現金がなくても人をもてなす国フィジーで、谷口浩はなぜ学校を経営するのか

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概要

YouTubeチャンネル「街録ch」のディレクター三谷三四郎は、同行スタッフの河東とフィジーを訪れ、現地で日本人向けの英語学校と国立高校を経営する谷口浩に話を聞いた。谷口はフィジーを「日本から直行便が飛んでいる国の中でいちばん発展途上の国」と表現する。そのうえで、見知らぬ人を自然にもてなす文化に惹かれて移住し、日本で不登校だった生徒の受け皿となる学校を運営してきた。

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インタビューで語られたのは、フィジーの優しさがどこから来るのか、その裏側にどんな問題があるのか、という問いである。谷口自身の経歴も詳しく語られた。スピード違反をきっかけにフィジーへ来たこと、日本国籍を失ったこと、末期がんの宣告を受けたことが含まれる。この記事は、前半の旅の様子と谷口へのインタビューを、動画内の発言に沿ってまとめたものである。

撮影2日目の夜にカメラを紛失

動画は、三谷が撮影機材を失ったことを報告する場面から始まる。取材には4台のカメラを持ち込んでいたが、そのうち最も小型で、日常の様子を気軽に撮るのに向いたオズモポケットを2日目の夜になくした。

三谷によれば、この小型カメラで多くの場面を撮っていた。初日の空港や機内では、河東の隣の席に日本人旅行者の「ナンシーさん」が座っており、三谷は「独身の河東と恋に発展するのでは」という雰囲気も撮れていたと話す。ヒッチハイクで車をつかまえる瞬間や、ホストファミリーの家での様子も同じカメラで撮影していた。これらの映像が失われたため、冒頭で事情を説明してから、ヒッチハイクで乗せてもらった家族の車の荷台にいる場面へ話をつなぐ構成にしたという。

ヒッチハイクで乗せてくれた家族の昼食

朝5時に到着した二人は、午後2時の約束まで時間があったため、ヒッチハイクやタクシーで街を回った。その途中で拾ってくれた家族が「時間はあるか」と尋ね、そのまま家に招いて昼食をごちそうしてくれた。

家にはスクールスポーツのトロフィーが並び、子どもは「ビッグ・リー」「スモール・リー」と呼ばれていた。壁には「ドラッグ、酒、大麻はダメ」といった学校の標語が貼られていた。食卓には、キャッサバ、魚、カレー、タロイモの葉を使った料理、餃子などが並んだ。三谷は、誰かの誕生日かと思うほど6〜7品のおかずが出てきたと振り返る。一家は来る途中でスイカやファンタも買ってくれていた。

三谷が「なぜこんなに親切なのか」と尋ねると、父親は神の縁だと答え、母親は「シンプルな生活をしているから」と言ったという。三谷はお礼の品を送ると申し出たが、「神の縁だからいい」と断られた。三谷は、日本人の感覚では「騙されるのでは」と身構えてしまうが、そういう気配はまったくなかったと語る。シンプルな生活をしていれば余計なストレスを抱えず、人に優しくできる、という母親の言葉が印象に残ったという。

河東のホームステイ先と日本語を学ぶ少女

河東は滞在中、インド系の家族の家にホームステイした。家族の顔出しはNGだったため、河東が一人で室内を紹介した。家は広く、ソファも豪華で、河東には東京の自宅より大きなベッドのある個室が用意されていた。棚には日本語の本も置かれていた。

谷口のもとへ向かうタクシーのなかでは、11歳の少女が日本語で自己紹介をした。スマートフォンを使い、独学で日本語を学んでいるという。

経営難の国立高校を無報酬で引き受ける

谷口は、日本人が英語を学ぶための語学学校を経営している。その経営手腕が評価され、2010年にフィジー政府から国立高校の理事長を依頼された。理事長としての報酬はない。谷口はこれを道楽のように始めたと言うが、現在は事業として成り立っている。

