「君たちの親孝行はとっくに終わってるよ」――岡田斗司夫が答えた6つの人生相談
岡田斗司夫岡田斗司夫によれば、人生相談で一番多いのは恋愛、次が仕事や進路、その次が家族の相談だという。家族の相談がそれほど多いのは本人にも意外だったらしく、「僕に家族問題を聞いてどうすんだ」と思いながら、今回は家族にまつわる切実な相談にも答えている。本動画は2022年7月31日配信の岡田斗司夫ゼミ第451回を編集したもので、相談は6本。アニメの名作の見方、教師と生徒の関係、親への恩返し、恋愛、教師の理想像と、話題は幅広い。ただ全体を通して、理想論の建前と、立場や市場価値といった現実とを分けて考えるという岡田の姿勢が一貫している。
『銀河鉄道999』の脚本は「都合のいい仲間」に頼っている
最初の相談者は10代の女性で、父親に勧められて映画『銀河鉄道999』を観た。世界観は良いと思うものの、鉄郎がピンチになると仲間が都合よく現れすぎると感じたという。相談者にとって物語の見どころは、主人公が観客の予想を超える説得力のある方法でピンチを脱するところにある。主人公が努力するのはよいが、誰かが助けに来る展開は最悪だと考えている。自分がまだ学生だから大人にしか分からない良さが分からないだけなのか、999はどこが評価されているのか、という質問だった。
岡田はまず、これは昔から今まで解決されていない問題だと答える。例として挙げたのは劇場版ポケモンである。劇場版では必ず史上最強の敵が現れるが、帽子をかぶって「ゲットだぜ」と言っている子供がそんな相手に勝てるはずがない。アニメ、特に劇場版では、最強の敵に対して普通の男の子や女の子が戦わなければならないのがお約束になっている。
岡田はこの無理を解決する方法を大きく3つに分ける。1つ目は、尋常でない努力や特訓で力を身につけて勝つ方法。2つ目は、相談者が嫌う、力のある仲間がやってきて助けてくれる方法である。3つ目は「奇跡」だ。理由は分からないが奇跡が起きたことにして、難しげな用語をつけ、映画の尺の間だけ観客をだませればよいとして押し切る。
どの方法を選ぶかに世代の感覚が出る
岡田は2つ目の「仲間が助けてくれる」展開を、全共闘世代のものの考え方と結びつけて説明する。全共闘世代とは岡田より10歳ほど上の世代で、今では老人になっている人たちだ。その親の世代は戦争に反対しきれなかった。全共闘世代は日米安保に反対したが、結局何も変えられなかった。若者の熱い情熱は分かる、しかしそのうえで全ては無駄なのではないか、という黄昏感や無力感が、あの世代にとってのリアリティだったと岡田は言う。
だから、鉄郎がぎりぎりまで頑張ったところにハーロックやエメラルダスのような力を持つ者が現れ、「よくぞここまで頑張った」と助ける展開は、あの世代にとってはごく自然なものだった。岡田はさらに、今の自民党の老政治家たちが「いざとなればアメリカが助けてくれる、安保があるから」と考える発想の原点もそこにある、とも付け加える。
一方、努力してスーパーヒーローになる話は嘘っぽく、強力な仲間が助けに来る話も当てにできない。そこで岡田が「オタク世代」と呼ぶ、今の40代から岡田と同年代くらいまでの作家がやりがちなのが3つ目の「奇跡」である。昔のアニメは都合のいい仲間に頼り、今のアニメは奇跡に頼る、というのが岡田の整理だ。次の相談で扱う『天気の子』やエヴァ、ポニョもこの系列に入るという。
結局どの方法でも脚本は壊れている、と岡田は言う。子供が世界の破滅に立ち向かって勝つこと自体が無理だからだ。その無理があるからアメリカはスーパーヒーローものに向かい、日本は異世界転生ものに向かった、という話にも触れたが、岡田はこれを余談として切り上げた。
名作とされる理由は、映画業界を変えた興行成績
では、なぜ999は名作と言われるのか。岡田の答えは、作品の出来ではなく影響の大きさだ。社会現象として、とにかくものすごくヒットした。そのインパクトは『鬼滅の刃』以上だったと岡田は言う。『鬼滅の刃』の記録もすごいが、それはアニメ映画が儲かること、夏休みや春休みの映画館がアニメでいっぱいになることが分かっている状況で出た記録だ。
999が公開された当時、アニメは一流の配給会社が扱うものではないと思われていた。夏休みや正月に一流の映画を回してもらえない映画館が、合間にぽつぽつ上映するものだった。ハリウッド映画が2時間を超えるのに対し、アニメは90分ほどで回転率がよい作品として扱われていた。999はその映画館でのアニメの立場を変えるほどのヒットだった、と岡田は説明する。
今からアニメ史を振り返ると『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』の存在が大きく見える。しかし岡田は、ビジネスの世界から見れば、映画業界を変えたのは999だと言う。子供たちがリピートせずに1回ずつしか観ていないのにこれだけの興行記録を出し、それ以降、大手の配給会社がアニメを扱うようになった。それまでは、アニメの新作映画を朝の情報番組や土曜昼のバラエティで紹介することなど考えられなかった。ヤマトもガンダムも必死にキャンペーンを張ったが、ヤマトはそうした番組でほとんど紹介されなかったはずだし、ガンダムも「若者が初日に徹夜で行列している」という程度のニュースだった。999あたりから風向きが全部変わったと岡田は言う。
アニメ界を変えたという意味で名作なのであり、これはアートと同じだと岡田は続ける。ある絵がアートとして高く評価されるのは、アートの流れを変えたからだ。業界の中では意味があっても、普通の人から見れば好き嫌いがあって当然の絵はいくらでもある。
岡田自身は昔999が好きだった。理由は、松本零士が何十巻もの漫画で描いた大きな物語を、2時間の映画になんだかんだでちゃんと収めたこと、そして絵が派手で飽きないことだ。ただ脚本には相談者の指摘どおりの欠点があり、今観れば80点台の出来だろうとも言う。それでも、汽車が宇宙を飛び、男の子が乗り、一緒にいるお姉さんが「鉄郎」と少し色っぽいセリフを言うだけで2時間観ていられるのは面白い映画だった、と締めくくった。
『天気の子』『エヴァ』『ポニョ』はなぜ観客を置き去りにするのか
2つ目の相談は30代女性の須藤さんから。『天気の子』『エヴァンゲリオン新劇場版』『崖の上のポニョ』の主人公たちは、愛する相手を救うため、あるいはただ会いに行くためなら世界がどうなっても構わないという行動に出る。お話としては素敵だと思う。しかし相談者はどうしても共感できず、正気に戻ってしまう。観客は結局、こうした世界で被害を受ける側の人間ではないか。自分なら真っ先に死ぬあっけない存在だろう。岡田はこの終盤の展開をどう受け止め、何と名付けているか、という質問である。
岡田はまず、一般的にはこれを「セカイ系」と呼ぶと答える。個人の問題と世界の大問題がつながっていて、しかも個人の問題が世界より優先されるパターンのことだ。そのうえで岡田は、作り手側が観客の幼さを見切り、観客がこういう話を好むだろうと計算して作っている、マーケティング的な感動ではないかと疑っていると述べる。
岡田はここで異世界転生ものを例に挙げる。主人公がチート能力を持ち、どんどん問題を解決して感謝され、モテる。そうした作品が似たものばかりになるのは、作り手の頭が悪いからではない。「アニメを観ている人はこういうのが好きなんでしょ」と、悪く言えば観客を少し見下したマーケティング的な作り方をしているからだという。ただしそれはプロデューサーの視点である。現場の脚本家や監督は、与えられた話数や脚本の範囲で自分の作家性を出そうとして、少し難しいことをやる。プロデューサーの「こうすれば受ける」と現場の「でもこれがやりたい」が拮抗しているから、異世界転生ものは面白いのだと岡田は見ている。
観客の代表から「貴族様」になったクリエイター
岡田によれば、クリエイターは基本的に背伸びをして作品を作る。自分にはできないことを主人公にさせる。ところが今のクリエイターには、設定を極端にし、その中でわがままを通そうとする癖がある。世界の終わりのような状況を作り上げ、自分を投影した主人公にわがままを通させる。宮崎駿なら幼稚園児の恋愛のようなものを、庵野秀明なら個人的な感情や我を、破滅的な世界の中で押し通そうとする、と岡田は言う。
