ちくわぶの謎から「理解されない生き方」まで──平野紗季子と成田悠輔の対談
PLAYERS公式エッセイスト・フードディレクターの平野紗季子と経済学者の成田悠輔の対談である。話は、分類しにくい食べ物の話題から始まる。そこから発信のあり方、アテンション・エコノミーへの距離の取り方、ゆっくり進むことの意味へと移り、最後は二人それぞれの生き方の話になる。平野は「見てみたい」という欲望と日々の思い出を、成田は「何をやっているかわからない人」であることを、自分の軸として語った。
ちくわぶを食べると記憶が消える
成田はまず、最近食べたもので既存のカテゴリーやジャンルに分類できないものはあるかと尋ねた。平野は、文化というより個人的な経験だと断ったうえで「ちくわぶ」を挙げた。特に好きなのは、おでんや煮物に入った、出汁が染み切っていないちくわぶだという。色々食べた後にそれを口にすると「記憶が飛ぶ」、つまりそれまで食べていたものをすべて忘れてしまうと平野は話す。
成田は、それはちくわぶの凄さではなく平野の特異さではないかと返した。すると平野は、同じことが生麩でも起きると言う。京都の日本料理で焼いたものや田楽が付け合わせに出ると、鴨などを食べていても生麩を食べた瞬間に全部消えてしまう。平野はこれを「消しゴム」と表現し、何かの成分でも入っているのかと冗談めかした。
二人はそこから、ちくわぶとは何者なのかという話に進んだ。魚の練り物とは違うのに、おでんの中では練り物の仲間のような顔をしている。原料は小麦だろうと平野は推測した。ここで成田は、小学生の頃に毎週金曜日の卓球の帰りにおでん屋の屋台に寄り、80円のちくわぶを毎回頼んでいたことを思い出したと話した。成田によれば、練り物は長く煮てもアイデンティティを保ち続けるのに対し、ちくわぶは煮すぎても入れすぎてもだめで、ちょうどよい「生存期間」が短い繊細な食べ物だという。
買っても食べ方がわからない生麩
話題は生麩に移る。生麩もちくわぶと同じく「あれは何なのか」と思う食べ物だが、平野によればもっとムチムチしているという。成田は、生麩は意外に手強いと言う。店で田楽として出てくると美味しいのに、自分で買うとどう食べればよいかわからない。
成田は、京都からの帰りになぜか生麩を買い、新幹線の中で開けてかじりついてみたが微妙だった、という体験を5回ほど繰り返している気がすると話した。生麩はとても好きで食べたい気持ちがあるのに、買ってもどう食べればいいかわからない。平野は、焼いた方が良いのではないか、刺身のようにそのままでもいけるはずだと応じた。
偏った好みに特化したコースと「うんざりするまで食べる」
成田は、生ちくわぶだけのコースを出す店を誰かに作ってほしいと言った。そんなコースを誰が喜ぶのかという問いには、少なくともこの二人は行くだろうと答え、平野も「私たちが行かなくて誰が行く」と同意した。
成田は、異様に偏った好みだけに特化したコースを作ってほしいと話し、例としてパクチーだけのコースを挙げた。パクチーは好きだが、同時に「うんざりしたい」気持ちもあるという。好きなものを、もういいやと思うところまで食べたいということだ。平野もこれに共感し、嫌になってから新しい味が出てくる、「第2章」があると話した。成田は、バターサンドが延々と出てくる店を臨時開店してほしいと頼み、平野は来てくれるなら、と応じた。
ポッドキャストで再生数を見ない理由
成田は、ポッドキャスト番組を続けるうえで大事にしていることを尋ねた。平野の答えは、ポッドキャストについては再生数を見ていない、というものだった。J-WAVEで制作しているラジオ番組ではランキングが出てしまい、それも一つの指標にはなる。ただ、ポッドキャストはYouTubeと違って再生数がリスナーには見えず、平野自身もあまり見ないようにしているという。「こっちの方が数字がいいから、その傾向でやっていこう」と進めていくと、何のためにやっているのかわからなくなる瞬間が来る、というのが平野の考えである。
では、どんな時にうまくいったと感じるのか。平野が挙げたのは、2025年3月に東京駅で(NO) RAISIN SANDWICHの店をオープンした時のことだ。平野は何年もポッドキャストでノーレーズンサンドの話をし続けてきた。それを聞いていたリスナーが、開店について「推しが武道館に行った気分」と感想を書いてくれた。それを読んで、やっていてよかったと思ったという。
音声は「隣にいる」メディアだ
平野はポッドキャストの性質をこう説明した。基本的に時間の制限がなく、何十分でも1時間でも使える。音声だけなので聞き流されることが多い。そのため視聴の機会は「長く、でも薄く」なり、自分のストーリーや考えていることを長い時間をかけて共有できる。その対極にあるのが、10秒で刺すような切り抜き動画である。平野は、そうした映像の世界が非常に強くメインストリームになっているとしたうえで、長く浅くコミュニケーションを続ける場として、ポッドキャストはとても向いていると述べた。
