世界3位から個人レッスンへ――田児賢一が語る「僕に教わりたい人に教える」理由
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜全日本総合を6連覇し、世界ランキング3位まで上り詰めた元バドミントン選手の田児賢一は、違法カジノ問題で日本バドミントン協会の登録を抹消され、所属していた実業団からも解雇された。現在は1対1のレッスンを中心に指導を行い、YouTubeでも発信している。インタビューは、田児が指導を頼まれている実業団の女子チームの体育館で行われた。田児は、身体能力に恵まれなかった自分が頭脳で世界と戦ってきた経緯、ギャンブルと勝負の関係、処分への考え、そしてなぜ代表監督ではなく個人レッスンを選ぶのかを語った。
「平等に教える」のは好きではない
田児は、YouTubeで発信しているレッスンの延長として、この実業団女子チームの指導を手伝っていると説明する。ただし軸にあるのは「僕に教えてもらいたい人を教えたい」という考え方だ。たとえばクラブチームで10人を見るとしても、その10人を平等に、平均的に扱うのはあまり好きではないという。10人いれば、田児に教わりたいという気持ちの強さも1から10まで差がある。その差を大事にしたいので、作業的な指導は苦手だと話す。
指導者としてのモチベーションを問われると、田児は「全然ない」と答えた。レッスンを受けに来た人や一緒にラケットを振る人のバドミントンに対する考え方が豊かになればいい。結果が出ることがもちろん一番だが、それと同時にバドミントンがさらに楽しくなることの方が大事だと考えている。
1時間10万円という価格の意味
聞き手が「1時間6万円」という料金を公表していることに触れると、田児は、現在は1時間10万円に上がっていると訂正した。当初はもっと低い額から始めたという。本人は「お金の話はあまりしたくない」と前置きしつつ、この価格には選手のセカンドキャリアを切り開くという意図があると説明する。自分のレッスンの価値を上げていくことで、元実業団選手のように自分ほどの実績がない人が、たとえば田児の30%の額で教えても生活できる基準や水準を作らなければならない。田児はそれを自分の役割として自覚しているという。
バドミントン選手のセカンドキャリアについて、田児は、会社に残って働く人、他チームに移籍する人、監督やコーチとして誘われる人がいて、実力主義の面が強いと述べる。そのうえで、何をもって豊かとするかは別として、セカンドキャリアで大きく稼げるところまでバドミントン界はまだ行けていないのではないか、と見ている。高額レッスンは、それを切り開くための一つの手段だという位置づけだ。
世界3位の人に直接教わる価値は大きい、という聞き手の言葉に対して、田児は、過去の成績が効くのは最初の1回だけだと答える。もう一度この店に来てこの料理を食べたいと思うかは、味で決まる。レッスンも同じで、それを意識しながら教えているという。1回で来なくなる人もいれば、何度も来る人もいる。
違法カジノ問題で日本のバドミントン界から離れたにもかかわらず、ヨネックスと仕事をするまでに信頼を回復できた理由について、田児は、実力も大事だとしたうえで、人とのつながりや、世話になったことを忘れないといった基本的なことを挙げ、きちんとコミュニケーションが取れていたからではないかと振り返る。
バドミントン一家に生まれて
田児は埼玉県出身で、両親ともにバドミントン選手だった。成績では父より母の方が上で、全日本では10回ほど優勝していたという。ただし田児自身は、そうした家庭環境はあまり関係なく、自分でやりたいからやっていただけだと話す。
母の現役期間は長く、一般的には33〜35歳ぐらいで引退するところを40代前半まで続けていた。母が練習したいので幼い田児も大会や練習場に連れて来られ、自然とバドミントンが目の前にある環境だった。一方で、卓球の福原愛のように幼少期から親に指導されたことは「1mmもない」という。楽しむバドミントンと勝ちを目指す厳しいバドミントンを両方含めれば、バドミントンから離れた時期はないとも述べた。
大会に出始めたのは小学4年生ぐらいで、最初は県大会のダブルスに出て、おそらく優勝した。シングルスはまったくできなかったという。小学4年から6年になる頃まではサッカーもしており、週に2日サッカー、2日バドミントンという生活だった。サッカーで県大会優勝するのは大変だが、バドミントンでは明らかに結果が出ていたので、自然とバドミントンを選んだ。当時は基礎トレーニングをしていなかったため、サッカーで走ったことは自分にとって良かったのではないか、と母とも話すという。
年間休み10日の中学時代
地元の小学校を卒業した田児は、電車で通う私立の強豪、埼玉栄中学校に進学した。全国から選手が集まる学校で、筋力トレーニングなどを本格的に始めたのはここからだという。モチベーションは全国優勝といったものではなく、毎日必死にやるだけで、「今日も終わった、明日も頑張ろう」の繰り返しだったと振り返る。
平日は朝練から始まり、授業の後、午後3時半〜4時から練習し、帰宅は8時半〜9時。休日は朝9時から一日中練習で、休みは年間10日あればいい方だったという。勉強はしておらず、仕方もわからなかったと田児は話す。高校もそのまま埼玉栄に進んだ。
誰にも負けない存在だったのかという問いには、勝てない相手はいくらでもいたと答えた。中高では先輩に勝てず、世界に出れば世界ランク上位の選手には勝てない。「勝てない人だらけ」だったという。
シングルスを始めたのは15歳から
田児が本格的にシングルスに取り組んだのは、15〜16歳の高校入学後だった。中学の全国大会では個人戦でシングルスかダブルスのどちらかしか選べず、田児は2年と3年の時にダブルスで全国大会に出ていた。高校になると両方に出場できるようになり、そこからシングルスを本格的に始めた。田児自身、かなり遅いと認めている。
他の選手は小学生の頃から厳しい練習を積み、シングルスの動きが体に染み込んでいる。自分にはそれがなかったので、先に頭で考えないと無理だった。肉体勝負では勝てない。それがうまくはまったのではないか、と田児は分析する。体力テストの成績も中の下ぐらいで、身体能力は高くなかったという。
では、身体能力が中の下でもテクニックと頭の使い方次第で世界を狙えるのか。田児は、努力は必要だとしたうえで「やりようはある」と答えた。ただし、世界のトップになる選手は頭脳よりも身体能力が抜群に高い人だと明言する。高く跳べて、速く走れて、重いものを持てる選手が強い。田児は自分について、頭だけで世界3位まで行ったわけでもなく、身体的に足りていたとも思っておらず、少し技術があった程度だと語った。
6連覇は「ほっとする」だけだった
全日本総合に初めて出たのは高校1年の時で、憧れの大会だったので本当に嬉しかった。しかしそれ以降は、あまり嬉しくなくなったという。2連覇目はほっとする気持ちの方が強かった。勝って当たり前と見られる状況は面白くなく、プレッシャーの方が大きかった。田児は自分が強いと思ったことはなく、いつかどこかで負けるという不安と戦っていた。優勝すればそれを一旦乗り切れるので、ほっとするだけだったという。
全日本で優勝して日本で一番になってからは、国内では受けて立つ立場、横綱のようなものだったと田児は表現する。それでも毎日全力で、手を抜くことはあまりなかった。「どうせやっているのだから」という思いが強く、もっと上に行きたいという気持ちがあったからだと振り返る。
世界一が見えていたわけではないが、当時の世界ランク5位前後の選手たちに、自分がまだ海外で無名だった頃から憧れていた。同時に「自分がやらなかったら誰がやるんだ」という気持ちもあり、世界で勝ちたいという思いが一番強かった。6連覇や5連覇を目指したわけではなく、世界を目指していた結果がついてきただけだという。
「まず日本一」という当時の風習
世界を優先したくても、当時の日本ではそれが難しかったと田児は語る。まず日本一になれというのが日本の風習で、全日本総合を欠場する選手は一人もいなかった。今は全日本を棄権して海外の大会に行く選手や、途中でやめる選手もいて、日本基準ではなく世界基準になっている。田児はそれを羨ましいと話す。当時それが許されなかった理由については、世界で勝った日本人がいなかったからではないか、と推測している。田児自身は本当は1回勝てば十分だと思っていたが、結果として5回、6回と続いたという。
ギャンブルと「自運」、そして自制心
当時すでにギャンブルにはまっていたのかという問いに、田児は、もともと嫌いではなくやることもあったが、はまっていたと言えるかはわからないと答えた。あくまでバドミントンが第一で、ギャンブルが試合に悪影響を与えたことはない。むしろ「試合にいい方向に働くためにやっていただけ」だという。食事も生活も、自分は何でもバドミントンにつなげるタイプで、その中の一つにギャンブルがあっただけだと説明した。
