成田悠輔が学生記者に語った「本業のなさ」と「お金は過去の記憶」という見方
PLAYERS公式経済学者の成田悠輔が、中高生新聞の現役高校生・大学生記者から逆に取材を受けた回である。高校時代の過ごし方や大学に進んだきっかけといった個人的な話から始まり、話題は「本業とは何か」、さらに「お金とは何か」へと移っていく。成田は自分の経歴を、目標に向かって進んだ結果ではなく、ぎりぎりのところで差し出された手をつかんできた繰り返しだと語る。そのうえで、お金や本業のような単一の物差しで人を比べる社会は、データの蓄積によって変わっていくのではないかという見通しを示した。
学生が全部つくる「中高生新聞」
冒頭で学生側が自分たちの新聞を紹介する。中高生新聞のコンセプトは「学校では学べないが、社会に出たら必要なこと」で、企画から取材、記事作成まですべて学生インターンが担当している。発行は年2回、4月と10月。高校生新聞、中高生新聞のほかに小学生新聞もあり、海外進出を目指して最近は英語版もつくっているという。インターンは大体50人前後で、さまざまな大学の学生が参加している。
表紙には芸能人や著名人が登場するが、学生によれば、会いたい人に学生が直接電話をかけて取材を依頼しているという。成田は「得体の知れない新聞」だと冗談を言いながら、その仕組みに驚いていた。インターンを始めた理由を聞かれた学生は、学生のうちに起業したいと考えており、経営者や芸能人の話を直接聞ける場として選んだと答えている。
創業社長とサラリーマン社長
これまでの取材で印象に残った人を聞かれた学生は、名前は伏せたうえで、大企業のサラリーマン社長と創業社長を比べたとき、考え方や思いの強さがまったく違ったと話した。個人的には創業社長の方に惹かれたという。
成田はタイプが違うと受け止めつつ、組織の中で振り落とされずにじりじり登っていった人には特有の生命力があると指摘した。成田自身は、運が良ければ創業社長にはなれたかもしれないという感覚があるが、大企業のサラリーマン社長には「100回生まれ変わってもなれそうにない」と言う。失敗しない能力や、人から恨まれない能力は大事で、そこは非常にすごいと評価している。この見方は後半の「ほどほど」の議論につながっていく。
別の学生は、自身が音楽を専門にしている立場から、入って2か月目にミュージカル俳優を取材したときのことを挙げた。「ステージに立つことは当たり前じゃない」という言葉に触れ、自分を見つめ直す機会になったという。
番組の「高齢化問題」と若いゲスト
成田は番組の趣旨も説明した。普段はゲストを招き、夜明け前の居酒屋のようなノリで話す番組だが、成田自身も年を重ね、年長のゲストが続くため、番組が高齢化してきた。そこで若返りを図ることにし、当初は生まれたばかりの赤ちゃんを呼ぼうかとも考えたが、テレビに流せないので「間を取って」若者を招いた、と冗談交じりに語っている。進め方は、学生が用意した質問を起点に、話が膨らんだり逸れたりしたらそれに任せる形になった。
高校時代は「寝ていた」
政治部に所属する高校生が、成田の高校時代に熱中したことを尋ねた。成田の答えは「寝てましたかね」だった。政治に興味がなかっただけでなく、部活もほとんどしていなかった。唯一やっていたのは山登りだが、山岳部の部員は3人しかおらず、部活とは言えないようなものだった。ときどき山に行き、1週間ほど山の上をひたすら歩き続けていたという。
それ以外は基本的に寝ていて、たまに起きると図書館や本屋の本や漫画を読み、映画を見て、音楽を聴く。成田はこれを「典型的なダメニートみたいな生活」と表現した。受験勉強はまったくせず、授業にもあまり出ず、街中や図書館、校舎裏の生徒がタバコを吸いに集まる場所などに出入りしていた。将来のことも夢も、成し遂げたい目標もなかった。成田は、ここで語れるようなことは何も考えていなかったし、考えていないことにさえ気づいていなかったと振り返り、見習えるようなことは何ひとつなかったとまとめている。
父親の失踪と、「逃避」としての大学進学
では、なぜ大学を受験したのか。成田はきっかけははっきりあったと言う。高校卒業時にはほぼ受験しておらず、学校の先生にセンター試験(現在の共通テスト)だけは受けておくよう言われて受けた。しかし何も勉強していなかったので、ランダムに答えた方が点数が高いのではというほどひどい結果で、どこにも出願できず、大学受験はそこで終わった。
その後ふらふらしていた時期に、父親が失踪した。住宅ローンは残り、家族の状況はぐちゃぐちゃになり、母親は心を病んだような状態になって泣き始めた。家がこんな状態なのに、長男は何をしたいのか分からないままベッドで寝ているだけだと責められた記憶がある、と成田は語る。そこで言い訳をつくらなければいけないと考え、いちばん安易で分かりやすいモラトリアムとして大学進学を選んだのではないかという。深い義務感や使命感があったわけではなく、先延ばしと、目の前の困難からの逃避だった、というのが成田自身の説明である。
駒場での「つまみ食い」と、受動的な生き方
東大に入って駒場キャンパスに通い始めると、少し変化があった。成田によれば、駒場には文系から理系寄りのもの、基礎から応用まであり、真面目な研究者もいれば怪しげな人もたくさんいる、何でもありの場所だった。ぐちゃぐちゃだったからこそ、つまみ食いには向いていたという。
興味の赴くままに授業に顔を出し、数学科のゼミに出てみたかと思えば、電子音楽やアートとテクノロジーを扱う自主ゼミ・自主講義の運営を手伝ったりしていた。成田はこれを「ちょっと社会復帰した」感じだと表現する。ただ、ここでも目標があったわけではなく、逃避のために大学に行ってみたら、ぎりぎり社会との接点が生まれたにすぎないという。
そして、そこから現在まであまり変わっていないと成田は言う。自分から夢や目標を持って築き上げたり突き進んだりする感覚は一貫してなく、まずい状況のぎりぎりで、受動的に安易な救いの手が落ちてくるとそれをつかみ、崖の下に落ちずに済む。それを延々と繰り返してきた、というのが成田自身の自己評価だった。
幸せな時間は「気絶しているとき」
