『この世界の片隅に』はなぜ言葉にならないのか 岡田斗司夫が語る「すずを実在させる」三つの方法と、泣かずに観る勧め
岡田斗司夫この動画は、原爆の日である8月6日に合わせて、岡田斗司夫が2016年11月20日配信の「岡田斗司夫ゼミ」第153回を再編集したものだ。取り上げる作品は、こうの史代の漫画を原作に片渕須直が監督した劇場アニメ『この世界の片隅に』(2016年公開)である。岡田は結論として「ものすごい作品なので絶対に見てほしい」と勧める。そのうえで、この映画がなぜ観客を言葉にできない状態にするのかを、監督が掲げた三つのポイントに沿って説明する。無料公開部分ではできる限りネタバレを避けており、最後に「泣かずに見てほしい」という観方の助言を付けている。
観終わって全員が呆然とした劇場
岡田はこの作品に強く心を動かされ、原作漫画も絵コンテ集も買ったと話す。できればビデオではなく劇場で観てほしいという。理由の一つは音響の良さで、もう一つは絵の広がりが大きな画面に向いていることだ。ただ、岡田がいちばん重く見ているのは、映画館にいる観客全員が呆然とする感覚である。これは実際にその場にいないと分からないという。
劇場によっては泣く人がいたり、終映後に拍手が起きたりして、感情のやり場があることもある。しかし岡田が観たテアトル新宿の回では、終わったあと観客全員が呆然とし、これをどう受け止めればいいのか分からないという空気になった。岡田の考えでは、泣く・笑うは感情としてまとまっているので扱いやすい。いちばん強い感動は、言葉にならず呆然とする種類のものだという。
世間の反応はまだ薄い、とも岡田は感じている。前日に出演した関西のテレビ番組で、東野さんに面白いアニメはないかと聞かれ、この作品を絶対に観るべきだと勧めた。返ってきたのは「あ、見ときますわ」という薄い反応だった。岡田によれば、観ていない人の多くは宣伝の絵柄から「みんな褒めているけれど、こんなものだろう」と想像している。けれども、その想像の範囲に収まる作品なら自分はここまで言わない、と岡田は言う。
ネタバレの線引きと、ばらばらな感想
完全にネタバレを避けるのは無理なので、岡田は「ここまでは安全」という前提を示す。作品は戦前から戦後、おそらく昭和10年ごろから昭和20〜21年ごろまでを描いている。主人公は広島に住む女の子なので、クライマックスで原爆が落ちる。これは前提として知っておいてよい、という。
観た人の感想は支離滅裂だと岡田は言う。冒頭1分から泣けて仕方がないという人がいる。とにかく観ろと繰り返すだけの人もいる。「みんなが想像するようなかわいそうな戦争アニメや、戦争の中でけなげに生きる少女の話ではないから、頼むから観てくれ」と頼み込むような感想もある。
観られていない理由は上映館の少なさにある、と岡田は見ている。収録時点で全国60館余り(コメントを受けて63館と訂正している)、東京でも4〜5館しかない。一方、映画.comのレビュー平均は4.6前後で、そんな作品はほかにない、と岡田は評価の高さを強調している。
「感動を与える」のではなく「圧倒させる」映画
岡田は、あまりに感動すると言葉にしにくくなると打ち明ける。以前、ロサンゼルスとラスベガスの間にあるキャリコという西部のゴーストタウンを訪れ、胸が潰れそうになった話をしたことがある。今回の体験はそれに近いという。
岡田によれば、映画を作る人は皆、本当はこの言葉にならない領域を目指している。映画監督が「どんな話かと聞かれて言葉で説明できるような映画は作っていない」とよく言うのは、そういう意味だという。分かりやすい感動を与えたいのではなく、観客を圧倒させたいのだ。とりわけ高畑勲はそういう映画を作ろうとしてきた人なので、この作品には「死ぬほど悔しい」思いをしているだろう、と岡田は推測している。
面白いかと聞かれれば面白いが、それだけではない。泣けるかと聞かれれば泣いている人は大勢いるが、岡田は泣いてはいけない映画だと考えている(理由は最後に語られる)。すごいかと聞かれれば、アニメに限らず映画全体でおそらく本年度ナンバーワンだ、と岡田は評価する。
片渕須直という監督