成田は、音だけだと横にいるような感覚になりやすいのではないかと付け加えた。平野もこれに同意した。ほとんどのメディアは相手が180度向こうにいる感覚になりやすいが、音声だと隣にいる感覚になれる。平野自身、友達が増えたような感覚があるという。成田は、レンズを介さないことが大事なのではないかと話した。レンズはこちら側とあちら側を分け、どこかに焦点を当ててしまう。だから映像全般にはその限界がある、というのが成田の見方である。
成田にとってのバイラル──「勝手にそうなっただけ」
平野は逆に、短く強い言葉で世の中にバイラルさせることの価値をどう考えるかを成田に尋ねた。それで多くの人が成田を知っているのではないか、という問いである。成田の答えは「どうでもいい」だった。YouTubeもTikTokも自分で作ったり出したりしたことは一度もない。どこかに少し出たものが勝手に切り抜かれ、出回っているだけだという。
成田は、自分にとってそれは良くも悪くもなく、その現象を眺めている感覚で、科学実験や社会実験をしているようなものだと話した。そうなることを目指していたわけではない。むしろ最近は、そうならないように頑張っているという。この番組でも、できるだけ切り抜きにくい話をしようとしている。短時間で強い言葉をパッと言えば切り抜かれやすく広がりやすいが、今はそれをやめようと思っていて、ほぼやっていないと成田は述べた。平野は、ちくわぶの話はあまりバイラルしなさそうだと笑った。
中毒性の高い屋台が街中に乱立している
その社会実験から何を思うかと問われると、成田はまず「しょうもないな」と答えた。そして食べ物にたとえて説明した。食べ物にも、パッと食べて瞬間的に中毒になれるような調味料や素材がある。動画の世界で起きていることもそれと同じだという。これまでは、そうしたものを作ったり出したりできる人がごく一部に限られていた。それが急に民主化され、誰でもどこでも屋台を出せるようになった。その結果、中毒性の高いファストフードの屋台が街中に乱立している状態だ、というのが成田の見立てである。
成田は、かつてその誘導を牛耳っていたのは日本テレビやフジテレビのようなごく一部のメディアで、その構造が崩れて誰でもやれるようになったことは「いいことと言えばいいこと」だと認めた。一方で、その結果として至るところが罠だらけになっているとも言う。
食べ物の世界では、何を売ってよいかの規制や成分表示の義務、特定のものへの課税、保健所への申請など、さまざまな規制が導入されてきた。成田は、情報についても同じことが行われ、「情報保健所」のようなものが作られていくのではないかと推測する。ただ難しいのは、今流通を握っているのがすべて海外の企業で、彼らは日本の規制を気にしないことだ。YouTubeは最近ましになってきて、危ないことをするとすぐBANされるようになったが、それでも十分ではない。成田は、規制をかけることのできない悪を生み出してしまったというのが、自分の観察から思う実態だと語った。
平野がアテンション・エコノミーに乗らない理由
成田は、平野がそうしたアテンション・エコノミー的な世界でバイラルさせることを全くやっていない点を「偉い」「尊敬している」と言った。平野はこれを否定した。それが最適解だとしても、やるかやらないかは個人の自由で、やらない選択肢もある。そういう意味で平野は、ポッドキャストを、健やかでいたいが発信から降りたくはない人にとっての適切な場所、オルタナティブな居場所だと感じているという。
成田はさらに、その誘惑にそもそも興味がないのか、意識的に避けているのかと尋ねた。食べ物の界隈で言えば、味の素をめぐる論争に参戦する、といったことである。平野は、Xで何を発言すればバズるか、食べ物ならどんなテーマが盛り上がるかはもちろんわかると答えた。ただ、それで盛り上がって自分に何が残るのかと考えてしまうという。それが楽しい人や、そこで生きている実感を得られる人はやればいい。しかし自分には何の意味があるのかと思ってしまう、と平野は述べた。
「頭の中にあるものを現実で見てみたい」
では、どんな時に素直にやっていてよかったと感じるのか。平野によれば、店をやったり色々な仕事をしたりする中では大変なこともあり、店を一つ立ち上げるのもしんどい。そういう時には、なぜやっているのだろうと考える。突き詰めると、名誉のためでもお金のためでもなく、単純に「見てみたい」という欲望なのだと平野は言う。頭の中にあるものを現実の世界で見てみたい、ただそれだけだという。そして、自分だけが思っていても周りが見たくないと言えば形にできないことも多いので、「わかるよ」と言ってくれる人がいるのがとても嬉しいと話した。
