雨穴はなぜどの媒体でも受けるのか 成田悠輔が聞いた「プロではないこと」の強み
PLAYERS公式全身黒ずくめに白い仮面という姿で活動するホラー・ミステリー作家の雨穴は、Web記事、YouTube動画、小説、映画、ミュージックビデオ、プリクラまで、性質の違う媒体で作品を出し、それぞれで反響を得てきた。経済学者の成田悠輔は対談で、雨穴にとってホラーとは何か、そしてなぜ媒体をまたいでも人の心をつかめるのかを尋ねた。これに対して雨穴は、自分には思想もプライドもなく、専門性へのコンプレックスがあると繰り返し語った。成田はその「専門家ではないこと」が、ソーシャルメディア時代にはむしろ強みになるのではないかという見立てを示した。
黒い服と白い仮面は「一番楽だったから」
成田がまず聞いたのは、あの見た目がどのように生まれたかだった。雨穴によれば、特別な思想はない。ネットで活動を始めるときに姿を隠したかったが、どう隠すかを考えたところ、黒い服とお面がいちばん作るのが楽だった。その結果、少しカオナシのような見た目になったという。
成田は、制服やスーツが「毎日考えずに同じものを着られるから楽」と言われるのと同じで、毎回メイクをするよりこのほうが楽かもしれないと応じた。さらに冗談で、自分は白タイツに黒い仮面で雨穴のコスプレをしようかと考えていたと話し、雨穴は「オセロみたいですね」と返している。
カオナシに似ている点について成田が意識しているのかと聞くと、雨穴は偶然だと答えた。作ったあとで自撮りしてみて似ていると気づいたが、そのまま活動を始めたという。今のところトラブルにはなっていない。収録で使っている仮面は最初から同じもので、ずっと使い続けている。
雨穴がこの番組に出た理由も語られた。以前から番組を見ていて、成田のことは最初は怖い人だと思っていたが、中田さんや長野さんの回を見て、かわいらしい人かもしれないと感じたという。
謎をすべて解き明かす「邪道」のホラー
成田は「いちばん難しいことから」と前置きして、ホラーとは何か、よいホラーの条件は何かを尋ねた。
雨穴はまず、よく言われる考え方を紹介した。ホラーの本質は「分からないこと」にある。分からないから人は不安になり、怖いと感じる。そこから逆算して、分からなさを再現するのがよいホラーだ、という考え方である。そのうえで雨穴は、自分の作品はこうした正統派のホラーから見るとかなり邪道で、おそらくあまりよくないホラーだと話した。理由は、最後に謎をすべて解き明かし、読者に分からせてしまうからだという。そのため、自分にはホラーを語る資格がないのではないかと付け加えた。
結末は書き進めるうちにずれていく
謎をどこまで解くのか、全体の構造を最初に決めてから書くのかと成田が尋ねると、雨穴は、大まかには最初に考えるが、書いているうちに頭の中で変わっていき、最初に想像していなかった結末にたどり着くことがほとんどだと答えた。
結末の良し悪しを決める要素として、雨穴は二つを挙げた。一つ目はストーリーの自然さである。最初に「ここに行って、ここに行って、最後はここ」という大まかな設計図を作るが、細部を詰めていくと、その流れが不自然に感じられることがある。雨穴は、ストーリーを動かすのは人間であるキャラクターだと考えている。人間の心理としてこの順番で動くのはおかしいと思えば、少しずれた方向へ進める。そのずれが積み重なり、最終的に予定とは違う場所に着くのだという。
二つ目はケレン味である。雨穴はずっとWebやインターネットで活動してきた。人は驚いたり感情が動いたりしたときにSNSで感想を書いたり反応したりするので、ネットを基盤にしている以上、ケレン味が最も重要だと話した。成田がケレン味とは何かと聞くと、雨穴は「とにかく驚くこと」、最初の予想を大きく裏切られることだと説明した。本格的な文学やミステリーの世界の人からは安っぽい、俗っぽいと思われる要素かもしれないが、自分はネットが基盤の人間なので入れなければならない、というのが雨穴の考えだった。
ケレン味の物差しはTwitter
成田は、ネットといっても性質はさまざまだと指摘した。Web記事の世界があり、YouTubeには長尺とショートがあり、Twitterのような短いテキストの世界もある。そのなかで、雨穴が最も重視しているケレン味の物差しはどこなのかと尋ねた。
