出る杭は打たれ続けるなら出きれ:石井裕が語る研究の「飢餓感」、テレアブセンス、造山力

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概要

MITメディアラボ副所長の石井裕は、触れられるデジタル情報の形を追い続けてきた研究者である。成田悠輔との対談は、大学の資金のあり方から始まり、亡くなった人との疑似的な交流を目指す新プロジェクト「テレアブセンス」、生成AIへの拒否感を経て、石井が掲げる「出る杭力・道程力・造山力」へと進んだ。石井の立場は一貫している。研究を決めるのは制度や資金ではなく、ゼロから山を作ろうとする個人の精神だ、というものである。

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大学の資金は「天から降ってくる」べきではない

成田はまず、大学や研究機関と外部資金の理想的な関係を尋ねた。石井はまず理想でない形を挙げた。税金がプールされて天から降ってきて、その配分が大学内の従来の序列で決まる仕組みは不健全だという。アイデアで競い合って資金を勝ち取る苦労がないからだ。

石井によれば、自分たちのいる環境では研究の価値を説明し続けなければならない。相手には実利を重んじるビジネスの人もいれば、ヒューマニティの観点から価値を認める人も、芸術的なイノベーションとして評価する人もいる。それぞれ違う価値観の相手に届くほど強い根本的なビジョンと、それを具体的な作品として示すプレゼンテーション能力が要る。資金が潤沢に上から降ってくる環境は、戦おうとする意欲、つまり飢餓感を育てる点で不利だと石井は述べた。

成田は日本の状況に引き寄せて問い直した。日本では税金などの公的資金への依存が大きく、その結果、大学がどこかの省庁の出先機関のようになり、官僚の機嫌を取らざるを得ない。一方アメリカの私立大学は、産業界、フィランソロピー、財団などの民間資金が大きく、NSFやNIHといった政府資金も激しい競争を経て獲得される。その潤沢な基金が、日本の大学とは比較にならない活動規模を支えているのではないか、という見立てである。

違いは金額ではなくハングリーさだと石井は言う

石井は、違いは金額ではないと答えた。アメリカに集まってくるのは非常にハングリーな人々で、母国が崩壊して戻れない人、それでも自分のやりたいことを貫こうとするアジア出身者などがいるという。

その根拠として石井が挙げたのが、前日の講演会で見たという各国の研究者の流入・流出のチャートだ。石井の説明では、アメリカは多くの研究者が来るが出ていかない。イギリスはかなり出ていく。日本はほとんど誰も来ず、ほとんど誰も出ていかない「島国」の状態にある。日本の内部での競争を勝ち抜いて生きることはできても、世界中の人々が来て定住したいと思う場所になれるかは別の問題であり、優秀な人材はCaltech、MIT、スタンフォード、CMU、ハーバードへ行ってしまう。石井はこの点で、日本は非常に厳しい時期にあると見ている。

批判される米国大学と「リスクを取るか」という問い

成田はここで、アメリカの大学がこの1年ほど批判にさらされている点を持ち出した。外部資金に依存しているため、ドナーの意向や政治的思想に逆らえず、学内の表現の自由が脅かされているのではないか、という批判である。

石井はその問題があることを認めた。そのうえで、根本的に大事なのはオリジナルなアイデアとインパクトだと返した。チューリング賞レベルを目指す人が大勢いて、互いに競い合う。その競争のプレッシャーは強烈で、資金やリソースの話を中心に考えるのは焦点がずれている、というのが石井の見方だ。重要なのはマインドセットであり、何を目指しているかである。無難にテニュアを取り、定年まで勤めて名誉教授になる道なら、リスクを取る必要はない。本当に勝負をかけるなら、全く新しいことをゼロから始め、外れたら終わりというリスクを引き受けることになる。そのリスクを取るかどうかが最大の違いだと石井は言う。

成田はそれを個人の研究者レベルでは認めつつ、そうしたマインドセットの人を引きつけられる国は時代とともに変わってきたと指摘した。アメリカの優位も20世紀半ば以降のことであり、どの国や大学が人を集められるかは、大学経営や資金源に左右されるのではないか、という問いである。

石井はこれに同意しなかった。自分がMITのメディアラボに行った理由は、ニコラス・ネグロポンテらのアーキテクチャ・マシン・グループのような先駆者たちがいて、SIGGRAPHで発表されたスペーシャル・データ・マネジメント・システムのような強烈なビジョンを示していたからだという。作るものの創造性、情熱、エッジの鋭さに惹かれたのであって、資金で行き先を選ぶのは、結婚相手を資産や跡継ぎの有無で計算するような悲しさがある、と石井はたとえた。そういう計算のできる人ばかりでは勝てない世界だという。