成田は、平野がわかりやすく人を集めたり動員したりしにくいスタイルでやっていることに、ジレンマや不思議な分裂はないのかと尋ねた。平野の答えは、別に東京ドームに立とうとしているわけではない、というものだった。成田は、平野がそのバランスの絶妙なところにいると評した。
平野は、閉じた自分だけの世界でやろうと思っているわけでもないと付け加えた。東京駅のような、むしろ自分を知らない人の方が多い場所に出ていくのは、ある意味でジャンプだという。平野はそれを「シーズン3」「新シーズン」のような楽しさと表現し、店がどこまで育っていくのかをこの先も見てみたいと話した。
ゆっくり、寄り道をしながら進む
成田は、ゆっくり変化すること、ゆっくり成長することが大事なのではないかと話した。平野は、自分はもともとゆっくりな人間だと答えた。成田によれば、速さや規模を求めると燃え尽きていくしかないのではないか。それはそれで美しいのかもしれないが、結局は思い出を作りたいだけで、思い出はゆっくり動いた方ができるのではないかという。平野も「味わい深い」と同意した。
成田はこれを散歩にたとえた。いろんなところを眺めたり、変な草や花を拾ったりしながら、どちらかの方向にはゆっくり向かっているが、効率は悪く寄り道だらけ。そういう感じが大事なのではないかという。ただ、目的地にできるだけ早く進むのもよくないが、すべてが寄り道になると人間は狂うようにできているのではないか、とも成田は述べた。平野も、どこに向かっているのかわからないのはきついかもしれないと応じた。そこで成田は、目的地や進む方向の感覚はあって弱い心をどうにか保ちつつ、実際は寄り道だらけ、という形にできないかと考えているという。平野は、それが自分にとって一番健やかで合っている動き方かもしれないと話した。
どこにたどり着くのかと問われると、平野は、物を食べて何かを感じ、そこで思ったことから何かを作りたくなったら作る、そういう日々で得た思い出が豊かならそれでいい、と答えた。未来がどうなるかは本当に考えていないという。
誰かの最後の晩餐をプロデュースするなら
成田が最後の晩餐について考えることはあるかと聞くと、平野は考えないと答え、よく聞かれる質問だと認めた。そこで成田は問いを変え、自分ではなく誰かの最後の晩餐をプロデュースしなければならないとしたらどうするかと尋ねた。平野の答えは水羊羹だった。平野は、ムチムチした系統のものに惹かれている、「呪われている」、前世がムチムチした何かなのかもしれないと冗談を交えて話した。
成田は、水羊羹は病気でも体力が落ちていても、歯がなくなっていても食べられると評した。甘くてひんやりしていて良さそうなので、水羊羹を買ってタイムカプセルに入れておきたい、ノーレーズンサンドも一緒に入れたいと成田は話した。
成田の目標は「理解できない人」のまま終わること
最後に平野は、成田自身は生き方の目的をどう考えているのかと問い返した。成田は、目的はもちろんないし、平野にとっての「食べること」のようなコアもないと答えた。むしろなくしたいのだという。人はついそういうものを求め、持つべきだと思いがちだ。自分が何をやっている人間なのか、アイデンティティを確定しなければならないという思い込みは、人間にとても強い。肩書きや職業をやたら付けたがるのも、人をできるだけ単純に、安心できる名前でカテゴライズしたいという欲望があるからではないか、と成田は話す。そして自分はそこから逃げたいのだという。
平野が、成田のアイデンティティは見た目にすごく出ていると指摘すると、成田は、そろそろ眼鏡も毎日違うものにして、日によって星形にしていくのがいいかと思っていると応じた。成田が目指したいのは、何をやっているかわからない人、誰にも評価されない人であり、理解できない人として最後まで行けたら理想だという。ただ、人間は弱いのでなかなか難しいとも認めた。
成田は、ただ生きて、ただ死にたいと話した。長く生きたいとか、その中で何かを成し遂げたいということはない。かといって切腹して華麗に早く散りたいわけでもなく、平野はそれもまたアイデンティティが強すぎると応じた。成田が望むのは、どこかを旅している最中にトゥクトゥクに轢かれて交通事故で亡くなるような最期だという。平野がそれを「生き様」だと言うと、成田は、その時バッグに水羊羹が入っていたらいいと付け加え、対談は終わった。
ここ最近体験した食べ物の中で、なんか何とも言えないとか、どれとも違うとか、既存のカテゴリーとかジャンルとか文化になかなか分類できないなみたいなのってあったりしますか?
