岡田准一が語る「本物」への執着:アイドルから『イクサガミ』の主演・プロデューサー・アクションプランナーまで
PLAYERS公式対談番組『夜明け前のPLAYERS』に、俳優の岡田准一が出演した。岡田は、Netflixシリーズ『イクサガミ』で主演、プロデューサー、アクションプランナーの三役を務めている。聞き手の成田悠輔が軸に据えた問いは、岡田がなぜこれほど「本物」にこだわり、自分を追い込むように働くのかという点だ。岡田は、アイドル時代に感じた劣等感、14歳で経験した後悔、10年ごとに区切ってきたキャリア設計、『イクサガミ』の現場で自分の名前を「言い訳」として使った方法までを語った。一貫しているのは、なりたい自分にしかなれない、という考え方である。
台本を読まない番組と「実」の時代
対談はカンペの話から始まった。成田によれば、この番組には元々カンペがあったが、成田がまったく読まないので徐々になくなったという。岡田は、大きなバラエティ番組では芸人がカンペを読みながら読んでいないかのように話すのが普通だと認めたうえで、全部自分の言葉で話すほうが実がある、多少ぎこちないくらいのほうが伝わると自分は感じる、と応じた。
成田はこの話を広げた。いまは、岡田の作品のように徹底的に作り込んで追求するか、その場で立ち上がったものをそのまま流すか、どちらかの時代ではないか。中途半端に作ったものの価値は薄れている、というのが成田の印象である。岡田もこれに同意し、プロデュースやアクションに関わるようになったいま、「実」があること、つまり感情に嘘が見えない殺陣をどう作るかに強くこだわっていると述べた。
役者とは「勘違い」をする生き物
では、どういうときに「嘘だ」と見えるのか。成田の問いに、岡田は役者という仕事の性質から答えた。役者は勘違いをしなければならない生き物だという。たとえば織田信長を演じるなら、自分は信長だと何日も信じ続け、資料を読んで蓄積する。そうすることで、台詞の一言一句を嘘なく話せるようになる。実を求めるために嘘をつく作業が役者だ、というのが岡田の説明である。
アイドル時代にも同じ構造があった。アイドルは作られた偶像だが、岡田はそこで、どれだけしんどくてもしんどい姿を見せない、応援する人を笑顔にするために笑顔でいる、ということを学んだ。いまもそれは守っており、Xなどで何があってもネガティブな発信は絶対にしないと決めている。作られたものを作られたものではないかのように信じ切れるか。岡田は、その「実」を求める姿勢を30年間、俳優業でもプロデュース業でも続けてきたと語った。
アクションの「嘘」と武術の「本物」
アクションにも明確な嘘と本物があるとして、岡田はスタジオで実演した。突きを相手に当てず、皮一枚のところで止める。そこで成田に後ろへ反応してもらうと、カメラの側からは当たったように見える。アクションではこの手法を使う。ただ岡田は、このアクションの技術だけを学ぶ道は選ばなかった。武術、つまり本物をおろそかにしてはいけないと考えたからだ。
その理由として、岡田は日本の時代劇アクションの歴史を自分なりに説明した。黒澤映画の時代には、振付師と武術家の両方が現場にいた。殺陣師が武術家にお伺いを立て、これは成り立つのかを確かめながら、本物と見せる側が共同で作っていた。勝新太郎らの世代の作品はそうして作られ、世界に受け入れられた。ところがテレビドラマの時代になると、予算の関係で武術家が現場からいなくなった。一方で殺陣師は「三代目何々」のように世襲化していった。岡田の見方では、こうした構造が続くと、よほど革新的なことを起こさない限り衰退してしまう。
子どもの頃に日本のアクションを担える人になりたいと願い、この構造を知った岡田は、まず本物を学び、そこからアクションとしてどう崩せるかを学ぶ必要があると考えた。いろいろな武術や格闘技を続けてきたのはそのためだという。
認められなかった10代と「大きなこと」を言う戦略
成田は、本物への強い欲求が生まれたきっかけを尋ねた。岡田は、父親がいなかったので、どういう男、どういう人になるのかを考えてきた、と答えた。
アイドルとして活動を始めた当時は、歌って踊るのが主流だった。SMAPがバラエティやドラマに出て道を切り開きつつあったが、スタッフの間ではアイドルが芝居をすることをよく思わない人も多かった。岡田自身、10代の頃に、アイドルが芝居をすると質が下がるといった趣旨のことをスタッフから直接言われたことがあるという。人気とは別に、誰かにちゃんと認めてもらうのは本当に難しい。そう分かったからこそ、本物になれば認めてもらえるのではないかと強く望むようになった。
14歳でデビューしたが、アイドルを長く続けられるとは思えず、ずっと辞めることを考えていた。20歳を超えてまだやれるのか、やれても25歳、10年くらいか、という感覚だった。そのなかで一番好きだったのが芝居である。ただ、下の立場から「やりたい」と言うだけでは聞いてもらえないことも、現実として分かっていた。そこで、自分のやりたいことを言えるチャンスが来たとき、あえて大きなことを言った。時代劇を安心して任せられ、時代劇を継承していける俳優になりたい。言葉が通じなくても世界に伝わるエンターテインメントをアクションで作れるようになりたい。この二点を掲げ、だから芝居がやりたい、映画がやりたいと話した。そのためには勉強しなければならないと考え、アクションを学び始めて今に至る、と岡田は振り返った。
「なりたい自分にしかなれない」
成田が「すごすぎる人生」と言うと、岡田は大したことではないと返した。むしろ道がなかったので、どうとでもなれる時代だったという。いまのアイドルは、歌もダンスもバラエティも芝居もできるのが当たり前と思われ、本人たちもそう思っている。道が多いぶん、どれをやればいいか分かりにくい。岡田たちの頃は「そんなことにチャレンジするのか」という空気で、応援してもらえることも、優しく見守ってもらえることも多かった。先輩や後輩も含めてアイドルがさまざまな分野に広がっていく時代で、自分はたまたま映画が早かったのでイメージがつくのも早かった。ラッキーだっただけだ、と岡田は言う。
20代には格闘技にのめり込み、体がゴツくなっていくのを見て「あいつはどこを目指しているんだ」と言われ続けた。それでも岡田は、人は自分がなりたい自分にしかなれず、他人がなってほしい自分にはずっとなれないと思う、と述べた。なりたい自分を探せたことは幸せで、なりたい自分になったうえで褒めてもらえるほうが幸せだと分かっていた、とも言う。
10年ごとのキャリア設計と「年下の男」ブームへの反動
岡田は、アイドルとしての期間、俳優としての期間をはっきり決めないと、どれに対しても不誠実になると考えた。14歳から24歳まではアイドルとして求められることに応える。24歳から34歳までは俳優をきちんと目指し、少しずつ体を大きくしていく。
背景には当時の時代の空気があった。岡田によれば、10代から20代前半の頃は女性のキャリア進出の時代で、ドラマでは女優が主演し、男優は主演ではないことが多かった。プー太郎のような役や、年下の男ブームがあり、世間では「大人の男はどこへ行ったのか」「信頼できる男はどこへ行ったのか」と言われ始めていた。岡田自身も年下の男ブームに乗り、ananの表紙を務めるなど「いい思い」をしたと認めている。それでも、このままでは30代、40代が厳しいと感じた。男性が信頼される時代を作りたい、作れる人になりたいと心の中で思っていたという。
そのなかで生まれた作品の一つが『SP』である。岡田の説明では、いまは戦う社会ではないので攻める側は描けない、だから守る側をやろう、という提案が脚本家から来た。現在の岡田には、ゴツくて強い主演男性というイメージがある。成田がそれは意識的に作り上げたのかと尋ねると、岡田は「時代の反動」だと答えた。
この選択には家庭環境も関わっていた。両親が離婚して父親がいなかったため、父親とはどういう存在か、大人の男とはどういうものかを、グループのメンバーなど周りの大人を見て、ここは好き、ここは真似しないでおこう、と観察するのが癖になっていた。20代の頃には、影がある、繊細で儚さがある、という役柄を強く求められた時期もあった。しかし岡田は、35歳くらいで繊細さを売りにするおじさんにはなりたくなかったという。なりたい自分になって、それでも応援してもらえるなら最高だ。応援は当たり前ではないので、そうなれたら応援してもらった分を返せる人になれるのではないか、と語った。
