平野紗季子と成田悠輔が語る、ノーレーズンサンドの店と「食べて感じたことを言葉に残す」理由

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概要

エッセイストでフードディレクターの平野紗季子が、東京駅グランスタに初の実店舗「(NO) RAISIN SANDWICH」を開いた。経済学者の成田悠輔はその店を訪ね、平野の本は全部読み、ポッドキャストも聞いていると明かしたうえで、食べることを仕事にした理由を尋ねていく。店づくりの考え方から、食の体験を記録する方法、苦手な食べ物、食文化が混ざり合うことまで、話は広がっていった。

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レーズンが苦手だから始めたレーズンサンドの店

店は3月にオープンした。バターサンドの店で、ブランド名は「ノーレーズンサンドイッチ」。レーズン入りの「イエスレーズン」と、レーズンを使わない「ノーレーズン」の両方を売っている。平野によれば、紅白饅頭のような感覚だという。

このブランドは平野自身がレーズンを苦手とすることから始まった。バターレーズンサンドをもらった人たちがとても嬉しそうに食べているのを見て、自分も食べたいと憧れていた。成田がお土産のレーズンサンド率は異常に高いと言うと、平野もバターサンドにはロマンを感じると応じた。そこで、レーズンの入っていないレーズンサンドを作ろうと考えたという。

ノーレーズン側は果実を使ったバターサンドで、季節ごとに味が変わる。グランスタ出店に合わせて作った新商品のキャラメルバターサンドイッチは、バタークリームにチョコレートを入れているのであまり溶けず、常温で持ち歩ける。平野は旅にぴったりだと説明した。成田は飛行機でもらったチョコレートを握ったまま寝てしまい、起きたら手がチョコレートまみれだった話をして、これなら手で握っても大丈夫だと二人で笑った。

店は朝8時に開くが、客が開店前から並び、撮影の日もすぐに完売していた。撮影用に少しだけ取り置いていた菓子を、成田は自分で買い取っている。

カウンターの真ん中にガチャを置いた理由

店のカウンターにはガチャが組み込まれている。成田が回すと、平野が左手で書いた手書きの箱が出てきて、中身は「愛」と書かれたアクリルキーホルダーだった。キーホルダーは「愛」と「味」の2種類しかなく、これを目当てに何度も回す客もいるという。成田は、レーズンサンドの店で「味」と書くほうがひねりが効いていると評し、平野は日本で一番「味」という言葉を使っている人ではないかと持ち上げた。平野は「味な」を冠した本や音声コンテンツも手がけており、「味」を勝手に独占しかけているかもしれないと応じた。

店頭では、かに道楽の看板のように、レーズンサンドの模型が一日中回り続けている。回っているのは片方だけで、成田はもう一方は澄ましているのに、回っている方は挑発してくるようで表情を感じると話した。回し方ひとつで人は生命が宿っているように受け取ってしまう、という感想だった。

ガチャを置いた理由として、平野はブランドが大事にしている「おいしくて、かわいくて、プレイフルであること」を挙げた。小さな売り場でも何かふざけたことができないかと考えたという。社内からは本当にやるのかと聞かれ、収納スペースも潰れる。それでも平野は、効率的な世の中だからこそ、要らないことをしないとブランドのアイデンティティも生まれないと考えている。海外からの客や子どもがよく回していくそうだ。成田がいずれゲームセンター化してUFOキャッチャーで売ればいいと冗談を言うと、平野は2号店はUFOキャッチャーで、と乗ってみせた。

「お菓子は人と人の間にあるもの」

初めて店を持って一番驚いたことを聞かれると、平野は「すごく幸せだという気持ち」と答えた。電車で隣の人が自分の店の袋を持っているのを見かけることがあり、作ったものが散らばってみんなのものになっていく実感が面白いという。

