出る杭は打たれ続けるなら出きれ:石井裕が語る研究の「飢餓感」、テレアブセンス、造山力
PLAYERS公式MITメディアラボ副所長の石井裕は、触れられるデジタル情報の形を追い続けてきた研究者である。成田悠輔との対談は、大学の資金のあり方から始まり、亡くなった人との疑似的な交流を目指す新プロジェクト「テレアブセンス」、生成AIへの拒否感を経て、石井が掲げる「出る杭力・道程力・造山力」へと進んだ。石井の立場は一貫している。研究を決めるのは制度や資金ではなく、ゼロから山を作ろうとする個人の精神だ、というものである。
大学の資金は「天から降ってくる」べきではない
成田はまず、大学や研究機関と外部資金の理想的な関係を尋ねた。石井はまず理想でない形を挙げた。税金がプールされて天から降ってきて、その配分が大学内の従来の序列で決まる仕組みは不健全だという。アイデアで競い合って資金を勝ち取る苦労がないからだ。
石井によれば、自分たちのいる環境では研究の価値を説明し続けなければならない。相手には実利を重んじるビジネスの人もいれば、ヒューマニティの観点から価値を認める人も、芸術的なイノベーションとして評価する人もいる。それぞれ違う価値観の相手に届くほど強い根本的なビジョンと、それを具体的な作品として示すプレゼンテーション能力が要る。資金が潤沢に上から降ってくる環境は、戦おうとする意欲、つまり飢餓感を育てる点で不利だと石井は述べた。
成田は日本の状況に引き寄せて問い直した。日本では税金などの公的資金への依存が大きく、その結果、大学がどこかの省庁の出先機関のようになり、官僚の機嫌を取らざるを得ない。一方アメリカの私立大学は、産業界、フィランソロピー、財団などの民間資金が大きく、NSFやNIHといった政府資金も激しい競争を経て獲得される。その潤沢な基金が、日本の大学とは比較にならない活動規模を支えているのではないか、という見立てである。
違いは金額ではなくハングリーさだと石井は言う
石井は、違いは金額ではないと答えた。アメリカに集まってくるのは非常にハングリーな人々で、母国が崩壊して戻れない人、それでも自分のやりたいことを貫こうとするアジア出身者などがいるという。
その根拠として石井が挙げたのが、前日の講演会で見たという各国の研究者の流入・流出のチャートだ。石井の説明では、アメリカは多くの研究者が来るが出ていかない。イギリスはかなり出ていく。日本はほとんど誰も来ず、ほとんど誰も出ていかない「島国」の状態にある。日本の内部での競争を勝ち抜いて生きることはできても、世界中の人々が来て定住したいと思う場所になれるかは別の問題であり、優秀な人材はCaltech、MIT、スタンフォード、CMU、ハーバードへ行ってしまう。石井はこの点で、日本は非常に厳しい時期にあると見ている。
批判される米国大学と「リスクを取るか」という問い
成田はここで、アメリカの大学がこの1年ほど批判にさらされている点を持ち出した。外部資金に依存しているため、ドナーの意向や政治的思想に逆らえず、学内の表現の自由が脅かされているのではないか、という批判である。
石井はその問題があることを認めた。そのうえで、根本的に大事なのはオリジナルなアイデアとインパクトだと返した。チューリング賞レベルを目指す人が大勢いて、互いに競い合う。その競争のプレッシャーは強烈で、資金やリソースの話を中心に考えるのは焦点がずれている、というのが石井の見方だ。重要なのはマインドセットであり、何を目指しているかである。無難にテニュアを取り、定年まで勤めて名誉教授になる道なら、リスクを取る必要はない。本当に勝負をかけるなら、全く新しいことをゼロから始め、外れたら終わりというリスクを引き受けることになる。そのリスクを取るかどうかが最大の違いだと石井は言う。
成田はそれを個人の研究者レベルでは認めつつ、そうしたマインドセットの人を引きつけられる国は時代とともに変わってきたと指摘した。アメリカの優位も20世紀半ば以降のことであり、どの国や大学が人を集められるかは、大学経営や資金源に左右されるのではないか、という問いである。
石井はこれに同意しなかった。自分がMITのメディアラボに行った理由は、ニコラス・ネグロポンテらのアーキテクチャ・マシン・グループのような先駆者たちがいて、SIGGRAPHで発表されたスペーシャル・データ・マネジメント・システムのような強烈なビジョンを示していたからだという。作るものの創造性、情熱、エッジの鋭さに惹かれたのであって、資金で行き先を選ぶのは、結婚相手を資産や跡継ぎの有無で計算するような悲しさがある、と石井はたとえた。そういう計算のできる人ばかりでは勝てない世界だという。
石井はさらに、これはお金や制度・政策の話ではなく精神、ハングリー精神の話だと念を押した。日本はコンビニでおでんが買える程度に満たされている。これに対して、国が崩壊する瀬戸際にボートピープルとして赤ん坊のまま国外へ逃れ、ピザの配達をしながらCaltechに進み、MITに来たPhD学生の目の強烈さには敵わない、と石井は語った。
inFORMからTRANSFORMへ:形が変わるディスプレイ
話題は石井の研究に移った。石井によれば、inFORMを発展させたのがTRANSFORMである。大きな機械で物の形や素材の性質を動的に変える「シェイプ・ディスプレイ」で、映像では芸術的な表現として波を表したり、数学的なパラメトリック・デザインを示したりしている。インタラクションや建築デザインにも使えるという。
石井はこれを新しいメディアの可能性を示したものと位置づける。「ラディカル・アトムズ」というコンセプト・ビジョンを掲げ、その具体例としてTRANSFORMのようなシェイプ・ディスプレイをいくつか作り、ニューマティック(空気圧)を使うものなども手がけてきた。固まったものを組み立てて作る時代から、物そのものがピクセルと同じように可変になる時代へ、というのが石井の描く方向である。