田児は運には「自運」と「天運」があると言う。天運は誰にでも回ってくる運で、自運は自分が持っている運だ。その自運を知りたいという気持ちがあったのではないかと話すが、この感覚を言葉で説明するのは難しいとも認めている。
ギャンブルで負ける時は、たいてい自分をコントロールできていない時だという。熱くなって負ける。これはバドミントンのコートの中でも同じで、どの競技でも同じだと田児は考える。バドミントンは相手をどう崩していくかのスポーツだが、先に自分が崩れたらどうしようもない。感情を力に変えられればいいが、コントロールできなければ自分が崩れてしまう。
トマス杯優勝は「奇跡」に近かった
田児は、世界最大の男子団体戦であるトマス杯で日本の優勝を経験している。田児によれば当時日本初の優勝で、その後も優勝はないという。ただ、それが選手としてのピークだったわけではない。当時の自分の実力は今より全然低く、いろいろなことがうまくいって結果がついてきた、サッカーで日本がブラジルに勝ったような奇跡に近いものだったと振り返る。
淡々としたタイプに見えるという聞き手に対し、田児は、自分はどちらかといえばアグレッシブなタイプだと答えた。そうでなければギャンブルなどやらず家にいる、という理屈だ。
普通の青春はなかった
田児は、違法カジノの件で世間から批判されることには納得しているし、仕方がないと思っている。ただ、それまでバドミントンでやってきたことには自信を持ち、今は違う形でバドミントンに関わりながら続けていかなければならない。それを大切にしているという。
バドミントンが人生のすべてで、それ以外のことはわからない。修学旅行には行っておらず、卒業式にも入学式にも出ていない。高校の卒業式の日は全英オープンに出場していたという。修学旅行の時期も試合や合宿だった。高校2年から日本代表に入っていたからだ。田児の説明では、現在の代表にはA代表と、24歳以下が対象のB代表があり、A代表に入ると非常に忙しくなる。
代表入りも狙っていたわけではなく、毎日全力でやった結果だという。代表に入って調子に乗ることもなかった。入ってからの方が厳しいので、調子に乗る理由がない。代表入りはスタートでもゴールでもなく、やることが大変になり、強度を上げていくだけの話だと田児は述べた。
違法カジノ問題と処分への考え
日本でカジノをやった点について、田児は、認識の甘さがあったと認める。パチンコなどと同じような感覚で、あそこまで大きな騒ぎになるとは当時思っていなかった。謝罪会見なども含め、その点は反省しているという。一方で、反社会的な組織と関わったことは一度もなく、田児が全員を引き連れていったという報道は全く違うと述べた。それぞれが行きたい時に行っていただけで、結果として自分だけが解雇されたため、首謀者のように映ってしまった。それが世間の怖さだという。ただ、自分の中ではあまり関係のないことで、多くの人に迷惑をかけたことから学び、また同じことをしたらただの「アホ」だと話した。
問題が発覚した経緯を問われると、田児は「僕からは言えない」とした。良い悪いの概念を除けば、自分はただギャンブルをしていただけだ、とだけ述べている。
解雇については、やってしまったことが悪いので自分の中で受け止められた。自業自得で、プレイヤーとしては一区切りだと感じたという。当時は、その前に捻挫をして時間を費やしており、治ったら世界一になりたいという気持ちはあったが、結果がついてきていない時期だった。問題発覚前の世界ランキングは覚えておらず、20位か30位ぐらいではないかという。15位から30位あたりは入れ替わりが激しいとも補足した。
処分の重さについては、関与した者の間で処分に差があったことに本音では思うところがあったという。八百長をしたわけでも、ドーピングをしたわけでもない。それが日本という国だと田児は言う。海外ではワールドカップに裁判中の選手が出ていることもあるが、日本ではありえない。国によって違う、としか言えないという。
そのうえで田児は、あくまで個人的意見として考えを述べた。世間の見方は「ギャンブルをしたやつがバドミントンなんかするな」だが、自分の考えでは、悪いことをしたのだから今まで以上に練習し、もっと結果を出してみんなに恩返ししなさい、でいいと思う。刑事事件になって逮捕され刑務所にいるならどうしようもないが、そうでなければ練習はできる。ただ、自分も悪いことをしたとわかっているから引いてしまう。それも自分が日本人だからだという。どこまでの罰が正当かを突き詰めれば裁判になるような話で、スポーツ界でも芸能界でも、不倫したら出られないといったことが起きる。そうした状況は本質を得ていないと感じている。
マレーシアでの5年間
その後の人生について誰かに相談したかと問われ、田児は、バドミントンを極めていたのであまり不安はなかったと答えた。ただ人生として厳しい状況ではあり、その時に助けてくれた人たちに、極めたもので還元したいという思いが強かったという。
仲の良いマレーシアの知人のオーナーが心配してくれ、こちらで全部面倒を見るから来いと声をかけてくれた。それで5年ほどマレーシアに住んだ。そのオーナーがチームを持っていたので、若い選手の練習相手をして経験を伝え、半年に一度ほどあるマレーシアリーグ(田児の言葉では「Jリーグのマレーシア版」)に助っ人として出場した。コロナ禍で日本の緊急事態宣言が出た時、親とも会えなくなるかもしれないので一度日本に帰れと言われ、帰国したという。
世間からは、桃田より先に試合に出ている、といった見方もあった。だが処分は、日本バドミントン協会に登録がある大会には出られないというもので、海外で試合に出てはいけないというルールではなかった。田児はルールに基づいていたと説明する。カジノの件は聞かれても嫌ではないが、言えることもないという。守ってもらった桃田と、飛ばされた自分という形で明暗が分かれたが、それを恨んではいないと話した。
「肩の荷が降りた」――誰のためのバドミントンだったか
気持ちの整理について聞かれると、田児は、当時からできていたと答えた。むしろすっきりした。「やること終わった」という感覚だったという。それまでは会社のため、日本のためにバドミントンをしていて、自分のためにはほとんどしていなかった。肩の荷が降りたのだ。
田児によれば、自分のためにバドミントンをしなくなったのは高校1年の頃からだ。高校2年でインターハイに優勝して代表に入れば、高校3年は学校のために頑張らなければならない。高卒で実業団に入り、社会人1年目で日本一になれば、今度は会社のためにならなければならない。レベルが上がるほど日本で応援してくれる人が増え、その人たちのためにも頑張らなければならない。17歳から24〜25歳までの7〜8年間がそうだった。
その期間は、長いというより「きつい」ものだったと田児は語る。何度日本一になっても嬉しくも楽しくもない。周りは強くていいなと言うが、孤独だった。日本に自分より強い選手がいないので、悩みは自分で全部解釈するしかなく、練習も自分で工夫しなければならない。特別扱いしてもらえた良いこともあったが、結果を出し続けるのは簡単ではなかった。自分のためにやらなかったことは良くなかった面もあり、同時にそういう気持ちを持っていたからそれなりの結果が出た面もある。両方あるとしたうえで、田児は今の選手には「自分のために頑張ってほしい」と伝えたいと話す。
全日本で10回優勝した母ならその悩みがわかったのではないか、という問いには、勝ち続ける大変さは母もわかっていたと思うが、それは自分もわかっていたので相談することではないと答えた。母の時代は気合いと根性が絶対的に強く、ラケットの重さも倍ぐらい違ったと思う。自分の時代は技術も戦術も必要で、世界のトップに勝つための具体的なことは母でもわからないと思っていたという。聞き手が「iPhone 17とiPhone 2や3の悩みは違う」とたとえると、田児は「OSが違いすぎる」と同意し、今は観客がバドミントンに求めるものも昔とは全然違うと付け加えた。
問題の後に残された人たちの方が大変だったと田児は言う。桃田賢斗も大変だったはずだ、と。
桃田賢斗との違い――「いかに動かなくていいか」
桃田はその後世界チャンピオンになった。田児は、もともと実力があった選手で不思議はないと話す。いろいろなことがうまくいって世界チャンピオンになり、逆に少しずつ歯車が狂って勝てなくなった。それは選手として当たり前のことで、桃田の場合は上がった時がすごかったのだという。田児は試合をよく見ており、解説の仕事をすることもある。
二人のプレースタイルは全く違う。田児によれば、桃田は「ザ・シングルスプレイヤー」だ。運動神経が高く、小さい頃からずっとシングルスをやってきた。コートの四隅をうまく使い、相手を走らせるのがシングルスプレイヤーのやることだという。
