寺島しのぶと成田悠輔が語る舞台の一回性、役に入り込むこと、そして女性たちの悩み
PLAYERS公式経済学者の成田悠輔がホストを務める対談番組『夜明け前のPLAYERS』に、俳優の寺島しのぶが出演した。前半は舞台と映像の違い、表現で生計を立てることの難しさ、重い役に入り込んで抜けられなくなる経験など、演じることをめぐる話が中心である。後半は番組スタッフやその家族から寄せられた悩み相談に寺島が答え、自身の入院経験や子育てを語った。寺島はこの日、収録後に歌舞伎座へ観劇に行くため着物姿で現れた。
昼夜通しの歌舞伎と、観客が共有する時間
寺島によれば、3月の歌舞伎座では昼の部から夜の部まで通して上演しており、11時から21時までの長丁場になる。歌舞伎座で昼夜を通した芝居は久しぶりなので見ておきたかったという。4月中旬に始まる舞台『リンスリピート』の稽古が3月中旬から始まるため、その前に観ておく必要があった。
歌舞伎以外にも、小劇場から芸術劇場のようなやや大きめの劇場で上演される現代劇まで、まだ観たことのない作品や役者を目当てによく足を運ぶという。長時間劇場に閉じこもること自体が観客にとって特別な体験になる、と寺島は見ている。
成田は、クラシックやジャズの公演でも観客の熱量や愛着の強さを感じると話し、観客自身がその場をどう良くするかを考えているように見えると述べた。寺島は、観客は時間を作って来ており、演じる側も「来てよかった」「この時間を共有できてよかった」と言ってもらいたいので、そこには一期一会の感覚があると応じた。一方で、客席で一人が携帯電話を鳴らしただけでその日の世界が崩れることもあれば、逆にそれが面白さにつながることもある。何が起きるか一日ごとに分からない点が舞台の好きなところかもしれない、と寺島は語った。
舞台、テレビ、映画はそれぞれ何が違うのか
寺島は劇団出身で、父や弟の舞台も見てきたため、映像より舞台のほうが好きだという。映像はその場に集まって演じればそのシーンはなくなっていくが、舞台は毎日同じことをしながら何かが積み上がっていく感覚がある。映像ではカメラの前で演じた演技の出来は監督にしか分からず、時差がある。舞台は立ってしまえば自分のものになるので、そこが気持ちいいのだという。
演じ方も違う。舞台では観客がどこを見るかは自由なので、どこを見られてもいいようにしておかなければならず、全身を見られている意識から、映像より神経を使うと寺島は言う。一方、映像は手先など部分ごとに神経を使うので、別の種類の疲れがある。成田はこれを「レンズの焦点が一つあるのと、目が1000個あるのとの違い」とまとめた。
さらに寺島は、テレビと映画も違うと強調する。テレビは瞬発力や表情のふとした変化で見せるが、映画には陰と陽があり、後ろ姿のショットでも正面の顔が想像できるような余白がある。成田が「映画のような沈黙や余韻はテレビではなかなか流せない」と言うと、寺島は、そこがテレビの難しいところだとやるたびに思う、と答えた。
スマホと倍速視聴への違和感
成田が、人々がスマホで映画を観るようになったことに触れると、寺島は作り手として「悲しいったらありゃしない」と率直に述べた。スクリーンで2時間集中して観るはずのものを電車の中で、しかも倍速で観るなら、自分が作った「間」は何なのか、と。
なぜ人々は時間に追われているのかという問いに対し、成田は、映像も何もかも作られすぎているからだと答えた。
誰でも発信できる時代に、表現は職業として成り立つのか
成田はここから持論を展開した。テレビが中心だった時代は、作れる人・流せる人が限られていた。それは独占とも言えるが、そのおかげで誰もが何でも作りまくって全員が苦しむような行き過ぎた競争は避けられていたのではないか、と成田は見る。YouTubeやTikTokの世界では誰でも表現でき、誰でも参入できるので、じっくり作ることは難しくなる。したがって厳しいのはテレビだけでなく、ネット側の個々のクリエイターも苦しまざるを得ないのではないか、というのが成田の考えだ。
寺島が「バズると大きいので、それを目指して作るのか」と尋ねると、成田は、もはや何を目指して作っているのか分からないまま作っているのだと思う、と答えた。道具があれば料理を作り、靴があれば遠くまで散歩するように、作って発信できる場があるととりあえず作ってみるのが人間なのだという。
寺島自身は昨年ごろInstagramを始めた。以前から勧められていたが、文章を書くほうが好きで、事務所からコラムという形で発信していた。始めてみると楽しくなり、編集に時間をかけている自分や、Threadsで誰かの言葉に助けられている自分に気づいたという。ただ、やりすぎればまたコラムに戻っていくのかもしれない、とも話した。
成田は、文章の世界も同じくらい大きな変革期にあり、雑誌はなくなりそうで、新聞は産業としては多分無理、本も厳しいのではないかと述べた。そのうえで、映像、芝居、文章、写真を問わず、表現や創作で生計を立てることがほぼ無理になっていくのではないかという「仮説」を示した。寺島が「表現者を否定されている」と笑うと、成田は、みんな趣味人に戻っていくのではないかと説明した。多くの人は好きなことを片手間の趣味としてやり、宝くじのようにごく少数だけがそれを商売にできる。職業や企業の単位でクリエーションやメディアを営むことは難しくなり、残るのはInstagramやYouTubeを運営するFacebookやGoogleのような企業だけではないか、と成田は推測する。
