野村万作が語る狂言の稽古、型の変え方、「残す」と「残ってしまう」の違い
PLAYERS公式経済学者の成田悠輔が、狂言師で人間国宝の野村万作を稽古場に訪ねた対談である。1931年生まれの野村は番組史上最年長のゲストで、この収録時点でも新しい演目の稽古に取り組んでいた。話題は、新作狂言や他ジャンルとの融合、長大な演目「釣狐」のための体づくり、師匠である父から受け継いだ型をどこまで変えるか、映像化で得た発見、そして芸が記録として残ることの意味にまで及んだ。
稽古場と、いま取り組んでいる「右流左止」
対談の場所は野村家の稽古専用の舞台で、客が座ることはほとんどないという。普段の過ごし方を聞かれた野村は、弟子に稽古をつける日もあれば自分の稽古をする日もあると答えた。収録時は、月の半ば過ぎに初めて演じる難しい役の稽古中で、「頭が混乱している」と話した。
その演目は古い曲だが、野村自身は演じたことがない。菅原道真ともう二人の男、あわせて三人の葛藤を扱う不思議な作品だという。西国の男が京都見物に向かう途中、明石の茶屋に立ち寄る。茶屋の亭主は茶を出し、あれが明石の浦、あれが淡路島、ここが住吉と景色を教える。ところが旅の男が「あなたは一人者か」と尋ねると、亭主は途端に「うるさや、うるさや」と嫌がる。題名の「うるさし」は「右流左止」の四文字で書く。なぜ嫌がったのか、「うるさし」とはどういうときに使う言葉なのかを、亭主が菅原道真の話から延々と語る構成になっている。
この語りが長く、覚えにくいと野村は言う。能舞台にはプロンプターがほとんどいない。周囲に相談すると、見台に台本を置いて見ながら演じればよいと勧められたが、野村は「それはまだやりたくない」と考えているという。
新作狂言と他ジャンルとの融合
新しいものへの取り組み方を問われると、野村は20代の経験から話し始めた。関西の演出家・武智鉄二の演出で、一回り年上の茂山千作と共演したのが、新しいことに挑んだ最初の頃だという。木下順二の戯曲「彦市ばなし」や「夕鶴」が、能の形式や狂言の形式に置き換えられて上演された時期があった。野村によれば、置き換えといっても直す箇所はほとんどなく、「夕鶴」はそのまま能になり、「彦市ばなし」はそのまま狂言になったという。
ほかにもシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」、武者小路実篤の「仏陀と孫悟空」を手がけた。東大でシェイクスピアを翻訳していた高橋康也とは、オペラにもなっている好色な大男フォルスタッフを題材に、新作狂言「法螺侍」を作り、海外公演にも持っていった。「それは楽しかった」と野村は振り返る。数は多くないが、新しいものと狂言を融合させる試みには比較的積極的だったという。
話の途中で野村は、自分が着ている着物が、共演した能役者の形見分けだと明かした。7〜8歳上の、非常に優れた役者で、尊敬していた人物だという。その妻は劇団青年座の創立メンバーの一人で新劇の俳優だった関弘子だと、野村は人名を次々と挙げながら説明した。名前が出てこないと言っていたわりに驚くほど名前が出てくる、と成田が指摘する場面もあった。
狂言の笑いは何を目指すか
能、新劇、オペラと多くの舞台芸術に関わってきた野村に、成田は狂言の特徴を尋ねた。野村は、狂言は喜劇と言われるが、西洋のコメディと日本の喜劇が同じものかどうかは分からず、どこか違うのではないかと思っていると答えた。
野村によると、狂言は254番が伝わっており、その4分の3以上は観客の笑いを求める演目である。一方で、笑いがまったくなく悲劇的な作品も少しある。自分たちは「喜劇だから笑わせる」ことに努めようとは思っていない、と野村は言う。美しく、形をきちんと、という考え方で、狂言を単なる笑いより一段上に持っていきたいと努力してきたという。爆笑を狙う作品は実際にはあまりない、というのが野村の認識である。
1時間15分の「釣狐」と、ボクサーのような稽古
一段上の笑いが最も凝縮された作品はどれかと問われ、野村は自分の中にいくつかあるとしたうえで、26回か28回演じた「釣狐」を挙げた。あまり人が演じない難しい曲である。通常の狂言が20〜30分ほどなのに対し、釣狐は1時間15分かかる。
狐が人間の僧に化けるという筋のため、演者は下に狐のぬいぐるみを着て、その上に僧の衣装を重ね、僧の面をつける。前半では、狐が狐を釣る猟師のもとへ行き、狐を釣るなと説教する。しかし説教は失敗し、罠を張られて一度は釣り取られそうになり、なんとか逃げていく。
野村は「自分で言うのはおかしいが」と断りつつ、運動神経が比較的あったので、狐の動きの鋭さに憧れたと話した。狸なら柔らかく演じるが、狐は鋭く演じる。多くの演者は一、二度やって体力的にも懲りてしまうが、野村は何度も挑戦した。毎回うまくいったわけではないが、一度演じると具合の悪いところが見つかり、次はどうだと試せたという。