テレプレゼンスの次の「テレアブセンス」
さらに石井は、ClearBoardのようなテレプレゼンスの次の段階として、「テレアブセンス」というプロジェクトを始めたと紹介した。
テレプレゼンスでは相手が生きていて、応答やインタラクションができる。しかし相手がいなくなれば、話しかけても声は返ってこない。メールもあらゆるチャンネルも途絶え、居場所もわからなくなる。人生で出会った多くの人、たとえば年賀状が来なくなった人、初恋の人、小学校の音楽の先生とも、年を重ねるとコミュニケーションの手段がなくなる。石井はその悲しさを出発点に挙げた。
もう一つは、自分がいなくなった後にどう思い出されるかという問題だ。石井は、死ぬのが怖いというのは根本的には忘れられるのが怖いということだと言う。人は死んだ時と、完全に忘れられた時の二度死ぬ、という何人かが口にしてきた言葉や、映画『リメンバー・ミー(Coco)』を引き、忘却への恐怖をどう和らげるかを考えている。目指すのは、話しかけたときに相手がまだそこにいて何か答えてくれたような「イリュージョン」だ。ただしAIでゴーストボットやデスボットを作ることは、決してやりたくないと明言した。
ピアノに宿るゴーストと坂本龍一の演奏
具体例として石井はピアノの実演映像を示した。演奏しているのは、現在パリで教授を務める研究者で、ピアニストでありコンピューター科学者でもある女性だ。彼女がかつて弾いた演奏が「ゴースト」としてピアノの中にあり、鍵盤が動いて指の動きが表現される。別の映像では、石井の娘アリサさん(現在19歳でバーナード・カレッジに在籍)が幼い頃に弾いた音楽がピアノの中でゴーストとして生きていて、成長した本人と連弾しているように見える。実際に連弾しているのではなく、そう見えるのだという。
過去の記録がピアノに住んでいて、ある種のコミュニケーションができる。相手は死んでいる人でも、幼少期の自分でも、別れた人でも、亡くなった有名なピアニストでもよい。石井が語ったテレアブセンスの原点は、祖母がコンサート・ピアニストだったとして、リビングのグランドピアノに降りてきてもらい、孫たちと一緒に演奏できたら素晴らしい、という発想だった。
成田が、ピアノが遠く離れた人や別の時間の誰かとつながる窓になるということか、と確認すると、石井は、相手はもう亡くなっているので本当のコラボレーションはできず、あくまで過去の記録として演奏した人がいるのだと補った。
今年6月には、プロのピアニストを30人ほど招いて、ゴーストとの共演実験を行ったという。そのゴーストの一人が坂本龍一で、十数年前に石井らのもとを訪れた際に「戦場のメリークリスマス」を弾いてくれた記録がある。その演奏がピアノの中で再現され、プロのピアニストが連弾した。参加者には坂本を知る人も知らない人もいて、彼が亡くなったことを知らない人もいた。もういないのに、今目の前にいて一緒に弾いたと感じる、その感情的なインパクトは強烈だったと石井は語り、これがテレアブセンスの一つの具体例だと述べた。
残るのは権力者だけにならないか、生成AIとの線引き
成田は、人は死んだら忘れられて消えていくべきだという考え方もありうるし、この装置で残り続けるのは、残りたいという意志の強い人や権力性の高い人ばかりにならないか、と問うた。
石井は、そうした考えもあれば、ピラミッドや銅像を作る人もいると認めた。そのうえで自分について、論文を書くのは100年後にも読んでほしいからで、ラディカル・アトムズやテレアブセンスが人々を刺激し、それによって学生が育ち、学問が進めば嬉しいと語った。それは自分のエゴではなく、学者が出版するのはテニュアのためだけではなく、「巨人の肩の上に立つ」ように次に伝えたいからだという。
ただし石井は、生成AIを使って本人が言ったこともないことを言わせるのはナンセンスで冒涜であり、絶対に許せないとはっきり述べた。美空ひばりに新しい歌を歌わせた例を挙げ、技術的には素晴らしく感動する人もいるが、越えてはいけない一線があり、これはまさにエシカルで微妙な線だという。
石井の懸念は、人間には悪い人や不安定な人が大勢いるという認識から来ている。未成熟な技術がオープンソースになれば、悪い人がそれを武器にする。良い使い道もあるかもしれないが止められない。技術の武器化が避けられない中でどこに線を引くかは深い問題で、自分はフェイクの元を作ることは尊厳の問題として許せない、と石井は述べた。一方で、いくら議論しても止まらない、とも付け加えた。
成田は、すでに有名人のなりすまし詐欺が起きており、今後は家族のなりすまし、さらには亡くなった家族のなりすましへと広がるのではないかと指摘した。石井は、娘の声を生成して誘拐を装い身代金を取るような例を挙げつつ、それはジェネレーティブAI以前、オレオレ詐欺から始まっている根の深い話だと応じた。
「サステナブル」とエコーチェンバーへの嫌悪
石井は続けて、人間は素晴らしく、技術は人間のためにある、というナイーブさが嫌いだと言った。同様に「サステナブル」という言葉も、サステナブルな世界のための研究と言いながら、世界は実際にはサステナブルではない。100回唱えると気持ちよくなるエコーチェンバー的な怖さがあり、現実をシャープに、クリティカルに見なければならない、という。自分で言語化したものが自分を気持ちよくするエコーチェンバーになるなら非常に危険だと石井は述べた。
成田はこれを受けて、石井自身も自分の作った概念でエコーチェンバーになっているように見える、と切り返し、石井の目は自分で新しい薬物を作り出している人のようだと冗談めかして評した。石井は「いいですね」と受け、30年それと戦ってきたと応じた。
出る杭力:中途半端に出るな
