ファッションYouTuberげんじが語る、芸人の挫折からブランド運営の揉め事、親友の死まで
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜YouTubeでファッション情報を発信して10年を超え、自身のアパレルブランドも運営するげんじが、街録chのインタビューに答えた。18歳で芸人を目指して挫折したこと、ファッションアプリ「WEAR」での評価、ブランド立ち上げ後の出資元とのトラブル、「台風セール」炎上、アルコールに頼った日々、ヒカルのアパレルへのレビューをめぐる応酬、そして地元の友人の死。話題は多いが、全体を通して語られるのは、無理を重ねた時期を経て、肩の力を抜いて続けるという今の姿勢に至った経緯である。
登録者100万人、ZOZOTOWNでの売上が大きい理由
聞き手はまず、げんじがファッション系YouTuberとして登録者数100万人ほどを抱え、ブランドの売上が50億円規模に達していることに触れた。げんじはこれを認めたうえで、売上はフォロワーだけで立っているわけではないと説明する。ブランドの一部はZOZOTOWNに出店しているため、たとえばアディダスの商品を見に来た人が、横に並んだげんじのアイテムも気に入って一緒に買うことがあるという。
ブランドは大きく2つに分かれている。手頃な価格帯の「ウィム」と、高級路線の「LIDNM(リドム)」だ。リドムの中には、げんじがインタビュー中に身につけていたジュエリーを扱う「ライフ」というラインもある。売上はZOZOTOWNで展開するウィムの方が大きいという。
YouTubeは10年を超え、年齢は32歳になった。聞き手が「尋常じゃない」と驚くと、げんじは「狂気的に継続した」と応じた。続けられた理由として挙げたのは、YouTubeを始める前からWEARに私的に投稿していたほどファッションが好きだったことである。もう一つの理由が、芸人時代の挫折だった。人を笑わせたいのに笑ってもらえなかったトラウマに比べれば、見てもらえるだけでありがたい。その感覚が10年続けられた支えになっているという。
工業デザイナーの父と、芸人を志した高校時代
げんじは埼玉県の出身だ。父は工業デザインの会社を経営しており、公共トイレにある赤ちゃんを座らせる三角形の設備を最初に手がけ、グッドデザイン賞を受けたという。歯科の、寝た姿勢で治療を受ける器具の仕組みにも関わったらしい。池袋の事務所を訪ねると、仕事で描いた非常にうまい絵があったと振り返る。
会社勤めをする大人を父以外に知らなかったため、小中学生の頃はサラリーマンになる自分を想像しなかった。バラエティ番組が好きで、人前で無茶振りをされても嫌がらずにこなし、逆に誰かに話を振ることもあった。そうした経験から、中学3年の頃にお笑い芸人になりたいと思うようになった。
高校2年で進路を決める段階になり、大学に4年間通ってから芸人を目指すより早く始めたいと考え、親に相談した。母は不安がって他の専門学校の見学に連れて行ったが、父は反対しなかったという。後にげんじは、世の中から悪いニュースをなくしたい、人は笑っている瞬間は嫌なことを忘れているから芸人を目指したい、と父に話したとも語っている。
ワタナベコメディスクールでの所属と挫折
高校卒業後、げんじはワタナベエンターテインメントのワタナベコメディスクールに入った。18歳のげんじが最年少で、周りは大学生や社会人、吉本から移ってきた人もいた。同期にはちゃんぴおんずの大崎、フワちゃん、土佐兄弟がいたという。
コンビの相方は、当時36歳で見た目は45歳くらいの脱サラした人だった。共通の話題はほとんどなかった。何人かと組んではすぐ解散していたが、社会人経験があって人として話ができること、見た目の年齢差が親子のようでキャッチーなことから、この人と組んだという。ネタはげんじが書いていた。スクールの最後にある所属オーディションでは面白い人も落ちていたが、げんじたちのコンビはオーディションライブでウケて所属になった。
ところが卒業後のライブではまったくウケなくなった。10回ライブをやって1回笑い声が聞こえればいい方だったという。在学中のライブは月1回程度で、客席には同級生やバイト先の知人が多く、学生であることでハードルも下がっていた。デビュー後は、笑うために金を払って来た客の前で、芸歴5年、10年、12年の先輩と横並びで舞台に立つ。今なら「ウケなくて当たり前」と思えるが、当時は悔しさと恥ずかしさでいっぱいだった。同じ舞台で大崎はどのライブでもウケていたという。
コンビ仲がうまくいかず、1年半ほどで解散した。ワタナベでは解散すると自動的に事務所との契約も切れる。その後ピン芸人として3回ほどライブに出たが、ピンネタの練習をしたこともなく厳しかった。大スベりした帰り道、最寄り駅から自宅までの10分の間に、げんじは膝をついた。大学には行っていない、コンビは解散して事務所も解雇された、ピンもうまくいかない、今の自分と組んでくれる人もいない。「詰んだ」と感じたという。20歳前後のことだった。
WEARで1位を争った「ロジカルなファッション」
同じ時期、げんじはWEARにコーディネートを投稿していた。ファッション好きの自覚は高校時代からあった。父にリサイクルショップのトレジャーファクトリーで合皮のライダースジャケットを買ってもらったのがうれしく、大切に着ていたという。やがて本革のライダースが欲しくなり、購入先もWEARを参考にして、スクール在学中に4万円ほどのライダースをリボ払いで買った。自分も参考にしているWEARに投稿してみようと思ったのが最初の投稿である。
ランキング制度があったことで、のめり込んでいった。3位でも2位でも悔しく、1位を目指した。雑誌を見ながら何がかっこいいかを論理的に考え、お笑いのネタを振り返るようにアウトプットを繰り返した。すると、色物より白と黒を中心にしたコーディネートの方が閲覧数や保存数、お気に入り数が伸びることが、データとして見えてきたという。
聞き手が「好きなものより1位になれるものを選んでいたのか」と尋ねると、げんじは否定した。芸人時代にスベった経験から、悔しさ以上に恥ずかしさが強く残り、奇抜に目立ちたいとは思わなくなった。もともと無地で落ち着いた、上品さのあるファッションが好きだった。1位になったものを後から好きになったこともあれば、好きなものを投稿したら1位になったこともある。心を売って1位を目指したわけではない、という説明だった。
げんじによれば、当時のファッションSNSは「こういうものを買った、かっこいいでしょ」という自分に向いた投稿が多かった。げんじは誰かの参考になりたいという思いで投稿しており、文章で論理的に解説する人はほとんどいなかったという。成果は大きかった。WEARの公式ユーザー「WEARISTA」に選ばれ、ZOZOTOWNで使える年間120万円分、月10万円分のポイントを受け取るようになった。フォロワー数ランキングでは1位か2位にずっと入っていた。現実の芸人としては泥水もすすれない状態なのに、ネット上の「げんじ」は多くの人に称賛される。ネットと現実の落差が非常に大きかったとげんじは振り返る。
友人の一言で始めたYouTube
YouTubeを始めたきっかけは偶然だった。ピン芸人として活動していた頃、同じ友人と3日続けて遊ぶことになった。1日目の帰り道、げんじが同じ友人と同じことを繰り返すのは成長がない気がして嫌だ、違うことがしたいと話すと、友人が「YouTubeを撮ってみないか」と言った。げんじはYouTubeをテレビ番組やミュージックビデオが流れる場所だと思っていたが、友人からHIKAKINやはじめしゃちょーの存在を教わった。
翌日、アップロードする予定のない動画をいくつか撮り、友人のパソコンで編集してみると、はじめしゃちょーのような動画になった。遊びで終わらせたくないと思い、次の日に公開用の動画を撮って1週間ほどかけて編集し、アップした。これが始まりだという。
最初は芸人のプライドもあり、女装企画などお笑い寄りの動画を3、4本出した。しかし眼鏡の紹介などファッションの動画を出すと、再生数が明らかに違った。WEARでYouTubeを始めたと告知していたこともあり、視聴者が求めていたのはお笑いではなく、げんじが何を良いと思うか、WEARで1位になったコーディネートがなぜ1位なのかという解説だった。げんじはここで、芸人を志したときの「誰かの役に立ちたい」という思いと、ファッション発信がつながったと話す。自分のファッションのコンテンツが世の中の需要に合っているなら、喜んでファッションを発信しようと考えた。開始から5〜6か月で登録者は10万人に達した。男性で、ファッションが好きで、げんじのような服を好む人が10万人集まったことが、とてもうれしかったという。
「コスパ」を語ることへの業界からの反発
げんじの発信の中心は、使い回しの利く服だ。1着が超かっこよくても、他のアイテムに合わせられなければ意味がない。黒のデニムはシャツにもダウンにもTシャツにも合うからコスパがいい、という考え方である。ところが当時は、ファッションは語るものではなく見せるものだという空気が強く、こうした発信は業界から見るとよくないことだったらしい。