そのための稽古として、野村は15階建てのマンションに住んでいた頃、毎日15階まで駆け上がり、下の公園で縄跳びを300回跳んでから稽古に臨んだという。成田が「試合に向かうボクサーの生活のようだ」と言うと、野村も同意した。
野球と相撲に見る「美しい運動」
ボクサーの話から、野村は野球と相撲に話を広げた。自分の仕事と結びつけてよいかは別として、と前置きしたうえで、福岡ソフトバンクホークスの監督が「美しい野球をやりたい」と発言したのを聞き、いいことを言うと思ったと話す。監督がどういう意味で言ったのかは記憶にないが、野村は1番打者の周東の盗塁を例に挙げた。一塁から二塁へ足が実に綺麗に運び、失敗がほとんどない。そうしたことも美しさの一つではないか、というのが野村の解釈である。
野村は昔の南海ホークスのファンでもあった。内野手は小柄な選手ばかりで、名前が変わった監督の鶴岡、ファーストの岡本らの華麗な守備を記憶していると、選手名を次々に挙げてみせた。相撲についても、張り手を多用して引っぱたくような取り口は、芸としても運動としても美しいと思わないと話し、「ちょっと偏っているかな」と付け加えた。
成田は、狂言を語るときより野球と相撲を語るときの方が生き生きしていると冗談を言った。そのうえで、狂言には言葉と同時にさまざまな動きがあり、一人の役者が狐を演じたかと思えば狸や人間や猿も演じる、何もない舞台に一人の体から全てが生まれるところに狂言のすごさがあるのではないか、と述べた。
野村はこれを「大変ありがたい」と受け止めた。松の絵しか描かれていない舞台で全てを表現しようとするのは贅沢であり、それだけに難しいという。例えば幕から橋掛かりに出てくるとき、どう止まるか、歩く速さをどう変化させるか。狐なら素早く、狸なら重く歩くといった、さまざまなものが伝統の中に伝わってきている、と野村は説明した。
師匠がいなくなってから変わる解釈 ——「川上」
成田は、同じ作品を長く繰り返し演じるなかで解釈は変わるのかと尋ねた。例に挙がったのは、ドキュメンタリー映画『六つの顔』に収められた「川上」である。野村は、師匠である父がいた頃といなくなってからでは随分変わると答えた。父が亡くなってから、川上をどう演じるかは自分の発想から出てくるようになった。父から習っていないことを試したい、あるいはこれはやってはいけない、と考えるようになったという。
映画では一か所だけ、これまでやったことのない動きを入れた。盲目の男が寺に籠もり、夢に仏が現れる場面である。仏のお告げには妻と別れろという話も含まれる。その夢で仏が御簾を上げ、自分の体を三度まで撫でさせたと語るところに、野村は自分で考えた所作をつけた。それまでは言葉だけで、所作はなかったという。
もう一つは、目が開く場面で繰り返す「南無地蔵大菩薩」の回数である。古い本を見ると、父に習ったより四つほど多く書かれていた。言葉をこれだけ重ねている間に目が開いていく、その瞬間の感じが実にいいと野村は考えた。二回唱えてふっと見たら開いていた、ではつまらない。開いているのかいないのか分からないまま唱え続け、「おや、目が開いた」となる瞬間の思いを映画でも表現した、と野村は話す。あまり違えないつもりだが、父から習ったものを多少変えた箇所だという。
父の存命中にそんなことはできなかったのかと成田が聞くと、野村は「もちろん」と答えた。ただ、父の生前にも違いはあったという。野村は4歳下の叔父(父の弟)と川上を十数度演じ、自分が妻の役を務めた。妻が仏のお告げを聞いて泣く場面で、叔父は膝をついて泣いたが、父は立ったまま泣いていた。道端で膝をついて泣くことはないだろう、立ったまま泣く方がよい、というのが父の考えではないかと野村は推測する。ところが古い台本には膝をついて泣くと書いてある。だから父も叔父も、師匠から受けたものだけでなく、自分の思いでこうやりたいということがたくさんあったのではないか、と野村は考えている。今後は自分の芝居も変わっていくのでは、と成田が言うと、年を重ねたらもっと激しくなるのではないか、と野村は笑った。
映像で見て気づいたこと
映画で自分の演技を見て新しい発見はあったか。野村はあると答え、盲目の人の表現を例に挙げた。一般の芝居では盲目の人をある姿勢で演じることが多いが、映画に映った自分は前傾で、杖をつきながら手を差し出して物とぶつかるのを避けていた。これは能とも共通だという。能にも盲目の人物がいくつか出てくるが、やはり前傾で体が前にかかり、杖をつく。江戸時代以降の盲目の人の表現と、狂言や能の表現は違うのだと、野村はつくづく思っているという。
