韓国の学歴競争を離れて日本へ、九州大学から東大大学院に進んだパクさんが語る日韓

YouTubeで開く ↗
概要

韓国・ソウル出身のパクさんは29歳である。高校卒業後に来日して九州大学の学部に留学し、その後東京大学大学院で修士号と博士号を取得した。この9月から日本で社会人として働く予定で、9月23日で来日からちょうど10年になる。日本と韓国を紹介するYouTubeチャンネルも運営している。インタビューでは、韓国の受験社会で勉強から逃げていた少年がなぜ日本を選んだのか、日本で暮らすうちに何が変わったのか、そして日韓関係や韓国の若者が巻き込まれる犯罪をどう見ているのかを、本人の経験に沿って語った。

18分で読めます

ソウルの下町から受験激戦地へ

パクさんが生まれたのはソウルの西大門区で、本人は東京でいえば葛飾区のような下町だと説明する。小学6年生まで西大門区で暮らし、中学と高校は受験の激戦地として知られる地域で過ごした。

父親は当初軍人だった。父親の実家の事情が良くなく、日本の自衛隊のような組織に入れば奨学金が出てお金もかからないという理由で、そのまま軍人になったという。母親は大学在学中に結婚して専業主婦になった。パクさんが6歳ごろ、父親は軍を辞めて独立し、両親で小さな旅行会社を始めた。辞めた理由は二つあった。父親は野心のある人で、軍人では昇進に上限がある。もう一つは子どもの教育で、軍の官舎ではなく、自分で稼いで教育環境の良い場所で子どもを学ばせたかった。

家庭は裕福とまではいかなかったが、教育には惜しみなくお金を出せた。日本でいえば中学受験をさせたり、良い大学に入るためなら塾代は全部出したりできる程度の余裕だったという。パクさんには姉が一人いる。旅行会社の経営が軌道に乗って余裕ができたことから、一家は小学6年生のときに受験激戦地へ引っ越した。

科目ごとに塾がある環境と、勉強から逃げた日々

パクさんによれば、韓国ではある程度お金のある家庭なら幼いころから教育に力を入れる。幼稚園でさえ英語で教える「英語幼稚園」があり、パクさんが住んだ激戦地では科目ごとに塾があった。数学、物理、化学、生物、英語があり、英語の中でも文法など分野別に塾が分かれていたという。

本人は当時を「かなり不幸だった」と振り返る。それまでも塾には通っていたが成績は普通で、勉強へのモチベーションもなかった。一方、親はどうしても勉強させたく、そこで衝突した。学校が終わるとすぐ塾に行き、韓国では塾が夜10時までしか開けないため、10時に帰ってから宿題をする。この繰り返しが合わず、塾をさぼってネットカフェに行ったり、親のお金を盗んだりしていたという。

親からは幼いころから、韓国の最難関大学を目指せ、弁護士やファンドマネージャーや博士になれと言われていた。塾に通っていた下地があったので成績は激戦地の中で真ん中あたりには入れたが、モチベーションも集中力も低く、上位には届かなかった。韓国では中学や高校の受験はそれほど重くなく大学受験一本という意識が強いため、親も高校段階で1位を求めたわけではない。ただ、勉強をさせられること自体は止まらなかった。年齢が上がっても周囲の意識は変わらず、自分や自分の周りの中位層は「させられてやっている」人が多かったとパクさんは言う。

財閥企業に入れるかどうかで人生が分かれる

日本も学歴社会と言われるが、韓国はどう違うのか。パクさんは、韓国の方が厳しいと思いつつも、全員が必ず勉強しなければならないというより、勉強して良い大学に入れば必ず見返りがあるから、できる人はどんどん上を目指す、という空気だと説明する。

その見返りの大きさを左右するのが、サムスンやSKといった財閥系大企業である。パクさんは韓国を「大企業か否か」の社会だと表現する。そこに入れば初任給が1000万円、ボーナスが数千万円といった水準になりうるが、入れなければ収入は2分の1や3分の1ほどになる。この差が競争を激しくしているのかもしれない、というのがパクさんの見方だ。

