岡田准一が語る『イクサガミ』の色彩、アクションの「1.5倍ルール」、そして肋骨への関心
PLAYERS公式Netflixシリーズ『イクサガミ』で主演・プロデューサー・アクションプランナーを務めた岡田准一に、成田悠輔が作品づくりの細部と今後を聞いた。岡田は色彩や美術、アクションの設計を具体的に説明し、そこから「見えないものに価値がある時代」という自身の見立て、10代で立てた人生の計画、最近の関心である肋骨の話へと進んだ。
「自分たちの色を見つけよう」という撮影監督とのやりとり
岡田はまず、撮影監督とカラーグレーディングについて語った。起用した撮影監督は、岡田が「今日本で一番と言っても間違いではない」と評し、どうしても参加してほしかった人物だという。岡田は冗談半分で「自分たちの色を見つけよう」と話していた。海外でどこかの黄色系の色調が流行っているとか、この色を使えばリッチに見えるといった理由で世界の色を真似るのではなく、自分たちが良いと思って探した結果こうなった、という色味を探そうという意味だった。
撮影監督はその先を考えていたと岡田は言う。映画であれば奥行きを作れるが、Netflixは携帯、iPad、テレビなどさまざまな画面で見られ、データ的にも深度が浅くなるため、すべてが見えてしまう。撮影監督はそれを好まない、「ちょっと変わった人」だと岡田は評した。
岡田自身もこの考えに共感している。昔の広告は車のフォルムの一部分だけを美しく見せれば成立したが、今は全体像をすべて見せるのが主流だと岡田は見る。今後20年、30年で視線のような目に見えないものまで可視化される時代になるだろうが、コロナ明けで時代が変わろうとしている今だからこそ、相手との「間」のように見えないもの、感じるものに価値が置かれる時代になると岡田は考えている。見えないものに価値を見いだす日本文化は、その意味で最先端だと思ってもらえるはずだという。
撮影監督の「見せすぎたくない」というこだわりは、カラーグレーディングチームの作業にも反映された。チームはスタジオでずっと色調整を続け、色味だけでなく、何を見えなくし、どこだけを見せるかによって、観客の視線の移動までさりげなくコントロールしていたという。
美術部が作った「葉脈」のデザインと、色で旅する構成
美術部の仕事も岡田は「世界に誇れる」ものとして挙げた。オープニングで二宮君が語り出す場面の背景には、生命やオーラを象徴する葉脈をモチーフにしたデザインが使われている。こうした表現は昔ながらの時代劇の作り方ではできず、照明とライティング、手元にあるもので作っていったという。
このデザインを考えたのは、美術部の宮森さんという若い女性だ。葉脈をキーワードにしたこのデザインは作品のメインデザインになっている。彼女は背景に何を配置すれば、ある方向から撮ったときにどう見えるか、どう印象づけられるか、背後がどう怪しく見えるかまでをコントロールしていった。
さらに、東京へ向かう旅の途中で立ち寄る村や町ごとに、オレンジから紫へと色味を少しずつ変えている。白から黒へ、東京に着くまでにパレットを一周するように色彩が変化し、色で旅をしているような構成になっているという。岡田によれば、従来の時代劇ではこうした手法は取られなかった。時代劇には、太秦を出て旅に出たはずの主人公が、次のシーンでもまた太秦で撮られていることを象徴する言い回しがあるほど、撮影場所は限られている。これまでも飾り物を替えることで場所の違いを表してきたが、今回は色味そのものを変え、生命の循環として旅が進むという意味も重ねて、彼女が提案したという。
陰翳礼讃と、作品を象徴する色
成田はこれを受けて、作品の色調は「現代化された陰翳礼讃」のようだと述べた。谷崎潤一郎が説明しようとしたように、蛍光灯で照らされる以前の日本では、何かがあるのかないのか際どく、見えないことで何かが感じられた。『イクサガミ』は全体が松明や火の光で照らされた色調で作られていて、一般の視聴者にとって作品を象徴する色が思い浮かぶ。成田は『イカゲーム』の紫、赤、緑のような蛍光色がかった強烈なテーマカラーを例に挙げ、そうした色が作品のイメージを形づくっていると評した。
岡田は、陰翳礼讃にある光と影、一つのものに二つの意味があるという考え方を作品のテーマとも結びつけた。岡田が演じた主人公と伊藤英明が演じたキャラクターは、どちらも戦争の被害者として同じように歩んできた。主人公は家族ができたことで普通になれたが、そのまま進んでいれば二人は同じようになっていたかもしれない。表と裏のような関係として考えたという。