石井はここで、自身が掲げる3つの力を紹介した。1つ目が「出る杭力」である。出る杭は打たれる。打たれた経験を問えばほとんどの人が手を挙げるが、打たれたことを忘れるほど激しく打たれた人も多い。ある国では、出すぎない限り打たれ続ける。だったら中途半端に出るな、力いっぱい出ろ、というのが石井のメッセージだ。若い人は自分の信念があるなら、半ば狂信的なくらい信じなければやっていけない。叩かれ続けても出続けることが第一歩だという。
道程力:トラックのない原野を走る
2つ目は「道程力」で、教授になった後の話として説明された。学生の指導や学部の運営など、大学が世界でどう戦うのか、学生がどう成長するのかという道を作る段階である。
石井は、茂木健一郎が関わった2006年頃の番組の最後に研究とは何かと問われ、こう答えたという。研究は100メートルトラックを人より速く走る競争ではない。本当の研究にはトラックもレフェリーもジャッジも観衆もいない。誰も切り開いたことのない原野を切り開き、生まれたばかりの道を全力疾走する、それが研究だ、と。自分でもいい言葉だと思っていたが、1か月後に高村光太郎の「道程」の「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」を目にして負けたと思い、「道程力」と名付けたと語った。
造山力:山があるから登るのではなく、山を作る
3つ目が最も難しいとされる「造山力」だ。MITに呼ばれた時、石井はMITを山頂が雲に隠れた高い山だと思い、地図はないが登らなければならないと考えた。ところが行ってみると、山などあるわけがなく、何もないところからゼロから自分で山を造り、世界で初めて登頂し、残りの世界がそれを見て登り始める、という世界だったという。山があるから登るのではなく山を作るのが自分の究極だ、と石井は語る。
石井はこれが危険でもあると認めた。作って登っているつもりでも、実際には蒸気のような実体のないものかもしれない。成田も、作っていると勘違いしているだけの人も多いと付け加え、石井も同意した。石井自身は、2019年にライフタイム・リサーチ・アワード、2年前にACMフェローを受け、成功とは自分でなるものではなく世界がそのインパクトを認めることで決まると述べた。認められた瞬間に、登っていた山が実体あるものだったと分かり、それまでは蒸気だった、蒸気だったら落ちてしまう、という体験をしたという。3つの力はA4とUSレターに収まるPDFで公開していて、受験生の部屋のドアや社長室に貼ってほしいと石井は冗談交じりに勧めた。
成田が受験勉強とは真逆ではないかと指摘すると、石井は前日の講演「未踏峰連山を目指す君に」の話に移った。2018年に登山で亡くなった友人の栗城史多さんのことをきっかけに、人はなぜ山に登るのかを考え続けてきたという。石井の見立てでは、記録に残りたいという欲求に近い。エベレストはヒラリーが初登頂したので、次の人は無酸素、冬季、新ルート、シェルパなしと条件を変える。それは特許競争のようで、冒険というより無謀な自殺に近づいていくが、それでも人は登る。
では安全で冷房の効いた場所で研究する自分は何をしているのか。石井は、造山とは存在しない山を思い描き、それを何とか形にしようとするロマンで、それが学問研究だと考えた。既存の山を条件を変えて登り記録を残すアプローチと、ゼロから山を作るアプローチは違うが、どちらでもよい。講演の最後に学生たちには、君は登山家なのかマウンテン・ビルダーなのか、目を閉じると頂上が見えるか、と問いかけたという。石井は、山は強烈なメタファーだというのが今日のメッセージだと述べた。
作った山を世界が山と認めるまでに、4年かかるのか40年か4世紀かは分からない、と石井は言う。成田が在籍するイェールのテニュアの期限を石井が尋ねると、成田は通常8年だが、コロナなどで延長されて分からなくなっていると答えた。
500年後のインターフェースと、新しいアフォーダンスの課題
成田は500年後のコンピューターやインターフェースを尋ねた。石井は、SFにすでに多くあるように、空を飛ぶマイクロマシンのようなものが合体して、何でもその場で作れる世界が来るのかもしれないと述べ、マイケル・クライトンの作品や映画に触れた。ただし怖さもあるという。動くものはすべて危険で、ロボットにも注意が要る。
石井が挙げたのはアフォーダンスの問題だ。目の前のグラスが突然100倍の大きさになったり、飲んでいる最中に尖った部分が出てきたりしたら恐怖で、信頼が成り立たない。現実では形は突然変わらないからだ。バーチャルな世界では、ゴミ箱や「電源を抜くな」「保存して」といったプロトコルがあるが、物理世界が計算によって動的になるなら、新しいアフォーダンスをどうデザインし、どう教育するかが大きな課題になる。石井はこれを、まさにデジタルネイチャー的な大課題だろうと述べた。
成田が、情報の世界と同じ予測不能性が物理世界でも起こりかねないということかと確認すると、石井は同意し、もうパンドラの箱ならぬ「キャン・オブ・ワームズ」は開けられてしまい止まらないと語った。オープンソースで広げようとする人もいれば、エシカルAIを研究する人もいる。だが作っている人間がアンエシカルなのだからAIがエシカルになるわけがない、これはサステナビリティと同じ自己矛盾で、その矛盾と悲しみを背負いながら前に進むしかない、と石井は述べ、そういう意味で未来は楽しい、と結んだ。
どう死に、どう忘れられたいか
最後に成田は、石井はどう死に、どう忘れられたいかを尋ねた。石井の答えは、忘れられたくない、ただし自分自身ではなく、というものだった。石井は自作の言葉として「未来記憶」を挙げた。自分が夢見た未来が記憶として思い出されること、つまりマテリアルが踊る世界や、遠くへ行ってしまった人に話しかけて何らかの応答を得たという印象を得られる世界、という夢が受け入れられ、それを形にしようとする研究者やデザイナーが現れれば嬉しい。現れないかもしれないが、やれるだけやりたい。巨人の肩の上に立つために、出版し、物を作り、展覧会も開く。それを後世がどう見るかは後世のものだが、やるべきことをやり、考えたことはすべて記録に残したと満足して死に、それが何らかの価値を持ち続けるなら天国から見ていたい、と石井は語った。