学生時代にいちばん幸せだと感じた時間を聞かれると、成田は「酒飲みすぎで気絶してる時とかじゃないですか」と答えた。意識があるときは気分の浮き沈みが少なく、すごく幸せな瞬間もなければ、ひどく不安で鬱々とすることもあまりない。大体いつも「こんなもんか」と諦めているような感じで、そこから逃れるには意識が飛ぶことしかないと思う、という。
社会で許されるぎりぎりのやり方として、36時間起き続けたあとに一気に酒を飲み、山手線の床で寝る、といった例を挙げた。当時は実際に山手線で倒れて床で寝ていたり、品川駅近くのコインパーキングの床で寝ていて車にひかれそうになったり、財布を盗まれたりといったことがよくあったという。
学生が「面白い人生」と言うと、成田はつまらない人生だからこそ小さく面白がるしかないのだと返した。もっと器の大きい人間なら違法薬物に手を出して逮捕されるミュージシャンになっていたかもしれないが、自分は器が小さいので、普通の人より少し破天荒に見えつつ一線は越えないあたりを行く。情けない人間だ、と自嘲している。
成功者は「一線を越えないぎりぎり」を行く人たち
成田はこの話を、世の中で評価される人一般の話につなげた。新聞でインタビューするような偉い人や活躍している人は、全員「ぎりぎり」の人たちだというのは間違いないのではないか、というのである。
理由として成田は、一線を越えた人たちは犯罪者になるからだと説明する。世の中で褒められる人というのは、よくもあしくもルールの範囲内でやっている人だ。本当に逸脱する人は、歴史を通じて革命家になったり、精神異常者として扱われたり、犯罪者になったりして社会から切り落とされてきた。だから、成功者や憧れの対象になる人は、完全に逸脱しているわけでも完全に無害なわけでもない中間地帯を行っている人たちだ、と成田は考えている。
ここから成田は「ルールを疑え」「リスクを取れ」「新しいことをやれ」といった言説を、話を単純化しすぎていると批判した。リスクを最大化するだけなら、渋谷の夜景が見えるビルから飛び降りればいい。つまりリスクを最大化することは簡単にできてしまう。「リスクを取れ」と言うとき、実際に問われているのはどの程度のリスクを取るかという中間の問題、さじ加減の問題だ、というのが成田の主張である。適度に臆病になり、適度に危険を冒す。その「ほどほど」をどこに設定するかが才能なのではないか、と最近は思うという。
この観点から、成田は冒頭の大企業のサラリーマン社長を改めて評価した。彼らはほどほどを最もよく知る、そのゲームを何十年もプレイしてきた達人だという。官僚も同様で、大組織で下から出世する人は、面白いかつまらないかで言えば表面的にはつまらない。しかし彼らは、攻めつつ守るという非常に難しいゲームをひたすら極めている「謎のゲーマー」のような存在だ、と成田は言う。学生は、見る目が変わったかもしれないと応じていた。
「本業」はいくつもある
次に学生は、テレビでよく見かけるがタレントでもない成田の「本業」は何かと尋ねた。成田の答えは「本業があんまりない」だった。
成田が挙げた活動は多岐にわたる。大学で授業や講義をしていること。論文を書いたりソフトウェアをつくったりといった研究。大学生や研究者の卵と一緒に仕事をし、彼らが大学院に進んだり研究者になったりするのを助ける、指導や教育の延長のような仕事。会社のようなものも運営しており、企業との共同研究や、自治体がデータを使って子どもたちを助けるようなプロジェクトに、事業を受託する企業として参加することもある。自治体がどの方向に進むべきかを議論する委員会のような場に入ることもあれば、ファッション誌で文章を書いたり素人モデルとして登場したりもする。さらにスタートアップやファッションブランドへの投資のようなこともしている。
どれが本業かと言われると、もはやよく分からない。非常にまずいと思っていた時期もあったが、最近はそれでいいかと開き直るようになってきた、と成田は話した。
本業のない状態は生きにくい、それでも
成田は、戦略的・合理的にはきちんと本業を持つべきだと認める。自分にとっていちばん大事な業界や組織、どういう人に評価されたら成功かをはっきり定義し、そのゲームを戦い、それ以外は趣味にする。それがいちばん分かりやすく、認められやすく、ゲームのルールが成立している状態だという。学生にとっての受験がその例で、何をすれば成功し、何をすれば褒められるかが決まっている。ルールを一つ握っている方が生きやすい、と成田は言う。
逆に、学校の仕組みも、受験も、親や家族も、世の中に存在する偉そうなルールや組織はどれもどこか意味不明に見えるからといって、全部切り落としてしまったらどうなるか。家族も学校も偏差値も忘れて、自分のためだけに生きてください、音楽なら業界での評価を忘れて好きにやってください、と言われたら、生きるのはものすごく難しいはずだと成田は言う。本業がない状態はそれに近い。何をしているのかよく分からず、それがすごいのかすごくないのか、偉いのか偉くないのかも分からない。
それでも成田は、最近は「そうあるべきなんじゃないか」と思っているという。分かりやすい基準で評価しにくくなり、勝ち負けが決めにくくなり、良いことをしているのか悪いことをしているのかも分からなくなる。そうやって画一的な尺度をできるだけ人生や社会から取り除いていくことが大事なのではないか、と考え、意識的にその状態をつくったらどうなるかを実験しているのだという。ただし成田は、多分そのまま海の藻屑と消えると思うし、それでいいのではないか、とも付け加えている。
学生が、それは成田だからできることなのか、一般の人も目指すべきなのかと尋ねると、成田は「目指すべきかは分からないですが、目指すことはできるんじゃないでしょうか」と答えた。そして分かりやすい例として、学歴や評価と同じくらい重要な尺度とされるお金を取り上げた。
生存に必要なお金は安くなっている
お金は生きるうえで大事かと問われた学生は、なくても生きていけるとは思うが、家族を守るため、将来子どもが学校や習い事をしたいと言ったときにそれをかなえられるだけのお金は持っていたいと答えた。
成田はこれに対し、生きるための最低限のお金があったらどうかと問い返す。日本には生活保護のような仕組みがあり、生存には十分なくらいのお金がもらえる。ベーシックインカムのような仕組みを考えることもできる。日本のような先進国で、生物として生存するのに必要なエネルギーとカロリーを手に入れるためのお金は、実はそれほど高くない。成田によれば、過去100年ほどで先進国の平均的な働く人が最低限のエネルギーとカロリーを得るのに必要な値段を測ると、信じられないほど下がっており、何分の一にもなっている。このトレンドが続けば、生存に必要なお金はどんどん少なくなっていくだろうと成田は見ている。
