義手の東京藝大生・河邉宏太が語る、障害を「使う」ことと、その居心地の悪さ
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜河邉宏太さんは東京藝術大学先端芸術表現科の2年生で、21歳である。左腕は生まれつき肘の先までしかなく、装飾義手をつけて暮らしている。インタビューでは、中学からの不登校、高校の2度の退学、うつ病、アルバイトに100店舗以上落ちた経験を経て藝大に入った経緯が語られた。
話の軸になっているのは、河邉さんが自分の障害をどう扱っているかである。藝大受験では障害を意図的に前面に出した。一方で、マイノリティであることが評価につながる現代アート市場を「キモい」と言い、障害者コミュニティの中では自分の障害の軽さに気まずさを覚えるとも話す。障害を使う戦略と、それに対する違和感の両方が、本人の言葉で語られている。
「機能しない」装飾義手
河邉さんの義手は塩化ビニル製で、握手すると硬く、ビニールの感触がある。表面には藝大の同期や友人がペンで絵や文字を書き込んでいる。俳句を作る友人に書いてもらった句もあり、本人はこれを「タトゥー」と呼ぶ。指の間に火のついたタバコを挟んだまま忘れ、溶かしてしまった跡も残っている。
義手は肘の関節までを覆い、ベルトで留めているだけだ。その下にある生身の腕は、使わないので筋肉が発達せず細い。先端には指の「でき損ない」のような形がある。途中で失ったのではなく、先天的に腕が「できる途中で」止まった形だという。本人は「顔みたいで可愛いでしょ」と見せる。蒸れるのでガーゼをかぶせていて、これを「手の靴下」と呼んでいる。
河邉さんは義手の種類も説明した。筋肉の電気信号を読み取って動く筋電義手、先端のパーツをフックなどに付け替える作業用義手、肩の後ろにハーネスを通し、肩の動きでフックを開閉させる能動義手がある。河邉さんがつけている装飾義手は、名前のとおり見た目を補うためのもので、機能としては物を押さえる程度しかできない。
義手がなくても困らないという感覚
装飾義手を選んだのは、母親の勧めによる。河邉さんの説明では、途中で腕を失った人には元の感覚が残ることがあるが、生まれつきの場合は腕の先端そのものが「指先」になる。料理が好きで物を押さえることは多いが、義手の先で押さえるより生身の先端で押さえるほうが自然だという。義手を使うとかえってマジックハンドを操作しているような感覚になるので、義手へのこだわりはあまりない。服を着るのに便利だからつけている、と話す。
日常生活で不便を感じることはほとんどない。食事は片手で、器をテーブルに置いて食べる。歩きながらカップ麺を食べるようなことはできないが、困るほどではない。創作についても、大きな立体物を作るわけではなく、主に小説を書いている。身体表現についても、五体満足の役は演じられないが、自分のコンセプトでパフォーマンスをする分には自分の身体があれば十分だという。
今の義手は高校1年のころに作ったもので、子どものころは成長に合わせて何度も作り直してきた。これまでに10本ほど使ったという。義手は右手の大きさに合わせて作るが、その後も右手が成長したため、今では義手のほうが少し小さい。作り直したい気持ちはあるが、面倒で後回しにしている。作製費は五、六十万円ほどかかるものの保険が適用され、自己負担は5000円程度だという。
腕より深刻だった、もう一つの持病
生まれは東京で、2歳ごろから川崎で育った。父親は音楽関係の会社を経営していたが、両親は河邉さんが小学生のころに離婚している。父親は仕事の都合で早くから別居しており、離婚したことは後から知った。その後は正社員として働く母親に育てられ、生活に不自由はなかった。英語が得意な母親は、英語関連の仕事を2〜3年おきに変えてきて、現在は翻訳をしている。河邉さんは母親に「めっちゃ感謝している」と話した。
腕の欠損の原因は、医師にもわからないと言われている。河邉さんによれば、生まれた直後に家族が気にかけたのは腕ではなかった。詳しくは話せないとしたうえで、内臓系の別の持病があり、生まれてすぐ手術しなければ命に関わる状態だったという。そちらの対応に追われたので、腕については「手がないけど全然いけるっしょ」という受け止め方だったそうだ。特別扱いされない環境で育ったことが、自分の障害を「普通」と感じてきたことにつながっているかもしれない、と河邉さんは振り返る。
通っていたのは普通学校で、体育も鉄棒は見学したが、マット運動やサッカー、バスケットボールには参加した。差別を受けたこともある。友達の家に遊びに行こうとしたとき、「うちのお父さんがそういうの苦手だから河邉君は来ないでほしい」と断られた。小学生の言葉遊びで「生姜(ジンジャー)」と「医者(ドクター)」をもじった「ジンジャードクター」とからかわれたこともある。それでも、ひどいいじめを受けたわけではなく、幼いながら「そういう感じのやつね」と冷静に受け止めていたという。
義手のコミュニティで初めて「障害者A」になった
障害者としての自覚が生まれたのは、中学生か高校生のころだった。義手をずっと担当してくれていた義肢装具士の紹介で、上肢障害(腕の欠損や麻痺)がある人たちのコミュニティ、NPO法人ミッションアームジャパンに初めて参加したときである。
そこでは「あなたはどういう障害なんですか」という自己紹介から会話が始まった。先天性か後天性か、義手を使っているかどうかを互いに確認し合う。河邉さんはこのやりとりが苦手だった。それまでは単に「人間A」として生きていたのに、そこに来た途端に「障害者A」になった。自分がそういうカテゴリーに入っていることを初めて意識し、急に分類された感覚が「生き苦しかった」という。同じ特徴を持つ人たちと一緒にいることで安心できる面があることは、河邉さんも認めている。
100店舗以上の不採用と「頭で勝負」
母親は、義手と持病のために、息子が将来お金に困っても日雇いの肉体労働やコンビニのアルバイトで食いつなぐことは難しいだろうと考えていた。実際、河邉さんは高校時代、コンビニ、飲食店、スーパーなどのアルバイトに応募し、軒並み落ちた。「義手です」と伝えた瞬間に、「うちではそういう人を受け入れたことがないので」と断られる。数えていたら100店舗を超えていた。途中からは楽しくなり、いつまで落とされるか「ワクワク」していたと笑う。
はじめは面接まで行っていたが、そのうち電話で応募して最初に義手のことを伝えるようにした。その時点で断られることが多く、面接まで行くのは「コスパが悪い」からだ。面接に来てほしいと言われて行っても、結局は落とされることがあった。
そのため家には、勉強していい会社に入る、頭で勝負するという雰囲気がなんとなくあった。河邉さんは中学受験をしたいと言い出して塾に通わせてもらったのに、飽きて行かなくなり、受験自体を「飛んだ」こともある。
絵も楽器もできず、本と小説へ
芸術には縁がなかった。母親はピアノを弾いていたが、楽器は両手が前提なので自分にはできない。絵も下手で工作もできない。中学の美術・音楽・技術の成績は1か2だった。不登校だったことも影響しているが、手先はまったく器用ではないという。本人は自分を「藝大生で一番絵が下手」と笑う。
小さいころから好きだったのは本である。小学生で山本有三の『路傍の石』にはまり、中学生のころには太宰治、谷崎潤一郎、川端康成を読んだ。小説を書き始めたのは、中学で不登校になって時間があったからだ。小説は紙とペン、あるいはスマートフォンがあれば始められる。絵の具を買う必要がなく、始めるコストがゼロだったことも理由だという。
不登校、二度の高校退学、うつ病
不登校の理由を、河邉さんは集団行動が合わなかったからだと説明する。小学校のころから、禁止されている漫画を持ってきた、下校中に寄り道したといった理由でたびたび親を呼び出されていた。規範に合わせて生活するのが難しいタイプだったのだろう、と本人は言う。その流れで中学に行かなくなった。中学時代は家にこもって散歩をしたり本を読んだり書いたりしていて、本人いわく「割とエンジョイしていた」。
状況が悪くなったのは高校に入ってからである。学力では神奈川県有数の進学校を狙えたが、不登校で内申点がなく、レベルを落とした「自称進学校」に入った。「本当はもっと上に行けたのに、ここでも学校に行けずに落ちこぼれている」という状態が、自業自得だとわかっていてもつらかった。3〜4か月で退学し、精神科でうつ病の診断を受けて抗うつ薬を処方された。重度のADHDという診断も受けている。
8月に全日制高校を辞めた後は、通信制を探す気力もなく、翌年4月まで「中卒ニート」の期間があった。4月に通信制高校の1年生として入り直したが、現役の年齢で大学を受けるために高卒認定を取り、高2の学年で再び退学した。大学受験までの約3年間、友達はゼロだったという。
二松學舍大学で見つけた友人と、藝大への転身
現役の年齢で合格したのは、二松學舍大学文学部国文学科である。河邉さんは、夏目漱石もかつて通った文学のコアな大学だと紹介した。
