成田悠輔が中高生新聞の記者に語った、「比べない」教育、消えていくお金、そして投資の常識
PLAYERS公式経済学者の成田悠輔が、全国の中学・高校に配布されている「中高生新聞」の高校生・大学生記者から質問を受けた回である。記者たちは、学校での競争、Eスポーツ、お金の意味、投資、自分たちの夢について尋ねた。成田の答えには一貫した見立てがある。人間の行動や存在をデータとして記録する手段が増えれば、ひとつの物差しで人を上下に並べることの意味は薄れ、競争もお金も今とは違うものになっていく、というものだ。ただし投資については、成田は「ごく常識的な答え」を繰り返した。
学校は「測らず、比べない」方向へ進むという予想
最初の質問は教育についてだった。記者は親から聞いた話として、ゆとり世代の頃には徒競走で最下位の子がかわいそうだからと全員一緒にゴールさせるような、比べさせない風潮があったと紹介した。自分たちはその反動で「もっと比べさせ、勝負させなければだめだ」と言われてきた世代にあたるという。そのうえで、社会の縮図とも言われる学校という仕組みを成田がどう見ているかを尋ねた。
成田の答えは、教育は「測らず、比べない」方向にどんどん進むだろう、というものだった。例に挙げたのは運動会である。順位をつけず、男女も分けず、競う代わりにみんなでダンスをする形式が増えている。成田は、古い世代はこれを「現実社会は厳しいのに、学校だけこんな軟弱なことをしていたら通用しない」とばかにしがちだと言い、それは古い世界の人間の思い込みだと退けた。
成田の見立てでは、競争という概念そのものが変わっていく。これまでの競争は、上か下か、大きいか小さいか、速いか遅いかを競うものだった。今後はそうした縦の比較よりも、どれだけ他と違うか、どれだけ逸脱しているか、どれだけ夢中になっているかといったスタイルや価値観、審美眼を競う方向に移っていくのではないか、と成田は話した。
評価の軸が「100次元、1万次元」になるという理由
そう考える理由として成田が挙げたのは、人間を評価し、記述し、記録する方法が増えていることだ。これまでは技術が乏しかったため、全員に同じ教科書を使い、同じプリントを配り、同じ試験を受けさせて順位をつけるくらいしかやりようがなかった。しかしタブレットやPCで学ぶようになれば、教科書も試験も宿題も一人ひとりに合わせた形になっていく。
そうなると、試験の点数の高低ではなく、どれだけ夢中になったか、どれだけ笑ったか、学んだ結果として喜びや達成感を得たかといったことそのものを測れるようになるかもしれない、と成田は言う。評価の方法がABCや100点満点から「比べ方が100次元ある、1万次元ある」ような状態になれば、どちらが上か下かを議論する意味はあまりなくなる。この子はこういう形で学び、別の子は別の側面で学んだ、それぞれはそれぞれ、という当たり前の現実に戻るのではないか。成田はこれを徒競走と「勝手に踊る」ことの対比に重ね、自分が納得できる踊り方をどれだけ他人と違う形でするかを競う教育や社会になるのではないか、「稼ぐより踊れ」という世界になっていくのではないか、と述べた。
Eスポーツは「もうひとつの物差し」であり、移住先になる
次の質問はEスポーツについてだった。記者たちは取材テーマのひとつとしてEスポーツ特集を組んでいた。業界は盛り上がる一方で、ゲームばかりしている小学生も当たり前になっている。その教育的な価値をどう考えるかと問われた。記者自身は、周囲がAPEXをプレイし、大会で賞金を得たり、配信を見る人がチャットで投げ銭をしたりする光景をEスポーツとしてイメージしていると答えている。
成田は、ゲームの世界は現実世界と並び立つもうひとつの空間、もうひとつの物差しにすぎず、ゲームに熱中していても基本的にはOKではないかと述べた。ごく幼い時期の発達については考える必要があるかもしれないと留保したうえで、現実世界と電子的な世界のどちらが上という話ではないとした。特に、生まれつき障害を持っているなど、現実世界で不利な条件に置かれた人にとって、ゲームの世界は新しいオアシスになる可能性がある。
その例として成田は、「イベリン」という人物を描いたドキュメンタリー映画を紹介した。成田によれば、イベリンは成田と同年代で、ヨーロッパの(成田は「スイスだったかな」と言った)ある国に生まれた人である。生まれつき難病を抱え、ほとんど車椅子の上で育ち、学校で友達とスポーツをすることもできず、多くの時間を家で過ごした。次第に体が麻痺し、普通の言葉でのコミュニケーションも難しくなっていったという。彼は数年前に亡くなったが、その後家族は、彼がゲームの世界で何万時間も過ごし、まったく違う人生を送っていたことを知る。その世界で彼は自分なりの仕事を作り、多くの人を助け、恋人もつくり、たくさんの人とつながって愛されていた。
成田は、今はこうしたことが起きるのが現実世界で大きな傷や障害、ハンディキャップを負った人に偏りがちだが、これからは誰もがそうなっていくのではないかと話す。この地球はあり得る世界のひとつにすぎず、ここよりも綺麗だったり、面白かったり、フェアだったりする世界がいくつも並び立つ。ルールもデザインも世界観も異なる「地球の双子」が大量にでき、人はどの世界で生きるかを選ぶようになる、という見立てである。
成田はこれを移民にたとえた。日本から中国やアメリカに移住することを今の人は当たり前だと思っているが、1000年前の人から見ればSFだろう。同じように、数百年単位で見れば、電子的な平行世界に人々が移住し、そちらがアイデンティティの基礎になる世界は「ほぼ間違いなく」訪れるのではないか、と成田は述べた。短期的には仮想空間やメタバースはバブルが崩れて可能性がないと思われているが、長い目で見ればそれこそが新しい世界を創造するのではないか。Eスポーツについては「騒ぐ必要なし、みんなその世界で生きるようになるから」とまとめた。
成田自身のゲーム体験
普段ゲームをするのかと聞かれた成田は、「ちょこちょこする」と答えた。番組の前回ではファイナルファンタジーのキャラクターデザインを長く手がける天野さんのアトリエを訪ね、土産にファイナルファンタジーのバッジをもらったという。同シリーズはほとんどプレイしており、そこには累計で何千時間、ゲーム全体では累計1万時間ほどを費やしているのではないかと話した。
