梅宮アンナが語る、5年の恋愛と最初の結婚、父・梅宮辰夫の最期、そして交際0日婚

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概要

梅宮アンナは、20代のほとんどを費やした恋愛、その反動のように選んだ最初の結婚、シングルマザーとしての子育て、父・梅宮辰夫の闘病と死、自身のがん治療を経て出会った現在の夫との「交際0日婚」について語った。話の中心にあるのは、人を信じられなくなった経験と、それでも「そろそろ人を信じてみよう」と考えるようになった変化である。親の最期を見届けたことで、長生きと生き方についても自分なりの考えを持つようになったと話している。

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21歳から26歳までの5年間の恋愛

話は、21歳から26歳まで5年続いた恋愛から始まる。相手の名前はこの場では出ていない。聞き手はこの相手を取材したことがあり、立場はさておき、とても人の話をよく聞く人で、女性が好きになる理由は分かると話した。アンナは「すごい一生懸命な人でしたよ」と応じ、ただ遊ぶだけの関係なら5年も続かないとも述べた。

相手には借金があった。アンナは一生懸命返そうとする姿を見て自分も助けたいと思い、保証人にもなった。聞き手が、父・梅宮辰夫も保証人になってしまうタイプだったことに触れると、アンナは、父は優しい人で困っている人がいると手を差し伸べてしまう、自分も似ているところがあると認めた。

その背景としてアンナが挙げたのは、愛情についての考え方だ。誰かからきちんと愛情をもらって育った人は愛情を持っているので、それを人に注ぐことができる。もらわずに育てば、人にあげることはできない。お金も同じで、賛否はあるだろうと断ったうえで、自分が人を助けられるなら「貸すっていうか、もうあげる感覚」だったという。交際の中でのことなので、借用書のようなものは存在しなかった。

突然訪れた「今日だ」という別れ

5年のあいだには説明しきれないほど多くのことがあった。最後は、ある日突然「今日別れるのだ」という声が聞こえるような感覚があり、本当の別れを伝えたという。当時は20代前半から半ばで、結婚という言葉を口にしたことは一度もなかった。それでも、この人と結婚して純粋にいろいろなことを思えるかと考えたとき、そうではないと感じた。関係に慣れきってしまい、「もうこれ以上私のやることはない」と思ったところで終わりにしたと振り返る。

交際中に二人で出した写真集は、恋愛がいちばん盛り上がっていた時期のものだった。当時は「借金を返すために脱いだのか」とも言われたが、アンナはそれを否定する。撮影を担当した写真家とはもともと少し知り合いで、ただその人に写真を撮ってもらいたかっただけだという。付き合っていれば普通に写真を撮るが、その「豪華版」のような感覚だった。相手には返済に役立てたいという計算があったのかもしれないとアンナは認める。ただ、始めたのは自分であり、相手がアンナを利用しようと計画したものではないと考えている。撮ってもらえた時点で「もうお腹いっぱい」だったという。

聞き手が、この交際について梅宮辰夫が残した言葉も有名だと触れると、アンナは、人間は何をしても生理的に嫌いなものは嫌いであり、理由もいろいろあったが、父は結局その相手が生理的に好きではなかったのだと思うと話した。

疲れ切った末の最初の結婚

別れたあと、アンナは「体に針を刺しても分からない」ほど疲れていたという。次に出会う人は、まず借金がないこと、あまり喋らないこと、つまり前の相手とは正反対の人がいいと考えていた。別れの報道が出たあとには仕事が一気に増え、今度は働きすぎで疲れた。少し休みたいと思っていたころに出会った男性とすぐに交際が始まり、結婚に至った。

アンナは、自分の結婚相手の選び方は一般的ではないと言う。稼ぎがいいか、どこかの社長か、といったことには興味がない。この相手の決め手も顔ではなく「なんとなくフィーリング」で、喋らない雰囲気が当時は良かった。調子のいいことを滑らかに話す人は、もう遠慮したかったのだという。聞き手も、以前の交際相手を取材した際、言葉が次々と流れるように出てくることに驚いたと話し、アンナは生まれ持った才能なのだろうと応じた。

