成田悠輔が学生記者に語った「本業のなさ」と「お金は過去の記憶」という見方

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概要

経済学者の成田悠輔が、中高生新聞の現役高校生・大学生記者から逆に取材を受けた回である。高校時代の過ごし方や大学に進んだきっかけといった個人的な話から始まり、話題は「本業とは何か」、さらに「お金とは何か」へと移っていく。成田は自分の経歴を、目標に向かって進んだ結果ではなく、ぎりぎりのところで差し出された手をつかんできた繰り返しだと語る。そのうえで、お金や本業のような単一の物差しで人を比べる社会は、データの蓄積によって変わっていくのではないかという見通しを示した。

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学生が全部つくる「中高生新聞」

冒頭で学生側が自分たちの新聞を紹介する。中高生新聞のコンセプトは「学校では学べないが、社会に出たら必要なこと」で、企画から取材、記事作成まですべて学生インターンが担当している。発行は年2回、4月と10月。高校生新聞、中高生新聞のほかに小学生新聞もあり、海外進出を目指して最近は英語版もつくっているという。インターンは大体50人前後で、さまざまな大学の学生が参加している。

表紙には芸能人や著名人が登場するが、学生によれば、会いたい人に学生が直接電話をかけて取材を依頼しているという。成田は「得体の知れない新聞」だと冗談を言いながら、その仕組みに驚いていた。インターンを始めた理由を聞かれた学生は、学生のうちに起業したいと考えており、経営者や芸能人の話を直接聞ける場として選んだと答えている。

創業社長とサラリーマン社長

これまでの取材で印象に残った人を聞かれた学生は、名前は伏せたうえで、大企業のサラリーマン社長と創業社長を比べたとき、考え方や思いの強さがまったく違ったと話した。個人的には創業社長の方に惹かれたという。

成田はタイプが違うと受け止めつつ、組織の中で振り落とされずにじりじり登っていった人には特有の生命力があると指摘した。成田自身は、運が良ければ創業社長にはなれたかもしれないという感覚があるが、大企業のサラリーマン社長には「100回生まれ変わってもなれそうにない」と言う。失敗しない能力や、人から恨まれない能力は大事で、そこは非常にすごいと評価している。この見方は後半の「ほどほど」の議論につながっていく。

別の学生は、自身が音楽を専門にしている立場から、入って2か月目にミュージカル俳優を取材したときのことを挙げた。「ステージに立つことは当たり前じゃない」という言葉に触れ、自分を見つめ直す機会になったという。

番組の「高齢化問題」と若いゲスト

成田は番組の趣旨も説明した。普段はゲストを招き、夜明け前の居酒屋のようなノリで話す番組だが、成田自身も年を重ね、年長のゲストが続くため、番組が高齢化してきた。そこで若返りを図ることにし、当初は生まれたばかりの赤ちゃんを呼ぼうかとも考えたが、テレビに流せないので「間を取って」若者を招いた、と冗談交じりに語っている。進め方は、学生が用意した質問を起点に、話が膨らんだり逸れたりしたらそれに任せる形になった。

高校時代は「寝ていた」

政治部に所属する高校生が、成田の高校時代に熱中したことを尋ねた。成田の答えは「寝てましたかね」だった。政治に興味がなかっただけでなく、部活もほとんどしていなかった。唯一やっていたのは山登りだが、山岳部の部員は3人しかおらず、部活とは言えないようなものだった。ときどき山に行き、1週間ほど山の上をひたすら歩き続けていたという。

それ以外は基本的に寝ていて、たまに起きると図書館や本屋の本や漫画を読み、映画を見て、音楽を聴く。成田はこれを「典型的なダメニートみたいな生活」と表現した。受験勉強はまったくせず、授業にもあまり出ず、街中や図書館、校舎裏の生徒がタバコを吸いに集まる場所などに出入りしていた。将来のことも夢も、成し遂げたい目標もなかった。成田は、ここで語れるようなことは何も考えていなかったし、考えていないことにさえ気づいていなかったと振り返り、見習えるようなことは何ひとつなかったとまとめている。

父親の失踪と、「逃避」としての大学進学

では、なぜ大学を受験したのか。成田はきっかけははっきりあったと言う。高校卒業時にはほぼ受験しておらず、学校の先生にセンター試験(現在の共通テスト)だけは受けておくよう言われて受けた。しかし何も勉強していなかったので、ランダムに答えた方が点数が高いのではというほどひどい結果で、どこにも出願できず、大学受験はそこで終わった。

