兒玉遥が語る、HKT48初代センターの重圧とうつ病からの回復
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜街録chのインタビューに、HKT48の1期生で初代センターを務めた兒玉遥が登場した。芸能活動は15周年を迎え、9月19日で30歳になる。現在は俳優業を軸に活動しており、3冊目となる写真集の撮影を終えたところだという。兒玉はそのコンセプトを「今までの写真集の中で一番リアル」「どこまでもリアル」と説明した。最近は精神疾患や美容整形について、さまざまな媒体で語っている。
聞き手は生い立ちから順に質問していく。話題は、ダンス未経験のままセンターに抜擢された経緯、総選挙での順位の上昇、そして重度のうつ病による2度の休養と回復にまで及んだ。兒玉は当時の自分を「追い込みすぎた」と振り返る。一方で、アイドルを経験したこと自体は良かったと考えている。
目立ちたがりのガリ勉少女
兒玉は福岡県出身で、生まれた時だけ別の土地にいたという。父は会社員、母は専業主婦で、弟が2人いる3人きょうだいの長女だ。テレビの中の世界には憧れていたが、自分には遠いものだと思っていた。小学校は私服で、ギャル風の奇抜な格好をして「学校で一番目立ちたい」と考えていた。ダンススクールに通う友人が洗練されて見えたので、真似をしてルーズソックスを履いていたこともある。
中学生の頃はティーン向けファッション雑誌に夢中で、読者モデルに憧れ、雑誌のオーディションにも応募していた。しかし最終審査はどうしても東京で行われる。東京へ行く手段はなく、親もステージママのように協力的ではなかった。芸能は東京に行かないと無理なのだと思い、諦めていたという。一方で「芸能の夢がはっきりあったわけではない」とも話す。当時はバスケットボール部に所属し、生徒会にも入り、勉強を必死に頑張る「ガリ勉」のような生活を送っていた。
そんな時に、AKB48の福岡版ができるらしいと耳にした。地元を拠点に芸能活動ができるなら「やるしかない」と思い、応募を決めた。誰も受かるとは思っていなかったので、親に相談せずネットで応募したと記憶している。全身写真と自撮りをガラケーで撮り、データを貼り付けて送った。
歌もダンスも素人だったオーディション
オーディションは14歳の夏、3次審査まであった。2次審査は福岡・天神の会場で、自己アピールをして質問に答えるだけだった。緊張で頭が真っ白になり、何を話したかはまったく覚えていないという。受験者には年下の子が多く、14歳の兒玉はちょうど真ん中くらいだった。
最終審査は歌とダンスの実技である。兒玉のダンス経験はゼロで、歌も友達とカラオケに行く程度だった。周囲にはダンスができる子が多く、東京から受けに来た人や、何度もオーディションを受けている人もいた。歌唱曲には、当時大好きだった西野カナの「Best Friend」を選んだ。ダンスは、講師がその場で初めて聞く曲の振り付けを1時間ほどで教え、覚えられたかを審査するものだった。兒玉によると、完璧に踊れたのは2割ほどで、なんとなく踊れる子がいて、残りはまったくできなかった。兒玉自身は「浮いていたと思う」と話す。
聞き手は、技術の高い人を選ぶオーディションとは違うのではないかと指摘した。兒玉はこれに同意し、48グループには「ファンと一緒に成長していく」という育成型のコンセプトがあったので、それがありがたかったと語る。最終的に選ばれた1期生は23〜24人ほどだった。受験時はAKB48が「フライングゲット」を出していた頃で、兒玉はファッション雑誌を通じてAKB48の衣装や特集に触れていたという。
学校での孤立と「センターになれなければ受験に専念」という約束
合格すると毎日レッスンが始まった。学校を最後までいるとレッスンの開始時刻に間に合わないため、事情を説明して毎日早退した。1期生の合格は地元のニュースで流れ、同級生にも知れ渡った。
オーディションは中学3年の夏で、部活の中学総体が始まる直前だった。一人だけ大会に集中していない部員とみなされ、「幽霊部員」と呼ばれて仲間外れにされた。掃除の時間はずっとトイレ掃除をしていたという。教師からは「あんたなんかが芸能界でやっていけると思っとると」と言われた。勉強を頑張ることが正義という雰囲気の強い学校で、兒玉自身も生徒会や勉強に熱心なタイプだった。そのぶん芸能活動が肯定される空気はなく、肩身が狭かったと振り返る。
レッスンでも最初はまったくついていけなかった。劇団四季の経験がある宮脇咲良や、アクターズスクールに通っていたメンバーもいて、ダンスの上手さに驚いていたという。
最初のポジション発表は、AKB48の握手会の場でHKT48をお披露目する機会に向けたものだった。レッスン場で、当時の支配人が「センター、兒玉遥」と発表した。兒玉は周囲の反応を見るのが怖かったという。ダンスは「下から数えた方が早い」レベルで、「なんであんなにできてない人が」と絶対に思われていると感じた。みんながセンターを目指していたので、嬉しい気持ちよりも「ごめんなさい」という気持ちが勝ってしまったと話す。
ただ、センターになりたい気持ちは強かった。兒玉は母と「センターになれなければグループを諦めて高校受験に専念する」と約束していた。親はまさか本当にセンターになるとは思っていなかった。だからこそ、やるからには全力で頑張ろうと決めていたという。
なぜ選ばれたのかについて、兒玉は今だから思えることとして二つ挙げた。一つは「超絶伸びしろがある」こと。もう一つは、下手すぎて悪目立ちしていたことだ。レッスン後も居残りして練習していたので、その一生懸命さも含めて運営が判断したのではないかと推測している。デビュー公演やCDデビューまでに期間があり、「ここでアピールできればポジションは変わる」とも言われていた。そのためメンバー同士は仲良くするというより、競い合う雰囲気だったという。
AKB48選抜での悔し涙と「下手すぎてワロタ」
HKT48は結成からCDデビューまで1年ほどかかった。持ち曲が少なく、毎日先輩グループの曲を借りて劇場公演をしていた。兒玉は「CDデビューが遅いのは自分のせいか」とまで考えていたという。
その間に兒玉は、AKB48のシングル「真夏のSounds good!」の選抜に、HKT48からただ一人選ばれた。MV撮影はグアムで行われ、振り入れは前日だった。ホテルのロビーに鏡を並べた簡易レッスン場で、先輩たちと一緒に3時間ほど振りを覚える。先輩たちはその時間で振りを入れて復習し、翌日には踊れる。しかし数カ月前までダンス未経験だった兒玉は、振りが入らなかった。当時はスマートフォンがなく、動画を撮って復習することもできなかった。その結果、まったく踊れていない姿がMVに残ってしまった。
2ちゃんねるにはスレッドが立ち、「下手すぎてワロタ」と書かれた。兒玉は自分への悔しさに加えて、代表として行ったのにアピールできなかったことを申し訳なく思い、メンバーに「結果を出せなくてごめんなさい」と謝ったという。
その後、指原莉乃がHKT48に移籍してきた。メンバーもニュースで知り、「まだアイドルにもなりきれていない自分たちのところに、テレビでバリバリ見ていたプロのアイドルが来る」と混乱した。ただ、指原はグループを引っ張り、メンバーとよく話してくれたという。
デビューシングルのセンターには後輩の田島芽瑠が選ばれ、兒玉は外れた。当時は悔しかったと話す。自分がなぜ選ばれていたのかもわからなかったので、何を頑張ればいいのかもわからなかった。ただ、歌もダンスも他のメンバーよりできていないことは明確だったので、とにかくそこを頑張ろうと思っていた。「私ではセンターに足りなかったんだ」と感じたという。
総選挙37位から17位、9位へ
兒玉が強く意識していたのは、AKB48の選抜よりも、HKT48の中で選ばれることと総選挙だった。デビュー直後の総選挙では、HKT48から指原莉乃と宮脇咲良だけがランクインしたと記憶している。兒玉の順位は37位、17位、9位と上がっていった。
当時の総選挙は16位ごとにグループが分かれ、上位16人の「神7」を含む選抜だけが表題曲を歌えた。17位は「あと一歩で選抜」の順位で、兒玉は「めちゃくちゃ悔しかった」と話す。HKT48では「控えめI love you!」で念願のセンターに戻った。売上の数字は当時見ていたが、よく覚えていないという。忙しすぎたことと、その後の休養もあって、当時の記憶はあまり残っていないと語った。
総選挙の順位は1年間引きずったという。17位の翌年は何としても人気を上げなければならず、一度上がった以上もう下げられないという気持ちがあった。兒玉は、他のグループと競うならまだしも、同じグループ内で序列を決められる構造だったと語っている。