成田が天国でも話し続けていそうだと言うと、石井は、マズローの欲求段階に新たにバッテリーとWi-Fiの2層が加わったという冗談を持ち出し、天国にそれがあるか分からないと笑った。成田はテレアブセンスによるTwitterボットのような通信の可能性に触れて応じた。
収録時間は番組史上最も短かったが、文字起こしすれば最長になるだろう、と石井は言い、意味を理解してくれる「スーパーインテリジェントな」視聴者が1%ほどいれば嬉しいと述べた。成田が3人くらいはいるだろうと返すと、石井は、その3人にはぜひMITに、あるいはイェールでもいいので来てほしいと語り、出る杭力・道程力・造山力を子ども部屋の扉に貼ってほしいと重ねて対談を終えた。
最も根本的な会話ありがとうございました。あの、意味を理解してくれるスーパーインテリジェントなオーディエンスが、きっと1%ぐらいいたら嬉しいです。
[音楽]
伺いたかったのは、大学とか研究機関と外部資金、どういうのが理想なんだろう、みたいな。ちょっと最後に。理想じゃないのはですね、血税がプールされて天から降ってきて、それをどういう風に分配するかっていうところが、従来の大学のいろんなクラスとかなんかで決まるっていうシステムは不健全ですね。本当にアイディアでもって勝負してコンピートして勝ち取るっていう、そういう苦労とか努力がなく、元々用意されてる。
どこの国とは言いませんけども、やっぱり僕らのいる環境は大変で、その価値をやっぱり説明しなきゃいけない。違った価値観を持ってる、やっぱりプラクティカルなビジネスの世界の人もそうだし、あと人間のヒューマニティの視点から価値を認める人もいるし、アーティスティックなイノベーション。だからそれぞれ違った方に訴求できるほどの根本的な強いビジョン、それからインスタンス、これはプレゼンテーション能力がなきゃいけない。そういう意味で、あんまり資金が潤沢で上から降ってくる世界っていうのは、なかなか戦おうっていう意欲、要するに飢餓感というのを醸成する意味では不利かなと思います。どこの国とは言いませんけど。
でも日本のような国だと、税金とか公的な資金に依存する部分がすごい大きい。で、その結果として大学がどこかの省庁の出先機関のような形にならざるを得ない。常に首根っこ掴まれていて、官僚のご機嫌を取らないといけない、みたいな問題があると思う。そうらしいですね。
でも一方で、そのアメリカの私立大学のようなスタイルを考えると、その資金の多くの部分がプライベートな外部資金から来ている。そうですね、インダストリーとか、フィランソロピーとか、ファウンデーション、あるいはNSF、NIHみたいな政府ももちろん来ますけども、コンペティションがすごいフィアスですね。で、そこから来た潤沢な資金で、あれだけの基金があるから、日本の大学とは比べ物にならないような活動の規模を維持できてるっていうのは。
金額だけじゃないです。金額じゃなくてですね、アメリカに集まってる連中ってのはもうめちゃめちゃハングリーで。ある国がコラプスして、それでもそこを出てって戻れない、でも頑張って自分でやりたい。アジアから来てる、どことは言いませんけども、いろんなことがあったわけです。
昨日ある講演会でチャートを見てたんですけども、世界中からどの国からどのぐらい研究者が来て、どのぐらい出てくかっていう、そういうチャートがあるんです。アメリカはいっぱい来るけど出てこない。イギリスはかなり出てく。日本はほとんど誰も来ない、ほとんどどこにも出てこない。島国だけです。これ本当に科学データです。なので、この悲しさですよね。ですから日本で、島国の中で、内部でのバトルでもって勝ち取って生きてくことはそれは容易にできるんだけども、グローバルで世界で戦って、本当に人々が来てここに落ち着きたいかどうかですよね。で、優秀な連中はみんなもうCaltech、MIT、Stanford、CMU、Harvardと行っちまうわけです。なので、そういう意味で日本はとても今大変な時期になると思います。
でもそこで気になったのは、今挙げたようなアメリカの大学が、ここ1年ぐらい批判にさらされてるじゃないですか。つまり外部の資金に依存しているために、外部のドナーの意向とか政治的な思想とかに逆らえない。で、それによって大学内での表現の自由とか、もちろんそれは問題あります、みたいなものが脅かされてるんじゃないかっていう批判にもさらされてると思う。
それもでも、根本的に大事なのは、すげえオリジナルアイデアで、すげえインパクト。だからあのチューリング賞ご存知ですよね、あのレベルをみんな目指してるから、そういう連中がいっぱい来てますね。このコンペティションのプレッシャーって強烈ですから、多分あんまり資金のこととかソースのことを考えたら、ちょっと何か目がずれてるような気がします。お金の話よりはマインドセット。何を目指してるか。
無難にテニュア取って、無難に定年退職まで勤め上げて名誉教授になるっていう道だったら、何も取る必要ないわけです。でも一方、本当に勝負かけるとしたら、全く新しいことをゼロから始めて、外れたらおしまいなわけです。そのリスクですね。それをリスクテイキングするかどうかっていうとこに一番大きな違いがあると僕は思います。ですからファンディングじゃない。
個人個人の研究者のレベルではそうだと思うんですね。でもさっき思っていたのは、今言ったようなマインドセットを持ってる人間をどういう国が引きつけられるかって、時代とともに変わってきてるじゃないですか。でもアメリカすごいですよね。でもそれも20世紀の半ばからですよね。そうです。なので、どの国とかどの大学がそういう人たちを引きつけられるかっていうのを決めている大きな要因の1つというのが、大学がどういう風に経営されるかとか、その資金源がどこから来てるのかみたいなことが重要なんじゃないかと思った。