石井はさらに、これはお金や制度・政策の話ではなく精神、ハングリー精神の話だと念を押した。日本はコンビニでおでんが買える程度に満たされている。これに対して、国が崩壊する瀬戸際にボートピープルとして赤ん坊のまま国外へ逃れ、ピザの配達をしながらCaltechに進み、MITに来たPhD学生の目の強烈さには敵わない、と石井は語った。

inFORMからTRANSFORMへ:形が変わるディスプレイ

話題は石井の研究に移った。石井によれば、inFORMを発展させたのがTRANSFORMである。大きな機械で物の形や素材の性質を動的に変える「シェイプ・ディスプレイ」で、映像では芸術的な表現として波を表したり、数学的なパラメトリック・デザインを示したりしている。インタラクションや建築デザインにも使えるという。

石井はこれを新しいメディアの可能性を示したものと位置づける。「ラディカル・アトムズ」というコンセプト・ビジョンを掲げ、その具体例としてTRANSFORMのようなシェイプ・ディスプレイをいくつか作り、ニューマティック(空気圧)を使うものなども手がけてきた。固まったものを組み立てて作る時代から、物そのものがピクセルと同じように可変になる時代へ、というのが石井の描く方向である。

テレプレゼンスの次の「テレアブセンス」

さらに石井は、ClearBoardのようなテレプレゼンスの次の段階として、「テレアブセンス」というプロジェクトを始めたと紹介した。

テレプレゼンスでは相手が生きていて、応答やインタラクションができる。しかし相手がいなくなれば、話しかけても声は返ってこない。メールもあらゆるチャンネルも途絶え、居場所もわからなくなる。人生で出会った多くの人、たとえば年賀状が来なくなった人、初恋の人、小学校の音楽の先生とも、年を重ねるとコミュニケーションの手段がなくなる。石井はその悲しさを出発点に挙げた。

もう一つは、自分がいなくなった後にどう思い出されるかという問題だ。石井は、死ぬのが怖いというのは根本的には忘れられるのが怖いということだと言う。人は死んだ時と、完全に忘れられた時の二度死ぬ、という何人かが口にしてきた言葉や、映画『リメンバー・ミー(Coco)』を引き、忘却への恐怖をどう和らげるかを考えている。目指すのは、話しかけたときに相手がまだそこにいて何か答えてくれたような「イリュージョン」だ。ただしAIでゴーストボットやデスボットを作ることは、決してやりたくないと明言した。

ピアノに宿るゴーストと坂本龍一の演奏

具体例として石井はピアノの実演映像を示した。演奏しているのは、現在パリで教授を務める研究者で、ピアニストでありコンピューター科学者でもある女性だ。彼女がかつて弾いた演奏が「ゴースト」としてピアノの中にあり、鍵盤が動いて指の動きが表現される。別の映像では、石井の娘アリサさん(現在19歳でバーナード・カレッジに在籍)が幼い頃に弾いた音楽がピアノの中でゴーストとして生きていて、成長した本人と連弾しているように見える。実際に連弾しているのではなく、そう見えるのだという。

過去の記録がピアノに住んでいて、ある種のコミュニケーションができる。相手は死んでいる人でも、幼少期の自分でも、別れた人でも、亡くなった有名なピアニストでもよい。石井が語ったテレアブセンスの原点は、祖母がコンサート・ピアニストだったとして、リビングのグランドピアノに降りてきてもらい、孫たちと一緒に演奏できたら素晴らしい、という発想だった。

成田が、ピアノが遠く離れた人や別の時間の誰かとつながる窓になるということか、と確認すると、石井は、相手はもう亡くなっているので本当のコラボレーションはできず、あくまで過去の記録として演奏した人がいるのだと補った。

今年6月には、プロのピアニストを30人ほど招いて、ゴーストとの共演実験を行ったという。そのゴーストの一人が坂本龍一で、十数年前に石井らのもとを訪れた際に「戦場のメリークリスマス」を弾いてくれた記録がある。その演奏がピアノの中で再現され、プロのピアニストが連弾した。参加者には坂本を知る人も知らない人もいて、彼が亡くなったことを知らない人もいた。もういないのに、今目の前にいて一緒に弾いたと感じる、その感情的なインパクトは強烈だったと石井は語り、これがテレアブセンスの一つの具体例だと述べた。

残るのは権力者だけにならないか、生成AIとの線引き

成田は、人は死んだら忘れられて消えていくべきだという考え方もありうるし、この装置で残り続けるのは、残りたいという意志の強い人や権力性の高い人ばかりにならないか、と問うた。