ところが、おとなしい人を選ぶと、今度は何も主張がないため、相手が怒っているのか喜んでいるのか、美味しいと思っているのかどうかも分からなかった。アンナは、本当に考えて結婚したわけではなかったと振り返る。何かに疲れていて、仕事を休みたかったこと、子どもを考える年齢に差しかかっていたことが重なっていた。

「借金ありますか」と聞くようになった人間不信

こうした経験から、アンナは出会う人ごとに「借金ありますか」と聞くようになった。まともな人にも必ず裏があると考えるようになり、それで苦しんだことも事実だという。相手が結婚していないと言っても信じられず、戸籍を見せてほしいと頼んだこともあった。この警戒心は今も残っていると話す。

ただ、現在の結婚は、最初の離婚から25年後のことだ。病気をしたこともあり、そろそろ人をちゃんと信じてみようと思って結婚したという。一方で、ふわふわと相手を良い方に良い方に考えるのは危険でしかなく、世の中には普通に人を騙す人が本当にいる、という考えも変わっていない。

恋愛に破れるたびに「地球の外に弾き飛ばされる勢い」で、別れの際には必ず泣く。いま振り返ると、なぜあの人のためにあんなに泣いたのだろうと思うことも多いが、そのときはやはり大変だったという。

恋愛が大切なのかと聞かれ、アンナは「人のことを好きになってる自分が好き」と答えた。好かれるのも嫌ではないが、自分から好きになっているときのワクワクが好きで、男性を追いかけているときは、相手よりも追いかけている自分の方が好きだという。その気持ちは今もある。喧嘩でも自分からわっと言ってしまい、言い返されると泣いてしまう。自分が言わなければこうはならなかったのに、と思うことはよくある。この性格は父にも母にも似ていないと話した。

両親の結婚から見た「夫婦愛」

アンナは両親を「本当にベストカップル」と呼ぶ。どちらかといえば父が母を大好きで、男性が女性を想う度合いの方が大きい方がうまくいく、女性の方が大きいと「地獄を見る」というのがアンナの考えだ。ただし一方的では成り立たない、とも付け加えている。

聞き手は、アンナの本によれば父が家事や育児、アンナのおむつ替えまで担っていたとし、あの世代の俳優なら亭主関白を理想としそうだと尋ねた。アンナによれば、父も母も再婚同士だった。父がそれまで交際・結婚してきたのは、夜の仕事をしている人や女優など一般人ではない女性がほとんどで、「私が一番」というタイプばかりだった。華やかで綺麗だが、うまくいかなかった。母はそういう振る舞いをしなかったという。

梅宮家はもともと医院を営んでおり、祖父は医師だった。長男の辰夫は跡を継ぐはずだったが、勉強も医者も嫌で俳優の道を選んだ。祖母は病院の娘などとの見合いを何度も持ってきて、父はそれを断り続けていた。しかし母と交際していた時期に、どうしても断れない見合いが来た。父が母に謝ると、母は「2号さんでもいいから私を忘れないで」と言った。その言葉が父の心に刺さったという。

アンナは大人になってから父にこの話を聞き、母に「すごくない?私は言えないな」と伝えた。すると母は「2号さんの方が楽じゃない」と答えた。父はそういう意味で言われたとは思っていなかったわけで、アンナはこの食い違いを面白がる。後にすべて明かされ、今は笑い話になっているという。

父は母に、食事も掃除も何もしなくていい、ただ笑っていてくれと言った。「私が一番」という女性といると、不機嫌だったり笑っていなかったりすることが多かったのだろう、とアンナは推測する。男性の多くが女性に最も望むのはにこにこ笑っていることではないか、とアンナは話す。一方で女性は察してもらえないと不機嫌になり、自分もどちらかといえばそういうタイプだと認める。結婚して笑っていなければと思っても、笑えないと思うことはたくさんあるという。

「俺とパパ、どっちが大事なの」

竜巻のような恋愛の直後に穏やかな人と結婚し、すぐに離婚したことについて、アンナは、当時は「好き」という何かにかかっていたような状態で、結婚とは何か、一緒にいて安心か、といったことはどうでもよかったと振り返る。自分で仕事をしていて、誰かに食べさせてもらうという発想がもともとない。それが相手の劣等感に変わっていったという。夫は芸能人ではない一般の人で、どうしても「梅宮アンナ」という名前が先に立った。

