成田悠輔が中高生新聞の記者に語った、「比べない」教育、消えていくお金、そして投資の常識

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概要

経済学者の成田悠輔が、全国の中学・高校に配布されている「中高生新聞」の高校生・大学生記者から質問を受けた回である。記者たちは、学校での競争、Eスポーツ、お金の意味、投資、自分たちの夢について尋ねた。成田の答えには一貫した見立てがある。人間の行動や存在をデータとして記録する手段が増えれば、ひとつの物差しで人を上下に並べることの意味は薄れ、競争もお金も今とは違うものになっていく、というものだ。ただし投資については、成田は「ごく常識的な答え」を繰り返した。

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学校は「測らず、比べない」方向へ進むという予想

最初の質問は教育についてだった。記者は親から聞いた話として、ゆとり世代の頃には徒競走で最下位の子がかわいそうだからと全員一緒にゴールさせるような、比べさせない風潮があったと紹介した。自分たちはその反動で「もっと比べさせ、勝負させなければだめだ」と言われてきた世代にあたるという。そのうえで、社会の縮図とも言われる学校という仕組みを成田がどう見ているかを尋ねた。

成田の答えは、教育は「測らず、比べない」方向にどんどん進むだろう、というものだった。例に挙げたのは運動会である。順位をつけず、男女も分けず、競う代わりにみんなでダンスをする形式が増えている。成田は、古い世代はこれを「現実社会は厳しいのに、学校だけこんな軟弱なことをしていたら通用しない」とばかにしがちだと言い、それは古い世界の人間の思い込みだと退けた。

成田の見立てでは、競争という概念そのものが変わっていく。これまでの競争は、上か下か、大きいか小さいか、速いか遅いかを競うものだった。今後はそうした縦の比較よりも、どれだけ他と違うか、どれだけ逸脱しているか、どれだけ夢中になっているかといったスタイルや価値観、審美眼を競う方向に移っていくのではないか、と成田は話した。

評価の軸が「100次元、1万次元」になるという理由

そう考える理由として成田が挙げたのは、人間を評価し、記述し、記録する方法が増えていることだ。これまでは技術が乏しかったため、全員に同じ教科書を使い、同じプリントを配り、同じ試験を受けさせて順位をつけるくらいしかやりようがなかった。しかしタブレットやPCで学ぶようになれば、教科書も試験も宿題も一人ひとりに合わせた形になっていく。

そうなると、試験の点数の高低ではなく、どれだけ夢中になったか、どれだけ笑ったか、学んだ結果として喜びや達成感を得たかといったことそのものを測れるようになるかもしれない、と成田は言う。評価の方法がABCや100点満点から「比べ方が100次元ある、1万次元ある」ような状態になれば、どちらが上か下かを議論する意味はあまりなくなる。この子はこういう形で学び、別の子は別の側面で学んだ、それぞれはそれぞれ、という当たり前の現実に戻るのではないか。成田はこれを徒競走と「勝手に踊る」ことの対比に重ね、自分が納得できる踊り方をどれだけ他人と違う形でするかを競う教育や社会になるのではないか、「稼ぐより踊れ」という世界になっていくのではないか、と述べた。

Eスポーツは「もうひとつの物差し」であり、移住先になる

次の質問はEスポーツについてだった。記者たちは取材テーマのひとつとしてEスポーツ特集を組んでいた。業界は盛り上がる一方で、ゲームばかりしている小学生も当たり前になっている。その教育的な価値をどう考えるかと問われた。記者自身は、周囲がAPEXをプレイし、大会で賞金を得たり、配信を見る人がチャットで投げ銭をしたりする光景をEスポーツとしてイメージしていると答えている。

成田は、ゲームの世界は現実世界と並び立つもうひとつの空間、もうひとつの物差しにすぎず、ゲームに熱中していても基本的にはOKではないかと述べた。ごく幼い時期の発達については考える必要があるかもしれないと留保したうえで、現実世界と電子的な世界のどちらが上という話ではないとした。特に、生まれつき障害を持っているなど、現実世界で不利な条件に置かれた人にとって、ゲームの世界は新しいオアシスになる可能性がある。

