岡田斗司夫が語る「ネットは読書の代わりにならない」仮説と立ち読みによる本の選び方

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概要

岡田斗司夫はよく「紹介する本はどれも面白そうだが、どうやって見つけているのか」と聞かれるという。この動画は、2016年10月9日に配信した「岡田斗司夫ゼミ」第147回を「読書の秋」に合わせて再編集したものだ。前半では、なぜネットだけでは足りないのかという仮説を立て、自分の本の選び方と読み方を具体的に説明する。後半では、その方法で見つけた一冊として『家康、江戸を建てる』を詳しく紹介する。最後に2026年時点の追加コメントとして、読書が「脳を鍛えるジム」のような限られた人の趣味になっていくという見通しを述べている。

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減る書店と大型化する書店

岡田は本を読む人が減っていることを「ひしひしと感じている」と言い、書店数の推移を紹介する。1999年に約2万2000店あった書店は、2015年には約1万3500店まで減った。15年ほどで全体の3分の1ほどが消えた計算になる。毎年300〜500店が閉店しており、平均すると日本から1日1〜2店の本屋がなくなっている、という数字だ。

一方で、店舗数は減っていても売り場面積の合計はむしろ増えているという統計もあるという。大型書店が増え、町の小さな本屋が潰れている。つまり書店の集中化が進んでいるというのが岡田の見立てだ。これを商店街のおもちゃ屋が消えて、トイザらスやAmazon、ヨドバシのような大型店・通販に買い物が集まった流れと重ね、「たぶん小売業は全部そういうふうになっていく」と推測している。原因がネットなのかAmazonなどの通販なのかについては、いろいろな説がある、と触れるにとどめている。

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「読書は必要か」から始める理由

読書の話をすると、そもそも読書は必要なのかという問いに行き当たる、と岡田は言う。本を読むには時間もお金もかかり、効率的ではないという考え方もある。ネットにあるものを読めば十分だという立場もありうる。本はパッケージ産業で、岡田自身の経験では書いたものが書店に並ぶまで最低3か月かかる。だから本の情報はどうしても3か月前のものになる。

岡田は本を書く立場でもあるが、自分の中の「物書き」の部分は5%ほどで、残り95%は読む側だと言う。アニメを作っていた頃は作る側8割、見る側2割だったのと対照的に、何冊著作を出しても本については読み手の立場から話すことになる、という自己認識だ。

そのうえで岡田は「ネットは読書の代わりにならない」仮説を立てようとする。「ネットがあれば十分」という主張は直感的に受け入れられやすく簡単だが、「本を読め」という主張には自分でもなぜそう思うのか説明がつかない。だから逆の側を考えてみた、というのが出発点である。

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検討した5つの仮説

岡田はよく言われる理由を5つ挙げ、1つずつ吟味していく。

1つ目は「出世する人は本を読んでいる」という説だ。岡田は、これは立証不可能で、本を読まずに出世した人もいくらでもいるので、あまり頼りにならないと退ける。

2つ目は「無料のデータでは差がつかない。本当に大事なものは有料のものの中にある」という説だ。1つ目より少し説得力はあると認める。ただ、ネット検索の結果は、検索する人の技術、元々の知識、教養によって全く違ってくる。どんな言葉で検索するか、どう連想を働かせて探すかに大きな差があり、センスのある人とない人の差がありすぎる。だから、これも本の方が優れている証明にはならないとする。岡田自身はWikipediaの一つひとつの項目で1時間は語れると言い、Wikipediaをネタに語るだけの放送をやってみたいという構想も口にしている。

3つ目は、電子辞書より紙の辞書の方が成績が上がるという話と同じ理屈だ。ネットではピンポイントの情報しか手に入らないが、紙の辞書なら周りの単語も目に入る。書店でも同様で、ある宗教についての本が置かれた棚の周りに「宇宙人から聞いた予言」のような本が並んでいれば、そのジャンルが怪しいものだと分かる。Amazonで一冊だけ見てもそれは分からない。