岡田の見立てでは、今のクリエイターは1980年代から90年代頃のような「観客の代表者」ではなくなり、「貴族様」になった。そのため、作品を観るファンのことを考えなくなった。ファンのために作るという姿勢は1990年代ぎりぎりまで残っていたが、『クレヨンしんちゃん』ですら見失っている。岡田が大好きな『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』も、この意味では観客を捨てて監督がやりたいことをやり始めた作品だという。それによって商業作品ではなくアート作品に近づき、面白くなった。しかし、その状態が20年以上続いた結果、観客たちは無意味な大衆、つまり背景になって死に絶え、作者の願望を投影したキャラクターが結ばれて「それでよし」、あとは「お前ら一般大衆は被害の中でも強く生きていけ」という話になりがちになった。
3作品をまとめて「変だ」と感じた相談者に、岡田は「ドキッとした」「よく見抜いた」と答えている。岡田はこれを以前から「クリエイター至上主義の弊害」と呼んでいる。昔はプロデューサーが企画してアニメを作らせていた。今は、いいアニメを作るにはクリエイターをできるだけ優遇し、クリエイターが作りたいものを作らせるのがいいという「宗教」にみんなが入ってしまい、作品が少しずつそちらに寄っていった。岡田はどちらが正しいとは言わない。プロデューサー主導とクリエイター主導が拮抗している状態が一番いいと考えている。今はプロデューサー至上主義のマーケティング的なアニメから、クリエイター至上主義へ大きく振れきった状況にあり、そのためにこういう作品が生まれている、というのが岡田の結論だ。
先生は時間にルーズでも許されるのか:人は平等でも立場には上下がある
3つ目は10代男性のウイスキーさんから。授業の開始時刻には厳しく、2分前に着席しろという先生もいる。それなのに終わりの時間にはルーズで、「もうちょっとだけ」と授業を延ばしても平気な顔をしている。生徒にとっては次の授業の開始時刻が迫っているのに、という不満だ。大人の世界でもこういうことはあるのか、こうした時間感覚の違いはいつどうやって生まれたのか、という質問である。
岡田は自分もしょっちゅう延長するので先生の気持ちが分かる、と笑う。建前どおりに答えるなら「生徒に言う以上、先生も守るべきだ」となるが、岡田は自分の言葉でまとめると断ったうえで、大人の世界ではこれが当たり前だと答える。
例に挙げたのは企業へのプレゼンだ。売り込む側は気を使って開始時刻も終了時刻も必ず守る。一方、プレゼンを受ける側は平気で時間を変える。「取締役が集まらなかったから4時からにして」「来週にして」と言い、話が面白ければ1時間ほど延長させることもある。売り込む側は次の会社でのプレゼンが控えているかもしれず本当は困るが、なんとか対応するしかない。これは生徒と先生の関係にそっくりだという。
なぜそれが当たり前なのか。岡田の答えは、受ける側が「偉い」からだ。学生はたいてい、人間には上下がない、全ての人は平等で公平だと教わる。それはその通りだと岡田も認める。しかし、人間には上下がなくても、人間の「立場」には上下がある。1人の人間として社長と社員の価値は等しいが、社長という立場と社員という立場には上下関係がある。学校は理想形だけを教え、現実の補正は就職活動の圧迫面接などでいきなり思い知らされる。圧迫面接は本来あるべきではないが、雇うかどうかを決める会社は立場が上で、入れてもらう学生は立場が下だから、ああいう態度になるのだという。
学校も同じで、立場の上下があるから先生は命令できる。立場を離れれば人間としては平等だから、命令に従わない自由もある。しかし先生の立場では、登校を命じることも、退学を言い渡すこともできる。人は平等であるということと、立場には上下関係があるということ。この矛盾する2つのルールを使い分けて人間社会は動いている、と覚えておいてほしいと岡田は答えた。
両親の愛が怖い:親孝行は3歳までで終わっている
4つ目は、今回の中心となる22歳女性・みのりさんの相談である。一人っ子として両親の愛情を一身に受けて育ち、高校も大学も私立に通わせてもらい、欲しいものは買ってもらえる環境にある。両親のことは大好きで、何度も自殺を決意したときも、自分が死んだら両親が悲しむと思いとどまった。それでも、両親からの無償の愛が怖い。多くのお金をかけてもらった分、返さなければならないと考えてしまう。できるだけ稼いで老後は楽をさせたいが、優秀な両親と違って自分は失敗ばかりだ。その劣等感からか、中学の頃から両親のことを考えると涙が出るようになった。幼い頃から全ての決断は両親のためだった。この涙を止めるにはどうすればよいのか、22歳なのに親離れができない、という内容だった。
岡田はまず、「これだけお金と手間をかけてもらったから返さなければならない」という前提が間違っていると言い切る。その根拠として、自身に育児経験があり、保育園の送り迎えで他の親とも話していたことを挙げる。ただし、これは絶対の正解ではなく、親の側の「あるあるパターン」だと断っている。
岡田の答えは、子供が0歳から3歳まで生き抜いてくれた時点で親孝行は終わっている、というものだ。それほど0〜3歳の子供は圧倒的に可愛く、親はその時期に、人生の他のどんな経験でもありえないほど多くのことを経験できる。だから、もし親が「お金も手間もかけたのだから、ちゃんと親孝行してよ」と言い出したら、その言うことは聞かなくていい。その親は元金をすでに返してもらったうえで、さらに利子を取ろうとする悪徳高利貸しになっているからだ、と岡田は笑いながら言う。世界中の全ての親は、3年間子供と過ごす時間をもらった時点で支払いを受け終えている、だから気にしなくていい、と繰り返した。
「失敗ばかり」は親を試しているのではないか
一方で岡田が気になったのは、「優秀な両親と違って失敗ばかり」という部分だった。岡田は、自分は人間のそういう面ばかり見てしまうので、と断りつつ、次のような見立てを示す。相談者は親から多くのチャンスを与えられ、何をやってもいいと言われている。そのため無意識に、自分にはできなさそうなことを選んで親を失望させ、無償の愛にさらに甘えを上乗せして、本当に親は許してくれるのかを試したくなっているのではないか。「親離れできない」というのも、まだ甘える余地があるかを試したいからではないか。
そして、親に負担をかける失敗をしていることに心の裏側では気づいているから、涙が止まらない。自分の本心に自分で気づいているために起こる「液漏れ現象」だと岡田は表現する。それを止めるには、無意識にやっている行動をやめることだ。できないチャレンジはしない。本当はやりたくないことはやらない。たとえば親が海外留学を勧めても、それに応えて留学してあげることは親孝行ではない。親孝行はもう終わっているのだから、と岡田は言う。
親から離れることが、親の2度目の成長になる
岡田はさらに、ここから先はむしろ独立して親のもとを離れ、親に次の成長の機会を与えるべきだと続ける。親は0〜3歳の子供を可愛がり、その後は子供を心配することで人間としての力が上がる面もある。しかし逆に言えば、子供に構いすぎて子供を幸せにしようとする親は、人間としてダメになっていると岡田は考えている。
ここで岡田は、よく見ているというYouTuberの「ヘライザーさん」の名前を挙げ、話し合ってもきっと意見が合わないだろうと言う。その人は子供の幸せを考えろと言うが、岡田は、子供の幸せなど考えなくていい、そんなことを考えるから世の中が狂っていく、自分の都合で考えろ、という立場だという。子供は親に失望し、そこから独立することで、自分が親になる強さを身につける。子供を幸せにしようとすると、その流れが生まれない、というのが岡田の考えだ。
だから相談者には、親にもう少し無関心になり、恩知らずと言われるくらい冷たく接して、親を見放してあげてほしいと勧める。そうすれば親は、娘が自分から離れていったことで「自分には何が残ったのだろう」と考え始め、伏線回収のような第2段階の成長が始まる。自分は64歳だから言えるが、相談者の親はおそらく50代で、まだショックで落ち込み、絶望し、もう一度立ち上がれる年齢だ。それくらい困らせてあげてください、と岡田は答えた。