その例として成田は、「イベリン」という人物を描いたドキュメンタリー映画を紹介した。成田によれば、イベリンは成田と同年代で、ヨーロッパの(成田は「スイスだったかな」と言った)ある国に生まれた人である。生まれつき難病を抱え、ほとんど車椅子の上で育ち、学校で友達とスポーツをすることもできず、多くの時間を家で過ごした。次第に体が麻痺し、普通の言葉でのコミュニケーションも難しくなっていったという。彼は数年前に亡くなったが、その後家族は、彼がゲームの世界で何万時間も過ごし、まったく違う人生を送っていたことを知る。その世界で彼は自分なりの仕事を作り、多くの人を助け、恋人もつくり、たくさんの人とつながって愛されていた。

成田は、今はこうしたことが起きるのが現実世界で大きな傷や障害、ハンディキャップを負った人に偏りがちだが、これからは誰もがそうなっていくのではないかと話す。この地球はあり得る世界のひとつにすぎず、ここよりも綺麗だったり、面白かったり、フェアだったりする世界がいくつも並び立つ。ルールもデザインも世界観も異なる「地球の双子」が大量にでき、人はどの世界で生きるかを選ぶようになる、という見立てである。

成田はこれを移民にたとえた。日本から中国やアメリカに移住することを今の人は当たり前だと思っているが、1000年前の人から見ればSFだろう。同じように、数百年単位で見れば、電子的な平行世界に人々が移住し、そちらがアイデンティティの基礎になる世界は「ほぼ間違いなく」訪れるのではないか、と成田は述べた。短期的には仮想空間やメタバースはバブルが崩れて可能性がないと思われているが、長い目で見ればそれこそが新しい世界を創造するのではないか。Eスポーツについては「騒ぐ必要なし、みんなその世界で生きるようになるから」とまとめた。

成田自身のゲーム体験

普段ゲームをするのかと聞かれた成田は、「ちょこちょこする」と答えた。番組の前回ではファイナルファンタジーのキャラクターデザインを長く手がける天野さんのアトリエを訪ね、土産にファイナルファンタジーのバッジをもらったという。同シリーズはほとんどプレイしており、そこには累計で何千時間、ゲーム全体では累計1万時間ほどを費やしているのではないかと話した。

プレイ中はほぼ「ジャックイン」した状態で、ウイスキーを麦茶のように飲みながら遊ぶので、現実世界的には完全にゾンビのようになっているという。食事はどうしているのかと聞かれると、ほとんど食べずに36時間ほどプレイし、ウイスキーのボトルを2本、ロックで空けたことがあると明かした。さすがにまずいと思ったが、どうせなら急性アルコール中毒で倒れて別の世界へ旅立つところを生配信すれば、最後のYouTube動画として1000万再生くらいいくのではないか、と冗談めかして語っている。

仕事と休みの境界がなくなる

多忙な印象があるが休みはあるのかと聞かれ、成田は「ずっと休みみたいなもの」で、今ここで話しているのも仕事なのか休みなのかわからないと答えた。そのうえで、仕事と休みの境界をなくすことが大事なのではないかと述べた。これは24時間働けるような昔の激務の時代に戻れという意味ではなく、働いている状態と遊んでいる状態、プライベートの区別がどんどんつかなくなっていくということだという。

成田は、こうした雑談を配信することも一応仕事になっているし、SNSでは自宅からすっぴんのボロボロの部屋着で生配信している人に投げ銭が大量について、それで稼ぐ人が普通にいると指摘した。これも、人の存在を記録しやすくなっているという経済の流れの表れだと成田は見る。どこで何をし、何を言っているかをスマホで捉え、配信できるようになったから、それに紐づいたビジネスが成り立つ。生活全体、生きること全体をデータに変換し、コンテンツや作品、商品にできるようになれば、働いている状態とそうでない状態の区別はなくなっていく。成田はこれを「積極的にゾンビになろう」と表現した。