「反省ノート」が自分を責める道具になった
休養までの5年間に何が起きていたのか。兒玉は、センターに選ばれた時から「人気にならなきゃいけない」「実力も上げなきゃいけない」という思いがずっとあったと話す。総選挙の順位、売上、握手会の列の人数といった数字を気にしすぎて、自分を追い込んでいったという。「何を頑張れば、ちゃんとしたアイドルになれるのかがわからなかった」とも語る。
聞き手は、テレビにも出ていたのだから外から見れば十分成立していたのではないかと尋ねた。兒玉は「今ならわかる」と認めつつ、当時はテレビで見ていた先輩のようにはなれていないとずっと感じていたと答えた。試験なら98点で「あと2点」とわかるが、アイドルは数字を渡されても理由がわからない。聞き手のこの指摘に、兒玉も同意している。
他のメンバーと悩みを話すこともできなかった。ふさぎ込み、「同じ土俵にいるメンバーとしてヘラヘラするのは良くない」と自分に課していた。兒玉は「誰もそんなこと思ってない」と前置きしたうえで、センターのプレッシャーを自分の中で大きくしすぎたと振り返る。マネージャーからは「はるっぴはそのままでいいよ」と言われることが多かった。しかし、みんなよりできていないのにそのままでいいとはどういうことかと、かえって悩んだ。自分の良さや、スタッフがなぜ自分をこの位置に置いているのかがわからなかった。「子どもすぎた」とも話している。
兒玉は毎日「反省ノート」をつけていた。中学のバスケ部の顧問が部員全員に書かせ、毎日提出させていた習慣を続けていたのだ。できていないところを書き出して改善策を考える作業である。しかし名前のとおり欠点ばかりを書くので、足りない部分を足そうとし続けても永遠に埋まらなかった。シングルでセンターを務めても、大観衆の前で歌っても、喜びはなく、ずっと自分を責めていたという。オーディションまでは自信のあるタイプだった。しかし初日から「歌もダンスも全然できない」というスタートだったので、そこから自信を失ったと振り返る。
総選挙前夜の幻覚と幻聴
兒玉は著書で、せん妄のような症状について書いている。聞き手がそのことを尋ねると、兒玉は最初の休養前から症状が出ていたと答えた。医師からはうつ病の症状だと説明されたという。
総選挙の前日、ホテルで寝ていると金縛りになった。「嘘だ、嘘だ」と思って目を開けると、目の前に現れたおばあさんが「嘘じゃないよ」と言ったという。兒玉は「初めて幽霊を見た」ような体験だったと話す。ぐるぐると回る渦巻きが、前世と今を結ぶ空間のように見えたこともあり、その世界を本気で信じていた。幻聴もあった。そうした状態のまま、兒玉は9位として総選挙のステージに立った。
9位になっても解放はされなかった。翌日から総選挙ガイドブックのような水着雑誌の撮影、楽曲のMV撮影、ドラマのセリフ覚えと、休みなく仕事が続いた。やっと選抜に入れて嬉しいはずなのに、体がついてこなかった。選抜メンバーになったからにはしっかりやらなければという思いが、さらにプレッシャーになったという。やる気がないわけではなかった。これから走らなければならない時に、頭が動かなくなり、心も弱っていった。
紅白での「悪目立ち」と最初の休養
せん妄のような症状はやがて出なくなった。しかし眠れない日が続き、いつも踊れていた曲が踊れなくなり、インタビューでも言葉が出てこなくなった。周囲から様子がおかしいと言われ、兒玉は半ば強制的に心療内科へ連れて行かれた。デビューから5年目、20歳の頃である。「私がそんな病気のはずない」と思っていたという。
決定打になったのはNHK紅白歌合戦だった。この年の紅白では番組中に投票の順位を発表し、16位以内に入らなければ曲を歌えないという新しい企画が行われた。総選挙で9位だった兒玉は、16位以内には入りたいと思って本番に臨んだ。しかし結果は29位前後で、曲は歌えなかった。
さらに生放送中に、兒玉は勘違いしたような動きをしてしまった。最後の上位3人は中央に集まるようアナウンスされていたが、兒玉は16位から順に名前を呼ばれるものと思い込んでいた。自分が呼ばれないまま最後の3人の段階まで進んだと思い、キョロキョロしながら中央付近を通り過ぎた。その姿が、1位・2位が目立つべき場面で映ってしまった。ネットでは「入ってないのに勘違い」といった書き込みがされ、スレッドも立った。兒玉は今なら面白い話として話せると言うが、当時は「とんでもない間違いをしてしまった」と落ち込んだ。
年明け、医師の判断で最初の休養に入った。兒玉にとっては嫌なことで、安心はなかったという。休むという選択肢が自分の中になく、もっと頑張りたかった。HKT48での活動がすべてだったので、居場所がなくなる怖さもあった。
悪化したままの復帰と2度目の休養
最初の休養は1カ月半ほどだった。何が治ったのかわからないまま復帰したが、兒玉は「より悪化して戻った」と話す。症状は前より悪くなり、薬の副作用やストレスで過食し、体重は20キロほど増えた。それがさらに自分を追い込んだ。
それから1年ほど頑張った。以前はライブも握手会も、歌って踊ることも楽しかったのに、心が動かなくなった。「自分は全然できていない」「みんなに迷惑をかけている」とネガティブな考えに傾き、番組の途中で母に「もうやめたい」と連絡することもあった。家族の見方は分かれていた。母はずっとサポートし、心配していた。父は、休んでいる兒玉が甘えているように見えた時期があり、「いつまで休んどると」という雰囲気になったこともあった。兒玉自身も初めての症状で、何が起きているのかわからなかったという。
2度目の休養は、医師に言われる前に兒玉自身が「もうアイドルはできない」と感じ、運営に申し出た。運営からは「はるっぴが気が済むまでゆっくり休んでいいからね」と言われた。当時は心の病を公表する風潮がなく、「体調不良による休養」と発表した。兒玉の説明によれば、48グループはCDの握手券を先に販売し、毎日劇場公演もあるので、休めばすぐに知られてしまう。説明しなければファンを心配させるが、病名までは言えない。その結果、「体調不良」という表現になったのだという。当時、心身の不調で長期休養するメンバーはあまりいなかったとも話している。
「社会復帰できるのは1割」と「生きてるだけでいい」
休養中の兒玉は、ベッドでずっと天井を見ていた。後に知ったことだが、医師は母にだけ「この状態から元気に生活できるようになるのは1割」と伝えていたという。兒玉自身も一度は社会復帰を諦めた。
支えになったのは母の言葉だった。母は「生きてるだけでいいよ」「はるかのことは全部私が守るから、生きててくれればいい」と言った。兒玉は、この言葉がすごく嬉しかったと振り返る。自分にできることが何もなくなったと感じていた時期だった。頑張らなくていいのだと思えたことで気持ちが変わったという。15歳から走り続け、グループで結果を出して売れることだけが人生の希望だった。その夢が破れた後の選択肢や外の世界のことは考えたことがなく、本当に何をしたらいいのかわからなかった。グループで順位を上げ、憧れの先輩のように有名になることだけを考えていたと話す。
回復の最初の段階は、朝起きて食べて眠るという基本的な生活を取り戻すことだった。それができるまでに半年ほどかかった。その頃には話す、書く、覚えるといった、以前できていたことができなくなっていたという。それでも自宅で療養するうちに少しずつ元気になり、何をしたい、何を食べたいといった欲が出てきた。
運転免許、一人旅、留学、ノートで自分と向き合う
最初の挑戦は、祖母の家に泊まり込んで自動車教習所に通うことだった。勉強すらできないと思っていたので、兒玉にとっては大きなチャレンジだった。しかし2週間ほどで免許が取れた。仮免許の頃から「私できるかも」「勉強もできるし運転もできる」と感じ、ここで初めて自信を取り戻したという。
その後は、アイドルでなかったらやりたかったことを全部やった。一人での海外旅行、そしてフィリピン・セブ島での1カ月の語学留学である。小さい頃に何が得意で何に心が動いたかというルーツをたどり、今後どんな仕事をしていくかを、ジャーナリングのようにノートに書いて考えた。かつての反省ノートとは違い、自分と向き合うための作業だった。
そこで兒玉がたどり着いたのは、自分は自己表現をのびのびとできることが好きだという答えだった。歌って踊ることも本当は好きだった。ただ、それを競争の形でやり、数字や順位を追いすぎて責任やプレッシャーを抱え込んだことで疲れてしまった。数字を追うこと自体は良いことで正解でもあり、結果を出して向いているように見える人もいると兒玉は言う。そのうえで、「アイドルとしてトップを目指す」以外の未来を持っていなかったことが自分を追い込んだと話す。センターに選ばれたなら「選ばれちゃったもん」くらいの図太さで堂々としていればよかった。初めてグループを見る人は数字など気にしていない。アイドル活動を楽しみ、ファンと思い出を作ればよかったのだと振り返った。
