所持品はCBDだったのに「大麻」で逮捕――なみちえが語る13日間の勾留、うつ病、そして国との裁判

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概要

ラッパーで着ぐるみ作家のなみちえは、約5年前、東京・渋谷の立体駐車場で職務質問を受け、大麻所持の疑いで現行犯逮捕された。本人によれば、持っていたのはCBD製品で、違法な薬物ではなかった。尿検査の結果は当日に陰性と出たが、勾留は13日間に及んだ。なみちえは後に国家賠償請求訴訟を起こし、東京都には勝訴した。国との裁判はまだ続いている。

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街録chのこのインタビューで、なみちえは逮捕の経緯をたどり、それがその後の人生と心身にどう影響したかを語った。話はガーナ出身の父と日本人の母のもとで育った生い立ち、着ぐるみ制作とラップの原点、「ミックス」として目立つことへの葛藤、ポストコロニアリズムへの関心にも及ぶ。本人は、人種や外見、ラッパーという肩書きが重なったことで警察の偏見を招いたと考えている。

駐車場で車を降りた直後に囲まれた

逮捕された日は日曜日で、渋谷のライブ会場でリハーサルを済ませてから出演する予定だった。なみちえは車で渋谷に入り、立体駐車場の5階に車を止めた。到着は午前10時40分頃だったと振り返る。

車を止めてドアを閉めた瞬間、5メートルほど先にすでに警察官がいて、自分を目がけて近づいてきたという。まるで前から目をつけられていたかのような動きだったと本人は感じている。わざわざ立体駐車場の5階まで追ってきたのかどうかは、本人にも分からないままだ。

追われている感覚はなかった。ただ、人生初の職務質問をその2か月前に同じ渋谷で受けていた。本人はそれを「予習」と表現し、その経験があったから今回はスマートフォンで動画を撮影できたと話す。やりとりは全体で40分ほど続き、撮影できたのはそのうち10分ほどだった。

動画の中で警察官は、手巻きの「ジョイント」を指して「検査すれば分かるんだから自分の口で言ってよ」「自分で持ってたのに分からないわけないでしょ」と繰り返し、「ジョイント自体は大麻だから」とも言っている。男性警察官は「もう分かってるんだから言い訳するな」という強い調子で迫り、女性警察官はため口で「分かったね、いいね」と話しかけてきた。なみちえはこれを不愉快だったと言い、自白を強要しようとする脅迫に近いものだったと受け止めている。

CBDとは何を持っていたのか

ポケットを調べられたとき、なみちえはCBDのリキッドを持っていた。問題になったジョイントは、ある会社からCBD商品の告知(PR)を依頼されて送られてきたものだった。

なみちえの説明では、CBDを厚生労働省の認可を受けて輸入するには、葉の状態ではなく、オイルや液体の状態でなければならない。そのため手元の商品は、別のハーブにCBDオイルを垂らしたもので、それを紙で巻いたのがジョイントだった。本人は国の法律を守るという意味でも、CBDを違法なものとは認識していなかった。

それでも警察は、ジョイントという形と匂いから怪しいと判断した。違法ではないジョイントが販売されているという知識が警察になく、「ジョイント=大麻」と結びつけてしまったのではないか、となみちえは推測する。この理屈なら手巻きタバコも疑われかねないと述べ、警察の偏見の強さを感じたという。

「青紫」と判定された簡易検査

現場では試薬による簡易検査が行われた。警察官は、3つの試薬を混ぜて2層に分かれ、下の層が青紫になれば大麻の反応だと説明した。そのうえで「2層に分かれて、下の色が青紫になってるから」と告げ、時刻を読み上げて現行犯逮捕を宣言した。

なみちえは、あれを青紫と言うなら警察官は色覚に問題があるのではと思うほど、基準とは明らかに違う色が出ていたと振り返る。インタビュアーも映像を見たうえで同じ感想を述べている。本人によれば、色を真剣に見る気はなく、逮捕を前提とした聞き取りだった。警察の力を使えば、何も持っていない人を犯罪者にし、存在しない薬物を作り出すことができてしまう。この体験から、国家権力が暴走していると感じたという。