人生で唯一の後悔:14歳の阪神・淡路大震災
30年で2回の大きなギアチェンジを経るなかで、一番つらかったことや後悔はあるか。成田の問いに、岡田は一つだけ覚えている後悔を挙げた。
14歳のとき、阪神・淡路大震災が起きた。どういう大人、どういう男になるかを考えてきたはずなのに、実際に地震が起きて家族がパニックになったとき、姉が悲鳴を上げた。その声がとても怖く、岡田は「うるせえ」と言ってしまった。抱きしめて「大丈夫だ、しっかりしろ」と言ってあげることもできず、突き放したのだという。その後、下の階へ行ってガラスが割れていないか確認するなど、自分なりに正しい判断と行動はできた。それでも、女性に対して「うるせえ」と言ったことを今も悔やんでおり、絶対にやってはいけないミスだったと考えている。後悔と言えるのはそれだけだ、と岡田は言った。
成田がこれほどかっこいい後悔は聞いたことがないと言うと、岡田は否定しつつ、この出来事が「なりたい自分になろう」と決めさせてくれたと語った。困難であるほど悩みも大変さも大きいが、自分の中での結果も大きい。その後も『SP』や『イクサガミ』で同じことを経験しており、それを最初に教えてくれたのがあの地震だったと思う、という。
自分の才能は信じられないが、他人の才能は見える
成田は冗談めかして、岡田は「ドM」なのではないかと思っていたと切り出した。とてつもない追い込み方をするが、それはその後に大きな果実があると見通しているからなのではないか、という問いである。岡田は、追い込んでいる意識はまったくないと笑い、無謀でも無策でもない、「保険」があると答えた。
その保険とは、代表作の近くにいつも天才がいたことだ。『木更津キャッツアイ』では宮藤官九郎、『SP』では金城一紀、『永遠の0』では山崎貴、そして今回は藤井道人。この人と一緒なら勝てるかもしれない、と思える相手である。岡田は、自分だけでは自分の才能が分からず何も信用できないから、未来に向かってもがいているのだと思う、と話す。一方で他人を見れば、この人はいますごい、いま波に乗っている、ということは分かる。自分の才能は信じられないが、他人の才能は信じられる。だからいいタイミングで出会い、いいタイミングで仕事ができている、と岡田は説明した。
『イクサガミ』は、Netflixから「どの形でもいいから、この時代劇に参加してくれないか」という依頼で始まった。どの形でもいいならプロデューサーとしても入らせてほしいと岡田が申し出て、Netflix側からはアクションプランナーと、もちろん主演もと頼まれた。岡田が出した唯一の条件は、藤井道人を監督にすることだった。彼が無理なら考えさせてほしい、というほどだったという。
岡田を見て育った世代が現場の中心になった
岡田は、藤井たちの世代、つまり30代半ばから後半のスタッフがいま非常に勢いがあると話す。その世代は、岡田の若い頃の作品や、バラエティ番組で屋上から叫ぶ企画を見て育ち、「いつか一緒に仕事をしたかった」と言ってくれる。CMでも、クリエイティブの現場で腕を振るうプランナーたちがちょうどその世代だという。藤井もその一人で、「一度お仕事してみたかった」と言われて映画『最後まで行く』で組んだ縁が、今回につながった。
成田は、それでも今回の規模は想像を絶するもので、リスクや不確実性は避けられないのではないかと尋ねた。岡田の答えは、リスクは背負えばいい、ダメなら自分が消えるだけだ、というものだった。Netflixは今回かなりの制作費をかけている。岡田の考えでは、世の中の仕事は、才能を信じれば投資してくれるが、ダメならダメというものだ。今回ダメなら一生Netflixに出られないというだけで、ここで芸能生活が終わっても悔いはないという。
その理由として岡田は、すでに長くやれたことを挙げた。当時のアイドルは6、7年、長くても8年で解散するのが定番だったが、30年続けられ、これだけの予算の作品で主演できていることはほぼ奇跡だという。また役者の世界には、若いうちに売れるか35歳以降に売れるかに分かれ、35歳以降に売れると60〜70歳まで続けられる、それを超越するのは一人か二人しかいない、という「なんとなくの印象」がある。さらに、本当の代表作を44歳前後で手にできる人はラッキーだとされている。岡田は、44歳で『イクサガミ』がその代表作になればいいと考えて、ここ数年取り組んできた。仕事を長く続けると、たいていはチャレンジの機会を奪われていく。そのなかで挑戦を続けさせてもらえているのは本当に幸せだ、と語った。
成田の見立て:『SHOGUN』が黒船なら、『イクサガミ』は明治維新
成田は、社交辞令が苦手だと断ったうえで、『イクサガミ』は日本のドラマ史を一つ画するような「奇跡的」な作品だと評した。真田広之の『SHOGUN』が黒船のように日本のドラマを揺るがした存在だとすれば、そのあと新しいものを生み出していく明治維新のような過程の始まりが『イクサガミ』なのではないか。しかも作品自体が、幕末から明治維新に至る日本社会とアイデンティティの転覆を扱っている。そこが運命的だと成田は言う。
成田が特に評価したのは、異質な要素の組み合わせである。アクションや武闘の側面、明治をめぐる歴史物語の側面、サバイバルゲームや頭脳戦としての側面が同時にあり、しかも癖の強い俳優が大量に共存している。それが一つの作品として統合されている。物量や制作費のすごさは表面的にも分かるが、それを超えた「謎の熱量」が異質なものを一つの塊に消化する魔法をかけている、というのが成田の感想だった。
時代劇を「上の世代のもの」から解放したい
岡田はこれに、そういう魔法のようなタイミングは起きるものだと応じた。岡田には、34歳から44歳までは俳優業、44歳からはプロデューサーなど制作側にきちんと関わる、というプランがあった。44歳で形にするには40歳ごろから動き出さなければならない。その方法を話し合っていたところに『イクサガミ』が来たという。
それまで岡田は、東宝の『関ヶ原』などの大作時代劇に主演してきた。時代劇はお金がかかるため、映画会社が力を入れて作り続ける企画がある。その次をどうするかという時期だった。原作者の今村翔吾は時代ものを書き続けてきた作家だが、今村作品のなかでも『イクサガミ』は異質だと岡田は感じた。時代劇を上の世代が見る古いものとしてではなく、いまの人にどう見てもらうか。岡田はそれをずっと課題にしてきた。攻めた時代ものを若い世代で撮れるのではないか、と考えたという。
同じ頃、『SHOGUN』が大ヒットした。岡田は、真田広之ら二世代ほど上の偉大な俳優たちが世界に日本を伝えてきたことを尊敬していると述べた。岡田によれば、それまで世界から見た日本人は芸者などのイメージで、きちんと描かれないことが多かった。『SHOGUN』は海外制作だが、日本人が入り、スタッフも現地に行ってきちんと作り、世界に認められた。では、日本でずっと時代劇を作ってきた自分たちに何ができるのか。
岡田は子どもの頃の夢をあらためて語った。時代劇ができるようになること。言葉が通じなくてもアクションで世界に評価され、商売として売れ、日本の市場が潤い、制作費が上がり、スタッフにもっとお金が回ること。そのために始めたアクションを、世界に見てもらえる可能性が高いNetflixでやるべきなのは、このタイミングかもしれない。Netflixの高橋という人物から話が来たとき、これが自分のプロデュースする作品なのだと直感したという。
ベテランになるほど難しくなる「挑戦」
岡田は、若い世代の才能が才気にあふれているのを知っていることが、仕事を辞めなかった理由の一つでもあると明かした。長く見てもらっている分、自分はもう大きく変われない。細かった若い頃から男っぽく見られるようにモデルチェンジしたような大きな変化は、もう起こせないのではないかと話す。
岡田の考えでは、作り手がワクワクドキドキしているからこそ、見る人もワクワクドキドキできる。ところが年齢を重ねると経験でこなすようになってしまう。「もっとやれるだろう、もっと限界を見せろ」と人にも求め、自分にも求める。そういうやり合いがクリエイティブで人の心を動かすはずだが、安心安全の世の中では「頑張って」とも「一緒に頑張ろう」とも言いにくい。「頑張っているよ」と返されてしまう。それでも、限界を問い合うやり方が一番しんどく、一番ワクワクでき、結果として一番楽しいことを知ってしまっている。その方法を模索しているなかで、『イクサガミ』では極限を掲げられる若いチームが集まり、それができた、と岡田は語った。