その後ふらふらしていた時期に、父親が失踪した。住宅ローンは残り、家族の状況はぐちゃぐちゃになり、母親は心を病んだような状態になって泣き始めた。家がこんな状態なのに、長男は何をしたいのか分からないままベッドで寝ているだけだと責められた記憶がある、と成田は語る。そこで言い訳をつくらなければいけないと考え、いちばん安易で分かりやすいモラトリアムとして大学進学を選んだのではないかという。深い義務感や使命感があったわけではなく、先延ばしと、目の前の困難からの逃避だった、というのが成田自身の説明である。

駒場での「つまみ食い」と、受動的な生き方

東大に入って駒場キャンパスに通い始めると、少し変化があった。成田によれば、駒場には文系から理系寄りのもの、基礎から応用まであり、真面目な研究者もいれば怪しげな人もたくさんいる、何でもありの場所だった。ぐちゃぐちゃだったからこそ、つまみ食いには向いていたという。

興味の赴くままに授業に顔を出し、数学科のゼミに出てみたかと思えば、電子音楽やアートとテクノロジーを扱う自主ゼミ・自主講義の運営を手伝ったりしていた。成田はこれを「ちょっと社会復帰した」感じだと表現する。ただ、ここでも目標があったわけではなく、逃避のために大学に行ってみたら、ぎりぎり社会との接点が生まれたにすぎないという。

そして、そこから現在まであまり変わっていないと成田は言う。自分から夢や目標を持って築き上げたり突き進んだりする感覚は一貫してなく、まずい状況のぎりぎりで、受動的に安易な救いの手が落ちてくるとそれをつかみ、崖の下に落ちずに済む。それを延々と繰り返してきた、というのが成田自身の自己評価だった。

幸せな時間は「気絶しているとき」

学生時代にいちばん幸せだと感じた時間を聞かれると、成田は「酒飲みすぎで気絶してる時とかじゃないですか」と答えた。意識があるときは気分の浮き沈みが少なく、すごく幸せな瞬間もなければ、ひどく不安で鬱々とすることもあまりない。大体いつも「こんなもんか」と諦めているような感じで、そこから逃れるには意識が飛ぶことしかないと思う、という。

社会で許されるぎりぎりのやり方として、36時間起き続けたあとに一気に酒を飲み、山手線の床で寝る、といった例を挙げた。当時は実際に山手線で倒れて床で寝ていたり、品川駅近くのコインパーキングの床で寝ていて車にひかれそうになったり、財布を盗まれたりといったことがよくあったという。

学生が「面白い人生」と言うと、成田はつまらない人生だからこそ小さく面白がるしかないのだと返した。もっと器の大きい人間なら違法薬物に手を出して逮捕されるミュージシャンになっていたかもしれないが、自分は器が小さいので、普通の人より少し破天荒に見えつつ一線は越えないあたりを行く。情けない人間だ、と自嘲している。

成功者は「一線を越えないぎりぎり」を行く人たち

成田はこの話を、世の中で評価される人一般の話につなげた。新聞でインタビューするような偉い人や活躍している人は、全員「ぎりぎり」の人たちだというのは間違いないのではないか、というのである。

理由として成田は、一線を越えた人たちは犯罪者になるからだと説明する。世の中で褒められる人というのは、よくもあしくもルールの範囲内でやっている人だ。本当に逸脱する人は、歴史を通じて革命家になったり、精神異常者として扱われたり、犯罪者になったりして社会から切り落とされてきた。だから、成功者や憧れの対象になる人は、完全に逸脱しているわけでも完全に無害なわけでもない中間地帯を行っている人たちだ、と成田は考えている。

ここから成田は「ルールを疑え」「リスクを取れ」「新しいことをやれ」といった言説を、話を単純化しすぎていると批判した。リスクを最大化するだけなら、渋谷の夜景が見えるビルから飛び降りればいい。つまりリスクを最大化することは簡単にできてしまう。「リスクを取れ」と言うとき、実際に問われているのはどの程度のリスクを取るかという中間の問題、さじ加減の問題だ、というのが成田の主張である。適度に臆病になり、適度に危険を冒す。その「ほどほど」をどこに設定するかが才能なのではないか、と最近は思うという。

この観点から、成田は冒頭の大企業のサラリーマン社長を改めて評価した。彼らはほどほどを最もよく知る、そのゲームを何十年もプレイしてきた達人だという。官僚も同様で、大組織で下から出世する人は、面白いかつまらないかで言えば表面的にはつまらない。しかし彼らは、攻めつつ守るという非常に難しいゲームをひたすら極めている「謎のゲーマー」のような存在だ、と成田は言う。学生は、見る目が変わったかもしれないと応じていた。

