「批判されるのは励ましだ」――92歳の田原総一朗が三宅香帆に語った喧嘩と言論の哲学

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概要

評論家の三宅香帆が、92歳のジャーナリスト田原総一朗と対談した。三宅は以前、田原の対談集に登場しており、今回はそれ以来の再会だという。読書から始まった話は、SNSでの批判、政治家の言葉、そして田原が生涯続けてきた「喧嘩」へと移っていく。三宅は批判される怖さや疲れを率直に口にし、田原は一貫して「本気で喧嘩するから面白い」と返す。対談はこのかみ合わなさを中心に進んだ。

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三宅香帆が評論の道に入った経緯

冒頭、田原は三宅に、なぜこういう評論の仕事に入ったのかを尋ねた。三宅によれば、大学では文学研究をしており、論文を書くより現代の人に向けて伝えるほうが得意だと感じた。もともと批評が好きだったこともあり、今の仕事につながったという。

働くことと読書の関係も話題になった。田原は、三宅の「働いていると本が読めなくなる」という議論を取り上げ、本を読むのも働くことのうちではないかと問うた。三宅は、今の自分にとっては両者がほぼ重なっていると答える。ただしリクルートで会社員をしていた頃は、数字やエクセルを見てネットの動向を追う仕事と、本を読むことがまったく別のものになっていたと振り返った。本は小さい頃から好きで、覚えていないほど幼い頃から「活字中毒」だったという。

「批判するために本を読む」田原の読書

田原に読書が好きかと尋ねると、「好きとも嫌いとも言える」と答え、自分は批判するために本を読むのだと説明した。著者の言っていることを否定するためだという。三宅が驚いて理由を聞くと、田原は、ろくでもない書き手がたくさんいる、金が欲しくて書いているだけだと言い切った。

三宅は、本を書くのは大変で、今の時代は大した収入にもならない、それでも書くのはよほど伝えたいことがあるからではないかと反論した。田原は「よっぽど伝えたいことがあるような本を読んだことがありますか」と逆に問い、自分はほとんど出会っていないという立場を崩さなかった。

それでも田原は、本の価値そのものは否定しない。本を書くことで人間を変えられるなら面白い、というのが田原の考えだ。三宅はこれに同意し、自分が読んできた本はそういう本だったと語る。例に挙げたのが村上春樹で、文章ごと変えられた感じがあり、文体や生き方ごと影響を受けたという。三宅はまた、田原の田中角栄についての本にも感動したと伝えた。

「全部中途半端に」と「半身で生きる」

田原は、中央公論で読んだという「やることがたくさんあるから全部中途半端にやりたい」という主張を持ち出し、中途半端でいいのかと三宅に問いかけた。三宅はこれを自分の「半身でやりたい」という話だと受け取り、中途半端というより、半分ずつさまざまなことをやるほうがいいと考えていると説明した。

三宅はさらに、田原自身も家事をし、テレビに出て、本も書いていると指摘する。そうした複数の活動が今の田原を作っているのではないかと三宅は見ている。一方で今の日本では、テレビに出る人はテレビだけ、本を書く人は本を書くことだけ、と役割が決められがちではないかという問題意識も口にした。

田原の読書習慣についても聞いた。田原にとって読書は趣味で、時間があれば朝でも夜でも読む。読むのは移動中ではなく自分の部屋だという。本の入手は書店で買うものと著者本人から送られてくるものが半々だそうだ。ただ、最近読んで面白かった本を尋ねられると、「残念ながらないね」と答えた。

受ける言葉しか言わない政治家

田原は、今の政治家の本が面白くない理由として、政治家が世の中に受け入れられることしか言わない点を挙げた。受けないことを言えば排除され、本も売れない。だから受けることを言う。しかし受けることを言っているだけでは世の中を変えられない、というのが田原の見方である。

三宅は、昔の政治家は受け入れられないかもしれないことを言っていたのか、票を失う恐怖はなかったのかと尋ねた。田原の答えは揺れていて、昔と今の違いは受けることを言うかどうかだと述べる一方、「変わってないじゃない」とも発言している。そのうえで田原は、今は面倒なことを言う人の本もたくさんあるが、三宅はそれを読んで賛成してしまうのだろう、と水を向けた。

