岡田斗司夫が語る『タイタニック』:キャメロンが海底で知ったことと、船が沈んだ理由

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概要

金曜ロードショーが『タイタニック』を2週連続で放送したのに合わせ、岡田斗司夫ゼミ第394回(2021年5月9日配信)では、前週に続いてこの映画を解説している。この回の問いは2つある。ジェームズ・キャメロン監督はなぜタイタニック号の沈没事故を映画にしようと思ったのか。そして、タイタニック号はなぜ氷山に衝突し、なぜあれほど短時間で沈んだのか。岡田は、キャメロンの動機を解き明かすと映画のテーマが見えてくると述べ、後半では船の構造と当時の事情から沈没の経緯を説明していく。

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トラック運転手から映画の世界へ

岡田はまず、キャメロンの経歴から話を始める。キャメロンは1954年8月生まれのカナダ出身で、岡田より4歳上だという。4回離婚し、現在は5人目の妻がいる。親友は『パシフィック・リム』『シェイプ・オブ・ウォーター』の監督で、10歳年下のメキシコ人、ギレルモ・デル・トロである。この回の話の多くは、キャメロンがデル・トロに語ったエピソードとして紹介される。

キャメロンは高校時代にカナダからカリフォルニアへ移住し、カリフォルニアの州立大学に進んだが、5人の兄弟を養うために中退してトラック運転手になった。その頃、高校の同級生と再会する。ドライブインのレストランでウェイトレスをしていた彼女に一目惚れして結婚した。岡田によれば、『ターミネーター』のサラ・コナーがもともとファミレスのウェイトレスだったのは、この女性のイメージから来ている。岡田は、キャメロンは「働く強い女」に弱い人物だと評している。

転機は23歳で『スター・ウォーズ』を観たことだった。キャメロンはデル・トロに、この映画は自分が撮るべきだった、撮れなかったのはトラック運転手なんかしていたからだ、という趣旨のことを語ったという。岡田はこの発言を、キャメロンが自分の才能をまったく疑っていない証拠として紹介する。その後キャメロンは友人と2人で35mmフィルムの自主SF映画『ゼノジェネシス』を撮った。岡田によれば、この作品はメカのデザインから動きまで「もろにターミネーター」で、その頃すでにイメージが完成していたことがわかるという。

ロジャー・コーマンのもとで見せた「アメリカの宮崎駿」ぶり

『ゼノジェネシス』のフィルムを履歴書代わりに、キャメロンは低予算映画の帝王と呼ばれたロジャー・コーマンを訪ねる。コーマンは才能があればキャリアに関係なく雇う人物だった。ところがキャメロンに与えられた仕事は、またトラック運転手だった。コーマンは安い土地を探してアメリカ中でロケをするため、その移動専門の運転手になってしまったのである。

待遇に不満だったキャメロンは、コーマン自身への売り込みを始める。当時コーマンは、『七人の侍』を下敷きにした『荒野の七人』をさらにSFにした『宇宙の7人』を製作していた。岡田もこの映画を映画館で観ており、メカデザインだけがやたらに良く、特に宇宙船の着陸脚が伸びる場面が格好良かったと記憶している。後に資料を読むと、無名の新人美術スタッフだったキャメロンが、デザイナーの描いた宇宙船を勝手に作り直していたことがわかったという。最初はミニチュア作りの手伝いだったのが、宇宙船のミニチュアを丸ごと作るようになり、ついにはデザインまで自分で手がけて監督やコーマンに売り込んだ。

岡田はこの手口を、東映動画で『太陽の王子 ホルスの大冒険』に関わった頃の宮崎駿と同じだと言う。新人の動画マンとして入ったはずの宮崎がイメージボードを描いて壁中に貼り、高畑勲は最初それを天才だと喜んだが、『アルプスの少女ハイジ』の頃には宮崎の力を抑えることを考えた。岡田はキャメロンを「アメリカの宮崎駿」と呼ぶ。

