トー横で16歳の娘を亡くした父親が、歌舞伎町に通い続ける理由

YouTubeで開く ↗
概要

2023年3月27日、16歳の長女あき子さんが、交際相手の男性とともに横浜のホテルから飛び降りて亡くなった。父親の浩三さんは、娘がトー横に通っていたことを、亡くなるまで知らなかった。遺体と対面したとき、なぜこうなったのかを必ず突き止めると決め、それから約3年、仕事を終えた後に歌舞伎町へ通い続けている。

18分で読めます

この動画は、新宿・歌舞伎町の現地で浩三さんに話を聞いたものだ。娘がどう変わっていったのか、家族や行政は何を試みたのか、死の直前に何があったのか、そしてトー横で何を見てきたのか。浩三さん自身も「何が正解だったのか、答えはまだ出していない」と繰り返している。

警備強化で居場所を移すトー横の子どもたち

撮影当日、かつて子どもたちが集まっていた広場ではキッチンカーのイベントが開かれていた。浩三さんによると、この場所に子どもたちが集まることはもうほとんどない。理由は警察の警備態勢の強化である。1時間ほどすると警察が来るといい、刑事5人ほど、制服警官5人ほど、合わせて10〜12人ほどが警備に入るという。

追いやられた子どもたちは、ハイジアという建物の広場か、ホテル街の方に移っている。浩三さんは、居場所は今「ハイジアか、ホテル街か、歌舞伎町から離れてしまうか」の3択になっていると説明する。実際、取材中に移動した先の階段付近では、若者たちが集まっていて、浩三さんは親しげに声をかけていた。

いま通っている目的は、支援活動と情報収集だという。困っている子がいないか、何かに巻き込まれそうな子がいないかという話は、ちょくちょく耳に入る。最近の出来事を尋ねられると、4月には自殺が多く、4人ほどが亡くなったと答えた。なぜ亡くなったのかも、ある程度調べているという。オーバードーズ(OD)やそれに伴う飛び降りといった状況は以前から変わっておらず、ODをしすぎて意識がないまま嘔吐物が気管に入り、誤嚥性肺炎で亡くなるような事故もあると話す。

単独で通うようになって約3年。キッチンカーイベントの運営者や警備の人たちにも顔を覚えてもらい、信頼関係ができてきたという。本業はシステムエンジニアで、仕事の後にここへ来て声かけをしている。

「どこにでもいる普通の家庭」と、笑顔が減っていった長女

浩三さんの家族は5人で、娘が3人いる。あき子さんは長女で、下の2人は現在中学3年生と2年生だ。妻も働いており、浩三さんは「特別貧乏だとかいうことはない、どこにでもいる普通の一般家庭」だったと強調する。

幼い頃のあき子さんは、よく笑う女の子だった。変化のきっかけとして浩三さんが挙げるのは、浩三さんの父親、つまりあき子さんの祖父が事故で亡くなったことだ。小学2年生か3年生の頃である。当時、浩三さんも妻も忙しく、特に浩三さんはほとんど構ってあげられず、横浜の実家に預けっぱなしにすることが多かった。あき子さんは本当に「おじいちゃん子」で、祖父の死のあと、だんだん笑顔が減っていったという。ただ、なぜそこまで変わってしまったのかは今もわからないと浩三さんは言う。小学校にはなんとか通えていた。

中学生になると、起立性調節障害で朝起きるのがつらくなった。症状が悪化すると怠けているように見えるが、実際は障害なのだと浩三さんは説明する。しかし当時の浩三さんは、朝起きられないなら頑張って行けと言ってしまい、親子の仲が悪くなっていったと振り返る。中学1年の夏を過ぎた頃から不登校になり、同じ頃、妻の実家を継ぐ形で東京に引っ越した。転校先には週に1〜2回しか通えなかった。

接し方がわからなくなった両親

浩三さんは、なんとかコミュニケーションを取ろうとしていたという。映画に行ったり、妹たちも連れて遊びに出かけたり、車でドライブしたりすることはよくあった。そうした場では楽しんでいるときもあれば無表情のときもあったが、ときどき笑顔を見せることがあったので、連れ出すことを続けていた。ただ、学校に行きたくないという姿勢は一貫していた。「行きたくないのか、行けないのか、今となってはよくわからない」と浩三さんは言う。

