寺島しのぶと成田悠輔が語る舞台の一回性、役に入り込むこと、そして女性たちの悩み

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概要

経済学者の成田悠輔がホストを務める対談番組『夜明け前のPLAYERS』に、俳優の寺島しのぶが出演した。前半は舞台と映像の違い、表現で生計を立てることの難しさ、重い役に入り込んで抜けられなくなる経験など、演じることをめぐる話が中心である。後半は番組スタッフやその家族から寄せられた悩み相談に寺島が答え、自身の入院経験や子育てを語った。寺島はこの日、収録後に歌舞伎座へ観劇に行くため着物姿で現れた。

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昼夜通しの歌舞伎と、観客が共有する時間

寺島によれば、3月の歌舞伎座では昼の部から夜の部まで通して上演しており、11時から21時までの長丁場になる。歌舞伎座で昼夜を通した芝居は久しぶりなので見ておきたかったという。4月中旬に始まる舞台『リンスリピート』の稽古が3月中旬から始まるため、その前に観ておく必要があった。

歌舞伎以外にも、小劇場から芸術劇場のようなやや大きめの劇場で上演される現代劇まで、まだ観たことのない作品や役者を目当てによく足を運ぶという。長時間劇場に閉じこもること自体が観客にとって特別な体験になる、と寺島は見ている。

成田は、クラシックやジャズの公演でも観客の熱量や愛着の強さを感じると話し、観客自身がその場をどう良くするかを考えているように見えると述べた。寺島は、観客は時間を作って来ており、演じる側も「来てよかった」「この時間を共有できてよかった」と言ってもらいたいので、そこには一期一会の感覚があると応じた。一方で、客席で一人が携帯電話を鳴らしただけでその日の世界が崩れることもあれば、逆にそれが面白さにつながることもある。何が起きるか一日ごとに分からない点が舞台の好きなところかもしれない、と寺島は語った。

舞台、テレビ、映画はそれぞれ何が違うのか

寺島は劇団出身で、父や弟の舞台も見てきたため、映像より舞台のほうが好きだという。映像はその場に集まって演じればそのシーンはなくなっていくが、舞台は毎日同じことをしながら何かが積み上がっていく感覚がある。映像ではカメラの前で演じた演技の出来は監督にしか分からず、時差がある。舞台は立ってしまえば自分のものになるので、そこが気持ちいいのだという。

演じ方も違う。舞台では観客がどこを見るかは自由なので、どこを見られてもいいようにしておかなければならず、全身を見られている意識から、映像より神経を使うと寺島は言う。一方、映像は手先など部分ごとに神経を使うので、別の種類の疲れがある。成田はこれを「レンズの焦点が一つあるのと、目が1000個あるのとの違い」とまとめた。

さらに寺島は、テレビと映画も違うと強調する。テレビは瞬発力や表情のふとした変化で見せるが、映画には陰と陽があり、後ろ姿のショットでも正面の顔が想像できるような余白がある。成田が「映画のような沈黙や余韻はテレビではなかなか流せない」と言うと、寺島は、そこがテレビの難しいところだとやるたびに思う、と答えた。

スマホと倍速視聴への違和感

成田が、人々がスマホで映画を観るようになったことに触れると、寺島は作り手として「悲しいったらありゃしない」と率直に述べた。スクリーンで2時間集中して観るはずのものを電車の中で、しかも倍速で観るなら、自分が作った「間」は何なのか、と。

なぜ人々は時間に追われているのかという問いに対し、成田は、映像も何もかも作られすぎているからだと答えた。

誰でも発信できる時代に、表現は職業として成り立つのか

成田はここから持論を展開した。テレビが中心だった時代は、作れる人・流せる人が限られていた。それは独占とも言えるが、そのおかげで誰もが何でも作りまくって全員が苦しむような行き過ぎた競争は避けられていたのではないか、と成田は見る。YouTubeやTikTokの世界では誰でも表現でき、誰でも参入できるので、じっくり作ることは難しくなる。したがって厳しいのはテレビだけでなく、ネット側の個々のクリエイターも苦しまざるを得ないのではないか、というのが成田の考えだ。