一方で岡田は、陰翳礼讃に描かれる、離れた場所にある厠で一人静かになったときに感じる美しさのような、「間」や自分の時間をどう作品に入れるかは永遠のテーマだとも語った。今回は藤井道人監督を含むチーム全員が、飽きさせずに全6話を一度も休ませずに突っ走ることにこだわった。今の時代、そしてNetflixという場の特性として、絶対に飽きさせてはいけないと考えたからだ。ただし、それは時代の特性に合わせた選択だったとも岡田は言う。もし次を作れるなら、合わせずに自分たちの特性で作ることはあり得るのか、今そのことを考えていると話した。
型ではなく「暮らしの中の美」を信じる
成田は、かすかな炎の光がある一方で、祭りのシーンでは巨大な炎が体に降りかかってくるような強い場面もあり、その強弱も「飽きさせない」ための色彩表現なのではないかと問いかけた。
岡田によると、日本の美を映すうえで祭りと炎は意識して作った要素だった。テーマにしたのは、格式ばったものではなく、当時の人々が信仰し、暮らしていた中にあった美しさや、庶民の中にあった魂をどう作品に閉じ込めるかだった。時代劇はこうあるべきだ、こういう魂が乗らなければならない、という考えはもちろんベースにはある。それでも今回の制作は、「こうしなきゃいけない」「こうあるべきだ」との戦いでもあったという。クリエイターたちがしっかり勉強したうえで、自分たちのフィルターを通して出てきたものを信じよう、囚われるのはやめよう、というのがチームの姿勢だった。
そのためには一人ではなく、信じられる仲間と作ることが必要だと岡田は言う。グループ時代も含めて30年やってきて、結局は誰と何をやるかだ、というのが岡田の実感だ。
実現できなかった「屋根の上を走る」アクション
成田が、事情があってできなかったことを尋ねると、岡田はアクションの構想段階で「これは無理です」と言われて縮小したことは山ほどあると答えた。なかでも一番悔しかったのが、屋根の上を走るアクションだという。
岡田は、天龍寺の場面の後に、街から切り離された貧民街、スラムのような場所を作りたかった。当時は疫病のコロリが流行しており、今のコロナとつながるという意識もあった。天龍寺に集められた後、その貧民街に入り、屋根の上に登ってアクションしながら、双葉が「右です」「左です」と言って進んでいく。敵に追われながら屋根の上を走り続ける場面を最初は考えていたという。
しかし、そんな場所はなかった。もう一つ街がなければ成立せず、屋根の上を走るには本当にその場所が必要になる。CGで足せないかなどいろいろ提案したが、そもそも難しいという結論になり、最終的に今の形になったという。
「シーズン20まで」と、長く続けられない事情
成田は、全6話はたっぷりしていたが、物語としてはまだ序章にすぎないと指摘した。歴史を再解釈する面や、戦略ゲームとしての面にはまだ十分光が当たっていない。生き残るには相手を殺して札を奪わなければならないが、札を持ちすぎると自分が狙われるという駆け引きも、少し語られただけだ。成田は「シーズン20ぐらいまで行くんじゃないか」と冗談めかして言った。
岡田はこれに対し、スタッフの問題を挙げた。役者と同じように、作り手にも人気のスーパースタッフがいて、スケジュールを押さえるのが難しい。『イクサガミ』には、嫌だと言われても頼み込んで参加してもらったスーパースタッフが何人もいる。そうした人たちは長い拘束を嫌い、同じことを繰り返したがらないことが多い。だから、人気が出て次を作れたとしても、次で終わるだろうと岡田は見ている。クオリティを保つにはそのスタッフが必要で、何シーズンも続けるのは難しいという。成田は「永遠の序章というのもかっこいいかもしれない」と返した。
横浜流星の階段でのアクション
シーズン1の最後に登場したのが、以前この番組にも出演した横浜流星が演じるサイコパスのキャラクターだ。成田が、短い尺で強烈なインパクトを残したと言うと、岡田も「彼すごいっすよ」と応じた。
岡田によれば、あの場面は階段で撮影している。振り付けの際、横浜に「自分らしいもの」を聞くと空手の話になり、得意の回し蹴りを入れることにした。ところが階段は一段一段がとても狭く、そこで回し蹴りができるのかと思ったが、横浜は一度もつまずかなかったという。成田も、漫画のキャラクターがふわっと飛んでいるような雰囲気だったと評した。セカンドシーズンがあれば主人公と横浜のキャラクターが戦うことになるため、どんな殺陣になるのか楽しみだと岡田は話した。
人間の限界の「1.5倍」というルール
成田は、キャラクターの造形や動きに、井上雄彦の『バガボンド』を実写化したような雰囲気を感じたという。漫画やアニメの中にしか存在しないようなキャラクターや動きが、なぜか実写で実現しているように見えたからだ。