一方の田児は、それをやると自分が不利になるので、いかに動かなくていいかを考えてプレーしていた。自分が動かなくて済むように、相手も動かないようにする。珍しいタイプだと本人も認める。だからこそ3位なのかもしれない、とも言う。このタイプで近年世界一になった選手はおそらくいないが、田児は、今のバドミントンに必要なのは自分のようなプレーだと考えている。聞き手の、身体能力の差がなくなれば頭脳で差をつけるしかない、という言葉にも同意した。
YouTubeと日本バドミントン界の報酬
YouTubeを始めたのは、マレーシアでコロナが広がる1〜2年ほど前だという。始めた時期は良かったのではないか、と田児は振り返る。投稿するのはバドミントンの動画だけだ。カジノに行ってみたといった企画をやれば目立つだろうが、ファンの大半は田児のバドミントンを見たい人たちなので、そういうことは極力しない。自分の中ではカジノの件はネタになっているが、業界にはネタにしきれていない人もいて、その人たちの反感を買いたくないという。かけた額の最大は何百万円程度で、何千万円や何億円といった規模ではなかったと話した。
バドミントンで稼げるのかという話題では、国内の大会には賞金がなく、あるのは「地位と名誉だけ」だと田児は言う。トマス杯も、優勝すると思われていなかったので報奨が何も準備されていなかった。決勝の相手はマレーシアで、マレーシアが優勝していれば選手一人ひとりに3,000万〜5,000万円と土地が与えられることになっていたという。日本の報奨は何十万円のレベルだった。
田児は、日本の選手は生活のためにバドミントンをしていないと指摘する。ブラジルのサッカー選手が生活を豊かにし家族を助けるために練習するのとは違う。その状況を変えたかったが難しかった。それが今のレッスンにつながっているという。ちゃんとバドミントンをやってきたのだから、他の人にない知識があるはずだ。それを自分の考え方を好きな人と共有し、その人の未来が明るくなればいい、という思いでやっている。
高層ビルの30階から見えなかったもの
日本代表のコーチや監督には興味がない、と田児は言い切る。代表に集められた選手全員が田児に教わりたいわけではないはずで、それが嫌なのだという。
田児はバドミントン界を高層ビルにたとえた。自分は30〜35階にいた人間で、1〜5階の人の考え方を知らなかった。上から見れば下の人はほとんど見えない。しかしYouTubeは1階から35階まで、あらゆる人が見る。レッスンを通じて1〜5階の人と触れ合うと、田児に教わりたい人が結構いた。お金を払ってでも受けたいという人たちだ。
料金が高いから富裕層ばかり来るのかといえば、そうではない。1回10万円でも、毎月バイトして1万円ずつ貯めれば1年に1回受けられる。そういう人もいる。その時の必死さ、今の時間を大切にしようという熱量は全く違う。10万円を欲しいものに使う人も、酒やたばこ、ギャンブルに使う人もいる中で、自分のレッスンに使ってくれるのは嬉しいという。
ファンだから、レッスンを受ければ会えると思って、バドミントン経験がないのにラケットやシューズを買い、何万円と何時間をかけて来る人もいる。そういう人が一緒にバドミントンをして「明日からも頑張れます」と言って帰っていく。「やるしかないでしょ」と田児は笑った。お金儲けではなく、価値を上げていかなければならない。だから額も上げていかなければならないのだという。
現在、元トップ選手や元実業団選手の多くがレッスンを行っており、相場は1万5,000円から2万円ぐらいだと田児は言う。もし田児が1万5,000円でやれば市場がおかしくなり、他の人たちは3,000円でやらなければならなくなる、と説明した。
代表監督のオファーが来たらどうするかという問いには、話は聞くが断ると答えた。日本のバドミントン界に戻らないとへそを曲げているわけではなく、手伝えることがあれば臨時で手伝う。ただしトップには置かないでほしいし、今のやり方の通り時間に応じた報酬を払ってほしいと伝えるという。初心者を教えるのも実業団を教えるのも自分の中では同じで、実業団や日本代表を教える方に箔がつくと世間は見るが、そんなことはない。
1〜5階の人の苦悩は想像するしかなく、体験はできない。これができないのか、ここで苦労するのか、と知っていくことができる。スター選手が何百人規模のイベントに呼ばれても、一人ひとりに対応できない。それも嫌なので、レッスンは基本的に1対1だ。このスタイルは違法カジノ問題があったから生まれたのかと問われると、田児は、結局こうしていたと思うと答えた。
才能にあふれた妹
田児には妹がいる。家族の中で一番才能があり、何をやってもすぐできるようになったという。バスケットボールもサッカーもバドミントンもできたが、どれも続かなかった。家族全員がバドミントンをしている中でバドミントンを続ければ兄と比べられる。それも嫌だったのではないか、と田児は推測するが、本人に聞いたわけではなく「わからない」と繰り返した。楽しくやればいいのに、とも言う。
母親は、田児のYouTubeを見て、よくうまく教えられるねと言うという。田児は、ものを言語化するのが一番難しいと話した。
「もう人生にモチベーションはない」
今後について田児は、バドミントンを教えることは続けると思うが、人生にもうモチベーションがあまりないと語った。教わりたい人がレッスンに来て、その結果すごく喜んでくれたら嬉しい。しかし体育館を建ててアカデミーを作りたいといった気持ちは全くない。バドミントンはやりきったという感覚があり、一度バドミントン界から離れてフィールドを変えた方が、人生のモチベーションができるかもしれないと話す。インタビュー時点で36歳、2日後に37歳になるところだった。
ただ、世話になっている人たちを裏切らないよう、自分のできることを精一杯やらなければならないという責任感はある。そういう感じで生きていけばいいのではないか、というのが田児の答えだった。自分は変わっているとも認めるが、物事の的は得ていると思うと話し、一部だけ切り取られればずれていると言われるかもしれないが、世間とはそういうものだと付け加えた。
ライバル不在の孤独については、すごいと思える選手がいてくれればありがたいと述べ、そうした選手は海外にいたと話す。それが自分の中の基準であり教科書で、それを基準にすれば今のバドミントン界で教えられないことはないと思うという。強い国としては中国を挙げ、インドネシアやマレーシアも続けた。どこのリーグが一番稼げるかという問いには、市場の大きさと富裕層の多さから中国ではないかと答えた。バドミントンで金持ちになるには、自分がスーパースターになるのが一番早い。桃田もおそらく稼いでいるだろうが、「それは本人に聞いてください」と田児は答えを保留した。
田児さん、よろしくお願いします。よろしくお願いします。どういう流れですか?体育館の中でインタビューって取らせていただき……。はい。あの、高いところに観覧席もあるんで、そこで撮ってもいいですし。
街録チャンネル見習いディレクター募集中です。面白い映像を作りたいという若者、ご応募お待ちしております。
今レッスン中であるってこと?指導中。ヨネックスって実業団のバドミントンチームなんですけど、女子チームですよね。女子チームの、そこの指導も頼まれてるって感じです。
田児さんがやってらっしゃるYouTubeを結構見てきてね。指導法とか動画あげてらっしゃいます。はい。今って指導者兼、バドミントンで……。YouTubeで発信してるみたいなレッスンの延長線上で、今お手伝いさせてもらってるところが、このチームじゃないところでもあるんですけど、僕のもとに、ちょっと僕に教えてもらいたい人を教えたいんですね。
だからクラブチームを見ることになったら、10人いますと。10人を平等に、平均的にとかっていうのは僕はあんまり好きじゃなくて。10人いたら、僕に教えてもらいたいっていう人も1から10まであるわけで、だからそういうところを結構大事にしてるから、なんて言ったらいいんですかね、作業的なのは結構苦手で、っていう感じかな。
田児さんの指導者的な今のモチベーションとしては?指導者的なモチベーションなんかないっすよ、全然。レッスン受けに来てくれたり、僕とバドミントン振り合ってくれてる人が、よりバドミントンの考え方だったりが豊かになってくれればいいかなっていう風に思うんで。もちろん結果が出れば1番いいと思いますけど、結果と共に、バドミントンがさらに楽しくなったとか、そういうの方が大事かなっていう感じですね。
1時間6万円みたいなことも公表しながらYouTubeでやってらっしゃるじゃないですか。はい。学生というよりどちらかっていうと大人の人がバドミントンをもっとうまくなりたいって来てる、そういうモチベーションの人が多いんです。