母親との関係もそれほど悪くはなかったが、両親とも、厳しく接するべきか優しく接するべきかがわからなくなっていた。夜遅くまでゲームをして寝不足になるので、夜は寝て朝は学校に行く努力をしようと言っていたが、娘はどんどん塞ぎ込んでいった。放置するわけにもいかない。しかし厳しくしても優しくしても反応がほとんど返ってこず、「どうすればいいのか本当にわからなくなってしまった」という。

浩三さん自身の働き方も、家庭から距離を生んでいた。当時は朝6時まで働いて、また9時に出社するようなサイクルや、終電まで働く日々が続き、帰宅すると子どもたちは寝ており、子どもたちが起きる頃には家を出ていたという。

学校の先生からは、特に変わった様子はなく、いじめの話も聞かないと言われていた。友達はあき子さんを慕っていたが、あき子さんの方が拒絶しているように見えた。以前は近所の子と遊ぶこともあったが、それもなくなった。相手に意地悪をされたという話も聞いておらず、むしろ普通のいい子たちに見えたため、なぜそこまで拒むのか、両親にはまったくわからなかった。

行政・学校と連携しても届かなかった支援

家族は学校以外にも相談していた。東京に移ってからは児童相談所も関わり、学校、浩三さん、行政の三者で、どう接していくかを話し合っていた。何かあれば民生委員に相談してよいといった助言を受け、学校からは日々の様子を報告してもらう形になっていた。転校先は、そうした事情を抱える子を受け入れる学校で、先生たちもしっかり見て支援してくれたと浩三さんは話す。

それでも、中学3年になると登校は週に1回程度にまで減った。家ではSwitchやiPadで過ごす時間がほとんどだったが、浩三さんは忙しくてあまり見られていなかったという。

強行された一人暮らしと、連絡の途絶えた半年間

高校は、名前を書けば誰でも受かるような学校に進んだ。あき子さんは一人暮らしをしたいと言ったが、両親にはその資金がなく、せめて高校を卒業するまでは家から通ってほしいと伝えた。しかしあき子さんは、浩三さんの母(祖母)と浩三さんの兄を頼ってマンションを借り、一人暮らしを強行した。理由を尋ねても「わからない」とだけ言い、とにかく一人暮らしがしたいという様子だったという。

これまでの生活ぶりからして無理だろうと浩三さんは思っていたが、実際に生活は成り立たず、祖母が毎週のように通って1週間分の家事をまとめてこなしていたらしい。高校にはおよそ1か月通った後、行かなくなった。浩三さんによれば、トー横に来る前は毎日学校に行っていたといい、何が原因だったのか今も考え続けているが、何ひとつわからないと話す。下の子たちは問題なく学校に通っており、同じように育てたはずなのに、という思いがある。

後に単位不足が判明し、12月に、編入試験に受かれば高校2年生として受け入れる学校が見つかった。2023年4月1日から通う予定だった。

この時期、浩三さんは娘とほとんど連絡を取っていなかった。家を出る前に持たせていた携帯電話は、あき子さんが使わないというので解約し、祖母が持たせた携帯電話だけになった。連絡先を教えてほしいと頼んでも、教えたくないという反応だった。浩三さんは説得を諦め、2022年のおよそ4月から12月にかけての約半年間、連絡を取らない状態が続いた。連絡は祖母を通すしかなく、その祖母も、娘がどこで何をしているのかをまったく把握していなかった。家に引きこもっているのだろう、というのが家族の認識だった。実際には、2022年5月中旬から、あき子さんはトー横に通い始めていた。

再会と仲直り、そして交際相手からの暴力

2023年1月、あき子さんの方から祖母を通じて連絡があり、会いたいと言ってきた。会ってみると髪は金髪になっていて、印象はがらりと変わっていた。何があったのかと聞いても「なんとなく」と言うだけで、詳しいことは話さなかった。それでも、仲良くしていきたいと言ってくれたので、浩三さんも同じ気持ちで応じた。LINEを交換し、週に1回ほど、パソコンの使い方を教えてほしいといった他愛のない会話をするようになった。少しずつ昔に戻っていけるかもしれない。そう思っていた矢先の出来事だったという。

1月に会った時点で、あき子さんは彼氏がいると話しており、浩三さんはLINEのビデオ通話でその男性と話したこともあった。当時あき子さんは16歳、相手は付き合い始めた頃18歳で、亡くなる直前に19歳になった。建築系の仕事をしていて月20万円ほど稼いでいると言い、あき子さんは「ちょっとチャラチャラした男」だと話していた。トー横で出会ったことは知らされていなかった。浩三さんが後に聞いたところでは、実際には暴力団が関わる違法寄りの作業をしていたという。