ただ、ここでも授業にはほとんど出なかった。その代わり、週5で飲み会をし、週3で終電を逃す生活を送った。二松學舍で見つけた「最高の友達」とは2人でたばこを吸い、酒を飲みながら文学を語り合った。単位は1年で10も取れず、留年が確定した。先生の質は非常に高かったが、学生のやる気が自分と合わなかったと話している。
もう一つの理由は、文学部が研究者を育てる場所であり、創作者を育てる場所ではなかったことだ。会社員として生きていくのは無理だと確信していた河邉さんは、自分で価値を作って生きていかなければならないと感じていた。文学に触れられるのは楽しかったが、創作には直接生きなかった。
そのころ、東京大学の文学研究会というインカレサークルに入り、藝大先端芸術表現科の学生と親しくなった。その人も小説を書き、アートもしていた。「河邉も先端受けなよ」と言われ、「オッケー」という軽いノリで受験を決めた。二松學舍には2年生まで在籍した。
先端芸術表現科は「センスを先に取り、技術は後で」
河邉さんによれば、藝大の多くの専攻は、彫刻や工芸、油画、ピアノなどの技術を身につけた状態で入学し、入学後に芸術センスを磨くカリキュラムになっている。先端芸術表現科は逆で、センスのある学生を先に取り、入学後に写真、映像、工作などの技術を週替わりで詰め込む。
そのため入試では、藝大で唯一ポートフォリオを提出する。電子工作でも絵画でも、パフォーマンスでも文学でもよく、どういうテーマやコンセプトで制作したいのかを示す。倍率は7倍ほど。共通テストは3科目で足切りがなく、2割程度の得点で受かる人もいるという。河邉さんは「趣味で」6教科8科目を受けた。勝負は2次試験で、ポートフォリオ、小論文かデッサンの選択(河邉さんは小論文)、実技、面接がある。東大より難しいと言われることについて、河邉さんは、東大に入れる人は藝大に入れないし、藝大に入れる人は東大に入れない、と分野の違いとして説明した。
「星に向かって歩く」「伊達車椅子」とDOの思想
ポートフォリオに入れたのは、東大の文学研究会で知り合った友人たちとの遊びだった。道端で「お金をください」と叫んで物乞いをしてみる、四つん這いで散歩する、星に向かって歩く。こうした「本当にくだらないこと」を、受験用に書き換えたのである。
たとえば「星に向かって歩く」には次のようなコンセプトをつけた。人は区画された道に縛られていて、道を進むには目的地がなければならない。Googleマップのピンが立つ場所しか目的地にできない。では、届かないけれど確かにそこにある星に向かって歩き続けることは、何を意味するのか。河邉さん自身はこれを「意味わかんないこと」と笑いつつ、写真などの記録とコンセプト文をまとめ、面接で説明した。
こうした活動のきっかけも友人だった。制作の手伝いを募集していた友人を手伝い、その友人が次は星に向かって歩きたいと言った。友人が「お前もやりたいことがあったら手伝う」と言ってくれたので、河邉さんは「伊達車椅子」をやりたいと答えた。歩ける人が伊達眼鏡のように車椅子を使うパフォーマンスである。ほかの友人も四つん這いで歩きたいなどと言い出し、全部やろうという流れでアーティストグループのような集まりができた。何でも意味と価値があるのではないか、という考えはその瞬間に生まれたという。
河邉さんは、コンセプトに価値を置く現代アートでは、コンセプトを書き換えればあらゆる行為(do)を芸術として解釈できるのではないかと考え、これを「DO」と呼んでいる。ただし、自分に芸術的センスがあるとは思っていない。自分がやっているのは言語の上で屁理屈をこねることで、その言葉の力は幼少期からの読書で培ったものかもしれない、と話す。
通信を表す紙のメガホンと、乾燥エビの小論文
実技試験の課題は「通信について表現しなさい」だった。縦長の封筒が1人200枚配られ、切っても貼ってもよい。試験時間は6時間ほどで、途中でご飯を食べる。工作ができない河邉さんは、置いてあった長方形の厚紙を丸めてメガホンにし、側面に封筒を貼った。
説明の中心は色である。メガホンの口元を紫に塗り、外側に向かって赤や青に分かれていくようにした。自分の言葉は紫だが、紫は人によって青っぽくも赤っぽくも見える。メガホンから言葉が広がるにつれて、赤っぽく解釈されたり青っぽく解釈されたりする。河邉さんは実際にはもっと詳しく説明したという。
小論文では、エビフライほどの大きさの乾燥エビが2匹配られた。地球の生物を何も知らない火星人でも、これを見れば生物らしいこと、しかも死んでいることがわかるはずだ。なぜわかるのかを説明せよ、という問題だった。試験会場は甲殻類の匂いでいっぱいだったという。
河邉さんは、奇抜な発想で受かる道と、模範解答のような内容を誰よりもきれいな文章で書いて受かる道があると考えた。文章には自信があったので、正攻法を選んだ。目のようなものがあり、対称に並んだ線状のものは足だろう。2匹はほぼ同じ形をしているが、自然界で生物以外にこういうことは起こりえない。生物は生殖によって自分をコピーするからだ。こうした内容をまっすぐに書き、合格した。
障害で「塗りつぶした」受験戦略
河邉さんは、合格の理由を作品の面白さだけに帰していない。現代アートでは作家性が重視され、どういう背景を持つ人がどんな作品を作ったかまでがセットで評価されがちなので、マイノリティは強い。そう聞いた河邉さんは「じゃあ俺受かるやん」と思い、ポートフォリオを「障害一本で塗りつぶした」。
伊達車椅子についてはこう説明した。歩けるのに車椅子で移動すると、後ろ指を指される。つまり足がある人は、車椅子という移動手段を選べなくなっている。杖も普通は足腰が悪くなければ使わない。赤ん坊が四つん這いなのは二足歩行ができないからとされるが、二足歩行できる人は四つん這いも杖も車椅子も選べない。いちばん制限されているのは健常者ではないか、という問いである。
メガホンの紫も障害と結びつけた。両腕がない友人から見れば自分は健常者に近いが、健常者の中にいれば障害者である。重度の障害者と健常者の中間にいる自分は、赤と青の間の紫だ、という説明である。面接でも障害者であることを伝え、教授に「障害者か」と思われて受かった、と河邉さんは振り返る。聞き手が「キャラ付けと作品の神話性がはっきりしている人が受かるのか」と尋ねると、河邉さんはそうだと思うと答えた。美術市場で成功する村上隆のような人も、キャラ付けと説明がうまい人だという。
マイノリティが強い市場は「キモい」
それでも、マイノリティが強いという現代アートの傾向を、河邉さんは「あんまり良くない」と考えている。キモいのは作家ではなく市場であり、鑑賞者だという。健常者と障害者、ストレートとLGBT、男性と女性の作品を並べて、マイノリティの側を評価する見方のことである。
先端芸術表現科には、ろう者、難聴、麻痺のある人、いわゆるハーフなど、マイノリティの背景を持つ学生が多い。美術予備校では「君の障害使えるじゃん」「このバックグラウンドで作品作れないの」と言われることもある。それをきっかけに作品を作り、表現が広がっていくことは、個人にとっては良いことだと河邉さんは認める。しかし全体として見ると「キモい」。聞き手が、受け手が反応してしまうのは仕方ないのではと言うと、河邉さんは、仕方ないが最終的にはそういうものがない社会がいい、と答えた。
河邉さんが思い描くのは、自分が義手をアピールして注目を集めた結果、義手が目立つアイデンティティではなくなる社会である。本人も「それは理想的すぎる」と付け加えた。
乙武洋匡の不倫騒動と、「全員に義手の友達がいる」状態
河邉さんは乙武洋匡さんが好きだという。ABEMAの番組で乙武さんが普通にコメンテーターの一人として出ていることを「すごいこと」だと感じている。とくに乙武さんの不倫騒動には「ものすごく感銘を受けた」。障害者とセックスは切り離して考えられがちだったが、障害者でもモテて不倫もする、という今までにない障害者像を示してくれたと感じたからだ。普段のテレビ画面に障害者が映っていること自体、数十年前には考えられなかった、とも話す。
河邉さんはモデルの仕事もしている。障害者モデルの事務所には所属せず、あるカメラマンが撮る可愛い女性やダンディな男性のモデルの中に、義手の自分が普通に並ぶ。社会の場面にただ存在しているだけで、障害者が普通のことになっていく、という考え方である。
周りの人間関係についても同じことを言う。普段一緒にいる人は、河邉さんが食事や制作をする様子を見ているので、「お風呂のときは外すの」といったことを今さら聞かない。話しているうちに義手であることも忘れる。一方、義手の友達がいない人は、「義手の藝大生」というサムネイルを見て、義手への偏見やバイアスからクリックする。河邉さんの友人は全員、一人ずつ「義手の友達」がいることになる。YouTubeのチャンネル登録者が10万、100万人になれば、100万人が一人ずつ義手のインフルエンサーをフォローしている状態になる。河邉さんはそうなりたいと言う。