なぜ自分に疑いの目が向けられたのかについて、なみちえは「レイシャル・プロファイリングなんじゃないかな」と話す。肌の色が黒いこと、ドレッドヘアであること、ラッパーでありアーティストであること。ラッパーは職務質問を受けやすく、その様子を撮影した動画もよく見ていたという。仕方ないとは思いたくないが、自分には目をつけられる「矢印」がたくさんあったのだろう、と本人は言う。そもそも逮捕の原因とされたCBDが薬物ではない点こそが問題だ、とも付け加えた。

13日間の勾留と、書き換えられかけた調書

勾留は13日間に及んだ。取り調べでは、駐車場で話したのと同じ内容を繰り返すだけだった。携帯電話を調べられても何も出てこないと分かっていたので、正直にすべて話したという。

ただ、供述調書の作成では、なみちえが「ジョイント」と書いた箇所を、警察側がすべて「大麻」に変えようとした。誘導なのか偏見なのかは分からないとしたうえで、本人は、簡易検査で「青」と出たものを大麻と書かせて補強したかったのだろうと見ている。

尿検査は当日に行われ、陰性と分かった。それでも勾留はさらに10日以上続き、その期間が何のためのものかという説明はなかったという。接見禁止も付いていたため、家族にも、出演予定だったライブの関係者にも、翌週の仕事相手にも連絡できなかった。

13日後に釈放されたが、無罪が認められたからではない。本人の理解では「嫌疑不十分」という扱いだった。そもそも逮捕の要件を満たしていなかったのだから嫌疑が生じるはずがない、というのがなみちえの考えだ。現場には関わった警察官が3人ほどいて、応援も含めると11人ほどが集まっていた気がすると話している。

実名報道と、伏せられた警察官の名前

報道については、国家賠償請求で東京都に勝訴した際、全国紙に名前が載ったはずだと話す。本人が引っかかっているのは記事の書き方だ。検査の手順にミスがあったから違法な逮捕になった、という書き方で、持っていたものが大麻であるかのように読めた。CBDだったとは書かれなかったという。大麻ではないものを大麻と断定し、人を逮捕してしまった、という書き方にはなっていなかった。なみちえはこれを「複雑」と表現している。

さらに、自分は実名で報じられたのに、警察官の名前は伏せられている。違法なものを持っていたかもしれないというニュアンスがぼやけたまま全国に報じられ、警察側は守られている。その不均衡が偏見を助長する流れを変えられていない、と本人は感じている。

インタビュアーは、「青紫」と言った警察官の名前こそ知らされるべきではないかと問いかけた。なみちえによれば、弁護士からは名前を出さないほうがよいと言われている。司法制度の問題が個人の問題にすり替わってしまう可能性があるからだという。

逮捕後の仕事と、発信を始めた理由

逮捕の影響は、まず精神面に出た。裁判を起こすかどうか1年ほど悩み、その間は仕事があまりできなかった。人が怖くなり、「この人たちは全員嘘をつくし、偏見の目を持っているし、自分のことを都合のいいようにしか切り取らないんだろう」と感じるようになった。警察という国家権力に心を壊された感覚だったといい、人間不信は今も続いている。

それでも今年からさまざまなYouTubeチャンネルに出演しているのは、サポーターを得て、このことを広めたいからだという。自分以上につらい思いをした人もいるはずで、そういう人の参考になるよう発信している。

ガーナ人の父と、10人で暮らした茅ヶ崎の家

なみちえは神奈川県茅ヶ崎市で生まれ、現在28歳。父はガーナ出身、母は日本人だ。当時、父は産業廃棄物処理の仕事をし、母は主婦だった。家にはいつもクレヨンがあり、母がいつでも絵を描かせてくれたので、絵を描くのが好きになった。クラスでは足が速くて絵がうまい子だったという。

9歳のとき、祖父に岡本太郎美術館へ連れて行かれ、「お前はここで芸大を目指すんだぞ」と言われた。本人はこれが大事な出来事だったのかもしれないと振り返る。家はもともと三世帯・10人暮らしで、母の弟夫婦も同居していた。その後、弟夫婦が隣の土地を買って世帯が分かれたが、今も祖父母と同居している。なみちえはこの家を「アフリカのファミリーみたいな構造」と表現する。

