団地、留年、借金を経て芸人へ さらば青春の光・森田哲矢が振り返る「遠回り人生」前編

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概要

新番組『遠回りのPLAYERS』は、人生で遠回りをしながら成功をつかんだ著名人を招き、「なぜ遠回りしたのか」「遠回りに意味はあったのか」を聞く対談番組である。MCは東大医学部に在籍するYouTuberのベテランち。初回のゲストはお笑いコンビ・さらば青春の光の森田哲矢である。森田が事前に描いた「人生グラフ」をもとに、幼少期から高校留年、借金、芸人デビュー、キングオブコント準優勝、そして相方のスキャンダルまでがたどられた。

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MC・ベテランち自身も「遠回り中」

冒頭でベテランちは自己紹介をした。1998年生まれの27歳で、灘中学・高校を経て東京大学医学部医学科に在籍している。一浪したうえに留年を重ねており、普段は友人たちとYouTubeチャンネル「雷獣」を運営している。登録者数は30万人ほどだが、「本当のすごいやつにはまだなってない」と本人は話す。

森田はメンバー全員が高学歴だと聞いて、雷獣を「クイズノックのダークサイド版」「闇クイズノック」とたとえた。ベテランちは、クイズノックを辞めた人を順番に出演させるなど「ぐにゃっとしたこと」をやっていると認めている。

ベテランちによれば、東大に入学した時点で勉強に飽きてしまい、医学は「意味わかんなすぎて」ついていけなくなった。3年生と4年生を繰り返し、4年生は今回で4回目だという。母親と約束したので卒業はするつもりだが、医師を仕事にするかどうかは分からない。視聴者のコメントでも「お前には診られたくない」とさんざん言われており、森田も「今のところやってほしくはない」と笑った。

差し迫った問題もある。収録の約2週間後に4年生の大きな試験があり、落ちれば強制的に退学になる。ベテランちの説明では、この「放校」になると東大の歴史から抹消され、履歴書にも書けなくなるらしい。6年生での国家試験なら落ちても卒業はできるが、4年生のこの試験は通らなければ卒業できない。森田が「どっちに進むんすか? どっちもバズるとは思うけど」と聞くと、ベテランちは毎日勉強していると答え、6年生で国家試験に挑むためにも「一旦進もうかな」と話した。森田は「遠回りっすね」と応じている。

団地育ちの野球少年と最初の挫折

森田は現在44歳である。人生グラフは1分ほどで描いたもので、森田は時間軸の配分が雑だと自分で突っ込みを入れていた。

生まれ育ったのは大阪の団地だ。実家は「極細」だが、周りもみな団地の子だったため、貧しいとは気づかなかった。高校に入って友人の家を訪ねたときに初めて、自分の家が貧乏だったと知ったという。

幼少期の森田は巨人ファンで、背番号8で4番を打つ原辰徳に憧れた。夢は「巨人でエースで4番」。団地のコンクリートの壁に石でストライクゾーンを描き、毎日ひとりで壁当てをしていた。

10歳ごろ、小学4年生で少年野球のチームに誘われて入団した。外野を守らされた初日、打球のフライを取れずに顔、右目のあたりに直撃し、そのまま帰らされた。それまで相手は壁しかおらず、生の打球を見たことがなかったのである。本人はこれを「初めての挫折」と呼ぶ。10年間追い求めた夢がここで崩れたという。周りの選手は自分の壁当ての2〜3倍の速さで投げており、どこでも通用しないと感じた。怪我をバネにもう一度頑張ろうとは思わず、6年生までは打者として続けただけだった。

中学のサッカー部と、パクりから始まったお笑い

公立中学に進むと、Jリーグブームが起きていた。カズやジーコ、アルシンドが話題になるなかで森田はサッカー部に入り、「Jリーグで俺はプロになる」と考えた。ベテランちは、後の天才芸人を思わせるエピソードが見当たらないと指摘し、森田も「ただミーハーなだけ」と認めた。サッカーでも小学校から続けている子のほうがうまく、レギュラーにはなったものの、プロは到底無理だと悟ったという。

一方で、学校では面白い存在として扱われていた。大阪の学校では休み時間に漫才やコントをやる文化があり、森田もその一人だった。そのころ大阪では心斎橋筋2丁目劇場のブームが起き、千原兄弟、ジャリズム、陣内智則、ケンドーコバヤシ、サバンナ、中川家らが人気を集めていた。森田は深夜番組で千原兄弟などをいち早く見ており、「1番早くにそこにタッチした人間」だと自負している。

特に面白いと思ったのが、後にザ・プラン9を組むお〜い!久馬さんのコンビ、シェイクダウンだった。森田はそのネタを丸ごとパクり、友達に教えて休み時間に披露し、大爆笑を取った。相方役の友人にも元ネタは明かさなかったが、後にばれて白い目で見られたという。ベテランちも関西出身で、文化祭で漫才をした経験があり、同級生がナイツのネタをまねるのは見たことがあると話した。ただ、当時誰も知らないシェイクダウンをパクる例は珍しいと驚いている。