三つの役割は脳がまったく違う
成田は、三役を兼ねるとキャパシティ的に無理ではないか、何を自分が見るべきことと決め、何を外側と線引きしているのか、と尋ねた。岡田は難しいと認めたうえで、それぞれの役割の違いを説明した。
プロデューサーは、言わないことが大事な場面もあり、予算面も含めてストップをかけ、作品を成立させるために走らなければならない。アクションプランナーは、クオリティをめぐって戦い抜きたい立場で、「やれやれ」と思わなければならない。俳優は勘違いをしていかなければならない。たとえば壊し物の撮影では、アクションプランナーとプロデューサーとしては何枚必要で一ついくらかかるかを全部把握しなければならない。しかし俳優としては「一つしかない」と思いながら壊すと緊張してしまうので、知らないほうがいい。脳が全部違う、と岡田は言う。成田が「予算のことを考えている役者はちょっと嫌」と言うと、岡田は同意しつつ、知ってしまっているので忘れることもできないと笑った。
自分の名前を「言い訳」として使う
そのなかで岡田が優先したのは、自分が「言い訳」になることだった。これまで頑張ってきた名前をうまく使うのである。
例として挙げたのは、炎の中で本人が燃えるシーンだ。普通なら誰もが、そんなことはやらせられないと思う。しかしプランナーとして岡田が「俺、燃えたいんだよね」と言うと、周囲は絶句する。本人でなければ正面から撮れないでしょう、というのが岡田の理屈である。伊藤英明も燃えるシーンがあり、誰が伝えるのかとなったとき、岡田が「役者人生で一度燃えてみたくないですか」と声をかけると、伊藤は「面白そうです」と応じたという。スタッフは、長時間燃えても熱くならず環境にも優しいジェルを世界中から探し、植物性のものを見つけてきた。
一方で、もう一人のプロデューサーは当然止めたい立場だ。保険はどうするのか、怪我をしたらどうするのか。正面から撮らなくても後ろから撮ればいい、世界中がそうしている、CGでやればいい、という意見も出る。しかし岡田のプランは、昔の時代劇や日本の歴史を踏襲しながらアップデートを目指すことだった。人のアクションはCGではなく自分たちの体でやり、長回しでその場で戦っている様子を撮りたい。そのため火の中の戦いでも、スタッフが防火服を着て火の粉の中に入り、手持ちカメラで撮影した。火の粉が役者の目に入ったら誰が責任を取るのか、という問いが出ても、「岡田が言っているからしょうがない」とオブラートに包める存在になれる。それがプロデューサーになった意義だと岡田は語った。
これはアクション以外でも使えるという。岡田は25歳ごろ、『SP』の頃から自分で振り付けをするようになり、「岡田が言っているなら」と周囲がより頑張ってくれることを知った。安心安全のなかでチャレンジしにくいなら、言い訳ができる状態を作ればもっとチャレンジできる。その若い頃の経験をフルに使うために、今回はプロデューサーという立場が必要だった。無茶をしようとすれば、立場上みんなが止めに来るからだ、と説明した。
コンプライアンスと「アクションは愛」
成田は、これは「准一流のコンプライアンスを乗り越える方法」だとまとめた。岡田はコンプライアンスを、守るために大事で、本当にいいことだと認めた。そのうえで成田は、人間やチームはコンプライアンスを理由に自主規制や遠慮を生みやすい生き物でもある、と付け加えた。
岡田が重視するのは、全員が心と愛情を持って動くことだ。誰かと一緒にものを作っている、自分だけではない、と意識できるかどうかで変わるという。アクションの怪我は乱戦で最も起きやすい。刀を振り上げたときに後ろにいる人に刺さってしまう事故は、日本の時代劇でもよく起きるという。そこで岡田は、撮影の朝一番に朝礼のような形で「アクションは愛なので、とにかく皆さんの体が大事。でもエネルギーはください」と話していた。何が大事なのかを全員が把握して進むことに、『イクサガミ』では特に注意していたという。
ロケ地でも同じやり方を使った。本物の場所で撮りたいと考え、一度断られても「どうしても本物の場所で撮りたいと岡田が言っている」ともう一度伝えてもらった。その結果、豊臣秀吉が実際に座っていた部屋などで撮影でき、以前の現場で「もう絶対貸さない」となった場所も貸してもらえたという。この場所が好きだ、どうしても映したい、という熱意は伝わるものだから、そういうことを丁寧に積み重ねるよう心がけている、と岡田は語った。
積み重ねてきたものが一度に集まった作品
成田は、その過剰な愛と執着が、バラバラな要素をつなぎ止める糊のような存在なのではないかと尋ねた。岡田は、体の使い方から時代劇へ、時代劇から日本文化へと関心が広がり、後継者問題にも関わって、伝統文化や日本文化を伝える取り組み(字幕では「マイルズ」)を始めたことを紹介した。芝居でも日本文化でも「間」が大事だとずっとテーマにしてきたので、それを名前に込めたという。
そうした蓄積が『イクサガミ』の細部に表れている。Netflixで世界に見てもらえるかもしれないと考え、当時の暮らしを映したかったので祭りを入れた。人々の信仰を描くために神楽を入れた。最後の斬り合いは三途の川にちなんで川で終わらせたかった。炎、水、土、雨といった要素をどこかで全部使い、その場で戦っている画を作りたかった。葛飾北斎の絵を意識した、燃え上がる炎と川を上から捉えるカットを撮ってほしいとも考えていた。岡田は、これまで散らばっていたものを今回まとめて集められるタイミングだったと感じている。ただし、それをうまく混ぜられたかどうかはスタッフの力が大きいとも付け加えた。
藤井道人という「羊の皮をかぶった狼」と、世代の間に立つこと
岡田は、藤井道人を「稀代の天才監督」と呼び、「羊の皮をかぶった狼」と表現した。昭和の時代は「こうやるんだ、やれ」「走れ」で人を動かせた。いまはそうではない。こうすればいいことがある、こうすることに夢がある、こうしてほしい、というビジョンを持ち、どうすれば人が動いてくれるかをクレバーに考えられる人しか勝てない、というのが岡田の考えである。藤井は命令ではない人の動かし方ができ、現代で夢を叶えられる人だという。下の世代は、自分のやりたいことを人にやってもらうにはどうすればいいかを知っている、とも岡田は述べた。
岡田は、どこかで見て好きになったという「上の世代からは生き様を見て、下の世代から時代を感じろ」という言葉を紹介した。自分の言葉ではないと断ったうえで、40代半ばになってこの言葉を強く実感しているという。下の世代からは時代を作る力を感じ、上の世代からは生き様や、日本文化と伝統を守ってきた背中を感じる。その中間にいる自分は、時代と生き様の両方を醸し出せるやり方と伝え方ができたらいい。そう考えながら進んでいる、と岡田は話した。
対談はこのあと、成田が最近肋骨、特に11番と12番の浮遊肋骨に興味を持っているが誰も関心を示してくれない、という話に移る。字幕はそこで途切れている。
極寒の屋形船からお届けした前回、こんな慟哭をお届けしました。ゲストが来てくれないと。東京湾に向かってそう叫んでいたら、神様の思し召しがあったようです。
今日は超弩級のゲストにお越しいただいております。国民的アイドルから、主演と助演の両方を制覇する俳優。そして最近では映画プロデューサーであり、さらにはアクションや戦闘武闘のプランナーでもおありになるあの方です。日本の俳優界に屹立する岡田准一さんです。よろしくお願いします。
お願いします。よろしくお願いします。どうぞおかけください。
すごいっすね、オープニング。カンペもなく。この番組ですね、元々カンペがあったんですが、僕が全く読まなかったら徐々に消えていって。カンペが絶滅したテレビ番組という。
そう。何も見ずにね、こういう誰かを紹介するって結構難しかったりすると思うんですけど。でもそっちの方が心こもらないですかね。確かに。大きいバラエティ番組とか行くと、名人のような芸人さんがカンペを読んでるのに読んでないかのように見事に喋られるじゃないですか。
そうですね、まあ普通はね。ベースの流れの補足みたいなので出してくださったりとかして、チラチラ見ながらやるのが普通ですけど、全部自分の言葉の方が実がある。それでぎこちないぐらいの方が伝わるんじゃないかなって気が自分はちょっとするんですけど。どうですか?
