高橋みなみが語る、AKB48という「特殊な訓練」と卒業後に知った休日の価値

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概要

AKB48の1期生で、グループの総監督を務めた高橋みなみをゲストに、自身も「ドルオタ」を公言する三宅香帆が休日の過ごし方を聞く回である。話は穏やかな休日の話題から始まり、次第に現役時代の過酷な働き方、AKB48がなぜあそこまで大きな存在になったのか、経験を後輩にどう渡すかという問題へ移っていく。高橋の主張の中心は、卒業して休むことを知ったことで「人間に戻った」という実感と、中にいた当時は見えなかったものが距離を置いて初めて見えたという振り返りにある。

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三宅香帆とAKB48

三宅は1994年生まれで、AKB48を長く見てきたファンだと自己紹介する。アイドルに興味を持ったのは、モーニング娘。のような前の世代からではない。SKE48の松井玲奈に一目惚れしたのがきっかけで、そこから48グループ全体を追ってきたという。かつての番組内の高橋のコーナーが特に好きだったとも話す。

1991年生まれの高橋は、同世代のメンバーとして前田敦子、板野友美、峯岸みなみ、指原莉乃の名前を挙げた。収録の前日には、4月3日の向井地美音の卒業関連の場にノースリーブスが出演することが発表されたばかりだった。三宅がその情報を楽しみにしていると語ると、高橋は「オタクと話してる感じ」だと笑った。

卒業後に最初にもらった「ギフト」

休日はあるのかと聞かれた高橋は、AKB48時代とはまったく違うと答える。現役時代は翌日のスケジュールが前日にしか分からなかった。当初は3年ほど休みがなかったともいう。働き方が問題視されるようになる前の、平成のぎりぎりの時期だったと振り返る。

卒業して最も変わったのは、1か月先のスケジュールが見えるようになったことだという。三宅が「我々にとって当たり前の状態」だと言うと、高橋はそれを「卒業して一番最初にもらったギフトかもしれない」と表現した。休日がいつかを事前に知れること自体が、高橋にとっては新しい経験だった。

土日は夫婦の時間、決まった店と決まった仲間

高橋は結婚しており、夫は土日が休みであることが多い。そのため、仕事が入れば行くことを前提にしつつ、土日はできるだけ夫婦の時間に充てたいと事務所に伝えている。休日は特に何もしない。「2日間休みだ、どうする、散歩しようか」というところから始まるという。高橋はそれを「老後みたい」だと語った。

夫婦は付き合い始めた頃から、互いの友人を全部「開示」してきた。その結果、自分の友人は夫の友人になり、夫の友人は自分の友人になった。いまは15人ほどの友人と週末を回している。週末に行く店は4軒ほどに決まっていて、7人くらいで集まって食べて飲んで喋る。これを「ヘビーローテーション」のように繰り返しているという。三宅はこれを朝ドラの商店街のようだと評し、高橋も自分の相関図は簡単に作れるはずだと応じた。その輪の中には安田大サーカスのクロちゃんもいる。夫と同い年で今年50歳になり、高橋が仕事の日に夫とクロちゃんが家で遊んでいることもあるという。

15歳上の夫と「無の時間」

夫は15歳上で、高橋は今年35歳、夫は50歳になる。仕事の話はするが、職業が違うので「変なアドバイス」が返ってこない。高橋はその点がいいと話す。三宅も、婚活中の友人と「パートナーは同業者であるべきか」で議論が割れたという経験を挙げ、自分も違う業種派だと同意した。高橋は、夫を通じて出会った友人たちが自分にとって大事な存在になっていることも、別の仕事の人と結婚してよかった理由に挙げた。

一番気が合う点を聞かれると、高橋は「無の時間」が似ていることだと答えた。人前ではよく喋るが、家ではとても静かである。そこで話しかけてくる相手だと疲れてしまうが、夫も同じように黙っている時間があり、隣で別々のことをしていられる。これは付き合ってから徐々に分かったことだという。三宅の夫婦は逆で、2人ともよく喋る。互いに話して議論して寝るという「セッション型」だと三宅は説明した。相手が聞き役に回ると、かえって申し訳なく感じてしまうという。

28歳での結婚と「恋愛市場」

2人とも28歳で結婚していた。三宅は2022年、コロナが落ち着き始めた時期で、周囲の結婚ラッシュが始まる頃だったという。高橋は芸能界では比較的早く、AKB48卒業から数年しか経っていなかったため「早いね」と言われた。それでも迷いはなく、「結婚したかった」と語る。

理由として高橋が挙げたのは、結婚によってむしろ自由になれることだった。恋愛市場にいること自体が面倒だと感じていた。自分に合う人を早く見つけて腰を据えたかったという。駆け引きや心の揺れに使うエネルギーがなくなり、仕事に集中できるようになった。三宅は、結婚すると異性と仕事がしやすくなる面も指摘した。仕事を頑張りたい人ほど早めの結婚も選択肢になるのではないかという点で、2人の意見は一致した。一方で2人とも、恋愛を活力にできる人もいると認めている。三宅は、オタクが推しにのめり込むのと同じように恋愛にのめり込む人がいて、それは趣味のようなものだと話した。