成田は、映画にはカメラによる「第三の目」があり、劇場では見えない見え方をすると指摘した。野村によれば、上空から見下ろす構図で映画に入っているのは「釣狐」の狐の場面である。観世能楽堂がまだ大曲にあった頃、2階からカメラマンが撮影したため、餌と狙う狐がうまく一つの構図に収まった。野村はこの映像がNHKにあると思いつき、探してもらって今回の映画に使ったという。もう一つ、正面とは反対側から、お堂に座って「南無地蔵大菩薩」と拝む人物を撮ったショットがあり、野村は「おや」と思い、面白い場面だと感じたという。
自分の後ろ姿は自分では見られないものの代表だ、と成田が言い、世阿弥の「離見の見」を引いて、離れた第三の目から見ることをある意味で実現しているのがこの映画ではないかと述べた。野村は、そう見てもらえると世阿弥も喜ぶだろうと応じた。
何でもやってきたわけではない ——「ゴドーを待ちながら」
成田は、600年後の狂言は何をしているかと問いかけた。野村は、何をやっても狂言という感じになるのでは、と前置きし、ベケットの「ゴドーを待ちながら」の話をした。この作品を狂言師が上演したことがあり、中心になったのは着物をくれたあの親友だった。野村は「私はやれませんよ」と降りてしまい、上演は兄やその親友たちが行った。そうした前衛劇を狂言の人間がやれるとは思わなかったという。
それ以前にも、岩田豊雄、つまり獅子文六から、「ゴドーを待ちながら」という面白いものがあるからやってみたらどうかと勧められたことがあった。しかし野村は、狂言師には無理だと思った。だから何でもかんでもやってきたわけではなく、選別しながらやってきた、と野村は振り返る。
「残す」ことと「残ってしまう」こと
成田は、野村は生涯を通じて多くの演技が映像として残った、ある意味で最初の世代だと指摘した。それを学習したAIアバターが600年後も演じているかもしれない、良いことか悪いことかは分からないが、と投げかけた。
野村の答えは、残そうとする精神はいいが、「残っている」のとは少し違うのではないか、というものだった。そして、残るのであれば、自分が見てきた先輩の芸が残っていればよかったと語った。
例に挙げたのは「木六駄」である。父も演じたが、大蔵流で父より7〜8歳上の名人・善竹弥五郎の舞台を野村は見ている。大雪の中、太郎冠者が12頭の牛を追い、奥丹波から京都へ向かう。牛には薪や炭が積まれ、太郎冠者は酒樽を一つ持ち、鞭を手にしている。何もない舞台で12頭の牛を表現するのは、先ほど話に出た「贅沢さ」そのものだと野村は言う。善竹弥五郎が牛を追うときの「させほうせい」という声を、野村はいまも覚えている。いかにも寒い雪の中の厳しさが出ていて、そのピンと張った声をなんとか真似したいと思ったという。野村はその場で声を出して再現してみせた。
物語の後半、太郎冠者は峠の茶屋で酒が飲みたくなる。茶屋も酒を切らしていたため、持っている酒を飲めということになり、土産に届けるはずの酒を飲んでしまう。酔ってへべれけになったまま、伯父のもとへ使いに行く。
成田が、それはいまや野村の記憶の中だけにあるのかと確かめると、野村はそうだと認めた。善竹弥五郎自身も牛を追う声のことを息子や孫たちに伝えていたという。そして野村は、自分がいま出そうとしている声の響きは、その先輩の真似に違いないと話した。
成田は、先輩たちの演技は失われたが、野村の演技は残ってしまう、と応じた。子、孫、ひ孫と世代をたどった九世代先を「雲孫」と呼び、300年ほど先にあたるらしいと紹介し、野村は残るので野村家の雲孫と共演できるのではないか、と話した。
最後に演じるなら ——袴だけの「釣狐」
最後に成田は、「最後の晩餐」になぞらえて、人生最後に演じるなら何を選ぶかを尋ねた。野村は再び「釣狐」を挙げた。60代を過ぎてからは、衣装を着けず着物と袴で演じたという。衣装があるということはそれだけ着飾っているということで、衣装がない方がその人の芸がにじみ出てくるはずだ、というのが野村の考えである。
最後の晩餐には酒が欲しいが、着物と袴があれば釣狐は袴でできる、と野村は話した。成田が、最後は袴姿で酒を一口飲んでいるだけで最高の芝居になるのではと言うと、野村は「なんだか自分の生活が見えちゃったような気がしますけどね」と笑って応じ、対談は終わった。
8月初旬、ミイラになりかけている成田です。この番組に数ヶ月前に来ていただいた、番組史上おそらく最年少付近の横浜さんがお出になった映画のおかげで、なぜか国宝という言葉が日本を妙に駆け巡っている今日この頃です。
それにかこつけてというわけでは全くありませんが、今回は本物の国宝の方にお越しいただきました。逆に番組史上最年長ゲストとなります。狂言師の野村万作先生です。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
このお部屋は稽古に使われてらっしゃる?