ただ岡田は、Amazonにはレビューがあるので、この説は言いにくくなってきたと考える。岡田自身のようにアンチがいる著者の本のレビューは参考にならないとしつつ、次のような経験則を語る。最悪の本はレビューが全くつかない本である。高評価ばかりでもレビュー数が少なければ知り合いが書いている可能性がある。数が非常に多く高評価ばかりなら間違いなく名作である。そして、レビュー数がかなり多く評価が極端に割れている本は、岡田の経験上だいたい9割が面白い。そういう本に星1つをつけている人のレビューは「理解できなかったんだな」と笑って読んでしまう、とも言う。

4つ目は「本当にいい情報はネットにはない」という説だ。岡田は、それを言い出したら本当にいい情報は本屋にも置いていない、と返す。たとえばSMAP解散の真相のような情報はどちらにもない。検証不可能だとして退ける。

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採用した仮説:読書は脳のジム、ネットは散歩

岡田が今回採用したのは5つ目の「読書は脳みそのジムであり、ネットは散歩のようなものだ」という仮説である。ネットはやりたいだけできて、疲れるほど歩いてしまうこともあるが、基本は眺めているだけだ。読書は少し汗をかき、単調に見えても繰り返すことで得るものがある。散歩でも得るものはあるし運動にもなるが、筋肉をつけたい人、体を作りたい人はたいていジムに行く。わざわざお金を払って体を動かしに行く馬鹿馬鹿しさも含めて、読書はそれに似ているのではないか、というのが岡田の考えだ。

ここから岡田は、ネットばかり見ていると脳の筋肉は徐々に萎縮する、と結論づける。食事にたとえれば、ネットは糖質中心の食事のようなものだ。一方で本ばかり読んでネットを見ないのも馬鹿みたいだと思う、とも言う。コメント欄の「栄養バランス」という言葉に同意し、読書をたんぱく質くらいに考えて、ネット7に対して読書3の割合を提案する。1日にネットを1時間見ているなら、本を30分読むくらいがちょうどいいのではないか、という目安である。

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電子書籍より紙の本、そして「読んだらすぐ売る」

次に岡田は具体的な読み方の話に入る。Kindleで出ている本でも、電子書籍より紙の本を選ぶという。最大の理由は、読んだらすぐに売れるからだ。電子書籍は転売できない。紙の本の5分の1くらいの値段なら電子でもいいが、そうでなければ紙の本を買ってさっさと読み、さっさと売るのが一番いいと考えている。

売らないと家の中にどんどん本が溜まる。さらに岡田は、電子書籍は「さっと読み」ができないと指摘する。紙の本なら、つまらなかったときに3分の1や4分の1だけ読んで、残りはパラパラと流し読みすることができる。電子書籍ではそれがしにくく、「後で読もう」と取っておくことになる。そういう、寿命を削り自分の心の負債になるようなものはできるだけ持たない方がいい。だから岡田は、気に入った本は買い、読み終わったら即売る方式を取っている。

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理想は立ち読み、図書館をめぐる発言

岡田にとって理想の読書は立ち読みで、雑誌もほぼ立ち読みで済ませているという。立ち読みが一番頭に入り、それ以上にどうしても欲しいものがあればお金を払って持ち帰ればいい、という考え方だ。

図書館については、自分で働いて食べていける人は使わず、貧乏な人や資料を調べる貧乏学生のために取っておくべきだと述べた。福祉の対象だと思っていたという。これにはコメントで「偏見だ」と反応があった。岡田は、本屋で立ち読みで済ませるという話の方がよほど炎上ネタだと思うけど、と笑いながら返している。貧乏でいると本を読まないスパイラルに入ってしまうので、図書館はそういう人のためにある公共のものだ、という説明である。