いやいや、さすがだなと思って。さすが天才っすね。でもまあ、実の時代ですからね。これから実の時代っていうか、食べ直した方がいいんじゃないかっていう気がしていて。
そうね。嘘がない時代っていうか。岡田さんがやられた作品みたいに徹底的に作り込んだり、徹底的に追求していくか、あるいはその場で立ち上がるものをその場で垂れ流していくか、どっちかの時代なのかなと思って。そうっすね。中途半端に作るってものの価値がちょっと薄れてるような印象を持ってるんですけどね。
確かに自分も今求めている、プロデュースとかもさせてもらうようになって、アクションとか、実っていうか嘘がない、とか感情に嘘が見えないっていう殺陣をどう作ればいいかとか、そういうのはすごいこだわってやってます。
嘘があるっていうのは、逆にやっぱりどういう時、嘘だなって思われますか? うーん。そもそも役者っていう生き物を見ていくと、勘違いしなきゃいけない生き物。いわゆる勘違い、嘘の世界に自分が、例えば織田信長だ、織田信長だって何日も信じ続けて、読み続けていけるから、資料を読んで蓄積できるから、「お主はなんとかだ」っていうことが、その一言一句に嘘がなく喋れるようになるんですよね。実を求めるために嘘をついていく作業が役者という生き物だったし。
例えばその前、アイドルをやっていたんですけど、アイドルも作られた偶像ですけど、そこで学んだことって、やっぱいくらしんどくても、しんどい姿見せんなみたいな。笑顔にするために笑顔でいるし、頑張れって応援するために存在するから、だから未だに僕はそれだけは守るんですよね。Xとかなんとかあったとしても、ネガティブになることは絶対に発信しないって決めてたりとか。嘘……いい嘘を作ってたんですけど。
嘘じゃないんですよね。嘘じゃない。でも嘘というより、作られたもの、それを作られたものでないかのように信じきれるか。そう、その実を求め続けるのってのは、未だに俳優業でもプロデュース業でもずっとし続けている、30年間っていうか。
アクションを作るにしても、もう明確な嘘と本物ってあるんですよ。例えばですけど、ちょっといいっすか? ちょっと動いてくれって言われてるから、ちょっとだけ動きますけど。ここで、例えばここに入れるって言うとするじゃないですか。アクション的なこと言うと、今当たってないじゃないですか。これを本当に皮1枚のとこで止めるんすよ。で、これは体、嘘ついてないけど、これに成田さんが合わしてくれると……ちょっと合わしてください。って言うと後ろに合わせられます。そう。これで今多分こっちから見た時には当たってるように見える。だけどこれをアクションではやるんですけど、武術とか本物とかは無視してはいけないっていうか、アクションだけを学んでいくってことを、僕は選択しなかったんですよね。
それはなぜかと言うと、昔の黒澤映画時代とかには、アクションマン、いわゆる振付師と武術家が現場にいた。ですよね。勝さんとか、その世代の方は。で、それが世界に受けたんですよ。で、その後テレビドラマ時代に……。侍とその頃。そう、その頃は元々その武術家が現場にいたんですよ。先生みたいな感じで。で、それにその振り付け、いわゆる殺陣師がお伺い立てて、これはいいのか悪いのか、みたいなことで、本物といわゆる見せる側が共同して作っていた。でもテレビドラマの時代になった時に、予算の関係とかで武術家がいなくなった。で、世界に売れたから、振付師、殺陣師も世襲みたいになった。3代目何々みたいな。で、それが続いていくと、よほど革新的なことを起こせないと、やっぱちょっと衰退していってしまうので。
僕はそういう現状を、日本のアクションをやれる人になりたいって子供の頃に願った時に、それを勉強して、あ、そういう構造なんだなって思った時に、本物をちゃんと学ばなきゃいけない、で、本物からどういう風にアクションとして崩せるのかっていうことを学ばなきゃいけないっていうのをすごく思って、いろんな武術とか格闘技とかをずっとやり続けるみたいなことに進んでいったんですよね。
それが始まったきっかけはあったんですか? ここでその本物への猛烈な欲求みたいなのが立ち上がったみたいな瞬間とか。
ああ、きっかけはもう本当に、お父さんがいなかったから、どういう男になるかとか、どういう人になるのか。で、アイドルから始まったので、当時は歌って踊るっていうことが主流で、SMAPさんとかがバラエティとかで、ちょっとドラマとか出るようになって道が切り開かれていってた。でもやっぱりまだ世間っていうか、スタッフ内でも厳しくて、アイドルが芝居やるっていうのはあんまりよく思われてない時代だったんです。昔はそのスタッフ間でも、外っていうよりもスタッフ間でも、あんまり良く思わないスタッフも結構いる時代。
それはつまり、アイドルが本当の芝居なんてやれるのかっていう疑い? 質が下がるみたいなことを直接そのスタッフから言われたこともあるし、10代の頃とか。
だから本物になることを渇望するっていうか、本物にさえなれば認めてもらえるんじゃないかとか。誰かに認めてもらうっていうことが本当に難しいことなんだなっていうことを。人気とは別に、ちゃんと認めてもらうって、すごい難しいことなんだなっていうことが分かっていて。で、アイドルって長くできるっていうことを思えなかったので、ずっとやめる、やめるって考えて。14でデビューするきっかけをいただいたんですけど、14からデビューして、いくつまでできんのかなみたいなことをずっと思っていたので、リアルで言うと、20歳超えてまだやれんのかとか、やれても25、10年ぐらいかなみたいな感じが当時あったので。
ずっとやめるっていうことを考えてた時に、僕の中では芝居が1番好きだったから、芝居がやりたいってなってたんですけど、でもどっかやめるって考えてる自分と、相反する自分と進みながら、その自分がやりたいことを言えるチャンスをもらえて。その時に、やりたいっていうことだけだと、あまり人が、下から言った時に聞いてくれないってことが現実的に分かっていたから、ちょっと大きなことを言えるようにと思って。時代劇が演じられる、安心できる俳優になりたい。時代劇を継承していけるような俳優になりたい。あと、アクションで、世界に言葉関係なくても伝わるようなエンタメを作れるようになりたい。この2点を言って、そういう人になれるようになりたいから、僕は芝居がやりたいし映画やりたいっていうことを話したことがあって。それをずっと、その時からっすかね、やってるっていうか。本物になるんだったらっていうことで、じゃあ勉強しなきゃいけないよなっていうので、アクションを勉強し始めて今に至るっていうか。
すごすぎる人生じゃないですか? すごくない。全然大したことはないですけど、逆に言うと道がなかったんで、どうとでもなれる時代だったっていうか。今みたいに何でも揃ってるわけではないし。逆に「アイドルってすごいよね、何でもできて」って今の子たちの方が思われてるから。本人たちも思ってるし、何でもできるのがアイドルだって。だから歌って踊れて、バラエティやれて、芝居やれてって道がたくさんある分、どれやっていいかわかんないっていうか。僕らの頃は「そんなことチャレンジすんの」みたいなノリがまだあって。だから応援してもらえることも多かったし、優しく見守ってくれることも多かったし。むしろ何でもできるアイドルっていうものを切り開いたっていう感じですよね。
僕ら、僕だけじゃないですけどね。そう、先輩も含めて後輩も含めて、いろんな分野にバッて広がっていく時代に入れたから。僕は映画がそのアイドルの中でも早かったので、そういうイメージがつくことが割と早めにできただけで、ただラッキーなだけっていうか。でも、そんな大きな使命をそんな早い段階で担うんですかね。