そのうえで成田が問うたのは、生きていける分があったとして、その先お金はどれくらい大事なのか、ということだった。1000億円を持つようなビリオネアは一生かけても使い切れないのに、投資しなければ、新しい事業を始めなければ、相続対策をしなければと、猛烈に働き続けている。あれは何なのか、と。
学生は、お金を通じて周りとの関係や見られ方、名誉や権力といった、お金の先にあるものを目指しているのではないかと答えた。成田は、それならその欲しいものを直接目指した方が素直ではないかと返す。学生が、そうしたアプローチの仕組みや共通認識が今はないのではと言うと、成田は、人間を測ったり記録したりする物差しがあまりにも少なく貧しいので、結果としてお金に頼るしかなくなっているだけではないか、と応じた。
お金は「過去の記憶」である
ここで成田は、お金とはそもそも何なのかを問う。手元の千円札や小判のようなものを示しながら、お金は物理的には紙に印刷されたものでしかなく、スマホのキャッシュレス残高なら光っている数字にすぎないと言う。
成田が提示した一つの考え方は、お金は「過去の記憶」だというものである。自分がこれを持っているのは、誰かがくれたからだ。なぜくれたかといえば、自分が過去に何かをしたり作ったりして、それを欲しいと思う人がいたからだろう。つまりお金は、自分が過去に何かをしたということを、非常に粗く表現した情報である。具体的に誰に何をしたのかは分からないが、何かをしたに違いないという痕跡が残っている。その意味で、お金は過去に何が起きたかをみんなで記憶するための装置なのではないか、と成田は考える。
お金持ちが偉いように思われ、みんながお金持ちになろうとするのも、お金が過去の痕跡だからだという。たくさん持っている人は過去に価値あることをしてきたに違いない、とみんながざっくり思う。だから、とりあえずお金を求めておけば尊敬や幸福が手に入るような気がしている。ただ成田は、長い目で見るとそれは本当に必要なのか、怪しいのではないかと言う。
『22世紀の資本主義』と、お金が消える未来
成田は、近く『22世紀の資本主義』という本を出す予定だと話した。未来の経済を想像してみる本で、そのテーマは、今話したようなお金はいずれ消えてなくなるのではないか、というものだという。
成田の説明はこうだ。過去を粗く切り取ったお金が重要だったのは、他人がどんな人間かを知ることが難しかったからである。たまたま知り合った他人が信用できるか、どれくらい良い仕事をするのかは分からない。だから代わりに、その人がお金を払えるかを見る。払えるなら過去に何か良いことをしてきたのだろうから、信頼してもいいと考える。要するに、それぞれの人が過去に何をしてきたかについての情報があまりにも少なかったから、お金に頼るしかなかった。
しかし最近は膨大なデータが溜まり始めている、と成田は言う。スマホやOSを提供する企業は、どこに行ったか、何をしたか、何を話したかまで、信じられないようなデータを持っている。今ここでの会話もマイクで拾われているかもしれない。人の属性や過去の行動・言動のデータがどんどん豊かになり、そのデータに誰か、たとえばテーブルの上の招き猫がアクセスできるとすれば、お金はいらなくなるのではないか。招き猫がその人の細かなデータを見て、次にアイスコーヒーを飲んでいいか、会員制のレストランやバーに入っていいかを直接決めれば、お金を使う必要はない、というのが成田の例えである。
成田は、実際に家族の中ではそうやって物事が進んでいると指摘する。家族にお願いごとをするのにいちいちお金は渡さない。経済活動の中心とされる会社の中でも、同僚に何かを頼むのにお金を払う人はいない。それは、それぞれの人が何をしていてどんな人かをみんなが分かっているからだ。これからは社会全体が、あらゆる人が家族のメンバーのようにどんな人か分かるようにデータが蓄積されていくかもしれない。そうなれば、その人についてのデータそのものが、次に何ができ、何が許されるかを決めるのに使われ、お金はなくてもよくなるのではないか、と成田は述べた。
世の中はすでに少しずつそうなっている、と成田は見ている。昔は人を測る物差しがお金か身長くらいしかなかったが、今はSNSのフォロワー数や影響力もあるし、本当の親友が何人いるかも徐々に大事になってきている。「評価経済」と以前から言われているのは、さまざまな評価の軸が記録しやすく、見えやすくなったからだという。尊敬や愛着、頼れる親友や家族がいるかといったさまざまな軸で人を記述できるようになれば、金持ちか貧乏か、偉いか偉くないかといった比較をする必要がなくなり、人はそれぞれ多様な側面を持っているという当たり前の状態に戻れるのではないか、と成田は語った。
比べにくい世界は「本業のない世界」に近い
成田はここで、お金の話を冒頭の本業の話に結びつけた。経済や資本主義は、高い低い、大きい小さいといった比較の構造が弱まり、比べにくいものへ移っていくと成田は考えている。人それぞれの個性をそのままデータとして記述し、そこから次に何が起こるかが決まっていく世界である。そして、その比べにくい世界は「本業がない世界」に近いのではないか、という。
私たちはよく、本業は何か、本業でどれだけ評価されているか、その世界で偉いのか、と聞きがちだ。成田によれば、それは、どれだけお金を持っているのか、金持ちなのか貧乏なのかと聞くのと頭の構造がとても似ている。私たちの頭がポンコツで、持っている情報があまりにも貧しいから、その中で相手を理解しようとすると単純なものに還元するのがいちばん分かりやすい。そのために年収や資産や本業での評価を尋ねるよう「洗脳されている」のだと成田は言う。
逆に、その人という存在全体のデータが溜まり、複雑で捉えどころがなく他人と比較できないデータをそのまま処理できる存在が生まれれば、お金や本業のような尺度はあまりいらなくなるのではないか。社会のあらゆる人について、どちらが上か下かを判断しなくても済む社会にならないか。成田はそうしたことを最近考えており、それを「宗教なのか経済論なのか分からないような本」として出す予定だと述べた。