ただ、子どもの側はそうした現実を理解していなかったという。親はよく分かっているので、1年でも早く始めないと遅れると焦って勉強させる。しかし子どもは現実を目にする機会がなく、モチベーションを持てない人の方が多いのではないか。これはあくまで自分や周囲の環境での話だと、パクさんは断っている。

野球をきっかけに日本へ

日本に目を向けたきっかけは野球だった。野球が好きで、日本は野球道具や甲子園などの野球文化で有名だったため、自分の目で見てみたいと思った。高校2年のとき、一人で大阪、京都、東京を旅行し、その年に計3回日本を訪れた。

面白かった点の一つは、自分は学校で勉強だけしているのに、日本の高校生は野球に人生をかけていることだった。パクさんによると、韓国ではプロ野球選手を目指す道と勉強して大学に行く道がはっきり分かれている。プロになる人は小学生のころから10年ほど野球に人生をかけてきた人たちで、部活動やサークルのような中間的な場もあまりない。「野球をする時間があったら勉強しろ」という雰囲気が当時は強かったという(今は変わったと聞いている、とも付け加えた)。日本はその間にグラデーションがあるが、韓国は二択だというのがパクさんの表現である。

もう一つは、日韓は似ていると思っていたのに、細かく見るとまったく違うと気づいたことだ。全体の雰囲気は近くても、日本は細部にこだわり、一つずつ丁寧に進める。韓国はその真逆だと感じ、この国で学び、暮らしてみたいと思うようになった。

3回目の旅行から戻ったころはワーキングホリデーででも来たいと考えていた。ちょうど同じクラスに日本留学を準備している生徒がいて、話を聞くと良いプログラムだと思えたため、親を説得して準備を始めた。

「逃避留学」と呼ばれる進路

日本への留学は、韓国の学歴のレールから外れることを意味した。ネットの掲示板には「逃避留学」という言葉まであったという。パクさんが大まかに説明する韓国での序列では、アメリカの大学が最上位にあり、次に韓国のトップ大学、日本のトップ大学、その後に韓国のそれ以外の大学が続く。日本に特別な思いや学びたいことがない限り、韓国にいた方がいいという空気があるという。

両親も最初は反対した。ただしそれは「なぜいきなり日本なのか」「なぜ韓国に住まないのか」という反対だった。パクさんは二つの点で説得した。一つはプログラムの条件が良く、学費面の支援や奨学金があったこと。もう一つは、自分が行きたくて行き、勉強を頑張ってみせるという意志があったことだ。それまで一度も勉強へのモチベーションを持ったことがなかったので、自分から勉強しようとする姿に親が共感してくれたのではないか、とパクさんは考えている。

このプログラムは日韓両政府が共同で実施していたもので、留学試験の成績順に日本の国立大学へ上から振り分けられる。パクさんの成績で当たったのが九州大学だった。期間は学部の4年で、いつかは韓国に戻るのだろうという雰囲気だった。専攻は化学で、夢は特になく、化学を学ぶのだから研究員になるだろう、くらいに考えていたという。

日本の教育をどう受けたか:「反日」は何を指すのか

インタビューでは、パクさんの世代が韓国で日本についてどう教わったかも聞かれた。パクさんは、日本に関する内容を二つに分けて考える。一つは領土・政治・歴史・外交で、これは韓国政府の立場のとおりに学んだ。もう一つは日本人や日本文化そのものについてで、「日本人は悪い人たちだ」「日本人は出ていくべきだ」といった内容は、自分や周囲に限っては教わらなかったという。

いわゆる「反日教育」があったかと問われると、パクさんは論点を分けて答えた。日本人への憎しみとして学んだのかと問われれば答えはノーであり、日本政府の主張と異なる内容を学んだのかと問われればイエスだという。そのうえで、これは自分の経験であり、教師や地域によって雰囲気は違うので差が出ることはありうる、と留保している。

来日直後の孤立と言葉の壁

来日前の日本語学習は、韓国で6か月、日本で6か月だった。教科書の日本語は分かっても、話し言葉は難しかった。大学1年の飲み会では、周囲の話す速さに理解も発話も追いつかず、2時間ほど一言も話せず「透明人間」のようになったこともあるという。