雨穴の答えはX、つまり旧Twitterだった。Webメディアでライターをしていた時期は、記事のURLがTwitterで拡散されなければ誰にも読まれない状況が5年から10年ほど続いていたという。成田が2010年代かと確認すると、雨穴は肯定した。Twitterで受けなければ記事は読まれない。その経験が今の創作の出発点にあり、成田の「出発点は言葉で、それもWeb記事的な言葉の空間なのか」という問いにも雨穴はうなずいた。
誘われるまま広がった媒体
成田は、雨穴ほど異なる媒体を組み合わせている作り手は少ないとして、それが意図的なのか、誘いに乗っていたら結果としてこうなったのかを尋ねた。
雨穴は後者だと答えた。もともと何の思想も持っていない人間で、文学で素晴らしい作品を書こうとか、映像の世界で上に行こうといった目標はまったくない。物を作るのが好きなので、作らせてもらえるならジャンルは何でもよいという。
成田は、特定の媒体に強く依存する作品も多いと続けた。紙の本で売れた作品をYouTubeにしても人を引きつけられるとは限らないし、YouTube、Twitter、テレビもそれぞれまったく違う世界である。これらを渡り歩いてどこでも人の心をつかむのはとても珍しく、雨穴はそれができている数少ない一人ではないかというのが成田の見方だった。そのうえで、特定の媒体へのこだわりやプライドがないから他の場所へも出ていけるのではないかと自己分析を求めた。
雨穴は「プライドは全然ない」と即答した。この外見の人物がプライドのなさを自己分析している光景に成田は笑いが止まらなくなり、自分もプライドがない点は似ているかもしれないと話した。
図画工作の人気者と、美術という壁
雨穴はそのうえで、たまたまうまくいっているだけで、自分がやっても受けない媒体はあるはずだと留保した。そして、自分の根っこにある体験を語った。
子どものころは勉強もスポーツもあまりできなかったが、図画工作の時間だけはクラスの人気者になれた。自分の作ったものを周りの子が「すごいね」と言ってくれ、注目を浴びる子どもだったという。ところが中学・高校になると、図画工作は美術という科目に変わる。図画工作の成績はオールAだったのに、美術ではあまり活躍できなかった。雨穴は、美術は図画工作に比べて専門的でアカデミックなセンスが求められるのだろうと考えている。専門的な部分を求められるとうまくいかない。だから大人になってからも「ずっと図画工作だけをやって生きていきたい」と思っていたという。雨穴はこれを、専門性へのコンプレックスのようなものかもしれないと表現した。
「技術が一歩足りない」ことが生む距離の近さ
成田は、裏を返せば専門性やプロらしさから自由だとも言えると応じた。雨穴の動画には、いい意味で手作り感が残っていて作り込みすぎていない。『変な家』の間取り図にも、ペンとノートで手作りしたような感触がある。洗練されすぎる手前で止まれる「反専門性」「アンチプロ性」が、読者や視聴者との距離を縮めているのではないか、と成田は話した。
雨穴はこれに部分的に同意しつつ、注意点も挙げた。もし自分がそれを意識して、あえて下手に、不完全に作ろうとし始めたら、かえってよくないという。動画の編集も間取り図の制作も本人としては一生懸命やっているが、技術が一歩足りない。その足りなさが、見る人との距離感や、いい意味での雑さ、リアルさとして奇跡的に成り立っているのではないか、というのが雨穴の自己評価だった。
根なし草が光る時代という成田の見立て
成田はこの話を一般論に広げた。一つの技術を突き詰めた「プロ」は、その腕が発揮できる場所とそうでない場所がはっきり分かれる。すると本人も別の場所へ移りにくく、見る側にも何が本業で何が副業かが見えてしまい、それが興ざめにつながることがあるという。
例として成田が挙げたのは、テレビの芸人とYouTuberだった。スタジオで会う芸人は、ひな壇で神業のようなフリートークを展開していて、とんでもない技術だと感じる。ところが同じ人がYouTubeで、雑な設定のまま完全なフリートークをすると、微妙な素人感が出て急に冷めることがある。実際、技術のある芸人がYouTubeに来ても、ほとんどは大して人の心をつかめていない、と成田は話した。逆に、自分の部屋で撮って自分で編集し、自分の世界を出すことに長けたYouTuberがテレビに出て、他人の土俵であるひな壇で話すと、とてもつまらなく見えることがある。そこから成田は、どこでもプロではない人は、かえってあらゆる場所でぎりぎりプロでありうるという性質を持てるのではないか、と考えたという。