動画はこのあと、休みはあるのか、何を食べているのか、何に投資するかといった質問に移りかけたところで終わっており、それらへの成田の答えは収録されていない。
成田さんの高校時代とか学生時代っていうのは。
大学に受験しようって心が変わった瞬間って、何かきっかけとかあったんですか? それははっきりあって。ただ全く何も勉強してなかったんで、高校の時。ただ問題はその頃に僕、父親が失踪して。
単純に素朴な疑問なんですけど、その本業って言われるお仕事は何をされてるんだろうっていうのをちょっとお聞きしたいです。
そもそもお金って何なのかっていう。これは何なのかってことなんですけど。お金って何だ。
今、高校生と大学生ですか? 高校生、高校生、ここは大学生ですね。あ、そうなんだ。お若いんですね。
中高生新聞は「学校では学べない、でも社会に出たら必要なこと」がコンセプト。企画から取材、記事作成まで全て学生のインターンが担当。中高生の未来に役立つ新聞です。
これが皆さんが作られてる。年2回、4月と10月に発行されていて、これが高校生新聞ってのと中高生新聞。ちょっと持ってみた。すいません。あ、小学生新聞ってのもあるんだ。で、英語版まであるんすか? 英語版が最近、海外進出しようということで。へえ。英語版のタイトルが、はい、学生新聞。
で、ここに映ってるこの皆さんが新聞のインターン生です。インターン生なんですね。へえ。何人ぐらいのチームでやられてるんですか? 大体50人前後ですね。すごいですね。いろんな大学の学生が。そこらの雑誌編集より大きいじゃん。
へえ。どういうきっかけでその学生新聞をやろうと思ったんですか? 自分は本当に学生のうちに起業をしたいなって思ってまして、それで学生新聞でインターンしたら、いろんな経営者の方だったりとか芸能人の方がいるので、まずはいろんな方のお話を聞きたいなと思ってインターンを始めました。
へえ。これちょっと謎すぎませんか。僕、未だに得体の知れない新聞っていうことしか分かってないんですけど。表紙に登場してる人とか、なんかすごいですよね。そうです。芸能人、本当に著名な方を取材させてもらってるんですけど、全部学生が会いたい人たちに直接電話かけさせてもらって、ぜひ取材させてくださいって言って。え、なんか暴力団がバックについてるとか? 全くついてないです。違いますね。いやあ、謎だなと思って。で、順番にアタックして、単に聞きに行ったり、取材しに行ったりしてる感じなんですか? そうです。
へえ。これまで会った中ですごい印象深かった人とかいらっしゃいますか? 本当にたくさんいるんですけど。こういう時、1人選ぶと角が立ちますよね。そうです。ぜひ極力角を立てていただき。逆に一番つまんなかった人、一番がっかりしたみたいな人いますか? 名前は言えないんですけど、例えば本当に大企業のサラリーマン社長さんみたいな方は、別の創業社長さんと比べた時に、思いっていうところだったりとか考えとかが全然違くて、なるほどみたいな感じになりましたね。
全国のサラリーマン社長の皆さん、お前らクソつまんないぞって言われてます。なるほど。でもまあタイプ違いますよね。そうですね。自分は個人的には創業社長さんとかの方が惹かれるなって思います。でも同時に、サラリーマンで組織の中で撃ち落とされずにじりじり登っていった特有の生命力もすごいですよね。そうですね、すごい感じましたね。
だから自分、人間として、ちょっと運が良かったらすごい創業社長にはなれてるかもしれないなって感覚はあるんですよ。だけど大企業のサラリーマン社長とかには100回生まれ変わってもなれそうにないな。めちゃめちゃすごいと思います。しかも失敗しない能力って大事じゃないですか。確かに。人から恨まれない能力。
これまでで特に記憶に残ってる何かとかありますか? 別に人ではなくてもいいですし、これが一番びっくりしたとか、がっかりしたとか。私がこの学生新聞に入って2ヶ月目に、ミュージカルの俳優さん方を取材させていただいたんですけど、私自身が普段音楽を専門に生業としているんですけど、その中でステージに立つことが当たり前じゃないんだよっていうことを、改めてその取材を通して感化されたというか、自分を見つめ直す機会になったなっていうのは、すごい、お話していただいた言葉はちょっと心に残ってますね。
あの、緊張しないでください。まあ、こんな暗いとこで照明当てられると誰だって緊張しますよね。ちょっとね、顔があったかくなってきました。顔が赤く。いやいや、深夜の飲み会でちょっと暗いところで。妙に凝っちゃってるんで、ちょっとだんだんと崩していきたいなと思います。
今日は皆さんのような若いゲストをお招き。意味がわからないというのは、この番組、普段はゲストの方に来ていただいてるんですよ。で、その方と僕が夜明け前の居酒屋のようなノリで、あることないことベラベラ話すっていうのを普段やってるんです。ただ問題がありまして、年齢問題。そもそも僕ももう高齢者じゃないですか。でさらに偉い先輩方にお越しいただくんで、気づくと日本の縮図みたいに。
ということで、そろそろ若返らなくちゃいけないっていう、いかにも老人っぽいことを考えまして、で、若返るならもう一気に行けるところまで行くしかないと思って、当初は生まれたばかりの赤ちゃんとか呼ぼうかなと。ただそれだとテレビに流せないってことで、間を取って、ちょうど真ん中ぐらいの若者の皆さん。
で、今日どうしましょう。皆さんの方でこうやらなくちゃいけないミッションみたいのあるんでしょ? そうですね。今回、質問も少し用意させてもらってまして。そうなんですね。じゃあそれについて話すところからスタートして、話が膨らんだり逸脱したら適当に、っていう感じでいきますか。わかりました。ありがとうございます。で、これを元に適当に取材の記事とか作っていただいて。
じゃあまず。僕、今高校生で、政治部っていう変な部活動に所属して活動してるんですけど、成田さんの、国会議事堂に乗り込んだりとか。まあ、そういうこともたまにする。見学ぐらいで。政策について考えたりしてるんですけど、成田さんの高校時代とか学生時代っていうのは、どのようなことに力を入れられたとか、こういうことに熱中されてたみたいなのってあったりしますか?