成田自身はYouTubeもTikTokも自分で発信したことはなく、こうした番組に呼ばれたときに出る程度だという。コストをかけたり人を巻き込んだりすると責任を感じてしまうので、そのほうが楽だと話した。ただし、表現したり演じたりすることは人間の根本的な欲求なので、産業や経済がどうなろうと続くとも述べている。
役に入り、役から出てくる方法
成田がこの日いちばん聞きたかったと切り出したのが、役に入り込み、終われば自分に戻ってくることは学べるものなのか、コツや技術があるのか、という問いだった。
寺島は、やり方は役者によってまったく違うと答えた。切り替えが非常に早い人もいれば、役を演じている前後はどっぷり浸かって出られない人もいる。寺島の場合、特に重い役では自分の体と喉を使って演じるため、なかなか抜けないことがあるという。台本を読み、その人物の「履歴書」を作っていく。何が嫌いか、台本に書かれていないことを埋めて一人の人間にしていくと、その期間中は役になりきってしまう。夫からは、役によって寝相が違うと言われたこともあるそうだ。凶暴になった時期もあったという。
『キャタピラー』の撮影で起きたこと
成田は、寺島が映画『キャタピラー』について、12日間ほどで撮影し、あれ以上長かったらどうなっていたか分からないほどおかしくなったと語っていたことに触れ、それはどういう状態なのかと尋ねた。
寺島によると、予算がなかったため1日に10シーンほど撮った。若松監督はテストをせず、すべて本番で撮るので、役者はずっとアドレナリンが出続ける状態だった。昼間でも光を遮って夜のシーンを撮るため、どこで何のシーンを撮っているのか自分でも分からなくなる。作品はほぼ二人だけのシーンで、演じているのは気が狂っていく人物なので、自分の中で何が本当なのか分からなくなったという。撮影場所は忘れてしまったが、かやぶき屋根の家にずっといて、東京に帰れないほど缶詰状態だったからこそできたのだろうと振り返った。
低予算のため、ヘアメイクも衣装の管理も自分でしてから現場に入った。トイレはかやぶき屋根の家にある汲み取り式のものだけで、マイクをつけていて音もするので我慢していたら、膀胱炎になって血尿が出たり、蕁麻疹が出たりした。病院に行きたかったが、全員がこの期間で撮り切らなければという悲壮感の中にいたため言い出せなかった。監督も必死で、監督には言えなかった。周囲の女性スタッフは心配していたが、「あと何日で終わるから我慢する」と言い続け、撮影が終わった途端に体調を崩した。役はほぼ1か月抜けなかったという。寺島は「身にした作品だった」と表現している。
家族が切り替えのスイッチになった
役が抜けないことはよくあるのかと問われ、寺島は、結婚して子どもを産む前は、次の役が来るまでほぼずっと前の役のままだったような気がすると答えた。自分の人格がなくなり、次の作品で次の人格が入るまでその役でいる。だからひどいワーカホリックで、次の役が欲しくてたまらなかった。
結婚してからは、家に帰ると別の人がいることで、無理やりでも切り替えられるようになったという。家族と家が切り替えのもう一つのスイッチになった。ただしそのギャップに苦しむこともある。それでも一度リセットできるならそのほうがいいと、今は思えているそうだ。
重い役ばかりなのは自分の選択か成り行きかと成田が尋ねると、寺島は、実際に来るものがそういう役しかなく、求められているのはそれなのだろうと答えた。爽やかな役の台本を読むと、もっと爽やかな別の女優の顔が浮かび、自分でなくていいと感じることがあり、そういうときは引き受けない。出演を決める基準は脚本とは限らず、この監督と組みたい、この共演者には心を許せる、自分のコンディションにぴったりはまる役が来た、といったタイミングも大きいという。
次の舞台『リンスリピート』で抱えている迷い
4月の舞台『リンスリピート』は重い作品だと寺島は言う。摂食障害で施設に4か月入っていた娘が、週末の外出許可を得て帰宅し、月曜の朝までを過ごす4日間の話である。娘が拒食症になった理由の多くは、家族のあり方にある。
寺島には息子しかいないが、自分の母と自分を比べると、母と娘には何とも言えない関係性があると語る。このプレッシャーは何なのかと思うことも、なぜそこから抜け出せないのかと思うこともあった。若い頃はまさにそれと重なっていて、幸い病気にはならなかったものの、優れた親を持つと自分もそうならなければいけないのではないか、それを期待されているのではないかと考え続けた時期があったため、強く共感したという。
一方で、役柄の設定に悩んでいる。寺島の演じる役はヒスパニック系で、台本には部分的にスペイン語が入っている。移民として成功することの意味を日本人がどれだけ理解できるのか、と寺島は考えた。たまたま見ていたアカデミー賞で、両親が移民の受賞者がスペイン語で話せることを誇りに思うというスピーチをしていたのを見て、自分もスペイン語を話すべきかと思ったという。ただ観るのは日本の観客なので、移民という要素を取り払っても、成り上がりたい人や成功者という像だけで成立するのか、それとも移民の要素をきちんと入れるべきなのか、稽古前の今、もやもやしているという。
成田が、観客の文脈や社会がまったく違うことを指摘すると、寺島は、フランス人と結婚してから違和感は減ったものの、平たい顔の自分が「ジェーン」になることへの恥ずかしさはあり、ト書きに「ヒスパニック」と書かれるとハードルがぐっと上がると話した。かといって日本人の設定にすると不自然になるし、「愛しい我が子」のような訳文は日本人には表現しにくい。成田は、逆に白人が歌舞伎を演じたら日本人には妙に見えるだろうと応じた。