今1時間6万円じゃないんですね。今多分1時間10万円までいってて。僕、1番最初は2時間半からスタートしてるんですね。お金の話あんましたくないですけど。そこにも僕なりに色々、自分が切り開いてかないといけないっていう風な思いもあり。選手のセカンドキャリアですよね。僕に教えてもらうっていうことの価値をどんどん上げながら、そこの部分を引き上げていかないといけないっていうことを自分なりに自負してるので。
僕ほどの額が出せなかったりしても、例えば元実業団にいた子とかが、多分僕の30%の額でやった時に生活がちゃんとできるような基準だったり水準を作らないといけないと思って、そういう風に上げてるって感じですね。
バドミントン選手のセカンドキャリアって結構厳しいんですか?金銭的には。会社に残れれば会社に残って働く子もいれば、他のチームから出されて移籍する人もいれば、監督・コーチに他のチームから誘われる人もいるんで、そこはもう実力主義かなっていうところが強いかな。そんな豊かではないと思いますよ。まあ何をもって豊かっていう話ですけど。
ものすごくセカンドキャリアで稼げるのかって言われてしまうと、なかなかまだまだバドミントン界はそういうところは行けてないんじゃないかなと思いますけどね。だから一応、切り開くための1個の手段ですよね。こういうのもあってもいいんじゃないっていう。
でも確かに、世界ランキングで3位まで登り詰めた人に直接教えてもらえるって、とんでもない価値ですもんね。僕のレッスンを受けてみたいなっていう入り口で言ったら、もちろん僕の過去の成績だったりっていうのが関わってくることっていうのはあると思いますけど、それって多分最初の1回だけなんで。これをもう1回受けたいとか、この料理もう1回食べたいとか、もう1回このお店に来てこの料理食べたいっていうのは、やっぱそこの味が勝負なんで。そういうようなことを僕はレッスンの中でも意識しながらやってますね。もちろん1回で来られなくなる方もいたりもしますし、何回も来てくれる人もいますし、っていう感じですね。
だから、1回違法カジノだとかで一旦日本のバドミントン界から退いたにもかかわらず、今こうやってヨネックスさんとお仕事するまでに、なんて言うんですかね、信頼が回復してるってとこがすごいなと思って。これって多分、もちろん実力も大事だと思うんですけど、人と人との繋がりだったり、お世話になったことを忘れないとかっていう、本当基本的なことなんですけど、ちゃんとコミュニケーションが取れてたんじゃないかなという風に思いますね。そこの部分に関して言ったら。
特異な経験をしてる田児さんが、今までどんな風に生きてきたかっていうのを、生まれてから今まで質問してくってのがメインなんですけど。はい。出身は埼玉?埼玉ですね。どこですか?わです。わ。はい。
バドミントン一家でしょ、生まれ的に。そうですね。母親が、成績とすれば多分1番出てたんじゃないかなっていう。親父よりは。全日本で多分10回。それぐらいだと思いますけど、あんまり僕からするとそういうとこあんま関係なくて、自分が見てやりたいからやってるってだけだったんで。
生まれてきてからずっとバドミントンと触れ合ってる感じなんですか?母親の現役時代が長かったので。普通の人は多分本当に33歳、35歳ぐらい。うちの母は多分42、3までやってたんで、僕が小さい頃だったりっていうのは、自分が練習したいから大会に連れてこられるっていう感じのスタンスだったみたいなんで、自然的にバドミントンがもう目の前にあるっていう状況ではあったと思いますね。
で、別にお父さんお母さんから、幼少期は卓球の愛ちゃんみたいにずっと指導されてるとか?あ、全然ないですね。1mmもないです。あ、そうなんですね。離れてた時期とかもあるんですか?バドミントンやってない時期とか、その人生で。
そう考えるとあんまないかもしれないですね。結局ね、楽しいバドミントンと勝ちを目指して厳しいバドミントンって全然違うんで。そういった点で言ったら、両方とも混ぜていいのであれば、止めてやってなかった時期はないかな。
それで大会とかはどっかのタイミングで出るんですか?小学4年生ぐらいで出始めましたかね。多分最初県大会かなんか出て、ダブルスの方に出て、多分それは優勝したと思いますけど。シングルス、1人でやるやつとかはもう全然できないって感じですね。
その後に、6連覇とかするわけじゃないですか、日本で。ライバルみたいな人っていたんですか?勝てないなとか。勝てないなっていう人いっぱいいましたよ、もちろん。中学生、高校生の時だったら先輩にも勝てないですし、もちろん。世界に出たらやっぱね、世界ランク上位の人にはやっぱ勝てないんで、勝てない人だらけですよ、そんなのは。
でも地元とかでは敵なしって感じでした?ずっと。小学校は地元の小学校行ってまして、埼玉栄中学校っていうところに電車で通うようになって、私立なんですけど、ド強い学校だったんで、全国から集まってくるようなところに中学から入って、そっからですね、僕は例えば基礎トレーニングだったり、しっかりやり始めたのは。本格的なトレーニングは、そうですね。
その時ってもうモチベーションとしては全国大会で優勝する?いや、そんなことないすね。モチベーションとしたらもう毎日毎日必死にやってくだけですよね。あ、今日も終わったって感じ。明日の練習が嫌かなっていうのはなかったですけど、あ、今日も終わった、よし、また明日も頑張ろうっていう、この繰り返しだったと思いますね。中学1年生の頃なんかは。その学校に行ってるんで、どんだけ厳しかろうが、次の日もね、朝早くの電車に乗っていくわけなんで。
勉強とかあんまりしてない感じじゃないですか?基本バドミントン漬け。勉強してないっすね。仕方もわかんないし。平日はやっぱり朝練から始まって、そっから授業行って、午後3時半ぐらいから4時ぐらいから練習して、家に着くのが8時半、9時とかなんで。で、休日はもう朝9時から1日練習なんで。休みっていうのは年間に多分10日あればいいんじゃないですかね。
バドミントン以外のスポーツをやろうかなみたいな時期はなかったんですか?小学生の頃、同時にサッカーもやってましたけど。4年生から5年生、6年になるぐらいまで。1週間7日あるじゃないですか。2日はサッカー、2日はバドミントンみたいな感じでやってましたけどね。サッカーよりバドミントンの方が楽しいなって。バドミントンの方が明らかに結果が出てたんで。サッカーでね、県大会優勝するのはめっちゃ大変なんで、自然とバドミントンになってましたね。そこはあんまり迷いなかったかなと思いますね。
それって全然バドミントンと使う筋肉とか思考とか違いますか?全然違いますね。そもそもバドミントンで基礎トレーニングしてなかったので、小学生の頃は。そういう点ではサッカーってやっぱ走るじゃないですか。そういうのは自分にとって良かったんじゃないかなっていうのは母親とも話しますけどね。
高校までエスカレーターでそのまま埼玉栄に行くの?そうですね。シングルスはいつから入りますか?中学の頃もやってましたけど、練習が足りてないんで動けない。中学生っていうのは全国大会に、どっちか選ばないといけないですね。シングルスかダブルスか、どっちかしか出れないんで。ダブルスで全国大会、2年生と3年生の時出たんで。個人戦ですよ。高校になると両方出ていいんですよ。そっからじゃないかな、本当にシングルスやり始めたの。だから15歳、16歳ぐらいから。多分異例というか、ちょっと遅めですよね、完全に。
それでも結果が出るわけです。遅れを取ってるって言い方おかしいですけど、やっぱりみんなはもう小学生の頃から厳しい練習して、もうこれがザ・シングルスっていうのがベースになってるわけですよ。だけど僕の場合はそれがなかったんで、先に頭から考えないと無理だなって。肉体勝負しても勝てないので、そういうのがうまくはまったんじゃないかなっていう感じですね。
結構昔からクレバーなタイプっていうか、頭で考えたくな……。体力テストとかやっても僕は中の下ぐらいのレベルなんで、身体能力もその高いわけでもないですし。身体能力が中の下ぐらいでも、テクニックだったり頭の使い方次第で世界が狙えるってことは……。いや、もちろん努力はしないといけないと思いますけど、やりようはありますよ。
じゃあ、世界でトップになるような選手っていうのはどっちの方が比重高いですか?頭脳と……。いや、明らかに身体能力が抜群に高い人です。もちろん。あ、結局そっちですか?そうです。高く跳べて、早く走れて、重い物を持てる人は強いですね。
そこに頭脳戦で世界3位まで持ち込んだと。頭だけで行ったわけではないけれど、じゃあ身体的に足りてたのかって、全然足りてないと思ってたと思うんで。ちょっと技術あったかなっていう感じですけど。
高校でも日本一と。その全国大会、そうですね、まあ優勝の時は嬉しいですよ。もう2連覇目の時はほっとする気持ちの方が強いんじゃないですかね。勝って当たり前みたいに見られる。あ、そうですね。だからあんまり面白くないっすよ、状況的に。その時はプレッシャーの方で。別に自分で強いと思ったことないんで。いつかどっかで負けるんだろうなっていう不安と戦いながらっていうだけの話なんで、優勝したら一旦それは乗り切れてるわけじゃないですか。そしたらほっとする気持ちしかないですね。