高校時代は、まあ寝てましたかね。そもそも政治に興味がなかっただけじゃなくて、部活とかもほぼ何もやってなかったんですよ。唯一やってたのが山登りぐらいで。でも山登りって言っても、その山岳部に部員が3人しかいなかったんで、部活と言えないような部活で。時々無意味に山に登りに行って、1週間ぐらい山の上をひたすら歩き続けるみたいなことをやってた以外は、基本寝てたんですかね。
で、たまたま目覚めると、図書館とか本屋に並んでる本とか漫画とか読んだり、映画見たり、音楽聞いたりするみたいな、典型的なダメニートみたいな生活をしてたっていう記憶がありますけどね。全然何も考えてなかったんで、受験勉強とか全くしてなかったですし、学校の授業とかにもあんまり行かなくて、街中とか図書館とか、学校の校舎の裏側にある、高校生たちがタバコ吸うために集まるみたいな場所とかにフラフラ出入りしてたっていう感じですかね。
だから何もなく、ただ流されるがままに、ボウフラのように川を漂ってた感じですかね。なので、見習えるようなことは正直何1つなかったっていう感じですかね。
どんなこと考えてらっしゃったんですか? あんまり考えてなかったってことになるんじゃないですか。つまり、こういうところで語れるようなことは何も考えてなかったし、考えてないことにさえ気づいてなかったっていう感じなんじゃないですかね。将来のこととかは何も考えてなかったですし、夢とかもなかったですし、何かの希望とか、これを成し遂げたいみたいな目標みたいのも何もなかったっていう感じですよね。
でもその中で大学進学されるじゃないですか。で、その大学に受験しようって心が変わった瞬間って、何かきっかけとかあったんですか? それははっきりあって。えっと、高校卒業した時はほぼ大学受験してなかったんですよ。で、確か学校の先生かなんかに、センター試験、今で言う共通テストってありますよね。あれ昔はセンター試験って呼んでたんですよ。で、それだけを受けておいた方がいいって言われて、一応受けに行ったんですよ。
ただ全く何も勉強してなかったんで、高校の時。確かとんでもなくひどい点数で、ランダムに答えた方が点数高いみたいな感じになって、どこも受けられないっていうんで、センター試験だけ受けて終了したんですよね、大学受験が。で、その後フラフラしてたんですよ。
ただ問題は、その頃に僕、父親が失踪して、で、母親がちょっと心を病むみたいな状態になって、ちょっとよくわかんない状態になったんですよ、家が。で、その前後で、父親が失踪したけど住宅ローンは残ってるみたいなんで、家族で自己破産とかってぐちゃぐちゃになって、で母親が泣き始めたと。
で、家がこんなぐちゃぐちゃになってるのに、この長男が何がやりたいのかわからないニートみたいな感じで家でベッドで寝てるだけだと言って、ブーブー言われた記憶あるんです。それでしょうがないと、言い訳を作らなくちゃいけないと思った記憶はありますね。で、1番安易で1番分かりやすいモラトリアムが、大学行くっていうことかっていう感じだったんじゃないのかなと思いますけど。
なので、その大学に行くとかっていうのも、すごい深い義務感とか使命感とか目標があってやったってよりは、先延ばし、逃避。目の前の困難から逃げるっていう、そんな感じでした。
大学入学されてからはどういった生活だったんですか? 大学に入ってちょっと変わって。僕、東大に入って駒場キャンパスに通い始めたんですよ。そうすると、あそこは結構何でもありの場所で、分かりやすく言うと文系から理系っぽいものまであるし、基礎っぽいものから応用っぽいものまであって、すごい真面目な、深めてる研究者っぽい人もいれば、ちょっと怪しげな人たちもたくさんいるんですよ。で、そうなんかぐちゃぐちゃだったんで、つまみ食いするにはいい感じの環境だったんですよね。
だから結構授業にも興味の赴くままにポツポツ行ってたし、数学科のゼミに出てみたりとか、かと思ったら電子音楽とか、アートとテクノロジーみたいな感じの自主ゼミとか自主講義みたいなのの運営を手伝ったりとか、色々ちょくちょくやってた感じで。ちょっと社会復帰したって感じですかね。
なので、それもまあ安易な感じですよね。あんまり目標もなく、その逃避のために大学みたいな場所に一応行ってみる。で、そうするとギリギリ社会との接点が生まれるみたいな感じで。で、要はそっから現在に至るみたいな感じで、あんまり変わってないんですよね。そうなんです。
なので、自分から目標とか夢を持って築き上げていくとか、突き進んでいくっていう感じが一貫してあんまりなくてですね。まずいギリギリのところで、ちょっと受動的に安易な救いの手が落ちてくると、ちょっと掴んで、ギリギリ崖下に落ちずに済むみたいなのを延々と繰り返してるっていう感じです。
その学生時代、自分にとって一番幸せだなって思う時間とかって、当時どういうものがあったりしますか?
酒飲みすぎで気絶してる時とかじゃないですか。意識がある時はあんまりアップダウンないんですよね。で、すごい幸せな瞬間もないですし、かと言ってものすごく不安で不幸で鬱々としてるっていう時もあんまりないんですよね。で、大体似たような感じで、こんなもんかって諦めてるみたいな感じがあるんですよね。なんで、そっから逃れられるとしたら、もう意識が飛ぶことしかないと思うんですよ。
そうなると、この社会で許されるギリギリって言うと、36時間起き続けて、そこに一気に酒を飲んで、山手線の床で寝てるみたいなのが、ギリギリ許される。ただ当時は結構、山手線で倒れて床で寝てたりとか、品川駅の近くのコインパーキングの床で寝てて轢かれそうになるとか、財布盗まれたりとか、そういうのは結構あります。
すごい。結構面白い人生を歩んできてますね。いや、でもつまらない人生だから、そういう小さい面白さに賭けるしかないっていうことで。これがもっと器の大きい人間だったら、違法ドラッグに手を出して逮捕されるミュージシャンとかになったじゃないですか。だからそこら辺の器の小ささが絶妙なのかもしれない。なので、世の中の普通の人よりは破天荒にちょっと見えるけど、一線超えないギリギリあたりを行くっていうことで、情けない人間だなと。
でもその点、大事だなと思うのは、例えばこういう新聞でインタビューするような偉い人とか活躍してる人とかいるじゃないですか。そういう人たちというのは全員、とても小物のような人たちだっていうのは間違いないのかな。それはどうしてなんですか? 一線を超えた人たちはみんな犯罪者になるわけじゃないですか。ということは、この世の中で褒められるような人たちっていうのは、良くも悪くもルールの範囲内でやってるってことだと思うんです。確かに。