はい。これは稽古のための舞台で、従って別にお客さんがこう座っていうことはあまりないんです。練習専門で。
普段の日はどうやって過ごされてることが多いですか?普段の週とか、ルーティンみたいなものがおありになるのか。
はい。そうですね。玄人のお弟子を稽古する時と、素人のお弟子を稽古する時と、自分の稽古する時と様々です。今は自分の稽古する、ちょっと難しい役を今月の半ば過ぎにやるもんですから、それで頭が混乱してます。
今度の新しい、
それはね、古い曲なんですけども、自分がやったことがないもんですからね。
新しくやられるんですね。
新しくやるもんですから、それがとっても覚えにくくてですね。菅原道真の話なんですよ。
それを菅原道真と、もう1人と、ダイナモという3人の男の葛藤を狂言にしてる不思議なもんですね。本当に変わった狂言で。
ある男が、西国の男なんですね。で、京都の方へ色々見物に行く。その時に明石の茶屋で、茶屋の亭主が、まだこれは1人なんですけども、お茶を出してくれて、周囲の、あそこが明石の浦だ、あそこが淡路島だ、ここが住吉というとこだとか教えてくれる。その間にね、その旅の男が急に「あなた独り者か」と聞くんですね。
はい。そうすると、そうだけれども、その前にそれを聞いた途端に「あ、うるさや、うるさや」っていう気持ちになって、そういうことを聞くもんじゃないということなんでしょうかね。うるさしという表現です。それが「うるさし」という題名なんですね。
右の流れる、左の止まる。
ああ、はい。4文字でうるさしで、
うるさしで、それでそういう話を、その旅の男がちょっと聞いただけで「うるさい、うるさい」って言って嫌がった。その嫌がった理由、そのうるさしというのはどういう時に使う言葉なのかということを延々と、菅原道真の話から色々喋るんですよ。その喋るのが長くてですね。なかなかもう年が年ですから。狂言はあんまりプロンプターがないんです。
そうですよね。
ですからね、せがれにちょっと相談したらね、見台でやったらいいじゃないかっていう。見台って見ながら、
この台本を見ながら、
台本見ながらやったらいいんじゃないか。でもそれはちょっとまだ、いや、それはやりたくないからと思ってね。
新しいものに取り組まれる時、稽古とか準備はどういうステップで、どれぐらいやるのがいいものなんでしょうか?
そうですね、新しいものって言っても、昔、武智鉄二という関西の演出をする方に二十歳代の時に演出をされて、それでその時に僕の一回り上の茂山千作という男と一緒にやったんです。で、その頃が僕の新しいことをやる最初の頃です。それは木下順二さんの『彦市ばなし』とか、
ああ、ありました。はい。
『夕鶴』とか。その辺のものが能の形になったり、狂言になったりしてやられた時期がありましてね。
元々は小説ということですね。
そうですね。まあ、戯曲ですよね。
戯曲が狂言のスタイルに翻訳されてやられた。
そうです。翻訳って言ってもほとんど直すところはなくて、そのまま夕鶴だったら能になるわけなんです。
彦市ばなしだったら狂言になる。その時代からずっと新しいものを作られてきたわけですよね。
そうですね。まあ、とにかくね、シェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』っていうね、
やられたことありますね。
それをやったりね。それから『彦市ばなし』、それから『夕鶴』、それから『ブッダと孫悟空』という武者小路実篤の作品、まあ、あともう1つはラインとしては、シェイクスピアの翻訳をなさってた高橋康也という先生がいらっしゃいましてね、東大の。はい。で、この方の翻訳で、
シェイクスピアの作品ですか?
シェイクスピアのね、色好みの大きな男がね、出てくるじゃない?オペラでも。『法螺侍』。
フォルスタッフ。
はい。元々はフォルスタッフ。それを『法螺侍』と称して新しい狂言にして、外国へ持ってったりしてやりました。それは楽しかったですよ。
その時代から、最近の今度の『うるさし』まで、新しいものを狂言と融合させるみたいなことをやられてきたんですね。
そうですね。まあ、それほど数を多くやってるわけではないですが、比較的積極的にやってきました。
つまんない話しますけども、一緒にやった中に観世寿夫、能の非常に素晴らしい役者がいて、この人は僕の7つ8つ上ぐらいなんですけれども、その形見分けです、これ。着物。
この着物がですか?