最初の2〜3年は正直しんどかったとパクさんは言う。日本語ができないので心から通じ合う友人関係を作れず、韓国人同士でいる時間が増える。すると「日本まで行ってなぜ日本人と付き合わずに韓国人とつるんでいるのか」という、逃避留学を揶揄する人たちの決まり文句が頭に浮かび、それもつらかった。

文化の違いもあった。韓国では初対面でもどんどん距離を詰め、すぐに食事に行くようなイメージがあるが、日本の人間関係はもっと丁寧だ。韓国にいたときのように受け身でいると誰からも声をかけられず、自分が何か間違っているのかと分からずに困った時期があったという。

一方、当時は交際相手がいて、毎日一緒に話すことで日本語を使う量が増え、日本語力が伸びた。パクさんは昨年結婚している。基本的な会話は大学1年でもできたが、飲み会で大人数が一斉に話すのをすぐ理解して返せるようになるには、少なくとも3〜4年、今の水準になるまでには4〜5年かかったと振り返る。

刺激を求めて東大大学院へ

韓国に戻る可能性もあったのに、なぜ東大の大学院に進んだのか。理由は「刺激が欲しかった」ことだという。一つは研究面で、世界と戦える水準の研究室があり、その最前線でみんながどうやっているのかを見たかった。もう一つは個人的なもので、福岡や九州はもう遊び尽くした感覚があり、東京ならバイクで出かけるなど、新しいこともできそうだと考えた。

東大の大学院は難しいのではと問われると、パクさんは、やるべきことをやれば行けると答えた。学部入試はある程度の才能が求められ、自分は今でも受からないと思う。だが大学院入試は、学部4年間で学ぶ専攻科目をきちんとできているかを問うもので、大学生は遊ぶので完璧な人はそう多くない。確実に合格したかったので、1年ほどかけて英語と化学を勉強し「取り返した」という。研究テーマは、分子という非常に小さいものがどんな形をしているかを分かるようにする技術で、さまざまな物質の構造を見たり解明したりする研究だった。修士2年、博士3年の計5年を東大で過ごし、今年3月に修了した。

東京に住み続けようと思った理由

日本にずっと住もうという気持ちは、修士1〜2年から博士の前半にかけて強まっていった。一つは、東京が自分に合っていたこと。どこに行ってもすぐ遊べ、ソウルと似ている部分も多かった。

もう一つは野球である。パクさんは社会人の草野球をしている。東京には野球場が600ほどあると聞いたが、韓国は野球人気こそ高いものの、ソウル市内には野球場が少ない。プレーするには、東京から千葉まで車で行くような移動が必要になるという。これほど野球を楽しめる場所は世界のどこにもないと感じ、ここならずっと生きていけると思った。

両親に日本に住み続けると伝えたときの反応は、意外なほどあっさりしていた。パクさんは、自分も両親も韓国と日本を「他国」というより「別の地域」くらいに捉えているのだと思う、と話す。日本でいえば東京の人が大阪で就職すると言ったくらいの温度感だという。両親は日本に悪い印象はなく、むしろ好きで、距離も食文化も世界的に見れば近い。最近パクさんは、自分を産み育ててくれた韓国を「母の国」、成人して多くの価値観を学び大人になった日本を「父の国」と考えるようになり、両方を自分の国として愛していると語った。

一人で楽しめるようになった:同調圧力の二つの型

日本で変わったことの代表として、パクさんは一人でもいろいろ楽しめるようになった点を挙げる。学部1年のころは友達ができず、ネット掲示板で言われる「負け犬」や「逃避留学」にはまっているのではと思った時期もあった。だが過ごしてみると悪いことは何も起きなかった。バイクの免許を取り、九州や北海道を一人で回ったが、誰も何も言ってこない。他人に迷惑さえかけなければいい、という自由な雰囲気を感じたという。韓国では歴史的・文化的に、食事も旅行もみんなで楽しむことが主流で、日本に来てそれが当たり前ではないと学んだ。

