岡田准一が語る「本物」への執着:アイドルから『イクサガミ』の主演・プロデューサー・アクションプランナーまで

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概要

対談番組『夜明け前のPLAYERS』に、俳優の岡田准一が出演した。岡田は、Netflixシリーズ『イクサガミ』で主演、プロデューサー、アクションプランナーの三役を務めている。聞き手の成田悠輔が軸に据えた問いは、岡田がなぜこれほど「本物」にこだわり、自分を追い込むように働くのかという点だ。岡田は、アイドル時代に感じた劣等感、14歳で経験した後悔、10年ごとに区切ってきたキャリア設計、『イクサガミ』の現場で自分の名前を「言い訳」として使った方法までを語った。一貫しているのは、なりたい自分にしかなれない、という考え方である。

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台本を読まない番組と「実」の時代

対談はカンペの話から始まった。成田によれば、この番組には元々カンペがあったが、成田がまったく読まないので徐々になくなったという。岡田は、大きなバラエティ番組では芸人がカンペを読みながら読んでいないかのように話すのが普通だと認めたうえで、全部自分の言葉で話すほうが実がある、多少ぎこちないくらいのほうが伝わると自分は感じる、と応じた。

成田はこの話を広げた。いまは、岡田の作品のように徹底的に作り込んで追求するか、その場で立ち上がったものをそのまま流すか、どちらかの時代ではないか。中途半端に作ったものの価値は薄れている、というのが成田の印象である。岡田もこれに同意し、プロデュースやアクションに関わるようになったいま、「実」があること、つまり感情に嘘が見えない殺陣をどう作るかに強くこだわっていると述べた。

役者とは「勘違い」をする生き物

では、どういうときに「嘘だ」と見えるのか。成田の問いに、岡田は役者という仕事の性質から答えた。役者は勘違いをしなければならない生き物だという。たとえば織田信長を演じるなら、自分は信長だと何日も信じ続け、資料を読んで蓄積する。そうすることで、台詞の一言一句を嘘なく話せるようになる。実を求めるために嘘をつく作業が役者だ、というのが岡田の説明である。

アイドル時代にも同じ構造があった。アイドルは作られた偶像だが、岡田はそこで、どれだけしんどくてもしんどい姿を見せない、応援する人を笑顔にするために笑顔でいる、ということを学んだ。いまもそれは守っており、Xなどで何があってもネガティブな発信は絶対にしないと決めている。作られたものを作られたものではないかのように信じ切れるか。岡田は、その「実」を求める姿勢を30年間、俳優業でもプロデュース業でも続けてきたと語った。

アクションの「嘘」と武術の「本物」

アクションにも明確な嘘と本物があるとして、岡田はスタジオで実演した。突きを相手に当てず、皮一枚のところで止める。そこで成田に後ろへ反応してもらうと、カメラの側からは当たったように見える。アクションではこの手法を使う。ただ岡田は、このアクションの技術だけを学ぶ道は選ばなかった。武術、つまり本物をおろそかにしてはいけないと考えたからだ。

その理由として、岡田は日本の時代劇アクションの歴史を自分なりに説明した。黒澤映画の時代には、振付師と武術家の両方が現場にいた。殺陣師が武術家にお伺いを立て、これは成り立つのかを確かめながら、本物と見せる側が共同で作っていた。勝新太郎らの世代の作品はそうして作られ、世界に受け入れられた。ところがテレビドラマの時代になると、予算の関係で武術家が現場からいなくなった。一方で殺陣師は「三代目何々」のように世襲化していった。岡田の見方では、こうした構造が続くと、よほど革新的なことを起こさない限り衰退してしまう。

子どもの頃に日本のアクションを担える人になりたいと願い、この構造を知った岡田は、まず本物を学び、そこからアクションとしてどう崩せるかを学ぶ必要があると考えた。いろいろな武術や格闘技を続けてきたのはそのためだという。