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立ち読みのコツ:妄想してチェックし、3つに振り分ける

岡田の立ち読みの方法は、まずタイトルと目次から中身を「妄想」することから始まる。いちいち全部読んでいたら本は読めない。気になる本があったらタイトルを見て、帯も見て、できれば目次を見て中身を想像する。そのうえで、想像と合っているかをチェックするために立ち読みする。それにはだいたい5分もかからないという。

岡田はこれを、正しい読書法としてではなく「知的訓練法」として話していると断っている。小説の読み方としてはこれではいけないと思うが、大抵の本はタイトルと目次を見れば分かるようにできている。もし分からなければ、自分が知らない世界のことが書いてあると思えばいい。読書はまず数をこなすことが訓練になる、という立場だ。

5分のチェックの結果、本は3つのカテゴリーに分けられる。

  • ボツ:読んでも分からない、またはつまらない本。岡田は「分からない」と「つまらない」を区別する。前者は面白いのかもしれないが今の自分には早い、理解できないというもの。後者は何が書いてあるかはよく分かるが自分には面白くないというもの。どちらもボツにする。
  • クリア:だいたい予想通りの内容だった本。
  • 採用:持ち帰る価値があると判断した本。

ボツとクリアは本棚にそっと戻す。採用になった本だけを家に持ち帰る。

買った日に読み、合わなければブックオフへ

採用した本は、理想をいえば買ったその日に読む。岡田によれば、本は買ったその日に読むのが一番面白く、最後まで読む率もその日がめちゃくちゃ高い。しかもブックオフは新しい本ほど買い取り価格が高い。だから、読んでもういいと思えたらそのまま売りに行く。3年後、5年後にもう一度読みたいと思った本だけを家に置く。

猶予は最大でも1週間ほどで、それまでに読まなければ売ってしまった方がいいという。本を売れない人の気持ちは、自分もそういう性格なのでよく分かると岡田は言う。そのうえで、家が本で溢れるほど一冊を最後まで読み切る可能性は低くなる、と指摘する。岡田自身、結局読まずに売った本は何百冊もあるので、気にしなくていいという。

一方で岡田は、年を取ってから昔面白かった本をわざわざ買い直していることも明かす。例として、早川書房のSFアンソロジー『ロボット文明』を挙げ、古書店で買い直してだらだら読むのも楽しみだと話す。

新刊には「憧れ本」もある。『自由はどこまで可能か』や『日本はなぜ脱原発できないのか』のような賢そうなタイトルの本を、こういう本を読める自分になりたくて買ってしまう。岡田はこの2冊自体は面白いと断ったうえで、そうした本は結局読まないことも多いと言う。美人をナンパしてお茶をしたが話題が合わなかったようなものだから、さっさとブックオフにお帰りいただけばいい、とたとえる。『7つの習慣』についてのコメントには、買ったことがあるが楽しく読むのにそれほど時間はかからない、と答えている。

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読む時間の作り方

1冊にかける時間を聞かれると、岡田は「バラバラ」と答える。わざわざ買って帰っても15分でやめることがある。1日置いたら興味が冷めて何年も読まず、そのまま売ることもあるので、0時間のときもある。逆に、最初の3分の1ほど読んで面白くなかった本が、2年ほどして自分が少し成長したら面白く読めるようになった、ということもある。

だから一冊読めなかったことで劣等感や敗北感を持つ必要はない、と岡田は言う。本選びはナンパやお見合いパーティーのようなもので、プレゼンタイムで話しては次の人に移るように、どんどん立ち読みしてダメならぱっと置いていけばいい。一番いけないのは、とりあえず家に持ち帰って積み上げ、「読まなきゃ」と自分を追い込むパターンだという。

読む時間を作るコツとして岡田が挙げるのは、500円と本を1〜2冊持ってカフェに行くことだ。スマホは家に置いていき、本を読むしかない環境を1日1〜2時間作って無理やり読む。30分や1時間かけても面白くならなかった本は、向こう5年は絶対につまらないので、帰りにブックオフに寄って「放流」すればいい。気になったらまたブックオフに行けばたいてい置いてある。岡田は吉祥寺のブックオフで、昔自分が売った本に「昔の友達に会うような感じ」で再会し、買い直していると話し、これを「キャッチアンドリリース」と呼んでいる。