森田によれば、野球やサッカーには出会うのが遅かったが、お笑いには「最速」でたどり着いていた。その後2丁目ブームが広がると、何をパクってもみんなが知っている状態になったため、オリジナルのネタを作るようになった。漫才もコントも中学までは続けたが、高校では恥ずかしくなってやめた。

皆勤賞なのに留年した高校時代

高校1年までは「面白いやつ」としてちやほやされた。しかし17歳の高校2年で留年する。普通の高校生は出席日数不足で留年するが、森田はほぼ皆勤賞だった。純粋に勉強ができなかったのである。学校生活は「めっちゃ楽しかった」という。

3学期には英語の先生から電話があり、このレポートを出せば単位をあげると言われた。森田はレポートを出したものの、最終的には7単位足りなかった。同じグループで遊んでいた友人たちもそろって留年し、学年300人余りのうち20人が留年したという。

森田はこれを、普通の公立高校ならではの現象だと考えている。いわゆるヤンキー校はテストも簡単で、先生も見逃してくれる。一方で平均的な公立高校では、入学することがゴールになってしまい、みんなサボるのだという。

留年は学校からの電話で家族にも知られた。3歳下の弟からは、それ以来ずっと「ゴキブリ」と呼ばれた。母親は、辞めて働くならそれでもいいという態度だった。それでも森田は、親のために卒業だけはしようと考えた。ベテランちはこれを聞いて「今の俺と一緒や」と重ね合わせている。

留年した20人のうち、学校に残ると決めたのは森田と一番仲の良かった友人の2人だけだった。その友人は、朝10時半ごろから放送していた『北斗の拳』の再放送にはまった。2本立てで終わるのが11時半ごろなので、そこから学校に行っても仕方ないという気分になり、1学期でだめになって辞めたのではないかと森田は振り返る。

森田自身は、留年時の担任だった体育教師から「どうせ前の学年の教室に遊びに行ったりして辞めるんだから、今辞めろ」と言われた。担任は、20年ほどの教師生活で出席日数が足りているのに留年させた生徒は初めてだ、自分の顔に泥を塗った、とも言ったという。森田はこれが悔しく、元の学年の教室には絶対に行かない、辞めない、という二つを自分に課した。そして4年間かけて卒業した。

知り合いのいない学年で浮いていた森田は、漫画『ろくでなしBLUES』の登場人物、川島をまねた。少年院帰りの留年生がドストエフスキーの『罪と罰』を読んでいる姿が格好よく見えたので、ブックオフで『罪と罰』を買い、休み時間はずっと読んでいた。アウトローを装って乗り切ったのだが、周りからは「あいつ全然読み終わらんやんけ」と思われていたらしい。ベテランちも、年下の同級生に囲まれた授業中に、YouTubeの作業をしているふりをしてパソコンを開いていると明かした。卒業式の日、泣いている1学年下の同級生を見た森田は、4年いた自分のほうが泣けると思ったという。

フリーター生活と消費者金融の「変態サーキット」

卒業後、グラフは少し上がる。ただ森田によれば、楽しくフリーターをしていただけだった。実家からは「リフォームするから出ていってくれ」と言われ、5分ほど離れた場所で一人暮らしを始めた。

最初のアルバイトは病院の売店の品出しだった。売店は温度が一定に保たれていて少し暑く、作業中に気持ち悪くなってだらだら働いていた。すると店長から「続けられそうなら明日来て、無理なら電話して」と言われ、翌日電話して辞めた。ほかにも派遣、パチンコ台の解体、カラオケ店など多くのバイトをしたが、どれも長続きしなかった。ベテランちが、今につながるきらめきのようなものはあったかと尋ねると、森田は「全くないかも」と答えた。ただのめんどくさがりだったのだろうと振り返っている。

やがて朝からパチンコ店に並ぶようになり、借金ができた。消費者金融3社からそれぞれ限度額の50万円ほどを借りていたという。当時は各社のATMが同じ敷地内に集まっていることが多く、返済日も会社ごとに違った。そこで、ある社で借りた金を別の社の返済に回し、返済すればまた借りられるので次の返済分を引き出す、ということを繰り返した。森田はこれを「変態サーキット」と呼ぶ。借金は少しずつ膨らんでいたが、なんとか持ちこたえていた。

見かねた同級生が、利息ばかり払うのはばからしいから自分が肩代わりする、自分に返していけと言って、全額を返済してくれた。しかし森田はカードを捨てず、再び限度額まで借りてしまう。その友人は2度目も肩代わりしてくれた。裁判所での手続きなども経て、最終的に友人への借金は100万円になり、それは今も残っているという。

「100万円か、売れてから300万円か」

芸人になってから、森田は100万円を返そうとした。ただ、100万円を貯めてそのまま返すのは少しもったいない気もした。そこで友人に「今100万円を返すのと、めっちゃ売れてから300万円にして返すのと、どっちがいいか」と尋ねた。友人は300万円を選び、そのため今も返していないという。ベテランちは、今の活躍なら払えるだろうと突っ込んだ。森田は払えないことはないとしたうえで、「さんまさんクラス」になったら返すと冗談めかした。向こうにも余裕があり、活躍を見られればいいというニュアンスだと説明している。