認められなかった10代と「大きなこと」を言う戦略

成田は、本物への強い欲求が生まれたきっかけを尋ねた。岡田は、父親がいなかったので、どういう男、どういう人になるのかを考えてきた、と答えた。

アイドルとして活動を始めた当時は、歌って踊るのが主流だった。SMAPがバラエティやドラマに出て道を切り開きつつあったが、スタッフの間ではアイドルが芝居をすることをよく思わない人も多かった。岡田自身、10代の頃に、アイドルが芝居をすると質が下がるといった趣旨のことをスタッフから直接言われたことがあるという。人気とは別に、誰かにちゃんと認めてもらうのは本当に難しい。そう分かったからこそ、本物になれば認めてもらえるのではないかと強く望むようになった。

14歳でデビューしたが、アイドルを長く続けられるとは思えず、ずっと辞めることを考えていた。20歳を超えてまだやれるのか、やれても25歳、10年くらいか、という感覚だった。そのなかで一番好きだったのが芝居である。ただ、下の立場から「やりたい」と言うだけでは聞いてもらえないことも、現実として分かっていた。そこで、自分のやりたいことを言えるチャンスが来たとき、あえて大きなことを言った。時代劇を安心して任せられ、時代劇を継承していける俳優になりたい。言葉が通じなくても世界に伝わるエンターテインメントをアクションで作れるようになりたい。この二点を掲げ、だから芝居がやりたい、映画がやりたいと話した。そのためには勉強しなければならないと考え、アクションを学び始めて今に至る、と岡田は振り返った。

「なりたい自分にしかなれない」

成田が「すごすぎる人生」と言うと、岡田は大したことではないと返した。むしろ道がなかったので、どうとでもなれる時代だったという。いまのアイドルは、歌もダンスもバラエティも芝居もできるのが当たり前と思われ、本人たちもそう思っている。道が多いぶん、どれをやればいいか分かりにくい。岡田たちの頃は「そんなことにチャレンジするのか」という空気で、応援してもらえることも、優しく見守ってもらえることも多かった。先輩や後輩も含めてアイドルがさまざまな分野に広がっていく時代で、自分はたまたま映画が早かったのでイメージがつくのも早かった。ラッキーだっただけだ、と岡田は言う。

20代には格闘技にのめり込み、体がゴツくなっていくのを見て「あいつはどこを目指しているんだ」と言われ続けた。それでも岡田は、人は自分がなりたい自分にしかなれず、他人がなってほしい自分にはずっとなれないと思う、と述べた。なりたい自分を探せたことは幸せで、なりたい自分になったうえで褒めてもらえるほうが幸せだと分かっていた、とも言う。

10年ごとのキャリア設計と「年下の男」ブームへの反動

岡田は、アイドルとしての期間、俳優としての期間をはっきり決めないと、どれに対しても不誠実になると考えた。14歳から24歳まではアイドルとして求められることに応える。24歳から34歳までは俳優をきちんと目指し、少しずつ体を大きくしていく。

背景には当時の時代の空気があった。岡田によれば、10代から20代前半の頃は女性のキャリア進出の時代で、ドラマでは女優が主演し、男優は主演ではないことが多かった。プー太郎のような役や、年下の男ブームがあり、世間では「大人の男はどこへ行ったのか」「信頼できる男はどこへ行ったのか」と言われ始めていた。岡田自身も年下の男ブームに乗り、ananの表紙を務めるなど「いい思い」をしたと認めている。それでも、このままでは30代、40代が厳しいと感じた。男性が信頼される時代を作りたい、作れる人になりたいと心の中で思っていたという。

そのなかで生まれた作品の一つが『SP』である。岡田の説明では、いまは戦う社会ではないので攻める側は描けない、だから守る側をやろう、という提案が脚本家から来た。現在の岡田には、ゴツくて強い主演男性というイメージがある。成田がそれは意識的に作り上げたのかと尋ねると、岡田は「時代の反動」だと答えた。

