「君たちの親孝行はとっくに終わってるよ」――岡田斗司夫が答えた6つの人生相談

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概要

岡田斗司夫によれば、人生相談で一番多いのは恋愛、次が仕事や進路、その次が家族の相談だという。家族の相談がそれほど多いのは本人にも意外だったらしく、「僕に家族問題を聞いてどうすんだ」と思いながら、今回は家族にまつわる切実な相談にも答えている。本動画は2022年7月31日配信の岡田斗司夫ゼミ第451回を編集したもので、相談は6本。アニメの名作の見方、教師と生徒の関係、親への恩返し、恋愛、教師の理想像と、話題は幅広い。ただ全体を通して、理想論の建前と、立場や市場価値といった現実とを分けて考えるという岡田の姿勢が一貫している。

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『銀河鉄道999』の脚本は「都合のいい仲間」に頼っている

最初の相談者は10代の女性で、父親に勧められて映画『銀河鉄道999』を観た。世界観は良いと思うものの、鉄郎がピンチになると仲間が都合よく現れすぎると感じたという。相談者にとって物語の見どころは、主人公が観客の予想を超える説得力のある方法でピンチを脱するところにある。主人公が努力するのはよいが、誰かが助けに来る展開は最悪だと考えている。自分がまだ学生だから大人にしか分からない良さが分からないだけなのか、999はどこが評価されているのか、という質問だった。

岡田はまず、これは昔から今まで解決されていない問題だと答える。例として挙げたのは劇場版ポケモンである。劇場版では必ず史上最強の敵が現れるが、帽子をかぶって「ゲットだぜ」と言っている子供がそんな相手に勝てるはずがない。アニメ、特に劇場版では、最強の敵に対して普通の男の子や女の子が戦わなければならないのがお約束になっている。

岡田はこの無理を解決する方法を大きく3つに分ける。1つ目は、尋常でない努力や特訓で力を身につけて勝つ方法。2つ目は、相談者が嫌う、力のある仲間がやってきて助けてくれる方法である。3つ目は「奇跡」だ。理由は分からないが奇跡が起きたことにして、難しげな用語をつけ、映画の尺の間だけ観客をだませればよいとして押し切る。

どの方法を選ぶかに世代の感覚が出る

岡田は2つ目の「仲間が助けてくれる」展開を、全共闘世代のものの考え方と結びつけて説明する。全共闘世代とは岡田より10歳ほど上の世代で、今では老人になっている人たちだ。その親の世代は戦争に反対しきれなかった。全共闘世代は日米安保に反対したが、結局何も変えられなかった。若者の熱い情熱は分かる、しかしそのうえで全ては無駄なのではないか、という黄昏感や無力感が、あの世代にとってのリアリティだったと岡田は言う。

だから、鉄郎がぎりぎりまで頑張ったところにハーロックやエメラルダスのような力を持つ者が現れ、「よくぞここまで頑張った」と助ける展開は、あの世代にとってはごく自然なものだった。岡田はさらに、今の自民党の老政治家たちが「いざとなればアメリカが助けてくれる、安保があるから」と考える発想の原点もそこにある、とも付け加える。

一方、努力してスーパーヒーローになる話は嘘っぽく、強力な仲間が助けに来る話も当てにできない。そこで岡田が「オタク世代」と呼ぶ、今の40代から岡田と同年代くらいまでの作家がやりがちなのが3つ目の「奇跡」である。昔のアニメは都合のいい仲間に頼り、今のアニメは奇跡に頼る、というのが岡田の整理だ。次の相談で扱う『天気の子』やエヴァ、ポニョもこの系列に入るという。

結局どの方法でも脚本は壊れている、と岡田は言う。子供が世界の破滅に立ち向かって勝つこと自体が無理だからだ。その無理があるからアメリカはスーパーヒーローものに向かい、日本は異世界転生ものに向かった、という話にも触れたが、岡田はこれを余談として切り上げた。