文化とかでは全くなくて超個人的な経験なんですけど、なんか最近、ちくわぶマジ変なもんだなって思ってて。
すごい答えた。
いや、すいません。でも今言われて確かに。なんかちくわぶって、しかもその出汁が染み切ってないちくわぶが、おでんとか煮物とかに入ってるのがすごい好きで、私。
で、何が好きなんだろうなと思ったんですけど、色々食べて、その染み切ってないのを食べた時に、記憶が飛ぶんですよ。
それはなんかの病気じゃない?
いやいやいや、違うんですけど、本当全てを忘れちゃうんですよ。その食べてたものを。その時にリセットする能力がすごくて。
それはちくわぶのすごさじゃなくて、平野さんのおかしさなんだろう。
いや、でも生麩でも起きます。
生麩。あの、ぷにょぷにょしてる。
ぷにょぷにょしてる。京都とかでちょっと焼いてたりとか田楽になってたりとかするんです。ああいうのって日本料理とかで付け合わせで出てきたりとかするんですけど、すっごい美味しい。なんか鴨のなんかとか食べてても、生麩を食べた瞬間に全部消えます。
何が起きてるんですか?
いや、だから消しゴムなんですよね。わかんないんですけど、なんかの薬が生麩に入ってるか、そういう汁があるんだと思って、最近。
確かに。でもそもそもちくわぶ、あいつ何なんですか?
いや、あいつマジ何なんですか。
だって、魚使った練り物とも違いますよね。
違うんじゃないかな。でもなんかおでんとかで練り物たちの中に、仲間かのような感じで入り込んで。
友達みたいな感じで。
混ざっているんですけど。あれ、小麦か何かで出来てるんですか?
多分小麦だと思います。粉物系ですね。
確かにちくわぶ、入ってない。あ、今なんか、小学校の時に毎週金曜日卓球やってたんですよ。その卓球の帰りにおでん屋さんの屋台に寄るのが日課で、80円のちくわぶを毎回頼んでたのを思い出しました。
あ、美味しそう。
でもちくわぶはちょっと繊細ですよね。っていうのは、練り物たちは結構煮込んでも、ちゃんとアイデンティティを保ち続けるじゃないですか。
わかる。はい。
でもちくわぶは、ちょっと漬けすぎても、入れすぎてもダメじゃないですか。ちょっと絶妙な、生存期間が短いですよね。
ああ、そうですね。実は繊細なやつかもしれないですね。
しかも生麩とか、あれ何なんだろうみたいな、ふとなんか「あれ何?」ってなることありません?
え、生麩は生麩だ。あれは何者なんですか?
生麩ってあれ何なんですかね?あれも何かしらの穀物。
あいつはもっとムチムチしてます。
してますけど、確かに生麩の原材料って何なんだろう?
しかも生麩ってなんか意外に手強くないですか?っていうのは、お店とかで田楽とかにされて出てくるとすごい美味しいですけど、パッと買って、自分でどう食べたらいいのかちょっとよくわかんなくなるじゃないですか?