だから、本当に弾けてる人、本当に逸脱する人っていうのは、歴史を通じて革命家になったりとか、あるいはちょっと頭のおかしい精神異常者って扱いになったりとか、犯罪者になったりして、社会から切り落とされていくと思うんですよね。なので、いわゆる成功者とか、いわゆる僕たちが憧れるような人たちっていうのは、その間あたりを行ってる人たちだっていうのは結構大事なことなのかなと。つまり逸脱しているわけでもなければ、完全に無害なわけでもない、その中間地帯っていうのが、世の中で結果として褒められる活躍の仕方なのかなとかって思いますよね。
そう考えると難しいことですよね。その頃合いというか、匙加減がすごく難しいじゃないですか。確かに。で、よくルールを疑うとか逸脱することが大事みたいなこと言うじゃないですか。あるいは新しいことをやれとか、リスクを取れとか。でもそれってちょっと話を単純化しすぎてると思ってて。
別にリスクを取るって言うなら、知らないですけど、突然崖から飛び降りるとか。知らないです、ここ渋谷ですよね。最近渋谷も夜景が見えるビルのペントハウスとか多いじゃないですか。そういうとこから飛び降りてみるとかっていうのが一番単純なリスクの取り方。だから、リスクを最大化するっていうのは結構容易にできちゃうと思うんですよ。なんで、リスクを取れって言ってるのは、実際にはどれぐらいのリスクを取るかっていう、その中間地帯だと思うんですよね。で、その匙加減の問題を言ってるんだと思うんですよ。
なので、適度に臆病になる、そして適度に危険を冒すっていう、その適度、ほどほどっていうのをどこに設定するか、それが才能ってことなのかなっていう風に最近思いますけどね。
なので、臆病であることは大事なんじゃないかと思うんです。っていう意味で、さっき世の大企業のサラリーマン社長をディスられたじゃないですか。あの人たちは、そのほどほどを最もよく知っている、そのゲームを何十年もプレイしてきた達人みたいな感じ。すごい。確かに官僚とかもそうですよね。
だから、大組織の中で下から出世する人たちっていうのは、面白いかつまんないかで言ったら、つまんない人たちですよ。つまり表面的に何か面白いこと言ってくれたりやってくれたりするわけじゃないじゃないですか。ただ、彼らがプレイしてるゲームっていうのは、非常に難しいゲームをひたすら極めてる謎のゲーマーみたいなもの。攻めつつ守りに入って、という気はします。確かに。すごい見る目が変わったかもしれない。
ちなみに番組ホームページではノーカット版の配信もしています。番組が大赤字で大変です。ぜひ皆さんカンパをよろしくお願いします。
単純に素朴な疑問なんですけど、成田さんの、いわゆるお仕事。結構最近テレビでもよくお見かけしたり、でもタレントでもない。その本業って言われるお仕事は何をされてるんだろうっていうのをちょっとお聞きしたいです。
本業があんまりないんですよね。もはや。いくつかやってはいて、今おっしゃられたようなことに加えて、一応大学で教えたりもしてて、だから授業とか講義をするみたいなのをやってますよね。あとは研究っぽいこともしていて、論文を書くとか、ソフトウェアを作るとかっていうようなこともやってますし。その間あたりで、例えば大学生とか研究者の卵みたいな人たちと一緒に仕事をしたりとか、彼らがその後大学院に行ったり研究者になったりするのを助けるみたいな、ちょっと指導というか教育の延長線上みたいなこともやることがある。
で、会社っぽいものもやっていて、企業と共同研究みたいなのをすることもありますし、自治体とかと仕事をするみたいなこともあります。なので、自治体の中で、例えばデータを使って子供たちを助けようみたいなプロジェクトがあると、それを実施する企業としてプロジェクトに参加するみたいなこともあるんですよね。
で、それ以外にも色々やっていて、例えばその自治体がどういう方向に進むべきかみたいなのを考える委員会とかグループみたいなのに入って議論するみたいなこともありますし、ファッション誌とかでよくわかんないものを書いたり、よくわかんない素人モデルとして登場してみるみたいなこともありますし。あとは投資っぽいこともちょっとやってて、例えばスタートアップっぽいものとか、あとはファッションブランドとかにちょっと投資をしたりするみたいなこともやってる感じで。結構色々やってるんです。
で、どれが本業かと言われると、もはやよくわからない。色々ありすぎて。で、非常にまずいなと思ってた時期もあるんですが、まあそれでいいかなと、最近は開き直るような感じになってきましたかね。
っていうのは、多分戦略的にはというか、合理的なのはちゃんと本業を持つことだと思うんですよ。つまり、自分にとって1番大事な業界とか、1番大事な組織とか、特に世の中でどういう人が自分を評価したり好いてくれたりしたら成功かっていうのをはっきり定義する。で、そのゲームを戦っていて、他は趣味っていうのが1番分かりやすくて、で認められやすくて、ちゃんとゲームのルールが成立してるもんだと思うんですよ。
で、それは例えば学生の皆さんであれば、例えば受験みたいなゲームはルールがはっきりしてるじゃないですか。だから何をやったら成功で、何をやったら勝てて、何をやったら褒めてもらえるか決まってるわけですよね。で、そういうものをしっかり1個、ゲームのルールを握ってる方が生きやすいと思うんですよ、多分。
で、もしそういうもの全部なくなったりしますよね。このしょうもない学校みたいな仕組みを一旦取っ払ってしまおう、で、受験なんかわけのわかんない試験とか面接とかで誰が受かったとか落ちたとかしょうもないこと言ってると、もうこれを無視してしまう、でどんどん自由になっていったりするじゃないですか。じゃあもう家族も、よくわかんない親とかいう存在がいて色々押し付けてても意味がわからんと。大体この世の中になぜか存在している偉そうなルールとか組織とかっていうのは、全部ちょっと意味不明な部分あるじゃないですか。非合理に見えるわけですよ。だからそこら辺ちょっと全部切り落としてみるってやったりするじゃないですか。
これはものすごく生きるのが難しいと思うんですよね。もう家族も学校も偏差値も全部忘れて、自分だけのために生きてください、音楽であれば、じゃあ音楽業界での評価とかちょっと忘れて、もう好きなように生きてくださいって言われたら、多分すごく難しいと思うんですよね。で、本業がない状態ってのはそれに近いと思うんですよ。つまり、なんか色々やってる、で何やってるんだかよくわかんない、で、これがすごいのかすごくないのか、偉いのか偉くないのかもよくわかんないみたいな感じじゃないですか。