名作とされる理由は、映画業界を変えた興行成績

では、なぜ999は名作と言われるのか。岡田の答えは、作品の出来ではなく影響の大きさだ。社会現象として、とにかくものすごくヒットした。そのインパクトは『鬼滅の刃』以上だったと岡田は言う。『鬼滅の刃』の記録もすごいが、それはアニメ映画が儲かること、夏休みや春休みの映画館がアニメでいっぱいになることが分かっている状況で出た記録だ。

999が公開された当時、アニメは一流の配給会社が扱うものではないと思われていた。夏休みや正月に一流の映画を回してもらえない映画館が、合間にぽつぽつ上映するものだった。ハリウッド映画が2時間を超えるのに対し、アニメは90分ほどで回転率がよい作品として扱われていた。999はその映画館でのアニメの立場を変えるほどのヒットだった、と岡田は説明する。

今からアニメ史を振り返ると『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』の存在が大きく見える。しかし岡田は、ビジネスの世界から見れば、映画業界を変えたのは999だと言う。子供たちがリピートせずに1回ずつしか観ていないのにこれだけの興行記録を出し、それ以降、大手の配給会社がアニメを扱うようになった。それまでは、アニメの新作映画を朝の情報番組や土曜昼のバラエティで紹介することなど考えられなかった。ヤマトもガンダムも必死にキャンペーンを張ったが、ヤマトはそうした番組でほとんど紹介されなかったはずだし、ガンダムも「若者が初日に徹夜で行列している」という程度のニュースだった。999あたりから風向きが全部変わったと岡田は言う。

アニメ界を変えたという意味で名作なのであり、これはアートと同じだと岡田は続ける。ある絵がアートとして高く評価されるのは、アートの流れを変えたからだ。業界の中では意味があっても、普通の人から見れば好き嫌いがあって当然の絵はいくらでもある。

岡田自身は昔999が好きだった。理由は、松本零士が何十巻もの漫画で描いた大きな物語を、2時間の映画になんだかんだでちゃんと収めたこと、そして絵が派手で飽きないことだ。ただ脚本には相談者の指摘どおりの欠点があり、今観れば80点台の出来だろうとも言う。それでも、汽車が宇宙を飛び、男の子が乗り、一緒にいるお姉さんが「鉄郎」と少し色っぽいセリフを言うだけで2時間観ていられるのは面白い映画だった、と締めくくった。

『天気の子』『エヴァ』『ポニョ』はなぜ観客を置き去りにするのか

2つ目の相談は30代女性の須藤さんから。『天気の子』『エヴァンゲリオン新劇場版』『崖の上のポニョ』の主人公たちは、愛する相手を救うため、あるいはただ会いに行くためなら世界がどうなっても構わないという行動に出る。お話としては素敵だと思う。しかし相談者はどうしても共感できず、正気に戻ってしまう。観客は結局、こうした世界で被害を受ける側の人間ではないか。自分なら真っ先に死ぬあっけない存在だろう。岡田はこの終盤の展開をどう受け止め、何と名付けているか、という質問である。

岡田はまず、一般的にはこれを「セカイ系」と呼ぶと答える。個人の問題と世界の大問題がつながっていて、しかも個人の問題が世界より優先されるパターンのことだ。そのうえで岡田は、作り手側が観客の幼さを見切り、観客がこういう話を好むだろうと計算して作っている、マーケティング的な感動ではないかと疑っていると述べる。

岡田はここで異世界転生ものを例に挙げる。主人公がチート能力を持ち、どんどん問題を解決して感謝され、モテる。そうした作品が似たものばかりになるのは、作り手の頭が悪いからではない。「アニメを観ている人はこういうのが好きなんでしょ」と、悪く言えば観客を少し見下したマーケティング的な作り方をしているからだという。ただしそれはプロデューサーの視点である。現場の脚本家や監督は、与えられた話数や脚本の範囲で自分の作家性を出そうとして、少し難しいことをやる。プロデューサーの「こうすれば受ける」と現場の「でもこれがやりたい」が拮抗しているから、異世界転生ものは面白いのだと岡田は見ている。

