天野喜孝が語る、時代が変わっても古びない絵の描き方

YouTubeで開く ↗
概要

『ファイナルファンタジー』シリーズのイメージイラストやタツノコプロ作品のキャラクターデザインで知られる天野喜孝のアトリエを、成田悠輔が訪ねた。成田が問いかけたのは、ゲームの技術がこの30年で大きく変わるなかで、天野の絵はなぜ時代を感じさせないのかという点である。天野は「僕は全く変わってない」と答え、自分の仕事は頭の中の世界を絵にするところで完結していると説明した。対談はそこから、流行との距離の取り方、アニメーターから挿絵画家への転身、飽きることと長く続けることの関係へと進んだ。

10分で読めます

アトリエのFF6フィギュアと、ドット絵の時代

アトリエには『ファイナルファンタジーVI』の魔導アーマーをかたどった立体作品が置かれていた。ティナなどのキャラクターが組み込まれた作品で、天野によれば自分が作ったものではなく、おそらく受注生産で販売されているもので、贈られたものだという。二人はベルトの描写の細かさや、後ろに隠れたキャラクター、正面からは見えない部分の色のグラデーションに感心する。天野は、自分は絵を描いたが、後ろ側まであちこちから描いたわけではないと話し、立体として作り込んだ技術を「本当にすごい」と評した。

天野はこの作品が作られた頃を、描かれた絵がドットに変換される時期、任天堂のハードの時代だったと振り返る。

「僕は全く変わってない」

成田は、ファイナルファンタジーを初期作から考えると、ゲームの絵の解像度はまったく別の世界になったと指摘する。ドットが細かくなっただけでなく、物語の空間や話の規模、音楽や音も豊かになり、2次元のゲームから、仮想空間で体験する3次元の新しい映画のようなものになったのではないか。それによって天野の描くキャラクターも変わってきたのか、と成田は尋ねた。

天野の答えは「僕は全く変わってない」だった。ゲームを実際に作る現場のクリエイターが天野の絵をドット絵などに変換する。そうすると絵はシンプルになり、細かい部分はすべてなくなる。シルエットのようなものが動かされ、それが結果としてゲーム画面になる、と天野は説明する。2Dから3Dへの変化も、絵をゲームにする人たちがテクノロジーによって変わっていったのであって、自分は関係のない絵の世界にいるという立場である。

一方で天野は、ゲームがテクノロジーを一般に広め、浸透させる役割を結果的に担ってきたと話す。ゲームはいちばん最初に普及したコンピューターだという成田の言葉にも同意し、「すごいこと」だと述べた。

ただし技術の変化が自分の創作に役立ったわけではなく、むしろ「やりにくい」と天野は言う。画面がリアルになると細かい模様まで求められるが、自分はそこまでは描けないからだという。

描いた時点で完結する「野菜作り」

成田が、技術が変わっても古びないものを作れているということかと尋ねると、天野は「それは分からない」と答えた。そのうえで自分のやり方を説明した。頭の中にはリアルな世界と空間があり、それを絵にしているだけなので、それがコンピューターの画面になろうが何になろうが、自分の中では描いた時点で完結している。

天野はこれを一次生産者、つまり野菜作りにたとえた。自分は野菜を作る。それがその後どう調理されるかは、時代や人によって変わっていく。自分の目的は絵を描くことで、描き上がった時点で自分の中では終わっており、次のものに取りかかる。その繰り返しだという。便利な道具は使うが、時代は関係ないと天野は話す。

星新一の小説と、年代の当てられない絵

成田は、絵が特定の時代や技術に依存しないものになる秘訣を尋ねた。天野は「それが分かればいいんですけどね」と笑う。

成田はここで星新一のSF小説を例に出した。星の作品は抽象度が高く、登場人物の名前のつけ方も特定の時代や国を無視している。その結果、20世紀に読んでも21世紀に読んでもほぼ同じように読め、古びようがないのではないか。絵の場合、時代とともに古びるものとそうでないものの違いは何なのか、と成田は問う。広告なら30年前のものと今のものは明らかに見分けられるが、天野の30年前の絵と今の絵のどちらがいつ描かれたかを当てろと言われたら、素人には難しい。成田は、それが特定の時代や場所や人物を描いていないことから来るのではないかと推測した。天野は冗談めかして「進歩がないのかもしれない」と返している。

流行を追わず、普通に暮らして取り込む

天野自身の考えでは、流行を追うと古びる。流行はどんどん変わっていくからだ。ファッションを調べたり、デザイナーの作品を見たりして描くのは違うのではないかと天野は言う。

天野が大事にしているのは、普通に生活して街を歩き、若い人たちの服装や風俗をなんとなく頭に入れておくことだ。それを一度自分の中に取り込んでから出てくるものは、誰かの作品ではなく、自分の中で普遍的なものとして描けるのではないかと天野は考えている。参考にしすぎると、それは誰かの作品になってしまう。意識しているかどうかは分からないが、結果として大事なのは自分の見方であり、自分が良いと思うものを絵柄として表現することだという。

天野はこれを「あやふや」で「ぼやっとした」ものだと表現し、どこかで見たものが一度自分の中で消化されて絵に出てくるのだろうが、分析したことはないと付け加えた。

アニメーションには時代が出る

一方で天野は、アニメーションのキャラクターを作るときは時代が出ると話した。タツノコプロの作品はオリジナルが多く、話も世界観もキャラクターもみんなで作った。作り手が20代、30代だと、その時代のものが嫌でも作品に入る。髪型やTシャツのデザインなど、自分たちがそのとき着ていたものが自然に作品に入ってくるという。