父は日本語が流暢だ。なみちえは、アフリカでは部族の言葉と植民地支配の言語を併用して育つため言語の習得がうまい人が多いと説明する。アシャンティ(アカン)系の父は、部族の言葉であるトゥイ語、英語、日本語を話す。ガーナの国立大学を卒業し、オックスフォード大学に留学したが戻ってきたと聞いているという。一緒にガーナを訪れた際、父の学生時代に関わる話としてシリアのダマスカス大学の名前も出てきたそうで、いくつかの国を経由して日本に来たらしい。

家計については、祖父母がかなり稼いでいた一方、両親はそれほどではなく、結果的に中流階級だったと話す。祖父は会社員で、祖母は茅ヶ崎で初めての女性タクシー運転手だったという。

着ぐるみは「自分を隠す鎧」だった

着ぐるみを作り始めたのは13歳頃だ。最初は衣装として作りたくなり、作り方を調べてひたすら作った。着ぐるみは「マルチ総合アート」ではないかと直感したのだと思う、と本人は振り返る。現代アートとして発表するときは、着ぐるみを「自分を隠す鎧」として扱っているという。

その背景には外見がある。日本人なら陰に溶け込める場面でも溶け込めず、目立ってしまう。今回の逮捕もそうだった、と本人は結びつける。中学時代には、廊下で少し触れただけで「汚ねえ」と払いのけるような、人種差別的な行為をしてくる同級生がいた。それは今もトラウマになっている。2年前にふと思い出して「あれは差別だったのではないか」とメールを送ると、心からの謝罪が返ってきたそうで、本人も自覚していたのだと分かったという。着ぐるみにたどり着いたのは、楽しいからというだけでなく、自分を守るためでもあったのだろうと、なみちえは考えている。

子どもの頃から哲学的なことを考えていたという。たとえば、植民地主義的な観点では「アフリカの人はIQが低い」と言われる。しかしIQでは測れない身体性(フィジカリティ)は数値化されていない。IQで人を測る仕組みは、植民地支配で特権を得る側にとって都合のいいものではないか。こうした既成概念を疑う姿勢が身についた一方で、それが頭の良さなのか考えすぎなのかは自分でも分からないという。逮捕の瞬間にとっさに撮影できた瞬発力も、IQでは測れないフィジカリティかもしれない、と本人は付け加えた。

高校生で着ぐるみを売り、芸大一本で受験

材料は近所のホームセンターで集めた。1体につき2〜3万円ほどで、小遣いで賄った。高校生になると、SNSで見た人からDMなどでオーダーが入るようになり、オーダーメイドの着ぐるみを販売した。材料費と人件費から自分で値段を決め、大きさによっては最大で数十万円になった。その収入で自分で海外にも行ったという。母が文化服装学院の出身で縫製ができたこともあり、「父と母のいいところで生きている」と本人は言う。好きなものではなく注文されたものを作る経験で鍛えられ、大学に入る前に基礎はある程度できていたと振り返る。

中学では美術部だった。高校では着ぐるみ制作のために早退することもあり、成績は良くなかった。一方で、NHKなどから「着ぐるみを作る高校生」として取材を受けていた。SNSはかなり若い頃から使い、着ぐるみや絵を投稿する趣味のアカウントが、そのままアーティストとしての活動につながっていった。

9歳の時点では、岡本太郎にならって油画科を目指していた。しかし高校2年のとき、新しい学科である先端芸術表現科を知り、マルチメディア的な自分の活動が一番伝わると考えた。受験ではそれまでの経歴や着ぐるみ作品の写真をポートフォリオとして提出し、それが合格の要因になったという。センター試験にどれほどの学力が必要かも分かっていなかったが、浪人覚悟で東京藝大だけを受けた。兄が複数の美大を受けて受験料に何十万円も払うのを見ていたからだ。16〜18歳で自分で稼ぐようになり、お金への意識が変わって、家族に迷惑をかけたくないと思うようになったという。