プレイ中はほぼ「ジャックイン」した状態で、ウイスキーを麦茶のように飲みながら遊ぶので、現実世界的には完全にゾンビのようになっているという。食事はどうしているのかと聞かれると、ほとんど食べずに36時間ほどプレイし、ウイスキーのボトルを2本、ロックで空けたことがあると明かした。さすがにまずいと思ったが、どうせなら急性アルコール中毒で倒れて別の世界へ旅立つところを生配信すれば、最後のYouTube動画として1000万再生くらいいくのではないか、と冗談めかして語っている。
仕事と休みの境界がなくなる
多忙な印象があるが休みはあるのかと聞かれ、成田は「ずっと休みみたいなもの」で、今ここで話しているのも仕事なのか休みなのかわからないと答えた。そのうえで、仕事と休みの境界をなくすことが大事なのではないかと述べた。これは24時間働けるような昔の激務の時代に戻れという意味ではなく、働いている状態と遊んでいる状態、プライベートの区別がどんどんつかなくなっていくということだという。
成田は、こうした雑談を配信することも一応仕事になっているし、SNSでは自宅からすっぴんのボロボロの部屋着で生配信している人に投げ銭が大量について、それで稼ぐ人が普通にいると指摘した。これも、人の存在を記録しやすくなっているという経済の流れの表れだと成田は見る。どこで何をし、何を言っているかをスマホで捉え、配信できるようになったから、それに紐づいたビジネスが成り立つ。生活全体、生きること全体をデータに変換し、コンテンツや作品、商品にできるようになれば、働いている状態とそうでない状態の区別はなくなっていく。成田はこれを「積極的にゾンビになろう」と表現した。
さらに成田は、生身の体が朽ち果てて死んでいくことさえデータ化してコンテンツにできる時代だと述べた。今後は、人が亡くなった後もその人の履歴に基づいてAIエージェントのようなものが立ち上がり、死んでも残り続ける。覚醒していると同時にゾンビであり、生きていると同時に死んでいるような、今の理解を超えた世界になるのではないか、と成田は語った。スマホで生配信しながら街を歩き、手持ち扇風機を持っている人は、戦国時代の人から見れば敵にすぐ見つかって殺される、頭のおかしいゾンビのような存在に見えるだろう。人間はそうしてどんどんエイリアン的になっていく、というのが成田の見方である。
「お金は消えてなくなるかもしれない」
そうしたエイリアン的な存在を前にすれば、誰がより金持ちか、誰がよりフォロワーが多いかといった比較は意味がなくなりそうだ、と成田は続けた。だからお金のようなものは消えてなくなるのではないか。大昔にはお金というものがあり、それで上下を言い合っていた時代があったらしい、という昔話になるのではないか。戦国時代に剣の強さで競っていたのと同じような扱いになるかもしれない、と成田は話した。
同時に成田は、こういう話は謎の自己啓発セミナーのように聞こえると自ら突っ込み、「だから私にお金を渡しなさい」と言い始めたら危ない自己啓発なので、そうなったら闇落ちした成田として叩いてほしいと笑いを交えた。
成田はまた、ばかにされているものが最終的には勝つという見方を示した。今やYouTuberやTikTokerは確立された華々しい職業に見えるが、10年前には謎の残念なことをやっている人たちのように見られていた。仮想通貨もひたすら詐欺だなんだとばかにされてきたが、誕生から15年ほどで時価総額300兆円ほどになった。今流通している評価軸で残念に見えるものほど価値があるのだろう、というのが成田の感覚だという。
今の生活にはお金が必要ではないか
記者は、現時点では病院に行くにもお金がかかるなど、生きるうえでお金は欠かせないのではないかと問い返した。成田は、現在について言えばその通りだと認めつつ、長い目で見れば同じことをお金を使わずにやることもできると答えた。日本では最低限の医療や生活を誰にでも保障することが名目上はうたわれており、生活保護を受ければ医療費も無料になる。誰もがいつでも無料でアクセスできる病院があれば、お金を経由しなくても基本的には同じことができる、という理屈である。
ただし成田は、そこに至るまでにはいくつかの段階があるとし、お金は今まさに黄金時代の真っ只中にあるので、いきなり誰も使わなくなることはあり得ないと断っている。その途中段階として成田が挙げたのが、人によって物の値段を変える仕組みだ。今は200円のものは誰にとっても200円だが、一人ひとりが何をしてきたか、どんな人かというデータが蓄積されれば、それに基づいて値段を変えられる。たとえば前澤さんのような大金持ちには1杯1000万円を請求し、今日食べるのにも困っている人には1円でいい、とする仕組みもあり得る。そうすればお金をやり取りする中で自然に格差の是正や再分配、公平性が生まれていく、と成田は説明した。
そうなると、お金は使われていても、その中身が変わる。人によって物の値段が違えば、成田が持つ1万円と記者が持つ1万円では買えるものが違い、意味も違う。どちらが金持ちか、どちらの資産が上かを比べることは難しくなる。これまで国家が担ってきた生活保障のようなものが、市場の仕組みの中で人の手や国家を介さずに実現できるようになり、その過程で誰にとっても共通のお金や、それで測った貧富が曖昧になっていく。その究極形として、お金がほぼ絶滅した世界も考えられる、と成田は述べた。お金らしきものは残っても、人を比較するための尺度ではなく、ただの潤滑油としてのお金に姿を変えるのではないか、という見立てである。
欲求はどう満たすのか、そして監視社会という側面
別の記者は、食欲など人間の基本的な欲求はお金があるほど満たされやすいが、そういう社会になったらどう満たすのかと尋ねた。成田の答えは「直接食べればいいのでは」というものだった。スーパーに行って物を取って帰る、レストランで頼んで食べて帰る。お金を払わなくても、誰が何を取り、何を食べたかがすべて記録されていれば、やりすぎた人は店に入れなくなる、という仕組みにできる。いちいちお金やスマホを持っていかなくていいので便利でもある。