キャメロンはさらに、フロントプロジェクションの装置まで自作した。俳優をスクリーンの前で演技させ、正面からあらかじめ撮影した映像を投影することで、ロケをしなくても俳優がその場にいるような絵が撮れる仕組みで、『2001年宇宙の旅』で使われたものだ。キャメロンは州立大学の映画学科まで見学に行って作り方を調べ、コーマンの会社のビルを1つ改造して専用スタジオにし、自ら所長を名乗った。入ったばかりのアルバイトが宇宙船のデザインを奪い、ビルを占領したのだから、周囲に嫌われたのは当然だと岡田は言う。キャメロンが周りから嫌われる傾向はこの頃から始まっていたという。

コーマンが「安くできれば何でもいい」人物だった例として、岡田は『風の谷のナウシカ』のアメリカでのビデオ販売を挙げる。徳間から権利を買ったコーマンは、上映時間が長いとして約20分をカットし、吹き替えで勝手な台詞を入れ、テンポが遅いと感じた箇所はビデオの早回しで再録画したという。この販売をめぐって鈴木敏夫と宮崎駿が大喧嘩になり、岡田はアニメージュのグランプリ会場でその現場に居合わせたと話している。

『殺人魚フライングキラー』のジャマイカロケ

コーマンに取り入ったキャメロンは27歳でようやく初監督作『殺人魚フライングキラー』を任される。軍が開発した、ピラニアに羽がついたような空飛ぶ魚が人を襲う話である。最も安く撮れる場所として選ばれたのはジャマイカだった。

俳優より1日早く現地入りしたキャメロンが驚いたのは、現地コーディネーターが何も準備していなかったことだ。ロケハンもロケ場所の確保もしておらず、天気予報さえ調べていない。話しているうちに目の前がくらくらしたキャメロンは道路に飛び出し、最初に通った車を止めて、運転していた若者に10ドルを渡して3日間の運転手兼通訳として雇った。そのまま車で回りながら、病院、警察署などを見つけては、若者から借りたメモ帳に手書きで契約書を書き、その場で3ドルか5ドルの手付金を渡して撮影場所を押さえていった。

初日の最後に見つけたのが死体安置所だった。中に入ると解剖台の上に死体が3段に積まれていた。キャメロンは明日までに片付けておくよう頼んでホテルに戻った。翌日、アメリカから俳優とスタッフが到着し、病院と警察署を撮り終えて、夕方の光が差す頃に安置所へ向かう。扉を開けると床中が巨大なゴキブリだらけで、キャメロンはこれも撮ろうと自らカメラを回し始めた。アメリカ国外なので組合の規則を気にせず監督がカメラを回せたのだという。

ところが死体は片付けられていなかった。キャメロンは自分で死体を押しやってベニヤ板で隠したが、主演俳優が「本物の死体があるならそれを使えばいい」と言い出し、制止を聞かずに板をずらして嘔吐してしまう。キャメロンは前日に手配していたケータリングで皆を外に連れ出したが、その間に安置所の職員が一番下の死体だけを墓場に運ぼうと引き出したため、上の死体が床に落ちて血まみれになった。キャメロンは皆に「サラダは足りてるか」と声をかけながら、合間に床を必死に掃除していたという。

結局キャメロンはこの作品の監督を途中で降ろされた。コーマンが思っていたような映画にならなかったのが理由だが、岡田はちゃんといい映画になっていると言う。キャメロンは今もこの作品を自分のフィルモグラフィーに入れておらず、トラウマになっている。そして岡田によれば、コーマンの会社自体も翌年に倒産した。

『ターミネーター』から『アビス』、そして元を取る監督へ

その後キャメロンはロサンゼルスに移り、『ターミネーター』の脚本を書いて売り込む。この脚本の出来が評判を呼び、『ランボー/怒りの脱出』と『エイリアン2』の脚本依頼が来た。岡田は、ハリウッドの監督は途中から脚本を人に任せるようになるのが普通だが、キャメロンは最新作の『アバター』まですべて自分で脚本を書いている珍しい監督だと指摘する。この仕事を取ってきたのは、コーマンの会社のアシスタントだったゲイル・アン・ハードで、後にキャメロンの2人目の妻となり、『ターミネーター』『エイリアン2』、さらに『ウォーキング・デッド』のプロデューサーも務めた。