一人の休日はタスクを詰め込む

高橋は「怖いぐらい趣味がない」と言う。同じメンバーと同じ店で食事をし、酒を飲むことが趣味であり、心の安定を保つ手段でもある。休日には波を立てず、それが平日の仕事の活力になるという。三宅は、芸能の仕事で毎日予測できない波を乗り越えているからこそ、休日は平坦な方がいいのだろうと受け止めた。

ただし、一人の休みの日は正反対だという。携帯のメモ欄に曜日ごとの予定を書き、起床時間や食べたいものまで時間単位で決める。美容院、マツエク、展示会、食事、食事先で何を食べるかまで詰め込む。人に言うと引かれるほどだと本人も認めている。人に見られる仕事なので身だしなみも仕事の一環だと考えている。ただ、それに夫を巻き込むのはかわいそうなので、一人の休みに集中させているという。5日間走り切って、夫婦の2日間はしっかり休むというわけである。三宅は、休日に美容院などを入れると2人で過ごす時間が削られてしまうと反省し、これを「めっちゃテクニック」だと評した。

休みたいと思わなかった現役時代

いまは休めている実感があるかと聞かれ、高橋は「めっちゃある」と答えた。休みの大切さに気づけたことが、卒業して得た一番の収穫だったという。現役時代は途方もないスケジュールと仕事量の中で精神力を削り、休みがないのも当たり前だった。そこから解き放たれ、先の予定が見え、土日に休めるようになった。それを高橋は「人間に戻る」と表現した。

三宅は、休みの大切さに目をつぶったからこそ時代の象徴にまでなれたのではないかと尋ねた。高橋はこれを否定しないまま、当時は休みたいという気持ちがほとんどなかったと答えている。休みを知っていたら休みたいと思ったはずだという。若さもあって、ブレーキをかけずにアクセルを踏み続けられたのは「ラッキー」だったと振り返った。

三宅はここで、小嶋陽菜が別の動画で「会社を始めてからタフだと言われるが、AKBの時に特殊な訓練を積んでいたので」という趣旨の発言をしていたことに触れた。高橋も、当時は忙しい日常にすぎなかったが、いま思えば特殊な訓練だったと認める。前田敦子からも、自分より先に卒業した後で「卒業したらAKBより大変なことはないとわかるよ」と言われていたという。

朝3時起き、1日にMV3本

何が一番大変だったかと聞かれ、高橋は「全部」だと答えた。毎日違う仕事があり、寝る時間がなかった。その一例として、MV撮影の一日を挙げている。朝3時ごろに起き、4時にスタジオに入る。事前の振り入れはなく、5時ごろにその場で振りを覚える。みんなほとんど寝ている状態でフルコーラスを覚え、メイクが終わった人から写真撮影に入り、8時ごろにダンスシーンを撮る。それで終わらず、次の曲の撮影に入る。1日にMVを3本撮ったことも、CMを4本撮ったこともあるという。

こうした日々について、高橋は「すごくいい経験をしたのに覚えていないことがめちゃくちゃ多い」と語る。休んで一つひとつの仕事に100%向き合えていれば、経験として自分に積み重なっていたはずだった。目まぐるしすぎて流れてしまったのがもったいなかったという。三宅は、「努力は報われる」と語っていた高橋が「休むのは大事」と言うことに、時代の変化を感じたと話した。

ギリギリの内側と、20周年での卒業生

三宅は、なぜアイドルは休みがないのに疲れが顔に出ず、むくみもせず、あれほど輝いて見えるのかと尋ねた。高橋によれば、中にはギリギリの人がたくさんいた。ふらふら歩いている子もいれば、隙間があれば長机の下でまっすぐになって寝る子もいた。メイクさんに頭を支えられながら寝ている子もいた。それでもステージに立てばスイッチを切り替え、そのときできることを一生懸命やっていた。だから「キラキラしていた」と言われると、答え合わせのようで「セーフ」だと感じるという。

昨年のAKB48の20周年では多くの卒業生が集まり、現役メンバーと一緒に昔の曲を踊った。三宅はこのコンサートを「2025年ベストコンテンツ」と評している。高橋が驚いたのは、卒業生が現役時代よりもコンディションを整えて戻ってきたことだった。それぞれ別の仕事や子育てがある中で、久しぶりにアイドルに戻るプライドを持ち、当時の自分を超えるようなビジュアルを仕上げてきたという。現役時代は忙しすぎて、エステやマッサージに行ったり体重を落としたりする余裕がなく、「あるがまま」だった。だから高橋は、昨年が一番、昔のメンバーが輝いていたと感じている。

アイドルの衣装は「戦闘服」

高橋自身も20周年に向けてかなり頑張ったといい、効いたのは結局体重だったと話す。現役時代は総監督やリーダーとしての精神的ストレスもあった。気づけばガリガリに痩せていて、周囲に心配されても「大丈夫です」と答えていたという。あそこまで行ってはいけないとしつつも、アイドルの衣装を着るための体型というものはあると語る。三宅が「戦闘服なんですね」と聞くと、高橋は「戦闘服です」と答えた。