家族をめぐる重い劇を演じていて家庭に戻ったとき大丈夫かと問われると、寺島は、うちはなんて平和なんだろうと思う、と答えた。それでも役を自分に置き換え、これを息子に言ったら疲弊させてしまう、言ってはいけないのだと考えることはあるという。夫は非常に個人主義で、子どもが生まれた時点から子どもを一人の個人として扱い、赤ちゃんの頃から子ども部屋があり、川の字で寝たことは一度もない。自分は多分過干渉なので、その両方のバランスで子どもは安定しているのだろう、と寺島は見ている。今回の劇のように、金銭面も含めてすべてを妻に委ね、全員が妻の言う通りにせざるを得ない家族は大変だろうと思う。演じるからには役を好きになりたいが、今回はなかなか好きになれない、「きつい」女性だと明かした。
相談1:既婚男性ばかり好きになってしまう
後半は、スタッフとその家族から寄せられた相談に答えた。最初は20代女性から、昔から既婚男性を好きになって辛い思いを繰り返している、この恋を続けるのは間違いか、という相談である。
寺島は、既婚男性は落ち着いていて余裕があるから魅力的なのは間違いないと言い、成田に「悩みを深めている」と突っ込まれた。成田は、好きになった人が次々と既婚者だったということだろうし、余裕があって幸せそうに見えることも多いと述べた。寺島は、一度きりの人生なので、好きになってこっぴどく振られて傷つくのも財産ではないかと話した。成田が「みんなを傷つけてしまうが」と言うと、寺島は「みんなを傷つけたほうがいいのでは」と返し、瀬戸内寂聴なら「おやりなさい」「やりたいことを突き進みなさい」と言うだろうと述べた。成田は、困ったときは過去に演じた役になりきってアドバイスする手もあると提案し、寺島は「いいエクスキューズになる」と笑った。
相談2:不運が続いたときの気持ちの切り替え方
2つ目は40代女性から。この2年ほど、大切な人の死、子どもの発達特性の判明、夫のメンタル不調と不運が続いた。このままでは気持ちが落ち込み子どもに悪影響を与えそうなので、人生の窮地で気持ちを切り替える考え方や行動を知りたい、という内容だ。
寺島は、自分もつい最近入院していたと明かした。顔に麻痺が出て、耳が聞こえなくなり、声もまったく出なくなった神経系の病気だった。非常に忙しく、神経をすり減らす仕事が多かったことで、出るなというところに全部症状が出たという。人生初の入院で心が弱り切り、治るかどうか以上に、精神が病んでいくとこれほど辛いのだと実感した。若い頃にも蕁麻疹や自律神経の不調で病院にかかったことがあったが、若さで乗り切ってきた。今回はいい加減にしろと体が悲鳴を上げたのだと受け止め、ここが底で、これ以上の底は今のところないから、あとは上がっていくしかないと考えたという。
相談者についても、今がきっと底なのだと寺島は話した。苦しみは本人にしか分からないので他人がとやかく言うことではないとしたうえで、瀬戸内寂聴から直接言われた言葉として、鞠はついたら弾む、底をついたら上がっていくしかない、という考え方を紹介した。成田は具体的な行動として風呂を勧め、風呂はだいたいの心の問題を解決してくれる気が個人的にしていると述べた。
相談3:子どもを他の家庭と比べてしまう
3つ目は、小学生の子どもの習い事や勉強をママ友の家庭と比べてしまい、本当は子どもの個性を尊重したいのに不安から口を出してしまう、という相談である。
寺島は、まさに自分が12歳の息子から「なんでそんなに比べるの」「僕には僕の道があるから放っておいてくれ」と言われ、それ以来口を出さなくなったと話した。親は子どもに愛を与えていると思っているが、実は子どもも親に多くの愛をくれている。子どもにとってはガミガミ言う母親よりニコニコしている母親のほうがいいはずで、良かれと思って言っていることも、子どもは「そんなお母さんの顔を見たくない」と思っているだろう。息子ははっきり言ってくれた、ありがとうという気持ちだったという。
ただ、「言いたいことがあるなら言いなさい」と求めたわけではなく、息子はふとした拍子に「人と比べるのはもうやめたほうがいいよ」と言ってきた。だから子どもがそう言えるような余白を作っておくほうがいいのだと思った、と寺島は語った。成田は、相談者の家庭でも子どもがきちんと反発するようになるだろうと応じた。
歌舞伎の家に生まれて、なぜ演じることを選んだのか
最後に成田は、芝居の家、それも歌舞伎という特殊な世界に生まれながら演じることを仕事に選んだ理由を尋ねた。寺島は「意地でしかない」と答え、自分だけだった頃はとても幸せだったが、弟が生まれたとき、周囲の視線がふっとそちらに向いた瞬間があったような気がした、と語り始める。動画はその話の途中で終わっており、その先の答えは語られていない。
はい、夜明け前のPLAYERS。この番組は、日本の夜明けにふさわしい次の世代を形づくる新たな才能を発掘するという名目で始まった番組でした。しかし最近ではなぜか超大御所の方や大人気者の方が次々いらしてきて、一体この番組はどこに行くんだろうと不安になっている次第です。迷走しています。ということで今日はその迷走をさらに後押ししていただくにふさわしい超大御所ゲストにお越しいただきました。俳優の寺島しのぶさんです。よろしくお願いします。
お願いします。初めまして。初めまして、成田と申します。お願いいたします。
よろしくお願いします。あの、最初にお詫びがございまして、この番組、日本のテレビで一番暗い番組と…。暗い番組?物理的に光が暗いっていう。そうなんですよね。真っ黒く映ってないかな。大丈夫かな?いや、多分真っ黒く映ってるんじゃないか。本当ですか?はい。それ女優業としてどうなんですかね。あらかじめお詫びし…。はい。分かりました。