『ターミネーター』『エイリアン2』のヒットで、キャメロンは自分の作りたい映画を作れる立場になる。しかし1989年の深海冒険映画『アビス』は莫大な予算をかけて失敗した。岡田によれば、『アビス』は1億ドルを超えて赤字になった。ただしキャメロンは転んでもただでは起きない。『アビス』で開発した、水だけが動いて人の顔になるCG技術を、『ターミネーター2』の液体金属の敵T-1000に応用した。

岡田は、キャメロンが1本の映画のために新技術を開発し、それを次の作品で回収する監督だと強調する。好きなことをやっているだけでは仕事がなくなることを、コーマンのところで懲りて学んだからだという。出資者に「あいつに好きなものを作らせれば必ず儲かる」と思わせなければ仕事にならないと、キャメロンはわかっていたと岡田は見る。

1985年の発見と「バナナ現象」

1985年、アメリカとフランスの合同探検隊が大西洋の水深約4000mでタイタニック号を発見した。船体は2つに折れ、600m離れて沈んでいた。岡田によれば、これでいくつものことがわかった。以前は船がつながったまま沈み、海底に激突して崩れたと考えられていたが、実際には前半分は折れて離れた後に静かに着底しており、手すりや、割れていない窓まで残っていた。一方、後ろ半分は激しく壊れており、垂直に沈んだのではないかと考えられるようになった。

キャメロンはこの沈み方を確かめるために、大きな模型を作って水槽で実験までしている。キャメロンはこれを「バナナ現象」と呼んだ。バナナを折ると皮の一部だけでつながることがあるように、船首から沈んだタイタニック号は一部だけがつながった状態で折れ、前半分の重みで引きずられた後、前半分が切り離されて沈むと、後ろ半分がいったんコルクのように浮かび、それから垂直に沈んでいく。岡田によれば、折れたという説は以前からあったが、ボイラー爆発説など他の説もあり、一時は「折れていない」という説に落ち着きかけていた。キャメロンはそれを実験で検証したのだという。

誰のものでもなくなった船と、キャメロンの危機感

キャメロンが映画化を考え始めたのは発見から9年ほど後の1994年頃だと岡田は言う。その間にタイタニック号にはある問題が起きていた。所有していたホワイト・スター・ラインはとうに倒産し、沈没から数十年が経って訴訟もすべて終わり、財産権がどこにもなかった。遺族も遺品の権利を主張していなかったため、海底にお宝が眠っている状態だった。日本でも展示された初期の遺品は、岡田によれば勝手に潜って持ち出したものだった。

キャメロンは、このままではタイタニック号がなくなってしまうと強い危機感を覚えた。『ターミネーター2』の成功で自由になる資金もあった。ナショナル ジオグラフィックの記録映像を観たキャメロンは、その日のうちにモスクワへ飛んでロシアの海洋学者たちと会ったという。ソ連崩壊後で1年半も予算ゼロの状態だった彼らは、ハリウッドの有名監督を大歓迎した。キャメロンは海洋調査船ケルディッシュ号と2隻の潜水艇をチャーターした。

巨大模型によるリハーサル:プリビズの原点

キャメロンがケルディッシュ号に持ち込んだのは、全長7.7mのタイタニック号の模型だった。船の中央にあったレクリエーション室のスポーツジムなどの設備をすべて撤去し、そこに模型を据えた。乗組員が「ウォッカの密造用の蒸留装置だけは残してくれ」と頼んだので、それだけは残したという。

キャメロンは潜水艇の操縦士たちに小型ビデオカメラを持たせ、この模型の上で徹底的に撮影の練習をさせた。いずれ映画を作ることになる、主人公がここに立ってカメラが回り込み、かつての美しい船から現在の海底の朽ちた姿へそのまま変わる絵を撮りたい。そのためにどんな絵を撮るのか完璧にシミュレーションしてほしい、と説明したのである。岡田は、朽ちた状態を再現した模型をロシア人カメラマンが撮影するメイキング映像を示し、これが「プリビズ」だと言う。