さらに成田は、生身の体が朽ち果てて死んでいくことさえデータ化してコンテンツにできる時代だと述べた。今後は、人が亡くなった後もその人の履歴に基づいてAIエージェントのようなものが立ち上がり、死んでも残り続ける。覚醒していると同時にゾンビであり、生きていると同時に死んでいるような、今の理解を超えた世界になるのではないか、と成田は語った。スマホで生配信しながら街を歩き、手持ち扇風機を持っている人は、戦国時代の人から見れば敵にすぐ見つかって殺される、頭のおかしいゾンビのような存在に見えるだろう。人間はそうしてどんどんエイリアン的になっていく、というのが成田の見方である。

「お金は消えてなくなるかもしれない」

そうしたエイリアン的な存在を前にすれば、誰がより金持ちか、誰がよりフォロワーが多いかといった比較は意味がなくなりそうだ、と成田は続けた。だからお金のようなものは消えてなくなるのではないか。大昔にはお金というものがあり、それで上下を言い合っていた時代があったらしい、という昔話になるのではないか。戦国時代に剣の強さで競っていたのと同じような扱いになるかもしれない、と成田は話した。

同時に成田は、こういう話は謎の自己啓発セミナーのように聞こえると自ら突っ込み、「だから私にお金を渡しなさい」と言い始めたら危ない自己啓発なので、そうなったら闇落ちした成田として叩いてほしいと笑いを交えた。

成田はまた、ばかにされているものが最終的には勝つという見方を示した。今やYouTuberやTikTokerは確立された華々しい職業に見えるが、10年前には謎の残念なことをやっている人たちのように見られていた。仮想通貨もひたすら詐欺だなんだとばかにされてきたが、誕生から15年ほどで時価総額300兆円ほどになった。今流通している評価軸で残念に見えるものほど価値があるのだろう、というのが成田の感覚だという。

今の生活にはお金が必要ではないか

記者は、現時点では病院に行くにもお金がかかるなど、生きるうえでお金は欠かせないのではないかと問い返した。成田は、現在について言えばその通りだと認めつつ、長い目で見れば同じことをお金を使わずにやることもできると答えた。日本では最低限の医療や生活を誰にでも保障することが名目上はうたわれており、生活保護を受ければ医療費も無料になる。誰もがいつでも無料でアクセスできる病院があれば、お金を経由しなくても基本的には同じことができる、という理屈である。

ただし成田は、そこに至るまでにはいくつかの段階があるとし、お金は今まさに黄金時代の真っ只中にあるので、いきなり誰も使わなくなることはあり得ないと断っている。その途中段階として成田が挙げたのが、人によって物の値段を変える仕組みだ。今は200円のものは誰にとっても200円だが、一人ひとりが何をしてきたか、どんな人かというデータが蓄積されれば、それに基づいて値段を変えられる。たとえば前澤さんのような大金持ちには1杯1000万円を請求し、今日食べるのにも困っている人には1円でいい、とする仕組みもあり得る。そうすればお金をやり取りする中で自然に格差の是正や再分配、公平性が生まれていく、と成田は説明した。

そうなると、お金は使われていても、その中身が変わる。人によって物の値段が違えば、成田が持つ1万円と記者が持つ1万円では買えるものが違い、意味も違う。どちらが金持ちか、どちらの資産が上かを比べることは難しくなる。これまで国家が担ってきた生活保障のようなものが、市場の仕組みの中で人の手や国家を介さずに実現できるようになり、その過程で誰にとっても共通のお金や、それで測った貧富が曖昧になっていく。その究極形として、お金がほぼ絶滅した世界も考えられる、と成田は述べた。お金らしきものは残っても、人を比較するための尺度ではなく、ただの潤滑油としてのお金に姿を変えるのではないか、という見立てである。