ショッパーは表に「スイート」、裏に「メモリー」とある。平野は思い出がすべてだと考えており、お菓子屋として、人がいい思い出を作るきっかけになりたいと話した。成田が「お菓子は人間関係そのもの」と言うと、平野はお菓子は人と人の間にあるものだと応じた。東京駅から運ばれるお菓子は遠くへ行くことが多いので、そうした人のつながりの中でいい思い出を作ってもらえたら、お菓子屋冥利に尽きるという。

ブランドは部活のような形で始まったが、最初から「大きな駅で買えるお菓子になりたい」と書いていたそうだ。

知らない町では「店の顔」で選ぶ

成田は、知らない町に空腹のまま放り出されたら何を基準に店を選ぶのかと尋ねた。平野は、店構え(ファサード)という情報があるので、歩き回って店の顔で決めると答えた。

平野が喜んだのは、近くのパン屋の前にシェフのオブジェがあったことだ。平野は客寄せのシェフのオブジェを日本中で探しており、実物を持ってきて見せた。成田は、昔は店の前に人形を置く店が多かったのに、今はカーネル・サンダースばかりだと応じた。

Googleマップについては、人から教わった店にピンを付けているので、その意味ではお世話になっていると平野は言う。成田はピンを付けず、使いこなせていないと答えた。

試食:ピスタチオレンジと手で抜いた刻印

成田は食レポは期待しないでほしいと断ってから、ピスタチオとオレンジのバターサンドを食べた。鼻に抜けるすっとした香りの正体を尋ねると、平野はおそらくローズマリーで、オレンジも入っていると説明した。成田は、サブレより硬いピスタチオが食感を与えているのが新しいと評した。

イエスレーズン側には、レーズンキャラメルサンドとショコラアプリコットサンドがあり、どちらにもキャラメルが入っている。バタークリームの層とキャラメルの層の二層になっているので、どちら側から食べるかで味が変わる。クッキーに小さく刻まれた文字について、専用の機械があるのかと成田が聞くと、平野は手で抜いていて、文字が広がらないようにすっと抜かなければならないと答えた。

アメリカ留学の食事と、母親の味噌汁

成田は、食べることは誰でもするからこそ、それにのめり込んで仕事にする人は珍しいと言い、「食べることに呪われた瞬間」があったのかと尋ねた。平野が挙げたのは、高校時代のアメリカ留学だった。ニューヨーク州の北の方で4年間寮生活をしていたという。成田は今その近くのコネチカットに住んでおり、南部に比べればまだいい方だと話した。

寮の食事では、味のないドロドロした肉のシチューのようなものが多かった。味噌汁は出汁が入っておらず、親子丼はスクランブルエッグとセロリと鶏肉のようなものだった。日本に帰ってくると、母親の作った味噌汁がおいしすぎて涙が止まらなかった。母親には「顆粒出汁なんだけど」と言われたという。平野は、人はギャップで感動するものであり、一度壊れることがきっかけになっている気がすると振り返った。

料理人にならなかったのは、作るより食べる方が幸せだと思ったからだ。学生時代に、食べることについて書く職業があると知り、これだと思ったという。

なぜ言葉で残すのか

平野が逆に、自分の発信から何を受け取っているのかと聞くと、成田は言葉の作り方が変わっていると答えた。『生まれた時からアルデンテ』のように、生まれた時からアルデンテとは日常では言わない。やや意味不明なのに短くて記憶に残り、後からぐっとくるタイトルはあまりない、というのが成田の評価だ。

続けて成田は、食べ物はなくなるもので、ある意味では記録を残してはいけないものなのに、あえて残すならどうするのが一番いいのか、と問うた。平野は言葉や写真を多く使い、動画はあまり使っていない。平野の答えはこうだ。消えものだからこそ残したいという動機が強い。写真や動画ではビジュアルや音は残るが、食べて何を感じたかは言葉で記述しないと残らない。その内側の世界が一番大事だと考えているので、言葉に置き換えるしかない。動画で語る方法もあるが、書くことで後から気づくこともあるという。

