岡田准一が語る『イクサガミ』の色彩、アクションの「1.5倍ルール」、そして肋骨への関心

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概要

Netflixシリーズ『イクサガミ』で主演・プロデューサー・アクションプランナーを務めた岡田准一に、成田悠輔が作品づくりの細部と今後を聞いた。岡田は色彩や美術、アクションの設計を具体的に説明し、そこから「見えないものに価値がある時代」という自身の見立て、10代で立てた人生の計画、最近の関心である肋骨の話へと進んだ。

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「自分たちの色を見つけよう」という撮影監督とのやりとり

岡田はまず、撮影監督とカラーグレーディングについて語った。起用した撮影監督は、岡田が「今日本で一番と言っても間違いではない」と評し、どうしても参加してほしかった人物だという。岡田は冗談半分で「自分たちの色を見つけよう」と話していた。海外でどこかの黄色系の色調が流行っているとか、この色を使えばリッチに見えるといった理由で世界の色を真似るのではなく、自分たちが良いと思って探した結果こうなった、という色味を探そうという意味だった。

撮影監督はその先を考えていたと岡田は言う。映画であれば奥行きを作れるが、Netflixは携帯、iPad、テレビなどさまざまな画面で見られ、データ的にも深度が浅くなるため、すべてが見えてしまう。撮影監督はそれを好まない、「ちょっと変わった人」だと岡田は評した。

岡田自身もこの考えに共感している。昔の広告は車のフォルムの一部分だけを美しく見せれば成立したが、今は全体像をすべて見せるのが主流だと岡田は見る。今後20年、30年で視線のような目に見えないものまで可視化される時代になるだろうが、コロナ明けで時代が変わろうとしている今だからこそ、相手との「間」のように見えないもの、感じるものに価値が置かれる時代になると岡田は考えている。見えないものに価値を見いだす日本文化は、その意味で最先端だと思ってもらえるはずだという。

撮影監督の「見せすぎたくない」というこだわりは、カラーグレーディングチームの作業にも反映された。チームはスタジオでずっと色調整を続け、色味だけでなく、何を見えなくし、どこだけを見せるかによって、観客の視線の移動までさりげなくコントロールしていたという。

美術部が作った「葉脈」のデザインと、色で旅する構成

美術部の仕事も岡田は「世界に誇れる」ものとして挙げた。オープニングで二宮君が語り出す場面の背景には、生命やオーラを象徴する葉脈をモチーフにしたデザインが使われている。こうした表現は昔ながらの時代劇の作り方ではできず、照明とライティング、手元にあるもので作っていったという。

このデザインを考えたのは、美術部の宮森さんという若い女性だ。葉脈をキーワードにしたこのデザインは作品のメインデザインになっている。彼女は背景に何を配置すれば、ある方向から撮ったときにどう見えるか、どう印象づけられるか、背後がどう怪しく見えるかまでをコントロールしていった。

さらに、東京へ向かう旅の途中で立ち寄る村や町ごとに、オレンジから紫へと色味を少しずつ変えている。白から黒へ、東京に着くまでにパレットを一周するように色彩が変化し、色で旅をしているような構成になっているという。岡田によれば、従来の時代劇ではこうした手法は取られなかった。時代劇には、太秦を出て旅に出たはずの主人公が、次のシーンでもまた太秦で撮られていることを象徴する言い回しがあるほど、撮影場所は限られている。これまでも飾り物を替えることで場所の違いを表してきたが、今回は色味そのものを変え、生命の循環として旅が進むという意味も重ねて、彼女が提案したという。

陰翳礼讃と、作品を象徴する色

成田はこれを受けて、作品の色調は「現代化された陰翳礼讃」のようだと述べた。谷崎潤一郎が説明しようとしたように、蛍光灯で照らされる以前の日本では、何かがあるのかないのか際どく、見えないことで何かが感じられた。『イクサガミ』は全体が松明や火の光で照らされた色調で作られていて、一般の視聴者にとって作品を象徴する色が思い浮かぶ。成田は『イカゲーム』の紫、赤、緑のような蛍光色がかった強烈なテーマカラーを例に挙げ、そうした色が作品のイメージを形づくっていると評した。

岡田は、陰翳礼讃にある光と影、一つのものに二つの意味があるという考え方を作品のテーマとも結びつけた。岡田が演じた主人公と伊藤英明が演じたキャラクターは、どちらも戦争の被害者として同じように歩んできた。主人公は家族ができたことで普通になれたが、そのまま進んでいれば二人は同じようになっていたかもしれない。表と裏のような関係として考えたという。