95キロで彼女ができない:「あんたよりいい人がいい」の意味
5つ目は埼玉の20代男性・佐藤さん。これまで数十人の女性を口説いてきたが、いつも「あんたよりいい人がいい」というニュアンスの言葉で振られる。おかげで女性と話すのは得意になったが、彼女いない歴は年齢と同じ。体重は95キロで太っているが、体型に合う服を選び、身なりには気を使っている。趣味は料理とゲームで、悪くないと思う。何を改善すれば彼女ができるのか、という相談である。
岡田はまず、95キロなど太っているうちに入らない、自分の今の人生の目標は95キロくらいになることだ、アメリカに行けば自分でもまだ太っていないと思える、と笑いを交えて返す。
そのうえで、振られるときの言葉の意味を説明する。これは「あんたと付き合うはずがない」という意味だ。ただし、そこまで否定的ではない。面白いし、料理もできるし、話していて楽しい。十分にいい人だとは分かった。けれど、なぜ私があんた程度で手を打たなければならないのか、ということだ。岡田はこれを、誕生日にコンビニのパスタや、値崩れして「100円引き」の値札が見えるスーパーのケーキで祝われるようなものだとたとえる。「私はそこまでの値打ちしかないのか」と言われているのだという。つまり相談者は、500円玉1枚しか持っていないのに1万円くらいの品物しか置いていない店に入っているようなものだ。店の人の本音は「ここにはあんたに買えるものは一つもない」である。
恋愛市場での自分の価値という考え方については前回の人生相談で説明したので、そちらを見てほしいと岡田は言う。今回は、相談者が知りたいであろう「どう行動すればいいか」に答えた。
グレードを1人ずつ下げて、自分の市場価値を測る
岡田の提案は、今日から3か月で20人ほどの女性を口説くことだ。脈がないと思ったらすぐ次に移る。1人目は今まで好きだった人でいい。数十人を口説いてきたのだから惚れっぽいのだろう、その中の1人でいい、と岡田は言う。ダメだったら、次の人は必ず「グレード」を下げる。グレードは見た目でも年齢でも何でもよく、自分なりにマイナスポイントだと思う点がある人を選ぶ。それでもダメならさらに下げる。
岡田は相談文を読んで、この相談者は実は女性なら割と誰でも好きになれるタイプだと感じたという。それでも「こんな人と付き合えたらいいな」と上のほうを狙いすぎている。だから1人ずつグレードを下げていき、相手が「あんたと付き合うと楽しいかもね」と興味を示したら、そのグレードが自分の市場価値だとわかる。まずはそれをつかもう、という提案である。
岡田は、女性が聞けばあまりいい気持ちはしないだろうと認めたうえで、男女では恋愛市場での価値がとりあえず違いすぎる、と付け加える。学生時代は、市場価値の違う人たちを1つのクラス、1つの学校に詰め込み、その中でしか恋愛しないような幻想がある。それを当たり前だと思いすぎると、社会に出てからひどく苦労することになる、と岡田は述べた。
公立と私立の違いは教師ではなく、生徒の平均値
最後の相談は、公立中学校で教えている30代女性・ちびクロさんから。ここ数年働いてみて、この仕事に向いていないと感じることが増えた。過去の動画で岡田が「子供を私立中学に入れておくべきだった」と話していたのが心に残っている。岡田の考える理想の教師とはどんな人か。公立と私立の教員に質の違いは感じるか、という質問だった。
岡田は、あれは自分の娘の教育についての発言だったと振り返る。相談者はその発言から、公立と私立には差があり、それは主に教員の差だと受け取ったのだろう。しかし、それは全部違うと岡田は言う。教員に違いがあるかどうかは正直分からないが、違いはないと思う、と述べたうえで、あるのは生徒の平均値の差だけだと説明する。
小学生の上位5〜10%が私立に行くため、私立中学の生徒は統計的な意味でレベルが高い。個別に見れば私立でもレベルが低い子はいるし、偏差値が高いのに公立に行く子もいくらでもいる。岡田が言っているのは全体を見たときの統計の話だ。私立中学は、成績や家庭環境が上位の子ばかりを試験で集める。だから無用な拘束で縛らなくても素行がよい可能性が高く、愛校心も期待できる。多少先生が無能でも、生徒のレベルが高いから学力も期待できる。私立の生徒の成績がよいのは、教育システムや校風や教師の能力が優れているからではなく、優秀な子を集めているからだ、というのが岡田の見方である。
理想の教師は「平均的な人材」
では理想の教師とは何か。岡田の答えは「平均的な人材」だ。怒りっぽく、ときどきネガティブになり、本来は中立であるべきなのに私情を交えて特定の生徒をひいきしたりする。そのことをときどき反省して落ち込み、もう少しまともな先生にならなければと思いながら、同じ間違いを毎年繰り返す。それでも10年、20年経つと「あの先生、なかなかいい先生だよね」と言われる。そういうごく普通の先生が理想だと岡田は言う。大事なのは、そうした平均的な人材でもちゃんと教師になれる、当たり前の教育システムを考えることだ。教師の理想を目指したり語ったりすべきではない、と岡田は述べる。
岡田によれば、これは政治にも会社にも当てはまる自分の考え方だという。例に挙げたのはNetflixだ。優秀な人材ばかりを集めたがるNetflixを岡田は信用しない。その方式なら運営がうまくいっているように見えるのは当たり前だが、そうするのは経営陣が無能だからだと岡田は言う。本当に有能な経営者なら、平均的な人材が入っただけで売上が上がる仕組みを作れるはずだ。
岡田はさらに、デイヴィッド・ハルバースタムの『ベスト・アンド・ブライテスト』を引き合いに出す。理想的な人選をしたケネディ政権が、なぜベトナム戦争で崩壊したのか。日本でも東芝、ホンダ、ソニーが70〜80年代にあれほどうまくいったのに、90年代から2000年代にかけてなぜ落ちていったのか。優秀な人材を集めれば優秀な成果が出るという考え方では、こうした現象を説明できないと岡田は言う。理想のスタッフで理想の運営をすると、自分たちのやっていることが絶対に正しく見え、システムはどんどん腐っていく。欠点のある当たり前の人間が教師になってもちゃんと回り、平均的な生徒たちが教育を受けて出ていける仕組みのほうが大事だ、というのが岡田の答えだった。
追加パート:子供を形づくるのは友達、親の期待は忘れてもいい
本編の後、岡田は編集時点で撮った追加のコメントで、公立と私立の話を補足している。今の都市部に住む親にとっては身近な話題だろうとしたうえで、両者の違いは教師やカリキュラムではなく生徒にあると繰り返す。ただし、ここでいう生徒の「質」は、私立の子供のほうが上等だという意味ではなく、性質が違うという意味だと断っている。私立には、家庭も本人も勉強を重視し、勉強が得意な子が集まる確率が高い、ということだ。
さらに岡田は、子供の人格形成にはどんな大人に教えられたかより、どんな友達に囲まれて育ったかのほうがはるかに大きく影響する、それが現代の教育論の常識だと述べ、関心のある人には翻訳書『親業』を勧めた。親の立場で綺麗事抜きに考えれば、お金があれば私立に入れたい、公立ならできるだけ偏差値の高い学校に入ってほしいと思うのは仕方がない。親があれこれ考えてしまうのは、それが親というものだからだ。
そのうえで岡田は子供の側に向けて、考えすぎている親に対して、そんなに気負う必要はないと言う。無意味に反抗しろというのではなく、プレッシャーに潰されるくらいなら一旦忘れろ、という意味だ。親孝行は3歳まで無事に生き延びた時点で完了している。恩返しをしなければ、期待に応えなければと考えすぎると、親の幸せを作る操り人形として一生を終えることになる。それはそれで構わないのかもしれないが、自分の子供にも同じことを強いるようになってしまう。親は心配したり干渉したりするのが仕事のようなもので、子供はそれをあまり気にしなくていい。岡田はそう述べて、この回を締めくくっている。