バイアスでクリックされることは、藝大に受かった理由と同じだと河邉さんは認めている。そのうえで、自分のステップアップには利用していきたいという。自分のフォロワーは、義手の人をかわいそうだとは多分思っていない。そういう人を増やしていければいい、と話す。
障害者コミュニティの中のヒエラルキーと気まずさ
自分に後ろめたさはないのかと聞かれ、河邉さんは、自分より重い障害の人を見ると「ごめん」と思うと答えた。ここで、先に触れた義手コミュニティでの居づらさがもう一度語られる。
河邉さんによれば、先天性は後天性より楽である。後天性の場合は元々あったものを失うショックがあり、幻肢痛もある。片手より両手がないほうが不便で、欠損より麻痺のほうがつらいこともあり、麻痺は進行する場合もある。コミュニティの中で河邉さんの障害はかなり軽い。「これつらいよね」「こういうときどうしてる」という話題で盛り上がっていても、右手があるからできてしまう、と共感しきれないことが多かった。その場でいちばん障害が軽い自分が「障害者です」と藝大にアピールして入り、義手の藝大生としてYouTuberのような活動をしていることが「ちょっと気まずい」という。
ただし河邉さんは、この気まずさ自体が差別的な感情だとも言う。相手を障害の重さで見ていることになり、「こういう障害の人」として接していることになるからだ。そのうえで、障害者のコミュニティには障害の重さによるヒエラルキーがあり、重いほうが偉いといった空気もある、と指摘した。
藝大という場所:真面目な同期と「行方不明がかっこいい」美学
一方で、藝大は居心地がいいと河邉さんは言う。マイノリティに限らず、出身地も日本各地や海外とさまざまで、異質なものを受け入れる「体力」がある。人を見る基準も多い。普通は話している相手をそのまま理解するが、藝大では、話している姿とは別に、この人の作品にはどんな姿が現れているのかに関心が向く。自分が没頭して作っているものがあるから、他人が心を込めて作ったものにも敏感でいられる。河邉さんはこれを「ある意味誠実なあり方」と表現した。
同期は24人で、尖った人は少なく、仲が良く真面目な学生が多い。授業に前のめりで参加し、フィルムやパフォーマンスの課題にも質の高い作品で応える。入学前の専門が絵画、文学、ダンス、音楽、建築などとばらばらなので、マウントを取り合うこともなく、分野ごとに相談相手がいる。河邉さんは円満な学年だと話す。
ただ、河邉さん自身は藝大にもあまり通えていない。技術を入学後に詰め込む専攻なので、週5日1・2限が必修といった時間割になっており、単位を落として留年しそうだという。小学校と中学校は卒業したが、高校は2回、大学は1回辞めている。「学校を卒業した回数より退学した回数のほうが多い」と河邉さんは笑う。中卒になってしまうので、藝大を辞めるつもりはない。
大学ごとのジンクスを聞かれると、藝大は「行方不明になってなんぼ」だと答えた。就職は一番ダサく、大学院も安牌だ。制作にのめり込み、仕事やお金をどうでもいいと思っている人が音信不通になり、誰もその人が今何をしているか知らない状態が一番かっこいい。河邉さんは、これはあくまで自分の考えだと断った。
自分はそうではなく「商業作家」だという。障害をアピールして藝大に入ったのも、自分を商品としてプレゼンしたということだ。芸術家と名乗ったほうが得な場面では芸術家と自己紹介するが、本当の意味での芸術家だとは思っておらず、ビジネス寄りだと自認している。周囲には、稼ぎと自分のやりたい表現を器用に両立させている人が多い、という見立ても話した。
主席卒業、大学院、そして「職業・河邉宏太」
当面の目標は主席卒業である。卒業制作展で各専攻から1人、一人前のアーティストと認められた証として大学が作品を買い上げる「買い上げ賞」があり、これが主席扱いになる。金額は数万円程度で、教授が審査する。留年すると対象外になるので、ストレートで卒業しなければならない。河邉さんは「主席ってサムネに書きたい」と笑った。主席を取った人がその後名を上げるかについては、そうしたい人ならできる力はあると答え、美術館で展示するなど成果を上げている友人のラッパーを例に挙げた。主席を取っても富や名声に関心を持たず、自分の芸術に没頭する人もいるという。
卒業後は、東大か早稲田の大学院で文学研究をしたいと考えている。藝大で制作はできるが、文学研究もきちんとやっておけばよかったと思ったからだ。
現在は、クマ財団の支援クリエイターに採択されて奨学金を受け、家庭教師などのアルバイト、文章や写真の仕事も少しずつしている。学費、生活費、家賃をすべて自分で払っても少し余裕がある程度には稼げているという。今のまま「のらりくらり」とやっていければいいと言いつつ、一発当てたい気持ちも子どものころからある。お金は多いほうがいい。いい暮らしがしたいし、旅行もしたいし、車も欲しい。病気が多いので、何があっても大丈夫なように余裕が欲しい、という理由も挙げた。
理想として名前を挙げたのは、落合陽一さん、ひろゆきさん、乙武さんである。何で稼いでいるのか具体的にはよくわからないが、その人であるというだけで価値がある。河邉さんは「職業・河邉宏太」になりたいという。撮影や取材から始めて、河邉宏太が話しているだけで価値がある状態を目指す。展示をして美術館に作品を出すこと、今は自分で作っている本を商業出版して書店に並べること、プロの小説家やアーティストになることも挙げ、YouTuberでもいい、と付け加えた。
最後に聞き手が、障害がプラスに働いたことのほうが多い人生だったのかと尋ねた。河邉さんは「プラスに働かせた」と言い直し、せっかくだから使っておこうという考えだと答えた。障害を使うことを肯定しながら、障害を評価する市場や、コミュニティの中で障害の重さを比べてしまう自分への違和感も抱えている。インタビューはその両方を残したまま終わっている。
お願いします。よろしくお願いします。現役東京藝大生で、左腕が義手なんですか?そうです。これ義手で。
タトゥーを書いちゃったんですけど。このタトゥーは自分で書いてますか?これは友達に普通にペンで書いてもらって。これは先端の同期とか、友達にそれぞれ書いてもらって、俳人の友達に俳句を書いてもらったりとか。
「はやりにけりなカナのタトゥー」、これ関友之助っていう俳句をやってる友達に書いてもらったりとか。腕にまつわる俳句なんですね。そうです。
ちょっとこれ触ってみて。もちろん。結構硬いっすね。そうですね。これ塩化ビニルで。塩化ビニルなんすか。握手しますか?すご。よろしく。でもこう確かに握手するとビニール感あるかも。
根性焼きしちゃったんですけど。根性焼きしてる。タバコをここに挟んで持ってて、忘れてて溶けちゃったっていう。
これってどこまでが義手なんですか?これはこの肘の関節まであるんですよ。肘の関節。肘の関節まで、あとここベルトで止めてて。こっち上まくってくと、ここは肉だ。素肌だ。生身の肘まである。へえ。
どんな風に接続してくんですか?いや、これは普通に止めてるだけです、義手。そうなんです。これって取れたりします?恥ずかしい。ここが肘ですか?そうです。ここが肘の関節。普通に腕がここまであるっていう。
腕細いっすね、普通に。そう、筋肉が発達しないんですよ。そうなんすね。使わないから。使わないから。こっちはありますね。普通に、人並に筋肉あるんだけど。こっちはめっちゃ柔らかいですね。すいません。全然違いますね。そうですね。全然違う。
これ指ですか?指の出来損ないみたいな。生まれつきなんですよ、先天性で。だから途中で切れたんじゃなくて、腕ができる途中で出来損なってこうなってるんで。顔みたいで可愛いでしょ。顔みたいだって。可愛い。蒸れるからガーゼかぶせるんです。靴下みたいなもんです。手の靴下って呼んでます、この布のこと。へえ。サポーターして。
こうなると、義手っていろんなタイプあるじゃないですか。あります。タイプでいうと何ていう義手なんですか?これは装飾義手って言うんですよ。タイプ、例えば筋電義手、筋肉の電気信号を読み取って動くみたいな機械の義手と、あと作業用義手って言って、先が色々パーツがフックになってて作業できる。で、能動義手って言って、ここの肩の後ろからハーネスみたいのを通して、こっちの肩の動きでこっちのフックが開閉するみたいな。
で、これは装飾義手って言って、タトゥーとかなかったら単なる手。腕がない障害者を健常者に擬態させるための装飾っていう名前がついてるんですけど。機能的に言うと、ほぼ押さえたり支えたりするだけみたいな感じですか?まあ、そうですね。見た目を補うためだけの義手。
なんでこんなタイプにしたんですか?生まれつきなんで母親の勧めで。ある意味指先がここなんですよ。途中で亡くなった人は幻肢っていうのがあったりするんですけど、生まれつきだとここまでしかそもそも神経ができてないから、指先はここだから。押さえたりとか、料理とか好きなんですけど、義手の先で押さえるよりもこの断端部で押さえた方が自然なんです、自分にとって。そもそも義手とかなくても余裕で生活できるし、むしろ義手がある方がマジックハンド使ってるみたいな。だからあんま義手とかはこだわりがないっていうか、あってもなくてもいいけど、一応服とか着るのに便利だから普通の。