雨穴はこの話が「すごくしっくり来た」と答えた。自分はずっと根なし草のようで、どこにも属せない寂しさを感じてきたが、それがかえってよかったのかもしれない、と。
成田はさらに、今は根なし草の時代だと続けた。動画や映像の世界は少し前まで、映画でもテレビ番組でも、プロだけが壁で囲まれた狭い世界にいた。それがここ10〜20年で一気に誰でもできるものに変わった。これは、根を持つプロの限られた世界から、根なし草や雑草だらけの世界へと拡張したということでもあり、同じことがあらゆる領域で起きているのがソーシャルメディア時代ではないか、というのが成田の見方である。雨穴は、根なし草が光る時代に生まれたのは運がよかったと応じた。
成田自身の「素人」としての立ち位置
雨穴は、成田にも根なし草のような印象があると動画を見て感じていたと話した。成田は、自分もただの素人だと答えた。研究の世界では一応プロだが、その世界と人前に出る世界は水と油で、何の関係もない。研究の世界では、多くの人の心に届くものを作ったり話したりすることはむしろ悪いこととされる。暗号のような言葉で議論しているプロたちの世界であり、一般の人が聞いて心を動かされるような「ぬるいこと」を言う人間は偽物だとみなされる、と成田は説明した。そのため、番組に出るときも本を書くときも、自分はただの素人として、日曜大工や「日曜図工」のようにやっているという。
プリクラで初めてぶつかった壁と、お化け屋敷
成田は、雨穴が先ほど「自分が受けない媒体もあるはず」と言ったことを受けて、全力でやっても光らない表現スタイルは何かと尋ねた。ミュージックビデオまで自作自演していて、本人は「ひっそり」と言うものの数百万回再生に達しているため、答えは簡単には出なかった。
そこで成田は質問を変え、まだ試していないがやってみたいものはあるかと聞いた。雨穴が挙げたのはお化け屋敷だった。きっかけはプリクラをプロデュースした経験で、そのとき初めて壁にぶつかったという。動画や本なら100%自分でコントロールできる。しかしプリクラは客との共演のようなもので、客は勝手に撮影し、どう反応するかも分からない。コントロールしきれないなかで大体をコントロールすることの難しさを知ったと雨穴は話した。お化け屋敷はその拡張版のようなものだろうと雨穴は考えている。もしかすると自分が輝けない、苦手なフォーマットかもしれないが、だからこそやってみたいという。
成田はさらに話を広げ、ディズニーランドの雨穴版のような「雨穴パーク」を提案した。レストランの店員も、客を驚かす役も、パレードの出演者もすべて雨穴の分身で、1万体ほどいるという想像である。成田は、とんでもなく受けるか、悪夢のように誰も入らないかのどちらかだろうと笑った。雨穴は、カオナシのパクリだと叩かれそうだと返した。
動画を見た人にも見ていない人にも成り立つ小説
成田は、同じ作品でも媒体によって質や雰囲気が根本的に変わっているように見えると指摘した。『変な家』は、YouTubeで語られるときには、一見不気味でありながらユーモアとチャーミングさのある、雨穴らしい奇妙な雰囲気がある。一方、本になるとその要素は消え、ほぼ純粋にシリアスなホラーとして読める。この空気の違いは意図的に作っているのか、それとも本人が画面に出るかどうかで結果的に変わるだけなのか、と成田は尋ねた。
雨穴によれば、『変な家』はWeb記事とYouTubeで発表したあとに小説化した。その際に最も考えたのは、二つの読まれ方を両立させることだった。動画を見た人が読んでもしっくりくること。そして、動画をまったく見ずに文芸小説として初めて読んだ人にも違和感がないこと。YouTubeを見た人には、あの姿の雨穴が間取りを調べて冒険している物語に見え、そうでない人には普通のオーソドックスな小説として読める。そういう形を目指したという。
成田はこれを受けて、雨穴の作品はアメーバのようだと評した。四角い箱に入れば四角い形に合わせ、丸い箱に入れば丸くなれる、不思議な柔軟さがある。もし最初から小説という形式が根幹にあり、その世界に徹底的に適応して作られていたら、YouTube動画に展開するのは難しかったのではないか。出発点がWeb記事的なものだったことが、いい意味での秘訣なのかもしれない、と成田は話した。
雨穴は、自分は何者にもなれなかったと振り返った。漫画家やミュージシャンを目指したこともあったがプロにはなれず、そうしたアマチュアリズムがおそらく自分の根っこにあるのだろうという。