形見分け。それほど僕も尊敬してたし、素晴らしい人だったし。奥さんが俳優で関弘子って言って、劇団青年座っていうところの一期生っていうか、作った人々の中、例えば山岡久乃さん、関弘子、もう1人2人の方が作られたんですね。森塚敏とかですね。そういうのを作った1人だったのが関弘子さんで、それと能の人が結婚したんですから。
その関弘子さんは能の方ではなかったんですか?新劇?
新劇の方だったんです。
なるほど。
だから、その、
1個だけ、さっき名前が、言葉が出てこないっておっしゃってましたが、驚くぐらいお名前が
次々。そういうのは、まあ、出てくるんですけどもね。
いや、でも今伺いたいなと思ったのは、今お話の中に能もあり、新劇もあり、オペラもあり、いろんな舞台芸術がありますよね。
ですね。その中で狂言っていうのは何だと思われますか?狂言の特徴は?
特徴は、まあ、簡単に言うと喜劇だというけれども、喜劇って、まあよく私は知りませんけども、
外国で言うコメディというものと、日本で言う狂言って同じなんでしょうかね。その辺が違うんじゃないか、どこか違うんではないかと思ったりもしていますが、254も僕たちの狂言というものが伝わっているんですよ。で、そのうちのまず3/4以上は観客の笑いを取るというか、笑いを求めるというかね、そんな感じなんですが、あと少しは笑いなんか全然なくて、面白くもない、時には悲しい、悲劇的なものもあるので、私どもは喜劇だからと言って笑わせるということを勤めようとは思っていないわけ。
はい。
そこで、ものを考える時の考え方が、美しくとか形をきちっととか、そういう風にして狂言を単なる笑いではなくて、もう1つ上の段階に持っていきたいなと思って努力してきたっていう感じですね。
ええ、まあ、そうですね。笑わせることとか、爆笑させることが目的にはなってないものが多いですよね。
そうです。まあ、爆笑は本当にあんまりないですが。
でもそういうその1段上の笑いとおっしゃいましたが、1番凝縮されてる作品は何だと思われますか?1番いいと思われる狂言作品っていうのは?
それはね、私の中では幾つかやっぱりございまして、例えば私が26回か28回やった、あんまり人がやらない難しい狂言が1つありますが、それが『釣狐』という1時間15分かかる狂言です。
普通は狂言って15分、20分ぐらいのものが多いですよね。
そう、そう。20分から30分ぐらいですね。
じゃ、それの2倍3倍ぐらいの長さ。
そうです。ですから、しかもそれが狐が人間のお坊さんに化けるという形のテーマなもんですから、下に狐のぬいぐるみを着てて、その上に化けたお坊さんの衣装を着てて、化けたお坊さんの顔の面をつけてという形ですから。で、前半は狐を釣る漁師に「お前、狐を釣るな」と説教に行く。ところが説教に失敗して、結局罠を張られて、1回は釣り取られてしまう。しかしなんとかしてそれを逃げていくというような、それで1時間15分ですよ。
それを、僕みたいに、何て言うんですか、私は多少、自分で言うのおかしいけど運動神経が割合あったもんですから、その狐の動きのシャープさ、鋭さ、たぬきになると柔らかくやりますよね、狐になると鋭いわけですね。だからその鋭さにある種憧れたりして、なんとかものにしようと思って、普通の人は1回か2回やってもうこりごりだ、つまり体力的にもこりごりだという人が多い中で、何度も何度も挑戦してやったわけです。それは1回1回が必ずしもうまくできたわけではないんだけれども、1回やると具合の悪いところが発見できるし、
次やるとどうだっていうわけで、時には、まあ、私、15階のマンションに住んでたことがあって、15階まで駆け上がる日々の練習をしたり、その下に公園があったから公園で300回縄跳びして、そして稽古をしました。
もうそれ、試合に向かうボクサーの生活みたいですね。
ああ、そうですね。ボクサーとか、そう。野球とか相撲とかっていうことを考えますとね。僕、本当に僕らの仕事というものと結びつけることがいいか悪いかは別として、例えばですね、ソフトバンクというチームがあります。
その監督が、何かの発言の中で「美しい野球をやりたい」とおっしゃったんですね。おお、いいこと言うなと思って。美しい野球ってどういうものかって言ったら、例えば今ソフトバンクには1番バッターに足の早いのがいるんですよ。誰だっけ?
周東ですか?