日本は同調圧力が強いと言われるが、韓国はそれ以上なのかという質問に、パクさんは「タイプが違う」と答えた。日本の軸は迷惑をかけているかどうかで、電車にコスプレをした人が乗っていても自分に何か言ってこなければいい、という感覚がある。韓国は、一緒に上を目指すチームの味方かどうか、という軸がある。「みんなでご飯に行かないの? 私たちが嫌なの?」という見られ方をすることがあるという。韓国でも電車のコスプレを直接とがめることはないかもしれないが、「なぜそんなことをしているのか」という感覚はうっすらあるとパクさんは見ている。

自分自身も、他人に迷惑をかけていないか、自分がこうしたら相手はどう思うか、と考える感覚がかなり増したと感じている。

YouTubeで伝えたかった「グラデーション」

YouTubeは昨年3月ごろに始めた。ネット上では極端な意見が目立ち、韓国人が日本の悪口を言っているような情報が見えやすい。だが実際に自分の周りの100人を並べてみればグラデーションがあり、一部の人が目立っているだけだとパクさんは考える。日本文化や日本人が好きな韓国人もいること、韓国人がどんな考え方で行動しているのかを、少しでも伝えたかったという。韓国に日本嫌いの人がいないと言うつもりはないが、日本を好きな人は目に見えにくいので、その一人として発信してみたかった。

10年間日本に住んで、差別を受けた経験はないという。際どい例として、部屋の契約時に外国人であることを理由に問い合わせの段階で断られたことが一度あった。ただ、言葉の壁を心配して条件を設けるオーナーの気持ちはよく分かる、とも話した。

発信してみて感じたのは、年代による反応の差である。自分と同世代の日本人は、J-POPや野球のように文化から入ることが多い。一方、上の世代には日韓が歴史や外交で激しく対立していた時期の記憶があり、反応が違う。パクさんは当初、なぜ日本に韓国を嫌う人がいるのか理解できなかったが、コメント欄などを通じてその感覚が少し分かるようになったという。たとえば韓国は1998年ごろまで日本文化の輸入を禁じていた。1997年生まれのパクさんはそうした時代を知らずに育ったため、見えていなかった面があり、自分に見えているものがすべてではないと思うようになった。

現在の日韓関係については、首脳同士の雰囲気は良い方で、個人的には今が日韓史上で最も雰囲気の良い時期ではないかと考えている。大統領が変われば変わる部分はあり、歴史や外交を表に出して争う局面はこれからもあるだろう。それでも、今回のインタビューのような1対1の接触、旅行や文化の往来は増えていくので、互いの理解や交流が深まり、その面の見通しは明るいとパクさんは見ている。

一発逆転を夢見る若者とカンボジアの拉致監禁

韓国で競争から脱落した人はどうなるのか。パクさんによれば、心が折れる人が最も多いのは中学・高校から大学受験の時期である。やる理由が分からないまま、親や社会の競争に押されて勉強しているからだ。その分、別の道で取り返そうとする人も多い。韓国は日本より自営業の割合が高く、飲食店やカフェを開いてフランチャイズ化して大儲けする、最近なら株で稼ぐ、といった道を目指す人もいるという。

パクさんは、誰でも一発逆転できそうなイメージがあり、それがある程度よしとされているのが韓国の特徴かもしれないと話す。大学、良い企業、株、ビットコインなど、一発当てれば金持ちになれるルート自体が多い。もちろんそれで身を持ち崩す人もいる。

日本の「闇バイト」のような犯罪組織はあるのかと問われ、パクさんは「あると思う」と答えたうえで、最近韓国でよくある事例を挙げた。カンボジアに高額バイトがあると誘われて現地に行くと、拉致されて監禁される。高額バイトやリモートワークのバイトなどの名目で呼ばれ、旅行気分で行った空港で連れ去られることもあり、日本人も一部含まれていたと思うという。監禁施設ではパソコンの前に座らされ、韓国人に電話して韓国語で金を振り込ませる詐欺をさせられる。逃げようとすると殴られるなどの拷問を受け、出られなくなる。昨年これが大きなニュースになり、数百人が拉致されたと報じられた。今もどこかで続いているだろう、とパクさんは話す。

