江戸の米相場をめぐる「数字の戦争」――門井慶喜『天下の値段』と徳川吉宗の経済政策

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概要

2025年、米の価格が前年から急に倍になり、5kgで4000円を超えるという「令和の米騒動」が起きている。安野貴博は、同じような出来事が過去にもあったのではないかという問いを立て、直木賞作家の門井慶喜をゲストに迎えた。門井は『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞し、同作は映画化もされた。現在は主に江戸や明治を舞台にした歴史小説を書いている。新刊『天下の値段』は、八代将軍徳川吉宗の時代に、江戸の武士と大坂の商人が米相場をめぐって争った実話を下敷きにした小説だ。帯には「国家の命運は米価で決す」とある。対談では、この攻防の中身と、吉宗という人物の意外な一面、そして現代の米価問題との共通点が語られた。

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米と銭の二重経済と、大坂に生まれた市場

門井によれば、江戸時代の経済の中心は米だった。人々は現代と同じように銭も使うが、米も使わなければならない。一種の二重経済である。そして米の部分を牛耳っていたのは江戸ではなく大坂だった。政治の中心である江戸の将軍は大坂の経済を支配したいが、大坂の商人は自分たちのルールでやりたい。この江戸と大坂、武士と商人の衝突が小説の主題である。門井は、実際にあったことを基本に書いており、フィクションの部分もあると断ったうえで、「数字の戦争」が東西の間に本当にあったことには書いていて自分でも驚いたと話す。

安野がまず驚いたのは、江戸時代の大坂にすでに市場が存在していたことだった。門井は、将軍のお膝元である江戸に大きな市場ができても不思議ではなかったのに、半ば自然発生的に大坂にできたと説明する。その要因の一つが物流だ。鉄道のない時代には重いものはすべて船で運ぶ。江戸も東京湾に面しているが、当時は瀬戸内海が日本の真ん中であり、その一番奥にある大坂が物流の中心になった。米が集まれば売買する商人が集まり、さらに「米はいらないが金が欲しい」という投機的な野心を持つ商人も集まる。そこで取引ルールが洗練され、米がなくても儲かる仕組みができあがった。

門井はこれを、江戸では金で物を買っていた同じ時代に、大坂では「お金でお金を買っている」と表現した。吉宗の時代はちょうど江戸時代の半ばにあたり、その頃には江戸と大坂の経済に大きな差がついていたという。

御触れと抜け穴のいたちごっこ

経済力を持たない一方で政治権力を持つ江戸の武士、とりわけ将軍は、何によって大坂を支配しようとしたのか。門井の答えは法律、つまり御触れだ。「これをしてはいけない」「取引はここだけでしなさい」といった細かな命令を出す。処罰があるので商人は表向き従うが、法の抜け穴を見つけてはその中でこっそり取引をし、結局は法律全体を反故にしてしまう。

具体例として門井が挙げたのが蔵屋敷での取引だ。大坂には全国の大名の蔵屋敷、いわば大坂出張所があり、商人はそこで入札によって米を買う。あるとき幕府は、入札で買った米の一定割合を手数料として納めるよう命じた。門井は消費税のようなものだと例える。旨味がなくなると考えた大坂の商人は、「入札でなければいいのではないか」と発想した。入札をせず、今でいう談合に近い形で事前に申し合わせて売買する。入札ではないから手数料は納めない。こうして条文は事実上空文化し、幕府もこの措置を取りやめることになった。安野は、ルールがあると抜け道を探るいたちごっこが起きるという点に面白さを感じたと応じている。

「天下の値段」という題名と、江戸の情報網

題名が「大坂の値段」ではなく「天下の値段」である理由について、門井は、米価は大坂で決まるが、全国の主要都市にあるそれぞれの米市場がすべて大坂の米価を見ていたからだと説明する。

では電話もインターネットもない時代に、どうやって情報を全国に届けたのか。門井は当時の情報への執念が「すごい」と言う。地方の商人にとっては、他人より一日でも半日でも早く大坂の情報を知る方が取引で有利になる。安野はこれを、市場の情報をいち早く知って利益を得る現代の株式のフロントランニングになぞらえた。

その手段の一つが、大坂で日々取引をする商人が発行した一種の新聞である。今日の相場の動き、終値はこうだったという情報を顧客に売る。それが転売され、おそらく刷り直されながら地方へ広がっていった。門井はこれを経済ジャーナリズムと呼ぶ。当時の印刷は今より高価で、一枚刷りでも高いものだったが、その費用を払ってでも情報を得た方がさらに大きな利益を得られた。全国に届くまでには当然時間差があるが、各地方の市場の中では少しでも早く知る者が強かった。