肩書きは「アメーバ」か
成田は、漫画家やミュージシャンのような確立されたカテゴリーで自分を定めなかった、あるいは定められなかったからこそ、何者にでもなれるスタイルを自分で見つけたのではないかと述べ、今の雨穴は自分を何者だと思うか、肩書きをつけるなら何かと尋ねた。
雨穴はしばらく考え、「何でも屋」や「よろず屋」も少し違うと答えた。どうしても自分をカテゴライズできず、便宜的に「ホラー作家」と名乗っているが、それも少し違う気がする。そのうえで、成田が言った「アメーバ」かもしれないと話し、成田は「ぜひ明日から肩書きはアメーバで」と返した。
最後に成田は、動画はどのような体制で作っているのか、チームがあるのかと尋ねた。雨穴の答えは「完全に1人」だった。グループではないかとよく言われるが、最初から今まで100%一人で制作しているという。成田はこれに「衝撃」と反応し、ここで収録された部分は終わっている。
今年も夏の足音が迫ってまいりました。8月の猛暑を想像してすでに干からびている成田です。本日はそんな暑さを予防すべく、深夜の鳥肌を立てる会にしたいと思います。そのために理想のゲストにお越しいただきました。動画、小説、映画、歌、踊り、プリクラ、全てを混ぜ合わせる全部のせホラー作家。『変な家』や『変な絵』でお馴染みの雨穴さんご本人の登場です。よろしくお願いします。
初めまして。初めまして。あ、どうぞ。お座りください。
あとなってしまいました。あ、こちらも勝手が分からず、慣れてなくてすいません。
ちなみに人類でいらっしゃるんですか? 一応そうですね。一応そうです。いや、もはや雨穴さんご自身がホラーみたいな感じになった。この見た目です。見た。はい。
元々どういうきっかけでその見た目を開発されたんですか?
もう全く何の思想もなくて、ネットで最初活動しようと思った時に姿を隠したかったんですけど、どうやって隠せばいいんだと思った時に、黒タイツとお面が1番作るのが楽だったので。で、結果的にちょっとカオナシみたいな見た目になってしまったんですけど。
確かに楽っちゃ楽そうですよね。そうですね。制服とかスーツとか、考えてみると楽って言うじゃないですか。ある意味考えなくても良くて、毎日同じもの着ればいいので。確かにそのお面と黒タイツも、毎回下手にメイクしたりするより全然いいんじゃないかっていう気がしてきたんですが。今度からちょっと僕も真似させていただけないかな。あ、本当ですか? はい。実は今日、雨穴さんのコスプレをして出てこようかなと思いまして。はい。最初、白タイツに黒仮面がいいんじゃないかと。あ、オセロみたいです。オセロ。で、それで、今度オセロっていうコンビでも結成させていただけたら。これはもうありますね。
でも今日は、なんでこんな番組に出てきていただけたんですか? 以前から拝見しておりまして。あ、そうなんですか。ありがとうございます。中田敦彦さんの回とか、永野さんが出られた回とか。はい。最初は怖い方なんだろうなって思ってたんですけど、その動画を見て、あ、結構可愛らしい方かなと。
正直可愛らしいかもしれないですね。あ、じゃ、見ていただいていたとこなんです。はい。しかも永野さんとか中田さんの回とか、好き勝手言いまくってた回ですよね。そうですね。面白かったです。ありがとうございます。いやあ、でもちょっと動揺してます。もうどっからお話始めるのがいいかなと思ってたんですが。はい。
1番難しいことから伺ってもよろしいですか? はい。ホラーって何だと思われますか? ホラーは? うーん。もうちょっと噛み砕くと、いいホラーになるために必要な条件とか性質みたいなものって何かあるのかなって思ったんですよ。
そうですね。よく言われることは、ホラーの本質は分からないことである。で、分からないから人は不安になるし、怖い。で、それを逆算して作る、再現するのがいいホラーなんだっていう考え方は1つあると思うんですけど、それで言うと私が作っているものは、そういう正統派のホラーからするとかなり邪道で、多分あんまり良くないホラーではあると思うんですね。とにかく最後に全部謎を解き明かして分からせてしまうので。うん。そういう意味で、多分私がここでホラーを語る資格はないかなっていう。
そうすると、その謎をどこら辺まで解いてしまうかとか、どこまで説明しきってしまうか、全体の構造を最初にはっきりさせてから書き始められるんですか?