基本的に挑戦者と迎え撃つ側、どっちの気持ちの方が長い感じなんですか?高校3年生……あ、でも全日本で優勝した後ぐらいから、多分日本で1番になったんで、そっからは日本人とやる時はどっちかと言ったら受けて立つ側ですよね。横綱になったみたいなもんなんで。
バドミントン自体を楽しんでやってるっていう感じは残ってるんですか?高校ぐらいの、もう2連覇してるぐらいの日本有数の選手になっちゃってるって状況で。でもね、結局は毎日を全力でっていう感じですけどね。抜くっていうのがあんまなかったと思いますね。どうせやってんだからっていうのが結構強くて、それはやっぱもっと上に行きたかったっていうのがあったんじゃないかな。もっと上に。高校で優勝したら大人の世界、シニアにっていうのがあれば、シニアで日本一ってなれば、もちろんね、世界でっていうのがある。
世界一になるぞみたいなモチベーションの時もありました?世界一までは見えてなかったんですけど、当時世界一だったり、世界ランキング5番ぐらいの人たちが、僕はまだ海外ではペーペーな時に、ああいう風になりたいなっていう憧れ。憧れもあるし、あるところでは、自分がやらなかったら誰がやるんだぐらいの感じで思ったところもあるんで、世界で勝つんだっていう気持ちは一番強かったと思いますね、その中では。
だからそれがあるから、そういうのが結果としてついてきたっていうだけなんで。あんまり6連覇を目指した、5連覇を目指したとかっていうのはないんで。1番最初に出たのが高校1年生の時だったんですよ、その大会に。その時は嬉しかったですけど。もう憧れてた大会だったんで本当に嬉しかったですけど、そっからはもうあんまり嬉しくないというか、もういいかなっていう。それよりも世界で勝ちたいなっていうのが強かったですね。
世界でって希望した場合に、当時の日本の実業団にいて世界をメインにっていうのはできないもんだったんですか?当時は厳しかったですね。世界というよりはまず日本一になってっていうのが日本の風習だったんで、なかなか難しいとこがいっぱいありましたけど。今はね、普通に日本選手権棄権して海外の大会行く子もいたりとか、平気で日本選手権途中でやめちゃう子も結構いるんで、今はちょっとね、やっぱり日本基準というより世界水準、世界基準になってますね、今の選手たちは。羨ましいなと思いますけど。
当時なんでそれがダメだったんですか?誰も勝ってる人がいないからじゃないですか、世界で。日本でやることはやったうえで世界っていう感じのパターンだと思うんですね。日本選手権に出ないとかっていうのは、いなかったんじゃないかな、1人も。
でも田児さんは本当はもう1回勝ったらいいでしょうって気持ちだったんですもんね。そうですね。それが結局、5、6回続いたって感じですね。
その時にもうすでにギャンブルとかにはまってるんですか?元々別にそんなに嫌いではなかったんで、やることもありましたけど、はまってるって言われるとどうかな。もちろん試合メインなんでね。バドミントンが第一にある中でっていうところは大前提で。ギャンブル自体が試合に影響とか特になかったです。試合にいい方向に働くためにやってるだけなんで。
そのいい方向にって面白いですね。だって勝った負けたをやるわけなんで、もちろんバドミントンでも。ギャンブルだけじゃないですけど、ご飯食べるのもそうだし、生活で自分がやることもそうなんですけど、全部バドミントンにつなげるようなタイプなんで。バドミントンがある中で、色々ある中で、そこに1個ギャンブルがあるっていうだけなんで。
あ、そうですか。運を鍛えたんですか?自運。自運って分かります?自分が持ってる運ですね。自らの運。自運と天運ってあると思うんですよ。天運っていうのは多分回ってくるんですね。みんな持ってる運だと思うんですよ。自分が持ってる運を知りたいっていうのがあったのかなと思いますね。でもわかんないですよ。多分この感覚はなかなか難しいです、言葉で説明するのは。
でもやっぱ勝負してる時に、あ、運で負けたなっていう時もあるってことですか?もちろんありますね、それは。でも大体負ける時って、大体自分をコントロールできてなくて負けるんで。それはもう結構バドミントンの世界も一緒なんで。自分をコントロールできなくて負けるって、言葉でも難しい……。いや、熱くなって負けちゃうとかね。あ、そういうことですね。それは別にこのバドミントンのコートの中の話と同じ話なので、どの競技でも一緒なんじゃないかなと。それを力に変えられればいいですけど、自分をコントロールできなかったら自分が崩れちゃうってことなんで。これは相手をどういう風に崩していくかってスポーツですけど、先に自分が崩れたらやっぱどうしようもないんで。っていう感じかな。
その経験もあって、1回トマス杯っていうので金メダル取るんですよね。そうすね。男子の1番大きな大会で言うと、1番世界で大きな団体戦ですよね。それで1回優勝することができてっていう感じなんで。それって日本男子で初めてのことですよね。当時多分初めてで、多分未だにそれ以降優勝はないですね。
この時ってもう選手としてはピークの状態って感じですか?いや、そんなこともないですよ。まだそん時の僕の実力って今よりも全然低くて、いろんなことがうまくいって、そういう結果がついてきたっていう感じなんで。サッカーの奇跡的じゃないけど、ブラジルに勝ったとかあったじゃないですか。そういうような感じに近いんじゃないかな。
その時はだいぶ熱くなりましたか?熱くなったというか盛り上がってましたね。僕以外の人もそうですけど。だからずっと結構淡々とされてきたのかなって勝手に思ったりとかするんですけど。どっちかというとアグレッシブにやってるタイプだと思いますけどね。じゃなかったらね、ギャンブルなんかやんないでしょ。家にいるでしょ、っていう話なんで。
まあバドミントンに対する気持ちっていうのは、やっぱり当時の中で断トツで強かったんで。自分がやっちゃったことではあるんですけど、違法カジノとかで、世間のみんなから色々言われるのは全然納得もしますし、しょうがないとも思いますけど、今までやってきたことはちゃんと自信を持ってこれからも続けていかないといけないし。今違ったやり方でバドミントンに触れさせてもらってますけど、そういうのは僕の中ではすごく大切にしてるところなんじゃないかなと思いますね。
バドミントンに人生をかけてる生活を20何歳までずっと続けてるっていうことですもんね。そうですね。バドミントンが全てだし、バドミントンしかわかんないんだよね、何もね。それって一般的な青春みたいなことはあんま送ってない感じじゃないですか?ないっすね。修学旅行も行ってないですし、卒業式も入学式も出てないんで。卒業式、入学式って出てないんですか?卒業式の日は確か全英オープンに行ってて。高校の卒業式の時は。まあわかんないですよね、その普通の感覚が。
修学旅行中ももう試合に出てるんですか?試合だったり合宿だったり。もう代表に入ってたんで。代表になるような人たちはみんなそういう生活なんですか?基本的には。今だったらA代表、B代表っていうのを括りとしてあるんですけど、Bの方はU-24って言って、24歳まで。で、Aは本当の日本代表ですね。今ワールドカップに出ちゃうような感じだと思うんですけど、そこに入ったら忙しいですね。そこに入ってたんで。もう高校生から?高2からですね。
日本代表になるのって、どうせなるだろうなと思ってましたか?昔から。いやいや、毎日全力でやった結果なんで、なんか狙ってとかないす。代表に入ったから勘違いすることもなければ……これがすごいですよね。そこに関しては全く調子乗ってないっていうか。入ってからの方が大変なんで、調子に乗る理由がないですよね。代表に入ってからがもっと厳しい世界に行くわけで、もっと頑張んないといけないのに、代表に入るのがゴールだったら厳しいですよね。
代表に入るのはスタートなんですよね。スタートでもゴールでもないんじゃないですか。ただやることが今までよりも大変になるだけなんで、強度を上げていくだけの話ですね。
カジノを日本でもうやりたくなっちゃったって感じなんですか?海外でやるのは認められるわけじゃないですか。認識の甘さはもちろんあると思うんですけど、まあもうパチンコやるのと一緒なんで、そこに関しては。すごく大事になったと思うんですけど、テレビだったり、いろんなね、謝罪会見したりとか色々だったと思う。あそこまで火が起きるとも思ってないんで、当時は。
だからそこはもう本当完全に認識の甘さで、そこの部分は僕自身はすごく反省してますし、もちろん、例えば全任日本の活だったりとかに踏み入れたことも1回もないですし。僕が全員を引き連れてみたいな感じの報道でしたけど、それは一切全然違うんで。別にみんな行きたい時に行ってるだけなんで。そんなのは全然ないんですけど、そういうのは言っておこうかなと思いますけど。