「本業」はいくつもある

次に学生は、テレビでよく見かけるがタレントでもない成田の「本業」は何かと尋ねた。成田の答えは「本業があんまりない」だった。

成田が挙げた活動は多岐にわたる。大学で授業や講義をしていること。論文を書いたりソフトウェアをつくったりといった研究。大学生や研究者の卵と一緒に仕事をし、彼らが大学院に進んだり研究者になったりするのを助ける、指導や教育の延長のような仕事。会社のようなものも運営しており、企業との共同研究や、自治体がデータを使って子どもたちを助けるようなプロジェクトに、事業を受託する企業として参加することもある。自治体がどの方向に進むべきかを議論する委員会のような場に入ることもあれば、ファッション誌で文章を書いたり素人モデルとして登場したりもする。さらにスタートアップやファッションブランドへの投資のようなこともしている。

どれが本業かと言われると、もはやよく分からない。非常にまずいと思っていた時期もあったが、最近はそれでいいかと開き直るようになってきた、と成田は話した。

本業のない状態は生きにくい、それでも

成田は、戦略的・合理的にはきちんと本業を持つべきだと認める。自分にとっていちばん大事な業界や組織、どういう人に評価されたら成功かをはっきり定義し、そのゲームを戦い、それ以外は趣味にする。それがいちばん分かりやすく、認められやすく、ゲームのルールが成立している状態だという。学生にとっての受験がその例で、何をすれば成功し、何をすれば褒められるかが決まっている。ルールを一つ握っている方が生きやすい、と成田は言う。

逆に、学校の仕組みも、受験も、親や家族も、世の中に存在する偉そうなルールや組織はどれもどこか意味不明に見えるからといって、全部切り落としてしまったらどうなるか。家族も学校も偏差値も忘れて、自分のためだけに生きてください、音楽なら業界での評価を忘れて好きにやってください、と言われたら、生きるのはものすごく難しいはずだと成田は言う。本業がない状態はそれに近い。何をしているのかよく分からず、それがすごいのかすごくないのか、偉いのか偉くないのかも分からない。

それでも成田は、最近は「そうあるべきなんじゃないか」と思っているという。分かりやすい基準で評価しにくくなり、勝ち負けが決めにくくなり、良いことをしているのか悪いことをしているのかも分からなくなる。そうやって画一的な尺度をできるだけ人生や社会から取り除いていくことが大事なのではないか、と考え、意識的にその状態をつくったらどうなるかを実験しているのだという。ただし成田は、多分そのまま海の藻屑と消えると思うし、それでいいのではないか、とも付け加えている。

学生が、それは成田だからできることなのか、一般の人も目指すべきなのかと尋ねると、成田は「目指すべきかは分からないですが、目指すことはできるんじゃないでしょうか」と答えた。そして分かりやすい例として、学歴や評価と同じくらい重要な尺度とされるお金を取り上げた。

生存に必要なお金は安くなっている

お金は生きるうえで大事かと問われた学生は、なくても生きていけるとは思うが、家族を守るため、将来子どもが学校や習い事をしたいと言ったときにそれをかなえられるだけのお金は持っていたいと答えた。

成田はこれに対し、生きるための最低限のお金があったらどうかと問い返す。日本には生活保護のような仕組みがあり、生存には十分なくらいのお金がもらえる。ベーシックインカムのような仕組みを考えることもできる。日本のような先進国で、生物として生存するのに必要なエネルギーとカロリーを手に入れるためのお金は、実はそれほど高くない。成田によれば、過去100年ほどで先進国の平均的な働く人が最低限のエネルギーとカロリーを得るのに必要な値段を測ると、信じられないほど下がっており、何分の一にもなっている。このトレンドが続けば、生存に必要なお金はどんどん少なくなっていくだろうと成田は見ている。

そのうえで成田が問うたのは、生きていける分があったとして、その先お金はどれくらい大事なのか、ということだった。1000億円を持つようなビリオネアは一生かけても使い切れないのに、投資しなければ、新しい事業を始めなければ、相続対策をしなければと、猛烈に働き続けている。あれは何なのか、と。

学生は、お金を通じて周りとの関係や見られ方、名誉や権力といった、お金の先にあるものを目指しているのではないかと答えた。成田は、それならその欲しいものを直接目指した方が素直ではないかと返す。学生が、そうしたアプローチの仕組みや共通認識が今はないのではと言うと、成田は、人間を測ったり記録したりする物差しがあまりにも少なく貧しいので、結果としてお金に頼るしかなくなっているだけではないか、と応じた。

お金は「過去の記憶」である

ここで成田は、お金とはそもそも何なのかを問う。手元の千円札や小判のようなものを示しながら、お金は物理的には紙に印刷されたものでしかなく、スマホのキャッシュレス残高なら光っている数字にすぎないと言う。

成田が提示した一つの考え方は、お金は「過去の記憶」だというものである。自分がこれを持っているのは、誰かがくれたからだ。なぜくれたかといえば、自分が過去に何かをしたり作ったりして、それを欲しいと思う人がいたからだろう。つまりお金は、自分が過去に何かをしたということを、非常に粗く表現した情報である。具体的に誰に何をしたのかは分からないが、何かをしたに違いないという痕跡が残っている。その意味で、お金は過去に何が起きたかをみんなで記憶するための装置なのではないか、と成田は考える。