ああ、でも確かにちょっとこんにゃくみたいな感じ。こういうあれですよね。金塊みたいな感じ。
そうですね。売ってますよね。「何が?」みたいな感じの顔で売ってますね。だから僕あれ時々買って、どう食べんだろうなと思って、ちょっと開けてかじりついてみたりすることあるんですけど、かじりついても全然微妙なんですよ。
あ、まあ焼いた方がいいかもしれないですね。あ、でも刺身とかでもいけるんですか?生麩って。
ああ、いけると思う。多分そうですよね。焼いてもいいけど、多分生でもいけるはずのものなんじゃ。
でもあんまり、特定の食材に思いを馳せたりとかは、成田さんはされないんですか?
いや、でも今、その生麩の謎とちくわぶの思い出は蘇ってきました。
あ、本当ですか?
京都に行った帰りに、なぜか生麩を買ってみて、どう食べるんだろうかわからないっていう体験を、多分新幹線の中で5回ぐらい繰り返してる気がします。
結構なんか、やっぱ引っかかってるんですね。
いや、生麩がすごい好きで、食べたいって気持ちあるんですよ。
あ、良かった。なるほど。
でも筒で買って、どう食べていいのかわからないってかじりついてますね。
面白い。ぜひちょっと、生麩とちくわぶだけのコースとかやる店、作ってほしいですね。誰かに。
それは誰が喜ぶんですか?
まあ少なくともこの2人は行きそうじゃないですか。
まあ、そうです。私たちが行かなくて誰が行くっていうのはあります。確かに。
そういう、異様にニッチな好みだけに特化したコースとか、ちょっと作ってもらいたいなと思って。だからパクチーだけのコースとかもぜひやってもらいたいなと思って。
ああ。好きなんですか?パクチー。
うーん、好きなんですが、まあ同時にちょっとうんざりしたいっていう感じもあって。
ああ、でも確かにうんざりするまで食べる美味しさってあるんですよね。
もういいやっていうところまで、好きなものをちゃんと食べたいってことなんで。
もう嫌になってから新しい味が出てきますよね。第2章が。
なのでちょっと、バターサンドが延々と出てくるお店とか、臨時開店していただきたいです。
あ、来てくれますか?
あ、ぜひ伺いたいです。
あ、ありがとうございます。
でもポッドキャスト番組とかやられてて、
あ、やってます。
番組を続けていく上で大事だと思ってることとかありますか?
うーん。私、再生数とか見てないです。ポッドキャスト番組に関しては。ラジオもやってるんですけど、J-WAVEさんで作ってる番組なんで、ランキングとかは出ちゃうんですけど。で、それはもちろん1つの指標になるんですけど、再生数がポッドキャストってYouTubeとかと違って、聞いてる人には見えないんですよね。
そうですよね。
で、私自身もそれあんま見ないようにしてて。結局その、「あ、これの方が筋いいんだ、じゃあそういう傾向でやっていこう」みたいな感じで、どんどんそういう方向に行ってしまうと、何のためにやってんだっけなみたいになる瞬間が来るなというか。
じゃあ何が起きた時に、うまくいったなとか良かったなって思いますか?
うーん。お店を、ノーレーズンサンドイッチのお店が、3月にこの来ていただいたところがオープンした時に、ずっとそのノーレーズンサンドの話をポッドキャストでもし続けてて、何年間みたいな感じで。多分それを聞いてくれてたリスナーの方が、そのポッドキャストを聞いての感想として、「推しが武道館行った気分」って書いてくれてて、それ、やっててよかったなって思いました。
確かに。ラジオとかポッドキャストってなんで熱量が、ですかね?なんか不思議ですよね。
なんかポッドキャストって基本、時間の制限がないじゃないですか。で、別に何十分取ってもいいし、1時間取ってもいいしっていうので。で、音声だけなんで、基本的にながら聞きじゃないですか。だからその視聴の機会が、長く、でも薄くというか、聞いていただくことができるというか。ってなると、やっぱこちら側のナラティブっていうとあれですけど、ストーリーとか考えてることを、ずっと長い時間をかけてシェアしていくことができる。
確かにそうですね。
真逆はもう本当、それこそ切り抜き動画。成田さんプロだと思いますけど。もう1秒で、てか10秒で刺すみたいな。
そういう感じになってますよね。
そういう映像の世界がめちゃめちゃ強くて、そこがメインストリームですけど、そのオルタナティブとして、長く、浅くというか、コミュニケーションを続けていくみたいなのが、ポッドキャストのプラットフォームはめちゃめちゃ向いてて。
そうですよね。しかもなんか音だけだと、横にいるような感覚になりやすいのかなっていう気がする。
あ、まさにそうですね。やっぱメディアっていうのは、180°向こうにいるっていう感覚になりやすいものがほとんどの中で、音声だと隣にいるっていう感覚になれるんで、すごい友達が増えたなみたいな感覚、私自身もあって。
ですよね。だからレンズを介さないっていうのは大事なんじゃないかな。
ああ、そうですね。
やっぱレンズってこっち側とあっち側を分けるし、どっかに焦点当てちゃうじゃないですか。
確かに。
だから映像全般にその限界はありますよね。
でもその、短くて強い言葉で世の中に広くバイラルさせるみたいなことの価値って、どう考えてますか?成田さんは。
いや、僕はどうでもいいっていう感じ。
え、でもすごい、それでみんなが成田さんのこと知ってるわけじゃないですか?