天野は『科学忍者隊ガッチャマン』を例に挙げ、登場人物のTシャツに大きく書かれた文字のデザインは当時流行っていて、みんな着ていたと説明した。成田も、ガッチャマンには時代性を感じると応じる。天野は、同じ時代をみんなで生きているのだから、そこから出てくるものは自然なことだと考えている。

15歳でタツノコプロへ、25〜26歳で「もう嫌だ」

では、どの時代でもどの場所でもない架空の世界を描くようになったのはいつからか。天野は15歳でタツノコプロに入り、最初はアニメーションの仕事をしていた。テレビアニメはテレビ局で放映され、スポンサーもつく。そのため、いま世の中に求められているものを表現しないと作品として発表できない。そのうえで自分たちのやりたいものも作る。その繰り返しのなかで、天野も一員としてキャラクターを作っていた。

日々それだけを続けるうちに、天野は25〜26歳ごろ、入って10年ほどたったところで「もう嫌だな」と思ったという。成田が「悟るのが早い」と言うと、天野は、普通の人が始める頃にやり切ってしまった感じだったと振り返った。

そこで天野は「ちゃんと絵を描きたい」と考え、イラストの持ち込みを始めた。SFマガジンに作品が載ってデビューし、そこからファンタジーやSF小説の挿絵が仕事になっていった。

自分の絵柄が分からなかった

天野によれば、キャラクターを作っていた頃は「自分の絵って何だろう」と分からなかった。アニメーションでは目的があり、そのために絵柄を作る。では自分自身の絵柄とは何なのか、25〜26歳のときに気づいたという。

小説はファンタジーやSFが多く、そこには世界観がある。天野は、それを絵にしたいと思った。想像したものを絵にする楽しさを知り、絵でそういうことができるのだと初めて感じたという。絵を描きたいのに何を描いていいか分からずもやもやしていたところに、この世界観を描けばいいのだと気づき、それがとても楽しかった。天野はこれを「振り出しに戻った感じ」と表現し、それまでのものを全部捨て、まったく関係なく絵を描いて持ち込んだと話している。つまりゲームより前に、文字で書かれた小説を絵にし直す仕事が先にあった。

栗本薫の『グイン・サーガ』は、別の画家が描いたあとに天野が担当した。ほかにも菊地秀行の『バンパイアハンターD』や、海外ではマイケル・ムアコックの作品などを絵にしてきた。天野は、これらは小説を読み、読者と同じように「こんな感じかな」と感じて描いたものだと言う。そこに自分の個性は関係なく、この物語はこういう世界だろうと思って描いたのが表紙の絵だという。

音楽を絵にする連載と、「本末転倒」

成田は、小説を絵にする、ゲームを絵にする、音や音楽を絵にするという違いは大きいのか、どれが一番しっくり来るのかと尋ねた。天野は、いつもそのときはしっくり来るが、だんだんしっくり来なくなると答える。

その例として天野が挙げたのが、音楽を聴いて絵にする連載である。仕事中はいつも音楽を聴いていて、あるとき音楽からイメージが浮かんだ。そこで音楽を聴いて絵にしようと考え、連載を始めた。しかし続けるうちに飽きてきて、描くために音楽を聴かなければならない状態になった。天野は、これは本末転倒で「やばい」と思い、やめたという。

飽きっぽさと、息の長い仕事

成田は、飽きると言いながら長く続く仕事をしている、そのバランスが絶妙だと指摘する。天野は、絶妙というよりずっとつながっているのだと答えた。終わったつもりでも、仕事は重なり合いながら増えていく。割合は減っていくが、オーバーラップしていく感じだという。

成田が、グイン・サーガやファイナルファンタジーのように何十年も続く大河作品に伴走してきたと言うと、天野はグイン・サーガについて、あるときやめたと明かした。別の世界に行きたくなってパリに行き、版画を作っていた。2週間、3週間とホテルにこもって制作していたとき、小説の締め切りが来た。ホテルで作業しながら、ここでこれをやるなら来た意味がないと思い、連載はすべてやめたという。新しい場所には何か新しいものがあるはずだと思って来たのに、締め切りがあることで元の場所に引き戻されてしまう。それが理由だった。

成田が「潔すぎる」と言うと、天野は潔いというより、新しいことをやるには時間も場所も限られるのだと説明した。新しい場所では環境が変わり、持って来られるものと持って来られないものがある。できれば全部捨てたいがそうもいかない。その繰り返しがいまも続いているという。

仕事にするつもりのなかったもの

今の活動にはまだ飽きていないかと問われ、天野は「今のところ楽しい」と答えた。成田が、飽きるから自分で勝手にやる仕事を増やしているのかと尋ねると、天野は、それは仕事ではなくやりたいことであり、それが結果的に仕事になるのだと説明した。

例に挙がったのが「キャンディガール」である。女の子を描きたくて勝手に描いていたものをアートにしようと考え、ギャラリーで発表した。そこから世界観が広がり、結果として仕事になった。天野はそれを「ありがたい」としつつ、今も仕事になっていない、描きたいから描いているものがたくさんあり、それが合間の救いになっていると話した。

評価のために描くのではない

成田はさらに、人にどう思われるか、買ってもらえるか、評価されるかは天野にとって重要かと尋ねた。天野は、評価してもらおうと思って描いてはいないと答える。ただ、自分が良いと思ったものは人も良いと思うのではないか、と考えている。天野自身、これを「自分勝手な発想」と言う。評価されなかったらしょうがない。自分で良いと思わなければ、仕事であっても楽しくない。自分が良いと思ったものを誰かが良いと言ってくれるのが一番うれしいが、そのために描いているわけではない、と天野は語った。

最後に成田は、アトリエの奥にある竜の立体作品に目を留めた。天野は、ある工芸品(字幕では「玉寿司」と聞き取られている)を見て自分もやってみたくなって作ったと話し、周りに並ぶ白い小さなものは「天使」だと説明した。