人生相談ね、募集してたらですね、1番多いのが、なぜか恋愛の相談なんですけど、次がですね、仕事とか進路ですね。こっから進むべき道の方の相談で、その次ぐらい多いのがですね、家族についての相談なんですよね。意外だったんですけどもですね、僕に家族問題を聞いてどうすんねんと思うんですけど、今回はですね、そんな家族に対するちょっと切実な相談に答えています。おはようございます。岡田斗司夫です。
どんな相談なのかというと、これがなかなか厄介でですね、素敵な両親の一人っ子として愛情たっぷりに育てられたと。それはありがたいんだけども、逆に両親から受けた恩っていうのが重すぎてどう返していいか分からないと。両親のために頑張りたいけども、なんか結果がついてこない。なんか次第にですね、両親のことを考えて辛くて涙が出るようになったというですね、真面目な女の子の悩みですね。この他にもですね、岡田さんにとっての理想の教師像を教えてくださいというですね、現役の公立学校のですね、先生からのですね、質問とか、あと、名作アニメだと聞いたから難しいアニメ見たんだけど、楽しさがよくわかんないというですね、アニメについての質問もあります。この動画ですね、2022年7月31日に配信した岡田斗司夫ゼミ第451回をですね、編集したものです。動画終わった後もですね、追加のアップグレード情報あるので楽しみにしてください。それではこっから無料動画スタートです。
まず10代の相談です。トマトの缶詰さん、女性です。こんにちは。岡田さんに質問です。銀河鉄道999はなぜ名作と言われてるのでしょうか?あ、もう最初のやつですね。しょっぱなから来ました。私は先日父の勧めでこの映画を見ました。いいね。お父さんいいね。はい。大まかな流れや世界観は良いと思うのですが、鉄郎がピンチの際に仲間が都合よく登場しすぎだと感じています。私は主人公がいかに観客の予想を超えて説得力のある方法でピンチを脱するのかが物語の見所だと思っています。なので危機を脱するのにですね、主人公が頑張るとか誰かが助けてくれるは、一部例外はあるものの基本展開的には最悪だと思っています。あ、これちょっと間違えてね。主人公が頑張るはオッケーなんだけども、誰かが助けてくれるは展開的には最悪だとトマトの缶詰さんは思ってるわけね。私はまだ学生なので大人には分かる良さが分からないだけなのでしょうか?岡田さん、よろしければ銀河鉄道999のどこが評価されてるのか教えてくださいと。
うーんとね、あのね、これね、難しい問題。難しい問題ってか、今も昔も実は解決されてない問題なんだけども、例えばそうですね、トマトの缶詰さん10代だったらポケモン分かるかな?まあ、もうポケモンも古いコンテンツかわかんないですけど。例えばそのポケモンだったらですね、映画版のポケモンが公開されると必ず予告編でですね、ポケモン史上最強の敵ってのが現れるじゃないですか。なぜか映画版ではですね、必ず最強のなんとかが現れてくるんですよね。で、そんな最強の敵に、なんだろうな、サトシが勝てるはずがないんですよ。あんな帽子かぶってゲットだぜって言ってる子ですね。子供が勝てるわけないんですよね。
アニメーションって劇場版とかになると特になんですよ。テレビ版とか劇場版になると最強の敵が出てきて、それに対してですね、割と弱っちいですね、普通の男の子とか普通の女の子みたいなのが戦わなきゃいけないという。これもうね、お約束なんですよ。で、どうするのかですよ。1つの方法としては、そのトマトの缶詰さんが書いてるような尋常でない努力するっていう方法もあるんですよ。努力して、特訓して力を身につけて、それで勝つっていう方法が方法1ですね。で、方法2がですね、トマトの缶詰さんが嫌いなですね、パワーのある仲間がやってきて助けてくれるっていう方法でですね。おいおい、それありかよみたいなやつなんです。
これ昔のアニメではよく使われてるというか、まあある種松本零士ワールドでもあるんですけども、多分それは全共闘世代って言われる、僕より10歳ぐらい上のお兄さん、今だったらおじいさんたちですね、たちの世代のものの考え方で、若者の無力感っていうのをもう骨身にしみて分かってるわけですね。そのお父さん世代っていうのは戦争に反対したんだけど反対しきれなかった。で、その後の全共闘世代っていうのは、アメリカとの軍事契約ですね、つまり日米安保とかに反対したんだけども、何にも結局変わらなかったという無力感があるので、若者の熱い情熱とかやる気とか分かるんだけど、その上で全ては無駄なんじゃないのかっていう、なんかちょっとした憧れ、憧れ感じゃないな、黄昏感だ。黄昏感とかですね、無力感っていうのがあの世代のおじさんたちのリアリティなんですよ。
だからその銀河鉄道999でですね、鉄郎がギリギリまで頑張って、そこにハーロックとかエメラルダスとかですね、パワー持ってる人がガンガン来てくれて、よくぞこれまで頑張ったみたいな感じでやって。ハーロックっていうのはですね、あの世代にしてはすごくありだし、逆に言えば、今の自民党の爺さんたちが、いざとなればアメリカが助けてくれますよ、安保がありますからっていう思想の原点になってること。それも事実なんですよね。これが方法2。
で、トマトの缶詰さんが、すごい努力してなんかこうスーパーヒーローになるも嘘っぽいし、だからと言ってその全共闘世代の、いざとなればアメリカが、つまりすごいパワーを持った友人が助けに来てくれるっていうのも当てにできないということでですね。えっとね、どの辺からかな?オタク世代ですかね?今の40代から僕と同い年ぐらいの世代の作家がやりがちなのが奇跡なんですよ。とにかく理由は分からんが奇跡だって言って、その奇跡にはいろんな難しげな用語をつけて、映画の尺分騙せればいいみたいなことで突っ切るという。これも方法の1つなんですよね。
で、大まかに言ってこの3つぐらいの方法なんですけども、まあね、昔のアニメがやりがちなのが都合のいい仲間だとしたら、今のアニメがやりがちなのが奇跡というやつですね。これ次の質問にもある天気の子とかエヴァとかポニョについて教えてください、やっぱ全部そうなんですけど、今時のアニメのその系列なんですね。で、結局どっちにしても脚本はぶっ壊れてるんですよ。1番、2番、3番全てぶっ壊れてんですよ。無理なんですもん。子供が世界の破滅に対して対抗して勝利するなんていうのは無理だから。その無理があるからアメリカはスーパーヒーローに行くし、日本は異世界転生物に行くって、まあそういう話はちょっと余談だから置いといて。
ただ、じゃあなんで銀河鉄道999は名作と言われてるのかって言うと、やっぱり影響なんですよね。何を引き起こしたのか。社会現象として、とにかくめちゃくちゃめちゃくちゃヒットしたんですよ。そのインパクトといえば鬼滅の刃どころではないぐらいですね。鬼滅の刃っていうのは、ただでさえアニメっていうのはすごい儲かるよ、アニメ映画っていうのはすごいヒットするよ、だから夏休み、春休みは映画館はアニメでいっぱいになるよねっていうのが分かってる状況で、その動員記録というか興行記録を塗り替えたのも、鬼滅の刃の数字すごいんですけど、でもそれはもうアニメがヒットしてるのが分かってる上でのこの記録なわけですよ。
ところが銀河鉄道999っていうのは、アニメなんていうのは一流の配給会社がやるもんじゃないと思われていた。つまり日本の映画館でもちょっと変な映画館というかね、なんかこう夏に一流の映画が配給してもらえない、冬休みとかお正月にちゃんとした映画が配給してもらえない会社が、合間にぽそぽそやるっていうような映画だったんですよ。だからハリウッド製の映画っていうのは2時間超えなんだけど、アニメーションっていうのは90分ぐらいで回転率がいい仕事してくださいっていう風に言われてたんですよね。そこにですね、その当時のアニメ業界の、というか映画館の中のアニメの立場を変えるぐらいのヒットしたわけですね。
アニメの歴史っていうのは今から振り返ると、宇宙戦艦ヤマト、その次は機動戦士ガンダムの存在がすごい大きいように見えるんですけども、ことビジネスの世界から見るとヤマトもガンダムもそんな大したインパクトがなくて、やっぱ映画業界を変えたのは銀河鉄道999なんですよ。とにかく圧倒的に人が入って、で、子供たちがリピートとかなしに1回しか見てないのにこれだけの興行記録を出してってやつですね。で、大手の配給会社がそれ以降扱うようになって、999以降映画会社はアニメーションを認めるようになった。こういう流れがあるんですね。