でも僕、自分でやったことは1度もないんですよ。だからたまたま勝手にそうなっちゃったって感じで。
たまたま勝手にそうなっちゃった。
なんで、僕YouTubeもTikTokも本当に1度も自分で作ったり、自分から出したことはなくて。勝手にどっかにちょろって出たのが勝手に切り抜かれて、勝手に脱法動画として出回ってるだけなんですよね。
え、でもそれが回ることについて、良いなっていう何かしらの予算みたいなのを感じた機会があったってことですか?
いやあ、自分としては良くも悪くもないって感じで、なんかそういう現象を見てるって感じで。なんでちょっと科学実験やってるみたいな感覚ではありますかね。
社会実験的な。へえ。
でも本当にたまたまそうなっちゃっただけで、別にそういうのを目指していたわけでも、目指しているわけでも全くなく。
あ、そうなんですね。
なんで最近は、そうならないように頑張ってるんです。
あ、そうなんですか。え、じゃあそのフィールドじゃからみたいな。
まあ、この番組とかはできるだけ切り抜きにくい話を。
まあ、ちくわぶとかあんまりバイラルしなさそうですもんね。
とか、短時間でパッと強い言葉をすっと言うみたいなこと、まあやれば切り抜きやすくなって広がりやすいんですけど、それを今はやめようと思ってて。今はだから、そういう感じのことほぼやってないって感じなんですよね。
え、でもその、ある種の社会実験をされて、そういう世界について何を思ってますか?
まあ、しょうもないなってのはまずある。だから食べ物とかも同じだと思うんですよね。パッと食べて瞬間的にそれに中毒になれるようなタイプのタバコとか、調味料とか素材とかあるじゃないですか。だから、それと同じっちゃ同じなんだと思うんですよね。
で、しかも動画とかの場合は、これまではそういうものを作ったり出せる人が、すごい制限されてたわけじゃないですか。それが急に民主化されちゃって、誰でもどこでも屋台出せるみたいな感じになって、やばい中毒性の高いファーストフードの屋台が街中に乱立してるみたいな感じだと思うんですよね。
そう。もうすごいですよね。
もうなんか全部の屋台でみんな目をくらませて。まあだから、いいことは、昔はそういう誘導をできる人っていうのがごくごく一部だったと。ごく一部のメディアとか。だから今崩れて行ってるのは、その昔それを牛耳ってた人たちで、日本テレビの皆さんとかフジテレビの皆さんとかが牛耳っていたのが、誰でもやれるようになっちゃったと。それはいいことっちゃいいことなんですね。
まあ、そうですね。
でもその結果、至るところ罠だらけみたいな感じになっちゃってるんで。だから食べ物とかはその意味で、いろんな規制を入れてきたじゃないですか。どういうものを売り出していいかとか。
成分表示もしなくちゃいけないし。そうですね。
で、ある種のものには、それを使おうとすると税金が余計にかかったりするわけですよね。
とか、保健所の申請が必要とか。
だから情報とかでも同じことをやるってことになるのかなと。だから情報保健所みたいなものを多分作るっていうことになっていくのかなと。
なるほど。
ただ難しいのは、その流通を今握ってんのが全部海外の企業じゃないですか。で、彼ら別に日本の規制とか気にしないんで。
YouTubeとかはまだ最近マシになってきて、ちょっとやばいことやるとあっという間にBANされたりするようになってますけど、それでもっていう感じですよね。だから、規制をかけることができない悪を生み出してしまったっていう感じなのかなっていうのが、まあ実験と観察して思うことですかね。
きついっすね。
なかなか。そういうことやられたりしないんですか?