岡田は、最初に「人間ができる限界の1.5倍」というルールを自分の中で決めたと明かした。2倍になるとそれは嘘になる。1.5倍程度の能力を見せ、あまりにファンタジーにするのは今回はやめようと考えた。コロナの今とコロリの過去、時代の変わり目だった幕末と今の転換期を重ね、時代劇を「昔の話」として切り離すのではなく、観客が体験し、追体験できるものにすることが第一のテーマだったからだ。原作には必殺技や超能力のような要素があるため、それをどう見せるかは課題として残っていると岡田は語った。
感情の描き方にも現代とのつながりを意識した。よくある時代劇なら黙って切腹するような場面でも、岡田が演じる主人公は、家族が自分を救ってくれた、生きる希望だったとはっきり答える。褒められれば、時代がそうさせただけだと言う。寡黙な男ではあるが、黙して語らずではなく、核心的なことはきちんと伝える。そこを少しアップデートしたという。
10代で決めていた「全盛期」
成田は、30年かけて集大成とも言える作品にたどり着いた岡田に、さらに30年先はどうなっていると思うかと尋ねた。岡田は、自分の全盛期は10年後だと答えた。子どもの頃に立てた予定では、34〜44歳が成長期、44〜54歳がプロデューサーなどを担う時期、54〜64歳ごろが全盛期になっているという。
その全盛期に何をしているのかは、まだ見つかっていないと岡田は言う。ただ、誰かのためにサポートしたり、応援したりできるようになりたいという思いは強い。岡田は、若い頃から自分探しを求められる時代だったが、自分のことは今も分からず、なぜ応援してもらえるのかも分からない部分があるため、誠実に頑張るしかないと話した。
成田が「50代の岡田はプラットフォームを作ってNetflixと戦っているのでは」と振ると、岡田はそこまで大きなことは否定した。そのうえで、何かが作られていく場所のために頑張っていると語った。自分の名前ややってきたことを使ってもらい、それが意味のあるものになればいい。日本の人に「日本人が作った作品だ」と誇りに思ってもらえることも大切だという。岡田は、知ってもらうことで文化が損なわれずに済むと考えており、その例としてニュージーランドの取り組みにも触れた。
日本人の体の使い方と、11番・12番の肋骨
岡田は、日本人の体の使い方を研究者のように調べてきたとも語った。日本人がどう動いていたのか、なぜ着物を選んだのか、なぜしゃがんで用を足すようになったのか、呼吸法はどうだったのか。こうしたことを説明できるほど勉強してきたものが、最近ようやくつながってきたという。
その延長で、最近は肋骨に強い関心があると岡田は明かした。岡田によれば、11番と12番の肋骨だけは胸骨につながっていない。人間の体に意味のないものはないはずで、この二本に何か役割があると岡田は考えている。動物として体をバネのように使うには、12番の肋骨の操作が重要なはずだというのが岡田の見立てだ。ただ、この話をしても誰も興味を持ってくれないと苦笑した。
成田は、研究者や科学者を招いて専門的な話をしてもらうこの番組の方針に触れ、次回は岡田による肋骨講義をと提案した。岡田は、肋骨の神秘について知っているプロがいれば番組に教えてほしいと呼びかけた。
収録後に成田が抱いた「ほろ苦さ」
収録後、成田が最も驚いたと語ったのは、岡田が10代でおおよその人生設計を決め、それがほぼそのまま実現してきていることだった。このまま50代で全盛期を迎え、その後は皆を助けているのではないかと成田は述べた。
一方で成田は、岡田が日本映画や時代劇を作り直すルネサンスのような試みを始めていることを評価しつつ、それがNetflixやAmazonといった外国企業に頼っている点を「少しビター」だと感じたという。成田はこれを、焼け野原になった日本がGHQの支援のもとで復興した状況になぞらえた。そこからこの国がどう自立できるのか、そのためのプラットフォームを誰が作るのか、それは岡田なのか。成田はこの問いを残して話を締めくくった。
まずもう1ついいなと思ったのが、あの色、カラグレはもう……撮影監督が。はい。面白い。今日本で1番っつっても間違いじゃないと思うんですけど、絶対やって欲しいと思ったカメラマン、撮影監督で。
なんかこう冗談っぽく僕が言っていたのは、自分の色を見つけようぜみたいな話はしてたんですよね。海外でイエローなんとかが流行ってるからとか、この色をやるとリッチだからみたいな、世界に見てもらいたいからって言って世界の色を模倣するんではなくて、俺たちはこれがいいと思って探してたらこうなったんすよねみたいな、色味探そうよっていう風に冗談で言ってたら、はって笑ってたんですけど、