一方で岡田は、陰翳礼讃に描かれる、離れた場所にある厠で一人静かになったときに感じる美しさのような、「間」や自分の時間をどう作品に入れるかは永遠のテーマだとも語った。今回は藤井道人監督を含むチーム全員が、飽きさせずに全6話を一度も休ませずに突っ走ることにこだわった。今の時代、そしてNetflixという場の特性として、絶対に飽きさせてはいけないと考えたからだ。ただし、それは時代の特性に合わせた選択だったとも岡田は言う。もし次を作れるなら、合わせずに自分たちの特性で作ることはあり得るのか、今そのことを考えていると話した。

型ではなく「暮らしの中の美」を信じる

成田は、かすかな炎の光がある一方で、祭りのシーンでは巨大な炎が体に降りかかってくるような強い場面もあり、その強弱も「飽きさせない」ための色彩表現なのではないかと問いかけた。

岡田によると、日本の美を映すうえで祭りと炎は意識して作った要素だった。テーマにしたのは、格式ばったものではなく、当時の人々が信仰し、暮らしていた中にあった美しさや、庶民の中にあった魂をどう作品に閉じ込めるかだった。時代劇はこうあるべきだ、こういう魂が乗らなければならない、という考えはもちろんベースにはある。それでも今回の制作は、「こうしなきゃいけない」「こうあるべきだ」との戦いでもあったという。クリエイターたちがしっかり勉強したうえで、自分たちのフィルターを通して出てきたものを信じよう、囚われるのはやめよう、というのがチームの姿勢だった。

そのためには一人ではなく、信じられる仲間と作ることが必要だと岡田は言う。グループ時代も含めて30年やってきて、結局は誰と何をやるかだ、というのが岡田の実感だ。

実現できなかった「屋根の上を走る」アクション

成田が、事情があってできなかったことを尋ねると、岡田はアクションの構想段階で「これは無理です」と言われて縮小したことは山ほどあると答えた。なかでも一番悔しかったのが、屋根の上を走るアクションだという。

岡田は、天龍寺の場面の後に、街から切り離された貧民街、スラムのような場所を作りたかった。当時は疫病のコロリが流行しており、今のコロナとつながるという意識もあった。天龍寺に集められた後、その貧民街に入り、屋根の上に登ってアクションしながら、双葉が「右です」「左です」と言って進んでいく。敵に追われながら屋根の上を走り続ける場面を最初は考えていたという。

しかし、そんな場所はなかった。もう一つ街がなければ成立せず、屋根の上を走るには本当にその場所が必要になる。CGで足せないかなどいろいろ提案したが、そもそも難しいという結論になり、最終的に今の形になったという。

「シーズン20まで」と、長く続けられない事情

成田は、全6話はたっぷりしていたが、物語としてはまだ序章にすぎないと指摘した。歴史を再解釈する面や、戦略ゲームとしての面にはまだ十分光が当たっていない。生き残るには相手を殺して札を奪わなければならないが、札を持ちすぎると自分が狙われるという駆け引きも、少し語られただけだ。成田は「シーズン20ぐらいまで行くんじゃないか」と冗談めかして言った。

岡田はこれに対し、スタッフの問題を挙げた。役者と同じように、作り手にも人気のスーパースタッフがいて、スケジュールを押さえるのが難しい。『イクサガミ』には、嫌だと言われても頼み込んで参加してもらったスーパースタッフが何人もいる。そうした人たちは長い拘束を嫌い、同じことを繰り返したがらないことが多い。だから、人気が出て次を作れたとしても、次で終わるだろうと岡田は見ている。クオリティを保つにはそのスタッフが必要で、何シーズンも続けるのは難しいという。成田は「永遠の序章というのもかっこいいかもしれない」と返した。

横浜流星の階段でのアクション

シーズン1の最後に登場したのが、以前この番組にも出演した横浜流星が演じるサイコパスのキャラクターだ。成田が、短い尺で強烈なインパクトを残したと言うと、岡田も「彼すごいっすよ」と応じた。

岡田によれば、あの場面は階段で撮影している。振り付けの際、横浜に「自分らしいもの」を聞くと空手の話になり、得意の回し蹴りを入れることにした。ところが階段は一段一段がとても狭く、そこで回し蹴りができるのかと思ったが、横浜は一度もつまずかなかったという。成田も、漫画のキャラクターがふわっと飛んでいるような雰囲気だったと評した。セカンドシーズンがあれば主人公と横浜のキャラクターが戦うことになるため、どんな殺陣になるのか楽しみだと岡田は話した。