それから約1か月後、あき子さんが交際相手から暴力を受け、新宿警察署に保護された。浩三さんは警察署に呼ばれた。あき子さんは痣ができるほど殴られていたが、本人は「ちょっと喧嘩しただけ」と言い、浩三さんにはわけがわからなかった。一人暮らしの部屋には戻れなくなったため、横浜の祖母の家に避難することになった。警察は診断書などの証拠をそろえて傷害事件として動いており、浩三さんによれば、相手の逮捕は時間の問題だった。ところが二人は、その後もDiscordで連絡を取り合っていた。

3月26日から27日にかけての足取り

浩三さんが後にたどった経緯によると、3月26日、交際相手から「死なないか」という誘いがあり、あき子さんがそれに応じるやり取りがあった。交際相手は六本木からタクシーで横浜へ移動し、あき子さんは祖母の家から横浜駅へ向かった。祖母はその日、展覧会のために外出していて、帰宅する前にあき子さんは家を出ており、顔を合わせていない。

二人は横浜駅近くのビジネスホテル「リブマックス」に宿泊で入った。浩三さんによると、当時のトー横の子どもたちの間ではリブマックスの利用が一般的だったという。二人は写真を撮るなどした後、非常階段から屋上に上がった。その様子は、実況のようにXに投稿されていたといい、当時の投稿のスクリーンショットは今も残っている。

翌朝7時から7時半頃、通勤途中だった浩三さんのもとに、母親から「あき子が大変なことになった」と電話があった。死亡したことと警察署に来てほしいということだけを伝えられ、浩三さんは仕事を休んで横浜の警察署へ向かった。

遺体との対面と「お互いを殺した」という扱い

警察の説明を受けて身元を確認した。飛び降りた際に足から落ちたため、膝から下が砕けていた。シートの下は普通の形をしておらず、浩三さんはシートの下を見る勇気が持てなかった。妻が見ようとしたが、見たら後悔するのではないかと思い、止めたという。顔は、安らかなのかどうかはわからないが、本当に眠っているようだった。

遺体検案書では薬物などの残留物は確認されず、死因は外傷性ショックとされた。浩三さんは警察にも確認したうえで、ODはしておらず、二人は素面のまま飛んだのだと話す。そして、二人が同時に飛び降りたことから、あき子さんが彼氏を殺し、彼氏があき子さんを殺したという扱いになった。お互いが被疑者であり、被害者でもある形で人生を終えたことになる。

浩三さんは、「トー横に娘が殺された」という表現を使っている。結局はそこで殺されてしまったのだという思いが悔しく、なぜ16歳の女の子がこんなひどい死に方をしなければならないのか、しかも被疑者として終わるなんてこんな人生があるのか、と語る。遺体を見たその場で、原因と事件の真相を必ず解明すると決めたという。

交際相手の両親とも対面し、連絡先を交換した。先方からは謝罪の言葉があり、息子がなぜトー横に行ったのかわからないと話していた。浩三さんは、相手の両親も自分たちと同じ普通の家族なのだとわかり、怒る気持ちも馬鹿馬鹿しくなってしまったと振り返る。二人とも亡くなってしまった以上、悲しみを通り越してどうすればいいのかわからない状態だったという。

壊れた携帯電話から真相をたどる

この時点で、浩三さんも警察も、あき子さんがトー横に通っていたことを把握していなかった。わかっていたのは、交際相手と一緒に亡くなったという事実だけで、どちらが誘ったのかもわからなかった。携帯電話は落下の衝撃で曲がり、データを見ることができなかった。

浩三さんによると、システムエンジニアの知識を使ってクローン携帯を作り、あき子さんの携帯電話の暗証番号を突き止め、バックアップから亡くなる前日までのデータを復旧させたという。その中から、交際相手の方から誘ったやり取りが見つかった。浩三さんは、ここは警察もたどり着けなかった部分で、自分が突き止めて警察に提示したと話している。