彼はやっぱりちょっとそれを超えて。映画とかだと、ガサ数とかも色々あって、奥行きとかも作れるんですけど、Netflixとかのテレビっていわゆる場合も、テレビ、携帯で見る方も多いし、今の時代ですよね。携帯で見る方も、iPadで見る方も、モバイルで見る方も、もちろんテレビで見る方も、媒体があるから、そのビット数的にもちょっとこう深度が浅いと。
うん。
分厚目で見えないって、全部見えてしまう。これが好きじゃないですっていうちょっと変わった人で。で、今世の中ってやっぱ全部見せよう、商品にしてもこう綺麗に全部見せてっていう時代がやっぱり障害以降こう進んでるじゃないですか。昔はなんかこう車の広告とかも、このフォルムが綺麗だからこのフォルムだけが見えてればいい、1部分でもこのフォルムが綺麗ですよね、これエロいっすよねみたいなので広告になったけど、今全体像を見せていくのが主流になってるっていう時代に、彼はやっぱり全部見えんのって良くなくないですか?みたいなのが。
で、僕もそれはすごい思っている。見えないものが見える時代になる。今後20年30年になれば本当に見えない、紫外線とかそういうものも全部見える時代になるだろうし、逆にこういう、1回その時代になって、コロナ明けて時代が変わろうとしてる時に、やっぱりこう見えないもの、それこそ間だったりとか、相手との間が見えるとか感じるとか、そういう分かりやすいものより見えないものになんかやっぱり価値があるよねっていう時代になると思ってて。だから日本文化って本当に見えないものに対して価値を見い出そうと、人との間だったりとかを持ってとか、そういうものだから、最式って最もだよねって思ってもらえるものだと思ってますけど、そういう風に見えないものに対して価値を見い出すっていうことを僕も思っていて、いいねみたいなんで盛り上がって。
やっぱ彼のその見えさせたくないっていうこだわりが、ワンフレームワンフレームごととか、本当にこうカラグレのアートムフィルムっていうのは、日本で今結構ガンガン変えようとしているカラグレチームもいるんですけど、このチームとかのスタジオに入ってもずっとカラグレしてるんですよね。で、カラグレの色味だけじゃなくて、見えなくするにはとか、ここだけ見えるようにしたいとかっていう人の視界の移動すらもさりげなくコントロールしていくっていう作業をめちゃくちゃやってて、これは本当に世界に誇る彩っていうか。これ美術部もそうなんですよ。
昔の伝統的な時代劇をやってると……多分オープニングの二宮君が喋り出す後ろが、なんかちょっと後光みたいに。
ああ、はい。
あそこのデザインは、生きるとか葉脈とかっていうので、オーラとか、生きる葉脈をモチーフにしたデザインが上がってきたんですけど、ああいうのはできないんですよね、昔の時代劇のまんまだと。ないので。
うん。うん。
あれは、照明とライティングとあるもので作っていくってなるんですけど、美術部の宮森さん、通称んちゃんっていう子は、若い、僕と僕の調理したぐらいの女性なんですけど、やっぱその葉脈っていうことをキーワードに、今回のイクサガミのメインデザインになってるんですけど、ああいうの思いついて、二宮君の後ろにああいうものを配置して、こっちから撮った時にこう見えるようにしたいとか、印象付けたいとか、ちょっと後ろが怪しく見えるようにしたいみたいなことを全部コントロールして作っていったりとか。
旅をしているんですけど、1個1個の、例えば東京に近づいていく村ごとにその色彩の色、微妙にオレンジから紫、紫からなんとかって、町ごとにちょっと色味を変えてってるんですよ。
あ、
で、それでちょっと東京に着くまでに、いわゆるパレットの一周回るみたいな、白から黒に回っていく。
うん。
色の色彩でちょっと変化を起こしているっていうのを彼女なりに作っていて。
色で旅してるような。
なんですけど、今までの時代劇だとそれは絶対にやらないっていうか。だから昔の有名な役者たちの有名なので、「太秦を出て太秦に帰るんだ俺は」っていうのは、いわゆる主人公が、
うん。さらばだって言って出ていって旅を始めて、新たに向かったシーンはまた太秦で撮ってるっていう、同じ場所に行ったけど、太秦にまた帰ってきて旅してるかのように、俺たちはずっと太秦で撮ってるよねっていうのを象徴したワードがあるんですけど、時代劇って撮る場所は決まってくるんであれですけど、装飾部はそれで全部飾り替えよう。もちろんその前の作品も昔の作品もするんですけど、色味とかっていうより飾り物で変えていたものを、色味からちょっと変えて旅をしている。その生命の循環なので、循環として旅をして進んでいくってことを掛け合わせて彼女が考えて提案してくれるんですけど、そういうクリエイターが、