販売歴10年の人や、ハイブランドを何十年も買い続けてきた人からは「何が6000円で買えるんや」といった反応があった。派手な服を好む人には、無地を推す発信が陳腐で愚かに見えたらしい。当時は自由に意見を言いやすい環境だったこともあり、誹謗中傷は非常に多かったとげんじは語る。耐えられた理由を聞かれると、芸人時代の真っ暗な絶望に比べればまだましだったこと、応援して見てくれる人が大勢いたこと、一緒にYouTubeを始めた友人の思いもあったことを挙げた。ただ、強がるつもりはなく、つらい時期もあったと付け加えた。
中傷は仕事にも響いた。6〜7年前、ある企業から商品紹介の案件を何度か受けていた。げんじが紹介すると商品が売れたため、依頼が続いていたという。ところがアンチがその企業に直接メールを送ったり、企業のXアカウントにげんじの顔を加工した画像を送りつけたりしたため、企業は依頼を止めることになった。自分一人が我慢すればいいと思っていたげんじも、従業員やマネージャー、一緒にYouTubeを始めた友人にまで影響が出ていると知って、申し訳なく悲しい気持ちになった。そこで向き合うことを決め、しかるべき対象に法的措置を取っていった。訴えて有罪になったアンチもおり、今ではほとんどいなくなったという。
毎日投稿の時代と、壊れかけた24歳
聞き手は、1日に何本も投稿していた時代の個人YouTuberには、うつやパニック障害になった人の話をよく聞くと話を向けた。げんじは、最初の1年ほどは躁状態のような勢いでやれていたと振り返る。水溜りボンド、カリスマブラザーズ、ヘキトラハウスといった同時期のYouTuberとたまに会い、動画の内外で彼らが寝ずに働く大変さも見ていた。自分だけではないと思えたこと、芸人時代は働きたくても仕事がなかったのに今は働けているという喜び、登録者100万人規模のYouTuberと同じことをやれているという実感。これらが病まずに続けられた理由だという。
それでも、一度も壊れなかったわけではない。自殺を考えた時期があったとげんじは明かした。ブランドを立ち上げ、東京に出てから友人が増え、有名な人たちと飲むことが多くなった。自分の時間よりも、その人たちが楽しく過ごす時間をどう作るかを優先して付き合いを広げるうち、自分のキャパシティを超えていることに気づかなかった。二日酔い、三日酔い、四日酔いが当たり前になり、外からはうまくいっているように見えたブランドも、裏側ではうまくいっていなかった。
24歳ごろ、死を考え始めて危ないと感じ、一人で宮島へ行った。3泊4日、仕事は一切しなかった。すると、マイナスだった気持ちが翌日には0になり、次の日には30%、さらに70%と戻り、帰る頃には100%になっていたという。
ただ、別の沖縄旅行では、最終日に一人しか泊まれないヴィラで、オーナーに「げんじという人は泊まっていないと答えてほしい」と頼んだこともあった。東京で凸撃された経験があったわけではない。それでも、ここにいると知られたら誰かが押しかけてくるのではないかという強迫観念のようになっていた。今考えればおかしな話だと、げんじ自身も語っている。
ブランド創業と大阪の出資元とのトラブル
ブランドの裏側で揉めていたのは、立ち上げ時の資金構造が原因だった。げんじには自己資本がなかった。一緒にブランドをやろうと声をかけたデザイナーは、ちょうど前職のアパレルを辞めたいと考えていたため独立して加わった。しかし、げんじ自身の生活も大変な中で、彼に月40〜50万円の給与は払えない。そこに、デザイナーが前職時代に取引していた、国内に縫製工場を持つ大阪の会社が協力を申し出た。デザイナーの給与を払い、初期費用やECサイトの運営、カスタマーサポートまで引き受けてくれたという。
げんじはお金を出してくれたこと、きっかけを作ってくれたことには今も感謝していると断ったうえで、1年、2年、3年と経つうちに問題が見えてきたと話す。カスタマーサポートは任せて大丈夫と聞いていたが、住所変更の反映漏れで商品が届かないといった問い合わせに対応が追いついていなかった。
より大きかったのは在庫の問題だ。げんじによれば、大阪の会社は他の事業で赤字を抱えており、げんじのブランドの売上でそれを補填したかった。げんじが過去の販売実績から500〜1000着が適正と考えるシャツを、大阪側は3000枚作ろうとする。1500着売れて1500着残れば、過剰生産の決定に関わっていないにもかかわらず、セールで売れという圧力がかかる。定価で買ってくれた客がいるのに値下げして不公平な思いをさせるのは、げんじには「全然綺麗じゃない」と感じられた。自分の影響力が過剰に、しかも軽視されながら使われていると感じるようになり、ブランド運営が楽しくなくなった。ブランドなしでYouTubeだけをやりたいと思うほどだった。
げんじがブランドをやめたいと伝えると、大阪の会社のナンバー2で身長190cmほどの代表が初めて怒った。げんじに直接ではなく、大阪の会社に籍を置くデザイナーを大声で詰めたという。怖い人だと思ったら夕食をおごってくれ、笑顔で話すので悪い人ではなさそうだと思ってしまう。そうして丸め込まれていったと振り返る。
在庫2億円をめぐる交渉と、自己資本への移行
大阪側は当然すんなりやめさせてはくれず、在庫をどうするのかという話になった。在庫は2億円ほどあったという。埒が明かないため、弁護士を通じて交渉することになった。
交渉の途中、ほとんど経営に関わっていなかった会社のトップの韓国人から、会いたいという連絡が直接入った。弁護士に相談すると、有利な話ができるかもしれないという。念のため録音機器を持ち、相手が反社会的な人物を連れてくる可能性も考え、個室ではなく開けた場所としてホテルのラウンジを選んだ。ところが現れたのは60歳前後の韓国人男性一人で、「ごめんね」と謝ったという。
そこでようやくトップとまともに話ができ、げんじ側から条件を示せるようになった。在庫は切り分けることになった。客に自信を持って勧められるベストセラーアイテムはげんじ側が買い取る。大阪の会社が必要以上に積んだとげんじが考えるアイテムは、大阪の会社に残す。この内容で契約を交わし、げんじは25歳ごろ、自己資本でブランドを運営できる状態になった。
「台風セール」炎上と、言い訳に見えた説明
しかし問題はそれで終わらなかった。げんじの名前で検索すると出てくる炎上の一つが「台風セール」である。切り分けの結果、旧来の販売サイトは「旧リドム」として大阪の会社のもとに残り、げんじ側は「新リドム」としてデザイン、生産、販売を行い、買い取ったベストセラーも新しいサイトで売る体制になった。
あるとき、死者が出るほどの大きな台風が来た。フォロワーから「台風セールって何ですか、さすがにこれはないです」と連絡があり、げんじは初めてそれを知った。旧リドム側は、過剰に積んだ在庫をさばく手段としてセールか過去の購入者へのメールしかなかったため、「台風の日も自宅でショッピングを」という趣旨でセールを打ったという。それが、死者の出た災害に絡めて商品を売ろうとした極悪な行為として大炎上した。
げんじは、ここで自分が全部説明すればよかったと振り返る。実際には、インスタグラムのストーリーで「自分ではない、旧リドムは大阪の別会社で」と説明した。事実ではあったが、それまで旧と新の区別をフォロワーに話していなかったため、炎上後に初めて説明すると言い訳のように、あるいはトカゲの尻尾切りのように受け取られた。揉めに揉めて終わったと思った後も、なかなか収まらなかったという。その後、自社サイトのブランドとは別に、ZOZOTOWNで展開するウィムを立ち上げて自由に取り組んだ結果が、今につながっていると話す。
それでもやめなかった理由と、インフルエンサー支援
聞き手は、これだけ揉め事があれば普通はやめるのではないかと驚いた。げんじは、ファッションを通して世の中を幸せにするという考えは当時も今も変わらないと答えた。同じことを繰り返すファッション業界であってほしくない。そう考え、辞めた直後あたりから、ファッションインフルエンサーを支える事業を始めた。自分が嫌だった点を解消しながら、クリエイター、視聴者、ブランドの三方が満足するように、クリエイターが作るブランドの世界観を一緒に守る仕組みである。クリエイター側に立って考えられる唯一のファッションインフルエンサー事務所を作りたいという思いで、現在は22人のクリエイターのブランドを手がけている。並行して、他社にいる人も含め、似たトラブルに巻き込まれないよう後輩を育てているという。
こうした考え方の源について、げんじは芸人を始める頃に読んだ本を挙げた。例として『夢をかなえるゾウ』を挙げ、他者貢献こそ幸せの本質だと自分は捉えている、誰かのために生きることが自分の幸せにもなるという考え方ができた、と話す。
姉への怒りと、ADHDの診断
本を読んで成長したいと思った原動力の一つは、姉への怒りだったとげんじは明かした。父が中国に支社を作り、母も手伝いで中国へ行くことがあったため、小学6年頃のげんじと中学生の姉の二人だけが家に残る期間が1年ほど続いた。その結果、姉とはひどく仲が悪くなった。
げんじは最近ADHDと診断された。集中したいことには集中できるが、そうでないことにはまったく集中できず、宿題も片付けもできなかった。一方の姉は早稲田に進むほど勉強ができ、真面目で、かなりヒステリックだったという。母の不在中に家を守らなければという自覚が芽生えたのか、小学校から高校まで、げんじはあらゆることに干渉され、監視され、怒る必要のないことでも怒られた。やりたくてもできない自分もいた。姉が包丁を持ち出し、げんじがクイックルワイパーで応戦したという忘れられない光景もあった。