で、それまでですね、テレビでどのアニメーションで新作映画できるって言ったら、例えば声優さんが誰それですとかですね、じゃあダイジェストを放送しましょうと、朝の情報番組とか土曜のお昼のバラエティとかでやるなんて本当考えられなかったんですよね。ガンダムとかヤマトが必死にキャンペーン張っても、結局宇宙戦艦ヤマトってお昼とか朝の番組での紹介ってほとんどされなかったはずだし、ガンダムも、ガンダムってアニメがあって若者が行列で徹夜で並んでますよ、初日並んでますよぐらいのニュースだったのが、999ぐらいから本当に全部風向きが変わったんですね。そういうですね、アニメ界を変えたという意味で名作なんですよ。
だからアートと同じですよね。アートもなんでこの絵がそんなにアートとして評価されてるのかというと、それはアートの流れを変えた。つまりアート業界では意味があるんだけど、普通の人から見たら好き嫌いがあって当然な普通の絵っていうのは、いくらでもありました。それと同じだと思います。
僕は999、昔好きでしたよ。なんでかって言うと理由は、大きな流れの話を、松本零士が書いてる何十巻もの漫画の話をですね、2時間の映画でなんだかんだ言ってちゃんと納めちゃったということと、あと絵が派手で見てて飽きないですよね。ただ脚本はもう本当に言われてる通りの欠点があるんで、今見たら多分80点台の出来だと思いますけども、まあとにかく汽車が宇宙飛んで男の子がそれに乗ってよ。で、一緒に乗ってるお姉ちゃんが「鉄郎」って言ってちょっと格好いいセリフかますだけで2時間の尺見てられるっていうのは、なかなか面白い映画でした。
同じくですね、アニメのストーリーに関しても30代女性から質問が来てます。須藤さん、女性30代。2番目の質問ですね。こんにちは。いつも楽しく動画を拝見させていただいております。質問があります。天気の子、エヴァンゲリオン新劇場版、崖の上のポニョ、これら3つの作品の主人公は愛する相手、男または女のためならば世界が滅びようがどうなろうが構わない。とにかく自分の愛する人を救いたい、あるいはただ会いに行きたいと果敢な行動に出ます。これは尊いことであるし、お話としては悪くないし、素敵だと思います。ですが、私はどうにも共感できなくて正気に戻ってしまいます。正気、それはこういった作品の世界では読者や観客、視聴者は所詮被害を被る側の人間なのではないだろうかと思いました。
はい。はい。そうですね。天気の子では主人公の選択で、女の子にもう1回会いたいということで世界が水没するような世界になってしまうんですけども、この水没の被害者側だと、つまり一般の観客っていうのは。ところがそれをなんかこう見せられて私たちは感動させられてると。エヴァンゲリオンも同じ、崖の上のポニョも同じですよね。ヒーローとヒロインの恋愛関係というかそういう風なものをかけて世界が壊れてしまうわけですね。で、多分こういった世界では私は真っ先に死んでいるあっけない存在になります。岡田さんはこういったパターンの終盤の展開をどう受け止め、どう解釈し、何と名付けてますか?
うーん。何と名付けるかと言えば、一般的にはこういうのはセカイ系って言うんですよね。つまり自分個人の問題と世界の大問題が繋がってるはずで、そして自分個人の問題が世界より優先してるっていう、こういうのセカイ系って言うんですけども、実は僕はこれ、ある程度ですね、作り手側が、つまりクリエイター側、作家側、監督側が観客の幼さ、観客がこういう風な話を好むだろうと幼さを見切った上で作ってるマーケティング的な感動じゃないかってちょっと疑ってるんですね。それは今の異世界転生物でも、主人公がチートな能力って言われる、とりあえず何でもできる能力みたいなものを世界で持ってしまって、それでなんかこうどんどん問題解決して感謝されてモテてモテてみたいなのが多いじゃないですか。で、あれは作り手側の、なんだろうな、頭が悪いんじゃなくて、作り手側が所詮アニメ見てる人ってこういうのが好きなんでしょっていうような、悪い言い方をすればちょっと見下したマーケティング的な作り方をしてるから全部同じような作品になるんですよね。
ただ、だからと言って、それはプロデューサー的な視点なんですよ。でも現場の視点、脚本家とか監督になってくると、マーケティング的に主人公チートにして、なんか見てる者を喜ばせるだけの作品なんだけども、ところが与えられた話数では、与えられた脚本というチャンスの中では自分の作家性出そうと思って、なんかみんなちょっと難しいことやるから。だからあの辺の、なんだろうな、異世界転生ものって面白いんですよ。面白いのはなんでかって言うと、プロデューサーが考えてるこんなことすれば受けるだろうっていうのと、現場にいる人間のでもこんなことがやりたいっていうのが、いい感じで拮抗してるからだと思うんですけども。
で、まあ今の話に繋がるんですけど、クリエイターってね、基本的に背伸びするんですよ。背伸びして作品作るんですよね。自分にはできないことを主人公にさせるんですけども、ただ今のクリエイターっていうのは設定を極端にしてその中でわがままを通そうという癖があるんですよ。つまり世界の終わりみたいな状況をとにかく作り上げて、その中で主人公、つまり主人公に自分を仮託して、だから宮崎だったら幼稚園児の恋愛みたいなもののわがままを自分で通そうとするし、エヴァンゲリオンになったら庵野秀明の個人的な感情っていうのを破滅的な世界の中で自分の我というのわがままというのを通そうとするんですね。
だから正直言うと、今のクリエイター達っていうのは、かつて1980年代から90年代ぐらいにあった、視聴者、観客の代表者じゃなくなっちゃったんですよ。もっとみんな貴族様になったんですね。で、貴族様になったから、実はその映画やアニメを見てるファンの人のことをもう考えなくなったんですよ。ギリギリ1990年代ぐらいまであった、ファンの人のことを考えて彼らのために作品を作るっていうのは、クレヨンしんちゃんですら見失ってるわけですね。僕がすごい大好きなモーレツ!オトナ帝国の逆襲だって、この意味で言えばもう見ている観客のことを捨てて自分のやりたいことを監督がやり出した作品で、それは商業作品じゃなくアート作品に近づいて面白くなったんですけど、その面白くなったという状況が20年以上続いた結果、なんだろうな、一般人を使い捨てにするような描写ですか?観客たち、見てくれてる人たちが全て無意味な大衆、大衆というのかな?バックグラウンドになって、それらが死に絶えて、主人公、つまり作者の願望を投影したキャラクターたちが結ばれてそれで良しで、お前ら一般大衆は被害の中でも強く生きてけみたいな、そんな話になりがちになってしまったんですね。
だからこの3作品まとめて、ちょっと変だなと思った須藤さんにはですね、ちょっと僕はドキッとしましたね。あ、よく見抜いたなという風に思いました。僕は昔からこういうの、クリエイター至上主義の弊害って呼んでるんですけどね。つまり昔はプロデューサーが企画してアニメを作らせていたのが、今はいいアニメを作るためにはクリエイターをできるだけ優遇して、クリエイター様の作りたいようなアニメを作るのがいい作品だっていう宗教にみんな入っちゃってるんですね。徐々に徐々に作品がそちら側に寄ってきたんですね。どっちが正しいこともない。僕は本当に、さっき話したようにそういうのが拮抗してる状態が1番いいと思うんですけどもですね。今アニメはプロデューサー至上主義のマーケティング的なアニメから大きく振れて、クリエイター至上主義に振れきってるような状況なので、こういう作品が生まれてくるんだと思います。
