岡田斗司夫が語る「ネットは読書の代わりにならない」仮説と立ち読みによる本の選び方
岡田斗司夫岡田斗司夫はよく「紹介する本はどれも面白そうだが、どうやって見つけているのか」と聞かれるという。この動画は、2016年10月9日に配信した「岡田斗司夫ゼミ」第147回を「読書の秋」に合わせて再編集したものだ。前半では、なぜネットだけでは足りないのかという仮説を立て、自分の本の選び方と読み方を具体的に説明する。後半では、その方法で見つけた一冊として『家康、江戸を建てる』を詳しく紹介する。最後に2026年時点の追加コメントとして、読書が「脳を鍛えるジム」のような限られた人の趣味になっていくという見通しを述べている。
減る書店と大型化する書店
岡田は本を読む人が減っていることを「ひしひしと感じている」と言い、書店数の推移を紹介する。1999年に約2万2000店あった書店は、2015年には約1万3500店まで減った。15年ほどで全体の3分の1ほどが消えた計算になる。毎年300〜500店が閉店しており、平均すると日本から1日1〜2店の本屋がなくなっている、という数字だ。
一方で、店舗数は減っていても売り場面積の合計はむしろ増えているという統計もあるという。大型書店が増え、町の小さな本屋が潰れている。つまり書店の集中化が進んでいるというのが岡田の見立てだ。これを商店街のおもちゃ屋が消えて、トイザらスやAmazon、ヨドバシのような大型店・通販に買い物が集まった流れと重ね、「たぶん小売業は全部そういうふうになっていく」と推測している。原因がネットなのかAmazonなどの通販なのかについては、いろいろな説がある、と触れるにとどめている。
「読書は必要か」から始める理由
読書の話をすると、そもそも読書は必要なのかという問いに行き当たる、と岡田は言う。本を読むには時間もお金もかかり、効率的ではないという考え方もある。ネットにあるものを読めば十分だという立場もありうる。本はパッケージ産業で、岡田自身の経験では書いたものが書店に並ぶまで最低3か月かかる。だから本の情報はどうしても3か月前のものになる。
岡田は本を書く立場でもあるが、自分の中の「物書き」の部分は5%ほどで、残り95%は読む側だと言う。アニメを作っていた頃は作る側8割、見る側2割だったのと対照的に、何冊著作を出しても本については読み手の立場から話すことになる、という自己認識だ。
そのうえで岡田は「ネットは読書の代わりにならない」仮説を立てようとする。「ネットがあれば十分」という主張は直感的に受け入れられやすく簡単だが、「本を読め」という主張には自分でもなぜそう思うのか説明がつかない。だから逆の側を考えてみた、というのが出発点である。
検討した5つの仮説
岡田はよく言われる理由を5つ挙げ、1つずつ吟味していく。
1つ目は「出世する人は本を読んでいる」という説だ。岡田は、これは立証不可能で、本を読まずに出世した人もいくらでもいるので、あまり頼りにならないと退ける。
2つ目は「無料のデータでは差がつかない。本当に大事なものは有料のものの中にある」という説だ。1つ目より少し説得力はあると認める。ただ、ネット検索の結果は、検索する人の技術、元々の知識、教養によって全く違ってくる。どんな言葉で検索するか、どう連想を働かせて探すかに大きな差があり、センスのある人とない人の差がありすぎる。だから、これも本の方が優れている証明にはならないとする。岡田自身はWikipediaの一つひとつの項目で1時間は語れると言い、Wikipediaをネタに語るだけの放送をやってみたいという構想も口にしている。
3つ目は、電子辞書より紙の辞書の方が成績が上がるという話と同じ理屈だ。ネットではピンポイントの情報しか手に入らないが、紙の辞書なら周りの単語も目に入る。書店でも同様で、ある宗教についての本が置かれた棚の周りに「宇宙人から聞いた予言」のような本が並んでいれば、そのジャンルが怪しいものだと分かる。Amazonで一冊だけ見てもそれは分からない。
ただ岡田は、Amazonにはレビューがあるので、この説は言いにくくなってきたと考える。岡田自身のようにアンチがいる著者の本のレビューは参考にならないとしつつ、次のような経験則を語る。最悪の本はレビューが全くつかない本である。高評価ばかりでもレビュー数が少なければ知り合いが書いている可能性がある。数が非常に多く高評価ばかりなら間違いなく名作である。そして、レビュー数がかなり多く評価が極端に割れている本は、岡田の経験上だいたい9割が面白い。そういう本に星1つをつけている人のレビューは「理解できなかったんだな」と笑って読んでしまう、とも言う。
4つ目は「本当にいい情報はネットにはない」という説だ。岡田は、それを言い出したら本当にいい情報は本屋にも置いていない、と返す。たとえばSMAP解散の真相のような情報はどちらにもない。検証不可能だとして退ける。
採用した仮説:読書は脳のジム、ネットは散歩
岡田が今回採用したのは5つ目の「読書は脳みそのジムであり、ネットは散歩のようなものだ」という仮説である。ネットはやりたいだけできて、疲れるほど歩いてしまうこともあるが、基本は眺めているだけだ。読書は少し汗をかき、単調に見えても繰り返すことで得るものがある。散歩でも得るものはあるし運動にもなるが、筋肉をつけたい人、体を作りたい人はたいていジムに行く。わざわざお金を払って体を動かしに行く馬鹿馬鹿しさも含めて、読書はそれに似ているのではないか、というのが岡田の考えだ。
ここから岡田は、ネットばかり見ていると脳の筋肉は徐々に萎縮する、と結論づける。食事にたとえれば、ネットは糖質中心の食事のようなものだ。一方で本ばかり読んでネットを見ないのも馬鹿みたいだと思う、とも言う。コメント欄の「栄養バランス」という言葉に同意し、読書をたんぱく質くらいに考えて、ネット7に対して読書3の割合を提案する。1日にネットを1時間見ているなら、本を30分読むくらいがちょうどいいのではないか、という目安である。
電子書籍より紙の本、そして「読んだらすぐ売る」
次に岡田は具体的な読み方の話に入る。Kindleで出ている本でも、電子書籍より紙の本を選ぶという。最大の理由は、読んだらすぐに売れるからだ。電子書籍は転売できない。紙の本の5分の1くらいの値段なら電子でもいいが、そうでなければ紙の本を買ってさっさと読み、さっさと売るのが一番いいと考えている。
売らないと家の中にどんどん本が溜まる。さらに岡田は、電子書籍は「さっと読み」ができないと指摘する。紙の本なら、つまらなかったときに3分の1や4分の1だけ読んで、残りはパラパラと流し読みすることができる。電子書籍ではそれがしにくく、「後で読もう」と取っておくことになる。そういう、寿命を削り自分の心の負債になるようなものはできるだけ持たない方がいい。だから岡田は、気に入った本は買い、読み終わったら即売る方式を取っている。
理想は立ち読み、図書館をめぐる発言
岡田にとって理想の読書は立ち読みで、雑誌もほぼ立ち読みで済ませているという。立ち読みが一番頭に入り、それ以上にどうしても欲しいものがあればお金を払って持ち帰ればいい、という考え方だ。
図書館については、自分で働いて食べていける人は使わず、貧乏な人や資料を調べる貧乏学生のために取っておくべきだと述べた。福祉の対象だと思っていたという。これにはコメントで「偏見だ」と反応があった。岡田は、本屋で立ち読みで済ませるという話の方がよほど炎上ネタだと思うけど、と笑いながら返している。貧乏でいると本を読まないスパイラルに入ってしまうので、図書館はそういう人のためにある公共のものだ、という説明である。
立ち読みのコツ:妄想してチェックし、3つに振り分ける
岡田の立ち読みの方法は、まずタイトルと目次から中身を「妄想」することから始まる。いちいち全部読んでいたら本は読めない。気になる本があったらタイトルを見て、帯も見て、できれば目次を見て中身を想像する。そのうえで、想像と合っているかをチェックするために立ち読みする。それにはだいたい5分もかからないという。
岡田はこれを、正しい読書法としてではなく「知的訓練法」として話していると断っている。小説の読み方としてはこれではいけないと思うが、大抵の本はタイトルと目次を見れば分かるようにできている。もし分からなければ、自分が知らない世界のことが書いてあると思えばいい。読書はまず数をこなすことが訓練になる、という立場だ。
