『借りぐらしのアリエッティ』のドールハウスから考える、おもちゃは誰のための道具か

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概要

金曜ロードショーの「3週連続ジブリ祭り」で『借りぐらしのアリエッティ』が放送される日に合わせて、岡田斗司夫ゼミは2020年9月2日配信の第351回を再編集して公開した。テーマはアニメ本編ではなく、作中で印象的に使われるドールハウスである。岡田はシルバニアファミリー、1/12スケールの本格的なドールハウス、本物の蒸気機関で動く工場模型の3つを並べ、ドールハウスとは何かを語る。

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岡田が最終的に示す立場ははっきりしている。「おもちゃは子供のもの」という見方は近代以降の考え方にすぎない。発展した社会では大人がおもちゃで遊ぶのが当たり前であり、おもちゃは複雑な世界を把握するための道具だった、というものだ。

3つのおもちゃ:シルバニア、1/12の旅館、蒸気で動く工場

岡田が持ってきた3つのおもちゃは、どれも「現実の人間の生活を真似したおもちゃ」という同じジャンルに属する。

1つ目はシルバニアファミリーである。今回は3000円ほどの基本セットを買ってきたという。並べた家具は岡田が昔買ったもので、布が付いた上等な品だ。岡田によれば、昔のシルバニアのほうが家具や食器に凝っていた。岡田はシルバニアの家を買ってコップを入れ、食器棚として使っている。とてもおしゃれなのに、やっている人がほとんどいないので勧めたいという。人形と一緒にままごとをするこうしたおもちゃも、立派なドールハウスの一種だと岡田は位置づける。

ただし、うるさいマニアに言わせると、シルバニアのようなセットはドールハウスではない。正しく1/12の縮尺でなければならないという人もいる。岡田の説明では、1/12が標準になったのは20世紀初めである。1924年にメアリー王女へ贈られたドールハウスが1/12だったためと言われ、それ以降、格式の高いドールハウスは1/12になったという。

2つ目がその1/12の本式ドールハウスで、ディアゴスティーニの伝統的な和風旅館を作るシリーズだ。建物は半分開くようになっている。3階には部屋があり、2階は客室、扉を開けると離れの客室が現れ、1階は風呂になっている。岡田は縮尺がちょうど合うムーミンパパを置き、日本の旅館に泊まりに来たという設定にしている。このシリーズは全110巻で、毎週2000円ほどのパーツが少しずつ届く。完成まで2年以上かかり、部品代だけで20数万円になる。布団はすべて布から縫い、畳は本物のイ草を板に巻いて作る。家具もすべて木から作る。岡田は、アリエッティに出てくるドールハウスはおそらくこれに近いものだと見ている。アリエッティの身長は10cmという設定なので、縮尺は1/15ぐらいではないかという。

3つ目は、ビレスコ社という今もある会社の製品である。産業革命時代の工場を再現した「D14」(岡田はD41と言いかけて訂正している)という、スチーム・ワークショップと呼ばれる模型だ。岡田はこれを、ドールハウスが家の中のままごとだとすれば、家の外の「ごっこ遊び」にあたるものだと説明する。すべて金属製で、本物の蒸気機関で動く。炉に燃料を入れ、上のボイラーで湯を沸かして蒸気圧を高め、その圧力でエンジンを動かす。いちばん小さい基本セットでも7万円以上する。ちゃんと遊ぼうとすれば三、四十万円ほどは投資しないとまともなセットにならないだろう、と岡田は見積もる。ここまで来ると子供用のおもちゃとは言えない、というのが岡田の感想である。動かすのに手間がかかるため、実演は限定版で行うとしている。

ニュルンベルクのおもちゃ博物館で見た「本当のドールハウス」

続いて、2018年2月4日配信の第216回の映像が流れる。岡田がドイツのニュルンベルクにあるおもちゃ博物館を訪ねた回だ。ニュルンベルクは中世からおもちゃの街として知られ、工業化の時代にはブリキのおもちゃが大量に作られた。製造業者も職人も販売業者もいた街だと岡田は紹介する。