すべてにおいて劣っているという感覚があり、本を読むのも、芸人として売れたいと思ったのも、振り返れば姉を見返したいという気持ちが大きかったという。その怒りは、友人ができ、好きなことを発信して褒められ、仕事仲間にも恵まれて満たされるうちに、姉以外のモチベーションが生まれ、薄れていった。2〜3年前まではまだ怒りがあったが、今は好きではないものの、特に何の感情もないと話す。
週8回の飲み会と、行かないという判断
話はアルコール依存に近かった時期に戻る。東京で一人暮らしを始めると、YouTuberや芸能人と飲む機会が増えた。芸能人のいる場に顔を出せるなら喜んで行った。溝口勇児とも、げんじのブランドに出資させてほしいという話の会食があったという。24歳の自分に年上の大人たちが敬語を使い、高級店で、ときには女性もいる会に出続けるうち、週8回ほど飲むようになった。二日酔いのまま朝起きて仕事をし、日中はブランドの揉め事に対応し、夜は人脈を広げなければと飲みに出る。XやYouTubeのコメント欄を見れば、「ファッションを分かっていない」「犯罪だ」「反社だ」と追い詰めるアンチがいる。しんどかったという。
若い頃にこうした誘いを断るのは難しそうだと聞き手が言うと、げんじも、何にストップをかければいいかも分からなかったと同意した。それでも、コロナ禍の1年ほど前には、飲みたくないのに行く、家で過ごしたいのに会う、ということをやめ始めていた。その後コロナが来て、さらに落ち着いたという。聞き手が、あるYouTuberたちの集まりで問題になった人が多かったことに触れると、げんじは自分も誘われていて当日まで行く予定だったが、気が乗らず行かなかったと明かした。
流れに逆らう判断はほかにもあった。げんじはかつてYouTuber事務所のUUUMに所属していたが、あるときUUUMからブランドの売上の何%かを求められた。立ち上げにも関わっていないのに、という思いがあった。当時はUUUM所属がステータスで、多くの人が所属を目標にしていたが、げんじは23歳ごろに退所したという。
ヒカルのReZARDをレビューした騒動
ヒカルよりも先に服を作っていたげんじは、4年ほど前、ヒカルから動画内で名指しで「ReZARDの服を紹介しろ」と言われた。げんじはこれをチャンスと受け止めた。予約商品が多かったため、まずメインチャンネルで、名指しでレビューを求められたので届くまで待ってほしいという動画を出した。
げんじの考えでは、ヒカルのファンがどんな品質でも価格でも納得して買うのであれば、服そのものに罪はない。ただ、レビューを求められた以上、同じ価格帯の市場でどの程度の品質か、その品質ならどの程度の価格が妥当かは、プロとして分かる。だから正直に言った。買ったパンツについては、本来パンツには使わない素材を使っているほど生地がペラペラだと指摘した。ReZARDが好きで買う人以外を対象にするなら、この価格ではかなり劣るパンツだ。ただ本当に好きで買う分には、自分が口を出すことではない。そう評価したという。
これに対しヒカルは自身のチャンネルで、「ふざけんな、お前のところのブランドにもあるぞ」という趣旨の動画を上げた。げんじは、レビューしろと言われたからレビューしただけで、逆ギレと受け取られてもおかしくない反応だったと話す。実際、コメント欄には「逆ギレ」という言葉が多かったという。げんじはこれに応え、謝るべき点は謝るが、レビューは間違っていないと思う、自分の発信はぶれていない、という動画を出した。この動画は多くの人に見られたという。
地元の友人の死と、無理をしないという結論
最近は無理をせず自然体でいようとしている、とげんじは話す。10年やれば、何が受け入れられ、何が受け入れられないかが分かってくる。再生数や高評価は今も必要だと思っているが、以前より肩の力を抜いているという。聞き手が、マラソンならゆっくり走る時期もあった方がいい、故障したら進めなくなると言うと、げんじは強く同意した。
そう考えるようになった大きなきっかけとして、げんじは昨年ごろ、地元の友人が自ら命を絶ったことを語った。家が一番近く、3人でよく遊び、大人になってからも会ったり旅行したりしていた友人だった。何があったのかは分からない。友人の母親が、LINEの未送信のメッセージなどを、多少手を加えたうえで送ってくれた。そこには熱いメッセージもあったという。この経験から、げんじは無理をし続けることが正しいとは思えなくなった。嫌なことがあったら逃げた方がいい、そうしないと壊れてしまう。ほどよく肩の力を抜いて、みんなで笑顔で過ごすのが一番いいのではないかと話した。
数字ではなく、クリエイターを通じて服を届けたい
今後の数値目標は特にないという。売上何億円や、どれだけの影響力が欲しいといったものはない。一方で夢は変わっておらず、まだ到達できていないと感じている。まずはブランドを愛してくれる客やこれから買ってくれる人を最大限満足させること。ブランドは買わないがげんじのチャンネルを見ている人、所属クリエイターの動画だけを見ている人も大事にすること。そのうえで、自分たちの恵まれた状況を壊さないことを最優先にしつつ、任せられる部分は任せてクリエイターを増やし、インフルエンサーをきっかけに多くのデザインやクリエーションを世の中に届けたい。それが今新たに挑戦したいことだと語った。
自分の幸せだけを考えれば、今が最大限に幸せだとげんじは言う。新しく動けば、迷いや衝突やトラブルが必ずある。それでも、大学に行かずにすぐ芸人を始めたときのように、やらない方がいいかと悩むときは、やった方が、その間は大変でも後で良かったと思える影響の方が大きいと考えている。ストレスを感じすぎない範囲で、緩く、しかし情熱を持って続けたい。そして、今の幸せが崩れてもおかしくないくらいの覚悟で、ファッションの力を世に広めていきたい。普段はあまりこういうことを話さない、と前置きしたうえでの言葉だった。
あ、こんにちは。すいません。よろしくお願いします。ありがとうございます。よろしくお願いします。よろしくお願いします。げんじです。1分2分遅れちゃったんです。
いやいや、全然大丈夫です。の会社のことから、ご連絡いただいて、それちょっと繋いでいただいたみたいな感じ。あ、そうなんですよ。きっかけは僕からなんですけど。はい。
街録ch、見習いディレクター募集中です。面白い映像を作りたいという若者、ご応募お待ちしております。
ファッション系のYouTuberとして登録者数100万人い…。そうですね。ありがたいことにね。はい。
で、だからファッションブランドを作ってるんですよね。はい。そうですね。ファッションブランドも。あと売上が50億みたいな。ああ、そうですね。はい。
いやいや、ZOZOTOWNの中に出してるブランドゆえに、僕のフォロワーさんじゃない人も、ZOZOTOWNで例えばアディダスの商品を見に来た時に、横並びの僕のアイテムもいいなと思ったら一緒に買ってくださる方々がいらっしゃるおかげで、売上も立ってるという状況ですよね。ああ。はい。そうです。
イズダブルなのと高級路線の2個ブランドがあるんですよね。はい。そうですね。2個大きく分かれてて、ウィムとLIDNMっていうブランド。LIDNMの中にもライフっていう、僕も今つけてるジュエリーラインも作っているって感じですね。はい。
その50億の売上っていう中で、どっちのがでかいんですか?えっと、ウィムの、ZOZOTOWNの方の売上の方が大きいですね。
はい。あと、しかもYouTubeを10年近くやられてる。そうですね。10年超えました。はあ。すごいですね。いやいやいやいや。はい。
10年選手で、何歳ですか?はい。今年で32になりました。あ、そうなんですか。10年ってやっぱちょっと尋常じゃないなって思っちゃいますね。
そうですね。もう狂気的に続ける、継続しましたね。好きなことではあるので。YouTube始める前からプライベートでファッションアプリWEARっていう場所に投稿してたぐらいなので、これが好きじゃないものだったら多分継続はしなかったんですけど、好きだからこそ継続できたかなって感じですね。
昔だったら、こんなことを1人じゃ成し遂げられないから、責任が勝手に分散されてたはずだと思うんですけど、それを10年間、仲間がいるとはいえ、一点に思い続けてるっていうとこが本当すごいですね。
まあそうですね。でも1回、18で高校卒業した後、ワタナベエンターテインメントがやってるワタナベコメディスクールってとこで芸人目指して売れようと頑張ってたんですけど、挫折で売れなかったんですね。なので、その挫折が1回あるからこそ、絶対このYouTuberは続けるぞじゃないけど、あの時の、笑わかしたいけど笑ってくれないあのトラウマに比べたら、見てくれてるだけでも本当に感謝って感じで、続けてこれてますね。
そんなことも含めて、なんでこんな風になってたかっていうのを、生まれた時から質問して聞いていくんですけど、げんじさん出身どこなんですか?埼玉県さいたま市ですね。はい。埼玉県。家業は何ですか?はい。えっと、父親が工業デザイナーの会社を運営してまして。