まあ、希望ですけどね。やれたらいいなって最初に思っていたことを、何やってんだってずっと言われながらも。20代とかは特に格闘技やってるとか、ちょっとゴリゴリになっていくと、あいつどこ目指してんだって言われ続けて来たんですけど、やっぱ自分がなりたい自分にしか人間はなれないので。なってほしい自分には、やっぱりずっといられないと思うんですよね。自分がなりたい自分を探しただけ幸せだったなと思うし、そのなりたい自分にしかなれない。そこで褒めてもらえる方が幸せだと思っていることが分かってたから、先を見て徐々に体大きくして、みたいな。アイドルとしてはこの期間、俳優としてはこの期間みたいなのを決めないと、どれにも不誠実になっちゃうなっていうので、1個1個ちゃんと期間を決めて。
で、10年ごとに変えられてきたって感じですか? そうですね。大体10年ごと。14から24がアイドルとして、ちゃんと求められてることにお応えをしようって決めていて。で、24から34が俳優をちゃんと目指そうっていうので、ちょっとずつ体を大きくして。その時はやっぱり、僕の時代は本当に女性のキャリア進出時代っていうか、10代、20代の前半とかって、やっぱり女優さんが主演で男優さんはそんなに主演じゃないとか結構多かったんですよ。プー太郎の役とか。男どこ行ったとか、信頼できる男どこ行ったとか、年下の男ブームみたいなのがあって。大人の男ってどこ行ったんだみたいなのが世間で言われ始めてた時代で、自分的にはやっぱりちゃんと男が活躍できるものを30代でできないと、これはしんどいっていうのがあって。だから24までそれで行って、24からは結構ゴリゴリの男として活躍できるみたいなのを探し始めて。
そういう意識もあったんですね。はい。時代がそうなってるので、そのままだったらこれ30、40厳しいなっていうか。自分がなりたい男の人どこだって言われ続けている男性派だったので、いや、男の人が信じてもらえる時代作りたいなとか、心の中で思うじゃないですか。その相手役をやらせてもらってましたけど、年下の男ブームにめちゃくちゃ乗って、ananとかの表紙とかやらしてもらってたんで。いい思いをしたが。そう、すごいいい思いをさせてもらったんですけど、逆に男の人が信じれるとか、そういうのを作れない、作りたいなとか、作れるような人になりたいなとか、なりたいなっていうことを先に掲げて、じゃあアクションでとか。でも今は銃社会でもないから、攻める方は無理だから守る方で、SPで守りの盾みたいなのをやろうっていうのを、脚本の金城さんから提案が来たんですけど、今攻められないから守る方やろうみたいなので、それを番組をやったりとか。
今現在の岡田さんのイメージっていうと、むしろちょっとごつくて強い主演男性っていうイメージじゃないですか。それは結構意識的に作り上げた? そう、時代の反動っすね。年下の男の時にありがたく注目していただけるようになったんですけど、自分が30代、40代、上の世代になった時に、やっぱり人間として男性を信じてもらいたいとか。それは自分が大人の男になるために、父親がいなかったっていうか、離婚していなかった分、父親ってどういう存在なんだろうとか、父ってどうなんだろう、大人の男の人ってどうなんだろうっていうのを小さい頃から、グループのメンバーとか、わかんないですけど、みんな見てきて、ここは好き、ここはあんまり真似しないでおこうみたいなことを見るのが癖づいていた子供だったので。こういう人になりたいっていう像をしっかり持って進みたいっていうのが子供の頃からしっかりあったので、僕は35ぐらいでちょっと内向的っていうおじさんにはなりたくなかったんです。求められてはいた。
年下の男にはな。そう、いや、まあそうっすね。内向的で繊細なのをすごい20代で求められて。影があるとか、内向的で繊細で儚さがあるみたいなことをすごい求めていただいていた時期もあるんですけど、やっぱそんなおじさんになりたくないってあるじゃないですか。内向的で繊細なおじさん、信じれないでしょっていう。信じれないでしょっつったらあれですけど、なりたいわけでは僕はなかったんで。やっぱなりたい自分になって、それでも応援してもらえるんだったら、これは最高だなっていうか。応援していただくってことは当たり前じゃないので。自分がただでさえラッキーですけど、もっと自分がなりたい像になって、それでも応援していただけるんだったら、ちゃんと応援していただけた分返せる人になれるんじゃないかっていう思いですよね。
でもその2回大きなギアチェンジがあった30年で、1番辛かった時とか、後悔した瞬間とかおありになりますか? 後悔ですか? まあ、後悔は……。でも本当小さい時、14歳の時にあった後悔で言うと、僕1個だけ覚えてるのは、14歳の時に地震があって、阪神大震災があって。どういう大人になるのか、男になるのかって考えてきていたはずなのに、地震が起きていざ家族がパニックで。お姉さんとお母さんがいて、お姉さんがパニックになったんですね。ギャーって。で、その声がすごい怖くて、僕その時に「うるせえ」って言ったんですよ。これだけは本当に人生で後悔してるっていうか。なりたいっていうことをすごい掲げていったはずなのに、何か起こった時に抱きしめて「大丈夫だ、しっかりしろ」って言ってあげられるわけでもなく、突き離して「うるせえ」って言って。その後、下に行ってガラスが荒れてないかって、自分なりの正しい判断、行動はできたんですけど、でも14歳の自分は、女性に対して「うるせえ」って言ったことをすごく悔やんでて。これはもう絶対にミスだ、やっちゃいけないっていう風に思ってるのだけ、後悔で言うとあります。それ以外は、後悔はないっすかね。
それほどかっこいい後悔あんまり聞いたことない。いやいや、かっこよくないっす。それがちょうど職業人生のスタートっていう。そうそう、職業人生のスタートで。それだけは未だに、なりたい自分になろうと決めさせてくれた大きな……やっぱり大変なことだったっすけど、世の中的にも。でもその大変なことだったからこそ、何かを変えてくれるっていうか、きっかけをくれるっていうのは、その後も経験しているので。イクサガミもそうですけど、やっぱSPっていう作品もそうだったし、困難であればあるほど、そこで悩んだり大変だけど、結果は大きいっていうか、自分の中での結果は大きいっていうことを、その面でも知ってるので。それをくれたのは最初のその地震だと思いますけどね。
いや、僕、岡田さんはドMなのかなと勝手に思ってて。いやいや、Mじゃないです。とてつもない追い込み方されて。追い込んでる意識が全然。いや、でもそれはその後に来る果実が大きいっていうことを見通してらっしゃるのかなという意味で。変な性癖ではないんだなっていう。性癖ではないっすね。
でもずるいっすけど、やっぱ保険があって、保険があってっていうか、無謀じゃないし、無策ではないんで。僕は例えば代表作とかって、覚えていただいてる作品結構あって、その時にはやっぱ身近に天才がいるんですよ。芝居の天才ですか? いや、芝居の天才もそうですけど、『木更津キャッツアイ』だったら宮藤官九郎さんとか、SPだったら金城一紀さんとか、『永遠の0』だったら山崎貴さんとか、で、今回だったら藤井道人っていう監督だったりとか。この人と一緒だったら勝てるかもしれないっていう。自分自身、自分だけだったら才能とかわかんないんで、何も信用できないから未来についてもがいてるんだと思いますけど、良くなりたいとか、こういう人間になりたいとかっていうのも当然だと思いますけど、その人を見た時の、あの人は今すごいなとか、この人才能あんなとか、この人今波に乗ってんなっていうのは分かるんですよ。だからそういう人といいタイミングで出会えて、いいタイミングでお仕事ができているっていう、そこの力みたいなとこはすごいあって。自分の才能は信じれないけど、他の人の才能を信じれるから見えるし、そういうのはすごい意識してます。