寺島が「バズると大きいので、それを目指して作るのか」と尋ねると、成田は、もはや何を目指して作っているのか分からないまま作っているのだと思う、と答えた。道具があれば料理を作り、靴があれば遠くまで散歩するように、作って発信できる場があるととりあえず作ってみるのが人間なのだという。

寺島自身は昨年ごろInstagramを始めた。以前から勧められていたが、文章を書くほうが好きで、事務所からコラムという形で発信していた。始めてみると楽しくなり、編集に時間をかけている自分や、Threadsで誰かの言葉に助けられている自分に気づいたという。ただ、やりすぎればまたコラムに戻っていくのかもしれない、とも話した。

成田は、文章の世界も同じくらい大きな変革期にあり、雑誌はなくなりそうで、新聞は産業としては多分無理、本も厳しいのではないかと述べた。そのうえで、映像、芝居、文章、写真を問わず、表現や創作で生計を立てることがほぼ無理になっていくのではないかという「仮説」を示した。寺島が「表現者を否定されている」と笑うと、成田は、みんな趣味人に戻っていくのではないかと説明した。多くの人は好きなことを片手間の趣味としてやり、宝くじのようにごく少数だけがそれを商売にできる。職業や企業の単位でクリエーションやメディアを営むことは難しくなり、残るのはInstagramやYouTubeを運営するFacebookやGoogleのような企業だけではないか、と成田は推測する。

成田自身はYouTubeもTikTokも自分で発信したことはなく、こうした番組に呼ばれたときに出る程度だという。コストをかけたり人を巻き込んだりすると責任を感じてしまうので、そのほうが楽だと話した。ただし、表現したり演じたりすることは人間の根本的な欲求なので、産業や経済がどうなろうと続くとも述べている。

役に入り、役から出てくる方法

成田がこの日いちばん聞きたかったと切り出したのが、役に入り込み、終われば自分に戻ってくることは学べるものなのか、コツや技術があるのか、という問いだった。

寺島は、やり方は役者によってまったく違うと答えた。切り替えが非常に早い人もいれば、役を演じている前後はどっぷり浸かって出られない人もいる。寺島の場合、特に重い役では自分の体と喉を使って演じるため、なかなか抜けないことがあるという。台本を読み、その人物の「履歴書」を作っていく。何が嫌いか、台本に書かれていないことを埋めて一人の人間にしていくと、その期間中は役になりきってしまう。夫からは、役によって寝相が違うと言われたこともあるそうだ。凶暴になった時期もあったという。

『キャタピラー』の撮影で起きたこと

成田は、寺島が映画『キャタピラー』について、12日間ほどで撮影し、あれ以上長かったらどうなっていたか分からないほどおかしくなったと語っていたことに触れ、それはどういう状態なのかと尋ねた。

寺島によると、予算がなかったため1日に10シーンほど撮った。若松監督はテストをせず、すべて本番で撮るので、役者はずっとアドレナリンが出続ける状態だった。昼間でも光を遮って夜のシーンを撮るため、どこで何のシーンを撮っているのか自分でも分からなくなる。作品はほぼ二人だけのシーンで、演じているのは気が狂っていく人物なので、自分の中で何が本当なのか分からなくなったという。撮影場所は忘れてしまったが、かやぶき屋根の家にずっといて、東京に帰れないほど缶詰状態だったからこそできたのだろうと振り返った。

低予算のため、ヘアメイクも衣装の管理も自分でしてから現場に入った。トイレはかやぶき屋根の家にある汲み取り式のものだけで、マイクをつけていて音もするので我慢していたら、膀胱炎になって血尿が出たり、蕁麻疹が出たりした。病院に行きたかったが、全員がこの期間で撮り切らなければという悲壮感の中にいたため言い出せなかった。監督も必死で、監督には言えなかった。周囲の女性スタッフは心配していたが、「あと何日で終わるから我慢する」と言い続け、撮影が終わった途端に体調を崩した。役はほぼ1か月抜けなかったという。寺島は「身にした作品だった」と表現している。