次、男性ウイスキーさん。こんにちは。いつも面白いおじさんだなと思って見ています。ありがとうございます。10代だったらもう本当に俺の孫の世代だよな。よく私のクラスは授業の最初に時間内に席に戻りなさいと怒られます。先生たちは時間に厳しいです。人によっては始まりの2分前には着席しろという人もいます。しかし私には納得できない。それは先生たちが終わりの時間にはルーズであるということです。もうちょっとだけだからと言って授業を伸ばして、それでいてお構いなしの態度なのです。まあまあ、俺もね、しょっちゅう延長するからね。先生の気持ちは分かる。どうしても先生側に立っちゃうんだけども。つまり先生は開始時間には超厳しいが終了時間にはルーズなんです。先生にとっては終了時間でも、私たちにとっては次の授業の開始時間が迫ってるんだと思ってしまうのです。そこで質問です。これって大人の世界でもありますかと。ありや、あるですかと。このような時間に対する考え方の違いはいつどうやって生まれたのですか?どうでもいい話かもしれないですが、お話を聞いてみたいです。
まあ、そうですね。正直言って割とどうでもいい質問だから、ちょっと面白くてウイスキーさんの選んじゃったんですけども、いや、SDGs的に言うとね、SDGs的に答えると、そうだよね、生徒に言うならまず先生も同じだよね、先生も言うからには自分たちが守んなきゃいけないよねという風に答えるべきかもわかんないですけど、僕はSDGsクソ食らえな考え方なので、自分の言葉でまとめてみると、今コメントで流れてるの見えるかどうかわかんないですけど、大人の世界では実は当たり前なんすよ。
なんで当たり前?まあ具体的な例で言うと、例えばプレゼンっていうのはありますよね。どっかの企業に対して、ちっちゃい会社とかがプレゼンすると、こういうのしませんかとか、こういうのどうですか、我が社のこれを買ってくれませんかとプレゼンするんですけども、プレゼンする側はもうね、する側が気を使って時間絶対守るんですよ。何時開始とか何時終了と言ったらもう絶対守るんですけども、プレゼンを受ける側の方はですね、勝手に時間を伸ばしたり、延期したりするんですね。3時からと言っといて、ごめん、ちょっとうち取締役集まらなかったから4時からにしてとか、来週にしてとか、あ、ちょっとその話面白いからもっと続けてよって言って1時間ぐらい延長させたりするんですよ。で、プレゼンする側もその会社だけを相手にしてるわけじゃなくて、その1時間後ぐらいには別の会社でプレゼンあるかもわかんないから、本当はそういうの困るんでしょうけども、でもプレゼン受ける側は平気でそれを言うと。で、プレゼンする側はそれをなんとかこなさなきゃいけない。まあね、その学生と、生徒と先生の関係にそっくりなわけですね。
で、なんでこれが当たり前なのかって言うと、それはプレゼン受ける側は偉いからなんですよ。偉い。これね、なかなか日常生活では10代の学生は聞かない言葉だと思うけど、聞かない概念かわかんないですけど。偉い。で、学生の間にはね、人の立場には上下があるっていうのを教えてもらってないでしょ。みんなね、多分ね、人には上下がないっての教わってると思うんだ。人間には上下がないんだ。その通りです。人間は全て平等で公平なんだ。そうなんですよ。ところが人間じゃなくて、人間の立場には上下がある。つまり1人の人間として社長と社員は全く等しい価値なんですよ。ところが社長という立場と社員という立場では上下関係が発生する。立場には上下がある。
この本当のことっていうのを吹っ飛ばして、人には上下がないっていうまず理想形を説明して、その後現実補正っていうのを会社に入った時とか、具体的に言うと大学を出て就活する時の圧迫面接とかで、いきなりそれを教えられるわけだね。圧迫面接とか本来あるべきじゃないし、面接も変だよね。でもあれは、面接を、なんだろ、受ける会社の側は雇ってやろうかどうかって考えるので立場が偉いからそういう態度になるし、面接を受ける側というかね、チャンスをもらう学生の方は会社に入れてもらうためということで立場が下だからそうなる。学校も同じです。はっきり言って学校には立場の上下があるんですよ。立場の上下があるから先生は聞きなさいと命令することはできるし、もちろん命令聞かないこともできますよ。それは人間としては同じなので、立場を離れて人間としては同じ平等なので行動するのは自由なんだけど、ただ立場、先生は学校に来なさいとか、あと、あなたは、なんだろう、もう失格だから学校を退学ですっていうことも全部できちゃうわけですね。この人は平等であるっていうことと、立場には上下関係があると、この2つのですね、矛盾するルールを使い分けて人間社会というのが動いてると覚えといてください。
続いて20代の相談に行きましょう。お、もう30分になっちゃったけど、ちょいとまだね、ここまでしか言ってないから。岡田さん、初めまして。22歳女です。私は両親が怖いです。ありがたいことに私は両親に恵まれ、一人っ子ということもあったのでしょうが、愛情を一身に受けて育ちました。高校大学と私立に行かせてもらい、欲しいものは買ってもらえる環境にあります。両親のことは大好きですし、何度も死にたいと自殺を決意した時でも、私が死んだら両親が悲しむからと踏みとどまりました。まあ、そんなこと思うんだ。けれど、けれど私は両親からの無償の愛が怖いです。多くのお金をかけてきた分、私は返さなくてはいけないという思考になってしまいます。おお、女性20代みのりさん、そう考えるんだ。なるべく稼いで老後は楽をさせてあげないとと思います。そのために頑張らないと。けれど優秀な両親と違い私は失敗ばかりです。そのジレンマからか、中学の頃から両親のことを考えると涙が出るようになりました。私は両親に依存してるのだなと思います。幼い頃から全ての決断は両親のためでした。両親のために全ての決断をしていた。この涙を止めるには私はどうしたらいいのでしょうか?22歳なのに一向に親離れができません。
ほーん。まあ、いい子の悩みなんですけどね。ふう。まずですね、両親の愛を一身に受けて、こんなにお金かけて、こんなに手間かけてもらってるから、私は返さなくちゃいけないという、このみのりさんの前提が僕は間違ってると思うんです。間違ってるとはっきり言えるのはなんでかって言うと、僕自身が育児経験があるし、保育園の送り迎えってのも割とやってたんで、他の親とも話してたので、一応親の側の代表的な意見、絶対的な正解じゃないよ、多分親の意見って何種類もあるだろうけども、割とあるあるパターンの話をすると、親ってね、もう終わってんすよ、みのりさん。
あのね、0歳から3歳までの子供が生き抜いたら、0歳から3歳まで生きてくれたら、もうそれで親孝行って終わってんの。それぐらい0歳から3歳の子供って圧倒的に可愛いの。で、親はその時点で、他の人生の経験ではありえないほどいろんなことが経験できるの。なので、0歳から3歳まで生き抜いただけで、もう親は全部終了。全部終わりで、それ以上もし、あんたには金かけたんだから、手間かけたんだから、苦労をかけたんだから、ちゃんと親孝行してよって、もし親が言い出したら、その親の言うことはもう聞かなくてもいい。親はもうすでに元金は返してもらって、さらに利子を取ろうとしている悪徳高利貸しになってるから、その悪徳高利貸しの話は本当に聞かなくても。本当に0歳から3歳までの子供の可愛さは圧倒的で、それと3年間過ごす時間がもらえたという時点で、全ての親は、この世界の全ての親は、親孝行はもう支払い済みやから、君は気にしなくていいよ。本当にマジでそうだよ。
で、えっとね、ただ、だから僕は、みのりさんは親の恩に応えなければっていうのは考えなくてもいいと思うんだけども、みのりさんのね、この質問ね、すごいね、気になるのは、なんかね、うんとね、優秀な両親と違い失敗ばかりですというのが僕が気になるんですけどね。つまり両親から無償の愛をもらっている。それを返さなければいけないと思う。わざと失敗するようなチャレンジを無意識に選んでるんじゃないすか。えっとね、つまり多分親からいろんなチャンスもらって、いろんなことをやってもいいよという風に言われてるので、みのりさんは無意識にダメな自分ができなさそうなものを選んで親を失望させて、無償な愛を得たものはそれに対してさらに甘えを上乗せして、本当に親は許してくれるのかって試したくなるんだよね。まあ、人間のそういう風な部分ばっかり俺が見ちゃうから、そういう風に考えるのかわかんないのでですね。