えっと、大まかには最初に考えてるんですけど、書いてくうちにどんどん変わっていくというか、自分の頭の中で変質していくので、自分でも最初想像してなかった着地点というか結末にたどり着くっていうのがもう大半ですね。
ああ、なるほど。じゃ、最初にたどり着くだろうと思った仮の到着地点から遡って書き始めると、別の地点に到着してるってことが多いってことですか? あ、そうですね。ああ、それはその新たな着地点の方がいいと思われるからなんですかね。いろんな結末があり得るじゃないですか。その結末の良し悪しとかを決める要素って何なんでしょう?
うん。そうですね。まず1つが、自分の場合はそのストーリーの自然さっていうところで。最初に大まかな設計図というか、ここに行って、ここに行って、最後ここっていう風に決めるんですけど、実際に細かいところを詰めていくと、ここに来て、ここに来て、で、ここに行くのはちょっと不自然というか。やっぱりストーリーって、キャラクターが動かすものなので、人間の心理としてここに行って、でここに行くっていうのは違うよなって思って、自然な、ちょっとずれるここに行く。でそれがどんどん歪んでいって、ちょっと違うところに行っちゃうみたいな。
あとはやっぱり結末の良し悪しで言うと、自分はずっとWebインターネットでやってきたものなので、とにかくSNSでなるような、一瞬のというか。やっぱり人って驚いたり感情が動いた時に、SNSで例えば感想言ったりとかリアクションしてくれるので、ネットベースにしてるものである以上、ケレン味は1番重要ではありますね。
ケレン味っていうのは何なんですかね? うーん、何でしょう? あるいは雨穴さんがケレン味を感じられた何かっておありになりますか?
とにかく驚く。うん。最初予想していたものから、ガーンと予想を裏切られるような。それはある意味、いわゆる本格的な文学とか文芸とかミステリーの世界でやってらっしゃる方からすると、安っぽいというか、ちょっと俗と思われるようなものだと思うんですけど、やっぱり私はネットがベースの人間なので、やっぱそういう要素は入れないとなっていう。
で、元々そのWebライター的なところから出発されたわけですよね。はい。で、その後YouTubeとかでものすごい大爆発されたりしたわけじゃないですか。うん。だからネットでケレン味って言った時に、どういうネットとかどういうソーシャルメディアを語るかによって、やっぱちょっと性質違いますよね。そうですね。Webライティング的なネットの世界もあれば、YouTube的な世界もあって、しかもその中にも長尺なものもあればショートもあって、そこでもだいぶ違いますよね。はい。で、さらに言葉の世界でも、Twitter的な短いテキスト、つぶやき的なものもあるじゃないですか。はい。こういうのがあった時に、1番重視されているケレン味の物差しみたいなのって、どれに当たりますか?
やっぱりX。あ、そうなんですか。はい。Webメディアでずっとライターやってたんですけど、どうしてもWeb記事が拡散される時に、当時のTwitterの力を借りないとWeb記事は誰にも読まれないっていうのが、5年か10年ぐらい続いていて。そうすると2010年代ぐらいって感じです。そうですね。Twitterでどれぐらい拡散されるか、その記事のURLが拡散されるかっていうとなると、やっぱりTwitterで受けないとっていう。
で、創作の出発点はやっぱ言葉で、しかもWeb記事的な言葉の空間っていうのが今も出発点にあるっていう感じなんですかね。そうですね。ああ。でも何でもやられて、何でも組み合わせられますよね。Web記事的な空間における言葉も扱われますし、それを書籍で紙の世界にも落とされるわけじゃないですか。で、YouTubeの動画にもされて、それが映画になったり、プリクラにもなって、あらゆる方向に派生しているじゃないですか。はい。これほど全然違うもの組み合わせてらっしゃる方、あんまりいないような気がするんですよ。これって意識的にやられてるんですか? それともいろんな誘いがあって、それに乗っかっていたら結果としてこうなっていたって感じなんですかね。
まあやっぱり誘われてそこに乗っかってっていう形ですね。元々何にも思想を持ってない人間なので、例えば文学で絶対に素晴らしい文学を書いてやるとか、映像で上に行ってやるとか全くなくて、とにかく物を作るのが好きなので、作らせてもらえるならジャンルは何でも。
だからこそ、ジャンルレスでメディアレスになれるんですかね。と思ったのは、例えば作品も特定のメディアとか特定の媒体にすごく依存してるものもあるじゃないですか。つまり紙の本の世界で売れたものが、例えばYouTubeにしたからって言って、全然人を引きつけられるとは限らないですよね。で、さらにそのYouTubeとTwitterの世界も全く違うし、そことテレビの世界も全く違うじゃないですか。で、この領域を順番に行った時に、どこでも人の心をつかめるっていうのものすごいレアなことだと思うんですよ。うん。で、雨穴さんはそれがなぜかできてしまっている数少ない方のような気がしてるんですね。で、それがなんでなんだろう、その秘訣とか条件は何なんだろうってのがちょっと気になってたんですよ。
でもしかしたら、特定の媒体とか特定のメディアとか特定のメディウムにこだわりとかプライドがないからこそ、それに依存せずに他の場所にも出ていけるのかなとか思ったんですが、どう自己分析されてますか?