じゃああんまり生活する中で不便だっていうことってあんまないんですか?ないですね。それこそ作品作ったりする時に押さえたりとか。僕はそんなにでかいもの作ったりとかしないというか、小説を書いたりするんですけど、そういう分野、文章を書いたりとか、あと身体表現、パフォーマンスとか。演技するにも普通の五体満足の役は当然できないけど、でも俺が俺なりに俺のコンセプトでパフォーマンスする分には別に自分の身体あればオッケーなんで。
なるほど。飯食ったりとかは普通に片手で。そうそう。テーブルに置いてとか。そうです。歩きながらカップ麺食うとかできないけど、まあまあそんな不便はない。
その義手ってメンテナンスとかは別に特にないんですか?ないですね。本当はした方がいいんだけど。さっきの根性焼きのところとか。新しい義手作り直すとか。これ今何台目なんですか?10とか。10。それはそれぐらい変えてないですね、さすがに。
やっぱちっちゃい頃は成長に伴って、バイオリンみたいに変えていくもんなんですけど、でもこれ高一くらいに作った義手で。基本的に右手の大きさに合わせて作るんですけど、ちょっと小さいんですよ、義手が。義手の方が小さい。本当や。俺が成長したっていうことなんですけど。高一の時は同じだった。
今何歳ですか?今21です。だから本当は今のサイズに合わせて作りたいんだけど、ちょっとめんどくさくてやってないっていう。これ1個作んのにいくらぐらいかかるんですか?50〜60万。だけど保険が降りるから自己負担は5000円とか。そうなんです。保険診療なんですね。そうです。
今は藝大の何年生なんですか?藝大2年生です。生まれてから順番に経歴聞いてくって感じなんですけど、生まれどこなんですか?ずっと東京ですね。東京出身で川崎育ち。何歳で川崎行ったんですか?2歳とか。生まれてまもなく。
ご両親何されてる方なんですか?父親は昔、音楽の会社を自分でやってて。僕が小学生くらいの時に離婚してて、両親。そうなんすね。今はまた別の会社をやってるみたいで、あんまり最近は会ってないんですけど。母親は僕に似てるのかわかんないですけど、飽きっぽいタイプで、いろんな仕事を2、3年おきに変えて、今は翻訳をやってるんですけど。元々英語得意で、今までの仕事も英語関連の仕事ずっとやってて。
河邉さんのこの腕の状態っていうのは、生まれてお腹から出てきた段階でご両親わかったっていう感じなんですか?そうですね、多分。でもちょっとあんまYouTubeとかでは言えないんですけど、別の持病があって僕。それは結構内臓系の。そっちの方が結構やばくて。手がないって別に生きてけるけど、もう1個の持病は割と速攻手術しないと死ぬ感じだったんですよ。
そうなんですか。生まれて即手術して、すぐ入院してみたいな。別の持病のバタバタがあって、割と義手の方はあんまり心配されずに、手がないけどまあ全然行けるっしょみたいな。行けるっしょっていう感じのスタンスだ、ご両親。そうですね。
腕ないっていうのは原因とかっていうのはあるんですか?原因がわかんないんですよ。お医者さんとかもそれこそ原因わかんないですって言ってるんですけど。本当にわかんない。そうなんです。
義手つけるタイプの人と義手つけないタイプの人みたいないるじゃないですか。なんでつけようってことになったんですかね。それは本当に好みっていうか考え方の違いで。別に俺も義手つけなくても生活はできるから、それで別に義手つけなくてもいいんじゃねっていう人と、周りの人がびっくりしちゃうからとか、一応保険適用で安く作れるから作っとくかみたいな。
自分で自覚するっていうのはいつなんすか?周りと違うなっていうのは多分ずっと気づいてたと思うんですけど、あんまり障害者としての自覚みたいなのはそんななくて、これは自分にとって普通だし、こんな特別驚くべきことでもないなと思ってたんですけど。中高生くらいの時に初めて、義肢装具士っていう、義手とか義足とか作る専門家みたいな人がいるんですけど、俺がいつも担当してくれてた義肢装具士の人に紹介されて、義手コミュニティみたいなとこに初めて行ったんですね。
ミッションアームジャパンというNPO法人かな。上肢障害、腕がなかったり麻痺だったりっていう人たちのコミュニティに初めて行った時に、俺は普通の社会で今まで生きてたわけなんですけど、でもそこは上肢障害っていう共通点の元に集まってるコミュニティじゃないですか。だから、あなたはどういう障害なんですかみたいな自己紹介からまず始まる。なるほど。その感じがちょっとあんま好きでなかったっていうか。そこで初めて、俺ってそういうカテゴリーに入ってるんだなっていうか。
どういう気持ちで嫌なんですか、それは。単なる人間Aとして存在してたんですけど、でもそこに来た瞬間に障害者Aみたいな。僕はこういう障害を持っててみたいな、僕は義手で生まれつきでみたいな、あなたは後天性なんですみたいな。そういうコミュニケーションがちょっと苦手で。それは共通点を持った仲間同士たちがいることによって安心できるっていう側面もあるんですけど、そこに行って初めて、あ、障害者なんだみたいな。急にめっちゃカテゴライズされてる感じがちょっと息苦しかったんですか。そうですね。
学校とか障害者学級みたいなのもあるじゃないですか。そういうのじゃなくて普通に?そうですね。普通に何の問題もなく、普通に体育とかもやってましたね。鉄棒とかは見学してたんですけど、普通のマット運動とか、サッカーとかバスケとか、そういうのは普通に。
そのコミュニティ参加するまでは結構出会う人とかにも恵まれてたっていう感じなんですか?それによる差別みたいなのは別にあるにはあったんだけど。どんな差別?例えばみんなで友達の家に遊びに行こうっていう時に、うちのお父さんがそういうの苦手だから河邉君は来ないでほしいみたいな、断られたりとか。あとくだらないですけど、ジンジャードクターって言われたことがあって。ジンジャードクター。小学生の本当くだらない言葉遊びで、生姜と医者で障害者、ジンジャードクター。ジンジャードクターみたいな感じのこと言われて、本当にそうですかと思ったんですけど。でもそこでは別にそんな自分って障害者みたいなことにはならなかったんですか?強く。
いや、もちろん障害があるっていうのは自覚してたし、自分の個性っていうか特徴としてもちろん理解はしてたけど、まあまあまあそういうもんじゃないですか。割と冷静にそういうの見れてたというか。はいはい、そういう感じのやつでって幼いながら思えてたから。そうなんですか。それですごい傷ついたりとか、ものすごいいじめとかは受けてなかったんで。軽くちょっとからかわれたりくらいは、はいはいみたいな。
それって性格ですか?性格なんじゃないですか。母親とかも義手に関しては余裕っしょって感じで育てられたから。さっき言ってた別の持病があったから。だから僕が育てられた環境も、義手だからと言って特別扱いするもないしっていう環境だったから、これで普通じゃねって自分でも思えてたような気がするというか。割とその辺は親の性格とか見てるかもしれない。
何年生ぐらいで母子家庭になっちゃうんですか?父親が割と早くから別居してて。そんなめっちゃ険悪な感じはないんですけど、仕事の関係とかで別居してて、後から知ったっていう感じです。あの時離婚してたんだよっていうのを。基本母親の女手一つでみたいな。
その時お母さん何で育ててくれてたんですか、仕事は。普通に正社員で働いてて。別にそんなに貧乏したなとかいうことは?全然全然、何の不自由もなく。母親にはめっちゃ感謝してるっていうか、すごい人だなっていうか。多分色々苦労ももちろん当然あったと思うんですけど、俺とか死ぬほど迷惑かけてるし。
どういう迷惑を?中学受験したいって言い始めて。俺が1回模試を受けた時にすごい成績が良くて、え、中学受験とかあるんだみたいな、ちょっとやりたいかもって俺が小5の後半くらいで急に言い出して。普通小3とかで塾入るんですけど。わがまま言って高いお金払ってもらったのに、俺が飽きて塾行かなくなって、中学受験を飛んだり。飛んだんすか?そうなんすよね。中学とかもずっと不登校で。
あんまり心配されてないって言ったんですけど、持病の方もあるし義手の方とかあるし、将来的にお金に困った時に、最悪その日限りの仕事で肉体労働してとか、コンビニバイトでとか、そういうのができないだろうっていう風に親が思ってて。で、実際高校の時にバイトをめっちゃ応募したんですけど、コンビニとか飲食店とかスーパーとか軒並み全部落ちまくって。義手ですって言った瞬間に、うちではそういう人受け入れたことがないので今回は、みたいな断られること、本当に俺数えたんですけど、もう100店舗以上。途中から楽しくなってきちゃって、これいつまで落とされるかなみたいな、ワクワクみたいな。そんなになってくんすね。
最初は1回面接まで行くんですけど、応募をメールじゃなく電話で応募するんですよ。それで義手ですってその電話で言って、その時の反応でもうその時点で断られることが多くて。1回面接行っちゃうとコスパ悪いから、だんだん効率よく落とされる。そっか、電話の方が早いなってなる。電話の方が早い。電話でちょっとでも1回話してみましょうってなって、行って、でも結局落とされるとか。