私は、そういうちょっとアテンションエコノミー的な世界でバイラルさせるぞみたいなのは、ちょっと自分は別に。
全くやられてないじゃないですか。
やってないですね。
それがすごく偉いなと。
すごく偉いとかじゃないんですけど。
あ、尊敬してるんです。
いや、尊敬とかじゃないんですけど、別にそれが最適解だとしても、それをやりたいかやりたくないかは個人の自由じゃないですか。別にやらない選択肢もあって。だ、そういう意味ではポッドキャストとかはそのオルタナティブな居場所みたいな、健やかに生きたいけど降りたくない人にとっての適切な発信の場所って感じはします。
なるほど。でもその誘惑にそもそも興味がないって感じですか?それとも意識的に避けてるって感じですか?例えば食べ物界隈だと、味の素論争とかにいきなり参戦してたりしていいよ。
いや、もちろん確かに、Xで何を発言したらバズるかとか、食べ物だったらこういうテーマでとかは、もちろん分かりますし。でもなんか、それで盛り上がって何が自分に残るんだろうっていう。もちろんそれが楽しい人とかはやればいいと思うんですけど、生きてるなみたいな実感がそこで得られるのであれば全然いいと思うんですけど。何の意味があるのかなって思ってしまう。
ちなみに番組ホームページではノーカット版の配信もしています。番組が大赤字で大変です。ぜひ皆さんカンパをよろしくお願いします。
でも、どういう時に1番素直にやっててよかったっていう感じを得られますか?
うーん。なんか私、例えばお店やってたりとか、いろんな仕事してる中で、たまに大変なことあるじゃないですか。1個お店開けるとかも結構しんどいなみたいな。で、そういう時って、なんでやってんだろうってなるじゃないですか。で、極論みたいなところまで考えると、これって別に名誉のためでもないし、別にお金のためでもないなって思ってくると、単純になんか見てみたいっていう欲望だなって思って。頭の中にあるものを現実の世界で見てみたいっていう、ただそれだけなんだなって思う。
で、その見てみたいを形にするために、私だけが思ってても、みんなに見たくないって言われたら形にできないこともたくさんあるので、そういう時に分かるよって言ってくれる人たちがいたりするのはすごく嬉しいですけど。
でもそう感じながらも、同時にパッと分かりやすく人を集めたり動員したりしにくいスタイルでやられてる中で、ジレンマっていうか、不思議な分裂症状みたいなのはおありになりますか?
いや、でも別に私、東京ドームに立とうとしてるわけじゃないので。
東京ドームへの欲望は。
東京ドームは目指してないんで。
なのでその平野さんの、ちょっとその塩梅っていうの、バランスが絶妙なところにいらっしゃるなと思って。
ああ。まあでも別に、閉じて自分だけの世界でって思ってるわけでもなくて。だから東京駅みたいな場所に出ていくっていうのも、ある意味でちょっとジャンプというか、むしろ知らない方の方が多いところでお店開けさせていただいてるので、それはそれで、あ、なんかシーズン3だなみたいな、新シーズンだみたいな楽しさはあって。どこまで育ってくのかなみたいなのは、ちょっとこの先も見てみたいなっていう感覚はもちろんありますけど。
だからそういう、ゆっくり変化するとか、ゆっくり成長するとか大事なのかなと思ってて。
ああ。速さを求めてきましたか?