ある日、表参道の交差点で夫から「俺とパパ、どっちが大事なの」と聞かれた。アンナは「分かった。じゃあはっきり言うね。あなたの代わりはいくらでもいるけど、パパの代わりはいない」と答えた。そこまで言わせるほど相手を追い込んでしまったのだろうとアンナは振り返っている。

アンナにとって父は、正直に言えば憧れの人ではなかった。細かいところが嫌だと思うこともあった。それでも父の大きな愛情の中で育ったため、それがどうしても表に出てしまう。「パパはこういうときこうしない」といった言葉はNGだと分かっていたが、態度などで伝わっていたのだろうという。相手はどんどん敏感になり、嫉妬のような形になっていった。それが一番の離婚理由だとアンナは話す。

この言い争いは妊娠中に起きていた。はっきり別れを決めたのは、娘を産んだその日だった。普通ならこれから家族で頑張っていくはずなのに、産んだ瞬間に「この人じゃない。別れなきゃ」と思ったという。離婚が成立したのは娘が1歳のときである。

養育費ゼロの離婚と、17年後の再会

娘のももかは、実の父親に一度も会ったことがない。アンナは、小中学生の頃に父親のことを聞かれるだろうと思っていたが、今の子どもはウィキペディアなども見てしまう。そのためごまかさず、合わなくて別れたこと、仲が悪くて別れたのだと言葉にして伝えてきた。会いたければ言っていいが、自分は会わない、とも話していた。結局、ももかから会いたいと言ってきたことはない。

離婚の際、アンナは慰謝料も養育費も生活費も一切いらないことを条件にした。そのため揉めることはなく、1年ほどかかったものの、離婚はシンプルに進んだ。

その後、アンナは基本的にシングルで子育てをしてきたが、足りないときは父に補填してもらうこともあった。転機はももかが17歳のときだ。インターナショナルスクールに通っていた娘は、アメリカの大学に進むことになっていた。アンナは、娘の将来のために、大学の費用を実の父親と半分ずつ出す形にしたいと考えた。「大学のお金は、別れたお父さんが半分出してくれた」と娘が言えるようにしたかった、というのがアンナの説明だ。

十数年会っていなかったが、知り合いを通じて連絡を取り、4年間の学費を折半したいと伝えた。答えは「離婚のとき一切いらないって言ったよね」というもので、あっさり断られた。自分がお金を欲しいのではなく、ももかに関するお金だと説明しても変わらなかった。帰宅してその経緯を話すと、ももかは「ダメだね」という反応で、離婚は正しかったのではないかと言ったという。

聞き手が、辰夫が父親代わり以上の愛情を注いでいたのではないかと言うと、アンナは同意した。父は幼稚園の送り迎えをいつもしてくれ、青山の紀ノ国屋に孫といつもデートのように出かけていた。離婚せずに収まるのが一番良かったとしつつも、離婚したことで父は孫と好きなときに会えた。それはとても幸せそうだった、とアンナは話す。

父・梅宮辰夫の闘病と透析

梅宮辰夫は2019年12月12日に亡くなった。仕事としては、2018年のNHKのドラマが最後だったとアンナは記憶している。2017年に十二指腸を全摘してから体重が急激に落ち、その後は戻らなかった。さらに腎臓にもがんが見つかった。

亡くなる1年ほど前、夫妻は東京の家を売却し、真鶴の家に一本化して、犬と一緒に暮らしていた。そこで腎臓のがんが見つかり、腎臓を摘出した。腎臓は一つ残っていれば生活できるが、辰夫の場合は元気な方の腎臓にがんができ、残った方は生まれつき小さく機能しなかった。そのため透析が必要になった。

透析は月・水・金の朝8時半から小田原の病院で受けていた。準備から帰宅までで5時間ほどかかり、翌日は休むものの、体力も気持ちもくたくたでどこにも行けない。透析で体の水分を抜かれ、カラカラになって疲れ切っていたという。