これまではお金が一番管理しやすい道具だったが、新しい技術によって、スーパーでピーマンを取ったのか何を取ったのかというレベルまでデータが蓄積されれば、持ち金がいくらかを測らなくても、次にこの部屋から出られるか、コンビニに入店できるかがデータそのものによって決まるようになる、と成田は話した。そのうえで成田は、これは考えようによってはディストピア的であり、究極の監視社会のようなものだと認めた。それでも、おそらくそうなっていくのではないか、というのが成田の見方である。
投資するなら「株式インデックス」
記者から、そうした社会を見据えて自分なら何に投資するかと聞かれた成田は、「すごく普通の答え」だと前置きして、株式インデックスに投資したいと答えた。
理由は株の実績である。成田は投資対象として、FX、仮想通貨、債券、金、銀やダイヤモンドなどの希少物質を挙げ、それぞれに特徴があるとしたうえで、仮想通貨はすごいが歴史がまだ短すぎて今後どうなるかわからないので一旦横に置くと述べた。歴史のある資産で比べると、株ほど実績を積み重ねてきたものはあまりない。
成田が示した比較は金との対比だ。世界中に存在するすべての金の価値と、世界中の全上場企業の時価総額を比べる。成田によれば、およそ80年前には両者が大体同じくらいだったらしいが、最近は株が大きく引き離し、一桁違うという。金はパフォーマンスのいい資産というイメージがあるが、その金と比べても株の平均的な伸びはすごい。だからこそ多くの人が株への投資を勧め、個別株は難しいので平均をとる、特に全世界の株式を組み合わせると相対的にいい、という話になっている、と成田は説明した。
成田が強調したのは、投資には常識があり、「常識以上の正解は存在しない」ということだ。それ以上の秘密を教えるから会員費10万円を払え、という人に騙されてはいけない。スタートアップ投資のように、一部の人に非常に有利なルートがあるのは確かだが、それが回ってくるのは残念ながらすでに金持ちの人だけだという。普通の人が普通に資産を増やしたいなら、株式インデックスのような常識的な投資をし、対象も投資のタイミングも分散させてリスクを分散する、という「言っていて恥ずかしくなるような普通のアドバイス」に従うのがいいのではないか、と成田はまとめた。
株という発明と、幻想を飲み込む資本主義
成田は続けて、株を発明したことは人類の経済史の中でも最も大きな結節点のひとつだったのではないかと述べた。株はただの紙切れであり、今は紙切れですらない。未来に起きるかもしれないことを無理やり権利にして、今それを取引することにし、それが最も重要な資産クラスになっている。成田は、経済にはまだ存在しないものや、ふわふわした幻想や情報を無理やり商品にし、みんなで価値があることにして値段をつけていく、謎の詐欺師集団、謎の占い師集団のようなところがあると表現した。それが強まって暗号通貨のようなものまで作り出せるようになり、今後も新しい資産が次々に出てくるかもしれない。
資本主義は幻想を飲み込みながら加速し、すべてを飲み込んでいく。しかしそれを突き詰めた先では、なぜかお金や資産がいらなくなる社会が訪れるのではないか。成田はこれを「変なことを考えている」と自ら評した。そして言いたいことは結局「お金と筋肉に騙されてはいけない」ということだと述べた。人間は筋肉量やお金の量のような単純な尺度を欲しがるから、というのがその理由である。
記者たちの夢(1):功績を残したい
終盤、成田は記者たちに夢や野望を尋ねた。ひとりは、抽象的だが何か功績を残したいと答えた。アニメや漫画の主人公に憧れるタイプで、がむしゃらに突っ走って人を巻き込み、人に影響を与えるような生き方に小さい頃から憧れてきたという。
成田は、アニメや漫画も不思議なもので、紙の上にお絵描きしているだけなのに、あれほどの想像力と物語性を持ち、ひとつの産業になっていると述べた。株式と同じか、それ以上にすごい発明なのかもしれないという。そして、功績や野望もまた人間が頭の中で作り出した物語、ある種の概念であり、それがこの社会で最も深いインパクトを持ってしまうことは、人間社会のすごさであり、ダメさでもあるのかもしれない、と話した。
記者たちの夢(2):政治で将来を守りたい
別の記者は、大きな野望ではないがと断ったうえで、今の日本はいろいろなものが整っているが、それが将来なくなってしまうのではないかという不安があると話した。政治の力で、発展しながらそれを維持できるようにしたい。ただ、将来の話は今の関心事になりにくく、あまり議論されない。どうすれば議論を活性化できるかと成田に尋ねた。
成田は、自分に聞かずに自分で考えて実行すればいい、自分は淘汰されていく古い世代の人間だと答え、逆に政治で何ができたらいいと思うかを聞き返した。記者は社会保障と財政に注目しており、若者と高齢者の間の世代間格差を変える取り組みができれば、若い人も将来に希望を持って生きていけるのではないかと答えた。その手段として選挙の仕組みを変えることが大事だとも述べ、成田が選挙について発言していることにも触れた。
国会議員がいいのか、首長がいいのか、新しい国を作るのがいいのか、革命家になって国会議事堂を爆破するのがいいのか、と成田が冗談を交えて問うと、記者は、政治家はさまざまな利権などに影響されるので、できることは大きく見えて意外と小さいのではないかと答えた。結局は国民の意識が変わらないと政治は変わらないので、メディアなど人に伝える仕事から変えていけるのではないか、という考えである。
成田は、政治以外の方法もいろいろありそうで、メディアで有名人になる道も、革命家になる道もあると応じた。そのうえで、日本の難しいところは、そうしたルートの中で政治家になることがあまり得に見えないことだと指摘した。だからこそ政治の道を選ぶべきなのかもしれない、と成田は言う。先ほどの話に引きつければ、物差しの不利な側にこそ大きな金塊が埋まっているかもしれない。自分のように外野からいろいろ言っているだけの人間にはなってはいけないのではないか、と成田は付け加えた。
記者たちの夢(3):寄り添う曲と、子どもの居場所
最後の記者は、曲を作る人間としての言葉を語った。誰にでも人に言えない悩みや孤独があると思っており、万人受けを狙うのではなく、自分が書いた旋律や曲が誰か一人の心に触れ、少し一歩を踏み出してみようと思えたり、少し口角が上がったりする、それくらいでいいから影響を与えたいという。自分の存在意義が見当たらなくなり、なぜ曲を書いているのかと思う時もあるが、「生きていていいんだよ」と思ってもらえるような、優しく寄り添う曲を書きたいと話した。