5分のチェックの結果、本は3つのカテゴリーに分けられる。
- ボツ:読んでも分からない、またはつまらない本。岡田は「分からない」と「つまらない」を区別する。前者は面白いのかもしれないが今の自分には早い、理解できないというもの。後者は何が書いてあるかはよく分かるが自分には面白くないというもの。どちらもボツにする。
- クリア:だいたい予想通りの内容だった本。
- 採用:持ち帰る価値があると判断した本。
ボツとクリアは本棚にそっと戻す。採用になった本だけを家に持ち帰る。
買った日に読み、合わなければブックオフへ
採用した本は、理想をいえば買ったその日に読む。岡田によれば、本は買ったその日に読むのが一番面白く、最後まで読む率もその日がめちゃくちゃ高い。しかもブックオフは新しい本ほど買い取り価格が高い。だから、読んでもういいと思えたらそのまま売りに行く。3年後、5年後にもう一度読みたいと思った本だけを家に置く。
猶予は最大でも1週間ほどで、それまでに読まなければ売ってしまった方がいいという。本を売れない人の気持ちは、自分もそういう性格なのでよく分かると岡田は言う。そのうえで、家が本で溢れるほど一冊を最後まで読み切る可能性は低くなる、と指摘する。岡田自身、結局読まずに売った本は何百冊もあるので、気にしなくていいという。
一方で岡田は、年を取ってから昔面白かった本をわざわざ買い直していることも明かす。例として、早川書房のSFアンソロジー『ロボット文明』を挙げ、古書店で買い直してだらだら読むのも楽しみだと話す。
新刊には「憧れ本」もある。『自由はどこまで可能か』や『日本はなぜ脱原発できないのか』のような賢そうなタイトルの本を、こういう本を読める自分になりたくて買ってしまう。岡田はこの2冊自体は面白いと断ったうえで、そうした本は結局読まないことも多いと言う。美人をナンパしてお茶をしたが話題が合わなかったようなものだから、さっさとブックオフにお帰りいただけばいい、とたとえる。『7つの習慣』についてのコメントには、買ったことがあるが楽しく読むのにそれほど時間はかからない、と答えている。
読む時間の作り方
1冊にかける時間を聞かれると、岡田は「バラバラ」と答える。わざわざ買って帰っても15分でやめることがある。1日置いたら興味が冷めて何年も読まず、そのまま売ることもあるので、0時間のときもある。逆に、最初の3分の1ほど読んで面白くなかった本が、2年ほどして自分が少し成長したら面白く読めるようになった、ということもある。
だから一冊読めなかったことで劣等感や敗北感を持つ必要はない、と岡田は言う。本選びはナンパやお見合いパーティーのようなもので、プレゼンタイムで話しては次の人に移るように、どんどん立ち読みしてダメならぱっと置いていけばいい。一番いけないのは、とりあえず家に持ち帰って積み上げ、「読まなきゃ」と自分を追い込むパターンだという。
読む時間を作るコツとして岡田が挙げるのは、500円と本を1〜2冊持ってカフェに行くことだ。スマホは家に置いていき、本を読むしかない環境を1日1〜2時間作って無理やり読む。30分や1時間かけても面白くならなかった本は、向こう5年は絶対につまらないので、帰りにブックオフに寄って「放流」すればいい。気になったらまたブックオフに行けばたいてい置いてある。岡田は吉祥寺のブックオフで、昔自分が売った本に「昔の友達に会うような感じ」で再会し、買い直していると話し、これを「キャッチアンドリリース」と呼んでいる。
なお、スタジオジブリの雑誌『熱風』がどれほど面白いかも語りたかったが、それは限定配信に回すとしている。
『家康、江戸を建てる』:文章は下手だが話は面白い
ここから紹介されるのが『家康、江戸を建てる』である。帯には「絶賛の嵐」とあり、岡田も「確かにその通りだ」と言う。ただし小説としての評価は厳しく、「文章は下手」だと言い切る。直木賞か何かの候補になったが取れなかったと記憶しており、それも当然だろうという。小説の文章というより漫画原作のような書き方だが、だからこそ面白い、というのが岡田の評価だ。小説を書きたい人は、ここまで文章が下手なのに面白いものはなかなか見たことがないので絶対に読むべきだ、とも言う。
物語の発端について、岡田は次のように説明する。秀吉と家康が小田原の北条攻めをしている最中、二人で連れションをしていたときに、秀吉が国替えを持ちかけた。住み慣れた三河・尾張を離れて江戸に行ってくれと言われ、家康は驚きながらも承諾した。当時の江戸は毎年のように川が氾濫する湿地帯で、作物もろくに取れない寂しい村だった。岡田は、尾瀬や北海道の湿地帯のイメージだろうかと想像している。家臣団は大反対したがついてきた。家康は自分たちの都をそこに作るつもりだったが、実際に見て愕然とし、秀吉にイエスと言ったのはまずかったと落ち込むほどだった。
岡田によれば、この本には家康自身はほとんど出てこない。家康の部下たちが、どうやって江戸を作ったのかを描くプロジェクトものとして「燃えるし泣ける」作品だという。
第1部「流れを変える」:50年がかりの利根川の付け替え
第1部は、江戸を水浸しの湿地にしている、北から流れてくる利根川の流れを90度曲げるという大工事の話だ。命じられたのは、臆病で戦の手柄をあまり立てられなかった伊奈忠次である。岡田は、臆病だったからこそ治水に成功した武将として紹介している。工事は忠次の代では終わらず、息子の忠治、孫の忠克の代になってようやく常陸川への水路が完成する。家康が命じてから50年以上かかったという。
岡田が「めちゃくちゃ燃える」と語るのは第1部のクライマックスだ。上流の堰を切ると、水が一気に流れ込む。人工水路の底は粘土になっていて、赤い水が湧き上がってくる。水流が速すぎて失敗かと思ったところで白いアクが浮き上がり、水がみるみる青く戻っていく。50年かけてついに治水が完成する場面である。
その少し前の場面を、岡田は本を開いて朗読する。50年の間に社会が変わり、利根川を東へ逃がす工事の必要性は薄れていた。忠治がそう判断したのは怠慢や諦めからではなく、時代に即した合理的な判断だったと書かれている。忠次の時代なら、洪水を根本的に解決し、関東平野の耕作可能な土地を劇的に広げ、米を増やして徳川家を強くする意味があった。しかし戦国時代が終わって江戸時代になり、大名同士の戦争がなくなると、状況が変わった。新田開発で田んぼの面積は10年、20年で2倍、3倍にできても、それを耕す農民の人口は同じようには増えない。そのため、米を作ることより運ぶことの方が重要になった。生産から流通へ、社会が次の段階に進んだのである。米は重いので陸路より水路の方がはるかに楽で速い。本の中では、水路網を今日の高速道路にたとえている。
岡田はこの場面を受けて、主人公の思いが途中で曲げられ、もう必要なくなったかもしれない工事が孫の代にようやく成功する、という筋に胸にぐっとくるものがあると語っている。
第2部「金貨を延べる」:小判で日本を制する家康の貨幣戦略
岡田が特に詳しく語るのが第2部だ。「延べる」とは「伸ばす」と書く読み方で、金貨、つまり小判を作る話である。家康は秀吉に、江戸・関東でも金貨を鋳造させてほしいと願い出ていた。そこで派遣されてきたのが、秀吉と結んで日本の金貨流通を一手に担っていた名門・後藤家の人物だった。この人物がひどく嫌味で、こんな田舎で金貨を作りたいのか、江戸のような土地にはいられない、といった態度をとる。家康は腹を立て、風邪でもひかれては申し訳ないからさっさと京都に帰ってくださいと追い返した。そして、お供についてきた身分の低い、野心で目をぎらつかせた橋本庄三郎を残し、金貨を作らせることにした。
後藤家の代表作は天正菱大判である。十両の大判で、表面に墨で「拾両」などと書かれている。岡田によれば、金貨製造で一番時間がかかるのは、実はこの筆書きの工程だという。佐渡で金を掘り、少しだけ精錬して江戸へ運び、江戸で純度を上げる。岡田は、佐渡で精錬しきらない理由として、純度を上げてから運ぶと途中で山賊に盗まれるという作中の説明を紹介している。刻印までは流れ作業でできるが、最後に筆で美しく字を書く工程に時間がかかる。
庄三郎は天正大判にそっくりなものを作って見せたが、家康は「ボツ」を出した。そのうえで家康は2つの条件を示した。1つは、秀吉の天正大判の金の純度は75%だが、最低でも85%を目指せということ。地方通貨にもかかわらず純度を上げろというのである。もう1つは、十両の大判ではなく一両の小判を作れということだった。