欲求はどう満たすのか、そして監視社会という側面

別の記者は、食欲など人間の基本的な欲求はお金があるほど満たされやすいが、そういう社会になったらどう満たすのかと尋ねた。成田の答えは「直接食べればいいのでは」というものだった。スーパーに行って物を取って帰る、レストランで頼んで食べて帰る。お金を払わなくても、誰が何を取り、何を食べたかがすべて記録されていれば、やりすぎた人は店に入れなくなる、という仕組みにできる。いちいちお金やスマホを持っていかなくていいので便利でもある。

これまではお金が一番管理しやすい道具だったが、新しい技術によって、スーパーでピーマンを取ったのか何を取ったのかというレベルまでデータが蓄積されれば、持ち金がいくらかを測らなくても、次にこの部屋から出られるか、コンビニに入店できるかがデータそのものによって決まるようになる、と成田は話した。そのうえで成田は、これは考えようによってはディストピア的であり、究極の監視社会のようなものだと認めた。それでも、おそらくそうなっていくのではないか、というのが成田の見方である。

投資するなら「株式インデックス」

記者から、そうした社会を見据えて自分なら何に投資するかと聞かれた成田は、「すごく普通の答え」だと前置きして、株式インデックスに投資したいと答えた。

理由は株の実績である。成田は投資対象として、FX、仮想通貨、債券、金、銀やダイヤモンドなどの希少物質を挙げ、それぞれに特徴があるとしたうえで、仮想通貨はすごいが歴史がまだ短すぎて今後どうなるかわからないので一旦横に置くと述べた。歴史のある資産で比べると、株ほど実績を積み重ねてきたものはあまりない。

成田が示した比較は金との対比だ。世界中に存在するすべての金の価値と、世界中の全上場企業の時価総額を比べる。成田によれば、およそ80年前には両者が大体同じくらいだったらしいが、最近は株が大きく引き離し、一桁違うという。金はパフォーマンスのいい資産というイメージがあるが、その金と比べても株の平均的な伸びはすごい。だからこそ多くの人が株への投資を勧め、個別株は難しいので平均をとる、特に全世界の株式を組み合わせると相対的にいい、という話になっている、と成田は説明した。

成田が強調したのは、投資には常識があり、「常識以上の正解は存在しない」ということだ。それ以上の秘密を教えるから会員費10万円を払え、という人に騙されてはいけない。スタートアップ投資のように、一部の人に非常に有利なルートがあるのは確かだが、それが回ってくるのは残念ながらすでに金持ちの人だけだという。普通の人が普通に資産を増やしたいなら、株式インデックスのような常識的な投資をし、対象も投資のタイミングも分散させてリスクを分散する、という「言っていて恥ずかしくなるような普通のアドバイス」に従うのがいいのではないか、と成田はまとめた。

株という発明と、幻想を飲み込む資本主義

成田は続けて、株を発明したことは人類の経済史の中でも最も大きな結節点のひとつだったのではないかと述べた。株はただの紙切れであり、今は紙切れですらない。未来に起きるかもしれないことを無理やり権利にして、今それを取引することにし、それが最も重要な資産クラスになっている。成田は、経済にはまだ存在しないものや、ふわふわした幻想や情報を無理やり商品にし、みんなで価値があることにして値段をつけていく、謎の詐欺師集団、謎の占い師集団のようなところがあると表現した。それが強まって暗号通貨のようなものまで作り出せるようになり、今後も新しい資産が次々に出てくるかもしれない。

資本主義は幻想を飲み込みながら加速し、すべてを飲み込んでいく。しかしそれを突き詰めた先では、なぜかお金や資産がいらなくなる社会が訪れるのではないか。成田はこれを「変なことを考えている」と自ら評した。そして言いたいことは結局「お金と筋肉に騙されてはいけない」ということだと述べた。人間は筋肉量やお金の量のような単純な尺度を欲しがるから、というのがその理由である。