周東。
その周東を僕は見てる。そうすると必ず1塁から2塁に盗塁するんですよ。それ実に綺麗にうまく足がいくんですね。だから失敗ほとんどないくらいに。監督のはどういうことで美しい野球とおっしゃったのか、僕はあんまり記憶がないんですが、例えばそういうことも美しさの1つなんじゃないかなと思って。実は僕はその昔の南海ホークスっていう、やっぱ野球が好きだったんですね。そうすると内野陣がみんなちっちゃい人なんですね。山本、あるいは鶴岡と名前が変わった監督ですね。蔭山ですね。ショートですね。それから、まあ、あとは岡本っていうファーストなどなどが
すごい記憶力です。
などが出てきて、とっても華麗な守備を。
はい。
でもそういうその華麗で美しい運動、いろんなタイプがあるじゃないですか。そういう動きが入ってることが狂言の面白さの1つでもある。
あ、そうかもしれません。例えばお相撲だったらばね、いわゆるものすごく張り手をやって引っぱたくような相撲を取る人がいるわけですよ。
引っぱたくような。
だからそういうのは僕はやっぱり芸として、運動としても美しいと思わないので、ちょっと偏ってるかな。まあ、そういう風に思うんです。
いや、でも分かったことは、狂言を語られてる時より野球と相撲を語られてる時の方が生き生きされてる。いや、困ったもんですな。
いやいやいや、でも思ったのは、狂言においても言葉もあると同時に、色々な運動とか動きがある。しかも1人の狂言師の方が狐を演じたかと思うとたぬきを演じる、そして人も演じて猿も演じるっていう、全く違う動きをここで展開されるじゃないですか。
そうですね。
だからこれほど何もない、ある舞台しかないわけですよね。
ええ。
そこにその人の体から生まれる全てがあるっていうのが狂言のすごさなのかな。
おっしゃったこと大変ありがたいと思います。何もないところで、松しか絵が書いてないところで全てのものを表現していこうという、非常に贅沢といえば贅沢なんだろうと思うんですね。それだけに難しいと言ったらいいのか、1つ1つが、例えば、あっちから橋掛かりって言うんですけど、幕から出てきて、どういう風に止まったらいいか、出てくる時の序破急っていうか、歩き方のスピードの変化と、それによって狐だったら狐らしく素早く歩くし、たぬきになったら重く歩くし、というようなね、いろんなものが伝統の中に伝わってきていると思うんですね。
ちなみに番組ホームページではノーカット版の配信もしています。
番組が大赤字で大変です。是非皆さんカンパをよろしくお願いします。でもその作品を長く何度も演じられることが多いですよね。例えば先ほどの釣狐でもそうですし、それから今度の映画に出てくる『川上』も、長い時間をかけて演じられてきてますよね。こう時間を通じて、その作品への理解や解釈っていうのは変わるものですか?
はい。それは師匠がいる時といなくなった後では随分変わりますよ。
師匠、
師匠の親がいなくなれば違う。師匠の親が亡くなってから、川上をいかにしようかっていうようなことは、僕の発想の中から出てきますね。父からちょっと習ってないことをやってみたいなとか、これはやっちゃいけないなとか。この映画の中でも1か所だけ、今まで全然やったことのない型を1つだけやりました。自分の初めての動きとして。それは地蔵にお籠もりをしてて、そこへ仏さんが出てきて、夢の中で「こうこうこうこう、こういうことを言った」と。その中には女房と別れろという話も入ってくるわけですが、その時夢中に出てきた仏さんが、ミスを上げて、自分の体を3度まで撫でさせられてと。
今やった型、僕が自分で作ったんです。それまでは言葉だけなんだ。
はい。
言葉はあったけれども、その所作はなかった。
なかったんです。はい。そういうこととかですね。目が開く時に「南無地蔵大菩薩、南無地蔵大菩薩」って言って何度も何度も言うんですけれども、その数が古い本を見ると、父に習ったのよりも4つぐらい多くセリフが書いてあるんです。「南無地蔵大菩薩、南無地蔵大菩薩、南無地蔵大菩薩」って言って、そう言ってるうちに目が開いていく。
はい。
ああ、なるほどな、言葉をこれだけ言ってるから、言ってる間に目が開いていくという、その感じっていうか、その瞬間というのは実にいいなあと思って。そうじゃなくて、「南無地蔵大菩薩、南無地蔵大菩薩」と言ってふっと見たら開いてるんじゃつまらないですよね。開いてるか開いてないかわかんないけど、「南無地蔵大菩薩、南無地蔵大菩薩、南無地蔵大菩薩……おや、目が開いた」っていう風な瞬間の思いがね、この映画の中でもございます。ですからそこも父から習ったのとは多少ですけども、あんまり違えるようなことはしないつもりなんですが、多少違えたところですね。