卒業コンサートのない卒業と、公表の理由
兒玉は卒業コンサートをせずに、「逃げるように」アイドルを離れ、女優に転身した。ファンやメンバーに感謝を伝える卒業コンサートを経ていないことに負い目があり、HKT48の活動を最初はすんなり見られなかったという。卒業コンサートで区切りをつけるのは「絶対セット」だと思っていたからだ。ただ、転身は周囲と協議した結果、戻るより転身した方がいいという結論になったもので、兒玉自身も納得していた。「どのやり方が正解だったか今でもわからない」とも付け加えている。
現在は別のグループで活躍する宮脇咲良については、「一度も休まずに走っている。普通のメンタルと体力ではできない」と語り、嫉妬のレベルではなく尊敬しかないと話した。
うつ病などを公表した理由も語られた。以前は心の病への認知が広がっておらず、公表すれば弱い人と見られて仕事に影響するのではという不安があった。それでも、応援してくれたファンに休んでいた理由を説明できること、同じ病気で苦しむ人の心が少しでも晴れる発信ができることを考え、公表に踏み切った。反響は大きく、自分と同じ思いをした人がこれほど多いのかと感じたという。ファンからは「やっぱりそうだったよね」「あの時握手券を買っていたから、理由を知れてよかった」「今も応援しているよ」という声を直接聞くことができた。わだかまりを抱えたまま休んだという思いが、少し解放されたと話している。
いまの働き方と、これから
これからアイドルになる人に何を伝えるかと聞かれ、兒玉は「マジで楽しみな」と答えた。選ばれたこと自体がすごいことで、プレッシャーはあっても、何も考えずに楽しめばいいと言いたいという。
現在は「自分の心の健康が一番」で、やりたい仕事はやり、やりたくないことは断る。休みたい日は自分から申し出ることもできるようになった。10代の頃は、自分から何かしなくても仕事が山ほどあり、断るという発想もなかった。今は状況が違うとしながらも、「選べることはめちゃくちゃ大事」だと語る。
今後について、兒玉は俳優業を死ぬまで続けたいと話した。俳優は年を取ってもいい職業だからだという。今はまだアイドルらしさや「綺麗でいたい」という意識が残っているが、それがなくなっても、必要とされる限り芝居を続けたいと考えている。そのうえで、美容、株式投資の勉強、メンタルヘルスなど話せることがあれば、俳優業を中心にマルチに活動していくつもりだという。
美容整形は、うつとは別の話として語られた。初めての整形は17歳頃で、コンプレックスだった目の埋没法をスタッフに相談し、止められたが実行した。15分ほどの施術で長年の悩みが解消されたことに感動し、手軽な施術から手を出していった。特にヒアルロン酸にははまったという。丸顔が気になり、MV撮影の前に顎に入れておかなければと考えていた。心が沈んでいた時期にも施術には通っていたと話している。
経験して良かったかと聞かれると、兒玉はアイドルの経験は良かったと答えた。ただし、重度のうつ病まで経験して良かったとは思わないと明言している。心の異変にもっと早く気づいて病院に行っていれば、重症化する前に対策できたはずだという。当時は心療内科という場所があることも知らず、自分がうつ病になるはずがないと思っていた。しかし、そう思っている人ほどなりやすいらしいと話し、もっと早く心療内科を活用すればよかったと振り返った。
芸能界に復帰する前はカウンセラーを目指し、心理カウンセラーの資格も取った。実践にはもっと本格的な学びが必要だと思うとしつつ、「今ならカウンセラーとしてできると思う」とも話す。28歳頃には卵子凍結もした。今すぐ子どもが欲しいわけではないが、将来少しでも望む気持ちがあるなら早めにしておくのが賢明だと考え、選択肢を増やしておいたという。家族を持つかどうかは「選択するかわからない」と笑った。
じゃ、ちょっとこっち歩きながらでもいい。はい。兒玉さんありがとうございます。お時間作っていただいて。ありがとうございます。あ、すいません。もう撮ってるんですか?そうそう。
その時にあの1番がなくなり、すごいびっくりした。
横浜鶴見で女性が笑顔になるための安全安心な医療を提供し続ける朝夫人家朝安さんの提供でお送りします。
今度写真集また出されるんです?あ、そうなんですよ。写真集撮り終えて。そうです。3つ目。そうですね。どんなコンセプトとかある?今までの写真集の中で1番よりリアルな、どこまでもリアルな写真。写真を見てください。え、リアルなんですか?はい。どこまでもリアルです。どこまでもリアルなんですね。はい。
リアル結構最近語ってらっしゃいますもんね、兒玉さん。いろんな媒体というか。そうですね。結構精神疾患。はい。整形から何からまでみたいな。いろんな媒体出ましたね。ロクさんの動画出てたりとかと思えばNewsPicks出たりとか。はい。ドラマとかも出てらっしゃる。ドラマとかも。はい。
今は女優をやりつつって感じですか?そうですね。俳優もやりつつ、自分が気になってやっていくとことん追求したい性格なので、それで他で語れるものがあれば、なんかマルチにやっていこうっていうスタンス。あ、そうなんですか。
今もう芸歴で言うと何年ぐらいになるんですか?15周年ですね。15年。はい。15歳からやってるので、9月19日で30歳になります。え、総選挙とかもう10年近く前ですか?10年前ですね。そうですね。最後出たの?はい。国民的お祭りでしたもんね、当時。いや、でしたね。やってるこっちからしたらもう本当ゲロ吐きそうなぐらい緊張してますからね。本当に毎日。
いろんな経験しながら今に至るってことで。だからこのチャンネルで言うと、あの本当生い立ちから今に至るまでのことをひたすら質問しながら聞いてくっていうチャンネルなんですけど。うん。
出身はどこになるんですか?福岡県出身って書いてるんですけど、生まれた時だけ都城に。うん。
アイドルとか憧れありますか?昔から。憧れ、なんかテレビの中の世界には憧れあったんですけど、遠いそういう世界のものと思って見てました。
どういうキャラクターですか?その小学校とかで言うと。私服だったので、小学生がなんかおしゃれに興味持って、すごいこだわってました、私服に。どういう服着てたんですか?とりあえずギャルで奇抜な格好。へえ。で、学校1目立ちたいみたいな。あ、そう。だからそういう目立ちたい欲はあったんですね。
そう、そう。ありましたね。ダンススクール行ってる友達が、ま、その子がすごい洗練されてておしゃれに見えたんです。ああ。だからなんかそのルーズソックスとかですよね。そういうのかっこいいと思って真似してました。小学生でルーズソックス履いてたんですか?やってましたね。へえ。
ご両親はどういうお仕事の方ですか?父はサラリーマンで。はい。お母さんは専業主婦って感じです。兄弟はどんな感じですか?私が長女で1番目で、弟、弟って感じ。
HKT48のオーディションってどうやって受けてこようかなってなるんですか?雑誌にはまってたんですよ。Seventeenとかレモンとかあるじゃないですか。ほうほう。読モになりたいって思ってたんですよ。うん。で、そういうのにオーディション受けたりしてて。うん。うん。だけど最終どうしても東京でってなるじゃないですか。うん。うん。東京まで行くガッツはないし、親もステージママとかじゃないので、なんか協力的じゃない雰囲気で。ああ、芸能って東京行かないと無理なんだと思って諦めてた。うん。うん。
中3ぐらいの時に、AKB48の福岡バージョンできるらしいよみたいな。うん。地元拠点に芸能活動できるんだったらやるしかないって感じなんです。おお。それで受けましたね。
芸能の夢みたいなのはもう中学生ぐらいの頃にはもうしっかりあったの?ないです。全くなかったんです。当時はバスケットボールでしたし、勉強めちゃくちゃ頑張ってて。ほうほう。ドガリ勉みたいな生活をしてました。
うん。オーディション受けること自体は特に反対されます?特に反対もなかったですね。誰も受かると思ってないから。なんか私、相談もせずにネットで応募した記憶があります。
HKT48ぐらいの世代だともうネットで応募なんですね。そうですね。全身と自撮りの写真をガラケーで撮って。はい。なんかそのデータ貼り付けて送ってます。ああ。