岡田は片渕監督の経歴にも触れる。片渕は『魔女の宅急便』の監督を途中で降ろされた人だという。岡田の説明では、宮崎駿本人が降ろしたわけではない。片渕の監督で企画が進んでいたところ、スポンサーが宮崎でなければ駄目だと言い、引きずり下ろされた。そのとき鈴木敏夫が「あんたは最後までいなきゃだめだ」と言い、片渕は演出補として参加してフォローしたという。
その後、片渕は36歳で『名犬ラッシー』、41歳で『アリーテ姫』を手がけた。岡田は、片渕の若い頃の才能は宮崎駿とスタジオジブリに吸い取られてしまったと見ており、現在56歳の片渕を「不遇の人」だと考えている。『名犬ラッシー』は娘が小さい頃に一緒に観ていて、うまいと感じていたそうだ。
すずを実在させるための三つのポイント
片渕監督はインタビューで、主人公のすずを「すずさん」と呼ぶ。岡田はそれを、すずが監督の中で実在する人物として生きている証拠と受け取る。監督は、すずというキャラクターを観客に実在すると信じさせるために三つのポイントを立てた、と語っているという。岡田はこれを順に解説する。
一つ目:徹底した現地取材と背景描写
一つ目は、広島と呉の町の徹底した取材である。岡田は、地方都市を背景に丁寧に描いて「聖地」になったアニメはこれまでもあったが、それらが馬鹿みたいに見えるほどこの作品の描写はすごいと言う。その時代にタイムスリップしたとしか思えないという。
描かれた町は、もう存在しない。広島は原爆で消え、呉もB-29の焼夷弾爆撃でほとんど燃えてしまった。今の私たちが見ることのできない町を、あらゆる資料を調べ尽くして存在させた。その目的は、ここにすずさんがいた、すずがこの橋の欄干に触ったかもしれない、と観客に信じさせることにある、と岡田は説明する。
岡田はここでジブリの描写と比べる。ご飯の炊き方やかまどの火の起こし方は、ジブリ作品にも出てくる。しかし岡田によれば、ジブリの描き方は「昔はこうだったんだよ、手作りで素晴らしいでしょう」と子どもに教えるためのものだ。一方『この世界の片隅に』は、キャラクターの存在を信じさせるために描いている。だからレベルが全く違い、ジブリの自然主義がつまらなく見えてしまうほどだという。
岡田は『となりのトトロ』も例に挙げる。トトロや猫バスが空を走る場面がすごいのは、宮崎駿自身がトトロや猫バスの存在を信じているからだ。信じていることを伝えるときには宮崎のパワーは最大限に出る。しかし「昔の家庭はこうだった」と教える立場になると、アニメーションの熱量が下がる、というのが岡田の見方である。
二つ目:ショートレンジの仮現運動
二つ目は、心理学用語の「仮現運動」だ。二つの点を交互に点滅させると、人の目には点が動いているように見え、残像まで見えてしまう。実際には見えていないものを脳が補って動きとして知覚する現象で、岡田によればアニメーションの原理はこれでできている。
監督はインタビューで、これまでのアニメは「ロングレンジの仮現運動」でできていたと語っているという。その代表が「中抜き」だ。原画で大きな動きをつけるとき、本来は動画で埋める途中の絵をわざと抜く。そうするとスピーディーに動いて見える。
岡田がよく使う例は『もののけ姫』で、サンがエボシ御前と戦う場面である。ナイフを抜いて腕を振るところで、宮崎は修正を入れた。振り始めと腕を伸ばし切ったところはきちんと描く。その途中では腕を描かず、空中にナイフの刃先だけを描いた。すると観客には刃が一瞬光ったように見え、間の動きを脳が補う。岡田は、日本のアニメがぐねぐね動くフルアニメーションではなく、中抜きによるスピーディーでかっこいいアクションで評価されてきたのは、この大きな動きでの仮現運動によるものだと説明する。
これに対し、『この世界の片隅に』は「ショートレンジの仮現運動」に挑んだ、と岡田は言う。人間のごく細かく小さな動きで、あえて中割りの作画をたくさん入れ、目に残像現象を起こそうとする実験である。岡田は、冒頭ですずが大きな荷物を担ぐ場面を挙げる。とてもゆっくりした動きなのに非常にリアルに見え、しかも動きがかわいらしいという。岡田はこれを宮崎駿へのアンチとも、日本のアニメがやってこなかった領域への挑戦とも考えられると位置づける。
箸の持ち方に表れた思想