家族が切り替えのスイッチになった

役が抜けないことはよくあるのかと問われ、寺島は、結婚して子どもを産む前は、次の役が来るまでほぼずっと前の役のままだったような気がすると答えた。自分の人格がなくなり、次の作品で次の人格が入るまでその役でいる。だからひどいワーカホリックで、次の役が欲しくてたまらなかった。

結婚してからは、家に帰ると別の人がいることで、無理やりでも切り替えられるようになったという。家族と家が切り替えのもう一つのスイッチになった。ただしそのギャップに苦しむこともある。それでも一度リセットできるならそのほうがいいと、今は思えているそうだ。

重い役ばかりなのは自分の選択か成り行きかと成田が尋ねると、寺島は、実際に来るものがそういう役しかなく、求められているのはそれなのだろうと答えた。爽やかな役の台本を読むと、もっと爽やかな別の女優の顔が浮かび、自分でなくていいと感じることがあり、そういうときは引き受けない。出演を決める基準は脚本とは限らず、この監督と組みたい、この共演者には心を許せる、自分のコンディションにぴったりはまる役が来た、といったタイミングも大きいという。

次の舞台『リンスリピート』で抱えている迷い

4月の舞台『リンスリピート』は重い作品だと寺島は言う。摂食障害で施設に4か月入っていた娘が、週末の外出許可を得て帰宅し、月曜の朝までを過ごす4日間の話である。娘が拒食症になった理由の多くは、家族のあり方にある。

寺島には息子しかいないが、自分の母と自分を比べると、母と娘には何とも言えない関係性があると語る。このプレッシャーは何なのかと思うことも、なぜそこから抜け出せないのかと思うこともあった。若い頃はまさにそれと重なっていて、幸い病気にはならなかったものの、優れた親を持つと自分もそうならなければいけないのではないか、それを期待されているのではないかと考え続けた時期があったため、強く共感したという。

一方で、役柄の設定に悩んでいる。寺島の演じる役はヒスパニック系で、台本には部分的にスペイン語が入っている。移民として成功することの意味を日本人がどれだけ理解できるのか、と寺島は考えた。たまたま見ていたアカデミー賞で、両親が移民の受賞者がスペイン語で話せることを誇りに思うというスピーチをしていたのを見て、自分もスペイン語を話すべきかと思ったという。ただ観るのは日本の観客なので、移民という要素を取り払っても、成り上がりたい人や成功者という像だけで成立するのか、それとも移民の要素をきちんと入れるべきなのか、稽古前の今、もやもやしているという。

成田が、観客の文脈や社会がまったく違うことを指摘すると、寺島は、フランス人と結婚してから違和感は減ったものの、平たい顔の自分が「ジェーン」になることへの恥ずかしさはあり、ト書きに「ヒスパニック」と書かれるとハードルがぐっと上がると話した。かといって日本人の設定にすると不自然になるし、「愛しい我が子」のような訳文は日本人には表現しにくい。成田は、逆に白人が歌舞伎を演じたら日本人には妙に見えるだろうと応じた。

家族をめぐる重い劇を演じていて家庭に戻ったとき大丈夫かと問われると、寺島は、うちはなんて平和なんだろうと思う、と答えた。それでも役を自分に置き換え、これを息子に言ったら疲弊させてしまう、言ってはいけないのだと考えることはあるという。夫は非常に個人主義で、子どもが生まれた時点から子どもを一人の個人として扱い、赤ちゃんの頃から子ども部屋があり、川の字で寝たことは一度もない。自分は多分過干渉なので、その両方のバランスで子どもは安定しているのだろう、と寺島は見ている。今回の劇のように、金銭面も含めてすべてを妻に委ね、全員が妻の言う通りにせざるを得ない家族は大変だろうと思う。演じるからには役を好きになりたいが、今回はなかなか好きになれない、「きつい」女性だと明かした。

