登録者60万人の自転車YouTuberはなぜ一度すべてを止めたのか 高倉正善が語るロードレース、うつ病、安全対策

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概要

「まさ」の名前で自転車のYouTubeチャンネルを運営する高倉正善は、28歳。大学時代にロードレースに打ち込み、在学中に始めたショート動画で100万回再生を連発した。チャンネル登録者は約60万人に達したが、再生数に追われて心身を崩し、うつ病と診断されて約1年活動を休止した。インタビューでは、ロードバイクという機材の話から、選手としての経歴、YouTubeでの成功と消耗、休止中の生活、復帰後の考え方、そして自転車競技の安全対策への不満までが語られた。高倉は自転車を「続けたいとは思っていないが、続けてしまうだろう」ものとして語っている。

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「プロ」とは言えない選手だった

高倉は元プロのロードレーサーと紹介されることがあるが、本人はこれを否定する。所属していたのは企業がスポンサーになっている地域密着型のチームで、母体は企業ではない。大学生として学業と並行してレースに出ていた立場だった。

高倉によれば、そもそも自転車競技では「何をもってプロとするか」という論争があり、定義が難しい。競技だけで生計を立てている人もいるにはいて、個人にスポンサーがつく場合や、企業が持つチームに所属して給料を受け取る場合がある。高倉自身は「全然食えていなかったタイプ」だという。日本で競技だけで食べている選手は20人ほどではないかと高倉は見積もる。国別ではヨーロッパが一貫して強く、歴史も最も長いと考えられ、ツール・ド・フランスがあるのもあってヨーロッパに強い選手が集まっていると説明した。

現在は選手活動はしておらず、YouTubeに専念して5年ほどになる。

150万円のロードバイクは何が違うのか

撮影に持ち込まれたのは、フランスのメーカーの「S1 ネオ」と紹介されたロードバイクだ。素材は航空機やレーシングカーにも使われるカーボンファイバーで、重さは約8.3kg。ママチャリが20kg弱なのに比べて大幅に軽い。

ペダルは小さく、ビンディングシューズの裏に付いた金具をはめて靴と固定する。引き上げても足が離れないため効率よく踏めるが、転倒するときは自転車ごと倒れ、腕や肩から落ちることになる。タイヤは細い。細いほど軽く、太すぎると抵抗が大きくなる一方、細くしすぎても抵抗が増えるため、抵抗が最も少なくグリップ力もある幅が今のサイズだと言われているという。サドルは硬くて面積も小さい。柔らかいと強く踏み込んだときに力が逃げる感覚があるため、痛くても硬い方が速い。「あとはもうケツは慣れさす」と高倉は笑う。ハンドルを含め、全体がとにかく硬く、軽さが最も重要だという。

変速は後ろ12段、前2枚の組み合わせで24段。このギアだと時速65km程度が限界だという。河川敷で軽く走ってみせた際の速度は時速40km前後で、原付と同じくらいの速さだと高倉は説明した。

価格は約150万円。フレームだけで70万円近く(高倉は正確な額は忘れたと言う)、ホイールだけで約25万円する。18歳で初めて買ったロードバイクがちょうど25万円だったので、当時の自分の自転車が「車輪だけで持っていかれてますね」と振り返る。ただし、値段に対する性能の上がり幅は小さくなっていく。最高級は250万円ほどだが、250万円と100万円のロードバイクでスピードはほとんど変わらないと高倉は言う。その差は高級寿司店どうしの違いのようなもので、どちらもうまいが好みや見た目の問題になるという。

卓球少年が自転車に向いていると思い込むまで

高倉は大阪府出身で、両親は会社員。スポーツ一家ではなく、幼少期から競技用自転車に触れていたわけでもない。大阪はママチャリの保有台数が日本で一番多いと思う、と高倉は言う。

10歳ごろ、小学校の部活で卓球を始めた。中学時代は、電車では行きにくい練習場まで往復約20kmをママチャリで通っていた。片道でもかなりの時間がかかり、往復で1時間半から2時間弱。これから体を動かすというのに、その前に2時間近く自転車をこいでいたことになる。