観客の代表から「貴族様」になったクリエイター

岡田によれば、クリエイターは基本的に背伸びをして作品を作る。自分にはできないことを主人公にさせる。ところが今のクリエイターには、設定を極端にし、その中でわがままを通そうとする癖がある。世界の終わりのような状況を作り上げ、自分を投影した主人公にわがままを通させる。宮崎駿なら幼稚園児の恋愛のようなものを、庵野秀明なら個人的な感情や我を、破滅的な世界の中で押し通そうとする、と岡田は言う。

岡田の見立てでは、今のクリエイターは1980年代から90年代頃のような「観客の代表者」ではなくなり、「貴族様」になった。そのため、作品を観るファンのことを考えなくなった。ファンのために作るという姿勢は1990年代ぎりぎりまで残っていたが、『クレヨンしんちゃん』ですら見失っている。岡田が大好きな『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』も、この意味では観客を捨てて監督がやりたいことをやり始めた作品だという。それによって商業作品ではなくアート作品に近づき、面白くなった。しかし、その状態が20年以上続いた結果、観客たちは無意味な大衆、つまり背景になって死に絶え、作者の願望を投影したキャラクターが結ばれて「それでよし」、あとは「お前ら一般大衆は被害の中でも強く生きていけ」という話になりがちになった。

3作品をまとめて「変だ」と感じた相談者に、岡田は「ドキッとした」「よく見抜いた」と答えている。岡田はこれを以前から「クリエイター至上主義の弊害」と呼んでいる。昔はプロデューサーが企画してアニメを作らせていた。今は、いいアニメを作るにはクリエイターをできるだけ優遇し、クリエイターが作りたいものを作らせるのがいいという「宗教」にみんなが入ってしまい、作品が少しずつそちらに寄っていった。岡田はどちらが正しいとは言わない。プロデューサー主導とクリエイター主導が拮抗している状態が一番いいと考えている。今はプロデューサー至上主義のマーケティング的なアニメから、クリエイター至上主義へ大きく振れきった状況にあり、そのためにこういう作品が生まれている、というのが岡田の結論だ。

先生は時間にルーズでも許されるのか:人は平等でも立場には上下がある

3つ目は10代男性のウイスキーさんから。授業の開始時刻には厳しく、2分前に着席しろという先生もいる。それなのに終わりの時間にはルーズで、「もうちょっとだけ」と授業を延ばしても平気な顔をしている。生徒にとっては次の授業の開始時刻が迫っているのに、という不満だ。大人の世界でもこういうことはあるのか、こうした時間感覚の違いはいつどうやって生まれたのか、という質問である。

岡田は自分もしょっちゅう延長するので先生の気持ちが分かる、と笑う。建前どおりに答えるなら「生徒に言う以上、先生も守るべきだ」となるが、岡田は自分の言葉でまとめると断ったうえで、大人の世界ではこれが当たり前だと答える。

例に挙げたのは企業へのプレゼンだ。売り込む側は気を使って開始時刻も終了時刻も必ず守る。一方、プレゼンを受ける側は平気で時間を変える。「取締役が集まらなかったから4時からにして」「来週にして」と言い、話が面白ければ1時間ほど延長させることもある。売り込む側は次の会社でのプレゼンが控えているかもしれず本当は困るが、なんとか対応するしかない。これは生徒と先生の関係にそっくりだという。

なぜそれが当たり前なのか。岡田の答えは、受ける側が「偉い」からだ。学生はたいてい、人間には上下がない、全ての人は平等で公平だと教わる。それはその通りだと岡田も認める。しかし、人間には上下がなくても、人間の「立場」には上下がある。1人の人間として社長と社員の価値は等しいが、社長という立場と社員という立場には上下関係がある。学校は理想形だけを教え、現実の補正は就職活動の圧迫面接などでいきなり思い知らされる。圧迫面接は本来あるべきではないが、雇うかどうかを決める会社は立場が上で、入れてもらう学生は立場が下だから、ああいう態度になるのだという。

学校も同じで、立場の上下があるから先生は命令できる。立場を離れれば人間としては平等だから、命令に従わない自由もある。しかし先生の立場では、登校を命じることも、退学を言い渡すこともできる。人は平等であるということと、立場には上下関係があるということ。この矛盾する2つのルールを使い分けて人間社会は動いている、と覚えておいてほしいと岡田は答えた。