なお、スタジオジブリの雑誌『熱風』がどれほど面白いかも語りたかったが、それは限定配信に回すとしている。

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『家康、江戸を建てる』:文章は下手だが話は面白い

ここから紹介されるのが『家康、江戸を建てる』である。帯には「絶賛の嵐」とあり、岡田も「確かにその通りだ」と言う。ただし小説としての評価は厳しく、「文章は下手」だと言い切る。直木賞か何かの候補になったが取れなかったと記憶しており、それも当然だろうという。小説の文章というより漫画原作のような書き方だが、だからこそ面白い、というのが岡田の評価だ。小説を書きたい人は、ここまで文章が下手なのに面白いものはなかなか見たことがないので絶対に読むべきだ、とも言う。

物語の発端について、岡田は次のように説明する。秀吉と家康が小田原の北条攻めをしている最中、二人で連れションをしていたときに、秀吉が国替えを持ちかけた。住み慣れた三河・尾張を離れて江戸に行ってくれと言われ、家康は驚きながらも承諾した。当時の江戸は毎年のように川が氾濫する湿地帯で、作物もろくに取れない寂しい村だった。岡田は、尾瀬や北海道の湿地帯のイメージだろうかと想像している。家臣団は大反対したがついてきた。家康は自分たちの都をそこに作るつもりだったが、実際に見て愕然とし、秀吉にイエスと言ったのはまずかったと落ち込むほどだった。

岡田によれば、この本には家康自身はほとんど出てこない。家康の部下たちが、どうやって江戸を作ったのかを描くプロジェクトものとして「燃えるし泣ける」作品だという。

第1部「流れを変える」:50年がかりの利根川の付け替え

第1部は、江戸を水浸しの湿地にしている、北から流れてくる利根川の流れを90度曲げるという大工事の話だ。命じられたのは、臆病で戦の手柄をあまり立てられなかった伊奈忠次である。岡田は、臆病だったからこそ治水に成功した武将として紹介している。工事は忠次の代では終わらず、息子の忠治、孫の忠克の代になってようやく常陸川への水路が完成する。家康が命じてから50年以上かかったという。

岡田が「めちゃくちゃ燃える」と語るのは第1部のクライマックスだ。上流の堰を切ると、水が一気に流れ込む。人工水路の底は粘土になっていて、赤い水が湧き上がってくる。水流が速すぎて失敗かと思ったところで白いアクが浮き上がり、水がみるみる青く戻っていく。50年かけてついに治水が完成する場面である。

その少し前の場面を、岡田は本を開いて朗読する。50年の間に社会が変わり、利根川を東へ逃がす工事の必要性は薄れていた。忠治がそう判断したのは怠慢や諦めからではなく、時代に即した合理的な判断だったと書かれている。忠次の時代なら、洪水を根本的に解決し、関東平野の耕作可能な土地を劇的に広げ、米を増やして徳川家を強くする意味があった。しかし戦国時代が終わって江戸時代になり、大名同士の戦争がなくなると、状況が変わった。新田開発で田んぼの面積は10年、20年で2倍、3倍にできても、それを耕す農民の人口は同じようには増えない。そのため、米を作ることより運ぶことの方が重要になった。生産から流通へ、社会が次の段階に進んだのである。米は重いので陸路より水路の方がはるかに楽で速い。本の中では、水路網を今日の高速道路にたとえている。

岡田はこの場面を受けて、主人公の思いが途中で曲げられ、もう必要なくなったかもしれない工事が孫の代にようやく成功する、という筋に胸にぐっとくるものがあると語っている。

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第2部「金貨を延べる」:小判で日本を制する家康の貨幣戦略