卓球は強豪高校からスポーツ推薦の話が来るほど真剣に取り組んでいた。だが推薦を受けるかどうか悩んだ末に断る。当時、自分では手も足も出ない全国レベルの選手がいて、その選手たちを水谷隼や張本智和のような選手は軽く倒していく。卓球で食べていくならそういう人たちと競り合わなければならない。自分が「ゼウス」だと思っている相手をさらに簡単に倒す存在がいるなら、自分はゼウスにもなれない。10年練習してもあのレベルには行けないと考え、公立高校に進んだ。

高校1〜2年のころ、父親に約4万円のクロスバイクを買ってもらう。本人が欲しがったものだ。ママチャリで練習場に通っていたころから、なぜか楽に速くこげている感覚があった。友達とママチャリでレースをすると、自分だけが速かった。スポーツ推薦を諦め、卓球にも本腰が入らなくなった時期に、「自転車の方が向いてるんじゃないか」と勝手に思い始めたという。ただし今振り返ると、才能などなかったと思う、と高倉は言う。学校の友達の中でちょっと速い程度の人はどこにでもいる、というのが現在の見方だ。

高校時代から自転車店でアルバイトを始めた。ロードバイクを買う資金を貯めるためで、どうせなら自転車の知識も得られる店を選んだ。大学進学前後の18歳のとき、約2年働いてほぼ全額貯めた約25万円で1台目のロードバイクを買う。クロスバイクで走るうちに自信がついて、まだレースに出たこともないのに「俺レース出ても行けちゃうんちゃうか」と思っていたという。

部のない大学から学生レースへ

進学先の近畿大学には自転車競技部がなかった。自転車にも大学生しか出られないレースがあるが、出場には部としての登録が必要になる。高倉は有志で集まって学連登録だけを行い、学生レースに出場した。部を作ろうとも考えたが、数年でできるものではないと相手にされなかった。できるころには自分は卒業している、という状況だった。

エントリー費も遠征費も自費で、会場は群馬の山奥、長野の田んぼ、滋賀の琵琶湖の近くなど、人のいない場所ばかりだった。

目標は大学日本一を決める「インカレ」への出場だった。学生レースはクラス3、2、1の3段階に分かれ、上位入賞で上のクラスに上がれる。当時はクラス2以上でないとインカレに出られなかった。クラス2以上の選手は200人ちょっとだと高倉は言う。

エースとアシスト、集団走行の理屈

ロードレースは1位になった選手が優勝する個人競技だが、チーム戦の要素もある。チームで出る場合はエースを1人決め、エースが最終的な着順を取る。他の選手は、エースをどれだけ良い順位でゴールさせられるかが役割で、自分の順位はどうでもよく、風よけになって走る。記録に名前が残るのはエースだけだ。

インカレの出場人数は、学校に強い選手が何人いるかで決まる。強い大学は7〜8人送り込めるのでエースとアシストを決められるが、近畿大学からは高倉ともう1人の2人しか出られず、役割分担はなかった。両方が生き残れるところまで生き残る、ほぼ個人戦の走り方だった。

1人で勝ち切ってしまう選手もいるのかと聞かれると、高倉は「本当に強い人」はいて、登りも平地も下りも位置取りも全部できる、と答える。ただし自転車は空気抵抗が大きく、集団の中なら1人で走るときの半分ほどの力で済む。トップ選手と自分でも力が2倍違うことはほとんどないので、どんなに強くても1人で走り切るのは基本的に不可能だという。強い選手は、集団のどこにいれば落車に巻き込まれないか、次の展開がどこで生まれやすいかを感覚的に分かっていて、無駄に脚を使わないのだろう、と高倉は推測する。

量で補った練習と、ペダルの回転数

正しい練習法を知らないまま、高倉は量で補った。毎日100km、1か月で3000kmという単純な目標を立て、勉強は一切せず4〜5時間走っては帰って寝るだけの生活だった。脚質は平坦が得意なタイプだという。