すごく面白い提案っていうか、作り手たちなので、やっぱ彼らが、彼女たちがあってこそのなんか戦いのような気はしますけど。色味で言うと、なんかある種その現代化された陰翳礼讃的な世界が実現してるなっていう感じがあって。
そうです。
で、さっき見えないことっておっしゃったじゃないですか。
はい。
だからそれがそのまままさに谷崎潤一郎とかが『陰翳礼讃』で説明しようとしたことで、燦々と照る蛍光灯に日本が照らされる以前に、
はい。
その微妙なものがそこにあるのかないのか際どかったり、見えないことで何かが見えたり感じられたりするみたいな。
そうですね。
で、それが全体に松明とか木の炎の光で照らされているっていう色調で全体が作られてるじゃないですか。で、あれがすごく単純化された普通の消費者というか視聴者の視点で言うと、そのイクサガミ作品を象徴してる色みたいなのが浮かぶなと思ったんです。
ああ、そうすね。
なんかそれって結構大きいなと思っていて、イカゲームとかだと、紫とか赤とか緑みたいな、ちょっと蛍光色っぽい少しグロテスクな強烈な色があの作品のテーマカラーとしてなんかパッと浮かぶと思うんですよね。
うん。うん。うん。
なんかそれがあの作品の1つの心象イメージみたいなのを作ってるなと思って、そういうカラーも存在してるっていうのもすごいなとか思った。
うん。
なんか色彩っていうのはすごい意識したし、陰翳礼讃だとやっぱり光と影とか、1個のものに2つの意味があるとか。
はい。
そういう意味で言うと、僕というキャラクターと伊藤英明さんがやってるキャラクターって、実は戦争被害者で、
うん。
同じように進んできたけど、僕は家族ができたから、やっぱりその普通になれたけど、そのまま進んでたら無骨というキャラクターと僕の演じた愁二郎というキャラクターは実は同じようになっていたかもしれないみたいな、表と裏みたいなテーマで考えるんですけど、逆に陰翳礼讃みたいな、ちょっと離れたところにトイレがあって、
はい。1人になってちょっと静かになった時に、なんか美しさと静かさを感じるみたいな日本の美しさってあるじゃないですか。だから離れてるんだよとか、自分の時間っていうか、そういうのをどう入れていくかっていうのは永遠のテーマっすよね。
今回やっぱりその6話は飽きさせずに、6話だったんで、もう飽きさせずにずっと突っ走るんだっていうのを、藤井君、監督含めてみんなこだわってて、1回も休ませないっていう、もうNetflixの特性。もう飽きさせちゃいけない。今の時代は絶対飽きさせちゃいけないから、休憩せずに6話は突っ走り切りましょうみたいなのをテーマに掲げてたんですけど、やっぱりどうなんか、特性に合わせてるんで、時代の特性に。次もし作れるんだったら、自分たちの特性ってのは何なのかなっていうのが、やっぱもう1個、合わせずに自分たちでもっと、合わせずに自分たちで作るってあんのかなっていうのが今すごい思ってますけどね。
はい。
でもその点、色もそのかすかな炎が照らすみたいなものもあれば、
はい。
祭りのシーンとかで、もっと燦々と炎の光が
はい。
降り注いだり、むしろ体に巨大な炎が降りかかってくるみたいな、強弱もすごく強いじゃないですか。そこら辺も飽きさせないとか突っ走るっていうのの1つの色彩的な表現なのかなとか思ったりしました。
やっぱ日本の美を映すってので、お祭りと炎っていうのがあったので、はい、やっぱそこはすごいみんな意識して作ってて。で、色彩とかもやっぱ日本をちゃんと、暮らしの中の美とか、
うん。
その業なものではなくて、このなんだろう、人がその当時信仰し、暮らしの中の美をどうこの作品に閉じ込めるのか、民衆の中にあった美しさと魂みたいなのをどう閉じ込めるのかみたいなのは、なんかすごいテーマだったんですよね。時代劇といえばこうあるべきだ、こういう魂が乗らなきゃいけないんだとか、実心親友心みたいなこととか、もちろんそれがベースにはあるんだと思うんすけど、こうしなきゃいけない、こうあるべきだっていうものとの戦いでもあったから、やっぱなんかそうじゃなくて、暮らしの美とか、自分たちが時代劇を活躍と捉えて、自分たちクリエイターたちがフィルターを通して、めっちゃ勉強しますけど、勉強した上でフィルター通して出てきたものを信じようよみたいな、囚われるのはやめようよっていう。そのためにはやっぱり1人じゃなくて、信じれる仲間と作っていくっていう。
うん。
結局誰と何やるかなんで。僕が30年間やってきて、グループ時代もそうっすけど、やっぱ誰と何をやれるかっていう、
うん。っすよね。
だからなんか、その点やりたかったけど、今回何かの事情でやれなかったことって何かありますか?