アンナはこの時期の父について「精神が破壊されるような感じ」だったと語る。いつも怒鳴るようになり、生存確認のために真鶴の家を訪ねても「アンナ来たか」ではなく「何しに来たんだよ」と言われた。元気な人を見ることに腹が立っていたようだという。テレビを見ても文句ばかりで、それまでそんな様子になったことはなかった。あれほど優しかったのに、病気で人はこうなってしまうのかとショックを受けたと話す。

「安楽死したい」という父の言葉と、長生きへの考え

アンナは、この状態の父を「生かされている」と表現していた。生きたいのではなく、生かされてしまっている、と。父は何度か、自分の最後は自分で終わりたい、透析をやめたいと口にした。透析をやめるとだいたい10日で亡くなるという。アンナは「いいよ、パパの好きにしていいよ」と答えた。しかし翌日になると、父はやはり行くと言って透析に向かった。

その時期に選挙があり、アンナが誰に入れるのか尋ねると、父は安楽死制度を作ろうと訴える政治家に入れると答えたという。

アンナは父とよく、あまり長生きはしたくないと話していた。元気でお金がたくさんあれば問題ないが、100歳まで生きても自分の足で好きなところに行けないなら生きている意味がないだろう、と父はいつも言い、アンナもそうだと思った。今は何でもIDとパスワードで、自分でも戸惑うことが多い。20年後、70歳になったときに、今とは違うツールが出てきても20代の人と並んでついていけるなら長生きしてもいい。しかし親を見てきたからこそ、長生きは問題だと考えている、とアンナは話す。父は最後まで施設に入る必要がなかったが、排泄が自分でできなくなることもある。母は現在83歳で、認知症になったら施設に入れるのか、といった現実的なことを考えると「生きるって大変」だという。

父が亡くなったときに感じたこと

亡くなったと聞いたときの感情を尋ねられ、アンナは正直に、まず「これでもう怒鳴られない」と思ったと答えた。82歳で、ここが最期だったのは正しかったと感じたという。父も家族もみんな大変だったので、「良かった」とは思わないが、ほっとした。「もう十分だよね」という気持ちだった。亡くなったのはコロナ禍が始まる直前で、生きていても、病院通いをしていた以上コロナで亡くなっていたのではないかとアンナは考えている。

がん治療を経て出会った夫と「交際0日婚」

聞き手は、昨年の結婚に父の最期が影響したのかと尋ねた。アンナは、父の死についてはすでに気持ちが落ち着いており、むしろ2024年に自分のがんが見つかり、自分の体と向き合った2年間の影響の方が大きいと答えた。父のように最後にがんが腎臓にできて、自分も透析で同じ思いをするのか、あと何年生きるのか、と考えずにはいられなかったという。

治療が終わってほっとしていた頃に、夫となる「よっちゃん」と出会う。アンナによれば、そのときの自分はこれまでにないほど綺麗な状態だった。抗がん剤を一度やると皮膚が脱皮するようにぽろぽろ落ちて再生し、肌がとても綺麗になる。心も同じように生まれ変わった感じだったという。

ただ、アンナ自身には交際するつもりすらなかった。胸がなく、当時は髪の毛もなかったため、「そんなんでどうやって人と付き合うの」と考えていた。もう一生男性と手をつなぐこともない、一人で生きていこうと思っていたという。母をはじめ周囲は再婚を勧めたが、一緒にいてもつまらない人もいる、一人の方がいいのではと返していた。最初の結婚で良い思いをしていないため、結婚に憧れもなかった。

それでも、結婚しませんかと言われたときは、その言葉がとても嬉しかった。相手は結婚したい気持ちを全開にしていて、男性が強く結婚を望むスタンスだったことが、結婚できた一番の理由だとアンナは見ている。結婚は、どれだけ長く付き合っても、してみなければ分からない。結婚してからゼロから始まるのだから、結婚しながら付き合っていくのもいい、とアンナは考えた。こうしたケースは多くないが、それもいいと思ったという。

「結婚してるでしょ」と疑い続けた3日目

経緯には、アンナの人間不信が色濃く出ている。知り合ってから毎日のように連絡を取り合っていたが、3日目に夫からLINEで、今日どうしても言わなければならないことがあると連絡が来た。アンナはその時点で「はい、結婚してるのね」と思ったという。既婚者と付き合ってもうまくいかないから、話を聞いたら断るつもりで会った。すると告げられたのは「結婚を前提に付き合ってください」という言葉だった。