谷口の説明によると、この高校の経営が行き詰まったのは、フィジーの子どもたちが年間約9,000円の授業料を払えなかったためである。フィジーはまだ現金社会ではなく、物々交換というより「ある人が出し、ある人がもてなす」社会だという。授業料が集まらず、窓ガラスは割れたまま、しまいには窓枠までなくなった。谷口が引き受けた当時は水道が1カ所も出ず、トイレは1カ所も流れず、すべての屋根が雨漏りしていた。谷口はその状態を「廃墟のよう」と表現する。語学学校の利益を回して、少しずつペンキを塗り、窓ガラスを入れ、教科書を揃えてきた。

谷口は、フィジーの人々はお金がなくても客を家に招き、お茶1杯、茶葉がなければ水1杯でももてなすと話す。日本の「おもてなし」は堅苦しい枠のなかのものだと感じるが、フィジーでは何も持たない人でも同じようにもてなすという。

スピード違反から始まったフィジーとの縁

谷口が初めてフィジーに来たきっかけは、日本でのスピード違反だった。違反を重ね、放っておけば免許取り消しになる状況だった。当時できたばかりの住民基本台帳を海外に移し、海外で運転免許を取って帰国すれば運転できる、という「裏技」に気づいたという。

ところが、アメリカやイギリスなどでは、納税していないと免許が取れなかった。各国の大使館に「1〜2週間で免許が取れないか」と電話で問い合わせ、60カ国目くらいでフィジー大使館から「すぐ取れる」と返事があった。

フィジーでは知り合いが一人もいなかった。それでも運転免許センターの職員に「今日うちにご飯を食べにおいで」と誘われ、その家に来ていた別の男性からは夜の食事に招かれた。こうした誘いが途切れず、1週間の滞在中に自分でお金を払って食事したのは2回だけだったという。当時世話になった人の連絡先は、今もメモに残っている。谷口はフィジーの人々を「気持ち悪いぐらい優しい」と表現する。

帰りの飛行機で、谷口は顔が筋肉痛になっていることに気づいた。毎日笑っていたからだという。当時の谷口は日本と中国を行き来しながらコンサルティング業をしており、毎日怒った顔で過ごしていたと振り返る。そこで自分の人生が間違っていたと感じたことが、移住を考えるきっかけになった。

民族構成と治安

谷口によると、フィジーでは今もキリスト教徒が50%以上を占める。民族別ではフィジー系が約60%、インド系が約40%で、インド系はヒンドゥー教徒とイスラム教徒に分かれる。白人と中国系もそれぞれ5%ほどいて、中国系は最近増えているという。

治安について谷口は、日本が良すぎるだけで、日本と比べても大きくは変わらず、「大阪ぐらい」だと話す。学生がひったくりに遭うことはあるが、欧米や東南アジアのような状況ではないという。

おおらかさの裏側と「世界一幸せな国」

谷口は、フィジー人のいちばん良いところをおおらかさだとする一方、それは短所でもあると話す。旅行者や留学生の立場なら得るものが多い。しかし現地で働き始めると、谷口たちがお金を持っていると分かり、それを目当てに近づく人も出てくる。仕事を頼むと「はい」と返事はするが、99%はやらないという。谷口の会社には約100人の社員がいるが、要所は日本人で固めないと回らないと話す。

叱ればその日から来なくなるので、説教はできない。プライドが高く、変化に弱いと谷口は見る。資本主義社会で成長しなければという感覚はなく、この50年ほど変わらず、この先も同じではないかという。

それでも谷口は、「世界一幸せな国」と言われることについて、幸福感は人それぞれだと断ったうえで、忙しく働く自分から見てもこちらの生活の仕方は「理想は理想」で、楽しそうだと話す。毎日笑って生きているからだという。