岡田が特に詳しく語るのが第2部だ。「延べる」とは「伸ばす」と書く読み方で、金貨、つまり小判を作る話である。家康は秀吉に、江戸・関東でも金貨を鋳造させてほしいと願い出ていた。そこで派遣されてきたのが、秀吉と結んで日本の金貨流通を一手に担っていた名門・後藤家の人物だった。この人物がひどく嫌味で、こんな田舎で金貨を作りたいのか、江戸のような土地にはいられない、といった態度をとる。家康は腹を立て、風邪でもひかれては申し訳ないからさっさと京都に帰ってくださいと追い返した。そして、お供についてきた身分の低い、野心で目をぎらつかせた橋本庄三郎を残し、金貨を作らせることにした。

後藤家の代表作は天正菱大判である。十両の大判で、表面に墨で「拾両」などと書かれている。岡田によれば、金貨製造で一番時間がかかるのは、実はこの筆書きの工程だという。佐渡で金を掘り、少しだけ精錬して江戸へ運び、江戸で純度を上げる。岡田は、佐渡で精錬しきらない理由として、純度を上げてから運ぶと途中で山賊に盗まれるという作中の説明を紹介している。刻印までは流れ作業でできるが、最後に筆で美しく字を書く工程に時間がかかる。

庄三郎は天正大判にそっくりなものを作って見せたが、家康は「ボツ」を出した。そのうえで家康は2つの条件を示した。1つは、秀吉の天正大判の金の純度は75%だが、最低でも85%を目指せということ。地方通貨にもかかわらず純度を上げろというのである。もう1つは、十両の大判ではなく一両の小判を作れということだった。

庄三郎は、戦国大名が権威を示すために大判を作っていたので、家康も同じように大きなものを作りたいのだと思っていた。しかし一両と言われて理由を考え、真っ青になる。家康はこの貨幣で日本を征服するつもりだと気づいたのだ。岡田の説明によれば、十両大判は取引に使うには大きすぎる。10万円札のようなもので日常の取引にほとんど使えず、流通せずに持っているだけのものだった。一方、一両は大坂や江戸で使い勝手のいい通貨として流通し始めていた。

純度を上げる意味について、岡田は当時がまだ「量り」の時代だったことを挙げる。額面ではなく、実際にどれだけの値打ちの金が入っているかでやり取りされていた。秀吉の時代の銀貨には折り目があって、ポキッと折って重さを量り、価値を決めていたという。岡田は比較として、当時の中国の貨幣は額面と流通価値が一致していたが、ローマ金貨でさえ品質が一定しないため商人が重さを量っていた、と話している(単位名は思い出せないと言っている)。

家康の狙いは、「一両」と書かれた小判に本当に一両の価値を持たせることだった。額面は「十両」でも実際の金の値打ちがそれより低い大判に対して、純度の高い小判を出せばどうなるか。最初は小判10枚で大判1枚だった交換比率が、次第に小判8枚で大判1枚になる。やがて商人たちは大判を早々に売り払い、家康の小判だけを持とうとするようになる。岡田は、実際にそうなったと述べている。主人公はここまでを見通した家康の貨幣政策に驚き、その事業に加わって、最後は自分を見下してきた後藤家に手ひどく復讐する。岡田はこれを「めちゃくちゃすっとする話」と評し、戦国武将ものとしてもビジネスものとしても面白いと語る。

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第3部から第5部:水道、石垣、白い天守

第3部「飲み水を引く」は、江戸にどうやって飲み水を行き渡らせたかという話だ。中心となるのは井の頭の湧き水で、岡田は「井の頭」とは井戸の頭、つまり江戸で一番いい水という意味だと説明する。武蔵野台地は江戸に向かってゆっくり下っていくが、途中には登っている土地もあり、江戸の町自体も起伏がある。高いところにどう水を届けるかが課題になる。そこで作中に登場するのが「升」という新方式だ。地下水路を一直線に作るのではなく、途中に溜め場を設け、水位が上がってから次の水路へ流す。この仕掛けをあちこちに組み込み、水をのこぎりの歯のように段々に配っていくシステムで、岡田は江戸の町で採用された発明としてものすごく面白いと話している。