工業デザイナーって何ですか?公共トイレのどっかにある、赤ちゃんが座るようの、たまにパーキングエリアの時にメンズの方にもあると思うんですよ。ああいう三角のやつを親父が最初作って、グッドデザイン賞もらったりとか、あとは歯医者の、寝ながら歯の治療するやつの仕組みみたいなのも、受け継いだものの中で何かデザインしたのかもしれないけど、それでもグッドデザイン賞を得て。
センスを要する仕事をもうしてたんですね。そうですね。池袋に事務所があって、何度か行った時に、その仕事で描いた、うますぎる絵があったり。本気のね。はい。本気の。プレゼン用の。そうですね。何かから切り抜いた絵とか。
父親みたいな仕事するのかなって思ってるのか、そういう仕事したいなって思ってるのかとか、どんな感じですか?子供の頃とか。
親父以外の生き方を知らないから、会社に勤めて出勤するみたいなのがあんまり想像しなかったですね。小学校中学校は。うーん。サラリーマンにはならなさそうかなと思ってたんですか?そうですね。当時は中3ぐらいに、もうお笑い芸人とか夢見た瞬間は何度かありましたね。
はい。その芸人には何を見て憧れたんですか?はい。結構バラエティも好きだったのと、割と人前に立って無茶ぶり振られたら別に嫌じゃなく普通にやってたっていうのがあって。あ、じゃあちょっとした一発ギャグみたいなことなのか。そうですね。とか誰かに振ってあげるとか、そういう瞬間も結構色々あったからこそ、お笑い芸人いいなって一瞬はありました。中3の時に。はい。
ああ。でも中3の時ちょっと思って、そこから養成所に突然なるみたいな感じなんですか?そうですね。高校行きながらも別に特に将来何かしたいとか考えてなくて、高校2年生の時に進路を決めなきゃいけないと。受験勉強するのか、専門行くのか、職に就くのかみたいになった時に、初めて高校2年生でちゃんとしっかり考えて、大学4年間行った後にお笑い芸人するよりも早めにやりたいなと思って親に相談した結果、いいよと。ああ、反対してこなかった、お笑いになって。
まあ母親は若干不安があって、他の専門学校の見学とか連れてかれましたけど、親父は特段、いいんじゃないかみたいな感じでした。はい。
え、ワタナベの養成所、18歳は年齢的に1番下?はい。そうですね。当時は18歳の僕が1番若かったですね。はい。え、上はもうみんな大学生と社会人?そうですね。社会人とか、あとは大阪の吉本にいたけど色々あって東京に入ってきたみたいな。元々芸人やってないんですけど、ちゃんぴおんずの大崎さんが同期でしたね。
あ、そう。13年も経てば誰か売れてますよね。そうですね。あとフワちゃんも同期でしたね。え?あと土佐兄弟とか。土佐兄弟ですか?はい。あ、結構豊作の年ですね。そうですね。振り返ってみれば。
土佐兄弟の弟さんとかは、じゃないですか?そうですね。それでどうするんですか?ピン芸人するんですか?コンビ組むんですか?
当時はコースが色々あって、週1のコースもあれば、週5行くコースもあったりとかして、僕は同じ学年の当時36歳の、見た目はもう45歳ぐらいの脱サラした人とコンビを組んでたんですね。はい。
18歳で?はい。それ、2人で共通項全然ないんじゃないですか?ないですね。めちゃくちゃ共通の話題もないし、その人と組むまでに何人か組んだんですけど、すぐに解散しちゃって、それもよくあることで。でも最終的に、この人が1番社会人経験もあるから、ちゃんと人として話せるし、見た目45ぐらいの36歳とコンビ組むことで、見た目的にキャッチーだからいいなと思って。
へえ。見た目45歳だったら、もうお父さんと子供に見えてるってことですか?あ、そうですね。究極それぐらい見えるぐらいの。ウケましたか?何回か、学生のライブなんで、みんな温かくお客さん見てくれるんで、笑ってもらえることは多かったですね。養成所の時は。はい。
だってさっき一応所属って。そうですね。ワタナベの最後オーディションがあるんですよ。で、オーディションですごい面白い人も落とされたりしてた中で、もう自分もダメなんだとか思いながらも、オーディションライブで結構ウケて、結果的に所属になって。
その時ってどっちがネタ考えてるんですか?僕ですね。へえ。すごいですよね、それ。いや、まあまあ。でも結果的に養成所卒業した後のライブでは、本当に10回ライブやって1回笑い声聞こえたらいい方ぐらい、全然ウケなくて。
え、それはやっぱ、学生っていうものの活性が取れちゃったかなって。そうですね。きっと養成所の中にライブ会があって、月1とかでライブやるんですよ。なんで、そこで同級生誘ってる人もいれば、僕も同級生誘ったりバイト先の人誘って。なんで基本的にお客さんが友達ばっかなんですね。で、しかもハードルは学生ってことも含めて低いし、笑いやすい状況だったのかなとは思います。きっと。
デビューしちゃったら、もうそんなことなしに、笑いたくて金払ってる人ってこと。はい。しかも芸歴全然、10年とか12年とか、5年上とかの方と一緒に横並びでやるので、今振り返ってみると、ウケなくて当たり前みたいな風には思うんですけど、当時はもう悔しくて悔しくて、しかも恥ずかしくて。けど大崎さんは、年上なんで「さん」ってつけちゃうんですけど、めちゃくちゃウケてました。どのライブでも。
あ、そうですか。え、それ結果どれぐらいでやめちゃうんですか?芸人。ワタナベは解散すると自動的に事務所も解雇になるので、別にワタナベをやめたかったっていうよりかは、コンビ仲がなかなかうまくいかず、1年半とかですかね。1年半ぐらいで解散してやめましたね。
それで一旦芸人は諦めたって感じなんですか?ピン芸人で3つぐらいライブ出るんですけど、もちろんピン芸人の練習もしたことはないんで、なかなかですね。もうこれ厳しいなと思って。はい。
ああ。でも厳しいとはいえ、19歳だから、別に全然滑ってて当然みたいな感じもするけど、そんな気持ちでもなかったんですか?
いや、しんどかったですね。ピン芸人の時の大スベりした時の帰り道、最寄りの駅について、最寄りから自分の自宅まで帰る10分間の間に膝ついて、なんかもう俺どうしようみたいな。大学は行ってないし、芸人を夢見てスタートしたのに、解散してワタナベ解雇になって、ピン芸人は全然うまくいかなくて、こんな状況の中で僕と組んでくれる人なんていないなとか、色々詰んだと思った時に、立ち止まるだけじゃなく床に膝ついてましたね。はい。
で、20歳ちょっと手前ぐらいの感じ?はい。そうですね。20歳ぐらいですかね。
で、ワタナベコメディスクールに行ってる時代からもそうなんですけど、18、19ぐらいの時に、さっきちょろっと話が出たファッションアプリWEARに好きでファッションを投稿してたんですよ。芸人やりながら公式ユーザーになったんですよ。そのWEARのアプリの。WEARISTAって言うんですけど。WEARISTAっていう公式ユーザーになると、年間120万円分のポイントがもらえるんですよ。ZOZOTOWNで使える。洋服月10万円分だったら買ってもいいよみたいな。
はあ。10万円洋服もらえるってすごいですね。誰もがなれるわけじゃなくて、WEAR側がある程度選定基準満たした人だったりとか、ランキングすごく上位な人が公式ユーザーに選ばれることもあって。ZOZOのポイントを使ってさらに洋服もらうじゃないですか。そうすると、さらに自分のWEARの投稿が参考にしてもらえるような状況になりまして。結構WEARのフォロワー数で言ったらランキングの制度があったんですけど、結構1位2位をずっと滞在するみたいな感じで。
現実世界では芸人としてもう全然花開かず、むしろ泥水もすすれないぐらいなんですけど、ネットの中のWEARのファッションのげんじの人格は、すごくたくさんの人から称賛されるし、いいねもらうしみたいな。そのネットと現実の世界がものすごく乖離してたんですよ。でも、それは趣味だったんですけど、芸人解散して1人でもライブやって、でも中だるみの時に、同じ友達と3日連続遊ぶみたいな流れになったんですよ。
その時に1日目終えて一緒に帰ってる時に、俺、同じ友達と同じことするの嫌なんだよなみたいな。成長がない感じがしちゃってみたいな。違うことしたいんだよねみたいな。まあ売れたいのもありますし。その時に友達が、え、じゃあYouTube撮ってみないみたいな。へえ。何それ?面白そうみたいな。YouTubeって何?TVとか音楽のミュージックビデオ流すことじゃないのみたいな。あれ知らないのみたいな。今HIKAKINさんって人がいてみたいな。あ、それは見たことあるみたいな。はじめしゃちょーさんとかもみたいな。ええ、そうなんだみたいな。
でもとりあえず面白そうだから撮ってみようよみたいに言って、その翌日に集合して、アップロードもしない動画なんですけど、いろんな動画撮ってみて、その友達のパソコンで編集してみたら、あ、すごい面白い、すごいじゃんみたいな。このはじめしゃちょーっぽい感じの動画になってるみたいなのも含めて、え、これ真剣にやってみないみたいな。これ面白いし遊びで終わらしたくないと思った翌日に会って、今度は本当にアップするバージョンみたいなのを撮って、それを1週間ぐらいかけて編集してアップしたってのがYouTubeの始まりですね。はい。
え、でもその前にそもそも、さっき言った売れない芸人で、自分で買った服を着た写真投稿して上位になれるぐらい、当時からファッションが好きだったんですか?はい。そうですね。いつから好きなんですか?