ペダルの回転数は、ママチャリで1分間に60〜70回転程度。高倉は本気を出せば200回転ほどまで回せるが、レース中にそこまで使うことはなく、基本は90〜120回転だという。回しすぎるとかえって体力を使うだけになる。高倉はこれをランニングのストライドとピッチの関係にたとえた。自転車の場合、ストライドにあたるのは踏む力(トルク)で、60回転でも強く踏めば、100回転で弱く踏む人と同じ速度が出せる。ただ強くゆっくり踏みすぎても効率が悪く、人間の生理的な適正は90〜100回転程度と今は言われている、と説明した。量をこなした次の段階では、自分に合った回転数や練習メニューを作っていくことになるという。

58kgまで絞って挑んだインカレ

インカレに出場したのは大学3年のとき。登りのあるコースで、登りについていけなければ終わりだと考え、極端な減量をした。身長179cmで現在の体重は73kgだが、当時は58kgまで落とした。毎日カロリーゼロの食品ばかり食べ、立っているだけで立ちくらみがした。体力が落ちるのは分かっていたが、自転車が8kgなら、自分の体重を8kg落とせば自転車に乗っていないのと同じだ、という発想だったという。

しかしレース距離は180kmあり、6時間以上かかる。体にエネルギーを蓄えた状態で走る必要があるのに、中身は空っぽだった。回復もせず、「体の弱い一般人」になっていた。当時の学生レースでは先頭集団から30秒ほど遅れると赤旗を振られて降ろされ、最後までゴールできるのは10〜20人程度、残りの100人以上は完走させてもらえない。高倉は1時間ほど走ったところで30秒遅れ、レースを終えた。本人の表現では「ボコボコにされた」。

実業団と、「日本一」を取れる場所の選択

21歳ごろ、高倉は地域密着型の実業団チームから声がかかり、2〜3年所属した。並行してYouTubeを始め、そちらがうまくいき始めると、どちらで日本一を取れる可能性があるかを考えるようになった。

選手としてどれだけ頑張っても自分は「雑魚みたいな走り」しかできない。それより、自転車を知らない女子高生のような人たちに「自転車はもっと面白い」と動画で広める方が、自転車業界という大きな目で見たときに自分の存在価値がある。それで自転車を始める人が増えれば、自転車への恩返しにもなる、と考えたという。

高倉はここで構造的な問題も指摘する。誰も見ていないレースで優勝しても、知っているのは現場にいた多くても数百人だけで、インカレの優勝者を街で聞いても誰も答えられないだろう。そこで実業団をやめ、自分でチームを立ち上げた。発信力の強いメンバーを集め、一緒にレースに出て、その様子をYouTubeなどで発信し、「お茶の間」にできるだけ届けることを目指した。

洗車のショート動画で100万回再生

YouTubeを始めたのは大学3年ごろ、2021年あたりだった。実は中学時代にも友達と「体を張る系」の動画をYouTubeに上げていたが、高校で皆がばらばらになって自然に終わっていた。大学で自転車を始め、それを発信したくなったのがきっかけだ。当時も自転車チャンネルはたくさんあり、YouTubeとしても後発だと本人は認識していた。バズらせようとは思っておらず、動画作りも自転車も好きだったから始めた。

動画を上げ始めて2〜3か月で、再生数が100万回に届くようになった。最初にバズったのはロードバイクを洗車するショート動画だ。洗車中の手順を説明しつつ、「男はこの3点と記念日だけは忘れたらあかん」といったボケを挟み、クリーナーについては「多分人生の汚点以外はほとんど落とせる」と語る。高倉は、ネタと解説が半々の内容だったと言う。

その後もツール・ド・フランスを題材にした動画や、初心者・中級者・上級者の比較、メルカリで3000円で買った自転車で100km走る、ママチャリで100km走る、ママチャリとロードバイクでバトルする、といったショート動画をひたすら作り、ほとんどが100万回以上再生されたという。インタビュアーが、自転車を知らない人向けの自転車動画は少なかったのではと指摘すると、高倉は「確かになかったかもしれない」と認める。ただし、なかったから狙ったという意識はなく、「謎の裸一貫」でやっていたと振り返った。

在学中に、YouTubeだけで食べていけると感じた。周りが就活する中で、バズる保証もないショート動画を作り続けるのは、今思えば「頭おかしい」と高倉は言う。収入は普通の学生アルバイトより多かったはずだという。一番実感したのは駐車場の話だ。それまで家の車で大学に行くときは、遠くても1日最大400円の駐車場に停めていたが、YouTubeを始めてからは大学のすぐ近くの1日最大600円の駐車場に停めるようになった。「これ俺来たなと思いました」。それが今までのどんな買い物より嬉しかったかもしれないという。