三谷がラグビーの強さに触れると、谷口はそれ以上に英語が公用語であることに驚くと答えた。途上国で国民全員が英語を話す国は珍しく、テレビ放送も英語だけだという。これは良い影響でもあるが、数年後にはフィジー人の多くが国外に働きに出るようになるのではないか、と谷口は予測する。大学を出た人は、村に帰って家族と笑いながら芋を掘る生活に何かを感じるのではないか、とも言う。実際に、ニュージーランドやオーストラリアはフィジー向けの就労ビザを非常に簡単に出しており、大学を出ても仕事がない若者がそちらへ移っているという。

教師の失業と空き教室から生まれた語学学校

谷口によると、フィジーの人口は増えておらず、少子化が深刻である。公式には90万人とされるが、国外に住むフィジー人が多く、実際に国内に住んでいるのは65万人ほどではないかと谷口は見ている。

移住を考え始めた頃、谷口は食事の席で、教師をしていた女性が12月末で解雇されたという話を聞いた。子どもが減り、教員資格を取っても地元で職がないという。谷口が「それなら学校に空き部屋があるのでは」と尋ねると、空き部屋どころか校舎1棟が丸ごと空き、蜘蛛の巣が張っているという答えだった。教育省に行けば借りられるかもしれないという話にもなった。

空き教室は借りられる。職を失ってホテルでベッドメイキングをしている教師たちを雇える。宿はホームステイでいくらでも確保できる。こう考えた谷口は、英語を学びたい日本人がフィジーに来れば安く学べる環境が作れると判断し、2004年に英語学校を始めた。当時、日本から1年間留学すると400万円ほどかかったが、フィジーなら100万円もかからなかったという。

谷口は、フィジーでは人が優しく、いくらでも英語で話し相手になってくれ、暇な人も多いと話す。三谷を待つ間、谷口は近くにいた見知らぬ人からパンをもらって食べていたが、それもこうした国柄の例として挙げた。自分が体験して気持ちよかったことを日本の若者にも経験してほしい、それで自分がフィジーに住むための収入が得られればいい、と考えたという。学校はすぐに定員が足りなくなり、2校目を作って規模を広げた。リーマンショックなどで苦労もしたが、その運営ぶりを政府が見ていて、2010年の国立高校の依頼につながった。

福井から中国、香港、バンコクを経て金沢で起業

谷口は現在54歳で、フィジーに来たのは32歳のときだった。出身は福井県小浜市である。高校卒業後、中国政府の奨学金で中国の大学に進み、物理学を学んだ。入学前は英語で授業があると聞いていたが、実際には99%が中国語で、中国語を一から学ぶことになったという。

留学を選んだのは、親のお金で学校に行くのがかっこ悪いと思っていたからだという。谷口はこれを「遅れてきた中二病」と笑う。大学4年目に入ると、今度は「卒業したらかっこ悪い」と思い、中退した。

その後、香港でイギリス系の不動産会社に勤め、次にバンコクの建設会社で働いた。そこでアジア通貨危機に遭い、手持ちの資金の価値が大きく下がり、物価は倍になったという。日本に帰る資金もなく、親に帰国費用を送ってもらった。その条件は父親が社長を務める建設会社に入ることで、谷口は2年弱、CADオペレーターとして設計部門で働いた。

長男である谷口に会社を継ぐ話が出たが、親から受け継ぐ2代目より創業者の方がかっこいいと考え、父親と喧嘩して27歳で家を出た。家出するならバイクがかっこいいと考え、小浜から高速道路で北へ向かった。ガソリンが尽きかけた金沢西インターで高速を降り、そのまま金沢で会社を作ったという。金沢は2代目の社長が多く起業文化がない分、競争が少なく、かえって起業しやすかったと谷口は話す。

中国ビジネスで学んだことと3,000万円の損失

金沢で立ち上げた会社では、日本と中国の間に入るコンサルティングを手がけた。いちばん大きかったのは、中国からの外国人研修生を受け入れたい日本企業と、日本で働きたい中国人の間を仲介し、日本語教育を行う事業だった。ほかにも、中国の工業団地への進出支援や、日本より安い中国での制服の調達などを請け負った。谷口は、足りないものを見つけてつなぐのが好きで、事業で大きな失敗はあまりしていないという。

