『無職転生』は現代の教養小説である:岡田斗司夫が『銀河英雄伝説』と比べて語る原作小説の役割

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概要

岡田斗司夫ゼミでは、日曜の生配信の直後に『無職転生』を取り上げる動画を公開している。この回はアニメを離れ、ネット上に掲載された原作小説の位置づけを論じている。岡田は、小説版『無職転生』には、中学生や高校生のうちに読むべき人生の教訓が詰まっていると見る。少し嫌な言い方をすれば「道徳の教科書」にもなっているという。そして、各時代に大ヒットし、読者に何かを学ばせてきた「教養小説」の系譜に置けると主張する。比較の相手として挙げるのは、1980〜90年代に教養小説の役割を果たした『銀河英雄伝説』である。

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本編は2021年2月7日配信の岡田斗司夫ゼミ第381回のうち、会員限定部分の一部を無料公開したものだ。その後に、原作小説とアニメの違いを解説する追加パートが続く。

時代ごとに存在する「教養小説」

岡田はまず「アニメもすごいが、原作はもっとすごい」と述べる。一言でいえば『無職転生』は成長物語、つまりビルドゥングスロマンであり、教養小説だという。

教養小説の例として最初に挙がるのが『銀河英雄伝説』(銀英伝)だ。岡田によれば、昭和のSF少年はみな銀英伝を読んでいた。昭和から平成にかけての青年の多くは、民主主義や軍事、さらにはビジネス的なことまで銀英伝から学んだ。そのため、ゼミには銀英伝を語ってほしいというリクエストが実はとても多いという。

岡田は、こうした作品はどの時代にもあると言う。大正時代の例が『三太郎の日記』である。周囲から頭が悪いと馬鹿にされている三太郎が、自分のしていることや考えていることを理想に照らして、ひたすら考え続ける。周りからはバカだと思われていても、「なぜそうなのか」「なぜ理想はこうなのか」と考える三太郎の内面は賢い。岡田によれば、その内面を見せたことで、大正時代の少年から青年までが皆読んだと言われるほどヒットした。第二次大戦が始まるまでのおよそ30年間、一般の人の教養はこの作品の人気で形づくられたと言われるほどだという。岡田はこれが後の『君たちはどう生きるか』にも関係してくると付け加えている。同じく大正期の作品として、青年が書いた小説『地上』も挙げ、これも理想主義で書かれていると説明する。

なぜ大正期には理想主義が若者を惹きつけたのか

岡田は、大正から昭和初めにかけて理想主義が支持された理由を時代背景から説明する。大正は資本主義がどんどん発達し、資本主義こそが現実だという強烈な圧力があった時代だった。そのため若者には、理想主義くらいしか学ぶものがなかったという。

現代はその反対だと岡田は言う。この30年ほどは、押し付けてくる社会や主流の権威ではなく、カウンターカルチャーや女子高生の文化、子ども文化から学ぼうとするのが当たり前になっている。大正時代には、資本主義化していく「真面目な日本」に対する理想主義が、いわばカウンターカルチャーの役割を果たしていた。意味も分からずそれを口ずさむのがかっこいいとされた時代だった、と岡田は語る。

昭和の末期から平成にかけては、世間に耳障りのいい正論があふれていた。岡田は、朝日新聞的な左翼思想が全盛だった時代だと位置づけ、そうした時代に銀英伝が売れ、青年たちの成長物語になったと説明する。

銀英伝の「正義の戦争」エピソード

銀英伝が何を読者に教えたのかを示すため、岡田は作中の帝国領侵攻のくだりを詳しく紹介する。

銀河帝国と共和軍(岡田はこの呼び方をしている)の間には、イゼルローン回廊など宇宙空間で通れるルートが数本しかない。これが蓋の役割を果たし、互いに大規模な侵略をしてこなかった。ところが帝国の力が弱まってきたため、主人公の一人ヤン・ウェンリーが属する共和軍が、回廊を抜けて帝国側へ攻め込もうという話になる。岡田は共和軍を「民主主義の塊のような連中」と表現する。掲げられたスローガンは「正義のための戦争」だった。銀河帝国から民衆を救え、独裁ではなく民主主義を彼らに与えよう、という大義名分である。

これに対して、帝国の事実上の軍事司令官で、もう一人の主人公であるラインハルトは戦わずに撤退する。共和軍は艦隊同士の決戦になると思い込んでいた。しかしラインハルトは、支配していた惑星から「どうぞどうぞ、民主主義を教えてやってください」とばかりに手を引いてしまう。しかも引き上げる際に食料をすべて持ち去った。

その結果、惑星ごとに数億人、数十億人の住民が難民化する。次の収穫は半年ほど先で、それまで食べるものが何もない。解放軍が「独裁者の帝国は去りました。これからは民主主義で、自分たちの代表を自分で選べます」と告げると、老人たちは「そんなことはどうでもいいから飯をくれ」と答える。そうした惑星が次々に見つかる。

それでも正義の戦争だから、やめることはできない。帝国の独裁に苦しむ人々を解放するという大義のために大艦隊を送り出してしまった。その艦隊が見つける星のどれもが、食料がないと訴えている。これが帝国の策略だと気づいたときにはもう遅い。スローガンを掲げた以上、彼らを見捨てるわけにはいかない。結局、名誉ある戦いは一度もできないまま、ひたすら難民を保護することになる。補給は限界を超え、本来なら撤退命令を出すべき状況だ。それでも出せず、せめて一度でも戦闘に勝てばそれを名目に引き上げよう、と考えるようになる。

