目黒寄生虫館で聞いた「寄生虫と人間の100年戦争」 永野と成田悠輔が学ぶ寄生の仕組みと制圧の歴史

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概要

経済学者の成田悠輔がMCを務める『夜明け前のPLAYERS』に、芸人の永野が2度目のゲストとして出演した。今回は東京・目黒を歩くロケ企画で、2人は目黒寄生虫館を訪れ、館の倉持さんから寄生虫の定義、奇妙な生活環、日本がいくつかの寄生虫病を制圧した経緯、温暖化で両者の関係がどう変わりうるかまで説明を受けた。

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前回の「猿」発言の後日談

ロケは、永野が前回の出演を振り返る話から始まる。永野によれば、前回この番組で成田と意気投合し「芸能界は猿だ」と盛り上がった。その勢いで他局の番組でも同じことを言ったところ、翌日には別の番組で陣内智則に「猿だ」と突っ込まれるなど、いろいろあったという。永野はマニアの間で「一連の騒動を起こしたのはこの番組だ」と言われていると話し、成田にも責任があると冗談めかして責めた。

目黒寄生虫館について、永野は名前は知っていたが来たのは初めてだった。以前所属していたホリプロが近いのに知らなかったと言い、ホリプロを辞めさせられてから目黒は「憎しみの街」だったと笑いを取る。案内役の倉持さんが「あなたも寄生虫だと思われているかもしれない」と返すと、2人は自分たちも寄生虫のようなものだと認め合った。

戦後の公衆衛生から生まれた博物館

倉持さんによれば、寄生虫館は創業71年目になる。71年前は終戦から間もない時期で、公衆衛生の状態が非常に悪く、日本国民の7〜8割が何らかの寄生虫を持っていた。寄生虫学の普及と公衆衛生の啓発のために、この施設ができた。

創業者は医師で医学博士の人物で、満州から引き揚げて目黒で診療所を開いた。長年の夢だった博物館を自分で作ったのが寄生虫館の始まりだという。

寄生虫は当時に比べれば減った。ただし倉持さんは、別の意味でのリスクは常にあると話す。アウトブレイクも起こりうるのに、むしろ意識が低くなっていて、「日本にも寄生虫がいるんですか」と尋ねる人までいる。啓発活動の意味合いは、創業時とは変わってきたという。

寄生虫の定義と、宿主なしに生きられない生き方

「そもそも寄生虫とただの虫の違いは何か」という問いに、倉持さんは条件を2つ挙げた。1つは、他の種類の生物の体に住むこと。もう1つは、栄養源やエネルギー源をその生物から得ること。この2つを満たせば寄生虫になる。そうした生活をする生物は多く、さまざまな分類群に散らばっている。

一般に寄生虫と聞いて連想されるのは、回虫や蟯虫など線形動物の仲間だ。少しマニアックなところでは鉤頭虫も身の回りにいて、サンマを食べると時々出てくる赤い虫がそれだという。

寄生虫は、寄生している宿主がいなくなると生きられない。倉持さんは、自由生活への道はすでに断たれていて逆戻りはできないと説明した。

牛に食べられるためにアリを操る

寄生虫の一生は、卵が出て、幼虫が孵化し、宿主にたかるという単純なものもある。しかし倉持さんが示した牛の寄生虫の例は、ずっと複雑だった。

卵は牛のふんと一緒に外へ出る。まず巻貝に取り込まれなければならず、巻貝の中で無性生殖をして数を増やす。その後、粘液と一緒に再び外へ出てアリに食べられる。普通のアリは地面を這っているが、この寄生虫に寄生されたアリはなぜか草の上に登ってじっとする。いわゆる「ゾンビアント」で、こうなると牛に食べられやすくなる。

倉持さんは、この寄生虫には感染できる発育段階があり、牛が卵を直接飲み込んでも感染しないと説明する。中間宿主の中で発育する必要があるからだ。寄生虫によって宿主の行動が変わる場合があるという。

生きた展示、ロイコクロリディウム

館内には生きた巻貝の展示もあり、殻の中で何かが激しく動いていた。これはロイコクロリディウムという吸虫の仲間の幼虫で、成虫になるのは鳥の消化管の中だ。幼虫は巻貝の中で活発に動いて芋虫のように見せかけ、鳥に食べてもらうのを待っている。倉持さんは「こっちだよ、食べて」と鳥にアピールしているのだと表現した。