谷口は中国語と英語のほか、タイ語やフランス語も少しでき、自らを「マルチリンガル」と呼ぶ。相手の中に入って同じように考えられれば、中国でもフィジーでもストレスは感じないという。日本人的な心、中国人的な心、フィジー人的な心を切り替えて考えている、と谷口は説明する。フィジーの教師は谷口の言うことを聞かないが、「神が、学生を笑顔にするようにと言っている」と伝えると動いてくれるという。

中国では、接待の席で前回谷口が「おいしい」と言った料理が出てくることに気づいた。相手が喜んだものを記録している人がいるのだという。日本人は出したいものを出すが、中国のもてなしは細やかで、戦略的だと谷口は感じた。

一方で、中国で仕事をしていた頃の自分は、しかめ面の「殺人犯のような顔」をしていたと振り返る。どこかで常に相手を疑っていたからだという。実際に裏切られたこともあり、ある地方政府の行政関係の仕事で約3,000万円をかぶった。最終的に「その部門はなくなった」とされたという。上海の日本総領事館に相談し、車で行ける距離の現地に乗り込もうとしたが、「絶対にやめてください」と止められた。同じようなケースで監禁されることもあったと谷口は語る。フィジーに来たのは、こうした日々を送っていた時期だった。

国会議員を目指して日本国籍を失う

谷口は現在フィジー国籍で、日本国籍はない。妻は日本人である。フィジーでは以前から国会議員になってほしいと頼まれており、そのためには他国の国籍を持っていてはいけなかった。

谷口がフィジー国籍を申請するとすぐに認められ、政党の公認も受けた。しかし選挙管理事務所から、滞在期間が足りないため立候補できないと告げられた。フィジーでは、選挙の公示から過去2年を振り返って18カ月以上国内に住んでいなければならないという。

その後、谷口は日本の外務省から依頼を受けて東京で講演し、「フィジー国籍を取ったが滞在期間が短くて選挙に出られなかった。次は頑張りたい。日本とフィジーの架け橋になりたい」と話した。すると直後に電話があり、二重国籍になっている、日本は二重国籍を認めていない、と指摘された。知り合いの国会議員に相談したが、「1人2人が聞いた話ならなんとかできたかもしれないが、会場には400人いた。その口に戸は立てられないので諦めてください」と言われたという。自主的に放棄すれば問題にはしない、という扱いだった。谷口は日本を離れた時点で日本国籍を失い、現在は30日のビザを取って日本に通っている。

三谷が覚悟のうえで国籍を変えたのかと尋ねると、谷口は、申請したらもらえたので何も考えていなかったと答え、自分は「くそ甘かった」と振り返った。本当は日本国籍も持っていたかったという。

それでも議員になる意思はある。谷口によれば、毎回有力候補として名前が挙がり、出れば必ず当選するという。取材当日の昼食の席でも、何人もが「次の選挙に出てくれ」と声をかけてきたという。

谷口が見るフィジーの「ダークサイド」

何を変えることを期待されているのかと問われ、谷口はまず教育制度を挙げた。そのうえで、この国はあらゆるものを変えなければいけないほど「グダグダ」だと話す。フィジーの法律はイギリス領時代にイギリスが作ったもので、そのルールの中で暮らしているのに、誰も読んだことがないほど知られていない。谷口は、法治国家ではないのではと思うことばかりだという。

公務員の採用も問題にする。日本なら学歴要件や試験があるが、フィジーでは中学校しか出ていなくても、試験を受けずに公務員になれることがあり、偉い人の縁故で決まるという。大学入試もペーパー試験が半分で、残り半分は内申点である。教師は親戚ならいくらでも良い評価を書くため、谷口によれば、親戚かどうかで社会が振り分けられている。被害に遭っても警察や裁判所が動かないので、人々は司法に期待していない。谷口はこれを「フィジーのダークサイド」と呼ぶ。こうした部分を変えなければ、皆が英語を話せる分、人はいくらでもオーストラリアへ出て行ってしまうと懸念している。