石井は、そうした考えもあれば、ピラミッドや銅像を作る人もいると認めた。そのうえで自分について、論文を書くのは100年後にも読んでほしいからで、ラディカル・アトムズやテレアブセンスが人々を刺激し、それによって学生が育ち、学問が進めば嬉しいと語った。それは自分のエゴではなく、学者が出版するのはテニュアのためだけではなく、「巨人の肩の上に立つ」ように次に伝えたいからだという。

ただし石井は、生成AIを使って本人が言ったこともないことを言わせるのはナンセンスで冒涜であり、絶対に許せないとはっきり述べた。美空ひばりに新しい歌を歌わせた例を挙げ、技術的には素晴らしく感動する人もいるが、越えてはいけない一線があり、これはまさにエシカルで微妙な線だという。

石井の懸念は、人間には悪い人や不安定な人が大勢いるという認識から来ている。未成熟な技術がオープンソースになれば、悪い人がそれを武器にする。良い使い道もあるかもしれないが止められない。技術の武器化が避けられない中でどこに線を引くかは深い問題で、自分はフェイクの元を作ることは尊厳の問題として許せない、と石井は述べた。一方で、いくら議論しても止まらない、とも付け加えた。

成田は、すでに有名人のなりすまし詐欺が起きており、今後は家族のなりすまし、さらには亡くなった家族のなりすましへと広がるのではないかと指摘した。石井は、娘の声を生成して誘拐を装い身代金を取るような例を挙げつつ、それはジェネレーティブAI以前、オレオレ詐欺から始まっている根の深い話だと応じた。

「サステナブル」とエコーチェンバーへの嫌悪

石井は続けて、人間は素晴らしく、技術は人間のためにある、というナイーブさが嫌いだと言った。同様に「サステナブル」という言葉も、サステナブルな世界のための研究と言いながら、世界は実際にはサステナブルではない。100回唱えると気持ちよくなるエコーチェンバー的な怖さがあり、現実をシャープに、クリティカルに見なければならない、という。自分で言語化したものが自分を気持ちよくするエコーチェンバーになるなら非常に危険だと石井は述べた。

成田はこれを受けて、石井自身も自分の作った概念でエコーチェンバーになっているように見える、と切り返し、石井の目は自分で新しい薬物を作り出している人のようだと冗談めかして評した。石井は「いいですね」と受け、30年それと戦ってきたと応じた。

出る杭力:中途半端に出るな

石井はここで、自身が掲げる3つの力を紹介した。1つ目が「出る杭力」である。出る杭は打たれる。打たれた経験を問えばほとんどの人が手を挙げるが、打たれたことを忘れるほど激しく打たれた人も多い。ある国では、出すぎない限り打たれ続ける。だったら中途半端に出るな、力いっぱい出ろ、というのが石井のメッセージだ。若い人は自分の信念があるなら、半ば狂信的なくらい信じなければやっていけない。叩かれ続けても出続けることが第一歩だという。

道程力:トラックのない原野を走る

2つ目は「道程力」で、教授になった後の話として説明された。学生の指導や学部の運営など、大学が世界でどう戦うのか、学生がどう成長するのかという道を作る段階である。

石井は、茂木健一郎が関わった2006年頃の番組の最後に研究とは何かと問われ、こう答えたという。研究は100メートルトラックを人より速く走る競争ではない。本当の研究にはトラックもレフェリーもジャッジも観衆もいない。誰も切り開いたことのない原野を切り開き、生まれたばかりの道を全力疾走する、それが研究だ、と。自分でもいい言葉だと思っていたが、1か月後に高村光太郎の「道程」の「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」を目にして負けたと思い、「道程力」と名付けたと語った。

造山力:山があるから登るのではなく、山を作る

3つ目が最も難しいとされる「造山力」だ。MITに呼ばれた時、石井はMITを山頂が雲に隠れた高い山だと思い、地図はないが登らなければならないと考えた。ところが行ってみると、山などあるわけがなく、何もないところからゼロから自分で山を造り、世界で初めて登頂し、残りの世界がそれを見て登り始める、という世界だったという。山があるから登るのではなく山を作るのが自分の究極だ、と石井は語る。

石井はこれが危険でもあると認めた。作って登っているつもりでも、実際には蒸気のような実体のないものかもしれない。成田も、作っていると勘違いしているだけの人も多いと付け加え、石井も同意した。石井自身は、2019年にライフタイム・リサーチ・アワード、2年前にACMフェローを受け、成功とは自分でなるものではなく世界がそのインパクトを認めることで決まると述べた。認められた瞬間に、登っていた山が実体あるものだったと分かり、それまでは蒸気だった、蒸気だったら落ちてしまう、という体験をしたという。3つの力はA4とUSレターに収まるPDFで公開していて、受験生の部屋のドアや社長室に貼ってほしいと石井は冗談交じりに勧めた。