トー横との関わりを知ったのは、遺体と対面した後だった。あき子さんが以前、泊まっていると教えていた知人の家があり、夫婦でそこを訪ねた。応対した男の子に、警察から教えられていたあき子さんのSNS上の名前を知っているか尋ねたところ、トー横の関係だと聞かされた。浩三さんは、まさか自分の娘がトー横に行っているとは夢にも思っていなかったという。

身元を伏せた聞き込みでわかったこと

4月から、浩三さんはトー横に通い、ひたすら聞き込みを続けた。ただし、あき子さんが亡くなったことは伏せ、行方不明になったので探していると言って回った。あき子さんを探している暴力団関係者のような人物がいると聞いており、誰がどこと繋がっているのかわからなかったからだ。

わかってきたのは、あき子さんがさまざまなトラブルに巻き込まれていたことだった。ひとつは「詰め事」、つまり恐喝の被害である。仲の良かったメンズコンカフェの男の子が何かをやらかし、「仲がいいならお前が責任を取れ」と、30万円ほどを請求された。払えないなら「売り」をやってこい、という話になるが、このときは別のキッズが「この子は関係ないから払う必要はない」と間に入り、支払いを免れたという。浩三さんは、こうしたことはこの界隈では「あるある」だと話す。

違法薬物の転売にも関わろうとした形跡があった。販売用とみられるXのアカウントを作っていたが、客とのやり取りは一切見つからず、浩三さんは「やっているふり」だったと見ている。大麻などの違法薬物も使っていなかったが、市販薬のODはしていたという。また、レイプのような被害や暴行に巻き込まれたことも、ときどきあったと浩三さんは語る。

2022年5月中旬にトー横に来た時点で、すでに後に一緒に亡くなる交際相手もいた。6月から8月の3か月間は、リブマックスの最上階あたりにある、「徳さん」と呼ばれていた男の部屋を溜まり場にして、そこでODを繰り返していた。

一方で、浩三さんを驚かせたこともあった。あき子さんがトー横でちゃんと人間関係を作れていたことだ。会う子たちは口々に「あの子はすごく優しいのに、なぜトー横に来たのかわからない」と言ったという。浩三さんは、その優しさゆえに事件に巻き込まれやすかったのではないかと見ている。

「普通の10代」が犯罪に巻き込まれる構図

通ううちに浩三さんが気づいたのは、トー横にいるのは、そのへんにいる10代、20代の男の子や女の子と何も変わらないということだった。報道では「ODを繰り返す危険な子たち」という話が多いが、実際には、普通の子どもたちが薬物絡みの犯罪に巻き込まれていく構図がある。そして、その原因は子どもたちを搾取する大人の存在だと浩三さんは言う。

その典型として挙げたのが「徳さん」だ。浩三さんによれば、暴力団にいたことがあり、半グレに近い40代の男で、ホテルに300連泊以上していた。子どもたちに薬物を売らせて上前をはねていたと聞いたという。男が逮捕されたのは、薬物を転売させていた男の子が売上金を持ち逃げしたことに怒って誘拐し、その母親に20万円を請求し、母親が支払って解放されたことで発覚したためで、現在は服役中だという。あき子さんはこの事件の場にはいなかったが、そのホテルの部屋には出入りしていた。

では、なぜあき子さんは亡くなったのか。浩三さんは、交際相手に誘われたことに加え、もともと希死念慮が強かったことがわかったと話す。その理由はわからない。ただ、当時のキッズの間には「20歳まで生きればいい」という言葉があり、20歳まで一気に輝いて、そこでぱたんと終わる、という感覚が共有されていたという。

家庭に問題があるとは限らない

トー横の子どもは家庭に問題を抱えているという印象が強いのでは、と聞かれると、浩三さんは、家庭に問題があって来る子もいれば、そうでない子もいて、さまざまな家庭があると答えた。浩三さんは現在、何人かのキッズの親と連絡を取っている。娘を大切にしている普通の親たちだが、トー横に通う娘をどうすればいいのかわからず困っている。行くのをやめてと言えば娘が取り乱してしまうため、妥協して「この時間には帰ってきてね」と約束させるなど、苦労している家庭が多いという。

どうすれば防げたのかという問いに、浩三さんは、子どもとの対話はもちろん大事だとしつつ、何が正解だったのか答えはまだ出ていないと話す。ただ、少なくとも言えるのは、子どもを搾取する大人たちがいなくなれば安全にはなる、ということだという。