だから、幸い頭が悪い方じゃなかったっていうか、賢いからみたいな。いっぱい勉強していい会社ねみたいな。別にめっちゃ教育ママって感じじゃないけど、頭で勝負しようぜみたいな雰囲気がなんとなくあって。
芸術とか美術みたいなものも特に?それは全く何もやってなかったです。それこそ母親がピアノとかもやってて、よく家でピアノ弾いてたんですけど、両手前提じゃないですか。楽器もできないから音楽もできないし、絵画とかも全然してこなかった。中学とかも美術の成績、音楽の成績とかは2とか。絵下手だし、工作とかもできないし。技術の授業とか美術とか1とか2とか取ってて。普通に不登校だったっていうのもあるんですけど。別に手先器用とかじゃない?全然全然、器用じゃないです。すご。もう藝大生で1番絵下手な。
じゃあ、勉強ができるっていうタイプだったんですね。そうですね。本とかずっと好きで、本当ちっちゃい頃から読んでて、小学生の時に『路傍の石』っていう山本有三の本にはまって。純文学みたいな。そうです。今も自分で小説書いたりしてるんですけど、中学生くらいの時に太宰治とか、谷崎とか川端とかにはまったりとか。小学生から純文学読んでたんですね。まあまあまあです。
じゃあ小説家になりたいなみたいになったんですか?小説ってその始める時のコストがゼロじゃないですか。スマホとか紙とペンあれば書き始められる。絵の具とか買う必要がないじゃないですか。だから始めたっていう。本読むの好きだったし。いつから書いてたんすか?中学の時に不登校になって、暇で始めた。
なんで中学で不登校になっちゃうんですか?多分集団行動みたいのがそもそも合わなかったんですよね。小学校も結構サボったりとかしてて、しょっちゅう問題起こして親を学校に呼び出されたりとか、校長先生の部屋に行ったりとかしょっちゅうしてて。ダメなのに漫画持ってきたりとか、帰り道寄り道して帰ったとか、そういうくだらないことでめっちゃ親を呼び出されたりとかしてて。そういう感じで多分規範に寄り添って生活するのが難しいタイプだったんです。
なんとなくその流れで中学も行かなくなって、高校も行かないで。高校2回やめてるんですけど僕は。そうなんですか。すごいっすね。親は許してくれたんですか?最初はめっちゃ行けって言うんですけど、だんだん諦めてきて、好きにすればみたいな。そうなんです。基本もずっと家、引きこもり?引きこもりです。その時は親も在宅じゃなくて普通に出勤してたんで、本当基本的に家にずっと1人で、たまに散歩したりとか、本読んだり書いたりみたいな。いいっすね。本当小説家みたいな感じです。そうですね。
病んでるって感じではなかったですか、じゃあ。中学の時はそうでもなかったです。割とエンジョイしてました、引きこもりを。高校を1回全日制の高校入って3ヶ月くらいでやめたんですけど、高校の最初の不登校の時は結構鬱で、精神科行ってうつ病の診断もらって、抗うつ剤もらったりとか。あとはADHDの結構重度だよっていう診断をもらったりとか。
なんで鬱になっちゃったんですか?中学の時楽しかったのに。わかんないですけど、やっぱり焦りが出てきたんだと思います。中学の時は何も考えてないけど、結構賢い方だったんで、神奈川県の結構有数の高校に行こうとしてたんですよね。でも内申点がないから、不登校で入れないってなって、レベルを落とした自称進学校みたいなとこに入って。俺からすると、自分の学力的にはここ行けるのに今ここ来ちゃったみたいな、ここでも学校に行けずに落ちこぼれてるんだみたいな状態が、自業自得なんだけどしんどくなっちゃって。
それじゃ3ヶ月ぐらいすか、入学して。そうですね、3ヶ月、4ヶ月くらいか。一応中学時代はちょっと勉強して?いや、してないです。入れるようなとこは基礎力本当高いんすね。まあまあ。
3ヶ月でやめて、そっからどんぐらいまた引きこもってたんですか?年齢的に高一の8月とかにやめて、すぐに通信とかに入ればよかったんですけど、通信探す気力とかもないから、翌年まで中卒フリーター、ニート期間があったんですよ。浪人みたいな、どこにも所属してない期間があって。それで4月になって改めて通信制に入り直して、1年生として入り直すことになった。17歳の代で1年生になる。そうそうそう。
結局現役で大学受けたかったから高卒認定取って、高3の年齢で高2の学年でやめるんですけど、そのまま高3になって大学受けると年齢的に一浪みたいになるじゃないですか。なるほど。それが嫌だから、高2だけど高3の年齢だから高認取って大学受けようみたいな。そうなんですね。
大学受けるまでの3年間とかはずっと引きこもりで、友達0人みたいな。そっからじゃ現役の年齢で大学受けました?そうです。受かったのが二松學舍大学っていう、藝大の前に通ってた大学で、文学部だったんです。文学部国文学科。二松學舍って夏目漱石とかが昔通ってた、結構文学のめっちゃコアな大学で。それで2年生までいて、ちょっと気が変わって藝大入り直した。で、今。
それどんな気の変わり様ですか?会社に所属してサラリーマンとして今後生きてくっていうのは無理だなっていう確信があったんで、自分で価値を作って生きていかなきゃいけないなっていう感覚はずっとあって。それで小説とか書いてたんですけど、文学部って小説書く場所ではないというか。文学研究をする場所であって、別にクリエイターを育成する学校ではないというか。文学部っていうのは研究者を作る学校なので、文学に触れられるっていうのはすごい楽しかったんですけど、自分で創作するって時には別にそんな活きないっていうか。
普通に大学も不登校で留年確定みたいな。それ鬱でですか?また。鬱っていうか、普通に週5で飲み会して、週3で終電してみたいな。大学生ですね。気持ち的にはじゃあ一応安定はしてたって感じですか?いや、もう楽しくて。でも自分の将来のこと考えたら違うからみたいな?将来のこととか考えてないんですけど、普通に二松學舍って先生の質とかものすごいいいんですけど、学生のレベルっていうのかな、学生のやる気って言うんですかね、っていうのがあんまり僕と合わなかったので。数少ない二松學舍で見つけた最高の友達みたいなやつとも2人だけで文学の話を語り合って、めちゃくちゃタバコ吸って酒飲んでみたいな。文学闘争みたいな。週5の飲み会やってたんですね。そうそうそう。大学の授業には行けてないから留年確定して、1年で10単位取れないみたいな。
そういう感じでっていう時に、東大の文学研究会ってインカレサークルに入ってたんですよ。そこに藝大の先端、今僕がいるところに所属してる子がいて、めっちゃ仲良くなって。その子も自分で小説書くし、アートもやってる。河邉も先端受けなよって言われて、オッケーみたいな感じで来たって。
大学やめてから勉強始めるんですか?いや、うちの先端ってものすごい技術が必要な専攻じゃないんですよね。ざっくりどんな学科なんですか?現代アートをやってて。例えば彫刻とか工芸とか油画とかは、入学する段階で完璧に彫刻の技術を身につける、完璧にピアノが弾けるみたいな状態で入学して、入学してから、じゃああなたの芸術センスを磨いてくださいみたいな感じのカリキュラムなんですけど、うちの先端はセンスがあるやつを先に取って、後から技術を身につけるみたいなカリキュラムなわけですよ。なるほど。
だから藝大で唯一ポートフォリオ審査するんですけど、それはもう何でもいい。電子工作とかでもいいし、もちろん絵画でもいいし、パフォーマンスでもいいし、文学でもいいし。あなたはどういうことをしていきたくて、どういうテーマで、どういうコンセプトを持って制作していきたいんですかっていうのを提出するんですよ。それで藝大が判断して、こいつセンスあるなってやつをピックアップして入学させて。そしたらもう毎週毎週、今週は写真、今週は映像、今週は工作みたいな、とにかくいろんな技術を詰め込んでみたいな専攻なんですよね。
結構幅広いんすか?そう、とにかくもう何でもあり。藝大の中でも先端は何やってるかわかんないってよく言われてるんですけど。人によっちゃ東大よりみたいなとかも言ったりするじゃないですか。そうですね。実際倍率どんぐらいなんすか、その先端は。7倍とか。東大とかと比べると高い。東大より難しいっていうのも、全然違う頭の分野とか、センスが違うっていうことなんですか?全然、東大入れる人は藝大入れないし、藝大入れる人は東大入れないしみたいな。そういうことすよね。
普通にじゃあセンター試験、共通テスト。共テ受けて、共テ足切りとかがないんですよ。ないんすか?そうで、共テ3科目で良くて。俺は趣味で6教科8科目受けたんですけど、2次試験勝負。共テはあってもなくても。本当共テ2割とかで受かる人もいるみたいな。そうなんですね。
2次試験ってどんなことするんですか?事前のポートフォリオの提出と、小論文とデッサン選べて、俺は小論文選択して。あと実技の工作みたいなのがあるんです。と面接。ポートフォリオは結局何出したんすか?