庄三郎は、戦国大名が権威を示すために大判を作っていたので、家康も同じように大きなものを作りたいのだと思っていた。しかし一両と言われて理由を考え、真っ青になる。家康はこの貨幣で日本を征服するつもりだと気づいたのだ。岡田の説明によれば、十両大判は取引に使うには大きすぎる。10万円札のようなもので日常の取引にほとんど使えず、流通せずに持っているだけのものだった。一方、一両は大坂や江戸で使い勝手のいい通貨として流通し始めていた。
純度を上げる意味について、岡田は当時がまだ「量り」の時代だったことを挙げる。額面ではなく、実際にどれだけの値打ちの金が入っているかでやり取りされていた。秀吉の時代の銀貨には折り目があって、ポキッと折って重さを量り、価値を決めていたという。岡田は比較として、当時の中国の貨幣は額面と流通価値が一致していたが、ローマ金貨でさえ品質が一定しないため商人が重さを量っていた、と話している(単位名は思い出せないと言っている)。
家康の狙いは、「一両」と書かれた小判に本当に一両の価値を持たせることだった。額面は「十両」でも実際の金の値打ちがそれより低い大判に対して、純度の高い小判を出せばどうなるか。最初は小判10枚で大判1枚だった交換比率が、次第に小判8枚で大判1枚になる。やがて商人たちは大判を早々に売り払い、家康の小判だけを持とうとするようになる。岡田は、実際にそうなったと述べている。主人公はここまでを見通した家康の貨幣政策に驚き、その事業に加わって、最後は自分を見下してきた後藤家に手ひどく復讐する。岡田はこれを「めちゃくちゃすっとする話」と評し、戦国武将ものとしてもビジネスものとしても面白いと語る。
第3部から第5部:水道、石垣、白い天守
第3部「飲み水を引く」は、江戸にどうやって飲み水を行き渡らせたかという話だ。中心となるのは井の頭の湧き水で、岡田は「井の頭」とは井戸の頭、つまり江戸で一番いい水という意味だと説明する。武蔵野台地は江戸に向かってゆっくり下っていくが、途中には登っている土地もあり、江戸の町自体も起伏がある。高いところにどう水を届けるかが課題になる。そこで作中に登場するのが「升」という新方式だ。地下水路を一直線に作るのではなく、途中に溜め場を設け、水位が上がってから次の水路へ流す。この仕掛けをあちこちに組み込み、水をのこぎりの歯のように段々に配っていくシステムで、岡田は江戸の町で採用された発明としてものすごく面白いと話している。
第4部「石垣を積む」は石切り職人の話だ。岡田は和歌山の山奥で良い石が見つかったという設定として紹介している。17〜18歳の天才的な石工の主人公が、山の下の方で美しい石を見つけ、上にはもっといい石があるはずだと登っていく。すると、山の岩壁一面が一枚岩であることに気づく。爆薬で発破をかけると、岩肌がきれいに一枚のまま外れて麓まで落ちてきた。こんなものをどう運ぶのかと聞かれた主人公は、いずれ港ができて運ぶ技術も開発されるはずだと答える。実際にその石が江戸城の石垣の中央の「鏡石」としてはめ込まれるまで50年ほどかかる。主人公が老人になって目が見えなくなった頃に、ようやくその日が来るという筋で、岡田は「なかなかの感動ストーリー」と紹介する。
第5部「天守を起こす」の主人公は家康ではなく息子の秀忠である。岡田によれば、秀忠は戦国ものではできの悪い息子として扱われがちだが、実際はかなりの秀才だったらしい。作中の秀忠は合理主義者で、天守閣はもういらないと主張する。天守をまともに使った武将はいない。唯一使ったのは信長くらいで、襖絵を張り、寝床を敷いて暮らしていた。秀吉は立派な大坂城の天守を作ったが、結局は住みやすい聚楽第や伏見城に移って天守を使わなかった。物見櫓が必要なら櫓を建てればよく、今さら天守を建てるのは戦国時代がまだ終わっていないことの象徴にしかならない。こうした秀忠の主張に対し、家康はそれでも天守を建てろ、しかも色は白にしろと命じる。天守といえば黒という時代に、なぜ白い天守が必要だったのか。その家康の真意を秀忠が後になってようやく理解する、というのが第5部の内容だと岡田は説明する。
岡田は改めて、小説としては文章がうまくないが、その分話がダイレクトに入ってきてテレビドラマを見ているような感じだとまとめ、購入を勧めている。この本の何が面白いのか、どう読めばさらに面白くなるのかは限定配信の方で話す、として無料部分は終わる。
2026年の追記:読書は「限られた人の変わった趣味」になるのか
再配信にあたって、岡田は2026年時点のコメントを加えている。この年の4月、『本を読めなくなった人たち』という新書を書いた稲田豊史と対談し、これから先、本を読むことは限られた人だけのちょっと変わった趣味になる、という話をしたという。
岡田は、そう考えると「読書は脳を鍛えるジム」という2016年の理屈にますます近づいていくのかもしれない、と言う。トレーニングジムで筋肉を鍛えるのも、考えてみれば限られた人のちょっと変わった趣味だからだ。さらに、歴史書、小説、詩、ライトノベルっぽい小説、時代小説などは、それぞれ脳の使う場所が違う。だから「脳のこの部分を鍛えるにはこの本」と指南する「読書トレーナー」という職業がありうるかもしれない、と岡田は言う。今思いついて言ったが自分でも「おおっ」と思った、と付け加えている。
この「ジム」の見方をとると、なぜネットやスマホで文字を読むだけでは読書といえないのか、なぜ紙の本を読むべきなのかも説明しやすい、と岡田は考える。ネットには、得ようとした情報の他にも楽しいものが無限にある。それは、トレーニングマシンの横にふかふかのソファ、ポップコーン、ドーナツ、コーヒー、果てはアルコールまであり、友達が「お前もこっちの話に参加しないか」と誘ってくるようなものだ。あらゆる誘惑やリンク先と並んだ状態で文字を読むのがネットの環境だという。対して、本を1冊だけ持って、あるいはダウンロードした1冊だけを持って喫茶店や公園のような落ち着いた場所で読むのは、専門のジムで筋肉を鍛えるようなストイックな体験になる。岡田は、それはそれで面白いのではないか、と締めくくっている。
いや、もうね、9月も半ば過ぎてますよね。で、毎日暑いと言おうと思ったんですけど、最近涼しかったり暑かったりですね、もう30°超えることはないかと思ったら、また超えたりですね、本当にわけがわかんないながらも秋めいてますよね。で、秋と言えば読書の秋でですね、今日は読書についての動画を再配信します。おはようございます。岡田斗司夫です。
よく言われるのはですね、岡田さんの紹介する本はどれも面白いんですけども、ていうか面白そうなんですけど、どうやってそんな本見つけるのっていうの聞かれるんですね。で、実は本の選び方にはコツというのがあってですね、今日の動画はですね、そういう面白い本を見つけるコツとですね、そうやって見つけた、実際に見つけた本を何冊か紹介しています。
この動画はですね、2016年10月9日ですね、もう10年前ですね、に配信した岡田斗司夫ゼミ第147回を再編集したものです。動画が終わった後にもですね、追加のアップグレード情報ちょっとあるので楽しみにしてください。それではこっから無料動画スタートです。
ということでですね、秋の読書特集で上がります。本を読まなくなってるという風に皆言いますけど、皆さんどうでしょうか?俺はもうそれをひしひしと感じておりまして、読者層のですね、減少。読書をする人たち、読者層の減少というようなことを言われてましてですね、1999年には2300店ぐらいあった書店がですね、2015年には、あ、違う、2万2000店あったんだ。それが2015年にはですね、1万3500店ぐらいになった。つまり1/3ぐらい、全本屋さんの1/3ぐらいがこの15年間ぐらいでなくなっちゃったわけだよね。まあ元々2万2000件あったのがすごいんだけどね。毎年ですね、300件から500件の書店が閉店してるそうです。つまり平均したら1日あたり1店か2店、日本から本屋さんがですね、なくなってるという風に言われてます。