書類が通過するとどんな連絡が来るんですか?3次オーディションまであるんですけど。はい。書類は多分メールか。次は2次オーディション、福岡天神のここまで来てくださいって案内が。
オーディションはどんなことするんですか?自己紹介だったり。歌とか歌わないです?歌わないです。2次オーディションはもうただ自己アピールして質問に答えるだけです。何聞かれてどんな答えしたかとか覚えてますか?え、全然覚えてないです。何にもないです。もう緊張して頭真っ白でしたし。うん。うん。何言ったかも覚えてないですね。
何歳で受けてるんでしたっけ?オーディション自体は14歳の夏に受けてます。え、その14歳が受けてるって、その周りパッと見た感じどうなんですか?普通でもちょっと下の方なんすか?年齢的には。年齢、私はちょうど真ん中ぐらいでした。あ、14歳で真ん中ぐらいなんですか?はい。そうなんですよ。すごいです、それ。うん。もっと若い子たちの方が多くて。
最終は何するんですか?最終は実技があります。ああ、実技。はい。歌とダンスです。はあ。歌とダンス、自信あったんですか?ダンスってやってないですし。うん。歌も友達とカラオケで歌うぐらいの実力なんで。
そう。周りのダンスできる具合はどうなんですか?めっちゃできる子多かったです。HKTって他からも受けに来てるんですか?その。受けに来てます。東京からとか普通に来てます。はあ。オーディション何回も受けてますみたいな人もいる感じですか?いますよ。めちゃくちゃ。それじゃあ最終何人選ばれてるんですか?1期生は確か23人、24人とかそんぐらいです。
何歌ったんですか?私は西野カナのBest Friend歌いました。AKBの歌とかじゃないんです?じゃなかった。当時西野カナさんがすごく流行ってたので、大好きで。へえ。その曲歌いました。
ダンスは何を踊らされるんですか?ダンスはダンスの先生が来てくださって、1時間で、あなたたちに今から振り付け教えるから、これをテストで踊ってくださいって言われて、その場で。初めて聞いた曲で振り入れる。そうそう。それで覚えてるかどうか、そのオーディション時間になったらチェックされる形で見られます。
未経験でその1時間ちょっとで振りなんて覚えられるもんなんですか?全く覚えられない。2割ぐらい完璧にできてて。はい。なんとなくできる子がいて。はい。で、あとみんなは全然できないで。できなさすぎて兒玉さんだけ浮いてるってことでもないんですね。いや、そうだろう。浮いてると思います、多分。
あ、そう。なんていうか、K-POPとかと違って。はい。技術バキバキの人を取りますって感じでもないですもんね。ま、そうですね。48グループのコンセプトが、ファンのみんなと一緒に成長していこうっていう、なんか結構育成型のコンセプトだったから、それはありがたかったなって思って。
実際その受かると思ってないで行ってるじゃないですか。はい。最終審査とか終わった後はどうだったんですか?番号がみんなここについてて。うん。合格者だけ発表しますみたいな。そうそう。感じで、番号呼ばれて、はいみたいな感じ。ああ。
AKBは追ってたんですか?その、入る前。私は当時それこそ雑誌に、すごくファッション雑誌にはまってたので、そこでBeginnerとかヘビーローテーションとか、なんかそれに合わせたファッション特集とかもやってたんですよ。そう。へえ。ダイスジャケットとかがなんかすごい流行って。てかBeginnerの時はまだ視聴者側なんですね。はい。そうですね。
え、じゃ、受けてる時って何のシングルぐらいの時なんですか?その時はフライングゲットとかです。あ、もうじゃあ本当にまさに48帝国みたいな感じになってた時ですね。うん。うん。そうでしたね。へえ。前田敦子さん1位になってフライングゲット歌ってますみたいな。はい。すごかったです。
そっからどう生活も一変するんですか?毎日レッスン始まっちゃったので、なんか学校とか行けないですし、ま、生活も変わりましたね。もう受かった翌週から学校行けない時間どんどん増えてくる?増えてきます。やっぱ最後までいるとレッスンが始まる時間に間に合わないんですよ、私の場所からは。うん。だから早退して、事情説明して毎日レッスンに行ってました。
同級生とかはHKT48に兒玉さんが受かったこととかなんか知ってるんですか?当時はその1期生オーディションが終わった後に、もう地元でニュースとかで発表されちゃった、流れちゃったので。うん。みんなは知ってました。ああ。ってそのAKBのファンの同級生の男子とか絶対いるわけじゃないですか?うん。早退してるとはいえ、学校に行ったらちょっとアイツらしいよみたいになってるんですか?
わかんないです。どんな状況だったのか全然わかんないんですけど。でも毎日早退するから幽霊部員って言われてました。だからなんか。それが中3?中3です。部活とかは引退してた時期?中3の夏にオーディションで、ちょうど部活とかで中体連が始まる前だったんですよ。ふ。日本の方が多かった。あ、そっか。引退試合の前に抜けちゃったんだ。
1人だけその大会に集中してないやつっていう感じで。ああ。すごいバッシングというか、仲間外れみたいな感じに掃除はされてしまって、ずっとトイレ掃除してました。顧問の先生にも、あんたなんかが芸能界でやっていけると思っとるとね、みたいな感じで言われて。へえ。
ま、当時結構そこが勉強を頑張るのが正義っていう雰囲気が強い学校だったので。うん。で、当時私も生徒会とかお勉強とか結構してるタイプだったから、公立っていうのもあるんでしょうけど、そんなに芸能活動が肯定されてる雰囲気がない感じだったから、結構肩身狭かったです。結構アイス人なんですよね。はい。
一方そのHKTのレッスンの方は、レベル的にはどれぐらいの人が平均的な感じで?20何人選ばれたのが。経験者の方が少ないですね。へえ。振り入れ的なものは全くついていけないって感じですか?スピードに。ああ、最初は全然ついていけなかった。宮脇咲良ちゃんとか劇団四季とか経験ありましたし、あとは村重杏奈ちゃんとかもアクターズスクール確か行ってましたよね。だからすごいダンス上手だなと思ってました。
直近のセンターに選ばれるじゃないですか。はい。それっていつ発表される?初めてのポジション発表、今でも覚えてるんですけど、ドームでお披露目があるっていうのがあったんです。AKB48の握手会で。へえ。HKT48が結成されましたみたいな。あ、なるほど。じゃあ福岡じゃなくてまず先に。はい。AKBのお姉さんのファンの皆様の前でお披露目して、ちょっとファンになってもらおうみたいな。そうですね。それが第1弾の初めて表に出る機会だったんですよ。
レッスン場で、その時劇場支配人になった方が、なんかポジション発表しますみたいな、センター兒玉遥みたいな感じで発表されました。これ自分はどんなリアクションだった?え、それ怖くて周りの反応見れなかったですけど、なんであんなにできてない人がって絶対思われてた。そうか。だって下から数えた方が早いぐらいのダンスレベルなのに。はい。
いや、やったって感じじゃないです。ちょっと、みんなセンターを目指してレッスンはしてるから、ま、嬉しいけどごめんなさいって気持ちの方が当時勝っちゃったんですよ。ああ。あ、じゃあなりたかった?なりたかった、センター。センターにならないとそのグループ自体をもう諦めて受験勉強に専念しようってお母さんと約束してたから。活動の条件がセンターだったのか。あ、そうそうなんですよ。親もまさかなれるって思ってないので。だから私はやるからには全力で頑張ろうって気持ちでレッスン受けてて。そうそう。
何が認められてそのセンターになれたんだと思う?今だから思えるのは、超絶伸びしろがある。あ、なるほど。そのコンセプト的に成長過程を見てもらおうってことで言うと。はい。1番いいんじゃないかな。はい。超絶の伸びしろがあるのと、目立っちゃう、悪目立ちで。あ、下手。できてないから、下手すぎて。でもめっちゃ一生懸命ではあったんですよ。レッスンめちゃくちゃ居残りして練習してました。ああ、そっか。じゃ、その健気さも含めて良いのではないかっていう大人たちの判断。多分そうかな。ああ。
デビューの劇場公演とかCDデビューまでは期間があるから、ここでアピールできたら全然ポジションが変わるかもっていうのも言われてたので、すごい雰囲気ですよね、中。え、ちょっとじゃ、そんななんか仲良くするってよりは勝つぞって感じでやってるんですか?うん。表情って感じではあり。ああ。