岡田は、この思想が作画の指示にも徹底していることを、監督が語った例で示す。スタッフにボールペンを借り、実演しながら説明した。日本のアニメでは、箸を取ると次の瞬間には正しく持っている。これが普通の表現だ。ところがこの作品では、箸を取ったあと、茶碗を持つはずの手で押さえて持ち替える動作を描いている。岡田によれば、これが人間の正しい箸の持ち方である。
普通のアニメがやらないことをわざわざやっているので、アニメーション表現がとんでもないレベルに達している、と岡田は笑いながら語る。アニメ好きにはぜひ観てほしいという。岡田はこれを、仮現運動の思想によってリアリティの追求が新しい領域に入った例としてまとめている。
三つ目:のんの演技
三つ目は、すずの声を担当したのん(能年玲奈)の演技である。誰が観てもこの演技を絶賛する理由を、岡田は次のように分析する。
すずは絵柄では幼く見えるが、岡田の説明では19歳で嫁入りし、20歳ごろまでが描かれる。義理の姉からのいじめにも愚痴を言わずに耐えるので、どうしても「いい子」に見えてしまう。しかし作品は、文句一つ言わないすずを、現実から逃避する弱い人間として表現している。義姉に逆らわないのは、この子が弱いからだ。岡田は、それを伝えているのは作画ではなく声優の演技力だと言う。物語が進むにつれてのんの演技はどんどん変わっていき、それがすずの内面があふれ出したように見える。
すべての技法が「すずの実在」に集中している
岡田は、作画もアニメーションを見せること自体を目的にしていないと指摘する。監督の狙いはすずがこの世にいると信じさせることであり、のんの演技もそのためにある。作画も、先の仮現運動を含めて、のんの演技を支える側に回っている。中盤を観ていると、のんに良い演技をさせるためにアニメーションが支えているように見えるほどだという。
作画中心でも声優中心でもない。すずを実在させるという一つの目的に、あらゆるテクニックと演出が集中している。綿密な取材、仮現運動を応用した新しいアニメーション、のんの演技という三つによって、観た人は世界を信じ、キャラクターの実在を信じてしまう。そのうえで物語が語られるので、観客は強く感動し、その感動が言葉にならない。岡田はそれを、実際にあった現実を何年分かまとめて心に叩き込まれたような感覚だと表現する。
さらに岡田は、この作品が高畑勲の『おもひでぽろぽろ』や宮崎駿の『魔女の宅急便』へのアンサーになっていると述べる。どういう意味でのアンサーなのかは、ネタバレを含む後半(メンバー限定部分)で語るとして、ここでは説明していない。
「泣くな」という助言
これから観る人への助言として、岡田は「泣くな」と繰り返す。泣ける映画かと聞かれれば泣けるだろうが、絶対に泣かないほうがいいという。
岡田の理由はこうだ。人は泣いた瞬間に感性が閉じ、理性が働かなくなる。泣いたことで「これは泣く映画だ」と思い込み、泣き所を探すようになる。この映画は理性と感性を全開にして観たほうがいい。泣かずに踏ん張っていれば、口で言えず泣くこともできないほどの感動が最後に押し寄せてくる、と岡田は語る。
番組の最後で点数を聞かれると、岡田は「100点に決まってる」と答えている。
10年後の追記:配信の時代に映画館で観る意味
再編集にあたって付けた追加情報で、岡田は、追加シーンを加えた完全版『この世界のさらにいくつもの片隅に』がAmazonプライム、U-NEXT、Netflixで観られ、YouTubeでも300円ほどでレンタルできると紹介している。
新作もすぐサブスクやレンタルに来る時代に、映画館で観る必要はあるのか。最近よく出るこの問いに、岡田はこの作品を例に答える。こういうとんでもない作品は観終わったあとしばらく呆然としてしまう。映画館なら、作品に加えて周りの観客と一緒にその呆然とした気分を味わえる。終わってもみんなしばらく立たず、ざわざわしながら、どう受け止めればいいのか分からなくて帰りにくい。その独特の雰囲気は、今のところ映画館でしか無理だろう、と岡田は言う。この作品を今劇場で観るにはリバイバル上映を探すしかないが、すごいと評判の映画はできるだけ映画館で観てほしい、と呼びかけている。