プリビズは、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』で庵野秀明が行ったことでもある。岡田によれば、日本でその前にプリビズを試みた作品が、樋口真嗣監督の2005年の映画『ローレライ』だった(庵野も水兵役で出演している)。岡田は以前から『ローレライ』の伊号潜水艦のミニチュアが7m以上もあることを不思議に思っていた。資料はほとんど残っていなかったが、古書店でようやく見つけたムックを取り寄せて調べると、やはり大型模型をビデオカメラで舐めるように撮影し、本編でどこをCGにしてどこを特撮にするかを割り振っていたことが書かれていたという。本にはタイタニックとは書かれていないが、岡田は、1990年代から2000年代初頭にDVDの特典でハリウッド映画のメイキングが見られるようになり、日本の監督たちがその撮り方を学んだ時代だったと推測している。『ローレライ』では大型ミニチュアによるプリビズはあまり効果が出なかったが、庵野は『シン・エヴァ』で使いこなした、と岡田は見ている。

キャメロンは後にメキシコに巨大スタジオを建設する際にも、まず全長13.5mの模型を持ち込んだ。撮影期間の約4か月間に太陽がどう動き、どこに影が差すかを模型で調べておけば、原寸大のセットを建てる向きを決められ、合成素材の作成やスタジオ内の人工照明にも役立つからだ。この模型の先端に人形を置いてキャメロン自らがカメラで回り込んだ映像は、ジャックが「世界の王だ」と両手を広げる本編の場面とまったく同じ構図になっている。岡田によれば、プリビズで事前に撮っておけば俳優にもスタッフにも撮りたい絵を説明でき、クレーンの動かし方も共有できるので失敗が減り、スケジュール内で最良の絵が撮れる、というのがキャメロンの考え方である。

岡田が面白いと感じるのは、日米での使い方の違いだ。ハリウッドでプリビズを使う理由はコスト削減で、潜水艇で無駄な動きをしないためだった。一方、日本では『シン・エヴァ』に見られるように、格好いいアングルや構図を探すため、つまり品質を上げるために使われる。岡田は、CGについても同じで、ハリウッドはコストを下げるためにCGを使い、日本は絵のクオリティを上げるために使うと話す。

「小さな映画」のはずが舞台はタイタニックに

キャメロンは実際にロシアの潜水艇で海底のタイタニック号を見てきたが、それでもすぐに映画化を決断できなかった。その前に、シュワルツェネッガー主演のアクションスパイコメディ『トゥルーライズ』(1994年)を完成させている。予算は8000万ドル以上かかり、シリーズ化もできない。しかも誰もが結末を知っている。儲からなければ自分のキャリアは終わる、とキャメロンは考えたという。予算が大きくなると多くの会社が口を出し、動きが取れなくなることもキャメロンは嫌っていた。

そこでキャメロンは『E.T.』のような、小さいが心に残る作品を作ろうとした。1930年代のジョージア州を舞台に、耳が聞こえず声も出ない少女が主人公の小説の映画化権を買い、脚本に書き直し始めた。ところが完成した脚本をデル・トロに読ませると、舞台がタイタニックになっていた。デル・トロが笑いながら、小さな映画を作りたいと言っていたのではないかと突っ込むと、キャメロンは真剣な顔で語り始めたという。

海底4000mで見たもの、そして夜中の涙

キャメロンの話はこうだ。潜航には10時間かかり、トイレは渡されたビニール袋で済ませる。水深4000mの海底に着くと目の前に山があり、スクリューを回すと泥が舞い上がって何も見えなくなった。レーダーを見ながら山を越えて停止し、泥が沈んでライトをつけると、目の前にタイタニック号の船体の壁があった。あと3m進んでいたら衝突していた。垂直に上昇すればまた泥が舞うので、後退しながら上昇し、レーダーで1mほど下に地面があるのを確認して着地すると、そこはタイタニック号の前部甲板で、目の前にはまだ割れずに残った窓が並んでいた。

その瞬間は感動したが、0.5秒ほどで、すぐにカメラを回そうと考えたという。まだ正式な契約前で、調査船も潜水艇もすべてキャメロンの自腹だったからだ。7.7mの模型で何度もシミュレーションしたとおりに、1隻を照明係にしてもう1隻で撮影し、沈没の際に楽団が演奏していた場所なども撮った。いい映像が撮れたと満足して戻り、その夜は密造ウォッカを飲んで眠った。