いつも着物のことが…。いや、今日はたまたま洋服だと思ってたんですけど、これ終わったらすぐ歌舞伎座に行って観劇しなきゃいけなくて、それで着物で来ちゃいました。いや、本当なんか一瞬この番組のためにもしや着物を着ていただけたのかと。そうだったらよかったか。勝手に勘違いして。いやいやいや、ごめんなさい。
あ、歌舞伎座、やっぱいらっしゃることも多いんですか?そうですね。3月は歌舞伎座で昼夜通してやってるんですよ。はい。で、歌舞伎座で通しってちょっと久々なので、これは見ておきたいなと思って。自分の稽古ももうすぐ始まっちゃうので、早いうちに見とかないと。え、出られるんですか?これから。いえ。え、今稽古っておっしゃったの?あ、そうなんです。4月の中旬から始まる『リンス・リピート』という芝居がありまして、それの稽古が3月のもう中旬から始まっちゃうので、もう今の時間に見とかないと。あ、それが始まる前にまだ時間があるうちに。そうです。そうです。はい。
で、昼夜通してって言うと、もう8時間とかそういう感じ。そうですね。11時から9時まで。11時から9時、すごいですよね、歌舞伎。そうなんです。でも本当、昼夜通してのお芝居って久しぶりなんですよ、歌舞伎座で。ああ。だからちょっと行ってみ…。やってるとあんまり見ないですよね。そうです。多分くたびれちゃうのかな。9時ぐらいになるともう。でも今の時代にすごい長いですよね。長いですよね。うん。だからこうやってその箱に、劇場に行って9時間缶詰めになるっていうこと自体が、お客さんにとってもとても特別な空間になるんじゃないかなと思いますけどね。
お芝居見られますか?ちょくちょくお芝居、舞台の、歌舞伎座にも時々伺って。え、それはもう選ばれて行くんですか?うん。そうですね。今まで見たことがないものとか、役者さんでまだ見たことがない方とかに興味があったりとか。あ、歌舞伎以外では?歌舞伎以外でも普通に舞台も、ちっちゃい小劇場とかも。あ、本当ですか?そこそこ行きますし。へえ。例えば芸術劇場でやってるような、ちょっと大きめの現代舞台し…。もうちょくちょく見に行きますね。へえ。
でも見ていて、見ている側も大変ですが、やられる側もあんなに大変で報われないものないです。報われないことはないんですけど、でも報われないものも、あるっちゃありますけどね。でも、効率の悪さはすごいじゃないですか、普通の意味で言ったら。まあ、そうですね。でも映像とまた舞台って違って、その映像っていうのはもう本当にパッて集まってパッと演技してパッともうそのシーンはなくなっていくっていう感じなんだけど、舞台はやっぱり1日1日同じことやってんですけど、何か積み上がってる感じがして。はい。私は元々劇団出身なのでそっちの方が好きなんですよね。
で、父とか弟の舞台も見てるので、その舞台のお客さんとの対話とか、そっちの方が好きか…。映像だとやっぱりカメラ前にしてやるから、その自分の演技がどうかっていうのは監督さんしかまだ分からないわけで、時差があるんですよね。でも舞台は立っちゃったら自分のものみたいになるので、そこはそこですごい気持ちがいいんですよね。しかも映像の場合、できて固まったものを観客は見てるだけって部分もありますもんね。そう。散々素材を撮って監督が編集してできたものだから、またちょっと違うっていうか。確かに芝居とか歌舞伎の場合は、その場でお客さんも含めて一緒に作り上げてくみたいな部分もありますよね。そうですね。
いや、だから不思議な空間だなと思って。しかもこういう時代なので、歌舞伎にしても芝居にしても、見に行ってる人たちの愛がすごいっていうのもあるなと思って。僕、例えばクラシックのコンサートとかジャズ聴きに行っても感じるんですけど、ともかく観客、お客さんたちの熱量とか愛着の強さがすごいので、彼ら自身がどうその場所を良くするかっていうことをすごい考えてるみたいな気はしますよね。だってやっぱり時間を作りに行ってるわけだし、こちらもお見せするには、来てよかった、この時間共有できてよかったって言っていただきたいし、行く側もやっぱりある時間を作って来てくださるわけだから、そこの一期一会感っていうのはありますよね。
でもその中で1人でプルプルって携帯なんか鳴らされたものなら、その世界が見事にガラガラガラっとその1日は崩れちゃうとか、逆にそれを逆手にとって面白くなっちゃったりする時もあるんですけど。で、そういうハプニングも含めて、舞台って何があるか1日1日わかんないんで、そこが好きなところなのかもしれないですね。
演じる意味でも映画と舞台だと違いますか?はい。違いますね。舞台はもうお客さんがどこを見ても勝手なので、ある程度どこを見られてもいいようにしとかないといけないっていうか。確かにショットで切り取られてるわけじゃないですね。そうですね。勝手にお客様が切り取ってくださるので、こっちはこうやってるだけなんだけども、でもやっぱり全部を見られてる意識っていうのはすごく、うーん、映像よりは神経は使うのかな。映像は映像で、やっぱりここだからここの神経とか、手先の神経とか、部分部分だから、それはそれでまたちょっと違う疲れはあるんですけど。確かにレンズの焦点が1個あるっていうのと、目が1000個あるっていうのと。そうなんですよね。確かに関係全然違いますよね。
で、またテレビと映画っていうのもまた違うんですよ。また違いますよね。テレビっていうのはある意味すごく瞬発力だし、顔の表情とか、ふっとした何かで変わっていくっていう感じだけど、やっぱり映画っていうのはもうちょっと陰と陽があって、なんとなく後ろのショットでも前の顔が想像できるようなショットだったりとか、ある意味余白があるから。確かに映画にあるような沈黙とか間みたいなもの、テレビではなかなか流せないです。絶対に無理じゃないですか。そこがね、なかなかテレビって難しいなって毎回やる時に思っちゃう。