まあプライドは全然ないですね。
ちょ、今、このルックスでプライドがないって言われた時にちょっと笑いが止まらなく。あ、プライドありそうですか? いや、なんかこの見た目の方が自分のプライドについて自己分析してる絵が非常にシュールでした。はい。プライドがあまりない。私ながら、その点だけはちょっと似てるかもしれないです。はい。本当ですか? はい。プライドがないし、最近興味もなくなってて、もうどうにもならなくなってるんですが。はい。どうぞ。
はい。そうですね。まあ、ただたまたまうまくいってるっていうだけで、多分自分がやっても全然受けないメディアとかもあるとは思うんですけど。ただ、うん、そうですね。自分の中でずっと根っこにあるのが、私子供の頃に、勉強もスポーツも大してできなかったんですけど、図画工作の時間だけは、ちょっと大げさに言うと、クラスの人気者になれた。自分が作ってるものを周りの子たちが、雨穴の作ってるのはすごいねって、注目を浴びるっていう、そういう子供だったんですけど。
ただ中学とか高校になると、図工が美術っていう科目に変わる。はい。で、図工はもう成績もオールAだったんですけど、美術になるとなんかあんまり活躍できないというか。多分美術って図工に比べると、より専門的とかアカデミックなものがある、センスとかが要求されると思うんですけど、そういう専門的な部分とかが求められると、自分はあんまりうまくいかない。だからずっと図工だけやって生きていきたいなという風に、大人になってからも思ってたんですけど。なので、専門コンプレックスみたいなのはあるのかもしれないですね。
あ、でも逆に言うと、その専門性とかプロ性っていうのから自由だとも言えますよね。あ、そうですかね。というのは、例えば動画とか拝見していても、はい、いい意味で手作り感が残ってらっしゃるなっていう感じがして、作り込みきってないっていう感じが勝手ながらするんですよ。で、それから例えば『変な家』の間取り図とかも、なんとなく図工とか、ペンとノートで手作りされている感がなんとなく伝わってくる感じがちょっとあるんですよね。なんでその作り込み切ってない、洗練されすぎてないところで止まれるっていう反専門性、アンチプロ性っていうのが、もしかしたら読者とか視聴者との距離感を縮めてるのかなっていう感じもするんですが。
そうですね。ただこれ、多分自分でそれを意識して、ちょっとあえて下手というか不完全にやろうって思い始めると、また良くないと思うんですね。自分はその動画の編集とか間取りの制作とかも、自分としては一生懸命やってるんですけど、ただやっぱり技術が今一歩足りない。でその足りなさが、今おっしゃっていただいた見てる人との距離感というか、いい意味での雑さ、リアルさっていうものが、なんか奇跡的に成り立ってるのかなという気はしますね。
しかもそれが、本も動画もあるいは物もっていう風に、いろんなところを行き来するのをしやすくもされてるのかなとかっていう風にもちょっと思いましたね。そうですね。というのは、これを突き詰めてきた、これの技術だけは秀でてるっていう、いわば学校付きのプロであったとすると、そのプロの本領が発揮できるところとそうでないところと結構はっきりしちゃうじゃないですか。そうすると本人も気軽に移りにくいし、見てる側も何が本業で何が副業なのかっていうのが見えてきちゃうような部分あるじゃないですか。それがあるとなんか冷めるっていうのちょっとあると思うんですよね。
ああ。で、全然違う領域で、例えば僕、テレビの芸人さんとかにテレビの現場でスタジオで会うと、すげえなと思うんですよ。神業のようなフリートークをひな壇とかで展開してて、とんでもない技術だなと思うんですけど、そういう人が急に例えばYouTubeとか来て、雑な設定で完全なフリートークとかやらせると、なんかすごい微妙な素人感が出て急に冷めるみたいな感じあるんですよ。で、実際すごい技術を持ったテレビの芸人さんとかがYouTubeとか出てきても、ほとんどの人は大して人の心掴まなかったりするじゃないですか。で、同じことはYouTuberとかについても言えて、YouTuberは自分の世界で、例えば自分の部屋で撮って自分で編集して、自分の世界を出すっていうのがプロの人が多いじゃないですか。その人が逆にテレビとかに出ていって、他の人の土俵でひな壇で話したりすると、すんげえつまんなかったりして、その落差に引くみたいな部分あると思うんですよね。