それでもアンナは「そう言ってるけど結婚してるでしょ」と返した。本当に信じられず、自分が結婚するその時まで、相手は既婚者か結婚詐欺師ではないかと疑っていたという。周囲は否定したが、犯罪をしようと思えば婚姻届を出すことくらいできる、というのがアンナの感覚だった。

アンナが一つだけ確認したのは、自分と一緒にいると週刊誌に書かれ、ほぼ筒抜けになるが大丈夫か、ということだった。相手は「じゃあなおさら結婚しよう」と答え、交際が決まった。翌日の食事で改めて、付き合うと写真を撮られたり記事になったりすると伝えると、相手は、結婚すれば変なことは書かれないと言い、結婚することになった。出会いは5月14日。次の大安が5月23日だったため、その日に入籍した。

聞き手が52歳での交際0日婚を「さすが梅宮アンナ」と言うと、周囲からも「アンナっぽいかもね」と言われたと応じた。

「真面目な人が好きなのに、真面目はつまらない」

聞き手に、有名な元交際相手以外にも悪そうな男性と付き合った経験があるのかと問われると、アンナは、交際まではしないが、付き合うかと思ったら悪そうだからやめたことはあると答えた。環境のせいか「三井住友銀行の人」と出会うことはなかったと笑う。真面目な人が好きなのに、真面目な人はつまらない。話して楽しい人や少し影のある人に魅力を感じてしまう。それは矛盾していて、自分で招いていることであり、誰のせいでもないと話す。

父は、娘がまともな人を好きにならないことに困っていたという。アンナは父に、パパもママも普通じゃないのだから、それは無理でしょ、しょうがないでしょと言っていた。

結婚して約1年3か月が経った。結婚しなければよかったと思うことはあるかと問われると、アンナは「あります。お互い」と答えた。大きな喧嘩になり、こんなに喧嘩するなら合わないかもしれない、とお互いに感じることがある。ただ、夫に借金はなく、他に女性がいるわけでもない。夫はとても真面目で、この人と決めたら他の人とはあまり話したくないタイプだという。アンナにとって、女性関係が派手な人は絶対に嫌だった。借金と女癖の悪さのどちらかなら借金がある方がいいと思うほどだったが、夫はどちらでもないと話した。

がんサバイバーとしてのこれから

今後の活動について、アンナはがん経験を伝える仕事を続けたいと語った。自身が受けた標準治療を最高の治療だと考えており、薬が効いて手術もでき、社会復帰できたという。現在は保険会社、病院の医師、抗がん剤を扱う会社などから依頼を受け、全国で登壇する仕事が中心になっている。

アンナのインスタグラムには、がんが見つかった人から毎日のようにダイレクトメッセージが届く。アンナがつけているウィッグが良いので同じ店に行きたい、といった内容だ。アンナは、治療を受けながら生活をより豊かにする方法を伝えていると自分の仕事を説明する。病院の治療だけでは乗り越えられない、というのがアンナの実感だ。医師は抗がん剤で髪が抜けると説明し、終われば生えてくると言う。しかし患者にとっては髪がない日が一日でも嫌なので、それは何の慰めにもならない。それよりも、髪を失う悲しみの中にいる人に、こういう素敵なウィッグがある、自分の名前を出してもいいのでみんなこういうものを使っている、と医師にも広めてほしいとアンナは話す。そうしたサポートの仕事に就けたらいいと考えている。

AIの広がりについても触れた。モデルの仕事は今やAIでできてしまい、人も不要になりつつある。一方で、自分が体験したことを話す仕事はAIにはできないだろうから、この仕事をずっと続けたいという。

目標の一つとして、アンナはTEDのスピーチに出たいと語った。18分間のプレゼンで、テーマは自由、応募や推薦で出られる仕組みだと説明する。現在は全国で、司会者とのやり取りではなく、スライドを使って1時間を一人で話すことが多く、それが良い練習になっているという。将来はそのプレゼンをやりたいと話し、ほかにもいくつも目標がある、と語って締めくくった。