22歳なのに一向に親離れができませんっていうのは、まだ甘える余地があるのか試したくて、親に負担をかけるような失敗をして、そのことを自分の心の裏側では気がついちゃってるから涙が止まらないと。つまり自分の本心に自分が気がついてるから涙は止まらないっていう液漏れ現象が起こってるわけなんだけども、その液漏れ現象を止めるには、えっと、自分が実は無意識にやっている行動っていうのをちょっと止めることかな。つまり、できないチャレンジはするな。実はやりたくないことはやるな。親が色々チャンス与えてくれるからと言って、別にそのチャンスに応えてあげること、例えば親が海外留学してみないって言ったら海外留学してあげることが親孝行じゃないからね。親孝行はもう終わってるから。
どちらかというと、こっから先は独立して親なんか嫌いになって、親の元から離れていって、親に次のチャンス、チャンスというか成長を与えること。親はね、0歳から3歳まで子供が可愛くて、子供可愛がって、そっから先子供を心配することで、なんだろうな、人間力が上がるんだけども、逆に言えば、うんとね、ダメになってんだよ。正直言って、子供に構いすぎて子供を幸せにしようとする親は人間としてダメになってると思うん。俺、ヘライザーさんっていう人のYouTubeは結構見てんだけど、ヘライザーさんと多分ね、もし話し合っても絶対意見が合わないな。ヘライザーさん、子供の幸せのことを考えろって言うんだけども、もう僕は絶対バカ野郎と。子供の幸せなんか考えなくていいんだ。そんなことを考えるからこの世の中が狂っていくんだと。そうじゃなくて自分の都合で考えろってタイプなのね。
つまり子供っていうのは親に失望して、そっから独立することで、また自分が親になる強さを身につけるわけなんだけどさ。なんかそのパターンは子供を幸せにするから生まれてこないんだよね。なので、みのりさんはさっさと、親に関してはもうちょっと無関心になって、そして冷たいぐらいの対応して、恩知らずと言われるぐらいになってですね、親から独立して親を見放してあげると、親はようやく娘が自分から離れていって、そしてじゃあ自分には何が残ったんだろうって伏線回収が始まって、親の第2段の成長があるので。まあ俺64だからはっきり言えるんだけど、多分みのりさんの親なんて50代でしょ。50代なんて、まだまだ人生やり直して、ショックで落ち込んで絶望に落ちて、もう1回立ち上がってってのができる年だから、それぐらい困らせてあげてください。
じゃあ次、あ、もう次で最後に行こうか。やっぱここだね。95キロの人だね。埼玉の佐藤さん。男性20代。私は今まで数十人ほどの女性を口説いてきたのですが、数十人ほどの女性を口説いてきたのですが、いつもあんたよりもいい人がいいというニュアンスの言葉を言われて振られます。あ、数十人でね。おかげで女性と話すことが得意になったのですが、まだ彼女いない歴イコール年齢です。つまりこれまで彼女ができたことは1人もありません。私は95キロと太っているので、太っている人が似合うような服を着て、身なりには気を使っています。趣味も料理やゲームなので別に悪くないと思います。私の何を改善すれば彼女ができるのでしょうか?岡田先生、よろしくお願いします。
男性20代、埼玉の佐藤さんよ。よくぞ俺に聞いたな。95キロなんて太ってるうちに入らないよ。俺の今の人生の目的は95キロぐらいにはなりたいだから。そんなもん太ってるうちには入らねえよ。アメリカ、アメリカ行ってみろ。俺でも多分まだ太ってねえぞって思うから。まあ、そんなこと考えるからね、よろしくはないんだけども。
さてね、あんたよりもいい人がいいというニュアンスの言葉を言われる。うん。これどういうことかって言うと、えっとね、あんたと付き合うはずないでしょっていう意味ですよね。まあ、そこまでネガティブじゃないんだよ。つまり、分かった、あんたは面白いと。確かに料理とかもできるし、話しても楽しいしと。数十人の人にですね、アプローチした結果、あんたがいいのは分かったけども、なんで私があんたごときで手打たなきゃいけないのと。つまり十分にいいんだけど、なんで私がっていう意味なんですよね。なんで私が誕生日にコンビニのパスタで自分の誕生日迎えなきゃいけないのとか、なんで私が自分の誕生日なのにコンビニのケーキが、もう値崩れしてる状態、スーパーのケーキとかが値崩れして100円引きっていう値札が見えてるやつのケーキを食べて自分の誕生日祝われなきゃいけないのっていうのと同じように、私ってそこまで値打ちないんですかっていうことを、埼玉の佐藤さんは言われてるわけ。
つまり埼玉の佐藤さんは500円玉1枚しか持ってないのに、なんか1万円ぐらいのものしか売ってないお店に行ってるわけですよ。お店の人の本音は、ここにはあんたみたいな貧乏人に買えるものは1つもないよって思ってるんですよね。だから、うーん、ここら辺の恋愛経済学みたいなものは、恋愛市場におけるあなたの価値、私の価値みたいなものは前回も説明したと思うんで、見れるんだったら前回の人生相談を見てください。で、その上で具体的なアプローチ法、つまり恋愛市場での自分の価値っていうのは、いわゆるなんでなのかっていう概念を掴むためなんだけども、うん。どちらかというと、埼玉の佐藤さんが聞きたいのはどうすればいいかって行動の問題だよね。
で、行動の問題は、うん、今日から3ヶ月間で大体20人ぐらいの女性を口説いてみましょうって話なんだ。で、1人口説いてダメだと思ったり脈がないと思ったらすぐ次に移って欲しいんだけども、まず1人目は今まで好きだった人でいいよ。これまで数十人口説いてきたというから惚れっぽいんでしょ。じゃあ、そういうのの中の1人でいいから口説いて、で、ダメだったら絶対に次の人はグレード下げてください。グレードっていうのは何でもいいよ。見た目でもいいし、年齢でもいいし、なんかこう自分的に、あ、この女、ここがマイナスポイントだなと思うところを見つけて、前の女の人よりグレードを下げる。で、それでもダメだったらグレードを下げる、グレードを下げる、グレードを下げる。
で、数十人ぐらいの女性を口説いてきたんだから、実は女の人だったら割と誰でも好きになれるタイプだと僕、この相談文来て読んで思ったんですよね。ただそれの中でも自分としては、あ、こんな人と付き合えたらいいなっていう上の方狙いすぎてるわけですよね。なのでグレードを1人ずつ下げていく。20人連続して口説く時に、3ヶ月間1人ずつ下げていって、ひたすら下げていって、相手が興味がありそうな感じ、あんたと付き合うと楽しいかもねみたいな感じになったら、そのグレードが自分の市場価値だから、まず市場価値を掴んでおこうという話なんですけどね。
こんなこと言うと、女の人がこれ聞くと多分あんまりいい気持ちにはならないと思うんだけども、男と女では恋愛市場価値がとりあえずあまりに値段違いすぎるところが、学生の頃はその市場価値が違うものを1つのクラスの中に詰め込んで、1つの学校の中に詰め込んで、その中でしか恋愛しないような幻想があるじゃん。で、それを当たり前だと思いすぎると、なんか社会に出てからえらい苦労することになるんだけども、この方法でですね、ちょっと自分の市場価値を試してみてください。
さてどうしようかな。なんか最後ちょっとためになる話したいから、この公立中学校の話行こうかな。悩めるちびクロさん、女性30代。こんばんは。いつも楽しく拝見させていただいてます。私は公立中学校の教師です。ここ数年働いてみて、この仕事に向いてないなと感じることが多くなりました。また過去の動画を見させてもらった中で、岡田先生の子供を私立中学校に入れておくべきだったという発言がとても心に残ってます。おお。岡田先生の考える理想の教員、教師とはどんな人ですか?公立と私立の教員で質の違いは感じますか?下手な文章ですいません。ご回答いただけると嬉しいです。
ああ、これ自分の娘の教育に関してのことでしたよね。で、悩めるちびクロさんは、僕が、いや、自分の子供は私立の中学校に入れるべきだったと言ったので、私立と公立の中学校の間に差があると思っちゃったわけだよね。で、その差というのは主に教員の差であるという風に考えたわけだよね。で、私立の中学の方がいいから僕は娘を私立の中学に入れたかったという風に考えたわけだと思うんですけど、これ全部違います。