でも逆に言うと、どこでもプロではないみたいな人がいたとすると、それはあらゆるところでギリギリプロであり得るみたいな性質を持ち得るのかなとかって、ちょっと一般論として思ってしまった次第です。
ああ。いや、すごく今しっくり来たというか。ずっと自分がなんか根無し草のような、どこにも属せない寂しさをずっと感じてたんですけど、逆にそれが良かったんですかね。
うん。でも今って根無し草の時代じゃないですか? ああ。というのも、ある意味その動画とか映像の世界1つ取っても、ちょっと前まではプロだけのがっちりと壁で囲まれた狭い、選ばれし者の世界だったと思うんですよ。それは映画を撮るにしても、あるいはテレビ番組みたいなもの撮るにしても。でもそれがここ10年20年ぐらいで一気に誰でもできるものに変わったわけじゃないですか。それはある意味、根っこのあるプロの限られた世界から、根無し草だらけの雑草だらけの世界に世界が拡張したってことでもあるのかなと。で、それがあらゆる領域で起きてるのがこのソーシャルメディア時代なのかなとかって思うので、その意味では、たまたま根無し草が光り輝く時代に生まれられたってことなんですかね。
いや、運が良かったですね。でも私、成田さんもちょっと根無し草っぽいなっていうのは動画見てて。そうですね。まあ僕もただのド素人ですからね。いや、でも経歴がすごいじゃないですか。
まあ一応研究の世界とかではプロなんですが、その世界とこっちの人前に出る世界ってもう全く水と油で、何の関係もない世界で。研究の世界とかだと、むしろ多くの人の心に届くようなものを作ったり話したりするのってダメなことなんですよね。暗号みたいなもの使って議論してるプロたちの世界なんで。そんな人が聞いて心動かされるようなぬるいこと言ってる人間は偽物だっていう世界で。なのでこっちの人前に出てくる時には常にただのド素人で、こういう番組もただの素人ですし、本を書く時もただの素人として、根無し草的に日曜大工、日曜図工のようにやってるっていう感じですかね。
でもちょっと思ったのは、さっき、もしかしたら自分が全く受けないメディアとかスタイルがあるかもしれないみたいなことおっしゃったじゃないですか。雨穴さんが1番光り輝かない、雨穴さんが全力でやっても絶対に受けられない表現スタイルとかってあると思われますか? それは何なんでしょう? 何でしょう。うん。
結構相当何でもやられちゃってますよね。ミュージックビデオとか作って自作自演されてますもんね。そうですね。ひっそり。ひっそりとか、だいぶ数百万再生とかいっちゃってるんで、ひっそりになってないと思うんですが。そうなるとどこまで行けば。ふふふ。でも逆に、こういうのまだ試してないけど、機会があったらやってみたいみたいに思われるものってありますか?
そうですね。最近よく言ってるんですけど、お化け屋敷を作ってみたいっていうのはありまして。ああ、お化け屋敷。ありそうですよね。この前、プリクラをプロデュースしたんですけど、その時にちょっと初めて壁にぶち当たったというか。動画とか本であればもう完全に100%自分でコントロールできるんですけど、やっぱりプリクラだとお客さんとの共演ですよね。そうですね。彼ら勝手に撮るわけですもんね、ある意味。そうですね。お客さんがどういう風に反応するかも分からない状態で、コントロールしきれない中で大体をコントロールするっていうことの難しさを知りまして。多分お化け屋敷だったら、よりそれの拡張版みたいなものなんだろうなと思うので、もしかしたら自分が輝けないというか苦手なフォーマットなのかもしれないんですけど、その意味でもなんかお化け屋敷はちょっとやってみたいというのはありますね。
雨穴パークとか作ったらすごいことになりそうですよね。雨穴パーク。もうお化け屋敷を超えて、ディズニーランド雨穴版みたいな感じで、ミッキーやミニーたちがパレードやってるかのような雰囲気で、雨穴さんの分身が1万体ぐらいいて、あらゆるところで、レストランで運ぶのも雨穴さん、人を脅かすのも雨穴さん、パレードをやるのも雨穴さんって、もう雨穴さんしかいない。雨穴パークとか作ったら、とんでもなく受けるか、悪夢のように誰も入らないかどっちかなんじゃないかなっていう気が。
多分カオナシのパクりっていうところで叩かれそうな気もしますね。それちょっと意識されてらっしゃるんですか? いや、なんか偶然こうなっちゃったんですけど、はい、作った後で自分で自撮りして、あ、似てる。でもまあいっちゃえっていうことで、これで活動始めたんですけど。今のところまだトラブルにはなってないですか? まだ。そうですね。大丈夫ですよね。