お金持ちが偉いように思われ、みんながお金持ちになろうとするのも、お金が過去の痕跡だからだという。たくさん持っている人は過去に価値あることをしてきたに違いない、とみんながざっくり思う。だから、とりあえずお金を求めておけば尊敬や幸福が手に入るような気がしている。ただ成田は、長い目で見るとそれは本当に必要なのか、怪しいのではないかと言う。

『22世紀の資本主義』と、お金が消える未来

成田は、近く『22世紀の資本主義』という本を出す予定だと話した。未来の経済を想像してみる本で、そのテーマは、今話したようなお金はいずれ消えてなくなるのではないか、というものだという。

成田の説明はこうだ。過去を粗く切り取ったお金が重要だったのは、他人がどんな人間かを知ることが難しかったからである。たまたま知り合った他人が信用できるか、どれくらい良い仕事をするのかは分からない。だから代わりに、その人がお金を払えるかを見る。払えるなら過去に何か良いことをしてきたのだろうから、信頼してもいいと考える。要するに、それぞれの人が過去に何をしてきたかについての情報があまりにも少なかったから、お金に頼るしかなかった。

しかし最近は膨大なデータが溜まり始めている、と成田は言う。スマホやOSを提供する企業は、どこに行ったか、何をしたか、何を話したかまで、信じられないようなデータを持っている。今ここでの会話もマイクで拾われているかもしれない。人の属性や過去の行動・言動のデータがどんどん豊かになり、そのデータに誰か、たとえばテーブルの上の招き猫がアクセスできるとすれば、お金はいらなくなるのではないか。招き猫がその人の細かなデータを見て、次にアイスコーヒーを飲んでいいか、会員制のレストランやバーに入っていいかを直接決めれば、お金を使う必要はない、というのが成田の例えである。

成田は、実際に家族の中ではそうやって物事が進んでいると指摘する。家族にお願いごとをするのにいちいちお金は渡さない。経済活動の中心とされる会社の中でも、同僚に何かを頼むのにお金を払う人はいない。それは、それぞれの人が何をしていてどんな人かをみんなが分かっているからだ。これからは社会全体が、あらゆる人が家族のメンバーのようにどんな人か分かるようにデータが蓄積されていくかもしれない。そうなれば、その人についてのデータそのものが、次に何ができ、何が許されるかを決めるのに使われ、お金はなくてもよくなるのではないか、と成田は述べた。

世の中はすでに少しずつそうなっている、と成田は見ている。昔は人を測る物差しがお金か身長くらいしかなかったが、今はSNSのフォロワー数や影響力もあるし、本当の親友が何人いるかも徐々に大事になってきている。「評価経済」と以前から言われているのは、さまざまな評価の軸が記録しやすく、見えやすくなったからだという。尊敬や愛着、頼れる親友や家族がいるかといったさまざまな軸で人を記述できるようになれば、金持ちか貧乏か、偉いか偉くないかといった比較をする必要がなくなり、人はそれぞれ多様な側面を持っているという当たり前の状態に戻れるのではないか、と成田は語った。

比べにくい世界は「本業のない世界」に近い

成田はここで、お金の話を冒頭の本業の話に結びつけた。経済や資本主義は、高い低い、大きい小さいといった比較の構造が弱まり、比べにくいものへ移っていくと成田は考えている。人それぞれの個性をそのままデータとして記述し、そこから次に何が起こるかが決まっていく世界である。そして、その比べにくい世界は「本業がない世界」に近いのではないか、という。

私たちはよく、本業は何か、本業でどれだけ評価されているか、その世界で偉いのか、と聞きがちだ。成田によれば、それは、どれだけお金を持っているのか、金持ちなのか貧乏なのかと聞くのと頭の構造がとても似ている。私たちの頭がポンコツで、持っている情報があまりにも貧しいから、その中で相手を理解しようとすると単純なものに還元するのがいちばん分かりやすい。そのために年収や資産や本業での評価を尋ねるよう「洗脳されている」のだと成田は言う。

逆に、その人という存在全体のデータが溜まり、複雑で捉えどころがなく他人と比較できないデータをそのまま処理できる存在が生まれれば、お金や本業のような尺度はあまりいらなくなるのではないか。社会のあらゆる人について、どちらが上か下かを判断しなくても済む社会にならないか。成田はそうしたことを最近考えており、それを「宗教なのか経済論なのか分からないような本」として出す予定だと述べた。

動画はこのあと、休みはあるのか、何を食べているのか、何に投資するかといった質問に移りかけたところで終わっており、それらへの成田の答えは収録されていない。