でも、そうあるべきなんじゃないかなって、最近はちょっと思ったりしてますね。つまり、分かりやすい基準で評価しにくくなる、で勝ち負けが決めにくくなる、いいことしてるのか悪いことしてるのかよくわからなくなるみたいに、できるだけ既存の尺度を人生から、社会から取り除いていくっていうことが大事なんじゃないかなとか、最近思ったりしますね。
なんかそこで、そういう尺度のない状態みたいなのを意識的に作っていったらどうなるんだろうかみたいなことは、ちょっと考えて実験してるという感じですね。でも多分そのまま海の藻屑と消えると思います。で、それでいいんじゃないでしょうか。
それは成田さんならできることなのか、それか他の人も、普通というか一般的な人も、自分が何をやってるか分からないような状態っていうのを目指していくべきなのかとか、そういう点ではどうですか? 目指すべきかは分からないですが、目指すことはできるんじゃないでしょうか。
じゃあ1つの分かりやすい例で、お金みたいなものを取り上げてみましょうか。今、例えばいくつか評価とか学歴とかで話しましたけど、それと同じぐらい重要だとされてる尺度がお金じゃないですか。お金って大事ですかね、生きる上で。
なくてはならない。なくても生きていけるとは思いますけど、最低限、例えばそれこそ組織である家族を守るためだったり、もし自分の子供ができた時に、お金がないと、やりたいって言ったことが絶対にお金がかかること、例えば学校に入りたい、習い事をしたいっていう時に、習わせてあげられるようなお金を持っていたいなって、私はすごい思いますね。
でも、生きていくために最低限のお金が例えばあったらどうですか。今でも例えば日本だと生活保護みたいな仕組みありますよね。あれってそこそこお金もらえて、生存するためには十分ぐらいのものもらえますよね。で、あとはベーシックインカムみたいな仕組みを考えることもできるじゃないですか。だから最低限、人間が、特に日本みたいな先進国で、エネルギーとカロリーみたいなものを最低限手に入れて生きていく、つまり生物として生存していくために必要なお金って、実はそんなに高くないですよね。
で、実際過去100年間とかで、いわゆる先進国と言われる国の平均的な働いてる人が、生存するために最低限必要なエネルギーとカロリーを手に入れるためにどれぐらいの値段が必要かっての測ると、もう信じられない下がり方してるんですよ。何分の1になってるみたいな感じです。だからこのトレンドが続くと、多分生存するために必要なお金っていうのはどんどん少なくなっていくと思うんですよ。
で、逆に伺いたかったのは、一応生きていけるぐらいの、お金なのか物なのかエネルギーなのかカロリーなのかがあったとして、その先、お金はどれぐらい大事かなっていうことなんですけど。どうなんですかね。
で、結構これ難しい問題で、お金持ちの人たちもやっぱりお金をさらに求めて動き回ってるじゃないですか。あれって不思議じゃないですか。ビリオネアとかで1000億円とかある人たちとか、一生あっても使いきれないじゃないですか。にも関わらず、まだ投資しなくちゃいけない、新しい事業始めなくちゃいけない、相続対策しなくちゃいけないって、すげえ勢いで働きまくってるわけですよね。あれは何なんだろうっていうことで。
なんかお金を通じて何かを目指してるんじゃないかな。例えば周りとの関係とか見られ方だったりとか、お金で得られる、例えば名誉とか権力みたいな、そのお金の先にあるものをお金を使って目指してるんじゃないかなとか。もしだとしたら、その名誉なのか権力なのか何なのかわかんないですが、その人たちが欲しいものそのものを直接目指した方が素直じゃないですかね。
そうなんか、その仕組みというか、そのアプローチの仕方が今はあまりないのか、共通意識としてないのかなとか。いや、人間を測ったり記録したりする物差しがあまりにも少なくて貧しいから、結果としてお金ってものに頼るしかなくなってるだけなんじゃないですかね。確かに。
っていうのは、いや、そもそもお金って何なのかってことなんですけど。何なんですかね。いや、別にこいつら何小判とか思って。これは千両とか小判とかですね。で、これじゃあちょっと仮に。いやちょっと僕、一応お金持ちの振りはできそうですね。
これは何なのかってことなんですけど。お金って何だと思いますか。紙ですよね。だってこれで見たら、紙に何か印刷されてるでしかないし、スマホに入ってるキャッシュレスのポイントとかだったら、なんかピカピカ光ってる数字にすぎないじゃないですか。だからこれは何なのかってことなんですよね。
でも多分1つの考え方は、これは過去の記憶なのかなって思ってるんですけど。過去の記憶。どういうことかって言うと、これを僕が持ってるってのはどういうことか。多分誰かがこれを僕にくれたわけじゃないですか。じゃあなんでくれたんでしょうね。これを僕にくれたってことは、多分自分が過去に何かをしたり何かを作ったりした。で、それを欲しいと思う人がどっかにいたから、多分これを代わりにくれたわけじゃないですか。
っていうことは、僕がこれを持ってるってことは、自分が過去に何かした、何かを作ったりしたっていうことを、すごく粗く表現している情報だと思うんですよ。つまり、これを見ると自分が過去に何かをしたっていうことがなんとなく伝わってくる。だけどそれ具体的に誰に何をしたのか、何を作ったのかはよくわかんない。でも何かをしたに違いないっていう過去の痕跡みたいなのがここに残ってるんだと思うんですよね。という意味で、お金っていうのは、過去に何が起きたかっていうことをみんなで記憶するための装置なのかな。
で、お金持ちってなんか偉いような気がするじゃないですか。で、みんなお金持ちになるために頑張ったりするじゃないですか。それがなぜかって言うと、それが過去の痕跡だからだと思うんですよね。つまり、お金をたくさん持ってるってことは、その人が過去に何か価値のあることを色々したり作ったりしてきたに違いないって、みんながなんかざっくり思うから。だからお金がなぜか大事だと言われていて、みんなお金をとりあえず求めておけば、なんか尊敬とか幸福が手に入るような気がしてるってことだと思うんですよ。
でも長い目で見ると、それって必要ですかね。僕ちょっと怪しいんじゃないかと思うんですよ。だから最近、今度新しい本を出す予定で、それが『22世紀の資本主義』っていう本なんですよ。なので今度は未来の経済を想像してみようっていう。で、それのテーマが、今話したような、お金っていうのはいずれ消えてなくなるんじゃないかっていう話をしてるんですよ。