子どもに人気のある寄生虫はいるかと聞かれると、倉持さんはこのロイコクロリディウムを挙げた。わざわざ見に来る人がいるほど人気だという。

回虫の標本の前では、永野が「1匹持ち帰ってみたい」とふざけ、「回虫が出てきたら二度とテレビに出られない」と自分でつっこむ場面もあった。

人の寄生虫は、多くが無症状

人に関わる寄生虫は約200種類いるとされ、そのうち約100種類が日本にいると言われている。倉持さんによれば、人に固有の寄生虫はそれほど多くなく、人の寄生虫はあまり悪さをしない。寄生虫が多かった時代も子どもたちは元気に遊んでいたし、回虫や蟯虫などの仲間は大半が無症状だという。病気になるのは、本来は別の動物の寄生虫がたまたま人に取り込まれた場合が多いと倉持さんは説明した。

懐かしい蟯虫検査の話も出た。2015年に廃止されたが、理由は寄生者が少なくなったからだ。ただし0にはなっていない。倉持さんは、なぜ0にならないのかが不思議だと話した。

バンクロフト糸状虫と西郷隆盛

日本で制圧した寄生虫もある。その例がバンクロフト糸状虫で、かつては日本にも普通にいた。陰嚢水腫や、皮膚が象の皮のように厚くなる象皮病を引き起こす。倉持さんは、人の寄生虫はあまり悪さをしないと言いつつ、これはうれしくない例だとした。症状は数十年、40年ほどかけて少しずつ進む。展示には葛飾北斎の絵もあり、江戸時代にこうした患者が暮らしていた様子が描かれている。

この寄生虫は蚊が媒介し、蚊に刺されることで人から人へ移る。西郷隆盛もこの症状を持っていたと言われており、倉持さんは「おおむね間違いないと思う」と話した。西郷の肖像画は存在せず、銅像はフィクションの要素があるという。大河ドラマでもこの点は描かれていなかったという話から、永野が自ら西郷役でドラマを作ると言い出して脱線した。

薬と生活環の遮断、そしてDDTの皮肉

制圧の方法について、倉持さんは2つの柱を挙げた。1つは薬で、個々の患者を少しずつ治していく。バンクロフト糸状虫の場合、ちょうどよく日本で薬ができた。もう1つは生活環をどこかで断ち切ることで、この場合は蚊を退治すればよい。

終戦後、アメリカ軍がDDTという強力な農薬を持ち込んだ。これを環境に散布するのではなく、壁に吹き付ける「残留噴霧」という方法で使った。倉持さんによれば、蚊は血を吸った後しばらく休まないと飛べないため、壁に止まっている間に足から薬が入る。

倉持さんは、ここに皮肉があると指摘する。DDTが現在使用禁止になった理由は残留性があるからで、制圧に役立った性質そのものが禁止の理由になった。

蚊はマラリアも媒介し、倉持さんは世界で最も人を殺している動物は蚊だと話す。日本はバンクロフト糸状虫を見事に制圧し、手本になっているという。リンパ系フィラリア症は「顧みられない熱帯病」とも呼ばれる。致命的ではないためあまり注目されないが、働き盛りの人が動けなくなるなど、経済的な損失は非常に大きいと倉持さんは説明した。

新しい寄生虫は生まれているのか

成田は、この10〜20年で新たに現れた寄生虫はいるのかと尋ねた。倉持さんは、人間に関わる寄生虫はある程度目立つため、ほぼ出そろって調べられており、そういう例はないかもしれないと答えた。制圧が進めば種類は減っていくだろう。ただ倉持さんは、そもそも我々がすべての虫を知っているのかがよくわからないと付け加えた。全体がわからない以上、減っているのか増えているのかもわからないという。

館のお気に入り、芽殖孤虫

倉持さんのお気に入りとして紹介されたのが芽殖孤虫だ。サナダムシの仲間の幼虫で、幼虫のまま分裂して増えるという珍しい性質を持つ。世界でまだ18例しか見つかっておらず、そのほとんどが死亡例だという。体中のあらゆる臓器に入り込むため、小さい虫なのに致死性が高い。

人間以外では犬の症例があり、治らなかったという。遺伝子解析がまだ発達していなかった時代には、牛で似た症例もあった。ただし形が変幻自在なため、形だけでは同じ種かどうか比べられない。倉持さんは、遺伝子を調べないとわからない「面倒くさい学問」だと話した。