最後に岡田は「すぐに泣くな」という助言を補足する。泣くことは自分の感情の圧力を逃がすようなもので、泣くとすっきりし、観たものを美化してしまう。『この世界の片隅に』は確かに美しく良い映画だが、泣くと「泣いたからすごい映画だ」と思い込んでしまう。泣くのを少し抑えて受け止めるつもりで観れば、心に深いものがどんどん来る。岡田はそう述べて、泣いてはいけないと思いながら観ることを勧めている。
今日は8月6日、日本人にとって忘れてはいけない日です。81年前の今日ですね、1945年8月6日午前8時15分ですね、広島に原子爆弾が投下されました。
このチャンネルではですね、普段から様々な映画やアニメーション作品などを紹介する形でいろんなことを伝えようとしてるんですけども、今日はですね、8月6日だからこそ見て欲しい1本の映画をですね、紹介します。おはようございます。岡田斗司夫です。
どんな映画かと言うとですね、こうの史代原作、片渕須直監督によってですね、作られた劇場アニメ、『この世界の片隅に』という作品です。2016年に公開されたのはですね、ちょうど10年前の作品になります。
今回の動画だけではですね、『この世界の片隅に』についてですね、できる限りネタバレせずに話してます。先に結論だけ言うとですね、ものすごい作品なので絶対に見てくださいということになりますけども、この動画はですね、2016年11月20日に配信した岡田斗司夫ゼミ第153回をですね、編集したものです。動画が終わった後にはですね、追加のアップグレード情報貼るので楽しみにしてください。それではこっから無料動画スタートです。
もう俺も原作漫画も買うわ。あと絵コンテ集も買うわ。読破するわ。えらい騒ぎですよ。本当にすごいよね。
で、何がすごいかって、まあまあね、色々あるんだけども、できるだけ皆さんもですね、後でビデオとかでなくてですね、劇場で見て欲しいと思うのは、音がすごい、音響がすごいので。で、あと絵の広がりもできれば狭い画面よりもですね、でかい会場で見た方がいいし、何よりも映画館にいる全員が呆然としてる感じは、あれはもう体験しないと分からない。
映画館によっては泣いてる人もいたり、終わった後で拍手するっていう感情の持って行き場がある場合もあるんだけども、僕が行った新宿のですね、テアトル新宿というところは、僕が見た回は終わった後で全員呆然として、これどういう風に思っていいんだろうっていうですね。感動の1番すごい領域だよね。実は泣くとか笑うっていうのは感情がまとまってるから扱いやすいんだけども、1番すごい感動っていうのは言葉にならずに呆然とするっていうやつなんだけども。
まあまあ、すごく感動したんでね、昨日、関西の『正義のミカタ』という番組で、いつもね、例えば『シン・ゴジラ』とか、あとは『スター・ウォーズ』とか、そういうネタで食いつ組の東野さんも「なんか岡田さん面白い漫画ないですか、面白いアニメないですか」っていうので、「『この世界の片隅に』絶対見ないとダメですよ」っていう風に言ったら、「あ、見ときますわ」っていうめちゃくちゃ薄い反応で。やっぱ世間ってそんなもんなんだよね。
本当にアニメっていうのに関してもそうなんだけれども、あと絵の感じ。だから多分今見てない人も、絵の感じとかで頭ん中で「なんか感動してる人も褒めてるけども、こんなもんだろうな」っていうのがあるわけですよ。で、その範囲内なんだけども、そんな作品だったら俺もこんなに言わねえよっていう話を、今日したいと思います。
で、ネタバレしないと言いながらもですね、ネタバレ0はほぼ不可能なので、絶対安全な領域を今からいくつかラインを引くね。まずね、これ、第2次大戦の前から後まで、多分昭和10年から昭和20年、21年あたりまでを描いてる作品だという風なこと。これはもうネタバレじゃない。で、広島に住んでる女の子の話だから、クライマックスで原爆が落ちる。これもネタバレじゃない。ここまでは前提として持っといてください。
で、見た人の感想がもう支離滅裂なんですよ。それはもうYahoo!映画でも何でもいいんだけど、見てくれれば分かるんだけど、見た人がですね、人によっては冒頭1分からもう泣けて泣けてしょうがないという人もいれば、とにかく見ろ、とにかく見ろっていう人もいれば、みんなが思ってるような可哀想な戦争アニメ、戦争っていうのがあって、その中で健気に生きる少女なんて話じゃないから頼むから見てくれっていうような、もう頼み込むようなものまであってですね。