東大の文学研究会で知り合った友達と仲良くなって、一緒にいろんなことするわけですよ。これやったらおもろくね?道端で物乞いしてみようぜみたいな。お金をくださいって叫ぶの。四つん這いで散歩するとか、星に向かって歩くとか、本当くだらないことをみんなで楽しくやってて。それを藝大受験用に書き換えて。星に向かって歩くってことだったとしたら、これはなぜ星に向かって歩くのかというと、これのコンセプトは、人っていうのはまず道に縛られていて。道っていうのは区画化されてあるわけだけど、だから人が道を進む時、基本的に目的がなければいけない。Googleマップのピンが立つ場所にしか目的地を設定できないじゃないか、我々は、みたいな。そうじゃなくて、もう届かないけれども確かにそこにある星に向かって歩き続けるっていうのは、我々ってどういうことを示すんだろう。そういう意味わかんないことを。それ自分で言うんすか。それっぽく藝大受験用に書き換えて、面接とかでこれはこういうコンセプトがあってって。
そういうことを文章にまとめたんですか?そうです。実際例えば四つん這いで歩いた時の写真とかアーカイブを載せて、コンセプト文を書いて。そういうのを面接とかで、これどういうことって聞かれて説明するみたいな。そうそう。すごいす。意味わかんないことって自分でおっしゃってたらあれですけど、結構やったもん勝ちじゃないですけど。
本当に自分のテーマみたいな主軸があって。現代アートって、コンセプチュアルアートって言われたりするんですけど、コンセプトに価値が置かれてるという種類のアート。コンセプトを書き換えることによって全てをアートにできるんじゃないかっていう思想を持ってるので、doって呼んでるんですけど、あらゆる行為が、あらゆるdoが芸術的解釈は可能なんじゃないかという思想を元に、いろんなことを芸術にこじつけて。その考え方おもろいなってなったから受かったっていうことなんですね。そうですね。
実技って何するんですか?実技もそういう似たような感じで、俺の年は「通信について表現しなさい」って端的に言われて、封筒が1人200枚配られて、この封筒を使って表現してください。小さいサイズのやつですか?なんか縦長のやつ。通信について表現してください、これをもう切ったり貼ったり何でもしていいから、これを使って作りなさい。藝大の教室で広い机があって、色鉛筆とかテープとか色々置いてあって。試験時間何時間ですか?6時間とか。確かそんくらい。試験中にご飯食べるんですよ。なるほど。
それも最終的に文章に書くんですか?それか見せるんすか?工作とか全くできないんで、メガホンを作ったんです。厚紙みたいな長方形の紙があって。そんなもらえるんですか?そういうのも色々置いてあって、それくるくるって丸めたらメガホンみたいになるじゃないですか。封筒ペタペタってこの側面に貼って、メガホンです、通信ですとか言って受かりました。面白。説明文は何て書いてあるんですか?
色塗ったんですよ。メガホンの口の方は紫色で、外側は赤とか青とかに発散していく感じで色塗って。自分の言葉は紫色なんですよ。ただ紫って人によっては青っぽい紫に見えたり、赤っぽい紫に見えたりするし。このメガホンからどんどん拡散していく、広がっていくにつれて、僕の紫の言葉が赤っぽく解釈されたり青っぽく解釈されたりするっていうのを表しましたみたいな。もうちょっと詳しくベラベラ喋って。
でもそれ面白いですね。その説明やっぱありきっすよね。そうです。説明ありき。ただのメガホンだけだったらきつそうっすよね。そうですね。小論文はどんなんですか?小論文はエビが配られたんですけど。エビ。乾燥のエビ。エビフライぐらい大きめの、エビフライぐらいのエビが乾燥したやつが2尾配られて、このエビが生物の死骸であるということを説明しなさい。火星人とかに対して、地球上の生物を何も知りませんと。でもこのエビを見た時に生物っぽいなっていうのは分かるはずだと。かつこれは生きてない、死んでるなっていうのは分かるはず。それなんで分かったのか説明しなさいみたいな。
すごい、めっちゃおもろいっすね。俺はもう何の事前情報もないから、エビ配られたんですけどみたいな。これが藝大か。結構エビ配られがちなんすかね。いやわかんない。もう試験会場エビ臭いんだ。甲殻類の匂いが充満してて。嘘。で、なんて答えたんですか?
文章がうまいんですよ、俺って。そっか、小説書いてたし。だから2パターンあるなと思って。めっちゃトリッキーな、誰にもない発想で答えて受かるっていうのと、あと模範回答みたいな、いろんな人と被るけど、それが誰よりも綺麗な文章で書けてたら受かるじゃないですか。俺は文章に自信があったから、奇を狙うよりもまっすぐめっちゃ正統として書いたら受かるんじゃないかと思って。さすがに文章力で負けないだろうと。なるほど。
だからそのエビのやつとかも、まずこれはここに目みたいのがあるんで。ここはいくつも対称的に線状のものが並んでる、これは足だろうみたいな。2つ死骸があって、ほぼ全く同じような形をしてる。だからこれは自然の生物以外のものだったらありえないです。生殖してコピーするわけじゃないですか、生物とか。規則が生まれてるってことですか?そうそう、みたいなことをまっすぐ綺麗に書いて受かった。それ結構正攻法なんですね。
そういう考え方、さっき言ってたような全部行動をアートにするみたいなのとかは、いつ持ったんですか?その東大の文研にいた友達と1番最初仲良くなったきっかけが、その子の制作を手伝ってくれる人募集しますっていうのをサークルで流してて、手伝いたいって言って、面白そうだから手伝って。その手伝い終わった後に、次、星に向かって歩くってことをしたいんだよねってそいつが言ったんです。めっちゃお前素敵やんみたいな。もう手伝うよ、それも。ありがとうみたいな。お前もやりたいことあったら俺手伝うわって、その子は言ってくれて。俺これやりたいみたいな、伊達車椅子っていうことをやってるんですけど。伊達車椅子。足があって歩けるのに、伊達メガネみたいに車椅子を使うみたいなパフォーマンス。伊達車椅子やりたいと、四つん這いで歩きたいわとか、別の友達もこれやりたいあれやりたいって言って、お前も全部やろうぜっていうアーティストグループみたいなのが生まれて。何でもいいから、もうそれが全部意味があって価値があるもんなんじゃないかっていうのが、もうその瞬間に生まれて。
幼少期から培ってきた何かとか、引きこもり時代の何かとかじゃなくて、関わりの中で化学反応が起きたみたいなことなんですかね。スイッチを押されたというか。そう。芸術的センスは別にないと思ってて。言語なんですよ、僕がやってることって。言葉の上で屁理屈をこねてるだけで。確かにさっきのメガホンとか。そうそうそう。だから言葉の力みたいのは割と幼少期に培ったものなんかな。
それ面接でやっぱ義手ですみたいなこと言うんですか?そう。結構現代アートってマイノリティが強いと言われてて。作家性がすごい重要なので、どういう人が、どういうバックグラウンドを持った人がどういう作品を作るかっていうところまでセットで価値が置かれがちなんですけど、だからマイノリティって結構強いんですよ。これあんま良くないとこなんですけど、現代アートの。なるほど。だからもう俺はその話を聞いた時に、じゃあ俺受かるやんと思って。
だからもうポートフォリオとかも全部障害一本で塗りつぶして。例えば伊達車椅子とかやる時に、歩けるのに車椅子で移動するって後ろ指を指されるというか。なんでそんなことしちゃいけないでしょって言われちゃう。っていうのは、足があることによって車椅子という移動手段を選べなくなっている。例えば杖を使って歩くとかも、足腰が悪くないと基本的には選択しないし、あるいは赤ん坊が四つん這いで歩くのも、二本足で歩けないから仕方なく四つん這いで歩いてるとされてるけど、でもじゃあ二本足で歩ける人は四つん這いでも歩けないし、杖もつけないし、車椅子も選べない。1番制限されてるんじゃないか。なるほど。これは障害から出発したコンセプトじゃないですか。
さっきの工作のメガホン作ったやつも、障害者として、僕は左手がないんだけど、両腕がない友達がいますと。両腕がない人たちからしたら僕は健常者に近いけど、健常者の中にいたら僕は障害者だと。だから本当に重度障害の人と健常者の中間の場所に僕はいて、だから僕は紫色なんだみたいな。赤と青の真ん中にいる紫色なんだみたいな。もう全部障害絡めて説明して、面接でも障害者だって言って、藝大の教授に、障害者かって思われて、受かったっていう。