両親は放任主義で、進路について何も言われず、YouTubeで食べていくと伝えることもなかった。ただ「家は早く出ていけ」とは言われていた。就職しろという意味ではなく、経済的に独り立ちしてほしいという意味だったという。卒業後はそのまま家を出てYouTube一本になった。最初は三脚を立てて1人で撮り、妹や友達にカメラを持ってもらうこともあった。

大量消費される動画と、終わりのない数字

うつ病になったのは約1年前だ。予兆は徐々にあった。活動を始めて2〜3年のころから、すでにかなりきついと感じていたという。再生数が落ちるのが怖くなり、追われるようになった。

高倉が挙げる理由の一つは、ショート動画の性質だ。ほとんどの人はスクロールしたら、さっき何を見ていたかを忘れている。「昨日ショート動画見て時間無駄にした」という人も多く、時間つぶしとして扱われる。そこで毎日戦い続けるのはしんどかった。高倉は1本に魂を込めて動画を作るのが好きだが、ショート動画は毎日のように出さなければならなかった。

最も忙しかった時期は四六時中企画を考え、思いついたらメモして台本を書き、撮影日を決めて撮る、というサイクルだった。寝ている間も頭の中で企画が浮かび、夜中に良い企画を思いついたと書き留めて寝ても、朝見ると全然面白くない、ということもあった。

そして目標に終わりがなかった。100万回再生を達成すれば次は1000万回、10万人に届けば次は20万人。年収1億円になっても次は5億円を目指すだろう。そう考えて、満足のボーダーラインは無限にあると気づき、「こんな無限を相手に戦っててもしゃあない」と思ったという。数字の達成で気持ちが完全に満たされることはない、と早々に感じていた。

だから、登録者が増えないでくれと思いながら動画を作っていた。有名になりたくて始めたわけではなく、有名になれば私生活が生きづらくなるだけで、お金もモチベーションにならない。そうなると、やる理由が何もなくなる。コメントで褒められても、「次も面白い動画を作らなければ」というプレッシャーになる。けなされるのも当然嫌で、褒められるとかえってきつい悪循環に陥り、「残された手段はもうやめるしかない」という状態になった。高倉は、以前は良いコメントは嬉しいに決まっていると思っていたが、YouTubeを始めてからそう感じるようになったという。再生数を追いかけるうちに、それを自分で義務にしてしまったのではないか、と振り返った。

気力が消え、刺激に耐えられなくなる

症状としては、まず気力がなくなった。食べたいという根源的な欲求まで失われていった。体調を崩す機会が増え、特に重要なレースの前に崩すことが多くなった。少しきついことをするとダメージの幅が大きくなり、1日でこんなに疲れるのかと感じるようにもなった。

周囲から何か言われることはなかった。表に出さないように目いっぱい取り繕っていたからだ。家では、AIが作った画像を背景にジャズピアノが流れる4時間耐久の動画をYouTubeで聴くようになった。刺激的な映像が見られなくなり、見るとしてもNHKのような刺激の少ない映像だけになった。

妹や友達に相談もできなかった。自分がやると言い出して手伝ってもらっている以上、自分が「やる気ないわ」と言えば皆の士気を下げてしまう。嘘でも元気でいなければと考えていた。動画ごとに関わる人やスポンサーも増えていた。

休止を決めた経緯について、高倉は率直だ。カメラマンや妹には自分が給料を払っていて、自分の気分ひとつで休むとは言えない。なぜ休むのかと聞かれそうでもある。それで一度病院に行き、うつ病と診断されたとき、「あ、じゃあ一応根拠にはなるか」と思ったという。そのときはその後のことは何も考えておらず、とにかく今の活動を全部やめるとだけ決めていた。周囲は納得してくれたが、病気の人に無理に働けとは言えないだろうから、ある意味では納得させてしまったのかもしれない、とも話している。