で、なんでかって言うと、今みたいに過去をざっくり捉えたお金が重要だったのは、例えば僕がどんな人間かを皆さんが知ることが難しかったからだと思うんですよ。特に、たまたまこうやって今日知り合った他人だとするじゃないですか。そうすると、その人が信用できるかどうかとか、どれぐらいいい仕事をしてくれる人なのかとか、よくわかんないじゃないですか。だから分からないから、代わりにその人がいくらお金を持ってるかに着目するんだと思うんですよ。で、お金を払えるかどうかを見る。で、お金を払えるってことは、その人は過去に何かいいことをしてきたことを表してるに違いない。だから信頼してもいいんじゃないかと考える。
要するに、それぞれの人が過去に何をやってきたか、どんな人かっていうことについての情報とかデータが、あまりにも世の中に、僕たちの中にない。だからお金に頼るしかなかったと思うんですよ。でも最近、なんかすげえデータ溜まり始めてませんか。そうですね。
みんなスマホ使ってるじゃないですか。スマホとかそのOSを提供してる会社って、僕にとって信じられないようなデータを持ってるじゃないですか。どこに行ったかも、何をやったかも、何を話したかも。もしかしたら今ここで話してるのもマイクで録られてるかもしれないじゃないですか。だから、それぞれの人が過去に何をやってきたかっていうののデータが、ものすごくたまりやすくなってると思うんですよね。
と考えると、それぞれの人がどんな属性を持ってるかとか、どんな行動とか言動を過去にしてきたかっていうのデータがどんどんリッチになるじゃないですか。で、そのデータに誰かが、例えばこの招き猫がアクセスできるとすると、別にお金って必要ないんじゃないですかね。単なる付加価値の紙切れになるって感じなので。
過去に何をやってきたかを、お金みたいな単純なものに還元しなくても良くなる。それぞれの人がどんな人かの色々細かく丁寧に捉えたデータっていうのをこいつが見て、で、その人が次に何をしていいか、例えばアイスコーヒーを飲んでいいかとか、ある会員制のレストランとかバーに入っていいかとかってのを直接決めれば、別にお金使わなくてもいいですよね。確かに。
で、実際家族の中とかだと、そうやって物事進んでるじゃないですか。家族の中で何かお願い事するのに、いちいちお金渡さないですよね。で、会社の中でもそうじゃないですか。会社って資本主義の活動の中心だって言われてるのに、隣の人に何かやってもらうのに、同僚にお金渡して頼む人いないですよ。だから家族とか会社の中ではお金ってあんまり使わないと思うんですよ。なぜかって言うと、それぞれの人が何をやってて、どんな人かをみんな分かってるからだと思うんです。
でも、これからの社会は、もしかしたら社会全体が、あらゆる人が家族のメンバーみたいにどんな人なのか分かるように、どんどんデータが蓄積されていくかもしれない。そうすると、それぞれの人がどんな人かっていうことのデータそのものが、その人が次に何をできるかとか、何をすることが許されるかっていうのを決めるために使われる。そうしたらお金とかなくても良くなるんじゃないかなっていう感じがするんですけど。
で、今、世の中ちょっとずつそうなってるじゃないですか。っていうのは、昔だったらそれぞれの人について測れる物差しって言うと、お金とか身長ぐらいしかなかったような気がするんですけど、最近は色々ありますよね。別にSNSのフォロワーとか影響力みたいのもあるかもしれないし、本当の親友が何人いるかとかも徐々に大事になってきてるじゃないですか。なので、今なんか評価経済の時代とか、だいぶ前から言われてますけど、それはいろんな評価の軸っていうのが記録しやすくなって、見えやすくなって、評価しやすくなったことだと思うんですよ。
そうすると、さっきおっしゃったみたいな、例えば人からの尊敬、愛着みたいなものとか、あるいは本当に大事な頼れる親友とか家族とかいるかどうかとかっていう、いろんな軸がそれぞれの人についてあって、それぞれの人がそれぞれの軸でどれぐらいのものかっていうのがちゃんと記述できるようになっていく。そうすると、単純にお金持ちか貧乏人かとか、偉いか偉くないかみたいな比較をする必要がなくなっていって、それぞれの人は単にそれぞれの人なりの色々な側面を持っているっていう当たり前の状態に、徐々に戻れるようになるんじゃないかなとかっていうようなことを最近考えたりします。
で、何が言いたかったかと言うと、そういう風に経済とかお金とか資本主義っていうのは徐々に移っていくと思うんですよ。つまり、これまでみたいに高い低い、大きい小さいっていうのが徐々に弱まっていく。で、比較できなくて、それぞれの人がそれぞれの人なりの個性を持っているっていう状態をそのままデータとして記述して、でそのまま次に何が起きて、それぞれの人の色々な属性とか評価軸がどう変わっていくかってのが決まっていくみたいな、比べにくいものになっていくと思うんです。
で、比べにくい世界っていうのは、本業がない世界っていうのにちょっと近いのかな。つまり、僕たちは本業持って、本業は何ですか、本業ではどれだけ評価されていますか、あなたはその世界で偉いんですか偉くないんですかって、僕たちは聞きがちじゃないですか。偉いんですか偉くないんですかとは言わないですが、実質的にそれと同じこと言ってますよね。で、それは、あなたはお金をどれだけ持ってるんですか、お金持ちなんですか貧乏人なんですかって聞くのと、頭の構造としてすごい似てると思うんですよ。
つまり、僕たちの頭がポンコツで、僕たちの持ってる情報があまりにも貧しい。で、その貧しい中で相手を理解しなくちゃいけない。で、相手を理解しようとすると、単純なものに還元するのが1番分かりやすいじゃないですか。で、そのために年収を測ったり、資産を測ったり、あなたの本業での評価は何ですかっていうのを質問するっていう風に、洗脳されてると思うんですよ。
で、だから多分、人間が人間を判断するっていうことをやめるんだと思う。もう人は人、自分は自分って感じで。で、そのまま、あなたという存在全体についてのデータが溜まっていって、その複雑で捉えどころがなくて、人と比較したりすることができないデータをそのまんま処理できる存在が生まれれば、別にお金とか本業みたいな尺度はあんまりいらなくなるんじゃないですかね。
で、そういう世界に徐々になるんじゃないかな。社会の中のあらゆる人について、この人とこの人のどっちが上かとか下かとかっていうのを判断しなくても済むような世の中とか社会とかにならないかなみたいなことを最近考えて、今度そういう、宗教なのか経済論なのかわかんないような本を出したりする予定です。
なんかすごい多忙なイメージがあるんですけど、休みとかってあるんですか? ご飯とか何食べてるんですか? お金……とありますけど、これに投資するとかあります? これを……にしたい。すごい普通の答え。
記事公開