さらにその先の夢として、子どもが好きなので、音楽をやりたくてもできないなど、救われない子どもたちが挑戦したいことに挑戦できる場所をつくりたいと語った。ここに来れば守られているから自由にやっていい、と言えるような安心できる場所を、未来の子どもたちに提供したいという。
成田はこれを「すごい表現力」と評し、話を聞いて自分の下がっている口角が少しだけ上がった気がすると応じた。番組は、学生新聞の記者たちに口角を上げ、功績をつくり、次世代に夢をつなぐための話を聞いた回として締めくくられ、成田は自分が喋りすぎたことを詫びて終えた。
教育についてちょっとお伺いしたいなと思ったんですけど、学校ってもう社会の縮図を詰め込んだような、なんか比べられたり、色々なんて言うんだろうな、クラスの中で起こりうるいろんなトラブルだったり、そこで人間関係を学んでとか言われたりすると思うんですけど、私たちより10年前とかはゆとり世代とか言われて、私の親から聞いた話だと、かけっこでその順位をつけると、1番遅かった子がかわいそうになるからゴール一緒にするみたいな話とか、色々そういう比べさせないっていう文化というか風習があったっていうのを聞いたんですけど、逆に
ちょうど皆さんの世代と僕の世代の間ぐらいですね、ゆとり世代は。はい、そう。私たちはまだそこを体験してない、その逆に、もうちょっと比べさせないとだめだ、勝負させないとダメだって言われた世代。ゆとり世代の反省とか揺り戻しです。そうそう。そこの世代に当たるんですけど、成田さんが思うその学校としてのその社会のあり方っていうか、その箱に囚われた世界っていう学校の仕組みについてどう教育的に思われてるのかなっていうのはすごい気になります。
一言で言うと、教育も測らなくて比べない方向にどんどん行くと予想してます。で、アナロジーとしては、例えとしては、今かけっこの競争を比べない、順位を比べないみたいな話あったじゃないですか。その流れ最近も続いてますよね。で、運動会とかでもまず順位つけないで、男女も分けないで、なんか競う代わりにみんなでダンスしましょうみたいなことでやるの増えてますよね。
で、あれ、僕たちみたいな古い世代の人間はバカにしたり批判しがちだと思うんですよ。よくあるのは、現実社会はもう厳しいんだと、あそこではあんなに競争があるじゃないかと、学校でだけこんな軟弱なことやってたら世の中で通用しないみたいなのがよくあるんだと思うんですよ。それは古い世界の人間の思い込みだと思うんです。
今後はどちらかというと、徒競走をしてどっちが早いか競うっていうタイプの競争より、踊って、どっちが変か、あるいはどっちがユニークか、どっちが夢中になってるかを競い合うような方向に競争って概念自体が変わっていくんじゃないかって気がするんですよね。つまり、上か下かとか、大きいか小さいか、早いか遅いかっていうのを競うってのが僕たちの競争のイメージじゃないですか。その競争がちょっと意味が変わっていって、どちらかっていうとその上か下かっていう縦の方向よりも、いかに逸脱するかとか、いかに他と違うかっていうスタイルを競う、あるいは価値観とか審美眼みたいなものを競う方向に競争っていう概念が変わっていくんじゃないかと思ってるんですよ。
で、なぜかって言うと、それはさっきの話と変わっていて、要は人間っていう存在を評価したり記述したり記録したりする方法が増えてるからだと思うんですよ。で、これまではポコだったんで、結局例えば勉強でもみんな一括して教えないといけないんで、同じ教科書教えます、同じプリント配って同じ試験やらせて、で順位つけるぐらいのことしかやりようがなかったと思うんですよ。
でも今だんだんとみんなタブレットとかPCで勉強するようになって、これからは教科書も1人1人に違う形になっていくし、試験も宿題もそれぞれの人に適応した形になっていきますよね。で、そうすると別に試験の点数が高いか低いかじゃなくて、どれぐらい夢中になってるかとか、どれぐらい笑ってるかとか、なんかどれぐらいその結果として、その勉強した結果として喜びとか達成感を得たかみたいなことそのものが測れるようになるかもしれないですよね。で、それが測れたら別にそれで比べたっていいわけじゃないですか。
で、そうすると、例えば学びとか教育みたいなものを測ったり評価したりする方法っていうのが、これまでの例えばABCとか100点満点みたいなものから、なんか比べ方が100次元あります、1万次元ありますみたいな感じになると思うんですよ。で、そうなれば別にどっちが上とか下とかっていうことを議論することあんまり意味がないですよね。で、この子はこういう風に学びを得た、別の子はこういう別の側面で学びを得た、それぞれはそれぞれっていう、ただ当たり前のその現実に戻るんじゃないかな。
で、それがさっきのそのかけっこで競争して順位をつけるのか、勝手に踊るのかっていうことに対応してると思っていて、今後はそのそれぞれが勝手に踊って勝手に舞って、それぞれ変。で、それぞれの人が競うとしたら、いかに他の人たちと違う、自分が納得できる踊り方をするかっていうような教育とか経済とか社会になっていくんじゃないかなっていう気がしますけどね。どうなんでしょう。だから稼ぐより踊れみたいな世界になっていく。
確かに。なんかそれこそ今日自分たちが取材できた1個のテーマが、eスポーツ特集号ってことでeスポーツを1個テーマにしてるんですよね。で、それこそ今後もっとeスポーツの業界盛り上がってくのかなって思う一方で、なんかよく、もうゲームしかしない小学生がいますとかっていうのが結構当たり前になってきてんじゃないかなって思ってて、なんか成田さんが思うeスポーツってところに関して、かける教育ってところで、なんか教育的価値みたいなところ、成田さんが思うそのそこをちょっとお伺いしたいなって思います。
例えばeスポーツってどういうものをイメージされたりこう考えたりされてますか。自分はApexとか、その世代じゃないですけど周りみんなやってたんで、そこでなんか競って大会とかで優勝して賞金をもらうとか、あとライブ配信とかでそのゲーマーの人たち、eスポーツのプレイヤーの人たちを応援する人たちが、なんか応援でお金をチャットとかで出したりっていうイメージが自分はありますね。