まあでも高校生の頃から、なんとなく自分、人よりも好きだなってのは結構考えてましたね。親父からトレジャーファクトリーで合皮のライダースを買ってもらってめっちゃ嬉しくて、そこから大事に育ててたみたいな感じはありますね。当時高校生からしてみれば、育てるって概念は合皮だとおかしいんですけど、大切にしてたんですね。
はい。あ、なんとなく思春期になるぐらいから、他の人より好きだなっていう自覚があったんですか?うん。ありましたね。合皮から本革のライダースを買いたくなって、その本革のライダースの購入先とかもWEARを参考にしたんで。18、19、その養成所にいる時に、4万円ぐらいのライダースをリボ払いで買って、結構踏み込んだりもしたんで、それは自分だけじゃなくて、参考にしてたWEARで投稿してみようと思って投稿したのが1番最初のWEARの投稿で。それがきっかけで、だんだん楽しくなってきて、ランキング制度も、3位だと悔しいし、2位でも悔しいし、1位じゃないとみたいな。
うん。うん。ところで、だんだん1位になれるようなファッションとか、どんなものがかっこいいかとかを雑誌見たりとかしながらロジカルに考えて、ネタを振り返るかのようにアウトプットしながら繰り返し考えていく中で、色物を使うよりも白と黒が中心に構成された服の方が、たくさんの人が見に来てくれて保存してくれて、ビュー数やお気に入り数においても上に来るぞとか、だんだんデータが蓄積してって、数字化されてってみたいな。
え、じゃあそれで言うと、当時自分が好きっていうよりは、1位になれるファッションを選んでくって感じなんですか。
そうですね。そこは全部がシンクロしてたわけじゃないですけど、僕自身もさっきお笑いのライブでウケなかった時に、悔しい思いと同時に恥ずかしいっていう思いがめちゃくちゃ強くて、過度に目立ちたいわけじゃないなっていうところ。というのと、恥ずかしい思いをしたくないってのもあって。そうなってくと自然と、装飾性の激しいファッションっていうよりかは、無地の落ち着いた中に上品さが感じられるようなファッションとかが、ベースで好きだったと思うんですよ。なんで、好きなものじゃない中で1位を目指したのかというと、1位なものがだんだん後天的に好きな時もあれば、先天的に好きなものを投稿してたら1位になったものもあればみたいな感じで、心を売って1位を目指したっていうことではないかなって感じですね。
そっか。だから割と当時WEARには、理論的に解析してやってる人って他にいなさそうでした?ちなみに。
はい。当時の12年前とか11年前のファッションのSNSって、そのベクトルが全部自分に向いてたというか、こういうもの買ったからどう、かっこいいでしょとか可愛いでしょが多くて。その当時のWEARの僕は、誰かに参考にしてもらいたいとか、誰かの役に立ちたいという思いで投稿してたのもあって、結果的に文章でロジカルに解説する人はあんまりいなかったかなって感じです。
参考にしようって言っても、どこで買っていいかわかんないし、全部揃えないとこんな感じにならないんじゃないかみたいなもんね。分かるけど。SNSでファッションを吸収する前は、もちろん雑誌という文化はあったんですけど、かなり行き当たりばったりな買い物してたんじゃないかなと思ってて。そこは事前にネットで、こういうものとこういうものを合わせればかっこいいんだ。で、自分がどういうものが欲しくて、どういうコーディネートがしたいのかが分かった上で買い物行くので、ネットの登場で、当たり前ですけどファッション業界も変わったなっていう印象ですね。
ああ、そっか。トータルのコーディネートを意識した買い物っていうのをする人が増えてきたってことなんですか?はい。そうですね。もちろん今までもいたとは思うんですけど、僕を参考にしてくれる方々の共通としてあるのは、1個のアイテムが超かっこよくても、それが他のアイテムに応用できなかったら意味がないよねと。例えばこの黒いデニムパンツも、いろんなシャツにも合うし、ダウンにも合うし、Tシャツにも合うし、言いかえたらコスパがいいわけですよ。
でもきらびやかで派手なものって、コスパはあんまり良くない。コスパのいいものを探してる中に、コスパがいいですよこれっていうのが、ファッション業界からしてみればすごく悪いことだったらしいんですよ。ファッションは語るんじゃなくて見せるものみたいな文化が、当時は空気感かなり強かったんで。はあ。まあまあYouTube始めてからですけど、こういう話をようやく全然自由に話せるようになったけど、当時はすごかったですね。YouTube始めたての頃は。へえ。ものすごい逆風ですね。
そうか。このなんとかシャツあれば、こういう風にも使えるし、こういう風にも使えるし、5000円でこんな楽しめるならめっちゃ良くないですか、が良くないんですか?はい。良くないとする方がいっぱいいましたね。へえ。そうなんだ。それはプロであればあるほどって感じですか?ファッション関係者じゃなければ、それって今パッと聞いた感じ、めっちゃいい情報じゃんですけど。
まあね、そうなんですけど、例えば販売歴10年やってますとか、ハイブランド何十年間も買い続けてますっていう人からしてみれば、いやいや、何が6000円で買えるんやねんとか。あとは基本的に無地なものが僕も好きなので、その無地なものを推奨していく中で、派手なものを好きな人もいるわけじゃないですか。派手なものを発信する人からすると、無地なものはものすごく陳腐でチープで愚かなもののように見えてるらしくて。なんで、それを言いやすい環境だったってとこも含めて、結構緩かったんで、誹謗中傷はまあ出てましたね。
ああ、そういうのはどうだったんですか?耐性強かったタイプだと思う?まあ、やっぱり挫折、芸人の頃の全くウケなかった時や、目の前が真っ暗になるぐらい絶望した時に比べたら、まだマシと思えたんですね。反対に、応援してくださる方や見てくださる方とかがいっぱいいたので、一緒にYouTube始めた人の思いもあってっていうところでは、耐えれたっちゃ耐えれたっすね。でも強がるわけじゃなくて、全然辛い時もあったんですけど。
そのファッション発信みたいなものは、結構すぐ結果出たんですか?YouTube。そうですね。最初はまだまだピン芸人という多少のプライドがあったんで、ちょっとお笑いっぽいものもやった方がいいのかなと思って、2、3本か4本ぐらい、女装するような企画とかやったんですけど、メガネの紹介とか、ちょいちょいファッションの発信するようになったら、明らかに再生数が違うんですよ。やっぱりWEARでYouTube始めましたっていうのをお知らせしたこともあって、潜在的にもう僕に求めるものがお笑いではなく、僕が何をいいと思ったか。なんで、そのWEARの1位のコーデは何にして1位なのかを解説した動画とかが、やっぱ需要があって。
で、そんな時に思ったのが、親父に、世の中から悪いニュースをなくしたいと、笑ってる瞬間って嫌なことを忘れてるからこそ芸人目指したいみたいな話して、その話が親父に響いたのかオッケーくれたんですけど、WEARも自分が有名になりたいのももちろんあったんですけど、誰かの参考になってほしかったんですよね。僕のファッションに対するコンテンツが世の中の需要にマッチしてるんだったら、それはもう喜んでファッション発信しますよっていう感じで始めたんですね。あ、なるほど。
だってもうそれで10年ですもんね。え、自分がYouTube始める頃に、途中でフワちゃんとか出てくるわけじゃないですか。フワちゃんになる前のフワちゃんが、フワちゃんとして現れたとこ、その時はもう、げんじさんもげんじさんで登録者数何十万になってる?