今回も藤井道人君がいないとできないっていうのは最初から思ってましたから。なので、イクサガミはどの形でもいいんで、この時代劇に一緒に参加してくれないですかっていうのがNetflixさんから頂いた案件で。どの形でもいいんだったら、プロデューサーとしても入らしてくださいっていうので。で、向こうからアクションプランナーだと、主演ももちろんやって欲しいって言われて。で、僕が出した唯一の条件は、藤井道人と組ましてくれ。彼が無理だって言われたらちょっと考えさせてくれっていうぐらい、今この人と組むべきだとか、この人が熱いっていうのは、ミスってないっていうか、自分の中でミスってないし。だからすごい、その時いい人と組ませていただいてるっていうのがあるので。
乗る船を間違えなければ。そうっすね。その上で多少踊りが乱れても。そうですね。そういう人たちにちょうど一緒にやってもらいたい、そういう人たちがちょうど一緒にやりたいと思える素材じゃなきゃいけないので、ラッキーですね。藤井君たちの世代っていうのが今スタッフも含めてめちゃくちゃ熱いんですよ。30代半ばから30代後半っていうのが、すごい面白いスタッフが集まってきてて。その世代がちょうど僕の若い頃の作品とか見てたり、バラエティの屋上から叫ぶやつ見てたりとか、『学校へ行こう!』見てましたとか、いつか一緒に仕事したい方ですって言ってくれる世代が、ちょうど……。すごいいっぱいスタッフが、岡田さん見て育った世代がちょうど脂が乗ってきてる。ちょうど脂乗ってて、これめっちゃラッキーなんですよね。
CMとかもそうですけど、プランニングとかプランナーとか、ある程度クリエイティブに関してブンブン腕振り回してるクリエイターたちが今ちょうど見てた世代っていうので、いつか1回やってみたかったんですとかっていうのを。道人君もそうなんですよ。岡田さんとは1回やってみたかったっていうか、お仕事してみたかったんですっていうので、『最後まで行く』っていう作品をいただいて、その縁で今回、イクサガミもやるっていうので。僕はだから単純に運がいいです。
でもその強運を持ってしても、藤井さんとのコンビを持ってしても、今回のとか結構、想像を絶する規模感ですよね。いや、つまりリスクとか不確実性みたいなのはどうやってもあるんじゃないかなっていう気がしたんですけど。
リスクはまあ背負えばいいっていうか、もしダメだったら僕が消えるだけの話なんで。例えば今回、相当Netflixさんに気合を入れてもらって、制作費とかもかけてもらってますけど、クリエイターに対しては、その才能を信じたら投資はしてくれるんですよね。だけどダメだったらダメですよっていうのが世の中の、仕事のあり方だと思うので、そういう意味では今回かけてくれてダメだったら、僕が一生Netflixには出てないっていうだけの話ですから。変な話ですけど、自分がここで芸能生活は終わるっていうことに悔いはないんですよね。しょうがないかなっていう。むしろすごく長くできたなっていうぐらいか。
もう30年やってる。30年やれてるんで。そう、元々アイドルって6年、7年、8年で解散ぐらいが定番で。僕らの時代はそれがこんなに伸びて、30年もできて、こんなバジェットで主演で動かせて、ほぼほぼ奇跡なんで。役者の世界でも早めに売れるのか後半に売れるのかって分かれるんですよね。昔の説で言うと、若い時代か35以降かどっちかに売れて、35以降に売れると60、70までいけるっていうルールがあって、それを超越するのはもう1人か2人しかいない、っていうなんとなくの印象はありますよね。で、僕は割と長くやれてるのは奇跡なので。で、大体43、44ぐらいで本当の代表作っていうのが手に入る人がラッキーだとされていて、そういう意味で僕、44でこのイクサガミが代表作になればいいと思って取り組んでいるので。取り組んできたので、この何年間か。だから自分の中では本当にめちゃくちゃうまくいっている方なので。
いい時も悪い時ももちろんあるし、しんどい時もあるんですけど、本当に、逆にイクサガミ大変でしたけど、イクサガミに救われてるっていうか。やりたいことをやらしてもらえて、年を重ねてもチャレンジさせてもらえて。大抵チャレンジすることを、仕事長く続けていくと奪われていくんで。チャレンジさえさせてもらえないっていうのが、普通はお仕事って長くやっていくと、大抵の人はチャレンジを失っていくことが全てだと思うんですけど、長くやれてずっとチャレンジをさせてもらえてるっていうのは本当に幸せなことだなと思うし、運がいいなと思ってます。
でもそのいろんな要素が組み合わさって、そのイクサガミ見させていただいたんですけど。おっす。いや、すごい奇跡的な作品になってるなっていう。どう奇跡的ですか? いや、僕そもそもお世辞とか社交辞令を言うのが苦手な人間でして。全然全然。本当に素直に見たんですけど、すごい日本のドラマの歴史を1つ画するような作品なんじゃないかって気がして。ありがとうございます。特に例えば真田広之さんがやってた『SHOGUN 将軍』みたいな作品が、ある種の黒船みたいな存在で日本のドラマを揺るがしたとすると、その後に来た明治維新で新たなものを作り出すプロセスのスタートがイクサガミみたいな作品なんじゃないかって気がして。ありがたいっすね。それがちょうどその明治維新を扱っている。そうですね。やっぱ維新の歴史の作品でもあるっていうのが、すごく運命的なんじゃないかなっていう気がしたんですよ。
あらゆるものが絶妙に組み合わさっているなと思って。アクションとか、あるいは武闘とか戦闘みたいな側面もあれば、明治維新っていうものを巡る、あれは幕末から明治維新に至る日本社会と、そこで生まれたアイデンティティの転覆みたいなものを巡る歴史物語みたいな側面もあり、さらにはサバイバルゲームとか、ある種の頭脳戦みたいなゲーム的な側面も含まれてるじゃないですか。こういう全然異質なものが同時に組み合わさってるにも関わらず、ちゃんと全部が見事に融合しているっていうすごさが……。すっげえ見てくれてるっす。いやいや、で、しかも俳優さんたちも結構癖の強い人たちが大量に共存していて、それが1つの作品としてちゃんと統合されてるじゃないですか。それがすごいなと思って。もちろん物量がすごいんだろうな、制作費がすごいんだろうなみたいなことは表面的にまず分かると思うんですよ。でもそういうのを超えた謎の熱量が可能にする、異質なものを1つの塊に昇華する何かの魔法みたいなのがかかってる作品だなって思いながら拝見してました。
そういう魔法みたいなタイミングって起こるんですよね。このタイミングで僕は、34から44まで俳優期で、44からは制作にもっとプロデューサーとか、ちゃんとした立場で関われたらいいなっていうプランはあって。でもそのプランを44から始めるには、もう40ぐらいから動き出さないと44ではできないので。で、プロデューサーやるのどうすればいいんだみたいなことをずっと話し合ってたりとかしてた時に、ちょうどイクサガミが来てとか。
で、それがちょうど時代劇。僕は東宝さんで大きな時代劇みたいなのを、『燃えよ剣』とか『関ヶ原』とか。時代劇ってお金がかかるんで、その会社の矜持みたいな感じで作り続ける企画みたいなのが映画業界もあるんですよね。そういうのにありがたいことに主演をやらせていただいて、その次どうすんだってなってた時に、Netflixさんで時代劇やろうみたいなことが起こってきたりとか。