撤退できない理由は選挙にある。開戦を決めた政治家たちは、かわいそうな星々を帝国から解放するというキャンペーンで選挙に勝った。このまま戦争をやめれば、食料を奪われてそれを全部手放して帰るだけになり、次の選挙で落選してしまう。岡田はこの状況を、天才を独裁者に選んだために次々と有利な手を打てる帝国と、民主主義ゆえに混乱していい手を打てない共和軍の対比としてまとめている。

ヤン・ウェンリーはなぜそれでも民主主義を選ぶのか

それでも、共和国側の「やる気のない天才」ヤン・ウェンリーは、自分は民主主義を選ぶと言い切る。岡田はその理屈を次のように紹介する。

天才が支配する独裁は理想的に見えるかもしれない。しかし民衆が愚かなまま天才に従い続けることが、いいことだとは思えない。民主主義は悪い政治にはなり得るが、最悪にはならない。最悪になり得るのは独裁だけである。独裁のもとでは政治責任は独裁者にあるので、政治がよかろうが悪かろうが民衆は責任を取る必要がない。だから民衆は愚かなままでいる。民主主義では政治責任は国民にあり、最終的にそのツケは国民が払う。

岡田によれば、こうした面白い語り口で思想を伝えるところに銀英伝の特徴があり、その思想的影響を受けた昭和のSFファンはかなり多い。

『無職転生』が教えるのは「個人のあり方」

では『無職転生』はどういう意味で教養小説なのか。岡田は、銀英伝のように政治や軍事やビジネスを教える作品ではないと言う。個人はどうあるべきかを問う作品であり、読者への影響の与え方は『三太郎の日記』や『君たちはどう生きるか』に近いタイプだという。

作品が扱うのは、自分にとって親とは何か、なぜ自分は頑張れないのか、といった問いである。登場人物はそれぞれ違う信念を持っていて、分かり合えることもあれば、最後まで理解できないままのこともある。

その例として岡田は、原作20巻以降の展開を挙げる。主人公ルディは究極の敵やその手先と戦っているが、かつての仲間が彼を裏切り、敵の配下になる。寝返った理由はとても丁寧に書かれているものの、おそらくルディには一生理解できない種類のものだと岡田は言う。そのキャラクターは「それは俺のけじめだ」「ジンクスだ」と語り、言葉にできない信念に従って行動する。岡田は、それを中学生でもなんとなく分かる文章で書いている点が「すごい」と評価している。無料公開部分はここで終わる。

原作とアニメの最大の違い:圧倒的な量の「説明」

追加パートで岡田は、原作小説とアニメの違いを掘り下げる。アニメオリジナルのシーンなど違いはいろいろあるが、最大の違いは、原作にはアニメとは比べものにならない量の説明が入っていることだという。

説明の対象には物語世界の設定、歴史、文化もある。中でも徹底して多いのが「思考の道筋」、つまり登場人物が何を考え、なぜそう行動したのかの説明だ。どういう順番で考えたのか、どんな選択肢があったのか、どの理由を却下して最終的に何を選んだのか。さらに、自分が下した結論に対してどんな感情を抱いたのかという心の内まで、中学生でも分かる文章で徹底的に書かれていると岡田は述べる。

具体例として岡田は、前週の動画でも触れた、主人公ルーデウスが二人目の妻と結婚する場面を挙げる。アニメでも一応悩む描写はあるが、わりとさらっと描かれている。岡田は、それも当然だと言う。あまりやると視聴者がついてこられなくなるからだ。ただし、すでについてこられなくなった人もたくさんいる、とも付け加えている。一方、小説では「もう分かったから早く次の話に行ってくれ」と思うほどルーデウスが葛藤し、心理描写がこれでもかと続く。またこうした説明はルーデウスだけのものではない。語り手が入れ替わる形で、ほかのキャラクターの内面も徹底的に描かれている。

ひねくれた中年男の変化に、読者も引き込まれる

岡田が教養小説としての構造を評価する理由は、主人公の出発点にある。ルーデウスの中身は、無職で童貞で引きこもりの中年男だ。岡田は、その魂、いわば「ゴースト」が中年男であることを押さえたうえで、物語の始まりの時点で彼がひねくれた人間だった点をポイントに挙げる。道徳の教科書に載るような家族の絆や仲間への信頼をまったく持っていない。むしろ「何マジになってるの」「そういうのは馬鹿らしい」と斜に構える男だった。

本編は、そんなひねくれ者が一念発起して努力し、いろいろなことに挑戦して失敗を繰り返しながら、少しずつ周囲に認められる人間へ変わっていく話である。自分の部屋に閉じこもり、世の中の出来事をすべて他人事として眺めていたころは、何も感じなかった。それが、自分の問題として世界に向き合うようになると、見え方が変わっていく。

読者や視聴者にとって、この物語は絵空事だ。岡田は、所詮は絵空事だと斜に構えて読み始めても、ルーデウスの思考の過程がここまで丁寧に説明されると、読み進めるうちにルーデウスの考え方が変わっていくのに合わせて、読者の側も自然と変わっていくところがあると語る。そして、この構造こそが『無職転生』の教養小説として優れた点だと結論づけている。