で、これはネットのせいなのか、それともAmazonとかの通販のせいなのかという風に色々言うんだけどもですね。うん。小さな街の書店がなくなり、大都市の書店が増える。そうなんだよね。あとね、なんだろうな、書店の数は減ってるんだけども、書店の売り場面積だけで見たら逆に増えてるっていう統計データもあって、大型書店が増えて小型書店が減ってる。つまりなんだろうな、書店の集中化が進んでて、街の中にあった小さい本屋とかがどんどんどんどん潰れてるとも言えるんだよね。そこら辺はうーんとね、おもちゃ屋とかと同じかもわかんないね。商店街のちっちゃいおもちゃ屋ってさ、すごいどんどんどんどんなくなってきて、もう今トイザらスで買うかAmazonで買うか、もしくはヨドバシとかさ、ああいうところで買うかという風になってるじゃん。だから多分小売業って全部そういう風になっていくんだろうと思うんだけども。
今日のテーマはですね、読書の秋でですね、読書ってですね、なんかね、こういう話するとね、そもそも読書って必要かというところから話さないと話が変になっちゃうんだよね。っていうのは、本を読むって時間もかかるしお金の投資も必要だと。で、実は効率的じゃないって考え方もあるよね。なんだろう、本を読まない人っていうこともないんだけども、全部ネットで十分で、ネットにあるものを読んでればいいと。本っていうのは基本的に言えばパッケージ産業であってさ、僕自身も経験あるんだけど、自分が書いたものが最低3ヶ月しないと書店に並ばないわけだ。で、そうなると全ての情報というのは3ヶ月前の情報になっちゃうから、古い情報しかないと言えばないんだけども。
僕としてはですね、自分が物書きで本を書く立場っていうのもあるんだけどさ、自分の中の物書き部分っていうのはさ、もう5%ぐらいで、残り95%ぐらい本を読む側の人の立場なわけだね。ここら辺がアニメと違うところ。アニメね、作ってた時ってなんだろう。自分がアニメを見る人か作る人かって言ったら、作る人8割で見る人2割ぐらいだったんだけどさ、本はいくら書いても、なんか何冊著作を出しても、自分はね、もう読む方95%、書く方5%ぐらいなんだから、やっぱりね、読み手としての話になっちゃう。
一応ですね、今日はですね、ネットは読書の代わりにならない仮説っていうの考えてみようと思った。つまり、こういう話するといつも、いや、ネットあるからいいよとか、本はなあ、もう読まないよなって話になっちゃうんで、あえて反論っていうこともないんだけどもさ。そう、ネットより本を読めよっていう人いるじゃん、いっぱい。で、僕もね、なんかなんとなくそう思うんだけど、自分自身でもなんでかよくわかんないから、いや、ネットは本の代わりにならないよ、是非とも本を読みたい仮説っていうのをさ、考えてみましたのでですね、ちょっと聞いてみてください。
なかなかね、ネットは読書の代わりになるっていうのはね、もう簡単なんだよ、みんな。直感的に、あ、そうだよねっていう風に思うから簡単なんだけど、ならない仮説ってね、考えたんだけどなかなか難しいんだよね。で、1番目によく言われるやつ、出世するやつは本を読んでる。これはよく言うよね。本当に出世する人は本を読んでますよってやつで、まあね、これね、立証不可能なんだよね。世の中に本読まずに出世したやつもなんぼでもいるからさ。これはなんだろうな、決めつけみたいな問題提起としては言えるかもわかんないんだけども、俺としてはこんなん立証不可能だからあんまり頼んないと。
2番目、無料のデータでは差はつかないですね。つまりなんだろうな、ネットに転がってる無料のデータではダメだと。本当に大事なものは有料のものの中にあるっていうような考え方もあると。これはこれで、さっきのなんか本を読むやつは出世するよりはほんのちょっとだけなんか説得力というのかな、納得力があるんだけど、これもね、無料のデータっていうけどさ、ネットの検索っていうのはほとんどさ、技術とか検索する側の元々の知識とか教養によってさ、出てくる結果全然違うわけだよ。俺なんか多分Wikipediaがあったら、Wikipediaの項目それぞれで1時間ぐらいかかるんだけど。だから1回俺ね、Wikipediaを語るだけのニコ生ってやってみたいんだけども、あ、今度公式でス田さんにそれ言う。前々から考えてる、Wikipediaをネタに語るだけのね、公式放送とかやってみたかったんだけど。なのでですね、無料のデータでは差はつかないっていうのは、実はそのなんだろうな、検索技術に差があったり、どういう言葉で検索するとか、どういう風に連想働かせて探すのかにすごい差があるからね。センスあるやつとないやつとの間にあまりに差がありすぎるんだよね。なのでこれもなんか、読書の方が、ネットより本の方がいいぞというの証明にはならないと。
で、3番目、これもね、電子辞書の時によく言われたんだけども、電子辞書より辞書の方が成績は上がる。つまりネットで探したらピンポイントの情報は入るんだけども、その他の情報は入んないと。Amazonで本を買ったらその本は探せるんだけども、その周りにある本が分からないとね。例えばなんだろうな。怪しげなさ、なんか精神科学系の本とかあるじゃん。最近もあまりないとかUFOとかさ、そういうやつもそうなんだけども、例えば、なんとか宗教について書いた本とかって、あれってAmazonで見たらよくわかんないんだけど、本屋さんで見たらそもそもその本が置いてある本棚の周りには何があるのかと。宇宙人から聞いたなんとかの予言とかそういうのがあると。あ、これはもう怪しげジャンルなんだなっていう風にわかるっていう考え方でね。なので、なんだろうな、電子辞書よりは辞書の方が成績が上がる。つまり1つの単語調べた時に周りの単語にも目が入るから、自然と成績が上がりますよって考え方だ。
これはね、さっきのAmazonで言うとレビューっていうのが存在するからさ、俺とかさ、かさんみたいにアンチがいる人のレビューっていうのは参考にならないんだけども、アンチの人が積極的にレビューするから参考にならないけども、大体の本でさ、まあ30や40ぐらいレビューついてる本は面白いんだよ。逆に言えば最悪の本ってレビューが全くつかない本なんだよね。で、そうじゃなくてレビューが40も50もあって、それがいいから悪いに極端に語ってる本って絶対に面白いんだよ。で、いいに極端に語ってる本っていうのは、もしそれがレビュー数が少なかったら、まあなんか知り合いばっかりが書いてる可能性もあるし、で、ものすごく多い割にいいばっかりがあったら、それは間違いなく名作なんだ。でもかなり数が多くていい悪いが極端に離れてるやつっていうのは、僕の経験上大体9割ぐらいが面白い本で、僕もなんかその、逆に言えばそれに星1つとかつけてるやつは、なんかこうレビューなんかニコニコ笑って読んじゃう。こいつバカなんだなとか、理解できないなと思って読んじゃうから。なので今はね、もうその電子辞書より辞書の方が成績上がるっていうのはね、ちょっと言いにくくなってきたな。まあ説得力はあるけどもってやつで。
あと4番目ね、本当にいい情報はネットにはないっていう人いるよね。でね、それはそうかもわかんないよ。本当にいい情報はネットにはないかもわかんないけども、それ言い出したら本当にいい情報は本屋にも置いてねえよ、そんなの。なんだろう。SMAPの解散の真相でもさ、何でもいいんだけどさ、本当にいい情報ネットにはないって言うんだったら、そんなもん本屋のどこにあるんだよって思うんだけど、まあまあどっちにもないんだよね。そういう風なことを言い出したら。なので、こういうのは検証不可能。
で、最後のですね、5番目ですね。これ、俺は今回の仮説で採用しようとしてるんだけども、読書というのはですね、脳みそのジムであると、トレーニングであると。で、ネットというのは散歩みたいなもんだと。ネットっていうのはやりたい分だけあって、疲れるぐらい歩いちゃうことはあるんだけども、まあ大体なんだろうな、えっと、眺めてるだけだと。で、それに比べて読書っていうのはちょっと汗かいて、単調に見えるかもわかんないけど、繰り返しすることによって、まあなんだろう、自分に得るものがある。散歩でももちろん得るものはあるんだよ。でも散歩で得るものと筋肉トレーニングで得るものとはちょっと違うよねって考え方で、僕的にはこれなんだよね。散歩でも十分運動になるんだけども、でも筋肉つけたいとか体作りたいって人は大体ジム行ってるよね。で、それぐらいですね、そのジムってわざわざ金払って体動かしに行くっていうバカバカしさもあるんだけども、そういうバカバカしさも含めて読書ってなんかそれと似たようなもんじゃないのかなっていうのが、今んところのですね、読書の方がネットよりいいぞっていう仮説ですね。今回の採用分です。