でも今だとネットのテレビがどんどん出てきてる中で、本当にテレビってどうなっちゃうのかなっていう過渡期みたいなところじゃないですか。本当になくなっちゃうかもしれないですしね。でも逆に新しいお芝居体験みたいなのも出てきそうですよね。今例えば人が普通にスマホで映画見るようになってるじゃないですか。あれも結構驚くべきこと。驚くべきこと。いや、もう作り手にとったら悲しいったらありゃしないですよ。スクリーンで2時間その空間に集中して見るはずだったものを、みんな電車の中とかでスマホで見てるじゃないですか。倍速とかで見るんでしょ。だったら私が作ったあの間は何なんだろうっていうね。なんかもうやっぱり見る人主体になっちゃってんだよね。
うーん。あとなんでそんなに時間に追われてるのかって話ですよね。無駄なものみんな見てるからですよね。ああ、例えば。いや、やっぱ作りすぎじゃないですか、映像にしても何にしても。僕、なのでテレビ的な時代はある意味ですごくいい時代だったのかなと思うのは、それ作れる人とか流せる人が限られてたわけじゃないですか。で、それは独占とも言えるわけですが、そのせいで、ちょっと行き過ぎた競争を、誰でもかんでも何でも作りまくって、全員苦しむみたいな事態は避けられてたのかなと。ああ、なるほどね。でももう今のYouTube、TikTok的な世界とかはもう誰でも表現できちゃって、誰でも入ってこれるので、そうなったらじっくり作るみたいなのは無理になってきちゃいますよね。なのでテレビが厳しいってだけじゃなくて、実はそのネット側も僕厳しくなってるんじゃないかと思うんですよね。ああ、そうなんだ。で、それは単純に、誰でも作れる、誰でも発信できるってなったら、そりゃ1人1人のクリエーター、表現者は苦しまざるを得ないんじゃないかなって気はしちゃいますけど。なるほどね。
でもバズっちゃったりするとすごいじゃないですか。もうそこのガーンっていう行き方が。それを目指してみんな作るんですか?あれって。なのでもはや何を目指して作ってるのかも分からなくて、みんな作ってるんだと思うんですよね。でも人間って色々試しちゃえるものだから、道具があったら料理作ってみる、靴があったら遠くまで散歩しに行ってみるものじゃないですか。それと同じような感じで、作って発信できる場ができちゃうと、とりあえず作ってみるものなんだと思うんですよね。
私本当に遅いんですけど、去年かインスタ始めたんですよ。インスタ前々からやれやれって言われてたんですけど、ずっと文章書く方が好きで、コラムっていう形で事務所から出してたんですよ。だけどインスタ覚えちゃったら楽しくなってきちゃって、すっごく編集に時間をかけてる自分とか、Threadsで誰かの言葉に助けられちゃってる自分とか、なんかこれって面白いかもって今更気づいていて。でもこれが多分やりすぎてやりすぎてやりすぎてったら、またコラムに戻ってくのかなとは自分でも思ってるんですよ。
文章みたいな世界も同じぐらい大きな変革期ですよね。あ、そうなんですか。いや、だってもう雑誌とかそろそろなくなっちゃいそうですもんね。こんなこと言うのまずいのかもしれないですけど、新聞はもう産業としては多分無理ですよね。で、本っていうものもちょっと厳しいんじゃないですかね。20年前とかと比べたら本当に何…みたいな感じになっちゃってますよね。ああ。だからもしかしたら僕、表現したり何かを作るっていう営み全般が厳しくなっちゃうんじゃないかっていう仮説を…。え、表現をする?表現をしたり何かを作る。それは映像作品でもお芝居でも文章でもいいんですが、写真でもいい。こういうもので生きていくとか稼いでいくってことが、ほぼほぼ無理になっていくんじゃないかっていう気はしますね。ということは…。え、否定されてる、表現者。
いや、みんな趣味人に戻っていくんじゃないかって気がするんですよね。趣味人。なので、別にインスタで自分を表現してる人たち、ほとんどはほぼ趣味でやってて、稀にうまくバズったりすると、個人としてはそれでいい感じに稼げたりすると。でも別に彼らが昔の例えばテレビ局とか新聞社とかラジオとかみたいな感じで産業化してるわけではないじゃないですか。だからそういう感じで、ほとんどの人は好きなことを趣味として片手間にやってて、その中で宝くじ的にごく少数の人だけがそれを商売にできる。で、職業とか企業みたいな単位ではなかなかクリエーションとかメディアとかって無理になっていくんじゃないかなっていう気がなんとなくしちゃいますけどね。
ええ、じゃあ何が残るんですか?なのでInstagramを経営したり、YouTubeを経営したりしてるFacebookとかGoogleみたいな野蛮な企業たちだけが残っていくんじゃないかっていう気は結構しちゃうんですけどね。なのでYouTube文化みたいのも、結局誰がそれで1番得してるかって言ったら、結局YouTubeでありGoogleっていう感じじゃないですか。まあね。なのでそんな辛い時代に入りつつあるのかなとかって思ったりもしている。
されないんですか?ご自身は。あんまりしなくて、こういうのに呼ばれるとちょろっと出てきて。なるほど。じゃ、ご自身からの発信とかはない?ほぼないですね。へえ。YouTubeも自分で出したことはなくて、TikTokも自分でやったことはないっていう感じで。その方が楽かなと。それでコストかけ始めたり人を巻き込んだりするとちょっと責任感じちゃって。なるほどね。いいなっていうこともちょっと感じてる次第ですね。いや、でもその表現したり例えば演じたりするってこと自体は人間のすごい根本的な欲求だと思うので、それ自体は別に産業がどうなろうが、経済がどうなろうが続くんだとは思うんですよね。