なので、その電子的な世界っていうのが、この現実世界と並び立つもう1つの空間、もう1つの物差しになるっていう、ただそれだけだと僕は思ってるんですよ。なので、ゲームに熱中していて、基本的にはOKなんじゃないでしょうか。もちろんちょっとすごいちっちゃい時期とかの発達とかのことは考えなくちゃいけないのかもしれないですね。ただ基本的には別にこの世界と、それと並び立つ電子的な世界のどちらが上とか下とかっていう話でもないじゃないですか。
で、特にこちら側の世界で不利な条件に置かれてしまった人たちっていると思うんですよ。障害を持って生まれてしまったとか、そういう人たちにとっては新しいオアシスになる可能性ってありますよね。特に最近、『イベリン』だったかな、ドキュメンタリー映画があるんですよ。で、イベリンっていうのは人の名前で、僕と同年代ぐらいのヨーロッパのスイスだったかなに生まれたとある人の名前なんですよ。
で、その人は生まれながらに難病持ってて、ほとんど車椅子の上で生きなくちゃいけないっていう状況で育った人なんですね。で、だから現実世界での普通の生活とか普通の社交っていうのがほとんどできないですよ。で、学校で友達と普通にスポーツすることもできない、で多くの時間家にいなくちゃいけない、で、だんだんと体が麻痺してきて、普通の言葉でコミュニケーションすることも難しいみたいな人なんですよ。
で、その方がその難病で亡くなっちゃったんですよね、何年か前に。で、その後家族が気づいたことがあったんですよ。それは、彼がそのゲームの世界で何万時間も過ごしていて、その世界で実は全く違う人生を送ってたっていうことなんですよ。で、彼はその世界で自分なりの仕事を作って、すごいたくさんの人を助けていて、その世界で恋人も作って、すごいたくさんの人たちと繋がって愛されてたってことが、亡くなった後にわかったっていう話なんですよ。
で、今の世界ではまだそういうことが起きるのは、たまたまこっち側の世界で、つまりこのリアル世界で何か大きな傷とか障害とかハンディキャップを負ってた人になりがちだと思うんです。だからこれからはそういう風にみんながなっていくんじゃないでしょうか。つまり、この世界とかこの地球というのは、色々あり得る世界とか地球のうちの1つに過ぎないと。そしてそれと並び立つような、もしかしたらここよりもずっと綺麗だったり、ずっと面白かったり、あるいはずっとフェアだったりする世界っていうのがたくさんできる。そういう地球とか世界の双子みたいなのが大量にできていくと。
で、それぞれの世界なりに特徴があると。つまりeスポーツのルールがそれぞれごとに違う、デザインが全く違う、世界観が違うってのがバーっと並び立っていて、それぞれの人がどの世界で生きていくかを選び取るっていう時代が来るんじゃないか。で、実際今僕たち他の国に移民したりすることあるじゃないですか。日本から中国に移民するとか、日本からアメリカに移民するって、まあ当たり前だと思ってますよね。でも1000年前の人から見たらどう考えてもSFじゃないですか。
で、それと同じように何百年単位で見たら、いわばその電子的な別のeスポーツ世界や、スポーツに囚われない新しい別の平行世界にどんどん移住していく、でそっち側がアイデンティティの基礎になるみたいな世界は、ほぼ間違いなく訪れるんじゃないかな。なので短期的には仮想空間とかメタバースとか、バブルが崩れて何の可能性もないみたいな風に今思われてますけど、長い目で見るとそれこそが新しい世界を創造するんじゃないかなみたいな気はしますけどね。という意味でeスポーツは騒ぐ必要なしと。なぜならみんなその世界で生きるようになるからっていう感じですね。
なるほど。ちなみに成田さんってゲーム普段されるんですか。ちょこちょこしますよ。へえ、何やられてるんですか。結構色々やりますけど、この番組の前回も、ファイナルファンタジーのキャラクターデザインをずっとやってる天野さんっていうアーティストの方のアトリエにお邪魔したりして。で、そのお土産でファイナルファンタジーのバッジをいただいて、今後はそれを糧に生きていきたい。ファイナルファンタジーシリーズとかもほとんどプレイしてるんじゃないかな。へえ。累計多分何千時間はそこに溶かしてると思う。多分累計で1万時間はゲーム空間で溶かしてる気がします。
その世界は、その時はもうほぼ僕ジャックインしてて、ウイスキーを麦茶のように飲みながらプレイしてるんで、もうほぼ現実世界的には完全にゾンビみたいな。なんかすごい多忙なイメージがあるんですけど、休みとかってあるんですか。ずっと休みみたいなもんですよね。今ここで喋ってるのも、これ仕事なのかもはや休みなのかわかんない。
なので仕事ってことについて言うと、その仕事と休みの境界をなくすっていうことも大事なのかなと。で、それはやっぱ昔のブラックな時代に戻れって意味じゃないんですよね。その激務とか24時間働けますかって意味ではない。むしろ働くっていう状態と、遊んでるとかプライベートっていう状態の区別がどんどんつかなくなっていくと思うんですよ。
で、実際今でも、こんな雑談を配信することも、これ一応仕事になっちゃってるわけじゃないですか。で、SNSとか見ると、自宅からすっぴんでボロボロの部屋着でなぜか生配信とかしてる人たちにむちゃくちゃ投げ銭とかついてて、オタ位で稼ぐ人とか普通にいるわけですよね。で、あれも実はさっき話した、どんどん人の存在を記録しやすくなってるっていう経済の流れの1つの現れだと思うんです。つまりどこで何をしているか、何を言ってるかっていうのをちゃんとスマホを通じて捉えられる、でそれを配信したり放送したりできるようになってきたから、それに紐づいたビジネスができるようになってるわけじゃないですか。
ということは、その生活全体とか生きること全体っていうのを、いわばデータに変換して、でそれをコンテンツに変換したり、作品にしたり、ビジネスにしたり、商品にしたりすることがどんどんできるようになると思うんですよ。で、ということはやっぱ働いてる状態とそうでない状態とか、休んでる状態と頑張ってる状態とかっていうのの区別があんまりなくなっていくと思うんですよね。という意味で、積極的にゾンビになろうっていうことですかね。