ところが夜中に突然目が覚め、体の震えが止まらず、涙がぼろぼろ出てきた。なぜかと問うデル・トロに、キャメロンは「タイタニックは本当にあったんだ」と語った。一緒に潜ったロシア人たちは、窓の中から誰かが見ている気がすると言っていた。キャメロンはそのときは迷信深いと思い、ガラスの反射だろうと気にしなかったが、今になってその気持ちがわかる。沈没のときには勇敢に振る舞った立派な人も、卑怯に振る舞った嫌な人もいた。その人たちが皆まだあそこにいる。自分たちはその人たちの墓の上で、いい画が撮れた、このショットはこっちから撮ればよかったと大騒ぎしていたのだ、とキャメロンは言ったという。

デル・トロは、もともとお前が小さな映画なんか作るはずがないと思っていた、これからはお前が小さな映画を作りたいと言ったら、それは映画史上最大の予算の映画になるという意味だと受け取る、と返した。それでもキャメロンは、タイタニックを舞台にしたラブストーリーでは駄目で、本当にあの船があり、そこに本当に人がいたのだと思ってもらえなければ駄目なのだと語った。岡田は、ここから映画『タイタニック』が始まったと述べる。

なぜ氷山に衝突したのか

後半で岡田は映画本編の解説に移り、まず衝突の理由を4つ挙げる。

1つ目は増速していたこと。氷山が多いことはわかっていたので、4月14日の夜、ほかの船の多くは停止していたが、タイタニック号だけは最高速度に近い速さで航行していた。岡田の説明では、石炭で動く蒸気船は炉の壁に燃えかすがこびりつくと燃焼効率が落ちていくため、処女航海が最高速度を出す唯一のチャンスだった。何日も天気が良かったことも重なった。

2つ目は無線の警告を無視したこと。当時の船の無線室は船の設備ではなく、無線通信を発明したマルコーニの会社マルコーニ社が運営していた。業務の大半は、到着日の連絡や株の売買指示、誕生日のメッセージなど、乗客から1件いくらで請け負う通信で、遠くの中継点と交信するため受信感度を最大にしていた。そこへ近くの船から氷山発見の通信が大音量で入り、あまりのうるささに無線士が「黙れ」と返してしまった。記録も残っているという。怒ったカリフォルニアン号の無線係は電源を落として寝てしまった。岡田によれば、カリフォルニアン号はわずか1時間の距離にいたので、救助に来ていれば乗客のほとんどは助かっていたはずだという。ただし無線士は船の所属ではなく、船同士の連絡はマルコーニ社の好意で行われていたので、無線士の責任とも言い切れないと岡田は付け加える。

3つ目は氷山が見えなかったこと。高さ15mの見張り台はあったが双眼鏡がなかった。双眼鏡を入れたロッカーの鍵を持つ航海士が寄港地で下船したまま戻らず、しかも豪華客船なのでロッカーも豪華で、壊すのがもったいないとそのままにされた。さらにその夜は波がないほど静かだった。岡田の説明では、夜に氷山を見つける手がかりは根元に当たる波の白さなので、凪の夜はかえって氷山が見えない。

4つ目は舵が効かなかったこと。ブリッジにいた一等航海士は有能で、衝突直前に舵を左いっぱいに切り、スクリューを逆転させた。しかしタイタニック号の3つのスクリューのうち、左右の2つは推進用の大型エンジンで回り、中央のスクリューはその排気を使うタービンで回っていた。舵は中央のスクリューが生む水流で向きを変える仕組みだった。全速後退のためにエンジンを逆転させると一時的に止まり、中央のスクリューに蒸気が流れず止まったままになる。そのため舵が効かなかったと岡田は説明する。大洋を高速で渡ることを優先し、方向転換は港でタグボートに任せればいいという合理性で設計されていた、というのが岡田の見立てだ。こうして午後11時40分、タイタニック号は氷山に衝突した。