でもその点、今日1番伺いたいなと思ってたのは、演じる時にその役に入って出てくるっていうのはどうやったらできるものなんですかね。演じる?はい。その役に憑依して、終わったら自分に戻ってくるわけじゃないですか。それは何か学べばできることなのか、何かはっきりしたコツとか技術みたいなものがあるものなのか。役者さんによって多分すごい違うと思うんですよね、やり方が。ものすごい切り替えが早い役者さんもいれば、もうその役やってる前後はどっぷりそれに浸かっちゃって出られないっていう人もいるわけで。特に重たい役とかになると、どんどん自分の体と喉を使ってそういう芝居やるわけだから、なかなか出てかない時はありますね、私は。
でももうそこまで台本読んで、例えばこの人のいろんな履歴書を作ってくわけですよ。この人何が嫌い?台本以外に書かれてることをどんどん埋めてって、1人の人間になってってやると、やっぱりその期間中はもうそれになりきっちゃったりとかになるんですよね。なんか旦那さんとかにすごい寝相が違うって言われたことがある。役によって寝相が違うって。へえ。すごい重たい役多くやられてらっしゃるじゃないですか。そう。すごい凶暴になった時もありますしね。
いや、例えば『キャタピラー』っていう映画について語られてるのを拝見してた時に、あれを12日間かなんかで撮影したっておっしゃってて、だけどあれがもしあと何日か長かったら一体どうなってたかわからないぐらい頭がおかしくなったみたいな。本当に書かれてたじゃないですか。それはどういう状態なんだろうとか、それはなろうとしてなるものなのか、何なんだろうと思い…。『キャタピラー』の場合はもう本当に予算がなかったから、1日に10撮ったんですよ。で、若松監督ってテストしないんですよ。全部本番でやっちゃうから。ああ。だから役者がずっとアドレナリンが出まくってる状態で撮るんですよね。いわゆるリハーサル的なものなしでどんどん撮ってく。ない。全くなくて。へえ。だから昼間でも遮光して撮っちゃうんですよ。え、夜のシーンとかです?そう。へえ。だからずっと2人だけのシーンじゃないですか、あれ、ほぼ。だからもう頭がおかしくなる。どこで何のシーン撮ってんのかも自分でも全然わかんなくなっちゃうし、やってることはやっぱ気が狂っちゃってるから、ほとんど何がなんだか、自分の中で何が本当なのかが分からなくなって。いやあもう本当あれは、多分東京に帰れないぐらい缶詰にされちゃってたから、だからできたんだと。
ああ。どちらで撮られてたんですか?あれはどこだったかな?どこか忘れちゃったなあ。ああ、どっか忘れちゃうぐらい密空間で。そう、茅葺き屋根の家にずっとそこにいたっていう感じ。じゃ、もう12日間ほぼひたすら寝る以外は撮影って感じです?そうです。それでもう低予算だから、頭、衣装全部自分でやる。衣装の管理も顔も。全部自分でやってから現場に入る。だからもうそれも疲れちゃうし、トイレももう茅葺き屋根の1個のボットン便所みたいなところしかなくて、そうなってくるとマイクもつけてるし音もするし嫌だから我慢するんですよ、トイレを。そうするともう見事に膀胱炎になっちゃって、もう血尿が出まくるとか、変な蕁麻疹が出るとか、そんな中でやってました。ちょっと病院行きたいんですけどと思っても、やっぱりみんなが必死で、この期間の中で撮り切らないとダメだっていうもう悲壮感が漂ってるから、自分だけちょっと具合悪いんで病院でっていうわけにはいかなかったんですよ。だからもう多分、本当にあれは身にした作品でしたね。
その血尿まで監督は計算してたんですか。いや、わかんない。でも監督にはもう言えなかった。もう監督自体も必死だったし。私の身の回りにいる女性のスタッフさんたちはすごい心配してたけど、もうあと何日で終わるからもう我慢する、我慢するって言って、結局終わって、終わった後にもうズドーンと具合悪くなっちゃって。ああ。抜けれなかったですね、役が、ほぼ1ヶ月ぐらい。役が抜けなかったことっていうのは結構あるものですか?あの、結婚する前、子供産む前はもうほぼ次の役が来るまでずっとそれだったような気がする。あ、でもそのもう役が自分の人格で。そうそうそうそう。自分の人格がなくなっちゃって。次の人格を次の作品でインストールするまではそれになってる。そうです。だからすごいワーカホリックだったし、次の役が欲しくてたまらなかったんですけど、やっぱ結婚して、うちに帰ってくると違う人が家にいるっていうので、ちょっと切り替わるよう、無理やり切り替えられるようになったっていうか。で、その家族と家っていうのが切り替えるためのもう1つのスイッチになったって感じです。そうですね。でもそのギャップにまた苦しむんですけど、でもそれで一旦リセットできるんだったら、そっちの方がいいのかなっていう風に今は思えてるかな。
あんなに重いドロドロ煮詰めきったような役ばっかりやられてるじゃないですか。それは寺島さん自身の選択なんですか?それとも成り行きでそういうとこにたどり着いてしまったんですか?いや、でも実際来るものがそういうものでしかなくて、だから私の求められてるものはそれなのかなっていう…。はい。…ものですよね。諦め。なんか爽やかな役とかってやっぱり爽やかな女優さんが浮かんでくるんですよ。私も台本読むと、これは私じゃなくていいんじゃないかな、もうちょっと爽やかな人がやられた方がいいんじゃないかなっていう風に違う女優さんが浮かんできちゃう時があるんですよね。そういう時はもうやらないですね。