僕はそう思いません。僕はなぜMITのMLに行ったかっていうと、Architecture Machine Groupっていう、とんでもないパイオニアの連中、ニコラスとかがいて、SIGGRAPHで発表したSpatial Data Management Systemとか、すげえビジョンを作ってる。だから作ってるもののクリエイティビティ、そのパッション、エッジの鋭さ、それに惹かれて来ました。ですからファンディングのことを考えて選ぶってのは、お婿さんとかお嫁さんに行く時に資金がどのぐらいあるかとか、跡取りがいるかみたいなことを計算するみたいな、ちょっと悲しみがありますよね。そういうので来た人間ばっかりだったら勝てない世界で。伝わってると嬉しいんですけど。
いや、もちろんそれは伝わってます。時間的にいっぱいネタが。こんな話、さっきから僕なんていうか面白くない話なの、なぜかって言うとお金の話ばっかり言ってしまうから。いや、お金の話をしてるんじゃなくて、制度とか政策の話を。制度・政策じゃなくて精神。スピリット、ハングリー精神。それが一番欠けてて、飽満ジャパンでもって何もしなくてもコンビニでおでんが買える。って言ったら、夏はおでん買えませんって言われましたけども、その程度なわけです。
でも本当にゼロから、国がコラプスするとこから来てる人の必死のあれとは全然違う。最後の陥落の時に赤ちゃんで、ボートピープルで海外に逃れ、そこでビザを持ってさすらいながら、Caltechに行ってMITに来た、あのPhDキャンディデートの目の涼しさ、強烈さ。叶わない。それです。勝ちかない。
じゃ、TRANSFORMの話をします。これとさっきのinFORMはどういう関係にあるんですか。えっと、inFORMが進展したのがTRANSFORMです。基本的に大きなマシーンでもっていろんな表現ができる。シェイプディスプレイって言いますけども、物の形とかマテリアリティがダイナミックに変わるってことによって、ものすごいことができる。これは芸術的な表現で波を表現してます。マセマティカルなパラメトリックデザイン、あるいはインタラクションもできますし、アーキテクチャデザインもできる。そういう新しいメディアの誕生、その可能性をアピールしたのはこれです。
そういう意味で、Radical Atomsっていうコンセプト、ビジョン、そしてそのインスタンスとしてこのTRANSFORMみたいなシェイプディスプレイをいくつか作って、他にもニューマティックとか色々ありますけども、それによって新しい時代、すなわち固まったものを組み立てて作る時代じゃなくて、物それ自体もピクセルと同じようにバリアブルそうだと。
の発展系なんですけども、実はClearBoardみたいなテレプレゼンスっていうものの次で、実際TeleAbsenceっていうプロジェクトを始めました。テレプレゼンスは基本的に、成田さん今生きてますよね。だから返事、レスポンスできますよね。インタラクションできますよね。でも成田さんがいなくなっちまったら、話しかけても声を聞けないわけです。あるいは成田さんと何らかの形でも連絡が取れなくなる、Eメールもチャンネルも全部なくなると、要するにもう通信できないわけです。どこにいるかわかんないし。
だから多分、自分たちの人生の中でいろんな人に会ったんだけども、結局それっきり縁が切れてしまう。年賀状ももう来ない、あるいはどこ行ったかわかんない。あるいは初恋の人かもしんないし、小学校の音楽の先生かもしれないけども、多くの人々のことを我々は思う。このジェネレーション、年になってくると。でも基本的にもうコミュニケーションする方法がない。で、この悲しさですね。
あと、自分が逝ってしまった後、どうやって自分が思い出されるのか。要するに死ぬのが怖い。死ぬのが怖いのは何かって言うと、忘れ去られるのが怖いっていうのは根本的なわけです。で、「人間は2度死ぬ」っていう、永六輔さん含め何人かが言った言葉は、まず死んだ時、そして完璧に忘れ去られた時。そのオブリビオンによって、メキシコの『リメンバー・ミー(Coco)』って映画もそうですけども、それに対する恐怖ですね。それをいかにミティゲーション。
幻想的なんだけども、あるコミュニケーションした時に、相手がまだそこにいて何らか答えてくれたようなイリュージョンを与えたい。間違ってもAIでゴーストボットとかデスボットを作りたくない。
このドクターが、彼女は今フランスのパリで教授やってますけども、彼女はピアニストで、なおかつコンピューターサイエンティストです。今、彼女がゴーストと弾いてます。ここ、鍵が動いてますね。指が表現されてますよね。その彼女がかつて弾いた旋律がゴーストとして中にいるわけです。これが若かった時のシャオシャオという想定です。
実は私の娘で、アリサっていうんですけど、今19歳でバーナードカレッジに行ってて、結構生意気なんですけど、あの頃可愛くてですね、あの若い頃を想定します。若かったシャオシャオが弾いた音楽、それがゴーストとしてピアノの中で生きてる。で、大きくなったシャオシャオが連弾してる。でも実際に連弾してるんじゃなくて、連弾してるように見えるわけです。
だから我々が思ったのは、過去にあったその記録というものがピアノの中に住んでいて、そして擬似的なコミュニケーションができる。で、彼女はここにいないわけだから、その人がすでに死んでいるか生きているか、幼少の頃か、別れてしまった人か、亡くなられた有名なピアニストかもしんない。
で、これをやった時に我々が思ったのは、もしグランマがコンサートピアニストで、明日リビングルームにあるグランドピアノに降臨してきていただく。そして取り囲んでる孫たちと一緒に演奏できたら素晴らしいなと思った。それがTeleAbsenceのオリジンです。