で、お父さんがいらした時は怖くて変えられなかった。
もちろん、もちろんそんなことはできませんです。ただまあね、父がいた時からですね、叔父さん、父の弟が4つほど下にいたんです。で、その叔父さんと川上をやったことが1、2度ありまして、僕が女の役をやりました。すると叔父さんは、女が道で、男と別れろということを仏さんが言っているということを聞いて泣くシーンがあるんですね。で、それを、この舞台の上で僕の叔父さんはこうやって泣かれるんですよ。こういう風にしてね。で、父は立ったままこうやって泣いてた。
ああ。
じゃあどうしてかと。道路だと、道だと、道で膝なんかついて泣くことはないだろうと。立ったまま泣く方がいいだろうというのが、まず父の考えじゃないかしらと。ただし古い台本には膝をついて泣くって書いてあるんです。だからやっぱり父にしても叔父にしても、こうやろうということは、その師匠からだけじゃなくて、時には自分の思いでこうやりたいっていうことがたくさんあったんじゃないかと思ってますがね。
じゃ、萬斎さんの芝居も変わっていくのかもしれないですね。
いや、萬斎になったらもっともっとそれが激しくなってんじゃないですかね。
実しすぎですからね。
ええ。
でも川上については、今回その『六つの顔』って映画で、その演じられたものを映像にされたじゃないですか。
はい。はい。
映像でご覧になって、新しい発見はあるものですか?
はい。それはございますですね。例えば、まあ新しい発見っていうのではないんですが、例えば皆さんご覧になって、お芝居で目の見えない人が出てくるような役だったらば、大抵目の見えない人はこうやって歩いてますよね。
はい。
ところがこの映画の狂言ではこうやってますね。
はい。
こうとこうの違い、ものすごく違うわけなんですが、これ、杖をつきながら手をこう差し出して、物とぶつかることを避けてる。
ええ。
こういう動きをしているわけなので、その辺が、これは能とも共通なんですね。能で目の見えない人がいくつか出てきますの。そういう時にもやはり前傾で、前に体がかかって、それは手は上げる上げないは別として、杖をこうつくということは共通なわけなので、いわゆる歌舞伎になってからの目の見えない方の表現と、
室町期の狂言や能の表現と違うんだなと常々僕は思ってます。それに加えて、これ映画にすると、舞台とか劇場では見えない見え方がしますよね。
あ、そう。
というのは、カメラで撮ってるので、ある意味第3の目みたいな部分があるじゃないですか。なので、あの作品でもちょっと中空から少し見下ろすような感じで、
万作さんが撮られるシーンが多いですよね。そうね、空から見るシーンで映画に入っているのが、釣狐の狐がこうやっているところなんです。
あれは、今銀座に観世能楽堂っていうのがありますが、それがまだ大曲というところ、この近くにあった時には2階があったんです。で、2階からカメラマンが撮ったもんだから、非常に面白い構図に、餌と狙ってる狐とがうまくこう撮れている。それを私は今回思いつきまして、そういうビデオがNHKにあるということで探していただいて、今回のために使わしてもらったんですよ。
ああ。
それは見事に、上からのカメラだし、それからもう1つ、正面がこっちだとすると、お堂に座っていて「南無地蔵大菩薩」って言って拝んでいる人間を反対側から撮ってるところがあるんですね。おやと思って、私はなるほどなと思って、あれも面白いシーンだなと思いました。
その後ろ姿って、ご自身では見れないものの代表じゃないですか。
そう、そう、そうですもんね。
なので、こう天からの視点とか、影から覗き見てるような視点みたいなものが入ってるのが映画の面白さだなと思いまして。
そうです。
昔、世阿弥が確か離見の見。
離見の見ってね。
なので、その離れて別の第3の目から見るっていうことを、ある意味やろうとしているのがあの映画なのかなっていう気持ち。
ああ、そうやって見ていただけると世阿弥さんも喜ぶと思います。
でもそうやって狂言は歴史があるわけですよね。そうしてああいう映像作品にもできるようになったわけじゃないですか。
そうですね。
ここから600年経った未来の狂言は何をやってるんですか?はあ。未来の狂言は。何やったって狂言っていう感じの、例えば『ゴドーを待ちながら』というね。
ベケットの戯曲。
ベケットのね。それをやったのは、これをくれた僕の親友ですけれども、その時僕は「そんなものはできませんよ」と言って降りちゃったんです。
はい。