なぜ沈んだのか:リベット、火災、開いた窓

岡田は沈没の理由として、まずリベットを挙げる。全金属製の船はまだ歴史が浅かった。ペリーが乗ってきたサスケハナ号(1853年)はまだ木造で、1858年のグレート・イースタン号は全金属製だが形は昔の帆船と同じだった。当時は溶接ではなく、重ねた鉄板に穴を開けてリベットを打ち込み、両側から蒸気ハンマーで潰して留めていた。船体の平らな部分は鋼鉄のリベットを機械で打てたが、船首付近の複雑な曲面では蒸気ハンマーが使えず、鋼鉄より柔らかく脆い錬鉄のリベットを熟練工が手で打っていた。計算上は十分な強度だった。

しかし錬鉄は低温で粘りを失う。岡田はこの「低温脆性」の例として、バンダイの子会社ポピーが昭和40年代に発売したマジンガーZの超合金を挙げる。後にコレクターアイテムとして高騰した際、北海道の倉庫で見つかった品はほとんどがぼろぼろで、わずかな振動で崩れたという。塩水は0度では凍らず、当夜の海はマイナス2度ほどだったらしい。岡田の表現では、リベットは「茹ですぎた細いパスタで段ボールを縫っている」ような状態で、氷山に触れた瞬間にぷつぷつと外れた。右舷に約60mの裂け目ができたが、裂け目の幅は数センチで、開いた穴を合計してもマンホールより小さい約1.1平方メートルにすぎなかったという。リベットの危険性が明らかになったのは第二次世界大戦中で、アメリカが同様の工法で約2700隻造ったリバティ船が寒冷地で次々に沈み、岡田によれば1割以上が沈没したのを受けて初めて調査が入った。

2つ目は、前回も話した石炭庫の火災である。ボイラー室の間にある石炭庫が燃えて隔壁の金属が弱っていたところが裂け、防水扉が閉まらないまま両側に水が入った。結果として船首から5つの区画すべてが浸水し、船首が重くなって前に傾いて沈み始めた。3つ目は窓が開いていたことだ。船が急に停止したため、何事かと乗客が窓を開け、その約15分後に退船命令が出て開けたまま逃げたので、沈むにつれて窓から水が入って沈没が加速した。

映画はこの構造をどう描いたか

岡田は、映画がこうした事実を細かく描写していることを示す。本編1時間40分あたりで浸水ランプがつき、防水扉が降りる。船長への報告で「ボイラー室が2.5m浸水」と告げられ、設計者のアンドリュースは「郵便室は」と尋ね、浸水していると聞いて絶望的な表情を見せる。

岡田によれば、郵便室は喫水線より上にある。本来なら船体にいくら穴が開いても水が来るはずのない場所に水が来たということは、すでに船首から傾き始めているということだ。さらに隔壁はFデッキまでしかなく、Eデッキには乗組員が速く移動するために船首から船尾まで貫く長い通路、通称「スコットランド通り」があった。水がEデッキに達すれば、この通路を通って後方へ流れ込み、もう止められない。アンドリュースは沈まないように万全を期して設計したが、5区画が浸水して前に傾くことは想定していなかった、と岡田は説明する。また、こうした重要な場面には偶然ジャックとローズが居合わせ、ローズが事態を知る形にして、2人の主観で物語が進むように撮られていると岡田は指摘する。

その後、ジャックは宝石を盗んだ濡れ衣を着せられる。ローズは最初は信じようとするが、ジャックが一等客室に忍び込む際に借りていたコートが、甲板でコマを回していた少年の父親ライアンの盗難届の出ていたものだったとわかり、ジャックと目を合わせられなくなる。ジャックが手錠をかけられたEデッキの部屋のすぐ近くまで水が来ている描写は、スコットランド通りへの浸水が迫っていることを意味すると岡田は言う。船長は無線室で遭難信号CQDを出させ、一等客はボートデッキへ案内される一方、三等客は階段で待たされる。

救命ボートが足りないことは問題ではなかった

ローズが「乗客は2200人いるのにボートには1200人しか乗れない」と言う場面について、岡田はこれを映画上の嘘だと指摘する。当時、金属製の豪華客船は沈むのに少なくとも24時間はかかると考えられていた。1909年に全金属製のリパブリック号が衝突事故で大破したときも、沈没まで36時間かかり、周囲の船との往復輸送で乗員乗客全員が助かったという。救命ボートは全員を一度に乗せるためのものではなく、ある程度の数があれば往復輸送で足りると考えられていた。