もう一つ、門井が紹介したのが旗振り通信である。これは吉宗よりだいぶ後の時代に生まれたものだと門井は断っている。大坂から博多まで、途中の山の頂上に一人ずつ旗振り役が立ち、目のいい次の山の者がそれを読み取って順に伝えていく。所要時間を安野が尋ねると、門井は正確には分からないとしつつ、相当速く、走るよりは速かったと言われると答えた。天気に左右され、雨の日は精度が落ちたのではないかという。門井は、電子機器のない時代にそこまで速く情報を求めた人が全国にいたことに注目する。

安野は、現代では証券取引所の隣にデータセンターを置いたり、山を切り開いてでも直線の通信路を引いたりして時間を稼ぐことがアメリカなどで行われていると指摘し、時代は違っても同じ力が働いていると述べた。門井は、人間の金銭欲にはきりがなく、江戸時代の通信技術やジャーナリズムは間違いなく金銭欲によって発達したし、それは今後も変わらないだろうと語った。

紀州から来た「田舎者」吉宗の成長

対する吉宗はどういう人物だったのか。門井によれば、吉宗は江戸生まれではなく和歌山生まれで、将軍家の御三家の一つである紀州藩の藩主の息子だった。四男だったかと門井は記憶をたどりながら話し、本来なら藩主にはなれない立場だったが、兄たちが病気で亡くなったことで半ば偶然に藩主になったと説明する。そこで藩政改革を行って経済的な結果を出したことが評価され、江戸に呼ばれて八代将軍になった。

ただし門井は、江戸に来た時点の吉宗はまだ「田舎者」であり、地方で結果を出したが江戸ではどうかという段階で、経済の知識もそれほどなかったと見る。最初は大坂の商人を苦々しく思いながらも、違反すれば処罰すると言うくらいしか手を打てなかった。しかし次第に大坂のやり口を学び、どうすれば手数料が取れるか、どうすればコントロールできるかを考えるようになる。先の入札手数料の御触れも吉宗の時代のものだが、それが失敗すると、今度は入札以外の取引からも手数料を取るように改める。吉宗の側もアップデートしていくのだ。抜け道と対策を繰り返すうちに双方が成長し、とくに吉宗は経済的な知見の面で大きく成長したと門井は述べる。

データを好んだ将軍

安野が吉宗の数字への感覚を尋ねると、門井は「数字大好き」だと即答した。江戸城の奥でふんぞり返っているかと思えばそうではなく、部下に数字を持ってこさせては眺めていた。今年は全国のどこで何がどれだけ取れたか、という数字である。門井は、今の我々でいうデータ好きであり、吉宗に今のタブレットを渡したら10枚くらい並べて見ているだろうと冗談交じりに語った。大坂とのバトルの中で吉宗が成長できた理由の一つはこの性質にあると門井は考えている。

安野はここから令和の米騒動に話をつなげた。適正な米価はいくらなのか、また米の収穫を示す作況指数を農林水産省がそろそろ廃止するという話も出ている中で、事実を正しく把握することが重要なのに、吉宗は当時から数字を見ながら意思決定していたのが面白いという。門井も、その点では現代の政治家を先取りしていると応じた。

令和の米騒動は「現状把握」の失敗だという安野の見方

安野は、今回の米騒動で一番の問題は現状を把握できていないことだと主張する。一年経った今も、なぜ米価が2倍になったのか確たることが分かっていない。政府は作況は平年並みで需要もそれほど変わっていないとしている。それでも価格だけが倍になっている理由が分からないまま、あれをやればいい、これをやればいいという案が出ている、というのが安野の認識だ。

そこで安野と、自身の率いる政党の立場として「我々」が提案したいのは、対策の前にまず何が起きているのかを把握できる仕組みを作ることだという。どこにどれだけ米があるのかをリアルタイムで共有し可視化する。そうすれば、収穫が実は政府統計と違っていたのか、精米の過程で米が砕けやすくなって歩留まりが悪化したのか、あるいはどこかの卸業者が大量に溜め込んでいるのか、といったことが分かるはずだと安野は述べた。見えないブラックボックスだからこそ「誰かが買い占めているのではないか」という疑いが生まれる、と話はつながっていく。

なぜ米だけが特別視されるのか

門井は、江戸時代の実態としては、大坂商人が欲しいのは結局お金であり、米を大量に抱えてもそれほど儲かるわけではないので、実はそれほど買い占めは行われていなかったと話す。それでも日本の社会では伝統的に、米価が上がると必ず誰かが買い占めていると言われる。門井はこれを感情の問題だと見る。