博物館は5階建てで、3階がドールハウスの展示になっている。岡田はまず、ここにあるのは普通のドールハウスではないと強調する。『借りぐらしのアリエッティ』に出てくる精密で複雑なドールハウスを見ると、ヨーロッパの本物のドールハウスとはあのくらいの大きさだと思ってしまう。しかし岡田によれば、あれは本来のサイズの1/3ぐらいにすぎない。本当のドールハウスは「これがおもちゃか」と思うほど大きく、小柄な人なら使えそうなほどだという。

展示では3つの部屋が並び、左端のベッドルームから始まる。この3つで奥様の居住空間を構成しており、端から端まで2〜3mある。岡田は人形劇のセットぐらいの規模だと表現している。

ベッドメイクから洗濯まで:「労働」を再現する遊び

ベッドルームを拡大すると、ベッド一つひとつにマットレスが入り、化粧台などが置かれている。岡田が注目するのはリネン棚である。普通のドールハウスでも、大きなものならベッドにシーツやマットレスや毛布ぐらいは揃っている。しかしこのドールハウスには専用のキャビネットがあり、開けると畳んだリネンが紐で縛って収めてある。

岡田によれば、これの遊び方はベッドメイクそのものである。毎日ベッドのリネンを剥がし、自分で洗濯し、アイロンをかけて畳み、紐をかけてキャビネットにしまう。そこまでが遊びだという。岡田はこれを「完全に労働」まで含めてやるのがドールハウスだと言い、並べるだけという遊び方はありえないとする。

岡田はこの関係を鉄道模型にたとえる。自分たちが知っているドールハウスはトミカのようなものだ。実際にはその上にNゲージがあり、HOゲージがあり、さらに大きなゲージの鉄道模型がある。私たちはそれを知らずに、トミカのようなものだけを見てきたのだ、と。

奥様のプライベートルームが示すジェントリー階級の暮らし

真ん中の部屋は奥様のプライベートルームである。岡田は、ここを見るとヨーロッパの中流の上の生活が分かると言う。寝室の広さから分かるとおり、これは上流階級や貴族の家ではない。いわゆるジェントリー階級、会社の重役ぐらいの階級の家である。

岡田が拡大写真で示したのは、部屋の端にある小さな仕切りだ。窓辺に一人しか座れない小さな囲いがあり、ごく小さいテーブルが置かれている。ここが奥様がお茶を飲む場所だという。当時のジェントリー階級の暮らしでは、家の中に個人専用の小さな囲いがあった。今の日本の家のように誰でも座れる場所ではなく、奥様しか座れないブースである。しかもドアで仕切られているのではなく、部屋全体が奥様専用になっている。

部屋の中央にある、誰でも座れそうなテーブルを、私たちはリビングだと思ってしまう。しかし岡田によれば、ここは奥様が自分の友達だけを呼ぶための部屋である。友人を招く部屋があり、その奥に本人しか座れないブースがある。それが当時のヨーロッパの家の造りで、ドールハウスはそれを再現しているのだという。

ここから岡田は資料としての価値に触れる。古いドールハウスをさかのぼって見れば当時の人の生活が分かる。一方、今作られたものを買うと、今の人が想像した昔の生活になってしまう。

本当に火がつく台所と使用人の部屋

もう一つの部屋は撮影しなかったが、台所のミニチュアは撮ってきたという。この台所も幅1.2mほどある。中央にストーブがあり、食器が並び、炉がある。炉には小さく砕いた石炭を入れて本当に火がつき、ストーブも上の鍋もすべて使える。つまりこのドールハウスの遊びは、本当に火をつけて料理をし、本物の陶器のカップや皿に盛りつけ、奥様のプライベートルームではない大きなメインダイニングまで運ぶところまで含まれる、と岡田は説明する。

岡田はこれを「おかしいでしょ。頭おかしいでしょ」と笑う。そのうえで、今回の話の主眼は「ヨーロッパのおもちゃはすごい」ということではないと断る。これがおかしく見えるのは、私たちの物の見方がそもそも違っているからではないか。そこへ話を進めるという。