そうですね。YouTube始めて6ヶ月か5ヶ月で10万人になったんですよ。ファッションに興味ある人たちに向けた10万人なんで、男性で、かつファッションが好きで、かつ僕みたいなファッションを好んで見てくれてる人が10万人集まったんで、すごくそれは嬉しい、強固なメンバーというとおかしいけど。うん、ちゃんと目的と揃ってる登録者さんそうですもんね。そうですね。
10年とか近くやってる人たちの時代って、1日に2本とか3本と投稿するような、毎日投稿を1日3本やってますみたいな人とかいたじゃないですか。うん、いました。それ組織でPIVOTとかみたいなチャンネルがやるんだったらまだ分かるんですけど、当時それ個人でやってたような人たちいるじゃないですか。で、そういう人たちって結構みんな鬱になっちゃうとか、パニック症になっちゃうみたいな話結構聞く。げんじさんはそんなんなかったんですか?
いや、でも今でこそ僕も別に受け入れてそうな感じはあるんですよ。当時その1年間ぐらいは多分躁状態でやれたとは思うんですよね。そう、最初の。そう、そう、そう。なんですけど、横並びで水溜りボンドさんとか、当時カリスマブラザーズさんとか、それこそヘキトラハウスさんとか、たまにお会いさせてもらえたんで、その辛い状況を動画内外でも結構見てたんで。もう寝ずに仕事してる感じなんで、自分だけじゃないんだなっていう。あまりにも大変すぎるこの時間が、そもそも芸人の時、仕事したくても仕事できない中で仕事できてるっていう喜びと、100万人近くなっているYouTuberさんと同じことやれてるってので、病まずに続けてこれましたね。
はあ。そう、当時、壊れずに一応なんとか。はい。あれなんですか?1回も壊れずにずっと継続ですか?それとも1回休んだとか。ああ、いや、それはありましたね。もう自殺まで考えちゃった時もあって。
それ結構、ブランド立ち上げてから、そして東京出てから、東京での友達がいっぱいできて、もうベタですけど、アルコール中毒ぐらいになっちゃって。飲んでくれている人たちもすごい有名な方々だったんで、自分の時間よりも、その方々が楽しくいる時間をどうにか…みたいな形で、こういう関係どんどん増やしまくってたら、自分のキャパを超えてたことに当時気づかなくて。もう2日酔いとか3日酔いとか4日酔いは当たり前で。
結構話はもう今飛んでるんですけど、ブランドの状況もあんまりうまくいってなくて、うまくいってるように見えたかもしれないですけど、裏側結構うまくいってない事情があって。ああもうってなった時に、死を考え始めて、あ、やばいやばいみたいになった時に、1人で宮島に行った時に、嘘かのように、毎日マイナスだったものがまずは0になって、その次の日には30%になって、その次の日には70%ぐらい、帰る頃には100%になってみたいな。
それどんぐらいの期間ですか?宮島。まあ3泊4日とかぐらいですかね。うん。その3泊4日は何にも仕事しないようにしたんですか?何にも仕事しないようにしてましたね。
あとは、やっぱファッションっていう職業柄、自分とは違う意見の人が多かったり、実際訴えて有罪になったアンチの方もいらっしゃるんですけど、それぐらい結構執拗に叩く方もいらっしゃったんで。沖縄旅行の時に、いや想像なんで、なんでそんなこと言ったかわかんないけど、最後3日目は結構ヴィラみたいな、1人だけしか泊まれないみたいなところで、優しいオーナーさんが来た時に、げんじって人泊まってますかって電話来たら、げんじって人泊まってないって言ってくださいっていうのと。今考えたらおかしな話ですけど、当時は自分のプライベートの時間が1日目2日目ですごく楽しくて、3日目もすごく楽しい思いしたけど、ここにげんじがいるってなって、突撃してくるんじゃないかみたいな、強迫観念みたいになっちゃって。
へえ。なんかわかんないですけど、もうなってて、電話とかあったらいないって言ってくださいみたいな。別に追われてたこともないんですけど。東京でそんな凸られた経験とかがあって?いや、ないっすね。ないんですけど、結構仕事の影響は出てたりとか。例えばあった話で言うと、6、7年前とかは王さんとかの討量とか生還剤とか、なんだったっけ、何かしら案件をさせていただいたんですよ。
で、結構かさんも僕に案件振ったらその商品が売れたらしくて、何回かお願いしてくれたんです。いろんな商品でなんですけど、アンチの方がおさんに直接メールしたり、顔さんのXアカウントに僕の顔をご気分に当てはめて、どうのこうのでどうのこうのみたいなのを送ってる方々が結構いて。顔さんも僕の案件を振りたいけど、こういう方々がいらっしゃることで、ちょっと止めさせていただきますみたいな。っていうのがあって。そこまでは僕1人で我慢すればいいやっていう思いだったんですけど、そっから従業員も増えて、マネージャーもいて、一緒にYouTube始めた友達もいて、その人たちにも影響出ちゃってるみたいなと思った時に、すごく悲しいというか、申し訳ない気持ちになって。そこにちゃんと向き合わなきゃいけないなっていう風になりまして、しかるべき対処をどんどんしてったら、今ほとんどいなくなりましたね。
はい。でも、そう、あれですよね。壊れそうな時は確かにありましたね。
それ、ちなみに、その宮島は何歳なんですか?その時。24とかですかね。24で、もうブランド立ち上げて、何名かスタッフを抱えてるんですね。
そうですね。でも、そのブランドの裏側で揉めたのも、それがあるゆえになんですけど、ブランド立ち上げる時に自己資本がなかったので、例えば、一緒にブランドやりませんかって僕がお声がけさせていただいたデザイナーさんがいるんですけども、そのデザイナーさんも前職のアパレルをやめたいとちょうど思ってた時だったんで、独立して一緒にやるかってなったんですけど、とはいえ彼の給与が仮に40、50万だとしたら、自分だけで生活していくのも大変なのに、40万50万払えないなってなった時に、日本の縫製工場を持ってる会社の人が、そのデザイナーの前職で縫製工場と色々やり取りしてたことも含めて親交が深かったから、げんじ君のブランドを協力してあげるよって言って、大阪の会社がそのデザイナーさんの給与も払ってくれたし、最初の初期費用とか、あとEC、CSとかもやってくれてみたいな。で、スタートしたってのがあるんです。ああ。はい。
で、出したんですけど、1年2年3年と経つと、どんどん化けの皮が剥がされていくじゃないですけど、もちろんお金出してくれたこととか感謝ですし、きっかけ作ってくれたことも感謝なんですけど、カスタマーセンターとかも大丈夫って言ってくれてた認識なんですけど、住所変更があって前の住所に届いちゃった時に、それ気づかない人は、買ったのに届かないんですけどどうしましたって言うじゃないですか。全部やるよって言ってくれた人のとこに集まるんですけど、なかなか追いついてないわけです。
なんですけど、大阪の縫製工場は他で赤字があったんで、僕のブランドで売上を立てて、そこで赤を補填したかったんですよ。なんで、僕のブランドからの売上を止めたくなかったんですね。なので、このシャツが前回のリリースから考えると、今回は500から1000着ぐらいが在庫数としては適正なんじゃないかなって、こっちの感覚なんだけど、大阪の会社は、いやいや、3000枚作ろうとか。ええ。3000枚作って、当然のように1500着は売れたけど、残り1500着売れなかった場合、過剰に作る意思決定は僕は関わってないんだけども、これをセールによって売ろうという上の圧っていうか、大阪の圧があって。通常価格で買ってくださった方々がいるにも関わらず、その方々に不義理な思いをさせて安くするって全然綺麗じゃない。
僕のインフルエンス能力を過剰に、かつ軽視しながら運営してるってのが見えてきて、だんだん心が、ブランド運営楽しくないとか、普通にブランドなしにYouTubeラフにやりたいとか、そういうぐらいの気持ちにもなってきた時もあって。はあ。
はい。190cmぐらいあるんですけど、その大阪の代表は、僕がブランドやめたいですっていう時に初めて怒ったんですけど、でも僕に直接怒るんじゃなくて、デザイナーは一緒に僕とやってるけど大阪の会社に籍があるんで、そのデザイナーをものすごい大声でド詰めてたり。誰が残ってんだろうとかわかんないけど、この人めっちゃ怖い人だみたいな感じで、恐怖ですよね。シンプルに。
そう。恐怖政治で全部丸め込んでて、怖ええなと思ったら夜ご飯奢ってくれて、そこで笑顔で話して、あ、悪い人じゃなさそうだなみたいな。だから色々やられちゃいましたね。丸め込まれたりとか。で、そっからブランドやめたいなって、もうやめたいっすみたいな。
ああ、やっぱやめたいってなりますよね、それ。向こうも当然やめさせてくれるわけもなくて、ブランドのまだまだ在庫があったので、これどうすんねみたいな。多分2億円ぐらいあったんですよ。もうこれはラチがあかないから、弁護士経由で話そうってなって。へえ。はい。で、結果すんなり落ち着いた?