で、見てない理由は、日本全国で映画館60館ぐらいしかやってないのかな。だから東京でも4、5館しかやってないし、地方だったら多分四国とかだったら、四国どうかわかんないけど、やってない可能性あるんじゃないかな。よく四国飛ばされるからね。今63館か。うん。
映画.comのレビューがね、平均今4.6ぐらいなのかな。そんな作品ないからさ。まあまあ是非見てみてください。「TV見るとそこまでかと思ってる」って、ああ、今コメントで出たんだけども、そうだよね。なんかね、わかんないと思うよ。見に行かないと。
で、正直僕も困ってて、さっきも言ったようにあまりに感動が過ぎると言葉になりにくくて。前、秋口に話した、ロサンゼルスとラスベガスの間にあるキャリコっていうゴーストタウン、西部の町のゴーストタウンに行った時に、なんかすごいもの見て本当に胸が潰れそうになってた話したんだけども、本当にそれに似てるんだよね。本当にすごいもの見たら言葉にならなくて。
映画を作る人間っていうのはね、実は全員そんな領域を目指して映画作ってるんだ。映画作ってる人が「どんな話ですか」という風に聞かれたら、「言葉で説明できるような映画なんか作ってねえよ」とかよく言うじゃん。それはみんな『この世界の片隅に』みたいな言葉にならないものを与えたいんだ。だから感動を与えたいんではないんだよ。分かりやすい感動とかを与えるんではなくて、圧倒させたいんだよね。で、特に高畑勲さんなんていうのはそういう映画を作りたくてやってるから、まあ本当に死ぬほど悔しいと思うけれども。
で、面白いかって聞かれると、面白いけどそれだけじゃないし、あと泣けるかって言ったら、泣いてる人はいっぱいいるけど、これ最後に言うけどね、泣いちゃダメだと思う。泣いちゃダメな映画だと思うよ。で、すごいかって聞かれると、本年度ナンバーワンの映画だよね。アニメだけじゃなくて、本当に映画としてはおそらく本年度ナンバーワンと思います。
監督ですね、片渕須直さんていう方でですね、『魔女の宅急便』を下ろされた人だよね。別に宮崎駿に下ろされたんではなくて、『魔女の宅急便』の企画があって、片渕さんでもう進行してたんだけども、スポンサーが宮崎でないとダメだという風なことで引きずり下ろされて、その時に鈴木敏夫さんが「あんたは最後までいなきゃだめだよ」っていう風なことで、演出補で参加してフォローしたと。
で、36歳で『名犬ラッシー』作って、41歳で『アリーテ姫』という遅咲きなんだけども、それまで日本映画にいた頃からの青春期の才能全て宮崎駿とスタジオジブリに吸い取られてしまったっていう、僕的には不運の56歳だと思ってる。『ラッシー』良かったんだけどね。俺、娘が小さい頃に一緒に見てたんだけども、うめえなと思って見てたから。
で、この片渕監督、主人公のすずっていうキャラクターをずっとね、「すずさん」っていう風にインタビューでも呼んでるんだよね。で、それぐらいもう実在するものとして映画監督の中に住んでると。でこの人は、このすずさんっていうキャラクターを実在させるというのかな、信じさせるために3つのポイントを立てたっていう風に言ってんだよね。
で、1つ目は徹底した現地取材。広島の町とか呉の町の取材がすごい。で、これまでに見たアニメのいわゆる聖地っていうやつあるじゃん。つまりある地方都市とかをすごいちゃんと背景とかで描いたので、そこが聖地になりましたっていうのが、もう言い方申し訳ないけど、はっきり言ってそんなのがバカみたいに見えるぐらい描写がすごい。
特にもうその時代にタイムスリップしていったとしか思えない。本当にもう存在しないわけだよ。だって広島なんてさ、原爆で消えちゃった町だし。呉もそうなんだけども、B29の爆撃で、絨毯爆撃でほとんど街が燃えちゃったんだ。だから今はない。もう僕らが見ることはできない町っていうのを、あらゆる資料を調べに調べて存在させたんだ。その描写がものすごい。