国外に出たフィジー人については、体が大きいため肉体労働で重宝されていると谷口は言う。自分たちが1メートル穴を掘る間に5メートル掘る勢いだと例える。ラグビーはオリンピックで実施されたリオデジャネイロ、東京、パリの3大会すべてでメダルを獲っており、人口80万〜90万人の国が団体競技で金と銀を獲るのはおかしい、と谷口は話す。谷口の学校のラグビー部はほとんど練習せず、監督は試合の1週間前には怪我をしないよう「休め」と命じるという。

農業すらしない暮らしと優しさの理由

失業率について谷口は、大学を出ても仕事がなく、産業は観光業くらいだと話す。三谷が農業や漁業について尋ねると、谷口は「元々やっていない」と答えた。ベトナムやタイのような途上国には農業があるが、フィジーではそれも始まっておらず、狩猟採集に近いという。庭に生えているものや山で集めたものを食べ、植えることすらしない。魚もいくらでも簡単に獲れる。

谷口は、働かなくても自然環境だけで食べていける安心感があるから優しいのだ、と説明する。ごちそうとして出されるものも、そのあたりで集めてきたものだという。

不登校だった生徒の9割以上が通学できるようになる

谷口が理事長を務める高校には現在約800人の生徒がいて、そのうち約60人が日本人である。日本人生徒が授業料を払い、フィジー人生徒は授業料の代わりに日本人生徒の面倒を見る、という仕組みで運営している。日本人の中には英語や友達づくりが苦手な子、もともと不登校気味だった子もいるためだという。フィジー人による日本人へのいじめはあまりなく、子どもなので時々喧嘩がある程度だと谷口は話す。むしろ日本人同士の方が人間関係の問題が生じやすいが、小さいうちに解決しているという。

谷口によれば、この学校に来た日本人高校生は、どれほど深刻な不登校だった子でも9割以上が学校に通えるようになっている。たとえば日本の高校1年で不登校になった生徒が、フィジーで高1からやり直し、1〜3年在籍するうちに普通に登校するようになり、英語も話せるようになる。

谷口はその理由を次のように考えている。日本語で考え日本語で行動していた生徒が、英語の環境に置かれると、3〜4カ月で英語で考え英語で行動するようになる。英語の「OS」で動く人格は日本語の人格とは違い、行動パターンや性格まで前向きになるのではないか、という。道を歩けば見知らぬ人に話しかけられ、会話ができる。その経験を重ねるうちに自己肯定感が持てるようになる、と谷口は話す。

これまでで最も長く不登校だった例として、谷口は小学5年生から学校に行っていなかった生徒を挙げた。4〜5年のブランクを経て高校1年で入学し、普通に卒業して帰国したという。

進学面でも利点があると谷口は説明する。フィジーの国立高校を卒業すれば、日本で高卒認定を受けずに直接大学を受験できる。海外の高校に1年半以上在籍して卒業すれば帰国子女入試などの特別入試を受けられ、偏差値で5〜10上の大学を目指せるという。谷口は、偏差値55程度の生徒が難関大学に進んだ例もあるとし、これを「テクニカルだが逆手に取った」方法だと話す。

費用は開校当初より上がっている。現在は語学学校で1年間学ぶと130万〜140万円ほど、高校は各キャンパスに日本人のスクールカウンセラーを置くなど手厚い体制にしているため、生活費込みで年間200万円ほどかかる。日本の私立大学付属校に通うくらいのイメージだと谷口は言う。この高校の日本人枠はほぼいっぱいで、ほかに提携している国立高校が2校あり、現在そこに20人ずつ受け入れ、今後さらに枠を広げる予定だという。他の国立高校からも日本人を受け入れてほしいと頼まれている。日本人が払う授業料で施設を改修できるほか、ホームステイの受け入れはフィジーの家庭にとっても収入になり、何より外から人が来ることを喜ぶと谷口は話す。