働き方を知らないことも大きいと浩三さんは見る。薬を1シート8000円で転売するような違法な稼ぎに手を出すのは、働くということがわからず、お金が必要だからだ。働き方を覚えれば、そうしたことは減るのではないかと考えている。

親の関わり方については、「難しい」と答えた。家に帰れる子はまだましで、家に帰れない子、親と連絡を取っていない子、そもそも親がいない子もいる。全員に当てはまるわけではないとしたうえで、浩三さんは、無理に親元に帰すのではなく、国や行政が預かって成人まで育てるしかないのではないかと話す。できれば自分も娘と一緒に暮らしたかったが、それが難しいなら、そうした場所を頼るしかない。

児童相談所と親権という壁

しかし、現状で行政の受け皿といえるのは児童相談所くらいで、児相は家に帰すことを前提にした施設だと浩三さんは指摘する。問題のある家庭でも、最終的には家に戻されてしまう。また親権が強く、児相以外では親権停止が認められていないため、新たな受け皿を作っても、親が拒めば強制的に戻されてしまう。合理的な理由で一時的に親から引き離すことは、児相でも難しい場面があるという。浩三さんは、今の日本の制度ではそれが限界であり、法律を変えることも視野に入れなければならないと話す。

そのうえで、いま取り組もうとしていることは次のような流れだという。まず犯罪に子どもを巻き込む人たちに退場してもらい、トー横を安全な場所にする。そのうえで、特に18歳以上の子には働き口を紹介できる制度を作る。18歳未満をどうするかは、まだ見えていないと浩三さんは認めている。

真相究明から自殺防止へ

最初は娘の死の経緯と理由を知るために通い始めた。今は、未成年の自殺を防ぎたいという思いで通っていると浩三さんは話す。ここでは未成年の自殺が多く、その理由を聞くと「そんなことで死ぬのはもったいなさすぎる、もっと楽しいことがあるじゃないか」と思うのだという。

具体的には、行政に働きかけ、キッズと行政が直接対話して子どもたちの声を聞いてもらい、行政側でできる支援を考えてもらう場を作っている。また、東京都管轄の支援拠点と新宿区の間で管轄が分かれているため、両者をつなぎ、就労支援などの幅が広がるようにしたいとも話す。さらに、撮影当日に開かれていたキッチンカーパークの運営委員会と協力して、キッズが働ける形を作れないかも模索している。

浩三さんは、仕事がないことが大きいと繰り返す。仕事がないからお金がなく、お金がないから違法な仕事に走る。この悪循環を断つには、働くことを覚えてもらうしかない。本来、学生なら働く必要はないはずで、大人と同じように働いて生活費を稼ごうとすること自体がおかしい。しかもコンビニのアルバイトでは最低賃金にしかならないが、違法な「案件」では、1日のバイト代よりずっと多い金額が短時間で手に入ってしまう。そうなると金銭感覚がおかしくなっていく。子どもたちが集まる様子は外からは華やかに見えるかもしれないが、実態は「ものすごい地獄」だと浩三さんは言う。

目標として挙げたのは、詰め事などのトラブルや犯罪をなくすこと、ODの危険性をきちんと認識してやめる方向に持っていくこと、そのうえで就労支援を通じて働き方を覚えてもらうことだ。

「私がいなくても動く体制」を作りたい

ここに通うのが終わる日は来るかと問われ、浩三さんは「わからない、ずっと来ると思う」と答えた。頻繁に来なければ情報はすぐ古くなり、1〜2週間で状況が変わってしまうことはざらにあるからだ。

ゴールはないと思っているとしながら、強いて言えば「体制」を作りたいと浩三さんは話す。こういう子がいたら、この手順を踏めば助けられる、という仕組みがあれば、自分がいなくても動く。今はその体制が何もなく、誰も実現できていない。だから自分が作りたいのだという。

根底にあるのは、娘の喪主のような思いを二度としたくない、誰にもさせたくないという気持ちだと浩三さんは語る。なぜ自分はこんなことをしているのかと思うと、とても悲しい。人が死ぬのは寂しいことで、ここで次々と人がいなくなっていく状況を変えたいという。

完全になくすことは無理だろうと浩三さんは認める。トー横は、行き場がなく、どうしようもなくなって限界を迎えた子たちが来る「最後の場所」だからだ。だからこそ、そこを最低限安全な場所として残しておき、最後に行政が手を差し伸べられれば、子どもたちは生き延びられるのではないか。浩三さんはそう考えている。