で、それもなんでかというと、ここにすずさんがいたんだ、ここですずがこの橋の欄干を触ったかもしれないっていうことを観客に信じさせるための膨大な取材なんだよね。だからご飯の炊き方とかね、例えばかまどの火の起こし方とか、これまでジブリのアニメでもやってるような描写あるんだけど、そういうジブリの自然主義がもうつまんなく見えちゃう。
なんでかって言うと、ジブリの描き方っていうのは、例えば風呂の描き方、昔はこうだったんだよっていうのを子供に教える描き方なんだよね。どうやっても「昔はこうだったんだよ。ほらほら手作りで素晴らしいでしょ」っていう教える描き方なんだけど、ところが『この世界の片隅に』の描き方は、そのキャラクターの存在を信じさせるための描き方なんだ。だからレベルが全然違う。
例えば『となりのトトロ』ってさ、トトロとか猫バスが空を走るシーンはすごいじゃん。あれはなんでかって言うと、トトロや猫バスが存在してるということを宮崎が信じてるから。だからその信じてることを伝えるためだったら宮崎駿のパワーが最大限出るんだけども、でも「ほら昔の日はこうだったんだ。昔の家庭ってこうだった、昔のご飯の作り方こうだったんだよ」っていう教える立場になっちゃうと、急にアニメーションの熱量が下がっちゃうんだよね。だからその、なんだろうな、キャラクターを信じさせるための背景描写とか、あと自然なアニメーションっていうのがとにかくすごいと。
あ、山駅、悪いけど俺時間経過全然見えないから、時計俺の見えるとこに動かして。そこら辺端っこでもいいや。あ、そこでいい。ありがとう。
で、えっとね、あとね、仮現運動っていうのがあって、これ心理学用語なんだけども、このすずさんを信じさせるための3つのポイントの2つ目ね、仮現運動。仮現運動ってのは何かって言うと、点が2つ点滅して交互についたり消えたりついたり消えたりしてると、人間の目にはこれが動いてるように見えて、おまけに残像まで見えてしまうと。こういう、見えてないものを補完して動いてるように見えるっていうのを仮現運動っていう風に言うんだけども、アニメーションの原理ってのはこの仮現運動でできてるんだ。
で、監督がインタビューで答えてるんだけど、これまでのアニメーションっていうのはロングレンジの仮現運動でできてた。だから中抜きっていうのが存在する。中抜きっていうのはどういうことかって言うと、原画で大きい人間の動きをやった時に、途中で動画で本来埋めるべきところをわざと動画抜いちゃうんだ。そうするとスピーディに動いてるように見えると。
これの1番シンプルな例が、僕がよくニコ生で説明する『もののけ姫』のサンの戦いのシーン。1番最初にサンが、えっとですね、と戦うところじゃないな。なんだろう、強いお姫さんと戦うところなんだけども、ナイフを抜いてさっと腕を振る時に、宮崎が修正したんだけども、腕が伸びてくところの腕を描かずに、あ、エボシ様だよね。ナイフの先だけを空中に描くんだよ。
そしてここ、ここはちゃんと描く。で、腕を伸ばした時はちゃんと描く。ところがこの途中の空中は腕を全く描かずに、空中にナイフの刃を描くんだよね。そうすると人間というのは残像でこれが一瞬光ってるように見えて、ここの間の動いてるものを脳が補完して見えてしまう。こういうのを片渕監督はロングレンジの仮現運動っていう風に呼んでるんだ。
つまりこういう大きい動きでの仮現運動っていうのはアニメーションでよくやられて、だから日本のアニメーションっていうのはフルアニメでグネグネ動くのではなくて、中抜きしてアクションシーンがスピーディでかっこいいっていう風に言われてんだ。
ところが今回『この世界の片隅に』で使われたのはショートレンジの仮現運動で、人間のものすごい細かい小さい動きを、あえて中の作画をいっぱい入れることによって、人間の目に残像現象を起こすっていう実験をやってんだ。で、それがですね、冒頭の例えば大きい荷物をすずが担ぐシーンとかで、ものすごいゆっくりした動きやってるんだけども、めちゃくちゃリアルに動いて見えるし、あと動きが可愛らしいんだよね。
で、この辺の、あえてロングレンジの仮現運動ではなくて、ショートレンジの仮現現象っていうのをやったっていうのは、なんだろうな、宮崎のアンチとも言えるし、日本アニメのこれまでやってなかった領域への挑戦っていう風には考えられると。