ちなみにそのお面は、収録とかされる時もそのお面を使われてるんですか? はい。だいぶ年季入ってらっしゃる感じが。もう1つでずっとやってます。
ちなみに番組ホームページではノーカット版の配信もしています。番組が大赤字で大変です。是非皆さんカンパをよろしくお願いします。
色々なスタイル、色々なメディアを全てやられてるじゃないですか。どのメディアとかどの形態で出すかによって、その作品の質とか雰囲気自体が根本的に変わってるような気がちょっとするんですね。というのは、例えば『変な家』1つ取っても、YouTubeで動画で語られてる時は、この雨穴さんの一見不気味で、しかしユーモアとチャーミングさのあるコミカルな雰囲気が漂ってるじゃないですか。でもそれが本になると、その要素は当然消えて、ほぼ純粋にシリアスなホラーとして読めるようなものになってますよね。で、お伺いしたかったのは、例えば同じ『変な家』っていうものでも、動画にする場合と小説にする場合とかで、そこに流れる空気感とか雰囲気みたいなものっていうのは、意識的にすごい変えられてるんでしょうか? それとも雨穴さんご本人が出ることになると、結果として変わってしまうだけなんですかね。
まず『変な家』をWeb記事とYouTubeで出した後に、本に小説として書いたっていう流れだったんですけど。はい。小説にする時に自分が1番考えたのは、まず『変な家』の動画を見ている人が読んでもしっくり来るし、動画を全く見ずに、ただの文芸小説としてこれを初めて読んだ人が読んでも違和感ないっていう、その二本柱を成立させるっていうのを1番に考えまして。なので、えっと、多分YouTubeを見た方がこれを読んだら、この姿の雨穴が間取りを色々調べて冒険してる物語に見えるし、そうじゃない人は、ただのというか、普通のオーソドックスな小説として読める。そういう形ができたらいいなと思ってたんですけど。そうですね。
いや、その意味で雨穴さんの作品っていうのは、ちょっとアメーバみたいですね。というのは、四角い箱があったらその四角い箱の中にちゃんと形を見つけて適合でき、丸い箱があったら丸くなれるっていう、なんか謎の柔軟さを持たれてる何かを作られてるんだなっていう感じはすごいするんですよね。で、これがもしこのスタイルで、例えば小説でっていうのが根幹にあって、それに本当に徹底的に適合して、その世界の中で作られてたとしたら、それをああいうYouTube動画に例えば展開するとかっていうのも難しいんじゃないかなっていう気はしたんですよね。でもそれが、出発点がWeb記事的なものにあるっていうことの、いい意味での帰結なのかもしれないですよね。
そうですね。私が何者にもなれなかったというか。うん。漫画家を目指してたりとか、ミュージシャン目指してたことがあったんですけど、でもプロになれなくて。なので、そういうなんかアマチュアリズムっていうのは、多分自分の根っこにはあります。あるんでしょうね。
でも、何者にもなれなかったとおっしゃいましたが、例えば漫画家とかミュージシャンみたいな確立されたカテゴリーでご自身を確立するということができなかった、あるいはしなかったのは、その結果として、何者でもあることができるようなスタイルを自分で発掘されたわけじゃないですか。ここまで来て、雨穴さんはご自身を何者だと思われますか? あるいは漫画家とかミュージシャンみたいな看板、あるいは肩書き、カテゴリーをもしご自分につけるとしたら何になりますか?
何でしょうね。うん。まあ何でも屋とか、よろず屋とかっていうのも、ちょっと違うなっていうのはですけど。うん。それでどうしても自分をカテゴライズできなくて、一応便宜的にホラー作家っていうのをずっと名乗ってるんですけど、なんかそれもちょっと違うなっていう気もしますし。今おっしゃっていただいたアメーバとかですかね。
是非明日から肩書きアメーバでよろしくお願いします。
動画をやられる時は、どういう体制でやられてらっしゃるんですか? チーム雨穴みたいなものがあるのか、それともほとんどお1人なのか。もう完全に1人で。本当ですか? よくグループなんじゃないかって言われるんですけど、もう最初から今まで100%1人。衝撃だわ。
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