ステージ4のがんと向き合う

谷口はステージ4のがんの診断を受けた。本人の説明では、体の特定の場所ではなく全身に関わる血液とリンパ系のがんで、治療を受けて寛解はしている。ただし、5年経てば寛解と言われても、自分の場合は20年待たないと分からないと考えており、まだ10年経っていないので何とも言えないという。年に1回は必ず検査を受け、体調が悪いときには日本に戻って診てもらっている。フィジーには良い病院が少ないため、日本での受診が多い。このことも、フィジーでの滞在日数の要件を満たすのを難しくしている。

治療では放射線治療と化学療法を受け、髪も眉毛もまつ毛もすべて抜けたという。診断を受けたとき、谷口は10段階評価の4だと思っていたが、実際は4段階中の4、最終段階だったと語る。

それでも谷口は、残りの時間は誰にとっても有限だと話す。自分の残りが5年か10年か、三谷の残りが50年かの違いはあっても、何かを成し遂げたいと思うなら同じことだ。自分は体の事情で他の人より時間が短いが、そのぶん充実したものにしたい、と谷口は語った。

日本の若者とシニアに勧めたいこと

日本で教育事業を広げたいかと問われると、谷口は事業はもういいと答えた。それよりも、不登校の子が不登校でなくなれば嬉しいという。日本の若者は海外に出なくなり、留学する人も減っていると谷口は感じている。アメリカより安いフィジーへの留学をきっかけに、海外に出ることへの抵抗をなくしてほしいと話す。

留学に年齢は関係ないとも言う。これまでの最高齢は87歳の女性で、語学学校には常に60歳前後の人がいる。ホームステイをすれば年齢を重ねてからでも英語は身につくといい、谷口は、定年後に行けば日本でただ暮らすより安いと話す。3カ月18万円のコースに通いながら、Zoomなどでオンラインの仕事をこなす人もいて、収入の方が多いケースもあるという。言語の壁を越えたい、たとえば将来YouTuberを目指すような若者がいれば、受け入れを提供したいとも話した。

生活上の注意として、谷口はトイレットペーパーを持ち歩くよう勧めた。学校もどこもトイレットペーパーは持参制だという。フィジーで人気の芸能人について問われると、インド系の人はボリウッド俳優に憧れるかもしれないが、フィジー系の人にはそういう関心はほとんどないのではないか、と谷口は答える。誰かに憧れて上を目指す発想がない。三谷はそれを、SNSを見て整形したくなるようなことがないと好意的に受け取った。一方で谷口は、悪い意味で言えばフィジー人は努力しない、と付け加えた。

ホストファミリーの夕食

この日の最後、河東はホームステイ先のインド系家族の夕食をいただいた。豆のスープ、野菜料理、ライスに目玉焼きをのせたものなどが並び、スプーンの大きさにまず驚いた。料理にはニンニクが効いており、唐辛子をそのまま食べると辛いが、混ぜて食べるとちょうどよいという。

日本人が優しくなるには

インタビューの終盤、三谷は、日本人が優しくなるにはどうすればよいのかと尋ねた。フィジーにいれば優しくいられても、日本の環境に戻れば難しいのではないか、という疑問である。

谷口は、人に何かをあげたときと、もてなされたときのどちらに幸福を感じるかと考えると、どちらもだと答えた。もてなされれば自分を認めてもらえた気がする。もてなして相手が「ありがとう」と一言言ってくれれば、それも認めてもらえたように感じる。そのときに人は人とつながっていると感じる。谷口は、それを高校生にも語学学校の学生にも感じてほしいと話した。フィジーの優しさを日本でどう続けるかという三谷の問いに、それ以上の答えは示されていない。