それで原作者の今村さんっていうのも時代物を作ってきてる方で、今村さんの作品読んでると、やっぱイクサガミってちょっと異質なんですよね。時代劇をどう今の方に見てもらえるのか、上の世代のものじゃなくてどう見てもらえるのかっていうのは、僕もずっと課題に思っていて。時代劇であると同時に時代劇じゃないですね。そうですね。昔の活劇って書いてたような、古い上の世代が見るものだよね、時代劇っていうものじゃなくて、やっぱり攻めた時代ものってのをどう作れるかなっていうことがテーマで。ここでそういうのを果たせるかもしれないと思ってPになって、それを若い世代で撮るのがいいんじゃないかとか。
で、その頃に、制作が進んでた『SHOGUN 将軍』がバーって大ヒットになって。尊敬してますけど、真田さんとかも、2世代上ぐらいの偉大な俳優さんたちは、世界にわーってやっぱ日本を伝えるってやられてて。世界からすると日本のイメージって、僕ら世代ってもうちょっと、日本人って言うと芸者なんたらみたいなので、ちゃんと描かれないことが多かったのを、『SHOGUN 将軍』って作品はちゃんと日本人が入って、海外制作ですけど日本人が入って、スタッフたちも行って、向こうでちゃんと作って世界に認められる、日本を知ってもらえるみたいなのを作って。でも日本でずっと時代劇を作ってきたんだっていう僕たちが、じゃあ何ができんのかっていうのを選んだのが、今村さんもそうですけど、これが今やるべき、次に出す時代ものができるんじゃないか、世界に見てもらえるようなものができるんじゃないかっていうのを。僕自身も子供の頃に描いた夢として、時代劇ができる、そしてアクションで世界に評価、アクションとして言葉が通じなくても商売として売れて日本の市場が潤う、制作費が上がる、スタッフにお金がもっといくっていうことを求めてアクションをやろうと始めたことが、もしかしたらここで、Netflixという世界に見てもらえる可能性が高い媒体でやるべきかもしれないっていうのは、このタイミングなのかもなっていうのは、Netflixの高橋さんっていう人から話が来た時に思ったっていうか。これがプロデュースする作品なのかっていうのを直感で思ったっていうか。
とてつもない全部乗せみたいになって。そうですね。全部乗せてどうバランス取んのかというか。で、若い世代の才能がほとばしってんのも知ってて、それがあって、その仕事やめないと思った理由の1つでもあるから。チャレンジできないとかっていうことに、自分なりのチャレンジはするんですけど、確変起こせないし、長く見てもらってる分変われないし。若い頃から細かった自分から、次モデルチェンジして男っぽく見られるようになったような確変はもう起こせないので。もう無理、わかんないですけどね。
だから、自分の中の変化が起きないから、自分にないように一生懸命だし。ワクワクドキドキできるからこそ、見てる人にワクワクドキドキしてもらえるはずなのに、年齢を重ねていくと経験でやるようになってきてしまうし。そんなのどうでもいいんだ、もっともっとくれ、もっとくれ、もっとやれんだろ、もっと限界見せろ、もっと限界出せるんだろみたいな。なんだろうな、人にも求められるし、自分も求めるしっていうのがクリエイティブで人の心を感動させるはずなのに、安心安全の世の中になっていけばいいけど、それはさせづらいし。頑張ってとも、一緒に頑張ろうよとも言いづらい世の中になるじゃないですか。頑張ってるよって言われてしまうし。だからでも、それが限界なのかとかって言わないけど、もっと才能見せてくれみたいな、やり合えるのが本当は1番ワクワクできて、1番しんどくて、1番結果楽しいことなのは知っちゃってるので、そのやり方をすごい模索してるってのはありますけどね。イクサガミではそれがすごいできたっていうか、それぞれがやっぱり極限までっていうことを掲げられるような、若い熱のあるチームが、人たちが集まっているので、そういう人たちが集まって作ったっていう、単純に。
その点、ご自身の役割みたいなのもモアモアで乗せまくってらっしゃるじゃないですか。主演でありながらプロデューサーでもあって、しかもアクションプランナーでもあるみたいなこと。そう、はい。その点ちょっと伺いたかったのは、そんなに組み合わせると、もうキャパ的に無理なんじゃないかって自然に思うじゃないですか。全部見るのは無理じゃないですか。いくつも組み合わせて優先順位をどうやってつけていかれますか? 何が自分が見なくてはいけないこと、自分がやらなくてはいけないことで、何はその外側っていう線引きを決めるんだろうっていうのが興味があったんですけど。これは難しいですね。
プロデューサーとしては、いわゆる言わないことが大事だったりして、予算面も含めてストップをかけなきゃいけないこととか、成立させるっていうことを走らなきゃいけないじゃないですか。で、アクションプランナーとしてはできるだけクオリティに関して戦い抜きたい。いわゆるやれやれって思わなきゃいけない。俳優としては勘違いをしていかなきゃいけないじゃないですか。だからここがもうバラバラすぎて。いわゆる壊し物って、これ壊すの何枚必要だとか。役者としては「これ1個しかないんですか」って思いながら壊すのって緊張しちゃうから良くないじゃないですか。でもこれが何個必要で、これがいくらかかってっていうことも全部把握しなきゃいけないのがアクションプランナーとプロデューサーだったりするから、脳が全部違うんですよね。
確かに予算のこと考えてる役者とか、ちょっと嫌ですもんね。嫌ですよね。でもまあ知っちゃってるんで。そう、忘れることもできないです。この撮りこのぐらいかかってるかなとか、それですごい揉めたんだよなとか、すごいあるあるじゃないですか。一応あるんですけど。
でも優先しなきゃいけなかったのは、自分がやっぱり言い訳になれるっていうこと。僕はもう最悪これで終わってもいいんで。でも自分が今まで頑張ってきた名前があるとかっていうことをうまく使える。例えばアクションだと、これはやらせられないって誰もが思う。炎に燃えますとか。でもプランナーとしては「俺燃えたいんだよね」って言うと、みんな「……え、本人が燃えるんですか?」「本人がじゃないと正面撮れないでしょ」みたいな。で、伊藤英明さんも燃えるんですけど、伊藤英明さんにじゃ誰が言うんですか? いや、俺が言いますよ。で、伊藤英明さんに「役者人生で1度燃えてみたくないですか?」って。「面白そうです」っていうわけでしょ。
で、スタッフたちに、長時間燃えても熱くないジェルとか、環境に優しいジェル探してくれって言って、環境に優しいジェルを世界中から探して。環境問題とかも含めて1番いいの探してくれとかって、植物性のものを探してくれたりとかして成立するんですけど。でもそういうのも、普通のもう1人のPは絶対止めたいわけですよね。保険とか、怪我したらどうすんだって。そんなに正面から撮れなくても後ろから撮ればいい、世界中がそうしてんだから。CGでなんならやりゃいいじゃないですかってなるわけじゃないですか。
でもそうじゃないっていうか、自分たちはその時代劇の昔のものを踏襲しながらも、日本の歴史を踏襲しながらもアップデートを目指してるから、この形をしたいんだっていうことが僕のプランニングとしてあるので、それを通していく中では、自分たちが体験をして、人に関してはCGじゃなくてちゃんと自分たちでやっていく。で、長回しで長いカットとか、場が戦ってることを撮っていきたい。だから火の中で戦おうが、カメラ前じゃなくて、スタッフも防火服着て、みんなが火の粉浴びながらカメラで撮る。じゃあ火の粉が役者の目に入ったらどうするんですか? 誰が責任取るんですか? っていうのを、岡田が言ってるからしょうがねえか、っていう、オブラートで包める存在になれるのが、プロデューサーになった意義なんですよね。
