、少年院で見た、NPO法人BONDプロジェクトの橘ジュンさんが書かれてる『漂流少女』っていう本の存在を思い出して。そういう若年支援をしてる団体なんで、そこにパンってメールを送って。19歳です。妊娠してます。結婚もしてないし、相手ともう連絡取れないです。助けて欲しいです、っていうのを言って、後日会いに来てくださって。ジュンさん自ら。
どうしたいのって言われて、いや、産みたいですっていう。で、そっから支援を受けるようになって、BONDさんの。元々橘さんとかがメディアにすごく出てる方なので、このノンフィクションのお話が来たというか、密着させて欲しいんだけどっていうのを、フジテレビさん側から橘さんに話が来て、橘さんから私に来てっていうので、19歳の私の妊娠から20歳の出産までをフジテレビさんがノンフィクションで追ってくれて。私もその過去の人生も、今みたいな感じで、もっとさらっとですけど触れつつ。
へえ。それで出産。そうですね。無事できて。でも、なんだかんだ支援は受けてたんですけど、妊娠7、8ヶ月ぐらいまではずっとその元カレのバーで働いてました。お酒は飲まずに。へえ。元彼も妊娠してること一応知ってる?知ってます。へえ。
その後、そのジュンさんが運営というかしてるシェルターに入ることになって。出産して、支援施設にいたんですよね。橘さんがやってくれてたシェルターにいたわけじゃないですか。で、そこで生活保護を取る。生活保護って基本的に住まいがある場所でしか申請ができないんで、そのシェルターで取ってるんですよね。最初は都内のとこだったんで。
そろそろ出ていかなきゃいけない。で、その生活保護を受けながら子供を育てていくんだったら家も借りなきゃいけないよねって話になってきた時に、そこで探さないといけなくなるんですよ、家を。でも地元でもないし、何のゆかりもない場所なんで、生後数ヶ月の息子と生活していくっていうのは、正直その時の私はできる自信がなくて。
生後3ヶ月の時に息子を連れて実家に帰りました。今の両親の。両親の方も?あ、そうです。もちろん出産したことも全部知ってます。事情を説明して、実家に帰らせてほしい、実家で生活させてほしい、息子と一緒にっていうのを話して。そう、一応受け入れてくれて。そうです。そうです。
はあ。お子さん生まれた時、ご両親は孫に会った時どんなリアクションでしたか?多分やっぱ父は複雑だったんでしょうね。また責任取られずに逃げられたのかっていう多分感じだったと思うんで。それで帰ってきてしばらくは、父は抱っこするとか言っても、いや、いい、みたいな。複雑な感じは出てましたね。
お母さんは?お母さんはもう、可愛いね、みたいな。どうやって抱っこしたらいいの、みたいな。でもその赤ちゃんの時からね、今の両親は子供を育てたことがないんで。でも今、逆に父親が誰よりも息子を可愛がってるんじゃないかぐらいの。うーん。そこでなんか溺愛に変わってくんですね。溺愛に変わりましたね。
はあ。え、じゃ、その後はずっとその実家に暮らしたんですか?今も。私がいない時期もありました。息子はずっといます、実家に。せなさん、なんで出ちゃったんですか?やっぱ両親とぶつかることも、今でもたまにあるんですよ。一緒にいられないな、精神的にきついなっていう時期があったりとかして。
その後に、お付き合いした人がいるんですけど、息子連れてその人のとこに行ったりとか、その人と一緒に住んでたりとかいう時期もあったんですけど、その彼から、将来的なことは考えられない、息子のことを自分の子供として育てていくことも俺にはできないしっていうのを言われて。今は全然もう普通に実家に帰ってきて、一緒にみんなで、父と母と息子と生活してるんですけど。
息子の前でもそのご両親とやっぱ結構喧嘩しちゃってる?ありますね。ファミレスでご飯を食べてて、多分気に障ることを言ってしまったのか、してしまったのか、もう周りの目も気にせず怒鳴り散らかす、みたいな。他の人たちが、え、大丈夫?ってなるぐらいで、母親も一生懸命止めて。置き去りにして帰っちゃったり、父が。
へえ。出てけとも言われるし、めちゃめちゃすごい怒鳴られてるし、もう嫌だってなって。その時に、北星余市時代にお付き合いしてた人がいて、高校やめてから会ってなかったんですけど、やり取りしてて。たまたまその日も、話聞いてよ、みたいな感じで電話して、いや、これこれこうで、パパと喧嘩して、出てけって言われて、もう家にいたくない、みたいな。そしたら、当時大学に進学して愛知に住んでたんですよね。愛知で1人暮らしで。行くとこないし家帰りたくないんでしょ、じゃ、来れば、息子連れてって言われて、息子連れて行ったり、愛知まで。