キャラ付けって言ったらあれですけど、キャラ付けと作ってるものの親和性がやっぱはっきりしてる人は受かるんですね。まあ、そうだと思います。で、そういう人が結局現代アートの美術市場で成功する。村上隆みたいな人とか。そういうのはやっぱキャラ付けと説明がうまい人。そうなんすね。
現役で入るんですか?現役っていうか1発。1発で入る人の割合ってどんぐらいなんすか?割とうちは多くて、先端は多くて、でも1/3とか。でもそれでも基本半分以上余裕でみんな浪人。そうですね。
別の藝大について喋ってるYouTubeの動画とかで、入学したら先生に最初に言われるのが、ここはもう何年に1人の天才を見つける場所なんだみたいな。で、他の人はその1人のための石ですじゃないけど。聞いたことある。いや、そんなことは言われないし、割と生ぬるいっていうか。俺あんまり大学行ってないから、同期とかと馴染んでないんですけど。あんま行ってない?そう、結局藝大もそんな通ってない。
不登校で留年しそうでやばいんですけど。今んとこじゃストレートで2年生までにはなれてるんですか?一応なぜかギリなれてるんですけど。それなんで行かなくなっちゃったんすか?普通に行けなくないですか、学校とか。行けた試しないんですけど。じゃあだって小学校以外、中学高校引きこもりでしたもんね。
そう。で、大学も前の大学引きこもりで。大学ってでもだいぶ自由度はあるじゃないですか。芸術系の大学ってなんとなくイメージですけど、もっと自由な感じなんかなとか。それがだから、すでに技術高めまくって入学しますみたいな専攻だったら、割と入学したら自由なんですけど、うちはセンスで採用されて、入ってから技術詰め込むから、普通に週5で1、2限必修とかだったりするんですよね。結構ガチガチなんですね。ガチガチで、俺は毎日1、2限、週5日行けるわけないから、全く単位落としまくりみたいな。そうっすか。だって俺、学校卒業した回数より退学した回数の方が多い。小中卒業して、高校2回、大学1回退学してるんで。
確かに。周りの学生の雰囲気とかどんな感じなんですか?やっぱ人と違ってなんぼやろみたいな。いや、そんな尖ってないです。そんな尖ってないですか?割とうちの先端の同期とかは1学年24人いるんですけど、割とみんな仲良くて真面目な子たちが多いですね。授業とかもかなり前のめりで参加して。もちろん新しい技術を体得するのって楽しいじゃないですか。俺はそういうのできないんだけど、みんなできるから、すごい前のめりで受けて。1個1個、じゃあフィルムの授業ありますとか、パフォーマンスありますとか、そういうのものすごいみんなハイクオリティで、1個1個の課題に対してちゃんと応答して。やっぱセンスはあるから飲み込めば。そうそう、飲み込みも早いしね。変なマウントとかもないですね。ないんすね。お互いいい距離感でリスペクトをし合ってるし。
それこそ専門分野がそれぞれ全く違うんですよ。先端はもう入る前に絵をやってた人とか、俺は文学だし、ダンスやってるとか、音楽やってるとか、建築出身の人とかいるんですけど、それぞれ専門分野が全然違うから、ぶつかることがあんまないっていうか、マウント取るところがないっていうか。それぞれリスペクトしちゃってんですね、それぞれの種目というか。これはこいつに相談するし、これ悩んだらこいつに相談するしみたいな。ばらけてるおかげですごい円満。いい感じの学年に。そうなんすね。
でもじゃあ今あんま学校行けてなくて、自分で小説書いたりとかしてるんですか?そうですね。大学はそんなに行ってない。やめようとは思ってないですか?だって藝大やめたら中卒だから。
大学にも、レッテルなのかジンクスなのか都市伝説みたいなのがあるじゃないですか。ワセダは留年してなんぼやとか。あ、そうなんだ。東大はやっぱ起業した方がいいとか、その大学によっての特色って言うんですか? この大学ってこうだよねみたいな。藝大ってそういうのあるんですか?
藝大はやっぱ行方不明になってなんぼじゃないですか? そうなんですか? 行方不明になってるとかっこいいな、やっぱ。就職するとかがかっこ悪い一番。就職はダサいすね。ダサい。院もダサい。大学院もなんか安牌。
本当に制作にのめり込んでるやつは、仕事とかお金とかクソどうでもいいから、っていうのが一番かっこいい。そういうやつは音信不通になって行方不明になるんですけど。あいつ今何やってんだろうねってのを誰も知らない状態が一番かっこいい。これは俺の考え方。
すごいっすね。そうなりたい気持ちもあるんですか? いや、俺は割と商業作家なので、お金稼ぎたい。その藝大に入るために障害アピールするとかも、ある意味商品として自分をプレゼンしてるわけじゃないですか。芸術家だと思ってないから、自分のことを。芸術家って言った方がお得な場面では芸術家って自己紹介するんですけど、でも本当の意味で芸術家ではないと思うから。割とビジネス肌だと思ってるから、自分のこと。
さっき言ったようなガチガチの芸術家気質の人と、そういう商業寄りの考え方の人って、割合で言うとどんな感じなんですか? 藝大生で。俺とかその友達みたいに振り切ってる人は少ない印象ですね。自分のやりたいこともやりつつ、でもそれをお金にしたいっていう、そこがいい感じにミックスしてる、ある意味器用な人が多い。それが結構多いすね。そうですね。飯食うのはお仕事でちゃんと稼ぐけど、本当にやりたいことも一方ではやるよっていう。
河邉さん的には、やっぱ売れたいってでかいですか? 売れたいっていうか、やっぱお金欲しい。欲しい欲しい。
これも1個俺が普段考えてることなんですけど、乙武さんとかめっちゃ好きで。それこそ街録ch出てたの、見た気がするんですけど。ABEMAとかにいるじゃないですか、乙武さんが。普通にコメンテーターとして出てるの、すごいことだなと思って。
乙武さんが不倫した騒動で、俺はものすごい感銘を受けたんですけど。障害者とセックスみたいなことって結構切り離されて考えられてたんだけど、障害者でもモテモテで、めちゃ不倫してみたいな。今までにない障害者像を提示してくれたっていう感じがするし、乙武さんがちょっとテレビ出たりするだけで、普段のテレビの画面に障害者がポンって映ってるって、数十年前とかでは考えられないことじゃないですか? すごいことだなと思う。確かに。
だから僕はモデルをしたりするんですけど、障害者モデルの事務所みたいなのもあるんですけど、そこに所属しないで単なるモデルとして、あるカメラマンさんに撮ってもらいまして。その人が今まで撮ったいろんなモデルがいる中に、めっちゃ可愛い女の子とかダンディな男の人とかいる中に、義手の河邉がいる。社会の場面で俺がただ存在してるだけで、障害者が可視化するってことじゃないですか?
義手の人が家でどういう風に生活してて、例えばお風呂入る時義手外すのとか、よく聞かれるんですけど、俺と普段一緒にいる人は、俺が普段ご飯食べたりとか制作したりとか知ってるから、今更そういうこと聞かないし。俺とこうやって話してたら義手ってことを忘れて話してくれるわけなんですけど、義手の友達がいない人って多分そういうのが想像つかないとか。義手って聞いたら、例えば「義手藝大生」っていうサムネイルの動画を見て、義手の藝大生なんだすごいと思ってクリックするわけじゃないですか?
それは義手っていうものから連想する、その人の偏見というかバイアスみたいなものがあるから、義手っていうキーワードに引っかかって、義手藝大生のチャンネル見ようみたいになるわけじゃないですか。でも俺の友達は全員、1人ずつ義手の友達がいるわけなんですよ。これってすごくないですかっていう。
俺が例えばYouTuberとかやってるんですけど、YouTubeでチャンネル登録者が10万、20万、100万とかなった時に、100万人が1人ずつ義手のインフルエンサーをフォローしてるみたいな状態。すごくないですか? 確かに。そうなりたい。
その偏見持たれてバイアスかかってクリックみたいなのとかは、河邉さん的にはプラスに捉えてるっていう感じですか? バイアスかかってクリックっていうのは、俺が藝大に受かった理由と全く同じだと思うんですけど、それは自分のステップアップっていうのかな、には利用していきたいというか。
俺が義手インフルエンサーになることによって、義手の人ってかわいそう、大変だよね、障害者だよみたいな、そういうイメージを多分俺のフォロワーは持ってないから、そういう人を増やしていけたらいいよねって思う。
そっか。現代アートでもマイノリティが強いっていうのはあんま良くないよねっていうのもおっしゃってたじゃないですか。なんでそう思うんですか? まあ普通にあんまキモくないですか? そういうの。キモいと思いつつ利用してるみたいな。そう、そう、そう。そこはやっぱちょっと葛藤もあるんですか?