いや、自分、元々ゆっくりな人間で。
あ、そうなんですね。
だから今もこんなよくわかんない感じでゆるゆるとやってるんですけど、結局その速さとか規模を求めてしまうと、どちらにしても燃え尽きていくしかないんじゃないかっていう気がして。
まあそれはそれで美しいのかもですけど、なんか結論、思い出作りたいだけだなって思って。別に。
で、思い出はゆっくり動いた方ができるじゃないですか。
そうなんですよね。味わい深いというか。
だからゆっくり散歩しながら、いろんなところチラチラ見たり、変な草とか花とか拾ったりしてて、どっちかの方向にゆっくりとは向かってるんだけど、だいぶ効率悪くて色々寄り道してるみたいな感じが大事なのかな。
で、ただ目的地に向かってできるだけ早く進んでもダメなんですけど、かと言って全てが寄り道になると、それはそれで人間狂うようにできてるんじゃないかと。
確かに。どこに向かうかも分からないってなると、ちょっとそれはそれできついかもしれない。
なので、目的地がある感じとか、どっちの方角に進んでるかっていう感覚はあるっていう形で、自分の弱い心をどうにかギリギリ保ちつつ。
確かに暗価になっていただいてる。
でも寄り道だらけみたいな感じにできないかなとか思いますけどね。
ああ、でもまさにそれが1番健やかというか、自分には合ってるなっていう動き方かもしれないです。
でもどこにたどり着くんですか?平野さんは。
いや、でも本当に私は、物を食べて何かを感じるっていうことで、そこで何かを思ったところから何かを作りたくなったら作って、で、そういう日々の中で得た思い出が豊かだったらそれでいいっていう日々の積み重ねでしかないんで。その未来がどうとかはマジで考えてないですね。
最後の晩餐とか考えることありますか?
考えないです。
考えないですか。すごい聞かれそうじゃないですか?
すっごい聞かれます。
じゃあ逆に、自分の最後の晩餐じゃなくて、誰かの最後の晩餐を作らないといけない。自分で作らなくてもよくて、最後の晩餐をプロデュースしなくちゃいけないとしたら、どうしますか?
ああ、水羊羹ですね。
なんかムチムチする系のものに惹かれてます。呪われてます。
呪われてるのかもしんない。前世が生麩、ムチなのかもしんない。
でも神様の主食みたいな感じですね。水羊羹はちょっと。
確かに。病気でも、体力落ちてても、歯がなくなってても食べたいですね。甘くてひんやりしてて良さそうと思って。
虎屋の水羊羹を買ってタイムカプセルに入れておきたいと思います。
いいな、それ。このレーズンサンドも一緒に入れたいと思います。
ありがとうございます。え、でも私、ちょっと成田さんはどういう感じなんだろうって思いました。
何がですか?
生き方の目的みたいなのあるんですか?みたいにおっしゃってたけど、成田さんはどんな感じなんですか?
いや、目的はもちろんないですが、自分の場合、例えば食べることみたいなコアもないんですよ。もう救いようはないですね。
ああ、コアがない。
まあ、なくしたいっていうのもあるんですけど。
あ、なくしたい。へえ。
それは必要ない。ついついそういうものを求めてしまうし、そうすべきだと思いがちだなっていうのは思うんですよ。つまり、自分が何をやってる人間なのかみたいな、アイデンティティみたいなのを確定しなくちゃいけないっていう思い込みは、人間すごい強いなと思うんですよ。
そうですね。確かに。
だから、例えば肩書きとか職業みたいなのも、やたらみんな付けたがるじゃないですか。
確かに。
だから人を理解したい、できるだけ単純に、安心できるなんかの名前でカテゴライズしたいっていう欲望があるのかなと。なんかそこから逃げたいなっていう感じはありますかね。
ああ、すごいアイデンティティがビジュアルに出てますけど。
なのでちょっとそろそろ眼鏡も毎日違うのをかけたりして、日によって星とかにしていくのがいいかなと思ってるんですけど。
それはなんかシーズン2って感じで。
なので、何をやってるかわからない人、誰にも評価されない人みたいなのを目指したいなと。だから理解できない人として最後まで行けたら理想かなっていう気がします。
へえ。
でも人間弱いので、なかなか難しいなとも思うんです。
あ、でも1番生きてるって感じですね、それがなんか。
なので、ただ生きてただ死にたいっていう感じです。別に長く生きたいとか、その中でこれを成し遂げたいみたいなのはないんですよ。でもかと言って、切腹して華麗に早く散りたいみたいなのもなくて。
それもちょっと意味が強いですもんね。アイデンティティっていう意味では。
なので、どっかを旅してる最中にトゥクトゥクに轢かれて交通事故で亡くなるとかがいいなと思ってるんだと思います。
あ、でも生き様ですね。すごい。その時バッグに水羊羹が入ってたらいいなと思いました。
ということで、ノーレーズンサンドの、ごちそうさまでした。
ありがとうございました。
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