そうか。それ、当時の報道だと全員引き連れて行っちゃって、で、結局僕だけ首になったって感じじゃないですか。解雇されたっていう感じなんで。別にそれに対してね、何があったとかそういうの全然ないですけど。その結果だけ見ちゃうと首謀者みたいに映っちゃいますもんね。うん。それが世間の怖いところですよね。でも別にあんまり僕の中では関係ないんで。いろんな人に迷惑かけましたけど、それをあの件から学んで、これでまたね、同じようなことしたらただのアホなんで。そういう感じで今に至ってるって感じですね。
会社をやめることになるとまで思ってましたか?ちなみに。やってしまったことが悪いから首になるっていうことは、自分の中でも全然受け止めできましたし。自業自得の話だけども、一旦プレイヤーとしては一区切りかなっていう感じでしたよね。
当時の感じと、その時のバドミントン的なモチベーションで言うと、どういう感じだったか。頑張りたいっていうのはありましたけど、その前にちょっと怪我をしまして。その怪我の時ぐらいだったと思うんですね。それに多分ちょっと時間を費やしてしまったっていうのは、多分結構その怪我っていうのは……まあただの言い訳ですよ。当時もその怪我治ったら世界一になりたいなっていう気持ちです。やるべきことは変わんなかったと思いますけど。
そこに結果がついてくる時期とついてこない時期ってやっぱあるじゃないですか。で、ついてきてはなかったんで、結果が。捻挫した後はね。やっぱバドミントンってそのサイクル入るんですか?トップが入れ替わるの。ありますよ、全然。15位から30位までとか結構入れ替わり激しいですよ。
当時田児さん、マックス世界3位まで行かれたじゃないですか。違法カジノのスキャンダル前は世界ランキングで言うと何位ぐらいだったんですか?覚えてないですね。20番ぐらいじゃないですか。わかんない、30番……わかんない。全然あんまりそういうの覚えてないですね、そこら辺は。でも20、30番ぐらいだと、別に翌年に一気に上に行く可能性も全然あると思う。あ、ありますね。
ああいうのって最初週刊誌から通知が来るんですか?直接個人に。それとも会社に。あのね、それに関して言うと僕からはなかなか言えないですね。やっていいことか悪いことかっていう概念で見るともちろん悪いんですけど、それを抜かしていいんだったら、僕はただギャンブルしてただけなんで。僕に来るわけじゃないですね、完全に。それだけは言ってますけど、それぐらいしか言えないです。
なるほど。会社と日本の連盟と両方からダメだよってなると思ってましたか?ちなみに。なんで処分の重さが違うとかっていうのは本音でありましたけど。落ちしたわけでもなければ、ドーピングしたわけでもなければ。だからそれがまあ日本っていう感じですよね。だってね、ワールドカップ見てても、まだ裁判中の人が出てるとかね。多分日本だとありえないんで。国によって違うんじゃないかなっていう感じしか俺には言えないですけどね。
でも当時の日本のバドミントン界で言うと、結構ちょっと古い体質だったかなっていう感覚は?いや、古い体質とか古くないとかではなくて、僕の一個人的な意見ですよ。僕の一個人的な意見で言うと、そんなことしてるやつがバドミントンなんかしてんじゃねえよっていうのが世間の見方ですよね。で、僕の中で言うと、いやいや、そういうことをしてしまったんだから、今以上に練習を頑張って、もっと結果を出してみんなに恩返しをしなさい。これでいいと思うんですよ、僕は。
例えば、本当にそれこそ刑事事件になっちゃって、逮捕されちゃって、もう今刑務所にいました、そういう感じだったらもうしょうがないと思いますよ。もう練習もできないし、何もできないですけど。でも自分自身も良くないことしてしまったのは分かってるんで。まあ難しいですけどね。これもまた、僕も日本人なんですよ。分かってるから引いちゃう。
どこまでの罪が正当なのかっていうのを追求したら、裁判したりとかっていうような感じになってた場合なんですね。僕のケースではなくて、他のことでも絶対起きると思うんですよ、そういうのって。スポーツ業界もそうですし、芸能もそうですけど、不倫したら出れないとか。だからそこら辺はあんまり本質を得てない感じになっちゃってるなっていうのはありますよね。
その時に、その後の人生とかって誰かに相談したりとかしたんですか?相談っていうか、正直バドミントンの実力があるんで、別にあんまり不安ではなかったですね。もう1個極めたものがあるんで。でも人生がきつい状況ではあったんで、そん時に僕を助けてくれた人に対して、どういう風に自分のこの極めたもので還元していくかっていうところの思いが結構強かったですね。
それで僕、マレーシアに5年ぐらい住んでたんで。マレーシアの、僕の仲のいいカタリのオーナーさんが心配してくれて、こっちで全部面倒見てやるから来いっていうような感じのお声かけいただいて、それでマレーシアに5年間住んだって感じですね。ちょうどコロナで戻ってきちゃったんですけど、緊急事態宣言の時にさすがにちょっと、もしかしたらもう親とも会えなくなっちゃうかもしれないし、どれぐらい深刻な状況かってのはまだわかんなかったじゃないですか、あの当時。だから1回日本に帰りなさいっていう感じだったんで、それまではマレーシアにいましたね。
マレーシアで一応プロ選手の人がチームを持ったんで、そこに若い子がいるわけですね。その選手たちの相手をして僕の経験を伝えたりとか、年に1回マレーシアリーグっていうのがあるんですね。Jリーグみたいなマレーシアバージョンですね。そこで助っ人として出てくれって出ますし。そういう感じで、僕からずっと恩返しをしてたって感じですね。
でもこれまた面白いのが、世間からすると桃田より先に試合してるとか、いろんな見方があるんで、難しいとこです。その時、海外で試合に出ちゃいけないっていうルールではなかったんですよ。日本のバドミントン協会に登録してる大会には出れないっていうような処分だったんですよ。でも海外の人って日本とかは関係ないんで。ルールには基づいてたんですけど。
カジノのこともそうなんですけど、別に僕、聞かれるのは嫌じゃないんです、別にそんなに。でも言えることもないんで。ああ、全然。そこで明暗が分かれて、守ってもらった桃田と飛ばされた僕みたいな感じですよね。はい。全然それをなんか思ってることもないですし。
それで言うと、今もうだいぶ気持ちは整理できてると思うんですけど。別に当時もできてますよ。当時はどっちかといったら僕はもうすっきりしたんで。あ、そうなんですか。もうやること終わったって感じですね。今まではね、会社のためだ、日本のためだって、自分のためにほとんどバドミントンしてなかったんで、肩の荷が降りたというか。
当時はもう自分のためにバドミントンしてないなって感覚だったんですか?してなかったですね。高校1年生からしてないんじゃないかな、俺は。え、その感覚にすごい興味あるんですよ。高1からもう?だって高校2年でインターハイ優勝しても、代表入ったら、高校3年生はその学校のために頑張んないといけないし。そのまま高卒で実業団入って、社会人1年でもう僕日本一だったんですね。そしたらそっから今度会社のためにならないといけないし、僕のレベルが上がれば上がるほど日本で応援してくれる人が増えると。で、その人たちのためにも頑張んないといけないしっていうような感じだったんで。
あんまり自分のためにバドミントンをやってなかったって感じですね。それは今僕の中ではあまり良くなかったことでもあれば、そういう気持ちを持ってたからそれなりの結果が出たっていうところも両方あるんですけど、それは今の選手に結構伝えたいですね。自分のために頑張ってほしいと。っていうのは結構ありますね。
え、その自分のためにじゃなくても10年以上頑張ってきたわけじゃないですか。まあ7、8年ですね、実際ね。17歳から24、5までなんで。7、8年ですよね。感覚としては長かったですか?それとも短かったですか?長いというか、きついですよね。何回日本で日本一になろうが、嬉しいとかないし、楽しいとかもないし。みんなは強くていいなって言うと思うんですけど、結構、孤独ではありますよね。
それってその人にしか分からない孤独すぎて。あ、そうっすね。誰に悩みを相談するでもない感じですよね、きっと。もちろんそうですね。自分で全部解釈しないといけないし。もちろん日本で自分より強い人がいないわけなんで。これはどこのチーム、どこの日本代表の子でもそうですし、対人競技であれば小中高大学、全てのカテゴリで言えると思うんですけど、練習とかも工夫しないといけないし、いろんなことを工夫してやってたっていう感じです。それが8年続くのは確かに結構きつかったですね。