弁護士経由で話してくんですけど、揉めてる最中に急に、さっきの190cmの30後半から40前半のイケイケの人は会社のナンバー2なんですよ。あ、そうなんですか。ナンバーワンは韓国人の方なんですよ。韓国の人から会いたいってきて。あんま経営に関わってなかったんですけど、会いたいって、ええみたいな。弁護士に連絡して、直接連絡来ちゃいましたみたいな。こっちに有利な話ができるかもしれないんで、ホテルのラウンジで録音の機器を持って、向こうもしかしたらヤクザとか連れてくるかもしれないから、開けた、個室じゃない場所にしましょうみたいな。
え、そんなガチなんだ。60ぐらいの韓国の方が飄々と来て、あ、ごめんねみたいな。その時にようやく代表とまともに話せるようになって、こっちが有効的に条件を示せるようになって。在庫は折半ですね。お客様に自信を持ってお買い求めいただけるベストセラーアイテムは買い取って、大阪の会社が勝手に、僕からしてみれば必要以上に在庫積んだと思ってるアイテムに関しては、そのまま大阪の会社に置いとくみたいのができて、契約書書いて交渉できました。やっとまともに自己資本でブランドを運営できる状況になったんですよ。
あ、そう。自己資本になったの何年目ですか?ブランドができて。ああ、25歳の時ですかね。すごい早いですね。早いですね。それを乗り越えて、今だから10年近くあるわけですもんね。そのブランドがね。
はい。そうですね。僕の名前で調べていくと、台風セールみたいな名前も炎上の1個で出てくるんですよ。セール?僕は笑えない話なんですけど、そこで在庫折半になりました。旧LIDNMと新LIDNMで、元々販売してたLIDNMのサイトは旧LIDNMとしてまだまだあって、新LIDNMで新たにデザインもするし、服も作るし、売るしで、そこから買い取った服もベストセラーアイテムとしてそこで買える状況にしてくし。この人も薄く繋がりあったんですけど、とはいえ、むしろ話したらまた問題が起きるから、むしろ話さない方がいいってなったんですけど。
そうしてる時に、死人も出ちゃうような大きな台風があったんですよ。当時みんなが家にいようみたいなぐらいでかい台風があったんですけど、フォロワーさんから、げんじさん、台風セールって何ですか?さすがにこれはないですって聞きまして。え、台風セール、ひどい名前で良くないなと。なんでそんなこと言ってんだろうって言ったら、旧LIDNMの過剰に積んでた在庫に関して、売る方法ってもうセールしかない。もしくは旧LIDNMで買ったことがある、このメールが届くリスト的な人に買ってもらうしか在庫の処理方法がなかった。もしくは償却か。この在庫をどうにか売ろうという発想になったのが、台風の中でも自宅からショッピングを楽しんでいこうみたいなので、台風とセールを絡めて台風セールっていうのをやっちゃったんですよ。
結果的にそれが大炎上しちゃって、死人も出てる災害に絡めて自社のアイテムも売ろうとしている極悪、っていう風になっちゃって。でもそこで僕が全部説明したらよかったんですけど、そこでストーリーで、僕じゃないですと、旧LIDNMは大阪の別会社でしてみたいなのを言い訳がましく話しちゃったんですよね。それは事実ではあるんですけど、その説明を初めてフォロワーさん向けに僕のアカウントで、旧LIDNMと新LIDNMがあってみたいな話を始めたら、あ、言い訳してるみたいな。
そうか。確かにそれを炎上後に言ったら、急にトカゲの尻尾切りしてるように思われます。そう、そう、そう、そう。揉めに揉めて終わったなと思った後も、まだまだ終わんないですよね。終わんない。そうですけど、そういうことも含めてある程度片付いてきて、元々の大阪の会社と自社サイトでやっているブランド以外に、さっき話したZOZOTOWNで運営しているウィムというブランドを立ち上げようと思って、自由に色々やった結果が今に繋がるって感じですね。はい。
それよく、その2個大きな揉め事があって、やめなかったっすね。やめなかったっすね。普通だとそれでやめるじゃないですか。もうインフルエンス活動にいいみたいな。やりそうなんですよ。本当やめないのすごいですね。
うん。あとは、ファッション通して世の中を幸せにするっていうマインドだったし、今もそうなんですけど、その経験から、同じことを繰り返すようなファッション業界にしたくないと思って、僕が逆にファッションインフルエンサーさんをサポートさせていただける環境を作ろうと思って。自分がこういうところで嫌だったなとかもういっぱいあったんで、それを解消しながら、クリエイターさんも、そして視聴者さんも、そしてブランドも、その3方向が全員満足するような、自分のブランドじゃなくて、クリエイターさんが作り出すブランドの世界観を一緒に守って、一緒に世の中にたくさんの服の感動届けようっていう事業を、辞めた直後ら辺ぐらいから徐々にやり始めて。クリエイターさん側に立って考えられる唯一のファッションインフルエンサー事務所を作りたいと思って、22人のクリエイターさんのブランドやってるんですけど、同時並行で今他にも何人か、似たような事件に巻き込まれないように後輩育てあげようみたいな。
それってなんですか?お父さんがそもそも社長だったからみたいなことも関係してるんですか?そういう。うーん。
芸人をスタートする時に読んだ本たちが、例えばベタですけど『夢をかなえるゾウ』とかで、その、他者貢献こそが幸せの本質だと僕は捉えてるんですけど、自分以外の誰かのために生きることが自分にとっても幸せに感じる、というような考え方、マインドセットができたって感じですね。
そういう本とかを結構読むタイプだったんすね。
そうすね。でも本とか読んで成長したいと思ったのも、姉への怒りとか。
え、姉?
姉すね。親父が中国の方でも支社を作って中国に行くことがあったんで、母親もそこに手伝いに行くんですよ。そうすると家に残るのは小6とか、それぐらいの僕と中学生の姉しか残らないみたいなのが1年ぐらい続いたこともあったり。
姉と2人暮らし期間があるんですか?
そうです。そうです。で、その結果めちゃくちゃ姉と仲悪くなりまして。
へえ。
僕、最近診断されたんですけど、ADHDという、発達障害があって。小学校から、集中することは集中するけど、集中したくないものは全く集中できないみたいな。
うん。うん。
ということがあったんで、宿題もやれないし、片付けもできないしみたいになったんですけど、姉は早稲田に行くぐらい高学歴で、勉強もできて真面目で、かなりヒステリックで。なんで、母親がいない期間、姉が家を守らなきゃみたいな自覚が芽生えたのか、かなりひどく怒られる。小学校、中学校、高校と全て干渉、全て監視、そして姉が怒らなくてもいいものを姉が怒り、で、俺はやりたくてもできない自分がいてみたいな。本を読んだりとか、継続できたとかも、今振り返ると、姉に絶対負けたくないというか、姉を見返してやろうみたいなところも結構あったなって今振り返ると思う。
芸人を始めてる時点でお姉ちゃんは早稲田大学生だから、その時点でステータス的には負けちゃってるみたいな感覚あるんですか?
あ、もちろん、もう全てで劣ってる感覚ありましたね。
なるほど。それで見返すために本読んでたんですか?
そうですね。本読んだり、あとは芸人の時は芸人として売れて、その結果で見返してやろうみたいな。
はい。そのお姉さんへのちょっとしたコンプレックスというか、憎悪というか、怒りというかみたいなのは、どこのタイミングで消えたんですか?
よく覚えてるのは、小学校の時、向こうが包丁出すぐらい。こっちはほうきの、なんかこの硬いクイックワイパーvs包丁みたいな。なんか忘れられない光景とかもあったりとかしたんですけど、都合がいいかもしんないですけど、その自分にとって、友達もいっぱいできて、フォロワーさんもたくさん、自分が好きなことを発信し、そこに対してたくさんのお褒めの言葉をいただいたり、仕事仲間にも恵まれたりすると、満たされ始めて、だんだんこの姉への憎悪以外のモチベーションがあるみたいな。確かにちょっと2年前、3年前までは姉に対してまだまだ怒りあったけど、別にそんな怒ってないなみたいな。
怒りはないけど好きではないみたいな感じが続いてて、今でも別に姉は好きではないんですけど、別に何の感情もないって感じですね。だから、そこは恵まれた状況にあったからそうなったって。はい。
はあ。さっき言ってた、飲み会とかめっちゃ行くようになっちゃったり、アルコール依存症、アル中みたいになっちゃったって。当時埼玉から途中で東京1人暮らしになるんですか?