三宅は、今を作っている政治家の本よりも、時間が経った人の本を読むことが多いと答えた。田原は、今の世の中を変えよう、否定しようとする本を読めばいいが、そういう本がだんだんなくなってきた、と応じている。

「SNSって何ですか?」

三宅は、昔はなかったSNSでの炎上や批判が、本を書く人や政治家にとって大きな問題になっているのではないかと問いかけた。田原の最初の反応は「SNSって何ですか?」だった。三宅がTwitter、今でいうX、TikTokなどが主流だと説明すると、田原は、SNSは「真ん中」にない、端っこにあるものだと評した。

田原のいう「真ん中」とは、この国をこうしようという議論のことだ。これに対し三宅は、今の言論状況を説明した。「この国をこうしよう」と言えば、「そこに私は入っていない」「私はそうではない」と言う人が現れ、大きく批判してくるという。

田原は、だからこそ問題は皆が受け入れられる言い方しかしなくなったことだと返した。自分の主張をまったくしないから面白くない、せめて三宅くらいは受けないことでも「ガーン」と言わなければならない、と三宅を促した。三宅が、何か言うたびにいろんな人から批判されて終わる感じがあると打ち明けると、田原は「何か言って批判されるのは面白いじゃない」と答えた。

「やめちまえ、死んじまえ」は励まし

田原は「僕、批判大好き」と言う。「やめちまえ」「死んじまえ」と言われるのが面白く、それはむしろ励ましで、逆に頑張ろうという気持ちになるという。嫌な気持ちにならないのかと三宅が尋ねても、田原の答えは変わらなかった。

三宅は、かつて田原のもとに街宣車が来たという話に触れた。田原は、来たら戦うのが面白いと答える。怖くないのかと聞かれると、「半分怖いから面白い」と言った。まったく怖くなければ面白くも何ともない、というのが田原の説明だ。

嫌いな人を変えてやろうと思うのか、それが面白いと思うのかという問いには、自分を批判する相手が変化するのが面白いと答えた。褒めもしない、けなしもしない相手を否定しても面白くない。自分を批判する言葉があるから、それと喧嘩できるのだという。

相手が偉いほど面白い――田原流の喧嘩

どこで喧嘩をしてきたのかという問いに、田原は「その人間の存在を否定するわけだ」と答えた。三宅が朝まで生テレビなどでのことかと確認すると田原は肯定し、相手の地位が高いほど面白い、大臣や組織の長と喧嘩するのは面白いと語った。そういう相手が怒ってきたら「しめしめ」と思うのかと三宅に聞かれ、田原は本気で喧嘩すればいいと答えている。

喧嘩のコツを尋ねても「コツなんかないよ。本気でやればいい」。田原はさらに、今の世の中は飽きている、喧嘩しないからダメなのだ、と言う。三宅が、一対一の喧嘩は面白いが集団で来られるとどうかと聞くと、田原は、そのほうがもっと面白いという趣旨で答え、三宅を驚かせた。

田原は、自分には偉くなりたい気持ちがまったくないと言う。欲しいのは刺激で、非難されることほど強い刺激はない。話が通じないと思うことはないのかという問いには、通じないはずはない、相手が間違っているのだから、と答えた。相手が間違っていると信じて喧嘩するのが面白いのだという。喧嘩して相手に分かってもらえたと感じることも「時にはね」あるそうだ。

三宅はここで、怒るのはマイナスなことではなく楽しいことなのだと受け止めた。田原によれば、喧嘩すれば相手が本気になる。褒めてもらうのは本気ではないからだ。

「才能がない男と本気で喧嘩してくれる」ありがたさ

三宅が、人の本気を楽しめるようになったのはいつからかと聞くと、田原は、自分にはもともとまったく才能がないと思っていると答えた。才能も資格もない自分のような男を攻撃してくれる、本気で喧嘩してくれるのはありがたいことだ、というのが田原の説明である。

子どもの頃、いじめられるのが嫌だと思ったことはないのかという問いに、田原は「いじめも面白いじゃない」と答えた。話はすぐに、相手が総理大臣や組織の長であるほど面白いという話題に戻った。