妹が出演するチャンネルと「俺おらなくても良かった」

休止中、チャンネルは妹が出演する形で続いた。妹は以前から動画に出たいと言っていた。それまで妹が主役の動画はほとんどなかったので、視聴者の反応を心配したが、妹単独のファンも増え、再生数が激減したわけでもなかった。高倉は次第に「逆に俺いらんのちゃうか」と思うようになる。

それは休んでいる身としては楽な気持ちだったという。自分がいなくても良かったのだと分かり、できるだけ妹に注目してもらって、自分のことは皆に忘れてほしかった。皆が忘れてくれたら嬉しい、という感情だった。いつ復帰するかも全く考えていなかった。

休止中の1年と、自転車による回復

休止したのは昨年7月ごろ。最初の3か月ほどは自転車に全く乗れず、体調もひどかった。1週間に1回ほど熱を出し、記憶もあいまいで、1か月前に何をしていたかが分からなかった。死がよぎることもあったが、死ぬのも怖い。ただ生きているだけの状態で、不快感が出たら動く生活だった。ずっと風呂に入らず不快になったら入る、トイレを我慢できなくなったら行く、空腹に耐えられなくなったら食べる。それだけに従って暮らすとボロボロの生活になる、と高倉は言う。

一人暮らしで、実家に帰ることも考えたが、特に帰りたいとも思わなかった。たまに来るLINEにも返信できない。一方で、好きな友達には連絡できた。傍から見れば都合のいい人間だが、病気のときは本当にそうなる、と高倉は説明する。好きなものしか食べられず、好きな友達とは連絡できても、興味のないことは全くできない。自転車に乗りたいという気持ちも全くなかった。「どこでもドアみたいなやつがあって、ガチャって開いてそこ行ったら天国ですみたいな扉があったら入ってたと思いますね」と当時を振り返った。

転機は休止から4か月目ごろ、友達に誘われて自転車に乗ったことだった。意外と楽しく、理由は分からないが、乗り始めると気持ちが少し回復してきた。友達や知り合いと走る予定があると、生活も少し整う。欲が全くなくなっていたところに、自転車に乗ると「もっと速く走りたい」という欲が出てきて、速くなるために食生活もきちんとし始めた。このまま回復していくのではないかと思えるようになり、「おもろいスポーツやな」と感じたという。

リハビリとしての撮影と8月の復帰

今年の年明けごろ、休止から1年という区切りで戻るのもいいかもしれないとうっすら考え始めた。4月に試しに動画を撮影してみた。以前はきちんと喋ったあとに大きなダメージを受けていたため、撮影や1日仕事をしたあとにどれだけダメージが残るかを試しながら、動画を撮りためていった。問題がなさそうだったので、予定通り8月に活動を再開できると判断し、そこに合わせて仕事を本格的に再開した。

ただ、インタビューの時点では、公開を始めたことで新しい負担も出ていた。4月からは水面下で仕事をしていただけで、公開して周囲にとやかく言われる期間はまだ試したことがなかった。それが少し嫌になりかけている、と高倉は話している。

理想は東出昌大、だがまだ欲がある

現在のモチベーションについて、高倉は「あんまりない」と言いつつ、投げやりではなく、やりたいからやっている状態に近いと説明する。最初にYouTubeを始めたときのように、動画作りが面白いから、この企画をやってみたいから作る。ただ、再び数字を追いすぎれば追われるようになるかもしれない、とも自覚している。8〜9月はペースを上げてもいいが、それ以降は無理に収入や再生数を稼ごうとは思わない。登録者もできるだけ増えないでほしい。もっとも、面白い動画を作ればそうはいかないので、そこは「永遠の矛盾」だという。

理想として挙げたのは東出昌大だ。芸能界の中心には行かず、外野から発信して少し人気が出る。スローライフと両立しているのがかっこいい、と高倉は言う。ただ自分が東出と一番違うのは、まだ欲があることだ。引いて見れば東出が理想だと思えても、動画を作る以上は面白くしたいし、細かく見れば再生数も稼ぎたい。そのために頑張ってしまう。ミクロな視点でも東出のようになれたら「覚醒した」と思う、と話した。