8歳で初めて見たガーナと「種類の違う貧しさ」

初めてガーナを訪れたのは小学2年生、8歳の頃だ。赤土が広がり、地面からして違うことに驚いた。日本では柵の中にしかいないヤギなどが放し飼いにされている自由さが面白く、ずっとヤギを捕まえていたという。

経済について、なみちえは、ガーナの都市部には日本より物価が高いところもあると話す。そもそも「発展」という概念に懐疑的になり、先進国はどこに向かっているのだろうと思うようになった。ガーナが貧しいという印象は受けなかったという。

ガーナには数百人の日本人がいて、スラムの改善に取り組む人や、チョコレートをあまり食べないガーナ人に食べてもらおうとする人もいる。なみちえが問題視するのはカカオの構造だ。カカオは国に管理されていて、ガーナ人が個人で売買できないほどになっているという。チョコレートはガーナ人が作って食べるものではなく、外の人が楽しむ商売道具になり、国が利益を取っている。本人はこれを植民地支配的な構造と捉え、輸出のためのそれがフェアトレードと言えるのかと問う。これは大人になってから気づいたことだという。

日本とガーナでは貧しさの種類が違う、と本人は考える。ガーナでは停電や断水が起きると、バケツ1杯の水で体を洗う。その能力はシャワーでは得られないものだった。日本に帰ると、水を流しっぱなしにすることに罪悪感を覚え、日本でもバケツを使おうと思うほど変わったという。寛容にもなった。父の知人の宿泊先で、日本のものより黒くて大きなゴキブリが出たとき、相手はなみちえのサンダルでそれを叩いた。本人は腹が立つどころか、面白くて笑ってしまったという。

ガーナでも、なみちえは肌の色が違うため目立った。市場に行くだけで子どもが数十人集まってくる。日本で日常的に受けてきた経験の「ガーナ版」を受け、自分は「カオス度」が高い人間なのだと感じた。いい意味で馴染めなかったが、その立場を利用して、下手でも現地の言葉を話し、直してもらいながら覚えたという。

目立ちたいのか、目立ちたくないのか

「ミックス」として目立つことについて、なみちえは「目立ちたいけど目立ちたくない」が両立していると話す。着ぐるみを着て目立つのはいいが、素の自分はそれほど目立ちたくない。今のラッパーとしての姿については、目立ちたいのかどうか自分でもまだ分からないという。

逮捕の件を広めるために人前に出ることは、作品で目立つこととは違う、と本人は言う。自分が目立ちたいからではなく、国家権力の横暴を伝えるために必要な場面で人前に出る。それを使命であり、仕事だと思ってやっている。

本人は「エントロピー」という言葉も使う。熱機関のために生まれた概念だが、本人はまだ調べている途中だと断りつつ、「混沌の度合い」と解釈している。芸術であれこれ手がけ、逮捕され、波乱万丈に生きてきた自分は混沌としたタイプだと気づいた。だから無理して目立つ必要はないと思うようになった。どう目立つべきかを考えなければならないほど目立つことに敏感になっていて、この番組への出演も不安だったと明かす。出演の打診は3〜4年前からあったが、今がいいタイミングだと考えて応じたという。

ラップの多重構造――亀、玉キン、デクノボー

ラップを始めたのは19歳、藝大の文化祭がきっかけだった。影響源として挙げたのは、YouTuberのブライアン、サイプレス上野、インターネットラッパーたちだ。湘南にはスケートボード文化があり、兄がいつもラップを流していた。母はアメリカの音楽が好きだった。もともと着ぐるみはケモナーやファーリーと呼ばれるナードな界隈の趣味で、そこからボーカロイドやDTMへと関心が広がったという。インタビュアーがボカロとサイプレス上野を並べる人は珍しいと言うと、なみちえは、混沌の中から何かを取り出すのが自分の活動だと答えた。