台所の隣には使用人の部屋もある。使用人が寝起きし、洗濯やミシンがけをする部屋で、そこまでが子供の遊ぶ範囲に含まれている。岡田はここで矛盾を指摘する。ジェントリー階級の家に生まれた子供は、一生ベッドシーツを替えることも自分で食事を作ることもない。学校や家庭教師で学び、お茶を飲み、噂話をし、レース編みをし、本を読んで一生を過ごす。ところが遊ぶときには、その家で働く労働者階級の仕事を、手間をかけて徹底的に真似ている。

従来の解釈への異論:おもちゃはもともと大人のもの

なぜこんなものがあったのか。岡田によれば、これまでの玩具研究の解釈は、子供のままごと遊びがどんどん優雅に高度になったもの、つまり「昔の金持ちはすごかった」という見方だった。

岡田はこれに異を唱える。玩具博物館で玩具の起源を見ると、メソポタミア文明、エジプト文明、古代マヤ文明からもおもちゃが大量に出土している。素材は金属でもブリキでも鉄でもなく、木ですらなく、泥である。泥を固めて鳥のような形にし、棒や紐をつけて引っ張るだけのものだ。私たちはそれを子供の遊び道具だと考えてしまう。

一方で岡田は、現代のおもちゃは生産数の半分以上が大人向けだと述べる。多くの人はそれを、現代文明が歪んでいて大人が子供から抜け出せないからだと見ている。遊んでいる当人たちもなんとなくそう感じている。だが岡田の考えは違う。ここまでのおもちゃを子供が遊べるはずがなく、これは大人が遊ぶものだ。大人がおもちゃで遊ぶことは古代からずっと続いてきた。将棋をはじめあらゆるゲームも大人が遊ぶものである。「おもちゃは子供が遊ぶもの」という枠組みは、おそらく明治以降、ビルドゥングスロマン的な成長主義・教育主義が成立してから当てはめられた考え方だ、と岡田は推測する。

世界を把握するための道具としてのおもちゃ

では大人たちはなぜおもちゃで遊んだのか。岡田は、彼らはそれを「遊び」とは考えていなかったと見る。このドールハウスもおそらく遊びとは考えられておらず、世界を把握するために使われていたという。

岡田はここで『サピエンス全史』に触れ、詳しくは別の機会にまとめて話すとしている。岡田がこの本でいちばん驚いたのは、ホモ・サピエンスが生まれた瞬間から狩猟社会は非常に複雑で、農業社会も同様に複雑になり、あらゆる社会が一人の人間には理解不可能になっていた、という点だという。昔の世界が単純で現代が複雑なのではない。中世でもルネサンスでも世界は複雑すぎた。だから世界を把握するには、宗教かおもちゃのどちらかが必要だった、と岡田は主張する。どちらかの形で世界を模式化し、「要するにこういうことだ」とつかみ直さなければ、世界はまったく把握できない。ここでいうおもちゃにはゲームも含まれる。そう考えれば、昔の世界になぜこれほど複雑なおもちゃがあったのかが見えてくる、というのが過去映像での岡田の結論である。

ジェントリー階級とは何か

過去映像のあと、岡田はYouTubeのコメントに「ジェントリー階級を知らなかった」という声があったことを受けて補足する。

岡田の説明では、昔の身分はもっと単純だった。領地と領民を持つ「小さい王様」である王族・貴族と、農民の大きく2つぐらいしかなかった。産業社会が始まり、商売をする人が増えるにつれてこのバランスが崩れる。昔の貴族は没落し、土地も領民もあるが貧乏になっていく。一方で銀行家などの資本家が力を伸ばした。こうした人々を何と呼ぶかというところから、ジェントリー階級という言葉が生まれたという。岡田の定義は「働かなくても食えるが貴族ではない人」である。ニュルンベルクの大きなドールハウスは、そうしたジェントリー階級の家に置かれていたものだ。