その友人は内装業を営み、子どもが3人いる。妻も森田の中学の同級生で、夫が森田に金を貸していることに怒っていた。定期的に友人から「嫁がマジでぶち切れてる」と電話が来たという。そこで森田は、関西の賞レースで勝ち進むたびに、まず友人の妻に連絡した。どの大会に通ったか、賞金はいくらか、どんなネタで挑むか、優勝すれば全額返せる、と報告したのである。しかし優勝はできなかった。大会が終わると妻から「相方の声、小さない?」と連絡が来ていたそうで、ベテランちは「社長みたいになってる」と笑った。

グラフを見直しながら、2人はこの時期の線をさらに下げた。借金を抱えていた時期も、お笑いを始めた直後も、実際にはもっと低かったはずだと森田は言う。

残った20万円で松竹芸能の養成所へ

森田がお笑いを始めたのは、25歳になる年だった。高校卒業から6〜7年たっていた。パチンコ店に入り浸る生活を続けながら借金を返し終えたとき、手元に20万円が残った。松竹芸能の養成所の入学金がちょうど20万円だった。

森田は、自分は社長にもなれないだろうし、この先の人生で多く稼げる可能性があるのは何かを「本当に冷静に」考えたという。その結果、億を稼ぐ可能性があるのはお笑いではないかという結論に至った。へこたれてはいなかったのかと聞かれると、周りは結婚し、ちゃんと働いていて、自分の人生をどうするか悩んではいたと答えた。借金を返している間は「真っ当な人間になろう」と思っていた。だが返し終えてから普通に就職しても、マイナスがゼロに戻るだけで、みんなより遅れただけになる。だから一発逆転を狙うしかないと考えた。ベテランちは、医師への道が狭まるにつれて親戚の目も厳しくなり、自分も逆転するしかないと感じていると共感した。

吉本ではなく松竹を選んだのには理由がある。当時の感覚では「松竹の芸人って誰がいたっけ」という程度で、ごぼう抜きできるかもしれないと思った。吉本は競争が激しい。森田が入った2006年当時、吉本の養成所には1000人ほどが入ったのに対し、松竹は20人ほどだったという。入学金は吉本が40万円、松竹が20万円。安いのに誰も入ってこない松竹を、森田はチャンスだと見た。

オーディションに受かって20万円を持っていくと、養成所の偉い人が最前列で一人ずつ現金を受け取って数え、おかきの空き缶に入れていった。列の一番後ろでそれを見ていた森田は、「逃げるなら今やな」「こんなところでスターになれるわけない」と思ったという。

余りものコンビから「さらば青春の光」結成へ

養成所の同期約20人は次々にコンビを組み、森田は最後に余った者同士で組んだ。コンビ名はカサブランカ。ときどきテレビにも出られ、関西の賞レースで一度勝ち進んだこともあった。最初はネタがめちゃくちゃ滑ったが、何となく続けるうちにできるようになったという。芸人仲間の間では、あいつらは面白いと言われるようになっていた。

2年ほどたったころ、相方が「しんどい」と言って辞めることになった。そのタイミングで東ブクロから声がかかり、さらば青春の光が結成された。東ブクロは大学を出てから入ってきた人物で、森田の記憶では大学で1年ほど留年していたかもしれないという。

キングオブコント準優勝、そしてスキャンダル

コンビ結成から4年目ほどの2012年、さらば青春の光は初めてキングオブコントの決勝に進み、「ぼったくりバー」のネタで準優勝した。当時中高生だったベテランちは、お笑いを一番熱心に見ていた時期にこの大会を見て「すごい」と思ったという。森田にとってこれは「行けたんや」と認められた瞬間であり、審査員席の松本人志と浜田雅功も見られたと振り返る。

ところが、ここからテレビに出まくるつもりでいた翌年、相方の東ブクロが先輩芸人の妻と関係を持っていたスキャンダルが発覚した。森田によれば、これで仕事は「全部なくなった」。周囲からは「今さらばと絡むのはやめとこうか」と言われ、強い疎外感を味わったという。事務所を辞めることになるのも、この出来事がきっかけだった。

後編へ:独立と、目標のない現在

番組の冒頭では、この先の話が一部だけ先に紹介されていた。森田によれば、事務所を辞めると伝えた最後に社長と食事に行き、「個人的には応援している」と言われた。ところがその翌日、松竹芸能から「彼らの活動を支え続けることが不可能になります」という発表が出たという。

森田はYouTubeについて、テレビのコンプライアンスが厳しくなるほど視聴者が自分たちのYouTubeに流れてくると話した。目標を問われると「これがないのよ」「全部場当たりやね、俺ら」と答えている。

前編は、スキャンダルでどん底に落ちたところで終わる。独立の経緯と、「あなたにとって遠回りとは」という問いへの森田の答えは、後編に持ち越された。