じゃ、ここではこのピアノが、全く遠くとか別の時間にいる誰かと繋がったりコラボするための装置になる、窓になるっていうことなんですかね。というように思える。でもその人はもう死んでるからコラボレーションできないわけです。もう過去の記録として演奏した人がいる。
で、実はこの6月に30人ほどプロのピアニストを招いてですね、実際にゴーストとの共演の実験をしました。その中の1人が坂本龍一。坂本龍一が10何年前かに我々のとこに来た時に、『戦場のメリークリスマス』、あれを弾いてくださいました。で、それを実際に彼がピアノの中で弾いてくれる。で、プロの人が連弾をする。
でも坂本龍一を知らない人もいる、知ってる人もいる。でも死んだって知らない人がいた。この時に来るエモーショナルなインパクトは強烈なわけです。でももういなくなったのか、でも今目の前にいて一緒に弾いたと思う、このイリュージョンのコミュニケーション。これが我々の目指すTeleAbsenceの1インスタンスです。
よし、こう伺っていいですか。なんでも。あの、人は死んだら忘れられて消えていくべきなんじゃないかって考えることもできるんだと思うんですね。そういう考え方ももちろんできます。あるいは忘れ去られたくないっていう人もいて、ピラミッド作ったりとか、金の銅像、まあ金と銅は違いますけど、メタルとしてそういうのを作る方もいるわけです。いろんな方がいます。
ちょっと思ったのは、この装置で記憶に残り続ける人っていうのは、残りたいと強く思う人とか、すごく強くて権力性の高い人ばっかりが残っていくんじゃないかっていう気もちょっとしちゃうんですが、その点どう思いますか。
僕は論文を書きます。読んでほしい、100年後でも。Tangible Bits、Radical Atoms、今作ってる最中のTeleAbsence、それが人々をインスパイアしたらすごく嬉しい。それで何百人ってPhDの学生ができて、さらにその学問が進んだらすごく嬉しい。自分のエゴじゃなくて、それが僕が世の中に残してく信念。我々学者はパブリッシュしますよね。単にテニュアを取るためだけじゃないですよね。やっぱりエontheスンによって次に伝えたい。そういうことです。ですからそういう人もいる。ですからおっしゃることよくわかります。そのための新しい窓というか、そういう可能性があって。
ただその時に、ジェネラティブAIを使って言ったこともないことをボンボンやるような、ああいうナンセンスっていうのは冒涜だし、絶対許せない。それは許せないですか。許せません、僕としては。好き嫌いはっきりしてますから。美空ひばりさんが新しい歌を歌ったとかありますね、よく。で、それは技術的な手法で素晴らしい、一方で感動する人もいる。でも超えちゃいけない一線ってあって、だからこれはまさに非常にエシカルで微妙な線なんです。
フェイクニュースご存知ですよね。人間って悪い人いっぱいいますよね。成田さんはいい人ですか。際どいですね。際どいですね、危ないですよね。悪い人が、あるいは不安定な人が、すげえテクノロジーを持ったらウェポンになりますよね。いい人っていない。悪い人とか変な人とか壊れた方がいっぱいいて、戦って殺し合って、めちゃくちゃの世界なわけで、その中にこの半熟の技術が来て、オープンソースになった際に悪い人がそれをウェポンにするわけです。もちろんいいことに使えるかもしんないけど、止まらない。それがダークサイドが大きく開いてるとこなわけです。
そういう意味で、テクノロジーのウェポナイゼーションがもう避けられないとして、その中でどういう線を引かなきゃいけないかってことはすごく深い問題で、それに対して僕は、フェイクのものを作ることに関しては絶対許せない。なぜか、やっぱりその尊厳っていう話ですね。あと自分がそうなって欲しくないし、誰も責任持ってないし、リーガルな話もありますけど。だからそういう議論をこれからいっぱいしてかなきゃいけない。でもいくら僕らが言ったって止まんない。悪い人いっぱいいるから。技術はどんどん進んでるから。今のアメリカの大統領選もそうですよね。
もう今既に、有名人のなりすましみたいなもので詐欺とかが大いに起きてるじゃないですか。そうです。で、今後は家族のなりすましっていうことにどんどんなっていくんだと思うんです。あげくに誘拐したっていうね、娘の声をジェネレートして身代金を取る。だから止まらないです、もう明らかですね。で、さらには亡くなった家族のなりすましみたいなもの。もちろんあれですね、だからそれは無限にあって、それはもうGoogleサーチしてもいっぱいあるんで、僕に聞いてもしょうがなくて、当たり前な話ですね。でもそれはジェネラティブAIの前から始まってる。もうすでにオレオレ詐欺から始まってて、それは根が深いわけです。
ですから、人間は素晴らしくて人間のためにテクノロジーがあるっていう、このナイーブさですね。僕は嫌いです。あと「サステナブル」って言葉知ってますか。いっぱい聞きますよね。サステナブルな世界を作るための研究してるんですって。でも世界はサステナブルじゃないですよね。サステナブルって100回言うと気持ちよくなりますよね、エコーチェンバー的に。あの怖さですね。だからそういうの僕嫌いなんです。やっぱりちょっと現実を見なきゃいけない、シャープに。変な眼鏡でもいいからちゃんと見て、クリティカルにも見なきゃいけない。で、自分で言語化したものが、ある種自分を気持ちよくするエコーチェンバーとしたら、すごい危険。だってことを言うと、みんな嫌な顔しますね。
石井先生も自分の作り出した概念でエコーチェンバーっぽくなってる感じもしますよね。当たり前ですよ。我々、失敗、連敗と戦ってく30年。いや、僕は石井先生ちょっとやや目がガンギマリの薬物中毒者みたいな感じだなって前から思ってて。いいですね、それは。そのぐらい信念、思い込み。石井先生自体が新しい、自分にとっての薬物を作り出してるんだって僕は思ってるんです。