というわけでですね、今回ゼミのですね、僕の結論としては、ネットばかり見てると脳みその筋肉は萎縮すると。徐々に萎縮すると。言っちゃえば糖質型の食事みたいなもんね。俺も人のことあんま言えないんだけど。で、ネット7に対して読書3ぐらいの割合っていうのが実は体にいいんじゃないのか。本ばっかり読んでてネット見ないっていうのも、バカみたいだと思うし。だからと言って、じゃあネットで全て手に入るっていうのもなんかね、おやつとかパンとかだけ食べたら大丈夫っていうの無理な感じがするから、今んところは。栄養バランス的なって今コメントあったんだけども、その通りだよね。読書というのをタンパク質ぐらいに考えて、で、本当言えば糖質ゼロにしてタンパク質ばっかりの食事っていうのもたまにはいいかもわかんないんだけど、現代で生きる僕らにしてみたら無理だから、半々はきついかわかんないけど、7:3ぐらいにしようというような時間で分けて、1日に大体1時間ネット見てるんだったら、30分ぐらい本を読むぐらいがちょうどじゃないかなという風に思います。
で、本の読み方ね、もう今日ね、最初の方でね、なんだろうな、マニュアル的な部分出してくね。えっとね、僕は、本当にね、こういう本を、これも、こないだ買ったんだけども、Kindleでも大体こういう本ってあるんだよね。で、電子本よりはリアル本って考えるんだ。で、なんでかって言うと、読んだらすぐに売ることができるからだよ。で、これ今持ってるのはただ単に残ってるからなんだ。で、もうね、電子本って売れないじゃん。で、電子本がね、紙の方に比べて1/5ぐらいの値段だったら、うーん、別に電子本でもいいと思うんだけどさ、電子本って後で転売することできないから、紙の本を買ってさっさと読んでさっさと売っちゃうのが1番いいと思うんだよね。で、売らないと家の中にどんどんどんどん溜まってしまうし、あと電子本ってざっと読みできないんだよ、これ。この本がたまたまつまんなかったら、紙の本の場合1/3ぐらいとか1/4ぐらい読んで、あとはパッパッパッと流し読みっていうのは紙の本って割とできるんだけどさ、電子本でさ、なかなかなんだろうな、データなもんだから流し読みできないし、後で読もうと思って取っとくじゃん。で、そういう寿命を削ってしまうようなもの、自分の心の負債になってしまうようなものってできるだけ持たない方がいいと思うんで、僕はもう本は気に入ったら買って、で、読み終わったら即売るっていう方式を取ってる。読み終わるっていうのは後でちょっとね、説明するね。
で、理想はね、もう全てね、立ち読み派だよね。本屋さんで立ち読みするのが理想の読書だと思う。雑誌もですね、僕はもうほぼ大体立ち読みしてると。で、立ち読みがね、1番頭に入るし、なんだろうな。それ以上に欲しい、どうしてものものがあれば、金払って家に持って帰ってもいいっていう風に考えるんだけども。
図書館は、ああ、図書館。図書館はね、貧乏な人が使う場所だから、えっと、自分で働いて食えるんだったら、図書館はね、貧乏人のために取っといてあげた方がいいよ。自分1人で稼いで食えるような人が図書館使っちゃったらさ、貧乏な人がますます困るじゃん。なので、そういうところは大人は使わないと思います。
ええって、ひでえって、偏見、偏見なの?そうなの?ああいうものって俺、福祉対象だと思ってたからさ。それよりは、いやいや、だってさっき言った本屋で立ち読みで済ませるっていう方がよっぽど、俺正直言って炎上だと思うけどね。
そう、貧乏人は本を読まないよって書いてるんだけど、貧乏をしてるとどんどんどんどん本を読まないスパイラルに入ってきちゃうんで、図書館っていうのはそういう人のためにあるのか、もしくは貧乏学生が資料調べるためにあるのか、なんだろうな、そういう公共のためにあるもんであってですね、僕らみたいに自分の生活を自分で面倒を見たりですね、もしくは月額500円払ってこの放送見れる人が行く場所じゃないと思うんだけどね。どうなんだろうな。
さてさて、じゃあその立ち読みの方がいいよ、全部立ち読みの方がいいよって言ってる僕の立ち読みのコツっていうのを話してみますね。まずタイトルと目次で中身を妄想すること。立ち読みにするっていうのはね、いちいち全部読んでたらさ、もう本読めないじゃん。なので大体どんな本でもいいんだけども、あ、この本気になるなと思ったらタイトル見て、で、帯とかも見て、で、目次をできれば見て中身を妄想するんだ。で、妄想して、チェックするために立ち読みすると。純粋にチェックでいいんだ。で、妄想してる内容と同じか違うか分かればもうそれでいいから。読書ってまず数をこなすことが訓練になるから。俺もう本当に知的訓練法として喋ってるよ、俺は。それが正しい読書かどうかっていうのは話してないし。小説の読み方はこういうのではいかんと思うけれども、大体の本っていうのはタイトルと目次見れば分かるようにできてるし、もしそれがわかんないんだったら、自分が知らない世界のことが書いてると思えばいいよ。
で、タイトルが気になって、で、目次見て、おお、大体こんな内容だろうなと思ったら、素早くその自分の想像と合ってたかどうかをチェックするために読めばいい。で、それに大体要するのには5分かかんないと思うんだ。で、その5分間で、うんとね、クリアしたかどうか。つまり想像通りだったらクリアだよね。で、想像と違ってなんか全然わかんなかったりつまんなかったりしたら、分かんないとつまんないは違うよね。面白いかもわかんないけど今の俺には早いとかさ、理解できないっていうやつがわかんないで。そうじゃなくて何書いてんのかよく分かるんだけども、これは俺にはあんまりつまんねえやと思ったらつまんないんだけど、とりあえずわかんなかったりつまんなかったりしたらボツっていう風にするんだよ。
本を立ち読みする時は、ボツとクリアと採用と、この3つのカテゴリーがあるんだ。で、本屋さんの方で立ち読みして、ああ、なんかこれつまんなそうだと思ったらボツ、わかんないと思ってもボツで、ああ、大体予想通りだなと思ったらクリア。このボツとクリアの場合は、やっぱりそっと本棚に返すんだよね。で、唯一採用になった場合、これお家にお持ち帰りになるわけだ。お持ち帰りしたら、理想はその日のうちに読む。本っていうのは買ったその日に読むのが1番面白いんだって。で、買ったその日読むのが1番最後まで読む率がめちゃくちゃ高いから。なので買ったその日に読んだら、まあ何がありがたいって、ブックオフっていうのは新刊であればあるほど買い取り価格が高くなってるので、買ったその日に読んでもういいと思えたら、そのままブックオフに行って売ってしまうんだよね。
で、ああ、なんかこの本気になるなとか、3年後、5年後にもう1回読みたいなと思ったら、お家に背用き決定っていう風になってる。こんな風になんか僕は本を考えてるよ。採用したい本はその日のうちに読んで、最大ね、1週間じゃないのかな。で、本を売ることができないっていう人は、気持ち分かるよ。僕も本当に本売れないたちだから分かるんだけども、それはもう家ん中をどれぐらい本で占めるかって話になってきて、本で溢れ返れば溢れ返るほど、その1つの本を最後まで読み切る可能性って低いんだよね。で、俺なんかさ、もう年取ってきたからさ、昔自分が読んだ本で面白かった本をもう1回なんかわざわざ買ってんだよ。この辺のなんか早川書房のさ、『ロボット文明』っていうのさ、SFのアンソロジー本なんだけどさ、ここに置こうか、分かるようにアンソロジー本なんだけどさ、すごい面白いんだよね。で、こういう本って古書店で後で買ったりして、結局ダラダラ読んでさ、昔読んでた面白かった本を読むっていうのもさ、やっぱ楽しみとしてあるんだよね。
で、それで考えるとなんかね、新刊書で憧れ本ってあるじゃん。俺もこんな本読めるようになりたいなってやつ。この中で言えばどれだかな。まあこんなやつだよね。なんか『自由はどこまで可能か』とかさ、そういう賢げなタイトル。『日本はなぜ基地と原発を止められないのか』とかさ。いや、この今の2冊は面白いんだけども、そういう本って憧れ本みたいな側面もあるじゃん。ついついこういう本読める私になりたいと思って買っちゃう本っていうのもあるからさ。でもそういう本は結局読まない場合も多いから、憧れて家に持って帰ってきたら、それはなんだろうな。すっごい美人の女の子ナンパしてお茶したんだけど、お茶するだけで話題が合いませんでした、さようならみたいなもんでさ、さっさとブックオフにお帰りいただいた方がいいと思うんだけどもね。そこら辺はなんか。うん。背伸びしたくなりますよ。まあそうだね。簡単そうだけどもな。うん。7つの習慣。『7つの習慣』ってさ、『7つの習慣』も俺買ったことあるけどさ、読むのにそんな時間かかんないよ。楽しく読むのに時間かかんないっていうのかな。まあいいや。