やるかやらないかを決める時はやっぱり脚本が1番の決め手になりますか?とも限らないですね。この監督とやりたかったとか、この共演者はやっぱり心を許せるからやりたいとか、あとはその自分のコンディションの時にぴったりはまる役が来るとか、タイミングですよね、あとは。
だから『リンス・リピート』って、その4月にあるものがすごく重いものなんですよね。娘が摂食障害になっちゃって、その摂食障害で施設に入ってて、施設に4ヶ月いて、週末の外出許可が出て、月曜日の朝までの4日間だけの話なんですよ。でもなぜ彼女が拒食症になってしまったのかっていうのは、往々にしてその家族の形態であったりとか、そこに要素がすごく多く含まれていて。やっぱり自分も子供を育てる中で、私は息子しかいないですけど、やっぱり母親と娘って、自分の母と私を比べたりすると何とも言えない関係性ってあるんですよね。わあ、これ何?このプレッシャーって思う時もあるし、なんでそこから抜け出せない自分がいるんだろうとかって常に思ってることもあったし、若い時はまさにそれがリンクしてて、私はそういう風な病気には幸いかからなかったけれども、その優れた親を持ってると、こうならなきゃ自分もいけないんじゃないかとか、やっぱりそうなることを期待されてんじゃないかとか、もういっぱい自分のない頭でいっぱい考える。そういう時期を私も過ごしてきたので、すごい共感しちゃって。
で、台本には私はヒスパニックなんですよ。だから台本に「オラ」とかなんとかって、ちょっと部分部分スペイン語が入ってんですよ。でもそれ読んだ時に、その移民で成功するってことが日本人にどれだけ分かってるのかなって。で、それでたまたまこの間アカデミー賞見てて、助演女優賞の方が両親が移民で、私はこんなに成功したって。アメリカにいるけれども、スペイン語の中で喋れたことがもう誇りでたまらないみたいな、見てろトランプみたいな、もうザッツそういうスピーチだったじゃないですか。それをドンピシャで見ちゃって、あれ、これ私スペイン語やっぱり喋った方がいいのかなとか思ったり。ただでも見るのは日本のお客様だから、スペイン語とか移民とかを取っ払っても、やっぱり成り上がりたい、成り上がってる人っているじゃないですか。成功者。で、それだけで今成り立つのか、その移民の要素をちゃんと入れなきゃいけないのか、そこが今すごい稽古の前でモヤモヤしてる感じで。
移民ってなるとやっぱりすごくまずもって1個引くじゃないですか、お客さんって。難しいですよ。そう。全くそのお客さんの中にある文脈とか社会が全然違うってのもありますし。そうなんですよ。フランス人と結婚してからあんまり違和感はなくなったんですけど、でもやっぱ恥ずかしいっていう部分はね。自分がジェーンってなると、ジェーンなんだ、こんな平べったい顔しててジェーンなんだっていう、自分がそこに入ってかなきゃいけない、まずあれがあるんですよね。しかもト書きにヒスパニックとか書かれちゃうと、もうぐっとハードルがト書きの段階で上がるっていう。いや、だからそこを、じゃあザッツジャパニーズにしちゃうとおかしいじゃないですか。だから翻訳も翻訳でなかなか難しい。ああ、なんとか愛しい我が子とかって書かれちゃってると、それはなかなか日本人には表現できないですよね。逆に歌舞伎を白人がやるって言ったら、日本人から見ると…。もね、変てこな部分ありますね。
そうです。そんな難しい家族に関する劇をやられてて、実際の家族生活に戻った時大丈夫ですか?いや、うちはなんて平和なんだろうって思いますし、でも本当にそういう自分が今こういう役をやってて、自分に置き換えることはありますよね。これをこういう風に息子に言ったら、それは疲弊してっちゃうよなとか、やっぱり言っちゃいけないんだなっていう。うちは旦那はもうものすごい個人主義なんで、子供が生まれた時点でもう子供は子供。俺たちの子供だけど、子供っていうすごい個人個人として扱うんですよね。だから彼の部屋もあったし、赤ちゃんの時から川の字で寝るなんて1回もなかったし。じゃ、彼は彼として。そうです。そうです。別の個人っていう感じだ。だからうちの家族の形は、旦那がもう個人主義で、私は多分過干渉だと思うんですよ。で、それの塩梅で子供はバランスが取れてるんだと思うんですけど。
これがでも本当に、今回やる舞台のように、全員金銭とかでも全部奥さんにおんぶしちゃってる家族でってなると厳しいんだろうなっていう。その奥さんの全部言う通りにせざるを得ない家族で、これは大変だろうなと思って。でもやっぱやるからにはその役を好きになりたいじゃないですか。なかなか好きになれないんですよ、今回。この役好きにな…。きついんですよ、この女の人。ちなみに番組ホームページではノーカット版の配信もしています。番組が大赤字で大変です。是非皆さん課金をよろしくお願いします。
ちなみに今日スタッフの方が寺島さんにいくつか質問させていただきたいっていう熱い要望が届いてまして。質問。はい。今忘れて話し込んでいたら、しっかりしろっていうカンペが出たので、ちょっと質問も出してみましょうか。はい。えっと、これはスタッフの皆さん及びそのスタッフのご家族さんで、寺島さんに是非伺いたいという…。ここのスタッフさん?はい。悩みの質問が届いてます。
1。昔から既婚男性を好きになってしまい、結局辛い思いを繰り返しています。相手には家族がいるし、1人占めできない苦しさも分かっているのに、どうしても惹かれてしまう。この恋を続けるのは間違いでしょうか?もしお2人が同じ状況になったら、どう気持ちを整理し次のステップへ進みますか?20代女性。いきなり…。でも既婚です。結婚した男性ってやっぱり落ち着いてるから魅力的ですよね、間違いなく。これ悩みを深めちゃってる。余裕があるからなんかね。でも既婚者だけ本当に好きになっちゃうのかな。好きになった人が次々既婚者だったっていうことなんでしょうね。どうだろう。まあ余裕もあるし、幸せそうに見える場合は多いですからね。うーん。