人間の限界の「1.5倍」というルール

成田は、キャラクターの造形や動きに、井上雄彦の『バガボンド』を実写化したような雰囲気を感じたという。漫画やアニメの中にしか存在しないようなキャラクターや動きが、なぜか実写で実現しているように見えたからだ。

岡田は、最初に「人間ができる限界の1.5倍」というルールを自分の中で決めたと明かした。2倍になるとそれは嘘になる。1.5倍程度の能力を見せ、あまりにファンタジーにするのは今回はやめようと考えた。コロナの今とコロリの過去、時代の変わり目だった幕末と今の転換期を重ね、時代劇を「昔の話」として切り離すのではなく、観客が体験し、追体験できるものにすることが第一のテーマだったからだ。原作には必殺技や超能力のような要素があるため、それをどう見せるかは課題として残っていると岡田は語った。

感情の描き方にも現代とのつながりを意識した。よくある時代劇なら黙って切腹するような場面でも、岡田が演じる主人公は、家族が自分を救ってくれた、生きる希望だったとはっきり答える。褒められれば、時代がそうさせただけだと言う。寡黙な男ではあるが、黙して語らずではなく、核心的なことはきちんと伝える。そこを少しアップデートしたという。

10代で決めていた「全盛期」

成田は、30年かけて集大成とも言える作品にたどり着いた岡田に、さらに30年先はどうなっていると思うかと尋ねた。岡田は、自分の全盛期は10年後だと答えた。子どもの頃に立てた予定では、34〜44歳が成長期、44〜54歳がプロデューサーなどを担う時期、54〜64歳ごろが全盛期になっているという。

その全盛期に何をしているのかは、まだ見つかっていないと岡田は言う。ただ、誰かのためにサポートしたり、応援したりできるようになりたいという思いは強い。岡田は、若い頃から自分探しを求められる時代だったが、自分のことは今も分からず、なぜ応援してもらえるのかも分からない部分があるため、誠実に頑張るしかないと話した。

成田が「50代の岡田はプラットフォームを作ってNetflixと戦っているのでは」と振ると、岡田はそこまで大きなことは否定した。そのうえで、何かが作られていく場所のために頑張っていると語った。自分の名前ややってきたことを使ってもらい、それが意味のあるものになればいい。日本の人に「日本人が作った作品だ」と誇りに思ってもらえることも大切だという。岡田は、知ってもらうことで文化が損なわれずに済むと考えており、その例としてニュージーランドの取り組みにも触れた。

日本人の体の使い方と、11番・12番の肋骨

岡田は、日本人の体の使い方を研究者のように調べてきたとも語った。日本人がどう動いていたのか、なぜ着物を選んだのか、なぜしゃがんで用を足すようになったのか、呼吸法はどうだったのか。こうしたことを説明できるほど勉強してきたものが、最近ようやくつながってきたという。

その延長で、最近は肋骨に強い関心があると岡田は明かした。岡田によれば、11番と12番の肋骨だけは胸骨につながっていない。人間の体に意味のないものはないはずで、この二本に何か役割があると岡田は考えている。動物として体をバネのように使うには、12番の肋骨の操作が重要なはずだというのが岡田の見立てだ。ただ、この話をしても誰も興味を持ってくれないと苦笑した。

成田は、研究者や科学者を招いて専門的な話をしてもらうこの番組の方針に触れ、次回は岡田による肋骨講義をと提案した。岡田は、肋骨の神秘について知っているプロがいれば番組に教えてほしいと呼びかけた。

収録後に成田が抱いた「ほろ苦さ」

収録後、成田が最も驚いたと語ったのは、岡田が10代でおおよその人生設計を決め、それがほぼそのまま実現してきていることだった。このまま50代で全盛期を迎え、その後は皆を助けているのではないかと成田は述べた。

一方で成田は、岡田が日本映画や時代劇を作り直すルネサンスのような試みを始めていることを評価しつつ、それがNetflixやAmazonといった外国企業に頼っている点を「少しビター」だと感じたという。成田はこれを、焼け野原になった日本がGHQの支援のもとで復興した状況になぞらえた。そこからこの国がどう自立できるのか、そのためのプラットフォームを誰が作るのか、それは岡田なのか。成田はこの問いを残して話を締めくくった。