岡田によれば、乗組員や一等客の男性たちが紳士的に振る舞っていたのも、沈んでも大丈夫だと思っていたからだ。実際、周囲には多くの船がおり、4時間かけて駆けつけた船も、6〜7時間かけて来た船もあった。船がすぐに沈みうると広く知られるようになったのはタイタニック号以降のことで、ローズの台詞はドラマを盛り上げるためのフィクションだと岡田は見ている。

三幕構成で読む『タイタニック』

最後に岡田は、シド・フィールドのシナリオ理論にある三幕構成を使って映画を分析する。120分の映画なら、第1幕の状況説明が30分、第2幕の葛藤が60分、第3幕の解決が30分で、第2幕の中間にミッドポイントがある。岡田は『スター・ウォーズ』『アナと雪の女王』『スタンド・バイ・ミー』も、日本のアニメ映画もほぼこの構造だと言う。

『タイタニック』は187分の映画で、ちょうど中間の95〜98分目にジャックとローズが結ばれ、キャルがローズの裏切りを知り、船が氷山に衝突するという事件が立て続けに起きる。これがミッドポイントだ。プロットポイント1は、身投げしようとしたローズをジャックが救い、自分の絵を見せて「君は馬にまたがるような女になる」と言い、船長が引退記念に最高速度を出す辺りだと岡田は位置づける。

第2幕後半では、ジャックを信じきれなかったローズが、その責任を取るために1人で救いに向かう。本編1時間57分22秒の「さよなら、お母様」の場面で、ローズはボートに乗らず船に残る。第3幕は、ボートをめぐる大混乱で威嚇射撃が行われ、階級社会が崩れていく辺りから始まる。プロットポイント2は、ジャックとキャルの2人がかりで説得されて救命ボートに乗ったローズが、自ら飛び降りる場面だ。岡田は、守られるべき弱い女であることを自ら否定し、「先に行ってくれ」というジャックの言葉に逆らって、第1幕でジャックが言ってくれた「生き方を自分で決められる人間」になるために戦う展開だと読む。飛び降りたローズはジャックと大階段の時計の下で再会して抱き合い、そこはラストの夢の場面で2人が出会う場所でもある。

ただしここまでで約140分で、映画はまだ30分以上残っている。その間に何があったのか、ローズはなぜラストであの夢を見たのか、なぜ「碧き海の心」のダイヤモンドを大西洋に落としたのか。岡田はこれらの問いを提示したところで、無料部分の解説を終えている。続きではディカプリオの話や予算が尽きていく製作の経緯、ラストと時計の謎解きを扱うとしている。

追加情報:映画の外へ潜り続けた監督

動画の終わりに付けられたアップグレード情報で、岡田はキャメロンの特異さを改めて語る。スピルバーグ、スコセッシ、ルーカスら同世代の監督の多くは大学で映画を学び仲間を作ったが、キャメロンはトラック運転手をしていて『スター・ウォーズ』に衝撃を受け、それまでの人生を反省して映画を作り始めた。新しい映画には新しい映像技術や機械が必要だと考え、カメラの発明に向かうような方向に進むのも、ほかのオタク系監督とは違うと岡田は言う。

キャメロンはタイタニックの撮影のために実際の沈没現場へ33回潜った。岡田はこの回数を、映画のための取材を超えていると評する。やがて潜ること自体に興味が移り、映画とは関係なく深海探検を始め、自分専用の潜水艇を開発して、マリアナ海溝で最も深いチャレンジャー海淵の底まで単独で到達した。岡田によれば、この深度は当時の世界記録で、2019年に別の冒険家に破られるまで保持されていた。キャメロンは2025年のインタビューで再挑戦を口にしており、72歳になっても『アバター』の新作を自ら監督すると言っている。岡田は「映画を作れよ」と笑いながら、それでいて映画も作り続けるこのペースこそがキャメロンのおかしさだと述べて話を締めくくっている。