この選択には家庭環境も関わっていた。両親が離婚して父親がいなかったため、父親とはどういう存在か、大人の男とはどういうものかを、グループのメンバーなど周りの大人を見て、ここは好き、ここは真似しないでおこう、と観察するのが癖になっていた。20代の頃には、影がある、繊細で儚さがある、という役柄を強く求められた時期もあった。しかし岡田は、35歳くらいで繊細さを売りにするおじさんにはなりたくなかったという。なりたい自分になって、それでも応援してもらえるなら最高だ。応援は当たり前ではないので、そうなれたら応援してもらった分を返せる人になれるのではないか、と語った。

人生で唯一の後悔:14歳の阪神・淡路大震災

30年で2回の大きなギアチェンジを経るなかで、一番つらかったことや後悔はあるか。成田の問いに、岡田は一つだけ覚えている後悔を挙げた。

14歳のとき、阪神・淡路大震災が起きた。どういう大人、どういう男になるかを考えてきたはずなのに、実際に地震が起きて家族がパニックになったとき、姉が悲鳴を上げた。その声がとても怖く、岡田は「うるせえ」と言ってしまった。抱きしめて「大丈夫だ、しっかりしろ」と言ってあげることもできず、突き放したのだという。その後、下の階へ行ってガラスが割れていないか確認するなど、自分なりに正しい判断と行動はできた。それでも、女性に対して「うるせえ」と言ったことを今も悔やんでおり、絶対にやってはいけないミスだったと考えている。後悔と言えるのはそれだけだ、と岡田は言った。

成田がこれほどかっこいい後悔は聞いたことがないと言うと、岡田は否定しつつ、この出来事が「なりたい自分になろう」と決めさせてくれたと語った。困難であるほど悩みも大変さも大きいが、自分の中での結果も大きい。その後も『SP』や『イクサガミ』で同じことを経験しており、それを最初に教えてくれたのがあの地震だったと思う、という。

自分の才能は信じられないが、他人の才能は見える

成田は冗談めかして、岡田は「ドM」なのではないかと思っていたと切り出した。とてつもない追い込み方をするが、それはその後に大きな果実があると見通しているからなのではないか、という問いである。岡田は、追い込んでいる意識はまったくないと笑い、無謀でも無策でもない、「保険」があると答えた。

その保険とは、代表作の近くにいつも天才がいたことだ。『木更津キャッツアイ』では宮藤官九郎、『SP』では金城一紀、『永遠の0』では山崎貴、そして今回は藤井道人。この人と一緒なら勝てるかもしれない、と思える相手である。岡田は、自分だけでは自分の才能が分からず何も信用できないから、未来に向かってもがいているのだと思う、と話す。一方で他人を見れば、この人はいますごい、いま波に乗っている、ということは分かる。自分の才能は信じられないが、他人の才能は信じられる。だからいいタイミングで出会い、いいタイミングで仕事ができている、と岡田は説明した。

『イクサガミ』は、Netflixから「どの形でもいいから、この時代劇に参加してくれないか」という依頼で始まった。どの形でもいいならプロデューサーとしても入らせてほしいと岡田が申し出て、Netflix側からはアクションプランナーと、もちろん主演もと頼まれた。岡田が出した唯一の条件は、藤井道人を監督にすることだった。彼が無理なら考えさせてほしい、というほどだったという。

岡田を見て育った世代が現場の中心になった

岡田は、藤井たちの世代、つまり30代半ばから後半のスタッフがいま非常に勢いがあると話す。その世代は、岡田の若い頃の作品や、バラエティ番組で屋上から叫ぶ企画を見て育ち、「いつか一緒に仕事をしたかった」と言ってくれる。CMでも、クリエイティブの現場で腕を振るうプランナーたちがちょうどその世代だという。藤井もその一人で、「一度お仕事してみたかった」と言われて映画『最後まで行く』で組んだ縁が、今回につながった。

成田は、それでも今回の規模は想像を絶するもので、リスクや不確実性は避けられないのではないかと尋ねた。岡田の答えは、リスクは背負えばいい、ダメなら自分が消えるだけだ、というものだった。Netflixは今回かなりの制作費をかけている。岡田の考えでは、世の中の仕事は、才能を信じれば投資してくれるが、ダメならダメというものだ。今回ダメなら一生Netflixに出られないというだけで、ここで芸能生活が終わっても悔いはないという。