今アクションだけで言いますけど、それ以外でも使えるんですよ、「岡田が言ってる」って。今自分は、誰かのためになることをやりたいって思って、サポートできるようになりたいって思えるように年を重ねてなった時に、自分が頑張ってきた名前とかをうまく使って、安心安全でうまくチャレンジできないんだったら、言い訳ができる状態を作れば、よりチャレンジできるっていうのを、SPの頃から思っていた。20年前とか25歳ぐらいの時から、ちょっと無茶させて。あん時から振り付けたりもしてたから、「岡田が言ってんだ」とか「お前がやりたいアクションってどうなんだ」って、自分で振り付けるようにあの頃からなったので。岡田が言ってんだったらっていうことで、より頑張ってもらえたりとかすることを知っちゃってるんですよね、若い時の経験。それをフル活用できるために、今回Pという立場が必要だったからやったっていうか。自分がチャレンジするためには、Pという立場が……無茶するにはみんな止めにくるし。立場的には皆さん止めにくる。
燃えたいとか。准一流コンプライアンスを乗り越える方法っていう。コンプライアンス、まあ大事なんですけどね、コンプライアンスって。守るためにはもちろん大事で、本当にいいことだと思うんですけど、でも……。でもそれを超えて、人間とかチームって、コンプライアンスベースで自主的な自主規制、遠慮みたいなものが生まれやすい生き物でもあるじゃないですか。そうそうそう。愛情持って動くっていうか、全員が心を持って愛情持ってれば解決できることも、誰かと一緒にものを進めているんだっていう、誰かがいるんだっていう。元々日本人って和とかいうのって、やっぱ誰かがいるっていうことを考えて生きてるかどうかだと思うんですけど、ものづくりとして誰かがちゃんといるんだ、自分だけじゃないっていうか。
そういう現場作りも。怪我も、やっぱりアクションって乱戦で1番起きやすくて。1話とか、みんなわーってなった時に。乱戦しながら……だって階段か。そう、乱戦したりする時に、例えば刀を振り上げた時に後ろにいる人に刺さってしまうみたいな事件が日本の時代劇でもよく起こるんですよね。乱戦もあるから、刀って上に上げて落とすんですけど。だからとにかくアクションは愛だから、みたいなことを始まる前に、朝一に朝礼みたいなので僕は話して。「アクションは愛なんで、とにかく皆さんの体が大事だから。でもエネルギーが欲しいんです。だから1日お願いします」。頑張ってくださいみたいな。アクションの強みたいな。でもだから愛情伝えてるかどうかって変わってきたりするじゃないですか、コンプライアンスって。何が大事なのかっていうことをちゃんと全員が把握して前に進むみたいなのは、イクサガミではすごい注意していたし。
無茶にならないように、火もそうですけど、安全面だけはみんなで本当に何も起こらないようにとか。ロケ場所とかも、やっぱり僕は本物の場所で撮りたいんだっていうので、1回断られても、もう1回ちょっとバカのふりして、「どうしても本物の場所で撮りたいって岡田が言ってる」ってもう1回伝えてもらえないかって言ったら、オッケーいただいて。だから豊臣秀吉が実際座っていた部屋とか、そういう場所でロケしたりとか。へえ。
もう絶対貸しませんって前の現場とかでなっちゃったところとかも貸していただけたりとか、それってちょっとした思いだったり、この場所が好きだとか、この場所をどうしても映したいんだっていうちょっとした熱意とか魂とか伝わるものだからそういうものを丁寧にしていくっていうのは心がけてますかね。
うん。
はい。でもその過剰な愛と執着が、その全然バラバラな要素をつなぎ止めてる糊みたいな存在なんですかね。
うん。
まあ、日本文化とかもすごい僕は興味があって、体の使い方から日本文化とか時代劇とかやって、そういうのもおのずと興味を持って、後継者問題とかで、それで自分として何か貢献できないかっていうので、マイルズっていう伝統文化とか日本文化を伝える。これもやっぱり、人との間とかが大事だよねってすごい、お芝居とか、日本文化とか調べていった時代劇とかやっててもやっぱり間が大事なんだよねってずっとテーマに思ってるから、マイルズっていう名前をつけたりとかっていうのもあるんですけど、そういうやってきたことが繋がって、例えば時代劇やっててもやっぱり暮らしを入れたいなって思うから。
Netflixで世に見てもらえるかもしれないってのがちょっと多分あったから、その祭りを絶対入れたいとか、人々の信仰の中だから神楽は絶対入れたいとか、最後斬り合うところは川で終わりたいんだ、なぜなら三途の川っていうのがあって、みたいな。自分の中で炎が、マテリアル全部、水・火・土・雨みたいな全部入れたいから、どっかで全部使えないかとか、場で戦ってんのが作りたいみたいなこととか。
自分で暮らしを密着している、その当時の暮らしを映像にちゃんと映す、それが信仰につながったりとか、その逆さ絵とか、葛飾北斎の逆さ絵みたいなのを、最後燃え上がる炎と川で、それを厳を上のカットで撮ってほしいとか、そういうのが僕の中にちゃんとあるんですよね。
それって全部今まで蓄積してきたものっていうのを、いろんなとこから散りばめていたものが、今回集めることができたタイミングだったっていうのはすごく感じてます。それをうまく混ぜれたかどうかは、スタッフの力もすごくあるので、藤井君っていう、藤井道人っていう稀代の天才監督だと思いますけど、彼も本当にすごいので、羊の皮をかぶった狼っていうか。
今とにかくやりたいと思うものを人にやっていただくってすごい大変じゃないですか?大変な時代で、昔はやっぱり昭和の時代って、やれ、こうやるんだ、やれって言ってやってもらえた時代だったと思うんですよね。こうなんだ、走ろっていうことで全部動かせた時代が、今はそうじゃないので、こうやったらいいことがあるとか、こうやることに夢があるとか、こうやって欲しいんだっていうことをすごくビジョンを持って、どうしたら人が動いてくれるかっていうことをクレバーに考えれる人しか勝てないと思っていて、そういう意味では藤井君っていうのはすごいんですよ。
こうやれって言うじゃない人の動かし方と、現代の夢を叶えれる人だと思うし、そういう若き天才がやっぱり近くにいるっていうか、下の世代でものを叶える、自分がやりたいことをやっていただくためにはどうすればいいのかをやっぱり下の世代は知っている。
で、好きな言葉で「上の世代は生き様を見て、下の世代から時代を感じろ」っていう、自分の言葉じゃなくて、どっかで見た言葉なんですけど、それが好きで、ちょうど自分も40超えて半ばっていうと結構いい年になってきた時にすごいそれを感じるというか。
うん。下の世代からの時代を作っているパワーっていうのを感じながら、上の世代からはやっぱり生き様とか生きてきたあれとか、日本文化とか伝統とか守ってきた背中とか、そういうのを感じて、じゃあその中間なので、自分もその時代と生き様、両方を醸し出せるようなやり方と伝え方っていうのは、きっとできたらいいなと思いながら進んではいますけどね。
うん。
最近僕、肋骨に興味あるんですよ。肋骨の、あの胸椎12番と11番、冬骨に行くようになって。でもこの話誰も興味持ってくれないんで。
[笑い]
いや、今日、今日1番、今日本当ですか?
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