で、愛知で2、3ヶ月、その父親の機嫌が治るというか、ほとぼりが冷めるまで、2、3ヶ月息子と生活したりとか。もちろん当然何もないですけどね、その彼とは。別に異性関係があったとかではないんですけど、一緒に生活してた期間。
へえ。息子さんはもうあらゆるものを、その6歳でしたっけ?6歳にして見てるから、大人の顔色を伺う子供になってそうですね。うーん。そうですね。
はあ。今回はなんで応募してくれたんですか?ちなみに。まだ正式に立ち上げてはないんですけど、活動自体はしてるんですけど、YORISOIっていう名前で若年支援をやっていくことになって。BONDプロジェクトの橘さんしかり、少年院にいた時の担当教官だった人しかり、大人に支えられて前を向けてきた過去があるし、私もそういう複雑な家庭環境だったり問題を抱えてた当事者でもあったので。
トー横だったりグリ下の問題がすごい騒がれてる中で、ほっとけなくなっちゃったんですよね。自分が支援を受けて立ち直った側なのもあるし、過去の自分を見てるようで。この活動していくよっていうことを人に知ってもらいたいのもそうだし、助けてって言ったら助けてくれる大人もいるんだよっていう。大人なんてって思ってた子が、向き合ってくれる大人がいるんだっていうことを知ってくれる子が増えたらいいなっていう。
息子さんがいるじゃないですか。息子さんが少年院に行かない人生にするためには、なんか気をつけてることとかありますか?やっぱそのね、どっちもやらなきゃいけないじゃないですか。シングルマザーなんで働いて稼がなきゃいけない。でも母親という役割もやらなきゃいけない。だから父親と母親両方やるみたいな感じじゃないですか。
だからやっぱどうしても忙しい仕事で、寝顔にしか会えない日もあるし、本当ね、多分普通のお母さんと子供よりかは過ごす時間は少ないと思ってるんで、寂しい思いさせてしまってるのも分かってるし。その分、彼と一緒にいる時間、彼にはずっと言葉で伝え続けてます。私はあなたが大好きだよ。あなたのことが大切だよ。あなたは私にとって宝物なんだよ。私は多分欲しかったんですよね、昔そういう言葉が、子供だった頃。彼に伝え続けてます。
そうか。じゃ、その、10人の非行少年と集団で暮らさないようにはしたいですもんね。いや、別にあの時はあの時で、きっと青春だったんで楽しい思い出でもあるんでしょうけどね。その結末として新聞に載るぐらいの犯罪になっちゃったんですもんね。
ただ、何ですかね。これは良くも悪くも覚悟というかはしてます。彼が例えば、私と同じような道を歩んでしまったとしても、それは親として、責任として受け止めるし。ただ、そうならないようにしなきゃいけないなっていうのはあるんで、愛情表現っていうものはすごく彼にはしてるつもりではあるんですけど。
今26です、一応。30歳とかでどうなってたいとかありますか?ええ、そうですね。YORISOIの活動が軌道に乗り、息子とももっと一緒にいれる時間が増え、わがままかもしれないですけど、どっちもが叶ったらいいな。自分のやりたいことを仕事としてうまくやっていきたいのもあるし、息子と一緒に過ごす時間が増えてっていう風になってったらいいなっていう。
ちなみにお母さんには会えたじゃないですか。はい。お父さんに会ってみたいって思ったことありますか?いや、会ってみたいです、それは。実の父親が何者なのかは教えてもらったんですか?お母さんに。名前だけは聞きました。
不思議というか、怖いというか、知らず知らずのうちでしたけど、私も実の母と似たような人生を送ってしまっていて。実の母も子供を下ろしてるんですよね、私の父親に当たる人との子供。で、私ができて、その時も下ろせって言われたけど、1人目を下ろしてしまったこともあるし、それで私を産んだっていう。だから本当私と同じような。へえ。そっからもう関わってないとは言ってましたね。
だから息子の父親に対しても、息子が生まれてから連絡取れるようになった時期があって、その時に1つだけ条件というか約束して欲しいって提示したのが、息子がもし物心ついて、思春期とか、大人になったりとか、どのタイミングで来るかわかんないですけど、父親を知りたい、会ってみたい、その時は普通に会ってあげてっていう。快諾してくれてるんです。その約束だけ守ってくれればいいよっていう。
今現在、お父さんってものをどう認識してるんですか?息子さんは、6歳に。そこに対して何か言われたりっていうことは1度もないですね。なんで僕にはパパがいないのとかは聞かれたことはない。だからそれは、彼なりに聞いてはいけないことだと思ってるのか、シンプルに気にしてないのかは分からないですけど、絶対にいずれかは触れるじゃないですか。彼が気になる気にならないとか、私が話す話さないとかじゃなくても、絶対多分そういうのはいつかは出てくるんで。彼を傷つけない説明の仕方をしますけど。