でこの作画の指示でもですね、仮現運動の思想が徹底してて、えっとね、ちょっとね、そっちのボールペンもう1本取ってくれる。これ用意しとけば良かったんだけど、そこら辺にボールペンあるでしょ?何でもいいから。いや、あ、そこの左。えっと、あ、分かんないかな?あ、それでいいや。うん。ごめん。
えっとね、これもインタビューでね、片渕監督が言ってたんだけども、箸を取るシーンで、日本のアニメっていうのはよく見てくれたら分かるんだけども、お箸を取ったら次の瞬間もう箸が正しく持ててるんだ。で、これが普通のアニメーションなんだけども、ところが『この世界の片隅に』はショートレンジの仮現運動っていう風な思想でやってるもんだから、普通のアニメではやらないことやるんだ。
どういう風なことやるのかと、お箸を持った後、本来お茶碗を持ってる手でこう押さえて持ち替えるじゃん。これが正しい箸の持ち方なんだよ、人間の。これをね、わざわざやってるんだよ。そんなことやってるもんだから、なんだろうな、アニメーションとしての表現がとんでもないレベルに達しちゃってんだよね。だからアニメ好きにはすごく見て欲しい。
これが2つ目の、ショートレンジ仮現運動思想によるリアルなアニメーションの、なんだろう、新たな領域に入っちゃったリアリティの追求。1つ目のポイントは、キャラクターを信じさせるための綿密な取材と背景描写。2つ目がショートレンジの仮現現象による、なんだろう、目の残像っていうのを応用した新しい作画の領域で、3つ目が声優ののん。元・能年玲奈だよね。誰が見てもとにかくこの演技めちゃくちゃ褒めるんだよ。で、僕もね、なんでかと思ってたんだけども、えっとね、
あ、みんななんか字がよくわかんないかな。ネットで調べる時のために書いとこうか。仮現運動っていうのはこういう字を書くよ。こういう字だよ。大丈夫だよね?はい。あ、ありがとう。では元に戻してと。
すずっていう主人公は実は、この絵で見たらすごい幼く見えるんだけども、19歳なんだよね。19歳で嫁入りして、20歳ぐらいの頃までの話なんだけども、愚痴も言わずに義理のお姉さんの結構いじめにも耐えて、どうしてもいい子に見えちゃうんだ。
で、それを文句1つ言わないことで、現実逃避する弱い人間として表現してるんだよね。なんかいい子に見えちゃうのを、そうじゃなくて、お姉さんとかにも逆らわないのはこの子が弱いからだっていうのってさ、もうね、作画じゃなくて演技力なんだよね、声優の。
で、ストーリーの進行につれて、のんの演技がどんどんどんどん変わっていく。で、それはすずの内面が溢れ出したようにちゃんと見える。それはね、もう本当にのんの演技力なんで。
で、作画もなんか、アニメーションで見せるのが目的じゃなくて、さっきも言ったように監督のやろうとしてることは、すずがこの世の中にいるっていうことを信じさせることだから、のんの演技ももうこれのサポートに徹してるし、作画もそののんの演技のサポートに回ってるんだよね。だから真ん中あたり見てると、本当にこの映画っていうのは、のんが声優としてすごくいい演技をするために、さっきも言った仮現運動含めたアニメーションの演技がサポートしてるように見えてしまうぐらいなんだ。
作画中心でもなくて、声優中心でもなくて、すずを実在させるということだけを中心においた、たった1つの目的で、全てのテクニックと演出が集中してるっていう。この3つ、その演技だよね。で、あとはその綿密な取材と、あと仮現現象を応用したアニメーションの新しい領域。この3つで、とにかく見た人はみんなあの世界を信じちゃうし、キャラクターの実在を信じちゃう。
その上でのお話だから、みんなものすごい感動して、その感動が言葉にならないんだ。なんか実際にあったことの現実をドカンと何年分か心の中に叩き込まれたような感じなんだ。今コメントに早くそってあったんだけども、その通りだよ本当に。高畑の『おもひでぽろぽろ』とか、宮崎の『魔女の宅急便』へのアンサーになってる。で、これは後半のネタバレで語るね。どういう風なアンサーになってるのか。