両親の愛が怖い:親孝行は3歳までで終わっている

4つ目は、今回の中心となる22歳女性・みのりさんの相談である。一人っ子として両親の愛情を一身に受けて育ち、高校も大学も私立に通わせてもらい、欲しいものは買ってもらえる環境にある。両親のことは大好きで、何度も自殺を決意したときも、自分が死んだら両親が悲しむと思いとどまった。それでも、両親からの無償の愛が怖い。多くのお金をかけてもらった分、返さなければならないと考えてしまう。できるだけ稼いで老後は楽をさせたいが、優秀な両親と違って自分は失敗ばかりだ。その劣等感からか、中学の頃から両親のことを考えると涙が出るようになった。幼い頃から全ての決断は両親のためだった。この涙を止めるにはどうすればよいのか、22歳なのに親離れができない、という内容だった。

岡田はまず、「これだけお金と手間をかけてもらったから返さなければならない」という前提が間違っていると言い切る。その根拠として、自身に育児経験があり、保育園の送り迎えで他の親とも話していたことを挙げる。ただし、これは絶対の正解ではなく、親の側の「あるあるパターン」だと断っている。

岡田の答えは、子供が0歳から3歳まで生き抜いてくれた時点で親孝行は終わっている、というものだ。それほど0〜3歳の子供は圧倒的に可愛く、親はその時期に、人生の他のどんな経験でもありえないほど多くのことを経験できる。だから、もし親が「お金も手間もかけたのだから、ちゃんと親孝行してよ」と言い出したら、その言うことは聞かなくていい。その親は元金をすでに返してもらったうえで、さらに利子を取ろうとする悪徳高利貸しになっているからだ、と岡田は笑いながら言う。世界中の全ての親は、3年間子供と過ごす時間をもらった時点で支払いを受け終えている、だから気にしなくていい、と繰り返した。

「失敗ばかり」は親を試しているのではないか

一方で岡田が気になったのは、「優秀な両親と違って失敗ばかり」という部分だった。岡田は、自分は人間のそういう面ばかり見てしまうので、と断りつつ、次のような見立てを示す。相談者は親から多くのチャンスを与えられ、何をやってもいいと言われている。そのため無意識に、自分にはできなさそうなことを選んで親を失望させ、無償の愛にさらに甘えを上乗せして、本当に親は許してくれるのかを試したくなっているのではないか。「親離れできない」というのも、まだ甘える余地があるかを試したいからではないか。

そして、親に負担をかける失敗をしていることに心の裏側では気づいているから、涙が止まらない。自分の本心に自分で気づいているために起こる「液漏れ現象」だと岡田は表現する。それを止めるには、無意識にやっている行動をやめることだ。できないチャレンジはしない。本当はやりたくないことはやらない。たとえば親が海外留学を勧めても、それに応えて留学してあげることは親孝行ではない。親孝行はもう終わっているのだから、と岡田は言う。

親から離れることが、親の2度目の成長になる

岡田はさらに、ここから先はむしろ独立して親のもとを離れ、親に次の成長の機会を与えるべきだと続ける。親は0〜3歳の子供を可愛がり、その後は子供を心配することで人間としての力が上がる面もある。しかし逆に言えば、子供に構いすぎて子供を幸せにしようとする親は、人間としてダメになっていると岡田は考えている。

ここで岡田は、よく見ているというYouTuberの「ヘライザーさん」の名前を挙げ、話し合ってもきっと意見が合わないだろうと言う。その人は子供の幸せを考えろと言うが、岡田は、子供の幸せなど考えなくていい、そんなことを考えるから世の中が狂っていく、自分の都合で考えろ、という立場だという。子供は親に失望し、そこから独立することで、自分が親になる強さを身につける。子供を幸せにしようとすると、その流れが生まれない、というのが岡田の考えだ。

だから相談者には、親にもう少し無関心になり、恩知らずと言われるくらい冷たく接して、親を見放してあげてほしいと勧める。そうすれば親は、娘が自分から離れていったことで「自分には何が残ったのだろう」と考え始め、伏線回収のような第2段階の成長が始まる。自分は64歳だから言えるが、相談者の親はおそらく50代で、まだショックで落ち込み、絶望し、もう一度立ち上がれる年齢だ。それくらい困らせてあげてください、と岡田は答えた。