年長?来年小学校1年です。あ、来年小学生。ああ。友達いますか?普通に。います。います。なんかモテモテですね。ええ、モテるんだ。いいですね。友達と仲良くしてくれてればそれでいいですよね。
ちなみに、さすがに今日とかは全然こんなね、タトゥーとかも見えてる状態で普通に会ってますけど、さすがに息子の保育園の送り迎えとかは隠してるんで、きちっと。あ、そう。まあね。でも、タトゥーとか若い人増えてるから、もう別にそんなに引かれないような気もし。
普通に再婚して、お母さんみたいに破綻しないようになれる自信ありますか?ちなみに。別に望んでるのかどうか知らないですけど、仮に。結婚願望はありますよね。結婚願望というか、家庭を持ちたいっていうのと、あとは、私が1人で結構寂しかったんで、兄弟作ってあげたいなっていうのはある。
そういうタイプの人に恋愛感情を抱く可能性あるんですか?平凡な。そう、平凡なというか、平穏な家庭ができそうな人。なんかわかんないけど、確かに今までね、すごいなんか、ちょっと。でもそんなこともないか。その後に出会った人とか、4年お付き合いしてた人がいるんですけど、とかは、あ、難しいな。暴力もあったな。あったけど、でも割となんかまだマシな人だ。マシっていうか、感謝してることはいっぱいありますよ。
暴力を振るわれない恋愛したいですね。どうやったらできるんですかね?いや、みんな最初はいい人なんですよ。なんか私、人に怒ることがほとんどなくて、特に恋人とか相手だと。何されても、なんかごめんねってなっちゃうんですよ、私が。あ、そうなんですか。だから多分調子に乗らせてしまうというか。
あ、そうか。じゃ、自分が暴力をちょっと誘発してるなって思うこともあるんですか?だから、暴力振るわれて1回目の時って、みんなごめんねってなるんですよ、やってしまったっていう。けど、そこで私が許してしまうから、それをやっても許される、それをやっても離れないっていう多分概念になってっちゃうんですよね。
そう。じゃ、別にそもそもそんな暴力性のある人間じゃない人を、そういう人間に仕立てちゃう癖があるんですか?仕立てちゃう。え、だって今振り返ると、そうしちゃってるな自分がって思ったわけですもんね、さっき。許しちゃってるからエスカレートしてくみたいな。そう、だから何でも基本許してしまうから、そうなってくのかなっていう。はあ。そうか。許しすぎるが故の結末。
私はなんか人を憎めないというか、だから両親のことも別に憎んではないんですよ。事実と感情は違うんで。事実として、そういう虐待に近いことはあったよね。けど、感情としては別に、だからと言って嫌いとか、だから許せないとは別に思ってない、両親に対して。それは誰に対してもそうなんですよね、基本的に。
その嫌なことを自分にしてきたとしても、それだけがその人の全てではないし、いいところと悪いところ両方持ち合わせてるんで、悪いところだけ見て、その人をじゃあ嫌いになりますとか、憎みますを、私は誰に対してもしたくない。だから多分ダメなんでしょうね。
ああ、まあ、慈悲深い心を持って接してるんだが、それのせいで結局破綻することが多いってこと。ああ。それを学びにして、いい塩梅で、許さないのか話し合うのかってやってく必要があるんでしょうね、きっとね。まだ26だからね。こっからなんか変えられる可能性ありますもんね。そうですね。
でも、その4年一緒にいた方とお別れしたのが去年の11月なんで。あ、そうなんですか。そうです。そっからまだ恋愛してないんですけど、次もしするのであれば、息子を絶対に受け入れてくれる人、かつ刺激とか1mmもいらないんで、もう温厚で平和で優しい人を見つけます。なるほど。
あ、そっか。それをさっきの4年の人が考えられないって。そうです。それに4年時間使っちゃったの辛いすね。息子ごと愛してくれる人と。そうですね、本当に。で、暴力振るわない人、浮気しない人。
浮気はしてないですか?ちなみに、その4年間の彼と。あ、私ですか?してる人間の顔じゃないですか?まあ、別れてた期間もあるんで、その4年の間。その関係があまりよろしくなかった時期は、あったっちゃありましたね。あ、じゃ、お互い様なんすね。そうですね。何とも言えないです。
そうか。そっか。やり合わなくて済む人を見つけてください。はい。ありがとうございます。ちょっと連絡してきます。はい。ありがとうございます、忙しいのに。頑張ってください。はい。ありがとうございます。
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