で、これから見る人へのアドバイスだけども、冒頭で言ったんだけども、泣くな、なんだよ。「泣けますか」という質問に関しては、泣けるだろうけども、絶対に泣かない方がいい。なんでかて言うと、人間っていうのは泣いた瞬間に感性が閉じちゃうし、理性が働かなくなっちゃうんだ。泣いた瞬間に泣く映画だと思っちゃうから。で、泣くところを探しちゃうから。
人間っていうのは1度泣き出すと、なんだろう、泣き所探しちゃう。1度泣き出すと理性が働かなくなってくると。で、この映画は理性と感性を全開にして見た方が絶対にいいんだよ。口で言えないほど、泣くこともできないほどの凄まじい感動が、泣かずに踏ん張ってたら最後にうわーってくるから。なので安易に泣いて、泣ける映画にしない方がいいと思うよ。これから見る人は。
以上ですね。ちょっと15分ぐらい語っちゃったんだけども、『この世界の片隅に』ネタバレなしバージョンです。後半の限定ではですね、ネタバレありで、じゃあ何をしようとしたのか、これまでの映画とテーマ的にどのように違うのかっていうのを語ろうと思います。点数は?点数はもう100点に決まってんじゃん。すっげえよ。
はい、お疲れ様でした。今日の無料動画ここまでです。現在ですね、『この世界の片隅に』はですね、追加シーンを加えた完全版であるですね、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』がですね、Amazonプライム、U-NEXT、Netflixなどで見ることができます。他にもですね、YouTubeでも300円ぐらいでレンタルできます。
で、新作の映画もですね、すぐサブスクとかレンタルに上がっちゃうこの時代にですね、映画館で映画を見る必要があるのかという話が最近よく出るんですけども、『この世界の片隅に』みたいなとんでもない作品って、見終わった後しばらく唖然としてしまうんですね。で、こういう映画はですね、映画館で見ると、作品以外に周りのお客さんと一緒にですね、この唖然とした気分っていうのを楽しめるんです。楽しめるっていうか、味わうことができるんですね。
終わった後みんなしばらく立たなくて、ざわざわして、これどういう風に受け止めたらいいんだろうと言って、ちょっと帰りにくい感じ。あの独特な雰囲気っていうのは映画館でないと、今んとこ無理だと思います。今からですね、『この世界の片隅に』をですね、映画館で見ようとしたらリバイバル上映を探したりしなくちゃいけないから、なかなか難しいんですけども、こんなことがあるから、すごいと言われてる映画ですね、できるだけ皆さんはもうこれからですね、すごいという評判の映画ですね、映画館で見てください。
あとこの映画に関して言えることは、やっぱりですね、すぐに泣くな、ですかね。泣くっていうのはね、自分の感情の圧力を逃すようなもんなので、泣くとすっきりしちゃうんですよね。すっきりして、見たものを美化しちゃうんですよ。で、『この世界の片隅に』って確かに美しい映画で、すごいいい映画なんですけど、泣いちゃうと、泣いたことによってすごい映画だっていう風に思っちゃうんですね。で、それをですね、ちょっと抑えるとですね、なんか自分の心に深いものがどんどん来ますからですね。泣いちゃダメだと思って受け止めるつもりで、僕は見るのがおすすめです。
さて、今日見てもらったですね、動画の続きは有料会員のみ見られるようになってるんですけども、どんな話をしてるのかというと、ネタバレ解禁してですね、『この世界の片隅に』をですね、さらに語るんですよね。あと、この当時話題になったですね、宮崎駿がドワンゴの元会長の川上さんをですね、理不尽に怒鳴りつけるというですね、それがドキュメンタリーで放送されたんですね。「生命に対する侮辱を感じます」ってやつです。そのニュースについて話したりしてます。
続き見たい人はですね、YouTubeのメンバーシップ、ドワンゴのブロマガチャンネルどちらかに入会してご覧ください。どちらも動画の概要欄にリンク貼ってますので、そこを見てですね、入会してくれればと思います。それではまた次の動画でお会いしましょう。じゃあまた。バイバイ。
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