さてさて。なので、最大1週間ぐらいの間に読まなかったら、それはもう本当に売りに行っちゃった方がいいと思う。俺結局読まずに売った本って何百冊もあるからね。で、かなり本を読んでるつもりの僕でも、やっぱり何百冊も読まずに近所のよみた屋っていう古本屋に売ることになってしまってるわけだから、気にしなくてもいいと思うんだけどもな。えっと、家康早く。ごめんごめん。もうすぐだから。出ないとね、限定放送に入っちゃうよね。
で、本を読む時間を作るコツなんだけども、これ、1冊何時間ぐらいで読むの?あ、もう本当に15分でやめちゃう場合も。さっき言ったわざわざ買って帰った本なんだけども、1日置いちゃったらさ、興味冷めちゃう場合もあるじゃん。で、その場合もう何年も読まないこともあって、そのまま売っちゃうこともあるから、かける時間は0時間の時もあるし、なんだろうな、2年ぐらいかかって読む。つまり最初の1/3ぐらい読んであんま面白くなくて、2年ぐらい経って自分がなんかちょっと成長して、その本が面白く読めるようになったっていうのもあるからさ、それはもうバラバラだよ。で、本を1つ読めなかったからと言って劣等感とかさ、敗北感に負けることなく、もうそれはもうなんだろうな。本を選ぶっていうのはナンパみたいなもんだと思って、ナンパしても何でもないんだけどさ、ナンパみたいなもんだと思って片っ端から探して、いいなと思ったやつはどんどんどんどん立ち読みして、ダメだったらパッと置いてくっていう、なんだ、お見合いパーティーみたいなもんだと思い。プレゼンタイムがあって一生懸命話して、次の人、次の人ってぐるぐる回るみたいなもので、パッパッパ読んで。1番いけないのは、なんか家にとりあえず持って帰ってどんどん置いていって、読まなきゃ読まなきゃ読まなきゃっていうのが割となんかしんどいパターンだと思うけどね。
なのでね、読む時間作るコツは、500円持って本を1冊か2冊持ってカフェに行くことだよね。で、そうやってもうスマホとか家に置いてきてさ、本を読むしかない環境っていうのを1日に1時間とか2時間ぐらい作っちゃって、無理やり読んでしまうのがいいよ。で、それでもつまんなかったら、そこのカフェを退散して帰りにブックオフに寄ってしまうのがいいよ。つまり500円持ってこの本を読もうと思ってカフェに行って、30分や1時間したんだけど面白くならなかった本はね、それはもう向こう5年間は絶対つまんないから。そう。5年間家にずっと置いとくぐらいだったら、1回ブックオフに放流して、気になったらもう1回そのブックオフに行ったら大体それってあるからさ。吉祥寺のブックオフには俺が放流した本がまだ何冊もあって、もう昔の友達に会うような感じで、おっ、お前か、ちょっと悪いけど買うわって言って、昔自分が売った本も買ってるからさ。それなんかキャッチアンドリリースで気にしなくていいと思うんだけども。
じゃあ今日1冊目行こうか。本当はね、なんかね、ジブリの作ってる雑誌の『熱風』がどんなに面白いのかっていうの語りたかったんで、これはまた限定の方に置いとくね。マジですごいと思うんだけども。えっとね、信長、あ、違う、『家康、江戸を建てる』だよね。これね、絶賛の嵐って書いてんだけど、まあまあ確かにその通りだ。めちゃくちゃ面白いか、面白いことは面白いんだけども、小説かと言われたら、まあ文章下手だよ。これいいよ。あのね、あらゆる小説を書きたい人は絶対読むべきっていうのは、俺ここまで文章が下手で面白いもの書くのって、なかなか見たことがないんだ。本当にね、下手って言ったら変なんだけど。なんだろうな。えっと、直木賞かなんかの候補になったんだっけな。で、もう取れなかったって言うんだけど、そりゃそうだろうと。まあ、小説の文章じゃなくて、いわゆる漫画原作みたいな書き方なんだけども、だから面白いんだよね。
で、何もない江戸という湿地帯だよね。これ元々は、何だっけ?連れション事件だっけ?秀吉と家康が小田原攻めしてる時に、北条だね。してる時に2人で連れションしてて、そん時に秀吉が国の配置替えしたいと。もう悪いけども住み慣れた愛知抜けて、悪いけど東京行ってって、江戸に行ってっていう風に言われて、家康がびっくりしたんだけど、分かりましたという風に言ったっていうのが元々のきっかけだったんだけども、家康は江戸という土地にですね、秀吉の命によって三河・尾張っていう豊かな土地を捨てさせられて、転勤させられるんだよね。で、その当時の江戸っていうのは湿地帯でさ、本当に年がら年中川が氾濫して、1面の、言っちゃえばどうなんだろうな。尾瀬とかさ、あの辺のイメージなのかな。もしくは北海道の湿地帯のイメージなのかな。何にもう本当に作物も取りようがないぐらいの寂しい寂しい村で、転勤させられた家康に家臣は大反対して、それでもついてきて、で、家康は、いや俺たちの都をそこで作るんだっていう風に思ってたんだけど、見た瞬間愕然として、これ俺もちょっと秀吉様にイエスって言ったのまずかったなっていう、落ち込むぐらいの大湿地帯だったと。そこにどうやって江戸という町を作ったのかっていうような、燃える家康の部下たちの物語。ほとんど家康って出てこないんだよね。家康の部下たちがどうやって江戸を作ったのかっていうプロジェクトものとして、燃えるし泣けると。
で、第1部の「流れを変える」。これは、さっきも言ったように江戸が水浸しの湿地帯なんだけども、そこを湿地帯にしてるのは北から流れてくる利根川なんだよね。で、この利根川を90°ガクっと曲げて、で、東京湾の方へ注がせようという大プロジェクトなのね。で、家康が結局命じてからさ、それが終わるまでにもう50年以上かかっててですね。で、命じられたのは、臆病者であんまり武功、いわゆる戦の手柄が建てられなかった、えっと、伊奈忠次っていう武将なんだよね。その伊奈が臆病だったが故に江戸の治水、いわゆる水脈を、えっとね、川の氾濫とか防いで土手とかを作ることに成功したというような話なんで。話で言うと簡単なんだけども、その伊奈忠次から息子の忠治、孫の忠克の時代まで行って、ようやく利根川から常陸川への水路が完成してさ、で、その水路が完成したので、上流の利根川の堰をポンと切って、で、常陸川の方に水がぐーっと流れてくるクライマックス、第1部のクライマックス、めちゃくちゃ燃えるよ。水がさ、ざーっと曲がり合ったら、そしたら下の方がさ、粘土になってるからさ、川の底の方が人工水路で粘土になってて、そこの赤い水がぐわーっと上がってくるんだ。で、赤い水がどんどんどんどん増えてきて、これはダメだ、やっぱ堰を切ると合流が早すぎだと思ったら、そしたら白いアクがぶわーっと上がってきて、水がみるみる青く戻って、で、常陸川の方へずわーっと流れてきてさ、ああ、50年かかってついに利根川の治水が完成したっていうシーンがあるんだけどさ、それのちょっと前に、よいしょ。ちょっと読むね。