その理由として岡田は、すでに長くやれたことを挙げた。当時のアイドルは6、7年、長くても8年で解散するのが定番だったが、30年続けられ、これだけの予算の作品で主演できていることはほぼ奇跡だという。また役者の世界には、若いうちに売れるか35歳以降に売れるかに分かれ、35歳以降に売れると60〜70歳まで続けられる、それを超越するのは一人か二人しかいない、という「なんとなくの印象」がある。さらに、本当の代表作を44歳前後で手にできる人はラッキーだとされている。岡田は、44歳で『イクサガミ』がその代表作になればいいと考えて、ここ数年取り組んできた。仕事を長く続けると、たいていはチャレンジの機会を奪われていく。そのなかで挑戦を続けさせてもらえているのは本当に幸せだ、と語った。

成田の見立て:『SHOGUN』が黒船なら、『イクサガミ』は明治維新

成田は、社交辞令が苦手だと断ったうえで、『イクサガミ』は日本のドラマ史を一つ画するような「奇跡的」な作品だと評した。真田広之の『SHOGUN』が黒船のように日本のドラマを揺るがした存在だとすれば、そのあと新しいものを生み出していく明治維新のような過程の始まりが『イクサガミ』なのではないか。しかも作品自体が、幕末から明治維新に至る日本社会とアイデンティティの転覆を扱っている。そこが運命的だと成田は言う。

成田が特に評価したのは、異質な要素の組み合わせである。アクションや武闘の側面、明治をめぐる歴史物語の側面、サバイバルゲームや頭脳戦としての側面が同時にあり、しかも癖の強い俳優が大量に共存している。それが一つの作品として統合されている。物量や制作費のすごさは表面的にも分かるが、それを超えた「謎の熱量」が異質なものを一つの塊に消化する魔法をかけている、というのが成田の感想だった。

時代劇を「上の世代のもの」から解放したい

岡田はこれに、そういう魔法のようなタイミングは起きるものだと応じた。岡田には、34歳から44歳までは俳優業、44歳からはプロデューサーなど制作側にきちんと関わる、というプランがあった。44歳で形にするには40歳ごろから動き出さなければならない。その方法を話し合っていたところに『イクサガミ』が来たという。

それまで岡田は、東宝の『関ヶ原』などの大作時代劇に主演してきた。時代劇はお金がかかるため、映画会社が力を入れて作り続ける企画がある。その次をどうするかという時期だった。原作者の今村翔吾は時代ものを書き続けてきた作家だが、今村作品のなかでも『イクサガミ』は異質だと岡田は感じた。時代劇を上の世代が見る古いものとしてではなく、いまの人にどう見てもらうか。岡田はそれをずっと課題にしてきた。攻めた時代ものを若い世代で撮れるのではないか、と考えたという。

同じ頃、『SHOGUN』が大ヒットした。岡田は、真田広之ら二世代ほど上の偉大な俳優たちが世界に日本を伝えてきたことを尊敬していると述べた。岡田によれば、それまで世界から見た日本人は芸者などのイメージで、きちんと描かれないことが多かった。『SHOGUN』は海外制作だが、日本人が入り、スタッフも現地に行ってきちんと作り、世界に認められた。では、日本でずっと時代劇を作ってきた自分たちに何ができるのか。

岡田は子どもの頃の夢をあらためて語った。時代劇ができるようになること。言葉が通じなくてもアクションで世界に評価され、商売として売れ、日本の市場が潤い、制作費が上がり、スタッフにもっとお金が回ること。そのために始めたアクションを、世界に見てもらえる可能性が高いNetflixでやるべきなのは、このタイミングかもしれない。Netflixの高橋という人物から話が来たとき、これが自分のプロデュースする作品なのだと直感したという。