その根拠として門井が挙げるのが他の作物との対比だ。トマトが高くなっても誰が買い占めているのかとはあまり言わない。安野も、キャベツが1000円を超えても「今年は取れなかったのかな」と受け止められるのに、米だけは皆が異様に神経質になると同意した。門井は、その背景に江戸時代から米が銭と並ぶ経済の中心だったことがあると考える。今は米が経済の中心ではなく、投資目的で取引されることも基本的にはないが、その記憶が残っていて、日本人にとって米は良くも悪くも数字では割り切れない感情の対象になっている。宗教的な心理とまでは言えないかもしれないが、と門井は留保している。安野は、今回の米騒動で批判が殺到したのもそれが米だったからだろうと応じた。

吉宗の二つの工夫:自前のデータとブラックボックスの活用

では吉宗は、見通しの利かない大坂の市場にどう向き合ったのか。門井は二つの考え方を挙げる。

一つ目は、独自にデータを集めることだ。大坂には幕府の出張所である大坂町奉行があり、そこに報告をさせることもできたが、吉宗はそれ以外にも独自のルートで数字を集め、報告の数字そのものを自分の目で吟味した。

二つ目は、ブラックボックスはある程度しかたがないと割り切り、それなりに利用するという発想である。江戸から大坂の様子を100%把握することなどできない。吉宗にとって米価は上がりすぎても下がりすぎても困るもので、安定して真ん中あたりを推移してほしい。そこで米価が下がってきたとき、吉宗は大坂の商人に帳合米取引を認めた。

帳合米取引という「先物市場」の公認

門井は帳合米取引を、今でいう先物取引、デリバティブ取引に近いものだと説明する。「帳」は帳面、「合」は合格の合、「米」は米で、手帳で取引するという意味だ。紙に筆で「いくらで売った」「いくらで買った」と数字を書くだけで売買し、後でまとめて清算して、差額分の損得を確定させる。現物の米はいらないし、大名が発行する米の証券である米切手すらいらない。筆と紙さえあれば誰でもできる取引だった。

当然、幕府はそんな危ない取引を認めるはずがなく、それまで大坂の商人は違法状態、あるいは黙認状態で行っていた。安野も、現代ですら先物取引はかなり規制されていると指摘する。ところが吉宗は、米価が下がりすぎたとき、帳合米取引を認めれば皆が盛んに取引をして価格が上がるのではないかと期待し、これを公認した。門井はこれを「結構革命的なこと」だと評する。

安野は、吉宗の時代は西暦1730年ごろであり、その時代に先物取引を公式に実装したのは世界で最初かもしれないと述べ、門井も同意した。門井は、吉宗は本当は危ない取引を認めたくなかったかもしれないが、現実に米価が下がっていて、それを上げる手段として有効かもしれないとなれば、危ないブラックボックスであっても認めてしまう人物だったと見る。現実に動いているものは、嫌でも認める。数字を自分で見ることと並んで、これが吉宗の考え方の大きな柱だったと門井はまとめた。

予測市場・フューターキーとの共通点

この話を受けて安野は、暗号通貨界隈などで議論されている予測市場を紹介した。市場には多くの人の知恵が価格として織り込まれるので、政策の判断にそれを使うべきではないかという「フューターキー」と呼ばれる考え方がある。たとえば消費税減税をするかどうかについて、減税した場合の1年後、2年後のGDPが上がるか下がるかを予測させ、正しく予測すれば儲かる仕組みにする。すると知恵や情報を持つ人やシンクタンクが経済的インセンティブに引かれて参加し、出てきた結果は皆の知恵の結晶として比較的信頼できるのではないか。その結果を判断材料の一つにすればよい、という議論だ。安野は、吉宗の発想とこれに通じる部分があると感じたと話した。

門井は、吉宗が取引を認めるからには、おそらく同じことを自分の頭の中でやったのだろうと推測する。今と比べればデータは足りなかったかもしれないが、当時としては最も豊富なデータを持っていたのだから、それに基づいて頭の中でさまざまなシミュレーションを行い、一種の予測市場を作って判断したということは十分ありうる、と門井は述べた。

「いつの時代に読まれてもいいもの」を書く

最後に安野は、作家の後輩として、2025年夏に出すべきテーマのように時代に合ったこの題材にどうたどり着いたのかを尋ねた。門井によれば、書き始めたのは2年ほど前で、今回の米騒動は当然予想していなかった。ただ、米騒動は何年かに一度必ず起こるものであり、仮にこうした事件が起きていなくても日本人と米の複雑な関係はなくならない。門井はどの本でも、いつの時代に読まれてもいいものを書くことを心がけており、そうしていると、たまにこうして世の中の出来事にぴったり合う時がある、と語って対談を締めくくった。