ゾンビの時って、なんかさっきウイスキー飲むっておっしゃってたんですけど、ご飯とか何食べてるんですか。いや、だからあんまり食べずに36時間ぐらいプレイしてて、ウイスキーのボトルを確か2本。だからウイスキーをロックで多分1.5リットルぐらいで、やばいなと思って。だからせっかくならそれでそのまんま急性アルコール中毒かなんかで倒れて別の世界に飛び立っていくところを生配信したりしたら、自分の最後のYouTube動画として1000万再生ぐらい行ってくれるんじゃない。記録的な。
でもそういう感じで、生身の体が朽ち果てて死んでいくことさえも、いわばデータ化してコンテンツができてしまう時代だと思うんですよ。確かに。で、今後は僕たちが死んでなくなった後も、この自分たちがこれまでやってきた履歴に基づいて、そのAIエージェントっぽいものが立ち上がるじゃないですか。そうすると、なくなりますよね。確かに。死んでも残り続けるこの世界で、覚醒していると同時にゾンビになっている、生きていると同時に死んでいるみたいな、僕たちの多分理解を超越した感じの世界になっていくんじゃないですかね。
今スマホで生配信しながら街中歩いてる人とか、戦国時代の人から見たら完全にお化けですよね。すぐ敵に見つかっちゃうし殺されて。手持ちの扇風機を持ちながらスマホで配信してる、完全に頭のおかしいゾンビみたいな存在です。だからそういう感じでどんどんエイリアン的になっていくんじゃないですかね。で、そうなっていくと、そのエイリアンたちを見て、こちらの方がこちらよりお金持ちとか、こちらの方がこちらよりもフォロワー数が多いとかって、多分意味なくなりそうですよね。
だからお金みたいなのは消えてなくなっちゃうんじゃないかな。で、大昔を見ると、お金っていうものが存在していて、それでこっちがこっちより上みたいなことを言っていた時代があったらしいよっていう昔話になるんじゃないですかね。戦国時代の剣の強さで競ってたみたいな感じになるんじゃないですか。
でもそんな話をすると、なんかちょっと謎の自己啓発セミナーの話。なので、これで「だから私にお金を渡しなさい」って言い始めたらやばい自己啓発だと思うので、それを僕がやり始めたら、成田は闇落ちしたと叩いていただければと思います。
やっぱり馬鹿にされてるものが最終的には勝つじゃないですか。なので今、例えばYouTuberとかTikTokerって言うと、なんか確立された職業で華々しい感じちょっとするじゃないですか。あれも10年前とかは、謎の残念なことやってるSNSの木みたいな感じだったわけですよね。で、仮想通貨とかも詐欺だなんだかんだって、ひたすら馬鹿にされた怪しげなものって扱いじゃないですか。でも気づいてみたら誕生から15年とかで時価総額300兆円とかになってるわけですよね。やっぱりそのバカにされて、今流通している評価軸で残念なところに見えるものほど価値があるんだろうなという気がしてるところです。
先ほど、お金はもう今後必要なくなるってさっきおっしゃられてたと思うんですけど、今現在、生きる上でやっぱりどうしても病院に行くためにはお金が必要だったり、少なからずともかかってくる、そういうお金の大切さについてどのようにお考えですかね。今現在で言ったらそうでしょうね。
で、ただ今後長い目で見ると、同じことをお金を使わずにやることもできますよね。つまり別に例えば今日本で言えば、最低限の医療とか、あるいは最低限の生活は誰に対しても保証しましょうって名目としてなってるわけですよね。なので生活保護を受けることもできるし、生活保護に値するような人たちとかは医療費とかも無料になるじゃないですか。ということは、別にお金を経由しなくても、それぞれの人が別にいつでもただでアクセスできる病院とかがあれば、それでも同じことは基本できますよね。別にお金を経由しなくてもできるんじゃないですか。確かに。
で、さらに言うと、そこに至るまではいくつかステップがあると思うんですよ。もちろん今お金が黄金時代の真っ只中を迎えていて、でそれがいきなり誰もお金使わなくなりますってことはありえないです。でも例えばその間で言うと、今その物の値段って大体誰にとっても同じじゃないですか。これを買おうとすると、じゃあこれが200円だったら誰にとっても200円ですよね。でもさっきみたいに、それぞれの人が何をやってきたかとかどんな人かってデータがどんどん溜まると、そのデータに基づいて物の値段を変えることもできるようになるじゃないですか。
そうすると例えば、これがすごい大金持ちの前澤さんみたいな人には、ちょっととりあえず1杯1000万ぐらいチャージしとくか、だけど今日食うのにも困ってる人には1円でいいとしましょうみたいな仕組みとか考えられる。そうすると、そのお金をやり取りする中で自然と格差の是正が行われていくとか、再配分とか公平性みたいなものがその中で生み出されていくみたいな仕組みとかってのは例えば可能だと思うんですよね。
で、そうなってくると、お金は使われてるんだけど、お金って言ってるものの中身が変わってきますよね。つまり人によって物の値段が違うとすると、僕が持ってる1万円と皆さんが持ってる1万円の意味が変わってくるじゃないですか。買えるものが違うんで。そうすると1万円っていうものは何を意味してるか人によって違う。で、同じ1万円持っててもそれで何を買えるかが人によって変わってくるから、どっちがお金持ちかとか、どっちの方が資産が上かとかっていうのを比べることが難しくなっていくと思うんですよ。
っていう感じで、その値段が人によって変わるみたいに市場が柔軟化する。で、それによってこれまでは国が生活保護でやってたようなこととかが、市場と経済の仕組みの中で、人の手を介さずに、国家を介さずにできるようになっていく。でその中で徐々に、誰にとっても共通のお金とか、それで比べたお金持ち・貧乏みたいなものが曖昧になっていくみたいなことが少しずつ起きていくのかな。でその究極形を考えると、お金みたいなものがほぼほぼ絶滅したような世界っていうのを考えることもできるかなという感じですね。