ちなみに番組ホームページではノーカット版の配信もしています。番組が大赤字で大変です。ぜひ皆さんカンパをよろしくお願いします。
出る杭力、そろそろ行ってもいいですかね。じゃあそれを出しましょうか。もっと強いHelveticaのフォントだといいんですけども、なんとかゴシックぐらいで、ちょっと微妙に可愛くなっちゃってます。
出る杭力っていうのはですね、出る杭は打たれる。打たれたことある人っていうと、みんな手が上がりそうで上がんないですよね。打たれたことも忘れるほど激しく打たれた人って結構いっぱいいるわけです。で、「出る杭は打つ」ってのが、ある国のスタンダードとした時に、出すぎない限り打たれ続ける。だったら中途半端に出るな、出るならいっぱい出ろ、というのが第1のメッセージです。すなわち若い方、自分の信念があったら徹底的に信じる。だから半分狂信的なぐらいまで信じなかったらやってられない。バカバカ叩かれるわけだから。それでも出続けるのが第一歩。
その次。今プロフェッサーなわけですよね。プロフェッサーになるととても大事で、学生の指導もするし、あと学部の運営の手伝いとか色々あるわけでしょう。そうすると道を作ってないと。イェール大学がどう進んで世界で戦うのかとか、私の学生がどうやって成長するのかっていう、ある道を作る。
で、茂木健一郎さん知ってますよね。『プロフェッショナル』っていう、2006年、随分前の番組の時に、最後に「研究って何ですか」って聞かれたんです、茂木さんに。だから言ったの。「研究は100mトラックを人より早く走る競争ではありません。本当の研究にはトラックなんかありません。レフェリーもいない、ジャッジもいない、観衆もいない。誰も切り開いたことがない原野を切り開き、生まれたばかりの道を全力疾走する。それが研究です」って言ったんです。
で、いいなと思ったんです、自分で。でもそしたら、その1ヶ月後に高村光太郎の『道程』って詩を見て、「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」。負けたと思って、それで道程力ってつけました。でも伝わりますね。これ2次元です。
で、3次元が一番難しい。僕がMITに呼ばれて、行きますってその時に思ったのは、MITってすげえ高い山で、サミットが、頂上が雲に隠れて見えない。でも僕は登らなきゃいけないんだ、地図ないけど、と思ったら全く違って。ばっかじゃないかって、向こうに行って思ったのはですね、山なんかあるわけないだろタコ、何もないとこから、海抜ゼロから山を自分で造山して、それを世界初登頂して、残りの世界中がそれをあっと言って登り始める。そしたらテニュアが取れる。イェールはどうですか。まあいいや。だそんな感じですね。
なのでですね、山ってやっぱすげえ強烈だなと思いまして、山があるから登るんじゃなくて、山を作るというのが僕の究極です。でもこれすごく危険です。なかなか信じてられない。作って登ってるつもりでも、本当に単なるベーパーなのかもしれないし。しかも作ってると勘違いしてるだけの人も多いですからね。それはいますね。
でも僕の場合は、2019年に幸いSIGCHIのライフタイムリサーチアワードをいただいて、2年前にACMフェローをいただいて。要するに成功というのは自分が成功するんじゃなくて、世界が認めてそのインパクトをアプリシエイトするかどうかってことになるわけです。だからそういう意味で、ようやく認めた瞬間に、登った山が山だった。それまでベーパーだったわけです。でもベーパーのものだったら落ちちゃうわけですよね。だからなかなかの体験をしました。
そういう意味で、出る杭、道程、造山。1次元、2次元、3次元で、Helveticaで、A4にぴったり入る、USレターに入るPDFが上がってますので、ダウンロードしてプリントして、ご子息の受験勉強で苦しんでる方のドアに貼るとかですね、するととてもいい。あるいは社長室に貼るとかですね。ということでPDFを用意しております。
まあ受験勉強はこの3つと真逆なんじゃないかって気もちょっとしますが。そうですね、それはそう。ただ、だから「未踏峰連山を目指す君に」って昨日講演したんですけども、出る杭、道程、造山。だから未踏峰連山ってすごくイメージが大事で。
1個申し上げたいんですけども、栗城さんって知ってます?登山家で亡くなられた方、2018年に。僕の友人だったんですけども、彼が登山で命をなくした時にずっと考えたんですけど、なぜ山を登るのか。ブックに記録を残したいからに近いことが多い。記録に残りたい。でもヒラリーでしたっけ、エベレストに最初に登頂した人。もう登っちゃってるから、次の人は違った条件、特許のパテント競争みたいに、酸素ボンベなし、冬、新しいルート、シェルパなし。そうすると冒険じゃなくて、もう無謀な自殺に近くなるわけです。それでもみんな登る。でも山があるからと。やっぱり足跡を何か残したい、自分が。そのディザイアが強烈で。なんでそこまでしてその冒険というものをするのかに関してずっと疑問を持ってて。
じゃあ僕は何やってんのか。安全でクーラーも効いてるとこで研究してるわけですよね。でも造山って違うのかなと思って。造山っていうのは、ない山を思い描き、それをなんとか形にしようとするロマンでやるのが学問研究ですね。成田さんもそうですよね。で、それが大きなインパクトを与えたわけですよね。だから造山対登山っていうのはすごく面白い対比だと思いまして。
ですから、今ある山を登って少しでも記録に残すっていうアプローチと、全く違う山を作る、ゼロから。両方は違います。ですけど、最後に学生に聞いたのは、君は登山家なのか、あるいはマウンテンビルダーなのか。目を閉じるとそのサミットが見えますか、という質問をして、昨日高校生・大学生へのレクチャーを終えました。登山でも造山でもいい。人が登った山を違った条件で登る、あるいは新しい山を作る。でもそういう意味で、山ってのは強烈なメタファーだってのが私の今日のメッセージでございます。