成田が受験勉強とは真逆ではないかと指摘すると、石井は前日の講演「未踏峰連山を目指す君に」の話に移った。2018年に登山で亡くなった友人の栗城史多さんのことをきっかけに、人はなぜ山に登るのかを考え続けてきたという。石井の見立てでは、記録に残りたいという欲求に近い。エベレストはヒラリーが初登頂したので、次の人は無酸素、冬季、新ルート、シェルパなしと条件を変える。それは特許競争のようで、冒険というより無謀な自殺に近づいていくが、それでも人は登る。

では安全で冷房の効いた場所で研究する自分は何をしているのか。石井は、造山とは存在しない山を思い描き、それを何とか形にしようとするロマンで、それが学問研究だと考えた。既存の山を条件を変えて登り記録を残すアプローチと、ゼロから山を作るアプローチは違うが、どちらでもよい。講演の最後に学生たちには、君は登山家なのかマウンテン・ビルダーなのか、目を閉じると頂上が見えるか、と問いかけたという。石井は、山は強烈なメタファーだというのが今日のメッセージだと述べた。

作った山を世界が山と認めるまでに、4年かかるのか40年か4世紀かは分からない、と石井は言う。成田が在籍するイェールのテニュアの期限を石井が尋ねると、成田は通常8年だが、コロナなどで延長されて分からなくなっていると答えた。

500年後のインターフェースと、新しいアフォーダンスの課題

成田は500年後のコンピューターやインターフェースを尋ねた。石井は、SFにすでに多くあるように、空を飛ぶマイクロマシンのようなものが合体して、何でもその場で作れる世界が来るのかもしれないと述べ、マイケル・クライトンの作品や映画に触れた。ただし怖さもあるという。動くものはすべて危険で、ロボットにも注意が要る。

石井が挙げたのはアフォーダンスの問題だ。目の前のグラスが突然100倍の大きさになったり、飲んでいる最中に尖った部分が出てきたりしたら恐怖で、信頼が成り立たない。現実では形は突然変わらないからだ。バーチャルな世界では、ゴミ箱や「電源を抜くな」「保存して」といったプロトコルがあるが、物理世界が計算によって動的になるなら、新しいアフォーダンスをどうデザインし、どう教育するかが大きな課題になる。石井はこれを、まさにデジタルネイチャー的な大課題だろうと述べた。

成田が、情報の世界と同じ予測不能性が物理世界でも起こりかねないということかと確認すると、石井は同意し、もうパンドラの箱ならぬ「キャン・オブ・ワームズ」は開けられてしまい止まらないと語った。オープンソースで広げようとする人もいれば、エシカルAIを研究する人もいる。だが作っている人間がアンエシカルなのだからAIがエシカルになるわけがない、これはサステナビリティと同じ自己矛盾で、その矛盾と悲しみを背負いながら前に進むしかない、と石井は述べ、そういう意味で未来は楽しい、と結んだ。

どう死に、どう忘れられたいか

最後に成田は、石井はどう死に、どう忘れられたいかを尋ねた。石井の答えは、忘れられたくない、ただし自分自身ではなく、というものだった。石井は自作の言葉として「未来記憶」を挙げた。自分が夢見た未来が記憶として思い出されること、つまりマテリアルが踊る世界や、遠くへ行ってしまった人に話しかけて何らかの応答を得たという印象を得られる世界、という夢が受け入れられ、それを形にしようとする研究者やデザイナーが現れれば嬉しい。現れないかもしれないが、やれるだけやりたい。巨人の肩の上に立つために、出版し、物を作り、展覧会も開く。それを後世がどう見るかは後世のものだが、やるべきことをやり、考えたことはすべて記録に残したと満足して死に、それが何らかの価値を持ち続けるなら天国から見ていたい、と石井は語った。

成田が天国でも話し続けていそうだと言うと、石井は、マズローの欲求段階に新たにバッテリーとWi-Fiの2層が加わったという冗談を持ち出し、天国にそれがあるか分からないと笑った。成田はテレアブセンスによるTwitterボットのような通信の可能性に触れて応じた。

収録時間は番組史上最も短かったが、文字起こしすれば最長になるだろう、と石井は言い、意味を理解してくれる「スーパーインテリジェントな」視聴者が1%ほどいれば嬉しいと述べた。成田が3人くらいはいるだろうと返すと、石井は、その3人にはぜひMITに、あるいはイェールでもいいので来てほしいと語り、出る杭力・道程力・造山力を子ども部屋の扉に貼ってほしいと重ねて対談を終えた。