動機について、パクさんは日韓の違いをこう見ている。日本の闇バイトは、Xなどで募集を見て、なんとなくグレーだと分かりつつ行ってしまうケースが多い印象がある。これに対し韓国では、本当に高額の良い案件だと信じ、ここで人生を逆転したいという気持ちが強いのではないか。ネット掲示板に「月収100万」といった募集があって飛びついてしまう。株でも「この銘柄を買えば金持ちになれる」と言われたが、裏で売り抜ける人がいてカモにされる。リスクを取ってでもとにかく走る、ある種アグレッシブな傾向があると感じているという。

自分の中の「韓国的なアグレッシブさ」

パクさん自身もその気持ちは強い方だと認める。東大大学院に行きたかったのは研究のためでもあったが、正直「東大」という場所に行ってみたかった。YouTubeでも1年目に登録者1万人を目指したし、就職活動でも行くなら一番良い企業に行ってみたいと考えた。こうしたアグレッシブさは自分の体に残っているという。

そのうえで、日本の事情にどう合わせるかを大事にしている。他人に迷惑をかけないことなどは日本に合わせつつ、韓国のやり方も積極的に使う。パクさんは、日本の他人への配慮は良し悪しは別として世界で一番高いと考えている。ただそれは、たとえばアメリカで周囲が積極的に自己アピールして昇進していく中、良いことを言えずに損をする場面にもつながりうる。韓国には、みんなも大事だが自分も一人の個人であり、欲求を追求するのは悪いことではない、という考えが根底にあるという。配慮の度合いを並べれば日本が一番高いところにいて、韓国はそこから離れた位置にある、というのがパクさんのイメージだ。良い悪いではなく、その場で何を合わせるべきか、現地では何が使われているかが見えるようになったことが良かったと話している。

「中途半端な人間」という悩みと帰化の問題

今後5年、10年は日本にいるつもりだという。就職に加え、妻と暮らしていることも大きい。

ただ最近の悩みとして、中途半端な人間になっている気がすると打ち明けた。日本語は日本人レベルとまでは言えない。一方で韓国語は日常的に使わないので少しずつ衰えている。韓国文化について発信していても10年前の情報が多く、ネットで追ってはいるが遅れていると感じる。日本ではまだ外国人でもある。子どもが生まれたら日本語と韓国語のどちらで教育するかという問題もある。どちらかに振り切るべきなのか、と考えることがあるという。

今のところは日本に傾いている。妻、仕事、趣味が合っているという個人的な事情からで、長く住むことが確実になれば、子どもも普通に日本の学校に通わせることになりそうだという。帰化については、アイデンティティや帰化の意味を真剣に考えている途中だと答えた。今は外国人として日本に住んでいるので、韓国から帰ってこいと言われれば帰るしかなく、日本から出て行けと言われれば出て行くしかない。それに不満があるわけではないが、日本に永住するなら帰化も考えなければならないのかもしれない、という程度の懸念を持っているという。

ビジネスで日韓をつなぎたい

将来については、日本も韓国も良い国になってほしい、両国を愛しているのでプラスの方向に持っていきたいと語る。その一環がYouTubeで、これからはビジネスでそれをやりたいという。日本には良い企業が多く、たとえばインドネシアにはイオンがあるが、韓国にはまだ入っていない企業もある。日本企業が韓国に進出したいときにそばでサポートしたい。逆に韓国には250円ほどでアイスアメリカーノをたっぷり飲めるカフェもあり、そうした良い企業が日本に入ってくれば嬉しいと話す。両国が良い会社に恵まれ、生活の質が上がっていく活動を支えたい。働き始めて10年後にはこの市場はもっと大きくなっているはずで、そのときに自分が第一人者のような存在になっていれば嬉しい、というのがパクさんの描く夢である。

最後にパクさんは、自分は幸せだと思っていると述べた。韓国での学生時代は苦しいことばかりだったが、そのとき競争心で燃えていたことが今の気迫になっている。日本では妻や環境に恵まれ、丁寧に物事を進める方法を学んだ。韓国で学んだものと日本で学んだものが共存して今うまくいっていると感じており、受け取ったものを、自分のやりたいことをしながら少しずつ恩返ししていければいい、と話を締めくくった。