高倉はペース配分を考えるのがダサいとも感じている。自転車でも淡々とペースを刻むタイプではなく、残り100mを全力で駆け抜けるタイプで、動画も同じだという。今やりたいから、どれだけ疲れてもメンタルに来ても関係なくやる、後のことは知らない、今出せる最大のものを届けたい、と思ってしまう。それは引いて見れば東出から遠ざかっている。あり得る形として高倉が挙げたのは、大々的に「活動休止」とは言わず、2〜3か月の休みを勝手に何度も取ることだ。最近見ないと思ったらまた出てきた、を繰り返す方が人間味があって面白いかもしれない、という。計画や分析が行き届きすぎたチャンネルはあまり好きではなく、子どもが自転車に全力で乗っているようなものを届けるチャンネルが好きなので、そのスタンスでやっていきたいと語った。

自転車競技の安全対策が変わらない理由

一方で、自転車には良くない部分がたくさんあると高倉は言う。まず怪我が多すぎる。本人の調べでは、大怪我をする確率はどのスポーツより高いと思うという。試合中も練習中も起こり、亡くなるケースもある。高倉自身はまだ一度も骨折したことがないが、自転車をやっている人としては珍しいそうだ。

モータースポーツでは、アイルトン・セナの死亡事故などを経て安全対策が大きく強化されてきた歴史がある、と高倉は指摘する。それに比べて自転車は、人が亡くなっても安全対策がなぜか強化されない。自転車用のエアバッグも開発されているが、今のウェアにはプロテクターが一切なく、顎も守られていない。車やバイクのレースでは炎に包まれても耐えられるスーツを着ているのに、というわけだ。高倉が今のヘルメットをかぶっているのも、周りの選手がかぶっていて、そうしないと速くないからだ。全員がエアバッグを着けるルールになれば同じ条件になるので、そうした規則が普及してほしいという。

なぜ普及しないのかについて、高倉は自分の予想として語る。ツール・ド・フランスのような世界の大きなレースで導入されれば下の世代にも一気に広まるはずだが、そうしたレースを運営しているのは「レジェンドおじさん」のような人たちで、伝統ややり方を変えたがらない。自転車で転倒するのは当たり前、血を流すのは当たり前と考える人が多く、レース中に誰かが骨折してもレースは止まらない。サッカーなら1人が骨折すれば試合を止めて処置するのに、というのが高倉の比較だ。

そのため、自分がYouTubeでいくら安全対策を訴えても、プロのレースがやっていないのにと言われれば変わらない。ここはYouTubeで尽力できない部分だとも考えている。過去にレースを主催した経験があり、今後機会があれば自分のレースではプロテクター必須にするなど対策を増やしたいが、それで周り全体が変わるほどの影響力はないだろう、とも話した。

それでも自転車に乗り続ける理由

好きなところを問われると、高倉は「地球を楽しんでる感じ」を挙げた。フィールドは競技場ではなく、山や海といった地球そのもので、そこに自分の力だけで行けることにロマンがある。人力で最もエネルギー効率の高い乗り物は多分ロードバイクで、燃料を使わずに遠くへ行ける、と高倉は考えている。車でも山には登れるが、車で見た景色と自分の脚で登って見た景色は、同じ場所でも違う。それは言葉や映像にはできない面白さだという。もう一つは、うまく体重をかけられたときのペダルのこぎ心地で、他の競技にはない気持ちよさがあると語った。

自転車歴は12年ほど。続けたいとは思っていないが、続けてしまうだろう、と高倉は言う。うつ病のときは自転車なんてやりたくないと思っていたのに、結局また乗り始めている。人生の労力や時間をかけすぎて、やめられなくなっている。固執しているのだと思う、と高倉は認める。

そういう自分が好きか嫌いかと聞かれ、「まあ、好きかもしれないですね」と答えた。自転車に固執していなければ、別のものに固執していたか、何にも固執していなかったかは分からない。酒やタバコやギャンブルに固執していた可能性もあり、それらも否定されることではないが、それならフィットネスになって健康的な自転車の方がいい。やめればアイデンティティもなくなる。12〜13年分を全部自転車に注ぎ込んできたので、今から他のことをやっても自分には何も残っていない、と高倉は話を締めくくった。