ベテランになるほど難しくなる「挑戦」

岡田は、若い世代の才能が才気にあふれているのを知っていることが、仕事を辞めなかった理由の一つでもあると明かした。長く見てもらっている分、自分はもう大きく変われない。細かった若い頃から男っぽく見られるようにモデルチェンジしたような大きな変化は、もう起こせないのではないかと話す。

岡田の考えでは、作り手がワクワクドキドキしているからこそ、見る人もワクワクドキドキできる。ところが年齢を重ねると経験でこなすようになってしまう。「もっとやれるだろう、もっと限界を見せろ」と人にも求め、自分にも求める。そういうやり合いがクリエイティブで人の心を動かすはずだが、安心安全の世の中では「頑張って」とも「一緒に頑張ろう」とも言いにくい。「頑張っているよ」と返されてしまう。それでも、限界を問い合うやり方が一番しんどく、一番ワクワクでき、結果として一番楽しいことを知ってしまっている。その方法を模索しているなかで、『イクサガミ』では極限を掲げられる若いチームが集まり、それができた、と岡田は語った。

三つの役割は脳がまったく違う

成田は、三役を兼ねるとキャパシティ的に無理ではないか、何を自分が見るべきことと決め、何を外側と線引きしているのか、と尋ねた。岡田は難しいと認めたうえで、それぞれの役割の違いを説明した。

プロデューサーは、言わないことが大事な場面もあり、予算面も含めてストップをかけ、作品を成立させるために走らなければならない。アクションプランナーは、クオリティをめぐって戦い抜きたい立場で、「やれやれ」と思わなければならない。俳優は勘違いをしていかなければならない。たとえば壊し物の撮影では、アクションプランナーとプロデューサーとしては何枚必要で一ついくらかかるかを全部把握しなければならない。しかし俳優としては「一つしかない」と思いながら壊すと緊張してしまうので、知らないほうがいい。脳が全部違う、と岡田は言う。成田が「予算のことを考えている役者はちょっと嫌」と言うと、岡田は同意しつつ、知ってしまっているので忘れることもできないと笑った。

自分の名前を「言い訳」として使う

そのなかで岡田が優先したのは、自分が「言い訳」になることだった。これまで頑張ってきた名前をうまく使うのである。

例として挙げたのは、炎の中で本人が燃えるシーンだ。普通なら誰もが、そんなことはやらせられないと思う。しかしプランナーとして岡田が「俺、燃えたいんだよね」と言うと、周囲は絶句する。本人でなければ正面から撮れないでしょう、というのが岡田の理屈である。伊藤英明も燃えるシーンがあり、誰が伝えるのかとなったとき、岡田が「役者人生で一度燃えてみたくないですか」と声をかけると、伊藤は「面白そうです」と応じたという。スタッフは、長時間燃えても熱くならず環境にも優しいジェルを世界中から探し、植物性のものを見つけてきた。

一方で、もう一人のプロデューサーは当然止めたい立場だ。保険はどうするのか、怪我をしたらどうするのか。正面から撮らなくても後ろから撮ればいい、世界中がそうしている、CGでやればいい、という意見も出る。しかし岡田のプランは、昔の時代劇や日本の歴史を踏襲しながらアップデートを目指すことだった。人のアクションはCGではなく自分たちの体でやり、長回しでその場で戦っている様子を撮りたい。そのため火の中の戦いでも、スタッフが防火服を着て火の粉の中に入り、手持ちカメラで撮影した。火の粉が役者の目に入ったら誰が責任を取るのか、という問いが出ても、「岡田が言っているからしょうがない」とオブラートに包める存在になれる。それがプロデューサーになった意義だと岡田は語った。

これはアクション以外でも使えるという。岡田は25歳ごろ、『SP』の頃から自分で振り付けをするようになり、「岡田が言っているなら」と周囲がより頑張ってくれることを知った。安心安全のなかでチャレンジしにくいなら、言い訳ができる状態を作ればもっとチャレンジできる。その若い頃の経験をフルに使うために、今回はプロデューサーという立場が必要だった。無茶をしようとすれば、立場上みんなが止めに来るからだ、と説明した。