もうね、利根川工事の必要がね、なくなっちゃうんだ。50年間の間で。50年の間に利根川はもう必要なくなったと。もはや手を加える必要はない。そういう忠治の残念は決して怠惰や偸安から出たものでない。決して諦めから出たものでない。時代に即した合理的な判断だった。なるほど、先代、忠次の頃なら利根川を東へ逃す意味はあったと。江戸の河口や洪水の問題も根本的に解決するし、何より関東平野の耕作域、つまり耕作できる地域、田んぼが作れる地域がもう劇的に広がる。米が取れれば民が潤い、年貢収入も増え、徳川宗家も一層強くなると30年前、徳川幕府ができた頃には考えられてきた。しかしそれから30年、家康の関東入府からもう30年が経ってしまった。日本の社会は大きく変わった。21世紀の用語で端的に言うと、戦国時代から江戸時代になったと。幕府が開かれ、大名同士の戦争がなくなり、人々は農業に集中できるようになった。もちろん新田開発は今でも進められてるけども、いくら田んぼを増やしたところで、それを耕す人口までが一緒に増えるわけではない。つまり新田開発っていうのはさ、田んぼの面積を2倍3倍にすることはできるんだ、わずか10年20年で。でも10年20年で農民の人口が2倍3倍にはならないよね。なので、米を取ることよりも、むしろ米を運ぶことの方が重要だと、そちらの方へ人々の意識が向くようになった。つまり生産よりも流通。社会の発展が次の段階へ進んだという言い方もできる。具体的には水路の整備。何しろ米は重いのだ。運ぶには陸よりも水路を使う方がはるかに楽だし、また早かった。今日の高速道路に相当するだろう。もしも関東平野が隅々まで水路ネットワークで結ばれる日が来れば、その時は人々の生活はより一層便利になり、より一層文化的になる、というのは幕府の人にとって大きな期待になり始めた。実際その整備は急速に進んだということで、なんかね、治水して耕作地を増やすことよりも、水路をいっぱい作って米を運ぶことの方が人々を豊かにするようになったというような話で、主人公のその、えっとですね、伊奈忠次の思いっていうのは途中で曲がってしまうんだけどさ、でも、もう必要なくなったかもわかんないんだけど、孫の時代になってようやく成功したっていうプロジェクトが書いてあったらさ、なんかこうすごい胸にぐっとくるものがあるんだよ。
で、第1部が「流れを変える」のさ、第2部がさ、「金貨を延べる」ってやつなんだ。金貨っていうのはこうコインのことね、小判のことなんだ。これを延べる。延ばすっていう字を書いて延べるって読むんだけどさ、なんなんだそれはと思ったんだけども、家康の元にさ、秀吉から使者が来て、これがね、来たんだ。で、なんでかと、元々秀吉のところに家康から、太閤様を混ぜて、江戸でも関東でも金貨鋳造させてくださいってお願いしてたんだ。そしたらさ、名門の後藤家っていう、後藤家っていうのはさ、Wikipediaにも出てくるよ。後藤家のカ兵ってやつが来て、こいつがすっげえ嫌味なやつなんだ。で、この嫌味なやつが来て、あんたらはなんかこんな田舎に住みながら金貨が作りたいんでっか。はあ。私、太閤様から言われましたけど、こんな江戸みたいな土地にはようおられしまへんっていうようなことを言って、もういいや、ムカムカムカムカしてさ。その部下で、めちゃくちゃ野心家で目がギラギラして顔が真っ黒けの身分の低いね、橋本庄三郎ってやつがついてきたんだ。で、もうお前なんか帰れっては言わないよ。もうお帰りねって。いや、あなた江戸なんかにいらしたら、悪い風邪なんか引いては申し訳ない。もうさっさと京都に帰ってくださいって言って、その後藤家の名門のやつを追い返して、で、橋本庄三郎のやつを残して、お前野心があるだろって聞いたら、いやいや野心なんかございません。嘘つけ、めっちゃギラギラした目で俺見てたやんけという風なことで、お前にじゃあ金貨作らせたいから作れって言うんだ。
庄三郎さ、もう後藤の家の下にいたらさ、という苗字だからさ、もう違うわけだよね。つまり後藤一族っていうのは、その当時の秀吉とも結んでて、日本の金貨流通を一手に作ったやつなんだ。代表作が天正菱大判っていうやつでさ。まあ天正の大判ってやつだね。よくテレビとかにも出てくるやつ。あれさ、十両、1枚で十両の値打ちがあるんだけどさ、上にさ、十両っていう風に墨で書いてるじゃん。あれ何かって言うと、墨擦って膠と混ぜて、その上にぐわーっと墨書、いわゆる本当に筆で書くんだってね。で、金貨の鋳造で1番時間かかんのって実はここなんだって。佐渡で金掘って精錬して江戸に持ってきて、これもうなんで、家康がなんで佐渡で精錬したらダメなんだったら、そんな佐渡なんかで精錬して金の純度が上がったら、途中で山賊に盗まれますって言われて、なるほどっていうシーンがあるんだけどさ、まあまあちょっとだけ精錬した状態で江戸に持ってきて、江戸で精錬して純度を上げていって金貨作ると。ここまでは流れ作業できるんだけども、で、最後刻印入れて、で、なんだろう、極印も何かしも入れるわけだよね。で、その上に最後に墨で、筆で綺麗な字で金十両みたいな風に書くんだよ。これが1番時間がかかるんだけど、めっちゃくちゃ綺麗にできた天正っていうのがその後藤家の代表作なんだよね。で、官米は、自分、江戸でも金貨作れという風に言われたんで、それとほぼそっくりのものを作ったんだよ。で、そっくりのもん作って、これどうですかって言ったら家康がボツっていう風に言って、で、ああやっぱりなんか、俺にチャンスくれると思った、やっぱりダメだったんだと思ってた庄三郎は呼び出されて。
家康に言われたのが、とりあえずこれから言うルールを守れと。まずクオリティは、秀吉が出している天正大判より上げろと。具体的に言えば天正大判の純度は75%なんだけども、最低限でも85%目指せっていう風に言われたと。金の純度上げろって言われるんだよね。地方で出す、いわゆる地方通貨のくせに。で、次に十両の大判ではない。そんなものではなくて1両の小判を作れと言われる。で、橋本はすごいびっくりして、てっきり戦国大名がさ、そのなんだろうな、自分たちの威光を示すため、威信のために大判を作るというのは当時あって、で、特に秀吉の大判はそん中でも飛び抜けてクオリティが高かった。で、同じように大きいもの作りたいんだろうと思ったけど、1両出せって言われて、なんでだろうって考えて、その後真っ青になって、で、これは貨幣戦争だ、偉いことになってしまうと。家康様はこの貨幣で日本を征服するつもりだという風なことが分かると。なんでかって言うと、十両の金貨っていうのはさ、実は使いどころがない。取引のものとして大きすぎるわけだよね。10万円札みたいなもんなんだよ。日常の取引にあまり使えないから、ほとんど流通してなくて、みんなが持ってるだけだったんだよね。それに比べて1両っていうのは、当時の大阪や、まあ江戸でも徐々徐々に使い勝手がいい通貨として一流だったんだ。
もう1つ純度を上げるっていうのは何かって言うと、当時まだ測りの時代だったんだ。測りのお金っていうのは、つまりその金の重さを測って、そこに額面としていくらって書いてるのか関係なく、そうではなくて、それがいくらの値打ちの金が入ってるのかでやり取りされていた。で、銀貨も当時秀吉が作ったものとかも今でも残ってんだけどさ、目があってポキッと折るようになってんだよね。で、銀貨もポキッと折って、その重さを測って、でそれでなんかいくらか決めるようになってきた。中国の貨幣とかさ、もう当時額面と、なんだろうな、流通する時の金額っていうのは一致してたんだけども、そうじゃなくて、ローマ金貨ですらもうなんかそうなんじゃなかったか。ローマの金貨もね、なんかね、品質が一定しないから、結局えっと1なんとか、なんだっけな、ペタグライだ、なんか忘れちゃったけども、その単位で書いてあるんだけども、実際は商人たちがその重さを測ってやってたんだ。で、家康が狙ってたのは、1両というのが本当に1両の値打ちがある小判を出すことだったんだ。で、大判の値打ちが十両って書いてあっても、それより金の含有が高い小判を出せば、1番最初はその小判10枚が大判1つだったのが、徐々に徐々に値打ちが変わって、小判8枚で大判1枚の価格になると。しまいにはそんな大判なんていうのは早いうちに売ってしまって、で、家康が発行した小判だけを持っていようという商人が増えるに違いない。実際そういう風になったんだけど、こういう風なところまでを考えての家康の貨幣政策だと主人公びっくりして、で、それに混ざっていって、自分を低く扱ってきた後藤家に最後はひどく復讐するっていう、なんかね、めちゃくちゃすっとする話なんだよね。江戸時代の話で戦国武将ものとして読めるんだけどさ、ビジネスものとしてめちゃくちゃ面白い。
第3部の「飲み水を引く」って。飲み水を引くっていうのはさ、またさっきと同じような水路の話みたいなもんかと思ったら、江戸にどうやって飲み水を行き渡らせるのかと。中心の話っていうのは井の頭と呼ばれる、いわゆる井の頭公園の湧水だよね。井の頭公園。井の頭っていうのは井戸の頭。つまり江戸で1番いい水であるという意味なんだ。で、武蔵野っていうのがまあ一応武蔵の丘陵だから、ちょっと高台で江戸に向かってゆっくりと下がっていくわけだ。で、ここでなんかこう井の頭から出てきた水が江戸の方へ流れていくわけなんだけどさ、途中途中でこんな風にゆっくりと本当に下がってるわけじゃなくてさ、こう登ってる土地もあるわけなんだよね。一応全体としては水圧がこう、ここよりは低いんだけども、江戸の街も平らじゃないんだからさ、山、谷ありなわけ。この山のところにどうやって水を行き渡らせるのかって話とかがあってさ、なかなか面白かったよ。