いや、それは、アクションで考えてた時にこれは絶対無理ですとか、縮小してきたことは山ほどあるので。
その中でなんか1番悔しかった、何かちょっと状況が違ったらやれたかもしれない、ギリギリの何かってありますか?
具体的にすか?
はい。
屋根の上を走りたかったんですよね。
ああ、それはないですよね。
ないです。本当はなんか、言っていいのかな、分かんないですけど、天龍寺っていうの出た後に
はい。はい。
街があるんですけど、そっからこうガーンって切り落とされた、いわゆる貧民街みたいなの作りたかったんですよ。
はい。
いわゆるそのコロナじゃなく、当時コロリっすね。今とは繋がるな。バラック、スラムみたいな。
そう、スラムみたいなのがあって、そういうのもちゃんと描きたかったんですよね。で、そこに天龍寺行ってみんなで集められたとこがあって、貧民街みたいなとこに入ってとかっていうので、そこで屋根の上に登ってアクションしながら、双葉が「右です、左です」って言いながら進んでいくみたいなのがやりたかったんですけど、そんな場所ない。
どうするってなって、
もう1個街がないとできない。
持ちないとできないし、屋根の上走るのはやっぱ、そういうなんかこう本当にないと
はい。
難しかったり。
まあ、そうですよね。
CGでこの2個分ありゃなんか足していけんじゃないかとかって色々
はい。
提案したんですけど、そもそもちょっと難しいっていうのがあって。なるほど。
屋根の上をずっと走りながら無骨に追われていくみたいなのを最初は考えてたんですけど、
はい。
それがああいう形になった。それがやれるような未来はあると思われますか?次以降はどうなんだろうと思って。それなんか、6話はあれだけたっぷりだったが、同時に序章でしかないっていう。
で、しかも進んでない以上に
全然進まなかったんですよね。
構成要素のうちの、この歴史を再解釈するみたいな面と、あと戦略ゲームみたいな側面、まだそれほど光が当たりきってないじゃないですか。
そうですね。
で、特になんか抜け切る、クリアするためには奴らを殺して札を取らなくちゃいけない。
はい。
だけどやりすぎて自分が札を持ちすぎると自分が狙われるっていう駆け引きみたいなのとかちょろっとだけ語られるだけで、まだ、その、全然全然、場面としては全然扱われてないじゃないですか。と考えると、シーズン20ぐらいまで行くんじゃない。
いや、でもこれ問題があって、
はい。
今、皆さん見られてる方々はあれかもしんないですけど、スタッフにも人気ってあるんですよ。役者がね、人気って分かりやすいと思うんですけど、作り手、スタッフにもやっぱスーパースタッフっているじゃないですか。取れる、取れない、スケジュール押さえられないって。
はい。
で、イクサガミのスタッフはもう本当スーパースタッフが揃ってるんですね。お願いしたんだよ。嫌だって言われても、頼むから出てくれって何人かお願いしてるから、頼むからやってくれって。で、そういうスタッフって長い拘束嫌ですよ。
まあ、大体そうすよね。
そうですよね。
はい。長い拘束嫌だし、同じことやりたくないっていう人が多いんですよ。だからもう次もし人気でやれても、次で終わりますね。
じゃあ全貌の3%ぐらいが……
クオリティ保つには、やっぱシーズン何ぼもできないと思うんすよね。そのスタッフがいてくれないとできない。
でも永遠の序章っていうのもかっこいいかもしれないです。
そうすね。なるほど。
いや、でもシーズン1の最後の最後に、この番組にも前来ていただいた横浜流星さんが
あ、そうっすね。
サイコパスな。
そうす。
殺として見てください。もう彼すごいっすよ。
あの尺であのインパクトを残すってのすごいな。
しかも僕あれできないす。無理です。あれ階段でやってんすよ。
そうすよね。
あれ、階段でね。回し蹴り得意だよねって言って、振り付けてる時に、なんか自分らしいのって言うと、なんか空手とかあるよねって、回し蹴りっすよねって。で、僕、階段ってもちろん知ってるんですけど、回し蹴りちょっと入れようかみたいな。全部殺陣をこうやってやってった時に、でも階段なんで、階段行った時にめっちゃ狭いんですよ、1個1個。で、ここで回し蹴りやれんのかなと思ったら、1回もそこではつまずかないっていうか。
すごいな。
本当すごいす。