小学生が給食の感想を書くにはどうすればいいかと聞かれると、平野は、書く手前に「感じる」ことがあり、感じたものがなければ何も書けないと答えた。だから、とりあえず一人で食べた方がいいという。

一人で食べる方がおいしい

成田も、自分は一人でしか食べないと言う。平野は、食べるときに孤独になる能力が高く、人といてもそうなるが、その方がおいしいと思っていると話した。人と食べてすごくおいしいと感じることはあまりない。成田は、五感のかなりの割合が別のことに使われてしまい、食べることそのものに向かえないのだろうと述べた。二人とも、友達が少ないと冗談めかして言い合っている。

成田は、平野が食べ物以外の文章をほとんど書いていないことに注目した。平野によれば、書きたいから書くのではなく、感じたことを残したくて言葉を使っている。映画などの娯楽もあるが、自分の心が一番動きやすいのが食べ物で、食べ物以外ではあまり心が動かない。心を動かすのは味だけではなく、食体験の全体だという。おいしさには味と物語の両方があり、特においしくないものに感動することもあると話した。

夜中のアブダビで食べた「ろくでもない火鍋」

成田は、おいしくないものの記憶の例として、アブダビに24時間だけ滞在したときの話をした。番組にも出演したチームラボの二人と、新施設のオープンに立ち会った。終わったのは夜中の1時半ごろで、開いている店はほとんどない。「ろくでもない火鍋」しかないということになり、深夜2時に行ってみると実際にろくでもなかった。何時間置かれていたか分からない材料がビュッフェのように並び、自分で取って鍋に入れる。火鍋が消毒代わりになっているような店で、味は普通だった。それでも、特別な日の夜中にアブダビでそれを食べたことは、洗練されたレストランよりも強く記憶に残るだろうと成田は言う。

平野も「死んだ炭水化物」が大好きだと応じた。ビュッフェで茹ですぎてカピカピになったパスタや、縁に張り付いた部分が好きだという。成田は、焼きそばの縁に張り付いたところがうまいと同意した。

提灯、鳩、ぬるいコーヒーゼリー:鳥肌が立つ食べ物

一番記憶に残る体験を聞かれた平野は、一番ではないと断ったうえで、焼き鳥屋の「ちょうちん」の話をした。卵黄になる前の卵がぶら下がった部位で、成田は好きだというが、平野は苦手だ。口に入れるとパシャっとはじけるのが「命が尽きる時の味」のようでぞっとし、線香花火が落ちる様子ともシンクロして、何かが尽きていく感覚になるという。

成田は、食べ慣れない動物を食べると鳥肌を立てながらうまいと思うことがあると話した。それはおいしさの鳥肌ではなく、怖さやグロテスクさへの鳥肌だという。香港で顔の形が残った鳩のローストが出たとき、同行者は無理だと言ったが、成田は2羽を黙々と食べた。癖のある匂いがあり、動物を食べている感じが強かったそうだ。平野の鳥肌食べ物はぬるくなったコーヒーゼリーで、理由は分からないが鳥肌が立ち、しかもうまいという。

成田は、凍らせた日本酒を溶けかけのシャーベット状にして飲むのが好きだった。しかし一度、ショットで2〜3杯飲んだときに完全に意識を失って倒れたことがあり、別の世界とつながってしまったような感覚だったという。それ以来、凍ったお酒は飲んでいない。

常温の水はつまらないか

平野は常温の水が苦手だという。ぬるいからではなく、つまらないからだ。成田は、水に面白さを求める人に初めて会ったと驚き、面白さがないから毎日飲めるのではないかと返した。