中にいたときには分からなかった社会現象

三宅は、AKB48は時代を象徴するアイドルになり、「推し」という言葉もAKB48から広まったと述べた。そのうえで、あのブームは内側からどう見えていたのか、なぜあそこまで行けたと考えているのかを尋ねた。高橋の答えは、中にいたときは分からなかったというものだった。オリコン1位やミリオン、「国民的アイドル」と呼ばれること、テレビをつけるとCMに自分たちが出ていることなどから、売れたという実感はあった。しかし、社会現象になっていることまでは当時分からなかったという。

卒業して距離を置いて振り返ると、「運がよかった」と思うと高橋は話す。AKB48が出てきた頃は、日本の女性アイドルにあまり元気がない時期だった。また、完璧が求められない時代でもあったという。いまのK-POPのように、デビュー時からビジュアル、ダンス、歌がすべて完成されているわけではなかった。AKB48は「しっちゃかめっちゃか」で、自分たちでも「これでアイドルをやれるのか」と思うほどだった。それでも「頑張れ」と言いながら育てようという風潮があり、あらゆるパズルがはまったのがAKB48だったと高橋は見ている。ある先生から「0が1になるグループの1期生で入れたことは、人生においてものすごい経験値だ」と言われたことにも触れ、売れていく流れを全部経験できたのはよかったと語った。

経験は渡せない――総監督の引き継ぎでの後悔

三宅は、ベンチャー企業の創業メンバーとそれ以降の人が違うように、アイドルでも1期生と2期生以降には違いがあるように見えると話した。高橋はこれを「難しい」と受けたうえで、女性アイドルの事情を説明した。柏木由紀のように30代まで現役を続けた例もあるが、女性アイドルには卒業があり、メンバーが入れ替わる。そのため新陳代謝が大きく、歴史を継いでいかなければならない。しかし、経験そのものは渡せない。総監督はいまや4代目になっているが、継いでいくことの難しさは自分でも感じているという。

高橋は、グループの歴史はある程度知っておく必要があるとしつつ、時代や偶然でグループが跳ね上がった経験を全部渡しすぎると、受け取った人にとって壁になると考えている。渡した方がいいものと、渡さない方がいいものがあるのだろうという。三宅は、子育て中の友人も同じ悩みを話していたと応じた。

この問題には具体的な後悔がある。高橋は総監督を横山由依に引き継ぐ際、自分がやってきたことを細かく伝えた。「こういうことを言うときはあのスタッフに言った方がいい」といったことまで全部だった。当時は全部渡さなければと思っていた。しかし、それが「こんなにやらなければいけないのか」と知らしめることになり、横山は高橋の卒業後に悩んだと打ち明けたという。高橋はいま、あれは渡さなくてよかったものだったと思っている。当時の年齢では分からなかったという後悔を語った。

指導ではなく「ベルを鳴らす人」

三宅は、高橋が当時全員を見ているように感じたと話し、だから大学の先生にも向いているのではないかと尋ねた。高橋は指導しているつもりはまったくないと答える。キャプテンも総監督も、みんなより偉い人ではなく、みんなを代表する人だという。一緒に頑張るスタンスで、グループをよくするためにベルを鳴らす役割だと説明した。

今年4月から大学で学生と関わる立場になるが、教えるというより学生と共に学びたいと考えている。昨年講演会を行ったとき、前のめりに質問してくる学生を見てAKB48の後輩たちを思い出したという。20周年で現役メンバーと関わった際には、年齢差の大きさに驚いた。高橋がすでに活動していた頃にランドセルを背負っていたメンバーもいた。相手からは「伝説の人」を見るような目で見られ、距離の詰め方から悩んだという。それでも、自分たちのやってきたことと今の子たちのやり方を混ぜると、互いに新しい反応や発見が生まれることを知った。技術を教えるのではなく、互いを知った先に学びがあればいいと考えているという。

三宅は、これを聞いて企業のマネジメントの話を聞いているようだと感じた。当時のAKB48はベンチャーの象徴のようでもあったという。高橋は、人数の多さが特殊だったのかもしれないと応じた。48グループは各地にあり、大きなライブで全員が集まると300人ほどになった。インドネシアのJKT48のメンバーもいて、言葉が通じない。300人の円陣で高橋が話しても、ジャカルタのメンバーには伝わっていないのではないかという状況があったという。高橋はこれを、他のアイドルとは少し違ういい経験だったと振り返った。

少年マンガとルフィ

最後に高橋は、自分は根本的に少年マンガが好きだと明かした。落ちこぼれやできないところから始まった主人公が、仲間を得て成長し、目標を達成する泥臭い物語が好きで、AKB48時代もそうした主人公たちを思い浮かべながら活動していた部分があるという。総監督として一番参考にしたキャラクターを聞かれ、高橋はルフィを挙げた。理由は、まず無垢であること、そして「これだ」と思ったら「行こう」と言えることだという。字幕は、三宅が「海賊王に俺はなる」という台詞に触れかけたところで途切れている。