HKT48だけCDデビューとかが遅かったんですよ。うん。だから持ち曲も少ないまま、ずっと先輩方の曲を借りて毎日劇場公演やってました。自分たちの曲は結成してからどれぐらいで出るんですか?指原さんが博多に来て、その後やっと出せるようになるんです。ファーストシングル。それってなんでそんな時間かかってるんです?普通なんかすぐパンってならない?うん。わかんないですね。グループが結成されて1年もCDデビューができないっていうのが結構長めだったから、え、私のせいかなって当時思ってました。あ、センターだから。はい。
その前にあとは真夏のSounds good!っていう楽曲で初めてその選抜されたんですよね。AKB48さんの曲に。うん。参加しますっていうことになって、HKTからはそれは1人だったんですけど、ミュージックビデオに今でも残ってるんですけど、そのダンスが全然踊れなくて。うん。その作品としてミュージックビデオで、あの世間に出るのに。うん。全然踊れてないダンスが収録されてしまって。
なんかそれもメンバーも見るじゃないですか。で、え、ハルッピ全然踊れてないってなって。できてない自分にもすごい悔しかったし、代表で行ったのに全然アピールできてないなっていうので、メンバーのみんなに結果を出せなくてごめんなさいって謝った思い出があります。
HKTでCDデビューする前にAKBの方で招集されてるんですね。そうですね。HKT代表として。はい。ダンスは練習しても覚えられなかったか?そう、前日振り入れだったんですよ。撮影が確かグアムだったんですけど、海外に行くのもちょっとドキドキしてるし、ダンスの振り入れも先輩方と一緒の空間で、そのホテルのロビーみたいなところに鏡を何枚も置いて、ちょっと簡易的なレッスン場みたいなのを作られて練習するんですけど。そうそう。全然前日に入れたぐらいじゃ振りが入んないんですよね。
ま、それだけ私が初心者すぎて。つい数ヶ月前までだってダンス未経験者ですもんね。はい。だけどみんなはもうその記憶能力が備わってるから、その3時間ぐらいで振りを入れて、復習して。うん。うん。次の日覚えてやれるんですけど、当時まだスマホもなかったので、なんかスマホでムービー撮って覚えてみるとかもできなくて。ほうほう。3時間の振り入れの時間で振りが入ってないから復習もできないみたいな。ああ。
もうちょこっと、なんか能力の低さが本当に。でもそのつい先日まで未経験者と、もうトップアイドル数年やってますみたいな人たちと同じ並びで。うん。しかもあの人たちって本当、当日でその日のテレビで踊ったりとかもしちゃうような人たちですもんね。それとは確かに横並びでやんのきついですね。そう。そうでついていけなかったんです。2ちゃんねるとかスレが立っちゃって、ワロタみたいな感じになってた。下手すぎてワロタみたいな。
ああ。途中で指原さんがやってくるとかはどんな心境で受け入れるんですか?びっくりですよね。ニュースで知ったので、私たちも。あ、移籍みたいな。はい。1期生みんなでびっくりして。まだひよっこの、アイドルにもなりきれてないアイドルに、テレビでバリバリ見てたプロアイドルが来るみたいな、もう大芸能人が来るみたいな感じだったから、混乱してましたね、当時は。ああ、もうあと指原さんは指原さんでなんか難しいすよね。だって。え、そうですよね。すごい引っ張ってくださって。ああ。はい。みんなと話してくれました。
セカンドシングルの時だからセンターじゃないわけですね。そうなんですよ。後輩の、そうです。田島芽瑠ちゃんが。どんな気持ちなんですか?後輩の田島さんが呼ばれるみたいな。うーん。でも当時は当時ながらに悔しいって思ってました。センターから、ま、陥落っていうか落ちたみたいな。はい。うん。
奪還するためになんか頑張ることとかあるんですか?当時自分も何で選ばれてるか分からなかったから、何を頑張ればいいかはよくわからないけど、でもメンバーのみんなより歌もダンスもできてないことは明確だったので、とにかくそれを頑張ろうって思ってました。センターだったけど別に実力ではどっちかっていうと負けてるっていう自覚があったから?ありました。私ではセンターに足りなかったんだなって思いました。
兒玉さんはAKBにも招集されてるじゃないですか。はい。どんなですか?そのうちシングルが出てからは。あ、だから当時は劇場公演も出つつ、真夏のSounds good!のリリースの歌番組とかあったら東京に行ってました。ああ、その後ってその場に結構選ばれる?AKBの方の後はされてたのかな?選ばれてない気がします。あ、そうなんですか。真夏のSounds good!と。あ、そうなんだ。
うん。2個あるわけじゃないですか。そのHKTの中でどういうポジションになるかっていうのと、本丸のAKBの選抜に呼んでもらえるかみたいな。うん。そうですね。そこら辺はどんな意識ですか?HKT48のグループの中で選んでもらえるメンバーになりたいって気持ちです。うん。こっちの方はそんなに意識しないと。AKB48の選抜かみたいな。AKBのシングルは意識しないんですけど、入った当初から総選挙っていうものがあったので、その総選挙にまずは順位で名前を呼ばれたいっていうのがありました。ああ、なるほど。はい。
デビューしてすぐ選挙あるんですか?そう。デビューしてすぐ選挙あって、で、そこでHKT48からはサッシーと咲良だけ入るんですよ、確か。あ、ランクインみたいな。そうだ、そうだ。ま、指原さん当然のごとくみたいな。そう、当然のごとく入ってますね。実は宮脇さんもこの時さ、上だったの。はい。そうです。
総選挙はいつぐらいから頭角表してくるんですか?最初37位、17位、9位って感じです、私は。あ、そうやって上がってくんですね。はい。やっぱり37位はえっとカップリング曲で歌えるじゃない?そうですね。ネクストガールズっていう3番目のグループだったかな。ふーん。うん。16位以内、次の16位以内、その次の16位以内っていうのでグループが分かれてて、最初の16位までに入れればその代表のシングル曲歌えるけど、それ以外はカップリングになって。17位じゃ1番悔しい順位なんじゃないですか?めちゃくちゃ悔しかったですね。あと1歩で選抜です。
え、HKTの時に初めてセンターしてるのはいつだった?そっからえっと、控えめI love youって言う歌です。念願かなってって感じなんですか?やっぱり。念願かなってでしたね。自分がセンターの曲がどれぐらい売れたかとかめっちゃ気になる?うーん。でも当時数字見てましたね。悪くはなかった?前回のあれだった?売上は。え、覚えてないけど、そんなに悪くなかったと思うけど、どうだろう。ま、そうか。でもやっぱ忙しすぎてちょっとあんまり記憶ない?そう。忙しすぎて本当に当時の記憶がまばらなんですよ。あ、その後ちょっと休んでるのもあって。
そうか。その休むまでの、ちょっとその心境の変化を聞いていきたいんですよ。はい。1回体調不良で休養するってことなんですよね。そうですね。それは活動からどれぐらいなんですか?それは活動から5年目ぐらいの時に、ちょっとなんか体調を崩して眠れない日々が続いちゃって、なんか周りから様子がおかしいっていうのを言われて。うん。ふん。病院に行ってみるって感じです。
それどう様子がおかしい?なんかいつも踊れてた曲が踊れないとか、心配になる言動を繰り返していたので、アイドルとして通常に活動できない感じに当時はなってたんですけど、強制的に病院に連れて行かれたみたいな感じで。病院は精神科とかに?そうです。心療内科に行ってます。ああ、それ心療内科に連れてかれて、やっぱちょっとなんか、いや、私おかしくないよっていう気持ちにならない?そうですね。なりましたね。私がそんな病気なはずないって思ってました。
ああ。え、年齢からこの辺の中だからもう19とか20とかになってるんですか?20歳になってます。ああ、5年かけて。うん。何が、こう崩れてったって感じなんですか?うーん。センターに選ばれた時から、そのHKTの先頭で頑張るんだったら人気にならなきゃいけないみたいな、実力も上げなきゃいけないっていうのがすごいずっとあって、総選挙もずっと順位を上げていかなきゃだとか、売上とか数字とか握手券の列の人数とかすごく気にしてしまって、それができてないって、ずっと追い込みすぎちゃったっていうのがあります。
何を頑張ってどうすれば自分が、うん、売れるのかって言ったらいいのか、ちゃんとしたアイドルになれるのかっていうのがわかんなかったです。ちゃんとしたアイドルになりたいと思ってるんですね。そうですね。テレビで見てた先輩方みたいに、私はなれてないじゃんってずっと思ってたんです。へえ。他人からしたらなれてるって思われてそうですよね。だってテレビバンバン出てるし。はい。別に真ん中じゃなくても前列で相当踊ってるしとか。うん。番組で踊ってたらそれでもう成立してるって今だったら分かるんですけど、当時はなんかいつまで経っても自分を認められてない、何かずっと足りないって感覚で。