いや、なんか漫画のキャラクターがふわっと飛んでるかのような雰囲気醸し出してました。階段でなんか殺陣やって回し蹴りしてって、いや本当にすごいと思います。だから彼とね、セカンドシーズンがうまくいけば、あれば戦うことになるんで、どういう殺陣ができるのかなっていうのはワクワクしますけどね。
でもそれも含めてキャラクター造形とか、彼らの動きとかが、なんか井上雄彦さんの『バガボンド』的な世界観の実写化みたいな雰囲気もちょっと感じたんですよ。つまり漫画とかアニメ的な世界でしか存在しえなさそうなキャラとか動きとかが、なぜか実写の世界で実現してしまっているみたいな雰囲気。
ちょっと決めたんすよ、最初に。人間ができる限界の1.5倍。
ちょっと待って。絶妙、絶妙な、絶妙な地獄みたいな。
できるけどできないねみたいな、制限を自分の中で決めていて。
はい。
で、2倍になるとこれはもう嘘だから、人間ができる1.5倍くらいの能力値を見せる。あまりにもファンタジーにするのは今回やめましょう。
うん。
ファンタジーではなくて、どうリアリティを……コロナだった今とコロリだった過去と、時代の変わり目だった幕末と、10内の変換機の今とっていうことが、時代劇だから昔のことって別れるんじゃなくて、なんか体験したり追従できなきゃいけないっていうのが第一のテーマなので、やっぱファンタジーになって嘘っぽくなってしまうっていうのは今避けたいのが、僕の中でやっぱ強くあったから、それだけはやっぱなんか。原作では必殺技みたいなとか超能力みたいなのがあるんですけど、それをどう見せていくのかは課題として残るなっていうのあります。
とファンタジーの戦い。そう、あ、てことです。なるほど。
ちょうど絶妙に、なんかファンタジーではないけど、感情とかいろんなものは今に通じる何かがあるとか。
例えば愁二郎という僕のキャラクターは、時代劇だと黙って切腹みたいなのがよくある時代劇だと思うんですけど、そうじゃなくて、何かあると家族が自分を救ってくれたとか、生きる希望だったってちゃんと答えるし、なんか褒められたりなんかあったら、いやいや時代がそうさせただけだ、時代なんだっていうことを主人公が言ったりとか、そういう核心的な部分は主人公がちゃんと答えるとか、黙して語らずじゃなく、ちゃんとどんとした、あまり語らない寡黙な男なんですけど、ちゃんとしたことは伝えるとか、そういうのはなんかちょっとアップデートしてるっていうか、そういうのはありますけどね。
はい。
いや、なんかイクサガミショックがでかすぎて、話し続けていたらだいぶ時間が近づいてきてしまう。でも興味があったのは、そのイクサガミっていう集大成まで30年かけてたどり着いたわけじゃないですか。
そうですね。集大成って言ってもらえるならそうですね。
このさらに30年先はどうなってらっしゃると思われますか? まあ、僕の全盛期は10年後なんすよ。54から64までが一応僕の予定ではですよ。子供の時の予定では、34から44が有機、44から54がプロデューサーとかグラモ期で、55から65が全盛期っていう、できてるみたいな。いや、自分の中でそうなったらいいなって、人生が始まる前に。だからまあ、でもその全盛期は何をされて、どういう意味で全盛期なんですかね。
わかんないすね。まだそこが見つかってはないですけど、なんとかこうなれたらいいなって思ってたって言うと、なんかサポートできたり、誰かのために何かをできるようになりたいっていうことをすごく思うし、
うん。
誰かのために何か応援できたりサポートできたりする人生って、応援できる人生って幸せだなと思っているから、自分が頑張った分何か応援できたりとかするんだろうし、何かを求めて応援することもあるかもしれないですけど、なんかそうっすね、何かのためになることができてたらいいなとは思いますけど。うん。まあ、自分を……ああ、よくわかんないすよね。才能とか、若い頃からよく本当に自分のこととかって探したりとか、色々求められた時代だったんであったすけど、やっぱ自分のこと分かんなくて、何持てるかとか、なんで応援していただけるのかとか、よくわかんないとこもあるから、誠実に頑張るしかなく。だからなんか、こうなりたいとかこうありたいっていうことをずっと掲げてきたんですけど、まあなんか応援できたらいいなとは思いますけどね。どうなってんのか。そんなことないですか。
なんかどうなってます? 50代、岡田プラットフォームでNetflixと戦ってるん?