朝生の司会術は「喧嘩させる」こと

三宅は、司会をしていて人と人が喧嘩している場面も面白かったのかと尋ねた。田原は、自分は喧嘩させるのが好きだと明かし、三宅は「初めて明かされる田原さんの司会術」と反応した。与党と野党のように、喧嘩しなければどうしようもないのだという。

三宅が、喧嘩しないと本気の意見が見えてこないということかと確認すると、田原は、本気で喧嘩するのは面白いと答えた。喧嘩すると口が滑って思ってもいないことを言う人もいるのではないかという指摘には、思ってもいないことをさらに追及すれば、やはり芯では思っているのだ、と応じた。本音を聞き出せてよかった相手を聞かれると、政治家は全部そうで、総理大臣をはじめとして、と答えている。

三宅は、喧嘩は最後に落としどころがつくから面白いのであって、永遠に喧嘩していたらつまらないのではないかとも問いかけた。田原は「僕は永遠に喧嘩してるよ」と答え、それも面白い、本気になられるのが嬉しいのだと語った。

国同士の喧嘩と「対米追随」への違和感

三宅は、国と国との喧嘩なら人を巻き込んで戦争になる、と話を広げようとした。ここで田原は日米関係に話を移す。日本は結局アメリカに言われるがままで、それでいいのか、誰が見ても対米追随だ、と述べた。三宅は、田原が田中角栄の話の頃から一貫してそう言い続けていると応じた。

喧嘩し続けるエネルギー源を問われると、田原は、正しいと思うことは言ったほうがいい、正しいと思うことを言わなくなったら結局対米追随になる、と答えた。何でもアメリカの言うことを聞くのではなく、戦争ではなく大統領と喧嘩したほうがいい、というのが田原の主張だ。三宅が確認すると、喧嘩することで逆に相手が動く、アメリカのそういう人たちは自分の言うことを聞いてくれる、と田原は語った。聞いてもらえている感覚はあるのかという問いにも「あります」と答えている。

自分が間違っていたと思うことはあるかと問われると、田原は子ども時代の対米戦争を挙げた。あれが間違っていたかどうかは難しい問題だとしたうえで、あの戦争に負けて対米追随になり、何でも言うことを聞くようになった、日本人として主張しなくなってしまった、と述べた。

田中角栄はなぜ田原に本音を語ったのか

出会った政治家で面白かった人物として、田原は田中角栄の名を挙げた。小学校卒でありながら大きな地位にのぼり、本音を言う人物だったという。誰にでも本音を言ったわけではなく、自分には本音を言った、それは信用してくれたからだ、と田原は語る。そのきっかけはアメリカとの関係をめぐることだと田原が言いかけたところで、同席者が経緯を補足した。

補足によれば、世の中がこぞって田中を批判していた時期に、田原は中央公論に「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」を書いた。田中が失脚したのは金の問題ではなく、アメリカにやられたのだという内容である。当時の田原はテレビ局を辞めたばかりで、まだ無名だった。それでも田中はこの記事を読み、インタビューに応じて4時間を割いた。インタビューは文藝春秋に掲載されたという。三宅は、これが立花隆への反論という位置づけだったと田原が書いていたことに触れ、読んでもらえて嬉しかったのではないかと尋ねた。

この話を受けて三宅は、田原も本を命がけで書いているのだと感想を述べた。田原は、内容によっては完全にパージされる、パージされてもいいと答えた。パージされるかもしれないと思ったことは「しょっちゅう」あるが、そういう不安を抱えながらも大体書いてしまうという。書く原動力を問われると、自分の意思だと答えている。

女性議員の少なさと、途切れた最後の問い

終盤、三宅は、女性議員がまだ少ない理由を田原に尋ねた。田原はまず男女差別を挙げ、続けて、女性が男性に気を使いすぎていると思うと述べた。

最後に三宅は、今の日本や若い世代にこれだけは言っておきたい言葉はあるかと問うた。田原は「やっぱりね」と答え始めたが、その答えの中身は動画に収められていない。