へえ。試験勉強だったら、うん、98点であと2点かとかなるんですけど、アイドルだと、ま、数字渡されるものの、なんでそうなってるのかいまいちわかんないですもんね。はい。そういうその辛さみたいなのは、他の人も同じく抱えてる感じなんですか?うーん。どうなんだろう。当時そういう話もできないぐらい塞ぎ込んじゃってたんですよね。
気にしすぎだってのは分かってるけど、なんか馴れ馴れしく同じ土俵にいるメンバーとして話したり、ヘラヘラしちゃうのは良くないって自分に思っちゃったんですよ。誰もそんなこと思ってないですし。うん。うん。すごい楽しく伸び伸び活動してて良かったと思うけど、なんかそのセンターのプレッシャーがすごく自分の中で大きか、私が大きくしすぎてしまって、結果的に自分を追い込む形になっちゃった。そうか。ゆっくり弁当食ってたら、練習しろよ、振りできてねえんだからよって思われてんじゃねえかみたいな。そうだ。そうだ。思ってないけど誰も。誰も思ってないけど。
運営のマネージャーさんとかにもあんま言えない感じ?マネージャーさんたちは、ハルッピはそのままでいいよってちょっと言われることが多くて。こんなにみんなよりもできてないのに、そのままでいいってどういうことって感じで、余計に悩む感じになっちゃったんです。自分の良さとか、どういう感じでスタッフの方とかが私をここに配置してくれてるのかとか全然わからなくて。なんかも子供すぎたんですよね、当時。まだ10代。はい。
めっちゃノートつけてたんですよね。反省ノートでしたっけ?反省ノート書いてました。部活の先生が最初言ってくれて、その顧問の先生はずっと部員のみんなに反省ノートを書いて、毎日それを先生に提出して見てもらうってのが日課になってたんですよ。うん。だからじゃないっていうか。うん。うん。習慣だった。そうです。毎日できてないとこ書いて、こう改善していこうって書いたり。ほう。でもなんかすごいいい習慣の気がしますからね、それは。うん。
反省ノートっていう名前もあって、できてないところばっかり書いてたので、足りない部分を足そう足そう足そうとする作業で、永遠にそこが埋まんないみたいな感じ。いくら頑張っても自分で自分のことを褒めないんだ。あ、そうですね。シングルでセンターになろうが、すごい大観衆の前で歌ったりとかしてても。うん。喜びとかがかかることないです?喜びないですね。ずっと責めてます、自分を。へえ。
その自信ないみたいなキャラクターは昔からなんですか?自信はあるタイプだったんですけどね。オーディション受けたその日から、歌とダンス全然できないじゃんからのスタートが、スタートがそこだったんで、そこからすごい自信なくなっちゃいましたね。ああ、5年経ってもその根本的には解決されることなく、ずっと忙しい日々を過ごしてる感じなんですね。はい。
なんかあの本読んだんですけど、そのせん妄という症状、はい、それ自体をあの本で初めて知ったんですけど、最初の休養時から出てきてるんですか?それ最初の休養から出てきてる。それが躁病の症状らしくって、総選挙の前の前日とか現実とは違う世界が見えたりしてたんですよ。幻覚って。幻覚になんか近いですかね。幻聴もある?幻聴もありました。初めて幽霊見たみたいな感じです。へえ。はい。
どういう幽霊?幽霊。そん時はおばあちゃんだったんですけど、総選挙の前日にホテルで寝てたら、まず金縛りになっちゃって、わあ、なんか全然体動かないと思って、嘘だ、嘘だ、嘘だと思ってパッと目開けたら、嘘じゃないよっておばあちゃんが目の前に言ってきたんです。あと覚えてるのが、なんかぐるぐるした渦巻きがあって、それが前世と現世を結ぶ空間みたいに見えてたことがあったんです。その世界を本気で信じちゃってる。でもさ、それもその先生によるとその躁病の症状ですよってなったわけですね。そうですね。
でも確かに総選挙とかテレビで見てましたけど、うん、順位発表されて、ちょっと過酷っぽくなってることがありました。うん。順位も気にせず楽しめたら良かったんですけど、他グループと仲間として競い合ってるんだったらまだしも、あの自分たちのグループ内で序列を決められちゃうみたいな。はい。
1年間その順位ってそのグループ内で引きずるんですか?普通に引きずります。私は引きずってました、当時。17位とかだった時は、でもあと1個上げれば選抜入りじゃないですか。だからもう何としてでも人気を今年より来年は絶対に上げなきゃって思ってましたね。正直当時ずっとこう上がってるのに、こっからは絶対下げれないみたいな気持ちはあります。そ、その気持ちで。はい。そしたらさっき言ったその幻覚が聞こえてるみたいな症状が出て、その状態であの9位に選ばれるステージに立ってる。はい。はい。そうですね。
9位になってるじゃないですか。で、一応順位上がってます。はい。したら一応安心して解放されるんですか?その状態から。次の日からもう総選挙ブックみたいな水着のあの雑誌が発売されるから、それの撮影やって、楽曲のMVも撮って、ドラマもやってたので、ドラマのセリフも覚えて、その休みなく仕事があったから、なんかあんまり余韻に浸る間もなく走り続けてましたね、当時は。
ああ、そうか。一応体は動くんですか?通常通り動いてはなかったです。9位になれてやっと選抜入りできて嬉しいはずなのに、なんか体はついてこなかったんですよ。選抜メンバーになれたからにはしっかりやらなきゃみたいなのがよりプレッシャーになっちゃって、もう本当にどんだけプレッシャーを感じてるんだってぐらいに自分を追い詰めちゃいましたね。より追い詰めちゃいました。
やる気がないわけじゃないけど。そうなんですよ。でもそれ以上にプレッシャー感じすぎて押し潰されてるって感じなんですかね。そんな感じです。今から頑張って走らなきゃいけないって時に頭が動かなくなっちゃって、心も弱っちゃって。てかだからその外から見たら絶頂です。全体の9位だし。うん。そうですね。来年こそ神7みたいな。うん。こととか、さらに順位を上げたいって気持ちはありましたね。
忙しい中もうその症状は出てこないんですか?それもちょくちょくある?あ、せん妄みたいなものは出てこなくなってくるんですけど、眠れない日々が続いちゃって、いつもできてた歌とかダンスができなくなっちゃったんですよ。こういうインタビューとかでも言葉が出てこないみたいな感じになってしまって、そこでやっとみんなからハルッピ病院行きなって言われて、強制送還されるって感じだけど。
そのとどめになったのが、NHK紅白歌合戦で、紅白中に順位を発表して16位以内に入れないと楽曲を歌えませんっていうイベントを新しくやったんですよね。私、総選挙で9位になったもんだから、いや、16位以内には入らないと、入りたいと思って当日紅白を迎えたんですけど、そこで29位ぐらいになってしまって、曲が歌えない。プラス、そのライブで放送されてる生放送中に勘違いっぽい動きをしちゃって。はい。スレが立って、それもファンの方から笑い物にされちゃったんですよ。
ああ、だからその1位2位残して、なんか最後の3位まで呼ばれなかった3人は中央に集まってくださいっていうのをアナウンスされてたんですけど、私はその16位から順番で名前を呼ばれて、最後の3位まで呼ばれなかったんですよ。うん。で、なんかキョロキョロして通り過ぎる瞬間とかが映ってしまって。で、本当1位2位の人たちが目立つ場所なのに、そこに圏外のやつがちょっとうろうろして、ちょっと悪目立ちしちゃってみたいな。そう。はい。あ、そうです。悪目立ちです。
はあ。それ恥ずかしいですね。紅白の視聴率高い番組で。そうなんですよ。今思えば面白い話ってか、なんかすごい滑稽に映っちゃって変なんですけど、全然当時の自分からしたらとんでもない間違いをしてしまったっていうのでダウンしちゃいました。あ、え、ネットのこと当時どんなこと書かれてる?兒玉遥、入ってないのに勘違い乙みたいな感じで書かれてました。ネットっぽいです、書き方。そうです。うん。
その明けが1回目のお休みなんですよね。その休みに入ってく。そうですね。あ、休むって誰判断でやるんですか?自分判断?ドクターです。あ、お医者さんが。お医者さんが。はい。あ、これ働けるじゃないですよみたいな。はい。それって言われた時はどんな気持ち?安心しますか?嫌でしたね。安心も何も。あ、嫌でしたか。はい。休むっていう選択肢がなかったので、自分の中に。もっと頑張りたいって思ってたんです。居場所がなくなっちゃうという怖さがありました。ああ、なるほどな。