最初にバズった曲「お前を逃す」は、最初に作った曲ではない。兄が撮影し、亀を川に逃がそうとする姿を映した作品だ。ヒップホップでは違法性、特に薬物の話がフレックス(誇示)として語られる。なみちえにとって一番身近な「違法なこと」は、亀を逃がすことだった。人生で一番悪いことといえば、兄のピンポンダッシュを止めなかったことくらいだという。投稿すると、亀好きの人から「甲羅がつやつやだから絶対に逃がしていない、ちゃんと餌をあげている」というコメントが寄せられた。

この曲には、「逃がす」と差別用語を掛けた言葉遊びも仕込まれている。亀は外来種のミシシッピアカミミガメで、移民的な存在の象徴でもある。黒人が違法なことをしようとし、それが外来種の亀を逃がすことだという構図が重なっている。最初は単純に面白いラップとしてバズり、次第にこうした意味が深読みされて評価されたと本人は説明する。

次にバズった「田村キング」は、早口で言うと「玉キン」に聞こえる。「デクノボー」は元恋人へのディスソングで、「ディック・ノー・バウ(お辞儀しない)」とも掛けていて、男性器の着ぐるみを着てラップした。NHKのために作った曲では、寿司を題材に、SDGsの「海の豊かさを守ろう」を表す言葉遊びを組み込んだ。なみちえは、ラップをしている感覚はあまりないと言う。面白いダブルミーニングが見つかったら保管しておく感覚で、見つからないときに無理に作ろうとは思わない。言葉を組み立てて独自にまとめている感じだという。

インタビュアーは、金やブランドを誇る定番のヒップホップの歌詞を「みんな同じことを歌っている」と批判し、なみちえの発想の転換を評価した。なみちえは、物事を一つの視点ではなく疑ってみる姿勢が、残念なことに逮捕後の訴訟にもつながったと応じた。周りの人の人生の節目が仕事や結婚、出産、キャリアアップであるのに対し、自分の場合は「この闇について考えなくてはならない時期」や「意味のあるアートを作らなければならない時期」が節目になっている。2021年に逮捕され、2022年から裁判を起こし、それをどう広めるかを考える。そういう生き方を本人は「苦行」と呼んだ。

重度のうつ病と、作れなくなった着ぐるみ

逮捕後には「Depression」という曲も発表している。うつ病の診断を受けたのは2023年5月頃で、重度のうつ病とされた。兆しはもっと前からあったはずで、逮捕も要因の一つだろうと本人は考えている。

なみちえは、うつ病を「脳の骨折」に近いと表現する。骨折すればギプスをしないと立てず治らないように、脳も一定期間休ませる必要がある。考えが極端に偏っているときは、気持ちの問題ではなく脳に問題があるのではないかと疑ったほうがいい、という。症状は身体にも出た。寝たきりになり、1日にトマト1個しか食べられず、体重は10kgほど落ちた。体の震えや吐き気が止まらないこともあった。回復したのかと問われると、「回復してないですね」と答えている。

ここ3年ほど、着ぐるみは作れていない。うつ病になってから物事への興味や熱が失われ、複雑な作業である着ぐるみ制作にはやる気が起きないという。お面は作れる。曲は誰かがトラックを作ってくれればアイデアはいくらでも出るので、正直簡単だと感じる。着ぐるみがどれほど大変な作業だったか、うつ病になって改めて分かったという。代わりに、伸ばした自分の髪を編んでマスクにし、顔を隠す作品を作るなど、形を変えて制作を続けている。

ガーナに生まれていたら、もう少し生きやすく、皮肉屋でひねくれた性格にはならなかっただろうと本人は言う。今は日本を危険な国だと感じ、警報が鳴り止まないような感覚をトラウマとして5年ほど抱えている。また急に警察が家に来るのではないかと考えてしまう。国家権力を使えばそういうことができると分かってしまったのが怖い、と話す。

振り返れば、逮捕前から過労気味だったという。留置所の布団で寝たとき、ほんの一瞬でも休めると感じたほど忙しかった。10代から休みなく活動し、藝大に現役で合格して首席で卒業するなど、物事が速く進みすぎた。もともと物事を深く考え込む性格で、ポジティブで明るいキャラクターではない。その状態で逮捕が重なって精神的に崩れた、というのが本人の見立てだ。逮捕がなければもっと頑張っていたかもしれないが、仕事への熱量は変わってしまった。今はお金や発表の場より、自分の健康を根本から見直したいと考えている。