これのね、升っていう新方式が開発されたと。升っていうのは何かって言うと、地下に水路を作るんだけどさ、地下に水路を作る時に、こう一直線作るんじゃなくて、途中でこういう場所を作ると。で、水がどんどんどんどん入ってきたら、すぐに流すんじゃなくて、水位がだんだんだんだん上がるところまで行ってから、こちら側の水へ流すっていうような仕掛けをそこら中に組み置くことで、井の頭の水をこういう風にのこぎりの歯のようにして分配していきましょうというシステムね。で、この升システムっていうのがものすごく面白い。江戸の町で採用された発明として書いてあったんだけども。よいしょ。まあ、これが第3部、「飲み水を引く」。
第4部の「石垣を積む」っていうのはさ、和歌山県の石掘りの話でさ、和歌山のなんか、山の奥の方でめっちゃいい石が見つかったと。で、石を切り出して戦国武将に売り付けて、で、石垣を作るっていうのよくあったんだけど、その石を掘り出すやつが主人公なんで、そいつがなんかね、山の下の方ですごい綺麗な石見つけた。これ上の方へ行ったらいい石があるに違いねえと思って、石切り出し職人としてガーっと上の方へ登っていった。まだもう17歳か18歳ぐらいだね、主人公。17歳か18歳ぐらいの主人公が、天才的な石見という風に言われて、それで登ってったら、山のさ、山肌一面、壁一面、岩壁一面が、山の壁面一面が1枚であることに気がついたんだ。で、えって思って、これ
すごい石が切れるぞっていうことで、爆薬をずっとくてドンって爆破させたらさ、綺麗に山肌がボコっと外れて1枚の岩のままでガーっとキノまで落ちてくるんだ。で、こんなのどうやって運ぶんですかと言われたら、いや、いずれなんだろう、ここにも港ができて、あの、これを運ぶ技術が開発されるに違いないっていう風に言って、で、本当にそれ江戸城の石垣に使われるまで50年ぐらいかかるんだよ。そいつがじいさんになって目が見えなくなってようやっと石垣の真ん中辺の鏡石としてバシンとはまりましたっていうなかなかの感動ストーリーが第4部「石垣を積む」なんだけどさ。
で、第5部が「天守を起こす」、天守閣の天守だよね。えっと、で、これね、主人公がね、家康じゃなくて息子のね、秀忠なんだ。で、秀忠はものすごい合理主義で家康に育てられてさ、で、戦国物ではよく通い息子とかあんまりできない息子みたいに扱われることがあるんだけど、実際すごい秀才だったらしいんだよね。
で、彼が言うにはもう天守閣なんかいりませんと。よくよく考えてください。天守閣をちゃんと使った武将いますかと。天守閣って実は使えませんよ。天守閣を唯一使ったのは織田信長様だけです。織田信長様だけは天守閣の中になんかもう襖絵とかもバリバリに貼ってそこの中にベッドも引いてゴロゴロ寝てました。でもあの人は気違いでしょ。あんな気違いしか天守閣使わないんですって。秀吉さんはどうでしたか?めっちゃ立派な大阪城天守作ったけど結局二条城とかなんか伏見城とかもうすごい住みやすいとこに行って天守全く使わなかったでしょって。天守閣もういらないんですよって。どうしても戦国時代みたいに櫓が必要になったら物見櫓立ててください。天守閣いりませんよと。今更天守を立てようというのが戦国時代がまだ終わってないっていうことの象徴にしかなりませんから、もう天守やめちゃいましょうっていうのに対して、秀吉が、あ、家康が、いや、それでも天守が要ると。で、それも色は白にしろっていう風に言った。
で、なんで白なんだと。戦国なんか天守閣と言えば黒だろう、白と言えば黒だろうという時代になんで白という色の天守閣が必要とされたのか。それを家康の心が、秀忠はようやっと後になって分かったっていうのが第5章でさ、まあ面白いよ。
えー、是非さ、信長家を立てる。あ、江戸を建てるだよね。あの、なかなかね、さっきも言ったように小説としては面白くない。小説家として面白くないな。小説としてはうまくない。文章がうまくないんだけど、その分お話としてはすごいダイレクトに入ってきて、なんかすごいテレビドラマ見てるみたいな感じだから是非買ってください。え、じゃあこれの何が面白いのかとか、こっから先どういう風に読めばさらに面白くなるのかっていうのを限定の方で話してみようと思います。
はい、お疲れ様でした。今日の無料動画ここまでです。あの、読書というとですね、今年2026年の4月ですね、『本を読めなくなった人たち』というですね、新書を書いた稲田豊史さんというですね、作家さんとですね、対談したんですけど、そこでですね、これから先本を読むという行為は限られた人だけのですね、ちょっと変わった趣味になるという、ま、そういう話したんですね。
で、そういう意味ではですね、読書というのは脳みそを鍛えるためのジムであるというですね、理屈に、ま、より近づいていくのかもしれないですね。え、まあまあだってね、トレーニングジムでガチガチに筋肉鍛えるっていうのも考えてみれば、あの、限られた人たちのちょっと変わったお遊びというか趣味ですし、脳を鍛えるというのも、本読むのも例えば歴史書を読む、小説を読む、詩を読むですね。で、ま、小説の中でもラノベっぽいのを読む、歴史小説というか時代劇みたいなものを読むって、全部脳の使う場所が違うから、ひょっとしたらそのうちに脳の中のこの部分をトレーニングするにはこの本、この部分をトレーニングするにはこの本っていうような、なんかそういう文芸評論家が出てきても。評論家ではなくて文芸トレーナーですか?面白い。読書トレーナーっていう職業がありうるかもわかんないですね。ちょっと今思いつきで言ったんだけど自分でもおおって思っちゃった。
え、今後ね、読書人口はなんかこう減ってくかもわかんないんですけども、ま、ただこの脳みそを鍛えるジムという方向で考えるとですね、じゃあなんでネットじゃダメなのか、なんでネットでですね、もしくはスマホで、文字を読むだけでも読書と言えないのかとか、なんで紙の本読まなきゃダメなのかというのも割と説明しやすいですよね。
ネットっていうのはね、実にいろんな情報があってですね、その得ようとした情報の他にもですね、楽しいものが無限にあるんですね。例えて言うんならば自分のトレーニングマシンの横にですね、なんかフカフカのソファーとですね、ポップコーンとですね、ドーナツ、コーヒーですね、果てはアルコールまであってですね、まあ友達もいてですね、いやおいおい、お前もあの話に参加しないかって言ってるようなもんなんですね。それがネットの環境で文字を読むということなんですね。あらゆる誘惑とですね、並列で、自分が読んでることのなんかこうすぐ近くにいろんな情報があってリンク先があってっていうそんな中で。
え、なんだろうな、集中的に例えば本を1冊持ってですね、もしくは、ま、ダウンロードしてでもいいんですよね。それだけを持って喫茶店に行ってですね、もしくは、ま、なんか落ち着いた場所で公園でどこでもいいです。本を読むっていうのはなんかその専門のジムに行って筋肉を鍛えるみたいですね。ストイックな体験になってこれで面白いんじゃないかなと思います。
え、さて今日見てもらったですね、動画の続きは有料会員のみの配信になってるんですけども、どんな話してるのかというとですね、途中まで話した『家康、江戸を建てる』という本の紹介に続きですね、あの、『豊臣兄弟』でもですね、家康というのがどんなに面白い人物かってのが徐々に徐々に明らかになってきてるんですけど、あの人やっぱりね、面白いのはもっと街づくりとかですね、そういう構想の部分がすごい面白いんですね。だからそこら辺をですね、味わっていただきたいと思います。
あと日本の識字率ですね。文字を読める能力ですね。これの高さはですね、石油とか鉄とかあとレアアースとかと同じように資源だっていう話をですね、してるんでちょっと聞いてみてください。あとアメリカの読書事情についての話とかをしてます。続きを見たい人はですね、YouTubeのメンバーシップとニコニコのブロマガチャンネルどちらか参加してご覧になってください。え、それではまた次の動画でお会いしましょう。じゃあまたバイバイ。
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