相談1:既婚男性ばかり好きになってしまう

後半は、スタッフとその家族から寄せられた相談に答えた。最初は20代女性から、昔から既婚男性を好きになって辛い思いを繰り返している、この恋を続けるのは間違いか、という相談である。

寺島は、既婚男性は落ち着いていて余裕があるから魅力的なのは間違いないと言い、成田に「悩みを深めている」と突っ込まれた。成田は、好きになった人が次々と既婚者だったということだろうし、余裕があって幸せそうに見えることも多いと述べた。寺島は、一度きりの人生なので、好きになってこっぴどく振られて傷つくのも財産ではないかと話した。成田が「みんなを傷つけてしまうが」と言うと、寺島は「みんなを傷つけたほうがいいのでは」と返し、瀬戸内寂聴なら「おやりなさい」「やりたいことを突き進みなさい」と言うだろうと述べた。成田は、困ったときは過去に演じた役になりきってアドバイスする手もあると提案し、寺島は「いいエクスキューズになる」と笑った。

相談2:不運が続いたときの気持ちの切り替え方

2つ目は40代女性から。この2年ほど、大切な人の死、子どもの発達特性の判明、夫のメンタル不調と不運が続いた。このままでは気持ちが落ち込み子どもに悪影響を与えそうなので、人生の窮地で気持ちを切り替える考え方や行動を知りたい、という内容だ。

寺島は、自分もつい最近入院していたと明かした。顔に麻痺が出て、耳が聞こえなくなり、声もまったく出なくなった神経系の病気だった。非常に忙しく、神経をすり減らす仕事が多かったことで、出るなというところに全部症状が出たという。人生初の入院で心が弱り切り、治るかどうか以上に、精神が病んでいくとこれほど辛いのだと実感した。若い頃にも蕁麻疹や自律神経の不調で病院にかかったことがあったが、若さで乗り切ってきた。今回はいい加減にしろと体が悲鳴を上げたのだと受け止め、ここが底で、これ以上の底は今のところないから、あとは上がっていくしかないと考えたという。

相談者についても、今がきっと底なのだと寺島は話した。苦しみは本人にしか分からないので他人がとやかく言うことではないとしたうえで、瀬戸内寂聴から直接言われた言葉として、鞠はついたら弾む、底をついたら上がっていくしかない、という考え方を紹介した。成田は具体的な行動として風呂を勧め、風呂はだいたいの心の問題を解決してくれる気が個人的にしていると述べた。

相談3:子どもを他の家庭と比べてしまう

3つ目は、小学生の子どもの習い事や勉強をママ友の家庭と比べてしまい、本当は子どもの個性を尊重したいのに不安から口を出してしまう、という相談である。

寺島は、まさに自分が12歳の息子から「なんでそんなに比べるの」「僕には僕の道があるから放っておいてくれ」と言われ、それ以来口を出さなくなったと話した。親は子どもに愛を与えていると思っているが、実は子どもも親に多くの愛をくれている。子どもにとってはガミガミ言う母親よりニコニコしている母親のほうがいいはずで、良かれと思って言っていることも、子どもは「そんなお母さんの顔を見たくない」と思っているだろう。息子ははっきり言ってくれた、ありがとうという気持ちだったという。

ただ、「言いたいことがあるなら言いなさい」と求めたわけではなく、息子はふとした拍子に「人と比べるのはもうやめたほうがいいよ」と言ってきた。だから子どもがそう言えるような余白を作っておくほうがいいのだと思った、と寺島は語った。成田は、相談者の家庭でも子どもがきちんと反発するようになるだろうと応じた。

歌舞伎の家に生まれて、なぜ演じることを選んだのか

最後に成田は、芝居の家、それも歌舞伎という特殊な世界に生まれながら演じることを仕事に選んだ理由を尋ねた。寺島は「意地でしかない」と答え、自分だけだった頃はとても幸せだったが、弟が生まれたとき、周囲の視線がふっとそちらに向いた瞬間があったような気がした、と語り始める。動画はその話の途中で終わっており、その先の答えは語られていない。