いやいやいや、そんな、出か? そんな、そうっすね。そんな大変なこと知ってますかね? 俺そんな大変なことね。そうっすね。いや……でも助けるとか、何かが作られていく場所とか、そのためになんか頑張ってんすよね。多分名前、自分がなんかの言い訳になったり、自分がなんかやってきたことで、それをどんどん使ってくれっていうか、何かのためになるし、それが意味があるものであれば。
うん。
なんかで、相っていうのができれば、やっぱりその世界に、世界に売れたいってわかんないですけど、でもその日本の人が、日本の作品だよねって、日本人が作ったんだよねって言って、誇りに思ってもらえたりとか。
はい。
今やっぱり知ってもらうっていうことが大事だと思ってんですよね。ニュージーランドで焼きプロミスみたいな、知ってもらうから文化を怪我されないんだっていうか。うん。その活動をしていたりとかっていうのもそうですけど、日本を知ってもらうとか、自分たちが知るとか、なんかそういう、せっかく時代にされて、日本文化ってことに興味があって、自分も日本人の体の使い方って一応研究者みたいに研究してきたから、日本人がどうやって動いてたのか、どういう体の使い方してたのか、なぜ着物を選んだのか、なぜしゃがんでトイレをし出したのかとか、呼吸法とか全部説明ができるぐらい自分は勉強してきたものがあるから、そういうものも含めてやっと繋がってきたことがあるんで。
なんか、最近肋骨に興味あるんですよ。
最後に面白い。うん、あの11番と、
はい。
12番にある浮肋骨に興味があって。
は。
でもこの話、誰も興味持ってくれないんで。
いや、今日、今日1番興味ですか?
そうそうそう。今度でゆっくり話しましょう。日本文化、日本人の体の使い方でめちゃくちゃ大事なんじゃないかって最近思うんですよ。その肋骨がタとかもあるんですけど、
はい。
そういうなんか自分の中で本当コアになりまくってきたものっていうのが結構出てきてるから、
はい。
それをうまく生かして人の役に立つことって、なんて言うんですかね。難しいすよね。
この番組、よくガチ研究者、科学者の方をお招きして、ただただ視聴者を置いてけぼりに
そうっすよね。
ガチの話をしてもらうってのをよくやっているんですね。なので、
いいすよ。
次回是非、岡田さんの肋骨講義。
そうっすね。肋骨やっぱりね、本当にバネとして使えたら、やっぱり動物ですから。いや、バネ、確かバネなんですよ。それにはやっぱ11番、まあ12番だと思うんですけど、12番の肋骨が操作として大事なはずなんですよ。
ということで11番……11番、12番だけ胸骨に繋がってないんですよ。あの2つ何してんだと思います? 意味がないことはないんですよ、人間の体で。
はあ。
11番、12番の肋骨だけ、あれ繋がってないんですよ。両骨と、これに何かがあると思ってるんですよね。でもこんな話誰もしたら点点点って言われちゃうから。そんな人間です。僕、全然マニアックなんで。どうすかね。よく分かってないですけど。はい。
ということで、唯一あるカンペが「締めてください」っていうカンペ。はい。もういいよと。そうっすよね。すいません。長く話しました。
ということで今日は伝記映画のような岡田さんの、
いやいやいや。
人生と生活、すいません、そして肋骨の秘密について。
それだけは誰かと語りたいんですよ。誰かいないかと思って。
この番組をご覧の方で肋骨の神秘をご存じのプロの方がいらっしゃいましたら、是非番組までご教示ください。ちょっと模索中なんで。
はい。
ということで、次回の肋骨講義と、イクサガミのシーズン20を楽しみにさせていただきます。
はい。30年ぐらいかけて。30年ぐらいかけて、なかなか東京たどり着かないな、だいぶ年取りましたねってなりますけど。
はい。はい。その頃70代半ばの岡田さんが、
そう。
神になってるかもしれないですよ。生身として肋骨動かしてるかもしれない。
で、肋骨の神としてまたゲストにお越しいただければと。本当ありがとうございました。
ありがとうございました。
あ、お疲れ様でした。
いや、今日もこの照明がむちゃくちゃ強いじゃないですか。もうずっと岡田さんに後光が差してて、すごいことになったな。30年経って神になるっていう話してましたけど、もうすでに神なんじゃないかっていう気がしてましたね。ちょっと印象に残った話がありますか? まあ骨の話ですよね。うん。
でも何より驚くのは、10代でもう大体決まっていたと。しかもそれが大体そのまま実現してきてるっていう、わけのわからない感じがすごいな。だから多分このまま実現していって、50代に全盛期を迎え、その後みんなを助けてるんじゃないかっていう気がしました。
なので、その点、日本の映画とか時代劇みたいなものをもう一度作り直すルネッサンスみたいなものを始められてるわけじゃないですか。それがNetflixとかAmazonみたいな外国企業におんぶに抱っこっていうところが、少しビタースウィートだなって思うんですよ。つまり焼け野原になった日本がGHQの支援の元で復興してるみたいな部分があると思うんですね。なので、いかにそこからこの国が自立できるか、そのためのプラットフォームを誰が作るのか、それは岡田さんなのかっていう気がしました。
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