95キロで彼女ができない:「あんたよりいい人がいい」の意味

5つ目は埼玉の20代男性・佐藤さん。これまで数十人の女性を口説いてきたが、いつも「あんたよりいい人がいい」というニュアンスの言葉で振られる。おかげで女性と話すのは得意になったが、彼女いない歴は年齢と同じ。体重は95キロで太っているが、体型に合う服を選び、身なりには気を使っている。趣味は料理とゲームで、悪くないと思う。何を改善すれば彼女ができるのか、という相談である。

岡田はまず、95キロなど太っているうちに入らない、自分の今の人生の目標は95キロくらいになることだ、アメリカに行けば自分でもまだ太っていないと思える、と笑いを交えて返す。

そのうえで、振られるときの言葉の意味を説明する。これは「あんたと付き合うはずがない」という意味だ。ただし、そこまで否定的ではない。面白いし、料理もできるし、話していて楽しい。十分にいい人だとは分かった。けれど、なぜ私があんた程度で手を打たなければならないのか、ということだ。岡田はこれを、誕生日にコンビニのパスタや、値崩れして「100円引き」の値札が見えるスーパーのケーキで祝われるようなものだとたとえる。「私はそこまでの値打ちしかないのか」と言われているのだという。つまり相談者は、500円玉1枚しか持っていないのに1万円くらいの品物しか置いていない店に入っているようなものだ。店の人の本音は「ここにはあんたに買えるものは一つもない」である。

恋愛市場での自分の価値という考え方については前回の人生相談で説明したので、そちらを見てほしいと岡田は言う。今回は、相談者が知りたいであろう「どう行動すればいいか」に答えた。

グレードを1人ずつ下げて、自分の市場価値を測る

岡田の提案は、今日から3か月で20人ほどの女性を口説くことだ。脈がないと思ったらすぐ次に移る。1人目は今まで好きだった人でいい。数十人を口説いてきたのだから惚れっぽいのだろう、その中の1人でいい、と岡田は言う。ダメだったら、次の人は必ず「グレード」を下げる。グレードは見た目でも年齢でも何でもよく、自分なりにマイナスポイントだと思う点がある人を選ぶ。それでもダメならさらに下げる。

岡田は相談文を読んで、この相談者は実は女性なら割と誰でも好きになれるタイプだと感じたという。それでも「こんな人と付き合えたらいいな」と上のほうを狙いすぎている。だから1人ずつグレードを下げていき、相手が「あんたと付き合うと楽しいかもね」と興味を示したら、そのグレードが自分の市場価値だとわかる。まずはそれをつかもう、という提案である。

岡田は、女性が聞けばあまりいい気持ちはしないだろうと認めたうえで、男女では恋愛市場での価値がとりあえず違いすぎる、と付け加える。学生時代は、市場価値の違う人たちを1つのクラス、1つの学校に詰め込み、その中でしか恋愛しないような幻想がある。それを当たり前だと思いすぎると、社会に出てからひどく苦労することになる、と岡田は述べた。

公立と私立の違いは教師ではなく、生徒の平均値

最後の相談は、公立中学校で教えている30代女性・ちびクロさんから。ここ数年働いてみて、この仕事に向いていないと感じることが増えた。過去の動画で岡田が「子供を私立中学に入れておくべきだった」と話していたのが心に残っている。岡田の考える理想の教師とはどんな人か。公立と私立の教員に質の違いは感じるか、という質問だった。

岡田は、あれは自分の娘の教育についての発言だったと振り返る。相談者はその発言から、公立と私立には差があり、それは主に教員の差だと受け取ったのだろう。しかし、それは全部違うと岡田は言う。教員に違いがあるかどうかは正直分からないが、違いはないと思う、と述べたうえで、あるのは生徒の平均値の差だけだと説明する。