えっとね、私立と公立の間に先生の違いがあるかないかと言われたら、正直分かんないけど、僕、違いないと思いますよ。あるのはね、生徒の平均値の差だけなんですよ。平均値の差。つまり小学校の子供たちの上位5%から10%が私立に行っちゃうので、私立の中学校にいる生徒たち、子供たちは統計的な意味でレベルが高いんですよ。もちろんこれ統計的な意味だから、個別で見てみたら、この子は私立なのにレベルが低いとか、いやいや、偏差値が高いのに公立の中学校に行くって子はいくらでも見つかるでしょうけど、僕が言ってるのは統計的な話です。つまり全体で見るということね。
で、私立の中学校というのは、統計的な意味で小学校の成績が上位、もしくは家庭環境が上位の子ばっかりを入れることになるのでですね、確率的に生徒のレベルが高い。生徒のレベルが高いがゆえに無用な校則で縛らなくてもですね、素行は割といい可能性が高いし、向学心もですね、高いと期待できるんですね。で、なので多少先生が無能であっても、生徒のレベルが高いのでですね、学力的にも期待できると。私立の中学校の方が生徒がいいのは、教育システムが優れてるからではなくて、小学校の頃から優秀なやつばっかりを試験によって入れてるからだから成績が高いわけで、別に私立の学校の校風がいいとか学校がいいとか、教師の能力が高いから生徒の学力が高いわけで、全然関係ないと思うんですね。
なので、質問されてるですね、岡田先生の考える理想の教員ってどんな人ですかって言われたら、僕、理想の教員は平均的な人材だと思います。つまり怒りっぽくて時々ネガティブになって、自分の私情を交えて、本来は中立的であらねばならないのにカッとしたり特定の生徒をひいきしたりして、でありながら、なおかつそのことに時々自分も反省して落ち込んで、ああ、なんかもうちょっとまともな先生になんなきゃなと思いながら、同じような間違いを毎年毎年繰り返して、で、10年20年経っていくと、いや、あの先生なかなかいい先生だよねと言われるぐらいのごく普通の先生が、僕は理想の先生だと思ってるんですよ。
で、そういう平均的な人材でもちゃんと教師になれる、まともな当たり前の教育システムを考えるべきであって、あんまりその教師を理想的にすべきではないとは思うんです。すべきではない、ではないな。その教師の理想を目指すべきではないし、教師の理想を語るべきではないとは思うんですよ。うん。これはもう本当に政治に関しても会社に関しても、全て僕の考え方ですよね。
つまり優秀な人材ばっかり入れたがるNetflixって会社を僕は信用しないのは、なんでかって言うと、その方式では会社の運営がうまくいってるように見えるのは当たり前なんだけども、そんなことをするのはNetflixの取締役とか社長が無能だからだと思うんですね。本当に有能な経営者がNetflixの上層部にいるんだったら、平均的な人材が入っただけで売上が上がる仕組みというのをちゃんと作れるわけですよ。それが作れてない以上、とにかく優秀な人間をネームバリューなりで引っ張ってきて、当たり前のようにそうすると優秀な成果が出るっていう風なことをやってると、なんかそれはベスト・アンド・ブライテスト、デイヴィッド・ハルバースタムがベトナム戦争の中で、なんでケネディ政権、理想の、なんだろうな、キャスティングをしたケネディ政権が崩壊したのかとか、あと日本でもですね、東芝なりホンダなりソニーなりが、70年代、80年代になんであんなにうまくいったところが、90年代から2000年代にかけて落ちていったのかっていう現象が説明できないですね。
理想のスタッフで理想の運営をすると、自分たちがやってることが絶対正しいことに見えて、そこでシステムっていうのはどんどんどんどん腐っていくのでですね。平均的な当たり前の欠点のある人間が先生になって、それでなんとか動く。それで
ちゃんと平均的な生徒たちが[笑い]どんどん教育を受けて出てこれるのは当たり前の教育システムの方が僕は大事だと思います。お疲れ様でした。
以上ですね。よいしょ。今日はここまでです。無料20分も延長しちゃったね。まずいまずい。質問や感想は、投稿フォームからまた追加の人生相談もお願いします。ここから先は限定ですね。
これもどんだけ行けるかですよね。30分間で「結婚は女の顔で決めても良いのでしょうか?」これ男から聞かれてですね。「25歳下の彼女と円満に結婚したい」これも男ですね。「岡田を誤解させる切り抜き野郎たちが許せない」「才能のありなし判定できるのでしょうか?」「自分の評価、価値や経験を後世に伝えるにはどうすればいいのか」。ここら辺をパパっと、できるだけ本当に残さず全部答えていきたいと思います。はい、お疲れ様でした。今日の無料動画ここまでですね。
最後の公立学校と私立学校の違いというのはですね、2026年の都市部に住んでいる親御さんだったら、割と当たり前のように身近に感じてる話題だと思います。公立の学校と私立の学校では、その教師とかカリキュラムではなくてですね、何が違うのかと言うと、生徒が違うんですよね。
で、この生徒の質ってあえて言っちゃうんですよ。質というのはですね、私立の学校に通う子供の方が上等だという意味ではなくて、性質が違うんですよ。質っていうのは性質が違う。公立の学校よりも、より勉強を重視する子供が集まる確率が高い。家庭を含めて、本人も含めて勉強しなきゃと自分でも思ってるし、それが得意な子が集まる確率が高い。こういうことなんですね。
で、これも現代の教育論の常識になってるんですけども、子供の人格形成には、どんな大人に教えられたかではなくてですよ。そうではなくて、どんな友達に囲まれて成長したのかっていう、この方がはるかに大きく影響するんですね。ここら辺、興味がある人は、翻訳書で、教育論の、今はもう一般書に近くなってる『親業』っていう本が翻訳本であります。それ読んでみてください。
で、そこら辺を親という立場で綺麗事なしで考えると、やっぱりお金があるんだったら私立の学校に入れたいって、あと公立だったら、できるだけ偏差値の高い学校に入って欲しいとなるのは、もうこれね、仕方がないことだと思うんですね。で、こんな風に親があれこれ考えちゃうのは、それが親というもんだから仕方がない、しょうがないと思います。
で、子供の立場としては、そんなあれこれ考えすぎてる親に対して、そんなに気負う必要はないと。なんだろうな、無意味に反抗しろと言うんではなくてですね、考えすぎてプレッシャーに潰されるぐらいなら一旦忘れろというぐらいの意味ですかね。もう親のことあまり気にしないでいいよってぐらいに受け取ってください。
本編の中でも言った通り、僕は親孝行というのは3歳まで無事に生き延びた時点で完了してるっていう風に思ってるし、何か恩返しをしなきゃとか期待に応えなきゃって過剰に考えちゃう人は、この言葉を心の片隅に置いといてください。
期待に応えなきゃって言っても、それをやると、親の操り人形、親の幸せを作る人形になって一生終えてしまって、それはそれで構わないかもわかんないですけど、自分の子供にも同じことを強いるようになってしまうので。親は心配したり干渉したりするのがもう仕事みたいなもんで、子供はあんまりそれを気にしなくて僕はいいと思います。
さて、今日見てもらった動画の続きは有料会員のみの配信になってるんですけども、今月から限定会員の方でも、以前のプレミアム動画と呼んでた部分まで見ることができるようになりました。限定部分の相談は、動画の中でも紹介した通りなんですけど、プレミアム部分では、「人を傷つけない言葉遣いを教えてください」とか、「デートには誘うんだけど一向に私に手を出してこない職場の50代上司の心理を教えてください」といった相談に答えています。
続きが見たい方は、YouTubeのメンバーシップ、ニコニコのブロマガチャンネル、どちらか入会してみてください。詳しくは動画概要欄にリンク貼ってますので、そっちの方見てくれればいいと思います。それではまた次の動画でお会いしましょう。じゃあまた。バイバイ。
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