自分にとってそのHKT48での活動がやっぱ全てだったので。そっから1ヶ月半ぐらい最初は休むんですよ。うん。何が治ってるか分からないけど、最初復帰してって感じで。躁病って2ヶ月休んだぐらいでどうにかなったもんなんですか?より悪化して復帰した感じでした。あ、そうなんですか。はい。前よりも症状も悪化しましたし。ああ。薬の副作用もちょっとあって、すごいストレスで爆食してしまって、私は。は。そう。で、20kgぐらい増えちゃって。で、それがまた自分を追い込む形になって。はあはあはあ。
で、1年ぐらい頑張るんですけど、もう2回目の休養は、アイドルはできないなっていう気持ちがあって休みました。そう、1年一応頑張ったんですね。その1年ぐらい頑張って。悪くなりながら。はい。今まではライブとかすごい楽しかったですし、握手会も好きだし、歌って踊るのも楽しいと思えてたことが、1つ1つで心が動かなくなっちゃうんです。ああ。で、なんか悲しい、あ、自分は全然できてない、みんなに迷惑かけてるっていうネガティブな感じになってしまって。うん。何やっても楽しくない感じ。そうだ。そうだ。番組の途中とかでお母さんに連絡して、もう辞めたいみたいにずっと弱音吐いてました。
この一連をお母さんお父さんってそれぞれどんな感じで見てるんですか?えっと、母が基本的にサポートしてくれてたんですけど、心配してましたね。大丈夫かなって。そのうちに、心配したかどうかわからないけど結果なんか良からぬ方向に行ってるぞみたいな感じじゃないですか。そうですね。母はアイドルとして活動してからはすごい応援してくれてはいたんですけど、父は干渉しないでもらいたいっていうスタンスで、私も。母。うん。活動に関してはやっぱり世界が違うからわかんないじゃないですか。だからそんなに口出ししないでもらってました。へえ。
父もちょっと怒ってた時もあったんだし、なんかすごい休んでるのが甘えてる人みたいに父からも見えた時があったみたいで。ああ、なるほど。いつまで休んどると、みたいな形になった時はありましたけど。ただの怠けに見えちゃってるみたいな。うん。うん。だから自分でも初めての症状だし、何が起きてるのかわかんないっていう状況だったんですよね、最初は。
ちなみにその心の、はい、この沈みと、うん、その整形したくなるみたいな気持ちは、だからリンクしてるんです?それも関係ないんですか?あんまり。え、うつと整形は関係ないとは思うんですけどね。整形は整形で、美容は楽しくなってしまって、美容整形が。うん。うん。そう。それは単純にもっと可愛くなりたいみたいな。そうです。そうです。芸能やるんだったらちょっとでも可愛くなりたいって思ってやってます。ああ。
最初私この目がコンプレックスで、目の埋没をやりたいですっていうのをスタッフさんに言ったんですけど。うーん。そう。当時17歳ぐらいかな。止められてたけどやりました。あ、そ、止められたけどやったんですか?はい。ああ、なるほどな。うん。そっからは結構、こんな一瞬で15分ぐらいなんですけど、施術時間は。もうずっと悩んでた悩みが解消されるんだっていうので感動したんですよ。3時間でめっちゃ可愛くなれた、整形すごいみたいなので、ちょっと手軽なのからどんどん手を出しちゃいますから。
手軽ってどんなのあるんですか?あの、ま、ヒアルロン酸とかがで、あ、結構そのヒアルロン酸はまっちゃいましたね。で、それってさっき言ったその心が沈んでるけどヒアルロン酸は打ちに行くみたいな状態なんです?あ、そうですね。丸顔が気になるから、なんかMV撮影の前にちょっと顎入れとかなきゃとか、なんかそういう気持ちで行ってましたね。
2回目の休養もドクターストップですか?じゃあ。お医者さんから言われる前に、自分の中でもダメだって感じがありました。あ、自分でちょっとギブアップじゃないか。ちょっと運営に言うんですか?そうです。運営の方に言ったら、そうですね、はるっぴが気が済むまでゆっくり休んでいいからねって言ってもらえて。うん。みんな心配ですもんね。そ、そうですね。どうしちゃったんだろ、ハルッピって感じだったと思う。
当時そういう心の病をオープンにするっていう感じもまだない風潮だったので、説明ができないまま体調不良で休養みたいな感じで発表してたと思います。若い女性のタレントさんが、はい、過労でバタンってなっちゃうっていうのは、うん、結構あるあるですよね、それ。うん。そうですよね。よく聞く。それって48グループの中でも他何人かいたんじゃないですか、他にも。え、当時は心身の不調で長期休暇を取るメンバーあんまりいなかったんですよ、当時。
本当だったら芸能人の方で別に公表せずに休んでたら、心の病で休んでるとかわかんないじゃないですか。で、言わなくてもいいんですけど、48グループの活動って、CDリリースしたら握手会があるし、あと毎日劇場公演やってたりもするので、休んでたらバレるっていうのがあるんですよね。だから説明しないとファンの方もどうしちゃったんだろうって心配かけちゃうじゃないですか。だから公表をせずにはいられなかったけど、病名までは言えないって感じだった。だからああいう体調不良でっていう表現が生まれたんですね。はい。じゃないともう先の握手券を売っちゃってるので。
2回目も自分から休むって決めたじゃないですか。はい。そこから休養期間何するんですか?いつも、症状が重い感じに私当時なっちゃったので、ベッドでずっと天井見てましたね。遥さんの症状までなって、こっちの世界に戻ってこれる確率で、元気にまた生活できるようになるのは1割ですよって病院の先生に母だけ伝えられてたみたいで。はあ。私は知らなかったんですけど、母はそう言われたみたい。
1割の人しか、そのこう社会活動、社会復帰しないですよっていうぐらいの重度を、はい、どうやって治してくんですか?諦めてました、社会復帰。うん。あ、1回諦めたんですね。はい。1回諦めました。はあ。でもそれはサポートしてくれる家族とか母の存在もすごい大きくって。うん。お母さんがもう生きてるだけでいいよって言ってくれたんです。うん。遥のことは全部私が守るから、生きててくれればいいよって言ってくれたその言葉がすごく当時の私にとって嬉しくって。
できることが自分から何もなくなっちゃったっていう感覚で当時過ごしてたから、基本的な生活をできるようになるっていうステップを最初踏みます。とりあえず。ああ。てか生きてるだけでいいって言われたおかげで、うん、頑張んなくていいんだっていう気持ちになれたこと。これまではグループで活躍して結果を出して、何としてでも売れないと。うん。もうそれだけが自分の人生の希望だったんですよ。当時15歳から走ってきて。そうは。でその夢破れた後の選択肢とか、この外の世界のことなんて考えたことがなかったから、本当に何したらいいんだろうという感覚で当時生活してましたね。うん。
商品としての自分、うん、にしか価値ないみたいな気持ちにもなってるんですか?さっきそのだってCDを売らなきゃ、なんていうか自分を認められないんだみたいな。うん。そんな考えにもなったわけですもんね。そうですね。うん。うーん。当時はそうですね、このグループの中で順位を上げて有名になって、憧れの先輩たちみたいにってずっとは思ってました。ああ。
で、そう、頑張んなくていいよってなったから、そこからこうどういうステップを踏んでくんですか?うん。そこからは、でもちゃんと朝起きてご飯食べたり眠ったり、基本的な生活ができるようになるまでに半年ぐらいかかって、あ、ちょっと私元気になってきたかもっていう自信がついてくるんですよ。で、その後おばあちゃんちに泊まり込みで自動車運転免許、うん。うん。を取ろうって思うんですけど、話す、書くとか、覚えるとか、勉強するっていうのさえできないって自分のこと思っちゃってるから、結構自分的にはチャレンジで。
もうだから書くとか話すもできない、半年間その手前は。そうですね。上手にできない人よりできないっていうぐらい、今までできてたことが全然できなくなっちゃったんですよ。そう。そうそう。だからもう社会復帰なんてさらさら自信ないんですよ。そう、そう、そう。だけど自宅でしっかり療養したおかげで結構元気になってきたんですよ、不思議で。で、そっからは結構欲が出てくる。何したい、何食べたいとか、ちょっとずつそういう欲が生まれてくる。そう、そうそうそう。
自動車運転免許の学校に行ったら、2週間ぐらいですぐ取れちゃうんですよ。うん。うん。仮免向かって、私できるかもみたいな。勉強もできるし、運転もできるじゃん。うん。で、結構そこで初めて自信を取り戻します。
あ、それそうか。その資格が取れたってことが、なんか自信につながるんですか?そうです。
その時は何してるんですか?その時はもうアイドルじゃなかったらやりたいことを全部やりました。例えば1人で海外旅行行くとか、あと語学留学もしたかったので、セブ島に1ヶ月留学しに行ったりしましたね。