それは作家がキモいんじゃなくて市場がキモい。市場がキモい。鑑賞者が、健常者の作品と障害者の作品を見て、あるいはストレートの作品とLGBTの作品を見て、男性の作品と女性の作品を見て、マイノリティの方の作品を評価する鑑賞者がキモいのであって、その表現者自体はキモくない。
でもやっぱりうちの専攻、先端とかにも、ゲイですとか、難聴ですとか、麻痺がありますとか、ハーフですとか、そういう人って結構多いんですよね。それこそ美術予備校で、先端入る前の講評とかに行くと、君の障害使えるじゃん、こういうバックグラウンド持ってんだからこれで作品作れないの、って言われたりとかする。それキモいかなっていう。
で、それによって作品を作って、あ、自分こういうもの作れるんだとなって、こういうこと作りたいってどんどん発展していくのは、その当事者の個人の観点で見たらいいんですけど、全体として見てキモいなって。
表現者側がそれを、いい意味でも利用したりする以上、受け手がそこに反応してしまうのは仕方ないのかなとかも思っちゃったりしますね。良い悪いがあるにせよないにせよ。仕方ないけど、最終的にはそういうのがない社会がいいなって。
俺とかが義手をアピールして、その面を例えば獲得して、でも俺が面を獲得しすぎたせいで義手がそんな映えるアイデンティティじゃなくなるみたいな社会っていうか。それは理想的すぎるんですけど。そうっすよね。もしかしたらそうなったら余計、義手すげえみたいになる可能性もありますね。まあまあまあ。
別に自分に後ろめたさが湧いちゃう時とかはないってことですか? 表現者としては。うーん。まあ、自分より重い障害の人とか見るとごめんとは思う。
それこそ、さっき言った義手コミュニティみたいなとこで、どう居づらかったかって言うと、例えば先天性の方が後天性より楽なんですよ。後天性だと、元々あったのがないっていうのがショッキングだし、あと幻肢痛とかがあったりする。で、あとはもちろん両手ない方が不便じゃないですか。もしくは手がないよりも麻痺の方が辛かったりするし、それが進行性だったりするし。
自分より重い障害だけど似たような障害っていう人たちといっぱい知り合って話していく中で、共感しきれない辛さみたいなのがあるんですよ。そのコミュニティにいる中でかなり僕は障害軽い方で。だから障害あるあるの、これ辛いよねとか、こういう時どうしてますみたいな話題で盛り上がってるんだけど、でも俺それ右手あるからできちゃうなとか、そこで共感しきれない馴染めなさが結構あって。その中で、その場で一番障害が軽い俺が、障害者ですって言って藝大にアピールして入って、YouTuberみたいな、義手藝大生みたいなことやってんのが、ちょっと気まずいなみたいな。
それはね、考えなくていいことなんですけど。それもある意味すごい差別的な感情ではあると思う。結局俺も、その人たちを障害の重さで見てることになるんで。こういう障害を持ってる人だと思って接してることになるし。でも結構、障害者とかのコミュニティで障害の重さによるヒエラルキーとかがあったりするんですよね。障害重い方が偉いみたいな。そういうのも相まって。
藝大はそういう意味で言うとどういう場所なんですか? まあ心地いいと思いますね。それこそいろんなバックグラウンドの人がいるから、マイノリティだけじゃなくて出身地とかもバラバラだし、日本各地から来てたり、海外から来てる人もいるし、特殊なバックグラウンドを持つ人に対する体力があるというか、異質なものを受け入れる体力がある。レイヤーが多いっていうのもあるかもしれない。
人を見る時に、基本的に単に友達と喋ってるだけだと、ここで喋ってるあなたが、僕にとってのあなたじゃないですか。でも藝大にいると、ここで話しててこういう感じだけど、じゃああなたの作品見てみたいね、あなたの作品にはどういうあなたが現れてるんだろう、ただ話して人を解釈するんじゃなくて、その奥であなたが何を作るのか興味がある、みたいな、人を判断する価値基準が多い気がする。
ある意味誠実なあり方だと思います。自分が何かに没頭して、ものすごい精力を注いで作っているものがあるから、他人が心を込めて作ってるものに対しても敏感であれる。そういうのを生み出す苦しみも含めて分かってるから、リスペクトがあるんですね。そうですね。
留年をしてもいいかなっていう感じなんですかね。首席取りたくて。首席卒業みたいな。そう、買い上げ賞っていうのがあって。卒業制作があるんですけど、卒論の代わりに作品を提出して、卒展とかをやってるんですけど、そこで各専攻に1人ずつ、一人前のアーティストとして認めたっていう証として、大学が作品を買い取るんですよ。へえ。で、それが各専攻から1人ずつあって、それが首席扱いなんですけど、その首席はストレートで卒業しないと取れないんですよね。
あ、やっぱ留年したらもうその選考から除外されるんすね。そう、そう、そう。何年も留年してダブってたら、そりゃいい作品作れるだろうみたいな。あ、そっか。そういうことね。準備期間がおかしいと。そう、そう、そう。首席ってサムネに書きたい。
それっていくらぐらいで買い取られるんですか? 数万とか。それは先生が審査してみたいな。そうですね。教授が。首席取った人たちって、その後やっぱその名を轟かせるような芸術家になってるんですか?
名を轟かせたい人だったら轟かせられると思います。例えば僕の友達だと、千恵っていう、最近国と裁判をしてる人がいるんですけど、千恵さんも首席じゃないですか。今も美術館で展示したりとか、順調に成果を上げてたりとか。やっぱ首席取る人は地力があると思いますね。
でも別に首席取ったからと言って、もう富も名声も関係ない自分の芸術、ってなる人もいるし。首席取る人と失踪しちゃう人は被ることもあるし、別の場合もあるんです。取りたい、首席って。
卒業したらどんな風になりたいとかあるんですか? 一応東大の大学院に行きたいなと思ってて、文学研究をしたくて。もちろん藝大で自分の制作はできるんだけど、でもちゃんと文学研究しておけばよかったなと思って。だから先端卒業したら、東大か早稲田の大学院行けたらなと思ってて。文学研究か。で、その後はどうしたいとかあるんですか?
今もそこそこお金稼げてて。クマ財団っていう奨学金出してる財団があるんですけど、そこの支援クリエイターに採択されて奨学金とか、あとはバイトもしてますし、家庭教師とか。そういうのもやってるんですね。そう。あとは自分の作品、文章書いてお金もらったりとか、あと写真でお金もらったりとか、そういうのもちょこちょこあって。
今、学費とか生活費とか食費とか家賃とか全部自分で出してるんですけど、それでもちょっと余裕あるくらいには稼げてるから、この調子で少しずつもっといろんなことで稼げるようにして。何になるってよりは、今のままのらりくらりとやっていけたらな。
でもXに、お金稼ぎたいと思える生活みたいな、じゃないですか。そうです。いっぱい稼ぎたいっていう気持ちもあるんですか? そうですね。一発当てたいなみたいな。それいつからあるんすか? 割とずっとあります。子供の時から。お金持ちになった方がいいから。なんでそう思うようになったんですか? やっぱお金って多ければ多いほどいいじゃないですか。
普通にお金欲しい。お金欲しいです。理由とかない。いい暮らしがしたい。いい暮らししたいです。旅行とかしたいし、車とか欲しいし、安心したいってのもあるか。やっぱ病気とか多いし。なるほど。何かあってもいいようにとか、そういうのも色々考えると、余裕があればあるほど余裕があるなと思って。
どんな風になるのが理想とかあるんですか? 俺は落合陽一になりたいです。あ、そうなんですか? ひろゆきでもいいし、乙武さんでもいいんですけど。彼らの特徴ってやっぱ、職業・落合陽一じゃないですか? 具体的に何で金稼いでんのかよくわかんないけど、でも落合陽一というだけで価値がある人たち。ひろゆきはひろゆきというだけで価値があるし。職業・河邉宏太になりたいなって。
じゃあ完全に自分の名前一本で仕事したいじゃないけど。そうですね。こういう撮影とかから出発して、いろんな取材とか受けたりとか、河邉宏太が喋ってるだけで価値があるみたいな状態。河邉塾みたいな。ちょっと講演家というか。それはちょっとキッチュだけど。
展示とかできたらいいですよね。将来的に美術館とかに出したりとか。あとは商業出版、今自分で本作ってるんですけど、書店に並べる自分の本とか、いわゆるプロの小説家、プロのアーティストとしてなれるように。YouTuberでもいいけどね。
でもそういう意味だと、障害であったことがプラスに働いたことの方が多かった人生。まあ、そうですね。プラスに働かせたというか。そうか。自分の力で。せっかくだし使っとこうみたいな。絶対それがいいっすよ。そうですね。ありがとうございました。はい。ありがとうございました。
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