日本住血吸虫と「寄生虫100年戦争」

日本住血吸虫も日本が制圧した寄生虫だ。日本の限られた地域にしかなく、「地方病」などと呼ばれた。主な流行地は九州の筑後川流域、岡山県と広島県の県境あたり、甲府盆地で、荒川などの流域にもあったらしく、東京都にもあったらしいという。共通点は川や湖など水の近くであることだ。

生活環はこうだ。卵が水中に放たれ、幼生が泳ぎ出て宮入貝の中で増殖する。そこから泳ぎ出た幼生が人の皮膚から侵入する。そのため、田んぼで農作業をする人たちが感染した。当時は皮膚を覆うなどの防護もしていなかった。

体内では、腸から肝臓につながる門脈に入り込み、大量に卵を産む。倉持さんによれば、卵に免疫細胞が攻撃をかけて結節ができ、それが門脈を詰まらせる。そこだけ血圧が上がり、血液の液体成分が外に漏れ出して腹水がたまる。腹水が肺を圧迫して呼吸が苦しくなるため腹水を抜くが、腹水は栄養でもあるため発育不全になる。展示の写真には子どものように見える28歳の患者が写っており、倉持さんは1900年代初頭のフィリピンの例だと思うと説明した。富国強兵の時代に「貧国弱兵」と言われ、流行地では徴兵検査で皆落とされたという。

対策として、日本で治療薬が開発され、同時に貝を減らす取り組みが進んだ。初めは貝を手で拾ったが、とても追いつかない。次に薬をまいたが、魚や殺してはいけない生き物まで死んでしまった。最後は貝が住みにくい環境にしようと、田んぼの水路をすべてコンクリートにした。広島ではこれでほぼ制圧でき、山梨でも成果が出た。山梨は範囲が広くてなかなかうまくいかなかったが、すべてコンクリートにしたという。国がお金を出し、寄生虫予防法に日本住血吸虫対策を盛り込んでもらって進めた事業で、倉持さんは人の戦争に近い歴史だと話した。

「寄生虫100年戦争」という言葉があり、発見から制圧まで100年かかった。倉持さんが強調したのは、原因が寄生虫であることの特定、中間宿主である宮入貝の発見、生活環の解明、感染経路の解明を、すべて日本人の研究者が行った点だ。山梨や広島など別々の土地で進んだ研究がつながり、点が線になったところで生活環がわかり、対策が可能になったという。

温暖化と再来のリスク

途中で抜ける予定だった成田は、最後に温暖化で寄生虫と人間の関係は変わるのかと質問した。倉持さんはありうると答えた。蚊など昆虫が媒介する寄生虫が、本来は分布していない地域に分布域を広げ、病気が起こる範囲が広がる可能性がある。ゲリラ豪雨などで水位が上がれば、水の中で媒介される寄生虫が再びアウトブレイクを起こす可能性もあるという。

だから、一度制圧したものでもモニタリングを続ける必要があり、「もう終わった」で済ませてはいけないと倉持さんは話す。根絶できるのが一番だが、蟯虫が今もなくならないように、行政が検査をやめても0になったわけではない。蟯虫は家族内で感染が起こりやすく、監視しなければまた増える可能性はなくはない。回虫や蟯虫は中間宿主が不要で、土から人、人から土へと移るだけの単純な生活環を持つ。そのため泥いじりや、人のふん尿を畑にまくようなことをすれば、また戻ってくるかもしれないという。

寄生虫に「隠れたメリット」はあるか

成田が、寄生虫には隠れたメリットもあるのではと尋ねると、倉持さんはそう考えている人はたくさんいると答えた。本当にすべての寄生虫を根絶すればよいかというと、そうでもないかもしれない。一面だけを見て制圧するという話ではなく、宿主と寄生虫の関係は我々が思うほど単純ではなく、もっと深く、互いにやり取りしているのかもしれない、と倉持さんは話した。

ミュージアムショップ

成田が退出した後、永野がMCを引き継ぎ、ミュージアムショップを訪れた。倉持さんによれば、ここはお土産コーナーではなく教育・啓発活動のためのショップだという。実物の標本を樹脂に埋め込んだネックレスはこの日から売り出したもので、同様の商品が人気だという。寄生虫ストラップや、倉持さん自身も愛用する3連キーホルダーも紹介された。

締めのコメントを求められた永野は、成田が空気を読んで普通の質問ばかりしていたと愚痴をこぼし、ロケは終わった。