でも一度きりの人生ですからね。好きになってこっぴどい振られ方して傷ついてっていうのも財産じゃないですかね。みんなを傷つけちゃいますけどね、色々。みんなを傷つけた方がいいんじゃないですかね。瀬戸内寂聴様なら、おやりなさいっていうと思います。はい。間違いないですね。やりたいことを突き進みなさいっておっしゃると思います。という感じで、難しかったら、これまでやられた役になりきって、この役だったらこうアドバイスするはずっていう。それいいな。なんかいいエクスキューズになる。はい。困った時の瀬戸内寂聴。ということで、突き進んで傷つけばいいのではないかという寂聴さんからのアドバイスです。そうなのかな、これ。
2。数年に渡り、大事な人の死、子供の発達特性の発覚、夫のメンタル不調の不振など不運が続きました。占いなどは信じませんが、このまま続くと気持ちが落ち込み、子供に悪影響を与えてしまうかも。人生の窮地に立った時、気持ちを切り替えるための考え方や具体的な行動があれば知りたいです。40代女性。これまでものすごくきつかった局面っていうのはおありですか?ちょっとつい最近入院してました。あ、そうなんですか。今はもう大丈夫な…。もう大丈夫なんですけど、ちょっと顔も麻痺が入って、耳聞こえなくて、喉もこんな声全く出なくなっちゃって。あ、そう。神経系の?神経系です。ああ、なるほど。こういう形で神様は私にストップをかけたんだなって思ったんです。ものすごい忙しかったんで。忙しかったのと、ちょっと神経すり減らすような仕事が多かったんで、出るなっていうところに全部出たっていうところがあって。その時にやっぱすごい、人生初入院で弱りまくっちゃって、心が。だから治る治らないかじゃなくて、人間ってどんどん精神が病んでっちゃうとものすごい辛いんだなと思うことを実体験としてあって、そこちょっと辛かったんですけど。
52年までよく体とかね、蕁麻疹とか、1回自律神経で病院とかもあったんですよ、若い時。はい。で、そういうのも全部若いからすっ飛ばして、治った治ったなんつってここまで来ちゃったんだけど、もういい加減勘弁しろって悲鳴を上げたんですね。だからここが底だと思って。これ以上の底は今んとこないと思って、あとは上がってこうっていう。もうここが底だと思ったら、もう底ついて上がるしかないっていう。だからきっと底なんですよ、今。結構色々続いてますね。ね。でもこの苦しみってご本人しか分からないんですよ、本当に。だから人がとやかく言うことではないですけど、やっぱり寂聴さんの言葉を借りると、鞠をついて、ついたら弾むでしょって。だからついたら上がってくしかないのよっていうことです。それはもう寂聴先生言われてました。素晴らしい。はい。
具体的な行動としてはお風呂に入るのがいいんじゃないでしょうか。お風呂。お風呂はいいですよね、本当に。お風呂は大体の問題を、心の問題を解決してくれる気が個人的にしてるところです。ああ、ものすごい肌綺麗ですもんね。何の話?いや、なんか代謝が多分すごいいいんだと思います。代謝はいいですね。もうだって毛穴ないもん。それは今メイクさんが無理やりファンデーションを塗りたくっていただいたから。さっきからすごい綺麗だなと思ってたんですよ。恐縮。いやいや本当に。いやいや今すごい嫌味を言われたのかなと思って。ツルツルだもん。ありがとうございます。
3。小学生になった子供の習い事や勉強について、周りのママ友と比べてしまいがちです。本当は子供の個性やりたいことを尊重したいのに、不安からつい口を出してしまいます。どうすれば子供を他の家庭と比べずに見守ることができるでしょうか?もうまさに私、子供に言われました。なんでそんな比べるのって。僕は僕の道があるからほっといてくれって言われて、そこからちょっと黙るようになりました。力強いですね。子供に愛をあげてるって親は思うんだけど、やっぱり子供ってすごい愛くれてるんですよね。だからなんだろう。子供自体もやっぱりガミガミ言ってるお母さんより、ニコニコしてるお母さんの方がいいわけだから、その良かれと思ってギッて言ってることも、子供にとってはうわあってそんなお母さんの顔見たくないってきっと思ってるだろうから、そういう風に子供も気い使ってくれてるんだなと思って。それはすごく、息子がはっきり言ってくれてありがとうって感じでしたね。だからその言わせる余白を作っといてあげた方がいいんだなって思って。何にも、言いたいことあったら言いなさいよとかって全く言わなくて、ポロっとお母さん人と比べんのもうやめた方がいいよとかって言って。
今おいくつでしたっけ?12歳。12歳?うん。僕は僕の道があるし、なんかそれ無理とか言われちゃって、お、そうかって。ちょっとじゃ、このご家庭にも1度、お子さんにもちょっと強くなってもらって。そう。お子さんがちゃんと反発するようになりますよ、きっと。
そのお芝居の一家に生まれられて、しかも歌舞伎っていうものすごい特殊な世界じゃないですか。それにも関わらず、演じるってことを仕事として選んだのは…。もう気でしかない。もうそれしか…。本当に私だけだった時はすごい幸せだったんですよ。やっぱ弟が生まれて、ふわってなんかみんながふわって見た瞬間があったような気がしたんですよ。
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