勝訴しても70万円の赤字、国との裁判は継続中

東京都との裁判で認められた賠償額は33万円だった。一方で、裁判にかかった費用を差し引くと約70万円の赤字になったという。「何をしているんだろう」と思ったと本人は話す。お金が重要なのではなく訴えること自体が大事だとしつつ、本来しなくてよかったはずの裁判だという点にインタビュアーも同意した。現在は、裁判記録となった試薬の写真をそのまま使ったグッズをSUZURIで販売しており、それが今後の活動の支えになると話している。

国との裁判は2023年には始まっていたはずで、東京都との裁判と並行して進んでいる。勝てるかと問われると、SNSの反応を見ても「どう見ても青ではない」という声が多いので、勝てないのはおかしいと答えた。国民の民意が欲しいから、こうして出演しているのだという。

この件をメインテーマにした曲は、まだ作っていない。歌詞の一部に含めた曲はある。勝訴と同じタイミングで発表できれば一番いいが、ただでさえうつ病なのに、なぜブランディングまで考えなければならないのかとも思う。うつ病のときに一番考えてはいけないのがブランディングだ、と本人は笑う。自分がうつ病に気づけたのは中島という書き手の文章を読んでいたからで、自分も「これはうつかもしれない」と誰かが気づける教材になれたらいい、とも語った。

制作中の作品には、植民地主義的な視点への批判、警察批判、裁判といったテーマを盛り込みたいという。レコーディングはほぼ終わり、ミックスとマスタリングの段階に入っている。

ガーナで録ったEPとポストコロニアリズム

なみちえは昨年、ガーナに2か月半ほど滞在した。ミュージックビデオの撮影やレコーディング、人脈づくりもしたが、動物と戯れ、子どもと遊び、家族と普通に暮らして、かなり休めたという。かつてバケツの話に触れて感じた「アフリカの豊かな暮らし方」への憧れについては、当時の自分の心の貧しさが出ていたと振り返った。

この滞在で制作したEPは、トラックメイカーが全員ガーナ人だ。インタビュアーが和風にも聞こえると言うと、なみちえは、メロディーラインが日本っぽいと感じてトラックを選んだと明かした。アジアとアフリカには、西洋に支配される側だったという共通の歴史があり、似ている部分があるのではないかと本人は考えている。日本にもガーナにも、支配されていなかった頃の歴史を思い出してほしい。そう考えながら制作したという。

これはレイシャル・プロファイリングの問題にもつながる、となみちえは言う。支配する側とされる側がなんとなく存在していることのおかしさに気づくべきだ、というのがポストコロニアリズムの考え方だ。この400年、私たちは無意識に西洋化され、日本人なのに洋服を着て、侵略する側の視点で歴史を学んできた。ネイティブアメリカンの視点で歴史を学ぶことはない。それが人格形成や社会形成に大きな弊害を生んでいるので、そこを見直すことがレイシャル・プロファイリングをなくし、人種問題の解決につながると本人は考えている。

日本は地元だが「心が浮いている」

生きているうちにどこまで改善できると思うか、と問われると、なみちえは、そうしたコンセプトの曲を作り続ければ変わっていくと答えた。完全になくすのは難しくても、国によって柔軟性は違い、住む場所を変えることもできる。日本が自分にとって危険だと感じる原因ができた以上、いろいろな国を転々としながら生きるのも楽しいのではないか。今は年に何度か海外に出る生活を求めているという。

日本は地元であり、温泉も自然もあるいい土地だと思う。それでも「地元の感覚ではない」「心が浮いてしまっている」と話し、自分の心とフィットするかは別の問題だと語った。当面の目標は、生活の一部になってしまった国との裁判に勝つこと、勝訴に伴って金銭的な負担が減ること、そして心の健康を取り戻すことだという。お金持ちになりたいわけではなく、負担が減ればいい、とインタビューを締めくくった。