ただし、それらがどのように遊ばれていたかという記録はほとんど残っていないと岡田は言う。私たちはつい子供が遊んでいたと解釈するが、実際はそうとは限らない。この点が後半の議論につながる。

サイズの比較:アリエッティの台所と雛人形

岡田はサイズの問題に戻る。博物館の写真で見せたのは実物の1/3から1/4ほどの巨大なものだった。私たちは1/12のドールハウスを本格的なものと考え、シルバニアファミリーをそのお子様版、ちゃちなものと見がちだ。しかし18〜19世紀のドールハウスは、1/12の本式ドールハウスのさらに3倍ぐらいの大きさがあった。

岡田はここでアリエッティに話をつなぐ。作中では、ドールハウスの台所のオーブンは電気をつなげば料理もできると、おば様(作中の女性)が語っている。だが岡田によれば、電気をつないで料理するのはドールハウスとしては手抜きで、石炭をくべるところまでやらなければいけない。ちゃんと料理ができなければドールハウスではない、と言われたという。

なぜそれほど大きいのかについて、岡田は日本の雛人形を引き合いに出す。本式の雛人形が立ち上がれば身長40cmほどになり、1/4スケールにあたる。雛人形の嫁入り道具のタンスなども、後には雛人形専門の職人が作るようになった。だが初期には家具職人、指物職人が本物の家具と同じ方法で作っていた。岡田はここに日本とヨーロッパの共通点を見る。発展した文明が高度な社会を作り出すと、そこに現れるものは似てくる。1/3から1/4ぐらいのスケールで本物の家具のようなものを作り、子供が遊ぶものではなく、置いて眺めるものになっていく。この流れがよく似ているという。

江戸の浮世絵にも大人の遊びが描かれている

岡田は江戸時代にも目を向ける。浮世絵を見ると、コマを回したり凧を揚げたりしているのは、子供もいるが半分以上が大人だという。すごろくをやっているのもほとんど大人である。江戸の社会でもおもちゃは大人が遊ぶものだった、と岡田は述べる。

岡田によれば、現代人は自分たちの時代をネガティブに見る癖がついている。社会が病んでいて子供がいつまでも大人にならない、だから大人がおもちゃを手元に置き、ガチャポンを回し、食玩を買うのだ、と考えてしまう。しかし岡田は、シュメールでもマヤでもエジプトでも、イングランドでも江戸時代の日本でも、発展した社会では大人がおもちゃで遊ぶのが当たり前だったと主張する。

大人が遊んでもいい理由と、構造を把握する力

最後に岡田は今回の結論をまとめる。大人になってもおもちゃで遊び続ける人がいるが、おもちゃとは複雑な世界を単純化して認識するための道具だ。だから大人が遊んでも問題ないと考えている、という。この結論はアリエッティよりも、少し前に解説した『トイ・ストーリー5』の補足のようになると岡田自身は述べる。

現実世界を構成するものをパーツとして単純化・小型化し、理解しやすくするという点では、ゼミでときどき見せるレゴの世界もプラモデルも同じだと岡田は言う。ボードゲームにも、農民の生活、会社の経営、海賊の生き方などを単純にゲーム化したものがある。遊んでいるうちに物事の基礎的な考え方が学べるようになっているのだろう、と岡田は推測する。

そのうえで岡田は、物事を単純化して構造を把握することが日本人はどちらかといえば不得意だと述べる。映画を語るときもストーリー、プロット、構造を分けて話しているつもりだが、こうした話がもっと通じるようになってほしいという。だから正直なところ、みんなもっとレゴやプラモデルで遊べばいい、ドールハウスでもシルバニアでももちろんいい、と語って締めくくる。

なお、続きの有料パートでは、引き続きドールハウスの話をしたあと、蒸気機関で動く工場模型を実際に動かす。そして、なぜこれが大人のためのものなのか、イギリスのジェントリー階級や貴族階級の大人たちがなぜこれをやらなければ仕事にならなかったのかを話す、と予告されている。その中身はこの無料部分では語られていない。