そうですね。東京1人暮らしになって、横並びで結構YouTuberの人とか、炎上しちゃったんですけどマホトさんとか、あとは水溜りボンドのトミーさんとか、そういう人とよく飲むようになってきて。芸能人のいる場所に顔出せるってなったらもう全然行くぞとか。あとは今の溝口さん、あの今の溝口さんですけど、当時からも溝口さん節はあって、僕のとこに出資させてくれみたいな話をするための会食があったりとか。
うん。
そのたびにいろんな大人と知り合うじゃないですか。で、当時24歳なんで、俺に対して敬語を使ってくれて、しかもすごい高級なご飯屋さんで、時には可愛い女性もいてみたいな会に出まくってて。
ほうほう。
ってなってくると週8ぐらい飲んでて、あれ、今これどういう状況みたいな。二日酔いのまま朝起きて仕事やってみたいな感じで。一方で日中はブランドで揉めてる。ブランドも揉め、夜は新しい人脈を広げなきゃみたいな感じで。で、XやYouTubeのコメント欄見ると、自分を必要以上に追い詰めてくるアンチの方がいっぱいいらっしゃいますし。
こいつファッション分かってねえみたいな。
そう、そう、そう。なんかもう犯罪犯してますよとか、反社ですよみたいなことを言ってきたりとかするんで、ああ、しんどいなってなったのはありましたね。
確かに。そんなに若くて、その誘いを断ろうかなとか、なかなか思えなさそうですもんね。
思えないすね。しかも何にストップかけていいかもわかんないし。
コロナ禍じゃないすもんね、それ。
コロナ前ですね。コロナで、ちょうど、もうやめようと。本当は飲みたくないのに会ってたりとか、ゆっくり家で過ごしたいのに、友達だけど会いたくない時にも誘われたら行くみたいなのがあったんですけど、やめ始めてたら、ちょうどその時に1年ぐらい経ってからコロナが来て、より落ち着きましたね。
じゃあコロナの前には、もう行きたくない飲み会は行くのやめようとか、そういうフェーズに入ってるんですね。
入ってます。
珍しいタイプです。
そうですね。
だって、YouTuberの、なんですっけ、31人のみたいな、あれで捕まった人多そうじゃないですか。
はい。はい。僕もあれ誘われてたんですよ。誘われて当日まで行く予定やったんですけど、なんか気が進まなくて行かなかったんですよ。
気が進まないから行かないって判断が、コロナ前にできてるっていうのが確かに珍しそうですもんね。
そうですね。
UUUMだった時代もある。
そうですね。UUUMに所属させてもらったんですけど、UUUMさんがとある時に、僕のブランドの売上の何パーセントかちょうだいよってUUUMさんが言ってきて、ええみたいな。
確かに立ち上げにも関わってないし。
そうですね。その当時はUUUMに所属することが花であり、UUUMに所属することをみんな目標にやってたんですけど、僕は逆にその流れに逆行してUUUMをやめたんですよね。
へえ。何年にやめてるんですか、UUUMって。
えっと、うーん、23歳とかですかね。
ヒカルさんとかより先に服作っちゃってる。
そうっすね。ヒカルさんよりも先に服作ってて。なんでなんか、ヒカルさんから急に「ReZARDの服紹介しろや」って急に名指しで動画で言われて。4年ぐらい前だったと思うんですけど、ああ、チャンスくださったなと思って、で、分かりましたみたいな。結構予約の商品が多かったんで、まずはメインチャンネルで、ヒカルさんから名指しでレビューしろって言われましたみたいな。
なんで、届くまで待っててねって動画をあげて、で、届いて開くと。ヒカルさんのファンが買うものとして、どんなクオリティでもいいよ、どんな値段でもいいよって納得していれば、別に全ての服やものに罪はないと思うんですよ。その服やものに満足いってるのであれば。けど、レビューしろって言われたからには、その価格とクオリティのものに対して、市場的にこの価格のレンジのものの中のクオリティと、このクオリティのものがどれぐらいの金額に設定されてるかみたいなものは、もちろんそれがプロなんで分かるからこそ、結構ちゃんと正直に言ったんですよ。いや、パンツ買ったんですけど、パンツは本来パンツで使わない素材をパンツに使ってるぐらいペラペラだと。で、この金額は、ヒカルさんのReZARDを好きで買う人じゃない人をターゲットにした場合、かなり劣るパンツですねと。
うん。うん。
でもこれを本当に好きで買う分には、別にそこは僕が言うことでもないし。そしたらヒカルさんは、ご自身のチャンネルで「ふざけんなよ、げんじ」みたいな、「お前んとこが運営してるブランドにも粗あるぞ」みたいな。レビューしろって言われたから僕はレビューしたまでで。そしたら逆ギレと捉えられてもおかしくないってか、コメント欄でも逆ギレっていう言葉が結構多かったんですけど、逆ギレされた動画をアップされて。で、そこに対して、あのレビューは間違ってないと思うよみたいな。だから、もちろん謝罪する箇所は謝罪するけど、俺の発信はブレてもないぜみたいな動画をアップしたのは、結構いろんな人に見てもらいましたね。
そういうのもあります。噛みつくっていう。
へえ。10年やってるとやっぱそんなんがあるんですね。
あります。あります。
そっか。大体知り合いは知り合いだけど、めっちゃ仲いい人もいるけど、そうじゃない人もいるしとか。はあ。10年って長いじゃないすか。
そうすね。
すごいや。人生の1/3YouTuberやってんだもん。
そう。僕、最近はもう無理せず自然体でいようと思って。さすがに10年やってると、こういうものが受け入れられて、こういうものが受け入れられないって。受け入れられないものはなるべくやらずに、受け入れられるものをやっていこう、イコールそれは再生数とか高評価とか色々あるんですけど、もちろん今もそれは必要だと思ってやってはいるものの、よりちょっと肩の力抜いて生きてますね。
確かにマラソンだと思ったら、ゆっくり走る時期もあった方がいいし。
そうなんすよ。そう、そう、そう。
故障しちゃったら進めなくなっちゃいますもんね。
そうです。本当に。それで言うと、この暗い感じでこの素敵な音楽が流れてから話すと、地元の友達が自分で命を絶ってしまって、かなりショックでして。もちろん一番家も近く、かつ3人で遊んでて、大人になってからももちろん会うし、旅行も行くしみたいな。何があったかは分からないんですけど、彼からLINEで未送信の遺書もあったりとかして。親御さんが、その子のお母さんが、添削するのは多少だったらしいんですけど、添削した上で送ってくださったんですけど、そこの中に結構色々熱いメッセージもあったりとかして。
うん。うん。
無理することが正しいとは思えないというか、嫌なことあったら逃げた方がいいなっていう。じゃないと、それこそ壊れちゃうし。程よく肩の力抜いて、みんなで笑顔で過ごすのが一番いいんじゃないかなと思って、っていう感じですね、去年か昨年か。
今で言うと、数値的な目標みたいなのは特にないって感じですか?売上何億目指すとか、これぐらいの影響力が欲しいみたいなことはあるよ、とか。
はい、あんまないすね。夢は変わりなくて、だけど夢にまだ全然到達できてると思えなくて。なんで、まずは自分たちのブランドを愛してくださってるお客様とか、これから買ってくださる方々を最大限満足させるのが大前提であって、かつ、ブランドは買わないけどげんじのチャンネル見てるよとか、僕の会社に所属してくれてるクリエイターさんの動画を、ブランドは買わないけどそのクリエイターさんの動画見てるよって人をまずは大事にする。で、そこをクリアした上で、まずは自分たちの幸せというか恵まれてる状況を壊さないことを最優先に、任せられるところは任せた上で、さらにクリエイターを増やしていきながら、数字を求めるんじゃなくて、たくさんのデザインやクリエーションとかを世の中に、インフルエンサーさんをきっかけに届けたいっていうのが、僕の今新たに挑戦していきたいことですね。
はい。だから、数字を追うっていうよりは、自分たちがいいものってものを発信して、それがちゃんと伝わるように努力するぐらいの。
うん。そうです。自分の幸せだけ考えたら今が最大限マックス幸せなんで。新たに行動することで、たくさんの迷いやたくさんの衝突や、たくさんのトラブルが絶対あるはずなんですよ。僕が大学行かずに芸人をすぐ始めたように、悩んでる時とか、やらない方がいいかなって考える時って、絶対やった方が、その間は大変だとしても、良かったなと思える功績というかインパクトがかなり大きいと思ってて。なんで、ストレスを感じすぎない範囲で、緩く、でも情熱を持ってしっかりやってくなと思ってて。あんまこんなこと話さないんですけど、今の幸せがワンチャン崩れてもおかしくないぐらいの覚悟で、どんどんファッションというパワーとかを世に広めていきたいなっていう思いはありますね。
ありがとうございました。たくさんお時間いただいて、本当にありがとうございます。
はい。
またできたら1回送りますんで。
はい。よろしくお願いします。ありがとうございます。それじゃあ失礼します。
ありがとうございました。
街録チャンネル、見習いディレクター募集中です。面白い映像を作りたいという若者、ご応募お待ちしております。グッズ、スポンサー券、BASEにて販売中です。応援よろしくお願いいたします。
綺麗なだけじゃ勝ちはないさ。
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