自分を取り戻す時間としてはすごい良かったです。休めました。自分って何だったっけみたいな感じです。ちっちゃい頃何が得意で何に心動いたかなみたいなルーツをたどりつつ、今後どういう仕事していこうかみたいなことを、ジャーナリングじゃないですけどノートに書いて自分と向き合う作業をたくさんやりました。
結構何をやりたい人間なんだっけ?結果、自己表現のみでできることがすごい好きだったんですよ。表現することはちっちゃい頃から大好きだったので、ただそれを競争をする形でアイドルとして活動しちゃったから自分には向いてなかったんだっていう答えになりました。自分の中では。
だから歌って踊るのもすごい好きだったんですよ。だけど数字とか順位とかを追いすぎてしまって、自分の中で責任やプレッシャーを感じるようになっちゃったから。全然それを追うのがいいことだと思うし、正解だとは思うんですけど、そこに疲れちゃったと思ってます。
結果出してるし、他3人はなんかね、向いてるって見えてる。向いてそうですしね。
アイドルを頑張ってアイドルの中でトップを目指すっていう未来しか自分の中でなかったから、そこを追いすぎちゃいました。
だってもうセンターで選ばれたんだったら、もう堂々と私はセンターです、誰が何と言おうと選ばれちゃったもん、ぐらいの図太い精神でいれば良かったじゃないですか。初めてグループを見た人は数字とか売上とか気にしてないし誰も。堂々と立って、ただアイドルとしての活動を楽しんで、ファンの人と思い出を作ってやれれば良かったと思うんですよね。
最初とか見れないじゃないですか。自分の元仲間たちがテレビで活躍してとか。
いつぐらいから見れるようになりますか?当時本当にアイドルを卒業したのも逃げるようにアウトって形で、私は女優に転身したから、自分の失礼なことをしてる無礼な感じも負い目があって、活動は最初すんなり見れなかったですね。アイドルの、HKT48グループの。
やっぱあの卒業コンサートみたいなのをして、ちゃんと区切りつけるのがやっぱいいんですか?いや、絶対そうだと思います。アイドルとしてメンバーのみんなとか応援してくださってるファンの方にありがとうって言って、もう華々しく卒業コンサートをするっていうのがもう絶対セットって感じだったから。
めっちゃ真面目だから、そうであらねばならぬっていう気持ちが他の人より強そうですよね。しかも。そうですね。
宮脇さんとかがちょっと違うグループとかで今頑張ってた人じゃないですか。ああいうのはどんな気持ちで見てたんですか?めちゃくちゃすごいです。咲良って1回も休まずにずっと走ってるじゃないですか。いや、もう尋常なメンタルと体力じゃできないって私は思うから、もう尊敬でしかないです。
嫉妬とかのレベルじゃないですか?ないです。嫉妬のレベルじゃないです。そっか。そうですよね。
逃げるようにやめちゃったしな、みたいなところには折り合いってついてるんですか?今は。折り合いは、でも当時はみんなと協議して話し合った結果、戻るよりは転身した方がいいって答えになったんですよ。そうか。それも自分も納得して。自分も納得して。どのやり方が正解だったか今でもわからないですけど。
こういったことを、そのうつとかも含めて公表しようってのは何で思ったんですか?
前まではやっぱり心の病っていうのの認知もそんなに広がってなかったと思いますし、やっぱりそういうの公表することで弱い人って見られちゃうと仕事にも影響が出ちゃうかなっていう不安もあって、なかなかその休んでた理由みたいなものを世間には公表できないまま活動はしてたんですけど、言うことでそれまで応援してくれてたファンのみんなにも説明ができるなって思ったんですよ。
なんではるっぴ休んでたのっていうのの説明ができることとか、あとはやっぱり同じようにこの心の病で苦しい思いをしてる人たちの心がちょっとでも晴れるような発信ができていけたらいいなっていうので公表しました。
実際やってみてどうですか?反響がすごくあって、思ってた以上に自分と同じような思いをした人って多いんだなと思いましたし、心配してくださってたファンの方が、やっぱりそうだったよねって声もあったり、あの時握手券買ってたから、そういうことだったって知れてよかったみたいな、今も待ってるよって声を直接聞けたりして、心のわだかまりがある中で休んじゃったなっていうのがあったから、そこがちょっとは解放された感じがありました。
今だったら、自分がアイドルになる、もしくはその知り合いとかがアイドルをこれからやるって言ったら、どういう風にやってけば壊れないで済むと思いますか?え、マジで楽しみなって感じですよね。あ、なるほど。まず選ばれたことがめっちゃすごいよ。プレッシャーとかもあるとは思うんですけど、本当に何も考えずただ楽しめばいいよって言いたいです。ああ、なるほどな。
今はどんな気分で活動してるんですか?それで言うと。もう自分の心の健康がまず1番で、やりたい仕事はやるし、やりたくないことはやらない。断るっていう選択肢ができたんですね。はい。
そっか。だからその10代の頃はそんな発想になってなかったですもんね、さっき。そうですね。なかったですね。自分から何かするってことをしなくても仕事は山ほどあったので。まあ、その時と違ったのがまた今ありますけど、だけど選べるってめちゃくちゃ大事だなって思いました。
なるほど。断る勇気。はい。断れたり、あと休む勇気も。今は自分から積極的にこの日休みにしてくださいとかも言えるので、活動しやすくやってます。
どんな風に過ごしていきたいとかある?え、だけど俳優業は死ぬまでやっていきたいんですよ。そう。俳優って年を取っていい生き物なんで。それがすごい魅力的な職業だなと思って。今はまだアイドルっぽさが多少残ってたり、綺麗でいようみたいな意識がありますけど、もしそれがなくなったとして、どんな人間としてそこにいても芝居はやってていいから、必要とされる限りお芝居は続けていきたいなっていうのがあって。
それ以外のことも結構好きだったりするので、美容とか、あとは株式投資の勉強とか、あとメンタルヘルスのこととかもお話できることがあるので、俳優業を中心にマルチにできることがあるんだったらやっていこうかなって思ってます。
経験して良かったと思いますか?それともできることなら経験しない方がいいって感じですか?え、経験してて良かったと思います。あ、その重度のうつを?あ、それは思わないです。それは思わないです。うつになる前にしっかり心の異変に気づいて病院に行って、そんなになる前に対策は絶対にできたんですよ。あ、そうなんですか。やっぱ重度にならず済みましたか?今思うと。はい。済んだと思います。まず心療内科に通うっていうのが分からなかったです。そういうのがあるっていうのが知らなかったです。
自分がうつ病になるはずないって思って当時生きてたから。でもそう思ってる人ほど結構なりやすい状況らしくて、だからもっと早く心療内科を受診・活用してたら良かったなって思いました。生きるな情報でした。
今だったらカウンセラーとしてできると思います。あ、そうなんですか?カウンセラーとか興味があったら。カウンセラーの資格取りました。芸能に復帰する前はカウンセラーになろうと思ってたんですよ。あ、心理カウンセラー。はい。心理カウンセラー。それも別に資格取っとけばね、まあ一応やりたくなったらできますからね。まあ、実践はもっと本格的な授業が必要なんだと思うんですけど。
あと卵子凍結とかしてましたね。あ、卵子凍結やりました。それって20代でやると結構早くないですか?そんなこと。そうですかね。でも28歳ぐらいでやったので。それでなんでやろうと思ったか。将来もし子供が欲しいなっていう気持ちがちょっとでもあるんだったら早めにしておくのが賢明だなって思います。今すぐって気持ちはなかったけど、将来の自分のために選択肢は増やしておこうと思いました。
なるほどな。だから家族持つみたいな選択肢もありますもんね、こっからね。まあ、選択肢のためには。はい。選択するかわかんないけど。
いや、ありがとうございます。すいません、こんな長いね。ありがとうございます。すいません。ありがとうございます、色々。じゃあ兒玉さん、すいません。ちょっとありがとうございます。おめでとうござ…。すいません。できたら一度チェック用の動画お送りしますので。はい。では失礼します。
街録チャンネル見習いディレクター募集中です。面白い映像を作りたいという若者、ご応募お待ちしております。グッズ、スポンサー券、BASEにて販売中です。応援よろしくお願いいたします。大人になればわかるわ。
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