成田は冷たいものや氷が大好きで、自分が冷たい水をもらっているときに誰かが常温を頼むと敗北感を覚えるという。体を冷やさないようにする繊細さを感じるからで、いつかそうなりたいと憧れている。炭酸水の常温については、パンチがあるふりをしながら引いてもいる中途半端さに怒りを感じると成田は言う。平野は、炭酸という情報がある分、常温の水よりはまだ嬉しいと答えた。成田は、常温の炭酸水を喜んで飲めるようになったら一人前だと思っているそうだ。

味覚は慣れで変わる

話は、同じものを舌にのせているのに、吐き出すほど嫌だったものが、それなしでは生きられないものに変わる不思議に移った。平野は、おいしさの科学を研究する人から、人は基本的に13回食べれば苦手なものを好きになると聞いたという。すぐに適応するが、嫌いなものを十数回も食べる人はいない、というわけだ。成田は、人がおいしいと思うのは昔たくさん食べていたものだと付け加え、アメリカ人も自分たちの食事をおいしく感じているのだろうと言う。平野はそれを「コンフォータブル」なのだと表現した。

成田自身も、テキサス南部の家庭に1週間泊まったとき、その家の食生活をそのまま体験した。野菜は冷凍コーン程度でほぼゼロ、肉とアイスクリームの山と自家製クッキーが並ぶ。滅多にならないニキビだらけになり、ここで一生暮らせと言われたらショック死するかもしれないと初めて思った。それでも彼らにとってはそれが正義だった、と成田は振り返る。

分かり合えないものが混ざって生まれる料理

成田は、分かり合えないもの同士が融合したときの感動も大きいと話した。ニューヨークやロンドンでは、ある地域の料理が持ち込まれ、現地の料理と融合して新しいものになる。街角の昔ながらのインド料理や韓国料理とも、宮廷料理とも違う、洗練されたコース仕立てのモダンなインド料理や韓国料理がたくさん生まれている、と成田は言う。平野も、料理は移民がおいしくしたと言われていると応じ、ロンドンのモダンインディアンを絶賛した。

平野が日本の例として挙げたのは、モスバーガーの海鮮かき揚げだった。成田は、ビヨンセがこれを食べるために来日しているとまで言っている。ロースカツバーガーについても、ハンバーガーととんかつ文化が合わさった「ケンタウロス」のようだと二人で盛り上がった。

丼物はなぜ輸出されないのか

成田は、寿司やラーメンのように日本料理が世界中に輸出されているのに、丼物はあまり活躍していないと指摘した。牛丼チェーンが海外に出てはいるが、目立たない。成田は、米の多さが受け入れられにくいのかと推測したが、そばやうどんも思ったほど広がっていないと自ら付け加えた。平野は、出汁文化のハードルがまだ高いのではないかと話した。成田はもう一つの仮説として、作り手に依存しすぎる料理、つまり技術や材料が良くないと微妙になってしまう料理は広がりにくいのではないかと挙げ、平野も職人の独自性が試されるジャンルだと同意した。その点、地球の裏側の田舎にも必ず中華料理と称する店がある中華料理の浸透力はすごい、と成田は言う。

一方で平野は、世界のシェフが日本を「ミステリアスでマジカルな島」のように感じて来たがっていると話し、その理由として独自性の高さと、そこでしか体験できない希少性を挙げた。成田は、日本の食はどの価格帯にもその層ならではの良さがあると言う。1杯500円の立ち食いそば、1000円の定食、数千円の居酒屋、数万円のガストロノミーまで、どの層を取っても、そこでしか、しかもこの国でしかできない体験がある。アメリカに住んでいると、その部分がすっぽり抜けていると感じるという。

ちくわぶの謎で途切れる会話

最後に平野は、ちくわぶが本当に変なものだと思っていると言い出した。成田も「あいつは一体何なのか」と同調する。平野によれば、おでんや煮物で、出汁が染み切っていないちくわぶを食べると記憶が飛ぶのだという。成田が「それは何かの病気では」と返し、平野が否定したところで、公開部分の収録は途切れている。