コンプライアンスと「アクションは愛」

成田は、これは「准一流のコンプライアンスを乗り越える方法」だとまとめた。岡田はコンプライアンスを、守るために大事で、本当にいいことだと認めた。そのうえで成田は、人間やチームはコンプライアンスを理由に自主規制や遠慮を生みやすい生き物でもある、と付け加えた。

岡田が重視するのは、全員が心と愛情を持って動くことだ。誰かと一緒にものを作っている、自分だけではない、と意識できるかどうかで変わるという。アクションの怪我は乱戦で最も起きやすい。刀を振り上げたときに後ろにいる人に刺さってしまう事故は、日本の時代劇でもよく起きるという。そこで岡田は、撮影の朝一番に朝礼のような形で「アクションは愛なので、とにかく皆さんの体が大事。でもエネルギーはください」と話していた。何が大事なのかを全員が把握して進むことに、『イクサガミ』では特に注意していたという。

ロケ地でも同じやり方を使った。本物の場所で撮りたいと考え、一度断られても「どうしても本物の場所で撮りたいと岡田が言っている」ともう一度伝えてもらった。その結果、豊臣秀吉が実際に座っていた部屋などで撮影でき、以前の現場で「もう絶対貸さない」となった場所も貸してもらえたという。この場所が好きだ、どうしても映したい、という熱意は伝わるものだから、そういうことを丁寧に積み重ねるよう心がけている、と岡田は語った。

積み重ねてきたものが一度に集まった作品

成田は、その過剰な愛と執着が、バラバラな要素をつなぎ止める糊のような存在なのではないかと尋ねた。岡田は、体の使い方から時代劇へ、時代劇から日本文化へと関心が広がり、後継者問題にも関わって、伝統文化や日本文化を伝える取り組み(字幕では「マイルズ」)を始めたことを紹介した。芝居でも日本文化でも「間」が大事だとずっとテーマにしてきたので、それを名前に込めたという。

そうした蓄積が『イクサガミ』の細部に表れている。Netflixで世界に見てもらえるかもしれないと考え、当時の暮らしを映したかったので祭りを入れた。人々の信仰を描くために神楽を入れた。最後の斬り合いは三途の川にちなんで川で終わらせたかった。炎、水、土、雨といった要素をどこかで全部使い、その場で戦っている画を作りたかった。葛飾北斎の絵を意識した、燃え上がる炎と川を上から捉えるカットを撮ってほしいとも考えていた。岡田は、これまで散らばっていたものを今回まとめて集められるタイミングだったと感じている。ただし、それをうまく混ぜられたかどうかはスタッフの力が大きいとも付け加えた。

藤井道人という「羊の皮をかぶった狼」と、世代の間に立つこと

岡田は、藤井道人を「稀代の天才監督」と呼び、「羊の皮をかぶった狼」と表現した。昭和の時代は「こうやるんだ、やれ」「走れ」で人を動かせた。いまはそうではない。こうすればいいことがある、こうすることに夢がある、こうしてほしい、というビジョンを持ち、どうすれば人が動いてくれるかをクレバーに考えられる人しか勝てない、というのが岡田の考えである。藤井は命令ではない人の動かし方ができ、現代で夢を叶えられる人だという。下の世代は、自分のやりたいことを人にやってもらうにはどうすればいいかを知っている、とも岡田は述べた。

岡田は、どこかで見て好きになったという「上の世代からは生き様を見て、下の世代から時代を感じろ」という言葉を紹介した。自分の言葉ではないと断ったうえで、40代半ばになってこの言葉を強く実感しているという。下の世代からは時代を作る力を感じ、上の世代からは生き様や、日本文化と伝統を守ってきた背中を感じる。その中間にいる自分は、時代と生き様の両方を醸し出せるやり方と伝え方ができたらいい。そう考えながら進んでいる、と岡田は話した。

対談はこのあと、成田が最近肋骨、特に11番と12番の浮遊肋骨に興味を持っているが誰も関心を示してくれない、という話に移る。字幕はそこで途切れている。