記者たちの夢(1):功績を残したい

終盤、成田は記者たちに夢や野望を尋ねた。ひとりは、抽象的だが何か功績を残したいと答えた。アニメや漫画の主人公に憧れるタイプで、がむしゃらに突っ走って人を巻き込み、人に影響を与えるような生き方に小さい頃から憧れてきたという。

成田は、アニメや漫画も不思議なもので、紙の上にお絵描きしているだけなのに、あれほどの想像力と物語性を持ち、ひとつの産業になっていると述べた。株式と同じか、それ以上にすごい発明なのかもしれないという。そして、功績や野望もまた人間が頭の中で作り出した物語、ある種の概念であり、それがこの社会で最も深いインパクトを持ってしまうことは、人間社会のすごさであり、ダメさでもあるのかもしれない、と話した。

記者たちの夢(2):政治で将来を守りたい

別の記者は、大きな野望ではないがと断ったうえで、今の日本はいろいろなものが整っているが、それが将来なくなってしまうのではないかという不安があると話した。政治の力で、発展しながらそれを維持できるようにしたい。ただ、将来の話は今の関心事になりにくく、あまり議論されない。どうすれば議論を活性化できるかと成田に尋ねた。

成田は、自分に聞かずに自分で考えて実行すればいい、自分は淘汰されていく古い世代の人間だと答え、逆に政治で何ができたらいいと思うかを聞き返した。記者は社会保障と財政に注目しており、若者と高齢者の間の世代間格差を変える取り組みができれば、若い人も将来に希望を持って生きていけるのではないかと答えた。その手段として選挙の仕組みを変えることが大事だとも述べ、成田が選挙について発言していることにも触れた。

国会議員がいいのか、首長がいいのか、新しい国を作るのがいいのか、革命家になって国会議事堂を爆破するのがいいのか、と成田が冗談を交えて問うと、記者は、政治家はさまざまな利権などに影響されるので、できることは大きく見えて意外と小さいのではないかと答えた。結局は国民の意識が変わらないと政治は変わらないので、メディアなど人に伝える仕事から変えていけるのではないか、という考えである。

成田は、政治以外の方法もいろいろありそうで、メディアで有名人になる道も、革命家になる道もあると応じた。そのうえで、日本の難しいところは、そうしたルートの中で政治家になることがあまり得に見えないことだと指摘した。だからこそ政治の道を選ぶべきなのかもしれない、と成田は言う。先ほどの話に引きつければ、物差しの不利な側にこそ大きな金塊が埋まっているかもしれない。自分のように外野からいろいろ言っているだけの人間にはなってはいけないのではないか、と成田は付け加えた。

記者たちの夢(3):寄り添う曲と、子どもの居場所

最後の記者は、曲を作る人間としての言葉を語った。誰にでも人に言えない悩みや孤独があると思っており、万人受けを狙うのではなく、自分が書いた旋律や曲が誰か一人の心に触れ、少し一歩を踏み出してみようと思えたり、少し口角が上がったりする、それくらいでいいから影響を与えたいという。自分の存在意義が見当たらなくなり、なぜ曲を書いているのかと思う時もあるが、「生きていていいんだよ」と思ってもらえるような、優しく寄り添う曲を書きたいと話した。

さらにその先の夢として、子どもが好きなので、音楽をやりたくてもできないなど、救われない子どもたちが挑戦したいことに挑戦できる場所をつくりたいと語った。ここに来れば守られているから自由にやっていい、と言えるような安心できる場所を、未来の子どもたちに提供したいという。

成田はこれを「すごい表現力」と評し、話を聞いて自分の下がっている口角が少しだけ上がった気がすると応じた。番組は、学生新聞の記者たちに口角を上げ、功績をつくり、次世代に夢をつなぐための話を聞いた回として締めくくられ、成田は自分が喋りすぎたことを詫びて終えた。