もちろんそれでね、いいこともありますし、特別に扱ってもらってることとかもあったんで、いいこともある、もちろんありますけど、でも実際結果を出すってそんな簡単なことじゃないんでね。まあ大変でしたよ。
それで言うと、その悩みってお母さんとかもしかしたら経験してる可能性はないんですか?10回優勝して。いや、あるんじゃないかなと思いますけど、僕とは全く別のものだと思ってたんで。正直、言い方めっちゃ悪いんですけど、僕の母親の時代は気合と根性ですけど、僕の時はやっぱり気合と根性だけじゃ無理なんで、やっぱ技術もいるし、戦術もいるし。母親の時代の人からしてもあったと思いますけど、でも絶対的にその気合と根性が強かったと思うんですよ。ラケットの重さも倍ぐらい違うと思いますし。
僕らみたいな外側の人間からすると、お母さんだったら気持ち分かるじゃないですかと思うけど、田児さんからしたら、いやいや、競技ほぼ違うようなもんだからわかんないよって感じ。いや、勝つのが大変っていうのは分かってたと思いますよ、もちろん。結果を出し続けるのが大変ってのは母親も分かってたと思います。でもそれは俺も分かってたんで、別に相談することではないですよね。
個別具体になってくると、ちょっと時代が違いすぎるし、それこそ技術的なことだったり、世界のトップの選手に勝つための戦術的なことだったりってのは、正直母親でもわかんないと思ってたんで。それはもうiPhone 17使ってる人とiPhone 2とか3使ってる人の悩みは違いますもんね。それ叩かれますよ。大丈夫ですか?それ叩かれますよ。まあ、そういう風に近いですよね。だってOSがね、違いすぎるから。やるべきことが違うんで。今のバドミントンもそうですけど、お客さんが求めてることも全然違うんで、昔と。
それってお客さんの方にまで入ってきますか?その感覚っていうのは。だって大体バドミントンやってる方が来ますからね。へえ、面白い。スキャンダル起きてくれて、ちょっとほっとしてる部分もあったんですか?ほっとしてるのもあったし、肩の荷が降りたって感じですね。みんなに迷惑かけたんですけど、残された人間の方が大変だったと思いますよ、そこは。そういうこと。桃田さんとかって。大変だったと思いますよ、そこは。だから別の大変さがあるんで。
え、桃田さんは最終的に世界チャンピオンになる。だからそれは元々実力があった子なんで、不思議はないというか。いろんなことがうまくいって世界チャンピオンになったっていうのももちろんあるし、逆のこと言ったら、ちょっとずつ歯車が狂って勝てなくなったっていうのもある。それって選手として当たり前の話じゃないですか。それが桃田の場合はグンといった時がすごかったっていうことなんで。
桃田の試合に限らず、全然僕は試合を見るんで。たまに解説のお仕事とかも頂いたりとかして、やらせてもらった時もあるんで、全然見ることもあれば。やっぱりみんなの中で田児・桃田をくっつけたいんで。あの頃はやっぱ田児・桃田だったんで。ニコイチみたいにダブルスを組んだわけじゃないけど、別に。そういう感じなんだね。
田児さんと桃田さんは全然違うタイプの選手なんですか?桃田の方がやっぱりザ・シングルスプレイヤーですね。ちゃんと運動神経、身体能力も高いですし、もうずっと小さい頃からシングルスやってやってやって、ザ・シングルスプレイヤーって感じ。まあすっごく簡単に言うと、このコートの広さがあって、四つ角をうまく使っていくのがザ・シングルスプレイヤーのやることですね。うまく相手を走らして。これがシングルスプレイヤー。だからそれが桃田ですね。
僕の場合はそれをやっちゃうと無理になっちゃうんで、いかに動かなくていいかっていうことを考えてやる。自分も相手も。自分がやりたいことだけやってもダメなんで。相手も動かさないようにプレイしてたんですね。いや、相手も動かさないっていうか、自分が動かなくていいために相手も動かないようにっていうことですね。これちょっと難しいですけど、珍しいタイプだと思いますね。
でもその方向で3位まで登りつめちゃったんですね。だから3位なんじゃないですか、逆のこと言うと。わかんないですけど。なるほど。そのタイプで世界一になった人はいないんですか?近年で。いないんじゃないかな。やっぱザ・シングルスプレイヤーが多いですね。でも今のバドミントンに必要なのは、僕的には僕みたいなタイプのやり方のプレイだと自分で思ってますけどね。結局身体能力で差がなくなってきたら、もうあとは頭脳で差をつけるしかないですもんね。
面白い。田児さんはこれは日本に帰ってきてYouTube始める?いや、マレーシアで、コロナが爆発する1年ぐらい前に始めたんじゃないかな。1年、2年前にYouTubeを。バドミントンってジャンルで10万とかいってるの、登録者。どうなんですかね。まあ始めた時期は良かったんじゃないかな。
と思いますけど。バドミントンしか載せないんでね。
カジノ行ってみたとか伸びると思うんすけど。韓国行ってカジノ行ってみたとかやったら映えると思うんすけど。やっぱね、僕のバドミントンを見たいっていう人が僕のファン層の大半を占めてるんで。そういうのは極力やんないようにしてますね。
そっから張って何百万みたいのは撮れますよね。僕の中ではもうネタになってるんで、全然大丈夫なんですけど、それでもやっぱりネタにしきれてない人もいるわけなんで、絶対に業界の中では。そういう人に反感買ってもやなんで。ちなみにいくらぐらいかけてたんすか?マックス。
数えたことないっすよ。全然何百万とかじゃないですか?全然なんかその何千万とか何億とかじゃないんで。このバドミントンの規模がそんなんじゃないかな。
そこら辺になんかある。そのバドミントンで、バドミントンプレイヤーで一括りされちゃうと他の人に失礼なんで。賞金とかっていうと全然何もないっすよ。地位と名誉だけです。
え、それ賞金とかないんすか?国内の大会ないんですよ。あ、そうなんすか。え、それトマス杯でも?トマス杯もだから結局は優勝すると思ってないんで、何も準備されてないわけですよ。優勝したことに対しての賞金とかみたいなのは。
だから、僕マレーシア住んでたんで。決勝やったのがマレーシアとだったんですね。マレーシアが優勝したら1人3000万から5000万もらえて、土地ももらえるみたいな。で、それがもうマレーシア1人ですよ。1人1人ずつですよ。日本はもう本当にあんまり言えないですけど、何十万とかのレベルですね。
その世界一の人がもらうにしてはちょっとだいぶ寂しい感じですね。
だから生活をするためにバドミントンをしてないと思うんですよ、日本の人って。これがちょっと違いますよね。ブラジルのサッカーじゃないけど、やっぱり生活を豊かにして家族を助けるためにサッカーの練習したりするわけじゃないですか。そういう感じじゃないんで。
すごいす。なんかその本当に収益化される前のYouTubeみたいな、本当好きだからやってますみたいなことになるんですね。
で、そこは僕変えたかったんですよ。すごく。すごく変えたかったんですけど、難しかったですね。それが今のレッスンとかに繋がってきますよね。ちゃんとバドミントンをやってきたんだから、他の人にない知識が普通あるはずでしょっていう。それを僕の考え方だったりが好きな人に共有して、その未来が明るくなればいいんじゃないかなっていう思いでしかやってないですね。
田児さんがこれからのバドミントンに必要になってくるノウハウを持ってるとして、代表のコーチだとか監督になる可能性ってあるんですか?興味ないです。僕に教えてもらいたい人に教えたいですよ。
そうか。なるほど。
日本代表に招集されました。田児に教えてもらいたい人は全員じゃないと思うんですよ。それ嫌なんですよ。あ、なるほど。
僕って本当にすごく言い方悪いですけど、バドミントン界だったら高層マンションで30階、35階だって。僕、30階か35階にいた人間なんですよ。バドミントン界で言うと。だから正直そこにいた時っていうのは、地上1階から5階の人の考え方も知らなければ見てなかったんですよね。上から見てちっちゃい米粒ぐらいですよ。だから見えないじゃないですか、上から見たって。そういうぐらいの感じなんですよ。
上からかなってなっちゃうと嫌なんですけど、それが、こういうこともあり、いろんなことがあって、YouTubeがあって。でも見る人って1階から35階の人まで見るわけですね、YouTubeとかで。そうした時にレッスンとかと出会って、1階、5階の人と触れ合うわけですよ。そしたら僕に教えてもらいたい人ってやっぱり結構いるわけですね。お金を払ってでも僕のレッスンを受けたい人っているわけなんで。
高いから富裕層ばっか来るのかって言うと全然そうじゃなくて、1回10万円だとしても、毎月頑張ってバイトして1万円ずつ貯めたら1年に1回受けれるわけですね。で、そういう子も全然いるんで。
いろんな人が、自分の勉強にもなるし、その時の必死さだったり、今の時間を本当に大切にしようっていうこの輝きだったりが全然違うわけですよ。熱量が違う。全然違う。それそうでしょ。自分が10万円何かにかけると、その熱量あるでしょ、絶対。それと全然一緒なんで。