で、僕の兄と、その寿夫なる人と、観世寿夫の弟の静夫と、そういう方々でなさったんだけども、まあ、そういう前衛劇を狂言の人間がやれると思いませんでした。僕はその前に、岩田豊雄さん、いわゆる獅子文六っていう方に、『ゴドーを待ちながら』って面白いものがあるからやってみたらどうだいって言われたことがありましたんですが、いやいや、これは狂言師には無理だよと僕は思ったです。だから何でもかんでも僕はやってきたわけではなくて、やっぱりその酒をつけながらやってきたなっていう気がしますんですけどもね。
でも多分万作さんは、生涯を通じていろんな演技作品が映像になった、ある意味最初の世代ですよね。
あ、そうですね。へえ。
で、それはある意味永遠に残るじゃないですか。
ああ、はい。
さらにはそれをデータとして学習した万作さんのAIアバターみたいなのが、600年後も演じてるんじゃないかと。それはいいことなのか悪いことなのか分からないですが。
残るということはね、残すという精神はいいと思うんだけども、残っちゃうのとはちょっと違うんじゃないかなって気がするんですけどもね。
残すと同時に残っちゃう最初の原子なのかもしれない。
残っちゃう。まあ、ちょっとその辺は、残っちゃうんだったらば、僕が見てきたもうちょっと先輩の誰のなんとかが残ってるといいなと思ったりいたします。
例えば『木六駄』は父がやったんですが、同じ『木六駄』を大蔵流という別な流派の、父よりも7つ8つ上の善竹弥五郎という名人がなさった舞台を僕は見てますが、まあ、その素晴らしさと言ったらば、何が素晴らしいと言いましてもね、大雪の中を12頭の牛を追って、太郎が奥丹波から京都へ牛を追っていくわけですね。その牛の上には薪が乗っかっている。して牛を追う太郎はお酒を1つ持って、鞭持って「ちょう、ちょう」と言って、何もない舞台の上に12頭を表現しようという、それこそ先ほども出たように1つの贅沢さだと思うんですが、
その方の声は未だに僕は覚えてますけども、「させい、ほうせい」と言って牛を追っていくんですね。そのいかにも寒い冬の中に、雪の中でその「させい、ほうせい」という牛追いの歌の厳しさが出てきましてね。ああ、素晴らしい演技だなと思って、そのピーンとした声をなんとか僕も真似たいなと思ったことがありましたけども、例えばその「させい、ほうせい」と、まあこんなような大きな声を出して、「ちょう、ちょう」と言って牛が崖から落ちそうになるのを止めたり、苦労して苦労して奥丹波から京都まで行くわけですよね。お歳暮を届けるために。
で、結局は自分が峠の茶屋でお酒が飲みたくなって、ところが茶屋の方もお酒を切らしているから、「じゃあお前が持ってるのを飲もうよ」ということになっちゃって、お土産に持ってかなくちゃいけないお酒を飲んじゃってベロベロになって、都の伯父さんのところへお使いに行くわけですよね。
それはもう今、万作さんの記憶の中だけにあるんですね。
はい。そうです。その大先生も、その牛を追う時の声のことは、なんか息子さんや孫たちにもおっしゃっているし、それは今僕がやろうとしている音の響きっていうのは、もうその先輩の真似に違いないですね。
はい。
でもその先輩たちの、いわば演技は失われてしまったわけですが、万作さんは残ってしまうので、
そう、そう、そう。
子供、孫、ひ孫ってこう世代が続いていくじゃないですか。その先を辿っていくと、9世代先っていうのがあって、
はあ。
それが「うんそん」って言うらしいんですよね。雲に孫って書いて。
雲に?
雲っていう漢字ありますよね。
はい。
雲に孫と書いて「うんそん」と読むのは9世代先で、それが1番先の言葉らしいんです。
ああ、そうですか。
300年後ぐらい先らしい。でも思ったのは、万作さんは残られるので、野村家の雲孫の方と共演したりできるんだろうなと思った次第です。
うん。いやいや。
でも本当に最後の最後に1個だけ質問いいですか?
はい。
最後の晩餐ってよくありますよね。人生最後の日のご飯は何がいいかっていう質問はよくあると思うんですよ。でもそうではなくて、最後の狂言っていうのがあるとすると、何をやられたいかな?
ああ、ね。それは……例えば『釣狐』という曲があります。で、それを私はかなりの数やりましたが、後半の60代過ぎてからは着物と袴でやったんです。
衣装なしで。
はい。つまり衣装があるということはそれだけ着飾っているわけですから、衣装がない方がその人の芸というものが滲み出てくるはずだと思っているんです。なので、ですから、最後の晩餐には、まあお酒が欲しいけれど、着物と袴があれば、釣狐なら袴でできるなということ。
でも最後は袴だけで、お酒を一口飲まれてるだけで。
そう、そう、そう。
もうそれが最高の芝居なの。なんだか自分の生活が見えちゃったような気がしますけどね。
本当に貴重な時間をありがとうございました。
いやいや、ありがとうございました。
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