第4部「石垣を積む」は石切り職人の話だ。岡田は和歌山の山奥で良い石が見つかったという設定として紹介している。17〜18歳の天才的な石工の主人公が、山の下の方で美しい石を見つけ、上にはもっといい石があるはずだと登っていく。すると、山の岩壁一面が一枚岩であることに気づく。爆薬で発破をかけると、岩肌がきれいに一枚のまま外れて麓まで落ちてきた。こんなものをどう運ぶのかと聞かれた主人公は、いずれ港ができて運ぶ技術も開発されるはずだと答える。実際にその石が江戸城の石垣の中央の「鏡石」としてはめ込まれるまで50年ほどかかる。主人公が老人になって目が見えなくなった頃に、ようやくその日が来るという筋で、岡田は「なかなかの感動ストーリー」と紹介する。

第5部「天守を起こす」の主人公は家康ではなく息子の秀忠である。岡田によれば、秀忠は戦国ものではできの悪い息子として扱われがちだが、実際はかなりの秀才だったらしい。作中の秀忠は合理主義者で、天守閣はもういらないと主張する。天守をまともに使った武将はいない。唯一使ったのは信長くらいで、襖絵を張り、寝床を敷いて暮らしていた。秀吉は立派な大坂城の天守を作ったが、結局は住みやすい聚楽第や伏見城に移って天守を使わなかった。物見櫓が必要なら櫓を建てればよく、今さら天守を建てるのは戦国時代がまだ終わっていないことの象徴にしかならない。こうした秀忠の主張に対し、家康はそれでも天守を建てろ、しかも色は白にしろと命じる。天守といえば黒という時代に、なぜ白い天守が必要だったのか。その家康の真意を秀忠が後になってようやく理解する、というのが第5部の内容だと岡田は説明する。

岡田は改めて、小説としては文章がうまくないが、その分話がダイレクトに入ってきてテレビドラマを見ているような感じだとまとめ、購入を勧めている。この本の何が面白いのか、どう読めばさらに面白くなるのかは限定配信の方で話す、として無料部分は終わる。

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2026年の追記:読書は「限られた人の変わった趣味」になるのか

再配信にあたって、岡田は2026年時点のコメントを加えている。この年の4月、『本を読めなくなった人たち』という新書を書いた稲田豊史と対談し、これから先、本を読むことは限られた人だけのちょっと変わった趣味になる、という話をしたという。

岡田は、そう考えると「読書は脳を鍛えるジム」という2016年の理屈にますます近づいていくのかもしれない、と言う。トレーニングジムで筋肉を鍛えるのも、考えてみれば限られた人のちょっと変わった趣味だからだ。さらに、歴史書、小説、詩、ライトノベルっぽい小説、時代小説などは、それぞれ脳の使う場所が違う。だから「脳のこの部分を鍛えるにはこの本」と指南する「読書トレーナー」という職業がありうるかもしれない、と岡田は言う。今思いついて言ったが自分でも「おおっ」と思った、と付け加えている。

この「ジム」の見方をとると、なぜネットやスマホで文字を読むだけでは読書といえないのか、なぜ紙の本を読むべきなのかも説明しやすい、と岡田は考える。ネットには、得ようとした情報の他にも楽しいものが無限にある。それは、トレーニングマシンの横にふかふかのソファ、ポップコーン、ドーナツ、コーヒー、果てはアルコールまであり、友達が「お前もこっちの話に参加しないか」と誘ってくるようなものだ。あらゆる誘惑やリンク先と並んだ状態で文字を読むのがネットの環境だという。対して、本を1冊だけ持って、あるいはダウンロードした1冊だけを持って喫茶店や公園のような落ち着いた場所で読むのは、専門のジムで筋肉を鍛えるようなストイックな体験になる。岡田は、それはそれで面白いのではないか、と締めくくっている。