お金みたいな形は残っても、その今のお金の意味とは全く違う意味。なので、お金っぽいものはあるんだけど、それで人を比較したり、どっちの方が上とか下とか、お金持ちとか貧乏人っていうのを比べることが難しいような、もっと曖昧なお金、ただの潤滑油としてのお金みたいな形に姿を変えたりするんじゃないかなっていう気がしますけどね。
なんか自分が理解しきれてないだけかもしんないですけど、今って例えば人間って三大欲求あるじゃないですか。食欲とか、物を満たすのにお金あればあるほど満たされやすいのかなと思ってて、もしそういう社会になってったら、そういうのどうやって満たしてくんだろうなっていう疑問が。
直接食べればいいんじゃないですか、もう直接介さず。つまりスーパーに行ってなんか物取って帰ってくる、レストラン行ってなんか頼んで食べて帰ってくる、別にお金払わなくてもいいじゃないですか。で、その人がそのスーパーで何を取ってきたかっていうことが全部記録されていて、何を食べてきたかってのが記録されていれば、やりすぎると店に入れなくなるとかっていう仕組みになります、っていう方がまず便利じゃないですか。いちいちお金持っていったりスマホ持っていったりしなくていいですよね。
で、単に便利なのに加えて、いわばお金みたいなものを経由して、値段とか年収とか資産みたいなものを経由しなくても世の中を回せるようになってくるんじゃないかなみたいな感じですかね。これまではそのお金が1番そういう管理しやすいツールだったけど、今後はまた新しい技術の発展でお金じゃない新しい測り方が。
なんで、それぞれの人が要はスーパーでピーマンを取ってきたのか人参を取ってきたのかみたいなレベルまでデータがバーっと蓄積されていれば、別に持ち金がいくらかっていうことを測らなくても、そのデータそのもので、次にこの部屋から出れるかとか、1階のコンビニに入店できるかとかっていうのが決まるみたいな感じになっていくのかな。だから、これはちょっと考えようによってはディストピア的ですよね。つまりなんか究極の監視社会みたいな感じじゃないですか。でも多分そうなっていっちゃうんじゃないでしょうか。
ちなみに番組ホームページでは完全版の配信もしています。番組が大赤字で大変です。是非皆さんカンパをよろしくお願いします。
よく投資って、お金をここに増やすために投資するとか不動産とかよくありますけど、その社会になるために自分だったらこれに投資するっていう、なんか先見の明とかってありますか。これは軸にしたい。すごい普通の答えでいいですか。株式インデックスに投資したい。
っていうのは、株っていうものの実績はすごいんですよ。で、じゃあ例えば株以外にどんなものが思い浮かびますかね。投資するものみたいなところですか。FXとか、仮想通貨とかとこですかね。あとは債券とか、金買うとか。確かに。で、他のレア物質系ですよね。銀買うとかダイヤモンド買うとか色々あって、でどれもそれぞれに特徴ありますよね。
仮想通貨はすごいんだけど、ちょっと命がまだ短すぎて今後どうなるかわかんないんで、ちょっと一旦横に置いときますよ。で、そうすると他の歴史ある資産を見てみると、やっぱ株ほど実績を積み重ねてきたものはあんまりないですよね。例えば金と比較してみますか。金、じゃあ世界中に存在している全ての金を持ってきて、それの値段がどれぐらいか測ってみるじゃないですか。で、今度世界中に存在してる全上場企業の時価総額を持ってきたとするじゃないですか。だから全株式会社と全純金の値段の差を見るんですよ。
そうすると80年ぐらい前ってその2つが大体同じぐらいだったらしいんですよ。で、それが最近はもう株がぶっちぎっていて、大体一桁違うんですよ。だから金ってすごくパフォーマンスいい資産ってイメージありますよね。金と比べてもやっぱ株の平均的な伸び方っていうのはやっぱすごいわけなんですよ。だからこそみんな株に投資することを勧める。で、特に個別株は難しいので平均して、で特に全世界の株式を組み合わせたりすると相対的にいいんじゃないかとなっている。
で、投資の重要な点は、そういう常識あるじゃないですか、常識以上の正解は存在しないってことですね。なんで、それ以上の秘密を語ってあげます、会員費は10万円って言ってる人に騙されてはいけないですね。なので投資についてはごくごく常識に従っておく。
で、それ以外の道が開ける場合もなくはないわけですよ。例えばスタートアップ投資とかだと、やっぱり一部の人たちにはすごく有利なスター。これは確かですよね。ただ、それが回ってくるのは残念ながらすでにお金持ちの皆さんだけということなので、普通の人が普通に投資して普通に資産を増やそうと思ったら、普通に株式インデックスとか常識的な投資をしておく。で、色々分散させて、いつ投資するかも分散させて、ちゃんとリスク分散をしましょうっていう、言ってて恥ずかしくなるような普通のアドバイスに従っておくのがいいんじゃないかなっていう気がしますね。
株はすごいということで、あんなものを発明してしまったのは、やっぱり人類の経済の歴史の中でも1番大きな発明、結節点の1つだったんじゃないでしょうか。だって株って不思議ですよね。ただの紙切れ、もう今紙切れでさえないんですよ。で、未来に起きるかもしれないことを無理やり権利にして、でそれを今無理やり取引しようってことにして、でそれが最も重要な資産クラスになってしまっている。
だから経済ってのはもう、こういうまだ存在してないものとか、なんかふやすした幻想とか情報みたいなものを無理やり商品にして、でそれに価値があるってことにみんなでして値段をつけていくっていう、謎の詐欺師集団、謎の占い師集団みたいなところがありますよね。で、それがだんだんと強まっていって、今や暗号通貨みたいなものも作り出せるようになってしまった。で、今後も新しい資産が次々出てくるのかもしれないですよね。
ということで、資本主義はどんどんと幻想を飲み込んで、ますます加速していると。だから全てを飲み込んでいくが、それを突き詰めた先では、なぜかお金とか資産みたいなものがいらなくなるような社会が訪れるんじゃないのかなっていう変なことを考えてます。合ってますかね。こんな感じだよな。
まとめても言いたいことは、お金と筋肉に騙されてはいけない。筋肉。やっぱり人間、単純な尺度欲しがりますよね。確かに、筋肉量とかお金の量。確かに。