小学生の上位5〜10%が私立に行くため、私立中学の生徒は統計的な意味でレベルが高い。個別に見れば私立でもレベルが低い子はいるし、偏差値が高いのに公立に行く子もいくらでもいる。岡田が言っているのは全体を見たときの統計の話だ。私立中学は、成績や家庭環境が上位の子ばかりを試験で集める。だから無用な拘束で縛らなくても素行がよい可能性が高く、愛校心も期待できる。多少先生が無能でも、生徒のレベルが高いから学力も期待できる。私立の生徒の成績がよいのは、教育システムや校風や教師の能力が優れているからではなく、優秀な子を集めているからだ、というのが岡田の見方である。

理想の教師は「平均的な人材」

では理想の教師とは何か。岡田の答えは「平均的な人材」だ。怒りっぽく、ときどきネガティブになり、本来は中立であるべきなのに私情を交えて特定の生徒をひいきしたりする。そのことをときどき反省して落ち込み、もう少しまともな先生にならなければと思いながら、同じ間違いを毎年繰り返す。それでも10年、20年経つと「あの先生、なかなかいい先生だよね」と言われる。そういうごく普通の先生が理想だと岡田は言う。大事なのは、そうした平均的な人材でもちゃんと教師になれる、当たり前の教育システムを考えることだ。教師の理想を目指したり語ったりすべきではない、と岡田は述べる。

岡田によれば、これは政治にも会社にも当てはまる自分の考え方だという。例に挙げたのはNetflixだ。優秀な人材ばかりを集めたがるNetflixを岡田は信用しない。その方式なら運営がうまくいっているように見えるのは当たり前だが、そうするのは経営陣が無能だからだと岡田は言う。本当に有能な経営者なら、平均的な人材が入っただけで売上が上がる仕組みを作れるはずだ。

岡田はさらに、デイヴィッド・ハルバースタムの『ベスト・アンド・ブライテスト』を引き合いに出す。理想的な人選をしたケネディ政権が、なぜベトナム戦争で崩壊したのか。日本でも東芝、ホンダ、ソニーが70〜80年代にあれほどうまくいったのに、90年代から2000年代にかけてなぜ落ちていったのか。優秀な人材を集めれば優秀な成果が出るという考え方では、こうした現象を説明できないと岡田は言う。理想のスタッフで理想の運営をすると、自分たちのやっていることが絶対に正しく見え、システムはどんどん腐っていく。欠点のある当たり前の人間が教師になってもちゃんと回り、平均的な生徒たちが教育を受けて出ていける仕組みのほうが大事だ、というのが岡田の答えだった。

追加パート:子供を形づくるのは友達、親の期待は忘れてもいい

本編の後、岡田は編集時点で撮った追加のコメントで、公立と私立の話を補足している。今の都市部に住む親にとっては身近な話題だろうとしたうえで、両者の違いは教師やカリキュラムではなく生徒にあると繰り返す。ただし、ここでいう生徒の「質」は、私立の子供のほうが上等だという意味ではなく、性質が違うという意味だと断っている。私立には、家庭も本人も勉強を重視し、勉強が得意な子が集まる確率が高い、ということだ。

さらに岡田は、子供の人格形成にはどんな大人に教えられたかより、どんな友達に囲まれて育ったかのほうがはるかに大きく影響する、それが現代の教育論の常識だと述べ、関心のある人には翻訳書『親業』を勧めた。親の立場で綺麗事抜きに考えれば、お金があれば私立に入れたい、公立ならできるだけ偏差値の高い学校に入ってほしいと思うのは仕方がない。親があれこれ考えてしまうのは、それが親というものだからだ。

そのうえで岡田は子供の側に向けて、考えすぎている親に対して、そんなに気負う必要はないと言う。無意味に反抗しろというのではなく、プレッシャーに潰されるくらいなら一旦忘れろ、という意味だ。親孝行は3歳まで無事に生き延びた時点で完了している。恩返しをしなければ、期待に応えなければと考えすぎると、親の幸せを作る操り人形として一生を終えることになる。それはそれで構わないのかもしれないが、自分の子供にも同じことを強いるようになってしまう。親は心配したり干渉したりするのが仕事のようなもので、子供はそれをあまり気にしなくていい。岡田はそう述べて、この回を締めくくっている。