で、作った山を山だと世界が認めてくれるのに4年かかるのか、40年かかるのか、4世紀かかるのかわからないじゃないですか。でもテニュアの場合5年ぐらいですよね。イェールは何年間ですか。まあ普通は8年。あと何年残ってますか。あと何年残ってるんですかね。色々コロナとかで伸びまくったりして、わけわかんなくなってますが。いいですね。
でもそれはその些細な問題で。いや、興味があるのは、その4世紀ではなくて500年後ぐらいを考えた時に、どんなコンピューターとか、どんなインターフェイスが立ち上がってると思われますか。
多分、既にもSFでいっぱいありますけども、小さな本当にマイクロマシーンみたいなのがあって、空を飛んでるやつが合体して、どんなものでもその場で作れちゃって、という話がありますよね。マイケル・クライトンの話から映画でもありましたし。ですから、そういう世界が来るのかなって気もありますし、怖いなって気もしますね。要するに動くもんってみんな危険なわけです。ロボットでも何でもテープ貼っとかなきゃいけませんし。
あとアフォーダンス。このグラスってこのグラスですよね。これが突然100倍に大きくなったら怖いですね、ガラスですし。飲んでる時に尖ったとこが出てきたりしたら恐怖ですね。だから信頼が何もないわけです。シェイプチェンジングって起きないです、現実に。だから新しい、今バーチャルの世界でいろんなプロトコルで、これはゴミ箱とか、電源抜いちゃダメとか、セーブしてねとかありますけども、フィジカルの世界がコンピュテーショナルにダイナミックになってくると、新しいアフォーダンスをどうデザインし、どう教育するかってのはすごい大きな課題ですね。で、それは多分まさにデジタルネイチャー的な大きな大課題じゃないかと思います。
で、今情報の世界で突然何が降ってくるか分からないのと同じような予測できなさが、この物理世界でも起きかねないってことですよね。そうですね。ですからジェネラティブAIはある意味でとても怖くて面白い材料で、もうキャン・オブ・ワームズが開けられちゃったわけですね。ですからもう止まんないわけですね。しかもある人たちはオープンソースでどんどん広げようとしてるし、ある人たちはエシカルAIっていうのを研究してる。でもAIがエシカルになるわけない。やってる人間がアンエシカルだから。これも自己矛盾ですね。サステナビリティと同じで。そういう悲しみを背負いながら、自己矛盾を背負いながら、もう前に進むしかない。そういう意味で未来は楽しいですね。
じゃあ最後の質問です。そんな楽しい未来に向けて、石井先生はどうやって死んで、どうやって忘れられたいですか。
やっぱり忘れられたくない。なぜかというと、僕がじゃなくて、僕の……「未来記憶」って言葉があるんですけども、まあ勝手に作ったんですけど、僕が未来のことを夢見たことが記憶として思い出される。すなわち、僕が夢見たマテリアルがダンスする世界、あるいは遠くに行ってしまった人に話しかけると、ある種のレスポンスを得たという印象を得られる。そういう夢が人々に受け入れられ、そしてそれを形にしようとする研究者、デザイナーが出たらすごい嬉しいですね。でも出ないかもしんない。でもやれるだけやりたい。
で、記録に残したい。エontheストン。だからパブリッシュもします。物も作るし、展覧会もやる。でもそれを後世がどう見るかってのは後世のものだって。すなわちどうなるか分からない。でも死ぬ時にやっぱり満足して、やるべきことをやった、自分が考えてたものはみんな記録に残した。だからそれが何らかの価値を持ち続けるんだったら嬉しいし、それを天国から見ていたいって、そういう感じですね。
天国があれば、天国でもノンストップでお話しされてそうですね。そうですね、インターネットがあればいいんですけども。マズローの法則ってありますよね。新しいレイヤーが2つ足された、知ってますか。そうなんですか。1つがバッテリー、もう1個がWi-Fi。それがないと生きてけない。でも天国にそれがあるかよく分かりませんのでですね、Macがあるかよく分かりませんけども、でもぜひ、もしかしたら通信するかも、天国から。TeleAbsenceでTwitterボットみたいな感じで。
まあということで、未来永劫喋り続けていただけそうな石井先生ですが、次のご予定が迫っていると。すいません。いうことで、今日のところはお開きということになりそうです。
多分、今日収録の尺は番組史上一番短かったんですよ。本当に?もっとみんな喋るんですか。でも文字起こししたら多分最長だと思います。意味不明がいっぱいあると思うから、いっぱいカットしてください。
ということで、最も長く、最も意味不明で、そして最も根本的な会話ありがとうございました。ありがとうございます。意味が不明だっていうのは寂しいですけども、意味を理解してくれるスーパーインテリジェントなオーディエンスがきっと1%ぐらいいたら嬉しいですね。3人ぐらいいると思います。すごいですね、母数がなくて3人って言ってしまうところが、的にナンセンスで素敵です。太郎君とたこちゃんとみこちゃんみたいな感じで、ほとんどよくわかりませんけど、でもそういう3人が思い浮かんだら素晴らしいですね。でもその3人、ぜひMITに来てください。もちろんイェールでも構いませんけど。
ということで、出る杭力、道程力、造山力、コピーして皆さん子供部屋の扉の前に貼っていただきたいと思います。Helveticaで、あるいは強いフォントありますよね、なんだかゴシックって感じの。あれで。明朝じゃだめです。フォントお願いします。お願いします。ありがとうございました。どうも、どうも。
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