ちなみに皆さんは夢とか野望はあるんですか。この皆さんがやられてる学生新聞の夢とか野望でもいいですし、もっと大きく見た人生の野望でもいいし。すごい抽象的ですけど、やっぱ何か功績は残したいって思いますね。それはなんでですか。
なんか自分はすごいアニメとか漫画とかで、すごい物語の主人公に憧れるタイプっていうのもあって、なんかがむしゃらに突っ走って、なんか人を巻き込んだ何かしらの結果じゃないですけれども、なんか人に影響を与えるようなことに対して自分はすごい憧れをちっちゃい頃から持ってたので、なんでそういう生き方をしたいなとはずっと思ってます。
アニメとか漫画も不思議なものですよね。紙の上にお絵かきしてるだけですからね。これがあんな想像力と物語性、それが1つの産業になってしまう。これも株式と同じかそれ以上にすごい発明なのかもしれないですね。なので、これ全部物語じゃないですか、僕たちの頭の中の。でその中で作り出されている功績とか野望ってのを、僕たちが想像して作り出したある種の概念とかコンセプトだと思うんですね。それが1番この社会で1番深いインパクトを持ってしまうと。それが人間社会のすごさであり、ダメさなのかもしれないですね。
なんかどうぞ。いや、僕はあんま大きい野望とかは、大きいことではないんですけど、なんか今の日本って結構なんか整ってるじゃないですか、いろんなものが。なんかそういうものがその将来なくなっちゃうんじゃないかなっていう不安があって、なんかそれをその政治の力で保てるようにというか、発展しながら維持できるようにしていきたいなっていう思いがあって。
ただやっぱりそういう将来のこととかっていうのは今緊急性がなくて、あんまり話されないじゃないですか。なので、どうやったらその将来のことで、今にはあんま直結しないけど、そういう方について議論を活性化させていくためにはどんなことができるのかなっていうのを成田さんに伺いたいな。いやいや、僕なんかに伺わずに自分で考えて自分で実行すればいいんです。古い世代の淘汰されていく人間ですから。でも政治の力で例えば何ができたらいいなと思いますか。
例えば社会保障と財政っていうのに注目してて、やっぱり今ってその若い人と高齢者世代で、結構その長く見た時に世代間格差みたいのがあると思うんですけど、そういうのを変えるための取り組みがその政治でできれば、その若い人も将来に希望を抱いて住んでいけるんじゃないかなって思ったり。あとそれを変えるための手段として、やっぱ選挙で、成田さんもすごい選挙に言及されてると思うんですけど、やっぱりその仕組みが変わっていくっていうことが大事なんじゃないかなって。
そのために何になるのがいいんですかね。国会議員ですか、それとも首長ですか、それとも新しい国を作るのがいいのか。そうですね。革命家で国会議事堂爆破するのがいい。難しいですよね。なんかその政治家って言っても、やっぱりいろんなもう利権とか何やらまで気にしないといけない、影響されるじゃないですか。その時にできることって大きいように見えて意外と小さいと思ったりするので。
なんかそのいろんな人の意識を変えられるような、まず結局政治もその国民の意識が変わらないと政治って変わらないじゃないですか。なので、メディアだったりとか、なんかいろんな人に色々伝えていくような仕事というか職業みたいなところから変えていけるんじゃないかなと。
なんで政治以外の方法でも色々やれそうですよね。そうですね。今おっしゃったことにアプローチするんなら、もしかしたらメディアで有名人になった方がいいのかもしれないし、あるいは革命家になった方がいいのかもしれないし、いろんなルートがありそうですよね。だから日本の難しいところは、そういういろんなルートの中で、やはり政治家になるっていうルートがあんまり得じゃないように見えちゃってることです。そうですね。でもだからこそ政治っていう道を選ぶべきなのかもしれないですね。さっきので言うと、やっぱその物差しの不利な側の方が埋まっている金塊はでかいかもしれないっていうことで。僕のように外野からぺちゃくちゃぺちゃくちゃいろんなこと言ってるような人間にはなってはいけないんじゃないかなと思いました。
最後なんか、終わりになりますか。はい。私は、1人の作曲、曲を作る人間としての言葉なんですけど、誰もみんな多分心の中には人に言えない悩みとか孤独が必ずしも多分あると思っていて、なんかその私が書き出す音、その旋律とか曲で、誰か1人でもいい、なんかその万人受けしたいとかってわけじゃなくて、誰か1人にでも私が書いたものがちょっと心に触れる、そのちょっとでも一歩出してみよう、足を踏み出してみようとか、少し口角が上がるとか、それぐらいでもいいから、ちょっと影響を与えさせたい。与えさせたいっていう言い方はちょっと良くないんですけど。
私の存在意義が結構見当たらなくなる時があるんですけど、なんで曲を書いてるんだろうって。なんか、書いてていいんだよって思ってもらえるような人に、優しく寄り添えるような曲を書きたいなって思ってます。すごい表現力ですね。
その先で、その曲を音楽家としてなのかな、なんか私はすごい子供とかも好きなので、本当に世の中には救われない子供たちもたくさんいる。音楽をやりたくてもやれないとか、音楽以外にも色々あると思うんですけど、そういう形に、何かやりたいものに挑戦できる環境を与えられるような場所とか、安心できる、ここに来れば守られてる環境だからここで自由にやりなっていうようなスペースとかを作って、幸せになってほしい。未来の子供たちにそういう場所を提供したいなっていうのは、先の先の夢ですが、ちょっと頭にあります。
いや、今伺ってて、自分の下がってる口角がちょっとだけ上がった気がします。ちょっと言葉がうまくないですけど。ということで終了時間のようですが、今日は学生新聞の皆さんにお越しいただいて、口角を上げて、功績を作り、次世代に夢をつなげるためのお話を伺ってまいりました。成田喋りすぎだぞと思ってる皆さん、僕も分かってます、申し訳ありませんでした。ということで皆さん、今日は本当に長い間ありがとうございました。ありがとうございました。またよろしくお願いします。お願いします。
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