欲しいもの買う人もいれば、それをお酒、タバコに使う人もいるし、それをギャンブルに使う人もいるし、でもそれを僕のレッスンに使ってくれてっていうことであれば、やっぱ嬉しいですよね。
で、その味を知っちゃってるんで。強い弱いは全然関係ないですよ。僕のお客さんで、僕のことがファンだから、バドミントンのレッスンすれば僕に会えると思って来てくれる人もいるわけですよ。わざわざバドミントンしたことないのにラケット買って、シューズ買って、レッスンに来てくれる人いるわけですよ。何万円払って、何時間かけて来てくれる人もいるわけですね。
で、それって僕がそこに行って、その人と、バドミントンのレッスンなんでね、バドミントンしたりとかしたら、また明日からも頑張れますって言って帰られるわけですよ。いや、やるしかないでしょ。
だからなんかその、もうお金儲けっていうことじゃないんですよね、ちょっと。やっぱ価値を上げていかないといけないで、額を上げていかないといけないと思ってるんですよ。僕に教えてもらいたい人にはやっぱ教えたい、バドミントンは。
でも確かに日本代表の監督は1人しかなれないからあれですけど、そういう方向だったら、別にそれこそバドミントン選手のセカンドキャリアとしていろんな人ができる。今めちゃくちゃやってますよ、みんな。レッスン。トップの人だったりとか、元実業団の人だったりとか。で、僕の額ではやらないですよ。
あ、でもだからそれ以上、1個そういうビジネスを作ったんですね、田児さんがね。
だからそれを、今僕が10万円でやってますっていうところで、今僕が1万5000円でやっちゃったら、市場がおかしくなるんで。そっか。他の人も1万円でやんなきゃいけなくなりますかね。いや、そうなったら多分3000円でやんないといけないじゃないですか。なるほど。その人たちは今1万5000円、2万円ぐらいでやってますよね。
へえ。なるほどな。オファーが来たらやりますか?仮に。何?どこからですか?日本代表監督やってくれませんか?みたいな。
話は聞きますけど断りますね。で、どういう風にできるかにもよるじゃないですか。日本のバドミントン界には戻らないとかっていうへそ曲げてることでも全然ないんで。手伝えることがあるのは手伝いますよぐらいですね。でも僕をトップに置くのはやめてくださいって言うと思いますけどね。
あ、なるほど。
手伝えることがあったら臨時で行きますよ。でも僕はこういう風に今やってるんで、これをちゃんとお支払いくださいって言ってやると思います。
そう。時間に対してこれぐらいだとか。
そうです。だからやること変わんないですよ。正直、別に今素人の方、初心者の方に教えてて、じゃあこうやって代表に行っても、僕の枠内で教えてるだけなんで、別に一緒なんですよね。世間的に見たら、実業団教えてるとかの方が箔がついたり、日本代表って箔がついたりするんですけど、全然そんなことなくて。
田児さんからしたら、確かにその0階から5階とか10階までの人の苦悩とかを知る術がないですもんね、これまでの人生で。
なんとなく分かるじゃないですか。でも想像するしかないってことですもんね。想像するしかないですね。体験はできないですもんね。あ、これができないんだとか、これわかんないんだとか、ここ苦労するのかとか。
やっぱりでもスター選手とかって、こうやって何百人っていうイベントとか呼ばれますけど、全員にちゃんと対応できないじゃないですか。それも嫌なんですよ。だから結局、基本的に僕のレッスンは1対1ですね。
あ、パーソナルトレーニング。はい。っていう感じでやらしてもらってます。
それってやっぱ普通に、あのスキャンダルがあったから生まれたもんだと思いますか?今のこのスタイルって。いや、結局こうやってやってると思いますけどね。
え、兄弟とかいるんですか?兄弟、妹。妹も選手ですか?いや、妹は田児家の中で一番有能だったんですよ。え?あ、そうなんですか。有能というか、何やってもすぐできちゃうみたいな。あ、天才。天才って言ったらわかんないですけど、覚えが早かったんですね。
だから続かなかったです。あ、そうなんですか。色々続かなかったです。で、妹結構すごいっすよ。バスケやってもできるし、テニスやってもできるし、サッカーやってもできるし、バドミントンやってもできるし。でも続かなかったっす。
そうか。それはそれで続かないんですね、すごすぎて。いや、すごすぎてっていうか、別にそれがすごいって言ったわけじゃないですよ。でも僕が見ててもすぐできるようになるじゃんっていう感じでしたね。そう、才能に溢れてたんですよね。じゃないかな。でも続ける才能だけはなかった。
でもそうなってくると、やっぱりバドミントンしかないんですよ。みんなバドミントンやってんだから、バドミントン続けるしかなかったんですよ。で、バドミントン続けたら、やっぱ兄がいるしってなった時に比べられるじゃないですか。そういうのもやだったんじゃないかなと思いますけどね。わかんないですけど。もはやわかんないです、僕にはそこは。そこを聞くわけでもないし。
そっか、お兄ちゃん6連覇してたら、ちょっと続けんの辛いもんな。いや、どうなんすかね。わかんないですけど。別に楽しくやればいいじゃんって話なんすけど。
ああ、すごいし。珍しいタイプ。田児さんも、親10連覇しててもなんかあんまそれプレッシャーに感じてなさそうですもんね。そうだから、すごい天才なんすね、多分。
いや、天才というか、それで厳しい世界でやってきたっていうとこありますね。で、YouTubeとか見てても、母親もよくあんなにうまく教えれるって言いますもん。やっぱ物事の言語化が一番難しいんで。
すごいな。ずっとバドミントンを教えて生活してくって感じですか?それともなんか他にやりたいこととかあったりするんですか?
いや、ないすね。バドミントン教えるのは教えると思うんですけど、もうあんまりね、人生にモチベーションないんですよ。もう僕ないんですよ、全然。僕に教えてもらいたい人がレッスンに来て、教えた結果めっちゃ喜んでくれたらめっちゃ嬉しいですけど、それこそ体育館建てて、田児賢アカデミーやりたいとか、それないんです。全然。
全然なくて。やりきったって感じなんですよね。バドミントン界からいなくなった方がいいかもしれないです。1回バドミントンからフィールドを変えた方がいいかもしれないです。そしたら人生のモチベーションができるかもしれないです。
36歳でしょ。はい。もう明後日ぐらいで37歳なんですけど。37ですね。もう再び何かが湧き上がってくる可能性ありますかね。
お世話になってる人がいるんで。そういう人たちを裏切らないように、自分のできることを精一杯頑張りたい、頑張らなきゃダメだっていう風な責任感はあるんで、それでもいいんじゃないかなと思いますけどね。僕はなんかそういう感じで生きていけば。そっか。
いや、僕すげえなんかめっちゃ面白かったす。いや、面白くないっす、全然。あ、田児さん自体は。いや、面白いっていうか、変わってんすよ、多分。変わってますよね。でもなんか的は得てると思います。物事の的は得てると思います。ここだけ抜かれたらそれずれてねとかって言われるかもしれないですけど。そういうもんじゃないですか、世間では。
ライバルがいないことの苦悩なんて本当その人にしかわかんないですけど。すげえなと思う選手がいたりすると、ありがたいかなと思いますけどね。あ、海外に?それが僕の中で基準になってるんで、それを教科書で、それを基準にすれば、大体今のバドミントン界だったら教えれないことはないと思います。
国的にどこが強い?やっぱ中国は強いですね。中国。そうです。中国でも、中国もやっぱいろんな競技が強いから、そこまでではないわけですよ。日本に似てますよね。あとはインドネシア、マレーシア。
あ、じゃそこのリーグが1番稼げるんですか?いや、そうでもないですね。市場があるじゃないですか。相場が。そうすると中国が1番稼げんじゃない。へえ。なるほどな。富豪の方も多いし。あ、そうなんです。
バドミントンで金持ちになるんだったら、中国で金持ちになるんだったら、多分自分がスーパースターになっちゃうのが一番早いね。ああ。桃田さん結構稼いでる、多分ね。稼いでんじゃないですか。それも本人に聞いてください。知ってることいっぱいありますけど、それ本人に聞いてください。
ありがとうございます。田児さん、すいません。ありがとうございました。ありがとうございました。ちょっとできたら1回お送りしますんで。はい。全部カットで。お願いします。失礼します。
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大人になればわかるわ。何か失うじゃない。僕の最強な。
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